L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:マックス・ジャコブ( 13 )

マックス・ジャコブの回心 その12

(これは前の続きです)

MJが情事の後で毎回告解に行ったのは、「敬虔な信者」らからはもちろん、コクトーらから見ても滑稽で迷惑でさえあった。

けれどもそれはMJにとって「罪」を毎回チャラにしてもらうというようなご都合主義のことではない。

彼の脳裡には『ヨハネの手紙一』の言葉がこだましていた。(1章 7~10)

>>>しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。 <<<


MJは毎日か一日おきには「自分の罪を公に言い表」して赦され、「清め」られた。

モンマルトルの丘の階段を膝で上ったこともある。贖罪だった。

しかし、果たしてそれは効を奏したのだろうか。

もし、

「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」( ヨハネの手紙一/ 2, 15~17)

ということを突き詰めれば、MJは自分の欲望が「世」に属していて「永遠」に属していないことをよく分かっていた。

1935年、3年にわたるルネ・デュルスーとの恋が終わった。

1936年5月25日、10 年間のパリの生活を捨てて、MJは再びサン・ブノワ・シュル・ロワールに戻ってきた。

次の年には、ピカソも、ヴラマンクも、レジェも、コクトーも、エリュアールも、MJ のもとに「巡礼」にやってきた。
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by mariastella | 2016-09-24 07:17 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの回心 その11

〈これはその10の続きです。)

MJはコクトーへの手紙の中で、自分が実行している三つの生活の指針を書き加えている。

1.  キリスト教的な完成の概念にを前にしておののいてはいけない。

遠くから見たらほとんど非人間的で、耐えられないような厳格さに見えるだろうけど、その日のつらさはその日で充分だ。
少しずつやっていくうちに神がだんだん好きにならせてくれる。
僕らが近づいて行くごとに喜びが生まれる(聖人たちのようにね)。
でもこの喜びを理解するには魂にそれを受け入れる準備が十分できている必要があるんだ!

2.  完成には一歩一歩進むことだ、この先どうなるかなんて悩まずに、その時々の恵みと力に応じて少しずつ。

3. 悪と妥協しちゃいけない。悪いものを善いものだと呼んじゃいけない。正直に、ごまかさずに、自分の「罪」に面と向かうんだ。罪をありのままに見る、そして後悔するんだ。


当時のフランスの社会においては「同性愛」の情事はもちろん「悪」として認識されていた。
けれどもアーティストたちの同性愛、または、異性愛、同性愛にかかわらず奔放で社会の規範の枠にはまらない情事そのものも、もちろん「悪」だった。

でも彼らのほとんどは、それを正当化するために積極的に、それがナチュラルで芸術にとってもプラスであり自由の表現だと開き直っていた。

そこには「影」や「後悔」が見られなかった。

しかし「影」がないということは、実は「闇」にいるからだとMJには思えた。

「影」は「光」の射すところにできる。

「後悔」がないところには「赦し」がない。

MJにとっては光と影、後悔と赦しは分かちがたいものだった。 (続く)
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by mariastella | 2016-09-23 06:04 | マックス・ジャコブ

霊的特異点---マックス・ジャコブの「回心」番外編

これは前の記事の続きです。

サイトである方が、感想を書いてくださった。

>>>「与件」は罪とはいえない。けれど、「少し」でも、神から来るような愛をキャッチできれば、ある領域からは、確かに「罪」であることがわかってくる。これは、恐れでも、断罪でもないのですね。 <<<

という部分を最初、読み誤った。「ある領域から」というのがよく分からなかったのだ。
で、自分のためにも、クリアーにしたいので、いったんここで解説しておくことにする。

まず、人の多様性としての「与件」は罪ではない。

「同性愛者」、「被差別グループ出身者」、「左利き」、「近眼」、「病人」、「老人」、「低身長」、「身体障碍」、「知的障害」、など、当然ながら、どこまで行っても「罪」などではない。

