L'art de croire             竹下節子ブログ

地球のために何ができる? 3

承前

さて、『ラ・デクロワッサンス』紙の記事。

見出しは「エリザベト・バダンテール  システムの哲学者」というものだ。

フィガロ紙のジャーナリストのウージェニー・バスティエはカトリック系エコロジー雑誌『リミット』の主幹でもあるが、自著の中でデクロワッサンス(つまり成長の反対の縮小)主義の先駆者でもあるクリストフ・ラッシュを引用して、フェミニズム運動が資本主義に汚染され、広告産業のようにスローガンを選択していると述べている。同書の中でバスティエ女史はバダンテールも称賛しているのだが、そのバダンテールは「女性をモノ化(疎外)しているのは広告ではない、私は広告が好きだ」と『パリジャン』紙で語ったことがあるという。

つまり、バスティエ女史は、成長戦略に異を唱えながら、バダンテールを称揚することでメディアの金権体質の中にある。

『ラ・デクロワッサンス』紙は消費者に無駄な欲望をかきたてる広告業界を徹底的に告発する立場に立つ。だから、広告代理店大手のピュブリシスの資本の10%を所有して10億ドル以上の資産を持つバダンテールは完全に新自由主義経済のシステムの内側の立場だというわけだ。

そして、ほとんどのメディアは広告収入で成り立っているから、バダンテールを批判することは絶対になく、メディアの調査する「フランス人の好きな知識人」の上位にはいつもバダンテール女史が来るというのだ。

「金持ちの味方」という視点でバダンテールを見れば、2011年にDSKNYのホテルで黒人メイドからセクハラ告発された当時のIMFトップ)を擁護したことも、売春や代理出産の合法化支持(女性の体の使い方を国が管理するべきではない)も、「貧しい女性」の側に立つものではなく、フェミニズムは新自由主義経済推進のツールでしかない、という。

バダンテールが女性の育児を効率化するために粉ミルクや使い捨てオムツを推進し、母乳育児の推奨は女性を20世紀初めのように家庭に閉じ込める退行だと主張するのも、エコロジーに真っ向から反している、とする。

うーん。

確かに、昔は、使い捨てといっても布のおむつカバーの中にナプキン型の紙おむつを当てるというのもあったけれど、今のフランスはすべてが前も後ろも可愛いプリント柄のついた完全な紙おむつしか見かけない。

エコロジー系や仏教系フェスティバルでは地球にやさしい布おむつのスタンドが出ているけれど。(カトリックはフランシスコ教皇がエコロジーを重要テーマとしているのだけれど、フランスのブルジョワ・カトリックでは、布おむつ系を推奨する人に会ったことがない)

私は「広告」を見て新しいものにとびつく方ではないけれど、「広告」のランガージュと現代美術の関係などには非常に興味がある。

そして「広告」が金になる社会では多くのすぐれた才能が「広告」業界に向かうので、ますます面白い「作品」が生まれる。同時に、そういうすぐれた才能も往々にして「使い捨てられる」もので、巨大な新自由主義経済の中で押しつぶされるか消費されつくすことがほとんどであることも分かっている。

でも、バダンテール女史が言っていることやこれまで言ってきたことは、そういう搾取者側に立つに自分に利益誘導するようなものではない。すでにすべてを持っている人だからこそ、正論を口にすることもできる。

彼女が紙おむつを勧める時、紙おむつの広告収入のことなど考えていないのは明らかだ。紙おむつが使い捨てられる「環境汚染」だって、そうでない場合のいろいろなメリットとデメリットを全部検討したら、総合的に最悪の選択ではないかもしれない。

でも、強者の個人情報が簡単に拡散されてしまう今の世の中、社会的強者(被害者、犠牲者ではない人)の正論は、いろいろなバイアスによって歪められてしまう。

「エリート」に対する単純で根拠のない偏見ほど自然で正しくに感じられるほどだ。

そのことを痛感しているので、私はあまり大きな声で正論を言いたくない。

「そういうお前はどうなんだ」

とつっこまれたくないからだ。

最近、例のオジャランのフェミニズムについて私が知るきっかけとなった藤永茂さんのブログでこういう記事を読んだ。


>>>ヤズディ教徒のクルド人に伝染したように、オジャバ革命の理念がイラク北部のクルド自治地域のクルド人たちの間にも広がって、現在のトルコ、シリア、イラク、イランの国境線がそのままに保たれたまま、三千万人を数える世界最大の少数民族クルド人が多数派住民である平和共存の広大な地域が中東に出現して、そのついでに、世界核戦争の危険性も次第に消えてゆく、これが私の大きな夢です。
**********
 確かに、これは大きな夢です。この夢の前に立ちはだかる高い障壁の数々が、ISの首都ラッカの陥落の後に、具体的な形をとって、我々の前にその姿を現すでしょう。とりわけ、ロジャバのクルド人たち、トルコのクルド人たちの苦難は深刻さを増すばかりでしょう。リビングルームのソファに座ったままでロジャバ革命に声援を送っている私のような人間はどうすればよいのか?<<<

藤永さんのような方が「リビングルームのソファに座ったままでロジャバ革命に声援を送っている私のような人間」とおっしゃっているのだ!

90歳の藤永先生が、ぶれることなく被抑圧者の側に立って情報を発信していてくださるから、それに反応して動く人だってきっといる。

夢を伝える、意識を変える、教育する、という使命を持っている方がいてこそだ。

では、私も「地球のために何かする」ために「リビングルーム革命」を目指せばいいのだろうか?

罪悪感を払拭してくれる答えは別のところから来た。(続く)


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# by mariastella | 2017-07-28 00:13 | 雑感

クリストファー・ノーラン『ダンケルク』

ここのところ、フランス映画2本、ドイツ映画1本を観たのだけれど、うーん、なかなか末梢神経をくすぐられるところはあったけれど、真剣に映画評を書く気になれなかった。

結局、一番印象的だったのが、国籍も米仏英蘭とマルチなブロックバスター映画で、クリストファー・ノーランの『ダンケルク』だった。

そのスケールはまさにハリウッド映画だが、そのエスプリは完全にイギリス映画。

戦争映画など大嫌いな私が行こうと思ったくらいだから、まず、音や迫力はすごいけれど、いわゆる手足が吹っ飛ぶ的な残虐映像はない。

もちろん多くの戦死者が出ているのだが、殺されて死ぬときは、多分攻撃する方も、「無名」、「匿名」性が高くて、モノのようにコトが過ぎる。

けれども、救う時、救われる時は、ヒトであり、命であり、「関り」が生まれる。

この映画の死の中でただひとつ人や思いや関係性のもとに描かれるのは、軍服でなくセーターを着た17歳の少年の死だ。

敵によってはでなく父親の船の中での小競り合いで打ちどころが悪くて死んだ。

最後にこの少年の「死」が「英雄」として地元紙に掲載されるのも皮肉だ。

全部が、戦争の不条理につながっていて、よくできた戦争映画というのはすべて反戦映画になっているなあと思う。

といっても、フランス人からは、イギリスのナショナリズムに不快を感じたり、このダンケルク救出作戦「ダイナモ」で、フランス軍が果たした役割を無視しているという不満も出た。

7/17のル・モンド紙で4万人のフランス人に失礼だというコメントがあったのがイギリスでも掲載されて、イギリスの歴史学者マックス・ヘイスティングスという人が、ノーランは自分の解釈で自分の描き方をする権利がある、スピルバーグの映画がアメリカ的であるようにこの映画はイギリス的であるだけだ、と言ったそうだ。

といっても、スピルバーグ映画の方が、アメリカ的というより、インタナショナルなマーケットを意識して政治的公正が加味されているようにも思えるのに対して、このノーランの映画は、フランス市場なんて気にしていないのがよく分かるのだけれど。

「敵」であるドイツ軍は「飛行機」の姿以外ほとんど現れない。最後に英軍パイロットが多分捕虜になる時に現れるだけだ。この戦いで実際に捕虜になった英軍兵士はポーランドの強制収容所に連れていかれて働かされたという。

でも「敵」がドイツ、という単純な二元論でなく、ひとりひとりが果たしてサバイバルできるかどうかという運命と向かい合っているように描かれているところがエレガントと言えばいえる。

映画の「国籍」に入っているオランダ人もフランス人も一人ずつ登場する。でもオランダ人はドイツ人と間違われて、必死に自分はオランダ人だといい仲間に入れてもらい、フランス人の方もドイツ人のなりすましだと疑われて、イギリス人から「ギブソン(だったか?)と発音して見ろ、ドイツ人ならなまりがある」と迫られて窮し、結局はフロッグ・イーターのフランス人だと白状させられる。

でも、生きるか死ぬかの仕分けではスコットランド人でも微妙に差別されているので、同盟国同士でも差別があったのは当然なのかもしれない。

ここに出てくるイギリス人兵士はまったくアングロサクソンの若者たちという感じだ。イギリス軍は共同体社会だから、インド系はインド系の部隊というようにはっきり分かれていたようだ。

でも、実際は、フランス人かドイツ人かオランダ人かは外見では確実に判別できないわけで、話させて訛りでテストされるなど、なんだか日本でもあったような話で気分が悪くなる。こういう局面においては、「母語」がナショナリズムの判定になるのだなあ。

私は実はダンケルクにちょっとした縁があるのでそれもこの映画を観に行った理由の一つだけれど、それにしても、1940年の5/26-6/4に展開されたというこのダイナモ作戦が、イギリス側で「ダンケルクの奇跡」と呼ばれ、「英雄」物語になっているのは、政治的判断とはいえ確かに不自然な部分はある。


ドイツ軍に追い詰められたイギリス軍にはもう戦うことも勝つことも不可能だった。前が海で退却も不可能だった。けれどもチャーチルには「降伏」という文字はなかったので、「救出」しかなかったのだ。

でも軍を回す余裕はなかった。

で、民間の船に呼びかけて、市井の人々が自分たちの船で英仏海峡を渡ったのだ。奇跡的だったのはむしろ好天に恵まれたことの方だったらしい。

40万人近くが追いつめられていたのを、イギリス軍が救えるのはせいぜい3,4万人の見通しだったのだけれど、結果として、民間の何百艘という船が応えたこともあって、338226人が救出された。

イギリスについて列車に乗ると、兵士たちはブラボーと歓呼の声で迎えられ、英雄扱いされる。「おれは生きのびただけだ」と、彼らは思うのだが、この「帰還」を作戦が成功した「凱旋」のように報道するのはもちろん政府の判断だった。


確かに、すごい犠牲を払って救出することが「勝利」なのだったら、最初から戦地へ送らなければ ? などと思われるとまずいから、「英雄譚」を創ることが必要だったのだろう。

戦争映画が苦手な私でもストーリーを追えるのは、陸・海・空からの話の展開を細切れにしてつなげているサスペンスがよくできているからだ。しかも、同じ割合で挿入される陸・海・空の時間の流れが、浜で救出を待つ疲弊した兵士の大群の一週間、海を渡ってダンケルクに向かう初老の男(長男は参戦して三週間で戦死した)と二人の若者の一日、そして戦闘機で勇敢に戦うパイロットの一時間、と三通りの密度で組み合わせるというテクニックがほどこされている。

空からの映像がすばらしく、息をのむほど美しい。実際にコックピットにIMAXカメラを取りつけたそうだ。船底で溺れそうになったりする映像とのコントラストが強烈だ。

浜で列を作る軍服の大群の後で、ネクタイさえしめて自分の船を操縦する男の姿が新鮮だし、たった一人で戦うパイロットの孤独も胸を打つ。(6月末のパーティで、制服姿の空軍のパイロットと話をしたばかりだったので、あらためて、今ここにある戦争のことも考えさせられた。)

この映画を観た97歳のイギリス人元兵士は、当時20歳で、まったくこの通りだった、と語った。そしてその夜、泣いたと言った。77年経っても、地球に平和が来ていない、人が人を殺し合う愚かさから脱していないことが悲しい、という。

