L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 174 )

フランスとイスラム  その7

これは前の記事の続きです。

フランス国内のムスリムを「ISのテロのせいで混同される加害者意識の罪悪感」から「イスラモフォビーの差別の被害者」感情でまとめあげようというCCIFの戦略についてのジル・ケペルの説明は納得がいく。

では、少なからぬメディアや、左派の知識人、社会学者らがそもそもCCIFに呼応するのはどうしてだろう。

実際、フランスのメディアにおいては、何十人という犠牲者を出したニースのテロと、たった一人のムスリム女性が市の条例の行き過ぎた執行によってニースで不当な扱いを受けたという事件とをほぼ同じ情報量で扱った。

これはCCIFのプロパガンダだけでは説明できない。

それには二つの理由がある。

まずCCIFがメディアの扱いにすばらしく長けているという事実だ。

もう一つは、イデオロギーとしてのCCIFの後ろには、イスラモ・ゴーシスト(親イスラム左派)というアクティヴな活動が連携している事実である。

若い世代のムスリムが活発な政治的発言をするようになった(その代表がボンディ・ブログ出身のメディ・メクラットで、彼はイスラモフォビーを告発するメディアの寵児となった。その彼の本性については以前の記事で書いた)。

フランスの左派知識人が彼らを応援し、持ち上げた。

社会学者のエマニュエル・トッドやメディアパールのジャーナリストのプレネルなどだ。

フランスのイスラモフォビーは、1905年の政教分離法におけるカトリックとの関係を引き合いに出して強調された。

いわく、政教分離があっても政府はカトリック司祭がスータン(黒い司祭服)を着て歩くことを禁止したわけではなかった、などだ。

フランスの政教分離とカトリックの関係は、イスラムとの関係とは歴史的にも政治的にもまったく異なっていて同列に語れないことは自明なのだが、なぜ、イスラモ・ゴーシストが「不当に差別されているムスリムの擁護」を新しいイデオロギーにしたのだろうか。

政治学者のジル・ケペルは、過去に同じ「トロツキスト」であり、同年代のエドウィ・プレネルの「イスラモ・ゴーシスム」をこう説明する。

フランスに68年五月革命の嵐が吹き荒れた時、サルトルなど左派哲学者らとともに、多くの若者が共産主義シンパとなり、文化大革命の毛沢東を支持するマオイスト、ソ連内のトロツキー主義を支持するトロツキストを自称した。

「極左」は人類の輝かしい未来に向かうメシア的な存在としてプロレタリアを理想化した。労働運動内部での多くの矛盾には気づかないままだった。 

そのうち、冷戦は終わり、彼らの理想化していた「共産主義」が「全体主義」だったことも分かり、彼らが「共闘」しようとしていたフランスの「労働者」たちも「共産党」を離れて、大量に極右国民戦線に投票するようになった。
極左活動家にとってはそれは「裏切り」だった。

そこで彼らは、極右になびく労働者たちから離れて、「共闘」の対象をフランスのムスリムに方向転換したのだ。

フランスのムスリムは、かつてのプロレタリアのようにいまだ未分化の潜在的力であって、イスラム過激派は彼らの「政党」のように見えた。
彼らはプロレタリア階級のように貧しい地域で生まれ、社会的に将来を閉ざされて、共和国市民よりもムスリムであるというアイデンティティを持つようになった。

そこで、非ムスリム労働者を極右に奪われた左派知識人の一部が、ムスリムの庇護者として、かつての「支配者と被支配者との戦い」を「イスラモフォビーとムスリムの戦い」すり替えてムスリムと「共闘」するようになったのだ。

その背景には、イスラエル植民者によるパレスティナの支配を弾劾する伝統的な親パレスティナの運動もあった。1970年代、中東からはるか離れた日本にすら「日本赤軍」ができて、テルアビブ空港の銃乱射のテロを起こしていたわけだ。

イスラモ・ゴーシストの根は結構深い。
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by mariastella | 2017-03-03 06:20 | フランス

