L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 226 )

エヴァ・ジョリの憂鬱(追記あり)

エヴァ・ジョリって、名前がどこかのセレブ風だし、見た目は金髪に真赤な鼻眼鏡の独特なキャラだし、緑の党の公認として「大統領選」出馬が決まったことにけっこう違和感があった。弁護士としては有名だ。

で、最近公認候補になった時に、はじめてフランスとノルウェイの2重国籍だということや過去にミス・ノルウェイの3位に選ばれたことがあるなどを知った。

2重国籍自体はフランスでは珍しくないので、注意をひかれなかったのだが、スピーチで、「私の(フランス語の)なまりは、私がフランスを選んだという証しで、フランスの栄誉の徴しだ」という趣旨のことを言っていたので、この人にとってフランス語が母国語でなかったこと、日本風にいうバイリンガルではなかったことを知った。

そう思ってあらためてスピーチを聞くと、Zの音がSと澄むことが分かった。日本人にはどうということのない発音だが、ノルウェー人にとっては何十年たっても「なまる」音なのだろうか。でも、言われなければ、その人の単なる癖か、方言のなまりかと思っただろう。

日本人の「バイリンガル」観から言えば、母国語でない言葉を駆使して大統領選に出馬ということ自体が驚きかもしれない。

そのジョリ女史が、革命記念日のシャンゼリゼの軍隊行進の後で、「あれはかなりのエネルギー消費でエコロジー的には問題だから自分が大統領になったなら別の形に見直すかも」、という趣旨(追記1:消した部分は私の解釈だったのだが、その後「私は自分で自分を寿ぐ」とまで言い切ったフィヨンによると女史が軍隊行進を北朝鮮になぞらえたことで頭にきたらしい)、の発言をした。それに対して、フィヨン首相が、「彼女は2重国籍でフランス人になった年月が浅くて、フランスの価値や歴史や伝統への理解が今一つではないか」というような発言をしたものだから、大騒ぎになっている。

2重国籍者への差別は、つい最近サッカー選手要請に絡んでスキャンダルになったばかりだ。
フランスにはいわゆるマグレブ系の移民の二世三世がたくさんいて、フランスで生まれているので2重国籍を有している。ジダンもそうだ。で、そのような選手たちがフランスで苦労して育てても、先祖の国のナショナルチームに入ってしまうことがあるのはいかがなものかという議論が出てきて、それが差別だと言って物議をかもしたのである。

でも、フランスで生まれ育った2重国籍者と、中等教育まですべて他国で終えてからフランスにやって来た後に国籍を取得した者とは、いろんな点で違う。また、いわゆるフランス人と外国人が結婚して生まれた2重国籍の子供たちも違うだろう。

今のようなグローバル化した時代と違って、ジョリ女史が生まれ育った1940年から60年代初めは、国境や文化の差が今より大きかっただろう。

ジョリ女史は、「私は50年もフランスに住んでいるんですよ」と反撃した。

確かに「2重国籍者はフランス人として日が浅い」というフィヨン発言は突っ込まれても不思議ではない。ジョリ女史にはフランスに生まれ育った25歳のフランス人の2倍の年月のキャリアがあるのだ。

そればかりか、生まれてからずっと先祖代々の国で暮らしている人は自国の文化や伝統や価値観について特に意識しないことが多い。青年期以降に外国で暮らしてはじめて、カルチャーショックを体験して、自分の国の文化や伝統の輪郭を確認し、またそれとすり合わせることで、ホスト国の文化や伝統をはっきり意識して、うまく適応した人はハイブリッドに、「器」を大きくしていくものだ。

ではフィヨン首相のほんとに言いたかったのは何かというと、多分、5歳から11 歳くらいの、柔軟な時期にフランスの価値を「叩き込まれる」教育を受けているかどうか、ということなのだろう。

言い換えると、子供時代に過ごした国から人は「洗脳」あるいは「マインドコントロール」され得るという考えが透けて見える。

フランスの言い分はどことなく分かる。

アメリカの小学校の国家掲揚や国歌斉唱でアジア系移民の子供も涙を流すほど感激したり、可塑性の大きい子供たちに「愛国心」をたたきこもう政策はどこにでもある。
ヴァーサリズムにあるから、小中学校には全部「自由、平等、友愛」の標語が掲げられているし、市民教育の時間があって「フランス革命の価値観」などを叩きこまれることになっている。一種の教育社会主義が浸透しているのだ。

これは「愛国心」よりも標榜するユニヴァーサルな理念への忠誠を叩きこもうとしているわけだ。
フランスでは共和国主義は、一種の宗教だから、その洗礼を受けているかどうかと言いたいわけである。

