L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 381 )

マクダ・ゲッベルスの話

公営放送で、ナチスの宣伝相として悪名を馳せたヨーゼフ・ゲッベルスの妻マクダの生涯を語るドキュメンタリーを視聴した。


ナチスの「悪の権化」みたいな人たちは、ハンナ・アーレントが『悪の陳腐さについて』で凡庸な小役人風情のアイヒマンを描写して以来、ヒトラー以外はみな、「すべての人が抱えていて時と場合によって発露する悪」の中に相対化というか回収されていった印象が私にはあった。

そのヒトラーでさえエヴァ(エ-ファ)・ブラウンとのかかわりをたどったドキュメンタリーを見ていると、「人間」の部分が見えて先入観が揺らいだことがある


で、結婚していないエヴァを絶対にファースト・レディにできないヒトラーが、ベルリンオペラやバイロイトなどに一緒に出席してファースト・レディとして扱ったのが金髪碧眼のアーリア的美女のマクダだった。マクダはヒトラーに夢中だったが、自分は結婚しないので自分のそばにいたいなら右腕であるゲッべルスと結婚しろ、と言ったそうだ。

ヒトラーも立ち会った結婚式はなぜか夫妻とも黒づくめの衣装だった。


もっともマクダは、ヒトラーの演説を聴く前にゲッベルスの演説を聴いてナチスに入党する決心をしたくらいだから、ゲッベルスにも心酔はしていた。

よく揶揄されるけれど、ヒトラーの掲げるアーリア人、ゲルマン人のイメージとは両者ともずれていて、ヒトラーは黒髪に近かったし、ゲッベルスは小柄で、ポリオの後遺症で足の長さが違い、補助具をつけた右足を内側に曲げて足を引きずっていた。なで肩で貧相だ。

彼らに比べるとマクダは、アーリア美女の典型だったし、ゲッベルスとの間に9年で6人も生んだ子供たちもみな金髪碧眼風の「ナチス・ドイツの子供たち」のイメージにぴったりだった。実際、この子供たちの週間ニュースが映画館で流されるなど、マクダと子供たちはナチス・ドイツの理想の家庭のプロパガンダとして使われた。(子供たちは、ベルリン爆撃の時には無理やりベルリンにとどめおかれて、ヒトラーとエヴァの自殺の後で、後を追って死ぬゲッベルスとマクダから毒殺された。)


子供たちが整列したり駆け回ったりする映像は、『サウンド・オブ・ミュージック』の7人の子供たちにそっくりだ。実際、地下壕の中でヒトラーを慰めるために歌を歌わされていたそうだ。


このマクダは、ゲッベルスの前に、ギュンター・クヴァントという大富豪の貴族と結婚していた。20歳で生んだハラルトという息子はのちにゲッベルスの養子になった。

この富豪はBMWなども所有しているマルチ企業のトップだったそうで、この人との離婚騒動でマクダは莫大な財産と年金を獲得する。もともと美術史家か弁護士になりたかったというマクダは、その資金でいわばベルリンの社交界の花形、サロンの女主人のようになって、いろいろな浮名を流していた。

しかし、29歳という、当時としては女性としては下り坂に向かって人生の意味を失いかけていたころに、ある貴族のナチ党員に声をかけられてゲッベルスのミーティングに出かける。右手を上げさせて聴衆を巻き込むカルト的な熱狂に感嘆してナチスのイデオロギーにのめりこむことになるのだ。

ゲッベルスも博士号を持つ知識人だった。マクダとゲッベルスは哲学やイデオロギーについて何時間も議論したという。


マクダは決して、単純で世間を知らない女性などではなかった。


幼い時に父と分かれ、ベルギーの寄宿舎に入れられたことでフランス語やオランダ語も話すマルチリンガルだったし、母の再婚相手で養父となったユダヤ人のリヒャルト・フリートレンダーともうまくいっていたし、実父が大学入学の学費を出し、18歳でユダヤ人のハイム・アルロゾルフと大恋愛をしてシオニズム運動に加わり、ダビデの星をアクセサリーにしていたという過去まである。(のちに、フリートレンダーも、イスラエルに渡ったアルロゾロフも殺されているのは偶然ではないだろう)