もちろんある人が周囲の「マジョリティから外れている」与件を持っている時、社会や時代によってはハンディを背負うことになるし、「悪」や「罪」であるかのようにレッテルが貼られることもある。

MJ の生きた時代と場所では一般に同性愛が「悪」とレッテルをはられていたのは事実だ。

でもMJが「悪」とか「罪」ととらえて苦しんだのはその部分ではない。

自分が毎日違う相手と情事を重ねること、それがやめられないこと、だ。

これはMJが異性愛者であっても本質的には変わらない。

しかし、異性愛者が毎日違う相手と情事を重ねることについての「悪」認定はこれも時代や社会によってかなり恣意的なものだ。

異性愛の男については「男の甲斐性」とか「芸の肥やし」とか「英雄色を好む」のように許容されるケースが多かった。
異性愛の女が同じことをすると、「娼婦」認定で男目線で欲望充足のツールとして許されるか、財産や権益を「実子」に継承させたい男にとって「子供の母」の貞操が大問題であるから「悪」であり「罪」となる。

性的な欲望を生身の人間によって充足させる時、性的な関係は人間の尊厳にかかわるものであるから、そこに少しでも支配と被支配の関係が入ると「与件」もへったくれもない。

靴下に欲望する人が自分の靴下にすり寄るなら別だが、小児性愛の傾向を持った人が子供にすり寄れば即、「悪」の深淵が口を開ける。たいていの性産業は、何らかの形で弱者を利用したり踏みにじったりして、相対的強者の欲望の充足に手を貸すことによって「悪」なのだ。

MJはそれを知っていた。しかし、欲望が起これば直ちにその充足に向かって起動するという依存のループにはまってしまったことが彼にとっての「悪」だった。

で、ここからが大切だ。

「悪」の反対は「善」ではない。

「悪」の反対は、「悪を疑うこと」だ。

MJは「悪とは何か」と考えた。

「回心」という霊的特異点を通過した後のMJには、

「悪」とは「罪」である、と分かった。

では「罪」の反対は何か。

「罪」の反対は「愛」であった。

すなわち、

「悪」の反対は、「善」でなく「愛」だということがMJには分かったのだ。
彼が情事と告解と聖体拝受を繰り返していたのは、偽善や欺瞞ではなく、「罪」と「愛」の振り子運動だったのである。

では「愛」とは何かというと、愛には二つの要素があった。

「リスペクト」と「あけておくこと」だ。

「あけておくこと」というのは愛する対象のために、自分の心、生活、時間、命のどこにでも、いつでも場所を確保しておくことだ。心や時間や命を捧げる用意があるということだ。

霊的特異点である回心によって彼は「神に愛されていた」ことを知った。
神は彼をリスペクトし、彼が求めるとき、彼が必要とするときにはいつもいてくれた。

二千年も前に命を捧げてくれていただけでなく、教会や司祭やミサや祈りの中でいつも彼を待っていてくれた。

いつでも、どこでも。

だから彼も神を愛することを知った。神をリスペクトし、神を心の中に、創作の中に、生活の中に招いた。

彼が神を「畏れ」たのは、神がいつでも、先に、どんなことがあっても彼を愛してくれたからだ。
神がずっと待っていてくれて、いつでもどんな時にでもお前の場所はあけてあるよ、と言ってくれたからだ。

こんな愛に抵抗するすべは、なかった。
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by mariastella | 2016-09-22 02:51 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その10

(これは前の記事の続きです。)
 
「(悪に罪という名を与えるという)呼び方なんて「偽善」でしかないって君は言う…いや、偽善なんかじゃない、それは神を畏れるってことなんだ。

できるだけ告解に行きたまえ、自分の弱さを悔いていればいいんだ。
君は多くを要求しすぎるんだ、「少しだけ」っていうのを拒否している。
「少し」を受け入れて告解するんだ。

