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L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:ジャンヌ・ダルク( 5 )

ジャンヌ・ダルクと女性政治家

以前、女性政治家への性差別とその「例外」という記事を書いたことがある。

女性政治家が女性であるということで「外見」や「声」が問題にされる不利な点についての話だった。

けれども、そのせいで女性であることを極力「中和」して男性と同じフィールドで勝負しようという戦略とは逆に、女性であることが「売り物」にされる場合もある。

その時に、いかにも「女性的」という外見やイメージと、「態度」や「行動」が一致していてはいけない。

成功するための「売り物」となる女性性というときに、実際に売り物となっているのは、イメージとアクションのギャップであるからだ。

「弱者」としての女性ではなく、アマゾネス、タカ派、戦う女性、が「売り物」となる。

ヒラリー・クリントンは上院議員や国務長官時代にイラク、リビアへの派兵を支持、ビン・ラディンへの報復も果たすなど、「戦う女」に合致している。

けれどもヒラリーはジャンヌ・ダルクとは言われない。

私が『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活』(白水社)で書いたように、近代ナショナリズムのルーツとも言える英仏百年戦争に出現したジャンヌ・ダルクは、フランスでは国民(フロン・ナ)戦線(ショナル)のイコンとなってナショナリズムにも取り込まれているが、アングロ・サクソン国においてはフェミニズムのシンボルとなっている。

でもそこには孤独、孤高のイメージがあるようだ。

ヒラリー・クリントンのようにすでに大統領を務めた夫に支えられていたり、マリーヌ・ル・ペン女史のように党を創設した父親の名を受け継いでいるような場合はジャンヌ・ダルクの孤高のイメージとそぐわない。

またジャンヌは「乙女(ピューセル)ジャンヌ」と呼ばれ、巷に浸透していた「一人の処女がフランスを救う」という流言に合致していた。

ル・ペン女史は二度離婚して三人の子供がいるし、ヒラリーには一人娘がいるが、孫ができて「祖母」になったことを、庶民感覚に近いような親しみやすさのアピールに使っている。

都知事選に勝利した小池氏は、途中からは、本当に崖から飛び降りる気持ちで戦ったに違いない。
防衛大臣の職にあったほどのタカ派でもある。独身で家庭の影がない。

確かにジャンヌ・ダルクを連想させるものがある。

けれども、小池氏の「孤独」は、

「小池さん、ジャンヌ・ダルクになってと言われます。なりましょう。ただし、ジャンヌ・ダルクは最後、火あぶりになるんです。どんな暴言・暴力を言われても、なされても、負けません。(7/29演説)」

と、与野党の公認を受けられなかったことに由来する。

ジャンヌ・ダルクも何の後ろ盾もなかったけれど、自分の使命を述べに王のもとに押し掛けて、結局は王からも教会からもお墨付きをもらって軍の戦闘に立った。

ジャンヌ・ダルクが「見捨てられた」のは、オルレアンとそれに続く戦いの勝利の後で、捕らえられてイギリス軍に売られ、異端審問にかけられた時からだ。
囚われの身にジャンヌはすでに「戦う」ことができなかった。