確かに、この映画では、爆弾や銃弾の命中率がそんなに高くない。

今の高性能ミサイルだの無人爆撃機だのの時代の戦争ならもっと容赦ない非人間的なものになっているのだろう。

そして、攻撃すること、殺すことの効率や技術は高まっても、「救う」ことの技術は今も昔も、「人間的」でしかないのだろうなあと思う。

このダイナモ作戦の「成功」は、19406月4日

映画の終わりに司令官は、自分はダンケルクに残る、まだフランス人を助けなくてはならないから、とかっこいいことをいう。

でも、6月22日に独仏休戦協定が結ばれて、ダンケルクもパリも、ドイツ占領下に置かれることになった。

連合軍のノルマンディ上陸作戦は、それから4年後のことだった。

ダンケルクはノルマンディではない。

日本人の目から見ると、やはりイギリスって島国だから、もちろんドイツ軍の絨毯爆撃を受けたにせよ、ある意味で「大陸」の戦争からは「要塞」のような位置にあるなあと思った。そして、日本が南洋などで取り残された日本軍を救出に行かなかったのか行けなかったかに比べたら、やはり、「救出」するというのは「殺す」という戦争のベクトルと逆であって推奨すべきことであり、生き延びたことは「ブラボー」に値するのだなあとすなおに思う。

そして、何よりも、この二度の大戦でぼろぼろになったヨーロッパが、EUとなって互いの間の戦争を放棄したことの貴重な意味を考える。Brexitとか言っても、もう独仏英が殺し合うことは考えられない。

この「殺し合うことがもう考えられない」ということが、つい80年前には考えられなかったのだ。


この映画を観たら、やはり日本は今のままの「憲法九条」を掲げるのが最良の道だと思えてくる。互いに顔も見えない相手と殺し合うなんて、いったいどうしてそんな事態に陥ってしまうのか、そしていったん歴史がそちらの方に傾いたら、大きな車輪が回り始めてすべてを押しつぶしていく。

兵士たちはみな、若い。

若者を戦場に送ってはいけない、

それがたとえ「聖戦」と呼ばれていても。


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# by mariastella | 2017-07-27 02:58 | 映画

地球のために何ができる? 2

承前


エリザベト・バダンテールはアングロサクソン型の男女同等、犠牲者主義(男は敵で女は被害者)、クォータ制、逆差別推進というタイプのフェミニストではなく、人類は皆自由と平等だというフランス型普遍主義のフェミニストだ。すべての人が人間としての尊厳を損なわれないで生きていけるための戦いの一環としてだけフェミニズムも現れてくる。

私はそういうフレンチ・フェミニズムの支持者だ。

「男と同じようになる」とか「男に勝つ」とか「男を敵にする」という二元論的闘争は苦手だ。でも、「男と戦う」のでなく「自由のために戦う」女性を見るのは好きだ。オジャランのロジャヴァ革命の理論やクルドの女性戦士なんてぞくぞくする。

ずいぶん前に女性編集者から「竹下さんのフェミニズム論を読んでみたい」と言われた時には意外な気がした。

私はすでに、アングロサクソン風フェミニズムの裏返しである恩恵ばかり受けてきた人間なのでそのことが後ろめたかったからだ。

詳しいことは書かないが、要するに、ただ、これまで甘やかされ放題で生きてきたということだ。まともに振り返れば、ほとんどアベル症候群になってもよさそうなくらいだ。

(アベル症候群を説明するのに、今、日本語で検索したらこういう論文〈天理大学カウンセリングルーム紀要 第 l巻 2004 共感との関連からみた罪悪感:発達的観点から〉というのが出てきたので該当部分をコピーする。)

>>>>富裕の罪悪感  他人と比較して自分が恵まれた幸せな境遇にいることを自覚することで生じる罪悪感である。 1960年代の有産階級出身の若者を社会運動に駆り立てた動機がこの富裕の罪悪感であったと Hoffmanは考えている 。社会経済学的にいえば、それは「階級的罪悪感」ともいえる。これは共感の最終段階である「目前状況を超え出た視点からの共苦を基盤に形成される発達的に上位段階での罪悪感である。しかし、時代、地域といった文化的影響を受けやすく、現在では目にする 機会が減ったと述べている 類似の現象については、 Modell(1984, chap. 5)が論じている 。この種の罪悪感の背後には、 「自分が何か良いものを手に入れることは、他の誰かが剥奪されることを意味する」 p75)という空想が伺えるという。(註九

Ellenberger (1954)は、この種の罪悪感を「アベル症候群」と呼び、その心理的構成要素に ついて、論じている 。アベル症候群のひととは、「運命に甘やかされた人」で、「他人より幸福 なのを自覚して、漠然とした罪業感を覚え、他人のやっかみを感じているが、十分な自己防衛はきていない人」(p306)である 。アベル症候群は、「(1)幸運と、(2)その結果としての漠然と した罪業感と、(3)羨望の的となっている事実と、(4)不十分な自己肯定感(p307)とから構成されているという <<<<

私の「幸運」は、平和な時代に豊かな国に生まれて育ってきたこともあるが、その中には、たまたま「女の子」だったからすべてが許されてきたというのも含まれていたので、犠牲者主義のフェミニズムに対しても罪悪感があったのだ。

飢えで死んでいくソマリアの子供たちとか、ナパーム弾で焼かれるベトナムの子供たちとか、ありとあらゆるこの世の不幸と不条理は子供の頃から耳にし目にしてきた。フランスでは知識人がアンガージュマンを、と言って、ラテン・アメリカのゲリラに加わったりスペイン戦争やらに参加したりしていた時代だった。

でもフレンチ・フェミニズムは犠牲者主義ではなく、男たちとも連帯して「人間」を扱ったものだったから、私にはハードルが高くなかった。

その第一の論客がエリザベト・バダンテールだったのだ。

しかも彼女はシンプルでエレガントで、知的で堂々としていてすてきだった。

夫君のロベール・バダンテールと同じ理念と志をもって歩んでいるところも理想的だった。それ以上のプライバシーには興味がなかった。

ところが、ある時、彼女が自分には3人の子がいて孫たちもいる、とインタビューに答えた時、なんだか裏切られたような気がしたのには自分でも驚いた。

少し調べると、パリの一等地のすばらしいアパルトマンに住んでいて、世界有数のの広告代理店の創業者の孫で大株主だということも知った。

それ以来、彼女がどんなに弱者の側に立って社会正義のために正論を言っても、失業中のシングルマザーやDVを受けて子供と非難している女性などの苦境にほんとうに共感できるのだろうか、愛も家族も金も知性も地位も権力もすべて持っている「あんたに言われたくない」と思われないだろうか、などと違和感を感じるようになったのだ。

一方で、民衆が立ち上がったフランス革命の理論的支柱となったのは、啓蒙の世紀の貴族や聖職者の知識人たちである。ほんとうに虐待されたり奴隷状態にあったりする人はその日のサバイバル以上のことは考えられない。生活に困っていない人だけが、広く他者に目を向けることができる、と言うのは真実だとも思った。

目を向けるだけでなく、フランスの大貴族のラ・ファイエット侯爵が自費でアメリカに渡って独立戦争を助けたように、身の危険を冒してでも遠くにいる他者の支援に駆けつける人も実際にいた。

恵まれた環境でぬくぬくしているのではなく積極的に「行動」を起こす人もいるわけだ。日本でなら、先ごろ亡くなった犬養道子さんのような人も思い浮かぶ。「おじょうさま」で特権もあり知名度も人脈もある人が、貧しい子供たちに出会ってから人道支援、難民救済に尽くした。

弱者に寄り添うために同じ弱者である必要はない。ビル・ゲイツだってメリンダ夫人(カトリック)と共に、世界最大の慈善基金財団を創って実際に「現地」へ足を運び続けている。

そうは思っても、バダンテールでもなく犬養さんでもなくビル・ゲイツでもなく、ただ親や周囲の人に甘やかされてきたというだけでチキンな私が、いくら世界の不公正に義憤を覚えても、地球の環境悪化や温暖化に危機を感じても、何もできないし何もやらない日常は変わらない。資源ゴミをリサイクルして、多少は省エネを心がけたしたとしても、原発依存国フランスで電気をたくさん使って不自由なく暮らしている事実は変わらないのだ。

私は『ラ・デクロワッサンス』のようなメディアから叩かれるような有名人ではもちろんないから、それでも、ひっそり偽善的に生きていける。いや、この新聞を買うだけで、多少の「償い」感を得させてもらっているくらいだ。

で、バダンテール女史はいったいそこでなんと言われて叩かれているのだろうか ?

おそるおそる読んでみると・・・


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# by mariastella | 2017-07-26 06:18 | フェミニズム

地球のために何ができる? 1

La Décroissance という月刊新聞を私は時々購入することで応援している。


デクロワサンスというのは成長の反対で、衰退とか退行と解釈されがちだけれど、別に「昔に戻れ」と言っているわけではなく、「成長路線」を唯一善とするような世の中を批判して、別の道を歩もうというエコロジー新聞だ。

すべての「広告」に反対するというのがポリシー(主幹は元広告業界のアートディレクターだった人だがラディカルに反広告エコロジストになった)だから、全く広告収入がないので割高だけれど、存在し続けてほしい媒体なので時々買っている。


7-8月合併号の記事はとても参考になった。

私はどちらかと言うと、ディープ・エコロジストが苦手だ。

絶対菜食主義も、絶対殺生禁止も、「絶対」とつくものは警戒してしまう。

けれども、環境問題は科学とテクノロジーによって、言い換えれば「経済成長」によって必ず解決策を生み出せる、というタイプのエコロジーはうさん臭いとは思う。


原子力発電はCO2を排出しないクリアなエネルギーだという宣伝と同じで、巨大企業の利権や政治があまりにも透けて見えるからだ。

今回の記事は、環境問題に対して「成長による解決(要するに金による解決)」という積極的発言をする人たちの論点を一望にできるようにまとめてくれているのでなかなか役に立つ。

今の大統領や環境相も、極右ルペンも極左メランションも、「パリ協定」は今や」「国是」みたいなものだから、「エコロジー」「地球を救う」ということ自体は全員が口をそろえて言っている。

けれども、科学の力で、走れば走るほど空気をきれいにする自動車を開発するといった類のビジョンは、ロボットが進化すれば人間は苦しい労働から解放される、というたぐいのものと同じで、そもそも、なぜ、今のような環境危機を招く事態になるような方向で科学技術に予算が与えられてきたのかという根本的な問いがすっぽり抜けている。


技術の発展と環境保護は両立できるんですよ、という幻想には明らかにごまかしがある。


とはいえ、私など、

すでにいろいろなレベルで「洗脳」されてしまっている上に、

日常生活のレベルで自分も十分テクノロジーの恩恵を受けているからなあ、

テクノロジーがいまさら後戻りしてもらっては不便で困る、

私は自然の中でサバイバルなどと縁の遠い人間だし…

などという「共犯意識」が働くので、多分正論であろうこの新聞の過激な記事には、なるほどと思っても腰が引けてシニカルにながめることの方が多かった。

時々自分の罪悪感を確認することで、良心の呵責を弱めていただけなのかもしれない。

でも、今回の号で、そうそうたる論客たちが堂々と「テクノロジー」による「成長」によって環境汚染や温暖化などを克服できるという楽観主義をそろって開陳しているのを読むと、それがあまりにも説得力があるので、かえって、欺瞞点が見えてくる。

ところが、私の信頼するエリザベト・バダンテールの偽善が身も蓋もなく論じられているのには複雑な気がしてしまった。(続く)


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# by mariastella | 2017-07-25 03:45 | 雑感

女性の罵詈雑言

何だか最近の日本で話題になっている女性議員の「罵詈雑言」についての意見を求められた。


私は、今はネットでの日本の雑誌配信サービスを利用できるのでこの話は週刊誌の記事ですでに知っていた。意見を求められたのでネットで録音をちらっと聞いてみた。

感想は…通り一遍に言われていること以上のものはない。

本人も含め関係者全員、お気の毒にと思うばかりだ。

思わないのは、「誰にでもこういうことを思うことはあり得るし時と場合によっては口にだってしかねない」というタイプの反応だ。

前にも舛添さんのことで書いたけれど、私は、他の人のどんなスキャンダルや隠していた「不都合なこと」が露にされてバッシングされても、たいていは身につまされる。

嘘も、裏切りも、使い込みも、身内びいきも、保身も、忖度も、ごますりも、程度の差こそあれ、いかにも自分でもしそうなことだったり、してきたことだったりだからだ。

また、今までにしてはいないしこれからも多分する機会はないにせよ、時代の流れや状況によって、また群集心理や恐怖やパニックにとらわれれば、弱者の虐待やら差別やらホロコーストへの加担や密告や、拷問や死に通ずるボタンを押すなどと恐ろしいことも、自分なら絶対にしないなどという自信はまったくない。

