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L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:フリーメイスン( 8 )

フリーメイスンと陰謀論

講談社の広報誌『本』に書いたフリーメイスンについてのエッセイがネットで読めるのでリンクをしてほしいと要望があったのでここにはっておきます。

その後フリーメイスンつながりでデジタル・イミダスというところにも陰謀論についての記事を書いたので(まだアップされていません)久しぶりにベスト新書を読み返しました。

この種のテーマではどのようなアプローチをしても、陰謀論オタクからも反陰謀論者からも批判されるのは分かり切っていたので、それでも誰にでも少しは楽しめるところがあるようにと架空の陰謀研究会の記録を挿入しました。今でも後悔はしていません。

私はネットでの批評は一切見ないことにしているのですが、その記事を書くためにザッピングしていたら偶然私の新書について丁寧に解説したブログに行き当たり、自分で読み返すよりも便利だと感心しました。

こういう共感的なコメントを見ると、著者冥利に尽きます。

昨日はフランスでもチュニジアなどでもまたテロがありました。
ラマダンの金曜日だから殉教者として戦死して天国に行くチャンスだと呼びかけていたISに反応したようですが、それを未然に防げなかったのかというインテリジェンスの問題がまた取り上げられています。

陰謀論にも通じますが、反社会的な行動計画や犯罪を計画している個人やグループやネットワークがある場合、情報を収集して分析し、調査し、その結果、「陰謀を暴く」というのは大切です。

「陰謀」は「暴く」ものであって「陰謀論」として「あげつらう」ものではないとつくづく思います。

もっともその「暴き方」にもいろいろあって、むやみにメスをいれてあちこちに転移してしまうというようなやり方ではだめで、中期的長期的な視点が必要です。

容易ではありません。
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by mariastella | 2015-06-27 23:42 | フリーメイスン

スコットランド問題を見てるとため息が出る

スコットランドの独立に関する国民投票、結局延期されないで行われるらしい。

シリアでのスコットランド人殺害の影響の他にも、IMFが恫喝というか圧力をかけてきたので、予想は反転して独立反対派が54%に上っていた。EU離脱扱いも確実なので、イングランドよりEU寄りのスコットランド人にとってはつらい。

過去にヨーロッパでの国民投票による平和裏の分裂にはノルウェーがスウェーデンから離脱(わざわざデンマーク王に頼んで立憲王国にした)があるが、よく見ると、そう「平和」にことが運ぶわけではない。ノルウェーも独立国として安定するのに10年はかかっている。

スコットランドでは緊張が高まって銃を持ち出す人もいるそうだ。

それだけではない。個人的にたまげたのは、9/13に繰り広げられた独立阻止のフリーメイスンの示威パレードだ。

エディンバラに極右プロテスタントのオレンジ・フリーメイスンたち1万5千人が北アイルランドとイングランドからやってきた。笛や太鼓付きで、白手袋とロッジの襷をかけた男たちだけの行進。

北アイルランドのプロテスタントの多くは17-8 世紀にスコットランドから移住した人たちだ。

この「オレンジスト」のお気に入りのスローガンはローマ教皇否定 の« no popery » で、1970年代の北アイルランドの内戦のルーツとなったという。しかしこの時にはなぜかカトリックのアイルランド共和軍(IRA)の過激さばかりが報道された。 

今回の恣意行進では、独立派の「イエス」のバッジをつけている人々を「社会主義の私生児」と罵って乱暴したりする程度だったがグラスゴーでの行進では12歳の子供の頭をビンので殴ったそうだ。

これってスコットランド独立派からすると一種の「内政干渉」というか、ひどい話である。

もちろんクリミアにおけるロシアの戦車ではない。

部族同士が戦う中東でもない。

でも、底に流れる「示威によって支配」しようとするアルカイックなメンタリティは、時代が変わっても、文明が違っても、地政学的状況が変わっても、共通しているような気がする。

まあ、それが一見平和的文明的になったと見える社会でも、「示威」行動の代わりに金権支配で実は同じようなことがまかり通っているのだけれど。

平和と経済について、日本とフランスで興味あるパラレル現象があるのに気付いたので次回はそれを紹介しよう。
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by mariastella | 2014-09-15 18:38 | フリーメイスン