フランスとイスラム  その6

これは前の記事の続きです。

2016年夏の革命記念日の夜、花火ショーが終わったばかりの海岸沿いの遊歩道に大型トラックが突っ込んで多くの死傷者を出した。「イスラム過激派」によるテロである。

当然、ヨーロッパじゅうに衝撃が走った。しかも、無差別テロであるその被害者の三分の一はムスリム市民だった。一般のムスリムも「イスラム過激派」の蛮行に激怒する。

ところが、そのすぐ後、テロの現場のすぐ近くのニースの海岸で、警官が髪や体を覆ったまま海岸で座っているムスリム女性の服を脱がそうとするシーンが撮影されて出回った。

イスラム法原理主義的にはそもそもムスリムの女性が家族以外の男性のいる海岸でくつろぐことも許されない。ましてや肌の露出部分の多い水着を着用するなどは考えられない。

そのために泳ぐことができない女性はたくさんいた。

そこに「ブルキニ」という、体を覆うムスリム女性用の水着が登場した。これをムスリム女性の「自由」の拡大だという。
しかしフランスは公共の場で全身を覆うブルカの着用を禁止している国だ。

セキュリティの問題、フェミニズムの問題、政教分離の問題などのいろいろな試行錯誤がなされての現状だ。
このことについては今までにこの記事サイトの掲示板で書いたことがある。

で、コルシカの海岸で、ムスリムの観光客と現地の人との小競り合いがあったことを受けて、ニースは浜辺でのブルキニ着用を禁止する条例を出し、警官の取り締まりはそれに従ったものだった。

私の考えは上記の記事で読んでもらうとして、ともかく、このブルキニ事件によって、CCIFには都合よく、あっという間にニースは、

「イスラム過激派テロの犠牲」

の町から

「イスラモフォビーの執行者」の

町になった。

ニューヨーク・タイムスはこれを一面で取り上げ、フランスは「政教分離」という名のスターリニズムの国でムスリムにとってのグーラグ(矯正収容所)だと認定されんばかりだった。

フランスの一般のムスリム市民も、ISを憎んでいるにも関わらず、テロがある度に肩身の狭い思いをしなくてはならないことにうんざりしていたから、「フランスは嫌イスラムの国」という構図の方に救いを感じた。

テロの批判よりも、

「悪いのはイスラム差別をするフランス社会だ」

「自分たちは犠牲者だ」

という意識によって共同体意識を強めることになったのだ。(続く)
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by mariastella | 2017-03-01 00:51 | フランス

ヤニック・ジャド、原子力廃絶、秋葉忠利さん

また寄り道。

ラジオで緑の党のヤニック・ジャドのインタビューを聞いた。

先日、自分の出馬を取り消して社会党のブノワ・アモンの支援に回ると言って話題になった人だ。
その時のインタビューも説得力があったけれど、今回も共感できた。

多くの人が「マリーヌ・ル・ペンに勝たねばならない」という視点から今はマクロン支持に回っている。「教師」のカテゴリーでは、29%がマクロン支持で社会党支持を上待っている(ル・ペンは7%)。私の周りにはこの「現役の教師」が多いが、やはりみな、ル・ペンに勝つためにはマクロン、といって社会党を見捨てている。

しかしこれは、トランプを阻止するためにクリントンを支持して結局敗れたアメリカの失敗と同じだ、とジャドは言う。
フランスのソシアルと、地球規模のエコロジーで妥協するわけにはいかない、と。
機会の平等ではなく、法の下の平等が必要だと。

本当にそうだなあと思う。

原子力発電については、現状維持でOKというのがル・ペンとフィヨンだ。
原則論として、この一点だけでもこの二派は避けるのが妥当かもしれない。

経済についても、単に、新自由主義のどこまでも続く成長志向がよくないという単純な話ではない。
日本でもフランスでも、「ブルジョワ知識人」のような人たちが、「脱成長」を唱えたり、断捨離、ミニマリスト、自給自足、農業回帰、清貧志向、みんなで平等に貧しくなろう、貧しくても幸せ、いや真に豊かになれる、という言説をふりまく。

