L'art de croire             竹下節子ブログ

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最近近所で観たフランス映画と日本映画


是枝裕和監督の『奇跡』を観た。

こちらでのタイトルは『I Wish. Nos voeux secrets』、つまり、ぼくらの秘密の願い事、というわけで、「miracle=奇跡」とは言わない。

欧米語だと「奇跡」というのは、願い事が叶えられるというより、こちらの期待を超えて神から一方的に与えられるものだという感覚があるから、都市伝説にのっとって願いを叫ぶというのはそれだけでは奇跡とはならない。

もちろん「奇跡を願う」といういい方はフランス語でも可能だが、奇跡の「起こり方」は、やはり「願い通り」というよりも、予測不可能な神の業に属しているのだから、この映画のタイトルが「奇跡」というのは、たとえ「子供らしい」思い込みという設定だとしても、フランス語としては違和感があり過ぎるのだ。

そういう点にまず考えさせられた。

で、話は、子供たちの一種の通過儀礼、イニシエーションものになっているのだけれど、フランスでのある評には、「現実を受け入れるという東洋的な智恵に到達する」みたいなことが書かれていた。小津マジックが働いているのだろうか。

前半は2人の兄弟の福岡と鹿児島での日常の小さなことの淡々とした積み重ねで交互に積み重ねられるのがとても「映画的」だ。後半はロードムービー風になってスピード感、非日常感が、よくできた音楽で高められる。

美男美女の両親の子供2人(実の兄弟)が全然両親に似ていないのは不自然でなかなか慣れなかったけれど。小学校の先生たちもみんな美男美女過ぎる。

それにしても、桜島の有徴性は突出している。煙を吐くこの火山を毎日目にして育った私の父は、それを、一生刻みつけていた。

先日はEtienne Chatiliez の『L'Oncle Charlesシャルルおじさん』を観た。

Eddy Mitchellは悪くないし、Alexandra Lamyは好きだし、ニュージーランドで大富豪になったフランス人とナントの近くの貧乏家族の出会いというシャティエらしいシチュエーションもおもしろそうなのに、あらゆるところで浴びせられていた酷評に違わず、猥雑で意味のないシーンの連続だ。

それでも、すごく本質的に「フランス的」なのが、日本から戻ったばかりだったせいか、かえって身にしみた。

日本に滞在中は一本だけロードショーを観た。『テルマエ・ロマエ』だ。

原作のコミックを全巻読んでいて気に入ってたからだ。最新刊ではラテン語を話す若い娘が出てきてあり得ないシチュエーションだよな、と思ったが、映画ではそれがもろに採用されて、一週間徹夜でラテン語を勉強したら古代ローマで立派に意思疎通ができるという設定になっていて、無理があり過ぎだがそれなりに「映画版」としてのストーリー展開になっていた。

映画まで見るな、マンガだけにしておけ、と忠告されていたのだが、行って後悔したということはなかった。豪華だしサービス精神にあふれていて気分転換になる。

後は、時間がなかったので、往復の飛行機内で何本もの映画を観た。

フランス映画では、見損ねていた『The Artist』。

想像通りで、モノクロ・サイレントという今となっては珍しさが目新しさに映る表現を使ったアイディアの勝利である。それ以外にはこれという驚きのない予定調和の映画だった。アメリカで受けたというわけはなんとなくわかる。

日本映画は矢口史靖監督の『ロボジー』。「ニュー潮風」というさびれた温泉旅館みたいなネーミングがおじいさんを中に入れたロボットにつけられているのが笑える。

他にもたくさん観たが、続きはまた今度。
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by mariastella | 2012-05-22 21:04 | 映画

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』


メリル・ストリープがアカデミー賞を受賞した『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』を観た。(この邦題の「涙」って日本的過ぎる・・・まあ、原題のThe Iron Ladyって、今や日本語に直訳したら鉄道マニアの女性と間違われかねないけれど。)

私がわざわざ観にいったわけは、ちょうどジャンヌ・ダルクにおける英仏関係について書いているので、なんとなく、「イギリス側の雰囲気」に浸りたかったからだ。

案の定、サッチャー女史がやはりアンチ・フランスを口にするシーンがあって、カレー(ドーヴァー海峡を隔ててイギリスと40キロしか離れていない。百年戦争の時もすぐに攻防があった。ロダンの『カレーの市民』で有名だ)の名も出てきた。フランスの映画館なので失笑が起こったのもご愛嬌。

