L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 162 )

サルコジがバクダッドに行った

 暴風のせいで閉鎖されているパリの空港からヨルダンに発ったサルコジが、バグダッドに寄ったことがニュースになった。

 オバマと違う路線、フランスがアメリカの機嫌を伺わなくても動けることのアピール、という感じである。

 オバマが就任してすぐに「国際電話」したのは、一番熱い情勢の中東諸国だったとニュースで言っていた。

 その次の日に電話したのは、伝統的に同盟関係の強い3国、イギリス、カナダ、サウジ・アラビアだそうだ。

 そしてやっとその次の日の3国が、2003年のイラク派兵でアメリカにたてついて3国干渉をしたロシア、フランス、ドイツなんだそうだ。

 このように、フランスのメディアが皮肉っぽく言っていたのを前に聞いたのを思い出す。

 私は日本人なんで、じゃあ、日本はいつだったんだろう、と反射的に思った。

 カナダだって、イラク派兵に反対していたはずだ、とも。

 同盟国としてサウジ・アラビアがしっかり入るのなら日本もこの2日目あたりに入ってもよさそうだけど、石油が出ないし宗教ロビーもないし・・・

 今思い立って、ネットで検索したら、麻生首相はオバマ大統領と1月29日の朝に初の電話会談、と出て来た。 就任からまる1週間以上経ってるなあ。

 まあ、フランスに対するアメリカの牽制やフランスのアメリカに対する憧れと侮蔑の混ざったような複雑な感情とか、中央集権と連邦制の相入れないところとか、ヨーロッパの威を借りて対抗するやり方とか、この2国には、独立宣言だのフランス革命だのにまで遡るそれなりの理想の共有というか、幻想の歴史があって、黒船開港に始まって原爆、占領と核の傘を経た日米の歴史とは別物なんだろうが。

 とにかく、フランスでは、オバマが3日目にやっと電話してくれた、ってことが、皮肉に分析されていたわけだが、日本ではそんなこと、あまり取りざたされていなかったのだろうか。私には分からない。

 オバマの就任と言えば、最初のスピーチにあった我われはキリスト教徒とイスラム教徒とユダヤとヒンドゥと無宗教者の国、っていうくだりも、フランスではあり得ない言い回しだ。

 マイナー宗教はもちろん、仏教もないがサイエントロジーもないね。
 微妙だ。

 もっと微妙なのは「無宗教」というところで、これを、宗教原理主義的アメリカの信教の自由の進歩、と見る向きもあるが、少し前の大統領選のアンケートによると、大統領になるチャンスがもっとも少ないのは、女性より、黒人より、同性愛者より、「無神論者」だった。

 atheist って、蛇蝎のごとく嫌われてて、アメリカ的な政治的公正に反するといわれんばかりだ。

 キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教は、「神」がいて、信者は、「神」を信じている人たち、で、めでたくまとまる。しかし、仏教は「神がいない」という意味で無神論的宗教だとか処世術だとか哲学だとか見なされることが多い。

 しかし、無神論者というレッテル貼りはタブーでもあるし、まあ、ここは、アンケート調査などでは欧米で最近増えてきた「無宗教」が使われた。

 特定の宗教を信じていない、という意味でもあるし、特定の宗教団体に属していない、という意味でもある。

 オバマの演説では Non-believers 、フランス語訳では Non-croyants で、これは無宗教というより、「信じていない人」だ。「不信心」という意味では、洗礼は受けたけど教会に通ってない、冠婚葬祭だけのコミット、という人も入るのだろう。
  「無宗教」といわれる多くの日本人も、冠婚葬祭の宗教行事や縁起物の神頼みはするので、神道の信者とか仏教徒と言われるより、non-believers のカテゴリーとまあ重なるのかもしれない。

 しかし、無神論者ほどではないが、モラル的な非難も多少含意される言葉だ。

 フランスなどでは、政教分離の歴史の中で、むしろインテリっぽい響きがある。

  Athee と言えばさすがに過激だが、non-croyant とか agnostique とか言えば、中世的宗教の蒙昧を開かれた自立した人間というニュアンスもある。

 それに、オバマのスピーチは、なんといっても、どうせ、

 God's grace upon us とか言った後、

 God bless you. And God bless the United States of America.


 で締めくくられるのだから、その点で、日本やフランスの感覚とは断絶している。

 アメリカでは、ヒンズー教でもなんでも、God という言葉を共有できていないと落ち着きが悪い。
 「無神論者」に恵みを注ぐのはさすがのGodにも容易ではなく、でも、信心の浅い、節操のない「無宗教者」程度だったら、God の恩恵を共有できるのかもしれない。