これが軍部に行けば、入口を入ったところに、

「名誉、規律、愛国心」という三つの標語が掲げられている。

まあ軍隊ならば「自由、平等、友愛」の普遍主義だけでは無理なので当然だ。

ともかく、フランスでは、建前としては、人生の入り口で、「自由、平等、友愛」が掲げられるわけであり、その表看板が、下部構造の軍隊やら教会やらの上にあるという認識があるのだ。

フィヨン首相はだから、「共和国主義」を子供の時に叩きこまれてきたか、あるいは国籍取得のために学ばされたか、という2重国籍者ではなくて、単にフランス人との結婚によってフランス国籍を得たジョリ女史を皮肉っていたのだろう。(彼女はオペールとして働いていたホストファミリーの長男である医学生と結婚したのだ。)

女性差別もないとは言えない。

これを受けて、革命記念日の軍隊パレードを肯定する政治家たちも一斉にフィヨンを批判した。「フランス人を出身によってカテゴリー分けすることはフランスの理念に反する」というわけだ。

これは本当で、オバマ大統領がつい最近まで、本当にアメリカで生まれたのかどうかなどとしつこく追及されたアメリカなどとは対照的だ。

社会党の大統領選予備選挙に出馬している人たちは、政策的にはけっこう仲間割れしているくせに、声をそろえてフィヨンを批判した。

その中でマニュエル・ヴァルスが、「自分はスペイン人でフランスの議員の中で唯一、中途国籍取得者だ」と言ったのにも、注意を引かれた。この人は、ロワイヤル女史と同様、少なくとも「口にする言葉」のレベルでは、共感できる政治家だ。

調べてみると彼はバルセロナ生まれで、フランス育ち、カタルーニャ語、フランス語、スペイン語のトライリンガルだそうだ。17歳で社会党のミシェル・ロカールにいれあげた政治青年だったし、フランスの教育をずっと受けているので国籍取得も簡単だったろう。当然いわゆる「なまり」もないし、「カルチャーショック」もない。そういう意味ではサルコジだってハンガリーの移民二世だが「純フランス人」である。

いろんな意味で今回のフィヨンの発言は「舌禍」には違いないのだが、つい本音が出たと思われても仕方がない。

と言っても興味深いのは、彼がイギリス女性(ウェールズ人)と結婚していて、英仏2重国籍の子供を5 人もうけている事実だ。
 
イギリスとフランスでは政治哲学も歴史もかなり違う。でも距離的には近いから子供たちは昔から両国を行き来しているだろう。

そして、フィヨンは、フランスのリセで知り合ったウェールズ人の妻の「フランスの伝統や歴史や価値観」の理解度をどのように感じているのだう。

勘繰りたくなる。

ちなみに私は日本で小中高大学と国公立学校に通ったし、「君が代」だって習ったが、それで愛国心とかを特に感じたことはない。君が代は神楽歌が起源だとかいうが、日本の曲らしい「ファ」抜きのメロディラインなどになじんだことは、幼い頃からピアノやバレーなどで「西洋ロマン派風音楽」がデフォルトになっていた私には貴重だ。というか、音楽の教科書に出てきた「邦楽」や「民謡」系統の曲はすべて新鮮だったので、歌詞も含めてすべて今でも覚えている。

また日本での「西洋」理解はアングロサクソン系やアメリカ風が多かったので、フランスでの生活によっていろいろ修正したり、人種問題や人種感覚についても何度も振り子が左右に振れてきた。

まあ、自分の中の「非カテゴリー領域」をひたすら広く深く掘り下げておけば、後は、具体的な時と場所における特定の個人相手の関係性において、その時々の最善のアイデンティティが浮かび上がるようになる。

最善というのは、もっとも対等で友好的な関係が築けるとか、私よりも相対的に困難な状況にある人の力になれるとか、豊かな充実感が互いに得られて「次につながる」期待が生まれるとかいうことだ。

試行錯誤を経て大体そういう自在な感じになった。いや、他在というべきか。

文脈ぬきで「自分のアイデンティティ」はこれこれなどと言っている間はろくなことがない。ましてや国籍がどうのこうのというのは不毛だとつくづく思っている。

追記2: 18日の朝のラジオで、マグレブの両親を持つ移民2世でサルコジ政権の大臣にまでなったラシダ・ダチが感想を聞かれて、二重国籍云々の問題ではなくそれにはコメントしないと言い、革命記念日の軍隊の行進の重要性を説き、軍隊とは民主主義を守る構成要素だと強調していた。

パレードの前日にアフガニスタンの自爆テロでフランスの兵士の命が奪われていて、大統領もこのパレードは彼らに捧げる、などと言っていたデリケートな時期に、ジョリ女史が批判的なことを言ったわけで、こうなると「舌禍」はむしろ彼女の方なのかもしれない。

