L'art de croire             竹下節子ブログ

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アラブ世界で起こっていること  その4 フランスとアメリカ

エジプトの次はイエメンかバーレーンかと思っていたがリビアになりそうだ。
その血なまぐささは半端でなく、2007年にサルコジ大統領がエリゼ宮にカダフィを歓待した時に「フランスは血にまみれた足を拭くマットではない」と批判して左遷された当時の人権大臣ラマヤデは溜飲を下げているだろう。

アメリカもイギリスもドイツも、当時すでにカダフィと石油と武器の交換貿易の成果をあげていて、フランスもあわてて遅れを取り戻そうとしていたのだ。

(追記:ヨーロッパでリビアに最も利権を確保しているのは旧宗主国イタリアであることはもちろんだ。もう一つ、カダフィはアフリカ大陸からヨーロッパへの不法移民を防ぐための海岸線警備に有能だった。昨年、それを強化して「ヨーロッパを黒くしないために」とEUに5億ユーロだかを要求し、さすがに断られていた。)

サルコジ政権以来、フランスは

「人権理念よりもリアルポリティクスね」

となりふり構わずやってきたが、それでも、その都度、それを攻撃したり揶揄したりする人が、野党にも庶民にもたくさんいる。

それに加えて、フランスに染みついた「中華思想」と「自虐癖」のせいで、いったん、自分たちの化けの皮が剥がれれば、与野党の区別なく過去の政治家たちのご都合主義を皆が暴き始める。

「中華思想」と「自虐癖」はセットになっている。

自分たちが何でもイニシアティヴをとっていると思っているから、失敗したと思った時に「…のせいだ」と責任を押しつけることが難しく、わりと簡単に自己批判をするのだ。

フランス人のアイデンティティの一つが「フランス革命の肯定的評価」なのだが、これが相当苦しい欺瞞に満ちたもので、それでも、啓蒙思想によって生まれた理念を背景に「抑圧されているものが支配者を倒した」という図式にしがみつくことで、かろうじて良識の居場所を確保している。

エジプトのユモリストがフランス人のインタビューで、

「ムバラクが死んだらナセルとサダトが待っていて、『死因は何だ、毒か、銃器か』と聞かれて『facebook』と答えた」

というジョークをとばしていた。

(追記:リビアには150万人のエジプト人が働いているのだそうで、誰でも家族か知り合いがリビアにいるので現在も今後のことも心配だと言っていた)

さらに、インタビュアーが

「これからのエジプトの取る道についてフランスの知識人に期待するか」

と聞いたら、

「外国や世界のことなんかどうでもいい。エジプトの若者に期待する」

と切って捨てたのが気持ちよかった。

これを聞いてまたフランスは自虐に向かうわけだが、アメリカではこういうことは起こらない。

彼らの建国神話の中では、「アメリカは宗主国の支配に打ち勝って独立した」というのが肯定的になっていて、基本的にずっと変わらない。帝国主義的植民者の支配に打ち勝って独立したというのでなく、自分たちが植民者で、先住民のホロコーストの末に出身国から独立しただけなのに、この欺瞞をずっと抱えたままアメリカン・ヒストリーでごり押ししている。無理があるのだが、無理があるほど必死に粉飾するものだ。

フランスの場合は、革命の後、テロル、内戦、ナポレオン戦争、新旧勢力入り混じりあうヨーロッパの再編成、さらなる2度の革命と王政復古に帝政復古、と、ごまかしのきかないボロボロさを呈した上に、2度の大戦でガタガタになり、ドイツに占領されたり、ベトナムやアルジェリア戦争の罪悪感がつもりつもっている。

