L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 214 )

フランスのテロの続き

人質事件(これを書いている時点では同時発生している人質事件は解決していない)のテレビ中継や先日のシャルリー・エブドに関する分析だのオピニオンだのを追いかけるのにかまけていてメールに返事を出さなかったら、複数の知人たちから「大丈夫ですか」と心配の声をかけてもらったので、ブログを更新しておく。

今回のテロは今の「イスラム国」型でなくアルカイダ系だとは言うけれど、その方法などはやはり1995年のパリのテロや2001年のNYなどとはもう隔世の感がある。実は、個人的な心配という点では、メトロで不審な荷物があれば爆発物ではないかと恐れた頃よりは不安が少ない。2012年のトゥールーズも、今回も、軍人、警官、ジャーナリスト、ユダヤ人など、攻撃目標が決まっているようだからだ。

 「フランスの9・11」ということで、9・11との比較も多い。

今回は、ツイッターなどで、「よくやった」とテロリストを称賛するような書き込みも少数派とはいえ上がっていて、それも取り締まれと息巻く人も多い。イスラム過激派に与するようなものだけではない。
シャルリー・エブドは68年5月革命の流れをひく「インテリ=左翼= 無神論」系の過激派なので、例えば保守派大統領やローマ教皇などはムハンマドなどよりはるかに激しく揶揄され、笑いものにされ続けてきた歴史がある。
そのことで名誉棄損を訴えた党派ももちろんあるし、それを恨みに思っていた人たちが、過激派だから過激派に報復された、挑発しすぎた、自業自得だ、というような論評を小さな声でしたり、匿名でツィートしたりしているわけだ。

同じくカリカチュアを多用する風刺新聞でも「カナール・アンシェネ」の方が穏便で、私はシャルリーもたまに読むが、確かに下品で絵が汚いと感じることが多かった。

それでも、主力を根こそぎ奪われたシャルリーを存続させようと、翌日にはもう35の自治体が年間購読を申し込んだそうだし、人々は、「もしあなたがシャルリーを読んだことがなくても、嫌いでも、年間購読を申し込んでください、なぜならこれはフランスの言論の自由、すなわち共和国の理念に仕掛けられた戦争なのだから、シャルリーを救うことはレジスタンスなのです」と言い合っている。

これがフランス的だ。

9・11のブッシュもすぐにこれは戦争だと言って戦線布告したが、戦争だと言うとアフガニスタン空爆のような攻撃にすぐ訴えるアメリカとちがってフランスは戦争というと「レジスタンス」というリアクションが伝統になっているように見える。

確かに、国が命じる戦闘よりも一人一人に訴えるレジスタンスの方が長い目で見るとよい結果をもたらす。

今回の風刺画家の死で、風刺画家についてのドキュメンタリー番組も放送されたが、それによると、アメリカでは、9・11の後、ブッシュの「十字軍」発言の後でも、風刺画家たちはかなり自粛を要求されたようだ。彼らは、もともとアメリカにはそのピューリタンの伝統や、アングロサクソンのメンタリティのせいで、度を超えた風刺がなかなか出にくかったのだと言っていた。

それに反テロリズムの「挙国一致」体制を要求されればブッシュを笑い飛ばしたり政府を批判したりすることにはかなりのヴェールが掛けられたと言うのが理解できる。

それに対してフランスはもともとローマ・カトリックと関わる旧体制を革命で打倒して共和国を打ち立てたというアイデンティティがあるので風刺画やジョークは過激になることが可能だ。もちろんヘイト・スピーチのようなものはとりしまられるわけで、シャルリーも、自分たちは宗教や宗教者が政治にかかわる時にだけ批判しているのだ、と言っていた。カトリックに関しては宗教そのものも揶揄されるが、それはフランス文化の一要素だといってもいいだろう。

後、フランスらしいと思うのは、全国一斉に、例えば高校生たちのSMSなどでの暴言に対して、リセの哲学の教師が緊急にこの問題について生徒と話し合ったり、小学校低学年の生徒にも、何が危機にさらされているのか ? と尋ねて「言論の自由」と答えさせたりしているところだ。日本語では「言論の自由」というと漢語が二つ並んで難しいけれどフランス語なら子供にも分かる言葉なのでそれは少しうらやましい。

ユーモアの自由、笑う自由が侵されたこと、ジャーナリズムが攻撃されたことでメディアは猛烈に憤り反発しているのだが、他のカリカチュア作家たちやユーモリストたちがいっせいに、笑いをとりながら立ち上がるのも今回の特徴である。国民的漫画アステリックスの作家も引退しているにもかかわらず、特別にイラストを提供した。

表現者に表現をうながすテロとなった。
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by mariastella | 2015-01-10 01:10 | フランス

寒波とホームレス

年の瀬。

急に冷え込んでいる。

田中龍作ジャーナルで渋谷区が野宿者を公園から締め出したという記事を見てショックを受けた。

私はフランスに住んでいて比較文化的なことを書いているから、ときとして「おフランス礼賛」トーンになるのではないかと誤解されるのだけれど、「フランス文化人」は中華思想でなく自虐好きだし、私も別にフランスが全体的に日本よりましだと思っているわけではない。

でも、ホームレス対応の差にはショックだ。

フランスでもともとの例えばカトリック修道会系の福祉事業の発達しているのは別としても、少なくとも、1954年の厳寒のパリでアベ・ピエールが発した連帯の呼びかけはいまだに有効で、政権が代わっても、これだけはアイデンティティになっている部分がある。

今年も寒波が来て以来、パリ市内の体育館が3週間単位でローテーションを組んでホームレスに簡易ベッドを並べ、暖かい食事や医療を提供し始めた。日本で公立の体育館が避難所になるというと台風や地震などの災害の場合だけの印象があるけれど、この季節のパリのホームレス避難所として体育館は大活躍だ。受け入れは男女別または家族用になっている。

パリ市のいくつかの区役所(1,3,4,11,15区など)もホームレス収容の場所を提供しているし、ホームレスでなくても一般の生活困窮者のために暖かい食事を提供する場所はたくさん稼働している。

SOSの無料の115番というのがあって、休みなしの24時間対応のそこに電話すると、心理的、身体的、社会的困難に応じてしかるべき場所に誘導してくれる。

昔は夜露だけをしのぐ場所の提供が多かったが、今は昼間も残れる避難所が増え、20くらいのNPOが七つの食堂で1000人以上分の夕食を炊き出している。

パリ市社会活動センター(CASVP)では現役を引退したボランティアの医師が無料診察を常時引き受けている。
単に寝食を提供するだけでなく社会復帰のオリエンテーションや心理セラピストによるケアもある。

