L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 214 )

マリーヌ・ル・ペンとフェミニズム

これは前回の続きではありません。

5/1のニュースの中で、大統領選についてフェミニズムの団体にTVが取材したシーンがあった。

フランスで初めての「女性大統領」を目指すル・ペン女史は、なんと、今回の候補者11人の中でもっとも「フェミニズム指数」が低いそうだ。

FNは、これまでフェミニストが応援するすべての法案に反対してきた。

そういえば彼女の周りには男性ばかりが目立つ。

二度の離婚後の「連れ合い」であるFN副党首とは結婚もパクス関係もないから「身内」優先などと言われることはないし、何より本人が「女性」だから、フェミニストに糾弾されることはないと思っていたけれど…。

この指摘に対して、ル・ペン女子はさっそく反論、曰く、

「女性の解放の敵」はイスラミストである。
女性にイスラムスカーフを強要するなどのイスラム原理主義がフランスの諸悪の根源である。

という論調。

なるほど、レバノンでスカーフ着用を断固拒否したのだから、今回もその整合性はある。
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by mariastella | 2017-05-03 18:53 | フランス

大統領選、司教たちの見解は?

これは前の記事の続きです。

フランス・カトリック教会による大統領選に関するコメントで最も興味深く聞いているのは、ラジオ・ノートルダムで土曜日に放送される「枢機卿との対話」だ。

現在フランスには9人(うち教皇選挙権があるのが5人)の枢機卿がいるが、枢機卿だけではなく司教(現役は115名)も含めて、彼らの一人が10分くらい話す。

興味深い。

みな、司教や枢機卿に任命されるくらいの人だから、経験も豊富だし、フランスの場合、もし聖職者の道を選んでいなくても社会のエリート階級にいる人たちだし、もともとの人脈もある。

しかも、「普通の政治家」と違って、「票田」のケアもないし、普通のエリートや市井の人と違って、失業の心配もなければ、老後のプラン、相続のプラン、家族のケアなどからも解放されている。けれども社会的責任は大きいし、聖職者としての生き方には「定年」がないから、一生、自覚的に自分の使命の遂行に専心できるというレアな人たちだ。

インテリとしてのコストパフォーマンスが高いし、カトリック教会には国境がないから、視座も普通のフランス人と違うし、「永遠」とつながっているのだから、今、ここで、という刹那的な発想からも逃れている。

で、第一回投票の翌日に収録された、リュック・ラヴェル司教(2009年から軍隊の特別司教区の司教だったが、ストラスブール司教に移ることが決まっている。ストラスブールはまだナポレオンとローマのコンコルダ下にあるので、この任命はフランス大統領の商人も必要だった!)による感想。

正確な表現ではないが要約すると、以下のようなもの。

>>フランスはファイナリスト2人によって分断されているのではなく、第一回投票で拮抗した4人の考え方によって分断されていると見た方がいい。

カトリック教会の政治の見方、すなわち社会にどうコミットするかの見方の特徴はそれにどういう「意味」を持たせるかということである。

問題の提起や解決法の提示だけではなく、そのすべての「意味」を考え、「意味」を与える。

その「意味」とは個人の利害や権益を超えたところにある。

「意味」を考えるのは「理性」である。

フランス人が感情や自分の立場優先でなく、それを超えて理性によって投票してくれると私は信じている。<<

ラヴェル師
は父方が海外県にルーツがある人で、パリ生まれのポリテクニシャン、つまりフランスの最高学歴を持っている。

見るからに信頼感をそそるような人だ。(続く)
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by mariastella | 2017-05-03 02:02 | フランス

メーデーとル・ペン父娘とマクロン

これは前回の続きではありません。

5/1 のメーデー、ジャン=マリー・ル・ペンは13区のジャンヌ・ダルク像の前で娘への投票を呼び掛けてマリーヌのことを「フランスの娘 une fille de France」と呼んだ。
冠詞なしの「フランス」でこういう場合、普通は、王の娘、王女のことを指す言葉だ。