オルレアンを「解放」した時は民衆の歓呼に迎えられたけれど、逮捕され、裁かれて、彼女を魔女のように忌み恐れたイギリス兵たちによって刑場に引きたてられた。

ヒラリーが演説した時に「Lock her up!!」と連呼した人たちがいたが、同じ発想だ。

ジャンヌ・ダルクであってもなくても、「魔女狩り」に近いシーンがあり得る。

ジャンヌ・ダルクが戦旗を掲げて突進したら、その気迫に味方は鼓舞され、敵はおののき戦局が変わった。人々は熱狂した。

東京のような大都市の浮動票、無党派票を動かすには情動に訴える必要がある。
「パラシュートなしの立候補」「退路は断った」などの悲愴感が前面に出された。

でも、熱狂して「女神」を崇敬するのと同じ民衆が手のひらをかえすことだってある。
どちらもひとつのポピュリズムの両面だ。

ナザレのイエスもエルサレムに入場して歓呼で迎えられてからわずか数日後には多くの人に見捨てられた。

ジャンヌ・ダルクの最後もそれに通じる。

ジャンヌ・ダルクになっても火あぶりだけは回避するには、ポピュリズムの流れに取り込まれないように冷静で知的な戦略が必要となるのだろう。

ローマ市長も、パリ市長も女性だ。

英国には重い責任を負わされた新しい首相テレザ・メイがいる。

ジャンヌ・ダルクは、魔女として殺され、聖女として復活した。

ジャンヌ・ダルクは、政治家では、なかった。
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by mariastella | 2016-08-03 08:30 | ジャンヌ・ダルク

白井晃演出、有村架純の『ジャンヌ・ダルク』

11月23日、神奈川芸術劇場で『ジャンヌ・ダルク』を観た。

「19歳で燃え尽きた命」というコピーに、はっとさせられる。
火刑台で文字通り「燃え尽きた」のだから。

ヴァーチャルの世界ではCGなどを駆使してどんな壮大なシーンでも作ってしまえる今の時代に、リアルの舞台で敢えて人や物を大量に投入した大スペクタクルを創ることの痛快さや、それを支える情熱やチームワークは感動的だ。

芝居が始まって最初は少し違和感があった。それはジャンヌ・ダルクという言葉の日本語式の発音が気になるからだ。いってみれば、源義経と静御前の話で「よちつね」、「ちずか」と連呼されるのと似ている。その上に鼻母音がある。まあ、それはすぐ慣れた。

最初にジャンヌが村に侵入するイギリス兵相手に武器を取って立ち回りするのもフランスの芝居ならあり得ない設定だなあと思った(リュック・ベッソンなら別かもしれないけれど)。でも、ともかく、このスペクタクルは言ってみれば全編「立ち回り」がテーマというか売り物なのだから最初から一貫しているとも言える。
他の舞台で本格的な「戦闘シーン」など観たことがないが、それは演出上の問題で、ここでは、舞台に開けた階段を効果的に使って100人以上の登場人物が駆け回るのだから実によくできている。

客席からも現れて舞台に駆け上がってくるのですごい迫力だけれど、立ち回りの感じは歌舞伎の「御存鈴ヶ森」をすぐに連想した私って…。

しかも前方の座席にいたから、大人数の役者が駆け回るので埃が舞い上がって息苦しい。隣の人はハンカチを口元にあてていた。私はマスクをかけた。

ストーリーは、ジャンヌがシャルル六世の王妃イザボーの不義の子でシャルル七世の妹だという説を採用していて、いわゆる陰謀説の一種なのだけれど、歴史的に信用がおけないので、その兄妹の絆をテーマのひとつ.にしていることにも違和感がある。
むしろ、王家とはなんの関係もない地方の一少女が歴史の前面に躍り出てしまったという運と縁の「奇跡」がジャンヌ・ダルクの面白さだと思うのだけれど。

魔女でない証拠に「処女検査をする」というのも史実ではあるが、前半と後半にわざわざ2度も舞台上でそれらしいシーンを見せるのも、ドラマの本質とかけ離れすぎていて気分が悪かった。ヒロインの有村架純さんがあまりにかわいらしいので、いろいろ「いじられる」のを見るのが不愉快だ。

王太子を演じる東山紀之さんは、シャルル七世にしては見た目が立派過ぎるのだけれど、演技力があるので、この芝居の格調を一人で高めていた。

第二部でもジャンヌが短剣を抜いて戦うシーンがあって違和感が増す。

シャルル七世の妹説とか「パリ大学がジャンヌを裁く」とか、ベッドフォードが心情的にジャンヌの味方をしてしまうとか、いったん火刑台に上がって火をつけられそうになった時に異端の罪に署名してしまう、とか、さまざまな不正確さやノイズも多少気になるが、それはまあ「お話」の自由な作り方なのだからスルーして見ていた。