サッチャー女史が失脚したのは1990年だ。その時、彼女は、冷戦終結10周年のセレモニーに出席のために体よくパリへと追い払われていた。パリとロンドンをつなぐユーロスター鉄道が開通したのは1994年だった。その頃はまだ頭脳明晰だったサッチャー女史は、どんな感想をもったのだろう。

しかし、この映画を観て、英仏関係だけではなく今私がジャンヌ・ダルクで扱っている三つのテーマがすべて重なることが分かった。

英仏関係のほかに、ジェンダーの問題と、政治と宗教の問題だ。

以前にサッチャー失脚にまつわるドキュメンタリー番組を見て、イギリスはフランスよりもはるかに力のある女性に対して残酷だなあと思ったことがある。ある意味で、15世紀から変わっていない。
また、フォークランド紛争の時にイギリス軍の最高司令官として強硬な決定を下すシーンとそれを取り囲む男たちの姿も、私には百年戦争での女と戦争のパラドクスを想起させるものだった。

サッチャー女史がアッシジのフランチェスコの平和の祈りを引用したり、ダライラマが自由主義神学者に語った言葉を引用したりするシーンも、宗教のカリスマの政治のカリスマへの流用について考えさせられた。

ギボンによると、ローマ帝国時代にあちこちの神々がローマに輸入されていた時、一般大衆はあらゆる宗教をどれも均しく真であると信じ、哲学者たちは均しくみな虚偽であると説き、政治家たちは、いずれも均しく役に立つと見なしたらしいが、そういう基本的な構図というのは、ひょっとして2千年経っても変わっていないのかと思うと、ちょっと愕然とする。
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by mariastella | 2012-03-02 01:43 | 映画

『ルルドの泉で』

★『ルルドの泉で』12月23日(金)よりシアター・イメージフォーラムにて公開!

http://lourdes-izumi.com/

オーストリアの女流監督ジェシカ・ハウスナーによるオーストリア、フランス、ドイツ合作映画。

主演はシルヴィー・テステューで、「信心が足りない」人がなぜか奇跡の治癒の恵みを受けるとどう反応するかというおもしろい役柄にぴったりのキャストだ。

試写に行った人から、「ルルドがこんなに大規模なお祭りの様相を呈しているところだとは知らなかった」という感想があった。もっとひっそりしたイメージだったのかもしれない。

この映画は全編ルルドでのロケなので、雰囲気はかなりよく分かる。

ルルドをテーマにした映画はいろいろあって、「水浴」とか「洞窟」のシーンがまったくパロディになっているコメディまである。

1987年のジャン=ピエール・モッキー監督の『Le Miraculé(奇跡の治癒者)』が最たるもので、ジャンヌ・モローなどそうそうたる配役なのに日本では公開されていない。本物のルルドが知られていないのにパロディは分からないと思われたのだろう。

私はこの年には、まだルルドに行ったことがなかったので、ユイスマンスやアレクシス・カレルのルルド紀行によって培われたのが私のルルドのイメージだった。
映画のセットがジョークだとは分かっていても、大洞窟風呂のようなセットや、コインを入れて「告解」するシーンなどに驚いた記憶がある。

その後いろいろなドキュメンタリーのビデオを手に入れたので、ルルドの変遷を視覚的にもたどることができた。それでも実際にその地に足を運ぶと、テンションの高さに圧倒された。

後に『奇跡の泉ルルドへ』(NTT出版)という本を書くに至ったのだが、モッキーの映画を見ていなければひょっとしてあれほど熱心にルルドに関心をいだいたかどうかは分からない。

実際にルルドに行って驚かされるのは、病気や障害というタイプの不幸や試練を前にした時の人間の絶望や希望や諦念や怒りなどの重さと、それらを突き抜ける別の次元から吹いてくる風の実感だった。

そこでは生と死や健康や病に対する「外界」での条件付けがラディカルに無化されていて、パーソナルに背負っているものが相対化されてしまう。

私が今興味を持っているのは

Nimatullah Youssef Kassab Al-Hardini (1808-1858)