つまり王党派っぽい含意があるので、「私は大衆」と主張するマリーヌのイメージ作戦を裏切るどころか、暗にその父である自分は王であるという本音が出たのかもしれない。

2002年の反FNデモと違って、予想通り、「ファシスト(ルペン)も、反資本主義者(マクロン)も嫌だ」という組合の呼びかけもあった。

メランションが前日、マクロンに政策で譲歩するなら積極的支持に回ると持ち掛けたのにマクロンは昨日のミーティングできっぱり断った。
デュポン=エニャンの支持を得るためにいろいろ譲歩したルペンと対照的だ。

ルペンが譲歩したのはこれによって票だけではなくもー、FNのノーマル化を印象付けるためだ。

マクロンが譲歩しないのは、2012年の決選投票でバイルーやメランションの支持を得たのに当選後は社会党だけで固めたことでバイルーやメランションの離反を招いた前例を踏襲したくなかったからだ。

けれどもそのことを、

ルペンは、プラグマチックで大人、
マクロンは、視野の狭い子供、

という風に見る人や、その見方を誘導する人がいる。
マクロンはわがままでナルシストの子供だと。

いや、でも、同じ日に、マクロンと同様の立ち位置にあるイタリアの42歳のマテオ・レンツィが復帰を表明した。
レンツィは34歳でフィレンツェ市長となり、39歳で首相としていろいろな改革をした。
フランスでも、ナポレオンを引き合いに出さなくとも、ローラン・ファビウスは34歳で政権入り、37歳で首相になっている。その時には「子供」だと批判されることはなかった。ファビウスはマクロン以上の正統エリートだったが、それを攻撃されることはなかった。

今のフランスの病理、閉塞、ポピュリズム、SNSと映像の力、の中での選挙戦だからこそ、「理念」や「原則」を見失ってはいけない。
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by mariastella | 2017-05-02 18:40 | フランス

フランス大統領選とカトリック

これは前回の続きです。

大統領選についてのカトリック言論界で、「宗教」(つまり典礼や教義の体系)をもってキリスト教を語らないタイプの人々の発言を少し挙げる。

「フランスは、アンシャン・レジームという子供時代を脱して今は青年時代を生きている。イエスの聖心の恵みによって「大人」の時代が来ますように。今は成熟、信用、一致、という3つめの道を創る時だ」

「キリスト教が商品の絶対支配を拒絶すること、偶像崇拝の撤廃だと言うなら、ラスベガスに行くフィヨンよりもメランションの方がキリスト者だ」

次にフランスのベネディクト修道会の重鎮がネットで発信(4/2)したものの初めのところ。

「聖ベネディクトは事態の政治状況に直接は関わらなかった。パウロ6世によってヨーロッパの守護聖人とされたベネディクトは、西ローマ帝国の滅亡の時代に修道院を創設した。十世紀初めのヨーロッパ政治危機の時代にクリュニー修道会が生まれ、二世紀後に、祈りの家という白いマントがヨーロッパを覆った。(注: 白いマントというのは歴史学者ラウル・グラベールの有名な「教会の白いマント」という表現の転用だ)
私たちの家族、学校、アソシエーションの中にまず神の国を希求しよう。そうすれば後はおのずとついてくる。
この大統領選は出来レースだ。民主主義とはいいがたい。現体制は、その体制の産物である候補者を並べて選ばせる。
最悪を避けるために投票することはできる。けれどももっとするべきことがある。ダマスの道で聖パウロの回心があったように主が当選者に恵みを与えて回心させてくれるように祈ることだ。」

「(・・・)我々聖ベネディクトの息子たちの毎日の糧と盾になるようにこの祈りを信仰と共に唱えなさい。(・・・)「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と言った我らの主は、十字架の上でまで我々のために祈ってくれたではないか。
(注:「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている(ヨハネによる福音書 16, 33)。」)

