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L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 148 )

フランスとイスラム  その4

どうしてフランスの対テロ諜報機関がインターネットによる第三世代ジハードを監視していなかったかというのはいくつかの理由がある。

その一つはアラビア語のメッセージを読まなかったからだ。

もう一つは、1995年以来フランスではジハディストのテロが起こっていなかったからだ。

諜報機関はいくつかのモスクで要注意イマムの話をチェックはしていたが、真剣には憂慮していなかった。ジハードは上からピラミッド型に浸透していくものだと考えていたからだ。デジタル革命、SNSによる煽動の拡散を想定しなかったから10年の遅れが出たのだ。

監獄に3,4年入って出てきたジハディストがヒーローのようなオーラをもって、それまでイスラムについて何も知らないゲットーの「不良」たちに、彼らがゲットー化したシテに追いやられているのは不信心でイスラム嫌いな社会のせいであり、ジハードによってそれを解消できると説いたのだ。

監獄はイスラム過激派にとっての「エリート」コースとなっていた。
その実態が長い間看過されていた。

メラーの起こした事件は、精神状態が異常な男が単独で起こしたアクシデントなどではなかった。
彼らは彼らの「論理」に従って行動している。
その「論理」を分析することは可能だ。

しかしそれには最低のイスラム=アラブ文化の知識が必要である。

彼らの目標ははっきりしている。住民を脅かすこと、標的を殺すこと、そのことで他の過激派ではないムスリムを刺激して共同体意識を高めて後に続かせることだ。

けれども、この最後のものは難しい。

なぜなら、シリアやイラクにテリトリーを得て挑発するISは、多くのムスリムに憎まれているからだ。ISが誇示する蛮行は逆効果だった。そこに、強力な味方が現れる。(続く)
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by mariastella | 2017-02-22 01:41 | フランス

フランスとイスラム  その3

ここからはしばらく、政治学者ジル・ケペルが『シャルリー・エブド』No 1276(2017/1/4)に載せた記事を要約する。

2012年3月にメラー事件というのがあった。フランスとアルジェリアの二重国籍マオメッド・メラーという23歳の男がトゥールーズで次々と軍人を殺した後でユダヤ人学校を襲った事件だ。

この事件は第三世代のジハディストによるテロの発端だったのだが、当時大統領選を控えていたフランスでは、一匹狼の特殊な事件だと考えられていた。

その初めは、2005年の1月にシリア人のアブー・ムスアブ・アルスリーが、西洋世界に対する攻撃を呼びかけて、西洋世界のアキレス腱はヨーロッパだと断定した。

それまでのアルカイダは、ビン・ラディンのようにアメリカを狙い、アルジェリアやアフガニスタンというようなイスラム国にジハードを仕掛けた。第三世代というのは、それがインターネットを通した呼びかけであったからだ。どこにいても、今いる場所で「殺す」こと、それによってパニックを誘発し、特定の場所の戦いを内戦にまで広げていくのが「戦略」だった。

ところが、その2005年から、メラー事件の起こった2012年まで、フランスの対テロ諜報部門はこの変化を全くとらえていなかった。(続く)
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by mariastella | 2017-02-21 00:14 | フランス

フランスとイスラム  その1

フランスとイスラムについて前にもう書いたことがある。この記事ではエマニュエル・トッドについても すでに批判している。

これからしばらくこの話について書く。
どうしてトッドのような誤りが生まれたかについてもゆっくり書いていく。

その前に少し概論をして、さらに、アルジェリアのジャーナリストで作家のカメル・ダウードによる2012年から2015年にかけての記事の抜粋を訳する。この人の新しい本が2/15に発売されたばかりだ。

ヨーロッパでイスラム過激派によるテロが頻発するようになったのは、いくつか理由がある。

まず、油断していたこと。

アルカイダはアメリカを標的にしていたし、アフガニスタンやアルジェリアの過激派はイスラム圏でテロを展開していた。フランスでは1997年以来、テロがなかったこともあり、ヨーロッパは別だと思っていたのだ。

