L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フランス( 225 )

マクロン大統領の就任(追記あり)

マクロンの就任セレモニーを中継で見た。

1月にトランプの就任セレモニーを中継で見てしまったことを記事にしたので、一応バランスをとっておこうかなと思ったのだ。

5年前に連れ合いのジャーナリストと手を取り合って現れてその後スキャンダラスな別れ方をしたオランドが1人で現れたので、マクロンもすべて一人で仕切った。

フランスはひとりの「人」を選んだのでカップルを選んだのではない、というシンボルをきっちり踏襲している。(ビル・クリントンが当選した時は一人で二人分だからお得、みたいな言説があったことを思い出す。リーダーの夫人が家庭内野党と称されていた国もあったようだけれど…)

すべてにそつがない。

就任の演説も、オランドがサルコジに触れなかったのと違って、歴代の大統領の功績にちゃんと触れて、模範的によくできていた。
まあこれは当然予想されていた範囲だ。
失敗は許されない。

すばらしかったのは、そのすぐ前のローラン・ファビウスによるスピーチだった。
社会党ミッテランの秘蔵っ子で37歳で首相になったファビウスは社会党オランドの秘蔵っ子で39歳で大統領となったマクロンを前に感慨深いものがあっただろう。

大統領に与えられるレジオンドヌールのグランドマスターのメダルにはHP(honneur et patrie)つまり名誉と祖国、と軍隊らしい標語が入っているが、ファビウスはきっちりと共和国の標語、

自由、平等、同胞愛 を出して、

自由には大胆さが、
平等には厳律が、
同胞愛(これは人類皆きょうだいの意味)には意志、意欲が必要、

という言葉を引いた。

すなわち、

自由を得るには、恐れていてはならない、思い切った大胆さが必要だ、

平等を実現するには、事なかれ主義やなれ合いや建前だけではいけない、客観的にきっちりと厳しくチェックしなくてはならない、  

すべての人ときょうだいのように共存するには、それを望み、志すことが必要だ。

ということだ。そして、

それを通して「持続する平和」を実現しなくてはならない。

ということをちゃんと言葉にしていた。

このファビウスの言葉とマクロンのスピーチの組み合わせは、フランス語と、フランスの共和国主義と社会民主主義の「建前」が揺るがないことを見せてなかなか感動的だった。

壇上でペーパーを参照できたマクロンと違って、70歳のファビウス、このスピーチを全部そらで言えたのだから、それも大したものだと思った。

さすが百戦錬磨。

百戦錬磨と言えば、マクロンの外交顧問になったフィリップ・エチエンヌも頼もしい。

ファビウスもそうだが、マクロンが2度一次試験で落とされたパリ高等師範を出ている。しかも数学のアグレガシオン保持者で、経済学の学位、セルビア=クロアチア語の学位も持ち、
ENA(行政学院)では、オランドやドヴィルパンやセゴレーヌ・ロワイヤル女史らを輩出した有名な「ヴォルテール同窓生」の学年だ。ENAの卒業順位は公表されているが、総合部門ではオランドが117名中の8番、エチエンヌは経済学部門の42人中8番だった。(ちなみに総合部門でロワイヤルは64番、ヴィルパンは25番)。

ヨーロッパの様々な国の大使を務め、最後はドイツだった。選挙前のマクロンとメルケルの会合を手配したのも彼だ。(追記: 防衛相に任命されたシルヴィー・グラールが直接の手引きをしたそうだ。彼女もドイツ語、英語、イタリア語を自由に話す)

61歳の経験豊富なエリートのエチエンヌの他に、特別顧問として、なんと30歳の、戦略とマーケティングの天才イスマエル・メリアンという人もいる。
19歳でDSK(ドミニク・ストラス=カーン)の支援に入り、22歳でマクロンと出会った。この人は経験豊富とか百戦錬磨とか未来のマクロンという感じではなく、ただひたすら「ある部門の天才」という感じだ。

マクロンは人に恵まれている。いや、人に恵まれている人が成功するのだろう。

意志はオプティミズムで理性はペシミズムだ」と誰かがコメントしていた。

誰もが、39歳の大統領の中に「希望」を見ようとしている。
エリゼ宮のパーティ会場で演奏された曲にはモーツァルト、フレンチ・カンカン、ハンガリー舞曲など、独立記念日の祝祭のような陽気なものが流れていた。

想像するのも嫌だけれど、もしル・ペンが選ばれていたらどんなスピーチ、どんな就任式だったろうと思うと、やはり「あり得ない」としか言えない。ル・ペンはそもそも実際に選出されることを想定していないとしか思えない。トランプの就任を「悪夢」のように感じた多くのアメリカ人に同情の念を禁じ得ない。

