L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 340 )

オリバー・ストーンの『プーチンとの対話』

オリバー・ストーン監督のドキュメンタリー映画『プーチンとの対話』を先日TVで観た。

少し前にプーチン大統領も鑑賞したそうだ。4時間近くの大作だが意外さ満載で飽きさせない。

オリバー・ストーン監督が2年かけてプーチン大統領と一対一でいろいろな質問をして答えを引き出す。
キューブリックの『博士の異常な愛情』を絶対見るべきだとプーチンに言っていっしょに見ているシーンもある。
60歳で始めたというアイスホッケーをするプーチンと話す場面もあり、プーチンがオリバー・ストーンに柔道の創始者(加納治五郎か?)の座像を見せている場面もある。

プーチンが柔道によって学んだのは「柔軟性が大切」だということだそうだ。

アル中状態だったエリツィンから大統領代行を任され、大統領選への立候補を勧められてその責任の重さに躊躇するところや、産業の民営化がより公正に、より構造的になされるように心を砕いたところや、キューバのカストロ首相が50回も暗殺未遂があったのに対して自分は5回でセキュリティのサービスを信頼しているからだと言うところや、ストイックだけれど適度にジョークを言うところなど、なんだか非現実的だけれど、驚きの好印象だ。

彼は5月にヴェルサイユに招かれた時に、「はじめてで感嘆している」、と言った。その時のプーチンの様子も、なにか自然体で、気負っている様子も若いマクロンを威圧するでもなく警戒するでもなく、マクロンより素直で感じがいいなあとちらっと思ったのを覚えている。

プーチンと言えば、強面の独裁者で冷酷なイメージが強いし、実際、政治の場では強権発動をできる人なのだろうけれど、なんというか、アメリカ人のオリバー・ストーンにいわばつきまとわれて、カメラからなめまわすようにボディ・ランゲージを写し取られているのに、イライラもせず、時々、無防備なほどに誠実なことを口にする。
ソ連が一夜にして崩壊した後の破産国家を再生させようとしてここまで来たことや、「欧米」を友として歩もうと努力したことの本音も垣間見える。

もちろん、一つ一つの政策については突っ込みどころはいくらでもあるだろうが、NATOのやり方や中東政策にしても、ウクライナ問題にしても、アメリカの覇権主義の方がどう見てもひどいのではないかとあらためて思う。

国内のムスリムに対する考え方も、批判の多い性的マイノリティへの対処の考え方にしても、「プーチンの言い分を直接聞く」というのはぐっと視野が広がる。

オリバー・ストーンは「不都合なテーマ」にも遠慮せずに切り込んでいるわけだけれど、ともかく、プーチンの率直さが際立っている。
全部がプーチンによって計算されつくした演出とはとても思えない。

アメリカとの勢力争いにしても、「うちは何しろお金がないのだから比較にならないし…」みたいなすごくまっとうなことを言っている。

眼窩の奥におさまった鋭く小さな目が、無防備な親愛を見せる一瞬などを見ていると、ほとんどかわいいと思えるくらいだ。

オリバー・ストーンの人間性とプーチンの人間性の出あい、と言うのもあるだろうけれど、意外過ぎる。

いろんな意味で貴重な映像を見せてもらった気分だ。

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by mariastella | 2017-06-29 02:54 | 雑感

披露宴のスピーチ

この週末に出席した結婚披露宴。

これまで日本でもフランスでも、結婚式や披露宴というものに何度か出席したことはある。

花嫁花婿の一方が叔父のような年上世代だったり、友人、知人の同世代だったり、甥や姪らの年下世代だったり、時代も場所も関係性もいろいろだった。
その中には、離婚したカップルもいるけれど、末永く続いているカップルがほとんどなのは、昨今の離婚率からいうと圧倒的に高い「成功率」だ。