けれども「弱肉強食の競争経済」には限界がある、格差が広がる、だから経済の縮小、ヒューマンな等身大の生活に切り替えればいい、かのような単純な言説は欺瞞だ。

経済システム自体を絶対に変える必要がある。

どう変えるかというと、国連で合意されている「環境保護」と「労働者の人権保護」の二つを直接「経済システム」に組み入れる形で構築しなおすのだ。
地球の環境を悪化させるような経済活動、不法移民の奴隷労働、就学もできない子供たちの労働、心身の過労で壊れていく労働者がいる労働形態と環境、などを解消する形で。

そのためにも、地球の環境を悪化させ、人類滅亡の危機につながるような原子力産業は民間、軍事ともになんとかしなくてはならない。

原子力の廃絶というのが絶対に必要だというのは、最近、秋葉忠利さんが書き手の一人であるブログを愛読するようになって、新たに確信するようになった。とても共感している。
初めはこのブログの注目記事の書き手が「前広島市長」だとは知らずに読んでいた。

ぶれない姿勢には信頼感をそそられる。
かっこいい。

やはり毎日読んでいる澤藤統一郎さんのブログもそうだけれど、今、70代半ばの世代のブログの説得力に感心している。

私より10歳くらい上のこの世代は、いわゆる団塊の世代よりは少し上で、60年安保と70年安保の狭間に「大学生」だったので、ある意味半端というか、中間管理職っぽいイメージがあった。東大闘争のリーダー的存在だった山本義隆さんとかも、当時は、やはり研究者として中途半端に「体制側」にいた後ドロップアウトしたかのようなイメージがあった。

でも、今になって、山本さんもそうだけれど、澤藤さんにしても秋葉さんにしても、ずっと信念を貫いた生き方をしていると分かる。

自分の利益や権力や地位や金や名声を求めて発言してきたような人たちは70代ともなるともう「功成り名を遂げ」てリタイアしている率が高いし、普通に考えてもう「野心」や「承認欲求」にかられて意見を述べるということはない。
もちろんトランプ大統領のような人もいるわけだけれど、そういう人は、もうそれを隠さない。
逆に言えば、70代になっても、個人の利害を超えた信念や原則を貫いている人は「本物」だと確定する感じだ。過去の実績もはっきりしている。

いわゆるインターネットの世代ではない彼らが、こうやってネットで発信してくれることはとてもありがたい。親近感さえ覚える。

不思議なことに、同じようなタイプの女性のブロガーにはまだ遭遇していない。
女性でこの年代で刺激的な論考を発している人はフェミニズム色があるような気がする。
まさにこの年代だから、これまでに、女性差別などのデメリットに遭遇してそれと戦っていくことが生き方に組み込まれているからだろうか。

そう思うと、信頼できる年配の男性の情報発信者がこうして信念を曲げずに戦い続けてこられた陰には、家庭を守ってきたり、家事育児を引き受けたり、夫の心身の健康管理をしてきた夫人たちがいる可能性が大なので、結局は、彼らの歩みは二人三脚なのかもしれない。

フランスでも女性論客は本人に安定した職や経済力があって、夫や子供がいる場合でも、家事や育児を外注できるという人が多い。今まで何度も書いたが、プロテスタントの男女家事分担文化と違って、保育園にしろ、乳母にしろ、家政婦さんにしろ、ベビーシッターにしろ、家族以外の手を借りることへの罪悪感がない社会だからだ。

(ちなみに、私のこのブログの上に、時々、「よく似たブログ」というのが出てくるので、好奇心でたまにクリックするのだけれど、写真ブログが多くて驚く。「外国暮らし」の女性ブログや猫写真のブログというのはまあ共通点が分かるけれど、ケーキのレシピがたくさん出てくるブログが出てくることもある。いったいどういうリサーチでこうなるのかなあ。)
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by mariastella | 2017-02-28 00:19 | フランス