ル・ペンの姪のマリオンも政治活動を停止したし、マリーヌも今のところ気配を消している。

週明けの組閣や総選挙の行方が注目される。


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by mariastella | 2017-05-14 21:49 | フランス

マクロンと陰謀論

フランスの新大統領について書くのはもうこの辺で終わりにしておこうと思っていたのだけれど、選出の夜の演出について「やはりそう来るか」、と予想した陰謀論が愉快だった。

夜空に赤く光るルーブルのピラミッドを背景に壇上に立った姿は印象的だった。
ルーブルのピラミッドと言えば、これはもうできた頃から、その三角形の数とか、場所とか、フリーメイスンだなんだと噂されていた。ルーブルも『ダヴィンチ・コード』などで怪しげなオカルトのイメージも作られ、マクロン自体が「神がかり」、「ミスティック」だと評され、本人も自分は超越的なものの存在を信じる、自分にはそこから発せられる使命があると感じる、などと発言している。

で、ピラミッドが赤く光り、頂点に「目」が光り、その前で両手を広げて掲げた(フリーメイスンの「コンパスと定規」の形)映像が、ネット上にすごい勢いで広がって、フリーメイスンだ、イルミナティだ、陰謀だ、ということになっている。

実際は、当初、マクロンはエッフェル党の前のシャン・ド・マルスを集会の場所にしようとしていたのをパリ市長のイダルゴに断られたのでルーブルは第二候補だった。

もっと笑えるのは、カトリック右派で、ル・ペンに投票を呼びかけていたクリスティーヌ・ブタンが、最初にマクロンが66.06%で当選というニュースを聞いたとき思わせぶりにtweetしたことだった。
もちろん、666が黙示録の獣(悪魔の数字)ということをにおわせて、マクロンはサタンの手先、アンチ・クリストだと言いたいわけだろう。(『キリスト教の謎第六章で少し説明しました)

残念?ながら、最終的には66.1%に落ち着いたので、ブタン女史の懸念が払しょくされてめでたい。
それにしても、「政治家」と名のつく人があまり考えなしにその場限りのtweetを残すのって、リスクよりもプロフィットの方が大きいからなのだろうけれど、デジタル環境は確実に政治も陰謀論も変えた。

人間が、自分たちの知覚できる「世界」とは別の「超越」的なものを感じるのは普遍的で、それをどのような表象を使って「シンボル」化していくかは、時代や場所の条件によって変わっていくものだ。
それが「教義」と「典礼」を備えると「宗教」になるし、イデオロギーが形成されると政治的党派にもなる。西洋近代はヒューマニズムの「大きな物語」を掲げることに成功したかに見えたけれど、「ポストモダン」はそれを「小さな物語」のひしめく多様性に解体した。
と言っても、人はいつも「大きな物語」の中に自分の居場所を求める。

マクロンの書いていく物語が始まる。

陰謀論について)

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by mariastella | 2017-05-09 18:08 | フランス

大統領選から一夜明けての感想

決選投票から一夜明けて、ラジオと新聞でいろいろなコメントをチェックし、地方別、都市別、そして私や友人知人の住んでいる場所別にマクロンとル・ペンの支持率の割合を眺めて何か見えてくるものがないか考えた。

なかなか難しい。

移民やムスリムや外国人の多いところでル・ペンの支持が多いのかというとそうでもない。移民や移民の二世、三世、ムスリムなど二重国籍を持っている人も多いし、選挙権があるから、そういう人たちはみなル・ペンを嫌ってマクロンに投票する。
ル・ペンに投票する人は、イスラム過激派が怖いとかゲットーが怖い、不法滞在の外国人を追い出して過激なモスクも閉鎖して、という「分かりやすい」政策に期待するというセキュリティの動機よりもやはり経済的な動機だ。

貧困は金融経済と癒着したエリート政治家のせいで、ル・ペンならそれを一掃してくれると本気で信じているかどうかは分からないけれど、既成のシステムへの抗議の表れなのだろう。

同じようにマクロン支持も、マクロンを信じ期待しているというよりも、やはりル・ペンのやり方では実際問題として経済がもっと悲惨なことになる、という認識だろう。

総選挙の後でほんとうにル・ペンが最大野党になってしまうのか、二大政党が復活するのか、マクロン支持が絶対与党になれるのか、今回はまだまだ目が離せない。

右でも左でもない、フランスを統合するというマクロンのスローガンは、言うのはたやすいけれど、中身がない、あいまいだ、などと批判されているけれど、「統合」というものは本質的にそういうものだ。
「あいまいさ」や矛盾、葛藤のない「統合」は全体主義、ファシズム、独裁主義につながる。

