L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 384 )

日光その3 奥日光の滝


まず、華厳の滝へ。

これを見るのは何十年ぶりかで、下に降りていくエレベーターももちろんはじめて。
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屏風岩がきれいだ。

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ガイドして下さった方のイチ押しが湯滝。


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急流に添って降りていけるのが竜頭の滝。


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どれも違った持ち味で変化があって楽しい。

中禅寺湖に戻る時、日本猿の親子も見た。

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by mariastella | 2017-11-03 00:09 | 雑感

日光小旅行

ハロウインの日、いろは坂を車で登っていくと、標高1300mから1900mまでが今紅葉の真っ盛りということで、最高に楽しめた。
赤と黄のツートンカラーの楓も美しい。

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by mariastella | 2017-11-02 00:06 | 雑感

三年寝太郎

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厚狭駅 (山口県)前の「寝太郎」像の前で田村洋さんと記念写真。1977年の第19回パリ国際ギターコンクールで作曲部門受賞なさってからちょうど40年ということで、田村さんの新曲を発表できて光栄でした。

私たちと田村さんの出会いからもちょうどまる三年なので、
寝てたわけではないですが、なにか感慨深いです。


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by mariastella | 2017-10-29 00:05 | 雑感

シャークタワーを見て思ったこと

ホテルの部屋でTVをつけたらたまたま、伊戸というところの海中で繰り広げられるシャークタワーというのを見て驚いた。

そこは置き網漁業の場所で、サメに網を食いちぎられるなどの被害に悩んで、餌をやることにしたという。すると、すっかり餌付けされてしまって、決まった時間に餌がもらえるのだから、人間はお友だち、ダイバーたちが潜って撫でても平気、どこのイルカさんですかという雰囲気で、すごい数のサメがタワーのように泳ぎ回る。


これで漁の被害はなくなり、世界中からダイバーやカメラマンたち

が集まり観光資源にもなっているという。


サメというと、フランスでも人が襲われたというような話題ばかりで、凶暴なのだと思っていたけれど、考えてみたら別に人間を憎んでいるわけではないわけで、空腹や防御反応などから来ているのだろう。

サメの種類や生きる環境によって一概には言えないのかもしれないけれど、天然のサメを餌付けすることができる、共存の関係性を作ることも不可能ではないのだなあと感心した。


人間の社会でも、凶暴だ、狂犬だ、根っからのアウトローだ、テロリストだ、好戦的で挑発的な独裁者だ、などと忌み嫌われていて、取り締まる、排除する、抹殺するなどと言われる人やグループが存在する。

でもそういう人に、やみくもに圧力をかけたり、より強い力で制圧しようとする以外の道があるんじゃないかと、生き生き動くサメたちを見ていて思ったのだ。


貧困や差別が、社会からの「落ちこぼれ」を作り出し、恨みや欲求不満から「過激化」を招くというのはすでに言われていることだ。


監獄を増やすよりも学校を増やし、衣食住に安定した満足を供給することが必要なのは自明だ。

全ての人が飢えることなく安全に生きる権利があるというのは本当だ。

一時の「バラマキ」などではなく、調和のとれた共存を実現するためには何が大切なのかについて改めて考えさせられたシャークタワーだった。



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by mariastella | 2017-10-28 00:05 | 雑感

日本共産党って

フランスでTVを見ていたら日本共産党が出てきた。


ロシアの10月革命の100周年(と言っても今のグレゴリオ暦では数え方がずれているし、はっきりと日付を特定しないことが多いが)なので、「マルクス主義、共産党は果たして今でも生きているのか?」という特集があちこちである。

10/17の夜のarteで、ベルリンの壁と共に共産主義は崩壊したけれども、


「知っていますか、みなさん、今でも共産党が元気な国ってあるんですよ。」


という感じのコメントがあった。


中国とか北朝鮮の話ではない。

なんと日本共産党だった。

先の選挙で議席を倍増した、機関紙の赤旗は大部数だ、若者向けのアピールもすごい、と言って、志位さんの写真が出て、アニメの広報ビデオが映されて、かわいいネーミングのキャラが紹介される。