ジャンヌが一生懸命で健気でかわいいのですべて許せる。サラ・ベルナールやイングリッド・バーグマンと違って有村さんはすごく若いし、しかももともと日本人は若く見えるし、童顔だし、見ているみんなが守ってやりたくなるのに確実に悲劇の結末に向かうのだから苦しい。

驚いたのは、もちろん英仏百年戦争が舞台だとは言え、イギリス出て行け、フランス万歳が臆面なく繰り返されることだ。
昨年日本で観たバーナード・ショーの「ジャンヌ」はイギリス人の手によるだけあって陰影があったけれど、この日本で日本人役者たちが日本語でフランスのナショナリズムを声高く叫ぶのは印象的で、フランス人に見せてやりたいと思ったほどだ。
なんというか。フランスならこの脚本は極右の国民戦線党のプロパガンダ芝居でしか採用されないだろうなと思う。たとえば、パリで、フランス人役者たちがフランス語で、日本の蒙古襲来をテーマ、あるいは日露戦争をテーマにした芝居をやっていて、神風が吹いたとか、ロシア艦隊を撃沈して日本万歳とか繰り返しているのを聞いている気分なのだ。フランス人に見せて驚かせてやりたい。イギリス人には見せたくないけど・・・。

迫力あるエンタメとして完成度が高いし、贅沢だし、その中でもジャンヌが埋もれてしまわずにちゃんとヒロインとして観客の心をちゃんとつかんでいることもすごい。
それは脚本や演技ではなくてひたすら主演女優の肉体性と存在感とひたむきさに由っている。東山紀之のカリスマがそれを支えて、人間ドラマとしての厚みを与える。彼と彼を取り巻く宮廷の人々のシーンがなければ、少女を翻弄する「活劇」の比重ばかりが大きくなっていたところだ。

しかし、優れたエンタメであり優れた人間劇になっているのに、ジャンヌが連呼する「神」や傍にそっと現われるシンボリックな天使(アイディアは悪くない)にもかかわらず、ジャンヌの隠し子説を採用して安易な因果関係をつくってしまったせいか、なぜ、その時代、その情況で、このような少女がこのような大それたことをして、歴史に足跡を刻んでしまったのか、という疑問に答を求める葛藤が抜け落ちた。
ジャンヌの「謎」が、ジャンヌの「生誕の謎」の暴露に矮小化されて落とし込められているせいで、ジャンヌの聞いた神の声や聖なるものについての問いのドラマにはなっていないのだ。

もともとそれをねらってもいないのだろう。

でも、ジャンヌ・ダルクの物語というといつもその目に見えない部分の「光」と「闇」がセットになっているので、何かが足らない気分がしたのは否めない。

それでも舞台の兵士たちや観客の心をしっかりつかんだことがすごい。

物量と音楽に支えられた演出による圧倒と、有村ジャンヌの「アイドルの力」なのだろう。
良くも悪くも今の日本を反映しているのかもしれない。
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by mariastella | 2014-12-07 07:42 | ジャンヌ・ダルク

バーナード・ショーの『ジャンヌ』鵜山仁演出を観る

9月14日、世田谷のパブリック・シアターにバーナード・ショーの『ジャンヌ』を観に行った。

原作も演出も舞台も俳優の演技もいいが、何よりの主役はやはりジャンヌ・ダルクその人だ。

舞台にも観客席にもジャンヌのオーラが濃密に立ち上っている感じだった。

この作品が大正15年に山本安英の主演で、昭和38年に岸田今日子主演で上演されたという歴史は、サラ・ベルナールのことを思い出させる。ジャンヌ・ダルクが女優を選んでいるかのようだ。