君は神に「僕の好きなものに嫌悪感を持てるようにしてください」って言った。
全ての嫌悪には味わいがある、まだ君も僕もその魅力を味わっていないようなパーフェクションに喜びをもって到達できるだろう。

完成なんてない! 完成なんてあり得ない! 宗教にも文学にも完成はない。
君は生きた寸劇になるつもりはないだろう、なら溝に落ちるってことを認めるだけの普通のそこいらの男でいるんだ。
弱さを告解して弱さをそのまま受けめるんだ。(…)神はそんなささやかな改悛で満足してくれる。
でも僕らはみんな最後の審判で裁かれて、その時は、ささやかな改悛の積み重ねが生きてくるんだ。

だから、悪を悪とみなすことを軽視しちゃいけない。神は僕らを喜ばす別の道を示してくれるだろう。」
(コクトーへの手紙)

「少し」を受け入れる。
「少し」の希望を求め、「少し」の希望をもらえるだけでいい。

その後でまたクラッシュしてもしょうがない。

希望があるからこそ失望がある。
希望がなければそれを失うこともない。

希望を捨てない人は失望を繰り返す。
免償してもらうといつもフェニックスのように希望がよみがえるので、少なくとも「絶望」はない。

「希望」の反対は「失望」ではなく「絶望」なのだ。

でも、自分の誓いが自分で守れなかったと失望した時に、

悪魔が

「ほーら、だめだった」、
「すぐ失う希望なんて無意味だ」、
「もう無理無理」、

と言って「絶望」へと誘惑してくる。

それを押しのけるのは一人では難しい。
悪魔は自分の心に住んでいるからだ。

そこを助けてくれるのが告解と赦しの秘跡と聖体拝領だ、とMJは言っているのである。

(続く)
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by mariastella | 2016-09-20 05:51 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その9

(これは前の記事の続きです。)
この時代のパリのアーティスト世界で大きな影響力を持っていたジャン・コクトーは回心したカトリックで同性愛者、バイセクシュアルでもあり、詩人でもあり、画家でもあったから、MJと似た立場だった。
MJと同じく「欲望を充足」させたいという誘惑に最初は抵抗したが、何度も失敗して、結局、力尽きて、教会に行くことをやめてしまった。

そのコクトーにあてた手紙からMJの内面が逆照射される。

「君は悪魔にやられている。お願いだから、罪を通して何が何でもキリスト者でいてくれたまえ。
悪魔が君に、パーフェクトなんて不可能だと思わせようとしているのが分からないのか。・・・
罪を犯すってことをもし神が認めてくれないんだったら、告解システムなんて意味がないだろ?

神は、君のとてつもないいつくしみも、傲慢な怒りも、同じように受け入れてくれると思わないのかい?

君は僕にパーフェクションへの絶望について何も打ち明けてくれないで、僕たちにできないことよりもましになりたいからといってキリスト者の生き方をやめてしまう。
完璧なキリスト者の生き方というものについて「こういう形の完璧さはとても自分には気に入らない!」なんて考えちゃだめだ。
ぞっとするような間違いだよ。
なぜなら、こういうパーフェクションというものは、だんだんと気に入るようになるもので、それまでは嫌気がさすものなんだ。

だから、ジャン、他のキリスト者より立派になろうなんて思うな。
君のままでいいんだ。
悪の名前がわかっていればいいんだ。
「罪」ってね。
罪って言葉の中に全ての違いがあるんだ。

この真実は誰も君に言おうとしないだろう。
皮肉だ!
いいかい、僕らに求められているのは、ごく自然なこととして悪いことをしてはいけない、ということなんかじゃない。
それが「悪いこと」だという意識を持てということなんだ。
悪の意味とは何かを知っていろと求められているんだ。

(続く)
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by mariastella | 2016-09-19 02:03 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その8

(これは前の記事の続きです。)