それでも社会格差は進み失業者やホームレスの数は増え続けているのだけれども、少なくともそれが「公的な問題である」という意識はある。

プロテスタント国ほどには個人による寄付文化は発達していないのだけれど、その代わり、たとえ財政赤字があってもともかく「国や公共団体が対応すべきだ」というコンセンサスがあるのだ。

フランスというと、出生率が回復して久しいので、今や半数以上に上る婚外子の権利保護はもちろん女性が子供を産み育てやすい環境整備や公的な援助の充実などばかりが「お手本」のように日本でも話題になるけれど、妊婦や乳幼児、乳幼児を育てる人という「社会的」な競争力や戦力のない弱者を守る政策と失業や心身の故障や老いなどで安全な生活基盤を失う弱者を守る政策は本来同じルーツを持っているものだと思う。

ホームレスの炊き出しが行われていた公園を次々と閉鎖するようなメンタリティで「女性が輝く社会」だとか「少子化に歯止めを」だとか言っても効果がないのは自明ではないだろうか。
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by mariastella | 2014-12-30 03:27 | フランス

市役所葬儀の法案

市民葬という法案がついに出てきた。

フランスは、「政教分離のチャンピオン」と自認している国だ。

それはただ、国が特定宗教に肩入れしないなどというものではなく、フランス革命まで国民の冠婚葬祭から教育、福祉までの生活すべてを仕切っていたカトリック教会のやっていたことをすべて国や市役所がする、ということと同義だった。

子供に代父、代母を登録する洗礼も、頼めば市役所で無料で市民洗礼をやってくれる。

教会での結婚式に代わって、すべての市役所には結婚式ホールがあって、市長や助役が結婚式を司式する。指輪交換も誓いの言葉もある。

その結婚証明書をもっていけば教会ではまた別に教会の結婚式を挙げることが出来るが逆のことはできない。

教育や医療などの多くが無料に近いことも社会活動型修道会のやってきたことを踏襲しているからだ。

ところが、葬儀だけはこのシステムが機能していなかった。

もちろん金のない人も公的共同墓地に葬られることはできても、葬儀というセレモニー自体は各自が各自の宗教、または無宗教で行わねばならない。

その点は、金がなくても、小教区の信者として教会に出入りしていれば、ちゃんと葬儀ミサをしてもらえる。そのせいか年取ってから突然教会に戻る人もいる。

ペール・ラシェーズのような公営墓地には、キリスト教のチャペル風ではあるが十字架などのシンボルがなくて、どんな宗教のセレモニーでもできるようになっている建物がある。無宗教葬儀をオーガナイズしてもいいし、仏教の僧侶を呼んできてお経をとなえてもらってもいい。

それが今回の法案では各市役所に葬儀用ホール(結婚式ホールを兼用してもいいらしい)を設け、市長などしかるべき人物が無宗教で葬儀を司式するようにできることになっている。結婚式と同様、無料である。

今はフランスでも友達葬だとか無宗教の葬儀をやる人も少なくないが、そのためには誰かが金を払ってオーガナイズしなくてはならない。

日本でも今は斎場があって、どこの宗派のお坊さんでも呼んでくれるわけだけれど、もちろんサービスは有料だ。

結婚式を見てみよう。

日本では結婚届にしかるべきハンコを押して市役所の窓口に届けるのが「籍を入れる」という正式の手続きで、後のセレモニーは、すべて個人がオーガナイズするものだ。

「結婚式」でさえ、仏式、神式、信者でなくともチャペルでなどほぼコスプレに近いような演出でもOKであり、法律とは関係がない。

法律的に籍を入れていなくとも「結婚式」で誓いの言葉をかわすのも自由だ。

披露宴となるとなおさら、社会的なパフォーマンスであって、消費主義経済の中では莫大な金がかかることも少なくない。

そういう「金のかかる結婚式」と「市役所の窓口に書類を提出」との差はあまりにも大きい。

フランスなら、一銭も使わずに、市役所で一番立派な結婚式ホールで、友人や親戚にたくさん出席してもらって「式」を挙げてもらうことが可能なのだ。

そう、冠婚葬祭という人生の節目はどんな共同体でも通過儀礼の一種だから、人は「お披露目」としての何等かのセレモニーを必要とするのだろう。

「結婚」には、二人の成人が家庭をつくって共同生活をするというコンセンサスがあるけれど、死んだ人を「送り出す」とか残された人を慰めるというセレモニーの方は宗教によって違う「死後の世界」の考え方によって微妙に変わるから、今まで国が介入しなかったのだ。

でも、無料、無宗教の「市役所葬儀」法案を導入するというのは、フランス風政教分離のロジックの帰結点であり、考えれば当然のことだと思う。今までなかったのが不思議なくらいだ。

まあ、誕生や結婚は心の準備をする暇があるけれど、「死」というのは時として突然訪れるし、残された者のショックが大きくて、とりあえず宗教にすがって伝統的にやる、というリアクションがほとんどだったので、市役所には「死亡届」だけですましていたのだろう。

でもこの法案が通ったら、結婚と同じようにまず市役所での葬儀セレモニーを済ませなくては教会の葬儀もできないのだろうか。それとも「オプション」としてあるのだろうか。まだまだこれから検討されるのかもしれない。

まあ個人的には自分自身の亡き骸など、密葬でも直葬でも何でもいいと思うし、簡単なものほどいい。

でも、「残される側」としては、飼い猫が死んでも、写真を飾って、花を飾って、蝋燭を灯して在りし日を偲び、どうか安らかにと祈る、というプチセレモニーなしには次の一歩が踏み出せない。

人間的な、とても人間的な「喪」というものをどのように「自由・平等・兄弟愛」の共和国理念に取り入れるのか、注目したい法案だ。
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by mariastella | 2014-12-17 00:58 | フランス

オランド大統領がプーチン大統領と会ったこと

12月6 日、フランスのオランド大統領がカザキフスタンを訪問した後1時間ほど足を延ばしてモスクワに行き、空港でプーチン大統領と会談した。

プーチンと会談するためにカザキフスタン訪問をアレンジしたのではないかと誰もが思っている。

8カ月で4300人以上の死者を出したウクライナ危機が始まって以来、モスクワでプーチンと会った「欧米」唯一の元首だ。すごい。

グルジア危機の時にサルコジ大統領も颯爽と出かけて最悪の事態を回避したことがある。
サルコジはリビアに攻め込んだし、オランダもマリに兵を出したし、フランス大統領が「アフリカの警察」さながらに軍隊を派遣するのは苦々しい限りで、近頃はオランドの顔を見るのもうんざりしていたのだが、今回のスタンドプレーには感心した。