日本のいわゆるネトウヨの言説を見ていると、今でも共産党は、「アカ」、「反日」などのレッテルを貼られているけれど、若い世代にはハードルが低くなっているのだろうか、と一瞬思った。


思えば、ボルシェビキとは縁を切ったと宣言したフランスの共産党も、今もトロツキストの末裔はいていろいろ枝分かれしているにしても、実質すっかり影が薄くなって存在感はゼロに近くなった。大統領選にも独自候補は出さない。

5月まで政権の座にあった社会党でさえ、大統領選で惨敗し、マクロンに新党を作られて解体に近くなった。


それにくらべると、確かに日本では「社会党」が看板を降ろしたのに共産党は存続して「ぶれない党」として存在感を持ち続けている。「欧米」から見たら「驚き」の状態なのだろう。


ソ連で、マルクス主義に一番近いのはイスラムだ、と言われていたことも紹介されていた。

マルクス主義と普遍宗教は、その普遍主義と国際主義においては確かに共通しているけれど本質的には違います、と歴史学者が注意していたが。

確かに今一番「元気」な革命はイスラム革命のようにも見えないでもない。


ボルシェビキ型革命が失敗したのは、「平等」を実現するために「自由」を制限したからだろう。イスラム革命も「救い」を実現するために「自由」を制限する。

「自由」の中で「平等」を実現するには、「公正さ」が必要で、私利私欲にまみれたり「お友達優先」の非公開主義に陥ったりしないためには、何らかの形で「超越的な視点」を導入しなくてはならないのだろう。


難しい。



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by mariastella | 2017-10-20 07:31 | 雑感

憲法九条とニーチェとピンカーさん

時々読んでいるリテラにこういう記事があった。


ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞に対して、核兵器禁止条約に署名しなかった日本政府はばつが悪いんじゃないかというものだ。


オバマ大統領でさえトライしようとした核先制不使用宣言にさえ水を差したのだから確かにひどい。


ICANが日本の被爆者の証言から生まれたというのは注目すべきことだ。


私は、2003年のブッシュ大統領のイラク派兵に反対して外務省を追われた天木直人さんのブログも時々読んでいる。新党憲法九条というのを立ち上げて、東京21区から今回立候補されている。

彼が、憲法九条こそが日本が世界に誇れる宝、安全保障のための最大の手段と言うのは分かる。

実際、昨日の記事に挙げたリンカーンの就任演説と同じで、「人類の宝」のような演説や宣言は決して少なくない。

憲法九条がアメリカ軍に押しつけられたものだからよくない、などと言う人がいるけれど、アメリカだって、十分に立派な人類普遍の理想を自分たちでも掲げてきたのだから、ただあの時点で敗戦国にもう武力を持たせない、というだけの思惑で日本に不戦宣言を押しつけたのではないだろう。

彼らにも彼らの「理想」の文脈があった。


でも、憲法九条の


 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

というこれだけを見て、「宝」だと持ち上げると、


「現実が見えていないお花畑だ」とか

「では敵に攻めてこられたらなすすべもなく滅びてもいいんですか」


などと必ず言われることになっている。


憲法解釈をめぐっていろいろな説が飛び交う様子は、あたかも、聖書解釈をめぐっての二千年にわたる論争のようだ。


実際、イエス・キリストなんて、二千年も前に


「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。

しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。 (マタイ5,38-40)」


などと、「現状認識」にかけ離れ、危機管理の意識がこれっぽっちもないお花畑で不都合なことを口にしている。被虐趣味ですか、と思われかねない不戦主義だ。


で、本当に、あっさりととらえられて抵抗せずに十字架にかけられてしまったのだから言行一致ではある。

その後、復活と聖霊降臨という不思議なことがあって、その途方もない生き方に続くキリスト者たちが現れ、次々と、大量の殉教者を出した。


その後、権力者に採用されたキリスト教は今度は大量に殺す側にも回っているのだから「なんだ、これは」と言いたくなる。


けれども、二千年のスパンで見れば、日本国憲法の前文にまで、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とか「政治道徳の法則は、普遍的なもの」だとかいう言葉が出てくるのだから、「お花畑の力、恐るべし」とも思う。ピンカーさんの言うとおりだ。