彼が唱えるように言ったのは詩編の21, 72 ,101番である。
もちろん検索。
うーん、

たとえば72番の1~7、

神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。
王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。
山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。
王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。
王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。
王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。
王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。

101はダビデ王の誓い。3から8は悪くない。
卑しいことを目の前に置かず/背く者の行いを憎み/まつわりつくことを許さず
曲がった心を退け/悪を知ることはありません。
隠れて友をそしる者を滅ぼし/傲慢な目、驕る心を持つ者を許しません。
わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留め/わたしと共に座に着かせ/完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。
わたしの家においては/人を欺く者を座に着かせず/偽って語る者をわたしの目の前に立たせません。
朝ごとに、わたしはこの地の逆らう者を滅ぼし/悪を行う者をことごとく、主の都から断ちます。

などだ。

でも、問題は、これでは、「何が善で何が悪かと決めるのは王自身」になるということではないか。

キリスト教では「善」や「真実」には「イエス・キリスト」という名があるということになっている。
その分、統治者が偉いとか党や宗派のトップにいる人が偉いということにならないのはいい。

ダビデ王だろうが、
マクロンだろうが
ルペンだろうが、
イスラエル王国だろうが、
「進め!」党だろうが、
FNだろうが、

人間の名と人間の組織を持った時点で、「神」を道具化する誘惑と偶像崇拝の落とし穴が待っている。

結局…ローマ法王に投票権があろうとなかろうと、彼の使命は祈り続けることだということになるのだろうか。(続く)
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by mariastella | 2017-05-02 02:51 | フランス

マクロンとルペンのメーデー

これは前の記事の続きではありません。

5/3にマクロンとル・ペンのTV公開討論がある。

2002年にはシラクはル・ペン父との討論を拒否した。

今回は、すでに、第一回投票の前の候補者たちの公開討論にル・ペン女史が参加しているし、今になってマクロンが拒否ということはあり得ない。

いや、すでに前の討論でマクロンとル・ペン女史がかなり激しくやりあっているシーンがあったので、二人はやる気満々だろう。

それに比べると、アメリカナイズされて導入された同じ党内の予備選の公開討論というのは、互いに身内の欠点を指摘することになるから両刃の剣というか、その後の連帯に影を落とすし、実際、予備選で選ばれたフィヨンやアモンは、党内の敵対者を極右や極左や中道に吸収されて、今回敢え無く敗れている。

最終戦の候補者の討論というのもアメリカ発で、ニクソン対ケネディが初めだったそうだ。
フランスでは74年のジスカール=デスカンとミッテランが最初だったそうで、その時に若いジスカールがミッテランを「過去の人」と評した時にミッテランはうまく反論できず、7年後の同じ顔合わせの時に、今度はミッテランがジスカールを「過去の人」と逆襲して、初の社会党政権を勝ち取った。

昨日(4/30)の夜の公営放送で、ルペンとマクロンに別々のインタビューで同じ質問に答えさせるというのがあった。

15の質問で10分間の持ち時間。

ルペンは終始にこやか。大衆の怒りがあなたのモティヴェーションになっているかと聞かれて、「怒りではない、愛です」と、慈母路線を強調。

「ジャン=マリー・ル・ペンの娘」というレッテルから「戦う聖母路線」というのは正しい戦略だ。

マクロンは終始眉を吊りあげて戦闘的、若さとエネルギーを強調。

ルペンは、マクロンが現政権の大臣だったこと、つまり、「システム」の中枢にいたエリートであるということを忘れない。

マクロンは、ル・ペンが大衆だと自称するのはあり得ない、生まれた時から(実際は4歳)「党」があって、「城」に住んで、父親の後を継いだ、と強調。自分は地方の家に生まれ、母親に勧められた読書によって啓蒙され、私企業も公職も二度辞職して新しい使命に邁進している、という。

