L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 228 )

社会党予備選と原発について

15日に社会党の大統領候補選出予備選の決選投票がある。

オーブリー女史とフランソワ・オランドが水曜日にテレビ公開で意見を戦わせた。

この2人、前々書記長と前書記長だけど仲が悪いなあ。

一次予選で敗退した5年前の候補のロワイヤル女史(オランドとの間に成人した4人の子供がいる)が正式にオランド支援に回ったので、オランドは、大臣職の経験ではオーブリーに負けるし、オーブリーのような親の七光り(オーブリーはドロールの娘)もないので、オーブリーとも仲の悪いロワイヤルを味方につけたという自信たっぷりで、にやにや笑い。

彼を形容する時に使われる「臆病でゆるい(柔らかい)timide et mou」という政治に対してオーブリーが、「強い(硬い)社会党」とつっぱってみせたら、オランドは、硬いか柔らかいではなくて「堅固(solide)な政治を」、と返して見せた。

この予備選について自分は最初から信念の人、オーブリーはDSK(NYでのセックス・スキャンダルで失墜)の代役だというニュアンスもあちこちに加える話術も巧みだ。

ヒラリーとオバマの時のように、最終的にサルコジに勝つには女性候補よりオランドの方が確実というプラグマティックな流れもあるので、全体としてはオランドが今でも有利だと見られている。

今回の討論ではもうエネルギー問題は取り上げられなかった。

社会党はもともと原発国策に反対していなかった。フクシマ騒ぎとドイツやイタリアの動き、大統領選を見越した緑の党への迎合、などから、最近あわてて一応の「脱原発」を掲げてみたものの、おざなりだということは明らかである。

オーブリーは、今から30年で脱原発と言っているが、もし来年政権をとっても、社会党政権が30年も続くわけはないし、61歳の彼女自身の政治生命も、せいぜい後10年程度だろう。

オランドの方はもっとひどくて、今から2025年までにフランス電力の原発依存度を今の75%から50%に減らすと言っているだけだ。

これは、別に、原発を25%廃炉にするというわけではなく、持続可能エネルギーなどを増やすことで、原発の割合を減らすと言っているにすぎない。

つまり、今原発以外にある25%のエネルギー源を、「3倍に増やす」と言っているわけだ。

すると、全体で50%増しのエネルギー。

ますます電気を使い放題のエネルギー大国にして景気も回復、という展望である。

あり得ないだろう。

こんなふうに社会党の脱原発スタンスがいい加減なものだから、フランス原子力委員会のベルナール・ビゴ(Bernard Bigot)はフィガロ紙を通して、もっといい加減な数字を打ち出した。

「フランスが脱原発をするには7500億ユーロかかるんですよ」(だからこの緊縮財政ではムリムリ・・・)

というのだ。

で、この数字の根拠というのがインチキにもほどがある。

それは、ドイツが脱原発を決めて、持続可能エネルギー開発に向けた予算である2500億ユーロを単純に3倍した数字なのだ。

ドイツの新エネルギー開発予算を、「廃炉予算」と言い換えて、フランスにはドイツの3倍の原発があるからその3倍という計算である。

当然、原子力発電を続けていった場合の増え続ける廃棄物の処理を含めた厖大な経費との比較などない。

それなのに、なぜか、どのメディアも、そしてそれを翻訳する世界中のメディアが、この計算の仕方についてなんの検証もせずに、「7500億ユーロ」を繰り返し、まるでそれが「廃炉不可能」を正当化する唯一の現実的数字であるかのように「既成情報」になってしまった。

原発ついでにもう少し書くと、9月5日の朝日新聞に載ったらしい管前首相のインタビューにすごいことを見つけた。

http://www.asahi.com/politics/update/0905/TKY201109050628.html

「菅直人前首相は5日、東京電力福島第一原発事故について朝日新聞の単独インタビューに応じ、フランス政府から事故後、同原発の使用済み核燃料の引き取りを打診されたことを明らかにした。

 菅氏が5月に仏ドービルでのサミットに参加した際、フィヨン仏首相から提案を受けたという。菅氏は「フランスは使用済み核燃料を持って帰ってもいいよと言った。ある種のビジネスかもしれないが当然、経産省の現場には伝えた」と語った。

 日本政府が福島第一原発の事故で使用済み核燃料の処理に窮するなかで、原発大国のフランス政府がトップセールスで再処理を売り込んできた格好だ。応じれ ば日本の核燃料サイクル政策が根底から崩れかねないとして経済産業省内には反対論が強く、政府内で協議を続けているという。

 当時、東電の調査で、福島第一原発1~4号機のプールは原子炉内の燃料と違い、比較的損傷が少ないことが判明。プール内には3108体の核燃料があり、 うち使用済み核燃料は2724体。フランスの提案は、再処理技術の先進国として原発事故が起きた日本の使用済み核燃料を処理することで、技術力を世界にアピールする狙いがあったとみられる。

 日本は使用済み核燃料について、2012年に完成予定の青森県六ケ所村の再処理工場でプルトニウムを抜き出す核燃料サイクルを進める予定。フランスへの 再処理委託は終わっている。経産省内には「改めてフランスに引き取らせると再処理をあきらめることにつながる」と慎重論が強かったため、フランス政府には 返答しておらず、政府の「エネルギー・環境会議」で取り扱いを議論しているという。 」(引用終わり)

 これって、なかなか意味深長ではないだろうか。

「ある種のビジネス」だの「フランスの技術力アピール」などというが、少なくとも、フクシマの後、3ヶ月くらいは、フランス人は本気で「責任を感じていた」ふしがある。

アレヴァの社長でさえ、フランス人の反応は情緒的すぎると言っていたくらいだ。

実際、第三号炉のMOX燃料はアレヴァが売りつけたもので、事故があった時のリスクの大きさは分かっており、フランスのネット上では、アレヴァに怒りをぶつけて、アレヴァは責任をとって世界中に売りつけたMOX燃料を全部引きとれ、と訴えて署名運動を展開したフランス人までいて、それなりに盛り上がっていた。

