L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 422 )

オリエントのキリスト教徒

中東のイラク、レバノン、シリア、トルコやエジプトなどにはイスラム化した後にも、20世紀初めには人口の4分の1くらいの、キリスト教徒が残っていた。

それがどんどん縮小して、21世紀に入ってからの中東情勢の悪化で、途方もない数の犠牲者を出し、亡命する人も多く、今や30分の1と本当にマイノリティになっている。キリスト教の揺籃の地でキリスト教徒が完全に排除されると、彼らと共生していたムスリムも、ますます過激派に生活を脅かされるのでは、原理主義化するのでは、と恐れている。


「オリエントのキリスト教徒を救おう」という世論がヨーロッパで盛り上がるようになったのは、ISのような過激派がイラクやシリアを占拠し始めてからだ。


それまであまり意識していなかったのだけれど、近代以降、オリエントのキリスト教徒が中世よりももっと激しく弾圧され始めたのは、ムスリムから、「キリスト教徒は欧米文化の共犯者」とみなされたからだという。


つまり、近代以降、


「キリスト教 = ローマ・カトリックとそこから分かれたプロテスタント =  欧米帝国主義」


というシェーマが出来上がったことで、憎悪と迫害の対象になったというのだ。


もちろん、オリエントのキリスト教は、イスラム誕生に先行する文化だ。

モーセもイエスもエジプトからパレスティナに戻り、イエスはパレスティナで殺され、使徒たちはパレスティナで布教した。

ローマ帝国やヘレニズム文化の版図にも広がったので、地中海沿岸を中心に中東はもとより北アフリカにも根付いた。

オリエントのキリスト教は、後のヨーロッパ帝国主義国のキリスト教よりもずっと古いし、アメリカのキリスト教などはイスラム登場よりもはるかに後のプロテスタント植民者から始まった。


欧米帝国主義国の覇権主義は、産業革命やら様々な要因によって増大したが、キリスト教自体から来ているわけではない。

彼らにとっての「新世界の発見」が宣教師たちの福音宣教魂に火をつけた部分はあるにしろ、帝国主義者全員がキリスト教アイデンティティを持っていたのは、キリスト教の権威を支配のツールにし続けてきた為政者たちの思惑が成功した歴史的な実情以上の部分では大きな意味を持たない。


それなのに、「キリスト教=欧米」と言われてしまうのは、日本を見ていても分からないではない。

「欧米」経由でキリスト教が入ってきて、欧米帝国主義と対峙しなくてはならなくなったせいで、「日本のキリスト教徒= 欧米かぶれ=日本の伝統を捨てた者」のように見なされる言辞は、21世紀の今ですら残っている。


けれども「親欧米」が、中東のキリスト教徒の迫害の口実になっていたとは。


イラクのカルデア派を始めとしてカトリックと近い宗派も確かに少なくない。

でも、中東のキリスト教の方が、言ってみれば本家本元なのだ。


それに、日本のように、キリスト教は採用しなくても、しっかり親欧米の国はある。キリスト教の根源にあったヒューマニズムや普遍主義(共同体を地縁や血縁で縛らない)が少しずつ形成してきた「国際社会」の原則に合意が成立しているからだ。

中東のキリスト教徒が、そのような「欧米帝国主義シンパ」という言いがかりをつけられて迫害されていたことに対して、欧米のキリスト教はずっと無関心であり続けてきた。


彼らの多くにとっては、キリスト教はもはや「政治」とは関係がなく、そのエッセンスを昇華した自由平等主義が旗印なのだから、中東の「キリスト教徒共同体」がキリスト教であるということだけで迫害されていることなど、アナクロニズムでしかなかったのだ。(続く)


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by mariastella | 2018-01-23 00:05 | 雑感

対日関係新思考

昨年秋にいただいたままの『中央公論』を正月休みになってようやく読み始めた。

10月号にあった論考で、馬立誠の「対日関係新思考」というものの存在を知った。

近頃、どう考えても、最も危うい問題は朝鮮半島にあるのではなくて中国にあるのではないか、米中の新しい「冷戦」時代に入っているのではないだろうか、と考えて深刻な気分だったので、このような考え方が2002年からあったこと、そして中国の若いエリート層から少しずつ認知されているらしいことを知って、救われた気分になった。