それを受けてか、今朝のラジオのインタビューでルペンは、マクロンのことを
「エマニュエル・オランド」、
「オランドのベビー」
「パパの後を継いでいる」と形容した。

自分が「ジャン= マリーの娘」と呼ばれることをそのまま返したわけだ。前にも書いたがマクロンはその実年齢だけでなく「見た目」も若いので、TVのギニョールではオランドとヴァルスの赤ん坊として描かれていた。それも意識しているのだろう。

過去三代の大統領を一言で形容するなら、

シラクは、「情緒的(愛情深い)」(ルペン)、「寛大」(マクロン)

サルコジは、「ブルドーザー」(ルペン)、「速い」(マクロン)

オランドは、「怠け者の王(何もしない王)」(ルペン)、「妨げられた(やりたいこと、やり始めたことをを完遂できなかった)」(マクロン)

だそうだ。

想定内の答えだが、二人とも質問内容は事前に知らせられていないようなので、一瞬沈黙があったりして、その割にはぼろを出さないのだから、「大統領の資質」は備えている。

5/3は「直接対決」だから、互いに相手がいかに「人々を欺いているか」を「証明」することにウェイトが置かれる。

それにしても、ルペンが、「エリート(プレス、起業家、組合)」をさんざん攻撃し、「私は大衆の一人、エリートではない、大衆だ」と断言した時には、

なんだか、吉本隆明が自分のことを「知識人ではない、大衆だ」と言っていたことを思い出した。

マクロンは「自分は大衆の知性に向けて語る」と言っていた。(これはむしろフランス人のメンタリティに合っている。)

さて今日は5/1で、これまでいつも連帯してデモ行進していた各種組合が分かれる。

これまでFNは組合の共通の敵だから、2002年のシラク対ルペンの決戦の前の5/1は百万人が「アンチFN」を掲げてデモをしてシラクに投票することを呼びかけた。

ところが今年は、メランション寄りの組合が「FNもマクロンもペストとコレラだ」というのでアンチFNだけでは合意できなかったのだ。

5/1はいつもFNがジャンヌ・ダルクをナショナリストのヒロインのように取り込む「祭り」でもある。

マクロンは今日、ミーティングの前に、過去の5/1にFNから「殺された」モロッコ人の追悼に出かけるという。

今日の夜には空気が変わっているのだろうか、変わっているとしたら、どう変わっているのだろう。

2002年にシラク対FNになった時のパニックに私は居合わせていなかった。
2002年の初めに実家の父が亡くなり、春休みに日本に帰っていたからだ。
決選投票の時にはフランスに戻っていたので、シラクの圧勝を見て安心していた。

今年はなんだか心配だし、その後の総選挙でどちらにしてもFNが議席を増やすと思うと怖い。
昨日、フランスの国内政治からリタイアしていたジャン=ルイ・ボルローがマクロン支持に駆けつけたことだけが、バイルーからの支援と共に、マクロンには追い風になると思うけれど。
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by mariastella | 2017-05-01 17:59 | フランス

メランションとキリスト教

これは前回の続きです。

第1回投票の1週間前が復活祭で、その前の日曜は聖週間の始まる「枝の日曜日」だった。
フランス中のカトリック教会には、ツゲの小枝を盛った人々が集まる。教会前で配布されてもいる。
イエスのエルサレム入城を記念する日だ。

マルセイユで人々の前に現れたメランションはオリーブの小枝をボタン穴に指していた。「私は平和の候補者です」と言い、小枝を手にもって振り、地中海の木であるこの小枝を我々のシンボルにしようと持ってきたことを告げた。
預言者的なこの言葉を聞いた人々が「メランション! プレジダン(大統領)!」と唱和し始めた時、彼はそれを制して「それはやめてください! 私は自分の名がスローガンになるのは嫌だ! 皆さんは、信者なんかではない!『共通の将来』という名のプログラムを担う人々なのです」「不可能な完全性を一人の人間に託するという愚かな熱狂から覚めてください」と続けた。

