L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 243 )

第五共和制の限界

フランスの第五共和制が限界に来ていると語られて久しいが、先日マルセル・ゴーシェの解説を聞いて腑に落ちたことがある。

私は、第五共和制における大統領と首相の住み分けを壊したのはサルコジの5年間だと思っていたのだが、そうではなかった。

ECの政治的力が大きくなってきたからなのだ。

もともと、ド・ゴールの第五共和制は大統領に大きな権限を与えてきた。けれども、大統領は内政における政争や、イデオロギーの対立や利害の対立を超越したフランス統合のシンボリックな位置にあるとされていた。

具体的には、

首相が内政を、

大統領が外交と軍事を統括する

というようにすみ分けられていたのだ。

ところが、大統領が外交手腕を発揮すべきECの政治力が大きくなり、今や各国は主権の一部をECに委ねた形になっている。

で、ECでの決定が必然的に内政を縛ることになる。

つまり、大統領が内政を動かすわけだ。

それがさらに問題になるのは、統一ドイツが驚異的な経済成長を遂げて一人勝ち状態となり、EC内の格差が広がり過ぎた現状のせいでもあると私は思う。

オランド大統領の支持率は第五共和制の歴代大統領最低となっている。

この辺で根本的に変えなくてはいけない。「ゴーリスト対コミュニスト」というような構図はとっくに古くなっている。共和国主義を、フランス内、EC内にどこまで拡げていき、普遍主義を世界平和のためにどこまで拡げていけるかということでもある。
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by mariastella | 2013-10-07 17:43 | フランス

ルルドの「水没」

数日前に続いた大雨でフランス南西部に洪水の被害が続出している。

夏が巡礼シーズンのピークとなるフランス最大の巡礼地、ピレネー山麓のルルドも「水没」した

今年はピレネーの雪解けが遅かったので水量の増えていたポー河のガーブが氾濫して、有名な奇跡の泉の湧く洞窟にも泥があふれ、聖域は閉じられ、巡礼者や病者も避難させられた。

25000人収容可能の聖ピウス10世大聖堂は地下聖堂になっているので、ほんとうに、浸水というより水没という感じになった。

川岸に近いホテルや記念品売りの店も多大な被害を受けて、泥だらけになった無数の聖母像がニュース映像に流れた。水は引いても、泥が40 cmも溜まり、ひどいところでは1,5mにも達していたという。 

奇跡の起こるルルドなんだから、みんな福音書のイエスのように「水の上を歩く」ことができるようになるんじゃないかというジョークも出てきた。

奇跡の聖地なのだから、たとえ他の地域が水没してもここだけは奇跡的に「決壊」しなかった、とうストーリーなら盛り上がると思うのだけれど、そうはならなかった。

でも、「奇跡の聖地のくせにこんな被害にあってしまって…」という失望とか揶揄は不思議に起こらない。

ただ、これからのシーズンに毎日4万人というツーリスト(巡礼者)が来るはずなのにそれが見込めないとなると経済的な被害は甚大だ、という報道はあった。
この町には聖地の周りにはりめぐらされた巡礼者用のホテルやレストランや土産物などの観光産業でハイ・シーズンに働いて冬場はスキー三昧で過ごすなどという人たちも少なくないのだ。

でも、遠いところからもう何か月も前にあるいは一年も前から予約して巡礼に来た人たちは、みなあきらめて帰ったわけではない。

水が引きはじめるとすぐに、公的な災害救助や地元の人たちの活動の他に、巡礼者たちも何百人という規模のボランティア・チームを組んで水を汲みだしたり泥を掻きだしたりの作業を始めたのだ。

地下聖堂の聖具室で泥まみれになった2500もの聖職者用の服も外に出されて放水で洗われた。

その努力が実って、夏至の翌日の22日には洞窟が解禁された。

大蝋燭が再び灯され、ルルドの水を好きなだけ汲める蛇口のコーナーには、水を病者のために持ち帰る人がいつものように列をなした。

もちろん各種施設の被害は甚大なのだが、聖域関係者は、「予定されているすべての巡礼団を受け入れる」とコメントしていた。

それにしても、たった4日で聖母ご出現の洞窟まわりがともかくアクセス可能になったのは、ある意味「奇跡」的である。

同じ地方で被害の大きい他の町の映像では、呆然とする人々の絶望的な姿が繰り返し流れ、再起の見通しはまだたたないというニュースばかりだからだ。

ルルドという場所は巡礼による経済効果だけで動いているのではなくて、天気がいい時にだって移動が不自由な病人や障害者などを全員でサポートしてしまう特殊な場所だから、こういう奇跡の復興ができてしまうのかもしれない。

信仰があろうとなかろうと災害にあうのは同じだが、災害から再起する時には「信仰の力」が発揮されるということなのだろう。

「癒し」という奇跡のほんとうの意味も、きっとそのへんにありそうだ。
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by mariastella | 2013-06-23 06:40 | フランス

バカロレアのおバカなテーマ

6月17日、フランスの毎年の風物詩であるバカロレア(中等教育修了国家試験)が始まった。

初日はいつもフランスの語自慢の「哲学」で、与えられたテーマからひとつを選んで4時間かけて論を展開するものだ。

そのテーマの一つに

「労働は自己意識の確立に寄与するか ?」

というのがあった。

時事一コママンガ家のChimulusが早速ネットで揶揄していた。

このテーマについて、

「君たちのパパやママなら君たちになんと答えるかね」

と聞かれた高校生が、

「自分たちは失業中だという意識はもう持っている、って言うと思います」
 
と答えるのだ。

社会全体で失業率が高まるばかりのフランスで、ましてやバカロレアに受かろうが、大学を出ようがその先の就職の見通しが最も厳しい世代である若者たちにこんな問いをたてるなんて、出題する哲学教師たちってどこまで社会の空気を読めないのだろう。(哲学の教授資格を持っているようなリセの哲学教師たちはもちろん公務員でもあり、失業とは縁がないから仕方がないのかもしれないが。)

