L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 162 )

フィヨン、シャルリー・エブド、カトリック

フランソワ・フィヨンが共和党の予備選で大勝したら、今週の『シャルリー・エブド』は、フィヨンを揶揄する傑作なカリカチュアが表紙で、中味も、例のフィヨンとカトリックを結びつける短絡な記事が満載だった。

カトリックがこんなに攻撃されるなんて、なんだか19世紀末か20世紀初めですか、と言いたくなるくらいアナクロな感じがする。
でも私の直接知らなかった反教権主義イデオロギー自体のカリカチュアを見ているようで興味深くもある。

ちょうどフランス司教会議が、政治の理念についての声明を出したし、議長のマルセイユ大司教が、中絶を考え直させるサイトの禁止法案に異議を唱える手紙を大統領に出したものが公開され、翌日のラジオで広報担当の司教がそれを解説するというタイミングでもあった。
11/30にはリヨンのバルバラン大司教が司教区の議員ら260人を連れてのローマ巡礼の3日目に教皇の話を聞いている。
教皇は言わずと知れた格差社会の底辺にいる人の味方で、難民の味方でもあり、その話は極右はもちろん共和党の主流とはかけ離れている。

私が感慨深く思うのは、フランスのインテリ左翼の系譜の人たちがいまだに、というか最近あらたに、カトリックというと、偽善者、小児性愛者、終わったコンテンツ、のように唱え続けることだ。
そして、それが、ヨーロッパの他の国、特に、旧共産圏の国々とはまったくずれているということだ。

東ドイツ出身のメルケル首相のいるドイツも含めて、多くの国では、無神論的物質主義は、政治警察、迫害、強制収容所などを思い出させる。
ロシアでは、ミハイル・カリーニンの時代、1930年に「神なき5年」プロジェクトによって教会は壊されイコンは焼かれ、聖職者や修道者が虐殺された。
アルバニアでもキリスト教だろうとイスラム教だろうと、宗教を信じているという人はすべて殺されたり強制労働に送られたりした。

東ドイツでは、プロテスタント教会は独裁からの避難所として機能し、1989年にベルリンの壁崩壊に至るデモの組織にはライプツィヒやドレスデンの牧師たちが大きな役割を担った。

これらの国々の人たちは、国家による20世紀の殺人が、神の名よりも、科学の名や無神論の名でより多く犯されてきたことをまだ覚えている。

一方、メルケル首相のドイツキリスト教民主同盟や、キリスト教社会同盟など、主要政党に「キリスト教」の名が冠されるなんて、フランスでは考えられない。

アメリカと宗教の関係も根が深いけれど、フランスの反教権主義の根も深い。

そういえば2002年のマリー・ド・ラ・パッションというフランスの修道女の列福式にフィヨンが参加してヨハネ=パウロ二世に謁見しているけれど、フランス革命で殺され殉教したサロモン・ル・クレールが10/16に列聖された時は、フランス革命を加害者にする儀式には出られないとして、カズヌーヴ内務相(宗教も担当)が欠席した。

それにもちろん、フランスではイスラム過激派はもちろん、普通に敬虔なイスラム教徒をどう扱っていいか分からない、彼らだけを差別していると取られると困るから宗教全部を規制しようという動きもある。

『シャルリー・エブド』など、イスラム教への揶揄より何倍もひどいというより下品な表現をカトリックに向けているのは有名で、フィヨンにもそのネタが応用されたわけだ。

フィヨンがカトリックのボーイスカウトに属していたこと、息子たちもそれに続いていることまで、まるでベネディクト16世がヒトラーユーゲントに組み込まれていたのと同じように書き立てているメディアもある。

なんだかいろいろなトラウマをまだ消化も昇華もさせないで抱えているような複雑なものが底に流れている。
オーストリアの状況もそうだし、イタリアの国民投票もリスクが大きく、ヨーロッパは一体どうなるのだろう。
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by mariastella | 2016-12-03 08:15 | フランス