フリーメイスンとカトリックについて補足

これは前に書いた記事の補足です。

前の記事にも修正と補足をしたので確認してください。

さて、前の記事では違いがはっきり分からなかったのだが、

今回の事件でアネシィのヴザン神父の属しているのはグラン・トリアンGODFで、

司教の許可を得ていたというオ―タンのデブロス神父が属していたのはグランド・ロージュ・ナショナル・フランセーズGLNFだった。

この違いは大きい。

私が内部の人と接触したり本部を訪れたりした限りではGODFもまだ十分「宇宙の設計者」を掲げている雰囲気なのだが、そしてカトリックを容認しているのも事実だが、今は、「宇宙の設計者」に対する崇敬をメンバーの条件にしていない。いわば政教分離の「世俗」グループである。

だからこそ、逆に、ヴザン神父は、神父としてカトリックの神の信仰と、メイスンとしての活動が補完的で両立できると思っていた。

実は、その前に今も理神論で「宇宙の設計者」への礼拝を含むGLNFからも「勧誘」されたそうだ。
GLNFでは聖書を大切にするという触れ込みだった。でもその勧誘自体がカルト的で抵抗があった、スピリチュアルな団体では自分の信仰とバッティングするかもしれない、それに比べてGODF の自由な雰囲気に惹かれたという。

では、オ―タンのデブロス神父がGLNFに加入するのを司教が容認したというのは、GLNFが少なくとも無神論ではなくて神を信じている団体だから寛大に扱えたのだろうか。

実際は、GODFは「無神論」ではなくて、「宗教の種類も有無も問わない」というだけである。
自分の私的な信仰は持ち続けることができる。

だからカトリックの中にも、むしろGLNFの方が神学的な問題が深刻だという人もいる。

つまり、GLNFではユダヤ=キリスト教のレトリックをちりばめた典礼で「宇宙の設計者」を礼拝させて、メンバーはそれぞれがそこにかってに自分たちの神を重ねればいいという安易なスタンスなので、神学的エラーに陥るというのだ。

また誰でも自分たちの神(仏でも何でもいいわけだ)を思いながら「宇宙の設計者」を拝するというシンクレティズム、相対主義こそが真のキリスト教の敵だという判断もある。

一方のGODFでは絶対者に帰依する必要がないので、自分の信仰を裏切らずにすむ、とヴザン神父は考えたわけだ。

もちろんヴザン神父が侵した「神父としての違反」は軽いものではない。

まず、1983年の新教会法自体からはフリーメイスンを名指しての禁止は消えたが、同年の11/26に当時の教理省長官だったラツィンガー(後のベネディクト16世)が、教会によるメイスンへの否定的判断は変わっていない、フリーメイスンに入ることは重い罪の状態に相当すると宣言しているので、ヴザン神父はそれに違反した。

次に、それに対して司教の判断をあおぎ許可を求めることをしなかった。

さらに、2010年の春に密告されて司教から真偽を問われた時に否認した。つまり嘘をついた。

2011 年の密告には、彼がメイスンとして講演するという内部報が同封されていた。司教はこの段階で、メイスンか教会かを選択するように申し渡した。

最後の違反は、3月7日の最後通牒に従わなかったこと、つまり、神父に叙階された時にした司教への従順の誓いを破ったことだ。

ヴザン神父は2012 年の1月に、ことの是非を分別するための黙想行に入り、その結果、自分が間違っていないという結論に達したのだそうだ。

メイスンの友人たちからは脱会した方がいいと勧められた。しかしそれは自分の絶対の自由に反すると思って留まったという。

とはいっても、もともと彼がカトリックの司祭となったのも、自由意思だった。自由意思によってある役割を引き受けたからにはそれに伴う義務や拘束も受け入れるということであるから、彼の「自由」原理主義には無理がある。

実際、そもそも現在のカトリックがメイスンを認めないと言っているのは、昔のような陰謀論のような話のせいではない。

キリスト教が「神の恩寵によるすべての人の救い」を掲げるのに対して、イニシエーションの儀式により選択的に自力でステップアップを目指すエリート的なメイスンのシステムが合致してないからである。