イデオロギーや教義が個人の自由を奪うことに反対し続けた哲学者のジャンヌ・エルシユが
「あなたが人間の(存在)条件の問題に関わっていて、パラドクスに突き当たったなら、それはあなたが正しい道にいるということです」
というのは真実だと思う。

すごく個人的なレベルで考えてみよう。

マクロンの政策が施行されたら、可処分所得は減る。
80%の人の住居税を免除すると言うが、こういう時には絶対その恩恵にあずからないのに、株が上がっても富裕層が有利になっても、その恩恵にもあずからない、
いつも微妙に損をしている中途半端なレベルにいるからだ。
テロは怖いし嫌だけれど、分かりやすい対症療法をしても解決しないことは分かっている。根本的な、地政学的な判断と危機管理が必要で、国境を閉鎖などという無意味なことを、地続きで多数の国がひしめいてアフリカや中東とも接しているヨーロッパでやるのはなんの解決にもならない(その点は日本のような「島国」は多少の地の利があるけれど)。
グローバリゼーションの拝金主義や環境破壊や弱者の搾取は大問題だけれど、その問題を提起し、気づき、解決に努力し、行動を起こしているエリートたちも実際にいる。その声が聞こえ姿が見えるからこそ、私のような中途半端な者でも問題意識を持ち続けることができるのだ。

自分の所得や自分の安全のこまごました損得やリスクや恐れを考えるよりも、地球レベルでものを考える方が優先だと納得している。

「知性に訴える」というのを信じているといってもいい。
それがなければ人類はもう、とうに滅びていたかもしれない。

もう一つ個人的な確信は、アートには人を救う力があるということで、アートの成立には「自由」が必要だということだ。

私のすべきこととできることは、なんとなくわかっている。



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by mariastella | 2017-05-08 23:47 | フランス

マクロン勝利の夜

オペラから戻って、大統領選の結果を見て、ルーヴルのピラミッドの前のマクロンのスピーチをテレビで見た後でこれを書いている。

このブログでは大統領選とフランスのカトリックのことを書いていたので、マクロンの当選が決まった時のバイルーらのコメントを聞いて笑えた。

バイルーが「ルルドで大蝋燭を供えて」、という比喩を出したので、バロワンだったかがちょっとあせって「香を炊く、とか言うべきでしょう」と突っ込んでいたのが聞えたからだ。

久しぶりに見るドヴィルパンも、大統領になってからの孤独と責任の大きさに触れ、「これは本当のsacerdoce(聖職、僧職)だから」と形容した。

ギリシャのツィプラス首相(彼も40祭という若さで首相になった)がマクロン大統領の誕生は「フランスにとっても、ヨーロッパにとってもインスピレーションである」とコメントした。キリスト教文化圏でこういうと、「聖霊が降りた」という含意になるのでこれもおもしろい。

そういえば、先日は書くのを忘れたが、パリのカトリック教会は全体としては投票に関する意見表明は自分たちの役割ではないとしていたが、ポンピドーセンターに近いマレー地区のセント・メリー教会だけは、小教区として、司祭と信徒が協議してマクロン支持を表明した。ここは、性的マイノリティの信徒や司祭を支援する教区としても有名だ。間違ってもル・ペンを通してはいけないという使命感があるのだろう。

ル・ペンはFN(国民戦線)という名も改称して総選挙に臨む意図を表明していた。父親の時は20%を切ったのに、今回は35%程で大躍進だとも言う。このままいくと5年後は当確だ、と言いたいわけだ。
メランションは、ル・ペン女史は決選投票で二位ではなく三位だ、二位は「棄権、白票、無効票」の合計だと、コメントしていた。白票を勧めていたメランションらしい。

ルーブルでのマクロンのスピーチも、これまでのようにコンコルドやバスティーユという「フランス革命」の共和国っぽいところでなく元は王宮だから、マクロンは王党派に戻ったと揶揄する人もいた。これまでは当選者は政党の幹部に取り囲まれる姿を見せていたわけだが、マクロンは、「ひとり」(今回は第一回投票の後のように妻をいっしょに壇上に登場するというミスを避けてEUの歌である「喜びの歌」をバックに一人で進んだ)なので、「王」を演出したというのだ。でもバックには社会党のミッテランが建造したピラミッドが光っていて、ビジュアルにも、政治的にも効果的だった。

