L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:猫( 43 )

スピノザの49日?

「スピノザが亡くなってから今日で49日ですね」というお便りをいただいた。わたし的にはスピヌーは即天国で、いつも私のそばにいるので、49日って…なに、それって感じもするが、そうか、そろそろ喪も新しいステップに移るのかもしれない。

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「お兄ちゃんがいなくなって、ぼく、悲しい…」と涙を拭う今朝のイズー。(もちろんやらせです) 実際はママ(私)のひざの上でこんな感じ。
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by mariastella | 2017-08-28 19:16 |

スピノザ頌  (終)

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スピヌーの遺灰が戻ってきました。
白の陶器の壺か、絵柄で装飾された白の陶器壺か、エコロジカルな段ボール容器かどれにするかと聞かれました。はじめてです。値段は同じです。うちにはもうサリーとマヤの二つの絵柄付き壺があり、灰は庭に埋めましたが壺は捨てることもできず残っています。で、紙製でOKと言いました。エコロジー・ブームのせいか、いっしょに埋めたらお花が咲くという種のついたハート型の紙もついていました。
(考えたら、母の骨壺も、お骨を土に戻すように布にくるんでお墓に納めた後で、どうしますかと聞かれてそのまま引き取ってもらいました。その後リサイクルしているんだろうか。母のために「購入」した壺も前の人のリサイクルなのかなあ、と思ったことを覚えています。) 

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スピヌーの遺灰のそばに寄りそうイズーくん。

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おにいちゃんはどこ…


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ずっといっしょだよ…

....


以上、と、いうのは、2枚目以降、全部「やらせ」です。

イズーの座った横に壺を置く、
壺の上にカリカリのおやつを一粒置く、
庭から切ってきた薔薇の花にちょっかいを出しに来るイズーくん、

というのが事実です。

スピヌーが死ぬために部屋の隅に陣取って動かなくなった時、イズーがちょっかいを出したりすると嫌だから隔離しようかと思ったのですが、驚くほど関心を示しませんでした。スピヌーをさがす様子もなく、完全に気配がなくなったようです。

人間の方はなんだか「死の香り」を感じて暗澹としていましたが、イズーはただ、突然に、孤独の中にほうりこまれたようで、いつもよりも私たちに甘えていました。
猫は死ぬときに隠れるといいますが、イズーに対してはもう、完全に隠れて消えていたようです。私たちの愛撫や声かけは拒否しないで受け入れてくれたので、人間との関係は「別」で、人間の方は面倒だけどかまってやらないとだめだなあ、と気をつかってくれたのでしょう。

スピヌーの遺体を医院に持っていくとき、あまりにも「聖人」崇敬が頭にあったので、一瞬、聖遺物をとっとこうかと思いました。

白くてぴんと張った髭。

でも、こんなの、時々床に落ちてるし。
ブラッシングした毛は球にしてとってあるし。

美しい耳を見て、一瞬、この耳をとっておこうかという、聖遺物信仰の類推呪術が一瞬、頭をよぎりました(ジェイコブスのホラー小説の『猿の手』とかまではさすがに連想しませんでしたが)。呪術と関係なく、なんでもいいから愛する者の体の一部をとっときたいという原始的な衝動だったのでしょうか。

すぐに、モノとしての亡骸ではなく、私のそばにいるスピヌーに現実に引き戻されました。

ぼくはここにいるよ、

って。

スピヌーに勇気づけられて、ちゃんと「喪」の手続きをすることにしました。
偶像崇拝してちゃいけない。
それにはイズーも参加してもらわなくては。
というわけで、一連の撮影となったわけです。

スピノザ、ありがとう。

このシリーズはこれで終わりです。
書くことがいっぱいたまっているし仕事も遅れているのにこれ以上ぐずぐずしていたらスピノザに叱られます。君にもらった力をきっと生かすからね。


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by mariastella | 2017-07-23 02:52 |

スピノザ頌 4

(承前)
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どんなにぎゅうぎゅうでもカゴが好き。

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ノートパソコンの上におすわりしておやつを待つ。

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こうすると精悍な風貌に。鼻の上が濡れているのが実はかわいい。