イスラム過激派とイスラムのイデオロギーの区別がつかなかった。
というより、イスラムは政治の次元を包含した宗教だという認識によるリスク管理がなかった。

キリスト教はもともとローマ法が制定されていた場所に生まれた政教分離的な宗教だった。
いや、もっと言えば、ユダヤ教がアイデンティティになっていた社会で生まれた非宗教的な教えだった。その後のヨーロッパでは、キリスト教が政治にも軍事にも取り込まれてしっかりと社会の全体主義的規範となったのは事実だ。けれども、ルネサンス、宗教改革、近代革命などを経て、「宗教としてのキリスト教」は限りなく弱体化した。

残ったのは、「伝統儀礼としてのキリスト教」「民間信仰としてのキリスト教」と、キリスト教の基盤である福音にある「自由と平等主義と平和主義」が世俗化した西洋近代普遍主義の価値観である。

「宗教としてのキリスト教」は「信教の自由」の項目の中でのみ存続を許され、キリスト教もそれに適応してきた。

そんな社会にイスラム教が入ってきた。多くは、北アフリカのマグレブと言われる旧植民地(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)からの移民による共同体によるものだったけれど、1960年代以降に、ナーセル大統領の暗殺を謀ってエジプトから追われたスンニー派のイスラム主義(シャリーアによる法治国家の設立を目指す)組織ムスリム同胞団がやってきた。
一部はエルドガン政権のトルコにも亡命したが、ヨーロッパにやってきた彼らは、ヨーロッパにイスラム法治国を打ち立てることを計画した。
もともとイスラムは成立において宗教と政治と軍事が一体化したものだ。異教徒を改宗させてイスラム法による統治を広げる原則を推し進めるグループは、「三度目のヨーロッパ陥落」を目指した。
イスラム勢力は、ヨーロッパでは七三二年にポワティエの戦いでシャルル・マルテルに阻まれてピレネーを越すことができず、その後レコンキスタによってイベリア半島からも撤退したし、一六八三年には第二次ウィーン包囲でヨーロッパの神聖同盟に破られて、領土の割譲を強いられた。三度目の正直が二一世紀の今だという。(続く)
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by mariastella | 2017-02-19 03:02 | フランス

ポンピドー文化センター

パリのポンピドー文化センターができてちょうど40年ということで、記念のドキュメンタリー番組を先日見た。

ポンピドー・センターの歴史はそのまま私のフランスでの生活の歴史に重なるので感慨深い。

できた時には、「友の会」のような支援グループに会費を払って登録していたので、その後、展覧会にも並ばずに入れた。

開館一周年記念のパーティにも招かれて出席した時、センターをかたどった直方体の大きなケーキが出されたのも懐かしい。

ポンピドーセンターの近くはなじみの界隈になった。

まだミッテラン政権の前で、同性愛が刑法上の罪を構成していた時期で、この地区にゲイの友人が、フランスで初めてのゲイのためのカフェを開いていて、ある夕方に訪ねて行った。親密な雰囲気のカップルたちがカウンター席で寄り添っていた。私は目立たないように奥の席に通された。

ベトナム人の知り合いが「七つの牛料理」という名のレストランを開いて、七つの調理をした牛肉料理が次々出てくるのをはじめて食べたのもセンターのすぐ近くだ。ネムという揚げ春巻きをミントの葉といっしょにレタスに包んで食べることもそこで初めて覚えた。

図書館の雑誌コーナーに日本の週刊誌が置いてある時期があって、感激したこともある。

だいぶ後で、私のピアノの生徒のお母さんがここで働いていたので、数々の招待券をもらったこともある。

今回のドキュメンタリー番組で初めて知ったのは、ここが、予定の敷地の半分をセンターに、半分を広場にするというデザインが採用されてできたものだということだ。私は最初から広場は広場だと思っていたのだけれど、じつは、広場はセンターの一部、というか、一体だった。

最初に大道芸人がこの広場に集まってきた時に、警察から追い出されたが、みな戻ってきた。
なぜなら、そこはセンターの一部であるから、センターが警察に撤去を要請しない限り、市や警察は無断で介入できないからだ。