フランスは経済システムの「自新由主義的な改革(規制緩和というやつだ)」が遅れていると、ユーロ圏の優等生ドイツのメルケル首相から近頃名指しで糾弾されている。

そのメルケル首相は旧共産圏の東ドイツ出身だからかロシア語がしゃべれて、プーチン大統領もドイツ語が話せる。で、二人は直接会話ができて、ドイツとロシアの経済関係も緊密だったし、政治的にもけっこう歩調を合わせていた。そのメルケル首相もウクライナ問題では、オバマ大統領に同調してロシア糾弾で硬化したままだ。

そんな時に、オランドが、軍艦売りたさ(ロシアから発注されたミストラルの配達を現在ストップしている)の一心かもしれないが、アメリカとドイツを尻目に堂々とプーチンを呼び出して会談してしまった。

日本の首相なら考えられない。

うーん、こういう時、フランスが第二次大戦の時に米ソと共にちゃっかり「連合軍」側としてドイツに勝利したという歴史が関係してくるのかなあ、と思う。

オランドは、(ベルリンの壁のような)壁が我々を隔てるのは避けなくてはならない、障害を乗り越えて解決をみつけるべきだ、解決を共に見つけよう、きっかけをつかむ時期はあるものだ、と言い、プーチンも「我々の会談はポジティヴな結果を生むと信じる」と答えたらしい。

なんにしろ、あらゆる紛争には、示威行為や軍事衝突の前に「話し合い」があるべきで、こういうことをできてしまうフランスのような国があって、経済成長だとか何とかいうのとは別の次元でそれを許してしまう複合的なヨーロッパのような地域があってよかったと思う。

ヨーロッパはいろいろな意味で満身創痍でもあり、そんな折、ヨーロッパ議会の議長マルティン・シュルツ(カトリック系リセで学んだドイツ人)が、ローマに行ってフランシスコ教皇にヨーロッパ議会で話してくれ、と頼みに行った。

教皇は11/25にストラスブールで演説し、人々は市民であり経済主体であるだけでなく超越的尊厳を持つ人格であるということがヨーロッパの根幹にある、を強調した。その「人格」としての人々が社会の中で権利と義務と共通善のもとに結びついているのだ、と言い、出席者に賛同された。

この教皇はアルゼンチン人だ。

こういう離れ業みたいなものとオランドの自由さも関係があるのだろう。

危機管理には多様な道があるべきだ。

正直いって、うらやましい。
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by mariastella | 2014-12-10 00:24 | フランス

国家の里子たち  des pupilles de la nation

フランスには「国家の被後見人」という制度がある。

私のバロック・バレーの友人で被害日本大震災のチャリティーコンサートでも踊ってくれたエマニュエルも父親が空軍で戦死または事故死(?)して国家の里子認定を受けた人で、子供たちのためにバロックの「踊れる森の美女」という物語をボランティアでやっている。そのつながりのネットワークは密なようだった。

それについてのドキュメンタリー放送を見て感心した。

第一次大戦の1917年7月に戦災孤児を救うために発足した制度で、第二次大戦、植民地戦争、その他殉職警官の孤児も含み「国のために死んだ」親の孤児だという裁判所の判定により「国家の被後見人」となる。出生証明書に「国家によって養子とされた」と記入される。

子供には2年に一度外套が支給されるなど物質的援助もあるし、必要なら優先的な養子縁組も得られるし、彼らのための教育機関もある。グルノーブルの全寮制中高一貫の空軍士官学校はその後各種グランゼコールにも進める。「国家の里子>現役軍人の子弟>民間航空事故の孤児」の順で優先権があって、生徒の70%を占める(後は司法官の子供、他の奨学生など)。

日本的な感覚ですごいなあと思ったのは、例えば第二次大戦の末期のノルマンディなどでアメリカ軍の空襲の犠牲になって死んだ民間人の子供たちも皆認定されていること、ロシアからフランスに亡命してきた後で母親がアウシュビッツに送られてしまった姉妹たちなどフランス国籍を持っていなかった子供にも適用されていること、などだ。 警察官の父を失ったある少年は、カリブ海にあるフランスの海外県であるマルチニク出身の黒人の父親と旧植民地からの移民であるアルジェリア人の母を持つが「フランスの子」として保護されて「すごーくフランス人」だと感じると言っていた。旧仏領インドシナ出身の女性もフランス人家庭の養女となった。

日本にも殉職者の家族にはいろいろな保障制度があるのだろうとは思うけれど、第二次大戦による多くの戦災孤児は、もちろん日本が敗戦国で占領されていたこともあるけれど、手厚く支援されたわけではないだろう。

カトリック系の修道会が養護施設をつくったり、そこに進駐軍が寄付したり、混血孤児を世話して学校まで作ったことで有名な聖公会系のエリザベス・サンダースホームがあったりしたのは知っているけれど、「国」がどこまで手を差し伸べたのかは知らない。

ましてや旧植民地の被害者は無視されたのだろう。
軍人ですら、連合国から「戦犯」のレッテルをはられて処刑されたら、他の戦死者と合同の慰霊を忌避されかねない空気だし。

敗戦国のドイツやイタリアの戦災孤児はどうだったんだろう。

こういうところに意外に国民性の本質が見える気もするので、いつか調べてみようと思ってここに覚書しておく。
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by mariastella | 2014-10-12 23:36 | フランス

よかったこと その1 ピエール・ローランが元老院で言ったこと

「イスラム国(こういうと国家があるように誤解されたりムスリム全体にも誤解を招いたりするので今は政府の声明や報道などでは略語から来たダーイシュが使われるようになった)」の脅威、環境破壊、地球規模の貧富の差の拡大、など、考え始めると暗澹とするテーマばかりで暗くなるので、最近嬉しくなった2人の論客について書こう。

アメリカがテロリストに「宣戦布告」し、フランスも同調して空爆を一度やったらフランス人観光客がアルジェリアで殺されたのでさらに戦闘強化を決意した後、2003年にアメリカ追随したイラク派兵が間違っていたと「反省」して迷っていたイギリスもそれに加わることをやっと決めた。

中近東のイスラム諸国も同盟しているという形をとっているが、国連などは完全に無力化の状態。

2002年の国連で堂々とアメリカのイラク侵攻に反対したフランスはなかなか気に入っていたのに、その後は右も左も、サルコジ、オランドと、NATOには復帰するし、アメリカに尻尾をふるし、「独立の心意気?」を見せたのは、サルコジが単独でリビア空爆を始めたりオランドが単独でマリに軍事介入したりする「アフリカの守護者」気取りにおいてだけ。

