L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 421 )

オリンピックとナショナリズム

日記 その4

2/12


日本のネットニュースを見ていたら、日本の女性選手が五輪のジャンプで銅メダルを取ったというのがあったのでなんとなく開いたら、

「9日には開会式に出席。日の丸を背負う戦友たちとパワーを交換した。」

と書いてあったので驚いた。

見ると、sanspoというところのリンクで、産経新聞発行のスポーツ新聞だからこんな感じなのかなあ、それとも、オリンピック・ナショナリズムに戦争のレトリックを使うのってよくあることなのかなあ、と思った。

日本で、例えば憲法九条を守ろうという護憲運動や選挙などで、もう「本土」では「闘争本部」という言葉を共産党以外は使わないのだという話を読んだことがある。

「闘争」というのは、もう前世紀、というか、昭和の「全学連」とか「全共闘」の用語で、内ゲバなどに使われて自滅した「古い左翼」のネガティヴな言葉で、そういうのはとっくに「脱構築」されて相対化されたのだという。

オリンピック委員会の会長のトーマス・バッハさんは北朝鮮のオリンピック委員会から招待されたそうで、受けるかどうか検討しているという。

東西統一を経験したドイツ人だから、南北朝鮮の統一に対して思い入れがあるかのかもしれない。


少なくとも、こういう人が北朝鮮に行っている間はアメリカが先制攻撃など仕掛けないだろうから、いろいろな要人が北朝鮮に行くといいのに、などと思ってしまう。


国別の「闘争」心は競技で解消して、オリンピックそのものがほんとうに平和外交の契機になるといいのだけれど。


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by mariastella | 2018-02-20 00:05 | 雑感

羽生選手と野村萬斎

日記 その3


2/11

日本のネットニュースを見ていたら、やはりオリンピックで、フィギュア―の羽生選手が到着したというのが出てきて、それに関連してこういうのが出てきた。


野村萬斎との対談。


すごくためになる。

いやあ、競技というより、すべての舞台人が聞くべきだ。


野村萬斎の狂言はもうずいぶん前に国立能楽堂で見たことがある。


その時も活き活きしたパワーを感じたけれど、本物なんだなあ、と思う。


カリスマ性が突出した舞台人で古典芸能の名手なのに守備範囲が広くいつも新ジャンルにも挑戦していることで、なんとなく坂東玉三郎に重なるイメージがあったのだけれど、このインタビューの話し方を聞いて、全然別のカリスマ性を感じた。


若く見えるし童顔だから舞台の外では玉三郎のようにソフトな感じを想像していたので、その凝縮度、強度に驚いた。

しかも、萬斎のカリスマって、「幸せ」なカリスマだ。


それに比べると、玉三郎の方は、舞台の外でソフトに軽やかに話していても、ただならない深刻な何かがどこかに、静かに、ずんと宿っているとあらためて思う。




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by mariastella | 2018-02-19 00:05 | 雑感

平昌五輪に参加していない国‥

日記 その2

2/10

20hのニュースを見たら、のっけから、シリアのイラン軍拠点を攻撃したイスラエル戦闘機がミサイルで追撃されて墜落したというニュースが流れた。

もとはイランの無人機がイスラエル上空を飛んでいたからだというのだが、ロシアも反応した。
イランとロシアがIS殲滅のためにシリアのアサド政権と組んだこと、ISメンバーはいろいろなところに逃げたり収容されたりしているが、アメリカに支援されてISと戦ったクルドはトルコからテロリスト認定されてシリア内の自治区を爆撃されているし、ISのような「わかりやすくて都合のいい敵」がいなくなると、各国の思惑が噴出している。

イスラエルとシリアは1967年以来、「戦争状態」にある。

南北朝鮮と同じだ。

このニュースでショックを受けたけれど、日本のネットニュースでの扱いはとても少ない。

やはり中東情勢は「対岸の火事」で、平昌オリンピックという「対岸の祭」の方が関心の的なのかもしれない。

そういえば、この冬季オリンピック、イランは参加しているが、シリアもイスラエルも不参加だ。気候的な理由もあるけれど、「平和の祭典」開催中は北朝鮮からのミサイルは飛んでこないといっても、シリアとイスラエルでは火の手が上がっているわけだ。

「聖火」では、ない。

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by mariastella | 2018-02-18 00:05 | 雑感