マクダは自分の自由と放縦が、貴族の大富豪である前夫の金で成り立っているのを知っていた。だから、初めは、「国家社会主義」と「社会主義」を掲げるナチスとの接触が外からの目にも微妙だった。

頭がよくて野心があって自立心がある若い女性が、ユダヤ人に共感してシオニズムの応援をしたり、ナチスの掲げる「社会主義」の理想に洗脳されたりというのは理解できるけれど、自分のブルジョワとしての立場とそれをどう両立していくかは別の問題だった。財産を守り年金を失わないために絶対に「共産主義」にはいかない、というのが境界線だったのだ。

結果として、社交界の花形だったマクダを取り込むことが保守本流の警戒を解き、ブルジョワ保守派も含めてドイツ全体が国家社会主義という名の独裁政権を許してしまう一助ともなった。


ところが、ゲッベルスと結婚してからは、ファースト・レディとしてヒトラーのそばにくっついていられる時期はそう長くなく、「女性は家庭に入って子供に食事をさせる」という戦時ナチスの「理想」の看板にさせられてしまうわけで、それは自由と自立と野心のあるマクダの望んでいたことではなかった。

で、ゲッベルスの方はどんどん権力を持ち、女優と浮気をし、マクダは離婚を望むが、ヒットラーにとめられてヒットラーがその女優を追放して危機をおさめるなどの綱渡りが続いていたのだ。

結婚はしない、自分はすべてのドイツの子供たち(ユダヤ人や障碍者はドイツの子供とはみなされない)と称するヒトラーにとって、別荘にやってくる金髪碧眼のマクダの子供たちをかわいがる「慈父」のプロパガンダ映像は価値のあるものだった。

いつもながら、どこにスポットライトをあてるかで歴史の見方や共感の仕方はころころ変化する。このような稀有な運命の末に子供たちを殺害して自分も死の道しかないと悟った女性の悲劇と、ユダヤ人というだけである日突然逮捕されて貨物列車で収容所に連行されて子供たちもろともガス室で殺される女性の悲劇を比べること自体には意味がない。

でも、私たちは、この悲劇の両方から学ぶもの、学べるものがある。

特に、女性たちは、金、神、知識体系、イデオロギーのどの位相にも内在する性差別も同時に被ってきた。


アンネ・フランク、エティ・ヒレスム、エデット・シュタインら貴重な記録を残してくれたユダヤ人女性の証言は何度も反芻する価値がある。同時に、権力者の伴侶として「悪」に加担してきた女性たちが犠牲に供されてきた歴史の検証も絶対に侮れない。

私はこれまで、その中で独自の場所を占める「女神」「聖母」「聖女」「女性教祖」らの生き方と生かされ方と語られ方に特に興味を持ってきたが、もっともっと複眼的な視点を盛り込んでいきたい、とマクダ・ゲッベルスを見て考えた。

歴史に翻弄されて命を絶たれた人たちの死を無駄にしてはいけない。

何に対して「ノー」と言い続けるべきなのかを学びたい。


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by mariastella | 2017-11-23 00:05 | 雑感

機械仕掛けに魅せられる

デジタル雑誌を見ていたら、高級腕時計のムーブメントのスケルトンの写真があった。美しさに息を飲む。私はすべての楽器のフォルムもメカも好き。機能が洗練されているものの美は説得力がある。
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カラトラバ十字架が見えます。

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マルタ十字架が見えます。

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氷の教会の薔薇窓みたい。

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これはバッハの管弦楽みたいにびっしり。

私は前にオートマタのコレクションを少しばかりしていた。
『夢見るオートマタ』(岩波書店)は、コレクターの友人のために書いたものだ。この本はヴェルサイユのバロック音楽研究所に寄贈されている。

その友人の伝手で、18世紀フランスの有名なタバティエールという、小鳥が鳴くオートマタをスイスのロイゲ社が復刻したものの、ディスプレイ用のメカが見える特別仕様のものを手に入れた。
それがこれ。
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コンピューターの中身とかは全くブラックボックスで分からない私だけれど、機械仕掛けの魅力は別枠だ。ピアノの中身を見るのも大好き。


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by mariastella | 2017-11-17 00:05 | 雑感