で、いつも大道芸人が集まるなじみの光景が出現した。それは折り込み済みだったわけだ。

2000年の改修以来、図書館部分との入り口が別になったり有料部分も増えたりして、広場の大道芸人はぐっと減ったという。

最近は行っていないけれど、テロ対策はどうなっているのだろう。
広場へのアクセスは自由だから、セキュリティ検査はできない。

嫌な時代になったなあと思う。昔はセンターの外側も内側も、町の延長のような感じだったから。

昨年、金沢の21世紀美術館に久しぶりに行ったけれど、そういえば、昔はポンピドーもこんな感じだったなあ。

なつかしい。
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by mariastella | 2017-02-01 01:03 | フランス

バロック・バレーやバロック音楽の場でも政治談議(追記あり)

日本とフランスの絶対的な違いを感じるのは、政治論議かもしれない。

バロック・バレーのクラスでフランス大統領選についてかなりの議論になった。
エリカは第一次投票でメランション(極左の位置づけ)に投票するが、決選投票でフィヨン(保守)とル・ペン(極右)になったら棄権する、と言う。
他にもメランション派がいるが、棄権には反対だ。

アメリカではメリル・ストリープがトランプを批判したスピーチが有名になったが、アートの世界はたいていインターナショナルで左派が多い。同性愛者も多いし、いわゆる「普通に結婚して子供がいて」という人は少ないから、5人の子持ちのフィヨンなどに親愛感を持つこともない。

しかし、過去に数年間メランションの「左派戦線」の手伝いをしていたというカメラマンの女性が、実はメランションはひどい、権力欲の塊だ、と、熱心に内輪話を暴露し始めた。

メランションの是非をめぐっていろんな意見が飛び交った。
国際情勢の把握についてはメランションが一番まともだという人は多い。

私は5年前にはなかなか説得力があると思ったことはあるけれど、なんだかアクの強さが鼻についてきて、信用できなくなっていた。

ル・ペンが政権につくことは間違ってもないだろう、しかし2002年のシラクとル・ペン(父)の決選投票のようにル・ペンの反対票が80%以上もシラクに集まって、シラクが「勘違い」したようなきっかけをフィヨンに与えたくないから棄権する、というのがエリカの意見だ。

フィヨンの妻の収入についての調査がはやばやと始まったらしい。
正直、清廉潔白を売り物にしているから打撃は大きそうだ。
もちろん反フィヨン派は大喜びで飛びついているが、やればやるほど、女性差別と妙な嫉妬の匂いも漂ってきた。

弁護士の資格を持ちながら、一度も働かずに5人の子の母、というイメージだったのが、数年間にわたってトータル5千万円以上(?)の収入があったというのが不当だという感覚があるらしい。

フィヨンは、妻が実際に仕事をしていて、収入も申告しているのでやましいところはない、と言い、上院議員だった時には特定の問題で弁護士である自分の息子2人に仕事としてアドヴァイスをもらい支払ったこともある、と付け加えた。このことが後から取りざたされたら困ると思ったのだろうか。
でも、そんなことを言われるとつい検索して、彼の議員時代は2005-2007、当時、息子のうち年長の2人は21-23歳くらいと分かり、学生のアルバイトじゃないか?とかえってうさん臭く感じる。(追記あり)

それに比べて、前にも書いたが、マリーヌ・ル・ペンの方は、何度連れ合いを変えても、子供がいても、女性差別的な批判は受けない。

と言ってももちろん父親との関係をはじめとして極右として突っ込みどころは多すぎてさんざんたたかれているので、一回りしてある種のクリーンさを獲得しているのは奇妙だ。

トランプがどんな暴言を吐いても、それが人柄の真摯さだとか正直さ、率直さだとかと支持者の目には映ったこととどこか似ている。

もっとも、ル・ペンは、トランプのように、演出なのか何か知らないが、「下品で頭が悪い」と揶揄されるような態度や言辞をふりまくのとは対極に冷静で堂々としている。

ル・ペンの怖さは、党首のマリーヌ・ル・ペンも、実質ナンバー2のフロリアン・フィリポも頭が切れるということかもしれない。

それをいうなら、どんな階級の人だって、フランス人には、馬鹿にはなり切れない「外面」がある。
開き直り、というのがわりと下手な人たちだ。
ポピュリストたちもそれをよく心得ているから、アメリカなどとは戦略も違ってくるのだろう。