でも、今回の披露宴は、いろいろな意味で感慨深いものだった。

国籍や出席者がわざわざ駆けつけてきた国の数の多さや、花嫁花婿の人脈のせいだ。

これまで、「・・家と・・家」の結婚式という日本式のものはもちろん、わりと親の世代の力関係が目立つものが多かった。

もちろん「友達婚」のような若い人主体のものもあったが、それは小規模だし、親世代は本当の身内しか出席しないことが多い。

でも、今回の結婚式は、花嫁花婿のカップル主体なのに大掛かりで贅沢なものだった。
そして、それぞれの親たちもとても裕福なのだけれど、今は、昔でいうと晩婚なので親たちがすでにリタイアか半リタイアの状態にある。
今活躍中の現役感、権力感、と言うのは親側になく子供の世代側にある。
今回の披露宴のスピーチでもはっきり口にされていたけれど、主体となっていたのはいわゆる「マクロン世代」の30代後半の若者たちである。
一昔前ならそれでもまだまだ文字通り「若者」だったけれど、今や、フランス大統領や閣僚の世代である。
IT時代の勝ち組というのも30代で自力で富を築いている。
親にも充分金があるのにかかわらず。(もちろん人生のスタートに教育などで十分金をかけられて育っているけれど)

で、今回の花婿も、MITの博士号がありボストンでマッxンゼーの第一線で働くエリートで、その周りの若者たちもみな、金融系、コンサルタント系が多く、
私から見たら

「シカゴ学派の集まりですか」

「あななたたち、今、南スーダンで何が起こっているのか知らないの?」

「この子たちって、どこで戦争が起こっても、武器は売れるは、戦後の復興でも儲かるは、で、うはうは豊かなままなんだろうなあ」

と突っ込みをいれたくなるような面々なのだ。

しかも、健康そうで、幸せそうで、若いだけでなく見た目もかっこういい。

金儲けに汲々としていても心は貧しいんじゃないか、

とか、

健康や愛や美貌はお金じゃ買えないからね、

失敗を知らなければ試練に遭った時にもろいんじゃないか、

などと年寄りが言いそうなこととは縁のない「強者」ぶりだ。

もちろんコンサルとかだけではなく、大学教授とか研究者もいるのだけれど、象牙の塔にこもって論文書いているような人ではなくて、世界中の学会に飛び回っているような野心的な若い人ばかり。そしてすでに具体的な成果や評価を得ている「勝ち組」なのだ。

女性たちもまったく同じプロフィールだ。

いわゆる「製造業」に関わる人はゼロといっていい。

日本人は私一人だけれど、それよりも、前日にバッハのブランデンブルグやテレマンの組曲を弾いて幸福をかみしめる世界に住んでいる私とまったく異質の世界であることに頭がくらくらする。

披露宴でいろいろな人がカップルのエピソードを英仏バイリンガルでスピーチした。
花婿の父(フランス人、この人も、フランスだけでなくカナダに留学し、ヨーロッパの各国や中東などで働いていた。)も花嫁の父(カナダ人)も、それぞれフランス語と英語でスピーチした。彼らは私と同世代だ。

花婿の父のスピーチの中で若者に受けていたのは次のくだりだった。

「女性は船のようなもので、男性という船頭がいないと動きません」

ここで一斉にブーイング。

「でも、船のない船頭って…」

ここで笑いに変わる。

「一人で行く方が速く行けます」

「二人で行くと、遠くへ行けます」

だって。

花嫁の父の方は確か、この結婚のことを「最終取引で、回収不可能な商品の納入」みたいな比喩をして笑いをとっていた。

日本で若い世代の結婚式や披露宴に出たことがないので、今の時代に私と同世代の親たちがどんなスピーチをするのか知らない。

ともかく、この週末の一泊ステイのパーティで私が持参した本は、日本語の文庫本一冊。

佐伯啓思さんの『貨幣と欲望--資本主義の精神解剖学』(ちくま学芸文庫)だった。

おもしろい。

でも、この本で指摘される「根」を失った過剰性とか、存在の空無を埋める消費とか、過剰性を生み出す貨幣愛、とかは、このパーティ会場にいたいわゆる「リア充」で輝いている若者たちと関係がありそうでなさそうな非現実的な感じもするのだった…。