このウェブ・マンガのコメント欄に

「人は仕事を欲しいんじゃなくて金が欲しいんだよ」

というのがあったのも、半分しか笑えない。
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by mariastella | 2013-06-19 00:02 | フランス

「フランスの勝利」というタイトルの記事が出た 

アメリカとEUの間でも自由貿易(関税撤廃)の交渉が視野に入って来ている中、EUの中でフランスだけが、「文化に関しては絶対に交渉の対象としない」と他の26ヵ国に対して譲らなかったのが、ついに通った。

アメリカとの貿易では欧州でも、すでに遺伝子組み換え穀物(ヨーロッパでは禁止)が家畜の飼料として入って来ているなどさまざまな問題があがっているのだけれど、それでも自由貿易による「経済効果」を見込む勢力が優勢になっている。

日本のTPP交渉の問題では日本にとっての聖域はコメだから規制撤廃対象外して守るべきだなどという話も聞くが、それならフランスにとっても国民食であるパンの元となる小麦だとか乳製品を必死に守るのかと思っていたら、聖域は「文化の多様性」だった。

具体的にはオーディオ・ビジュアルで、たとえば現在ヨーロッパのテレビは映画の放映に関し50%以上がヨーロッパ映画でなければならないという規制があるが、それが守られるということだ。

ここを聖域にしないとテレビはアメリカ映画に席巻されるかもしれない。

EUの議論の場にはハリウッドを舞台にしたフランス映画でアカデミー賞を受賞した『アーティスト』の主演女優であるベレニス・ベジョの姿も見えた。

文化を経済効果や市場原理で扱ってはならないということだ。

それは「人間」を市場原理で扱ってはならないということに通じる。

フランスの政策に関しては近頃特に???の部分もたくさんあるのだけれど、こういう場面でフランスらしさをごり押しして通してしまう信念には久しぶりに感心させられた。
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by mariastella | 2013-06-16 02:41 | フランス

保守は偶像を必要とするのか

数日前の朝のラジオで、ジャーナリストたちが、今の野党である保守UMPの党首選(2017年の大統領候補予備選にもつながる)にまつわる混迷について語っていた時のことだ。

社会党ではすんなりいく予備選がUMPではうまくいかない理由として、そもそもフランスの保守では、複数候補から民主的な民主的に選ばれるというのがなくて、自力で強引に地位をとりにいくタイプがトップに就くのが伝統だからだと言っていた。

ナポレオンしかり、ドゴール、シラク、サルコジしかり、だそうだ。

そう言われればそうかもしれない。

それに対して左翼の陣営は一人のカリスマが突出していることがない。
合議制でうまくいくこともあれば分裂することもある。

フランス革命だって、革命のヒーローというのは定着しなかった。

ナポレオンの出現を待ったのである。

今のフランス政治でキャラの立っている人は極右のル・ペンだとか極左のメランションなので、真逆の立場なはずなのになんだか似てきて、政権を握る社会党の対抗勢力に見えてくるから不思議だ。UMPは影が薄くなっている。

フランス革命で王も教会も失って砂漠のような恐怖時代に突入したフランス人の前に「神」のように自分を演出したナポレオンが出てきた時に、人々は崇拝の対象を見つけて夢中になったのだ。

それに応えたナポレオンは、共和国の守護神としてふるまったが、旧体制の皇帝の猿真似をせざるをえなかった。

その運命の頂点への駆け上りと失墜はまさに神話的なのだが、この人は、仲間内の裏切り者を罰するということがなかったのだそうだ。妹たちをはじめ、周りにいるありとあらゆる人たちから常に妨害を受けていたのに。「裏切り者」が「裏切り者」になる前に共に築き上げてきたものの聖性を壊したくなかったのだろうか。

ただの独裁者ではない。

で、最終的に失墜した後も「後悔」は口にしなかった。

「泣き言というのは自分の尊厳にも性格にも悖る、私は命令するか沈黙するかである」

という言葉を残した。



  
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by mariastella | 2013-06-03 02:16 | フランス

洗礼の取り消し

フランスの共和国アイデンティティがカトリック教会との権力争いの中で築かれてきたのだということを実感することのひとつに、「洗礼の取り消し」というか、洗礼の記録の抹消を求める人の存在がある。

私のごく身近でも、仏教の受戒と戒名を受けるために洗礼の取り消し手続きをした人が複数いる。

普通の日本人にとっては、「自分は仏教徒だ」と言っても、戒名は死んでからもらうようなものだし、「ある仏教派の寺の檀家に生まれた」「法事を寺でやる」というほどの意味しかない。

日本では宗教の統計をとると神道と仏教で軽く総人口を越すくらいに帰属の基準は曖昧だ。

「キリスト教の洗礼を受ける」となると確かに教区の記録に残るわけだが、それをもとに何かを要求されるわけではないから、教会に縁がなくなった人でも別に気にしない。

カトリックとなると、洗礼と同様に結婚も秘蹟で記録に残るから、離婚したら、結婚無効の手続きをしなければもう教会では再婚ができない。

洗礼の方は、普通、2歳までの「幼児洗礼」は確かに本人の自由意思とは関係がないから、8歳くらいからカテキズムに通って信仰告白をしたり初聖体をもらったりする希望を自分で文書にしなくてはならない。