これで4月あたりにあらたなテロがフランスで起こったら? 
ほんとうに排外主義が勢いをつけて何が起こるか分からない。

それにしても、「フィエの振付譜を見てペクールのブーレを踊る」場所の更衣室で「天下国家」が論じられるのは本当にフランス的だ。
日本のカルチャースクール、スポーツクラブ、各種のダンス教室などでは想像できない光景だと思う。

トリオの仲間とはなんでも掘り下げて語りあう。

カルテットの仲間とは、世相の話はしても政治の話は少ない。弾いている音楽に即癒されてしまうので、音楽賛美の言葉ばかり出てくる。

ペプッシュ(Pepusch)のトリオ・ソナタは美しすぎて泣けてくる。ブランデンブルグの第三楽章も弾いていて気持ちがいい。拍と強弱のバランスさえ注意して後はひたすら弾いているだけで、それなりの満足が得られる。本当はバイオリンもビオラも後もう一人とチェロも一人必要なのだけれど、とにかく音が途切れる部分がないので、バイオリンとビオラ2台だけで十分楽しめるのだ。

今日はラモーを3曲練習した。『ダルダニュス』のタンブラン。
こんなに軽やかだ単純そうに見えて、成功で知的な工芸品のような作りでしかもエレガントで独特の色や香りを持つ曲はラモー以外には絶対に書けない。

トリオのMは、大統領選は、原発即時廃炉だけを基準に投票すると言っている。
それもありかもしれない。
美しいものをいつまでも味わえて伝えていける社会が続くには、地球がバランスよく存続してくれないと困る。

(追記: トリオの練習の時に、フィヨンの子供への報酬についての検索結果を話したら、Mから、その日のル・モンド系のネット記事にもそれが取り上げられていたとリンクが来た。

私は息子2人と聞いたと思ったのだが、その記事によると、現在弁護士なのは長女と長男だそうで、もちろんふたりとも、フィヨンが議員だったころはまだ学生だったとある。それに対してフィヨンは、「今弁護士である子供たち」と言うつもりだったので、当時弁護士というのは言い間違いだった、と言っているそうだ。

妻については、議員アシスタントとして月7900ユーロ、その後、フィヨンが政権を去った後で20ヶ月間、ル・モンド誌から月5000ユーロ支払われたが、文学作品についての記事を2本出しただけ、だとかいうそうだ。
いずれも、フランスの公務員の平均サラリーの倍以上ということで、まあ、「裏切られた」という感じを持つ人がいるのは理解できる。中途半端な清廉潔白に向けられる目は厳しい。トランプの妻ならいくら稼ごうが使おうが文句を言われないだろうが。

でも、日本で言えば去年の舛添前都知事のスキャンダルもそうだったが、別に弱者を虐待したとかハラスメントだとか公金の明らかな横領というのでなければ、この主のトピックがあれよあれよという間に広まって攻撃材料となっていくのを見るのは気分が悪い。「罪なき者、石もて打て」っていう言葉が聞こえない人って多いのかなあ、と思う。)
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by mariastella | 2017-01-28 03:53 | フランス

フランス大統領選 レバノンのマクロン

私の仲間たちは大統領選でマクロン支持に傾いている。

社会党の予備選を無視したマクロンがひそかにオランドの祝福を受けているというのは先日のレバノン行きで証明されたかのようだ。在レバノンフランス大使館に泊まって大統領にまで会っている。
経済には強いが外交政策は未知? と言われるマクロンの外交力を印象付ける感じだろう。

後は、やはり若さと、セクシーさが人々を引き付ける、といわれる。

マクロンは私には別に好みではないけれど、確かに、ヴァルス、アモン、メランション、フィヨン、ル・ペン、サンダース、クリントン、トランプ…と並べてみると、これらの人々はあまりセクシーな感じはない。
オバマにはそういうアピールがあったのかもしれないけれど。