私は多分単独のすごい「ワル」ではないけれど、みんながやっているなら「石打ち刑」にでも参加しそうな危うさがあることを自覚する程度の良心はある。

その私が、「絶対にしない」というか「できない」と思うのが、罵詈雑言を口にするということなのだ。

多分、幼い頃に「禁忌」とされた言葉にはブロックがかかって、よほどの「治療」でも施さない限り音声言語化できないのだと思う。

私に関して言うと、多分戦争体験のトラウマなんだと思うけれど、いつも優しくて何でも好きなことをさせてくれた実家の母から、「死ぬ、死ね。殺す、」などの言葉には耐えられないから絶対に口にするな、とそれは真剣に訴えられた。

多分きょうだいげんかをしていて、それに類した言葉を兄や私が発していたのだろう。母は血相を変えて禁じた。その母の顔を私は今も覚えている。

だから私は、そのたぐいの言葉を、単独で発するということができない

「日本、死ね」とかいうようなネット語も、多分書けないし、誰かに憎しみを抱いたとしても、頭の中でさえその種の言葉を罵詈として形成できない。今回の女性の発したような言葉はどれも、私の口にできる語彙にない。

フランス語の方が若干、「ダメだろ、おい、」みたいな感じの口調はブロックされていないので口に出せるけれど、いわゆる汚言は、誰でも気軽に口にするようなものでも相当な決意がないと口にできないし、頭にも浮かばない。でもこれは幼い時の母の表情や真剣さとはセットになっていないから、無理をすれば出てくる。

けれども、フランスの子供でも、その言葉を小さい頃から禁じられており、家庭では絶対に耳にしない環境で育った場合に、学生になってから仲間といてハンディキャップになるほどに「口にすることが不可能になる」場合がある。それを「言わない」のではなく「言えない」ということが周囲にばれると揶揄されたりハラスメントを受けたりする可能性もあるので細心の注意を払うという。大人になってしまえば、汚言を口にできなくても別に深刻なハンディとはならない。

今度の罵詈雑言事件で、ある女性作家が自分は18歳までずっと母親からそのような暴言を浴びせられ続けてきた、とブログで書いていたのを目にした。よく耐えてきたものだと思う、と言う。

「汚言を口にするな」という母からの禁忌がこれだけ功を奏するのだから、暴言というDVを親から受けてきた人がそこから回復するのは大変な困難だろう、と思う。

今回の女性がどういう経緯でそういう言葉を口にできるのか私には分からない。議会で飛び交うヤジでさえ、私にはハードルが高い。

これは人格の高さとかとかは関係ない。

前述したように、どんな嘘やごまかしや背信だって私には多少の身の覚えがあるし、それに類したことをしないなどという自信は毛頭ないからだ。

ただ、ジル・ド・ラ・トゥーレット症候群のことを考えた。

長い間「悪魔就き」の典型的な症状のように思われていた時代もあった。「汚言症」というチックの一種で神経障害の難病だ。そうなると、普段口にするはずのない罵詈雑言や本人が知るはずのないような卑猥な言葉などがすごい勢いで発せられる。「悪魔払い」の映画などで少女や修道女などがこれを発するとそれこそ鬼気迫る印象的なシーンができあがる。

アルツハイマー病に罹った高齢女性で、昔は上品だったのに、急に怒りっぽくなって暴言を吐くようになったというケースを見たこともある。

私はいろいろな誘惑になびかないように努力はしているけれど、「暴言」を吐く心配だけはして来ずに済んだ。

願わくば、これまでひょっとして無意識に抑圧してきた罵詈雑言がどっと解放されるようなタイプの神経症や機能障害に縁がないままこの先も穏やかに暮らしていけますように。
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# by mariastella | 2017-07-24 04:08 | 雑感

スピノザ頌  (終)

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スピヌーの遺灰が戻ってきました。
白の陶器の壺か、絵柄で装飾された白の陶器壺か、エコロジカルな段ボール容器かどれにするかと聞かれました。はじめてです。値段は同じです。うちにはもうサリーとマヤの二つの絵柄付き壺があり、灰は庭に埋めましたが壺は捨てることもできず残っています。で、紙製でOKと言いました。エコロジー・ブームのせいか、いっしょに埋めたらお花が咲くという種のついたハート型の紙もついていました。
(考えたら、母の骨壺も、お骨を土に戻すように布にくるんでお墓に納めた後で、どうしますかと聞かれてそのまま引き取ってもらいました。その後リサイクルしているんだろうか。母のために「購入」した壺も前の人のリサイクルなのかなあ、と思ったことを覚えています。) 

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スピヌーの遺灰のそばに寄りそうイズーくん。

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おにいちゃんはどこ…


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ずっといっしょだよ…

....


以上、と、いうのは、2枚目以降、全部「やらせ」です。

イズーの座った横に壺を置く、
壺の上にカリカリのおやつを一粒置く、
庭から切ってきた薔薇の花にちょっかいを出しに来るイズーくん、

というのが事実です。

スピヌーが死ぬために部屋の隅に陣取って動かなくなった時、イズーがちょっかいを出したりすると嫌だから隔離しようかと思ったのですが、驚くほど関心を示しませんでした。スピヌーをさがす様子もなく、完全に気配がなくなったようです。

人間の方はなんだか「死の香り」を感じて暗澹としていましたが、イズーはただ、突然に、孤独の中にほうりこまれたようで、いつもよりも私たちに甘えていました。
猫は死ぬときに隠れるといいますが、イズーに対してはもう、完全に隠れて消えていたようです。私たちの愛撫や声かけは拒否しないで受け入れてくれたので、人間との関係は「別」で、人間の方は面倒だけどかまってやらないとだめだなあ、と気をつかってくれたのでしょう。

スピヌーの遺体を医院に持っていくとき、あまりにも「聖人」崇敬が頭にあったので、一瞬、聖遺物をとっとこうかと思いました。

白くてぴんと張った髭。

でも、こんなの、時々床に落ちてるし。
ブラッシングした毛は球にしてとってあるし。

美しい耳を見て、一瞬、この耳をとっておこうかという、聖遺物信仰の類推呪術が一瞬、頭をよぎりました(ジェイコブスのホラー小説の『猿の手』とかまではさすがに連想しませんでしたが)。呪術と関係なく、なんでもいいから愛する者の体の一部をとっときたいという原始的な衝動だったのでしょうか。

すぐに、モノとしての亡骸ではなく、私のそばにいるスピヌーに現実に引き戻されました。

ぼくはここにいるよ、

って。

スピヌーに勇気づけられて、ちゃんと「喪」の手続きをすることにしました。
偶像崇拝してちゃいけない。
それにはイズーも参加してもらわなくては。
というわけで、一連の撮影となったわけです。

スピノザ、ありがとう。

このシリーズはこれで終わりです。
書くことがいっぱいたまっているし仕事も遅れているのにこれ以上ぐずぐずしていたらスピノザに叱られます。君にもらった力をきっと生かすからね。


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# by mariastella | 2017-07-23 02:52 |

スピノザ頌 4

(承前)
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どんなにぎゅうぎゅうでもカゴが好き。

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ノートパソコンの上におすわりしておやつを待つ。

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こうすると精悍な風貌に。鼻の上が濡れているのが実はかわいい。

スピノザの臨終のそばにいて、思いついた言葉は、何とか元気になって、絶対に回復して、死なないで、というものではなかった。
変な話だけれど、ヨハネ=パウロ二世が亡くなったすぐ後で人々がsanto subitoと叫んだことを思い出した。(人々がすぐに聖人として迎えたのだ)

スピヌーのような生き方と死に方をするネコは、死んでもいなくなるわけではない。
いや生きている時からもう、聖人のように生きていて(つまり、周りの猫や人をひたすら幸せにしてきて)、体が年老いて不具合になったから存在の形をシフトさせるけれど、そばにいてくれて私たちを幸せにし続けてくれることは自明のように思えた。

虹の橋を渡る、
とか、
猫の天国に行く、
とか、
いつか別の子猫に生まれ変わってきて戻ってきてくれる、
とかは思えなかった。

そのまま、そばにいて、愛してくれて、愛されてくれる。

スピヌーは私を力づけてくれ、力づけ続けてくれる。

時々目を開けたけれど、穏やかだった。
そばにいるよ、ずっとそばにいるよ、
と言っているようだった。

私がもしこういう安らかな死を迎えることができるとしたら、スピヌーのように、私のそばにいるかもしれない人を安心させて励ましてあげたい。

言葉が話せる状態なら、それを言葉にしてあげたい。

「いつも守ってあげるからね」

って。(それはスピヌーから聞越えてきた言葉でもある)

それが本当にできるのか、
死ねばただのブラックアウトなのか、
そんなことは分からない。

でも、愛する人や大切な人にそういう言葉をかけてから旅立てば、後に残る人にとって多大な慰めになるのは確かだ。死ぬ間際にでも、そういうポジティヴなことができるのだ。

愛する人や大切な人が臨終時に「痛い、苦しい、死にたい」あるいは「死にたくない、死ぬのは怖い」などと言うのを耳にしなくてはならない人の苦しみはどんなに大きいだろう。

私の父は亡くなる前に母に手を合わせて「ありがとう」と言ったそうだ。
母はそのことばかりをずっと話していた。
父が母に残した最大のプレゼントだったと思う。

私の母は脳幹出血で意識を失う数時間前にいっしょに散歩しながら、

「私は人生でやりたいことを全部できた」

と言っていた。

そのことが私にとってどんなに救いになったか分からない。

だから私も、死ぬ前には嘘でも偽善でも強がりでもなんでもいいから、できればそういうポジティヴな言葉を残すようにしようと思っていた。

スピノザの死を見て、もっと確信が持てた。

事故や災害や苦痛のともなう死に方を避けることができるなら、
「これからも、いやこれからもっと私を頼りにしていいからね」と言い残して死んでみたい。

マザー・テレサだって、リジューのテレーズだって、同じことを考えていた。
薔薇の雨はだれにだって降らせることができる。

なぜなら、薔薇の雨を降らせるのは聖人たち自身ではなくて、彼らの思いの彼方にある何かだからだ。

いのちとは関係性なのだ、と分からせてくれたスピヌーは今もすぐそばにいる。







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# by mariastella | 2017-07-22 03:25 |

ド・ヴィリエ将軍の辞職

マクロンとド・ヴィリエの金曜の会談がどうなるのかと思っていたら、将軍が水曜の朝に自ら辞職した。そのせいで水曜は一日中、SNSでコメントが飛び交った。

フランスの「労働者」で唯一、デモ行進などの抗議行為を禁じられているのが軍隊だから、マクロンの強権的態度がくやしい、という匿名の兵士。

マクロン政権樹立の後バイルーやふぇろんなどの重鎮が次々辞任することになった。マクロンの任命責任はどうなる。

ド・ヴィリエは抗議のためでなく、屈従でもなく、ひたすら軍隊のために辞任した。軍人のトップである自分と文官のトップである大統領に完璧な合意がない状態というのは兵士たちを動揺させるからだ。

etc...