殉教者とは殉教証者であって、信仰について証言する人だ。

ICANが日本の被爆者たちの証言の上に立って活動したというのは大いに意味がある。

なぜなら、ただ核非保有国が集まって核兵器廃絶と唱えることに対して、「負け犬の遠吠え風」の印象を持つ人が少なからずいるからだ。銃を持たない人が銃を持っている人を非難するのも同じように見なされる。


その時思うのは、なぜだかニーチェのことだ。


ニーチェによれば人間は自然状態ならそもそも力を行使したい、他人を支配したいという欲望を持っている。迫害や破壊にも喜びを感じる。しかしそれでは「類」として生存できないからそれを抑え込むために「良心の疚しさ」というのを導入した。言い換えれば、「力を抑制する、力の発動を放棄する」というのは、もとにある権力欲が「鬱屈」したものだというのだ。

特に、自然状態での弱者は、この疚しさをカバーして自分の支配欲を内に抱え込み、外に対して非暴力という「正義」を掲げる。自ら率先して武装解除し、正義を掲げることで強者の攻撃本能やら支配欲を批判し抑え込む。

強者を平準化して弱者と同じレベルに引きずり下ろすためだ。

つまり、弱者のルサンチマンが近代社会の平和や人類愛という「正義」を生み出した。

銃がない人は、自分で銃を持とうとする代わりに、銃を持っている人にそれを捨てさせようとするし、核兵器のない国は集まって核兵器廃絶条約を唱える、というわけだ。


でも、ICANの運動は、違う。


ある時点におけるパワーバランスの不均衡を是正する目的などではない。


実際に被爆した人の犠牲の上に立って、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と日本国憲法前文がいうのは、ルサンチマンとは違う。

リンカーンも同じだ。

南北戦争の前に(連邦を護るために)「流血や暴力はなんら必要ではありません。そしてそれは政府の権力に強いられないかぎりありえません。私に託された権力は、政府に属する財産や土地をもち、使用し、所有すること、そして税と関税を徴収することに使われることでしょう。しかしこれらの目的に必要と思われることを越えては、いかなる場所の人々に対しても、またそのあいだでも、武力が行使されたり、侵害したりすることはないでしょう。」「法的に厳密に言えば、政府にはこれらの職務の遂行にあたって、権利が存在するかもしれないが、そうする試みは非常にいらいらさせられることでもあり、その上ほとんど実行不可能で、あえてしばらくはそのようなことを控えた方がいいと私は考えています(リンカーン就任演説)」と言っていた。

それにもかかわらず戦争に突入し、その後では


「誰に対しても悪意をいだかず、慈悲の心で接し、神がわれわれに正義を目にするように与えた正義を固く信じ、われわれが取り掛かっている仕事、つまり国家の傷をいやし、戦いに耐えてきたものや未亡人、孤児をケアし、われわれ全ての国民のあいだに正しく永遠につづく平和を実現し、はぐくむ仕事を終えるべく全力を尽くそうではないですか」と呼びかけた。


ルサンチマンとは思えない。


どんなに有効に見えても、「目には目を、歯には歯を」の軍備拡張の方向に向かってはいけないし、それは決して、負け犬の遠吠えでもない、と思いたい。


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by mariastella | 2017-10-17 00:24 | 雑感

「赤いキリスト」チェ・ゲバラの回想

109日は、チェ・ゲバラが死んでちょうど50年目だった。

1ドルが360円の固定為替で、パスポートも一回限定みたいな半世紀前の日本の高校生だった私に、ボリビアで殺されたゲリラのニュースがあれほど衝撃的だったのはいったいなぜだろう。