というレバノンのマロン派の聖人で、ヨハネ=パウロ二世に列福(1998)列聖(2004)された人物の列聖認定の時に認められた「奇跡の治癒」の話だ。

このことについて詳しく書こうと思っているのだが、日本語では聖人の名が何と表記されているのか検索しても一向に出てこない。

この時の奇跡の治癒を受けた人は、19歳で末期の血液癌だったので、運動障害や痛みなどと違って、それが「治癒」したかどうか、即座には自分でも分からなかった。検査されていくら治ったと言われても、信じられなかったという。
ヴァティカンでの審査はほとんど拷問のように感じるくらいに厳しかったらしい。
この人は今はマロン・カトリックの司祭なのだが、子供を難病で失った母親などの嘆きを前にする時など、どういう言葉を発するべきか大いに悩むという。

どうしてある人は奇跡的に救われ、ある人は救われないのか。

長いスパンで見れば、どちらの人も、「生まれた」ことと、遅かれ早かれ「死ぬ」ことでは共通している。

エントロピーに対抗しながら生と死が繰り返される大きな流れの中にいるのだ。

治癒を求める「祈り」の中にはそういう大きな流れと一瞬接触する契機のようなものがあるらしい。「神秘」との邂逅である。

『ルルドの泉で』では、人間は素晴らしくよく描かれているのに、そういう「神秘」の視点は描かれていなくて、それが残念だ。
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by mariastella | 2011-12-23 06:01 | 映画

最強のふたり Les intouchables

話題の映画 『Les intouchables』のことを書こうと思ったのだが、今大成功をおさめているこの映画を見ていない上に、タイトルをどう訳そうかと迷っていた。

思い立って監督名をカタカナにして(エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ)からネットで検索したら、何と、「最強のふたり」という邦題で、11月の第24回東京国際映画祭でサクラグランプリを獲得していた。

http://mainichi.jp/tanokore/cinema/

「事故で首から下が麻痺してしまった富豪と、介護役の黒人青年との、実話に基づく交流を映画化した作品で、主演したフランソワ・クリュゼ、オマール・シーは揃って最優秀男優賞も受賞」らしい。

フランスでは興業的成功が第一の話題だ。

その上、フランス在住の日本の方による詳しい内容説明があるブログを見つけた。

http://pepecastor.blogspot.com/2011/11/blog-post_10.html

くわしい内容を知りたい方はそちらをどうぞ。

で、私はこの映画を見ていない。

バロック・バレーの知り合いが少しだが出演して、観に行った仲間が「よかった、絶対に行くべき」と言ったので、迷ったのだが、貧富の格差と障碍の有無で立場がまったく違う二人の友情など、あまりにもお手軽な感動シチュエーションだと思って抵抗があった。

それに、差別の問題や格差の問題が日常にあるこの社会で、ある意味でラディカルな状況をフランス人がみんないっしょにブルジョワも失業者も、インテリもドロップアウト組も、右翼も左翼も笑いころげて感動することで連帯の気分になる偽善性も嫌だったのだ。

すると先日、ヒットしたフランス映画のアイディアをリメイクすることが少なくないアメリカ映画界の反応が新聞に載っていた。

この映画は人種差別映画だと批判されている。

「黒人奴隷が白人の主人を楽しませる」というテーマはアメリカではよくあった、というのである。

やっぱりなあ、と私は思った。

フランスの「本土」ではいわゆる「黒人奴隷」という歴史がほとんどないので、この映画でもそうだが、黒人はアフリカから経済的その他の事情によってやってくる移民や難民というのが一般イメージである。もちろん「差別」はあるのだが、奴隷制やら植民地やら強制連行やらホロコーストなどといったフランス側の「罪悪感」には直結しない。だから、フランスで黒人の「不良」が白人の貴族の富豪と仲良しになる話をしても、「政治的公正」の刃でもろに切って捨てられるリスクはない。

それまで、「みんなが勧めるいい映画」であるこの映画を、うちの家政婦さん(白人フランス人女性)だけが、「私は絶対に見に行かない」ときっぱり言っていた。

いわく、この金持ちは、重度障害者の手当て(700ユーロ未満)を国から受け取っている。金で買えないものはない。金さえあれば、24時間体制で全て世話してもらえて、パラグライダーもできるし、旅行もできるし、幸せになれるのだ。不愉快だ。
金がなくて障碍を抱えている者を馬鹿にしている。

私はおずおずと、

「そりゃ、貧乏で障碍があるのは悲惨よ。でも、大富豪で首から下が麻痺していてあらゆる世話をしてもらえるよりも、誰でも、貧乏で元気な方がいいんじゃない。だから、映画見てる人は誰でもそれなりのカタルシスを味わえるのでは ?」