彼女の支持率からいって、実際に有力候補となる見込みはないから、ジョリは思っていることを言っただけなんだろうが、そしてフィヨンの反応が社会党候補らの格好の批判の的としてまた使われたことも事実だが、ラシダ・ダチが「軍隊は民主主義とセット」になっているとまで強調するのには激しく違和感がある。

何につけても「力の誇示」は、ある目的のために選択されるものだ。軍隊のパレードが、「民主主義」のシンボルというは、もちろん政治的言辞であって、「真実」ではない。

権力、軍事力、金力の誇示は、どこの国であろうと、個人的には好きではない。

しかし、アフガニスタンの犠牲とか、このタイミングでこのような比喩を出して、彼女の立場でこんな発言をしたのは、政治戦略として、賢明であったのかどうかは分からない。

でもそのおかげで図らずも「二重国籍」に対する差別が露呈したのは興味深いことだった。
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by mariastella | 2011-07-17 22:33 | フランス

Gérard Longuet

12日の国会でリビアへの空撃の続行が可決された。社会党も合意した。2008年の憲法改正によって、軍事行動が4ヶ月を超えたら続行は国会の承認を必要とするからだ。

実に4ヶ月も、当初の「ベンガジの市民を守る」などという目的から「カダフィを失脚させる」に変化させて、アラブ連合の離反を経て、フランスの主導が続いているわけである。ヘリコプターで反乱軍に武器をばらまいたり、民事施設を誤爆したり、どんどん悪い方向に行っている。

同じ日にサルコジがアフガニスタンのフランス軍を電撃慰問してフランス軍の暫時撤退を発表したかと思うと、次の日にはそのフランス軍がタリバンの自爆テロの犠牲になった。シリアでもフランス大使館が暴徒に襲われている。その次の日が革命記念日でシャンゼリゼを戦車や軍隊が行進する。

そういう「力」づくの空気の中で、13日の夕方のテレビ・ニュースに国防大臣のジェラール・ロンゲが出演して、アフガニスタンからの撤退の前に、NATO軍が敗退したという印象を与えるためにテロ行為が仕掛けられているのだ、と語っていた。

その時、「では、この戦争は成功したんですか、失敗」だったんですか? 」と問われて、ロンゲはきっぱりと

 「失敗(échec)です」

と答えた。

それで意外だと思ったら、

「すべての戦争は、失敗です」

「殺すこと、それは失敗です」

と重ねて言った。

勝利か敗退かと問われたのではなく、ましてや侵略か正義の戦争かと問われたのでもなく、成功か失敗かと問われたわけだが、「すべての戦争は失敗」、なぜなら戦争とは殺すことで、「殺すことは失敗である」、と続けたことには、ある種の潔さを感じた。

国によるもう一つの「殺すこと」である死刑を廃止した国のことばとして最低限のモラルを示していると思うからだ。

そもそも戦争とは「外交の失敗」の結果だということでもある。

リビアについても、カダフィの息子との水面下での交渉があり得るらしいし、何とか「殺す」以外の方法によって、これ以上「失敗」を拡大しないようにしてほしい。

アメリカの猿真似をするフランスの好戦ぶりに嫌気がさしていたが、こういう立場の人がこういうフレーズをきっぱり口にするのは印象的だった。

日本では復興大臣の失言による失脚だの、政治家の言葉の「格のなさ」のニュースが目立つことが多いので対照的だと思った。
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by mariastella | 2011-07-14 08:33 | フランス

エリック・ベッソンの話

今朝のラジオ(Europe1)で、エネルギー担当大臣のエリック・ベッソンが昨日のル・モンド紙のアンヌ・ロヴェルジョンのインタビュー記事(そこでアレヴァの株主としての政府の定見のなさが批判されていた)に当然弁明するようなコメントをしていた。

まあ、彼らは「同じ穴のむじな」でもあるのだが、はっきりした共通点がある。

例の

「フランスにとって核エネルギーは理性の選択」

という見解だ。

この理性によって、情緒を克服しようという話である。

で、ベッソンが言うには、フランスにとって、核エネルギーの選択は、

ni par passion, ni par amour

つまり、情熱からでもなく、愛からでもない、

という。

あくまでも、エネルギー自立を目指す国益のためという理屈に拠る選択である。

これがロヴェルジョン女史の言う

「悲劇への感性がある者だけが原発をもてる」

という考えと通底しているらしい。

要するに、

「原発の前提には一つ間違うと人類絶滅にさえ至るほどのとてつもないリスクが横たわっている」

ことを踏まえた上で、敢えてメリットを優先する、

という見解なのだ。

ある意味でこれが、核兵器保有国の原発に対するスタンスとしてノーマルなのだろう。

核兵器が一つ間違えば人類を破滅させる力を持っていて、それでも、だからこそ「抑止力」として有効だ、というスタンスを貫いていたのだから、同じことが原発にも適用されるのは当然といえば当然だ。