集まった人の雰囲気を「ビジネススクールの学生の祭り」と形容したジャーナリストもいた。

スピーチの中で、マクロンが何度か、「ヨーロッパが、世界がフランスを見ている」と強調していた。

それはここ数日、フランスのメディアが書き立てていたことでもある。
イギリスのEU 離脱やトランプ大統領就任の後で、欧米のナショナリズム増大が懸念されていたから注目されていたわけで、「棄権」や「白紙投票」を考えていた人々の一部が、「フランスの対面を守る、面子を保つ」のが大事だと思い始めたのだ。
フランス革命の国、ユニヴァーサリズムの国というプライドのためには、ル・ペン女史に大差で敗退してもらわなければならない、と考え直して白票でなくマクロンに投票した人々がいる。この辺のリアクションはとてもフランス的だ。自虐的なくせに実は誇り高い。

今日観たオペラのプロローグは、アポロンとディオニソスが「平和」と「戦争」のどちらが大切かを競うシーンからなる。もちろん平和や芸術の大切さを謳うアポロンが勝つ。アポロンとはもちろん太陽王ルイ14世のことを指し、このオペラの時代、ルイ14世は出征していた。戦争はしているけれど、自分の最も望んでいるのは平和なのだ、という主張が託されている。

その後のセリフにも、

「花なしには春が来ないように、愛なしには平和は来ない」

というのがあって、テロの脅威がおさまらないフランスにいて、なんだか身につまされた。(オペラについてはまたあらためて書きます。すばらしいものでした。)

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by mariastella | 2017-05-08 07:11 | フランス

ふたりオイディプス

(ただの雑感です)

朝起きて日本のネットニュースを眺めたら、フランスの大統領選がトップに上がっていた。
たいてい英語圏のニュースからの流れだろうから、アメリカで話題になっているということだろう。アメリカはトランプ・ショックから立ち直っていないし、普通はフランスより時差的に「遅れている」場所だけれど、フランス本土の午後8時までに集計されていなくてはならないのでアメリカでの「在外投票」は1日前に行われている。
夕べのフランスのニュースでも、アメリカやカナダの大使館などでひと足早く投票する在外フランス人の姿が映されていた。在米フランス人の第1回投票では、マクロンが55%ですでに過半数だったという。

グローバルな活躍を支援するマクロン出なければ困る、というのは理解できる。
そういえば在日フランス大使がル・ペンが大統領になれば辞職する、とツィートして、そのことを在米フランス大使が「よく言った」と賛同のツィートをしていたっけ。

官僚が民主主義に反対するのはおかしい、という批判ももちろんあったけれど。

今日の結果が楽しみだ。
何があっても、それにまつわる人々の反応を観察するのが好きだから。

マクロンもル・ペンもどちらも嘘つき、信用ならない、与したくない、という人がよく口にするのは

「ペストとコレラのどちらかを選ぶなんてできない」

というセリフだ。 メランションの支持者から発せられた後、一気に広まった。
ペスト(la peste )が女性名詞でコレラ( le choléra )が男性名詞なのでぴったりはまった。日本語の「目糞鼻糞」なら侮蔑的だけれど、ペストとコレラは脅威で恐れを搔き立てる。これもポピュリズムの時代に合っているという感じ。

もう一つ笑える比喩は、ポピュリズムよりも少し「教養?」を必要とするもので、

ル・ペンとマクロンは

「父親を殺した者と母親と結婚した者」

というものだ。

ギリシャ神話のオイディプスのことで、子供に殺されるという神託を受けて、生まれた息子を棄てた王が、結局、成長した息子オイディプスに、そうとは知らず殺され、
さらに、オイディプスはやはりそうとは知らず実の母と結婚してしまう。
フロイトが唱えた「オイディプス(エディプス)コンプレックス」で有名で、息子はシンボリックに父を否定することではじめて大人になる、というような文脈でも使われる。

マリーヌ・ル・ペン女子は、FNの創立者である自分の父を追い出す形で、父に次いで15年ぶりの大統領選の決選に進出した。

マクロンは24歳年上の女性と結婚した。(実の母親はブリジット夫人より3歳上。マクロンは幼くして死んだ長女の後に生まれた第二子)

で、シンボリックな「父殺し」と
シンボリックな「母との結婚」で、

2人合わせて「オイディプス」だって。

まあこの2人にとって、

生まれた時からの父との関係、
15歳で始まった母の世代の女性との関係、

は人格形成において大きなウェイトを持つことは想像に難くないから、
「ペストとコレラ」よりはうがった揶揄かもしれない。

そういえば、今はマクロンを応援している母親も、最初の頃は、マクロンの新党?『En Marche!』(歩き出せ!)を揶揄して、マクロンは満2歳になるまで歩き出さなかったので笑える、などと雑誌の中で語っていた。