ル・ペン、バイルー、メディ・メクラット

また、寄り道。

マリーヌ・ル・ペンのベイルートでのイスラム・スカーフ拒否や、バイル―とマクロンの共闘についてさらにいろいろな記事などを読んだ。今朝26日にバイル―のインタビューも耳にした。

ル・ペンについては、極左のメランションが評価したのは極右の取り込みに必要だとか、あれはレバノンのムスリムに向けた言葉ではなくて、ただフランスでの自分の支援者に向けたパフォーマンスだとか、ローマ教皇に会うんだったらヴェールをつけるにちがいない、とか言われていた。

EUの公金疑惑問題が露わになればなるほど支持率が上がるというのは、トランプの暴言が全くマイナスに働かなかったのと似ている。

バイル―とマクロンについては、「地に足がついていない」感じのマクロンに対して「地に足のついた」地元の基盤があり実績もあるバイル―が並ぶことがかえってマイナスになる、マクロンの売りはそのヴァーチャルさと若さなのにその両方ともダメージを受ける、という意見もある。
まあ私のように、バイル―のおかげでむしろ信用が増したと感じる人も多い。

そしてバイルーは、「大統領になる」ことを想定する候補者というのは、大統領の役目が「公正(司法)を守ること」、「つまり司法のシステムや現在の制度、メディアの表現の自由を守ることだ」と言う。これは、事情聴取に応じないル・ペンや、スキャンダルはメディアの陰謀だ、司法も先入観を持っていると居直るフィヨンらを批判しているわけだ。

この辺も、「メディアは人民の敵」みたいな暴言を吐いているトランプ大統領のことも意識しているのだろう。

そのほかに、SNSについて考えさせられる話題があった。それは、いわゆる移民の子弟のゲットー化していると言われているような地域の24歳の若者メディ・メクラット、しっかりとした知見をブログで展開し、他のメディアにも取り上げられて、「当事者の星」のような扱いで共和国主義の成果、若い世代のムスリムに期待できる希望の存在として人気を博していたという青年の話だ。何しろ一流の出版社(le Seuil)から本まで出しているし、様々なディベートに招待される常連だった。この人が、実は、別のハンドルネーム(マルスラン・デシャンというフランス人っぽい名)を使って、政治家矢シャルリーエブドを(実際のテロの前から)誹謗し首を斬るといったり、ユダヤ人、同性愛者、黒人にもひどいヘイトスピーチを2015年まで延々とtweetしていたことが明るみに出た。
本人もそれを認めて、あれは自分の中のもう一つの自分、悪の声、ジキルとハイド、と居直っている。過激がどんなものなのか、挑発して試してみたかったと言ったり、二重人格だと言ったりもしている。彼を持ち上げていたメディアにとってはすごいショックだった。

今の世の中、市井の名もない青年がブログ一つで、寵児になることもできるし、一方で匿名に隠れてどんな醜く下品なことでも堂々と書き散らすことができるのだと今更ながら驚く。せっかく一方で社会的に認知されたのだから、リスク管理というか、tweetを完全に消去するとか、メディアの視聴者が期待することだけを発信するにとどめるとかで満足できなかったのだろうか。

だれでも本音と建て前というのがあるのはもちろん分かるけれど、例えばヘイトスピーチはれっきとした犯罪だし、たとえ本音で思っていてもそれを口にしたり文字にしたりするどのような必要があったというのだろう。見たところはいかにもそこいらの「当事者」で、麻薬のディーラーになったりジハディストになったりしても不思議ではないという偏見で見られる「タイプ」である。だからこそ彼の発する知的で建設的な言葉が高く評価されていたのだ。
(今は一転して、不当に攻撃されて身の危険を感じるから一時フランスから出る、と言っている。差別されている側に落とし込むつもりなのだろうか)