ベビーブーマー

前の記事で団塊の世代のことを1946から49年生まれと書いたら、サイトのForumで47年からですよとJeanさんから訂正していただいた。
確かに、Jeanさんと同じくその周辺世代の私としては47年から49年という認識があった。ではどうして、46年と書いてしまったのかというと、ただの打ち間違いや思い違いではなく、フランスの私の周りにいるシニアたちのことが頭にあったからだと思う。

フランスでは46年からベビーブームという印象だったからだ。
なるほど、日本では45年8月に終戦、兵士たちが引き揚げてきたのが46年、で、ベビーブームは47年から。一方、フランスのレベルでは45年5月で、「自由フランスが」一応「戦勝国」の側に回ったので、シベリア抑留などの悲劇はなく、すぐにお祭りムード(ドイツ軍には早く譲歩したので、戦禍は特にアメリカ軍によるものの方が大きかったこともあり、占領されて焼け跡から立ち上がるというのでなく、解放のムードが演出されたのだろう)になった。で、ベビーブームは46年というイメージだったのだ。彼らが自分で「ベビーブーマーだから」というのも何度もきいていたので。

今回Jeanさんから指摘していただいたのをきっかけに、フランス語のネットで検索してみると、なんと、フランスの「ベビーブーム」はいろいろな数え方があるけれど、1942年から1965年、というのが標準らしい。

日本人の私としては驚きだ。
確かに、1940年夏には一応ドイツとは「停戦」していてヴィシー政権や占領地域ができていたのだから、「戦闘がなくなった」ということでベビーブームにつながったのだろうか。ゆっくり調べていないから分からない。

同時に、これもまだ確認していないけれど、日本語の団塊の世代というネーミングとベビーブームというネーミングは重なるものではなくて、ベビーブームの中でも突出して多い3年間に生まれた人を団塊の世代というのだろう。

でもこれも、混同して使われていることが多いので、
「団塊、バブル、ロスジェネ、ゆとり、さとり」
などと括られると、私のような団塊ではなくバブルでもない、という意識のある世代は違和感を感じるのかもしれない。
いや、私の世代でもバブルを謳歌した人はたくさんいるのかもしれないけれど、私はその前に日本を離れていたので、実感はない。80年代から日本人がパリでブランド物を大量に買うのは見てきたけれど。

あらためて「36歳以下の世代」のサイト記事を読むと、そのくくりはアメリカの「ミレニアム世代」でもあるそうだ。

これを書いている時点で、日本語と英語の検索はしていないけれど、調べると、フランスの社会学者はフランスの戦後生まれの世代を4つに分けている。

  • 1946 から1964生まれがベビーブーマー。
  • 1965 から 1979がX世代。
  • 1980 から 2000がY世代。
  • 2000年以降がZ世代、だそうだ。

  • 1962年にアルジェリア戦争が終わってからは徴兵された兵が単独で関わるような形の戦争がないから、後は、デジタル分野の情報技術革命とも関連している。

  • 世代論というのは、社会学的な物差しではあっても、かなりの歴史を経過してみないとその本質は見えてこないから、まあ、どれもみな、「仮置き」のコンセプトなんだろう。

  • 40年以上もフランスにいて、ミクロな実感としては、いつもながら、

  • 「国や世代の差よりも個人差の方が大きい」

  • というのに落ち着くのだけれど、ベビーブーマーとも、XYZいずれの世代とも家族や友人、生徒たちを通して親密な接触がある私にとっては、たまに社会学的な眼鏡をかけて観察するのは興味深いかもしれない。





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    by mariastella | 2017-11-16 17:20 | 雑感

    36歳以下の世代と私に共通点がある?

    あるネットサイトで、36歳以下の若い世代と旧世代との断絶についての記事を偶然目にした。

    その中で、こういう言い回しがなんとなく気になった。

    >>>「団塊」「バブル」などと呼ばれた上の世代は、戦後の焼け野原の何もないところから、何かを生み出すことに達成感を感じて仕事をしてきた世代です。

    当時は、"美女とワイン"といった贅沢することを糧に、出された指示をいかに早く・正確に遂行するかを考えて、前に置かれた階段をただひたすら登ればいいだけでした。

    しかし、乾けない世代は、”意味があると自分が思えること""仲のいい人たち""ただやりこむこと"が大事だと思うようになっているんです。

    ポジティブ心理学者のマーティン・セリグマンが提唱する「幸せの5種類」に当てはめると、上の世代が「達成」や「快楽」を追い求めて働いていたのに対して、下の世代にとっては「意味合い」「没頭」「良好な人間関係」がモチベーションの源。まったく価値観が違うのです。<<<