そんな絶望的な中でも、よく見ると正論を言い続けている人もいて、カトリック陣営だったり、極左だったりもう有名無実かと思っていた共産党だったりして、それを互いに認め合っているのもおもしろい。

以下にコピーした共産党のピエール・ローランが24日に元老院で行った演説は、カトリック系ブログで見つけたものだ

読んでいてすっきりしたので試訳を載せておく。

「サルコジの自由主義アメリカ偶像崇拝に捕らわれた自由主義保守派も、オランドの「政治的公正」に捕らわれた自由主義左翼も、嘗てフランスが今より強いわけではなかった時(2002-2003年が念頭にある)にそうであった自由電子(ポテンシャルがゼロで何ら束縛を受けていない電子)の役割を取り戻そうなどと今では思いもつかないだろう。(…)

ヴァルス首相が「致命的危機」「世界のセキュリティ」「価値観)などの言葉で議論を抑え込もうとする時、François Asensi(左翼戦線党)は、「国連の安全保障理事会がこれをもう一度扱うべきだ、それなしにはパリは、アメリカ政治の「アフターサービス」に巻き込まれることになる(…)、NATO支持派の逸脱が我々の外交方針に進出し続けている」と発言した。

元老院では共産党のピエール・ローランがこう発言した。

「アメリカ主導で展開された『テロリストとの戦争』が10年間混乱を拡大した後で、我々は教訓を得なければならない。すなわち、ジハディストのグルーブとの戦いが、彼らが成立することになった原因に向かわない限り、目的は果たされないと言うことである。

『テロリストとの戦争』には4兆ドルが掛けられた。

その結果は?

ジハディストのグループは1から14に増えた。

これらの軍事介入はすべて災禍を増やすものとなり、人々をさらに屈辱と悲惨に追い込み、テロリストのグループを強化することになったと正直に認めようではないか。(…)

問題は、行動すべきかどうかではない。もちろん行動しなければならない。

しかし、真の問題は、誰とどのようにしてこの蛮行をやめさせるのかということだ。

悪の根源を叩き、都合のいい時にはジハディストのグループを武器と物と人において支援してきたNATOに属する国家や同盟国の責任が問われなければならない。現時点において「イスラム国」が支配した油田から石油を買っている者の責任を問わねばならない。

(…)さらに、フランスがNATOの内部で、トルコや湾岸諸国のようなこの地域(中東)の強国を武器の販売相手として築いている密接な関係について議論しなくてはならない。

この現実に目をつぶったままでいられるものだろうか? 

テロリストたちを支援したこれらの強国が今は彼らと戦うと言うことにどれだけ信頼がおけるのだろうか?

シリア国内のクルドに対する「イスラム国」の介入に便宜をはかりつつ二枚舌を使うトルコのような同盟国をどうやって信頼できるのだろうか?

それでは、戦争の真の目的は何であるべきか。

それについてこそ議論を重ねなければならない。

アメリカは戦いが少なくとも3年と長引くだろう、と言った。

フランスも同じ年数を想定しているのか?
そしてその後は?

我々にはNATOが政治的解決をもたないこと、NATOとその覇権的戦略こそが問題の一部であることが分かっている。

ではフランスのとる戦略は? 

短期的、長期的な政治的落としどころは?

その政治的解決は中東地域のすべての国や権力者との不可避な対話を通してしかあり得ないのではないか?(…)

悪の根源を叩くというのは、我々が、国際秩序の保証人と自称する少数の欧米国のうぬぼれと共に(中東に)介入し続ける枠組み自体を解体することでもある。

他の選択肢が必要だ。

貧困を根絶し、健康、教育、住居、雇用、麻薬密売禁止などすべての分野におけるセキュリティの確立を目的とする、全体の発展と協働と連帯に基づいた別の政策が必要だ。(…)

国際法と地球のすべての国家の主権に基づく唯一の多極的枠組み(国連)を棄てることはアメリカに率いられたNATOの役割増大に利するばかりであり、冷戦終結後に犯された最大の過ちのひとつである。

フランスは自分の世界観を再び築くべきであり、NATO列車にしがみつくのをやめるべきである。

フランスの対外政策についての徹底的討論を両院において組織するよう願い、呼びかける。」



以上がピエール・ローランの発言要旨とそれを転載したブログの試訳だ。

2002-2003年にかけてのフランスの立場を支持してきた私にとって久しぶりに耳にした正論だったので、ここに紹介しておくことにした。

自由電子のたとえもおもしろい。フランスはそういうレッテルを大事にすべきだった。

長くなったので、私の心を少し明るくしてくれたもう一人の人物ジェレミー・リフキンについてはこの次に。
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by mariastella | 2014-09-27 20:21 | フランス

クルド、ジハディスト、理念と実際の乖離など。

書き留めておこうと言うことがいろいろあるのだけれど暇がないので、最近TVとラジオのニュースで見聞きした中の気になったことをいくつか忘れないうちに。

1.「イスラム国」に立ち向かうクルドの軍隊の前線に女性兵士が登場したというニュース。
この中の0:12くらいから見ることができる。
これによると、女性が前線に立つのはメリットがあると言う。

ジハードの軍隊は女性によって殺されたら天国には行けないので逃げるからだというのだ。

女性兵士がそう言っている。

ほんとうにそんなことがイスラムの教えの中にあるのか確認する暇はなかった。

でも突っ込みどころの多いコメントだ。

前戦にいるのが女性だと分かる前に敵が攻撃してくる可能性はあるし、第一、イスラム国の戦闘員がイスラム原理主義の人たちばかりだとは限らない。

よく知られていることだが、ヨーロッパの各国からもネットを通してイスラム国のプロパガンダに惹かれて「イスラム国」に合流する若者がかなりの数いて、その大部分は、「イスラムの教え」とか「天国」がどうとかではなくて、「戦い」「暴力」「武器」に惹かれ、ヨーロッパや社会でうまく生きられない恨みを晴らしたいなどのモチヴェーションでテロリズムに走るのだから、「女性に殺されて天国に行けないかもしれないリスク」なんて無視だろう。女性や子供を殺すことは平気でも。

でも、女性兵士が微笑んでそう語るとしたら、彼女らにそれを吹き込む男たちがクルド側にいると言うことで、彼女らもやはり洗脳されているのではないだろうか。違和感ありまくりのエピソードだ。