成人洗礼は最初から自分の意思であることが必要で、洗礼と堅信は同時に行われる。

子供の初聖体などはまあ七五三のようなものだから自分の意思といっても、家族の行事みたいなものである。

だからそれを過ぎたら教会に行かなくなるという子供が今や過半数である。

で、別に何の罪悪感もなく暮らしている。それが問題になるのは「仏教に改宗する」など、かえって宗教心の篤い人かもしれない。

後、時の教皇が何か反動的なことを口にする度に、「洗礼取り消し」の手続きをする人たちが出る。

反動的というのは中絶禁止とか避妊禁止とか、共和国の法律に抵触するような発言のことだ。

しかし、5月28日にカーンの高等裁判所で受理されて検討されるルネ・ルブヴィエという人の「洗礼取り消し」訴訟はかなり極端だ。

ルブヴィエ氏は1940年ノルマンディの生まれ。生まれて2日後に村で洗礼を受けた。

その後司教によって洗礼簿に「洗礼を否認した」という一句を名前の傍にすでに書き加えてもらえたのだが、今度は記録そのものの末梢を求めている。

子供の時に、両親など家族が多分良かれと思って教会に頼んだ洗礼を「なかったことにする」のは、なんだか変だ。「洗礼を自分の意思で否認した」という記録を残す方が、その人のアイデンティティに関する信念に合致しているだろうと思うのだが。

パン職人だったルブヴィエ氏は、2001年、61歳の時、教皇による避妊具禁止のコメントを聞いて洗礼取り消しを決心して司教に手紙を出した。

その前からすでに、「カトリック教会は蒙昧で教条主義」だと考える自由思想の信奉者だったのだ。

その結果、彼の洗礼記録の横には「2001/5/31付の手紙により否認された」との一文が加えられた。

ところが、それから10年も経ってから、友人たちによって記録そのものを消す要請ができると知って、今度は司教を相手に公に訴訟を起こしたのである。

彼の要請は最初は受け付けてもらえなかったのだが、2011年10月にクタンスの地方裁判所で取り上げられて、「教会による洗礼は個人の私的情報であり、民法の私生活のリスペクトに関する権利に相当する」とされた。

クタンスの地方裁判所で敗訴した司教は、そのような前例をつくることを恐れて上告することにした。

それが今回カーンで受理されたわけである。

「すべての人はある団体から離脱する権利があり、リストから名を消す権利がある」として、必要なら最高裁まで行くことを決意しているルブヴィエ氏は、それが自分の人生で唯一の良い行動になるかもしれない、とまで言う。

ユダヤやイスラムの割礼と違って洗礼は体にメスを入れることがないから、外的な跡は残らないし、教会で活動していない限り「会費」のようなものを払う必要もないのだから、問題はまったくイデオロギー上のものだと言える。

実際、彼は「自由思想連合」という思想団体に属している。

教会は明らかにしていないが、2008年の『ル・モンド』紙の調査では、フランスでは毎年千件ほどの「洗礼取り消し」があるそうで(教区に月平均10件)、毎年31万人という洗礼者数に比べると微々たるものではある。

教皇のコメントに反発しての洗礼取り消し要請の他に、「エホバの証人」や「ラエリアン」などの新宗教やカルトが信者に勧めるケースもある。フランスでは1996年にヨハネ=パウロ二世がランスを訪れてから洗礼取り消しの傾向が生まれたという。それまでは、ナポレオンとピウス七世の確執以来、200年近くも教皇はフランスに足を踏み入れていなかったのだ。

このようなこだわりは日本人にはなかなか理解できない。

地域の神社や檀那寺から信者としてカウントされていてもいなくても、「実害」さえなければ誰も気にとめないし、お宮参りや初詣に行くことも葬式だけ仏教に頼ることも普通だ。

「洗礼取り消し」が今でもイデオロギーになるくらいに、ある種のフランス人にとっては洗礼も教皇も逆説的に大切なのかなあと思う。

まあ、フランスでカトリックの洗礼式に出席したチベット仏教の活仏から、「自分が生まれ変わってくる予定の子供には洗礼を受けさせないでくれ」と言われたことがあるので、秘蹟のパワーというのは見える人には見えるものかもしれない。
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by mariastella | 2013-05-30 22:37 | フランス

ゲイの結婚に思う宗教と社会

フランスでは社会党のオランドが公約の一つに挙げていた「同性愛者の結婚を認める」法律が来月にも成立しそうなので、反対派のデモが騒がしい。

結婚が同性同士にも広がると、身分証明などの父母の呼称が親1、親2とかの表記になるために、民法自体が変わるので、そんなものは不自然だと反対する人が少なくないのだ。

賛成派の理由は、ゲイのロビーが言いそうな「同性愛者差別撤廃、異性愛者と同様の権利を」というものだけではなく、現状では同性愛者の公認された事実婚カップルは養子縁組をすることが不可能なので、正式に養子をとるための唯一の方法が「結婚」だからというものらしい。

私は養子縁組を真剣に望む自立した成人のカップルなら、同性同士だろうが友人同士だろうが兄弟だろうが、経済的環境的なしかるべき条件を満たしてさえいるなら、普通の夫婦と同様に養子縁組が可能になるべきだと考えている。

そんな場合は、無理に父とか母とか言わす必要もない。

生物学的両親だってわが子を虐待したり捨てたりするケースだっていくらでもある。

大人の愛情と保護を必要としているのに与えられていない未成年の子供に一人でも「家庭」環境を与えてやれるのなら、続き柄など問題ではないと思う。

それなのに、その要件を結婚に限定している現状を保持したままで、だからゲイのカップルにも結婚を、などという方向に向かって、父と母の呼称を民法からなくすとするのは、どこか勘違いしているように思える。