と言った。

確かにそれだけ金があるなら、私なら同じ障碍の人のための施設を創るとか別の連帯を考えると思うけど…

すると家政婦さんは、テレビでこの映画のモデルとなった「主人」と「介護者」を見た、障害者手当をもらっていると堂々と言ったのはその富豪で、幸せいっぱいそうだった、すごいエゴイストだ、と言った。

おまけに、現実の介護者は、アフリカ黒人でなく、フランスでは最も「郊外」の移民ゲットーで問題を起こし差別もされているマグレバン(アルジェリア、モロッコ、チュニジアという旧植民地や保護領)の若者なのだそうだ。
この映画が実話に基づいていることは聞いていたが、介護者がアラブ人だとは知らなかった。

なるほど。

今のフランスで、「郊外のアラブの若者」が「パリの白人の富豪」と友情で結ばれるというストーリーをそのまま映画にしたら、アメリカでの反応と同じくかなりの「政治的公正」の琴線に触れていただろう。で、ビジュアルにはもっと対照的で、けれども政治的歴史的にはややプレッシャーの少ない黒人をもってきたわけである。

しかし、アメリカ人の目から見ると、微妙以上のリスクである。

すると家政婦さんとその話をした日(12/13)の夜、たまたま、テレビ(2ch)で、この映画のモデルになった2人のドキュメンタリーをやっていた。

なんというか・・・

すごいのは、この重度障害の富豪貴族duc Pozzo di Borgoのキャラクターだ。

この人の中には、アブデルという介護者に出会う前から、独特の強烈なバイタリティとオプティミズムがある。ソルボンヌで一目ぼれした妻を癌で失って落ち込んだが、アブデルに助けてもらえたのは事実だ。

自分がパラグライダーの事故にあって寝たきりになってから3年後に妻が死んだ。その亡くなった妻のことを話すだけで泣いている。彼の生涯での一番の苦しみは、自分の事故や障碍でなくて、今でも、「妻を失ったこと」なのだ。

障碍に関しては、他の障害者に向けて、全身麻痺でも「人生を楽しめる」というメッセージをちゃんと出し続けている。

家政婦さんの言ったように「金さえあれば」というのでは反発されるだろうが、この人には独特の、天然の明るさがあって、「私は楽しく生きている」と言われると、みな、惹きつけられてしまうのだ。

アブデルの方はフィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴと出会えてラッキーだった普通の人だ。とても頭がよくて性格もいいが、相手次第では冷酷にもなれそうな男だし、皮肉屋でもあり、コンプレックスと裏返しになったつっぱりや顕示欲もある。フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴのような稀有の男と出会ったチャンスを見抜く力もあり、信頼を得る力もある。

彼はフィリップを取り巻く人々の偽善を感知し、フィリップがそれらと一線を画することも感知した。

アブデルは、頭のいい普通の男だが、フィリップの周りには絶対いないタイプであることは事実である。

フィリップは、病気の妻が子供を産めないのを慰めるために2人の養子を育てた。この、ぜいたくに育った養子がそもそも、いわゆる白人ではない。この娘の方がアブデルを差別の目で見ていたようだ。それも実感がある。アブデルはそれにも敏感だ。

なんだか、映画を見ずに私が感じていた違和感の正体が次々ととけていく気がした。

興行収入の一部は障害者支援に回されるというので、そのうち見に行ってまた感想を書こう。
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by mariastella | 2011-12-16 02:39 | 映画

ロマン・ポランスキーの『ゴーストライター』

アメリカの司法との問題を引きずっていてスイスに監禁状態だった頃のロマン・ポランスキーが仕上げた映画『ゴースト・ライター』は、アメリカのピューリタニズムへの抵抗もあってか、フランスで必要以上に評価された映画だ。2011年のセザール賞の監督賞もとっている。

イラク派兵当時のマイケル・ムーア映画の高い評価のことも思いだす。

まあ、アートを楯にとってアングロサクソン文化との差異性を強調するのはフランスのお家芸の一つなのだから不思議ではない。
ハーグの国際刑事法廷を批准していないアメリカの仲間はイランや北朝鮮やパキスタンなのだということを英国の元首相が知らないというのはあり得ないが、それをからかっているのが印象的だ。