Bonjour à tous
J’ai lancé sur le web au titre de simple citoyen un pétition pour qu’AREVA qui est complètement impliqué dans la catastrophe de Fukushima rapatrie immédiatement le combustible MOX qui contient du plutonium (7%), de toutes les centrales nucléaires de la planète ou elles en a vendu.
Vous pouvez signer cette pétition à cette adresse, :
http://www.mesopinions.com/petition-pour-le-retrait-du-combustible-mox-de-toutes-les-centrales-nucleaire-d-la-planete-petition-petitions-b2bc8d0d270a04e27179c3e9b3fa70c4.html

これは5 月の下旬であり、ドーヴィルのサミットでフィヨン首相が管首相に使用済み燃料の引き上げを申し出たのと同じ頃である。

この時期であれば、日本が強く出れば、少なくともフクシマの使用済み核燃料については、リサイクルビジネスの「発注」などではなくて、「廃棄物無料お引き取り」という形で交渉できたのではないだろうか。現に、アレヴァは4月始めに日本に配達する予定だったMOX燃料送りを同義上の理由から中止した。その時も散々非難を浴びたからだ。

それなのに、日本は、「六ケ所村での再処理を諦めることになる」ということが念頭にあって、むざむざと、2724体もの核廃棄物をさっさとひきとってもらうチャンスを逃したわけだ。

最近こういうのも読んだ。

http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110928/108520/?ST=rebuild

フクシマでは

「無電源でも一定時間原子炉を冷却できる仕組みがあったんです。1号機には炉の内側と外側の温度差で動く「隔離時復水器」が、2号機と3号機には隔離 時復水器の進化版である「原子炉隔離時冷却系」がそれぞれ設置されていました。その結果、津波で電源を喪失した後も、1号機は約8時間、2号機は約63時 間、3号機は約32時間、それぞれは冷却が続き、制御可能な状態だったと考えられます(※詳しくは日経ビジネスオンライン「見逃されている原発事故の本質」を参照)。

 いずれも稼働時間はほぼ設計通りであり、現場のエンジニアはそれが“最後の砦”だと知っていました。言い換えれば、やがて冷却が止まって原子炉が 制御不能の状態に陥るとわかっていたのです。1号機の場合は毎時25tの水を入れ続ければ熱暴走を防げますが、貯水タンク内の淡水では到底足りません。豊 富にあるのは海水だけ。もはや、海水注入以外の選択肢はなかったのです。」

という山口栄一教授の話だ。つまり、まだ冷却が可能だった時間にすぐに海水を注入しなかったのは、「いったん海水を注入すると後は廃炉しかない」という躊躇があったからだそうだ。

みんな、あんな非常時に、

「もうすぐ完成する六ヶ所村がつかえなくなる」とか

「ここが廃炉になったら困る」

などという先のことをよく考えつくなあ。

(フランスでは海沿いもあるが、ロワールなどの河沿いにも原発がある。川の水の注入だと淡水だから躊躇は少ないんだろうか。)

とにかく、核兵器のある国で、脱原発などと言っても、根本のところで無理がある。まず、核兵器廃絶、そして、核廃棄物をリサイクル燃料などではなく、本当に無害化できるのか有効利用できるのかという新技術の開発に本気で取り組んでほしい。

脱原発、脱原発と口で言っているだけでは、今までやってきたことの後始末や方向転換についての研究のモティヴェーションが下がってしまうのが怖い。

原子力工学者にとってはこれからが正念場になるのだから。
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by mariastella | 2011-10-13 22:30 | フランス

フランス社会党のことなど

先週は社会党の大統領候補予備選挙に名乗りを上げている6人のTV討論があった。うち2人はマイナー候補で、今のところ、優勢なのは前々党書記長のフランソワ・オランド、前書記長のマルチーヌ・オーブリー、前回の候補でサルコジに破れたセゴレーヌ・ロワイヤル、二重国籍やら中途国籍取得の問題で今や「スペイン人」のアィデンティティが有名になってきたマニュエル・ヴァルスの4人。

DSKのスキャンダルもあったし、今のところ社会党にもうんざりしているので、原発についての態度のニュアンスの差に興味を持った程度で、政治的なことはここで書かないが、4人とも、人間関係やキャラが濃すぎる気がする。

なんだか「痛い」人たちも多いし。

今朝のラジオで誰かが、「2人のEX(元配偶者)が…」と言っていたが、オランドとロワイヤルは、4人の子がいるカップルだったのに、前回の大統領選でロワイヤルが敗退してから別れた。そのタイミングなども微妙な気がした。

威勢のいいロワイヤルに比べて、元ダンのオランドの方は、政治家ネタのカリカチュアの世界では、これまで何年も何年も「優柔不断で臆病」なキャラとして、しもぶくれの顔に半開きの口をとがらせて「う、う―」と口ごもる役割を振られていた。

ところが、新しいパートナーを見つけ、ダイエットして、今や精悍で権威のあるキャラにイメージチェンジしている。その過激な変化は違和感がある。多分もともと野心のある人だったのだろうけれど、「外見」がマッチしていなかったのだろう。

で、翌朝のラジオでは切って捨てたように、

「オランドは大統領、オーブリーは首相、ヴァルスは内務相、ロワイヤルは賞味期限切れ」

と評した人がいて、それもやけに当たっているような気がしてショックだった。

5年前にDSKを破ったロワイヤルは、一体なんだったのだろう。

前回の大統領選をめぐってのサルコジを描いた映画

La Conquête ( Xavier Durringer 監督)