「必要悪」を理性で制御する、という苦渋と誇りが建前となっている。

そこが日本とは決定的に違うところかもしれない。

日本は、被爆国としてこの「悲劇への感性」が突出していてもいいのに、「核兵器持たない」と言うことで、核兵器は悪=戦争、核エネルギーは善=平和、という二元論に持ち込んだ。

結果、核エネルギー推進政策のトーンは、「エネルギー輸入に頼らずに、過疎地に雇用や金をもたらし、都会では電力を好きなだけ使えて、誰もが恩恵を受けられる夢のエネルギー」、ということになった。

今、過去のプロパガンダを見ると、それこそ情緒的に、クリーンさだの、科学技術の発展だのへの情熱や愛を刺激するようなメッセージがある。

本来なら、やはり核兵器と核エネルギーはセットになって論議されるべきだ。

「核兵器が必要悪である」ような世界を変えていくのはすべての国に課せられた義務であるし、核エネルギーは、「核兵器による抑止力という倒錯状況」の産み落とした鬼子のようなものだということを了解しなくてはならない。

「放射線治療の恩恵もあるから核の平和利用にノーとは言えない」と比べられるレベルではまったくない。

日本と同様、核兵器保有クラブから締めだされているドイツやイタリアにおける核エネルギー廃絶決定を支える「理屈」と「情緒」の兼ね合いも、もっと知りたいものだ。
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by mariastella | 2011-07-08 19:37 | フランス

Corinne Lepage の 『La vérité sur le nucléaire』

フランスの原子力発電について、フクシマ効果のせいか、ようやくまともな批判本『核の真実』が話題になっている。

フランス語が分かる人は以下の著者インタビューでまとめられているのでどうぞ。

http://www.agoravox.tv/actualites/societe/article/corinne-lepage-la-verite-sur-le-30481

コリーヌ・ラパージュは弁護士で欧州議会の議員でアラン・ジュペ内閣の時のエコロジー相だった。もう20年もエネルギー問題をやっている。

(私は実は彼女の弁護士事務所と少し関わったことがあったせいで、誠実さを疑っているのだけれど)

自然エネルギーの割合がフランスではこの15年にほとんど増えていないこと。

人口に対してフランスはドイツより電力消費が多く、消費のピーク時にはドイツから電気を輸入している。

フランスの原発で働くのは12万人だが、ドイツはエネルギー政策の転換によって新たな雇用を35万人創出する。

GEやシーメンスはもう原発を作らない。

アレヴァで儲かっているのはアフリカのウラン鉱山の利権だけ、それもテロの標的になっている。

EPR(第3世代原発)やMOX燃料が売れなくなったらアレヴァは破産する。

ドイツは個人の電気代がフランスより90%高い。

しかしフランスは原発の廃炉費用や廃棄物処理の費用を先送りしているからであり、しかも廃炉の見積もりは実際の10分の1(150億ユーロと見積もっているが実際は2千億ユーロかかる)であり、将来に巨大な負債を残すことになる。

などなど。

EPRはフランスでもまだできていなくて、有望な発注は中国だけだ。安全性重視で高額だから、新興国には安全性よりコストの安いヴァージョンを売れという圧力がアレヴァにあったらしい。

フランスの原発推進も、不透明で議論の対象にならないシステムがつくられていた。

チェルノブイリの時も嘘で固めたフランスだが、時代が変わってフクシマのインパクトの前には、ようやく議論のテーマになりそうだ。

いったん事故があれば、観光立国、農業国のフランスはつぶれる。

大都市リヨンは原発の30キロ圏内にある。

まあ事故は「絶対あり得ない」で強引に通せても、収支計算だけでもフランスのとっている道は異常としかいいようがない。

日本の首相がサルコジと握手して、東電がアレヴァに汚染水処理を発注したりMOX燃料使ったりするのを見てると、日本とフランスは最悪のフィールドで手を組んでいるんじゃないかと恐ろしくなる。
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by mariastella | 2011-07-08 06:40 | フランス

アレヴァ社を去るアンヌ・ロヴェルジョンの言い分

キオスクで見かけたル・モンド紙にアレヴァを去るAnne Lauvergeonのインタヴューが載っていたので、思わず買ってしまった。

彼女とEDF(フランス電力)のトップとの関係が悪いとか、いろいろ取りざたされたのだが、彼女がトップだったこの10年でアレヴァは業界で世界4位から1位になり株が75%上昇した実績を持つ。三期目もやる気満々だった彼女が大統領から退職を通告されたことも含めて、彼女の言い分を聞きたかった。

フクシマにいち早くかけつけて汚染水処理の商売をした背景もできたら知りたかった。

結果は・・・

複合的で微妙だ。

今、仕事中なので、ここでゆっくり紹介したり分析したりする暇はない。

ただ、フクシマへの反応については、彼女はフランス人はドイツ人と同じ情緒的反応をして、イギリスのプラグマテッィクな反応とは対照的だと考える。

これからは情緒よりも理性に呼びかけたいとか言っている。

一つ注目できる言葉があった。

On ne peut faire du nucléaire sans avoir le sens du tragique.