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by mariastella | 2017-06-27 02:19 | 雑感

お城のパーティ(続き)

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ソワレには北欧や オーストラリアからも人が来たら、平均身長が高くなったのが目に見えます。180,190cmなんて女性でも普通のようにいます。
こういう時は「外国にいるなあ」と思いますね。
スピーチは全てスピーチする人が英語、フランス語のバイリンガルでやっているので感心しました。私は12時まで踊ってシンデレラのように寝に行きましたが、若い人たちは朝方まで。若いといってもみな、マクロン世代で、バリバリのキャリアの人ばかりですが、フランスの政権がこの世代に担われているご時勢を思うと感慨深いです。

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by mariastella | 2017-06-25 17:12 | 雑感

結婚披露のパーティ

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金曜日は大忙しの日でした。
ブランデンブルグやバロック曲だけでなく、ラヴェルとかシューベルトとかいろいろ、全曲に参加しました。生徒たちを助けるためです。
ブランデンブルグは、コントラバスも入ってのがフル構成で、本当に気分が良かった。なにも考えないで弾けるので、本当にこんなのでいいのかと思ってしまいます。

週末はル・マンの近くのお城で 2日続きの結婚披露宴です。
国際的なカップルなので、アメリカ、カナダ、イギリスなどからもたくさん来て昼も夜も 次の日のブランチも、150 人くらいなので、知らない人さえいます。
夜は子供づれのために3人のベビーシッターが雇われていて、若い人たちは明け方まで踊るでしょう。お城の中と、ホテル形式やアパルトマン形式の寝室がたくさんあります。
暑さも一段落でパリ地方の公害から逃れていい空気を味わっています。

敷地内には馬もいて、室内プールもジャクジーもあって一足早いヴァカンス気分です。

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by mariastella | 2017-06-25 01:10 | 雑感

共謀罪成立とフランスと韓国

最近、フランスでも大統領選や総選挙、テロのニュースなどを連続して追っているのに加えて、日本でも内閣府にまつわるスキャンダルや共謀罪の成立や今度は都議会など、気になるテーマが続いたので、ついつい、いろいろなことを考えてしまう。

共謀罪が強引に成立したことで敗北感や恐れ、脅威を表明する人も多いが、私は正直言って、それ自体に限ったら、これだけ議論が生まれている状況についてはむしろポジティヴな印象を持っている。

それは、フランスの「緊急事態」がもうずっと続いているせいでもある。

アメリカの9・11後の「愛国法」などには危機感を抱いたけれど、
緊急事態宣言中、「テロとの戦争」宣言中であるはずのフランスにおける危機感は、実はあまりない。

「一般の人には適用されませんよ」、というやつだ。

もともと「表現の自由」や「生き方の自由」をイスラム原理主義過激派から守るというのが出発点であるせいか、戦争だ、非常事態だと言っていることとやっていることがだいぶ違って、そうとうヌルイ。

ジャーナリズムの言論は完全に枠外となっているし、もともとデモを規制する項目があったのに、フランス人が「外へ出てデモをする」ことを自主規制することも考えられず、全く変わっていない。「意思表示」の自由は共和国絶対の伝統だ。
2015年の無差別テロの後も、「外に出るな」みたいな指示があったようだが、あわてて日本人観光客や修学旅行生たちが日本大使館の指示でホテルにこもっていたという話は聞いたけれど、うちから出なかったなんていうフランス人の話は聞いたことがない。
「一般の人」が堂々と騒ぐのがフランスだ。

こういうと「さすがフランスだ」と思うかもしれないが、フランスだけではない。
私は韓国の民衆が昨年から今年にかけてパク・クネ大統領を大挙して糾弾し、ついに罷免に追い込んだのを見て、結局、どんな法律があろうとも、市井の人々の意志が強ければその表示はとめられないし、ついには国を動かすのだなあと思った。