フランス大統領予備選 その8

フランス共和党の大統領予備選は、予想通りフィヨンが大勝した。
全回のフィヨン票とサルコジ票を足した感じだ。

フィヨンの「公約」はかなり具体的なので、「後出し」に向かうル・ペン(FN)や社会党(PS)は戦略が立てやすい。
今朝のラジオではFN(国民戦線)が、フィヨンは国民皆保険の社会保障を事実上なくして、低所得者は医療が受け入れなくなる、と攻撃していた。

昨日の調査では初めて、来年の大統領選の第一回投票でもフィヨンがル・ペンを上回るという結果が出て、決選投票ではジュッペに勝ったのと同じ三分の二の得票、と出ている。
それでも2002年のシラクとFNの決選投票程の差は出ていない。
ポピュリズムが経済格差と比例して増大しているのは確実だ。

首相のヴァルスが出馬する気が満々で、ジュッペが敗れたことからバイルーら中道も出馬しそうだし、(ラマ・ヤデはすでに出馬表明)、フィヨンに対抗する陣営は票が割れそうだ。

それにしても、もう何十年も政治家をやっていて、首相も5年務めたフィヨンが、今になって反動カト(カトリック)呼ばわりをされて揶揄され続けるのを観察するのはおもしろい。
もう一世代前になりつつある「インテリ-左翼-無神論」の伝統がどっと蒸し返されて楽しいくらいだ。

レイモン・アロンは「フランス人は革命はできるが改革はできない」と言ったそうだが、実感がある。
朝のラジオで傑作だったのはフィヨンの勝利でミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の中のヒット曲
「カテドラルの時代」が流されたことだ。

この曲のこの部分
で、「Il est venu le temps des cathédrales 」というフレーズがとても有名で、「カテドラルの時代がやってきた」とフィヨンが揶揄されているわけだ。
反動カトのフィヨンでは政教分離ももうおしまいだ、宗教行事に合わせて国家試験の受験をずらすことができるようになるかもしれない、とも批判されている。
まあ、ここ最近、イスラム原理主義を規制する度に、イスラムを名指ししないために他の宗教も同様に新たな規制を受けるようになったので、マジョリティであるカトリック側から「信仰の自由を保障せよ」という声が上がっているのは確かだ。

でも宗教の社会的スタンスはそれぞれの歴史的文脈があまりにも違うので、まとめて扱うのは恣意的に過ぎる。クリスマスの馬小屋(イエスの誕生シーン)設置は宗教だと批判されても、中国の新年の行事は文化としてもてはやされる。イスラムに対しては完全に政治的な判断だ。

まあ、今回の大統領選については、前回、DSKのスキャンダルで繰り上がった形のオランドが「反サルコジ」票を集めて当選したことに比べると、まだ冷静に議論されるだろうとは思うし、保守と革新(こういう区別の仕方はもはや成り立たないが)の政権交代があること自体は健全だとも思う。PSから距離をとったマクロンあたりが力を蓄えているようだが、まだまだ伸びしろがあるだろう。

ジュッペは最終演説で、環境やヨーロッパについてふれていたのはよかったが、人々が不満を持つ今の状況を「鎮静させるには、安心させなければならない、安心させるには強くなくてはならない。国を再武装して全雇用の経済を再建するために強くありたまえ(Pour apaiser, il faut rassurer, pour rassurer, il faut être fort. Soyez forts pour réarmer l'État et reconstruire une économie de plein emploi)」などと言った。レトリックではあるが、「武装」とか力とか強さとかいう言葉や経済再建とかいう方向性自体は、みんな同じだ。フィヨンも、幸福とは奪い取るものだとか、特別な力だとか、フランス人の誇りだということばを使っている。

選挙「戦」というだけあって戦闘的なのは分かるけれど、どちらも今の状況を嘆かわしいものというところから出発して、それから脱却するには強くなくては、という路線は同じだ。

しつこいようだが、シモーヌ・ヴェイユの言葉をいつも忘れないようにしている私にとっては、賛同できるものではない。

フランス人であることの誇り、それを子孫にも伝えて…などという言説も、どこの政治家もいうことだけれど、誇り=自尊心というのも、たいていは他者との優劣関係におけるものだ。