というのだ。

「悲劇に対する感性なしには核を扱えない。」

とでも言おうか。

その後で、カダフィには売れない、と言っている文脈からして、「誇大妄想家の手には渡してはならない」、ということらしい。

核を「力」のツールにはするな、ということらしい。

敷衍していくとインパクトが減っていくが、ここに彼女のけっこう本質的な思想が隠れているのかもしれない。

日本で「原発は一神教的テクノロジーだ」というようなヨタ話が何となくまかり通るのに違和感があったので、これだけメモっておく。

(ちなみに私は核兵器と同様に核エネルギーも世界規模で削減と不拡散に向かうべきだと考えている。私の子供の頃は核戦争の恐怖がインプットされていた。今の子供たちに原発事故の恐怖がインプットされていくのは耐えられない。それこそ理性に訴えてフランスも新しいクリーン・エネルギー開発にかかってほしい)
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by mariastella | 2011-07-08 01:41 | フランス

レヴィ=ストロースLévi-Strauss 、そして、フクシマ・・・

レヴィ=ストロースClaude Lévi-Strauss
の未発表エッセイが2冊相次いで出版された。


http://www.liberation.fr/livres/01012330207-claude-levi-strauss-sous-l-emprise-du-soleil-levant


1979年から2001年のもので、5歳の時に父から贈られた広重の浮世絵を見てから自分の一部は日本と共にあったというようなものから、生まれ育った場所でない文化の深奥には達することができないという構造文化人類学者らしからぬあきらめの言葉まで、さらに、日本は伝統とテクノロジーのバランスを獲得した国であるというコメントもある。

今や毎日の「フクシマ」報道で日本の放射能が強迫観念として振り続けているフランスで、タイムリーだから、ちょっとした話題になりつつある。

今発売の科学雑誌も軒並み原子力特集、日本特集・・・

地震や津波よりも原発事故はフランスの恐怖のツボにはまるせいか、アフリカ情勢やら与党の分裂やらといった緊急の話題が豊富にあるに関わらず「日本報道」は大震災から一ヶ月後も根強く続く。

「ヒロシマ」と「フクシマ」がフランス風に言うと「脚韻を踏んでいる」のも、覚えやすいので二つ合わせて唱えられやすい。

ヒロシマの方はフランス語では、イロシマでしかも「ro」の発音がかなり違うから、日本人にとってはよその国の都市のような響きだが、フクシマはフランス人もちゃんと発音するので、存在感が増す。

ヒロシマの「ヒ」は「hi」でフランス人はhを発音しないからなのだが、福島の「フ」は「fu」と表記されるのでちゃんと発音されるのだ。

「ひ」と「ふ」でこんなに違う運命が待っている・・・

(ex 福田首相はフクダで、鳩山首相はアトヤマとか・・)

私の室内楽友達のヴァイオリニストであるジャンは、3月に予定されていた日本への豪華客船旅行が中止になったのに続いて、5月に行くはずだったウズベキスタンへの旅行も、日本の放射性物質を含んだ雲の危険のために中止になったと言ってがっくりしていた。

5月のウズベキスタンに放射能拡散の風予報が出ているのだろうか?
それとも原油高騰でペイしなくなった観光旅行を、旅行会社が、放射能を口実に中止しているんだろうか。
こんな話が他にもあるのだとしたら妙なことではある。

この調子で「日本による全北半球放射能汚染」話がエスカレートしたら、本当に、これからは日本からフランスにくる観光客だって警戒されかねなくなるのでないか、と心配だ。
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by mariastella | 2011-04-09 19:57 | フランス

拍手のし方

15日にパリで東日本大震災支援のチャリティ・コンサートをする佐藤俊太郎さんとお話しした。

イギリスやフィンランドや日本のオーケストラを指揮する時の団員との関係のお国柄の違いや、聴衆の反応の違いについていろいろ話を聞いていたのだが、

フランスでは、コンサート後の拍手の後、それがだんだんと、アンコールを要求する手拍子になるのだが、それは他の国ではないと言われて驚いた。

私は昔から日本でいろいろとクラシックのコンサートに行ったし、フランスでもさまざまなコンサートに行くし、両方の国で多少なりとコンサートをする側にまわったこともある。

アンコール演奏をしてほしい時には聴衆が拍手のリズムを変えるというのは、あまりにも普通だと思っていたので、それが、いつもどこでも同じだと思いこんでいた。

そう言えば、日本ではなかったんだっけ?