でも『EM!』と略するとエマニュエル・マクロンのイニシャルになるようにできていて、理念や目的でなく「方向と進行、流れ」を強調するマクロンが若者にアピールする力を持ったネーミングだった。
まさか実の母にこんな突っ込みをされるなんて想定外だったろうな。

さあ、今日はルイ14世のおかげで生まれたバロック・オペラ『アルシーヌ』に出かける。音楽や演劇、舞踊の分野はもともと国際的だ。
このオペラはフランス・バロックだが、指揮のジョルディ・サバルはスペイン人、コンサート・マスターはドイツ=アルゼンチン人、チェンバロはフランス人、で、出演者全部の国籍は多様だ。ル・ペン女史の言うように「外国人を雇うと税金を課する」ような世界になるとアートや学術、イノベーションの世界はやっていけない。

ジョルディ・サバルのオーケストラの名は「コンセール・デ・ナシオン」。クープランの「les nations」に由来する。「国家」は複数だ。国教のない音楽(この世と異界との区別もない!)を意識していたバロック音楽にふさわしい。


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by mariastella | 2017-05-07 17:59 | フランス

エマニュエル・マクロンはフランスを救う?

これを書いているのはフランス時間の5/6の夜。
24時間後には新大統領が選出されている。

明日の午後はオペラ・コミックにマラン・マレのオペラ『アルシーヌ』を観に行くので、帰ってきたころには速報が出ているかもしれない。

このブログでは大統領選とカトリックの関係について少しずつ書いてきた。
まとめてみよう。

フランス司教評議会は、いくつかの重要点をに触れたが候補者の名を特定しなかった。
そのせいで、個々の司教たちがメディアから意見を聞かれることになった。

まあ、一般的なのは、「良心に従って選びなさい(トゥーロン司教)」というものだ。
ルーアンの大司教ルブランは「福音書を手にもって投票しなさい」と呼びかけたが、どのページを開けとは指示しない。

ただし、一次投票で三割以上の票がル・ペンに投じられたような司教区では、ポワティエ司教やサンブリィュー司教やポントワーズ、トロワなどの司教たちは、アンチ・ル・ペンを表明した。

マクロンに投票しろと言明した司教はいないようだ。

カトリック知識人たちにも、FNの外国人排斥が福音書に反していると明言する人がどんどん出てきた。ジャン・オルメッソンのような人気作家もそうだし、カトリック系の38団体、カリタスやマルト会や各種の人道支援のNPOもアンチFNを唱える。主要雑誌はマクロンへの投票を呼びかける。

一方で、同性婚法に反対したカトリックのグループはマクロンにも反対し、キリスト教政党の政治家クリスティーヌ・ブタンなどははっきりとル・ペンに投票すると言っている。政治人類学やキリスト教共同体主義の著書がある哲学者チボー・コランもル・ペンへの投票を呼びかけている。彼らの信念は「社会には守り続けるべきものがある」ということのようだ。

異種の排斥はキリスト教的ではない、というのとは別に、規制撤廃の自由化によって善き文化を破壊するのはよくないというキリスト教保守がいる。
フランスのカトリックは少なくとも「一枚岩」ではないのが分かる。

宗教や宗派以前のイエス・キリストのメッセージ(よそ者に宿を貸すというのも含む)に最も忠実な人たちには、「自分ちファースト」のナショナリズムは受け入れられない。
けれどもそれとは別に、文化的、階級的アイデンティティとしてのキリスト教徒がある。彼らは教義や典礼を共有することで連帯しているのだ。

今のフランスで、テクノクラートと化したEUや、経済成長などの数字のみによって存在が認められるグローバリゼーションのせいで、見捨てられ切り捨てられる人が増えているというのは誰も否定できない。

国が人々をその難儀から救おうという時に、

内向きになって国境閉鎖や外国人外国製品を排斥することで「フランス人を敵から守る」と言うのか、

外向きになってグローバルなレベルで戦う人の成功を助けて豊かさを生むことで「敵から守る」と言うのか、

その違いがル・ペンとマクロンの違いだ。

ル・ペンのやり方は実際問題として不可能である。

けれどもマクロンのように、

拝金主義が蔓延した結果拡大した経済格差の深刻さを解消するために、
貧しい人にもチャンスを与え、才能ややる気のある人に自由に能力を発揮させて稼がせる、

というのは、

何だか、軍拡競争、抑止力増大にも似ている。毒をもって毒を制す、というやつだ。

そんなことに「国家」が梃入れして煽るよりは、その競争に与しない人、はじかれた人を守って、犠牲となった人を手当てする方に回るべきではないか、ということを感じている人が少なくない。