を最近見たのだが、そこで、サルコジはロワイヤルとのTV討論の時に、「できるだけ落ち着いて相手にしゃべらせて、向こうを攻撃的な悪者に見せろ」という作戦を採用したことになっている。

そこには、女性が「口角泡飛ばして」熱弁することへの、ネガティヴなイメージの共有がある。

で、先日の討論ではロワイヤルは影が薄くて、オランドとオーブリー女史が熱弁をふるったのだが、新聞などで、

オランドについてはそれが「combatif」(闘争的)と評され、

オーブリーについてはそれが「agressive」(攻撃的)と評されている。

男にとって「戦闘態勢に入っている」のは、「覚悟が決まっている」、という感じで、女が「攻撃的」なのは「ギャーギャーかみつく」という含意が、絶対にぬぐいきれない。

サルコジはと言えば、まだ出馬も正式に表明せず、国内ではおとなしくしていて、リビアに行って、ベンガジではもちろん英雄扱いで感謝の絶賛を受けていた。 サルコジは「利権について何の下心もなく、するべきことをしただけ」とわざわざ強調。

とにかくこれで軍事行動が一応終結するなら、最悪の結果からは逃れられそうだが、シリアやイエメンはその後どうなったのだろう。

世界をいい方に変えるのは、力の衝突では、不可能だ。

DSKもNYでの逮捕劇以来4ヶ月後にTVでインタビューを受けていた。

NYの刑事裁判は起訴が取り下げられたが、パリではまだ予備調査段階で,過去の愛人の娘から訴えられているのに対して「キスをしたかっただけ。キスをしたくなるのはフランスでは犯罪ではない」ともどこかで答えていた。

で、TVでは、女性に対する自分の軽さに対して、この数ヶ月で反省して、これからはその軽さは永遠に失った、と、深刻な顔をして語っていた。

この「軽さ」というのは「弱さ」にも近い。

ある男性に対して「女性に弱い」と使う形容は、特別なものではない。

しかし、「女性に弱い」という言葉の裏で、実際は「力」による関係の強要を迫る人も多い。

DSKのように金と権力を持っていた男が、それを知っている女性にアプローチする時、自分が「軽い」だの「弱い」だの、「合意だった」だのというのは、欺瞞でしかない。

それでも、女性に対する弱さや軽さは、政治家としての「能力」とは別ですから・・・という話法で通し、それが何となく通用してしまうのは、フランスだけなのだろうか。

どんな「力」も、暴力となる可能性がある。

政治の世界でのアピールが、さまざまな形で、結局、「力の誇示」に着地点を求めるのは、そらおそろしい。
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by mariastella | 2011-09-21 18:16 | フランス

エヴァ・ジョリの憂鬱(追記あり)

エヴァ・ジョリって、名前がどこかのセレブ風だし、見た目は金髪に真赤な鼻眼鏡の独特なキャラだし、緑の党の公認として「大統領選」出馬が決まったことにけっこう違和感があった。弁護士としては有名だ。

で、最近公認候補になった時に、はじめてフランスとノルウェイの2重国籍だということや過去にミス・ノルウェイの3位に選ばれたことがあるなどを知った。

2重国籍自体はフランスでは珍しくないので、注意をひかれなかったのだが、スピーチで、「私の(フランス語の)なまりは、私がフランスを選んだという証しで、フランスの栄誉の徴しだ」という趣旨のことを言っていたので、この人にとってフランス語が母国語でなかったこと、日本風にいうバイリンガルではなかったことを知った。

そう思ってあらためてスピーチを聞くと、Zの音がSと澄むことが分かった。日本人にはどうということのない発音だが、ノルウェー人にとっては何十年たっても「なまる」音なのだろうか。でも、言われなければ、その人の単なる癖か、方言のなまりかと思っただろう。

日本人の「バイリンガル」観から言えば、母国語でない言葉を駆使して大統領選に出馬ということ自体が驚きかもしれない。

そのジョリ女史が、革命記念日のシャンゼリゼの軍隊行進の後で、「あれはかなりのエネルギー消費でエコロジー的には問題だから自分が大統領になったなら別の形に見直すかも」、という趣旨(追記1:消した部分は私の解釈だったのだが、その後「私は自分で自分を寿ぐ」とまで言い切ったフィヨンによると女史が軍隊行進を北朝鮮になぞらえたことで頭にきたらしい)、の発言をした。それに対して、フィヨン首相が、「彼女は2重国籍でフランス人になった年月が浅くて、フランスの価値や歴史や伝統への理解が今一つではないか」というような発言をしたものだから、大騒ぎになっている。

2重国籍者への差別は、つい最近サッカー選手要請に絡んでスキャンダルになったばかりだ。
フランスにはいわゆるマグレブ系の移民の二世三世がたくさんいて、フランスで生まれているので2重国籍を有している。ジダンもそうだ。で、そのような選手たちがフランスで苦労して育てても、先祖の国のナショナルチームに入ってしまうことがあるのはいかがなものかという議論が出てきて、それが差別だと言って物議をかもしたのである。

でも、フランスで生まれ育った2重国籍者と、中等教育まですべて他国で終えてからフランスにやって来た後に国籍を取得した者とは、いろんな点で違う。また、いわゆるフランス人と外国人が結婚して生まれた2重国籍の子供たちも違うだろう。

今のようなグローバル化した時代と違って、ジョリ女史が生まれ育った1940年から60年代初めは、国境や文化の差が今より大きかっただろう。

ジョリ女史は、「私は50年もフランスに住んでいるんですよ」と反撃した。

確かに「2重国籍者はフランス人として日が浅い」というフィヨン発言は突っ込まれても不思議ではない。ジョリ女史にはフランスに生まれ育った25歳のフランス人の2倍の年月のキャリアがあるのだ。