下を通るは宝船

日記その1

日々のニュースを追うのはやめようといつも思う。前にも書いたけれど、死期の迫ったウンベルト・エーコは毎日のニュースを見ないことを決めた、と言っていた。

今はフランスでも24時間ニュース・チャンネルがあるし、ネットニュースもあるし、つい日本のネットニュースも見てしまうし、たいていは、どうにもならないことばかりなのに心が乱れる。でも、なんとなくネットサーフィンまでして、澱のように溜まっていくものもあるので、先日から、簡単に日記をつけることにした。

1週間ほど遅れでアップしていく。

2/9


日本の雑誌をネットで読むようになってから、「恐怖は魅力、怒りは娯楽」みたいな報道が多すぎるのに辟易とする。辟易とするだけなら読まなきゃいいのだけれど、「愕然」ともするので、その正体を確かめたい。世に言うポピュリズムとか反知性主義と関係があるのだろうか。また、怒りだけではなく、他人の不幸に群がるような「同情」系娯楽記事も根強い。

「他人の不幸は蜜の味」とか「下を通るは宝船」とかいう言葉をなんとなく思い出して、そういえばこのことを昔健康ブログに書いたなあ、と思って自分のブログを検索してみると、こういうのが出てきた。
読み直すと、とても興味深い。


この時の「共感能力」を今も維持しているかどうかと問われると、表面的には「喉元過ぎると熱さを忘れる」状態だけれど、両肩拘縮の痛みの経験は、その後、老化とか病気に対する感覚を相対化してくれた、とは思う。


(この後、この自分のブログの「つらかった時期」の記事を読み返して、それこそ、「下を通るは宝船」で、昔の自分に鼓舞された。このブログでいろんな方と連帯できたのも懐かしい。)


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by mariastella | 2018-02-17 00:05 | 雑感

ストレス解消法と霊操とマダム・ギヨン

パリは東京と同じくらいに雪に弱い。

先日、久しぶりの大雪(パリ当社比だけれど)の日に運悪く、バロックバレー(結局雪のために中止になっていた)のレッスンに出かけてしまって、帰りの電車が何だか大変なことになっていた。遅れが出ているのだけれどちゃんと表示されない、表示通りにも来ない、しかも通勤帰りの人と重なって、やっと来た電車に乗れない。次の電車は30分後くらいと言われるが、ホームいっぱいの人を見ると次のにも乗れないと思う。
乗れば10分でうちの駅に着けるのに、どうしていいか分からない。

他のメトロを乗り継いでいこうとも思うが、寒いし、疲れていたのであまり動きたくない。すると、うちの駅を通過する急行が来た。乗客がすくなく暖かそうなので乗った。うちの駅を通過してから今度はパリ方向の各停に乗れば人は少ないと思ったのだ。

まあそれからいろいろあって、うちに戻れたのはかれこれ1時間半後くらいだった。
凍えて、いつどうやって帰れるのか分からないストレス、周りの人も当然落ち着かない様子。
延々と不確かな待ち時間の間、運悪く、持っているのはバロックバレーの振り付け譜と、マダム・ギヨン(ギュイヨン)の祈りの方法のハンドブック『短くてとても簡単な祈りのメソード』だけだった。

カトリックの瞑想法ガイドとしては、十字架のヨハネ、アヴィラのテレサ、そしてイエズス会のイグナチオの『霊操』が有名で、前2人のはよく読んだけれど、手軽という感じではない。マダム・ギヨンのものは最近新版が文庫で出て、すごくわかりやすいというので買った。(もとは17世紀フランス語、今回は少し現代語風のもの)

そして、このとても具体的な「罪のチェックの仕方」などの項目について、『霊操』と比較しようというのが私の最近の関心のひとつだった。
もし私が今どこかの大学の神学部の学生だったら、論文のテーマは「イグナチオの『霊操』とマダム・ギヨンの『祈りのメソード』の比較研究」だなあと思っていた。

両者の一つ一つの「方法」について、16世紀スペインの元戦士の男と17世紀フランスの聖職者ではない女という、時代、場所、ジェンダーによるバイアスをどのように受けてどのようなヴァリエーションを構成しているのか、それと今日の各種のマインドフル系コーチングとの関係など。