パリに戻ってからのMJの行動は、周りの仲間やカトリック信者たちから、「売春宿から祭壇へ、祭壇から売春宿へ」、と嘲笑されることもあった。

長年断酒していたアルコール依存症患者が、たった一杯の酒で瞬く間に元の木阿弥になるのは、脳がその快感の回路を維持しているからだというように、パリという環境が再びインプットされるとMJの「依存状態」はやすやすと復活した。

けれども、彼自身が

「熱病に駆られたように欲望を果たしたが喜びはなかった」

とのちに語ったように、「自分はブタだ、ろくでなしだ、泥だ」と自責していた。

住んでいたノレ通りのホテルには作曲家のアンリ・ソゲも滞在していたが、他にもフランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリックら、MJよりもひと世代若いの多くの音楽家たちが、同性愛やトランスセクシュアル、バイセクシュアルであったが、自嘲する者、堂々と受け入れる者の中には、オーリックやエリック・サティのように、懲罰的なカトリックの偽善的システムの代替物として「共産主義」に接近する者が出てきた。

20世紀初頭のパリのアーティストにとって、神の代替物、神のライバルの最大のものは共産主義、社会主義であった。
20世紀の末に、神の代替物、最大のライバルが「金」となることを彼らは、知らない。

一方、MJはコクトーを中心にしてこれらの音楽家たちとともに仕事をしたが、いわゆる「一夜の相手」の多くは、警察のお尋ね者になっているような軽犯罪の常習者が少なくなかった。

MJが「罪深い行動」を変えないのに、その度に教会で告解して「チャラ」にしてしまうことを皆はからかった。

それこそが偽善ではないか。
アーティストのくせに自分の性的志向を受け入れられないのか。

MJは一貫している。

性的志向は「神から与えられた」ものであるからどうしようもなく、優劣があるものではない。
しかし、「喜びを得られず、やめようと思えば数日や数年もやめることのできた『欲望の充足行為』をコントロールすることの失敗」は自分として受け入れられない。

それでも、告解して聖体を拝受することができる。

これは、告解すればリセットOKだから、というご都合主義などではない。

そんなご都合主義の男であればそもそも教会から離れればいいだけのことだ。

信者からも非信者からもあきれられている。

そうではない。

「欲望の充足」によっては喜びも幸福感も得られなく苦しんだMJは、告解して免償を得ることの「赦され」体験やその後でイエスの体を口にすることにほんものの喜びや幸福感を得ることができていたからだ。

21世紀のパリの、ある同性愛者の青年Aの証言を思い出す。

同性愛者であることに葛藤していたAはある日「労働司祭」のグループと出会って、何の偏見もなく受け入れてもらう。ミサに誘われたので、奇抜な髪形、短いT シャツにぴったりしたズボンと、思い切り挑発的な格好で教会に行ってみたが、だれにも変な目を向けられず、平和のタイムでは両隣の人が自然に手をとってくれた。

彼が今まで知っていた「世間」とは全く別の世界だった。

やがて指導司祭に会い洗礼を受けるが、そこでも、「持って生まれた性的志向」は背の高さや目の色と同様なんの問題にもされなかった。
司祭に言われたのは、一人での祈りを続けること、できる限り日曜のミサに出ること、欲望に負けて関係を持った時には告解することなどだった。

AはMJと同じく、毎日ゲイのたまり場に行ってはいろいろな男と寝ては翌日告解に行くことを続けた。
同じ教会に毎日行くのは恥ずかしいので、毎日教会を変えた。
幸いたくさんの教会があった。

いったん罪を悔いてリセットした後でまた誘惑に負けること自体は、「再犯」だからということで罪が重くなるわけではない。
重くなるのは彼の苦しみだけで、だからこそ告解して免償を受けることで得られる喜びはいつも新鮮だった。
毎回「失敗」するからと言ってあきれられてもう信頼してもらえないのではない。
何度も何度も「失敗」しても、悔いが本物ならば何度も何度も信頼度を百パーセント回復してもらえるのだった。