スピノザの臨終のそばにいて、思いついた言葉は、何とか元気になって、絶対に回復して、死なないで、というものではなかった。
変な話だけれど、ヨハネ=パウロ二世が亡くなったすぐ後で人々がsanto subitoと叫んだことを思い出した。(人々がすぐに聖人として迎えたのだ)

スピヌーのような生き方と死に方をするネコは、死んでもいなくなるわけではない。
いや生きている時からもう、聖人のように生きていて(つまり、周りの猫や人をひたすら幸せにしてきて)、体が年老いて不具合になったから存在の形をシフトさせるけれど、そばにいてくれて私たちを幸せにし続けてくれることは自明のように思えた。

虹の橋を渡る、
とか、
猫の天国に行く、
とか、
いつか別の子猫に生まれ変わってきて戻ってきてくれる、
とかは思えなかった。

そのまま、そばにいて、愛してくれて、愛されてくれる。

スピヌーは私を力づけてくれ、力づけ続けてくれる。

時々目を開けたけれど、穏やかだった。
そばにいるよ、ずっとそばにいるよ、
と言っているようだった。

私がもしこういう安らかな死を迎えることができるとしたら、スピヌーのように、私のそばにいるかもしれない人を安心させて励ましてあげたい。

言葉が話せる状態なら、それを言葉にしてあげたい。

「いつも守ってあげるからね」

って。(それはスピヌーから聞越えてきた言葉でもある)

それが本当にできるのか、
死ねばただのブラックアウトなのか、
そんなことは分からない。

でも、愛する人や大切な人にそういう言葉をかけてから旅立てば、後に残る人にとって多大な慰めになるのは確かだ。死ぬ間際にでも、そういうポジティヴなことができるのだ。

愛する人や大切な人が臨終時に「痛い、苦しい、死にたい」あるいは「死にたくない、死ぬのは怖い」などと言うのを耳にしなくてはならない人の苦しみはどんなに大きいだろう。

私の父は亡くなる前に母に手を合わせて「ありがとう」と言ったそうだ。
母はそのことばかりをずっと話していた。
父が母に残した最大のプレゼントだったと思う。

私の母は脳幹出血で意識を失う数時間前にいっしょに散歩しながら、

「私は人生でやりたいことを全部できた」

と言っていた。

そのことが私にとってどんなに救いになったか分からない。

だから私も、死ぬ前には嘘でも偽善でも強がりでもなんでもいいから、できればそういうポジティヴな言葉を残すようにしようと思っていた。

スピノザの死を見て、もっと確信が持てた。

事故や災害や苦痛のともなう死に方を避けることができるなら、
「これからも、いやこれからもっと私を頼りにしていいからね」と言い残して死んでみたい。

マザー・テレサだって、リジューのテレーズだって、同じことを考えていた。
薔薇の雨はだれにだって降らせることができる。

なぜなら、薔薇の雨を降らせるのは聖人たち自身ではなくて、彼らの思いの彼方にある何かだからだ。

いのちとは関係性なのだ、と分からせてくれたスピヌーは今もすぐそばにいる。







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by mariastella | 2017-07-22 03:25 |

スピノザ頌 3


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書斎机の上のスピノザ。死のひと月前くらいです。

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ベッドの上のスピノザ。

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デザートを待つスピノザ。


今回スピノザの死を見ていて、理想の死に方というのがどんなものかが実感を持って納得できた。
人間としてそれに付け加えるべきプラスアルファも。
少しずつ書く。

まず、ガイアのような軽い病気と医療事故、サリーのような悪性腫瘍、まやのような数年にわたる少しずつの衰弱と、死に至るときの数日間にわたるまた少しずつ増えていく苦しみ、などの経過は人間にもあり得るだろう。人の場合なら、緩和ケアというものがうまく機能することを願うケースだ。

スピノザはいつも少しやせ形で筋肉質で、ライオンのような子だった。
4年少し前、まやが死んだ後に全身を引っ掻き始めた。長年メンテナンスをしているので蚤などではない。獣医に見せたらストレスだろうと言われた。で、子猫イズーを迎え入れたらたちまち若返って、イズーと生き生きと遊び始めた。
イズーの教育係と言うか兄貴分の地位は最後まで変わらなかった。
年が離れているからもともと食の細いスピノザには特に気を使って老猫用の餌を与えていたし、特別扱いしていた。イズーもそれを受け入れていた。