そんなわけで、舞台がアメリカで主要登場人物が皆イギリス人という設定なのに、映画は全てヨーロッパで撮影された。

批評家や業界の高い評価と対照的に、一般観客からは「失望」「退屈」の意見が目立っていた。私は敬遠していたのだが、最近つき合いで観る機会があった。

言いつくされているように、音楽やカメラワークは素晴らしくてサスペンスを盛り上げる雰囲気作りも繊細で堂に入っている。退屈とか冗長ということはない。臨場感は半端ではない。雨や風や空気まで体感できそうなくらいだ。

ただ、決定的につまらないのは、これは演出というより原作が悪いのかもしれないが、メインになる「秘密」みたいなのにインパクトがなさすぎなところだ。

最後の一見「意外などんでん返し」に見える「真相」発見も、よく考えると「それが、なにか?」というレベルであり、真実に迫るヒントを与えてくれるのが、主人公がグーグルで検索するとたらたらと出て来る程度の情報というのも拍子抜けする。

せっかく兵器産業の話とかも出てくるのだし、何かもっと壮大なスケールでリアルなディティールをたたみかけてくるならおもしろいのに。
雰囲気のディティールしかないのは残念だ。

主人公は、最初にロンドンの路上で暴漢に襲われてショック状態になるほど「普通の人」に描かれている。最後まで「巻き込まれ型」ヒーローであることと、ゴーストライターというステイタスが合致しているのは、よくできている。

主人公と元首相の妻との会話で、

「政治家になれずに政治家の妻になった」彼女と

「作家になれずにゴーストライターになった」主人公との

「人生へのわだかまり」みたいなものが一瞬交差するところがある。

それが最後の「真相」によって別の意味を持って照らし出されるので、人生における自由だとか選択だとかいう幻想がもたらす苦渋が、テーマと言えばテーマなのかもしれない。

そうだとしたら、謎の「真相」の肉付けがないのも、インパクトが足らないのも納得がいく。

しかし、そういうテーマならもっとよくできた映画や戯曲もあるから、評価の高さに比べると不全感を覚えるのは、否めない。
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by mariastella | 2011-11-02 09:01 | 映画

le cochon de Gaza

"Le cochon de gaza" 『ガザのブタ』(シルヴァン・エスティバル)は、フランス映画だ。

主演のパレスティナの漁師役が『迷子の警察音楽隊』で味のある隊長を演ったサッソン・ガーベイということで、それだけで期待した。

「公務員系」の役から、貧しい漁師の役へ。

この役者はうまいし、人間的に魅力的だ。

その上私はどういうわけか個人的に、フィクションの中で、赤貧の中で身なりに構わず、精一杯頑張っているのに妻の糾弾的な視線におどおどしているような男というのが大好きだ。
ある意味すごく男らしい男だと思う。

ガザのひどい状況は、なんだか東北の被災地の写真を思いださせた。ボロ船でもそれだけが生活の糧を生む財産である漁師の矜持と、イスラエルによって4キロ以上沖に出ることができなくなって魚が釣れなくなったことによるパニックも、日本で被災地の漁師のドキュメントを見ていたのでよけいに共感できた。

漁師のジャファールは、日々の貧困、武器を持ったイスラエル兵士が常にいる日常、イスラムのイマムによる宗教的戒律の脅迫的説教という三重のストレスに常にさらされている上に、ベトナムの黒豚が網にかかってしまったことで、テロリストにも目をつけられてしまう。

豚が、ユダヤでもイスラエルでも「不浄」であることの禁忌の強さ、しかし、足に靴下を履かせれば「聖なる土地」を汚さないですむといったご都合主義、知らなければ豚の精液でも薬としてありたがって飲む兵士さえいるというばかばかしさ、不条理な笑いや、どたばた劇や、現在進行形の深刻な人間悲劇やらが一体となって、独特の印象をかもしだす。

しかも、豚が、かわいい。

寝顔など天使みたいだ。

始めて豚を見て、悪魔のように恐れたジャファールは、最初、「神さま、助けてください」というのだが、すぐに「神さま、ゆるしてください」に訂正する。

「不幸」が襲いかかった時に、神に救いを求めるか、それが神罰であると見なすかが紙一重の差だと分かっておもしろい。

神が「善」しかなさない存在であるならば、不幸の原因は人間の側の不信心にあるという見方だ。

ガザの状況では、もう何でも、「助けてください」という自然な「神頼み」が機能しなくなっていて、「お許しください」という方向に行くようにバイアスがかけられているのだなあ、と思えた。