私は前にも書いたようにド・ヴィリエを支援する立場だけれど、感心したのは、マクロンがすぐに後任に使命したのがフランソワ・ルコワントル将軍という、これも完璧な人材だったからだ。(見た目はなんだかブリュノー・ル・メールに似ている

ド・ヴィリエ将軍と同じく、文句のつけようのない立派なキャリアと人格と知性があるという。柔軟でユーモアも備えているが何よりもカリスマ性があるようだ。

ボスニア戦争で若くして実践での「英雄」にもなった。

55歳で4人の娘の父で敬虔なカトリックだそうだ。

軍のトップの武官に知的エリートが不足していないことがすごい。
ブリス・エルブランの著作について書いたこともある。)

今回の対立に関しては、ずっと沈黙を守っていた軍事大臣であるフロランス・パルリーは水曜午後の議会で共和党に意見を求められて、通り一遍の応答をしたがヤジも飛ばされた。
パルリーは総選挙後に就任したばかりだし、マクロンの演出の一部だと思うが大臣に女性を任命することで「軍の総帥」は男の自分であることをいっそう印象付けていた。
今回も、マクロン対ド・ヴィリエという「二人の男の対決」という図になり、

「憲法で規定されている通り、軍の最高指揮権はボク」というのに支えられてマクロンが「勝った」形になる。

若いマクロンの強権発動ぶりを批判したり揶揄したりする人も多いし、マクロン新党の議員空すら異論も出てきた。
けれどもオランド大統領のカリスマ性のなさにうんざりしていた人も多いので、その反動もあって、マクロンのパフォーマンスを好意的に見る人も少なくはない。

私は時々パリのミリタリー・サークルのコンサートやパーティに出ることがある。

フランスの軍人と最も深い付き合いをしたのは2011年の東日本大震災の後にチャリティコンサートを開催した時だった。
に少し書いている。

海軍参謀総長は最初から最後まで完璧に協力してくれた。

コンサート後のパーティに私がすしの配達を手配したら、参謀総長が、自分が個人でシャンパーニュなどを提供すると言ってくれた。

日本でコンサートをしたら、いつもどこでも、楽屋もちゃんとしていて、飲み物や軽食も用意してくれ、主催者側が至れり尽くせりで対応してくれる。私たちは感激する。

けれども、フランスでコンサートをすると、楽屋の準備ができていなかったり舞台とのアクセスが悪かったり、こちらでいろいろ工夫して自衛しないと大変だというのがまず標準である。
普段は贅沢をしない私たちだけれど、コンサートの前というのはストレスがかかっているから、小さな不都合や不満が重大なマイナスになり得る。
トリオのふたりの精神的な弱点も知り尽くしている私にはかなりのプレッシャーだ。

海軍サロンでのコンサートにはトリオだけではなく、知り合いのフルート、琴、カウンターテナー、ハープ奏者、バロックダンサーなどが参加してくれたから、当日のリハーサルなどがうまくいくように私は飲み物や軽食も用意していった。ビデオの撮影も依頼していた。
ところが、サロンには、すでに、パーティの用意とは別に出演者たちのために飲み物と食べ物が置かれていた。
パーティでも、私はセルフサーヴィスのつもりだったのだが、制服姿の回軍兵士たちがすべての給仕をしてくれた。
参謀総長が手配してくれたカメラマンが撮影もしてくれて、後日、写真を送ってくれた。

まるで、日本で日本人の主催者とコンサートをした時のようだった。

当日の主催は公式には私のNPOであり、私が参謀総長らを「招待」するという形をとっていたのだけれど、実際はすべてのロジスティックをケアしてくれた。

参謀総長につなげてくれた海軍士官クラブの人たちとはあまりにも感覚が違うので招待状の発送などの段階ではひどいストレスにもなったけれど、あの日の記憶はひたすら、演奏者やダンサーたちの善意と共に、全海軍のトップである参謀総長の人間性と確固とした支援と好意の思い出となった。

軍のトップには「権力」でなく「権威」が必要で、それは豊かな人間性と知性と共感能力に支えられて築かれた信頼となって現れるのだということが理解できた。

軍の指導者や伝統宗教の指導者に、共和国のエリート中のエリートがかなりの層をなしているのは少しほっとできる。





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# by mariastella | 2017-07-21 02:06 | フランス

チャーチスト運動

ヨーロッパの歴史について普段フランス語で読んでいると、英語からの情報もたいてい含まれるので、必要に応じて原典を当たるだけで事が足りることが多い。
けれども、近代革命にまつわる言説については、フランスとイギリスの根本的な性格が違うので、フランス語の情報では看過されていることも少なくない。もちろん研究書はあるが、一般書や教科書からすっぽり抜けている。

その一つがチャーチスト運動だ。
フランスはイギリスの議会制度にもインスパイアされているくせに啓蒙の世紀とその実現のフランス革命は自分たちの専売だと思っているらしくて、スティーブンスによる普通選挙論などはほとんど知られていない。

英語経由の情報の多い日本の方がネットにわりと詳しく出てくる。

チャーチスト運動のwikipediaには、スティーブンスのこういう一節がちゃんと出ている。
引用してみよう。
すごく好きだ。

普通選挙とは、国内の労働者が良い上着を着、快適な家を持ち、食卓には良い食事を、健康を維持できる範囲で仕事をし、人生の恩恵を十分に受けるに足る賃金を、仕事の報酬として有する権利をもつことである。普通選挙によって、知識を頭に、原理を心に、気力を良心に、力を右手にもち、労働者が雇用主に堂々と対立できるようになり、労働者が工場にいるときでも、野原に行った時のように自由な気分でいるのを見たい。」


「知識を頭に、原理を心に、気力を良心に、力を右手に」労働するっていうのはいい言葉だ。

でも、この普通選挙って、成人男性だけを念頭に置いたもので、その点ではフランス革命の人権宣言も男権宣言だった。

チャーチスト運動は子供の権利も擁護していて、貧しい階級の子供を日の出前や日没後に働かせてはならないと言っている。

けれども、女性の労働に関しては、

女性を家の外で労働させてはならない、
女性の労働は家庭内に限ること、
男の子は戸外で駆けまわったり遊んだりするべきで、
女の子は両親の直接の監視の下で裁縫、編み物、料理を学ぶべきだ、

などと言っている。

出自、性別、信条などにかかわらない個人の平等と尊厳などの普遍主義が確立することが当時いかに「想定外」だったかが分かる。

イギリスなどで女性の権利が意識されるようになったのは、第一次大戦時の「銃後の守り」の活躍が評価されたことが大きいのはよく知られているが、それも要するに一種の「成果主義」だなあと思う。

女性も男並みに働けた、不可欠だった女性の力を提供できたからこそ認められたので、戦時に病弱だとか老人だとか、障碍者などだったら、性別にも関係なく邪魔者あつかいされるかもしれない。

自国のマジョリティグループに属している健康で働き盛りの男だったら想像力が及ばないいろいろなことがあるだろう。

私が外国で暮らす非白人で女性だったことは、自然と視野を広げてくれた。
その上今は若くさえなくなったことでますますマイノリティへの共感能力が増大しつつある。

とはいえ、前述のスティーブンスの言葉、

労働者が良い上着を着、快適な家を持ち、食卓には良い食事を、健康を維持できる範囲で仕事をし、人生の恩恵を十分に受けるに足る賃金を、仕事の報酬として有する権利をもつ

労働者が雇用主に堂々と対立できるようになり、労働者が工場にいるときでも、野原に行った時のように自由な気分でいる

などという理想は、今も実現に程遠いどころか、普通選挙のある国でさえ、格差の広がりやワーキングプアの問題などがますます深刻になっていることを思うと、何か別のアプローチが必要とされる時期なのかもしれない。


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# by mariastella | 2017-07-20 00:56 | 雑感

軍の統帥権をめぐってのあれこれ

今までうかつにも考えたことがなかったけれど、マクロンとド・ヴィリエ将軍の対立でいろいろ聞えてきたことがある。

軍部は、オランドとドリアンがサハラと中東を中心に14カ国にフランス軍を展開しながら戦略がなく目的の遂行がないことを不満に思っている。
また、他国への干渉(マリだけではなく、イラクや、ミッテランの第一次湾岸戦争の参加も含めて)にあたって、いつも大統領の独自の決定であり民主的な「公論」がなされてこなかったことにも異論がある。

そして、そのような軍事における絶対の統帥権を持つフランスの大統領と違って、 ドイツのメルケル首相には、いわゆる軍事統帥権(最高指揮権)がないそうだ。(ドイツは連邦国だし大統領も別にいるが大統領にも軍の統帥権はない)
そのことが、ロシアや中国が経済問題などで、フランスとではなくメルケルと積極的に接触する理由の一つだと言うのだ。

軍事的なかけ引きがないからだ。

なるほど。

そういえばドイツ軍には集団的自衛権はあっても個別的自衛権はないという話も耳にした。二度の大戦の敗戦国だからいろいろ牽制されているのかもしれない。ヨーロッパ連合やNATOの枠内でだけ動けるのでEU内ではもう戦争はないという前提なのだろう。(詳しくは未確認)

そのドイツの軍事予算は もうすぐフランスを抜いてヨーロッパでイギリスに次いで第2位となるそうだ。

フランスはヨーロッパで今も帝国主義的な夢を捨てていない唯一の国だとも揶揄される。

フランス軍自体も、引き上げることを望んでいるわけではない。

各地に兵を出していること自体は意味があると言っている。
けれども具体的な「成果」につながらない現状にはフラストレーションがある。

だから軍事費の緊縮には強く反発しているわけだ。

就任してすぐマリを訪れ軍の総帥として印象付けておいたマクロンが予算だけ削ると言うのは話が違う。

しかも軍事パレードの前日に、公の席で マクロンは自分がトップだと言ってド・ヴィリエを諌めた形であり、それは他の将軍たちにも我慢できないことだった。

金曜日の会談でどうなるか、マクロンの真の技量が問われるだろう。

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# by mariastella | 2017-07-19 00:38 | フランス

スピノザ頌 3


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書斎机の上のスピノザ。死のひと月前くらいです。

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ベッドの上のスピノザ。

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デザートを待つスピノザ。


今回スピノザの死を見ていて、理想の死に方というのがどんなものかが実感を持って納得できた。
人間としてそれに付け加えるべきプラスアルファも。
少しずつ書く。

まず、ガイアのような軽い病気と医療事故、サリーのような悪性腫瘍、まやのような数年にわたる少しずつの衰弱と、死に至るときの数日間にわたるまた少しずつ増えていく苦しみ、などの経過は人間にもあり得るだろう。人の場合なら、緩和ケアというものがうまく機能することを願うケースだ。

スピノザはいつも少しやせ形で筋肉質で、ライオンのような子だった。
4年少し前、まやが死んだ後に全身を引っ掻き始めた。長年メンテナンスをしているので蚤などではない。獣医に見せたらストレスだろうと言われた。で、子猫イズーを迎え入れたらたちまち若返って、イズーと生き生きと遊び始めた。
イズーの教育係と言うか兄貴分の地位は最後まで変わらなかった。
年が離れているからもともと食の細いスピノザには特に気を使って老猫用の餌を与えていたし、特別扱いしていた。イズーもそれを受け入れていた。

でも、まやの死に近い16歳が近づいたころから、目を離すとプラスティックの袋をかじっては吐いたり、すぐテーブルにのって、クリームチーズを泡立てたデザートの容器の底にある残りをなめさせてもらうことを毎日要求するようになった。

味はついていないし微量だが、乳製品は基本的によくないのは分かっているのであまりやりたくなかったが、これを禁じたところで数年長生きするとも思えないし、今の幸せを優先した。

デザートまでじっと待って、後は冷蔵庫を開ける時からわくわくして、こちらが食べ終わるのを見守ってもう大きく喉を鳴らすのだった。

そのアディクションが増大してきたのは気づいていた。水も晩年のまやほどではないが昔より飲むようになり、腎臓が弱ってきていることは気づいていた。

インターネットで何度も調べた。
スピヌーとそっくりなケースの相談や体験談がたくさんあった。

つまり、

16歳を超えるような老猫
完全室内飼い
病的なほどに獣医息が嫌いで無理して連れて行くとストレスで死ぬのではないかと思うほど泣き叫ぶ

というケース。

8ヶ月くらいで去勢手術に連れていった時に、往きの車の中で恐ろしい声でなき続けた。

あらゆるトーンを駆使するし、フレーズが長い。

さて、インターネットにこの種の猫の健康相談がたくさんあるのはなるほどだと思う。
もともと猫医者の所に簡単に通っているような猫の場合なら、年を取って食が細くなったらすぐに医院に連れていくだろう。
点滴をしたり薬を与えたりして食欲や元気がその都度回復するようなケースもよく見かける。

でも、明らかに医者に行くことのストレスの方が年取ることの不具合のストレスよりも大きいと分かっている猫で、だからこそできるだけ医者を避けるという暮らしをして16歳で元気で幸せな猫と暮らしていて、それが急に食が細くなったり元気がなさそうになった時、果たして過剰なストレスをかけるのがいいのか、うちでそっと休ませるのがいいのかと自問することは、飼い主にとって大きな悩みとなる。だから、そういう人ばかりがネットに投稿するのだ。

で、答えは、まあこういうケースではとうぜん予測されることだけれど、

苦しんだり痛がっている様子がないならそっとしてずっとそばにいてあげましょう。
まず獣医に連れて行って診断を求めるべきです。血液検査が必須処置。
入院して点滴すれば回復するケースがあります。とにかく入院を。
猫によっては症状が現れる時にはすでに手遅れの場合もあります。

などなど・・・。

想定内である。

最後、スピノザがある日突然、ぱったり食べなくなり身を隠し始めた時の私の直感では、これはスピヌーに死期が訪れたんだろうと思った。それまでも、ある意味、いつ、どんな風にそれが来るのかを何度もシミュレーションしていた(私が日本に行っている間ならどうしよう、なじみの獣医がバカンス中の時だったらどうしようとかなど)ので、もし、このまま、こういう形で静かに逝くとしたら理想ではないかとも思った。