この日に小枝をシンボルにするという演出は明らかに、自分が救世主のように熱烈に迎えられるということを意識したものであったはずだ(本人は偶然だったという)。第一、どこでも、すべての候補者は、救世主のごとくふるまっているし、支持者たちも、カルト宗教に洗脳された人々のように、ロックスターのコンサートに駆けつけたファンのように叫んでいる。メランションもホログラムで数ヶ所同時にミーティングをするなど、ユニークな演出を工夫していた。

でも、それを誘導しながら、なお、「信者みたいになってはていけない、使命を担った主体的な存在であれ」、
と、至極まっとうなことを言ったわけだ。

世界における南北の格差、他者への無関心、同胞愛などを語る時に福音的なレトリックを駆使するのはまるでローマ法王のスピーチのようであったりする。
フランシスコ教皇のスピーチも「民衆の神学」などと言われている。
いつも弱者の側に立ったもので、これは宗教(教義と典礼を備えたシステム)としてのカトリックの立場というよりも、イエス・キリストの唱えた生きる教えのキリスト教だ。

メランションがカトリックのレトリックをフランス社会に根付いたものとして自然に使うことができるのは、実際カトリックのことを熟知しているからである。子供の頃は教会の聖歌隊で歌っていたし、今もローマ法王の回勅が出ればすべて読んでいるという。

「信仰者、聖職者と話すのは大好きで、彼らは自分自身より大きい世界に身を置いて考えている。不幸の大海の中で幸せでいることは誰にもできない。我々は他者の身の上に対して責任がある。トレーダーと話すよりクリスチャンと話す方がたやすい。トレーダーたちは道徳的、個人的、集合的責任からなっている私の世界とは対極のところにいる。金を偶像崇拝してはならない。」と言う。

サルコジの政治顧問であったパトリック・ビュイソンは「メランションはフィヨンよりもキリスト者だ」と繰り返す。

「キリスト教は商業の世界の絶対支配を拒否し、偶像崇拝を呪う。それはマルクスが商品のフェティシズムを弾劾する時にリサイクルした考え方だ。この点ではメランションは、よりマルクス主義者であるからフィヨンよりキリスト教的だ。」と。

皮肉なことにメランションは候補者の中で最も「政教分離」派である。
2012年には、政教分離を絶対とするフリーメイスンのグラントリアンのメンバーだったことを明かしているし、2016年にも「共和国の再建」という講演をしている。

カトリック系私立学校への公的援助や、アルザス・ロレーヌや海外県における政教分離の例外の撤廃も主張している。
安楽死にも賛成だ。両親が離婚した後で教会が母親に取った仕打ちも恨んでいる。
フランシスコ教皇がEUで発言することは政教分離の原則に反すると批判するが、バーニー・サンダースをバチカンに招いたことやキューバを助けたことは評価する。イスラム原理主義は宗教に特有なものではないという教皇の考えにも同意する。「教皇は少しメランション支持者だ」と笑う。

マクロンはと言えば、難民、移民に関しては、メルケル首相を称賛し、クォータ制なしの受け入れを提唱している。
その辺はローマ法王に気に入ってもらえるだろう。(続く)
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by mariastella | 2017-05-01 01:48 | フランス

大統領選の2候補どちらも嫌だという人が増えているわけ

リベラリズムについて。(大統領選とカトリックの記事の続きはこの後になります)

冷戦時代は、共産圏に対して「自由諸国がリベラル」というイメージが刷り込まれていた。

冷戦が終わってからは、保守と革新の「革新がリベラル」というイメージが出てきたので混同されることが多い。

『アメリカにNOと言える国」でその違いを説明したけれど、今、ソシアルとソシエタルも混同されてきたのでもういちどおさらい。

ソシアルとソシエタルについては前に一度書いたことがある

ソシアルは国家が自国内の弱者を支援したりアシストしたり、企業主が労働者の権利を保護したりする。共同体内でも格差をなくす方向が目指される。

冷戦時代に自国内の「親・社会主義」勢力を牽制するために、「自由諸国」でも、社会民主主義を採用するところがあった。フランスは特にそれが顕著だった。冷戦後にその必要がなくなったので、歯止めのない「新自由主義」が弱者を切り捨てるようになった。