けれども、そんな慈父型の「国家」はもう存続が難しい。

今回の大統領選でマクロン大統領が誕生するとしたら、それは、

ある目的やイデオロギーを持った党派

の時代から、

現状を見据えて進み方の「方法と方向」について合意を図るグループ

の時代に移るということなのだろう。

それはデジタル時代と、とても相性がよさそうだ。
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by mariastella | 2017-05-07 07:05 | フランス

マクロンとキリスト教

(これは今までの一連の、大統領選をキリスト教の視点から見た記事の続きです。)

このままいくとどうやら「マクロン大統領」が誕生しそうだ。

でも先日は「マクロン嫌い」の人から、面と向かって、マクロンの悪口を言いつのられた。

その中で「マクロンは顔を見てもサイコパス」だというひどいものがあった。

でも、私も一度、マクロンってなんか神がかってるし…、って、ひいてしまったことがある。
だから、それについてあまり反論できずに、「彼は年より若く見えて損しているかも」などとしか答えられなかった。

前回の「討論」のアップの姿を見せつけられると、マクロンのことを「クラスで一番の子」という形容をするメディアがあった。
日本なら「委員長顔」かなあ。
要するに優等生顔で、冷たそう、ナルシスト、とも言われる。

例えば、若くてもトランプ大統領を相手に一歩もひかないカナダのトルドー首相の場合は、若くてハンサムでも、温かみがあって親しみやすい感じでいかにも人気者で「ファン」が多い、という感じだけれど、マクロンの周りにいるのは「信者」みたいだ。
そこを「サイコパス」などと言われるとなんだか気の毒ではある。

今回の大統領選は、かなりアメリカ化して、ミーティングもメガチャーチのショー、討論も格闘技ショーみたいになっていたから、はっきり言って、主要五候補の選挙運動はみな新興宗教のプロパガンダみたいだった。

そろそろ中身について考えなくてはいけない。

マクロンは、旧来の社会党や共和党の二政党の枠を超えて連帯、統合すると言っているから、中道のバイルーやラファラン、社会党の右寄りヴァルスだとか、共和党中道路線のブルノー・ル・メールとかを「マクロン派」として総選挙で戦えるつもりなのか、あるいは、5年後を見据えて譲らない「旧勢力」が持ちこたえるのか、それについて今どういう「根回し」があるのか分からない。

で、この前から、大統領選とフランス・カトリックについての周辺の話を書いてきたので、マクロンと「キリスト教」の関係を少しまとめてみよう。

優等生マクロンは、夫人となったブリジットだけでなく、並み居る大人の「大物」の心をとらえてきた。
若者が、「大物」と付き合う時、普通は少しでも対等に付き合おうとして背伸びするものだ。
対等でなければ、完全に心酔して遠くから崇めることになる。
だから、なかなか、その懐に飛び込んでいけない。
でも、実際は、「大物」とか、すでに世間からの認証欲求を持たない、必要としない人たちには、若者と最初から同じ目線で接する人たちがいる。
その「信頼関係」のチャンスをつかむのがマクロンは「天然」にうまいのだろう。

彼が心酔して病床にまで寄り添った政治家にミシェル・ロカールがいる。
マクロンが社会党に入ったのは24歳の時で、首相だったジョスパンが第一回投票でジャン=マリー・ル・ペンに敗れた衝撃を経験している。
ミッテランの社会党政権はロカールとジョスパンという二人のプロテスタント首相を出した。
プロテスタントはフランスの人口の3%に過ぎないから、これには意味がある。
2012年からのオランドの社会党政見にはプロテスタントの閣僚はいなかった。

社会党の「大物」にはEUの立役者で、元欧州委員会委員長のジャック・ドロールがいる。
彼はミッテラン政権下で財政相も務めた。伝統的なカトリック家庭の出身で、欧州連合のカトリック・ルーツ(『キリスト教の謎』第12章参照)のエスプリに最も近いところにいる。
今回マクロンを応援して自分の立候補を取りやめたフランソワ・バイルーもカトリック・マインドの人だ。

伝統的に、社会党は、無神論反教権主義のカラーの強い共産党と違って、カトリックのキリスト教社会主義と親和性があり、

保守共和党の方は、新自由主義と親和性がある。

けれども、マクロンが政治と関わったころの社会党の大御所だったジョスパンやロカールのプロテスタンティズムは勤勉や成果主義と親和性がある。

つまり、マクロンは、社会党出身でありながら、
キリスト教社会主義の「平等」志向と、
プロテスタント的な自助努力の「自由」志向の
両方を同時に体現しようとしているわけだ。