オランドは、実際に結婚式を執行するかどうかは、各地の市町村の長の良心にまかせる、などという変なことまで言いだした。

つまり、住んでいる町の市長がゲイの結婚反対派なら、賛成派の町で結婚すればいいので事実上、ゲイのカップルは正式に結婚できるというわけだ。

フランスの結婚は、役所の式場で執り行われる「結婚式」によって成立する。

市長や助役による結婚の心得やエスプリについての話を傾聴して祝福されて、誓いの言葉を言わされて、新夫婦が証人2人と共に書類にサインすると家族手帳を交付されるのだ。

なぜかというと、長い間、結婚式、いや冠婚葬祭のすべてが、フランス中にあるカトリック教会の儀式だったからである。

そもそも市町村とか県とかいう区切りも、小教区や司教区などから派生したものだ。

フランス革命でカトリック教会のネットワークを全否定しようとした「共和国」政府が、冠婚葬祭をまるまる引き継いだのが市役所の結婚式で、司祭の服装の代 わりにトリコロールのたすきを掛けて夫婦を結びつける市長や助役は完全に「世俗司祭」の役どころだ。洗礼式や代父代母の制度まで、申し込めば市役所でやれ るようになっている。

で、今の民法では、市役所での結婚証明書を持っていない者に教会で結婚を司式するのは違法行為となっている。

そういうシステムをカトリック教会が受け入れたのは、共和国の結婚の概念がカトリック教会のそれと同じだと認めたからだった。つまり、一夫一婦で、互いの合意のみに基づいて、健やかな時も病める時も、死が2人を分かつまで夫婦として支え合って暮らすという誓いだ。

それでいくと、もし今回の民法での結婚がカトリック教会のそれとは大きく変わってくるなら、カトリックは政教分離の後に成立した合意を守る必要はない、つまりカトリック教会は市役所とは独立して結婚を司式できるのではないか、という意見も出てきている。

確かに、今でも、たとえば離婚手続きについては、カトリック教会は離婚を基本的に認めていないのだから、たとえ共和国の法律上で離婚が成立したとしてもカトリックの結婚「台帳」からは消してもらえない。それを無効にする強制力は共和国の法律にはない。

離婚者は原則としていないのだから、カトリック教会は離婚への聖体拝授を拒否しているわけではない。

ただ、民法上の離婚者が民法上で「再婚」した場合には「姦通」状態にあるとされて聖体拝受を拒否されるだけだ。

そのために離婚しても再婚しないままで教会に通い続けている人もいる。(教会に結婚の無効を申し立てる手続きもあるがそれはかなりハードルが高い。)

しかしフランスはもう百年以上もこうした教会VS共和国の綱引きをしているものだから、いろいろなニュアンスが出てきておもしろい。

たとえば、現在人口650人の小さな村の首長で同時に司祭でもあるという人がいる。

その人は、神父になってもう40年になる。

地方公共体の首長となって共和国の結婚式を司式するようになってからの期間はそれよりずっと短い。

当然、「各首長がそれぞれの良心に従って判断する」という通達があれば、同性愛者の結婚は拒否するだろうと思うが、そうではない。

共和国の法律がいったん変われば、それに基づいてゲイのカップルが合法的な結婚式を望む場合にそれを拒否する理由はない、と、この司祭さんは言い切る(もちろん司祭としてではなく共和国の結婚式を挙げることに限ってであり、教会の結婚式ではない)。

がちがちの筋金入りの共和国主義者でもある聖職者はフランスに決して少なくない。

まあこの人の場合は、自分が村長をやっている村の小教区の司祭ではない、自分の教区は別のところだ、というのが逃げ道というか微妙な具合なのだが。

アメリカも州によって保守的だったりリベラルだったりして、同性婚を認めて経済効果があったというところもあるようだが、保守的な層も厚い。

今度のフランスでの議論で、オバマ大統領も同性婚支持というアメリカの状況を例に挙げる人もいたが、教会ロビーの話が出ると、ある論客が、

「アメリカは神から守ってもらっている国だが、フランスは神から自分を守っている国なのだから」

と切って捨てたのは、久しぶりに米仏の違いを前面に出して語られるのを聞いて興味深かった。

確かに神の加護を公に恃んでいるような国は、冠婚葬祭と宗教モラルを簡単に切り離せない。

フランスは神を口にしないことがアイデンティティの一つなのだが、今度の件についてはさすがに、国民議会が宗教界の代表者を招いて公聴会が開かれた。

カトリック、プロテスタント、正教、イスラム、ユダヤ教は、いずれも男と女を創った同じ創造神を戴く一神教だから、意見を聞かれれば、異性婚が人間の自然の秩序であるという答え方になるのは当然だ。

この席で、ただ一人「中立」の立場を表明したのはフランス仏教者連合の代表者である。

大司教やらイマムやらラビなど、なんだかこてこてにマッチョな雰囲気がする一神教代表者たちのそばで唯一紅一点の女性仏教者は、チベット仏教の僧服なので赤と黄の色も鮮やかで目立っていた。

彼女は私の義妹であり、同性婚についても事前に2人で話し合っていたので、中立を守ったのはよかった。

最近宗教と社会の関係を考えさせられたことがもうひとつある。

11月に日本にいた時、国立小劇場で融通念佛宗総本山「大念佛寺の声明-万部法要」というのを観に行った。

金ぴかの面をつけた華麗なコスプレで奏楽しながら「お練り」する25体の菩薩の行列も圧巻だし、カンカンと響く鉦の音にかぶせて1秒に3拍位のハイピッチで全くぶれず一気に唱えられる仏説阿弥陀経だの、緩急緩のリズムが素晴らしくて息継ぎすら聞こえない回向文だの、まさに名人芸が展開される。