経済力や軍事力の優位に担保されるような「誇り」ではなく、命そのものの「尊厳」が大切だという多くの宗教が伝えるメッセージとも合致していない。

フランス人仏教者とも話したが、同じ意見だった。
その人は、第一回投票の前の7人の候補者の討論で、唯一の女性であるNKMが、司会者たちから他の候補者に比べて2倍の22回も発言を中断させられたことを指摘して、フェミニズムの観点から彼女に投票したと言っていた。

何にしろ、「戦い」を前にしてはいろいろな本音が見えてくる。

それを観察するのは勉強になる。
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by mariastella | 2016-11-28 20:31 | フランス

フランス大統領予備選 その7

日曜に最終投票となる今回のフランス共和党予備選、事実上の本選だとも言われている。

そのくらい、オランド大統領の人気はないし、社会党が内部分裂を起こしていることもあって、政権交代の可能性は大きいからだ。

では私がフィヨンとジュッペのどちらがましかと思っているのか、と聞かれたのだけれど、社会党の分裂を反面教師とし、アメリカの共和党の分裂も反面教師とし、彼らは、どちらが選ばれても協力態勢で行くことは大体予想できる。

2人ともフランシスコ教皇を引き合いに出して「良心」のある所を強調しているけれど、如何せん、2人とも、教皇とは正反対の「経済成長優先」であることは明らかだ。

いまだにサッチャーの規制緩和を見習えなどと言っているが、考えたら、これ以上経済成長を指標にしたら、地球が壊れてしまうのが分かっているような時代にどうしていまだにそんなことを言えるのだろう。

セキュリティの問題や社会の不満は、みな失業者が多くて可処分所得が減っているのが原因だ、だから「企業と投資家を優遇して景気を良くし、雇用を創出して、利益をみんなに還元する」という理屈がうまくいかないのはもうどこでも証明されていると思うのに。

フィヨンもジュッペも富裕層の特別税を廃止してTVA(消費税に相当)を上げる、などと言っている。

国際的な競争力、発言力はとにかく経済力だ、というのは、もう通用しない。

しかも、今の世界の国々の経済力の大きな部分は軍産複合体にある。
早い話が、経済成長のためには、武器や軍備を増強するのがてっとりばやい。
それは潜在的に戦争を必要とするということであり、街や道路を戦争で破壊したら、今度はそれを再建するための公共事業や復興産業が待っている。

こういう、かなり分かりやすい利権構造が見えているのに、みんな、とりあえずは自分ちの庭に爆弾が落ちなければいいのだろうか。

もう一つ、フランスのカトリックが共和党寄りか社会党よりかという質問だが、全体の傾向としては、
ソシアルにはとても左寄り、ソシエタルには右寄りであると言えるだろう。

ソシアルというのは、同じ共同体のメンバーに対する人間的な関係で、弱者やマイノリティに寄り添う無償の社会福祉的なものは社会党と親和性がある。

ソシエタルは、主として経済的政治的なレベルで使われる言葉で、異なる社会に対する関係と言える。
例えば、企業が自分の従業員に対するのはソシアルだけれど、外国の原料供給者だとか、地球の環境の保全とか、地球レベルでの平等や持続可能性などを考えるのはソシエタルである。

その意味で、自分ちの経済、自分の国の国力増強を優先するのはフィヨンもジュッペも変わらないし、フランスのカトリックと親和性があるだろう。 経済至上主義や金の偶像崇拝を弾劾する教皇とはまったく反対なんだけれどね。
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by mariastella | 2016-11-26 06:14 | フランス

フランス大統領予備選 その6

先ほどTVでフィヨンとジュッペの最終討論を見た。

週明けは両陣営から非難と揶揄の応酬が続いたので、おやおやアメリカ化するのかと思っていたら、まあ、まともだった。

今週フィヨンは保守反動カトリックのレッテルを貼られたし、ジュッペはボルドーのモスクに絡めてアリ・ジュッペなどと言われた。

特にジュッペは70代の年よりだというイメージを払拭するためか月曜のミーティングで

「J'ai la pêche! Mais avec vous j'ai la super pêche!" 」

と気勢を上げたことでSNSでさんざんからかわれた。

la pêche は「桃」で、元気いっぱいという意味の口語で、くだけた言い方だけど、「私は元気です、皆さんといると超元気です!」と 「la super pêche 」と言ったのが、私は覚えていないけれど前世紀のスーパーマーケットの宣伝文句だったらしくて、藪蛇というか、かえって年より臭い、ということになった。