 そんなニュアンスもこめて選ばれた言葉なんだろうか。

 住んでるのがフランスでよかったよ、と思うのは、こんな時である。
[PR]
by mariastella | 2009-02-10 22:05 | フランス

フレンチ・テイストってなんだろう

 フランスに戻ってからフランス映画を2本見た。

 対照的な2本だ。

 ひとつは主演女優がすべてを支えるコメディで、
 もう一つは主演男優がすべてを支えるスリラー。

 どちらも、とてもフランス的だ。

 フランス的って、一体なんだろう。

 前者は、Etienne Chatiliez の 『Agathe Cléry』 ミュージカル仕立て。

 ヴァレリー・ルメルシエ(Valérie Lemercier)がとにかくうまい。

 白い肌用のスカンジナヴィアという化粧品売出しを担当しているキャリアウーマンであるヒロインがAddison病にかかって、肌が黒くなる。この病気は実在するらしく、ジョン・F ・ケネディも罹っていたらしい。腎臓系の免疫病。

 で、ヒロインのアガトは、もともと黒人もアラブ系も差別しているレイシストだった。
 その彼女の肌が真っ黒になり、職も解雇され、新しい職につくのも困難になる。

 結局、白人を雇わない逆差別の会社に入り、そこの黒人社長と恋仲になったところで、突然病気が治って、また悩むというどたばたなんだが。

 いわゆる社会派コメディなのだが、その差別ネタがすごーく微妙で、人種別ロビーイングの発達してるアメリカなんかではちょっと作られないし、実態もかなり違う。

 フランスでは白人ヨーロッパ文化がしっかり基盤にあるところに移民やグローバル化でさまざまな差別などの問題が生まれてきている。にもかかわらず、アメリカ風のプラグマティックなコミュノタリスムを拒否してユニヴァーサリズムでゴリ押ししているという国ならではのギャグが満載なのだ。

 普通の日本人が見たらその機微が多分わかんないだろうけど。
 
 その居心地の悪さや意地悪視線こそ、この監督の持ち味なんだけれど。

 でも、ヴァレリー・ルメルシエが、白人の時も、黒人の時も、輝いてる時も泣いている時も、とにかくかっこよくて、彼女の才能と個性が文脈やストーリーにあるわだかまりを吹き飛ばしてしまう。

 また単純に考えても、顔立ちが変わらないのに皮膚の色だけがラディカルに変わるだけで、人はこれほどアイデンティティが揺らぐのかというのはあらためて衝撃的だ。 
 しかも服を着てるから、皮膚の色なんて、ほんとに顔と手くらいなんだけど。
 だとしたら、シワやしみ一つで女性が大騒ぎするのも無理はないのか。

 Bluemanというパフォーマンスがあるが、彼らは頭もスキンヘッドをブルーに塗っている。
 でも、顔立ちは白人で、体格もいい。ブルーマンが小柄な黒人やアジア人とか、プエルトリコとかの特徴を持っているって、興行コンセプト的にないような気がする。青いからこそ、白人男性型アンドロイド、みたいな倒錯的差別感を隠してるのかもしれない。

 黒髪の日本人にとっては、歳とって総白髪になる変化もラディカルだ。
 実際、プラティナ・ブロンド系の人は、白髪まじりになっても目立たない。
 しかし、髪の方は、歳にかかわらず、色をころころ染め替える人も多い。
 昔の日本人は白髪染めしかなかったけど、ヨーロッパでは昔から神の色は帽子の色みたいなファッションの一部だったし。

 黒髪の日本人がある日、金髪で現れたら、人は、単に、髪を染めたんだなあ、と思う。
 でも突然まっ黒い肌で現れたら? すぐにはその人だと認めてもらえないかもしれないのだ。

 外にさらしている肌というのは社会的だからだ。
 大きい絆創膏をして現れるだけで、場合によっては釈明を要求されたりする。
 差別とか個性とか偏見とはなんだろう、と、考えさせられる。

 2本目は、

 Fred Cavayé  の デビュー作『Pour elle』
 タイトルからしてフランス的だ。

 ヴァンサン・ランドン(Vincent Lindon)が主演。

 妻子と幸せに暮らしてたリセの国語教師の生活が一変する。
 妻が冤罪で20年の懲役刑になったからだ。
 主人公のジュリアンは、妻を脱走させて、息子と3人で国外逃亡を企てる。

 痛快といえば痛快だが、このVincent Lindonという俳優は、アンチ・ヒーローとまではいかないが、すごく普通のフランス人である。つまり、全然アメリカ人やイギリス人やゲルマン人やラテン人に似ていない。堅固とか頑健とか陽気とか峻厳とかマッチョとかではなく、少し軽目でいいかげんな男。
 映画の最後にも、警察が驚いて、こいつって、リセの教師だぜ、「Monsieur Tout le Monde 」(どこにでもいる男、只野ひとしさん)なんだ、と慨嘆するシーンがあるが、この「普通のフランス人」ぽさの変身が、ストーリーを支えてる。

 スーパーマンが私生活ではちょっとな情けなかったり、という「影のヒーロー」的シチュエーションは結構アメリカ的だと思うけど、Vincent Lindonはちょっと違う。サム・ペキンパーの『わらの犬』なんかでおとなしかったダスティン・ホフマンがきれてしまうようなのとも少し違っている。

 その辺もフレンチ・テイストとしか呼びようがないんだが。

 
[PR]
by mariastella | 2009-01-11 21:06 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