で、雪による交通マヒという精神的にも肉体的にもストレスフルな状態で、そうだ、今、この本を読んで心を安定させることができればすごいぞ、と思って、ページを繰ったら…

全然ダメだった。

唯一おもしろかったのが、自分の罪を探る時に、つまり良心によってチェックする時に、自分であれこれ掘り下げる必要はない、というところだった。ただ、神の方に心を向けていれば、罪という氷が自然に神の愛の太陽の熱で溶けて行って、蒸発したらところで「免償」になる、というのだ。

自分は罪深いとか言って、自傷、自罰するようなのとは正反対だ。
マダム・ギヨンも「北風と太陽だ」といっている。

と、まあ、このレトリックだけが私の心を紛らわせたのだけれど、その他の、心を平静にするにはどうする、この世の悩みに囚われないためにはどうする、神と合一するにはどうする系のメソードにはまったく惹かれなかった。

「いつになったら電車が来るのか、動くのか、帰れるのか、寒い、風邪ひくんじゃないか」とか際限のないネガティヴな思考のループから逃れるような祈りを試そうというモチヴェーション自体も起こらない。

ああ、ペンシルパズル本を入れておけばよかった。
雑誌をダウンロードしてあるタブレットを持ってくればよかった。

空港に行くときにはいつもパズル本を持っている。
遅れが出るとか、「いつになるか分からない」とかいう時のイライラや不安をカットするのにすごく有効だ。そういう時は読書などには集中できない。
試行錯誤しているので、どの種のパズルのどのレベルのものが、すぐに軽いアディクションをもたらせて、何時間でも続けていられるというのが分かっている。

結局、脳のどの機能に優先案件を与えて、他の機能を抑圧できるかということだ。

私の小さなクライシスの対応に、パズルほどの効果ももたらせてくれなかった、マダム・ギヨン。『霊操』との比較研究もお蔵入りになる可能性大だ。
(自分の「霊性の低さ」を棚に上げて勝手なこと言ってごめんなさい、マダム・ギヨン)



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by mariastella | 2018-02-14 00:05 | 雑感

二黄卵の話

うちの卵は、朝市で買ってくるものだ。
だから、ひょっとしたら、近郊の農家の人から仕入れているものなのかもしれない。

先日、卵を割ったら、黄身が二つ出てきた。

久しぶりに黄身が二つの卵を見た。昔は時々見たような気がするけれど、このところ、とんと記憶がない。
近頃の鶏は管理され過ぎていて標準の卵しか産まないからなのかなあ、とも思い、なんだか楽しかった。
誰かに見せびらかしたい。
すると、その次の卵も、その次の卵も、そのまた次の卵も黄身が二つあった。

こうなるとなんだかショックだった。
放射能汚染?
農薬汚染?
などと思ってしまう。

何だか誰に言っても信じてもらえないような気がして、ビデオ撮影することにした。同じところで買った卵の10個目くらいのものだ。

それまで全部黄身が二つあったので、撮影する卵も双子だと確信する。

でも、猫の動画を撮ろうとしたら、たいてい、カメラを向けた時にはもう同じおもしろい動きをしてくれないのに慣れているから、わざわざ無撮影すると普通の卵だったりして…。

で、立てかけたカメラをONにして割ると、やはり双子だった。
動画が貼れないので、ここには割った後の写真を。
 
c0175451_21003197.jpeg


何だか妙な気がしてネットで検索するとこういうのが出てきた。


>>>黄身が二つある卵のことを、「二黄卵(におうらん)」と言って、出会える確率が低い双子の卵。見つけたらラッキーなんですよ!中には、「食べても大丈夫?」と心配される方もいますが、結論から言えば、もちろん、二黄卵を食べても問題ありません。なぜなら、二黄卵が産まれるのは、若鶏の生理現象によるからです。産卵し始めて間もない若鶏は、排卵のリズムが整っていません。すると、まれにではありますが、下記のようなケースが生じます。

•・間隔をあけずに、連続して排卵する
•・1回の排卵で、同時に二つの卵胞を排出その結果、一つの卵白が、二つの卵黄を包み込むことになり、卵黄が二つある「二黄卵」が生まれるというわけです。

特に、産卵開始から1~2か月以上に多い現象ですので、排卵リズムが整えば、黄身一つの卵を産むようになります。
 つまり、二黄卵は、健康な若鶏が産んだ黄身が多い卵。味や栄養面はもちろん、安全面もまったく問題ありません。むしろ、一つの卵で、まさしく「目玉焼き」になりますから、二黄卵と出会えたら、なんとなくうれしくなってしまいせんか?しかも、1羽の鶏が二黄卵を産む確率は、わずか1~2%!希少な存在から、縁起物として喜ばれることも多いんですよ。<<<<

だって。

「健康な若鶏が産んだ」と言われると安心するが、「1羽の鶏が二黄卵を産む確率は、わずか1~2%」と言われると、この百発百中感は何だろう?