    というものだ。

    こう説明しているのは尾原和啓という方で、1970年生まれ。

    なるほど、1970年生まれの人にとっては団塊やバブルの世代って、


    「戦後の焼け野原の何もないところから、何かを生み出すことに達成感を感じて仕事をしてきた」


    って見えるのか、と思った。


    厳密にいう団塊の世代は19461947年から49年生まれだと、少し後の私の世代は学校での生徒数がこれを境に激減しているのを知っているので、団塊の次がバブルだと括られること自体も不自然に思える。

    でも、それよりも、「戦後の焼け野原の何もないところから、何かを生み出すことに達成感を感じて仕事をしてきた」というのは、私にとっては、敗戦を経験した「親の世代」というイメージだ。

    私は焼け跡、闇市などを見たことがない。団塊の世代である私の兄が3歳くらいの時に見た闇市の光景を覚えていると言って私の母は驚いていたけれど、兄より3つ下の私には、そんな記憶はない。

    私の生まれたのは神戸市内で、母は神戸の大空襲で逃げ回ったのだから、焼け跡はたくさんあったはずだけれど、母の実家の大きな家は焼け残って、焼け出された人や多くの引揚者を受け入れていたという(祖父は貿易商で、関東大震災でやられた横浜港から神戸港へと移ってきて神戸に住んでいたのだ)。私は祖父母の家のこともよく覚えているが、周りはどこもこぎれいな町だった。

     で、この発言の中で私がもっと驚いたのは、価値観がまったく違って断絶しているという36歳以下の人の考えであるらしい「意味があると自分が思えること""仲のいい人たち""ただやりこむこと"が大事だと思う」という生き方のことだ。

    それは、私が昔から実践していたものとほとんど変わらない。


    もともと、努力とか競争とか達成などというのは体質的に合わない。

    でも、日本にいた頃もそれで別に生きづらくはなかった。

    多分日本にいた頃の私が、「子供」、「女の子」、「若い女性」という属性を持っていたからだろう。努力とか競争とか達成などを他から求められることも一切なかった。

    現実と遊離したお稽古事大好き少女でも、退屈な学校をさぼって一人で映画に行っても、だれからも咎められなかった。いじめられることもなかった。

    競争が嫌い、戦いが嫌い、というのは世代差ではなくて個人差だと思うが、そんな存在が周囲からどう見られるかというのには「性差」や「時代」があるのだろう。


    それでも、こういう世代差論がいろいろ出てきてカテゴリー分けされたりすること自体がとても日本的だ。

    これがフランスなら、そういう差の他に、国籍の違い、親の出身国の違い、それも旧共産圏か、旧植民地圏か、EU加盟国かどうかの違い、宗教の違い、階級の違い、情報格差などが複雑に絡まり合っているから、単純なレッテル貼りはあり得ない。

    もしあるとしたらそれは差別の道具(フランスのムスリム、だとか、移民の子弟だとか、難民とか)として機能するものなのですぐ批判にさらされる。多くの人が「そうだよねー」という感じにはならない。


    まあ、私の場合は、正確にいうと、「"意味があると自分が思えること" を、"仲のいい人たち""ただやりこむこと"が大事だと思う」というわけではない。


    「意味があると自分が思えること""仲のいい人たち""ただやりこむこと"が〈好き〉だけれど、それだけではいけないと自戒して、良好感を分かち合うことが大事だと思う」


    といった感じだろうか。


    だから、36歳以下の世代の内向きな生き方というのがもし本当ならば、この「分かち合う」ことの大切さをぜひ伝えたい。

    すでに「仲のいい人たち」との分かち合いはたやすいけれど、

    「戦わずして仲のいい人たち」の輪をひろげていくことそのものがチャレンジだ。


    すべての人が「戦わずして仲のいい人たち」になり得る世界は可能だろうか。


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    by mariastella | 2017-11-16 03:44 | 雑感