私は前にも国立小劇場で声明の聴き比べをしたことがある。普通なら比叡山だとか、今回は大阪市平野区にあるこの大念佛寺でしか見られないようなものを、無形民俗文化財として東京の国立劇場で見られることが、不思議だ。

フランスにもカトリック教会のさまざまなフォークロリックな行事がたくさんあるけれど、いわゆる「ミサ曲」や「聖歌」などをコンサートで聴けることはあっても、本格的な「行事」が劇場にかかって、チケットを買って観に行けるというのは考えられない。

宗教行事は宗教施設の現場や典礼カレンダーに添った時期にしか見られない。

この「大念佛寺の声明」公演では、もちろん、数珠を手にして真剣に念仏を唱えている人も客席にいた。けれども、ただの「観客」が「場違い」の違和感を持たれるという雰囲気ではない。外国人もいる。日本人には寝ている人もちらほらいた。

地方の有名な「祭」のデモンストレーションが他のところでも行われるというのはなんとなく分かるが、専任の僧たちによる宗教のコアな部分が劇場の舞台の上で繰り広げられるというのにかなり驚かされる。

逆にいえば、このように貴重なものを、解説と共にゆっくり座って見せてもらえて非常にありがたい。正座ではないから楽だし。

こうなると、日本の社会における宗教の占める位置というものの独特さについて考えさせられる。

これは成熟なのか、本格的な世俗化が起きているのか、ただの「無関心」や「無節操」なのだろうか。

同じ頃、表参道と青山通りの間に「セント・グレース大聖堂」というのがあって、夕方ライトアップされているのを見て驚いたことも思いだした。

カテドラル型の結婚式場なのだ。

検索すると、千葉や埼玉などには、「大聖堂」どころかそれを中心にしたコートダジュール風とか、ヨーロッパの街並みがそのまま再現されている完全なテーマパークのような大規模のものも少なくない。

考えてみると、表参道と言えば明治神宮への参道なのに、これははっきりとキリスト教であるユニオンチャーチだって堂々と沿道に建っている。デートスポットしても利用されているそうだ。

まあ、ユニオンチャーチは「本物の教会」だから定期的にホームレスなどを対象にした炊き出しをやっていたりするのだから、表参道に面する他のショップと違って社会的使命も果たしている。「…大聖堂」という結婚式場とは本質的に違う。

でも、たとえばヨーロッパの巡礼地になっている大規模聖堂への参道に面して仏教寺院が建っているとか、その近くに日本の神社を摸した「・・大社」という名を冠した結婚式場が鎮座しているところなどは想像できない。

歴史的経緯の差とかいう以上に、何かもっと根本的な、社会と宗教の関係の差があるような気がする。

もちろん、どちらがいいとか悪いとかいう話ではない。

ただ、日本のような国って、ずっと、自分ちのいいものは残してよそのいいものも持ってこようという「いいとこどり」を続けてきた感があり、その結果、「い いもの」を判別する基準がなくなったり、何か大きなものがなくなってしまったりしているのでは、という気は、確かに、する。
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by mariastella | 2013-04-05 00:44 | フランス

『フランスの不思議』(E. トッド)とレジス・ドゥブレの公開書簡

フランスの不思議は、エマニュエル・トッドとエルヴェ・ル・ブラのコンビが、フランスの今を分析した本だ。

日本にも「高度成長期」やバブル時代の後の「失われた20年」などという言葉があるが、フランスにも、「栄光の30年」という戦後30年ほどの成長期神話があって、その後の30年、特にミッテランの社会党政権ができて社会の潮目が変わってからの30年は「どんどん悪くなった」という通説がある。そこに例の「イスラムの台頭」がセットにされて語られるのも常だ。

今でも、フランス人の3分の2は将来に対して悲観的だという統計が最近出ていた。

でも、この本は、公平に見れば最近30年の方がその前の30年よりもずっと良くなっていると言っている。そして、問題は、「イスラムの台頭」などより、地方のカトリック(がゾンビ状態になっている)社会と無宗教的大都市部との間の分断が深くなっていることと、フランスが実は今でもカトリックのゾンビに強い影響を受けていることを意識していないことだという。ここでカトリックのゾンビというのはもうすっかり死に絶えたはずだと思われているものが生きて動いているというくらいの意味らしい。

確かに、今でも農業国としての存在感を保つフランスの地方の農村部などでは、昔ながらのカトリック教会が「氏神様」のように残っていて、つまり、信心組合のような組織がちゃんとある。日本のような「町内会」はないし、他の宗教も入ってこないから、カトリックのままだし、地方には高齢者も多く葬儀の問題もあるので、葬式カトリックは間違いなく生きている。
そしてそのような目には見えない部分が実は今のフランスのエネルギー源になっている。その証拠にかつての保守は右傾化しているし、今の社会党は中道化している。

で、なぜ今のフランス人がペシミストなのかというと、それは今の方が昔よりずっと「よくなってきた」ことの裏返しだという。

栄光の30 年には経済成長があったが、女性の社会進出は阻まれていた。凶悪事件も実は昔の方が多かった。高等教育を受けるものも少なかった。みなが「不平等」を受け入れていた。

今はみなが高等教育を受けたのにそれに見合った職が得られないのでより不満が高まり閉塞感がある。20代前半の女性の83%が働いているのに望むような雇用の安定や賃金が得られない。日常的に自分の命の心配をしなくていい安全な社会にいるからメディアが伝える少数の「凶悪事件」に関心を持って恐れるようになる。そもそも医学が発達して平均寿命が延びたが「安全安心への強いこだわり」とは高齢者に特徴的なもので、長生きしているからこそ、不安が増すのである。