でも、獣医に診断させて、獣医の口から、

「ああ、これは老衰ですね、延命措置をしても長くはもちません。静かに看取ってあげてください」

という一言を「お墨付き」のようにほしかった。
それが欲しかったのは私だ。スピではない。

で、死の2日前にすでに泣き叫ぶ力もないスピヌーを獣医に連れて行っ点滴してもらったが反応はなく、「安楽死させますか」と聞かれたが、苦しんでいないので連れて帰った。もし苦しんでのたうち回るようなことがあればまた連れてきますと言った。

子猫のスピノザを16年前にうちに連れてきた当時の医学生は、今、大学の医学部で教え大学病院でも働いている。
その彼女にスピノザの状態や獣医の言葉を伝えると、

スピはなんといってももう十分高齢だ、
その様子ではこの週末が峠だから、無理な延命治療をしない方がいい、
私は病院で毎日人が死んでいくのを見ている。
スピのように幸せな生を送った猫ならそのまま早く逝った方がいいと思う、
何ヶ月もかかれば、もっと早く楽になれればいいのにと思うことで周りのみんなが罪の意識にかられることになる、
今回無理に持ちこたえさせてもすぐに次の危機が来るのは目に見えている、
スピのためにいいかどうかは分からない

という意味のメールが来た。

(続く)

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# by mariastella | 2017-07-18 00:27 |

マクロン VS 仏軍総司令官

マクロンが、引き続き、陸軍参謀総長で今フランス軍のトップの地位にあるピエール・ド・ヴィリィエ将軍との対立を深めている。

シャンゼリゼをパレードした時にマクロンのそばに立っていた人だ。

トランプ大統領を招いた7月14日のパレードの後では、マクロンはパリの軍司令官とことさらに打ち解けた様子を演出していたが、ド・ヴィリィエ将軍の目はごまかせない。

防衛予算削減をめぐってあらわになった食い違いだが、マクロンは問答無用でとにかく軍のトップは大統領のこの私、反論は一切許さないというスタンス。

それに対して将軍は、軍のような命をかける場所では、命令に服するに当たって、信頼関係が築けていることが必要だという。フランスで兵役のなくなった世代の39歳の男で大統領になってから2ヶ月のマクロンが居丈高に絶対権威を振り回すことの不健全さを堂々と口にしている。
「人々を盲目的に服従させてよい人間など存在しない」とFacebookで明言した。

私の立場は、もちろん、ド・ヴィリエ支持。


マクロンに堂々と反論して譲らないこの人。
こういう人がいることが私がフランスが好きな最大の理由だ。

金曜日に2人が会談するそうで、おそらくド・ヴィリエ将軍の辞任という結末になるだろうといわれている。

全能感にあふれた大統領、知性があるならド・ヴィリエ将軍のような人の存在する意味を考えてほしい。

シビリアンコントロールの大切さと、単に一時的に首長の座に就いた文官が「ぼくちゃん一番偉いから」と首領風を吹かせることとは全く別である。

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# by mariastella | 2017-07-17 03:38 | フランス

フランス外人部隊の行進

7月14日の祝日にシャンゼリゼの行進をTVで試聴して、いつもながらおもしろいと思ったのは、終わりの方にある外人部隊の行進だった。
その第一陣は、髭面で斧を肩に担いでいるコスプレ風という姿も印象的だが、歩く速度が音楽に合っていない。

それまでの行進曲はいろいろなものが組み合わさっているが、基本的にラ・マルセイエーズと同じくメトロノーム120、つまり1分間に120歩進む速度だ。1秒で2歩。

ところが、外人部隊の歩く速度は88になる。1分間に88歩。

7月王政で廃止されたスイスの傭兵などをリサイクルするため創設された外人部隊のために1840年頃にできた独自の行進曲の速度だそうだ。(参考)

行進しているのが外人部隊だけになると、音楽自体も88のテンポになるのだが、第一陣が現れる時は、その前のグループに合わせてまだ続いている120の曲で88の歩きをしなくてはならない。

だからすごく微妙なゆらぎで興味深い。(先頭を歩く人がイヤホンか何かでテンポを聞いているのだろうか)

ラストの鼓笛隊の演奏も、ニースのテロの記念式典を先取りしてNICEと人文字を描くことなどなかなか凝っていたが(マルセイユじゃなくてよかったね)、楽器に取り付けていためくり式の楽譜がおもしろかった。アメリカへのサービス、ニースへのサービスなど、曲の種類が多く、それを歩きながら、楽譜を繰りながらこなすのだからさぞ緊張しているだろうと、演奏者の立場を想像してしまう。

そういえば、フランス・バロックの時代にはバロック・バレーと音楽と乗馬と剣術とが一続きに訓練されていたこともあらためて想起した。






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# by mariastella | 2017-07-16 00:05 | フランス

パリのトランプ大統領

マクロンの招待に応じたトランプ大統領が30時間パリに滞在した

まずアンヴァリッドでナポレオンの棺を見る。
75年前にヒットラーを感動させた場所だ。

それからエリゼ宮でマクロンと会談、夕食はアラン・デュカスが腕をふるうエッフェル塔。
そして翌日の革命記念日のシャンゼリゼでの軍事パレード。

前にも書いたが、世界一の軍事大国アメリカは、独立記念日にでもこういうパレードはしない。第一次湾岸戦争での凱旋パレードのようなものはあったけれど。

マクロンの演出は見事に成功した。

天気がよかった。

テレビで中継を見ただけでもある意味で感動した。
もちろん私は軍事パレードというものは大嫌いだ。
けれども、テレビのスクリーンが大型化し、ハイビジョン化し、天気がいいので、光と影のコントラストが美しい映像で、スペクタクルとして見応えがある。

勇ましいのが好きそうなトランプなら本気で感動しそうだ。
アメリカの独立記念日でもやりたいと言い出しそうだ。
中央集権ではない連邦国家だから無理だろうと思うけれど。

トランプ来仏についてはパリ協定を離脱したトランプなどにあいさつなどしたくないと、ユロー環境相などが異を唱えていた。
また、最近マクロンが軍事予算の削減を言い出して、財政の緊縮のためには軍事省も他の省庁超と同じ、と言ったことに対して、将軍たちから猛烈な反発が起きていた。
他の公務員は命の危険がない。軍で働くものは命を懸けている。実際、毎日フランス兵がどこかで危険な目に合っている。他の省庁と同じとはなにごとだ、というのだ。それをまたマクロンが公開の場で「諫めた」形になったので張り詰めた空気になっていた。

それを考慮してか、パレードの後の演説でマクロンは、フランスが自由と平等の理念を守り抜くために身を捧げている人たちに感謝した。

いわゆる軍隊だけでなく、警官や、消防員、軍隊付きの医者、獣医、法務官までパレードに加わっている。

毎年のことながら、共和国の数学エリートであるポリテクニックの学生も行進する。エリートを輩出するためのこのグランゼコールが、歴史的に士官学校でもあることが、軍隊で連想する「力」に「知力」のイメージも重ねるところがフランスの特色でもある。

まあ、それらの全体を見ると、「力の誇示」は緩和されるから、たとえば北朝鮮の軍事パレードのような気味悪さはない。
でもその「正しさ」の誇示が鼻につく。

それに比べると、「イギリス植民地」上がりのアメリカ、ラファイエットら革命前のフランス軍の援護も得て独立を果たしたアメリカという国のトランプ大統領は、ある意味くみしやすい。

国内で逆風に吹かれている最中だから、フランスに来ることは息抜きでもあっただろう。性格的にもaffectif(感動しやすい?)人だから、メイ首相やメルケル首相とうまくいっていない今、心情的にマクロンに傾くだろうなどとフランスのメディアに言われている。

しかも、表向きは、第一次大戦でアメリカ軍がフランスにやってきて戦ってくれた100周年ということである。

「トランプ大統領」を招待したのではなく、長年の因縁のある軍事的な同盟国「アメリカ」を招待し、感謝したのだ。

「緊急事態」下である今でさえアメリカ大統領を招待してこのパレードを無事に成功させるということは、2024年のオリンピックの開催についても万全のセキュリティを保証できるというパフォーマンスでもある。

イメージとしても小柄だが老獪で精悍なプーチンと違って、大柄で大味なアメリカンというトランプを前にして堂々と「先輩国」のリーダーとしてふるまうマクロンは、ますますジュピターぶりを発揮できた。

演説では、フランスのために命を落とした人々だけでなく、テロの犠牲者も等しく、その子孫を「共和国の子供」(共和国の里子たち参照)として守り続けることを強調した。(そのことは午後に行われたニースのテロの一周年式典での犠牲者への追悼でも繰り返された。)

すごくよくできている。

シャンゼリゼを行進していた兵士たちの多くは20代だ。
リスクの大きい任務についている若者たちが整然と歩いているのを見ると、いろいろな思いがよぎる。
 
お祭り好きのフランス人は、前夜祭でも花火を打ち上げ、踊りまくり、飲みまくっているが、それでも「民衆が立ち上がって革命によって近代理念を獲得した」というのを政治的にアイデンティティとして選択した教育の成果は揺るがないのだなあ、と感心する。

革命の後も恐怖政治や帝政や王政復古や第二帝政や、あれだけいろいろ試行錯誤してきたくせによく「共和国神話」を養い続けているばかりか、必要とあれば太陽王ルイ14世とかジュピターまで総動員してフランス中華思想を繰り広げる根性はなかなかのものだ。

マクロンは今のところ、それを巧妙にわがものにしている。

いつまで続くのだろうか。

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# by mariastella | 2017-07-15 06:36 | フランス

スピノザ頌 2

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リビングの食卓の上に寝そべるスピノザ君。客用のダイニングも隣接していますが猫禁止なのでほとんど使っていません。
うちは二軒長屋で、隣に猫の苦手な人を迎える玄関やダイニングもあるので、人には見せられないこういう姿もOKでした。テーブルの上にのってくれると写真を撮りやすいのでむしろ歓迎。
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たまには椅子の上にのってテーブルの下に隠れていることも。

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妹猫、弟猫、私の髪も舐めて整えて(?)くれるスピノザ。時々舌をしまい忘れるのがかわいい。
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スピノザの死を見て、はじめて「理想の死に方」に遭遇しました。
「聖人システム」の効用や 「santo subito」の欲求も実感しました。

死に方で言うと、ここ20年ほどで失った4匹の猫を比べると、

1997年に死んだガイアは、わずか3歳半、膀胱炎だったのに尿管結石と誤診されてカルーテル挿入と取り出しのために2度も麻酔されて死んだ。獣医の請求書に「一回分しか計算していませんから」と言われた。「心臓がもちませんでした」と電話があった。
うちから歩いて1分のところで開業している獣医だが、それ以来一度も足を踏み入れていない。

2010年に9歳で死んだサリーは、元気だったけれど、乳癌のしこりを発見して獣医(これは歩いて10分くらいのところにある医院でとてもやさしい人)のところに連れて行って、手術したが、免疫力が弱っているせいか猫風に感染して戻り、それがうちにいたスピノザやまやにも伝染した。
それ以来ぐったりして、目も見えなくなり、獣医は癌が脳に転移したのだろうと言った。
どうして自分がこうなったのか理解していないようで、動こうとして動けず、とても苦しそうで、最後に血を吐いてばたりと倒れた後でまた獣医のもとに連れていった時は、もう意識はなく、麻酔をかけてもらってお別れした。手術の前は全く元気にしていたので、死期を早めたという気がした。
5歳上のまやが12歳の時に口元に腫瘍ができたのを手術で除去したら元気に長生きしていたので、手術さえしたら助かるかと思ったのだ。

2013年に17歳少し前に死んだまやは、最後の数年、腎臓が弱っているのは分かっていたけれど心理的に問題の多い子だったので、積極的な治療はしなかった。サリーのこともあったので、もう外科的なことは何もしたくなかったし、病院にも連れて行きたくなかった。白内障もあった。だんだん食べなくなって動けなくなって、優しい先生に往診に来てもらい、うちでできる世話はすべてしたけれど、水も受け付けなくなり、立てなくなり、それでも痙攣して苦しそうだった。最後に獣医の判断を仰ごうと連れていった時はもう動きもしなかった。麻酔を打ってもらってお別れした。「麻酔」と言うのが即安楽死なのかどうかは分からない。ともかく、表向きには、まずゆっくり眠らせてくれる、ということで、納得する。