その上で、なお、

「でもフランス革命は正しかった」

ことにしよう、という決意は、それなりの「抑止力」をとどめていると思う。

それに比べると神に祝福された「アメリカ民主主義教」の一宗派独裁のアメリカは、一党独裁のどこかの国と変わらないな。

http://www.youtube.com/watch?v=N-Vy8fFnz18&feature=player_embedded

の映像が世界中に流れたのは痛快だ。ヒラリー・クリントンに反抗する老人は公衆の面前で手錠をかけられて排除されるのだから。

これからどうなるか分からないが、懐疑よりも希望を抱くところにしか平和は見えてこないと思う。
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by mariastella | 2011-02-24 20:40 | 雑感

アラブ世界で起こっていること  その3 イエメン

イエメンとの仕事に最近挫折したフランス人ビジネスマンと話した。
仕事の挫折は最近の情勢と関係があるのかどうかと私は聞いてみた。

この人は確かに現大統領の家族とコンタクトがあったので、今の体制が崩壊するとすべてを失うことになるから、ビジネスがストップしたこと自体は後悔していない。

けれども、問題は、それよりも、カートにあったという。

カートは麻薬の一種で、イエメン人はカートの葉を朝からくちゃくちゃと口に含み始め、反芻するかのようにかみしめていて、午後1時頃になると多幸がピークになるので、ほとんど仕事にならないそうなのだ。

飲酒が禁じられているという事情があるとはいえ、とにかく町中でも家庭内でも老いも若きも1日中できるだけ長い間カートの葉をチューインガムのように噛んでいるらしい。

もちろんアディクションが起こることははっきりしている。

反体制を目指す若者たちのツイッターなどにカートの話題は出てくるんだろうか。携帯にも依存症という現象があるが、軽いものだとは言え比喩でない本物の麻薬中毒の状態で革命などできるのだろうか。

もっとも、カートは一種の覚醒剤なので、効いてくると怖いものがなくなるということで、革命などの意気昂揚のために有効なのだろうか。

ひょっとして、その背後に、自分はカートを全くやらないで民衆の行動を操作しようとしている一部の人間がいるのだとしたら、それも怖い。
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by mariastella | 2011-02-16 04:06 | 雑感

アラブ世界で起こっていること  その2 イランについて

今度の土曜日(2/19)、パリで、イランの故パーレビ国王(シャー)の次男であるアリレザの追悼式典がパーレビ未亡人であるファラ元王妃を中心にした関係者で行われる。

1月6日にNYでの彼の自殺を直ちに知らされた愛徳姉妹会のシスター・クレールはもちろん出席する予定だ。

11歳の頃からテヘランのジャンヌ・ダルク学校でファラの力となってきたシスターは、ファラの子供たちの中でもアリレザが特に優秀だったことを回顧する。

今93歳であるシスターは1979年に王(シャー)夫妻と同時期にイランを出てからもずっと彼らを陰から支え続けていた。

彼女が回想するのは、あのニューヨークの夜のことだ。

夫婦はイランを出てから、半年の間にエジプト、モロッコ、バハマ、メキシコとたらいまわしにされてきた末、1979年7月にメキシコでパーレビの癌が発覚した。手術の目的でニューヨークのコーネル医科センターに偽名で入院するために到着したのは10月20日、手術は24日だった。

ところが、その10日後、11月24日にテヘランのアメリカ大使館が襲われて人質にとられてしまう。

国王(シャー)一家の悪夢が始まった。革命政権は明らかに人質の解放と交換にパーレビの引き渡しを要求したのだ。

病院の前で、「王に死を」という叫びがやまず、当時13歳だったアリレザと8歳だったレイラ(2001年にロンドンで自殺)は恐怖と恥辱に震えた。放射線治療のためには、真夜中に起こされては地下通路を100メートルを息絶え絶えに歩かされて治療施設に赴かねばならなかった。その施設は数年前にパーレビの母を治療してくれたところで、王は百万ドルの寄付をしていた。