「フランス語」一般に言えることだが、フランス語というのはその気になれば、だれでもしっかり内容のあることが言える言葉だ。いつも感心するのだけれど、いわゆる知識人などは当然としても、テレビなどに出てくる「一般人」の体験談などでも、中高生から超高齢者まで、理路整然と分析したり判断したりしている。スポーツ選手などもそうで、今朝も21歳のサッカー選手がラジオで延々と、すごく論理的で説得力のある発言をしていた。

日本だとスポーツ選手は「お相撲さん」を筆頭になんとなく口数が少ない、というイメージがあるし、口数が多いものは軽薄だととられることすらある。

それこそ今はSNS文化によって変わってきたけれど、手紙ひとつ書くにも、気候の挨拶みたいなもので雰囲気を作ったり、相手との年齢を含めた上下関係の枠をまずはめたりと「本題」の部分への切り込み角度が鈍くなる。

私自身もフランス語で書いたり話したりするときの方がずっと楽に言いたいことのエッセンスを言える。このブログには「想定読者」がいないので楽だけれど。

(でもこう毎日書いていると、近頃「ブロガー」さんになったような気がしてきた。よく見ると、毎日更新をしている人も少なくないし。で、たいていの人は、どの記事にも整合性があるというか、ぶれない。そんな安心できるブロガーさんが他のハンドルネームで差別や憎悪を吐き出しているというのがもし分かったら、やはりショックを受けるだろうなあ。ハイド氏は内輪で飼い殺ししておいてくれないと困る)
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by mariastella | 2017-02-27 01:46 | フランス

フランスとイスラム  その5

これは「フランスとイスラム その4」からの続きです。

フランス国内の過激派にとって強力な味方とはCCIF(Collectif contre l’Islamophobie en France)というフランスにおけるイスラモフォビー(嫌イスラム)を告発するグループだ。

もとは、エジプトでのベースを失ったムスリム同胞団のコアはトルコに移ってきていたが、彼らにとってもヨーロッパは格好の戦略目標に映った。

七三二年にポワティエの戦いでシャルル・マルテルに阻まれてピレネーを越すことができず、その後レコンキスタによってイベリア半島からも撤退し、一六八三年には第二次ウィーン包囲でヨーロッパの神聖同盟に破られて、領土の割譲を強いられたイスラムにとってヨーロッパへの進出の三度目の正直が二一世紀の今だ、それは武力でなく説教による改宗への導きだから成功するだろう、と衛星テレビ「アルジャジーラ」で語ったのはムスリム同胞団のユセフ・アルカラダウィだった。

そのためには、ヨーロッパのムスリム共同体に働きかけて、彼らを「侵略者」ではなくて「犠牲者」に仕立て上げることが必要だった。
ISによって植え付けられる「攻撃者としてのイスラム過激派」のイメージを逆転して、ヨーロッパのムスリムは非ムスリムによる差別の犠牲者であるという演出がなされる。

その成功例のひとつが2016年夏のニースのテロに引き続いて起こった「ブルキニ」事件であった。(続く)
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by mariastella | 2017-02-26 00:58 | フランス

大統領選に変化。マクロンとバイル―が組む。

寄り道、第三弾。

フランス大統領選がおもしろくなってきた。

中道モデムのフランソワ・バイルーが、なかなか出馬を発表しないと思ったら、マクロンを支援することを決めたのだ。これで、マクロンは中道左派というより中道認定。

しかも、最近のマクロンは何かあやしかった。
アルジェリアの植民地政策が人道に反する罪だと言ってアルジェリアからの引揚者たちからのヒステリックな抗議を受けたり、彼のミーティングの演出の内幕(盛り上げ要員を募集してスマホで「ここで拍手、ここでこう叫ぶ」などと実況指示してそこだけにスポットライトを当てていた)を暴露するyoutubeが出回ったり、前に声を嗄らして叫ぶのがどこの生き神さまですか、という感じで揶揄されていた。

今まで議員になったこともなければ「政党」にも属さずに拡大するファンを連れてあちこちでミーティングする様子が「キリスト的」だとも言われた。最新の『シャルリー・エブド』の表紙には十字架に架けられたマクロンが「私はあなた方を愛している!」と叫んでいるカリカチュアだった。