2.フランスには旧植民地系のムスリム移民やその子孫がたくさんいて、もともとは共和国の教育社会主義で「統合」政策をとっていた。

しかし二世三世(多くは親の国の国籍も持っている二重国籍者だ)の世代で失業率が髙かったり教育システムから落ちこぼれてしまったりした若者たちが少なくない。その中には、モスクや刑務所でムスリム過激派というアイデンティティを植え付けられて「聖戦」を鼓舞され、シリアやイラクに行って戦闘訓練を受けて現地で戦ったり、テロを展開するよう使命を帯びてフランスに戻ってきたりする者がいる。
ムスリム家庭でない「普通のフランス人」の子弟でもジハディストのサイトを見て鼓舞されてシリアに向かう高校生でさえ存在する。

たいていはまずトルコに出てそれからシリアなどに向かうので、家族や親族も彼らをトルコで見つけて帰国させるように必死だ。

で、フランスは、「聖戦」に向かった後でフランスに再入国する二重国籍者のフランス国籍を剥奪して入国拒否することにした。

しかし、二重国籍を持たずフランス国籍(基本的にフランスで生まれれば誰でも国籍が取得可能)しか持っていない者の入国を拒否することはできない。

そのようにして、「イスラム国」から戻ってきて再入国した「フランス人ジハディスト」が、昨日のニュースでは今120人いて、彼らのうち55人はテロ謀議などで収監されているが、残りは自由の身なので、警察が盗聴をはじめとして24時間監視している。その監視には1人につき30人の警察官が必要なのだそうだ。

日本などでは、アメリカの覇権主義が目立つおかげで、「旧植民地の警察」を自称するかのようなフランスのタカ派ぶりはあまり報道されないが、イスラム国からはちゃんと「敵」の筆頭グル―プに分類されていて、いや実は「敵のナンバーワン」とされているのでリスクは大きく、深刻だ。

3. その「イスラム国」制圧にはもうリアル・ポリティクスしかないということで、欧米がイランはもちろん、シリアまで協力態勢を築くなりふりかまわぬ状況にも驚く。

さすがに、「『欧米が介入しなかったから』この3年で20万人も自国人を殺しまくったシリア政権」と組むのはいかがなものかという人はいるのだが、

すると、

ヒトラーを倒すためには、何百万人も自国人を粛清してきたスターリンとも組んだではないか、

と返される。

もちろんもうすでに、アメリカはエジプトやサウジアラビアともしっかり同盟しているのだから、政治なんて理念よりもパワーゲームでしかないのだろうか。

それでも、目に見える「理念」を掲げておかないとすべてが崩壊するということもあり、新10ユーロ札にヨーロッパの語源であるギリシャ神話の王女エウローぺーの顔が登場した。

ユーロ札のデザインは、これまで、すべての文化的宗教的過去から離れた中立的なものにするという方針で建造物ばかりで、地図も、ユーロを使わない国やEU非加盟国もいれた「開かれたもの」になっていた。で、

「それがよくなかった、最初からプラトンの顔を印刷していたらギリシャのユーロ危機はなかったにちがいない」などという人がいる。

どんなにリアルと乖離していても、「理念」は見えて聞こえる方がいいと言うのは一理ある。

理念と実際の乖離がひどくなった時に、理念の方を放棄するかリアルを強引に理念に合わせるかという二択になるのではない。

理念の方がリアルに歩み寄るということはなく、放棄される、削除されるしかないのだから、共存があるとしたらリアルの方が努力、工夫しなくてはいけないだろう。

その工夫が憲法九条の「解釈改憲」という国もあるわけだが、フランスも、同じくらいまずい乖離が、憲法とリアルの間で起こっている。

それは憲法の「人権」の定義となり、憲法に組み入れられている「1789年の人権宣言」だ。問題はその第一条だが、ネットで拾った日本語訳で前文の一部と第一条をコピーする。

まず前文のはじめ、なかなかいい。

西洋の歴史の中で、最初は「人」といっても「税金を払う成年男性」だったり、「キリスト教の白人」だったりしたわけだけれど、それが拡大して「すべての人間」と見なされているのはともかくめでたいことだ。

 「フランス人民の代表者たちは、国民会議を構成し、人権の無知、忘却(無視)あるいは軽視が、公衆の不幸及び政府の堕落の唯一の原因であると考え、 厳粛な宣言の中で、人の不可譲かつ神聖不可侵の、自然権を、断固として述べた(→呈示することを決意した)。
 この宣言が、社会的集団の全構成員(の心)に絶えずあり続け、その権利及びその義務を絶え間なく想起させ続けるために。」

「人権の無知、忘却(無視)あるいは軽視が、公衆の不幸及び政府の堕落の唯一の原因」と言い切るところは素敵だ。

で、問題は、その後の第一条だ。

「人は、法律上(→権利において)、自由かつ平等に生まれている(→生まれながらにして、自由かつ平等である)。
社会的差別は、公共の利益に基づくのでなければ、存在することはできない。」

こういう訳もあった。

「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。」

この「社会的差別は、共同の利益、または公的利益に基づくものでなくてはならない」というのは、要するに「自由競争」の制限で、私利私欲個人の幸福の追求のために利益を生む活動をしてはならないということだ。

「公共の利益」というのは英語ならコモン・ウェルスだし、何をもって共通とか公共とかいうのかが問題であるが、フランスはこの一句によって、個人の抜け駆けの「成功」だとか「蓄財」とか「成り上がり」を封じている。

それは「建前」で、新自由主義経済、グローバル経済の社会ではそんなことはいっていられない、実情と乖離しまくっている、というのは事実だ。

それは、日本の憲法の第九条が、朝鮮戦争の警察予備隊や自衛隊創設の昔からすでに建前化し始め、「軍隊ではない」など詭弁風言辞が弄され、さらに、防衛庁から防衛省、武器も輸出するとか、ついに「解釈改憲」に向かっているのと似ている。

フランスの方は、そこまではいかず事実上の有名無実化なのだけれど、それでも、「共通善」や「自然権」の「絶対理念化」はDNAに組み込まれているらしい。

右派から左派までのフランスの評論家が集まって規制緩和やらについて討論しても、「生き残りのために自由主義経済は大事、でも、行き過ぎの自由主義経済はダメ」と全員が口々に言って「アメリカ化するのはもちろんダメ」という点では合意するのを見ていると、私なんかは「なんか、こいつら、かわいいなあ」と思ってしまう。

逆に、この乖離がフランスとフランス人の不幸のもとで、このねじれが神経症を形作っている、だから、この「社会的差別は、公共の利益に基づくのでなければ、存在することはできない。」というフレーズをいっそ削除しよう、という人も存在する。

そうすればフランス人は妙なコンプレックスから解放されて「格差社会」を受け入れられる、そこで初めて成長政策も可能になるのだ、というのだ。

それを聞くと、かえって、ああ、この人たちにとってはその「理念」がやはりインパクトを持っているのだなあ、と感慨深い。

この件についてもっと書きたいことはあるのだけれどまた次の機会に。
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by mariastella | 2014-09-25 00:14 | フランス