同じ健康な若鶏の排卵が安定せずに毎日バンバン生んでいる、のか、そういうタイプの姉妹若鶏が、同じ農場にまとめられていて、みんなせっせと二黄卵を?

そういうのは一般に小さいサイズだというけれど、うちのはサイズも大きく、まさに一つで二つのお得感がある。

でも、ラッキー・アイテムだと言わても、こう全部の卵が毎日だと、幸運を叩き売りされたみたいな気がする…

幸せって、二黄卵との出会いに至るまで、相対的なもんだなあ。

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by mariastella | 2018-02-12 00:05 | 雑感

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」と動物行動学

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。」

マタイによる福音書10,16-17

福音をイスラエルの民に伝えるために12使徒を送り出したイエスの言葉だ。


悪霊を追い出すという癒しの超能力まで授けて送り出すにしては全能感を鼓舞するどころか、やけに現実的だ。

福音書がイエスの死後何十年も経ってから書かれたもので、イエスの受難やのキリスト者の迫害を経験し来るべき迫害にも備えたいろいろ「後付け」の編集があるのかもしれないけれど、ちょっと複雑な気持ちになる。

迫害されるという予言は別としても、

蛇のように賢く、鳩のように素直に」

というところがもう、妙な含蓄がありすぎる。

「蛇のように賢く」というのは、蛇に欺かれないような分別を持てというのから、鳩を守る番人としての蛇だとか、いろいろな解釈がある。

でも、実際の福音伝道者が、この言葉を引用して、「相手に布教だと分からせないように何気なくローマ法王の伝記を歴史書として同僚に貸した」と満足しているケースもあるから、まあ、頭を使え、という感じでもいいのかもしれない。


「鳩のように素直に」、というの「イエスへの信頼」というのが平均的な解釈のようだけれど、聖書の中の「鳩」っていうのも、特に聖霊のシンボルである白鳩というのがなんとなく特権的でカラスがかわいそう、などと私は思ってしまう。

カラスは鳥の中で一番頭がいいことで知られているから、ここはいっそ、「カラスのように賢く、鳩のように素直に」の方がいいかなあ、と思ったり。


でも、鳩についても、動物行動学のローレンツの有名な『ソロモンの指環』で、種内攻撃に抑制本能が働く猛獣などと違って「鳩は同族をいびり殺す」というエピソードがすぐに頭に浮かぶ私は、素直という言葉に違和感を持ってしまう。


先日、沖縄の辺野古がある名護市の市長選で基地容認派が勝利した、

というニュースを聞いた時に、複雑な気持ちを整理しようと思ったら、こんな言葉を連想してしまったのだ。


なぜだか、分からない。


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by mariastella | 2018-02-10 00:05 | 雑感

カメル・ダウドの「未来を損なう天国」

アルジェリアのジャーナリスト、カメル・ダウドが、「未来を損なう天国」というコラムを書いていた。Le Point : no 2369


イスラム世界から見たものではあるが、こう言われてしまうと、なるほどと思って背筋が寒くなる。要約してみよう。


イスラム過激派の「天国主義」(パラダイズムという言葉はラエリアンムーブメントでも使われているので混同を避けてここでは天国としておく。)についてだ。

「天国主義」は、ナショナリズム、社会主義、共産主義、など、すべての理想主義が、「南(つまり開発途上地帯)」で失敗した結果、たどりついたものだという。

確かに、自爆テロリストが、聖戦(ジハード)で殉教したら天国で72人の処女に歓待されると信じている、みたいな話は、ここ数年、普通の人の耳にまで届いている。

「他殺を想定した自殺など大罪で地獄に堕ちる」くらいに言ってくれる方が世のためになるのだが、地獄どころか天国で、しかも、テロリストを鼓舞するとってもマッチョな幻想というのは、聞いていて侮蔑の念など抱かせるものだったが、実は深刻なものらしい。