その折り合いをどのようにつけていくのか、実際にどれだけ可能なのか、課題は山積みである。

今の世界がいやおうなくグローバル化しているのはもう後に戻せないし、新しいテクノロジーが「特異点」と呼ばれるものに近づき、人間と労働の関係を変えることも変えられない。そのことが貧富の格差を生んでいるのも事実だ。

マクロンは神学者でもあった哲学者ポール・リクールにも心酔していると言われる。
「リクールの助手をしていた」と言われることもあるが、実はリクールの著作の校正を手伝っただけだそうで、「哲学者ぶっている」ことを哲学者たちから揶揄されることもある。
なぜなら、フランスで「哲学者」というのは、マクロンのように大学で哲学の学位を取ったというだけでは、高等師範学校(ノルマル・シュップ)で哲学を専攻したエリートから仲間に入れてもらえないのだ。もっとも、そのような特殊なフランス型エリートも、グローバリゼーションの中では、だんだん意味が失われつつある。

12歳の時に自分の意志で洗礼を受けてからずっと神との関係は自分の中にあるとカトリック雑誌のインタビューで答えたマクロンは、「神と話すか」と問われて絶句したそうだ。

これからのフランスで本物の「革命児」になるにしろなれないにしろ、「神」と「金」の問題はいつもマクロンについて回ることだろう。
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by mariastella | 2017-05-06 08:09 | フランス

フランスのフリーメイスン、マクロンはメイスンか?

お知らせ

先月日本で受けたフリーメイスンに関するインタビューがネットに配信されました。興味のある方はどうぞ。
前半
後半

フリーメイスンについては、言っておきたいことはもう『フリーメイスン--もう一つの近代史』(講談社選書メチエ)に十分書くことができました。
この本を書いた経緯については私のサイトの本の紹介にあるコメントに書いてあります。
フリーメイスンの本のところまで遡って読んでください。

インタビューを申し込まれた方からは、このテーマについて新書を書かないかというお話が最初にありました。
普通は、このようなテーマをこのような形で出した後、もっとわかりやすくリライトして新書のような形で出すものだ、というようなことを言われました。確かに、この選書だけでは、俗流フリーメイスン陰謀論などに影響を与えることなどできないと思います。

でも私のこの本は、その前の『無神論』や『陰謀論に騙されるな』などと同じ路線にあり、今も続けている「普遍主義の実践の仕方」の模索(その中にフランス・バロック音楽もすっぽり入っています。そのことはメチエの本の中にも書きました)の一部なので、今はまた別の切り口で別のものを書いているところです。
返ると、感慨深いものがあります。

さて、大統領選の決選投票が二日後に迫って、マクロンのことをフリーメイスンだと言って攻撃するSNSが現れています。

マクロンが経済相の時にグラントリアン(フランスで最も大きいメイスンのロッジ)で講演したからでしょう。

今回の第一次投票のすぐ後で、グラントリアンのグランドマスターはすぐに、決戦でマクロンに投票するように呼び掛けています。

候補者の中で唯一のグラントリアンのメンバーはメランションでした。
そのメランションは、アンチFNですが積極的なマクロン支持は表明していません。
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by mariastella | 2017-05-05 22:08 | フランス

大統領選をめぐるフランスのカトリック

これは前の記事の続きです。

で、「ローマ法王にフランスの選挙権があったなら?」というお題に戻るが、結局リアルの教皇は、意見を求められると「自分には意見をいうほどフランスの政治状況を理解していない」ということに落ち着いているようだ。

マリーヌ・ル・ペンは自分のカトリック・ルーツを強調するが、彼女の「政策」のメインとなる移民・難民の制限や差別についてははっきりと現教皇に敵対している。この辺は、「アメリカのエスタブリッシュメントのカトリック」陣営と変わらない。