テロリストのシーンはやくざ映画みたいだし、イスラエル軍の強圧は、ひとりひとりの兵士にも、植民者にも等しくかかっているというのもよく分かって、人情とエンタテインメントとの不思議なバランスが成功している。

ラストの脱出行は、今村昌平の『神々の深き欲望』のラストとか、聖書外伝での三人のマリアがパレスティナを追われて南仏海岸に漂着するという神話的シーンを彷彿とさせる。

漂着先で出会うのが赤十字のアジア人というのも「別世界」で楽しいし、その時オリーブの枝を掲げて「新天地」に残ることを嘆願するジャファールの姿はまるで大洪水の後でノアの元に戻った白鳩のようだ。

妻の持参金である金を売って借金を返すが、後で収入があるとちゃんとそれを買い戻したり、妻にドレスを買ってやって、最後にうちを追放される妻がそのドレスをトランクに詰めたり、子供のいないこの夫婦のカップルとしての絆の強さも垣間見えて心温まる。

東京国際映画祭で『ガザを飛ぶブタ』という邦題で上映されるそうだが、なぜ「ガザを飛ぶブタ」なんだろう。

私の好きな中島らもの『ガダラの豚』もあるのだから、『ガザのブタ』でもよかった気もするのだけれど。

そういえば、悪魔を祓ってブタの集団にのりうつらせてから崖から落として絶滅させるという「ガダラのブタ」のエピソードも、ブタが不浄とされるパレスティナの悲劇ではある。

私は「汚い」動物は嫌いだけれど、あるカテゴリーの動物を「不浄」としてそれを社会的な同調圧力に対しては絶対に抵抗したいので、「ガダラ」の豚の運命ももちろん不当だと思っている。

「ガザ」の豚の方は、夢幻の世界みたいなところにみんなと行けて、ほっとした。
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by mariastella | 2011-10-02 05:02 | 映画

帰仏する機内で見た映画

帰仏する機内で見た映画

帰仏する時に使ったのはエール・フランス機だったので、前に触れた

1.La Conquête

の他、

2.Omar m’a tuer
3.L’élève Ducobu
4.La femme du 6e étage
などのフランス映画を観ることができた。

2.La Conquêteでサルコジ役の俳優が、Omar m’a tuerでオマールの復権に駆け回る作家役で出ているのが不思議な感じだった。
Omar役の俳優はオードリー・タトゥ相手のラブコメディvrais mensonges

ttp://spinou.exblog.jp/15681851/

で、勝ち組のインテリ青年を演っていた人なので、フランス語もうまく話せない移民の犠牲者役をこなすうまさに驚いた。

「文法の誤りを含む血まみれのダイイング・メッセージ」というこの事件は当時すごくうわさになったので私もよく覚えているのだが、文法が間違っているのだから書いた方も「フランス語弱者」なのかもという印象を持っていた。実は被害者はインテリだった。

けれども、確かにちょっと考えてみたら、まだ死んでないのに「オマールが私を殺した」なんていう長い文を必死で壁に書くなんて変だ。たとえ名前だけを書いたとしても、何かの遺恨があったり、残った家族に警告したかったりするならともかく、たかが庭師である「オマール」の名を自分の血で残すような切実さは理解できない。変なところがありすぎる。

先日はアメリカのジョージア州で、20年前に白人の景観を殺したとされる黒人男性が死刑を執行された。物的証拠がなく、当時の証人の9人のうち7人が撤回したと言うのに。 州の判断に連邦大統領は口出しできないらしい。

フランスでは、死刑がないから、ともかく無実の罪で殺されることは避けられるし、大統領恩赦(オマールはこれで解放された)もある。それでもオマールと支援者らは完全な「復権」を求めている。

3.次の小学校が舞台のものは、まあマンガのようなものなのだが、メガネの優等生の女の子や、デブの劣等転校生など、日本なら、マンガの笑いよりいじめの対象にならないかと思うようなカリカチュアで、これも「お国柄」の違いを感じさせられた。

4.La femme du 6e étage
は、思いがけない人気で話題になった映画だ。
考えてみると、イタリア移民やポーランド移民、ポルトガル移民に比べて、スペイン移民というのははっきりした「顔」がない。この国のフランコ政権の時代が、独特の影を落としていたのだとあらためて分かる。