このような話がこの本の論点になっている。

日本の状況とも共通する部分がある。

でも、日本では、

明治の廃仏毀釈と欧化政策、

第二次大戦後の国家神道解体とアメリカ化

という2度のダメージで、地方共同体の宗教は本当に死んでしまったか形骸化してしまっていて、ゾンビとして影のエネルギーを提供しているとは思えない(いわゆる新興宗教の方が影のパワーになっているだろう)。

私はミッテラン時代の前からフランスにいて社会の変化も観察してきたが、最初から、そのカトリック・ゾンビ社会に多大な関心を寄せてきた。

確かに、パリを中心とした都会のインテリ層と地方の昔ながらの共同体との空気の差は大きい。
私は前者の中で暮らしてきたわけだが、彼らにとって、後者、特にカトリック・ゾンビ社会は、フランス革命以来行きつ戻りつしながらようやく殲滅してきた社会で、「ないことにしている」ふしがある。

68年五月革命以前の世代のインテリはそれでも自分たちの戦ってきた「敵」の正体をよく知っていることが多いが、それ以降の世代のインテリは「移民」や「イスラム過激派」や「テロリズム」以外の「敵」を知らない。

都会(あるいは都会に出てきた)のインテリ層は、無神論、無宗教をデフォルトとし、その中で霊的なものを必要とする人たちは仏教徒になる。

そんな中で「カトリック・ゾンビ社会」にコンプレックスなく興味を持ち分け入っていく私は、仲間の無神論者を困惑させたが、まあ「外国人」枠ということで、リスペクトしてもらえたし、仏教者からも「なんとなく仏教文化の教養がありそうだから一目置いておこう」とリスペクトしてもらえた。地方のカトリック・ゾンビ社会でもすなおに大事にしてもらえた。彼らには「共和国的平等」の概念はないので、外国人のインテリでカトリック好きの私にはちゃんと「特別枠」で接してくれるからだ。

『フランスの不思議』は、そうしたフランスの知識人にかかるバイアスを解きほぐす書物でもある。

ポール・ニザンがトッドので祖父で、レヴィ=ストロースが大おじだ。ルロワ=ラデュリーは家族の友人だったとある。ルロワ=ラデュリーは、実証的な歴史学の立場から「宗教」の世界に分け入った。

去年の大統領選ではルロワ=ラデュリーがサルコジを支持し、トッドはオランドを支持して「革命」を期待したのに、オランドが次々と「公約」を反故にしていることについてもなんとか「説明」したかったのかもしれない。

私はそもそも今の社会党政権に最初から不信を抱いている。

サルコジがいろんな意味で極端だったから、相対的にはかなりまともに見えるが、実はサルコジより老獪なアメリカ寄りの新自由主義的エリートのにおいもする。

たとえば次のような経緯を見てみよう(以下『Le Monde diplomatique mars 2013』より)。

この3月は英米軍らのイラク派兵10周年だったので、いろいろな記録が公になって来ているのだが、2003年の時点で、ヴィルパンが国連でイラク派兵に反対する演説をし、シラク大統領が拒否権の発動も辞さないと言った時に、極右から極左までフランスはいっせいにその「アメリカにNOという」立場を支持したかに見えた。

しかしウィキリークスによると、当時社会党の国際関係担当官であり、現在は経済財務大臣であるピエール・モスコヴィシは、イラク戦争後にNATOに挨拶に行き、社会党がアメリカに対して悪感情をいだいていないこと、政権をとっていたらシラクのような立場をとらなかったことなどを述べた。

同じく社会党のミシェル・ロカールも、パリのアメリカ大使に、2003年のヴィルパンの演説を遺憾に思うこと、自分なら沈黙を守っていたことなどを語った(2005/10/24)。

シラク元大統領も回想録vol.2の中で、国民の大勢の支持を得られたもののアメリカのロビーの力は強く、政治エリートは一枚岩でなかったと書いている。特に、Medef(経営者団体)やCAC40からは、アメリカに譲歩しないと重要なマーケットを失うことになると訴えられた。

アメリカに与しないだけで「アンチ・アメリカ」だとレッテルをはるグループがいる。

それは、アメリカが、

「我々(フランス)が彼ら(アメリカ)の衛星になることを受け入れないと言っただけで即、侮辱だと見なす」 (ド・ゴール)

ことと呼応している。

このあたりのことは、『Le Monde diplomatique mars 2013』のレジス・ドゥブレの記事に書いてあった。

レジス・ドゥブレはこの記事を、ユベール・ヴェドリーヌへの公開書簡として書いている。

その事情はと言うと:

2003年に独仏(当時のドイツで当時野党だった現首相メルケルはアメリカを支持していた)が英米のイラク派遣に反対した後、サルコジの時代になり、2009年にフランスはNATOに「復帰」(ド・ゴールが脱退していた)した。

で、2012年に社会党政権になってから、サルコジ時代のその決定をどうしたものかと大統領の諮問を受けたヴェドリーヌが「このままでOK」と答申した。それ

を受けて、ドゥブレがフランスは「NATOから脱退すべきだ」と論陣を張っているのである。

理由は、北大西洋条約機構などと言っても実態はパートナーシップではなく、アメリカというハイパー軍事国によるヨーロッパの道具化であり、保護国化であり、アメリカの軍備を売るためのマーケット確保にすぎないからである。