サリーもまやも火葬してもらって壺に入って戻ってきて、一年後に庭に灰を埋めた。

で、スピノザ。最後まで目も見えていたし、2メートル以上の跳躍力もあり、12歳年下のイズーに対して絶大な権威があった。ある日突然食べなくなった。次の日に飲まなくなり、排泄もせず、隠れた。腎不全の末期だと思ったが、念のため往診してもらった後、病院で一度点滴した。それで少し元気になって自力で飲んだり食べたりするなら続けようと思って自宅点滴道具も持って帰った。でも病院の点滴の後でますます動かなくなった。
一度だけ点滴してみたが、様子が変わらない上に痛々しくて、これは残される人間のためにやっているのだと確信した。

食べない、飲まないから死んでしまうのではなくて、
死ぬから、食べたり飲んだりしなくなるのだということが明らかだった。
静かに、ゆっくり息をして、声をかけると時々頭を上げたり尻尾を動かしたりしてくれた。

いっしょに暮らしてくれてありがとう。
愛してる。
これからもずっとそばにいてね。(今とは別の形で)

の三種の言葉をくりかえして愛撫し続けた。(続く)



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# by mariastella | 2017-07-14 07:29 |

スピノザ頌 1




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クチャクチャの書斎机の上で寝るスピ
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入っちゃいけない所に入ったのに、追い出されないで、iPadを取りに行ったので、不審顔のスピ。

16歳3ヶ月で旅立ちました。



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# by mariastella | 2017-07-13 05:41 |

聖遺物泥棒

今の時代に不思議だけれど、イタリアではここのところ聖遺物盗難が続けて発生しているそうだ。
ヨハネ=パウロ二世の血の入ったガラス容器が盗まれた後、ドン・ボスコの脳のかけらが入った聖遺物入れが盗まれたという。

日本のサレジオ会のドンボスコ社から本をだしていただいているご縁があるので、ニュースを聞いてドン・ボスコの名に反応してしまった。
彼の詳細な伝記も読んだことがあるし、青少年の教育者としてのドンボスコのいろいろなエピソードも読んだ。
けれども聖人である彼の聖遺物の種類などは調べたことがない。

今世紀に入ってから亡くなったヨハネ=パウロ二世くらいに新しい人は、「血」の聖遺物がたくさんある(東京カテドラルでも見た)のはなぜだろう。もちろんナポリで毎年液状化するという奇跡の聖ヤヌアリウス(ジェナーロ)の血のように有名なものもあるけれど、一番多いのはやはり聖遺骨であり、中世の聖人はもとよりリジューの聖テレーズのように比較的新しい聖人も、骨が仏舎利のように細分された。

ヨハネ=パウロ二世の遺体はバチカンに安置されているから、聖遺骨は分けられていないけれど、これも伝統的に聖遺物となる心臓はどこかに安置されているのだろうか。

私の見たり聞いたりした彼の体の聖遺物には、1981年に銃撃されて暗殺未遂となった時の血の付いた髪の毛というのがある。その時は、彼が亡くなるかもしれない、そうすれば現役教皇の殉教、即、列福列聖という連想が働いてその髪を切り取って保存した人がいたのだろうなあなどと想像してしまう。

で、21世紀の今、数年前に亡くなった人の骨だの内臓などを世界中にばらまくのは時代錯誤だということで、体の一部だけれど外部を損なわないで採取できる「血」なのだろうと思うが、亡くなった後に取ったのか、生前の血液検査での血を保存していたのか、などといろいろな想像をしてしまう。

どちらにしても、すべての聖遺物崇敬って、類推呪術にルーツがあると思うが、プラセーボ効果というのもあるから、「信ずるものは救われる」というのは納得がいく。
中世に聖遺物取引が一大マーケットになったのは、しかるべき効験あらたかな聖遺物を抱えた教会や修道院が巡礼地となって莫大な利益を生んだからでもある。

今は聖遺物の売買はカトリック教会からは禁止されているから、たまにオークションで出たりするとスキャンダルになる。

拝観に供する「聖遺物入れ」は古来金銀細工や宝石など立派なものが多いので、当然、その容器を目当ての窃盗はあったのかもしれない。

しかし今の時代に聖遺物だけを目当てに盗むとは思えない。

教会には「金属泥棒」がよく出没するので、今は監視されたり鍵をかけられたりするところが多い。銅などは高く売れるようだ。つまり、有機的な聖遺物が入っている容器(しかもガラスがあるから壊れやすくて持ち去るのにも不便?)でなくとも、泥棒にとってコストパフォーマンスのすぐれたものは他にいくらでもあるというわけだ。

売れもしない「聖遺物」を狙ってどうする。

そして、盗まれたドン・ボスコの聖遺物は「脳」の一部。

心臓を別に埋葬するのは聖人でなくてもヨーロッパでは普通に行われていた。
ハプスブルク家の遺体とと心臓は別々のところにあるし、ショパンも遺体はパリに、心臓はポーランドにある、など有名だ
一つの心臓をばらばらに切り刻んだ聖遺物は私は見たことがない。

骨というのはまあ、もともとひと続きではないから、ばらばらにしたりかけらにするのは抵抗が少ないのかもしれない。

でも、脳って。

脳のかけらって。

それを聖遺物として崇敬するって。

それが盗まれるって…

なんだか不思議だ。

個人的には自分が死んだら絶対に高温火葬の完全灰でどこかに撒かれるか、聖母のように体ごと「被昇天」で消え去るかがやっぱり理想だなあ、と思うけれど。
母が2008年に亡くなった後、「思い出の品」はたくさんもらったのだけれど、最初はそういうものに「よすが」を求めていたのかもしれないけれど、今となってはもう「思い出の品」に託す感傷も自分の中で消化し昇華してしまった感じがする。
誰にとっても、先に亡くなった「大切な人」の思い出の品は「聖遺物」となるけれど、「遺物」から卒業した時にようやく「聖なるもの」の灯がともるのかもしれない。

(追記 : その後、 ドンボスコ の脳の聖遺物は盗人の自宅のキッチンのティーポットに隠されていたのが発見されたというニュースがあった。これって、もちろんいろんな意味で「普通でない」にしても、やっぱり「イタリア」的なのだろうか、だとしたら、なぜ…?)


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# by mariastella | 2017-07-12 01:26 | 宗教

マクロンがジュピターでル・メールがヘルメス?

マクロンが大統領どころか、絶対王朝の若きルイ14世のイメージをヴェルサイユ宮殿で演出しているのは有名だが、今の彼の形容はジュピター。
神々の王、オリンポス山のゼウスのローマ 神話ヴァージョンだ。

で、経済相のブリューノ・ル・メールは、先日、Brexit後の銀行誘致のために
Wall streetで会見したのだが、その時に自分のことを わざわざヘルメスだと自称した。翼のあるサンダルで移動し、メッセンジャーでもあり商売を司る神でもあるということだ。

ヘルメス神はゼウスの息子だ。ローマ風に言うならジュピター の息子マーキュリー(メルクリウス)である。

共和党の予備選に敗れたが、次代の大統領とも思われていた40代のルメール、マクロン側に「寝返った」と言われるのはいいとしても、「神の使い走りをする息子」でもいいのか?

ジュピター(ゼウス)といえば、フェニキアの王女 エウローペーに一目惚れして、白い牡牛に姿を変えて彼女を背に乗せて連れ去った。彼女と駆け回った地域がヨーロッパとよばれるようになった。

近頃のマクロンのヨーロッパ改革に向けたイニシアチブを見ていると、やはりジュピターにインスパイアされて、あわよくばヨーロッパを再び支配しようとねらっているのかもしれない。











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# by mariastella | 2017-07-11 17:58 | フランス

『マリー=フランシーヌ』(ヴァレリー・ルメルシエ)

『マリー=フランシーヌ』(ヴァレリー・ルメルシエ)

少し前の話になるが、映画『ロダン』に不全感が残ったので「口直し」にコメディを観に行こうと思って見た映画についての覚書。

ヴァレリー・ルメルシエは役者としても好きだし、双子の姉妹役をやるというのもおもしろいし、母親役がエレーヌ・ヴァンサンというのも楽しみだった。

舞台がパリ16区のなじみの通りなので親近感もある。

でも、それ以外は何だか非現実的でカリカチュラルな設定だ。建物の住み込みの管理人室に住むポルトガル人の両親のうちに転がりこんだ55歳の料理人と、ブルジョワの両親のところに転がり込んだ50歳の生物学研究職の女性の間に繰り広げられるロマンティック・コメディだから。

大柄なマリー=フランシーヌ(177cm)に対していかにもパリのアパルトマンの管理人をしているポルトガルの移民の子というステレオタイプのずんぐりむっくりのミゲルは、最初から彼女を好きになって、彼女の食生活の貧しさを気にして昼においしい食事を用意してやる。ハート型を添えたりと初々しいし、いつもにこにこしているのも印象的だ。2人はどちらも一応自分のシチュエーションについて嘘を付き合っているのだけれど、全体としてはなんの幻想もなくただひかえめな優しさがある。

それに対してマリー=フランシーヌの両親はそのブルジョワ的偽善性においてもなかなか過激だ。母親はただのプルジョワ夫人ではなく力強くエゴイズムを謳歌している。ルメルシエの他の作品と同様、風刺、フェミニズム、社会批判などがちりばめられてはいるが、中心になる ラブストーリー自体はえらく穏やかに貫徹しているので、他のスパイスのすべてが薄まったという感じだ。

マリー=フランシーヌの夫が若い女と浮気して捨てられてまた妻とよりを戻そうとすることや2人の娘との関係など、ある意味すごくパリの家庭事情のリアリティはある。
ヒロインが50歳というのを強調するのも、「50歳のクライシス」と言って、50歳前後の女性がカップルを解消して再出発するというケースがとても多いことに対応している。

軽くて楽しめる映画は当たり外れが多い。
次はあきらめてシリアスな映画を観ることにしよう。


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# by mariastella | 2017-07-11 00:29 | 映画

勝本華蓮『尼さんはつらいよ』新潮新書

『尼さんはつらいよ』

いやあ、面白い本だった。タイトルもそうだが、

「知られざるオンナの世界。渡る尼寺は鬼ばかり」

などの帯の文句がいかにも下世話な興味を引くようにできているが、私がこの本に出あったのは東京ウィメンズプラザの図書資料室で、その後で注文して最近読み終えたが、長年もやもやしていたものが氷解した。

思えば、私にとっての日本の仏教といえば、物心ついてから父の義祖母に当たる人の月命日のお参りに来るお坊さんとのかかわりから始まって、母との鞍馬寺参りや祖父母の真言宗、曹洞宗とのかかわりの深かった父、そして父母の他界から母の七回忌まで、いろいろなご縁があり、そのほかにもちろん、これも子供の頃からの神社仏閣巡りや仏教美術鑑賞の長いご縁がある。

尼さんと言えば、今から40数年前に、当時パリ大学で仏教の尼僧の生活について修士論文を書こうとしていた女性から東大の宗教学研究室に資料を求めてきた手紙が、当時修士課程にいた中沢新一くんの手に渡り、彼が仲介してくれたその女性と私は今もごく親しい関係にある。

彼女はその後フランス仏教者連合の会長にもなり、そのつてで、私のトリオはヴァンセンヌのパゴダで演奏会もした。このブログでも書いてきたが、ずっとフランスの仏教者と付き合いがあるので釈迦の真骨追っかけにも参加したし、数々の行事にも参加している。
チベットの高僧らとの個人的な付き合いも長い。
上座仏教でいえばミャンマーで「修行」したフランス人沙弥尼は私の親友でもある。
ベトナムの仏教者とも親しい。

その中で、フランスにおけるカトリックと仏教との関係や、チベット仏教と真言密教の関係などもいろいろ考えてきたけれど、カトリックについて持っている歴史的文化的地政学的な視座と視野が、仏教については持てていなかった。
日本仏教が特殊な形になっていて、僧侶の生活形態においてチベット仏教などとまったく違うことも、それをどうまとめるべきか分からなかった。
少女時代から臨済宗系の本(碧巌録講話など)をよく読んでいたけれど、父母の死以来真宗のお坊さんと話したり行事に参加したり本をいろいろ読んだりする機会ができた。

築地本願寺でコンサートもさせていただいた。
それでも、「全体像」はよく分からないままだった。
子供のころから、「お寺の子」の友達は何人かいて、そのおうちであるお寺に招かれたことはある。
お寺の息子が父の後を継いだのも見聞きしたし、大学教授になった人も知っている。

40数年前にはちょうど瀬戸内晴美さんが出家していたけれど、その他に比叡山での行院での生活を書いた尼僧の本は数冊あった。中沢君が神保町を回って数冊見つけてくれたのだ。
それは興味深く読み、フランスに来てからはカトリックの観想型女子修道院(禁域に暮らし外に出ない)の記録を読み漁った。
社会活動型の女子修道会や、地域の一大勢力となった大修道会(女性がトップで、敷地内に男子修道院も内包する)の記録も読んだし、今も続く関係者とも付き合いができた。