今ちょうど、「神、金、革命」の執筆を再開して、「革命から、神、金」へと回収されていった例としてゲバラのことを書いていたので、あらためて感慨を覚えた。

あの頃すでにキューバが徹底してゲバラを神格化するのに成功していたということだろうか。いやあの時点ではまだ「英雄」だった。


共産主義国家となったキューバといえども、カトリック文化は浸みわたっている。

ゲバラがイエス・キリストと同じ30代(39歳)で殺されたことではじめて、革命の「英雄」から、「殉教者」「殉教聖人」への格上げ、いや、その死に顔の映像が「イエス・キリスト」にそっくりだ(ゲバラがスモーカーになったのもイエスのように髭をはやしたのも、ゲリラ戦中にジャングルでの蚊の攻撃を防ぐためだったと言われる)というので、ゲバラのキリスト(=メシア、救世主)化の路線ができたのだと思う。

その時点ではまさかフィデル・カストロもゲバラと同世代(2歳年上)の自分が90歳まで生き延びて共産圏の崩壊を目にしたりローマ法王の調停を歓迎したりするなどとは思っても見なかっただろう。

革命の勇士を「神」と祀りあげるためにいろいろな演出がなされた。

そして、ラテンアメリカの「神」と、「死者の祭」は切り離すことができない。


で、ゲバラの「聖遺物」探索がはじまった。


ゲバラの遺体から両腕が切り離されて25cmのガラス瓶にホルマリン漬けされたという話にもすでに「聖遺物」幻想がある。(その聖遺物は1969年にボリビアの内務大臣からデスマスクと共にジャーナリストに託されてキューバに届いたという。石膏のデスマスクには髭や髪がついていた。)


キューバとボリビアの国交が回復した時に、キューバは歴史学者をボリビアの大使館に送って、ゲバラの腕時計や愛用のカップなどを見つけてキューバに送らせた。


ゲバラの異名は「赤いキリスト」である。

ボリビアはと言えば、独立後のボリビア革命によってインディオの権利を認めたりしていたのに、何度も何度も覆った。要するに、錫鉱山や天然ガスなどの資源をめぐって、アメリカが「傀儡政権」を通して利益をひとり占めしようとしたからだ。

ゲバラはCIAの指示でボリビア軍に殺された。

イエスの頃のユダ王国がローマ帝国の属国だったことと重ね合わせて、CIAがローマ帝国で、ボリビア軍がユダヤの既得権益者にあたると形容された所以だ。

今からちょうど20年前にゲバラの遺体がボリビアの空港滑走路脇で発掘されたという話にも怪しい部分がたくさんある。

ハバナの法医学者が調査隊を率いたこと、TVが賞金までかけて大騒ぎした後、「発掘」は結局秘密裏に行われ、3日間はメディアに伏せられ、アルゼンチン人の法医学者はその後にしかチェックできなかった。

しかも、DNA検査がされていない。遺体に両手がなかったこと、骨がホルマリンで変色していたこと、歯や眼窩の形でゲバラだと断定された。


発掘の責任者はボリビア人だが、もとキューバのボリビア大使でカストロ議長と親しい人物だった。


遺体は大々的にキューバのメモリアルホールに埋葬された。

他にもいろいろある。その「怪しさ」は、十字軍時代の「聖遺物」ブームと共通するあやしさだ。殉教者の「聖遺物」がブームとなったのは、それを手に入れた修道院や教会が巡礼地となって「経済効果」があったからだ。

古代ローマ世界の殉教者たちの「聖遺骨」が、ヨーロッパ中で崇敬されたように、ゲバラは故郷のアルゼンチンから切り離されて、聖遺物を基盤とする普遍的なイコンとなった。

ゲバラの肖像は、Tシャツ、キーホルダー、ありとあらゆるグッズとなっている。

カトリック世界で、今でも十字架やロザリオや各種聖人のカード、聖遺物(墓の土など)が配されたメダル、ペンダントトップが人気だ。「信者」でなくともアクセサリーとして、あるいは単なるお守りグッズとしてそれを身につける人もたくさんいる。同じように、「聖ゲバラ」グッズを購入する人たちはゲリラでも革命家でもない。