ヨーロッパにおけるNATOの最高司令官はアメリカ人だ。

ポンピドーやジスカールデスタンの顧問であり、1987-93年の間NATOのオブザーヴァーでもあった大使ガブリエル・ロバンは、

「NATOは国際世界をあらゆる次元で汚染する。ヨーロッパの構築や安全保障を困難にするばかりか、特に問題なのはロシアとの関係を悪くする。国際軍事協定にも調印していないし、戦争以外の外交は想定していないし、国連の安保理事会の意見も聞かない。フランスのような国は、NATOのような無益で有害な組織に何も期待できない」

と切って捨てていたのだ。

サルコジは大統領になる前からブッシュを表敬訪問して2003年のフランスの「無礼」を詫びたことでも知られている。

で、NATOにも復帰した。

そして、次の社会党政権も、「NATOから脱退するなど現実的ではない、フランスはNATOとヨーロッパ連合の防衛の両立ができるはずだ」というようなアドヴァイスを受けているわけである。

こういう議論を読んでいると、なんだか昨今の、日本のPTT交渉参加に関する議論を思い出してしまう。

2003年のイラク派兵支持にしても、今年の3月20日の朝日新聞によると、当時の官房長官福田康夫元首相が、

英国外交筋から、ブレア首相がこの問題で議会演説をする前に英米への支持を表明してほしいと要請してきたので大量破壊兵器の有無などの情報のないままに支持表明したのだ

と言ったらしい。

当時、アメリカに盲従する日本は情けないと思ったが、あの時に敢然とアメリカに抵抗していたフランスでさえ、その裏で、あるいはその後NATOへの復帰を含めていろいろあったのだから、日本にはどうにもできないことだったのだろう。

もっとも、フランスがアメリカに抵抗して自主性を発揮するやり方は、平和主義などではない。


アメリカに負けずに武器や戦闘機をあちこちに売りまくることだったりする。

ド・ゴールだって、核兵器を所有したからNATOを脱退することができたのだ。

最近でも、リビアのアンチ独裁政権を支持すると称して武器を北アフリカにばらまいたし、今度はシリアの抵抗勢力に武器を渡そうなどと言っている。

「テロリストと戦う」という名目でマリではワハビストを追い出し、

サウジアラビアではワハビストと商売をして

シリアでは独裁政権の抵抗勢力の中にいるワハビストを無視できると思っている。

エリートたちのご都合主義は信用できない。

こうなると、イラク以来今のところ平和路線ではぶれていない「カトリック・ゾンビの感受性」に期待したいところだ。

「解放の神学」の先駆者となったブラジルのレシフェのカマラ大司教は

「私が貧しい者に食物を与えると、私は聖人だと言われる。
私がなぜ彼らは貧しいのかと問うと、共産主義者あつかいにされる。」

と言った。

「カエサルのものはカエサルに」という政教分離は、

教会が貧しい者に食物を与えることを受け持ち、

政治家が貧困をつくる社会の構造を改革する

という「分業」が成り立つ時には有効だが、政治が貧困を創り、維持し、強化しているような社会では、聖職者も積極的に政治参加せずにはいられない。

「神の前の罪」とは個人の罪だけではなく集合的社会的な罪もある。第二ヴァティカン公会議はそういう読みとり方を促した。

独居老人や病人、貧困家庭などの援助を使命とする社会活動型修道会の多くは今もその精神を維持している。

けれども、どこの国でも「ブルジョワ」教区ではそのような言説は嫌われ、「教会に政治を持ちこむな」と批判される。

富める国と貧しい国、富める人と貧困から抜け出せない人、遠慮なく弱者を恫喝したり搾取したりする強者、

今の世界の問題は普遍教会の問題でもあり、すべての国の問題でもあり、すべての人間の問題でもある。

怒りや絶望でなく連帯とオプティミズムによって、宗教やイデオロギーの差を超えたより平和な世界をつくる力になるのなら、不思議でも、ゾンビでも、ローマ法王でも、使えるものは何でも使いたいものだ。
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by mariastella | 2013-03-26 01:25 | フランス

女性と仕事

18ヶ月も連続で失業者が増えているフランスだが、特に女性の失業率が高い。

その理由のひとつは、女性が男性よりも職業の有資格者が少ないからだ。

フランスは免状社会で、高等教育を受けた人の失業率は男女を問わず低い。

そして今や高等教育の場だけに限ると、その過半数を女性が占めているのだから、女性が失業しているというのは、女性の方が「教育格差」が広がっているということになる。

もう一つの女性差別に、シングルの女性の失業率が高いというのがある。

これは少し驚きだ。

日本なら独身の頃はフルタイムで働いて、結婚して家庭に入って専業主婦になるとか、妊娠出産を機に退職するとかいうイメージがある。

しかしフランスではシングル女性の方が敬遠されて、そのためにシングルの女性でも、就職を有利にしようとして結婚しているとか事実婚をしているとかの虚偽の申告をする女性も少なくないのだそうだ。

なぜかというと、カップルで暮らしている女性なら、家庭の義務が伴侶と分担できるから、労働力の柔軟性が高いというのである。

これは当然シングルマザーを想定しているからだろう。

フランスの出生率は2を超えているし、いわゆる婚外子は半数を超える。都市部の離婚率は二組にひと組だし、事実婚のカップルが別れる率を加えると、さまざまな形のシングルマザーが誕生する。シングルマザーのまま長くいる女性は少ないが、確かにシングルマザーのままでいると収入も減るし子育ての負担が増え、就業形態に融通が利かないということはあるだろう。

その点、カップルで暮していれば、夫婦であろうと事実婚であろうと、さらに子どもの実の親同士ではなかろうと、育児のノルマをカップルで分け合うというスタイルはフランスでは一般的かもしれない。