なにしろ、韓国と言えば、いまだに北朝鮮と「休戦」状態だが戦争は終わっていないのだし、言い換えれば常に「非常事態」、戒厳令OKの国だ。
そして、日本の治安維持法をモデルにしたという「国家保安法」というのがある。共産主義を賛美する行為やその「兆候」まで取り締まりの対象になるというやつだ。
後はどうにでも拡大解釈可能で、実際、独裁政権からは恣意的に使われた。
「民主化」した後で廃止の動きもあったけれど、今もしっかり合憲とされ、有効だ。

1970年代に京大の医学部からソウル大学に留学していた私の知人は、この国家保安法を適用されたいわゆる「学園浸透スパイ事件」のでっちあげに巻き込まれて死刑判決を受けた。

彼が死刑囚として獄中にあった時に、今回失脚したパク・クネ大統領の父親であるパク・チョンヒ大統領(この人は大統領の直接選挙を廃止して永久政権化しようとした軍事独裁者だ)が暗殺された。
彼は13年も投獄された後、パク・クネ政権の時代にようやく再審無罪を勝ち取った。
もともと、確か彼が「北朝鮮」に行っていた、と断罪された時期には日本で国体に出場していた(陸上選手だった)ということで、冤罪は明らかだったのだけれど、当時は真実や事実で無罪を「立証」することなど無力だった。無法地帯で合法的な手立てを探しても意味がない。

その当時、私の話を聞いた周りのフランス人の方がはるかに積極的に彼の救援の手立てを模索してくれたことの驚きを私は今もはっきり覚えている。

その韓国の人たちが、今回は堂々と大統領を弾劾したのだ。

悪法があっても、その気になればそれを適用できる為政者を罷免することもできる。
その適用を不可能にすることだってできる。

悪法や悪法の成立事情やそれを可能にした為政者に異を唱え、
自由と尊厳を守る断固とした意志を、
持続的に、
忍耐強く、
表明するならば。

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by mariastella | 2017-06-21 01:39 | 雑感

アドナン・カショギの死

1935年生まれのアドナン・カショギという世界一の富豪(1980年時点で個人資産40兆円? 桁がかけ離れているので間違っているかも)が6日にロンドンで亡くなったというので、プロフィールが次々と紹介された。

サウジ王家の創設者の主治医の息子だがいわゆるプリンスではないので、あちこちに出る写真も、サウジ風の服装でもないし、普通。小柄で小太りの髭のおじいさん。

当然のごとく、巨額な武器取引で財をなした。

カネの世界には国境もなく、文化も宗教も乗り越えたグローバルなものなんだなあというのにあらためて驚く。

カショギ氏の人脈や金脈にはビン・ラディンの父親の名も出るがロッキードの名も出てくる。個人ヨットとして最も大型(映画ホールやプールもそなえたクルーズ船みたいなやつ)な「ナビラ」号を持っていたことでも有名だけれど、後にその新所有者となったのがあのトランプで(彼もその後で手離しているが)、トランプはそれを改装して「トランプ・プリンセス」となづけたのだそうだ。金さえあればプリンスにもプリンセスにもなれる。

カショギはフランスにもたくさんの住まいを持っているが、パリで若い頃の高田賢三に出会って彼のデザインを気に入り、彼が瞑想できるようにとパリに800平米の住居を与えた、と言うのも読んだ。

それはあの有名な、茶室や日本庭園のある旧高田邸のことなのだろう。本当だとしたら何だか親近感も覚える。

片時も離れないガードマンの一人は韓国の空手家だとあった。

彼の甥はダイアナ妃と共にパリで自動車事故で死んだ人だけれど、子供は息子3人とヨットの名につけたナビラさんというひとり娘の4人しか名が挙がっていない。
でも前妻というソラヤさんの間にはもう一人娘がいると英語のネットに出ていた。