    セバスティアン・クルツの「小国」

    オーストリアの新首相となるセバスティアン・クルツ。

    31歳。

    マクロンも39歳で若さに驚いたけれどいわゆる童顔ではない。

    でも、このクルツって、童顔っぽい。
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    (これは11/10付のル・モンド紙のロイターの写真を拡大して撮ったものです)

    それでも髪型が絶対にゲルマン風。フランスならあり得ない感じ。

    中道右派で難民受け入れに厳しく、極右FPOeとの連立政権になる予定。

    FPOeって、すでに1983-86年に左派と、2000-2006年に右派と連立与党になっている。EU離脱派でネオナチとも近く、イスラエルからボイコットされている。

    でも、このル・モンドの記事によるとクルツは親EUだと言明している。
    この50年で3度目の政権与党になるそうで、自分は若いけれど、古参のブレーンがついているから大丈夫、新鮮な風をオーストリアにもたらす自信があるという。
    FPOeは連立の中で少数派だから制御可能だとしているようだ。

    オーストリアはEUの中で、人口比でいうと最も外国人の割合が大きいのだそうだ。その上2015年以来15万人の難民申請者が押し寄せているから、その対策をするのは当然だと言う。
    オーストリアは、ここ5年、いわゆるベーシックインカムの制度を実施している。すべての居住者は、働かなくとも毎月900ユーロ(12万円くらい)近くを支給される。それはEUの中の東欧など他の国の国民平均所得の2倍に近く、そのせいで、「社会政策ツーリスト」が絶えない。クルツはそれを廃止するつもりだ。

    そんなことはすっかり忘れていた。
    一番驚いたのは、マクロンの政策について聞かれたクルツが、

    マクロンの提唱するEUの構想に賛成すること、フランスよりもずっと小さい国の代表者として自分に彼を助けることができるなら、するつもりだ、

    と答えていることだ。

    大国のイメージは面積から言ってもアメリカ、ロシア、中国、インドなどで、ヨーロッパ大陸には多くの国がひしめき合っているイメージだから、その中でオーストリアが「うちはフランスよりもずっと小さい」などという認識を持っていて口に出すのが意外だった。

    日本だって、うちは中国よりずっと小さい、とか、アメリカよりずっと小さい、などと、わざわざ政治家が口にするのを耳にしたことがない。

    それに、私のようにヨーロッパ史にしょっちゅう首を突っ込んでいる者にとっては、オーストリアと言えば、オーストリア=ハンガリー帝国だとか、神聖ローマ帝国などのイメージ、ハプスブルク家の歴史があるので、むしろ、ルイ一四世やナポレオンをも悩まし、姻戚関係を結んできた「列強」のイメージがある。

    確かにナチス・ドイツに併合され、戦後は、確かに「小国」(面積は8万3千平方キロ。ちなみにフランスは55万、日本は37万8千、アメリカは983万だ)には違いないが、その「永世中立国」のイメージやウィーンの華やかさなどで存在感は大きい、と思っていた。

    前にプーチンが「うちはお金がないのだからアメリカと比べることもできない」などとオリバー・ストーンに話していたことを思い出した。

    政治のパワーゲームってなんだかイメージ産業みたいなところがあるので、どんな風にも見せることができるのだなあとあらためて思う。

    オーストリアが「小国」になってからのここ30年ほどしか生きていないクルツのプラグマティズム、リアルポリティクスとはどういうものなのだろうと興味が出てきたのでウォッチングを続けよう。


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    by mariastella | 2017-11-14 01:22 | 雑感

    トランプ大統領の訪日と沖縄

    今回の日本滞在は、はじめは台風の中の総選挙、終わりはイバンカ来日とトランプ来日のニュースと、政治的な話題にことかかなかった。


    メンバーと滞在先に近い明治神宮に行くと、お守りやおみくじといっしょに教育勅語が売られていたので驚いた。前からあったのかどうか知らないが、こんなに目立って気づいたのははじめてだ。

    いつからだろう。


    こんなに「明治」回帰の大日本帝国の誇りを取り戻そうという感じの流れと、横田基地から入って出ていったというトランプ大統領に追随して武器をどんどん買いますよ、という属国ぶりとがどう両立するのか分からない。