ネットで全文読めないかと探したが、かなりの量がこのブログで引用されていることが分かった。

この引用の後には、日本軍と戦ったフィリピンで18歳で戦死した米兵の両親が、保険金で息子の通っていた大学に奨学基金を設立して日本の若者の留学を援助することにしたエピソードが述べられている。奨学生第一号は元特攻隊員で、その後は日米友好のために尽くした。中国はアメリカを社会の現代的管理を進めるモデルにしているのだから、アメリカの日本との関係の処理の例も参考にせよ、という文脈だ。


このブログにはこの記事だけでなく他にもいろいろ有用な情報が紹介されているし、ホームページの方も充実している。少しずつ過去ログを読んでいく。



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by mariastella | 2018-01-19 00:05 | 雑感

カルメン、セリーヌ、ドラクロワ

ビゼーのオペラ『カルメン』のフィレンツェでの新演出が話題になっている。
ラストシーンが、カルメンが殺される前に銃をとってホセ撃ち殺すことで終わる。

このビデオの1:15あたりからがそのラストシーンだ。
ハリウッドのスキャンダル以来のフェミニズム全体主義だと批判する人もいる。

ヒロインは、このカルメンの正当防衛は自由を求める彼女の生き方の当然の帰結だと言っている。

これについてあまりコメントするつもりはない。
ただ、この世界で一番多く上演されていると言われるオペラのストーリーと結末と音楽は一体化しているので、これまでの演出は十分正当化されると思う。
これを見て、自由に生きると殺されるんだなあ、おとなしくしていよう、なんて思う女性の観客はいないし、いざとなったら女を殺すという手もあるな、などと思う男もいないだろう。全員が芸術的なカタルシスを得られて、拍手喝采して幸せな気分で家路をたどる。悲劇的な結末に共感したからではない。
ストーリーと、それが音楽と共にもたらす効果は、リアルなレベルとは別のところにある。このラストでカルメンがホセを殺してしまうのでは、芸術の緩慢な自殺に似ている。プロスペル・メリメの原作小説がある、ということも看過できない。

フランスではこのほか、これまで封印されてきたセリーヌのユダヤ主義パンフレットをガリマールが出版するということについても喧々諤々の議論が起こっている。ヒトラーの『我が闘争』の問題にも似ていて、すでにネットでは読めるし、カナダでは出版もされている、ということで、野放しにするよりも、ちゃんと解説をつけて出版した方がいい、という人と、『夜の果てへの旅』の名作家の全貌を知ることと政治的検閲は別だという人とに分かれる。

これら全部をピューリタンの原理主義で、表現の自由や芸術を弾圧するものだとして批判する人もいる。

女性を殺すというのを検閲しなくてはならないなら、ドラクロワの『サルダナパールの死』も不都合だから隠さなくてはならないだろう、と揶揄する人もいる。

どういうテーマがどういう歴史的、芸術的な文脈で描かれたのかを無視して論ずることはできない。

暴力表現が暴力を誘発するとは限らないし、まったく逆の非暴力のキャンペーンに使うこともできるだろう。
イエスの磔刑図だの夥しい殉教者図なども、見方によれば子供の情操教育にとても悪そうだ。

最近知り合いがヴァーチャル美術館のサイトを始めた。まだまだ続くが、今見られるだけでも、神話や黙示録や文学作品やらいろいろ解説(英語とフランス語)されていてよく分かる。人間性を知る手段として絵画表現があってほんとうによかった、と思う。





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by mariastella | 2018-01-15 00:05 | 雑感

想像力

昨年のクリスマスに寄せたフランスのプロテスタントの言葉に、

イエスの誕生譚(ノエル=クリスマス)とは、

何かおかしな妊娠、

恥辱を克服した夫、

旅先の馬小屋での出産、

貧しい羊飼いたちが最初に知らされる主の誕生、

博士たちが貧しい赤ん坊の前に跪く、

権力者による幼児殺害命令、

着のみ着のままでの家族の逃避行、

etc...