「ノルマンディ上陸作戦」70周年記念

6/6は「ノルマンディ上陸作戦」の70周年記念で22ヶ国の元首が集まる予定だ。

作戦に参加した軍人の生存者は1800人というが、当時王女だったエリザベス女王も軍で働いていたのだから、今回の女王の出席はさらにシンボリックな意味がある。

そして今ウクライナがらみでかなりの緊張関係にあるプーチン大統領とオバマ大統領も顔を合わせるし、当時のヒールで敗者でもあるドイツのメルケルは今やヨーロッパ経済を牽引する存在だし、70年も経つと、パワー・バランスはあらゆる面で変わっている。

でも、こういう「場」を共有するということは、たとえそれがどんなに政治的であろうとも、「平和の理念」の確認という名目を掲げること自体に潜在的な意味がある。

さまざまな歴史的葛藤を経てきた多くの国が「平和に集まる」ということはそこにコミュニケーションやインターアクションができることで、「共に生きる」チャンスを増大させるはずだ。

このことに関して、第一次大戦のヴェルサイユ条約を破綻させた連合軍の反省がある。

「平和」といっても、「悪を征伐する、排除する、屈辱を与える」などという形で勝者が一方的に押しつけるものは、本物ではなかった。ルサンチマンを生んで、結局20年も続かなかったことへの反省だ。

第二次大戦の後は、フランスは早々とドイツに手を差し伸べて今のEUの母体をつくった。
しかしそれは、何もただ優等生的に「敵を赦した」わけではない。

英米への牽制だった。

ノルマンディ上陸作戦は確かにとてつもない大規模な作戦だった。それが第二次大戦の終結を導いたのも疑いはない。

しかし、作戦は、基本的に英米のものだった。

フランスはまったく関係がない。

自由フランスのド・ゴールは蚊帳の外で数に入れてもらえなかった。

でも、戦場はフランスで、それまで比較的戦禍の及ばなかったノルマンディを火の海にした。英米軍の死者の墓はほぼ巡礼地になっている。
しかし犠牲者には、戦いの当事者である英米独の「軍人」以外に、連合軍の爆撃で死んだ多くの一般のフランス人がいる。彼らは「戦争の犠牲者」だが、その位置づけは曖昧だ。

上陸後3カ月も続いた戦乱で、連合軍の死者3万7千人、ドイツ軍8万人、そして市民が1万3700人と言われる。

それでもフランスはもちろん文句を言わず、第二次大戦の終結においては、ド・ゴールはしっかりと自由フランスを連合軍の中に位置づけてフランスを「戦勝国」にしている。

それでもフランスは「悪夢」のノルマンディ上陸作戦を「記念日」にするつもりはなかった。
1945年5月の終戦後の後のDデイは、フランス主導で犠牲者追悼があった。

50年代は、Dデイ記念日の主役は主として当時のアメリカの将軍たちなどだった。

生々しい悪夢が記念日になるには20年かかった。

1964年のDデイ20周年に、はじめて外交的なセレモニーが行われたけれど、ド・ゴール大統領は参加を拒否した。
あれは英米の作戦であり、フランスのものではないといい

「フランスは外国の軍事作戦を祝わない」
La France ne célèbre pas une opération militaire étrangère

との言葉を残した。

チャーチルやルーズベルトに相談されなかったのを根に持っていたのだ。

ある意味すごい。

ここでただそっぽを向いているわけではなくて、ドイツと共に着々と英独抜きのヨーロッパを形成しようとしたのだから。

フランス国内のノルマンディで英米が主導で毎年お祭り騒ぎをすることを止めることはできない。

少しずつ、戦争の生々しい記憶や興奮が鎮まるのを待ち、EUの基盤が固まるのを待っていたのかもしれない。

1978年にはじめてジスカール・デスタン大統領がカーター大統領と共にオマハ・ビーチに立った。

1984年の40周年記念には7人の元首が出席した。社会党のミッテラン大統領はクリントンやエリザベス女王と共に出席した。

同じ年の9月、ミッテランは第一次大戦始まりの70周年に激戦地ヴェルダンで、西ドイツのコール首相と手をつなぐというパフォーマンスをした。

1994年の50周年には15ヶ国が参加した。

2004年の60周年は、冷戦の終わった21世紀の始まりとドイツの再統合の成功を象徴すかようにロシアのプーチン大統領が「連合国」側として出席し、シラク大統領とシュレーダー首相が派手に肩を抱き合って、ヨーロッパの結束を印象づけた。

新世紀に入るともう当時の作戦の主導者はいなくなっているから、政治や外交のショーとして再構成されたともいえる。
2001年のアメリカの同時多発テロを経た世界で「イスラム過激派」が「自由諸国」の共通の敵に据えられたこともある。欧米諸国間や今やロシア正教を復活させたロシアとの「和解」を印象づける必要もある。

そしてこの歴史の文脈の中では、いくら経済的躍進が華々しくても、イスラム諸国や新興諸国やアジア・アフリカ諸国は堂々とサークル外に遠ざけられる。敗戦国でヨーロッパの国でもないような日本などはもちろん関係ない。

なんだか巧みに洗練された、伝統的なキリスト教圏の社交クラブにも見えてくる。

まあだからこそ、ウクライナ危機のせいでたとえG8から排除されてもプーチンが社交クラブの席に着くわけだから、その意義は少なくないと期待したい。

(蛇足。私はプーチンの登場をずっとフランスで見たり聞いたりしてきたので、字面はPoutineだし発音も「プーチヌ」に近い感じでインプットされている。だからカタカナのプーチンの字面や音を見たり聞いたりするといつも、「どこのユルキャラですか」、という印象を受ける。それで「プーチンって名前はかわいいのにコワモテだねー、名前と全然合ってないねー」と日本人に言うとすごく面白がられるのだけれど、人間なんでも慣れてしまうと違和感がないのだろうな。日本の「アベ」だって、フランス語の語感からいうととっても高級(高位聖職者)なイメージだしね。)
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by mariastella | 2014-06-01 22:37 | フランス

フランスの黒人と混血児の系譜

日韓の確執やロシアとウクライナの問題を見ると、あらためて、仏独は二度の大戦後によく仲直りしてヨーロッパを築いたなあ、と感心する。

そしてルーツ的にはフランスよりゲルマンと近い(そのせいでイギリス王室は名前まで変えた)英米がよく積極的に大陸に出張って、ベルギーなどドイツ国境付近で凄惨な戦争に参加したものだなあと思う。