こんなことをいうと悪いが最近のマクロンはキリストというよりサイコパスみたいでどこか気味悪かった。

ところが、昔はどもりがちなことを揶揄されていたけれど今やすっかり安心できるおじさん風になったバイル―がマクロンと並ぶと、なんだか、中和されていい感じだ。酸いも甘いも嚙分けたベテランの苦労人のおとうさんが血気にはやる息子を頼もしそうに支えるイメージ。
これとか、これとか。

南西部ポーの市長として人気のバイル―だから、アミアン出身のマクロンを支えるにあたって、「セーヌより北ってことはちょっと、なんだけど、彼のおかあさんは南の出身(ポート同じくピレネーあたり)だから」などと付け加えていたのもおもしろい。この人が言うと何かほっこりする。昔はもっと悲愴な印象もあったのだが。

マクロンがフランス的だと思うのは、「集団の知性に訴える」と連呼しているところだ。
この辺が反知性主義のポピュリズムと違うし、フランス人というのは、一般に、「知性的(に見える)な者」に弱い。今日はフランス映画のセザール賞のセレモニーの日だが、アカデミー賞やなんかの作りとは決定的に違うスノッブさがいつもある。

だからこそ、トランプ大統領を評価する極右のル・ペンですら、言い方にも物腰にも、細心の注意をはらっている。

このフランス人の「エリート・コンプレックス」みたいな上昇志向が完全に崩れたのは10年前のサルコジの登場だった。「コンプレックスを吹っ飛ばす」サルコジは、これまでのフランス大統領なら絶対に口にしないような言葉を使った。

これでよく通用するなと思っていたが、さすがに再選されなかったし、今回も予備選で落ちた。

さて、バイル―に続いて、緑の党のヤニック・ジャドも、出馬をやめて社会党のアモンの支援に回ると言った。緑の党はこれまでずっと独自候補を立ててきたから、この方が実は、今の時代の危機をよく反映していて重要なことかもしれない。

ジャドとアモンは今年50歳の同い年だが、この2人も、アモンがなんとなく人相が悪いのに比べて、ジャドは信頼できそうな感じのいい兄貴分のように見える
緑の党への投票予想はもともと2 %くらいなので大きな追い風にはならないだろうが、こちらも中和していい感じになった。

極左に位置するメランションが彼らに合流する可能性は少ないが、メランションは癖があって濃すぎるので、ジャドやアモンと並んだら、絵的にはかなり微妙だ。

共和党のフィヨンは合法だとしても結果的に妻子に利益供与をしていたので、EUの金を党の資金に回していたル・ペンよりも苦しい立場に立ったままだ。彼の、篤実で信頼できるというイメージを自分で裏切った形だから、なんだかだんだん見苦しくなってきた。

でもある社会党の政治家(ヴァルスを支持していた)が、自分はアモンの政策に賛同できないところはあるがもちろん応援する、投票は心でなくて理性でするものだ、感情によらないで信念によらなくてはならない、と強調していた。

トランプ効果、というのを感じる。
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by mariastella | 2017-02-25 03:43 | フランス

フランスとイスラム  その4

どうしてフランスの対テロ諜報機関がインターネットによる第三世代ジハードを監視していなかったかというのはいくつかの理由がある。

その一つはアラビア語のメッセージを読まなかったからだ。

もう一つは、1995年以来フランスではジハディストのテロが起こっていなかったからだ。

諜報機関はいくつかのモスクで要注意イマムの話をチェックはしていたが、真剣には憂慮していなかった。ジハードは上からピラミッド型に浸透していくものだと考えていたからだ。デジタル革命、SNSによる煽動の拡散を想定しなかったから10年の遅れが出たのだ。

監獄に3,4年入って出てきたジハディストがヒーローのようなオーラをもって、それまでイスラムについて何も知らないゲットーの「不良」たちに、彼らがゲットー化したシテに追いやられているのは不信心でイスラム嫌いな社会のせいであり、ジハードによってそれを解消できると説いたのだ。