アメリカならなんでもありかもしれないけれど、確かにこんな言葉の使い方をフランスの大統領にしてもらいたくない。おまけに pêche には、ボクシングのパンチという意味もあるので、その pêcheをジュッペの顔面に打ち込んでやる、みたいな応酬もあって、揚げ足取り、言葉遊びのレベルになっていた。

こんなことでは、本選でポピュリストに敗れる種をまいているようなものだと心配だったが、公開討論ではまあまあ上品だったのでほっとしたけれど、インパクトもなかった。
そうなると、「見世物」としては、サルコジがいないとキャラが立っていなくてつまらない。

アメリカでトランプやサンダースが傍流から飛び込んだのと違って、2人とも同じ共和党の同僚同士で親称で呼び合っているし。

でも、サルコジがいなくなったので、決選投票に行く人は減るのではないかとか、フランス人は天邪鬼だから今度はフィヨンを落として番狂わせを狙うとかいう人もいて、どうなるかは蓋を開けないと、分からない。
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by mariastella | 2016-11-25 08:12 | フランス

フランス大統領予備選 その5

アメリカの大統領選に比べてフランスは腐っても鯛、上品だなあと思っていたのに、フィヨンとジュッペの一騎打ちになって、突然相手への誹謗が飛び出した。

フランスがカトリック文化圏の国で、それを倒して共和国を造った国だというのもあらためてよく見えてくる。

カトリック信仰を隠さないフィヨンには「カト、トラディ(伝統主義者)、レアク(反動)」などの言葉が浴びせられる。
カトリックを「カト」というと、すでに、反革命、蒙昧な保守主義者、ブルジョワ王党派などの含意がある。

これを受けてフィヨンは

「カトリックです。でもトラディでもレアクでもない。すべてを変革しようとしているのだから」「信ずる価値観があるのは大事です、私は家庭、国の権威、労働などの価値を信じます」

と答えていた。

ジュッペも、「自分の方がフランシスコ教皇に近い」と明言するし、カトリックに属する二人ともが教皇を引き合いに出して自分の立場を正当化している。

今のローマ教皇は、フランスが力を入れている環境保全の最大の味方だし、社会政策についても、保守どころか社会党からも共感を寄せられるくらいの徹底した弱者擁護である。

ニースのテロの犠牲者や家族を宗教と関係なくヴァティカンで励ましたことも好意的に受け止められている。

アメリカの方が「宗教共同体」の縛りや建前がはるかに強い国だけれど、フランスのような「無神論的共和国」の建前の強い国の「建前の狭間」から漏れてくるカトリック臭というのはある意味で「かわいい」と思ってしまう。

そう思うこと自体、私の世代の日本人がいかに「信仰に無関心」の空気の中で育ったかの表れかもしれない。
建前宗教共同体のアメリカに比べると日本とフランスは似ているなあと日頃思っているけれど、日本の霊的無関心の荒野の乾燥度は半端でないかもしれない。そこを狙われたら誰に水を与えられても識別力が働かない可能性がある。

フランスは果たして、砂漠を掘り返すと泉の気配が見えてくるのだろうか。
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by mariastella | 2016-11-23 19:27 | フランス

フランス大統領予備選 その4

(追記あり)
予備選の結果について仲間2人と話し合った。

2人とも投票に行かなかったことを後悔していた。
2ユーロ払えば誰でも投票できる。
投票率は高かった。

2人は次の日曜にフィヨンの当選確率が高いことにショックを受けている。
もちろんサルコジが敗退したのはいい。

でも、同性愛のカップルの養子問題についてフィヨンが保守的なこと、
労働時間を週35時間から39時間に戻すこと、
公務員を50万人減らすと言っていること、(ジュッペは25万人)