ソラヤというのはイスラム名で、もとはイギリス人のサンドラさんなのだそうだ。(こんなどうでもいいことを検索したのは、最初にヨットの名が「一人娘」の名だと聞いたときに、一夫多妻もOKのサウジアラビアの大富豪で子供が一人しかいないんだろうか、だとしたらそれはどういう姻戚関係を生んだのだろうか、などと考えてしまったからだ。

リヤドに行った時も思ったけれど、彼らは国内でどんなに戒律のある暮らしをしていても、「金」という万国共通のビザがあればどこでどんな暮らしでもできるのだなあ。

こういう人たちは、今のISだのカリフ国などを「本音」ではどう思っているのだろう。

いや、内戦が続いたり、外国が武力で干渉したり、戦火で損壊した地域を再建したりするたびに「金」が儲かる仕組みになっているのだから、そういうループから抜け出す思考はなかなか働かないのかもしれない。

富豪の中にはビル・ゲイツ夫妻のように「慈善」に目覚めて大活躍する人もいて、そのメンタリティについて考察している最中だったのでいろいろ考えさせられた。


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by mariastella | 2017-06-17 02:54 | 雑感

ナポレオンとサクランボとコニャック

朝市でサクランボの色がまぶしい季節だ。

私の好きなのは白っぽい「ナポレオン」というビガローの一種。
酸味と甘みのバランスがいいさわやかな味。

なぜナポレオンという名がついたのかというと、もろ、ナポレオンが気に入ったからだそうだ。
サクランボは中世からフランス人の食卓に上っていた。生や調理したものがワインに混ぜられたり、デザートに供されたりした。17世紀にはモンモランシー公の果樹園が有名だった。

サクランボを偏愛して新しい品種を開発させたのはルイ15世だ。彼の時代から、サクランボ栽培の近代化が始まった。そのうちの一種がナポレオンの好物となって命名された。

そういえばナポレオンというコニャックもある。

私の子供時代は、ナポレオンと言うと、

「ナポレオンは何故赤いズボン吊りをしていたか? していないと ズボンが落ちるから」

という謎々と、

「私の辞書に不可能という文字はない。」

という言葉と、

「三時間しか眠らない。」

という伝説と共に、ナポレオンという上等のお酒がある、という知識が共有されていた。
ある意味で懐かしい名前だ。

伝説によると、1815年にナポレオンがセント・ヘレナ島に流される船にニャックの樽を持ち込んだそうで、イギリスの士官たちがそれを喜んで「ナポレオンのコニャック」と呼んだという。
1869年にナポレオン三世が、クルヴォワジエに「帝国宮廷ご用達」のタイトルを与えた。
1909年にイギリス出身のシモン・ファミリーがクルヴォワジエのブランドを買い、VSOPよりも高級なコニャックをナポレオンと名付けてナポレオンのシルエットをロゴにした。
1950年にはナポレオンの愛したジョセフィーヌという名のコニャックも発売したが、そっちの名前は昔の日本で聞いたことがなかった。

この世で添い遂げられなかったカップルが、並んで芳香を発し続けている


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by mariastella | 2017-06-15 05:43 | 雑感

テロが続くイギリスとフランス

イギリスで数か月のうちに3度もテロがあった。

もちろんその度にフランスではさかんに報道された。
それなのに、

助かった人のインタビュー、
テロリストのプロフィール、
現場に花を捧げる人たち、
黙禱、

などのどのシーンをみても、あまり心を動かされなかったことに自分でも驚いた。
もちろん、フランスでのテロの報道に食傷しているのでデジャヴュという印象もあるからだけれど、テロが起こる度に