ドイツと戦うために英米やカナダから多くの兵士がフランスに入ってきたわけだが、実は彼らよりもフランス人だけがそのラテンっぽい柔らかさと単純な普遍主義の理想に裏打ちされた天然の「人生大好き」人間だったので、戦争でそれが打ち砕かれたショック英米よりも大きかったようだ。

「英米」とフランスの関係も戦争によってよりよく見えてくるものがある。

英仏は長らくの宿敵同士だったから、対ドイツでフランスと同盟しているといっても、事実上の戦場は大陸なのだから、英軍が大挙して一方的にフランスにやってきているわけだ。

味方だとはいえ、フランス人にしてはあまりおもしろくない。

アメリカはウィルソンが当時600万人いたドイツ系アメリカ人に「中立を守る」と公約して当選したこともあって、第一次大戦になかなか係わらなかった。

1917年になってドイツがメキシコを煽動し、味方すれば勝った時にはアリゾナとテキサスをメキシコに割譲と言っていたことが(真実かどうかわからないが)暴露されたということで、アメリカの参戦モティヴェーションが急遽上がった。第二次大戦における真珠湾みたいなものだ。

で、ようやくフランスにやってきた米軍の将軍は、真っ先にラファイエットの墓に表敬訪問する。

これはもちろん対英の独立戦争でフランスのラファイエットがアメリカで戦ってくれたことの感謝である。

この時点でそんなことをするのはイギリスに対しても何か微妙な気もするが…

ともかくフランス人は米軍をアンクル・サム由来の呼称「サミー」といって歓迎し、彼らが英軍に借りた軍服や帽子をつけていてもイギリス人と違って「クールでにこにこしているからすぐわかる」と言っていた。

でも、アメリカ人の方は、イギリス人と同じようにフランス人のことを「フロッギー(蛙喰い)」と呼んでいた。

フランス軍は非常事態だからアフリカの植民地からも志願兵を集め、救国のために「平等」に扱ったし、自国の軍に組み入れていたから、米軍も指揮下に入れようとした。

米軍は拒絶した。

友軍、同盟軍ではあるけれどフランスの指揮下に入るなんて考えられない。

しかし・・・「黒人兵ならOK」ということになった。

こうして当時しっかりと二級国民として差別されていたアメリカの黒人部隊がフランス軍に組み入れられた。

でも、フランス軍はアメリカの黒人部隊を前線には送らなかったという。

そのかわり、野戦病院や傷病兵施設などでジャズを演奏して兵士たちを慰めていた黒人たちの記録フィルムが今も残っている。

この時のフランスとジャズの出会いは決定的な刻印を残した。
それまでのフランスには黒人が少なかった。

第一次大戦の後には一種の「黒人ブーム」が起きた。

それがのちに1937年にフランス国籍を取得する大スターとなったジョゼフィン・ベーカーの人気に現れている。

ベーカーは厳密にいうとアメリカ黒人とアメリカ・インディアンの混血だった。

彼女は故国の人種差別と闘ったが、黒人とはまず「歌って踊れるアーティスト」と見なされていたフランスで生きることを決意した(その彼女が世界中から異民族の孤児を集めて養子にしてユートピアを作ろうとしたのはまた別の話だ)。

ここで私の頭に浮かぶのはこの第一次大戦に獣医として参戦した若きラファエル・エリゼのことだ。

彼はカリブ海の仏領(今は海外県)出身で曾祖母が黒人奴隷(曾祖母が33歳の時に奴隷制が廃止され市民となり、曾祖母の名であるエリゼを姓としたのだった。

火山の爆発で町が壊滅したのでフランス本土に出てきた。

共和国の平等主義、教育社会主義の恩恵を受けて高学歴者となる。牛馬が重要なフランスにおいて獣医のステイタスは今も高い。だからメティス(混血者)であるエリゼも基本的には「差別」を受けていない。第一次大戦では馬の役割は大きかったので、一兵士として徴集されたが獣医として戦功勲章も受けた。

復員して、サルト県に獣医がいないのを知って赴任する。牛馬は貴重な財産であるから人々はエリゼを歓迎し尊敬した。社会党の政治家となり、サルト県のサブレ市の市長となり、この地方で初の市民プールを作ったり教育施設も充実させた。フランス初のメティスの市長であった。いろいろな意味で優れた人物で改革者であり、市政にも尽くし、人々は彼のことをエリゼ市長と思っていただけで「黒人」とは考えていなかった。当時の「黒人」は「歌って踊るカリスマエンターテイナー」という新しいイメージと昔からの「野蛮人、人喰い人種」などの偏見に二極化していたのだが、エリゼに接する市民は彼をそのどちらとも意識していなかった。

彼の妻もメティスだったので、子供や親族にはいろいろなタイプの人がいる。
(彼の一人娘は17歳で病死した)

第二次大戦の時に、1940年、ドイツ軍によって市長の職から追われた。

理由はもちろん「黒人」だからだ。

ドイツ軍は「占領地域に黒人の市長など考えられない。話すこともできない」とペタン元帥に書いた。
ドイツ語に堪能なエリゼが自らそれを翻訳してヴィシィのペタン元帥に送った。

エリゼの作った市民プールも白人以外の利用が禁止された。

これはオバマでもそうだが、白人とのハーフであればフランスでは「黒人」とは呼ばれずにメティスとかミュラートルなどと呼ばれるのに、差別主義イデオロギーの国のもとでは「混血」そのものが罪みたいなものだから、混血者は即社会的下位のクラスに入れられていた。何代も前に1人黒人の血が入っていて見かけはほとんど白人と変わらなくても「黒人」とされていた時代もある。

ここで少し別の話をする。

17,18世紀フランス本土では黒人奴隷が禁じられていた。

それは、黒人の人権をリスペクトというより、混血が避けられないリスクを減らしたんじゃないかとも思う。奴隷労働の担い手は白人で足りていたわけだし。

それでも混血児は存在していて、有名なのはルイ14世から年金を受けていた修道女「モレのモール女」(モレ・シュル・ロワンの修道院に入ったからだ。修道女名は.ルイーズ=マリー=テレーズ)だ。

モール人というのは「マクベス」もそうだが、最初はアラブ人や北アフリカのベルベル人を指す言葉だったが、肌の色が暗めでエキゾティックな者は皆まとめてモールとかモレスクとか呼ばれるようになっていた。その意味で混血児は立派な「モール人」に組み入れられたのかもしれない。

本土で禁じられていた国人奴隷も宮廷にだけはいた。

エキゾティックな存在は珍しい動物と同様フランスの帝国主義の到達シンボルだったからだ。だから、労役を課せられる奴隷というより愛玩動物やマスコット的な存在だった。「道化」などとも似たスタンスだ。