彼の知っている「世間」では絶対あり得ないことだった。
Aはその後、トマス・アクィナスの友情論に出会い、思いがけない解決策に到達する。それはまた別の話だ。

MJの生きていた20世紀前半は、第二ヴァティカン公会議以前のカトリックであったけれど、

悔いれば何度でも何度でも赦される、
本来、イエスの十字架によって贖罪はもうなされている、
何度「失敗」しても「失敗」の数だけ再挑戦する権利、「成功」を夢見る権利、信じてもらえる権利がある、
その力はいつも聖霊から与えてもらえる、
その戦いにおいて人は一人ではない、
共に苦しんでくれるキリストがいる、

などのキリスト教の根幹にある「肯定」を伝え、伝えられる人がいた。

ましてや、マイノリティな性的志向を悪魔の業のように「否定」する一般の言説の前で、マイノリティの者は偽悪的・露悪的になったり、自分でもそれを否定したり、抑圧したり、隠したりすることがデフォルトであった時代である。その「肯定」を「恵み」としてキャッチできるMJ のようなケースは多くはなかった。
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by mariastella | 2016-09-18 00:58 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの回心 その7

(これは前の記事の続きです。)

MJがパリに戻った理由の一つは経済的なもので、絵を売るためにパリの画廊と交渉しなくてはならなかったからだ。

MJはあっという間に昔の生活に舞い戻った。

ジュリアン・グリーン(パリ生まれの作家。アメリカ人ピューリタン(プロテスタント)の母が死んだ後、16歳でカトリックに改宗、その後回心を経て熱烈なカトリックになった同性愛者である。ジャック・マリタンとも親交があった)は、MJ が毎夜モンパルナスのカフェに行っては男を連れ帰っていたと証言している。次の朝には必ずノートルダム・デシャンの教会に行って告解をするのだが、いつも同じ内容なので、彼の姿を見ると柱の後ろに隠れる司祭までいたという。
告解し、ミサに出て、聖体拝領をして、夜になるとまたカフェに出かけるのだった。

詩人のアントナン・アルトー、歌手のシャルル・トレネ、役者のルイ・サルー、作曲家のアンリ・ソゲ、そして作家のモーリス・サクスなどの若いアーティストたちとも関係を持った。

モーリス・サクスはまだ20代前半で、パリ生まれのユダヤ人だった。共和国主義者で反教権主義(反ローマ・カトリック)の家庭に生まれたが、放浪の末にコクトーの秘書をしていた。この人もジャック・マリタンのもとで回心し1925年8月29日にカトリックに改宗した。(ジャック・マリタンってすごい。)

神父になろうと決心して神学校にまで通ったけれど、そこで同性愛スキャンダルを起こして放校された後でパリに戻っていた30歳年上のMJに迎えられて、作家になるように勧められた。

同じユダヤ人で同じ改宗カトリックのサクスにMJが惹かれたのは想像できる。
けれどもサクスは様々な裏切りを重ねて1930年9月にはアメリカに渡り、ラジオのメディアで成功をおさめた。

(けれども、最後はいったんナチスのスパイとなった後で寝返って捕えられ、獄中で作品を書き残した後、MJの1年後、1945年にゲシュタポに撃たれて死んでいる。)

(続く)
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by mariastella | 2016-09-17 00:54 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その6

(これは前の記事の続きです。)