その中で、少なくともカトリック型の修道会というものについては理解が深まった。
ローマ・カトリックの首長がいるので比較的分かりやすいし、司祭団とそれ以外のステイタスや役割りの差もはっきりしているので、これも比較的わかりやすい、何が「異端」とされたのかも分かりやすい。
ミサや告解のシステムも分かりやすいしチェックしやすい。

けれども、中国経由の日本の仏教は何度も習合を繰り返したり、途中の碩学が立てた宗派が独立したりしているので分かりにくい上、近世には廃仏毀釈もあったり檀家制度が崩壊したりしてますます分かりにくい。
資格やヒエラルキーと言うのもよく分からない。

そういうもやもやしたものが、この本は、「尼さんとは何か」という、ますますもやもやとしたテーマから切り込んでいるので、逆に霧が晴れるように分かってくる。
いや、日本の仏教の各宗各派の複雑さが具体的に解説されて分かってくるという意味ではなく、その分かりにくさの正体が分かってくるのだ。

修行の本質が職業訓練であることや、僧階が上がると毎年納める宗費の金額も上がるとか、信者寺と檀那寺、肉寺、骨寺とか、日本の家元制度とかそもそもの「家」制度との関係とか、なるほどと思うことが多い。
仏教の教説についての本はたくさん読んできたけれど、この本を読んで宗教におけるインカルチュレーションの実態がよく分かるので、たとえば、カトリックにおける「諸宗教対話」の部門に関わっている人には必読書だと思う。
仏典や仏教の理論書を万巻読破しても見えてこないものが見えてくる。

この勝本さんのような求道タイプの宗教者にとっては、カトリックの修道院の方が居場所がありそうだなあ、と思う。

特に「老後」に関しては、もともと修道会は病院や救貧院や学校などとセットになっているから、老いたメンバーの世話は想定済みだし、修道女の質の年老いた親を引き取るところも多い。

そのうちフォントヴロー修道院の歴史の本を書きたいと思って準備しているのだけれど、この本のおかげで、なんだか考えに陰影が加わった。
ありがたいことだ。
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# by mariastella | 2017-07-10 06:48 |

プーチンがマクロンにプレゼントしたものとは

5月末にプーチン大統領がマクロンに招かれてヴェルサイユ宮殿に出向いたとき、ピョートル大帝の記念展だったのだけれど、実はプーチン大統領はもっと古いことを持ち出した。「西欧好き」のピョートル大帝よりも前に、ロシアのアンナ(キエフ大公の娘)がアンリ一世に嫁いでフランスの二つの王朝ナヴァール(アンリ四世が出た)とブルボンのふたつを創始したという歴史だ。
で、プーチンがマクロンにプレゼントしたのは、「ランスの福音書」と言われるものの復刻版で、その第一巻がオリジナルの手稿の復刻で、第二巻はロシア語による注釈と解説からなっている。

オリジナルはランス市立図書館のカーネギー文庫にある11世紀のもので、キエフから嫁いだアンナが持ってきたものであり、歴代の王は戴冠式でこの福音書に手を当てて誓ったと言い伝えられていた。

1717年にピョートル大帝が、1901年にニコライ二世が、それぞれランスを訪れた際にこの福音書を見せられたという。
ところが、2017年にはプーチンがその復刻版をマクロンに贈ったというわけだ。

マクロンが、華麗なヴェルサイユを見せつけて、暗に、

「(ロシアの田舎の)ピョートル大帝が(文化先進国)ヨーロッパに向けて目を開いた」

ことを寿いだことに対して、

プーチンは、

「いや、それよりずっと前に、キエフのアンナこそがフランスの発展のルーツとなったのだよ」

とデモンストレーションしたわけだ。

この発言についてすぐに反応したのはウクライナの大統領府長官だ。
アンナはモスクワではなくキエフのアンナで、由緒ある福音書もアンナの父であるキエフ大公ヤロスラフ一世の有名な図書館にあったものだという。
11世紀から13世紀のキエフ大公国はボルガ河から黒海にかけての大国で今のポーランド、ウクライナ、ロシアの一部からなっていた。首都はロシア正教の揺籃の地キエフである。

実は、これが11世紀にアンナがフランスに持ってきたものだという説は歴史的にあやしい。14世紀にプラハでボヘミア王がスラブ文化を推進した時に、11世紀にキリル文字で書かれた注釈付き福音書を修道院に下賜したものらしい。

後に、愛書家であったランスの枢機卿が16世紀にこれを入手してランスのカテドラルに贈呈したと言われる。
歴代のフランス王が聖油を塗付されたランスの戴冠式でこの聖書が使われたかどうかはよく分からない。

しかし、アンナの父ヤロスラフ賢公と言えば、ウラジミール一世の息子だ。
ウラジミール一世は、キリスト教に改宗してキエフをキリスト教化した人で、正教会、カトリック、聖公会、ルーテル教会共通の「聖人」でもある。
そしてもちろん、ウラジミール・プーチンの守護聖人だ。

「ピョートル大帝がフランスにきてフランス文化にほれ込んで300年という歴史を祝いに来た」

のではなくて、

「聖ウラジミールの系譜こそがフランス王朝文化をつくったんだよ」

というメッセージをプーチンは復刻版に託したわけである。

オリジナルがキエフからランスにやってきたのが11世紀だろうと16世紀だろうと、その後に、フランス革命もロシア革命もそろってキリスト教を否定した。

でも、共通のルーツと共通のルーツをめぐる幻想はフェニックスのように舞い戻って使いまわされる。

こういうの見ていると、日本の場合は、日米首脳会談だとか日露首脳会談だとかがある度に、いくら「なかよし」風にふるまっても、こういう駆け引きができるほどの共同幻想がないのだなあ、とあらためて思わされる。

それなら、日韓首脳会談や日中首脳会談なら、文化のルーツを共有する国として豊かな共同幻想を潤滑油にしてもよさそうだけど、たかだか百年くらいの「不都合な歴史」ばかりを前面に出してぎすぎすするばかりなのは、何だか悲しい。



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# by mariastella | 2017-07-09 05:47

休暇村で

数日前からオルレアン近郊の休暇村に来ている。もう10年近く同じ所に来ていたが、去年と一昨年は別のとこに浮気していた。で、3年ぶりに戻って来たら、大きな変化を感じた。

以前は、ここに来たら、ちょっと日本にいるようなリラックス感があった。
ちょっとゲーテッド・コミュニティみたいで、パリのような雑多な人がいない。色々なお店でも、警戒心を感じないし、荷物をプールサイドに置いておいても、窃盗などの危険がない。 仲間うち風の安心感がある。

それに、日本人の私がいうのも変だけれど、白人率が圧倒的に高くて、特に黒人の客がほとんどいなかったのだ。水泳選手にも黒人選手が少ないことを見ても想像がつくが、プールというのは黒人差別が根強く残った場所だった。
2年前に行ったのはブルターニュに新設された同じ系列の休暇村で、やはり白人率が高かった。ところが、3年ぶりに来たここは、パリから一番近いこともあるのか、「見た目外人率」が増えていたのに驚いた。アジア人のグループもいたし、黒人のグループもいたし、なんといっても目をひいたのは、イスラムの装束に身をすっぽり包んだ女性がいたことだ。

で、プールサイドにも、2人のムスリム女性がいた。
1人はいわゆるブルキニを身につけていた。首につながる頭巾がまっ黒なのでやはり異様な感じを免れない。もう一人は頭だけを黒い布で包み、水着は普通の水着らしいもの上からぴったりとタオルを巻いている。下はパレオのような長い裾がのぞく。この人は 目を惹く美女だった。
印象的なのは二人とも隣に夫であろう男性が並んで座っていて、イスラム髭面の顔つきがいかにもマッチョだったことだ。カリカチュラルなくらいだ。今まで映像でしか見たことのなかった現実を見て、軽く衝撃を受けた。

妊婦でもビキニを来ている人が目立つような中で、そこだけが緊張感を醸し出している。
「文化の違い」とか「多様性」とかとはちょっと違うイデオロギー感がある。
また数年経てば、もっとそれが増えているのだとしたら…。


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# by mariastella | 2017-07-08 03:11 | 雑感

パリのレストラン

6月の末近くに招待されたパリのレストランは、シェフのAtsushi TanakaさんのイニシャルであるATというところだった。
私は食べたものの写真を撮ってブログにのせるというタイプではないけれど、ここで食べたものは とにかく「見た目」がユニークなので、思わず写真を撮ってしまった。

私が味としてもう一度食べたいと思ったのは、このフォワグラで、グレーのメレンゲの下に隠れている。

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グレーがテーマカラーだというのも、レストランとしてユニークだ。
タクシーで降りたら、トゥール・ダルジャンでお食事ですか?と言われた。
トゥール・ダルジャンのほぼ斜め向かいに位置しているのだ。

ATの方がはるかに今風というか、お洒落なのだけれど、全てが驚きのプレゼンテーションなので、正直言って、何を食べているのか分からない。説明してもらっても分からない。メニューにも素材を羅列してあるだけ。
驚きと、話のタネを食べるという感じがする。

素材を目でも見てみたいという感じがするので、もしリピートするなら、やはりトゥール・ダルジャンの方かなあ。

でも、セーヌの河畔を通って観光客の姿を見ていたら、テロとの「戦争」の緊急事態とかいったい何なんだろう、とまた思ってしまった。



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# by mariastella | 2017-07-07 04:52 | 雑感

ファム・ファタル

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プチパレの入り口ホールにある「猿をつれた婦人」という20世紀初頭のこの像、ブロンズやセラミック、エナメルなどを組み合わせた技巧的なものだが、ファム・ファタル(魔性の女、運命の女)をシンボライズしたものだとも言われる。

ネオ中世様式だという猿は、女に捕らわれ繋がれた男の姿だというのだが、なんだか、すごく身につまされるものがある。
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なにかにとらわれて、不本意ながら離れることもできない自己嫌悪みたいな恨み節が猿の視線にリアルにあらわれているからだ。

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# by mariastella | 2017-07-06 05:40 | アート

啓蒙の世紀のバロック その3

(これは前回の続きです)
今回の展覧会は、教会ではたいてい暗くてはるか高いところにある数々の絵を身近でけれども雰囲気を壊さない環境展示風の工夫のある空間で観ることができたのはとても興味深かった。

けれども、特別展示会場を出て、常設展示を見て軽くショックを受けた。
常設展示は何度も見ているのだけれど、「啓蒙の世紀」からフランス革命とナポレオン時代を経た19世紀にはすべてが変わってしまったのだなあという衝撃だ。

社会派自然主義の数々の絵、クールベの絵を見るとテーマ自体の落差に驚くが、
宗教テーマの絵にしても、ギュスターヴ・ドレの大作が2点あって、『涙の谷』で十字架を背負って歩くキリストの遠景の光にはカルチャーショックすら覚える。
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さらにシスレーやドガやモネの印象派の展示に進んでいくと、いったい何が起こったのだろう、と思ってしまった。

最近、岡崎乾二郎さんの「抽象の力」という論文をネットで読んでいろいろ考えさせられたばかりだ。
啓蒙の世紀のバロック」の宗教画が人間性の深みに降りていこうとしているのに引きずられていた直後に印象派の作品を見ると、人は被造物の立場から「創造者の秘密」に迫るのを辞めて、「創造の秘密」に迫る試行錯誤を始めたんだなあ、と感慨を覚える。

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# by mariastella | 2017-07-05 01:39 | アート

バロック美術展 (その2)


(これは前回の続きです)
フランス革命前の「啓蒙の世紀」のパリで、教会から注文を受けた50人ほどのアーティストたちの作品が集められている。
後半はネオ・クラシックの時代の始まりで、改革カトリック以来のバロック芸術とネオ・クラシックが融合していく気配もおもしろい。
肖像画家のニコラ・ド・ラギリエール、ジャン・ジュヴネのマニフィカート(ノートルダム大聖堂が注文した珍しい正方形の絵)、ピエール・ペイロンのキリストの復活、フランソワ・ルモワンヌのイタリア風優雅な天使、ジャン・レストゥの聖書の絵。マドレーヌ、パンテオン、サン・シュルピス、サン・メリー、サント・マルグリット、サン・ジェルマン・デ・プレ、サン・ロックなどパリ中の教会から集められた絵画のうち30点はこの展覧会のために修復された。