そればかりか、生まれてからずっと先祖代々の国で暮らしている人は自国の文化や伝統や価値観について特に意識しないことが多い。青年期以降に外国で暮らしてはじめて、カルチャーショックを体験して、自分の国の文化や伝統の輪郭を確認し、またそれとすり合わせることで、ホスト国の文化や伝統をはっきり意識して、うまく適応した人はハイブリッドに、「器」を大きくしていくものだ。

ではフィヨン首相のほんとに言いたかったのは何かというと、多分、5歳から11 歳くらいの、柔軟な時期にフランスの価値を「叩き込まれる」教育を受けているかどうか、ということなのだろう。

言い換えると、子供時代に過ごした国から人は「洗脳」あるいは「マインドコントロール」され得るという考えが透けて見える。

フランスの言い分はどことなく分かる。

アメリカの小学校の国家掲揚や国歌斉唱でアジア系移民の子供も涙を流すほど感激したり、可塑性の大きい子供たちに「愛国心」をたたきこもう政策はどこにでもある。
ヴァーサリズムにあるから、小中学校には全部「自由、平等、友愛」の標語が掲げられているし、市民教育の時間があって「フランス革命の価値観」などを叩きこまれることになっている。一種の教育社会主義が浸透しているのだ。

これは「愛国心」よりも標榜するユニヴァーサルな理念への忠誠を叩きこもうとしているわけだ。
フランスでは共和国主義は、一種の宗教だから、その洗礼を受けているかどうかと言いたいわけである。

これが軍部に行けば、入口を入ったところに、

「名誉、規律、愛国心」という三つの標語が掲げられている。

まあ軍隊ならば「自由、平等、友愛」の普遍主義だけでは無理なので当然だ。

ともかく、フランスでは、建前としては、人生の入り口で、「自由、平等、友愛」が掲げられるわけであり、その表看板が、下部構造の軍隊やら教会やらの上にあるという認識があるのだ。

フィヨン首相はだから、「共和国主義」を子供の時に叩きこまれてきたか、あるいは国籍取得のために学ばされたか、という2重国籍者ではなくて、単にフランス人との結婚によってフランス国籍を得たジョリ女史を皮肉っていたのだろう。(彼女はオペールとして働いていたホストファミリーの長男である医学生と結婚したのだ。)

女性差別もないとは言えない。

これを受けて、革命記念日の軍隊パレードを肯定する政治家たちも一斉にフィヨンを批判した。「フランス人を出身によってカテゴリー分けすることはフランスの理念に反する」というわけだ。

これは本当で、オバマ大統領がつい最近まで、本当にアメリカで生まれたのかどうかなどとしつこく追及されたアメリカなどとは対照的だ。

社会党の大統領選予備選挙に出馬している人たちは、政策的にはけっこう仲間割れしているくせに、声をそろえてフィヨンを批判した。

その中でマニュエル・ヴァルスが、「自分はスペイン人でフランスの議員の中で唯一、中途国籍取得者だ」と言ったのにも、注意を引かれた。この人は、ロワイヤル女史と同様、少なくとも「口にする言葉」のレベルでは、共感できる政治家だ。

調べてみると彼はバルセロナ生まれで、フランス育ち、カタルーニャ語、フランス語、スペイン語のトライリンガルだそうだ。17歳で社会党のミシェル・ロカールにいれあげた政治青年だったし、フランスの教育をずっと受けているので国籍取得も簡単だったろう。当然いわゆる「なまり」もないし、「カルチャーショック」もない。そういう意味ではサルコジだってハンガリーの移民二世だが「純フランス人」である。

いろんな意味で今回のフィヨンの発言は「舌禍」には違いないのだが、つい本音が出たと思われても仕方がない。

と言っても興味深いのは、彼がイギリス女性(ウェールズ人)と結婚していて、英仏2重国籍の子供を5 人もうけている事実だ。
 
イギリスとフランスでは政治哲学も歴史もかなり違う。でも距離的には近いから子供たちは昔から両国を行き来しているだろう。

そして、フィヨンは、フランスのリセで知り合ったウェールズ人の妻の「フランスの伝統や歴史や価値観」の理解度をどのように感じているのだう。

勘繰りたくなる。

ちなみに私は日本で小中高大学と国公立学校に通ったし、「君が代」だって習ったが、それで愛国心とかを特に感じたことはない。君が代は神楽歌が起源だとかいうが、日本の曲らしい「ファ」抜きのメロディラインなどになじんだことは、幼い頃からピアノやバレーなどで「西洋ロマン派風音楽」がデフォルトになっていた私には貴重だ。というか、音楽の教科書に出てきた「邦楽」や「民謡」系統の曲はすべて新鮮だったので、歌詞も含めてすべて今でも覚えている。

また日本での「西洋」理解はアングロサクソン系やアメリカ風が多かったので、フランスでの生活によっていろいろ修正したり、人種問題や人種感覚についても何度も振り子が左右に振れてきた。

まあ、自分の中の「非カテゴリー領域」をひたすら広く深く掘り下げておけば、後は、具体的な時と場所における特定の個人相手の関係性において、その時々の最善のアイデンティティが浮かび上がるようになる。

最善というのは、もっとも対等で友好的な関係が築けるとか、私よりも相対的に困難な状況にある人の力になれるとか、豊かな充実感が互いに得られて「次につながる」期待が生まれるとかいうことだ。

試行錯誤を経て大体そういう自在な感じになった。いや、他在というべきか。

文脈ぬきで「自分のアイデンティティ」はこれこれなどと言っている間はろくなことがない。ましてや国籍がどうのこうのというのは不毛だとつくづく思っている。

追記2: 18日の朝のラジオで、マグレブの両親を持つ移民2世でサルコジ政権の大臣にまでなったラシダ・ダチが感想を聞かれて、二重国籍云々の問題ではなくそれにはコメントしないと言い、革命記念日の軍隊の行進の重要性を説き、軍隊とは民主主義を守る構成要素だと強調していた。