「テロに屈しない」、
暮らし方を変えない」、
「恐れてはテロリストの思うつぼ」、

などと言われ、それを実践しているうちに、感受性が鈍ってきたのかもしれない。

運が悪ければどんな事故にだって遭遇するかもしれないし、という達観に至る部分もある。

私が日本で他国で起きた大地震の報道を試聴したらひょっとしてこんな気分になるのではないかと思う。
恐ろしいけれど、どうしようもない、というやつだ。
一応最低限の「対策」や「安全情報」を耳にしていれば、後は恐れても仕方がない。
それでも、飛行機が嫌いな私は、旅の初めに説明される酸素マスクや救命具のつけ方の説明がある度に忌避感を持ってしまう。
大丈夫、統計的に言ってこの飛行機は落ちない、という自己暗示が自動的に発動するのだ。

フランスでも数か月のうちに3度のテロがあったのだけれど、こちらは単発で、ルーブル前、シャンゼリゼ、ノートルダム前でそれぞれ警備中の兵士や警官を特定してねらったものだった。
もちろんそれも十分恐ろしいことだけれど、すべては相対的で、これまで大量の一般人や未成年が狙われたシーンを見せられてきた者にとっては、ああ、こういうご時世にああいう職業は大変だなあ、と同情するものの、集合無意識の中では「テロ」の枠の周縁部に追いやられる。

で、このところはイギリスの方がテロが多くてフランスは少しおさまっているよな、などという印象を持ってしまうのだ。

それでもロンドンのテロで、観光中やバイト中やフランス料理のシェフなど3人のフランス人が犠牲者になってその一人一人の情報が繰り返して流されると、私自身のロンドンの思い出や最近ロンドンにいたあの人この人のことを思い出すので、テロは「またか」のテロではなくなり、悲劇として胸に迫る。出来事との関係性というのはとても人間的だ。

そういえば日本の知人がもうすぐ大英博物館で公演をするはずだ。
最初はロンドンの後でルーブル美術館でも講演するという予定だったのだが、子役もいることだし、「緊急事態」発令中のフランスは危険そうだというので、去年の今頃、フランスは中止になった。
その時に私も意見を聞かれたけれど、2017年も前年と同じくラマダンの最中だし、大統領選と総選挙でテロリストのテンションが高まっているかも、と答えた。
ところがイギリスでは今年の復活祭の後にメイ首相が解散と総選挙を言い出した上、その後の立て続けのテロの影響もあって総選挙の結果も思惑が外れ波乱含みとなった。

知人の公演がともかく無事に終わって実り多いものとなることを祈ろう。


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by mariastella | 2017-06-12 00:59 | 雑感

前川さん証言と詩織さん事件 その1

(ちょっと寄り道の話題です)

このところ主にネットで見ることのできる雑誌を通してだけれど、加計学園と文科省の問題、そして御用(?)ジャーナリストによる性被害にあった女性の問題について、リスクの大きい「証言」を敢えてした二人の印象が特に強く残った。

まず、前者。

前川さんという方は、ほんとうに正義感が強くて、意志も強く、他の人の証言からもうかがえるように、現場主義で現場調査というのが好きな人なのだろうと感じる。だから、出会い系バーにだって出かけて行った。
保身の意識がある人ならばしなかっただろうけれど、使命感と探求心が強かったのだろう。生まれた時からすべてに恵まれている人だし、個人的な野心というものとは縁がないのだと思う。
「男ならだれでも」などという人も多いようだけれど、骨の髄まで清廉な男というのは存在する。
ああいう場所に行って個人的に話を聞き、支援し、大きな運動や対策の視野も持つというのは、フランスならカトリック系ソシアルでよく見られることだ。

だから前川さんにも何かキリスト教的な背景があるのかなと思ったが、実家は浄土真宗系のようだ。日本のエリート家庭によくあるように奥さまやお母様がミッションスクールの出なのかもと思ったけれど分からない。