知識を獲得していくというグノーシス的なスタイルも、「愛」を優先する教会とは相容れないとする。

私が興味深いと思うのは、そもそも近代メイソナリ―ができた18世紀は啓蒙の世紀だったわけだが、その時にはじめてメイスンを公式に弾劾したクレメンス12世が、メイソナリ―がたとえ悪行を行わなくても、「秘密に活動する」ということそのものが啓蒙の「光」への憎悪であると言ったことだ。

秘密結社というのが光に対する闇に相当するので啓蒙の精神に反する、というのはなかなか明快な判断だったという気がする。18世紀の高位聖職者たちは啓蒙の世紀の申し子だったのだ。1738年のことである。

ヴザン神父は11 歳で司祭職を志したが影響を受けた司祭から「自由であれ」と言われた、叙階されてからルーマニアで正教に興味を持った。その後ではオプス・デイにも惹かれたという。 

もともと「自分探し」系のひとだったわけだ。

司祭としても、自分には、公教要理(カテキズム)を教えるより人々に生きる意味を教えることが重要だったと言っているから、スピリチュアル・カウンセラーなどの方に適性があったのかもしれない。

長い歴史の波に現れてチェック機能や自浄機能を数々備えているカトリックのような巨大機構の中に入ったことが間違いだったのだろう。
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by mariastella | 2013-06-08 09:05 | フリーメイスン

フリーメイスンの司祭が停職処分された話

フランス・アルプスのアネシィ司教区の司祭パスカル・ヴザンが2001年からフリーメイスンのグラントリアン(GOFまたはGODF)で活動していたことから、ローマからの指示を受けた司教により、5月26日付けで辞職を余儀なくされた。

2010年にヴザン神父がフリーメイスンに所属していると密告した手紙を受け取った司教から問いただされた時、司祭は否認した。

2011年にもふたたび密告の手紙があり、フリーメイスンをから脱会するように言われて、

「信教の絶対的自由」

によってカトリックとフリーメイスンを両立させると答えた。

結局ヴァティカンの教理省の指示で、司祭職から外されることになった。

メイスンを脱退して教会に戻る道は開かれているそうだ。しかし教区でミサをあげられないだけではなく、本人も聖餐にあずかれないという処置なので、目下のところはいわゆる「破門」に近い。

1月17日に、地元の週刊誌のサイトのインタビューを受けて、自分は熱心な政教分離派だと唱えていて、同性婚法にも賛成している。

43歳の「働き盛り」であり、フリーメイスン脱会を要求されてからはずっとダモクレスの剣を吊るされて生きている心地だったが、まさか本当に「解雇」(半年から1年の間給与が払われ続けるそうだが)されるとは思ってもいなかった、と神父は語る。

自分は司祭になるために生まれてきたと召命を自覚しているし、信仰は強固であるそうだ。

もう第3共和国時代のようなフリーメイスンとカトリック教会の対立などない、と彼は言う。

「自分は、思想と表現の自由を福音書によってインスパイアされた」のだとも言う。

過去に、フリーメイスンだったがそれを司教から許可されていたことで話題になったのは、オータンのジャン=クロード・デブロス神父だ。
1999年に亡くなった時、12月4日にオ―タンのカテドラルで葬儀ミサが行われたが、9日、フィガロ紙の死亡欄に、1980年に司教に許可されて以来フリーメイスンに属していたこと、メイスンの位階を昇っていたことなどが詳しく掲載された。

1980年に許可したという当時の司教はもう去っていて、99年にコメントを求められた司教は、18日に、地方の司教にはメイスンの妥当性を判断する権利がないとしたヨハネ=パウロ二世の言葉(1983/11/26)を引いた。

実際1917年5月の教会法には2335条がフリーメイスン即破門と明記されていたのが、1983年1月の新法からはフリーメイスンという言葉は消えている。教会に反する団体に入り主要な役割を果たす者に対するミサ禁止の罰則規定のみがある。