この戯曲は元が英語の脚本を日本語に訳しているのだから、フランス語的には違和感があるところもある。

シャルル七世自体が、ジャンヌから「チャーリー」とよびかけられたり、それが「シャーリー」になり、ようやく「シャルル」に落ち着く。聖女カトリーヌ(カタリナ)やマルグリットもキャサリンやマーガレットと呼ばれているし。

第一次大戦が終わってジャンヌの列聖が決まった1920年以降に書かれている時代背景も興味深い。

ジャンヌは「宗教に恋している」と評され、次に「戦争に恋している」と評され、二人の夫を持つことはできない、などとたしなめられる。

教会が代表する普遍的な「神の国」に反する個人の啓示がジャンヌの場合はナショナリズムという異端につながったと言ってしまっているのもおもしろい。

イギリス人とフランス人が話し合う中で、

裏切りという言葉の意味は英語とフランス語では別物です、

フランスでは不忠、不実という意味ですが、イギリスではイギリス人の利益に反するという意味なんです、

という説明が出てくる。

こんなに近い国どうしで、歴史的にも民族的にもいろいろ混合もしている国なのに、いろいろなことの意味が実は全く違っていて、しかも、その違いについて

彼ら自身がよく心得ている、

という事実には、いつもながら驚かされる。

それにしても、ジャンヌ・ダルク。

15世紀のフランスの救国の少女のことを20世紀初めにイギリスの無神論者の作家が戯曲にして、それを21世紀の日本人が日本で上演しても、彼女が死を受け入れる場面を見ると万感の思いが迫ってくる。

観客すべてが固唾をのんでこの少女の運命にぐいぐいと惹きつけられている。

このようなヒロインが他にいるだろうか。

コーションの描き方や、異端審問についてなど、細かく見ると、B.ショーの解釈にはつっこみどころもある。

けれどもジャンヌ・ダルクの特異な輝きは変わらない。

こういう風に突っ走って、次々と不可能を可能にしながら、身の丈以上の人生を生き、巨大な力の中でつぶされた後に永遠の命を得て蘇るという存在の仕方を、私たちはどこかで羨望しているのかもしれない、とさえ思う。

『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活』(白水社)について文言評論家の長山靖生さんによる批評の切りぬきをいただいた。著者の意図を正確に読み取ってもらえるのは喜びだ。

でも、ともかく、ジャンヌ・ダルクは、素材自体が最高に刺激的だ。

彼女について語れば語るほど、調べれば調べるほど、ますますその感が深まる。
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by mariastella | 2013-09-21 02:16 | ジャンヌ・ダルク

橋下発言とジャンヌ・ダルク

大阪市の市長が従軍慰安婦は「必要」だった、という発言をしたために日本が攻撃されているというニュースはフランスでもかなり取り上げられた。

ル・モンド紙の特派員はちゃんと「軍隊のための売春は多少なりとも隠されているが至るところにある現実である。」と前置きして話を始めている。

その後に、「しかし、それと、兵士に売春宿に行くことを推奨したり1945年までアジアにおいて20万人の女性が皇軍によって売春を強要されたことを「必要」だと正当化するのとは一線を画することだが、それが軽々と飛び越えられた…」と続くのだが。

この話で私が反射的に思い浮かべたのは、なぜか、ジャンヌ・ダルクのことだ。

14,5世紀の英仏百年戦争などでは、傭兵も多かったし、兵士たちが、通過する村で食糧などを調達し、略奪、暴行、放火などを繰り返してフランスの国土がひどい状態になったのは事実だろう。

当時のイギリスにはフランスの装飾品や調度品があふれていたというから、フランス軍やブルゴーニュ軍よりは、イギリス軍の方が国に持って帰るために物品を奪うケースが多かったかもしれないが、持って帰れない「戦利品」である女性たちは、何軍にであれ、その場で「消費」されたろう。