監獄はイスラム過激派にとっての「エリート」コースとなっていた。
その実態が長い間看過されていた。

メラーの起こした事件は、精神状態が異常な男が単独で起こしたアクシデントなどではなかった。
彼らは彼らの「論理」に従って行動している。
その「論理」を分析することは可能だ。

しかしそれには最低のイスラム=アラブ文化の知識が必要である。

彼らの目標ははっきりしている。住民を脅かすこと、標的を殺すこと、そのことで他の過激派ではないムスリムを刺激して共同体意識を高めて後に続かせることだ。

けれども、この最後のものは難しい。

なぜなら、シリアやイラクにテリトリーを得て挑発するISは、多くのムスリムに憎まれているからだ。ISが誇示する蛮行は逆効果だった。そこに、強力な味方が現れる。(続く)
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by mariastella | 2017-02-22 01:41 | フランス

フランスとイスラム  その3

ここからはしばらく、政治学者ジル・ケペルが『シャルリー・エブド』No 1276(2017/1/4)に載せた記事を要約する。

2012年3月にメラー事件というのがあった。フランスとアルジェリアの二重国籍マオメッド・メラーという23歳の男がトゥールーズで次々と軍人を殺した後でユダヤ人学校を襲った事件だ。

この事件は第三世代のジハディストによるテロの発端だったのだが、当時大統領選を控えていたフランスでは、一匹狼の特殊な事件だと考えられていた。

その初めは、2005年の1月にシリア人のアブー・ムスアブ・アルスリーが、西洋世界に対する攻撃を呼びかけて、西洋世界のアキレス腱はヨーロッパだと断定した。

それまでのアルカイダは、ビン・ラディンのようにアメリカを狙い、アルジェリアやアフガニスタンというようなイスラム国にジハードを仕掛けた。第三世代というのは、それがインターネットを通した呼びかけであったからだ。どこにいても、今いる場所で「殺す」こと、それによってパニックを誘発し、特定の場所の戦いを内戦にまで広げていくのが「戦略」だった。

ところが、その2005年から、メラー事件の起こった2012年まで、フランスの対テロ諜報部門はこの変化を全くとらえていなかった。(続く)
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by mariastella | 2017-02-21 00:14 | フランス

フランスとイスラム  その1

フランスとイスラムについて前にもう書いたことがある。この記事ではエマニュエル・トッドについても すでに批判している。

これからしばらくこの話について書く。
どうしてトッドのような誤りが生まれたかについてもゆっくり書いていく。

その前に少し概論をして、さらに、アルジェリアのジャーナリストで作家のカメル・ダウードによる2012年から2015年にかけての記事の抜粋を訳する。この人の新しい本が2/15に発売されたばかりだ。

ヨーロッパでイスラム過激派によるテロが頻発するようになったのは、いくつか理由がある。

まず、油断していたこと。

アルカイダはアメリカを標的にしていたし、アフガニスタンやアルジェリアの過激派はイスラム圏でテロを展開していた。フランスでは1997年以来、テロがなかったこともあり、ヨーロッパは別だと思っていたのだ。

イスラム過激派とイスラムのイデオロギーの区別がつかなかった。
というより、イスラムは政治の次元を包含した宗教だという認識によるリスク管理がなかった。

キリスト教はもともとローマ法が制定されていた場所に生まれた政教分離的な宗教だった。
いや、もっと言えば、ユダヤ教がアイデンティティになっていた社会で生まれた非宗教的な教えだった。その後のヨーロッパでは、キリスト教が政治にも軍事にも取り込まれてしっかりと社会の全体主義的規範となったのは事実だ。けれども、ルネサンス、宗教改革、近代革命などを経て、「宗教としてのキリスト教」は限りなく弱体化した。

残ったのは、「伝統儀礼としてのキリスト教」「民間信仰としてのキリスト教」と、キリスト教の基盤である福音にある「自由と平等主義と平和主義」が世俗化した西洋近代普遍主義の価値観である。