パレードの前日にアフガニスタンの自爆テロでフランスの兵士の命が奪われていて、大統領もこのパレードは彼らに捧げる、などと言っていたデリケートな時期に、ジョリ女史が批判的なことを言ったわけで、こうなると「舌禍」はむしろ彼女の方なのかもしれない。

彼女の支持率からいって、実際に有力候補となる見込みはないから、ジョリは思っていることを言っただけなんだろうが、そしてフィヨンの反応が社会党候補らの格好の批判の的としてまた使われたことも事実だが、ラシダ・ダチが「軍隊は民主主義とセット」になっているとまで強調するのには激しく違和感がある。

何につけても「力の誇示」は、ある目的のために選択されるものだ。軍隊のパレードが、「民主主義」のシンボルというは、もちろん政治的言辞であって、「真実」ではない。

権力、軍事力、金力の誇示は、どこの国であろうと、個人的には好きではない。

しかし、アフガニスタンの犠牲とか、このタイミングでこのような比喩を出して、彼女の立場でこんな発言をしたのは、政治戦略として、賢明であったのかどうかは分からない。

でもそのおかげで図らずも「二重国籍」に対する差別が露呈したのは興味深いことだった。
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by mariastella | 2011-07-17 22:33 | フランス

Gérard Longuet

12日の国会でリビアへの空撃の続行が可決された。社会党も合意した。2008年の憲法改正によって、軍事行動が4ヶ月を超えたら続行は国会の承認を必要とするからだ。

実に4ヶ月も、当初の「ベンガジの市民を守る」などという目的から「カダフィを失脚させる」に変化させて、アラブ連合の離反を経て、フランスの主導が続いているわけである。ヘリコプターで反乱軍に武器をばらまいたり、民事施設を誤爆したり、どんどん悪い方向に行っている。

同じ日にサルコジがアフガニスタンのフランス軍を電撃慰問してフランス軍の暫時撤退を発表したかと思うと、次の日にはそのフランス軍がタリバンの自爆テロの犠牲になった。シリアでもフランス大使館が暴徒に襲われている。その次の日が革命記念日でシャンゼリゼを戦車や軍隊が行進する。

そういう「力」づくの空気の中で、13日の夕方のテレビ・ニュースに国防大臣のジェラール・ロンゲが出演して、アフガニスタンからの撤退の前に、NATO軍が敗退したという印象を与えるためにテロ行為が仕掛けられているのだ、と語っていた。

その時、「では、この戦争は成功したんですか、失敗」だったんですか? 」と問われて、ロンゲはきっぱりと

 「失敗(échec)です」

と答えた。

それで意外だと思ったら、

「すべての戦争は、失敗です」

「殺すこと、それは失敗です」

と重ねて言った。

勝利か敗退かと問われたのではなく、ましてや侵略か正義の戦争かと問われたのでもなく、成功か失敗かと問われたわけだが、「すべての戦争は失敗」、なぜなら戦争とは殺すことで、「殺すことは失敗である」、と続けたことには、ある種の潔さを感じた。

国によるもう一つの「殺すこと」である死刑を廃止した国のことばとして最低限のモラルを示していると思うからだ。

そもそも戦争とは「外交の失敗」の結果だということでもある。

リビアについても、カダフィの息子との水面下での交渉があり得るらしいし、何とか「殺す」以外の方法によって、これ以上「失敗」を拡大しないようにしてほしい。

アメリカの猿真似をするフランスの好戦ぶりに嫌気がさしていたが、こういう立場の人がこういうフレーズをきっぱり口にするのは印象的だった。

日本では復興大臣の失言による失脚だの、政治家の言葉の「格のなさ」のニュースが目立つことが多いので対照的だと思った。
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by mariastella | 2011-07-14 08:33 | フランス

エリック・ベッソンの話

今朝のラジオ(Europe1)で、エネルギー担当大臣のエリック・ベッソンが昨日のル・モンド紙のアンヌ・ロヴェルジョンのインタビュー記事(そこでアレヴァの株主としての政府の定見のなさが批判されていた)に当然弁明するようなコメントをしていた。

まあ、彼らは「同じ穴のむじな」でもあるのだが、はっきりした共通点がある。

例の

「フランスにとって核エネルギーは理性の選択」

という見解だ。

この理性によって、情緒を克服しようという話である。

で、ベッソンが言うには、フランスにとって、核エネルギーの選択は、

ni par passion, ni par amour

つまり、情熱からでもなく、愛からでもない、

という。

あくまでも、エネルギー自立を目指す国益のためという理屈に拠る選択である。

これがロヴェルジョン女史の言う

「悲劇への感性がある者だけが原発をもてる」

という考えと通底しているらしい。

要するに、

「原発の前提には一つ間違うと人類絶滅にさえ至るほどのとてつもないリスクが横たわっている」

ことを踏まえた上で、敢えてメリットを優先する、

という見解なのだ。

ある意味でこれが、核兵器保有国の原発に対するスタンスとしてノーマルなのだろう。

核兵器が一つ間違えば人類を破滅させる力を持っていて、それでも、だからこそ「抑止力」として有効だ、というスタンスを貫いていたのだから、同じことが原発にも適用されるのは当然といえば当然だ。

「必要悪」を理性で制御する、という苦渋と誇りが建前となっている。

そこが日本とは決定的に違うところかもしれない。

日本は、被爆国としてこの「悲劇への感性」が突出していてもいいのに、「核兵器持たない」と言うことで、核兵器は悪=戦争、核エネルギーは善=平和、という二元論に持ち込んだ。