MJがパリを去ってノートル・ダム・ド・フロリィに「隠棲」したときには三つの目的があった。

パリの誘惑を遠ざけること。

執筆し絵を描く時間を得ること。

霊的な進化の方法としての禁欲行を試みること。

助祭のアルベール・フレローがMJを司祭館に迎え、彼の「指導司祭」になった。

日課が始まった。

早朝の祈り。
午前7時に修道院付属のホスピス(現在は市が管理)にあるチャペルで毎日ミサにあずかる。
食後からは「十字架の道」。すなわち、創作の仕事に没頭する。

「熱病の人が氷入りのレモネードに飛びつくようにMJは平安に飛びつき、飢えた人がステーキにかぶりつくように仕事をした」。

絵を描く、デッサンをする、詩を書く、読書する、日に何通もの手紙を書く。
ほとんどすべての詩はカトリック信仰の霊感を反映していた。

村の人は陰で笑った。

彼らにとって「ムッシュー・マックス」はパリから来たよそ者で、「アーティスト、ユダヤ人、同性愛者、その上、麻薬をやったことのある人間」だった。

日曜のミサに行くことが、子供の教育の一環としてのルーティーンに加えて町内会の会合に行くほどの意味しかない村人にとって、毎日ミサに通うMJは異物でもあった。

「アーティスト、ユダヤ人、同性愛者、その上、麻薬をやったことのある人間」というレッテルがすぐに貼られたのは、驚きでもあるが、村に「正業にもついていなさそうな異質の人間」がやってきたのだから、その身元はすぐに詮索されて知れ渡る。
なぜなら、まさに、彼がマジョリティであるカトリックのコミュニティにいたからだ。
彼の「隠棲」は、パリから離れることであって、身元を隠すことではない。

彼の「禁欲」はマゾヒズムからきているのではなかった。

その反対で、キリストの姿を見て洗礼を受けたいと望んだ時に怒涛のように彼を包み込んだあの幸福感を再び味わいたかったのだ。

回心は、彼の同性愛を「癒して」異性愛者にしたわけではない。
回心が癒してくれたのは、同性愛者であることからひそかに育まれて彼を蝕んでいた自己嫌悪だった。

回心の後で彼を苦しめたのは「同性愛の欲望に負けること」ではなく、「欲望に負けること」そのものだった。

欲望の充足は神秘体験を得た時のような圧倒的な幸福感をもたらすものではなかった。

MJはカトリックの典礼や祈りを通してもう一度あの幸福感の正体をつきとめたかった。

けれども、教会に通っている人々が特に幸せそうには見えなかった。

絵と文を通してこそカトリックに新しい息吹を与えることができると考えた。
イタリアとスペインに一度ずつ旅行し、パリに一度だけ短い滞在をした以外は規則正しい生活が続いた。

1927年、7年にわたる最初の隠棲の後で、MJ、はパリに戻る。
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by mariastella | 2016-09-16 02:16 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その5

(これは前の記事の続きです。)

オルレアン司教区の司祭フランソワ・ヴェイルがMJに「隠棲」先としてサン・ブノワ・シュル・ロワールを推薦した。
ノートル・ダム・ド・フロリィの修道院で有名なところだ。ロワール沿いのこの修道院は630年に建てられたベネディクト会のもので、聖ベネディクトの聖遺物にふさわしいバジリカ聖堂を建てようと1067年に決定され、1218 年に完成した。

ところがここは1903 年に最後の修道僧がいなくなって、MJが移り住んだ時には誰も住んでいなかった。
(MJが死んだ年の1944年に再びベネディクト会修道院となり、現在32人の修道僧がいて黙想会なども行われている)

思えば1915年の洗礼以来、MJにとってパリの生活はますます誘惑に満ちたものになっていた。

1919年にはジャン・コクトーとレイモン・ラディゲと知り合っている。

30歳のコクトーは16歳の天才少年ラディゲに夢中だった。
この二人に同性愛の関係があったかどうかは分かっていない。
ラディゲは14歳の時に知り合ったアリスとの関係をもとに『肉体の悪魔』を書いている。
少なくとも5人の女性と関係があった。