が受け入れられない。

2人とも、公務員(音楽教師)で「当事者」だ。
50万人減はかなり非現実的だ。
公務員の労働時間についてはジュッペも同じだが、他のセクターまでは48時間まで可、とフィヨンは言う。

アスペルガーの支援団体の表看板になっているフィヨン夫人への評価は高い。

うーん。

私の周りのリタイア世代の元公務員にこのことを話したら、
自分たちは現役のころ39時間をはるかに超えて働いていた、
と言われた。

音楽教師で、勤務時間を調整してコンサート活動をしている演奏家とは比べられないかもしれない。

週末には、フィヨンの地元で彼を知っている人がうちに泊まる。
地元での話を聞いてみよう。

宗教に関しては、フィヨンは二人とも洗礼を受けているという点ではカトリックだが、ジュッペは教会へ通うことはなく、離婚や再婚もしている。フィヨンは伝統的な地方のカトリックのタイプ。

フランスの司教団は政治的声明を出した。
新自由主義経済推進の政策に反対する。

ジュッペの考え方は司教団の意見書に近い。
でもフィヨンは、司教団の意見書に対して文書で回答したはじめての大統領候補者だ。

フィヨンの側近には保守的なカトリックが数名いる。

今回の予備選の一度目に投票したのはコアなカトリックの15%程度などであまり影響はなかったと言われる。
これからは意味を持ってくるとも言われている。

要観察。
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by mariastella | 2016-11-23 03:58 | フランス

フランス大統領予備選 その2

昨日の深夜と今朝のニュースなど。

サルコジの敗北演説の落ち着き、格調の高さが称えられていた。
2012年の敗北の後も堂々といい演説をした。
この人のこういう演説の技量はすごいのだから、こういう調子で選挙戦をやっていたら結果が出たかもしれない、という人もいたくらいだ。
いやそれではサルコジにならない、などの声もある。

ナポレオンの国だなあと思う。

失墜してフォンテーヌブローを去るナポレオンの演説について『ナポレオンと神』に書いた。
引き際の美、というのがある。
でも、一年もたたずにエルバ島から戻った。

サルコジも現職大統領として2012年の敗北の後、今回の選挙運動中、またチャレンジして戦闘的なアジ演説を繰り返した。
まだ現役の大統領のままであるかのように。

やはり、ナポレオン・テイスト?

で、今度は、セント・ヘレナ島?

ナポレオンには二度目の敗北の時に、演説の機会が与えられなかった。
裏口から逃げだすしかなかった。
まあその後十分時間をかけて聖人伝のような回想記を残したけれど。

敗北、失脚の仕方には国民性ってあるなあと思う。

日本でもフランスでも、一種の「潔さ」が評価されるが、

日本なら、「消え方」は、討ち死に、切腹、出家だった。

フランスでも、「討ち死に」はヒーローの一つの形でナポレオンも望んだが、殉教者は崇められるので、敵はそれを望まない。

キリスト教文化圏には、イエス・キリストの受難と復活というモデルがある。
だから、「屈辱」を味わっても、敵に対して

「神よ、あいつらを赦してやってください、自分たちの愚かさが分かっていない、私の真価、私が神から遣わされたということを理解できないのですから」

と言って去っていける美学がある。

同時に、イエス・キリストやナポレオンが期間限定(イエスは40日、ナポレオンは100日)で「復活」したように、「復活」の可能性もにおわせる効用がある。

昨日の結果は、コペの0.3%がみじめだった。
数年前に、サルコジの後継者として党代表(UMP)をフィヨンと争ってひと悶着起こした男とは思えない。

それこそ「潔さ」とは正反対のあの騒動のせいで、コペもフィヨンも悪印象を残したから未来はないなあ、と誰もが思っていた。それなのにフィヨンの復活、というか新生を遂げた。
それに比べてコペはみじめだ。決定的にカリスマ性がない。