    トランプ大統領は中国ではもっと大々的にトップセールスを繰り広げていた。

    私はフランス大統領が中近東やインドに行くたびに、やはり、起業家を引き連れて軍需産業のセールスをセットにしているのもすごく抵抗がある。武器輸出におけるアメリカ一強をけん制するために敢えてフランスから武器を買う国もある。

    今回そういう関係をベースにして、イランとの危機を高めるサウジアラビアのリーダーに対話を訴えに行ったことはフランスならではだと思うので、安易に日本と比べることはできないのだけれど。


    日本の一連の情勢の中で、沖縄の米軍ヘリの墜落から始まって、辺野古基地確約まで、衝撃を受けたのは、日本って差別主義が根付いている国なのだということだ。

    日本で生まれて育って、いつも「なんとなくマジョリティ」の側にいた時は実感がなかったけれど、嫌韓、嫌中の言説を目にすることが多くなり、沖縄差別も結局それと同じレベルだと分かってきた。


    いつも読んでいるこのブログ、沖縄戦終結後や太平洋戦争終結後に日本軍が久米島住民を虐殺した話を読んで、差別の根の深さにショックを受けた。


    銃を持って向かい合う、殺すか殺されるか、というような状況と、相手を人間とは思わずに弱者を一方的に殺すというのは違う。戦争という極限状況が人間性を失わせる、というのとは別の次元の何かがある。


    沖縄の基地問題は確実にそれと地続きのところにある。


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    by mariastella | 2017-11-12 00:23 | 雑感

    タンブラン、デュフリーのシャコンヌと私の幸運

    フランスに帰り、新学期が始まって、時差にもめげず月曜にクラシックバレエのレッスンに行ったら、教師が病気で中止だった。そういえば彼女は前から足の不調を訴えていた。木曜日にはバロック・バレエにも行ったが、クリスティーヌもあちこち痛みを抱えている。
    満身創痍だ。
    ダンサーというのは職業病みたいに故障が絶えない。

    フィギュアスケートの羽生選手が転倒してグランプリをあきらめ、五輪出場も心配されているというニュースをネットで見た。あのスピードと高さから転倒するのが固い氷の上、技術の難易度がどんどん上がって事故のリスクは大きい。世界最高のレベルの人でも悲惨なことになる。体操競技の転倒ならマットの上だし、他の競技なら、うまくいかなくても記録が落ちるとかですむし、格闘技ですら、スケートほどには事故のリスクが大きくない気がする。
    それにしても、平均的な人よりもはるかに体力、精神力、運動能力に優れているダンサーやスポーツ選手たちが普通の人以上に痛みやら怪我に苦しむことの不条理をいつも感じる。

    クリスティーヌはガボットやリゴドンについての研究をさらに進めて新しい成果を教えてくれた。結局、最も手掛かりの少ないのがタンブランで、踊れるタンブランはラモーしかない、というので、私はミオンのタンブランのことを話した。ミオンのタンブランを弾いているのは世界で私たちだけだから知らないのも無理はない。2010年にはバロックダンサーとも共演した。
    今回の公演ではダルダニュスのタンブランを二つ、ミオンのタンブランを一つ弾いた。バロックダンスの音楽として非常に興味深いものだ。

    新学期のバレエはキャラクター・バレエの一種で「農民の踊り」。ガボットの一種で、パ・ド・ブレがなくて、ほとんどジャンプばかりで構成されている。疲れる。

    金曜日は、弦楽のアンサンブルで、モーツアルト、バッハの他にシューマンを初見で弾いた。
    日本でのコンサートの準備でヴィオラをほとんど触っていなかったから新鮮だ。
    ロマン派の曲を弾くのも聴くのも新鮮な感じがする。

    ヴィオラのアンサンブルから戻ってすぐにトリオの練習。
    今回はDVDの宣伝もあって『レミとミーファの冒険』風に弾く第二部やファミリーコンサートもしたので、「レミとミーファはもういい」という感じで、デュフリーのシャコンヌやロワイエのパサカリア、ラモーのリトゥルネルなどを久しぶりに弾く。
    デュフリーのシャコンヌはまるで私たちのトリオのために存在しているかのような曲だ。チェンバロで弾くとモノクロで、ギターだと極彩色だ。
    ロワイエのパサカリアのミスティックな雰囲気にもあらためてぞくぞくする。
    前に弾いていた時よりも余裕と距離感ができて、シャコンヌの情景が変わる度に弾きながら驚いたり楽しんだりできる。ロワイエに至っては、一音ずつ情景が変わる。