アメリカ映画では、ジョディ・フォスター監督でメル・ギブソンと共演している
5.The Beaver

があり、軽い気持ちで見たらブラック・コメディなので驚いた。
主人公が「鬱」になった理由がまったく分からないのだが、その奇想天外な自己セラピーの方法や、それが通用するところとしない所が明暗くっきり分かれて、なかなか鋭い寓話になっている。
幼い子供にはすんなり受け入れられるのに、当然だが高校生の息子には蛇蝎のごとくに嫌われる。
そして、それをあくまでも治癒に向かうステップとしてポジティヴに見ていなかった妻にとっては悪夢となる。

メル・ギブソンってこんなに名優だったんだ。

さらに軽い気持ちで見た
6.Xmen 

の方は、こういう特撮アクションSFみたいなのは、この種のゲームをやりつけてる人でもないと本気で見れないんじゃないかと思った。ニューエイジ風の優生思想でもある。こういうミュータントはある種の人々の見果てぬ夢なのだろう。

キューバ危機や核戦争の可能性など、ノスタルジックであると共に、世界にはまた同じような核抑止のにらみ合いが残っているわけで、アメリカとイランの間に核攻撃誤認防止のホットラインを引こうというニュースをつい最近聞いたばかりである。

この他に、夏にフランスで『Super8』を観た。ETにインスパイアされていると言うがサイズがちょっと・・・

『クローバー・フィールド』みたいな趣向でもある。
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by mariastella | 2011-09-28 00:09 | 映画

日本行きの飛行機の中で見た映画から

まずアメリカ映画

1.Water for elephants /フランシス・ローレンス

おもしろかった。1930年代のアメリカという設定、サーカスという国際的な無法地帯、主人公がポーランド移民の子で、ポーランド語ができて、無能だと思っていた象がポーランド語で芸を仕込まれていたことが分かった驚きだとか、すごくいい味の人格障害者である団長(Christopher Waltz)の妻との恋とか、ハッピーエンドとか、
エンタテインメントのよさが全部そろっている。

2.ミッション :8ミニッツ Source Code /ダンカン・ジョーンズ

列車の爆破事故の現場に何度も戻って過去を変えられるのか。
時間はいつも8分しかない。最後のオチもショッキングで、こういうのをSF・テクノスリラー 映画と言うんだそうだ。ソースコードを経由して、パラレルワードに何度も侵入して、「過去を変える」というより「世界を変える」ことができるかが真のテーマなんだろう。飽きない。

3. Limitless/ニール・バーガー監督/
 ブラッドリー・クーパー、ロバート・デ・ニーロ

別れた妻の弟から、脳の潜在能力を100%引き出す薬を手に入れた男が出世していくが副作用にもおそわれる。ロバート・デ・ニーロは悪役。
アディクションの悪夢でもあり一種のミュータントものでもある。薬がなくなったらどうするのかと思っていたら、金さえあれば薬学者を雇って分析させて製造だってできるんだという盲点や、効果だけ残してアディクションから脱する方法だって考えられる。結局、能力も健康も手に入れるので、ビルドゥングス・ロマンにもなつている。

4.きみに読む物語The Notebook/ニック・カサヴェテス

2004年の映画なんだけれど、これを、JALの機内でもう3度も見た。
まあ、「身分違いの純愛」ストーリーの一種なんだけれど、言い難い魅力がある。純愛が何十年経とうと、相手の記憶がなくなろうと、確固として続く、ということのリアリティが毎回身にしみる。

この4本を見た後で、日本映画を見ようと思って

阪急電車 片道15分の奇跡

というのを見た。

私にとっては梅田から宝塚歌劇場へ行くために乗る宝塚線はなじみがある。

映画の中の今津線と言うのは西宮北口から宝塚だそうで、2003年の公演で神戸に泊まっていた時に、仲間を連れて宝塚歌劇を見た時に使った記憶がある。だから親近感がある。

展開する話はみなテレビドラマみたいで、すごく日本的で、やりきれない。大学生のカップルの間での暴力とか、有閑マダムの食事会の全体主義とか、男に捨てられたので結婚式で嫌がらせしようとするキャリア女性とか、なんとなく、女性の側にかかってくるひずみばかりだ。

日本文化のガラパゴス化という言葉を思い出してしまう。

それでも最終的には打たれ強い女性たち、という話なのだけれど、高校でも大学でも小学生も未亡人も、キャリア・ウーマンも、主婦グループも、日本人が集まるところはみな、人間関係が大変だなあ、とあらためて驚く。