容態は悪化し、厄介な存在である王が治療中に殺されるのではないかと恐怖に怯えた彼らは中米のパナマに逃げた。

結局最初に受け入れてくれたエジプトに戻り、王は1980年にカイロで死んだ。

一家の忠実な友であり、保護者となったサダト大統領は翌年、イスラミストに殺害された。今回の民衆蜂起で去ったムバラクはその後で独裁者となったわけだ。

サダトを第二の父のように慕っていたアリレザは、さらなるトラウマを受けた。

アリレザは成長してからアメリカに居を構え、プリンストンで数学、物理、音楽学を専攻した後は、憑かれたようにイラン史にのめりこみ、コロンビアやハーヴァードで学位を得た。

兄のレザはNYにいるが、アリレザはずっとボストンを離れなかった。NYは瀕死の父を鞭打った場所であり続けたのだ。

44 歳で一人暮らしでピストル自殺を遂げたアリレザはアメリカで火葬された。

父を見捨て追いやったアメリカの地に埋葬することは問題外だった。
遺灰はファラがパリに持ってきて、2月16日のセレモニーの後で、カスピ海に撒かれる予定である。

ホメイニが1979年にイラン入りする前に、フランスに3ヶ月滞在したことがある。

その間に130 に及ぶインタビューが行われた。
そこでホメイニは、

新しいイランは表現の自由と宗教的マイノリティを尊重する完全で真実の民主主義国家となる

と繰り返し言明した。

無神論者のサルトルでさえ当時はそれを神の恩寵のように評価したものだ。
あの時点でホメイニは確実に「欧米」の支持を得ていた。

現在、当時のホメイニのインタビューや会見はすべて事前に提出されていたものであり、側近の委員会が答えを作成していたことが分かっている。

パーレビ国王(シャー)はイランの近代化を目指していた。その「近代化」は必然的に欧米出自の民主主義や人権理念に基づいている。19世紀半ば以来、イランのエリートは啓蒙思想やフランス革命のファンだった。

シスター・クレールは彼らのブレーンとして、コーランと聖書の共通点から普遍主義を引き出そうと白色革命に協力していた。

今エジプトで起こっていることは、彼女にとってデジャヴュのように不安を掻きたてる。

私は2月6日にタハリール広場で、コプトの司祭がミサを挙げて、その後ですぐにムスリムのイマムが結婚式を司式したことを話し、ムスリム兄弟団には社会政策はあっても人権だの平等だのに対する政策がないこと、イランの時と違って、若者がウェブでつながっていることを強調した。

また、ナセル時代に5年間投獄された元コミュニストで無宗教の作家ソナラ・イブラヒムSonallah Ibrahim( 2003年にカイロ文学賞を拒否して独裁政権を批判した)が、自分は今の若者が戦いもせずFacebookの依存症になっているだけだと未来を悲観していたので、このようなことが起こるとは信じられなかったと喜んでいることも話した。

そして、文明の衝突などと称してイスラムと西洋風民主主義が両立しないかのように、冷戦後の1990年以来、それまでの仮想敵だった共産主義をイスラミストにすり替えてきたメディアの弊害を話し、イスラムもキリスト教と同じルーツの普遍的救済を語る宗教であることを思い出させた。

民族や出自に関わらず、人は信仰によってあまねく救われるというのが普遍宗教であり、その「信仰」の中身や神の属性を都合よく変容させるのは人間なのだ。権力者が「神」の名を口実にする誘惑は大きい。

するとシスターは、そうそう、と言って笑い、敬虔なカトリックだったドゴールにまつわるジョークを披露した。

自宅の浴室でドゴールが裸になっていた時、ドゴール夫人がうっかりドアを開けてしまった。

「Mon Dieu!!」と夫人は言った。

「Pas entre nous.」とドゴールが答えた。

最初のは「あら、まあ!」という感じの「オーマイゴッド」だが、神のように崇められているのに慣れているドゴールは「私の神」と妻が呼んだのだと勘違いして「いや、我々の仲だから(神と呼ぶ必要はないよ)…」と答えたというのである。