結果、核エネルギー推進政策のトーンは、「エネルギー輸入に頼らずに、過疎地に雇用や金をもたらし、都会では電力を好きなだけ使えて、誰もが恩恵を受けられる夢のエネルギー」、ということになった。

今、過去のプロパガンダを見ると、それこそ情緒的に、クリーンさだの、科学技術の発展だのへの情熱や愛を刺激するようなメッセージがある。

本来なら、やはり核兵器と核エネルギーはセットになって論議されるべきだ。

「核兵器が必要悪である」ような世界を変えていくのはすべての国に課せられた義務であるし、核エネルギーは、「核兵器による抑止力という倒錯状況」の産み落とした鬼子のようなものだということを了解しなくてはならない。

「放射線治療の恩恵もあるから核の平和利用にノーとは言えない」と比べられるレベルではまったくない。

日本と同様、核兵器保有クラブから締めだされているドイツやイタリアにおける核エネルギー廃絶決定を支える「理屈」と「情緒」の兼ね合いも、もっと知りたいものだ。
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by mariastella | 2011-07-08 19:37 | フランス

Corinne Lepage の 『La vérité sur le nucléaire』

フランスの原子力発電について、フクシマ効果のせいか、ようやくまともな批判本『核の真実』が話題になっている。

フランス語が分かる人は以下の著者インタビューでまとめられているのでどうぞ。

http://www.agoravox.tv/actualites/societe/article/corinne-lepage-la-verite-sur-le-30481

コリーヌ・ラパージュは弁護士で欧州議会の議員でアラン・ジュペ内閣の時のエコロジー相だった。もう20年もエネルギー問題をやっている。

(私は実は彼女の弁護士事務所と少し関わったことがあったせいで、誠実さを疑っているのだけれど)

自然エネルギーの割合がフランスではこの15年にほとんど増えていないこと。

人口に対してフランスはドイツより電力消費が多く、消費のピーク時にはドイツから電気を輸入している。

フランスの原発で働くのは12万人だが、ドイツはエネルギー政策の転換によって新たな雇用を35万人創出する。

GEやシーメンスはもう原発を作らない。

アレヴァで儲かっているのはアフリカのウラン鉱山の利権だけ、それもテロの標的になっている。

EPR(第3世代原発)やMOX燃料が売れなくなったらアレヴァは破産する。

ドイツは個人の電気代がフランスより90%高い。

しかしフランスは原発の廃炉費用や廃棄物処理の費用を先送りしているからであり、しかも廃炉の見積もりは実際の10分の1(150億ユーロと見積もっているが実際は2千億ユーロかかる)であり、将来に巨大な負債を残すことになる。

などなど。

EPRはフランスでもまだできていなくて、有望な発注は中国だけだ。安全性重視で高額だから、新興国には安全性よりコストの安いヴァージョンを売れという圧力がアレヴァにあったらしい。

フランスの原発推進も、不透明で議論の対象にならないシステムがつくられていた。

チェルノブイリの時も嘘で固めたフランスだが、時代が変わってフクシマのインパクトの前には、ようやく議論のテーマになりそうだ。

いったん事故があれば、観光立国、農業国のフランスはつぶれる。

大都市リヨンは原発の30キロ圏内にある。

まあ事故は「絶対あり得ない」で強引に通せても、収支計算だけでもフランスのとっている道は異常としかいいようがない。

日本の首相がサルコジと握手して、東電がアレヴァに汚染水処理を発注したりMOX燃料使ったりするのを見てると、日本とフランスは最悪のフィールドで手を組んでいるんじゃないかと恐ろしくなる。
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by mariastella | 2011-07-08 06:40 | フランス

アレヴァ社を去るアンヌ・ロヴェルジョンの言い分

キオスクで見かけたル・モンド紙にアレヴァを去るAnne Lauvergeonのインタヴューが載っていたので、思わず買ってしまった。

彼女とEDF(フランス電力)のトップとの関係が悪いとか、いろいろ取りざたされたのだが、彼女がトップだったこの10年でアレヴァは業界で世界4位から1位になり株が75%上昇した実績を持つ。三期目もやる気満々だった彼女が大統領から退職を通告されたことも含めて、彼女の言い分を聞きたかった。

フクシマにいち早くかけつけて汚染水処理の商売をした背景もできたら知りたかった。

結果は・・・

複合的で微妙だ。

今、仕事中なので、ここでゆっくり紹介したり分析したりする暇はない。

ただ、フクシマへの反応については、彼女はフランス人はドイツ人と同じ情緒的反応をして、イギリスのプラグマテッィクな反応とは対照的だと考える。

これからは情緒よりも理性に呼びかけたいとか言っている。

一つ注目できる言葉があった。

On ne peut faire du nucléaire sans avoir le sens du tragique.

というのだ。

「悲劇に対する感性なしには核を扱えない。」

とでも言おうか。

その後で、カダフィには売れない、と言っている文脈からして、「誇大妄想家の手には渡してはならない」、ということらしい。

核を「力」のツールにはするな、ということらしい。

敷衍していくとインパクトが減っていくが、ここに彼女のけっこう本質的な思想が隠れているのかもしれない。

日本で「原発は一神教的テクノロジーだ」というようなヨタ話が何となくまかり通るのに違和感があったので、これだけメモっておく。

(ちなみに私は核兵器と同様に核エネルギーも世界規模で削減と不拡散に向かうべきだと考えている。私の子供の頃は核戦争の恐怖がインプットされていた。今の子供たちに原発事故の恐怖がインプットされていくのは耐えられない。それこそ理性に訴えてフランスも新しいクリーン・エネルギー開発にかかってほしい)
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by mariastella | 2011-07-08 01:41 | フランス

レヴィ=ストロースLévi-Strauss 、そして、フクシマ・・・

レヴィ=ストロースClaude Lévi-Strauss
の未発表エッセイが2冊相次いで出版された。


http://www.liberation.fr/livres/01012330207-claude-levi-strauss-sous-l-emprise-du-soleil-levant