でも、まやの死に近い16歳が近づいたころから、目を離すとプラスティックの袋をかじっては吐いたり、すぐテーブルにのって、クリームチーズを泡立てたデザートの容器の底にある残りをなめさせてもらうことを毎日要求するようになった。

味はついていないし微量だが、乳製品は基本的によくないのは分かっているのであまりやりたくなかったが、これを禁じたところで数年長生きするとも思えないし、今の幸せを優先した。

デザートまでじっと待って、後は冷蔵庫を開ける時からわくわくして、こちらが食べ終わるのを見守ってもう大きく喉を鳴らすのだった。

そのアディクションが増大してきたのは気づいていた。水も晩年のまやほどではないが昔より飲むようになり、腎臓が弱ってきていることは気づいていた。

インターネットで何度も調べた。
スピヌーとそっくりなケースの相談や体験談がたくさんあった。

つまり、

16歳を超えるような老猫
完全室内飼い
病的なほどに獣医息が嫌いで無理して連れて行くとストレスで死ぬのではないかと思うほど泣き叫ぶ

というケース。

8ヶ月くらいで去勢手術に連れていった時に、往きの車の中で恐ろしい声でなき続けた。

あらゆるトーンを駆使するし、フレーズが長い。

さて、インターネットにこの種の猫の健康相談がたくさんあるのはなるほどだと思う。
もともと猫医者の所に簡単に通っているような猫の場合なら、年を取って食が細くなったらすぐに医院に連れていくだろう。
点滴をしたり薬を与えたりして食欲や元気がその都度回復するようなケースもよく見かける。

でも、明らかに医者に行くことのストレスの方が年取ることの不具合のストレスよりも大きいと分かっている猫で、だからこそできるだけ医者を避けるという暮らしをして16歳で元気で幸せな猫と暮らしていて、それが急に食が細くなったり元気がなさそうになった時、果たして過剰なストレスをかけるのがいいのか、うちでそっと休ませるのがいいのかと自問することは、飼い主にとって大きな悩みとなる。だから、そういう人ばかりがネットに投稿するのだ。

で、答えは、まあこういうケースではとうぜん予測されることだけれど、

苦しんだり痛がっている様子がないならそっとしてずっとそばにいてあげましょう。
まず獣医に連れて行って診断を求めるべきです。血液検査が必須処置。
入院して点滴すれば回復するケースがあります。とにかく入院を。
猫によっては症状が現れる時にはすでに手遅れの場合もあります。

などなど・・・。

想定内である。

最後、スピノザがある日突然、ぱったり食べなくなり身を隠し始めた時の私の直感では、これはスピヌーに死期が訪れたんだろうと思った。それまでも、ある意味、いつ、どんな風にそれが来るのかを何度もシミュレーションしていた(私が日本に行っている間ならどうしよう、なじみの獣医がバカンス中の時だったらどうしようとかなど)ので、もし、このまま、こういう形で静かに逝くとしたら理想ではないかとも思った。

でも、獣医に診断させて、獣医の口から、

「ああ、これは老衰ですね、延命措置をしても長くはもちません。静かに看取ってあげてください」

という一言を「お墨付き」のようにほしかった。
それが欲しかったのは私だ。スピではない。

で、死の2日前にすでに泣き叫ぶ力もないスピヌーを獣医に連れて行っ点滴してもらったが反応はなく、「安楽死させますか」と聞かれたが、苦しんでいないので連れて帰った。もし苦しんでのたうち回るようなことがあればまた連れてきますと言った。

子猫のスピノザを16年前にうちに連れてきた当時の医学生は、今、大学の医学部で教え大学病院でも働いている。
その彼女にスピノザの状態や獣医の言葉を伝えると、

スピはなんといってももう十分高齢だ、
その様子ではこの週末が峠だから、無理な延命治療をしない方がいい、
私は病院で毎日人が死んでいくのを見ている。
スピのように幸せな生を送った猫ならそのまま早く逝った方がいいと思う、
何ヶ月もかかれば、もっと早く楽になれればいいのにと思うことで周りのみんなが罪の意識にかられることになる、
今回無理に持ちこたえさせてもすぐに次の危機が来るのは目に見えている、
スピのためにいいかどうかは分からない