ミーティングで新興宗教の教祖のように声を嗄らして張り上げていたのも、冷たさを払拭する真摯な感じだとか言われていた。

レバノンについての記事はフランス語を読める方はこのサイトをどうぞ。

このサイトは、「風たちぬ」というユニークなサイトで、注目できる。

フィヨンの方は、ウェールズ人の奥さんが、「専業主婦」として昨年10月にも「夫の政治に介入したことは一度もない」とコメントしていたのが、数年にわたって夫のアドバイザーとして給与が支払われていたということを、今日(1/25)の「カナール・アンシェネ」が書き立てている。

いつも夫のそばで協力していたという証言もあるし、相談にのったからと言って「介入する」とは言えない、とか、配偶者が秘書的役割を果たして給与をもらうのは右派左派を問わず一般的に行われている、とかいろいろ反論もあちこちでコメントされてきた。

フィヨンはもう早々と「飽きられてきた」のだろうか。

政党抜き(でも大統領に好かれている?)で突っ走るマクロンがやはり魅力的に見えるのだろうか?

今日は社会党予備戦の決選投票前の最後のディベートが公営放送で中継されるけれど、私はArteでウェス・アンダーソンの『ダージリン急行』(2007)を見るつもり。
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by mariastella | 2017-01-26 00:28 | フランス

トランプ就任式の報道の差

前に就任式の中継を見て記事を書いた翌日、日本のメディアの報道を少し見た。

「反対派のデモの一部が暴徒化した」という感じの記事が割と目立ったのが気になる。

もちろんフランスの報道でも、襲われた銀行とか催涙弾とか、いろいろ報道されていたけれど、あれはフランス的に言っても、「デモの一部が暴徒化」したのではなく、最初から「暴徒」が侵入したのが明らかだった。
残念ながら、フランスでも、どんな種類のデモにだって必ず現れる「便乗型暴徒」である。

もちろんだから大したことではないというわけではないけれど、フランスの報道では、平和裏にデモをしていた反対派もトランプ信奉者も互いをリスペクトしあっていて、衝突、摩擦は起こらなかった、と強調していた。

第一、反対デモにやってくる人と、トランプ支持で地方から出てきた人たちというのは、互いに初めて見る異星人のようなもので、いがみ合うほどの接点がないというのだった。

そして反対派にとっても、伝統的に就任式の政権交代の成功は「アメリカン・デモクラシー」のピークだとみなされている上に、次の日に大規模デモを予定していたのだから、当日に秩序を乱すという発想はない。

しかしこういう便乗型暴徒が必ず繰り出してくる光景というのは、日本人には理解できないと思う。
日本人って行儀がよくて、「行儀の悪さ」への想像力がなかなか働かなくなっているのかもしれない。

もう一つ、不法移民を追い出すとかいうトランプのディスクールについて、フランスの解説者が、次のようにコメントしていた。

もともとアメリカとフランスでは、移民という言葉の含意が違うんですよ。

フランスでは移民は、労働力がほしい時(炭鉱労働者をアルジェリアから受け入れるなど)に旧植民地(つまりフランス語を解する人)から来てもらった人たちか、経済・政治難民など自国にいられなくなって着の身着のままやってくる人たちのようなイメージですが、

移民の国アメリカでは、移民とは「働く移民」です。努力して働かない移民は認めない、必死で働く移民だけが認められるというのがベースにあるんです。

という趣旨だった。 なるほどと思う。

この感覚はむしろ、フランスと日本の方が似ているかもしれない。

「移民ではない生粋の自国人」みたいなアイデンティティの幻想があって、

「困難を抱えるよその国からやってくる移民」をどこか見下しているのではないかと思う。

日本やフランスの極右の排外主義と、
アメリカがアメリカ・ファーストだとか言っている時の排外主義とは、
ポピュリズムの煽り方が微妙に違うのだろう。

さて、フランスでは社会党の予備選の決選投票が、ヴァルス対アモンに決まった。

ヴァルスが、

本選になったら第一次投票で敗退確実のアモンか
勝利の可能性がある自分か

という言い回しでアピールしていたのは情けない。
これでアモンが代表に選ばれれば、ヴァルスは「さあ、皆さん、アモンのもとに団結しましょう」なんてしらじらしく言えるのだろうか。