ゲバラは神格化され、すべての「神」のように、グッズに姿を変えた。

ゲバラのキーホルダーを購入する人は、ゲリラなんかにならない。

お守り十字架を購入する人は、自分や自分たちのためにお願い事をする。

ゲバラは五人の子供に手紙を残している。

「(…)君たちの父は、考えに従って行動し、信念に忠実な男だった。

良き革命家として大きくなりなさい。(…)

世界のいかなるところで誰に対してなされる不正に対しても、君たちの最も深いところで、感じることができるようにしなさい。それこそが革命家の最も美しい長所なのだから」

ナザレのイエスが福音書の中で言い残したことと変わらない。


自分はイエス・キリストではない、十字架にかけられるよりも武器を取って敵と戦う、とゲバラは言っていた。

「世界のあらゆるところで繰り広げられる不正を解消するために行動を起こす共感の力」の大切さを訴え、それが革命家の最も美しい長所だという部分はイエスと変わらない。イエスの行動も、剣をとって戦う「革命家」よりももっと「危険」だと見なされたからこそ、捕らえられて殺されたのだろう。

時代が変わっても、


不正と戦い、弱者を護るために強者に立ち向かう人は、


殺された後で多くの人の罪悪感を刺激して、

「英雄」「聖人」「神」

と仕立て上げられることで「毒気」を抜かれ、

偶像(アイドル)崇拝のグッズとなって経済を活性化するのかもしれない。

ゲバラの死にあれほど衝撃を受けた半世紀前の高校生の心の「最も深いところ」に合ったものをもう一度見つめたい。


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by mariastella | 2017-10-10 02:18 | 雑感

ノーベル平和賞

北朝鮮問題が「国難」とされているこの時期に、ノーベル平和賞が核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に与えられたというのは久しぶりにいいニュースだった。日本の「憲法九条」にノーベル賞を、なんていう運動もあったけれど、日本は核兵器禁止条約にさえ賛成しなかったのだから、憲法もかすむ。

このことについて考えることもあるのだけれど、今日はこれについて二つのブログを読んだので、ひとまず気が落ち着いた。

このブログ  

このブログ  です。

フランスではマクロン大統領が次々に高飛車に「口を滑らせて」、教養のある雄弁家のイメージのはずが、すっかり、「サルコジの再来」扱いされている。

今にして思うと、サルコジにはそれなりの愛嬌があった。

まあ、リーダーに必要なのは別に愛嬌ではないけれど。



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by mariastella | 2017-10-07 07:32 | 雑感

最近のニュース: マルセイユとラスベガスのテロ、サウジアラビアとカタルーニャなど

先日、マルセイユの駅でテロリストに喉などを切られて二人の女性が死亡したニュースがあり、今回は警官や兵士を狙ったものではない、いわば「弱者」狙いだからショックを受けた。


これでまた、もう2年近く続いている「緊急事態」が延長されるか、普通法に監視事項が増えるかもしれないという危惧と、ナイフで襲われるなんていやだ、という生理的な恐怖も沸き起こる。。


そうしたら、その後すぐに、ラスベガスの拳銃乱射で58人もの死者、500人以上の負傷者が出て大パニックというニュース。


「これでフランスのテロの影が薄くなってよかった」

「さすが拳銃社会のアメリカは規模が違うなあ」

「アメリカでは分かりやすくアラーの名を叫ばなかったからまだテロ認定していないみたいだけれど、イスラム過激派のテロでなくても、これはテロだよね」

「日本でも秋葉原の無差別殺人とかあったよね、運が悪いとどこでも危険なのは同じ」


などと、身近で起こっている「悪」や「恐怖」を相対化してしまおうという妙な自衛本能からか、つまらないことばかり頭をよぎる。


一般人が銃を持つ拳銃社会でなくても、武装した過激派によるテロ、爆破テロ、トラックで突っ込むテロ、など、なんでも起こり得るし、実際、起こったのだけれど。


遊興のパラダイスとして成り立っているラスベガスだから、翌日から半分は通常営業しているらしいことにも驚いた。これが他の場所だったら、三日間くらいは全体が喪に服して営業停止となってもおかしくないのに。