コペに比べると泡沫候補とされたポワソンですらもっと票を獲得している。
昨日の投票者の15%は保守・中道以外から来たという。
極右と極左がポワソンに投票した、と揶揄されている。

中道を唱えるジュッペが落選したら、バイルーら中道が独自に大統領選に立候補するのかどうかまだ分からない。
フィヨンは、まあ安定した「保守」を掲げているからかえって安心感を与えたと言われている。

また、ジュッベの立ち位置(左右をまとめ上げる)には、イデオロギー的にはマクロンがすでに立候補している。

ともかく、共和党はこれで二人の対決になったので、政策の違いやニュアンスがまな板にあげられるだろう。
「見た目」ポピュリズムの影響は少なくなるだろう。

木曜は二人の討論になる。

こうなると、サルコジがいない分だけ、かなりレベルアップすると思う。
「政治の言葉」としてのフランス語はアメリカ英語よりもはるかに強度がある。

「見た目」よりも「中身」の重要度が増すだろう。
でも、それよりも重要視されるのは、大統領の本選において、どちらが有利かということだ。

予備選でサンダースを落としたアメリカ民主党の失敗の教訓は記憶に新しい。

5月の大統領選でマリーヌ・ル・ペンが決戦に出てくるなら、右派の票も集められるフィヨンの方がル・ペンを切り崩すことができるだろう。
それ以外なら、中道の支持を得るジュッペの方が危機の時代のまとめ役としてふさわしい。

現職のオランドは、この予備選の結果を見てから、来年の大統領選に出るかどうか決める。
今は、社会党の分裂ぶりを見せつけられた左派の人々が「オランドよりジュッペ」、と言っているが、フィヨンとなると、左派がどこまでついてくるかは、分からない。
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by mariastella | 2016-11-21 18:18 | フランス

フランス共和党予備選の結果

共和党予備選の結果が出た。

フィヨンとジュッペの決選投票になる。

ほっとしてなんだか気が抜けた。

サルコジが敗れたのはトランプの反面教師効果だなあと思う。

フランス人、ブレクジットを批判し、アメリカの大統領選をせせら笑ったからには、ここでサルコジ、とはいかなかったのだろう。

フィヨンもジュッぺもゴ―リストでありソシアル、ソシエタル路線なので、どちらが勝っても「フランスらしい」候補者になりそうだ。

しかし、最後の2、3日でフィヨンの勝利がこれほどはっきりと「分かった」のはおもしろかった。
アメリカにいたら、こんな感じでトランプの勝利が「分かった」のだろうか。

本命の3人、ジュッペはシラクと組んでいたし、フィヨンはサルコジの首相だったのだから、どいつもこいつも、という感じで、新しさはないと思っていた。

最後のアンケートで、ジュッペが17%失い、フィヨンが15%上がった。

明らかにジュッペ支持者がフィヨンに乗り換えている。

あるジャーナリストが、フィヨンがだんだんと器を大きくしていくのに比べて、相変わらず落ち着いたジュッぺは、「ancien」だ、と評したのを耳にした時、あまりにもぴったりだったので説得力があり、ああ、これはフィヨンが勝つ、と思った。

確かに、今回の本命の3人は、いずれも普通なら定年でリタイアの年齢だ。
でもフィヨンとジュッペの間は10歳近く離れている。この年代での10年の差は看過できない。

「ancien」つまり、過去の人、だ。
シラクのスケープゴートになって有罪になり、カナダで暮らしていた過去もある意味で暗い。
それに見た目の差もある。
一度「年寄り」と言われれば、ついこの前までの「賢人」「長老」風のプラスのイメージが劇的にひっくり返った。

ポピュリズムは言動にだけでなく「見た目」にもはたらく。

ジュッペの禿げ頭は、ミッテランやシラクを思い出させてしまう。

髪が薄いこと自体がマイナスというわけではない。
サッカーのジダンのように、生え際が後退してきて髪を剃ってしまう人もいるし、それはそれで精悍な感じがする。でも、一定の年を超えた人が、一定の形容をされると、「おじいさん」に見えてくる。