日本では昔はあまり声をかけなかったが、いつからか必ずブラボーという声をかけてくれる人が出てきて、たまにだがスタンディング・オベーションもある。
アメリカではそれがいつもお約束だそうだ。

フィンランドの聴衆の拍手は地味で、はじめて振った時は心配したが、それが普通だと言われたそうだ。

フランスで、ものすごくアンコールを要求する時は足踏みまですることがある。

一度何かのコンサートで、なかなか始まらなかった時にも、聴衆が待ちきれなくて手拍子で開始を要求したことがある。

演奏後は最初は普通の拍手なのだが、だんだんと手拍子がシンクロしてはっきりとした意思表示になるのだ。

個人主義の国の癖に、何かを要求する時は足並み(いや、手並みか・・)を合わせるやつらだなあ。

演奏する側としては悪い気はしない。

そのかわり、もうアンコール曲を弾かない時は、それをはっきり意思表示しないといけない。楽器を持って戻らないとか。もう終わりだというジェスチャーをするとか。すると、普通の拍手に代わって静かに幕となる。

アンコールのない芝居やオペラの時でも最後は手拍子になるが、それはカーテンコールの要求だ。それがいつまでも続く時は、もう終わりということを知らせるために客席のライトがつけられたりする。

本当にフランスだけなのだろうか。
いつ頃からこんなふうなのだろう。
イタリアなど他のラテン国はどうなのだろう。

思い立ってネットで検索したら、

http://books.google.fr/books?id=5fKPlLV2ofgC&pg=PA58&lpg=PA58&dq=scander+l%27applaudissement&source=bl&ots=kPsJmW9T6g&sig=3ZPMZe8MTo6ezec_hrfrfCZBaDg&hl=fr&ei=FSeeTa6DB9KZhQeMwpGmBA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&sqi=2&ved=0CBgQ6AEwAA#v=onepage&q=scander%20l%27applaudissement&f=false

という拍手の歴史の本が読めた。(読めない部分もある)

フランス語で曲を弾く時はexécuterという単語を使うのだが、それは死刑執行と同じ単語なのだが、それを取り上げて、生も死も拍手をともなう、なんてことから始まっていてなかなか面白そうだ。
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by mariastella | 2011-04-08 06:21 | フランス

国立文書館の二つの展示会

今パリにいる人に見学お勧めのミュージアムは国立文書館。

http://www.exponaute.com/lieux/63-archives-nationales/expositions/

僅か6ユーロで、歴史建造物や内装を見学することができて、8 世紀のシャルルマーニュの免状やらナントの勅令やナポレオンの遺書のオリジナルなども見られる上に、今は、対照的な二つのテーマの展示会がある。

一つは14 世紀初めのテンプル会殲滅作戦展示で、

もう一つは17、18 世紀の絶対王朝華やかりし頃のmenus plaisirs du Roi の資料だ。

後者の期間は、フランス・バロック音楽の全盛期と完全にかぶる。

このmenus plaisirs du Roiの日本語の定訳というのを知らないのだが、国王付きの行事を取り仕切る特別部署で、冠婚葬祭、オペラから花火まで受け持った。

Jean Berain の大道具のデッサンなどを見ていると、ミラノでのダヴィンチを思い出す。

あらためて、ルイ14 世の壮大な「演出」趣味に感動する。

このような、大がかりでぜいたくで、技術と芸術とを駆使して、誇大(古代でもある)趣味のうちに、自然や超自然や神秘を再現しようという意図を遂行され得たのにはそれなりの条件があった。

中央集権、絶対権力の王、そしてその王が芸術好き、祭り好きで、長生き、しかも、10数年におよぶ戦争のない期間の存在、などだ。

同じ時代の日本も戦争がない平和な期間だったし、歌舞伎などが盛んになったけれど、支配者の表向きの理念は儒教的、あるいは武士道的な質実剛健だったので、芸能はいわゆる「悪場所」での出来事で、公の豊や力の誇示とは別の世界だった。
戸外での祭は収穫祭などの神事の枠内で盛んだったかもしれないが、時間と場所が管理されていたわけだし、花魁道中だの商家の贅沢だのも、時間と場所が極めて限られていたわけだろうから、中央集権的な圧倒的な贅沢の誇示とは比べ物にならない。