移民問題も、若者の暴動も、セキュリティの問題もなくても、人が平穏に暮らせるとは限らないのだ。
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by mariastella | 2011-09-27 01:20 | 映画

Habemus Papam

Habemus Papam

監督Manni Moretti/ 主演Michel Piccoli

カンヌではわりと評判がよかった。

でも、中途半端でがっかりした。

ヴァティカン、スイス衛兵、緋色のマントの枢機卿群、システィナ礼拝堂でのコンクラ―ヴェなど、フォトジェニックで壮大な装置だけなら、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』のような荒唐無稽の話の映画でもじゅうぶん楽しめるのだが、この映画は、「ローマ法王もやはり人間」とか「何歳になっても自由を選択できる」というような妙にヒューマンな筋立てになっているので、かえって説得力がない。

コメディだと割り切って笑うには、ミシェル・ピコリがあまりにもうまいので、実存的なシリアスな感じもする。

法王がお忍びで巷の精神分析医の所に行くのは、なんだか、『キングス・スピーチ』を思わせる。

いまどきのローマ法王は、みな超インテリだし、そこまで上り詰める人たちはさぞ精神的にも強靭だと思うので、老齢で選出されたからといって突然動揺して鬱になったりするという設定が、正直言って非現実的だ。

懐疑にとらわれた法王、というテーマだとは知っていたが、まさか、バルコニーに姿を出す時点で拒否反応が出た設定だったとはね。

フランスの大統領が「心配だ」と声明を出したり、ブラジルの大統領がバチカンに向けてやってくると決めたり、笑えるところもある。

この映画では舞台役者も、ジャーナリストも、テレビの解説者も、みな、突然自分のしていることに自信を失うシーンがいろいろ出てくるので、「自信喪失」が一つのテーマなんだろう。

それでも人々が無邪気に新法王を祝福するのが心温まり、それなら、それに力づけられて何とか不安を克服した、というエンディングにしておけばいいのに、なまじ「自由の宣言」のような終わらせ方をするから、おとぎ話として後味が悪い。

この映画を見たパリの大司教が、選出されてすぐ後のスピーチでイエス・キリストに触れない法王なんて考えられないから、そこのところが一番不自然だった、と言っていた。イエスのいない教会、永遠の生を信じない信仰はカリカチュアでしかない、とも。

監督はカトリック雑誌のインタビューを受けて、「枢機卿たちが祈っているシーンも撮影したのだが最終的にカットした、彼らが祈ることは誰でも知っているから」と弁解していた。

私はミシェル・ピコリやベネディクト16世と同じ年くらいのカトリックの神父さんたちとも親しいけれど、みんな驚くほど気持ちが若々しくて生き生きしている。

仲良しの90代のシスターも元気いっぱいだ。「老後の生活が一生保証されているのだから安心して、倒れるまで働き続ける」という感じだ。

老人性の鬱になったりパニック障害になったりするようなタイプの人はもうずっと前になっているんじゃないだろうか。

「カトリックの偉い人」はできるだけ「機嫌よく生きる」ことが肝腎だ。

「福音」

を、宣べ伝えるのだから。
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by mariastella | 2011-09-26 02:00 | 映画

Hereafter

昨日久しぶりに映画のことを書いたのでもう一つメモ。

Clint Eastwood の 『ヒアアフター Hereafter 』
/Matt Damon, Cécile de France, Thierry Neuvic,

この興味深い題材とうまい俳優と大きな予算を使って、よくこれだけ残念な結果を出せるなあ。

私がシナリオを書いたら100倍くらいおもしろくできたのに・・・

何気ない出来事を積み上げていってクライマックスで盛り上げるのとは反対に冒頭の津波シーンや事故のシーンが最も迫力があって、結局それ以上には、感動の面でも謎の面でも、まったく進展しないで尻すぼみ。

また、フランスでのこの映画の評に、「パリでのシーンの会話が非現実的だ」というのがあったが、まったく同感だ。ジャーナリズムと出版界の描写や、業界の男と女の様子が、あまりにもアメリカ的なのだ。

セシル・ドゥ・フランスは若い頃のMiouMiouをより繊細にした感じで、もともと気にいっていたが、ますます魅力的になった。映画の中でやつれていく彼女をながめるだけで楽しめる。

それにしても、繰り返し垣間見せられる「死後の世界」はあまりにもつまらない。映画なんだからせめてもう少しマニアックな仮説を立ててもいいのに。
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by mariastella | 2011-02-18 18:42 | 映画



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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