そう、これは今の私たちの生きる世界だ、

と書いてあった。


パリのユダヤ教の大ラビはこう言っていた。


2015年のシャルリーエブド襲撃に続いたユダヤ人スーパーの人質事件を振り返り、あの時、人々が、「私はシャルリー」というように「私はユダヤ人」と言って共感を示してくれたのは感謝している、でも、その年の11月の多発テロで、パリのカフェやコンサートホールで不特定多数が犠牲になった時に初めて、人々は、ユダヤ人でなくてもみなが標的になるということを理解した。


他者への「同情」や「連帯」と「当事者」意識との違い、はどう埋められるのか。

そして、誰もが真に当事者になるためには、みながアトランダムに犠牲者になるかもしれないという脅威が必要なのだろうか。


地震の起きないパリに住んで日本やハイチの地震に同情する、

原発施設のない地域に住んで反原発を口にしたり、原発の必要性を説いたりする、

米軍基地のない場所に住んで沖縄の人に同情したり我慢しろと言ったりする。


本当は、この地球の誰の身に起こる脅威でも、すべての人にふりかかる脅威なのだ。


さまざまな国や民族や人々がばらばらで敵対しているように見え、環境は破壊され地震や洪水などの自然災害も絶えないように見えるけれど、主義信条の対立する人も脅威となる自然も、実は根っことなる命でつながっている。

めぐる月日も、夜空の星も、どんな人もおなじように吸っている空気も、何一つとして誰かが力によって奪ったり獲得したりしたものではなく、私たちに平等に与えられたものだ。


私たちはそのことに納得もできるし、思い描くこともできる。

すべての人が共有する脅威という形ではなく、すべての人が共有する感謝や希望という方向に想像力を広げよう。



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by mariastella | 2018-01-14 00:05 | 雑感

新年の事始め

今、今年初めのカルテットの練習から帰ってきたところだ。

今週は月曜日にクラシック・バレエ、火曜日にコンセルヴァトワールでのトリオの練習、水曜日に生徒たちが来て最初のレッスン、木曜にバロック・バレエの最初のレッスン、と続いて、今、コンセルヴァトワールで弦楽カルテットに行ってきたところ。

今日から始めた新曲はテレマンのドン・キホーテ組曲。
弦楽協奏曲だけれどそれをカルテット用に編曲したもの。悪くない。
今日は序曲と、風車に突撃するドン・キホーテの部分を演奏した。

実は最初にモーツアルトとトルレリをさらった時はあまり気分がのらなかった。
でも、このドン・キホーテで、一気に正月、というか、新年のスタートという気分になれた。音楽療法って本当にあるなあ、と今さらながら思う。

ピアノの生徒の1人(思春期の若者専門の心理療法家)と、バロック・バレエの仲間と、例のme tooの話をした。

フランス人的にまず驚くのは(日本人も同じかもしれないけれど…)、あんなに強そうに見えるアメリカの女優達とかが、今になってセクハラを告発し始めたことだ。セクハラという言葉はポリコレ(ポリティカリーコレクトネス)と同じでアメリカ発であり、ピューリタンのアメリカはいろいろ厳しいし、女性も好戦的で黙っていない、というイメージがあった。「自由の国アメリカ」というイメージはフランスにも一応浸透していたのだ。アメリカの二枚舌、ダブルスタンダードというのも、「フランスの常識」の一つではあったけれど、女性差別や人種差別がいまだに深刻な「今日的問題」というのには軽くショックを受ける人が多い。

それでも、ル・モンド紙のフランス女優らの声明の文面が、突っ込みどころが多すぎたのは残念だった。何につけてもよく言われるのだけれど、新たな法律を作らなくても、現行法できっちりと対応できるはずなのに死文化しているものが多すぎる。

確かに、セクハラなど性的な分野においては線引きは難しい。
日本における痴漢冤罪というのはすごいなあ、これでは確かに、男性は大変だろうといつも思っていた。それでなくとも、性関係において確かに合意していたはずの女性が、復讐など何らかの理由で相手を陥れようと思えば、「合意がなかった」と言えば認められる可能性があるのならこわい。

だからいろいろ考えていくとやはり一般論では言えない。
アングロサクソン型の犠牲者主義、加害者と被害者の二元論というのも不毛で、全体主義や原理主義に流れる危険性もあるのだけれど、
フランス風ギャラントリーの文化も、確かに差別の裏返しという側面もある。

私に対して「日本人はスーペリアな民族だ」というお世辞を言うフランス人がいる。
それはすぐに不愉快なものではない。

でも、そういう言い方は、

「自分は民族をランク付けする立場である」
「日本人より劣る民族がいる」

という含意がある、と言われてもしょうがない言い方だ。

同様に、たとえ、お元気ですね、お若いですね、おきれいですね、などという、耳に心地よいお世辞だって、「元気で若くてきれい」なのがよくて、「病気だとか年寄りだとか障害がある」のが悪い、という含意があるだろう、と言われると何も言えなくなる。