ルイ14世のヴェルサイユ宮での饗宴は、日本ならむしろ安土桃山末期の豊臣秀吉の聚楽第のエピソードなどを連想させるが、秀吉の政権は安定からほど遠く、聚楽第も跡形がない。後も続かなかった。

まあ、フランスではこれだけの壮大な祭りが繰り広げられたのだから、それがやがてはフランス革命にもつながっていくわけだけれど、絶対王権の文化遺産というのは、ある程度残されてきたので、私たちは今でもまだそれを享受できるというわけだ。

この展示会を見たら、総合アートにこれほどの金と時間をかけてくれたルイ王朝に感謝したくなるし、展示会に置かれたノートにも、「フランス万歳 ! ただしサルコジは抜きで」などという書き込みがいくつもあった。

さて、そんな「フランス万歳!」な展示と同時に、1307年のテンプル会一斉検挙にまつわる文書展示があるのだ。

テンプル会殲滅の徹底ぶりを見ると、なるほど、こうやってフランス王は最大のアート・メセナになり得るだけの富を築いてきたのだなあ、ローマ教会やキリスト教の神に遠慮せず自らをジュピターや太陽神になぞらえて天地を再現するオペラを上演する土台ができたのだなあ、と思わせられる。

しかしこれほどなりふり構わぬ一方的なでっちあげ異端審問の嵐を前に、初めは消極的だった神学者たちはもちろん、翌年(1308/5/5-15)には、トゥールで、司教たちや都市参事会や貴族たちが王に招集され、テンプル会撃滅挙国一致体制を可決してしまったたその文書も展示されている)。

挙国一致が全体主義的にまとまっていく様子は、正直言って怖い。

もっと複雑な気がしたのは、この展示会でマルグリット・ポレートの異端判決資料を目にしたことだ。

ベギン会の女性カリスマだったこの人のことは、『ジャンヌ・ダルク-超異端の聖女』(講談社現代新書)の第一章でジャンヌ・ダルクの先駆者として書いたことがある。

ジャンヌ・ダルクのルーアンでの火刑が1431年の5 月31日。マルグリット・ポレートのパリでの火刑は1310年6月1日だ。

異端判決が出たのはその前日の5 月31日。

この日付の意味は大きい。

なぜなら、1307年10月13日に一斉検挙されたテンプル会士のうち54人が
1310年5月12日にはじめて処刑されたからだ。

教皇と王の間の緊張は高まっていた。

ことは複雑なのだが、あえて単純化して言うと、テンプル会から没収した厖大な財産をフランス王が独占すると理解した教皇が異を唱え始めたわけで、その教皇の注意をそらすためにマルグリット・ポレートの火刑が演出されたらしい。

もともと異端審問にはこれといった特別予算がなく、異端宣告を受けた者から没収した財産が資金になっている。言い換えれば、没収すべき財産のない者を異端認定したら赤字になるわけである。

だから、16世紀以降の魔女狩りなどとは違って、個人の、しかも、財産のない女性がわざわざ糾弾されて火刑にされることは異例だった。

つまり、女性が単独で火刑にされるのは、他に別の政治的意図がある場合だということだ。

マルグリット・ポレートもしかり、ジャンヌ・ダルクもしかりである。

ジャンヌ・ダルクの異端審問費用を出したのはイギリス軍だった。

マルグリット・ポレートのそれはフランス王による一連のテンプル会糾弾予算に組み込まれていたのかもしれない。

権力や富の飽くなき追求がなされる時、社会的弱者である女性にスポットライトが当たってスケープ・ゴートにされる。

やりきれないが、唯一救われるのは、これらの犠牲に供された女たちのカリスマというのは、時を超えて生き続けたり蘇ったりするということだ。

彼女らはイコンになる。

その一方で、財力と特権を享受していた男たちのテンプル会士の悲劇の中から生まれ生き延びた神話は、その隠れた財宝だったり、ジャック・ド・モレイの呪いだったりした。

それを思うと感慨深い。
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by mariastella | 2011-04-03 06:09 | フランス

フランスのロボットなどあれこれ

私のサイトhttp://setukotakeshita.com/

の掲示板でいろいろ話題になっていたフランスご自慢の原発作業用ロボットのことだが、

まず:

一方、アレバ社は28日、本紙に対し、原発事故用にフランスで開発された作業用ロボットの提供を申し出たところ、東京電力が断ったと明らかにした。
 ロボットは1986年のチェルノブイリ原発事故後に同社や仏電力公社が開発にあたり、高性能カメラや作業用アームを搭載。放射線量が高い場所で、 遠隔操作により作業ができる。アレバ社報道担当は、「東京電力はロボット使用は決定的な効果がないと判断したようだ」と述べた。
(2011年3月29日11時41分 読売新聞)