考えてみたら、同じ70代のトランプも、75歳になったサンダースも、髪がある。
トランプの金髪はジョークの種になるほどのトレードマークだ。
サンダースはきれいな白髪だ。

もちろん誰も髪のことなど言わない。
でもこれだけ姿がメディアに出ずっぱりの状況で、最も目立つ顔かたちの印象を大きく変える髪や髪形は無視できない。

フィヨンは姿かたちが「大統領候補」の形に追いついた。
ジェスチャーや声も大きくなった。

ジュッペの余裕たっぷりで落ち着いた感じは、「覇気のなさ」に見えてきた。

興味がわいてきたので、候補者7人の年齢と身長も調べてみた。
コペとジュッペが182cm、ル・メールが190cmとトランプと同じ。フィヨンは175cmとある。
前に165cmのサルコジと組んでいたからもう少し背が高いかと思っていた。

コペは51歳と若いが、彼も額が禿げ上がっているので、老けて見える。

サルコジは来週フィヨンに投票すると言っている。

もしフィヨンがこの先、大統領になるなら、またフランソワだなあ、と思う。
フランソワ・ミッテラン、フランソワ・オランド、フランソワ・フィヨン。

フランシスコ教皇もフランス語読みではフランソワだ。
アッシジのフランチェスコは父親がフランスに行っていたときに生まれたのでフランチェスコと名付けられた。

とってもフランスっぽい名前だが、実は、若い世代ではほとんど見られない。
この名前だけで、もう、60代以上だと分かる。

フィヨンといえば、ギニョールのカリカチュアではいつも目の下にクマができた暗い顔で登場していた。
近頃は、明るい顔をしている。

マクロンほどではないけれど。

マクロンは不思議なキャラだ。あまりもの若さがどう受けとめられるだろう。
ナポレオンは皇帝になった時、35歳でしかなかった。
マクロンの話しぶりを聞いていると、ナポレオンもこんな風だったのかなあと思う時がある。

さて、木曜日にはジュッペとフィヨンの最終討論を聞いてみよう。
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by mariastella | 2016-11-21 07:41 | フランス

フランスの大統領予備選挙とキリスト教

来週末が投票日となるフランスの共和党予備選に立候補している7人のうち1人にジャン=フレデリック・ポワソンという人がいる。

知名度も低く、世論調査では下位だがこの人の公式のプレゼンテーションが興味深い。

姓のポワソンというのは「魚」という意味だ。
だからポワソンのところに魚のアイコンをあしらっている。

でもこのマークはキリスト教のシンボルでもある。
ギリシャ語の魚「イクチュス」は、イエス・キリスト、神の子、救い主ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡという五つの単語の頭文字をつないだもので、初期キリスト教徒が迫害された時代にキリスト教徒同士のが確認しあう暗号の役目も果たした。
受難の十字架と同様のシンボルだが、魚が海という生命の発祥地に生きることからキリストの神秘そのものも表すとアウグスティヌスが書いている。

ポワソン候補は、このシンボルマークを縦にしているのでポワソンのPの形と似ていなくもないし魚の形で名前を表しているので、一見、なかなかしゃれたロゴに見える。

でもこのポワソン候補はキリスト教政治団体に所属していて、カトリックであり、フランスのようなカトリック文化圏の国においてはこのマークがサブリミナル効果でキリスト教を喚起するのは計算済みだろう。
我らの信ずるところを表に出そう、というのがスローガンだ。

ただし実態は、環境規制に反対する新自由主義者で、蝶々や草よりも親子が大切なのだから環境省は家庭省に従属すべきだなどと言っている。

カトリック陣営からはもちろん異議も出ている。
環境保全を訴える教皇回勅にあるように、環境も人間も神の被造物であり、環境を守ることこそ、すべての命、子供たちの未来にとっても重要であるからだ。

フランスではさすがに、ポワソンのような主張は、環境保全に対するトランプのような主張(アメリカ経済を牽制する中国の陰謀だ)のようには受けない。

COP 21のパリ条約の主導と「成功」は、昨年11月の多発テロの後でのフランスではポジティヴな要因だという合意が形成されているからだ。

でも、例えばサルコジが予備選に勝利したら、ポワソンに取り入って、カトリック保守派の票を固めようとするに違いない。この人が予備選に立候補できたということ自体が、必要な推薦数を確保したということだから十分に力になる。