という意味のメールが来た。

(続く)

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by mariastella | 2017-07-18 00:27 |

スピノザ頌 2

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リビングの食卓の上に寝そべるスピノザ君。客用のダイニングも隣接していますが猫禁止なのでほとんど使っていません。
うちは二軒長屋で、隣に猫の苦手な人を迎える玄関やダイニングもあるので、人には見せられないこういう姿もOKでした。テーブルの上にのってくれると写真を撮りやすいのでむしろ歓迎。
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たまには椅子の上にのってテーブルの下に隠れていることも。

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妹猫、弟猫、私の髪も舐めて整えて(?)くれるスピノザ。時々舌をしまい忘れるのがかわいい。
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スピノザの死を見て、はじめて「理想の死に方」に遭遇しました。
「聖人システム」の効用や 「santo subito」の欲求も実感しました。

死に方で言うと、ここ20年ほどで失った4匹の猫を比べると、

1997年に死んだガイアは、わずか3歳半、膀胱炎だったのに尿管結石と誤診されてカルーテル挿入と取り出しのために2度も麻酔されて死んだ。獣医の請求書に「一回分しか計算していませんから」と言われた。「心臓がもちませんでした」と電話があった。
うちから歩いて1分のところで開業している獣医だが、それ以来一度も足を踏み入れていない。

2010年に9歳で死んだサリーは、元気だったけれど、乳癌のしこりを発見して獣医(これは歩いて10分くらいのところにある医院でとてもやさしい人)のところに連れて行って、手術したが、免疫力が弱っているせいか猫風に感染して戻り、それがうちにいたスピノザやまやにも伝染した。
それ以来ぐったりして、目も見えなくなり、獣医は癌が脳に転移したのだろうと言った。
どうして自分がこうなったのか理解していないようで、動こうとして動けず、とても苦しそうで、最後に血を吐いてばたりと倒れた後でまた獣医のもとに連れていった時は、もう意識はなく、麻酔をかけてもらってお別れした。手術の前は全く元気にしていたので、死期を早めたという気がした。
5歳上のまやが12歳の時に口元に腫瘍ができたのを手術で除去したら元気に長生きしていたので、手術さえしたら助かるかと思ったのだ。

2013年に17歳少し前に死んだまやは、最後の数年、腎臓が弱っているのは分かっていたけれど心理的に問題の多い子だったので、積極的な治療はしなかった。サリーのこともあったので、もう外科的なことは何もしたくなかったし、病院にも連れて行きたくなかった。白内障もあった。だんだん食べなくなって動けなくなって、優しい先生に往診に来てもらい、うちでできる世話はすべてしたけれど、水も受け付けなくなり、立てなくなり、それでも痙攣して苦しそうだった。最後に獣医の判断を仰ごうと連れていった時はもう動きもしなかった。麻酔を打ってもらってお別れした。「麻酔」と言うのが即安楽死なのかどうかは分からない。ともかく、表向きには、まずゆっくり眠らせてくれる、ということで、納得する。

サリーもまやも火葬してもらって壺に入って戻ってきて、一年後に庭に灰を埋めた。

で、スピノザ。最後まで目も見えていたし、2メートル以上の跳躍力もあり、12歳年下のイズーに対して絶大な権威があった。ある日突然食べなくなった。次の日に飲まなくなり、排泄もせず、隠れた。腎不全の末期だと思ったが、念のため往診してもらった後、病院で一度点滴した。それで少し元気になって自力で飲んだり食べたりするなら続けようと思って自宅点滴道具も持って帰った。でも病院の点滴の後でますます動かなくなった。
一度だけ点滴してみたが、様子が変わらない上に痛々しくて、これは残される人間のためにやっているのだと確信した。

食べない、飲まないから死んでしまうのではなくて、
死ぬから、食べたり飲んだりしなくなるのだということが明らかだった。
静かに、ゆっくり息をして、声をかけると時々頭を上げたり尻尾を動かしたりしてくれた。

いっしょに暮らしてくれてありがとう。
愛してる。
これからもずっとそばにいてね。(今とは別の形で)