だからこそ、その「弱者」の怒りを代弁するポピュリズムが目立つようになってきたのだ。

で、リベラリズムについても、本来、

保守のリベラリズムは経済、

左派のリベラリズムは文化、

の分野だという棲み分けがあった。

保守は、規制をどんどん撤廃してグローバリゼーションを進め、結果として格差を拡大させ、左派は表現の自由、アートのグローバリゼーションを応援する。

マクロンのリベラリズムはみんなを集める中道だ、と自称するだけあって、その両方を兼ねる。

ル・ペンの保護主義も、経済と文化の両方を兼ねている。

これが、従来の保守や革新のシンパが、

今回はどちらにも与することができない、棄権する、白紙投票する、

などと言っている理由のひとつである。
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by mariastella | 2017-04-30 18:53 | フランス

大統領戦とカトリック

(これはこの前の記事の続きです。)

第一回投票の一週間前に当たった今年の復活祭には、カトリック票をねらうフィヨンやマクロンのパフォーマンスがあった。

フィヨンは保守の中で最もカトリック寄りで、
マクロンは左派の中で最もカトリック寄り、

というのが一般的な見方だった。
 
フィヨンは、妊娠中絶その他について、カトリック保守派を支持している。ミサにもちゃんと行く。

しかし、経済政策は別で、マクロンと同じくリベラルでブルジョワの味方であることは明らかだ。

マクロンは復活祭のミサの写真は撮らせなかったが、カトリックのカリタスが運営する宿泊センターで2時間半も過ごして、

「カリタスの価値観は自分と同じで、みんなの利益と寛大さだ」

と言い、

「カトリックであることは最も貧しい人の権利を守ることであって、人々から権利を奪うために戦うことでない」

と言ってフィヨン風の保守反動カトリックを批判した。

難民、移民に関しては、マクロンは、メルケル首相を称賛し、クォータ制なしの受け入れを提唱している。この辺はローマ法王に気に入ってもらえるだろう。

カトリックのリベラル派(ここでいうリベラルとは左派というわけでなく、新自由主義、金融資本主義の恩恵を受けている有産階級、起業家たちのことだ)には、各候補者の姿勢を「分析」して、フィヨンこそ真のクリスチャンで、カトリックはフィヨンに投票しなければならない、という呼びかけをネット上でしたものがある。

これに対して、カトリック左派(つまりキリスト教社会主義寄り)は、「フィヨンの経済政策はローマ法王の糾弾するものである」、といって反駁した。

アメリカのエスタブリッシュメント(ブッシュの弟など)のカトリックなどはフランシスコ教皇そのものを受け入れない姿勢さえ示しているから、今のローマ法王は、新自由主義経済の勝ち組にとってはまさに不都合な「左派」である。エコロジーにも妥協がないから極左と言ってもいいかもしれない。

前の記事でも書いたように、新自由主義経済のもたらした弱肉強食のグローバリゼーションを真っ向から叩く、という点では、メランションとル・ペンの口調は一致する。

マリーヌ・ル・ペンは、従来のFNの排外主義、国粋主義、歴史修正主義などの主張を「封印」して、グローバリゼーション、功利的な富裕層による労働者の切り捨て、について大声で弾劾している。その部分だけを切り取れば、ローマ法王にだって気に入ってもらえるだろう。

けれども、その、「金融経済システムと戦う」手段、解決法が、移民の排斥や国境の閉鎖、外国製品の関税強化、などでは、ローマ法王の逆方向だ。(移民排斥やナショナリズムももちろん論外だけれど)

でも、彼女が、失業の危機にさらされた人々の前で

「弱肉強食のシステムを変革するぞ、戦うぞ」

という意気を上げている部分だけを聞くと、その挑戦については同じことを言っていたメランションの抜けた今、人々が
「救世主はこの人、一度はやらせてみる価値があるのではないか」
と希望を託すのも無理はない。