コクトーもバイセクシュアルだったが、ラディゲへの愛を隠していない。

MJが最初の「隠棲」をしていた期間の1923年の末にラディゲはチフスで死に、死ぬ前に高熱の中で

「怖い、三日後に僕は神の兵士たちに銃殺される」

と言い残した。

同じくMJの隠棲期間の1925年にカトリックのジャック・マリタンのところに出入りするようになったコクトーは「回心」して聖体拝領をした。

でもそのコクトーは、その後、ジャン・ギャバンとの同棲生活でも知られるように、同性愛について悩んでいるようには見えない。アカデミー・フランセーズの会員にも選ばれたし、レジオンドヌール勲章ももらっている。

どうしてMJが、MJ だけが、しっかりと居場所のあったパリから逃げる必要を感じたのだろうか。

自由や放縦や挑発をアートのスタイルにして、生きる糧にして、軽々と生きていけなかったのだろうか。

MJの「隠棲」が始まった。
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by mariastella | 2016-09-15 01:51 | マックス・ジャコブ

マックス・ジャコブの「回心」 その4

(これは前の記事の続きです。)

MJは自分の同性愛という性的志向を変えようとしたわけではない。

性的志向そのものは、背の高さやら近眼や左利きやその他の社会的に不都合な与件と同じような「与件」であるからそれを「治す」ことはできない。

ただ、モンパルナスに行くこと、刹那的に欲望を満たすことをやめたかった。

「今日からもう絶対にxxしない」と年の初めや夏休みに決心する子供のようなシンプルなすなおさと、ダイエットや禁煙を誓っては挫折する大人の自己嫌悪との両方がMJに取り付いて離れなかった。

これはある意味奇妙なことだ。

他のアーティストたちがカトリックの洗礼を受けていようといまいと「不道徳」なことを平気でしていたように、フランスは今でもそうだが、アーティスト世界の治外法権のようなものがある。
「惡の華」の美学、倒錯が「美」の名のもとに許され、MJが死んだ年に『泥棒日記』を出したジャン・ジュネのように、そして「芸術による救済」の名のもとに彼を「聖ジュネ」と呼んだサルトルがいたように、嗜虐癖でも被虐癖でも同性愛でもありとあらゆるネガティヴなレッテルがポジティヴなものに反転する。

居直りでなくて「誇り」にすらなる。

だから今でもアートの世界には同性愛者が多い。
1981 年まで同性愛が犯罪とされていたフランスのような国で潜在的な生きづらさを抱えていた彼らが堂々と認知される世界がアートの世界だった。
多くのマイノリティと同様、常にサバイバルのための戦略を練り、「異質性」や「個性」につい自問することが多い時、持って生まれた感受性は研ぎ澄まされる。
「その他大勢」ではアーティストになれない。マイノリティであることを誇るのはアートと親和性があった。

では、パリで最先端のアーティストとして認知されていたMJはわざわざカトリックに改宗して教会に出入りしなければ悩まなくて済んだのに、なぜ「悩むこと」を選んだのだろう。

芸術による自己実現や社会的認知によって同性愛に折り合いをつけられなかったのだろうか。

「真のアーティストであれば性的傾向に悩まなくてもいい」というアーティストたちの「同調圧力」を受け入れなかったのだろうか。

キリストが介入した。
MJはカトリック教会に入れば必ず見つけることができる同年輩の「十字架の男」を愛した。
この男を十字架から降ろしてやりたかった。
それには祈りが必要だった。

「カトリックにしか芸術はない」とまで言った。それは挑発だったのだろうか。

MJが自分で受容できなかったのは性的志向ではない。
受容できなかったのは、性的志向を実行に移すことをやめようという自分の誓いが守れず挫折することだった。

第一次大戦が終わり、彼はラディカルな決心をする。

パリを去ることだ。

「悪徳」から遠ざかる唯一の方法だった。

1921年6月24日、MJ はオルレアン司教区のサン・ブノワ・シュル・ロワールにやってきた。

パリから160キロ離れた小村での生活は、当時なら十分な隠棲を期待できるものだった。
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by mariastella | 2016-09-14 00:57 | マックス・ジャコブ



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