という報道があり、、その後、アメリカのロボットが採用されたと出た。

3月30日付のル・モンド紙にも、フランスのロボットは福島の問題には何らの有効性がないと言って断られたとあった。で、すべての器機はフランスの空港でストップしているそうだ。結局送られたのは放射能汚染除去の専門家五人だけということで、その間にアメリカのアイ・ロボット(2 Packbots 2 Worrior)が採用されたがまだ日本チームはその操作の練習中だと書いてあった。

荒れた猫を何とかしようとしている日本のネズミに、われ先に鈴を提供しようとするフランスネズミやアメリカネズミがいるが、いざその鈴を誰が猫の首にかけに行くかといえばニホンネズミしかいないわけで、訓練しているうちに猫が虎にならないかと心配だ。

サルコジは念願(?)の日本入りを強行するようだが、今度は大被災地に乗り込む憐れみ深い国家元首という役どころでなく、はっきりとフランスの原発を売りつけるプロモートだとフランスでも認識されている。

本当に今回の危機を迅速に収束させてくれて汚染を回避させてくれるなら、「フランスありがと、サルコジありがと」くらいはいくらでも言うが、火事場泥棒的な感じも否めない。

アメリカがエジプトのムバラクをあっさり見捨てたということで、サウジアラビアなどのアメリカ離れが始まっていて、それを機に、フランスがサウジの選抜陸軍の訓練権を全面的に譲られることになったという(ル・モンド同上)。

今回アラブ諸国で唯一戦闘機を出したカタールの軍備はほぼすべてフランス製であり、アラブ首長国連合にも2009年からフランスの基地があって、石油利権という以前にやはりパワーゲームなんだなあと思う。
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by mariastella | 2011-03-31 17:09 | フランス

その後のいろいろ

 この前、冷却水が大量に必要だから海岸に作られる原発について、フランスで平地にあるのはどうなっているんだろうと思っていることを書いたが、

http://www.project-syndicate.org/commentary/chellaney15/English

にあるように、やはり湖や川や河沿いにあるらしく、フランスの原発が一年に使う水は190億立方メートルで、淡水消費の半分は原発だそうだ。(フィガロ3/17)

しかも使用後に高熱の水を戻しているから川や湖の温度が上昇するので、2003年の猛暑のときは17の原発が発電量を減らしたという。

その熱湯をせめて冬場の暖房に回すとかの有効利用が出来ないのだろうか。原発は二酸化炭素を出さないからクリーンなどと言いながら、立派に地球温暖化している気もするが・・・

東京のフランス系企業も通常業務に戻ったようで、地震直後にもうフランスに避難させられていた駐在員などもこの週末に東京に戻るらしい。

駐在員などは旅費が出るが、フランス政府のチャーター機で帰国を呼びかけられた一般在日フランス人は自前で日本に戻らなくてはならない。実際、それが嫌で日本に残った人もいる。

フランスのTVニュースでもようやく被災地や福島県に報道班が入って臨場感のあるものを流しはじめた。

原発から30キロ地点の自宅に避難所から戻ってきて、80代のおかあさんと籠城する息子さんのインタビューなどもあった。

食品の汚染の話題も多く、日本からの食品輸入が規制され始めたらしい。

スーパーで売っている「わかめサラダ」だの「すし」だののパックには、すべてメイド・イン・フランスのシールがはられていた。これではパリの日本レストランにも影響が出ているかもしれない。

木曜日に海軍の人とチャリティコンサートについて話した。ギメ美術館のオリエント協会の会長さんにも紹介してもらった。

パリは4月9日から春休みに入るので集客にはやはりその後の方がよさそうだ。

知り合いのカウンターテナーのセバスチャン・フルニエ

http://contretenor.onlc.fr/

も、ぜひ一緒にと言っている。

彼は2008年のチベット弾圧のときにも支援コンサートに参加した。

奥さんも歌手なので、いろいろなことが出来そうだが、私たちのトリオが昨年秋に日本でバロック・フルートと共演した「精霊の踊り」を彼に歌ってもらうというのは少なくともやりたい。

多くの人の善意があっても、「やる気満々」の人がその中にひとりは必要だ。

できたらアーティストではない人で。

幸いそんな人が名乗りをあげてくれたので、実現する可能性は大きい。

もちろん大海の一滴だけれど、もうプロジェクトが動き始めたので、練習と、健康管理に気をつけなくてはならない。

遅れている仕事も再開しなくては。

けれども、この大震災についていろいろ考えたことで前よりクリアに見えてきたものもある。

私が直接被災したわけでなくとも、同胞の大きな試練の前と後では、世界との関わり方は、もう、同じものではない。
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by mariastella | 2011-03-27 08:37 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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