「天国」のイメージは、今や、イスラム圏の庶民にとって、差別に抵抗している女性なども含めて、心慰める想像などではなく、真剣な話題なのだそうだ。

アラブ諸国が独立して進み始めた1970年代の夢と希望は、「建国の父」やら取り巻きの将軍たちの独裁によって潰えた。天国に託す希望は、経済的、民主的な敗北と深い病理に沈むこの世の地獄を物語っている。

天国を称揚するのは、宗教者だけではなく、エリートたちも、政治の各派も同じだ。

天国への招きについては、過激派も原理主義者も気前がいい。天国の喜びは独占すると言わないのだ。「全てのムスリムが天国へ行ける」ように、説教師もテロリストも熱弁をふるう。

体制はもはや独立後のユートピアを語りはせず、民衆に日常の糧を保障しようとするだけだが、過激派は天国の快楽を約束してくれる。

女と酒と奴隷。この世での愛は封印され天国に先送りされる。

この世で働いたり何かを築いたりすることの意欲は失われる。

死後に緑の楽園が約束されているのにこの世で環境保護にあくせくする必要もない。

天国の戦士の幻想は、もはや、アラブ社会に深く巣くう悪夢である。

これがカメル・ダウドの悲嘆だ。

私はすでにいろいろなところで書いてきたが、人生の残りをどう生きるかということについて、福音書のたとえ話を引いている。『キリスト教は「宗教」ではない』のあとがきのその部分をコピーする。

>>>

『マタイによる福音書』(25,14~30)に出てくるもので、旅に出る主人から財産を預けられる三人の僕たちの話だ。彼らはそれぞれの力に応じて、五タラントン、二タラントン、一タラントンを預けられる。五タラントン預かった者は外に出て、それで商売をして倍にした。二タラントン預かった者も倍にした。けれども、一タラントンしか預からなかった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。 主人が帰って来て、清算を始め、倍額にした僕たちを「忠実な良い僕だ」とほめたが、最後の僕が主人の厳しさを恐れてタラントンを地中に隠しておいたと聞いたとき、「怠け者の悪い僕だ」と叱責した。せめて銀行に入れて利息を得るべきだったという。

前後の文脈は別として、この話だけ取り出すと、私は自分なら絶対に「主人の金」で投資するなどというリスクを冒すタイプではないので、長い間、三人目の僕に同情していた。といっても、これはもちろん「金儲け」の話ではない。預けられたタラントンとは、私のいるこの世界と生命なのだ。仏教的な人生観になじみある文化に育った私にとっては、生老病死の苦に満ちたこの世界は仮の世であって、執着を離れて現世から「解脱」することが救いだというイメージがあった。けれども、今は、私に託されたタラントンであるこの世界もこの時代も、幻想ではなく、現実であり、それを返す時には、受け取った時よりも、もっと美しく豊かにして返すように最善を尽くさなくてはならない、と思えてきた。

れが「宗教」なのかどうかは私には分からない。分かるのは、この本を書かせたのはその思いだということだ。<<<

アルスの司祭ヴィアネーが死ぬ前に、たとえあの世に神がいなくても私は後悔しない、と言ったのは有名だが、私も、別この世で大して苦労をしていないこともあるが、死んでまで楽園で快楽にふけりたいなどと思わない。とりあえず、生きているうちに、次の世代の「未来」に、少しでも、貢献したい。


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by mariastella | 2018-02-08 00:05 | 雑感

名護市長選と二つの「ことば」

気になっていた、沖縄の辺野古がある名護市市長選挙。


自民、公明、維新に推薦された新市長が当選。


辺野古をスルーして「米海兵隊の県外、国外移転」「日米地位協定改定」を新市長の政策とさせた公明党の組織票が期日前投票率の高さにつながったのだろうか。


気になって、沖縄の創価学会について検索したら、

こういうのが出てきて驚いた。池田大作氏の「詩」。

いやあ、すごいボリューム。

最後まで読んだが、圧倒される。布教に成功する宗教というのはやはり言葉の力なんだなあ。創価学会沖縄国際平和会館というものとセットになっているのだろう。

沖縄にいわゆ伝統日本仏教の影響がなかったことも創価学会に有利だったのだろう。それこそ「ブルーオーシャン」だったのかもしれない。


前に奄美大島のカトリックのことを調べたことがある。

奄美も伝統仏教の影響が少ない民族宗教の離島だったので、国家神道の押し付けよりも、普遍宗教のキリスト教が広がった。1930年代からひどい迫害を受けたけれど、戦後にまたカトリックの修道会などが入ってきて復興の手伝いをしたので今も存在感があるらしい。