すべての言葉も動作も、その意味は、時と場合と相手との関係によってはじめて決まる、としか言いようがない。
けれども、その中でも、それが、弱い立場にある人を傷つけるような「力」として働くものはしっかりと分別して正していかなくてはならない、ということなのだろう。

(今日の予約投稿にリンクしておいたチベットの高僧の葬儀だが、やはり参加することにした。彼と家族的な関係を築いてきた一人として、彼を看取った人の哀しみに寄り添うことは必要だと思ったからだ。そのうちレポートします。)



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by mariastella | 2018-01-13 02:12 | 雑感

チベット高僧の死

先日の記事で触れた、チベットの高僧が、年明けに亡くなった。
そのことで考えたことを別のブログで記事にしたので、関心のある方はどうぞ。



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by mariastella | 2018-01-13 00:05 | 雑感

Karima Bennouneカリマ・ベヌーヌ(ベノウネ)

カリフォルニアのDavis大学国際法教授のカリマ・ベヌーヌさん(アルジェリア出身)はイスラム圏の国々を訊ねてイスラム法の原理主義的適用に対抗してレジスタンスやアンチ・テロリズム活動を行っている人々へのインタビューをもとにしたベストセラー本『Your Fatwa Does Not Apply Here』を書いた。

特に英語圏の人々に、イスラム圏の国々にある草の根の人権活動や反過激派の実態を知らせたかったからだ。

彼女はもちろんフランス語も自由に話せる。アルジェリアで人類学教授であるきょうだいからステレオタイプから脱する力になる証言の引き出し方を学んだと言っている(父親も生物学教授だったというから知識人一家である)。

フランス語のインタビューを見つけた。フランス語OKの人は必見。

その中で、アフガニスタンでも女性の人権擁護をするイマムに出会ったことも話している。「もし兄弟や夫が姉妹や妻を尊重しないならばイスラムを尊重しないことになる」というイスラムの中の言葉を根拠にしている。宗教を人間が勝手に解釈していることで宗教のエッセンスを破壊することをイマムも心配しているのだ。

このカリマさん、すてき。私の好み。

日本語で何かないかと検索したらひとつだけあった。

英語のスピーチの右に日本語の訳がついている。

これはいい。日本語の訳だけ読んでも大切なことが十分伝わると思う。

一応フランス語版も貼り付けておく。


実は、この彼女が、先日の『シャルリー・エブド』でもインタビューを受けて語っていたのだが、全面的に納得させられた。(続く)


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by mariastella | 2018-01-10 00:05 | 雑感

絶対平和主義という覚悟

先日、ウーマン村本という人のテレビ(『朝生』)での発言がリテラに載っていたのを読んだ。


日本が武装解除したからといってどこの国がすぐに侵略してくるんですか、という疑問はすごく分かる。こういう感じだったらしい。

>>>

井上「ちょっと質問していいですか。村本さんはじゃあね、非武装中立ね、それは本当に一番筋が通ってるけど、私は間違った理想だと思いますが、ただ多くの人は本当に非武装中立が何を意味するか理解しないで言っているわけね。じゃあ、攻撃されたらどうしますか?」
村本「なぜ攻撃されるんですか」
井上「いや、それを言ってんの。侵略されたら、いや、侵略されないに越したことはない。じゃあ、もし侵略されたらどうするんですか。白旗を挙げて降参なの?」
村本「僕はそっちかなと思います」
井上「そしたら侵略者に対して侵略のインセンティブを与えちゃうよね。それでいいの?」
村本「なぜ侵略される、意味が分からないんですよ」
落合陽一「だって知らない人に通り魔で刺されたりするでしょ?」
村本「だからなぜ中国や北朝鮮が日本を侵略するという発想になるのか、私は分からない」

<<<

で、その後、

>>>

田原「ちょっとまって。具体的に言うと、もしも日本が米軍と自衛隊がいなかったら、尖閣は中国が取るよ」
村本「分かりました。じゃあ僕は逃げずに答えますけども、僕は、僕の意見はですよ……」
田原「取られてもいいわけね?」
村本「僕は取られてもいいです。僕は明け渡します。僕はですよ。うん」
落合「なんで?」
村本「だって、だってもし皆さんの身内に、自衛隊とか軍隊がいて、その身内が人を殺して国を守ることって……」
井上「じゃあ自分の身内が殺されるってときに、敵を殺さないと自分が殺される状況に置かれたらどうするの?」
村本「じゃあ、殺されます」
落合「なんで?」
村本「だって誰かを殺すわけでしょ?」
井上「いや、そうことを言う人は多いの、ね? で、僕はそれはほとんど欺瞞的で……」
村本「僕の考えは僕の考えでいいでしょう!」