弁護士でありオ―タンの巡礼責任者でもあったデブロス神父はフリーメイスンに入会した時32歳だった。

今回のヴザン神父は今43歳ということだから、入会時は31歳とほぼ同年代だったわけだ。

以下、下線部は6/8修正

これについて、ラ・グランド・ロージュ・ナショナル(GNLF)の書記長クロード・ルグランは、自分たちの「神」はキリスト教の神ではないが、GOFが反教権主義なので目の敵にされているのだ、と語っている(ル・モンド)。
しかし、GOFには26000人の司祭が入会している、と言われているのだ。

これをどう見るか。

まず、グラントリアンの方では信仰を問わないのでカトリックでも無神論者でも容認される。

ただし「宇宙の設計者」を認める理神論的な団体である。(今は公式には理神論を捨てている。6/8註)

そして、メンバーは、自分で公表するのは自由だが、他のメンバーの名を公にすることは禁じられている。

だから、たとえ司祭が入会していても自分で公にしなければ世間には分からないことになる。
ただし活動が派手だったり、今回のように「密告」されたりすれば、今のカトリック教会からは脱会を勧告されるのが普通のようだ。

教会の務めをちゃんと果たしていて第三者にさえ分からなければ、愛人がいようと同性愛であろうと、小児性愛(これは犯罪だから大変だが)であろうと内々で隠蔽されることが多い世界だから、フリーメイスンに属すること自体が「お目こぼし」になっていたとしても、それ自体は特に不思議ではない。

フランスのように政教分離がはっきりした国で「共和国」的な理念を掲げる聖職者がフリーメイスンに接近することも不思議ではない。

ただ、ヴザン神父はその言動自体が今のカトリック教会の路線より「過激」で自由主義的だったので、保守的な信者などの不興を買っていたということは大いに考えられるし、それが「密告」にもつながったのだろう。

フランス・カトリックの「進歩派」の祖と言われる19世紀のラコルデール神父のことを思い出す。

彼は「信教の自由」を普遍的なものとして政教分離を雑誌の記事で唱えた人だが、フランスの教会でスキャンダルを引き起こした後で、当時の教皇グレゴリウス16世の判断に委ねた。
その結果Mirari Vosという教勅によって信教の自由や表現の自由が弾劾された。

この時のラコルデールもちょうど30歳だった。

彼は教皇の判断には従い、その後、ドミニコ会士になって内部改革をしたりいろいろな説教によって別の道を選択したりしながら戦略を変えていったのだ。

フリーメイスンとカトリックは両立します、とか相互補完的です、と主張するような、二者だけを視野に入れたレトリックにこだわるのとは、根本的に違う。

聖職を選択したということ自体が「神からの召しだし」に自由意思で応えたものであったのなら、30代のはじめあたりで革新の風に吹かれてすぐに「上司に逆らう」ことを選択するのは、後で不毛に終わるような気がする。

なんであれ、改革の信念というものは、さまざまな困難をかわし、乗り越え、時には引き返したり脇道に分け入ったりしながら少しずつ醸成させていくもので、その改革がたとえ自分の代で実現できなくても、必ず根をはって次世代を動かすことがある。

聖職者が「信教の自由=フリーメイスン」ととびつくのは安易で浅い選択ではないだろうか。

もっとも、そういう理由ではなく単に人脈作りのためにだけメイスンに入会している聖職者たちがいるとしたら、彼らはヴザンなどよりもっとしたたかで、密告されて活動停止に追い込まれたりなどはしないのかもしれない。
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by mariastella | 2013-05-26 02:14 | フリーメイスン

フリー・メイスンとキリスト教----ベルナール・ベレのことなど

フリーメイソンとキリスト教が両立するかどうかについての考え方の変遷を調べていたら、いろいろ不思議な話に出くわす。

たとえば、福音派の教会の中にメイスンのメンバーがいることついての対処の仕方についての記事だ。

フリー・メイスンがリベラルなプロテスタントの牙城だという見方は知っているが、プロテスタント右派である福音派との関係など考えてもいなかった。

列福もされているヨハネ23世が1935年以来のメイスンだったという噂は薔薇十字団との接近と共に、よく出てくる話なのだが、教皇になる前の彼にメイスンとして出会って影響を受けたと言っているJean Lincelinという人の最近作にまつわるインタビュー記事を読んで、そのこだわりにも驚いた。