アリレザの死以来落ち込んでいたシスター・クレールは少し元気になった。

イランの若者たちもリアルタイムで中東情勢を追っている。

これから情況がどうころぶか分からない。

93歳のシスターのオプティミズムが少しでもファラとレザの慰めになればいいのだが・・・
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by mariastella | 2011-02-15 02:22 | 雑感

アラブ諸国で起こっていること その1  トルコについて

トルコについて

チュニジアやエジプトが大激動のこの時期にどうしてトルコかというと、世界についてのオプティミズムを維持したいからだ。

トルコは国民の大部分がムスリムであるにかかわらず、世界でただ一つと言うくらい忠実な「フランス風ライシテ」を採用している国である。

もちろん、フランスがライシテに至ったのとは歴史的経緯が全く違うので、どこか変なところはいろいろあるし、EUへの加入問題も含めて、微妙な問題もたくさんある。

でも、2009年の1月のダボス会議(世界経済フォーラム)で、イスラエルのペレス大統領がガザへの攻撃を正当化しようとして延々と自分たちがいかにハマスに苦しめられているかと述べた時に、怒りをあらわにしたトルコのエルアドン首相が席を発って退場したシーンは、ネット上で何度見ても、感動を覚える。

あの時、西洋諸国はもちろん、アラブ連合の代表も、席に着いたままだった。

イスラエルと国交を持つ数少ないイスラム国であるトルコのあの時の態度は印象的で、アナトリア通信によると、あの後でペレスは電話でエルアドンと会談して謝罪したそうだ。

で、今回、チュニジアやエジプトで、アラブ国では初ともいえるタイプの抗議運動(そこでは「反米、反イスラエル」の言葉がなく、民主主義や人権や平等など欧米由来の理念が普遍的なものとして掲げられていた)が進行していた最中の今年の1月27日、トルコ国内のシナゴーグでアウシュヴィッツ解放記念の式典が行われた時に、トルコの首脳が初めて公式に参列した。

何か、トルコのこういうタイミングの読み方というか、宗教やイデオロギーと人権理念をきっちり分けて見せるやり方は、貴重だと思う。

エジプトやチュニジアの革命がイランのようなイスラム革命にならないかとびくびくしている国際社会に対して、イスラムがマジョリティである国であることとライシテや人権理念を掲げることが矛盾しない、普遍主義とはそういうものであるということをアピールする意味は大きい。

もちろんトルコが過去に行ったアルメニア人のホロコーストを頑として認めないこと、それをヨーロッパ勢から追及される時の切り札としてナチスのホロコーストの犠牲者であったユダヤ人に接近するというトルコの戦略も確かに存在する。

そのようないろいろな思惑が交錯していることを差し引いても、アラブ人でないイスラム国トルコの存在感は無視できない。アラブ系でないイスラム国のインドネシアの歴史も別の可能性を示唆するが、今回の出来事に対して地政学的にはインパクトが少ない。

トルコがライシテを掲げてくれていてよかった、と心から思う。

次回はイランについて。
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by mariastella | 2011-02-14 08:58 | 雑感

ナポレオン、ジェンダー、チュニジア革命

今、こちらの一番の話題はチュニジア革命。

23年にわたる独裁者ベン・アリとその家族がついに逃亡した。甥たちが町中で襲われ始めていた。身の危険を感じたのだ。

いわゆる指導者がいなかったということで新しいタイプの革命だと言われているが、確かにウェブを通して情報が行きわたっている世界ならではの出来事かもしれない。

ベン・アリの逃亡先はサウジ・アラビア。

ご都合主義の民主主義の末路はサウジアラビアへの亡命で、サウジからはテロリストが世界へ散らばる。

去年はビルマといいコートジヴォワールといいウクライナといい、選挙って何なんだ、といいたくなるケースが相次いだ。

冷戦時代であっても、西側諸国が民主主義陣営であったわけではない。親米独裁政権はアメリカの仲間だった。

政治の理念やモラルなど、肥大する欲望の前には単なるお題目でしかない。

権力への欲望は本当に人を芯から腐敗させる。

近頃ナポレオンをジェンダーで読み解く作業をしているのだが、ナポレオンが権力を一家郎党や子孫に伝えたいとか姻戚関係によって安全を担保したいとかいう感情には、本当に脱力させられる。