<<<


とあり、この村本さんはネットでしっかり「袋叩き」にあったのだそうだ。

この村本さんの言葉を聞いて、沖縄に住む方から少し前にいただいたメールに書いてあった言葉をすぐに思い出した。

「基地問題
勿論要らない! 中国や北朝鮮の脅威を持ち出し、辺野古必然を言う方々多いですが、基地がない為に 日本国がやられるなら潔く受け止めたらよし。」

というものだ。実はこの言葉は私にとってすごく衝撃的だった。

私は、911の後に緊急出版した『テロリズムの彼方に、我らを導くものは何か』という本の中で、自分の平和主義者としての立ち位置を決めた。

自分に直接の脅威が迫っているわけではない時に決めておかないと、実際の危機を煽られるたりすると、理性など吹っ飛んでどう行動するか分からない、と思ったからだ。この本と、『アメリカに「NO」と言える国』で考察したフランス型ユニヴァーサリズムと、無抵抗で殺されたナザレのイエスの絶対平和主義を忘れたくないからだった。

でも、いくら心で思っていても、実際に、一応平和で豊かで自由な国で、平和で豊かで自由に暮らしている結構な身分で、「たとえ殺されても殺す側にはなりたくない」などと口にする勇気などない。

村上さんが、「そうことを言う人は多いの、ね? で、僕はそれはほとんど欺瞞的で……」と言われてしまったように、偽善的、欺瞞的、理想主義のお花畑などと言われるだろうと自分で先回りしてしまう。

こんなことはなかなか言えないだろうと思っていた。

例えていえば、広島の被爆者の方が、「核の傘に入らないとまた攻撃されるというならそれでもよし」と言っているような衝撃だ。

でも、南北朝鮮が話し合いに入り、ひょっとしたら戦争状態が終結するかもしれない、という状況が垣間見えてきた今、村本さんの言っていることの方が正しかった、と言われる日がいつか来るかもしれない、とかすかな光がかすめていった。


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by mariastella | 2018-01-07 00:05 | 雑感

戌年に捧げる

日本風の正月3日は終わったけれど、ヴァティカンのある枢機卿が飼っていた犬の話を最近読んで、犬のことを書きたくなった。


ヴァティカンには猫は勝手に出入りしているけれど、ちゃんと登録されていた犬はその犬だけで、具合が悪くなったときは、ベネディクト16世が、犬の傍についていてやれるようにと枢機卿に休みをくれ、犬が死んだときは、動物のための天国があると思う、と言ってくれたという。(職員たちの飼い犬はリードをつけて散歩させていたが、この犬だけはフリーで散歩が許可されていたのだそうだ。)

枢機卿が朝つける服によって、一緒についていけるのかどうか、帰りはいつなのかなどすべて把握していて、枢機卿の危機を救った感動的なエピソードもある。

今年は戌年で、うちには何しろ猫グッズばかりなので、犬の絵やグッズは少なく、それでも少し飾った。

でも、このヴァティカンの犬と枢機卿の熱愛ストーリーを読んで、自分の犬のことを思い出した。やっぱり、犬への愛って、犬一般ではなくて、特別な関係性、絆なのだと思う。

アイパッドミニで写真をとるようになってうちの猫たちの写真は飛躍的に増えたけれど、半世紀前の私の愛犬の写真など、手元にないし、そもそもペットの写真を撮る、という習慣などない時代だった。

で、当時、私はデッサンすることを思いついた。その頃人気だったスピッツで、デッサンしやすいように、動かないように玄関のたたきに閉じ込めた。

すると外へ出たくてドアの方ばかり向いているので後ろ姿ばかり。

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その後であきらめてねそべってしまった。でも相変わらず外の方ばかり見ている。
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無理やりこちらに向ける。

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もちろん協力的ではないけれど、出してくれと騒ぐこともない。