1979年から2001年のもので、5歳の時に父から贈られた広重の浮世絵を見てから自分の一部は日本と共にあったというようなものから、生まれ育った場所でない文化の深奥には達することができないという構造文化人類学者らしからぬあきらめの言葉まで、さらに、日本は伝統とテクノロジーのバランスを獲得した国であるというコメントもある。

今や毎日の「フクシマ」報道で日本の放射能が強迫観念として振り続けているフランスで、タイムリーだから、ちょっとした話題になりつつある。

今発売の科学雑誌も軒並み原子力特集、日本特集・・・

地震や津波よりも原発事故はフランスの恐怖のツボにはまるせいか、アフリカ情勢やら与党の分裂やらといった緊急の話題が豊富にあるに関わらず「日本報道」は大震災から一ヶ月後も根強く続く。

「ヒロシマ」と「フクシマ」がフランス風に言うと「脚韻を踏んでいる」のも、覚えやすいので二つ合わせて唱えられやすい。

ヒロシマの方はフランス語では、イロシマでしかも「ro」の発音がかなり違うから、日本人にとってはよその国の都市のような響きだが、フクシマはフランス人もちゃんと発音するので、存在感が増す。

ヒロシマの「ヒ」は「hi」でフランス人はhを発音しないからなのだが、福島の「フ」は「fu」と表記されるのでちゃんと発音されるのだ。

「ひ」と「ふ」でこんなに違う運命が待っている・・・

(ex 福田首相はフクダで、鳩山首相はアトヤマとか・・)

私の室内楽友達のヴァイオリニストであるジャンは、3月に予定されていた日本への豪華客船旅行が中止になったのに続いて、5月に行くはずだったウズベキスタンへの旅行も、日本の放射性物質を含んだ雲の危険のために中止になったと言ってがっくりしていた。

5月のウズベキスタンに放射能拡散の風予報が出ているのだろうか?
それとも原油高騰でペイしなくなった観光旅行を、旅行会社が、放射能を口実に中止しているんだろうか。
こんな話が他にもあるのだとしたら妙なことではある。

この調子で「日本による全北半球放射能汚染」話がエスカレートしたら、本当に、これからは日本からフランスにくる観光客だって警戒されかねなくなるのでないか、と心配だ。
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by mariastella | 2011-04-09 19:57 | フランス

拍手のし方

15日にパリで東日本大震災支援のチャリティ・コンサートをする佐藤俊太郎さんとお話しした。

イギリスやフィンランドや日本のオーケストラを指揮する時の団員との関係のお国柄の違いや、聴衆の反応の違いについていろいろ話を聞いていたのだが、

フランスでは、コンサート後の拍手の後、それがだんだんと、アンコールを要求する手拍子になるのだが、それは他の国ではないと言われて驚いた。

私は昔から日本でいろいろとクラシックのコンサートに行ったし、フランスでもさまざまなコンサートに行くし、両方の国で多少なりとコンサートをする側にまわったこともある。

アンコール演奏をしてほしい時には聴衆が拍手のリズムを変えるというのは、あまりにも普通だと思っていたので、それが、いつもどこでも同じだと思いこんでいた。

そう言えば、日本ではなかったんだっけ?

日本では昔はあまり声をかけなかったが、いつからか必ずブラボーという声をかけてくれる人が出てきて、たまにだがスタンディング・オベーションもある。
アメリカではそれがいつもお約束だそうだ。

フィンランドの聴衆の拍手は地味で、はじめて振った時は心配したが、それが普通だと言われたそうだ。

フランスで、ものすごくアンコールを要求する時は足踏みまですることがある。

一度何かのコンサートで、なかなか始まらなかった時にも、聴衆が待ちきれなくて手拍子で開始を要求したことがある。

演奏後は最初は普通の拍手なのだが、だんだんと手拍子がシンクロしてはっきりとした意思表示になるのだ。

個人主義の国の癖に、何かを要求する時は足並み(いや、手並みか・・)を合わせるやつらだなあ。

演奏する側としては悪い気はしない。

そのかわり、もうアンコール曲を弾かない時は、それをはっきり意思表示しないといけない。楽器を持って戻らないとか。もう終わりだというジェスチャーをするとか。すると、普通の拍手に代わって静かに幕となる。

アンコールのない芝居やオペラの時でも最後は手拍子になるが、それはカーテンコールの要求だ。それがいつまでも続く時は、もう終わりということを知らせるために客席のライトがつけられたりする。

本当にフランスだけなのだろうか。
いつ頃からこんなふうなのだろう。
イタリアなど他のラテン国はどうなのだろう。

思い立ってネットで検索したら、

http://books.google.fr/books?id=5fKPlLV2ofgC&pg=PA58&lpg=PA58&dq=scander+l%27applaudissement&source=bl&ots=kPsJmW9T6g&sig=3ZPMZe8MTo6ezec_hrfrfCZBaDg&hl=fr&ei=FSeeTa6DB9KZhQeMwpGmBA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&sqi=2&ved=0CBgQ6AEwAA#v=onepage&q=scander%20l%27applaudissement&f=false

という拍手の歴史の本が読めた。(読めない部分もある)

フランス語で曲を弾く時はexécuterという単語を使うのだが、それは死刑執行と同じ単語なのだが、それを取り上げて、生も死も拍手をともなう、なんてことから始まっていてなかなか面白そうだ。
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by mariastella | 2011-04-08 06:21 | フランス

国立文書館の二つの展示会

今パリにいる人に見学お勧めのミュージアムは国立文書館。

http://www.exponaute.com/lieux/63-archives-nationales/expositions/

僅か6ユーロで、歴史建造物や内装を見学することができて、8 世紀のシャルルマーニュの免状やらナントの勅令やナポレオンの遺書のオリジナルなども見られる上に、今は、対照的な二つのテーマの展示会がある。