「宗教としてのキリスト教」は「信教の自由」の項目の中でのみ存続を許され、キリスト教もそれに適応してきた。

そんな社会にイスラム教が入ってきた。多くは、北アフリカのマグレブと言われる旧植民地(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)からの移民による共同体によるものだったけれど、1960年代以降に、ナーセル大統領の暗殺を謀ってエジプトから追われたスンニー派のイスラム主義(シャリーアによる法治国家の設立を目指す)組織ムスリム同胞団がやってきた。
一部はエルドガン政権のトルコにも亡命したが、ヨーロッパにやってきた彼らは、ヨーロッパにイスラム法治国を打ち立てることを計画した。
もともとイスラムは成立において宗教と政治と軍事が一体化したものだ。異教徒を改宗させてイスラム法による統治を広げる原則を推し進めるグループは、「三度目のヨーロッパ陥落」を目指した。
イスラム勢力は、ヨーロッパでは七三二年にポワティエの戦いでシャルル・マルテルに阻まれてピレネーを越すことができず、その後レコンキスタによってイベリア半島からも撤退したし、一六八三年には第二次ウィーン包囲でヨーロッパの神聖同盟に破られて、領土の割譲を強いられた。三度目の正直が二一世紀の今だという。(続く)
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by mariastella | 2017-02-19 03:02 | フランス

ポンピドー文化センター

パリのポンピドー文化センターができてちょうど40年ということで、記念のドキュメンタリー番組を先日見た。

ポンピドー・センターの歴史はそのまま私のフランスでの生活の歴史に重なるので感慨深い。

できた時には、「友の会」のような支援グループに会費を払って登録していたので、その後、展覧会にも並ばずに入れた。

開館一周年記念のパーティにも招かれて出席した時、センターをかたどった直方体の大きなケーキが出されたのも懐かしい。

ポンピドーセンターの近くはなじみの界隈になった。

まだミッテラン政権の前で、同性愛が刑法上の罪を構成していた時期で、この地区にゲイの友人が、フランスで初めてのゲイのためのカフェを開いていて、ある夕方に訪ねて行った。親密な雰囲気のカップルたちがカウンター席で寄り添っていた。私は目立たないように奥の席に通された。

ベトナム人の知り合いが「七つの牛料理」という名のレストランを開いて、七つの調理をした牛肉料理が次々出てくるのをはじめて食べたのもセンターのすぐ近くだ。ネムという揚げ春巻きをミントの葉といっしょにレタスに包んで食べることもそこで初めて覚えた。

図書館の雑誌コーナーに日本の週刊誌が置いてある時期があって、感激したこともある。

だいぶ後で、私のピアノの生徒のお母さんがここで働いていたので、数々の招待券をもらったこともある。

今回のドキュメンタリー番組で初めて知ったのは、ここが、予定の敷地の半分をセンターに、半分を広場にするというデザインが採用されてできたものだということだ。私は最初から広場は広場だと思っていたのだけれど、じつは、広場はセンターの一部、というか、一体だった。

最初に大道芸人がこの広場に集まってきた時に、警察から追い出されたが、みな戻ってきた。
なぜなら、そこはセンターの一部であるから、センターが警察に撤去を要請しない限り、市や警察は無断で介入できないからだ。

で、いつも大道芸人が集まるなじみの光景が出現した。それは折り込み済みだったわけだ。

2000年の改修以来、図書館部分との入り口が別になったり有料部分も増えたりして、広場の大道芸人はぐっと減ったという。

最近は行っていないけれど、テロ対策はどうなっているのだろう。
広場へのアクセスは自由だから、セキュリティ検査はできない。

嫌な時代になったなあと思う。昔はセンターの外側も内側も、町の延長のような感じだったから。

昨年、金沢の21世紀美術館に久しぶりに行ったけれど、そういえば、昔はポンピドーもこんな感じだったなあ。

なつかしい。
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by mariastella | 2017-02-01 01:03 | フランス



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