L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:猫( 36 )

哲学の道の猫

銀閣寺から南禅寺へ向かう哲学の道にいた猫です。さすが京都(なにが?)。


c0175451_23343156.png



南禅寺の屋根の猫。さすが京都(なにが?)。 (拡大してください)

c0175451_23374841.jpg

[PR]
by mariastella | 2017-03-27 00:11 |

猫の世話をして神のことを考える その2

これは前の記事の続きです。

で、猫のトイレの始末をするたびに、このことを逆方向から考えてしまう。

私は彼らを愛し、世話をし、トイレをきれいにし、餌もあげて…
やっぱ「神」に仕える人、みたいな感じって。

これはある意味盲点だ。

イエスは、天国に行ける人として、

「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人だと言っている。

つまり、すべて、世話や支えを必要としている人の中にはイエスがいるのだと。

実際、ボランティアなどで「貧しい人々」や「病気の人々」の救援やお世話をしている人でも、ほんとうに、「弱い人」の中に「イエスさま」を見て、喜びに満ちているシスターなどに何度でも会ったことがある。

逆に、貧しい人や困っている人を「お世話してる」「愛してる」私って「神」?って勘違いしている人だっている。

犬の世話をする人は「主人」であることをやめない。
猫の世話をする人は「猫に仕える」。

もちろん双方向の作用がある。

子供と親の関係も考える。

子供が、親に愛され、甘やかされ、すべての世話をされ、養われ、「ぼくって王様?」と思うか、

同じことをされて「親って神様?」と思うか…。

犬や猫はいずれ人間になるわけではないが、子供はいつか大人になる。

「無償の愛」をバトンタッチして継承していくには、やはり「大人と子供」だけの関係や、「人間とペット」のような関係に限定、閉塞させないで、世界を広げ、「神様」が遍在しているような感覚を養い、育てていかなくてはならない。
[PR]
by mariastella | 2017-03-18 00:45 |

猫の世話をして神のことを考える  その1

今、猫2匹と暮らしている。

こういう状況だと、2匹というところが大切だと分かる。
年も性格も食べ物の好みも違って、時にはけん制しあったり、仲良くしたり、協力したり、そこに私が加わって、「社会」ができる。

親一人子一人、とか人間ひとりとペット一匹とか、夫婦二人だけ、とかはよくない。

よくない、というのは「悪い」と言っているのではなく、「よい関係」でいるのが難しい、ということ。

一対一では共依存に陥りやすいし、どちらかの翻意、病気、死亡、裏切り、不在、などでつらい思いをしやすい。

それに比べればまだ「一人暮らし」の方が、独立独歩の能力のある人なら、世界を広げる工夫をするかもしれないし、喪失に対する覚悟とかもできるかもしれないし、何かそういうこの世の関係性を超えたスピリチュアルな結びつきを模索して成功するかもしれない。

夫婦で、相手の日常の習慣が気に入らない、というような話も聞くが、私のように異種2匹と暮らしていたら、「習慣」には接点がないので、ひたすらお世話するだけだ。水と餌をやる、猫砂の掃除、(時々吐瀉物の掃除も)というのが最低限の基本だが、せっせと猫砂の掃除をしているといろいろなことを考える。マスクをするのは面倒で砂埃を吸わないように息を止めていたりするのだけれど、煙草を吸わない彫刻家が石の粉で肺が真っ黒だと医者に言われた、という話を思い出す。

そして、人間の水洗トイレと下水道を考えた人に感謝。また、子供の頃に見たバキュームカー、そしてもっと幼い頃に見た「肥桶」をふたつ肩に担ぐおじさんの姿を思い出す。色が浅黒く、黒い地下足袋みたいなのを履いていて、もちろん強烈な便臭が漂ってくるので、近くに来ると避ける。あのおじさんの顔のニュートラルな感じが忘れなれない。私がこんなに忌避しているものを担いで、自分もいっしょに避けられているのを知りながら、黙々と、しかし、重さの負荷に耐える力やバランスやその他いろいろなノウハウを知り尽くして、プロの仕事をこなしているのがニュートラルに見えること自体への驚きだった。強烈だったので記憶の底に残っているわけだが、猫のトイレのお世話をするたびに何か二重写しになってくる。私も作業はニュートラルだけれど、「ああいい感じの〇〇が出てる、今日も健康、長生きしてね(上の子は16歳になる)」と神に感謝。