ただ、おじいさまに当たる前川製作所の創業者喜作氏のエピソードがどこかキリスト教的だと思った。

私財と情熱を投じて、学生の教育の場として「和敬塾」を目白につくり、

「財は子孫に残さず、命も金も子供も、また身に着けている者は一切神仏からの預かりもの。ゆえに、自分が生きている間に自分に託されたあらゆる物は自分の力で社会にお返しする」と言っていたそうだ。
単に寄付したというのでなく実践した。
その上、目立つことを嫌い、「左手でやることを右手に知らせるな」とよく言っていたそうだ。

これは明らかに新約聖書の

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない(マタイによる福音書6-3)」から来ているのだろう。

和敬塾も東京カテドラルのすぐ近くだし、明治や大正のインテリには、洗礼を受けなくとも内村鑑三の聖書講義から影響を受けた人は少なくなかった。安倍能成、田中耕太郎、天野貞祐らの文部大臣もそうだ。

前川喜平さんも喜作さんのこのような家風を受け継いでいるとしたら、納得がいく。

別にカトリック国の政治家の方が清廉潔白度が高いと言っているわけではない。ただ、超少数者である「清廉潔白で弱者の側に立つ権力者」がいる場合、カトリック国の方が、中立的なストラクチャーを簡単に見つけられるから共感、協力してもらえやすいかもしれない。

そのことで私の頭に浮かんだのはアンリ・マレスコーさんのことだ。

見るからに誠実そう。(続く)

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by mariastella | 2017-06-07 00:58 | 雑感

ローマ法王とフランス大統領 その3

(これは昨日の続きです。)

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》

その3です。
この記事は、このカトリック雑誌がマクロンを評価し応援しているからというのではない。「善きカトリック」の代弁者のように支援されていたフィヨン候補の敗退によって迷う信徒や、フランスにおけるアイデンティティ・カトリック(伝統やブルジョワ的価値観を共有する階級)とリベラル・ソシアルのカトリックの分裂を解消して、マクロン体制のフランスをカトリック的に何とかいい方向(格差拡大の減少、弱者支援、難民ら移動者支援、反戦、環境破壊防止など。自国ファーストの経済成長や軍事力などはもちろんスルー)に向けたいという意図のあらわれだろう。カトリック・シンパがマクロンの足を引っ張ってフランスを分裂させないようにというメッセージでもあり、またマクロン陣営へのメッセージでもある。

その3は、人格の尊厳について。

人格という言葉はもともとキリスト教の三位一体の父と子と聖霊をペルソナとしてとらえたものが後で人間にも再転用されたものだ。

まずローマ法王。
教皇は、地球温暖化で土地を捨てる難民、グローバル経済からはじきとばされた人たち、スラム街の住民、まだ生まれていない子供たち、障碍者、高齢者、病人、死に行く人、など最も弱い立場にある人々を守るために熱弁する。自由経済の逸脱、人々を道具化する利益効率第一主義などを、人間の尊厳を傷つけるものとして糾弾する。子供をつくるのは権利であって授かるものではないとか安楽死は尊厳死であるなどと説明する主流秩序の「偽の慈悲」を弾劾する。

マクロンは、ルペンとの公開討議で障碍者支援のテーマを強調した。
任命されたばかりのフィリップ首相の最初の訪問先は障碍者と健常者が共同作業をして暮らすメゾン・シモン・ド・シレーヌだった。
マクロンの元ロスチャイルド投資銀行の金融マンという顔の陰に、人間の尊厳への深い関心がある。フランス社会の和解というイエズス会のテーマが見える。「最も脆弱な部分からスタートすることで社会が《他者への恐れ》を克服するすることにつながる」とシモン・ド・シレーヌ共同体のディレクターは分析する

カトリック系リセでずっと教えてきたマクロン夫人ブリジットも、障碍のある生徒に接した経験から、この問題に深く関わっている。就任式のパーティで司教や大ラビに「夫のための祈ってください」と頼んでいたブリジットは、選挙運動中も知覚障害、精神障害の子供たちの学校を訪問していた。彼女はミシェル・オバマのような役割を果たすだろうと言われている。



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by mariastella | 2017-06-06 01:29 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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