    トリオの二人は私への花束を抱えてきた。
    ラモーの新曲も待っている。

    私は本当に幸運だと思う。
    30年前にルイ・ロートレックと知り合い、最初に意気投合して、1年後には彼とアンサンブルを作り、最初のコンサートで、ロートレックの生徒で16歳になる直前だったHと同じパートを弾いた。そのまた1年後、このアンサンブルでスペインに公演旅行に行き、その時にやはり過去にロートレックの生徒だった28歳のギタリストMと知り合った。アンサンブルはいろいろな編成(最大12人だった)で、いろいろな場所で弾き、それはそれで楽しかった。
    私とHとMとロートレックの4人では、パリのインターコンチネンタルホテルで阪神大震災の被災児童を招いたコンサートで弾いた。
    パリ大学の音楽学の学生になったHがオペラ座図書館から発掘してくるミオンの曲を弾くようになったのはその少し前の1994年頃からだった。でもその頃はまだバッハやボッケリーニなども弾いていた。

    私が「大人のグループ」から完全に離れて、はるかに刺激的な若い2人とのトリオを選んでから20年以上になるが、音楽的には毎回が新しい発見と新しい歓びの連続だ。人間的には嵐のような日々を経験した。どんな修羅場の後でも、花束と新譜で再出発してきた。
    若い二人は私生活も嵐に次ぐ嵐のようなものだったけれど、私だけは私生活が安定していて引っ越しもしないので港のような存在になれたのもラッキーだった。

    彼らより10歳も20歳も年長の私としては、彼らの都合でトリオが消滅するのならしょうがないけれど、私の体力や技術のせいでトリオを解消するのは嫌だった。
    一番残念なのは、私たちのトリオの演奏をバックに私が踊れないことだ。弾くことと踊ることは同時にできない。でも、バロックバレエも20年以上続けていることで、結果として体力も維持できているのかもしれない。
    バレエと音楽がなければ、引きこもりの座業である私はもうぼろぼろになっていたかもしれない。
    もちろん演奏と加齢のせいで爪が割れたり腱鞘炎になったりというアクシデントとは隣りあわせだけれど、いわゆる怪我をする心配はないし、クラシックバレーもトウシューズをはかないことにし、転倒を防ぐため回転の連続はセーブすると決めている。

    それにしても、演奏家とは、過去のどんな天才作曲家とも付き合えるのだから、最高にしあわせなアーティストだ。

    こんな幸運がいつまで続くのかは分からないけれど、日本から戻ったトリオがすぐに別の曲を弾きながらわくわくキラキラする時間を共有した後で、感謝の気持ちでいっぱいになっている。日常のあれやこれやの不安ややっかいごとなどきれいさっぱりと別世界の出来事になる。

    この幸運を何かに還元できますように。





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    by mariastella | 2017-11-11 08:02 | 雑感

    日光その3 奥日光の滝


    まず、華厳の滝へ。

    これを見るのは何十年ぶりかで、下に降りていくエレベーターももちろんはじめて。
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    屏風岩がきれいだ。

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    ガイドして下さった方のイチ押しが湯滝。


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    急流に添って降りていけるのが竜頭の滝。


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    どれも違った持ち味で変化があって楽しい。

    中禅寺湖に戻る時、日本猿の親子も見た。

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    by mariastella | 2017-11-03 00:09 | 雑感

    日光小旅行

    ハロウインの日、いろは坂を車で登っていくと、標高1300mから1900mまでが今紅葉の真っ盛りということで、最高に楽しめた。
    赤と黄のツートンカラーの楓も美しい。

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    by mariastella | 2017-11-02 00:06 | 雑感

    三年寝太郎

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    厚狭駅 (山口県)前の「寝太郎」像の前で田村洋さんと記念写真。1977年の第19回パリ国際ギターコンクールで作曲部門受賞なさってからちょうど40年ということで、田村さんの新曲を発表できて光栄でした。

    私たちと田村さんの出会いからもちょうどまる三年なので、
    寝てたわけではないですが、なにか感慨深いです。


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    by mariastella | 2017-10-29 00:05 | 雑感



    竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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