オランド政権の経済相だったマクロンは「敵の側にいるやつだ」と叫べばいいのだから。

でも「やりすぎ」で逆効果かなと思ったのは、ルペン女史が、グローバル金融経済という巨人に対してたった一人で立ち向かう自分のことを旧約聖書(サムエル記)のダビデとゴリアテに例えたことだ。武装した巨人のゴリアテは、投石器しか持たない若いダビデに石つぶてを眉間を打たれて倒された。

うーん、意味は分かる。

でも…ル・ペン女史のキャラはダビデというより、ゴリアテっぽい。

しかも、今、マクロン対ル・ペンという構図である状況で、キャラとしては若いマクロンの方がどう見てもダビデっぽい。

新自由主義経済、グローバリゼーションという「巨人」を体現するのがマクロンだ、ということになるが、今のビジュアル先行の世の中においてはなんだか無理がありすぎる。ミスマッチで笑えてきた。

では、ル・ペンと同じ糾弾をして、実現不可能な極右政策とは逆の解決策を提示するメランションが、実は一番カトリック的なのだろうか?
(フランスは伝統的にカトリック文化圏で、自由主義経済のルーツにあると見なされるプロテスタントの票田は小さいので、カトリックやローマ法王のスピーチや動向が注目されやすい)(続く)
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by mariastella | 2017-04-30 07:08 | フランス

大統領選の動向

第一次投票の第六番目の男、ドゴール主義者を自称するニコラ・デュポン=エニャンがマリーヌ・ル・ペンとの共闘を表明し、ル・ペンが選ばれたらデュポン=エニャンを首相にする、と共同で発表した。

デュポン=エニャンは、FNは極左でない、と、公営TVのインタビューで断言し、それにショックを受けた彼の党「立ち上がるフランス」の副党首はすぐに辞任した。

それでも、この選挙運動期間中けっこう受けていたデュポン=エニャンが政権入りということで、FNが「普通の党」認定される印象を与えることはあり得るので、少しあせった。

幸い(?)、父親のFN創設者ジャン=マリー・ル・ペンが、同性愛へのヘイトスピーチみたいなものをネットで流してくれた(?)ので、バランスがとれたかもしれない。

選挙の3日前のシャンゼリゼのテロで殉職した37歳の警官の国葬の時に、彼の同性の伴侶がスピーチをしたことを受けてのことだ。

ル・ペン女史の右腕であるフロリアン・フィリィポは同性愛者だから、それが一応、FNの盾になっていたけれど、これでフィリポ首相の可能性はなくなったのだから、ジャン=マリー・ル・ペンの言葉は痛手だ。

マクロンの勝利が見込まれるにしても、なんだか結構はらはらさせられる後一週間の選挙戦である。

5月1日は、メーデー。デモに参加する組合の主張、ジャンヌ・ダルクと聖母の月にいつも前面に出るジャン=マリー・ル・ペンの扱い、マリオン・マレシャル=ル・ペンの本音など、復活祭とは別の注目すべきシーンが繰り広げられるはずである。ちょっと楽しみ。
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by mariastella | 2017-04-29 23:37 | フランス

ル・ペンとメランションの違い

4/26に、ポーランドへの移転で工場閉鎖が決まっている洗濯脱水機の製造工場にマリーヌ・ル・ペンとマクロンが出向き、組合員などと接触した。ル・ペン女史の方は、トランプと同じく、「私が大統領になったら工場は閉鎖されない、国有化して救う」などと勇ましいことを言っている。歓呼に応え、満面の笑みでスマホのツーショットに応じている。
マクロンは当然、こうなったグローバリズムの責任者として糾弾されてかなり苦しかったが、まあ、だからこそ、これからはすべての人と連帯して、という主張を一応は誠実に繰り返していた。