の三種の言葉をくりかえして愛撫し続けた。(続く)



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by mariastella | 2017-07-14 07:29 |

スピノザ頌 1




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クチャクチャの書斎机の上で寝るスピ
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入っちゃいけない所に入ったのに、追い出されないで、iPadを取りに行ったので、不審顔のスピ。

16歳3ヶ月で旅立ちました。



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by mariastella | 2017-07-13 05:41 |

猫と音楽と学年末

ツボにはまりすぎてとろけそうになる。

(動画のリンクが開かないようなのでアドレスを貼り付けます。これをコピペして開いてください)

https://www.facebook.com/FelineLovers/videos/397358127288508/

写真はこんな感じ。
こんな風になるのは至福だけれど、でも私の場合、実際は、猫にまつわりつかれると練習できないのでドアを閉めている。

楽器を爪で引っ掻かれるのも怖い。

去年の今頃はフィルハーモニーで弾く曲の暗譜のおさらいとスピードアップで忙しかった。

今年もフランスでは「学年末」なのであわただしい。
23日にヴィオラでバッハのブランデンブルク協奏曲を弾く。
私は第一ヴィオラ。
緊張するのは第三楽章の32分音符が形を変えて出てくるところだけだ。
第一楽章は楽だし、第二楽章は一小節しかない。

生徒たちも混ぜることになったのでテンポをやや落とすので楽になった。
チェロとコントラバスは音楽院の教師が加わってくれる。

今日の午後も3楽章を4度も通しで弾いた。
いつも思うが、全く「間」のない曲で、弾いていると酩酊状態になりそうだ。
あんまり考えないで済む、というのは助かる。
その他に、カルテットで、イギリスの曲Giles Farnaby(1560-1640) のHis Humor 。
もう一つパサカリアを弾くのだけれど、このメンバーにはバロック・バレーの想定というものがまったくないので、フラストレーションを感じる。

その他は、秋のトリオのコンサートの練習をしている。
ある程度「毎日」さらわないと、左手の小指の筋肉が落ちるからだ。

ヴィオラでも左手の小指を使うけれど、ギターほどに角度がいろいろ変わらないしあまり力を入れなくても音が出る。ギターが一番大変だ。

田村洋さんのオリエンタル・ダンスの全楽章がそろったので、最近通しで弾き始めた。

物語が展開する第一楽章、
ゆったりメロディックなのにバッハっぽい場所もある第二楽章、
そしてリズムがおもしろく、ゲーム音楽にもなりそうな第三楽章。

第一楽章はのっけから「ダンス」が見える。
第三楽章はもちろん体を動かせる。

難しいのはダンス曲としての第二楽章をどう扱うかだ。

この楽章にだけ「dream trees」という副題がついている。
だんだんと見えてくると思う。

10月の山陽小野田市での初演が楽しみだ。





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by mariastella | 2017-06-03 02:42 |

哲学の道の猫

銀閣寺から南禅寺へ向かう哲学の道にいた猫です。さすが京都(なにが?)。


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南禅寺の屋根の猫。さすが京都(なにが?)。 (拡大してください)

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by mariastella | 2017-03-27 00:11 |

猫の世話をして神のことを考える その2

これは前の記事の続きです。

で、猫のトイレの始末をするたびに、このことを逆方向から考えてしまう。

私は彼らを愛し、世話をし、トイレをきれいにし、餌もあげて…
やっぱ「神」に仕える人、みたいな感じって。

これはある意味盲点だ。

イエスは、天国に行ける人として、

「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人だと言っている。

つまり、すべて、世話や支えを必要としている人の中にはイエスがいるのだと。

実際、ボランティアなどで「貧しい人々」や「病気の人々」の救援やお世話をしている人でも、ほんとうに、「弱い人」の中に「イエスさま」を見て、喜びに満ちているシスターなどに何度でも会ったことがある。