沖縄はそういうわけにはいかなかった。

戦後に入って来たキリスト教はアメリカ軍と切り離しては考えられなかったからだ。


布教におけるマーケッティングやレトリックというのは資金力と同様、決定的なものなのだなあと思う。


実はこの池田大作の長大な美文を読む前に、辺戸岬の「祖国復帰闘争碑」の碑文というのを読んでいた。


これも結構長いと思ったけれど、池田大作の美文の比ではない。


言葉と、言葉が仲介する「人間」との関係、言葉の使命や人間の使命について考えさせられる。








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by mariastella | 2018-02-06 00:05 | 雑感

「仏祖の方便」と拡大鏡

「仏祖の方便とは、皆、愚か者を教えるためのはかりごと」だという。

イエスの連発するたとえ話にも似ている。

ある禅宗のお坊さんのブログに『沙石集』からこんな話が引かれていた。

>>『首楞厳経』には1つの喩えが説かれていて、演若達多という者が、朝起きて鏡を見ると、自分の顔が見えなかったことを、誤った持ち方をしているからだとは思わずに、鬼の仕業だと思い込んで、首から上が無くなったと勘違いし、驚き騒いで走り回ったことがあった。人の諫めも聞かなかったが、流石に、周りの人が余りに教え諭すので、鏡をよくよく見たところ、頭が戻ってきたと思った。このように、愁いが無いところで愁い、また、喜びを起こさずとも良いところで喜ぶ。
 このことが喩えているのは、無明の心とは、理由無く頭が無くなったと思って、それを求めるようなものである。本覚の明心は、かねてより失われたことが無い。それは頭が無くなったと思い込むのと同じで、失ったように思っているだけだ。始めて見つけて、それを得たと思うのは、始覚門で菩提を得るようなものだ。<<

これを読んで、「信仰の夜」のことをまず連想した。

あのマザーテレサや十字架のヨハネも悩んだという「信仰の夜」だ。

彼らは人生の途中で神を見失い、闇の中で苦しんだと言っているわけだが、それも、「鏡が裏返った状態」だったのだなあ、などと思える。

逆に言えば、回心体験とか神秘体験とかいうのも、自分の視線の方向が変わったのではなくて、突然鏡が裏返ったようなものかもしれない。
何が、鏡を、自分と神を映す方向に回してくれたのか…は永遠の謎だけれど。

などと思っていたら、洗面所で、脇にあった鏡に自分の顔が映っていず、一瞬驚いた。

暗くゆがんだ光だけがある。
ちょっと怖い。

実はその置き鏡は、両面鏡で、片面が普通の鏡、もう片面がかなり大きい倍率の凸レンズなのだ。自分の顔のディティールが見えないので一応セットしてあるものだ。
普段は見えなくても気にならないので使わないけれど、たまに目に異物感があるとまつげが落ちて入っていたりするので置いてある。

で、それが、凸面の方がこちらに向いていて、屈折率が大きいので、まっすぐ正面から見るとちゃんと自分の顔が見えるけれど、離れたところから斜めに視線をやると、いったい何が映っているのか分からない光や歪みだけが見えていたのだ。

なるほど、と思った。

普通の鏡が、鏡面でない方に裏返っていたら、「見えない」だけですむことでも、鏡の特殊な反射を持つ側に裏返っていたら、「異様なもの」「ゆがんだもの」が見える。

神を見失う、とか、無神論になる、とかではなく、
亡霊の影に怯えたり、悪魔の存在を信じたりもしそうだ。

なにごとも、しっかり自分の目で見つめる、だけではだめなので、
どういうものを通して、
どういうアングルから見るのかを、
いつもチェックしなくてはならない。

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by mariastella | 2018-02-05 00:05 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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