どちらが選ばれてもオランド大統領の積極的支持を受けられない可能性もある。
オランドはマクロンを支持したりして。

マクロンとヴァルスの政策は似ていて、民主進歩主義みたいな路線である。
社会党的な部分はソシエタルだけだ。

アモンの政策はメランションに近い。

今回アモンがヴァルスを抑えてトップだったのは、なんだか、アメリカ民主党の予備選で、サンダースを選ばずにクリントンを選んだことでと本選でトランプに敗れた教訓を生かそうとしているかのようだ。左派だから左派らしい政策を、ということで。

けれど、アメリカならサンダースが選ばれていれば本選は「トランプ対サンダース」だったろうだが、フランスではたとえアモンが選ばれても、本選で「アモン対フィヨン」になる可能性は限りなく少ない。左派にはマクロンもメランションもいるのだから。

水曜のディベートで「本選」を視野に入れた言葉がどのくらい出てくるのかが見ものである。
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by mariastella | 2017-01-24 01:36 | フランス

フランス社会党予備選

フランス社会党の予備選も、共和党にならってか、候補が7人で、うち女性が1人だけ。

10日間で3度も公開ディベートがあるあわただしさで、1度目が12日の夜にあったが、盛り上がりはなかった。

それと並行してマクロンやメランションがミーティングで盛り上がっていた。

社会党と離れて中道左派を行って大人気の若いマクロン。
彼の周りに集まる人々が本当に投票所に出かけるのかどうかは問題だ。

社会党との共闘にうんざりして「本当の左派」を行くメランションは5年前より人気がある。

左派はこの5年間の社会党政権にうんざりしている。社会党予備選に出ている7人のうち4人までがヴァルスを含めて現政権の大臣経験者だから、予備選で勝って正式な社会党の候補になったとしても、4月末の決選投票にまで進める確率は少ない。
今の社会党は、ENA出身のエリート中心のエスタブリッシュメントが采配を振るってきたから、「民衆」から見放されている。

ここで、メランションのような「真正左派」のような受け皿に、「民衆」が向かうのならいいけれど、それがないとマリーヌ・ル・ペンのような極右に向かう。
アメリカの民主党予備選でバーニー・サンダースに希望をつないでいた人たちの票が、サンダースが敗れてからトランプに流れたことの二の舞になってもおかしくない。
実際、メランションとル・ペンの政策は重なって、この両極の二人がアンチEUと言っていい。その意味で逆に、ル・ペンの票を回収するかもしれない。

けれど、アンチEUではない「慎重で常識的な」左派は、そうするとメランションに投票することは控えるだろう。
でも社会党にはノンを突き付けたい。
かといって共和党のフィヨンには原則として投票したくない。

そこで、マクロンの登場。
しかしマクロンもついこの前までオランド政権の経済相だった。
ネオ・リベラリズム財界との相性もいい。
社会党に愛想をつかした「民衆」がマクロンなんかに投票してもいいのだろうか。

しかし、民衆がうんざりしているのは共和党・社会党にかかわらずここ20年の政権の無能さだ。

民衆が期待しているのは「変革」。
ラディカルな変革は、近代革命の旗手だったフランスのお家芸でもある。

それなら、経歴にかかわらず、わずか38歳のマクロンは、大いに「新しく」見える。

フランス革命が始まった年、ダントンが30歳でロベスピエールは31歳だった。ナポレオンは35歳で皇帝になった。マクロンはそれを意識しているし、それが伝わっている。

社会党予備選の第一回目のディベートは、かれらの間で互いを批判しない、という申し合わせがあるようで、上品だけれど覇気のないものだった。
まあ、社会党の現政権が不人気だと分かっているのだから、下手に批判すると藪蛇でもある。