と、ひたすらお世話をする関係って、「神に感謝」みたいな、別のレベルの存在も引き込んでくる。すごく「対等」で自分のことは自分で、っていう二人暮らしならそういうことはないかもしれない。対等なはずの相手に病気になられたりすると迷惑だ、みたいなことになりかねない。

猫との関係性において、最高だと思ったネット画像がある。

すぐに紹介したかったのだけれど、翻訳できない。
日本語には誰が誰に対して言うかという上下関係や「空気」がすでに含まれているから不可能だ。

フランス語ヴァージョン

日本語風に言うと、

犬の考えること 「愛してくれる」「愛撫してくれる」「餌をくれる」…あなたは神様。
猫の考えること 「愛してもらえる」「愛撫してもらえる」「餌をもらえる」... 私は神様。

フランス語だとこういう印象かな。

    犬  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ひょっとして神様?
  猫  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ぼくって神様?

これは英語ヴァージョン

「愛してる」という視点がない。フランス語の方が奥深い。

猫と犬がいっしょだとこんな感じ? (続く)
[PR]
by mariastella | 2017-03-17 00:03 |

『沈黙』をめぐって  その10 番外: ル・ペンと猫

殉教のテーマで書くことがまだまだたくさんあり、その上、フランスとイスラムの関係、日本で読まれているエマニュエル・トッドのひどさなどについてもじっくり書きたいのだが今取り込み中で、ゆっくり書けない。

で、今日はちょっと寄り道して「猫」の話。

映画『沈黙』で、五島に戻ったロドリゴの目に移ったのはおびただしい数の猫ばかり、というシーンがあった。猫好きには印象的だ。

「フクシマの猫」のことも心をよぎる。

最近、猫についてショックなことというか、考えさせられることがあった。

サイトのフォーラムで、最近こんなことを書いた。

>>>猫飼いって、どんなに親ばかで自慢しても罪がない感じがします。猫を支配しているわけではないことが明らかだから…。
プーチンが猫を愛でている写真なんてあり得ないでしょ。クリントンもオバマもトランプも犬の「ご主人さま」だし。(007のボスが白いペルシャ猫を愛でていたのはある意味もっと怖いですが。)<<<

ところが最近、フランスの大統領選の第一次投票の一番人気である極右国民戦線のマリーヌ・ル・ぺンがとても猫好きであることを知った。

写真を検索してみると、父親のル・ペンも猫との写真はあるが犬との写真もある。いかにもという感じのものだ。

マリーヌと犬で検索しても出てこない。
猫との写真を見る限り、本気で猫好きのようだ。

犬好きの権力者のイメージを覆すための「演出」だとしたら驚きだけれど、まあそこまでする意味はないだろうと思う。
2015年のインタビューで、一番最近泣いたのは? と聞かれて、猫が犬にかまれて殺されたことを挙げ、それだけで目が潤み、私は猫かあさんだから、と言って、その後他の猫を守るために引っ越しまでした、と語っている。

前にこのブログでリシュリューの猫というシリーズを書いた。
考えてみると、リシュリューも権力の権化みたいな人だ。
そういえばカール・ラガーフェルドと猫についても書いた。こっちの方は排他的な一匹への愛なのでナルシストっぽい感じがするが…。

マリーヌ・ル・ペンって、不思議な人だ。
偏見を捨てて公平に見てもその政策はとても私には容認のできない者なのだけれど、猫かあさんって…親近感を掻き立てられすぎる。

同時に、犬好きがどうとか猫好きならどうとかなんて軽々しく口にしてはいけないんだなあ、と自戒させられた。
[PR]
by mariastella | 2017-02-14 06:25 |