ナポレオンとジェンダーなんて、どう結びつくのかとフランス人からも驚かれるのだが、支配欲と戦争=暴力、権力を保証する権威と聖なるもの、をめぐる欺瞞の歴史は、もうすぐ連載が終わるジャンヌ・ダルクからも一直線につながっている。フランス人が「闘う処女マリア」を経て、処女戦士であるジャンヌ・ダルクを半俗半聖の戦うヒロインとする過程で、ナポレオンは男である「軍神」の地位に上りたかった。

いつも弱い者の側に立って、殺されても抵抗せずに男の弟子たちを失望させたナザレのイエスは、ジェンダー的には女性の立場に近い。そんなキリスト教が軍神マルスを否定してから、キリスト教はなかなか権力者たちが必要とする「軍神」的なキャラを持てなかった。

最も戦闘的なのはジャンヌ・ダルクにもお告げをもたらした大天使ミカエルだが、翼が生えていて中性的だ。勇ましく悪魔に立ち向かって罪人の魂を取り返してやるのも、もっぱら聖母マリアの役どころである。

ナポレオンは本気で男たちの軍神になりたかったのだ。

そのために彼の考えた装置や演出は非常に興味深いものである。(これについては別の機会に書く)

それもこれも、結局は、自分の権力を子々孫々に継承させることが可能な権威につなげたかったからだ。

やはり、不死ならぬ人間にとっては、「自分の子供を持つ」というのが、すべての煩悩の根源になりそうだ。

そういう意味では、カトリック教会がいまだに聖職者の独身にこだわるのは、危機管理の智恵の一つでもある。

だからこそ、啓蒙思想の影響を受けて共和主義を称揚したピウス七世は、ナポレオンの恫喝に屈しなかった。

一代限りの独身の権威の強みでもある。

5世紀頃まで聖職者の独身制はなかった。6世紀の西方教会で独身制が導入され、妻帯者を叙階することもあったが、叙階された後に子供をつくった者は罰せられた。

ところが、ヨーロッパがすっかりキリスト教化した中世においては聖職者に庶子がいるのは珍しいことではなくなってしまった。1022年のパヴィアの公会議では、この状況が洗い出されている。

その時カトリック教会が決めたのは、聖職者の子供は、教会の隷属者であるというスタンスである。

聖職者というのは生涯を教会に捧げた身分であるから自由人ではない「隷属者=奉仕者」だ。

普通は、自由人の女と奴隷の男の間に生まれた子供は自由人の身分を得ていたが、ローマのユスティニアウス皇帝は、6世紀に、国家の奴隷と自由人の間に生まれた子供は自由人になれないとする条例を出した。

その例に倣って、カトリック教会は、教会の奴隷である聖職者の子供もまた教会の奴隷であること、すなわち私有財産を持てないこと、教会の奴隷は自由人の名で財産を獲得してはならないことを確認した。

聖職者やその庶子の領地や財産は没収された。

つまり、これは、早い話が教会の財産が四散することを防ぐための決まりだったわけだ。しかしそのおかげで、封建領主としてのローマ教会や各種修道会などが、その財産を権力者の子孫に継承させてしまうという欲望の連鎖は断ち切りやすくなった。

とはいえ、それ以降も、ルネサンス時代に顕著なように教会のモラルは内部では十分に腐敗していったわけだが、宗教改革やカトリック改革を経て、啓蒙の世紀を生きたピウス七世などは、ナポレオンなどよりもよほどまともなフランス革命の理念の継承者で、民主主義者となっている。