「国有化して救う」など、なんの保証もない。
同じ「救い方」でも、メランションの唱えていたやり方はもっと現実味があり周到に考えられたものだった。

ル・ペンとメランションが極左と極右同士で同じようなことを言っていると揶揄されがちだけれど、まともに聞けば、メランションの方が説得力があり、展望がある。

反対派からわざと混同されるのは、弱者、負け組、マイノリティを優先するという言い方、新自由主義経済への批判など、「問題の立て方」が共通しているからだ。
ただし、その問いに対する答え方はまさに極右と極左の差がある。メランションの回答はコミュニズムのベースに立っている。ユニヴァーサリズムとしてのコミュニズムだ。ではなぜ、「共産党」ともっと提携しないのかというと、共産党のコミュニズムは一党支配の党派的なもので全体主義につながってきた歴史があるからだ。

といっても、ベネズエラのチャベスとキューバのカストロが2004年に設立した貿易・社会開発協力機構「米州ボリバル同盟ALBA」に加盟すると言って物議をかもしたようにメランションは十分挑発的ではある。

しかし、チャベスの亡き後、今のベネズエラのコミュニズムはもう民衆を救えていない。あれほど自然資源の豊かな国なのに、原油の価格低下もあり、ポスト・チャベスは風前の灯火で暴力の連鎖が続き、死者も増えている。

ル・ペン型のナショナリズムは論外だけれど、コミュニズムが真の「救済」に結びつくのも、経済の後ろ盾がないと困難なのだ。

それでも、もはや、国際金融機関と癒着しているエリート社会党が崩壊した今は、真の左派はアンチ・リベラルのメランションでしかない。

建前の消えたポスト社会党からは、本音に近いマクロンに流れていく者が少なくなく、彼らはもう早々とマクロン支持を表明している。
けれども社会党「左派」はメランションに合流することを躊躇する。
メランションの「不屈のフランス」党が、社会党や共産党との共闘を拒否しているからだ。
6月の国民議会選挙後に「不屈のフランス」党が生き残っているかどうかは分からない。

2002年にシラクとジャン=マリー・ル・ペンの決選投票になった時、シラクはル・ペンとの公開討論も拒否し、全国民に、「FNを阻止するために私に投票してくれ」と呼びかけた。その時はメランションも、シラクに投票するようよびかけて、シラクは歴史的な高得票を得て勝利した。

今回は、すでにFN二代目の娘のマリーヌが、さすがに父親のように「死刑制度復活」などは公約に入れていないが、出生地国籍主義を捨てることや、不法滞在外国人の排除や、移民の家族呼び寄せ制度の廃止、自国民優先を憲法に書き加えることなど、基本的に同じことを言っている。

けれども、今は時代背景や状況が変わった。

貧富格差の拡大や生産地移転による失業者増加、治安の悪化などによって、トランプと同じように、とにかく既成のシステムを悪者にして、今までの政治に参加していない自分こそ救世主というタイプのポピュリストが人心を把握する時代であること、

すでに15年前にはあり得なかったような躍進を地方選挙で実現していること、

マリーヌが創設者の父親を除名してまでも、極右ではない立派な正統的な共和国主義者であると演出していること、

それに加えて、マクロンは、シラクのように「FNを阻止するために私に投票してくれ」と呼びかけるのではなく、「私のもとに集まってくれ、分裂したフランスをまたひとつに!」と言って自分の考えに「帰依」することを求めている事実がある。

だから、メランションやコアなメランション支持者たちは、「FNには投票しないが、マクロンに与するのは拒否」として棄権または白紙投票を表明しているわけである。

保守共和党の方は、リベラルで既得権益のある派はマクロンに合流するし、
右寄りの一部はル・ペンに近づく。
彼らにとっては、やがてFNからフロリアン・フィリポもマリーヌも追い出してマリオン・マレシャル=ル・ペンの体制にするのが理想だ。

では、次に、カトリックの立場から候補者たちを見てみよう。(続く)
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by mariastella | 2017-04-29 02:19 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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