原画が描かれた当時から、すでに、マケット的な小サイズの絵も同時に用意されていたのが展示されているのも興味深い。香や蝋燭の煙で黒くなり痛むことが分かっているので最初から「修復」を想定して元の色や形を記録していたわけだ。

群像の表情(特に、ノートルダム・デ・ヴィクトワール教会の聖アウグスティヌスの生涯の連作)、

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背景のだまし絵的な奥行き、バロック・オペラの舞台装置や演出とも共通している。

エマウスに向かう二人の弟子が復活のイエスを認めた時の視線が新鮮だ。
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これらの絵が最初に飾られた時は、そのわずか数十年後にパリのカトリック教会がフランス革命によってすべて没収されるなんて誰も考えてもいなかったろう。
教会音楽がかすかに流れるプチパレは、修道院とカテドラルを足したような不思議な空間づくりに成功している。「修道院の窓から漏れる光が床に映る」という照明の演出もしている。あるコーナーでは、ジャン=フィリップ・ラモーのオペラ『カストールとポリュックス』のTristes Apprêts(1764年、ラモーの葬儀ミサで演奏された)がかすかに流れていたのが私のツボにはまった。

啓蒙の世紀の特徴としては、ジャンセニズムの影響と典礼の変化が感じられる。教会が明るくなった。色彩が鮮やかになった。殉教者や奇蹟のテーマはぐっと減り、一七世紀のヴァンサン・ド・ポールのような人間的な活動、聖母やイエスの表現も周りの「普通の人間」の表情と親和性がある。
聖母マリアの誕生、イエスの誕生、子供たちに囲まれるイエスなど、「子供」のテーマも多い。それはルソーの教育論『エミール』などにもみられるように、この世紀には「子供の人格」というものが意識化され、見直されたからだ。

ジャック=ルイ・ダヴィッドの磔刑図のキリストは苦痛よりも自問の表情だ。手足の傷や十字架の木肌のリアリズムもロココ美術とは一線を画する。ネオ・クラシックがイタリア・バロックとフランス・バロックを融合させたということだろう。
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# by mariastella | 2017-07-04 05:34 | アート

シモーヌ・ヴェイユの死

アウシュヴィッツの生き残りで、二週間後に90歳を迎えるはずだったシモーヌ・ヴェイユが亡くなった。(Veilで、哲学者のWeilとは違う)

シモーヌ・ヴェイユと言えばフランスでは1975年に妊娠中絶を合法化した保健相として有名だ。

当時の国民議会には女性議員が9人しかいなかった。(今回の総選挙では223人、38,7%が女性議員)
彼女が中絶の選択の自由を訴えると、「アウシュヴィッツでジェノサイド(民族抹殺)を生き延びたのに胎児のジェノサイドをやるつもりか」などと男たちから揶揄されたという。

イギリス軍から解放される数日前に母親がチフスで死に、助かった妹も数年後に交通事故で死に、2005年のアウシュヴィッツ解放60周年に出席した時にもまだ、自分は死の床でもアウシュヴィッツの光景を思い浮かべることだろう、と証言していた。癒えることのないホロコーストのトラウマを社会変革のエネルギーに変え続けてきた人だった。

戦争を生き延びたユダヤ人少年だった故パリ大司教リュスティジィエ枢機卿と、とても親しかったという。

リュスティジィエ師が、ユダヤ人の「改宗カトリック」で枢機卿に上り詰めた人であることや、カトリック的には「妊娠中絶」なんて「罪」であることなどを考えると、この2人の友情の深さや質のさまを想像できる気がする。

ヴェイユ女史は欧州議会の議長にも選ばれ、「多様性の中の統一」を掲げた。

アウシュヴィッツで一度死を経験したから、「不死」の中に生きていたという。
「難しい人」だったという。絶えず「悪」へと傾く人間の社会では、「たやすくて戦わない人」でいれば「未来」はない、絶えず困難な戦いを続けなければならないと。
亡くなった後たった一晩でもう25000人が彼女の遺体の「パンテオン入り」を大統領に訴える署名をしたそうだ。一日後には20万人にもなった。

ひとまずは、マクロンも出席するアンヴァリッドでの葬儀が決まっている。

ヴェイユ女史が、苦しい過去の上に平和を建設したようにやはり少し前に亡くなったドイツのヘルムート・コール元首相も、大戦の確執を乗り越えて平和を築いた人だった。

けれども彼は家庭的には最悪だった。政治の最悪な部分にも関わった。彼の遺品(各国元首との書簡を含む貴重な歴史資料)は、現政権を恨む二度目の妻が絶対に渡さないと言っている。

それに比べるとヴェイユ女史は3人の息子に11人の孫がいる家庭にめぐまれたが、政治的に「中道」であったけれど2007年にサルコジを支援したことが記憶に残る。サルコジは忠実な友だと言っていた。同性婚にも反対していた。今回の大統領選ではバイルーがマクロン支援に回ったことを裏切りのように評していた。
ナチスの全体主義への絶対拒否を持ち続けていたから、何度かもちかけられた首相の座も断ってきたし、ジュピターと称される今のマクロンの神格化の演出にも抵抗があっただろう。

まあ、コールと同じで、亡くなった今となっては称賛の声ばかりが聞こえてくる。
コールやヴェイユをしのぶことによって、政治家たちが自分たちの正統性の印象付けに利用するのではなくて、二度の大戦で殺し合った独仏の連帯と平和を目指すヨーロッパの理念に立ち戻ってくれることを願おう

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# by mariastella | 2017-07-03 00:13 | フランス

啓蒙の世紀のバロック その1

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プチパレのパリ市美術館で、「啓蒙の世紀のバロック」展を見てきた。
2年かけてパリ市内の有名教会の30点の絵画を修復したのを中心に集めたもので、なかなかすばらしい。

まず、テーマ的に啓蒙の世紀っぽくて面白いと思った、サンメリー教会で1722年に実際にあったという聖体パン(ホスティア)冒聖事件をテーマにした作品(1759年のサロン出品)を紹介。

聖体パン入れが落とされて、キリストの体であるご聖体が床に散乱。(実際は、器が何者かによって盗まれた後でチャペルの中で壊れて発見されたという)


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もちろん聖職者たちはパニック。

ああ、神罰が当たる。

もし犯人がいるならもちろん火炙りだ。

でも分からないから、毎年の復活祭後の最初の日曜(カジモドの日曜日)にこの事件を忘れないためのセレモニーをすることになった。その後、それを記念するためこの絵が納められたという。

で、この絵の上部では、怒り狂った大天使ガブリエルが剣を振りかざして「罰」を与える気満々でいる。

そのそばに浮かんでいる天使の顔も厳しい。
でも、何しろ、すべての罪びとの代わりに死んだキリストの十字架を持った「宗教(女性形なので女性に擬人化)」が、まあまあととりなして、父なる神が天使を制している。
c0175451_02122725.jpg

よかったね。

それまでは、「ご聖体」を貶めるなんて万死に値する冒瀆できっと管理責任も問われたのだと思うけれど、

それって、イエス・キリストが身をもって人の罪を贖ったという本来のキリスト教の精神に反しているのでは?

目には目を、歯には歯を、って良くないってことになったのでは?

すべての人は神の子で、典礼のグッズにすぎない聖体パンを貶めたからと言って命を奪われるなんておかしい。

などと、啓蒙の世紀の人々がひそかに考え始めていたのかもしれない。

いや、ホスティアがほんとうにキリストの体だとしたって、そのキリストはそれこそ自分の体を人々に差し出し、貶められ釘打たれ磔にされるままになることで「子なる神」の道を示したのだから、床に落ちたくらいで人々をパニックに陥らせるというのはいかがなものか、

と、啓蒙の世紀の「光」が問いかけたのかもしれない。

この絵が描かれた30年後に、フランス革命が起こって、教会も美術品も没収された。

この絵の所有者もパリ市だ。パリ市が、それぞれの教会やしかるべきところに返して飾っている。





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# by mariastella | 2017-07-02 02:47 | アート

マクロンの公式写真

フランス中の市役所に飾られるマクロン新大統領の公式写真がネット上で公開された

ネットで公開というところがすでに「新しい」。
その写真は背後の窓を開けた執務机に腰掛けるようなスタイルでそれも新しい。

その机の上にいつも使っている二つのスマートフォンを重ねておいてあるのも今風。
彼が自分でそれを机の上にレイアウトしている様子のビデオも公開されている。

そのビデオには、机の上に広げたドゴール将軍の『戦争回想録』の分厚い本のどのページを広げるかをマクロンが選んでいる様子も見える。

どのページだったのか知りたい。

ドゴール将軍の本の反対側にはスタンダールの『赤と黒』、アンドレ・ジッドの『地の糧』の2札が重ねられている。うーん、このチョイスもなかなか意味深だ。

『赤と黒』のジュリアン・ソレルがナポレオンを崇拝していたことも想起される。

本棚の前での大統領肖像写真というのも定番だったころもあるけれど、多くの本ではなくてこうして選択されているとメッセージ性がある。

ジッドの『地の糧』は一つの詩の世界でもある。

サンシュエルなテーマが私の好みだけれど、マクロンのイメージと重ねると、

Ose devenir ce que tu es. Ne te tiens pas quitte à bon compte. Il y a d'admirables possibilités dans chaque être. Persuade-toi de ta force et de ta jeunesse. Sache te redire sans cesse : il ne tient qu'à moi.

という箇所などぴったりだろう。

すべての人には感嘆すべき可能性がある、君の力と若さとを信じたまえ、

みたいな感じだ。

エリゼ宮の庭の木立がなすV字型とマクロンの両腕のなす逆V字型の交わるところに青い視線がくるように計算されている。

両手の薬指に指輪がある。
ヨーロッパ旗と三色旗を配したのもマクロンらしい。








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# by mariastella | 2017-07-01 06:24 | フランス

トランプ大統領、パリ祭(7月14日、フランス革命記念日)への招待に応じる

6/28にマクロン大統領がトランプ大統領と電話で15分話して、7/14の革命記念日のシャンゼリゼでの軍事パレードにトランプを招待したのをトランプが応諾したんだそうだ。

シリアのアサド大統領がまた化学兵器による攻撃を準備しているとかいう情報でマクロンは、オバマとオランドは見逃したが今回はそんなことがあったらフランスは単独でもシリア軍を攻撃する、と宣言したばかりで、トランプも「じゃあ、うちも」ということになったところだった。

マクロンが今回トランプを招待するのも、別にアメリカ大切でトランプに尾を振っているわけではなく、どちらかというと、プーチンをヴェルサイユに招待したように自分の権威を強化するためだということがある。
同時に、トランプがパリ協定から抜けると声明を出した時に

私はパリ市民に選ばれたんじゃない、ピッツバーグ市民に選ばれたんだ」

などと言ってのけたことに対して、「パリ」を見せつけ、しかも、パリ協定に背を向けたアメリカを追い出すのではなく対話を続ける用意がある、ひいては懐柔する、という意味もある。

国民の祝日で派手に軍事パレードをするのは、社会主義国家や全体主義国家、軍事政権国家以外の「先進国」ではフランスだけだ。以前には軍隊パレードを見直す、と言った大統領候補者が叩かれたこともあった。その時の記事に私の考えも少し書いている

軍隊と言えば世界最大の軍事国家はもちろん桁違いでアメリカなのだけれど、そのアメリカのトランプを敢えてパレードに招いたことは、トランプが力の誇示の好きな人だからけっこう乗り気になるだろう、という見とおしがうまくいったとも言われる。

私自身は

力を誇示したり崇めたりするところでは魂は必ずひずみを受ける」

というシモーヌ・ヴェイユの言葉の信奉者だから、軍事パレードなんてもちろん嫌いだ。

しかも、フランスがアメリカと組んで軍事的に目立ったりすると、またテロリストの標的になるだけで迷惑だという忌避感もある。

マクロンとトランプって「力の誇示好き」ってところで似た者同士なのかもしれない。やだやだ。

でもそもそも「国際政治」とは力の誇示で成り立っているのだとしたら、そういう人しか政治家にならないのかもしれない。

プーチンがインタビューで「力のバランスだけが力の行使を防ぐ」と言っていたけれど、彼の口から語られると、「抑止力」とか「必要悪」という言葉がリアリティを持って迫ってくる。

それでも平和への道は別にもあると信じながらジャン・ラプラスやアンドレ・ルーフの本を読んでいる。

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# by mariastella | 2017-06-30 01:27 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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