カトリックとフリーメイスンが両立できるかということついて長い記事を書いているフランク=ウィリアム・シャフネールという人もいて、「大司教」だというから一体誰かと思ったら、カトリックはカトリックでもガリア教会の司教だった。

ついでに今のフランスに残るガリア教会のさまざまなサイトを渉猟してみた。その中で知っているのは15区にある聖リタ教会の教区だけだ。

フランスのような国、理神論やら無神論やら政教分離やらがカトリック教会と対立したり拮抗したりした国でのエゾテリスムの歴史とフリーメイスンの歴史は錯綜している。ガリア教会の人がそれを語るのも不思議ではない。

その歴史の激流の中で霊的な光だの真の智恵だの自己実現だのを真摯に追求する人は、時としてユニークな人生を送る。

ドン・ベルナールともよばれるBernard Besret(ベルナール・ベレ)という人などその典型だ。

13歳で母親を失った後、オルダス・ハクスリー(この人も14歳で母を亡くしている)の『永遠の哲学」に影響を受け、もう少し後の時代ならインドあたりに旅するところを1950年代だったため、18歳で地元のブルターニュのシト-会の修道院の門をたたいた。

20歳でローマに送られて神学博士号を得て、1960年にはまだ25歳の若さで修道院長になり、第二ヴァティカン公会議でも活躍して修道院の改革もしたのに68年の五月革命を経てドグマというものから離れた。

1974年に修道会を去り、政府のためにパリのヴィレット科学都市構想の仕事などをして活躍するのだが、修道会でのように霊的なことを話し合う場を求めてフリーメイスンに入会する。

ところが、結局、1997年に道教に「改宗 ?」して、2010年には中国で伝統文化センターを開設したんだそうだ。

「永遠の哲学」(つまりあらゆる宗教に共通するルーツとなる思想がある)の出発点をついに見出した形である。

この人の経歴はカトリックとしても充分に「濃い」ので、単にキリスト教しか知らなかったヨーロッパ人がオリエントに憧れた、などという話ではない。

フリーメイスンがそういう道程においていったいどのような役割を果たしてきたのかは、いっそう興味深いものである。
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by mariastella | 2013-05-18 07:07 | フリーメイスン

カユザック事件その後

先日の記事でスイスに脱税口座を持っていたことについての嘘を告白した元予算相ジェローム・カユザックの話で、フリーメイスンからは除名されるのだろうかと書いた。

4月5 日にグラントリアンの会議があって、内部の調査があること、推定無罪は尊重するが共和国に起訴されている間はロッジから排除される旨が発表された。

彼は外科医なので、医師会も、除名があり得るとしている。

しかしこれはカユザックがフリーメイスンだと公表されているからのことで、もし、他の知られていないメイスンが脱税者となった時には、どうなるのだろう。

内規に従って除名されてもそれを一般に公表しないというだけなのだろうか。

今回は政府の他のメンバーもグラントリアンのメンバーであることを隠していないから、火の粉が飛ぶのを恐れて切り離したのかもしれない、などと考えたくなる。

カユザックは政府の「ユダ」だと形容されている。

フリーメイスンも「ユダ」を必要としているのだろうか。

政治を語る時に「イエス」になぞらえられる人は見たことがないが、「ユダ」はまるで増殖するフェニックスのようだ。
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by mariastella | 2013-04-12 00:05 | フリーメイスン

ジェローム・カユザック事件

前のブログでも触れたが、スイスの預金について相変わらず激しく叩かれているお気の毒なカユザック元予算担当大臣。

彼の前髪の植毛の10本のうち9本は黒髪だというジョークが流れていた。

フランス語の「黒」は税金を払わない闇の仕事などを指す言葉でもある。

実際、彼の経営する植毛専門のクリニックでフィリィピン女性を闇でやとっていたことを過去に告発されたこともあるそうだ。

もともとは外科医で、皮膚科医の妻(離婚係争中)と共にクリニックを開いたのだが、医薬関係のコンサルタントとしても大儲けしていたらしく、どう考えても、かなり精力的に金儲けに励んでいた人だ。