この混血女性はルイ14世と黒人の女奴隷の娘というより、ルイ14世の王妃マリー=テレーズと、黒人で小人の小姓ナボ(アフリカのベナン出身)との間に生まれた子供だとも言われている。

表向きはそのような「不倫」はあり得ないので、王妃が黒い子を産んだのはルイ14世の子供が胎内にいる時に「黒人の視線」によって色づいたという説明がされたという話もある。

1664年に生まれた王女で10日後に死んだとされるマリー=アンヌではないかという説だ。

どちらにしてもこの子供は、死んだことにされて抹殺されたり捨てられたり奴隷にされたりはしなかった。
生涯の年金を受け取って修道女になったというところがフランス的だと言えるかもしれない。

フランス革命前の有名な混血児としては他に、植民地グアダルーペの地主と黒人女奴隷の間に生まれた音楽家、作曲者のシュヴァリエ・ド・サン・ジョルジュChevalier de Saint-George Chevalier de Saint-Georgeがいる。

革命後で有名なのはなんといってもアレクサンドル・デュマ父子だろう(父は『モンテ・クリスト伯』や『三銃士』、息子は『椿姫』などフランス文学史上に輝く作品を残した)。

デュマ(父)の父親が植民地サン・ドミンゴの女奴隷との混血で、革命軍の最初の混血の将軍として活躍し、デュマ(子)はフランス本土で生まれている。

パリに出てから、隣人の白人のお針子との間に私生児デュマ(子)をもうけるが、後に認知した。他にも別々の女性と複数の私生児をもうけたと言われる。非常に魅力的な男だったようだ。

それでももちろん人種差別的揶揄はされたらしくて、

「あなたは混血だからニグロのことも詳しいでしょう」

と聞かれた時に

「もちろんですとも。私の父親は混血で、祖父は黒人で曾祖父はサルだったんです。お分かりですか、うちの家系はあなたの家系が到達したところから始まっているんですよ」

と答えたというエピソードが残っている。

デュマの息子の方は外見はほとんど白人のように見える。

どちらにしても、彼らの残した文学作品に「フランスの黒人文学」などという形容がつくことはない(こういう時に思い出すのは若い時に「ボールドウィンの黒人文学」などという形容の小説を読んだ時の感じの片鱗も『モンテ・クリスト伯』を読んだ時には感じなかったことだ)。

さて、フランス初のメティスの市長ラファエル・エリゼのことにに話を戻そう。

革命後のフランスの「市長」というのは革命前の教区司祭に代わるもので、まさに「共和国」教の聖職者のような大切なポストである。

ドイツによって市長職を追われたラファエル・エリゼはもちろん地下に潜ってレジスタンス運動に身を投じるのだが逮捕され、強制収容所に送られた。そこでもレジスタンスの仲間のために手書きの「文化雑誌」を編集して回し読みをしていたらしい。サバイバルに必要なのは「文化」であるとして音楽(クラシック音楽ファンだった)記事を書いたりした。

皮肉なことに、収容所から囚人たちを「解放」に来たはずの米軍の爆撃によって命を失った。54歳だった。

アメリカの爆撃機は高度を上げてかなりアバウトに爆撃した。フランスでもフランスの市民の多くが米軍の空爆によって死んでいる。

歴史の中でこう民族だの国民だの敵味方が錯綜していたら、外交に必要なのはやはり、ある程度の忘却というか赦しなんだろうなと思う。

フランスにやってきた米軍は「正義と名誉」を掲げていたが、フランスは革命以来の「自由・平等・博愛(友愛、兄弟愛)」だった。

これは何かというと、個人の自由が実現する真の平和(圧政独裁によって秩序が維持されているという平和ではない)を築くには「平等という正義」が必要で、しかしその「正義」は「友愛」なしには真の「平和」に至る道とはならないということだ。

「友愛」の創成と保持の努力に裏打ちされない「正義」の執行は、「平和」をもたらさない。

自由・平等・友愛は並列するのでなく、序列があるという考え方だ。

これは9.11の翌年にローマ教皇ヨハネ=パウロ2世が口にした「平和・正義・赦し」の順序と通底する。
正義なしの平和はなく、赦しなしの正義はない。

悪の枢軸に十字軍を送って鉄槌を下せ、式の当時のブッシュ大統領は、まだ「正義と名誉」だけだったのだろう。

どんなささやかな赦しだって難しい。

それが本当の正義や平和に到達することの難しさなのだろう。

赦しなしの正義や、正義なしの平和は実は別ものであり、平和や正義から赦しが自然に生まれることもめったにない。

二度の大戦であれだけいろいろあったのに、一応、なあなあで「赦し」あって少なくともEUの平和を築いた独仏は、廃墟の中から何としてでも「ほんとうの平和」をほしかったんだろうなと思う。

(何度かに分けてもよかったのにまた長文で失礼。最後まで読んだ方はお疲れ様でした。このブログは「読んでいただくために分かりやすく書いているもの」ではなく、「決まった読者を想定せずに制限なく書いているもの」なのであしからず)
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by mariastella | 2014-04-02 07:42 | フランス

セイの法則

14日にオランド大統領が半年に一回の所信表明演説をしたのだが、その中で「他の大国はみな成長している、アメリカも、イギリスも、ドイツも」、と挙げて、大企業の負担を軽くする方針を明確にした。 

そこで引用されたのがなんとジャン=バティスト・セイだった。

まあ、フランス人経済学者ということでふさわしいと思ったのかもしれないが、こりゃ、ウルトラ・リベラルの確信犯だというしかない。

ジャン=バティスト・セイといえば「供給はそれ自身の需要を創造する」というセイの法則だが、通貨切り下げで生産を増強させようとしているアベノミクスも同類だろう。

しかしオランドは再成長に向かう「大国」に日本は挙げていない。貿易赤字がなんだかすごいことになっている死衣がそのせいかもしれない。

政治学院の統計によれば、

フランス人の2人に1人がカトリック教会は信頼できると答えたそうだ。

フランシスコ教皇効果かもしれない。

それに対して、

メディアを信頼するのは4人に1人、

政治家を信頼するのは10人に1人。

なかなか考えさせられる数字だ。

日本人の2人に1人が信頼しているものなんてあるのだろうか。

家族とか会社とか共同体などが思い浮かぶが、それはマイ会社、マイ家族、マイ共同体であって人それぞれに違うからあまり比較にならない。

宗教権威関係も思い浮かばない。

ある意味で深刻な状況なのかもしれない。
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by mariastella | 2014-01-17 00:37 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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