半世紀前以上前のデッサンだけれど、手元で見られる愛犬の思い出はこれだけなので、フランスにもちゃんと持ってきて、スケッチ帳は本棚にちゃんとおいてある。

無条件の愛、とか見返りを期待しない忠実、とかがこの世に存在することを教えてもらった。

でもそれを享受するには基本的に一対一の関係である必要がある。


物心ついたときから犬がいたが、私は家族の末っ子だったので、いつもヒエラルキー最下位で、犬からまったくリスペクトされていなかった。

11歳の時にバレエ教室の友達の家のスピッツが生んだ子犬をもらったのが「私の犬」との出会いだったのだ。

「私の犬」の名前はチロだった。墓標もデザインした。


この戌年に愛犬への感謝を捧げます
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by mariastella | 2018-01-06 00:05 | 雑感

2018年のスティーブン・ピンカー

前にスティーブン・ピンカーについての記事を書いたことがある。

これこれ


そのピンカーが、2月にアメリカで『Enlightment Now』という新刊が発売予定ということで雑誌のインタビューに答えていたのを読んだ。


20世紀末以来の流行である歴史観に、人間の理性偏重と近代化が2度の大戦、ホロコースト、全体主義をもたらし、今は環境破壊と人類滅亡の危機を招いている、というものがあるが、自分は、あらゆる分野において今の世界は過去最良であると断言する、


と、相変わらず説得力のある言葉だ。

女性や子供の産褥死、夭折、虐待、奴隷労働、餓死などは劇的に減り、戦争や暴力も後退した、と。


その理由として、ヒューマニズムの伝播、国際法の拡大、の他に世界の女性化があるという。

支配と栄光の欲望は男性性に関連し、男は罵倒に対してより暴力的に反応する。それは男性ホルモンのテストステロンのせいで男による殺人は女による殺人の10倍で、類人猿にテストステロンを投与すると、暴力的な行動を誘発する。

今は女性が教育を受けて社会に影響力を持つことで社会の暴力性が軽減する。

女性が避妊し、遅く結婚し、子供の数が少ないことで、望まれて生まれた子供たちは虐待される率が少なく教育も受けられる。

一夫多妻が減ったことも大きい。一夫多妻の世界では、家庭を持てない男たちが、暴力集団に囲い込まれる率が多いからだ。etc...

以上は、前著から一貫した主張だが、その全てを徹底して統計と数字から叩きだしている。


ヒュームとライプニッツ以来の人間の認知方法の対立が、ハイブリッドなものだということで落着したのは前世紀の終わりだった。ライプニッツは、人間の思考は論理の適用からなるとし、ヒュームは記憶と観察と組み合わせにベースがあるとしていた)。

新理論の登場や自然淘汰の繰り返しや学習の積み重ねが、少しずつだけれど人間をより非暴力的に進化させてきた。

ピンカーってpinkerで、「よりピンク」、つまり世界を「よりバラ色に見る」という含意がある、とも書いてあった。気がつかなかったが、おもしろい。

もちろん、「総論」としての「進歩」は「各論」の不幸の助けにはならない。

いくら医学が進歩して次々に新治療法ができたと言われても、自分が難病にかかったり事故に遭ったりすれば何の助けにもならない。

また、ピンカーの説には危険ゾーンもある。

数学のフィールズ賞やノーベル賞の授賞者に男性が圧倒的に多いことや、チェスの試合が男女混合でないことについて、それは知性の問題ではなく、知性の傾向の違いにある、脳には非人間的な抽象を扱う部分と、人間的なものを扱う部分があるという。男性に自閉症が多いのもその極端な形だという。

「知能指数」の「民族差」の説明の仮説も危うい。

それでも、ピンカーの言葉にインスパイアされて、ビル・ゲイツは自分の人道活動を飛躍的に拡大した。ピンカーの言葉が人々の耳に届く意味はある。

世の中にはペシミスティックな言葉の方が多いし、マーケットも大きいから無力感を感じる人の方が多いけれど、自分たちは恵まれている、と思える人々が、それを少しでも還元しようというひと押しも必要だ。

ピンカーのオプティミズムにはやはり希少価値があるようだ。


ピンカー目線で2018年を見通すと、


朝鮮戦争が南北の和解で終結し、さしあたっては一国二制度で共存し、

日中韓の問題も、日本が韓国に何をしたとかしないとかでなく、人類が、特に戦時において広く、弱者を搾取、虐待してきた歴史を反省するという共通の視点に立った建設的な方向での共存を目指す、

イランやトルコも、もともと多民族的な国家なのだから、詭弁でない「自由」の方に向く、

などの夢がまんざら夢に終わることがないのかも、などと思いたくなる。




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by mariastella | 2018-01-05 00:05 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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