逆に、貧しい人や困っている人を「お世話してる」「愛してる」私って「神」?って勘違いしている人だっている。

犬の世話をする人は「主人」であることをやめない。
猫の世話をする人は「猫に仕える」。

もちろん双方向の作用がある。

子供と親の関係も考える。

子供が、親に愛され、甘やかされ、すべての世話をされ、養われ、「ぼくって王様?」と思うか、

同じことをされて「親って神様?」と思うか…。

犬や猫はいずれ人間になるわけではないが、子供はいつか大人になる。

「無償の愛」をバトンタッチして継承していくには、やはり「大人と子供」だけの関係や、「人間とペット」のような関係に限定、閉塞させないで、世界を広げ、「神様」が遍在しているような感覚を養い、育てていかなくてはならない。
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by mariastella | 2017-03-18 00:45 |

猫の世話をして神のことを考える  その1

今、猫2匹と暮らしている。

こういう状況だと、2匹というところが大切だと分かる。
年も性格も食べ物の好みも違って、時にはけん制しあったり、仲良くしたり、協力したり、そこに私が加わって、「社会」ができる。

親一人子一人、とか人間ひとりとペット一匹とか、夫婦二人だけ、とかはよくない。

よくない、というのは「悪い」と言っているのではなく、「よい関係」でいるのが難しい、ということ。

一対一では共依存に陥りやすいし、どちらかの翻意、病気、死亡、裏切り、不在、などでつらい思いをしやすい。

それに比べればまだ「一人暮らし」の方が、独立独歩の能力のある人なら、世界を広げる工夫をするかもしれないし、喪失に対する覚悟とかもできるかもしれないし、何かそういうこの世の関係性を超えたスピリチュアルな結びつきを模索して成功するかもしれない。

夫婦で、相手の日常の習慣が気に入らない、というような話も聞くが、私のように異種2匹と暮らしていたら、「習慣」には接点がないので、ひたすらお世話するだけだ。水と餌をやる、猫砂の掃除、(時々吐瀉物の掃除も)というのが最低限の基本だが、せっせと猫砂の掃除をしているといろいろなことを考える。マスクをするのは面倒で砂埃を吸わないように息を止めていたりするのだけれど、煙草を吸わない彫刻家が石の粉で肺が真っ黒だと医者に言われた、という話を思い出す。

そして、人間の水洗トイレと下水道を考えた人に感謝。また、子供の頃に見たバキュームカー、そしてもっと幼い頃に見た「肥桶」をふたつ肩に担ぐおじさんの姿を思い出す。色が浅黒く、黒い地下足袋みたいなのを履いていて、もちろん強烈な便臭が漂ってくるので、近くに来ると避ける。あのおじさんの顔のニュートラルな感じが忘れられない。私がこんなに忌避しているものを担いで、自分もいっしょに避けられているのを知りながら、黙々と、しかし、重さの負荷に耐える力やバランスやその他いろいろなノウハウを知り尽くして、プロの仕事をこなしているのがニュートラルに見えること自体への驚きだった。強烈だったので記憶の底に残っているわけだが、猫のトイレのお世話をするたびに何か二重写しになってくる。私も作業はニュートラルだけれど、「ああいい感じの〇〇が出てる、今日も健康、長生きしてね(上の子は16歳になる)」と神に感謝。

と、ひたすらお世話をする関係って、「神に感謝」みたいな、別のレベルの存在も引き込んでくる。すごく「対等」で自分のことは自分で、っていう二人暮らしならそういうことはないかもしれない。対等なはずの相手に病気になられたりすると迷惑だ、みたいなことになりかねない。

猫との関係性において、最高だと思ったネット画像がある。

すぐに紹介したかったのだけれど、翻訳できない。
日本語には誰が誰に対して言うかという上下関係や「空気」がすでに含まれているから不可能だ。

フランス語ヴァージョン

日本語風に言うと、

犬の考えること 「愛してくれる」「愛撫してくれる」「餌をくれる」…あなたは神様。
猫の考えること 「愛してもらえる」「愛撫してもらえる」「餌をもらえる」... 私は神様。

フランス語だとこういう印象かな。

    犬  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ひょっとして神様?
  猫  愛してるよね。愛撫するよね、餌くれるよね、・・・ ぼくって神様?



これは英語ヴァージョン

「愛してる」という視点がない。

フランス語の方が奥深い。

猫と犬がいっしょだとこんな感じ? (続く)

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by mariastella | 2017-03-17 00:03 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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