トランプはアメリカの「中絶禁止」陣営にもすり寄っている。
政教分離共和国主義が徹底しているフランスでは、さすがに今はそこまではいかない。

「中絶の禁止」と「中絶の合法化」とは決してシンメトリーな対立ではない。

「中絶の禁止」とは、中絶する女性や関係者を裁くこと、罰することだが、

「中絶の合法化」とは、中絶を強要するものではもなく、中絶しない人を罰するものでもない。
選択の自由を保障するものだ。

本当の意味での「自由の行使」とは、いつも霊的なものとつながる。

中絶そのものに反対か賛成かという対立とは違うのだ。

「中絶禁止」はキリスト教のブルキニ問題だという人がいた。

女性を性的な側面にモノ化して何かを力で強要するからだ。

「トランプ・ショック」の後でフランス共和党予備選(木曜日に最終公開討論)があるおかげで、いろいろなことが見えてくる。
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by mariastella | 2016-11-16 00:18 | フランス

パリ多発テロから1年経った。(前の記事の続きです)

11/13に、『東京物語』をヴィレット劇場に観にいったのは、シンボリックでもあった。

昨年11/13に130人の犠牲者を出した多発テロから一周年の日だったからだ。
バタクランのホールも再開した。

ヴィレット劇場のアクセスにはセキュリティについて何のコントロールもなかった

上演の前後には併設のカフェで人々がたむろして談笑し、上演後には監督もスタッフも役者も合流する。

外にも人がたくさんいて、いろいろな催し物をのぞいたり、町のカフェには人があふれている。

テロの脅威は今でもある。
非常事態宣言というやつも、来年一月にまた延長されると言われている。

日本からパリに来る観光客、留学生、各種興行もキャンセルが少なくない。

でも、何事もなかったように、パリにいる人々は楽しんでいる。
生活様式を変えない。

このことを、テロの恐怖に勝利した、人々を分断し互いを疑心暗鬼に導こうとするテロリストの思惑を裏切った、と評価する人もいる。

日本から帰ったばかりの私には、なんだか「地震」の恐怖と似ているなあ、というのが実感だ。

地震のないパリから見ると、いついかなる時でも突然の地震におそわれる可能性のある東京の方が恐ろしい。テロなら、自宅で寝ている時には襲われないが、地震は時と場所を選ばない。

3・11の後に日本に行った時など正直言って怖かった。

こんなところでよく人々は何事も起こらないかのように、スカイツリーに上ったり、タワーマンションに住んだり、オリンピックを招致したり、原発を再稼働したり、お店に華麗なガラスや陶器のディスプレイをしたりするなあ、と感心する。

でも、可能な限りの「地震対策」をする、可能な限りの「テロ対策」をする、

後は、もう、運の悪い時に運の悪い場所にい合わせるかどうかのリスクで、それは、自宅の前の道路での交通事故や航空機事故を恐れるかどうかと同じだ。

死ぬことが怖いのではなく、「生きない」ことが怖いのだ、

というのは当たっている。

生きているうちは、豊かに楽しく生きなくてはならない。

ヴィレット・パークには6月に演奏したフィルハーモニーのホールもある。
劇場からも見えている。
思えばあの企画に参加を決めたのは、多発テロの後での「テロの恐怖」へのレジスタンスのつもりだった。

観客として劇場に足を運ぶのも、この世の楽しいこと、美しいことを絶えさせることなく次につないで行くことだ。

地震があっても、災害があっても、テロがあっても、多くの犠牲者が出ても、それでも、文化とアートが完全に消滅することはない。

地震に遭遇すること、テロに遭遇することなど絶対にないかのように東京でもパリでも人々は生きる。

誰でも、生きている間は絶対に死なないかのように生きるのと同じだ。

個の運命を超えたオプティミズムというものに人は支えられている。
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by mariastella | 2016-11-15 18:39 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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