ナポレオンはエジプトではイスラムに改宗した、という形になっているし、ユダヤ人を軍に召集できるならソロモンの神殿だって再建する、と言っている。

権力者と宗教の関係を考える時に非常に興味ある事例でもある。

ナポレオンは織田信長にはなれなかった。

神聖ローマ帝国とも戦わねばならなかったし、姻戚を結ぼうともした。

彼の母親やその兄弟はローマ教会の側に立った。

彼が最後の日記でイスラムを称揚しているのを引いて、本当にイスラムに改宗していたのだと言いたがる人もいるのだが、啓蒙思想における「反教権主義=無神論」の文脈で読み返してみると、ナポレオンの語る「一神教比較」は別に新しいものでもない。

ナポレオンを無神論の文脈で語り直し、ジェンダーの問題と絡めて、「軍神の文化史」を書いてみたい。

ジャンヌ・ダルクがフランスのナショナリズムのシンボルとして使われるようになるのは、ナポレオンの失脚と、プロシャ戦争の敗退によるナポレオン三世の失脚があったからである。

ここに軍神とジェンダーの微妙な関係が見える。

ジャンヌ・ダルクの単行本をまとめる時にこの辺を掘り下げることになるかもしれない。
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by mariastella | 2011-01-16 03:34 | 雑感

新年のあいさつの話

私はサイトの掲示板http://6318.teacup.com/hiromin/bbsでフランス語やフランス文化に関する質問などに答えることがあるが、長いフランス生活の中で、当然ながら、フランス人から日本語や日本文化についての質問をされることも多い。

最近聞かれたことがある。

もう何十年も日本人と文書上のつき合いがあるフランス人が、

日本人に新年のあいさつを書く時期について、いつも理解できないままに迷って迷って何十年もすぎた、と言うのだ。

日本人たちからのカードは12月初めから届き始める。

それで、受け取った方は、すでに焦ってしまう。

日本人の私のところに来るカードもそうだ。

私は日本人だからなんとなく分かる。

私が日本にいた頃と今ともし基本情報が変わっていなければ、

欧米人にはメリー・クリスマスとハッピー・ニューイヤーを組み合わせたカードを送る。

それは絶対にクリスマスイヴ前に届かなくてはならない。

しかしこの時期はクリスマスカードが大量に動く時だから、航空便でも時間がかかる。

間に合わせるには12月初めには出さなくてはならない。

ところがたいていはそんなにかからずに数日で着いたりするので、はやばやとカードが届くわけである。

フランスでは新年のあいさつカードはクリスマス前後から1月いっぱいはOKなんだけれど、日本ではそれでは遅すぎるのか、とずっと悩んでいた、とその人は言った。

いやいや、日本人同士だったら、年賀状が12月に届くと大失敗で、「年賀」と書いておいてまとめて投函して、それが一月一日にわざわざ配達されるのだ、

と私は説明した。

フランスでメリー・クリスマスやハッピーニューイヤーにあたる言葉を言うのは、クリスマスおめでとう、新年おめでとう、というよりも、「楽しいクリスマスを」(あなたが過ごされるように願っています、とか「よいお年を」(あなたが迎えられることを願っています)というこちらの気持ちの表明だ。

フランスでは、朝誰かと出会えば「よい1日を」とあいさつするし、月曜か火曜日に会えば別れ際には「よい週を」とあいさつするし、木曜か金曜日なら「よい週末を」、お昼前なら「よい食欲を」と言ったり、昼過ぎなら「よい午後を」など、わりとこまめにヴァリエーションをつける。

だから「メリー・クリスマス」も、直前にしか言わない。まあ12月半ばで、その年はもう会わない人であれば、「よい年末のお祭りを」(これはクリスマスイヴから新年までまとめている)と言って別れることはある。

確かに「メリー・クリスマス」はイヴとクリスマス当日だけで「賞味期限が短い」ので、過ぎれば間が抜ける。だから「メリークリスマス」のカードはイヴ前に出すが、日本と違ってクリスマスと新年でデザインが変わるわけでないので(つまりクリスマスツリーは新年まで有効だ)、日本で言うとクリスマスカードのデザインのものに「Bonne Année(ハッピーニューイヤー)」と書いたものの方が今は多いし、それは1月中なら使えるわけだ。