フラクタルの最期

毎日、楽しみにしていたフラクタルが全滅。

犯人はこいつ。



c0175451_18484156.jpg



ごめんなさーい、と逃げた先がこれ。


c0175451_18511170.jpg

c0175451_18533781.jpg



最近変えたPSのモニターの空箱。これを見たネコ飼いは絶対切り取りたくなるよね。
え、私だけ?
[PR]
by mariastella | 2017-02-06 00:02 |

猫カレンダーのコラージュ

前回 アップしたカレンダーの図柄コラージュを気にいってくれた方がいたので、同じく猫カレンダーからのコラージュを披露します。2008年のカレンダーでした。これはもっと手抜きで20分もかかっていません。丁寧に切っていたらもっとマシかも。実はもっと丁寧なコラージュもよくやっていて、そういうのはテーマごとにいろんな人にプレゼントしていました。今なら、差し上げる前に写真にとってデジタル保存していたのになあと少し残念です。
c0175451_0395811.jpg

[PR]
by mariastella | 2016-12-26 00:42 |

スピノザとイズー

c0175451_19282862.png


c0175451_1937549.jpg


イズーとスピヌーのツーショットがなぜかアップできません。
仕事の邪魔をするスピヌーです。
[PR]
by mariastella | 2016-10-09 22:12 |

ネコのアルバムより

c0175451_4561124.jpg


CATS とネコ

c0175451_4525275.jpg


マウスとネコ
[PR]
by mariastella | 2016-10-07 05:08 |

スピノザくんとイズーくんです

c0175451_19465871.png


悟りの本かなんかを枕にしているスピノザです。老哲学者の雰囲気です。

c0175451_19491130.jpg


イズーくんはたいていこんな感じです。

ポルトガルにいる間、アイパッドから更新していたので写真を入れることができました。明日からPCによる通常営業に戻りますが、ネコ飼いとしては自分ちの子の自慢をしたい誘惑に負けてふたりをupします。
[PR]
by mariastella | 2016-10-02 20:09 |

イズ―くんはハンス少年をやめた

これは前の「イズー君はハンス少年か」の続きです。

猫って学習能力が高い。

でもその学習能力というのは、刷り込まれたものを忠実に守るというタイプのものではない。

以前、一定の手順をふめば餌をもらえるように学習させた動物に、そのそばに何の障害もなく餌を置いた実験で、猿や犬は機械的に、相変わらず前に教えられた手順をふむけれど、猫はためらいなく近い方の餌に直行するという結果を見たことがある。

猫は不要な儀式を華麗にスルーする。

前に、洗面台の蛇口からちょろちょろ出る水を、その周りをせっせと掻いてから直接口で受けて飲むイズ―くんを見て、オランダの堤防決壊を救ったハンス少年にたとえたが、最近シナリオが変わった。

水がちょろちょろしか出ていないのに、口から洩れて流れる分量の方がどうも多い気がする。
これでは資源の無駄遣いで、エコロジー的公正に反するなあ、と思ったので、ちょろちょろ水を私が鹿威しの竹みたいに手のひらで受けてやることにしてみた。

するとイズ―くんは、なんのためらいもなく私の手のひらからちゅくちゅくと水を飲み始めた。
この方が効率はいい。

それをたった一度経験しただけで、次からは、ちょろちょろ水を流すと、もう堤防掻き掻きの儀式はなくなって私の方を見てひと声

「ほら、手」

と催促するようになった。

ものすごくクリアなメッセージだったので思わずまた手のひらを鹿おどしのように構える私。

イズーはゆっくりと飲み始める。

長い。

流水が直接当たり続ける私の手はだんだんと冷たくなる。
これって私がハンス君になってるんじゃない?

もうそれからは、私が洗面台を使っていなくても、イズ―くんは喉が渇けば、さっと洗面台に上って定位置についてから私を見て

「ハンス、出番」

とひと声かけるだけになった。

その度にPCをスリープにして立ち上がる私。(スリープにしておかないとスピノザ君がキイボードの上に座り込むリスクがあるからね)

で、慎重に水のちょろちょろ加減を調整して手に水をためるハンス君。

好きなだけ飲んだら「ご苦労様」も言わずに去るイズー。

かわいい。
[PR]
by mariastella | 2016-09-25 02:31 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