番組後の視聴者アンケートではヴァルス、モンブール、アモンの三人が有力とか。

この3人を見てフランスっぽいと思うのは、プライベートだ。

ヴァルスがスペイン生まれでフランスに帰化していて、連れ合いは有名なヴァイオリニストだ。

モントブールは女性にもてて、最初の妻が貴族。他に女優、ジャーナリスト、元大臣などの女性と関わっている。

アモンの連れ合いはデンマークとカタルーニャのハーフのエリートで、高級ブランド・グループLVMHで要職についている。

アメリカならヴァルスなど大統領選に出る資格もない。他の候補もいろいろ言われそうだ。

ヴァルスの攻撃的な雰囲気は今やサルコジを彷彿とさせるし、アモンは大統領という雰囲気ではない。

「見た目」だけで言うとヴァンサン・ペイヨンが一番「大学教授風」の品格で、こういう人が、軍事と外交と共和国の統合という本来の大統領ポストを守って、内政はもっと民主的なシステムにすればいいんじゃないかと思ってしまう。

ともかく「社会党」は、右をマクロンに左をメランションにはさまれて、今の政権政党だというのに、冷ややかに見られている。

本選でマクロンが選ばれればまさにマーケティングの勝利だなあと思う。
今の時代の「若さ至上主義」もベースにあるかもしれない。

ともかく、来週の今頃は、社会党予備選の決選投票に出る2人が決まっている。
その2人のディベートには少しまともに耳を傾けるつもりだ。
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by mariastella | 2017-01-15 02:09 | フランス

ベルナノスの言葉 その2

<< Les dernières chances du monde sont entre les mains des nations pauvres ou appauvries. C’est, en effet, la dernière chance qui reste au monde de se réformer, et si généreuse et magnanime qu’elle puisse être, une nation opulente ne serait pas capable de mettre beaucoup d’empressement à réformer un système économique et social qui lui a donné la prospérité. Or, si le monde ne se réforme pas, il est perdu. Je veux dire qu’il retombera tôt ou tard à la merci d’un démagogue génial, d’un militaire sans scrupules ou d’une oligarchie de banquiers. >> (Le Chemin de la Croix des Ames)

「世界の最後のチャンスは貧しい国、貧しくなった国々の手にある。富める国はたとえどんなに寛大であっても、自らの繁栄をもたらしてくれた経済と社会のシステムを改革するのに本気でとりくむ力などない。しかし、世界は、変革しないなら、滅びる。遅かれ早かれこの世は巧みな扇動者、勇ましい軍人、少数の金融業者たちの意のままになってしまうということだ。」

この言葉も、まるで今の世界についてのコメントのようだ。
というより、もう、遅いんじゃないか、世界はもう扇動者や軍産共同体の意のままに動かされているのではないかという気もする。
でも、先日書いたベネズエラの「エル・システマ」だとか、キューバの医療制度とか、新自由主義経済の恩恵を受けていない貧しい国で新しい取り組みがなされてきたのは事実だ。

今、これらの国のシステムは揺らいでいるけれど、大国や大資本にすべてつぶされていくのではなく、問題提起が続いてくれるように 願うばかりだ。
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by mariastella | 2017-01-05 02:24 | フランス

ベルナノスの言葉 その1

ジョルジュ・ベルナノスは60年の生涯の中で第一次大戦と第二次大戦の両方にしっかり遭遇した。そのせいで、フランスやヨーロッパや政治や宗教について観察し考え抜いた人でもある。今聞いてもなるほどと納得できる言葉がたくさんある。

<< Une Démocratie sans démocrates, une République sans citoyens, c’est déjà une dictature, c’est la dictature de l’intrigue et de la corruption. >> (La France contre les robots)
「民主主義者抜きの民主主義、市民抜きの共和国は、すでに一つの独裁だ。謀略と腐敗の独裁である。」


主義や理念だけ掲げていても、その実践者が内部で常に生きた対話を通してそれを更新続けなければ、残るのは私利私欲にとらわれた「独裁」と独裁者による支配だ。

共産主義も社会主義もそうやって壊れていった。
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by mariastella | 2017-01-04 03:34 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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