私のピアノの生徒でコンサルティング会社に勤めている40歳の女性は、来週は1週間まるまる出張だと言っていた。6歳と12歳の子供の世話や送り迎えは建設業に携わる夫がぜんぶ引き受ける。

他にも、パリに住んでいるのに地方のテレビ局のディレクターをしていて、ほとんど単身赴任状態だった二児の母親も知っているが、彼女の場合は離婚してしまった。
子供の父親が警察官で不規則勤務だったので、24時間勤務体制でベビーシッターを雇っていたからかもしれない。
離婚後、彼女はパリ勤務に戻り、二児は一週間ごとに父親と母親のアパルトマンを行き来している。

このような半々育児は今主流になりつつあって、その場合は両親が近くに住むことが義務付けられているのだ。テレビ局をやめて出版社の役付きになった彼女は、もちろん「シングル」ではなく、パイロットの新しい彼氏と楽しそうに暮らしている。
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by mariastella | 2012-11-30 00:06 | フランス

大統領選が終わった

フランスで17年ぶりに社会党の大統領が選出された。

31年前にミッテランが初めて当選した時にバスティーユ広場はひどい雷雨におそわれて、「神が怒っている」と言い出した知り合いがいて驚いたのを今でも覚えている。

興味深いのは人民戦線のマリーヌ・ル・ペンが、反サルコジを貫いて白紙投票したことで、極右人民戦線の票を取り込もうとして移民排斥などの政策をコピーしてきたサルコジって、いったい・・・というところだ。

人民戦線の「躍進」のせいで、フランスでは極右が台頭しているんですか、とか右傾化してるんですか、というような質問を時々されるのだが、今回ル・ペンにシンパシーを感じた人と、極左メランションにシンパシーを感じた人との間には、ほとんど差のない層がいる。

過去にブッシュに尻尾を振っていたサルコジが、アメリカの不況を見てあっさりとメルケルに乗り換えるのを見て苛立った層といえるかもしれない。

実際、メルケルとサルコジが並ぶのを嫌ってオランドに投票したという人民戦線の支持者も少なくなかった。

サルコジは社会党をこきおろすために盛んにスペインを貶めたことでも際立っていた。社会党政権が7年続くと経済が破綻する、というのだ。これに傷ついたスペイン人は少なくない。

それに、極右が台頭したというより、父の後を継いだマリーヌが、少なくとも公的な場所では前よりも共和国主義やその要である政教分離を強調しているので、新しい世代からは、「新保守」くらいの軽い気持ちで支持されている部分もある。

父親の時代にあったカトリック保守主義というイメージも、マリーヌ自身が二度の離婚(最初の結婚で三人の子がいる)を経て、今の相手とは事実婚という保守カトリックのイメージでは考えられない自由奔放な生き方をしていて、年齢的にも他の候補に比べて圧倒的に若い43歳という新鮮さもあった。

彼女の長女はJehanneといって、ジャンヌ・ダルクにちなんでいるし、マリーヌという名も、本名のMarion Anne Perrineよりも聖母マリアや父親のジャン=マリーを連想させる(上の姉はル・ペンの長女らしくMarie-Carolineという)。

もっとも父親も、1987年に68歳で離婚していて1991年に72歳で、ギリシャ、フランス、オランダの血をひく四歳年下の離婚経験者と再婚しているから、さすがにフランスというか、カトリックでも離婚再婚は保守政治家の足かせとはならない
。社会党のミッテランはさすがに前の世代だから隠し子は長い間隠し子のままだったが、今度のオランドは4人の子をもうけた事実婚のロワイヤルとの関係を解消してジャーナリスト(Valérie Trierweiler :2度の離婚経験者で3人の子の母)とまた事実婚の関係にある。

5年前のロワイヤルの大統領選挙戦の時にはすでにこのジャーナリストと暮らしていたが公表していなかった。

彼女のおかげでシェイプ・アップしてイメージ・チェンジに成功したといわれている。

政治家と結婚する女性ジャーナリストは珍しくないのだが、夫が閣僚入りなどすると、報道の中立性を考えて職を去る人もいる。この人は結婚していないから大丈夫なんだろうか。3人の子を育て上げるために税金を使う気はない、経済的に自立していたい、と言っているのを、Paris Match 誌で読んだことがある。

オランドもシラクも選挙区が同じコレーズで、二人が政治的には対立する陣営にいながら、コレーズの人が、前はシラクに、今度はオランドにと、政見よりも地元性を大切にしてはしゃいでいるのも郷土色を強く残すフランスの特色かもしれない。シラクもオランドもワインが好きだから、と地元の人がうれしそうに言っていた。ワインを飲まないサルコジへのあてつけなのだろう。

今朝のラジオでは、新大統領の誕生のニュースを伝える新聞を買う人たちは、サルコジに投票した人でさえ口元がほころんでいた、と言っていた。
平和な政権交代は民主主義がよく機能している証拠で、不況の世に心機一転の気分をもたらすらしい。

実際、80%を超える投票率で、若者の姿も多く、彼らが感涙にむせんで広場に集まって歌ったり踊ったりする姿を見ていると、毎年のようにいつの間にか首相が変わっている日本などとは国柄が変わってくるだろうと思う。

フランスはいまだに「大きな物語」を共有できる国であるらしい。

けれども、この種の興奮はサッカーの勝敗などにも見られるもので、巨大な金が動く政治やスポーツに蔓延する幻想や偽善を思うと、実のところ、かなり絶望的な気分になってしまう。
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by mariastella | 2012-05-08 05:24 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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