これまで、テロがある度に、ろうそくや花束を持って人々が集まるシーン、黙禱のシーンばかり見てきた。

見慣れてしまってインパクトがへったなあ、と思っていたが、商業価値を第一にして、ラスベガスの名と惨事が結びつかないようにと最大の配慮がなされているようなのも怖い。

サウジアラビアで女性の運転が解禁になったというニュースも異様だった。

あの真っ黒の装束のまま運転しているのが何度も映されたからだ。


運転するなら髪や顔を隠さないこととセットにするべきだ。


サウジの男たちですら、運転する時は視界が悪くなるから頭巾を外している人が多いのに。

しかも、全身たっぷりとしたアバヤで覆って目だけ出していると、正直言って、中身が男か女かさえ分からない。腹に自爆ベルトを巻いていようとも武器を隠し持っていようとも分からない。

黒づくめの人が運転する車が迫ってきた方が何かおそろしい。


カタルーニャの独立投票もひどかった。スペイン政府は投票の結果がどうあれ選挙自体が違法で無効と言えばいいだけなのに、警察力で排除しようとしたので、ことは、独立がどうとかいうより、投票の自由、投票という形の表現、意見表明の自由を力で排除(90人以上の負傷者が出た)するという結果になった。

それに反発してにわかに「分離派」になった人もいるほどだ。


これからどうなるのだろう。


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by mariastella | 2017-10-04 02:16 | 雑感

「真理とは何か」と「フリーメイスンのロシア文書」(月刊雑誌から)

哲学の月刊誌『Philosophie magazine』の「真実とは何か」の特集で、久しぶりにMichel Serresがインタビューに答えているので買った。
もう87歳だが、もっとも信頼できる知識人の一人。

今の情報社会では「真理」を求める方向が変わってきている。
「アスピリンは効くのか?」というのを調べる代わりに、
「アスピリンは効くと思っている人はどのくらいいるのか?」という方向になっているのだ。

真理とはいつも、長く、謙虚で、忍耐強い探求の実りである、という。
探求の過程そのものに真理が宿っているのかもしれない。
その方向が間違っているかもしれないという可能性を認める謙虚さも必要だ。

どこに軸足を置くかによって、論理的思考も変わってくる。
天動説と地動説みたいなものだ。
科学的真理とは別に、軸足を置く場所から見た真実というのもある。
みんなが地動説を認め、地球が太陽の周りを回っていることは納得しながら、毎日の生活ではやはりどの国でも、誰にとっても、日が東から昇り、西に沈み、太陽が高くなったり低くなったり、月が満ちたり欠けたり日が長くなったり短くなったりする。
それを蒙昧だとして表現が修正されることなどない。
真理の探求の出発点からすでに足元を確認する必要があるわけだ。

ついでにフリーメイスンの雑誌を買ったら、1999年にロシアからフランスに戻ってきた文書についての記事があった。
1940-45年、フランスのフリーメイスンは表向きにはすべて壊滅し、多くの文書が破棄されたのだが、ソ連のKGBの書庫に、グラントリアンの文書が段ボール750箱、フランス・グラン・ロッジのもの350箱、人権ロッジのものが30箱保存されていたのが冷戦後に分かったのだ。
全部で数十万点という記録は、18世紀以来、共和国の教会と呼ばれるくらいにアクティヴだったフランスのフリーメイスンの貴重な歴史を伝える。おもしろい。

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by mariastella | 2017-09-30 06:50 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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