それでも、それとは別に、軍についてあるく娼婦たちもいた。「強制連行」されたのではなく、兵士たちの持つ物資や戦利品の分け前をもらうために群がっていたものらしい。もちろん自由意思とかいう問題ではなく、生存戦略の一つの形であった。

で、ジャンヌ・ダルクがその女たちの存在に激昂して追い散らしたという話は有名だ

ジャンヌは「神の使い」だと自称して、毎日ミサあずかったり、「神がかり」だったのだから、ジンクスを気にする兵士たちも、ジャンヌの怒りに触れることを本気で恐れて身を慎んだということは考えられる。

しかし、オルレアンを解放した後、ランスで戴冠したシャルル七世は、百年戦争終結のための外交戦へと戦略を切り替えた。
血気にはやる神がかりの少女は重荷になってきた。

パリの北にあるサン・ドニに寄った時に、娼婦たちが兵士の気を惹き、ジャンヌは彼女らを威嚇するために剣の腹でその一人の背を打ったら、剣が二つに折れてしまった。

その剣は伝説の剣(6月半ばに白水社からようやく刊行される『戦士ジャンヌ・ダルクの炎上と復活』の中でもこの「シャルル・マルテルの剣」についても書いた)だったので、これを不吉に思ったシャルル七世はその剣をサン・ドニの聖堂に奉献してしまうようにジャンヌに勧めた。この事件以来、ジャンヌのカリスマは減退したとも言われる。

この話について、そもそもその時点でジャンヌの権威を失墜させるためにシャルル七世がその機会を利用したのだという人もいれば、「神剣」の行方が分からないことを説明するために後世に組み立てられたストーリーだという人もいる。

剣というのは甲冑を叩くぐらいでは折れないようにできているはずだから、それが折れたということは娼婦の背中にすごい衝撃があったはずで、その後で死んだのではないか、だとすると、ジャンヌ・ダルクが実際は自分では一人も殺していないというのは間違いだということになる。

剣はシンボルとして身につけていただけで決して抜くことはなく、戦場では旗を掲げたりマルタンと呼んでいた棍棒を使ったりしたという話が事実なら、たかが女たちを追い払うために聖なる剣を抜くなどは妙なことにも思える。

しかも、この時、ジャンヌは、騎馬であり、逃げ回る女を追いかけて剣で叩いたというのだから、かなり危険な動作だと言える。

兵士の方を諌めればいいのに。

まあ、聖なる使命を死守するためにはそれぐらいの一途な行動にはしることなど、彼女にとっては当然なのかもしれない。

ジャンヌをめぐるさまざまな「ジャンヌの秘密」的な陰謀サイトには、その時、娼婦たちの一人がジャンヌに何か決定的なことを口にしたのでジャンヌが「切れた」のだという説を展開する人もいる(なんだかサッカーのワールド・カップの決勝でイタリア選手に挑発されて頭突きをしてしまって退場したジダンみたいだ。で、その決定的なことというのは、兵士たちには思いもつかなかったが娼婦たちが見ればそれと分かるジャンヌの妊娠だったというのが陰謀サイトの説なのだ)。

でもこのジャンヌ・ダルクのことを、「自分たちは安全圏にいて性産業を一方的に弾劾するイタいオバサン」というような安易な言葉の揶揄などと重ねて語ったりしてはいけない。

ジャンヌは自分自身が生きるか死ぬかの戦場に立っていた。

もし、ジャンヌと共に戦っていた男たちの中に

「自分たち猛者は性エネルギーをコントロールするために戦場でも女が《必要》なんだぜー」

などとうそぶくやつがいたとしたら、剣の腹で叩かれるどころか、串刺しにされていたかもしれないな。
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by mariastella | 2013-05-19 04:18 | ジャンヌ・ダルク

聖フランシスコとジャンヌ・ダルク

聖フランシスコ(フランチェスコ)とジャンヌ・ダルクの共通点は ?