確かに、「社会党」とは相性が悪そうに見える。

ただ、フランスの社会党はフリーメイスン(グラン・トリアン)と関係が深く、フランス革命の頃から左派との絆は一貫している。

フランスで妊娠中絶が解禁されたのは1970年代半ばに過ぎず、当時は保守政権だったが、中絶法についてはメイスンのロッジや特別研究班によって練り上げられたのだとメイスンの女性が自慢しているのを聞いたことがある。

で、今の社会党政権にはフリーメイスンの会員がすごくたくさんいて、カユザックもその一人だ。

メイスンにとって「兄弟」に便宜を図るというのは原則であるから、求職や販路拡大のためにロッジ入りする人は少なくない。

しかし社会党から除名されても、ロッジからはどうなのだろう。

メイスンの理念は共和国理念(自由、平等、きょうだい愛)と同じなのだが倫理規定というのは政治やビジネスとは別物なのかもしれない。

私は今書いているユダ論の次にフリーメイスンをテーマにしたものを書くのでそれに必要なすべての材料はもう揃えたつもりだったのだが、「倫理規定」についてチェックすることは考えていなかった。

カユザック事件がそれに思い至らせてくれたと言える。
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by mariastella | 2013-04-05 02:02 | フリーメイスン

アンチ・フリーメイスン

フリーメイスンについての本の構成が固まってきている。

昔、岩波の『グノーシス 影の精神史』の中で『フリーメイスンとグノーシス主義という一章を担当したことがある。その時に、独立してフリーメイスンの本を是非、と持ちかけられたのだけれど、どのようなアングルで取りかかっていいか分からなかったので辞退した。

フランスのメイスンとアングロサクソンのメイスンとの違いや、それぞれの宗教や社会や「近代化」との関係はいろいろ分かっていたのだが、それと、私の直接知っているフランス人のメイスンたちの活動や、ロビーイングや人脈作りのあれこれをどう統合するか分からなかった。

そのうち、フランスのフェミニズムとメイスンの関係が、また別のテーマとして現れた。

最近では、大統領選で極左の候補として人気を博したメランションがメイスンであることにも注目した。

これらのさまざまなアプローチを整理して俯瞰するには、やはりヨーロッパにおけるカトリック教会の変遷、ユダヤ人との関係、自由思想や無神論の流れを通さなくてはならない。

フリーメイスンを語るには、さまざまなグループを弁別することはもちろん大切だが、はっきりと、フリーメイスンの歴史を語ることと「アンチ・フリーメイスン」の歴史を語ることとを分けることが大切だと、今は思う。

さらに言えば、フリーメイスンを語るには、「アンチ・フリーメイスン」とは何であったか、何であり続けるのか、を見ることが絶対に必要だ。

「無神論」を通してはじめて、人々の神に託すイメージが明らかになるのと同じだ。

私はもちろんフランスからの視点を中心にしているのだが、今はインタネットのおかげで、歴史的なアンチ・フリーメイスンの文書の原典にが比較的簡単に読める。それらを調べ上げた研究サイトも少なくない。その豊かさは無神論の場合と匹敵するほどである。また。ユダヤ人メイスンやカトリックのメイスンに対する論考も考えさせられるものがたくさん読める。

このテーマについて長年考えてきたおかげで、今や、何を読んでも自分の中のしかるべき文脈にすんなり入っていくところが便利だ。

今日的だと思うのは、何でもかんでも「情報開示」や透明性を求めるという現代の風潮のルーツとアンチ・フリーメイスンとの関係だ。もちろん「陰謀論」の隆盛とも表裏をなす。

ポピュリズムは、「エリートの秘密主義」をいつもスケープゴートにしてきた。それは「選ばれた人(民族)」の持つとされる特権意識や排他性への嫌悪でもある。

権力によって抑圧されたり搾取されたりしている人は多いが、その権力を羨望、嫉妬している人もまた多いのである。
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by mariastella | 2012-06-08 01:05 | フリーメイスン



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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