一つは14 世紀初めのテンプル会殲滅作戦展示で、

もう一つは17、18 世紀の絶対王朝華やかりし頃のmenus plaisirs du Roi の資料だ。

後者の期間は、フランス・バロック音楽の全盛期と完全にかぶる。

このmenus plaisirs du Roiの日本語の定訳というのを知らないのだが、国王付きの行事を取り仕切る特別部署で、冠婚葬祭、オペラから花火まで受け持った。

Jean Berain の大道具のデッサンなどを見ていると、ミラノでのダヴィンチを思い出す。

あらためて、ルイ14 世の壮大な「演出」趣味に感動する。

このような、大がかりでぜいたくで、技術と芸術とを駆使して、誇大(古代でもある)趣味のうちに、自然や超自然や神秘を再現しようという意図を遂行され得たのにはそれなりの条件があった。

中央集権、絶対権力の王、そしてその王が芸術好き、祭り好きで、長生き、しかも、10数年におよぶ戦争のない期間の存在、などだ。

同じ時代の日本も戦争がない平和な期間だったし、歌舞伎などが盛んになったけれど、支配者の表向きの理念は儒教的、あるいは武士道的な質実剛健だったので、芸能はいわゆる「悪場所」での出来事で、公の豊や力の誇示とは別の世界だった。
戸外での祭は収穫祭などの神事の枠内で盛んだったかもしれないが、時間と場所が管理されていたわけだし、花魁道中だの商家の贅沢だのも、時間と場所が極めて限られていたわけだろうから、中央集権的な圧倒的な贅沢の誇示とは比べ物にならない。

ルイ14世のヴェルサイユ宮での饗宴は、日本ならむしろ安土桃山末期の豊臣秀吉の聚楽第のエピソードなどを連想させるが、秀吉の政権は安定からほど遠く、聚楽第も跡形がない。後も続かなかった。

まあ、フランスではこれだけの壮大な祭りが繰り広げられたのだから、それがやがてはフランス革命にもつながっていくわけだけれど、絶対王権の文化遺産というのは、ある程度残されてきたので、私たちは今でもまだそれを享受できるというわけだ。

この展示会を見たら、総合アートにこれほどの金と時間をかけてくれたルイ王朝に感謝したくなるし、展示会に置かれたノートにも、「フランス万歳 ! ただしサルコジは抜きで」などという書き込みがいくつもあった。

さて、そんな「フランス万歳!」な展示と同時に、1307年のテンプル会一斉検挙にまつわる文書展示があるのだ。

テンプル会殲滅の徹底ぶりを見ると、なるほど、こうやってフランス王は最大のアート・メセナになり得るだけの富を築いてきたのだなあ、ローマ教会やキリスト教の神に遠慮せず自らをジュピターや太陽神になぞらえて天地を再現するオペラを上演する土台ができたのだなあ、と思わせられる。

しかしこれほどなりふり構わぬ一方的なでっちあげ異端審問の嵐を前に、初めは消極的だった神学者たちはもちろん、翌年(1308/5/5-15)には、トゥールで、司教たちや都市参事会や貴族たちが王に招集され、テンプル会撃滅挙国一致体制を可決してしまったたその文書も展示されている)。

挙国一致が全体主義的にまとまっていく様子は、正直言って怖い。

もっと複雑な気がしたのは、この展示会でマルグリット・ポレートの異端判決資料を目にしたことだ。

ベギン会の女性カリスマだったこの人のことは、『ジャンヌ・ダルク-超異端の聖女』(講談社現代新書)の第一章でジャンヌ・ダルクの先駆者として書いたことがある。

ジャンヌ・ダルクのルーアンでの火刑が1431年の5 月31日。マルグリット・ポレートのパリでの火刑は1310年6月1日だ。

異端判決が出たのはその前日の5 月31日。

この日付の意味は大きい。

なぜなら、1307年10月13日に一斉検挙されたテンプル会士のうち54人が
1310年5月12日にはじめて処刑されたからだ。

教皇と王の間の緊張は高まっていた。

ことは複雑なのだが、あえて単純化して言うと、テンプル会から没収した厖大な財産をフランス王が独占すると理解した教皇が異を唱え始めたわけで、その教皇の注意をそらすためにマルグリット・ポレートの火刑が演出されたらしい。

もともと異端審問にはこれといった特別予算がなく、異端宣告を受けた者から没収した財産が資金になっている。言い換えれば、没収すべき財産のない者を異端認定したら赤字になるわけである。

だから、16世紀以降の魔女狩りなどとは違って、個人の、しかも、財産のない女性がわざわざ糾弾されて火刑にされることは異例だった。

つまり、女性が単独で火刑にされるのは、他に別の政治的意図がある場合だということだ。

マルグリット・ポレートもしかり、ジャンヌ・ダルクもしかりである。

ジャンヌ・ダルクの異端審問費用を出したのはイギリス軍だった。

マルグリット・ポレートのそれはフランス王による一連のテンプル会糾弾予算に組み込まれていたのかもしれない。

権力や富の飽くなき追求がなされる時、社会的弱者である女性にスポットライトが当たってスケープ・ゴートにされる。

やりきれないが、唯一救われるのは、これらの犠牲に供された女たちのカリスマというのは、時を超えて生き続けたり蘇ったりするということだ。

彼女らはイコンになる。

その一方で、財力と特権を享受していた男たちのテンプル会士の悲劇の中から生まれ生き延びた神話は、その隠れた財宝だったり、ジャック・ド・モレイの呪いだったりした。

それを思うと感慨深い。
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by mariastella | 2011-04-03 06:09 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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