2人ともローマ・カトリック教会の聖人だが、前者は死後2年でスピード列聖。

後者は実に450年以上かかった。

2人ともベルクソンの『道徳と宗教の二つの源泉』の中で、漲る生の奔流にさらわれて偉業を成し遂げた神秘家の例として挙げられている。

聖パウロやアヴィラのテレサの名も挙がっているが、彼らのハイパー活動ぶりは、キリスト教の宣教に捧げられている。

ジャンヌ・ダルクの場合は、神秘主義が宗教から切り離された例だとしている。

新渡戸稲造のことを思い出した。

ベルクソンと新渡戸稲造は親交があった。2人とも国際連盟の知的協力国際委員会の議長と事務局長として深い付き合いをしていた。

16歳の頃からジャンヌ・ダルクに入れあげていたという新渡戸稲造は、当然ベルクソンと、ジャンヌ・ダルクについて論じた。

新渡戸の武士道のイメージはマッチョなものではなく、弱い者が神や主に忠誠を誓って猪突猛進するようなものがあったようだ。

新渡戸がジャンヌにあこがれたという札幌時代はまだジャンヌがカトリックの聖女ではなく、普仏戦争の敗戦後にナショナリズムの高まるフランスで「救国のおとめ」として大人気になりつつあった頃である。

教会の異端審問に裁かれて火刑になったのだから、ジャンヌは神の声を聞いてから、「宣教」活動をしたのではなく、まさに軍事活動をした突拍子もない少女だった。

十代の少女の「豹変」にはそれをひと押しする神秘体験があって、その内実は誰にもわからないが、それが彼女に、周囲の人が思いもよらない、前例のない行動を起こさせた。

新渡戸とベルクソンが親しくしていた1920年代前半は、ジャンヌが聖女として完全にカトリック教会に囲い込まれた時代である。

しかし、出発点における神秘体験が宗教的なものであれ、到達点がカトリック教会の聖人になることであれ、神秘体験に促されてからこの世の生を終えるまでのジャンヌの活動は、そのやり方も舞台も、まったく独自なものだった。

聖フランチェスコも同様で、神の声を聞き「裸のキリストに裸で従った」のであって、修道活動をローマ教皇に許可してもらうなどは後のことでしかない。

ジャンヌや聖フランチェスコは、知的に健康だったとベルクソンは言う。

彼らには、紛糾した状況をある種の「単純さ」によって迷いなく克服してしまう素朴な「良識」があった。

政治的な思惑や私利私欲にがんじがらめになり、煩雑なプロトコルを熟知しながら牽制しあい、それを回避する戦略を絶えず練っているような人々は、しばしば動きが取れないような事態や絶望状態に陥る。そんなときに、神秘体験に促された知的健康人は、情熱と忍耐をもって、まっすぐ、どんどん進んでいくのだ。

そんな神秘体験のキイワードは「愛」と「創造」と「アクション」だとベルクソンは言った。

本当に「知的に健康」な時は、人は「神秘」に促されながら創造的に活動するということらしい。

これは、その神秘体験の「原因」が、いわゆる「精神病理」的なものであろうとなかろうと関係がない。

心身の健康がたとえ損なわれていても、確固とした「知的な健全さ」さえあれば、躍動は生まれるのだ。

心身の健康の度合いを外から測るのは難しいが、フランチェスコやジャンヌ・ダルクのような人の「知的な健全さ」の方は、すべての人が見分けられるものだとベルクソンは言う。

「ジャンヌ・ダルク裁判記録」が世に出た時に、15世紀の無学な19歳の娘が発した言葉を初めて目にした人々が、みな、すぐに理解したのは、まさにそのことだったのだ。

フランチェスコやジャンヌ・ダルクが、宗教や文化の枠を超えて愛されるのは、きっとそのためにちがいない。
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by mariastella | 2013-03-21 08:13 | ジャンヌ・ダルク



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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