マクロンは、いわゆる「幼児洗礼」を受けていない。彼は両親がいわゆる「68年世代」だからだろう。親が生まれた頃は、第二ヴァティカン公会議前だし、「洗礼」も宗教というよりたんにファミリーの行事に近かった。68年世代は規制のシステムにノーを突き付けた世代だから、マクロンの両親もいわゆる「インテリ左翼無神論」のグループに近かったのだろう。でも、よくあることだが、そういう旗印とは別に子供はイエズス会系のカトリック私立校に入れたわけだ。フランスという国で「カトリック」や「キリスト教」の基本教養がないことは知識人としては歴史的にも文化的にもハンディキャップだから、その意味では両親の選択は理解できる。
結果、マクロンは12歳で自分の意志で洗礼を受けたという。
これも分かる。フランスのカトリックの中学(マクロンの場合10歳で入学したと思われる)では、キリスト教の時間があって、幼児洗礼を受けている子供に堅信礼や信仰告白のセレモニーを学校で主催するのが普通だからだ。もちろんフランスのカトリック校で共和国の認可を受けているところは、入学基準に信教の基準はないから、仏教家庭やムスリム家庭の子供でも入ることができるし、カトリック内のさまざまな準備クラスに出ない生徒には教養としてのキリスト教や宗教史などの別のクラスが用意されている。
でもまあ、親が単に「インテリ左翼無神論」でも実はカトリック文化のアイデンティティを持っているような家庭の子供なら、10代の初めに、カトリック校に通っていたら、「洗礼」を望むという方向に行くのは自然だろう。「みんなといっしょ」という同調圧力というよりは、フランスの場合、そしてマクロンの場合、やはり文学作品との出会いなどが大きかったのだろうと思う。

でも、その後に既婚の教師との恋や、離婚した相手との結婚があり、
それをいうならル・ペン女史も2度の離婚と今の事実婚があるわけで、

大統領のポストを目指すほどの人たちなら、カトリックであっても「なんちゃってカトリック」というのがフランスのデフォルトらしい。

フランスのカトリック司教評議会は、大統領選の投票について口を出さないことに決めた。
個々の司教や、カトリック・メディアはかなり自由に発言している。

アメリカ、ハンガリー、トルコなど、「民主主義」を掲げている国のリーダーがメディアを攻撃したり統制しようとしたりする時代だから、メディアはポピュリストの動きに警戒心を抱いている。

カトリック・メディアの大手は、FNの「自国ファースト」や移民難民の排斥が分かりやすい「反キリスト教精神」ということで、アンチ・ル・ペンだけれど、マクロンの「新自由主義」路線も、ヨハネ=パウロ二世の頃から批判されてきたものだから、「マクロンに投票する」ことの意味について自問している。その一部を紹介しよう。(続く)
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by mariastella | 2017-05-05 04:56 | フランス

子供の喧嘩?

昨日のマクロンVSル・ペンの討論から一夜明けて、メディアが冠したタイトルや形容も笑えるものが多い。

小学校の校庭での喧嘩、

ボクシングの試合、

夫婦喧嘩、

だって。

ル・ペンが分厚い「資料」を前においてそれを参照するのに対してマクロンは「すべて頭の中に入っています」という体で現れたこと、

ル・ペンの「せせら笑う」態度が下品、エレガンスに欠ける、とみなされたこともあり、

この討論の直後のアンケートではマクロン支持が4%上がったそうだ。

フランスは、アメリカのクリントンとトランプとのやりとりの「ただの喧嘩」ぶりを冷笑していたので、予備選の時のやり取りもアメリカよりは本質的な議論をして「大人」であることに満足していたふしがある。

ル・ペンもむろんそれを意識して、トランプなどとは違う「大人でエレガントな女性」を演じていた。でも昨日の「戦略」には齟齬があった。

マクロンを元大臣で現政権のすべての失敗の責任者である、として弾劾することと

マクロンが若くて口ばかりで何もわかっちゃいない「困ったちゃん」で、私は笑うしかないわ、というスタンスと、

この2つを同時に展開したのでレトリックが自己撞着を起こしてしまった。

ううん、こういう人では、押し出しはともかくとして、やはりとてもプーチンやトランプと立ち向かえないだろうなと思う。

なんだかんだ言ってもフランス人は「対面」を気にするから、「アメリカと違って知性的な大統領選」を演出したかったのに、それが台無しになったという失望はあっただろう。

それでも、クリントン対トランプが、一応、

革新 VS 保守、
女 VS 男、
過去に政権の中枢にいた人 VS 一度も政権についたことのない人

という構図だったのに対して

マクロン対ル・ペンがどちらも既成の二大政党を排除して、

中道 VS 極右、
男 VS  女、
過去に政権の中枢にいた人 VS  一度も政権についたことのない人

と微妙にねじれていることが、イメージ戦略にどういう影響を与えているのかを考えるのはおもしろい。

もう一つ、アメリカとの大きな違いは、やはり年齢かも。
クリントンとトランプはどちらも68年世代というか戦後ベビーブーマーの世代、
2人の年齢を足したものとマクロンとル・ペンの年齢を足すと、50年以上の差になる。

ひいきの政党はすべて落選したし、
もう何だかわからないし
どうせ誰も信用できないし絶望的だから、というので

「極右のポピュリストに投票してみよう」というよりは
「未来を考える若者にかけてみよう」という人が多いといいのだけれど。
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by mariastella | 2017-05-04 17:42 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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