そこで私はフランス人に説明した。

日本では、正月とは基本的に、年神さまをお迎えする行事。

昔は御先祖さまの霊は盆と正月(陰暦だが)に戻ってきた。

今の日本では、盆には個別の御先祖さまをお迎えし、正月はもっと集合的な年神さまをお迎えするイメージになっている。

で、門松などの依り代を立てる。家を掃除して体も清めて清浄な心身でお迎えしなくてはならない。前の年のものは不浄だから捨てる。正月飾りも燃やす。

そういう年神さまがいらっしゃって互いにめでたい、喜ばしい、と言うのが新年のあいさつのペースだから、前の年に口にすることはできない。

「よいお年を」と言うのは年末に言えるが、正月になってから「よいお年を」と未来形では言えない。クリスマスがピンポイントであるように年神さまの滞在期間もピンポイントだから、「この一年がハッピーでありますように」というフランス型の意味では「よいお年を」の有効期間は短いのである。

そう言えば私の子供の頃は、元旦に起きると、魔法のようにすべてが新しくなっていた。干支の飾りはもちろん、こたつぶとんや座布団や洗面所のタオルやバスタオルや浴室やトイレのアクセサリーが全部新品で、正月のおせちには普段の箸を使わずに、使い捨ての祝い箸を使う。

そんな思い出も、多少の罪悪感と共に語る。

何しろ今の私はそんな「まっさらな気分の新春の祝い」みたいな演出は全くしないし、クリスマス飾りの隣につけ足す正月飾りも前年の使いまわしであるからだ。

しかし・・・

では、今やエコロジーのお手本のように言われている日本人の

「もったいない」

と両立しないのではないか、

とやや疑問がわく。

クリスマスの方が毎年毎年同じ飾りを取り出している気がするが。

フランスではクリスマスには家族、新年のイヴには友人でわいわいというのが基本である。

クリスマスは商業化してはいるけれど、それでも家族の祝いというのを「馬小屋で生まれたイエス」というイメージと結びつけて、馬小屋セットを置く人や質素なイメージと結びつける人は少なくない。

後は食べたり飲んだりが一大事であり、そこのところはフランス文化の根強い部分である。

で、私の結論。

日本人に新年のあいさつのカードを送る時期についてそんなに悩まなくてもいいよ、どうせ外国から届くカードなんだから誰も日本的プロトコルを期待していない。
外人なんだから、ということで時期もデザインもあいさつの文句も不問に付されるよ。

まあ、私の方は日本人なので、日本の知り合いにカードが元日前に届くかどうかを見計らってあいさつ文を微調整しているのは当然である。

こんなことも、多分次の世代にはどうでもいいことになっていくかもしれない。

今週、今年の初レッスンにやってきた生徒たちには全員、会った時に

「 Bonne Année, Bonne musique!!」 と言ってやった。

よく練習してきた中学生に

「Bonne continuation」(この調子で今年もがんばって、という意味で)

と言って送りだしたら、

「Vous aussi」(先生も)

と答えられた。

何人でも何語でも、子供にとっては、あいさつの機微は難しいものだなあ。
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by mariastella | 2011-01-09 03:15 | 雑感

フランスの熟年女優たち

雑談。

前のニ回の記事で、ナタリー・バイやドヌーヴ、ファニー・アルダンなどの名を出した。

この3人の女優はいずれも60代だ。ドヌーヴが67歳、ナタリー・バイが62歳、ファニー・アルダンが61歳。

最初の2人がブロンドのイメージで、ファニー・アルダンが暗く情熱的なブリュネットのイメージ。

ドヌーヴは冷たい感じで、ナタリー・バイはどちらかといえば庶民的な感じだ。昔は、地方出身のコンプレックスのある女の役などうまかった。

若い頃のドヌーヴはポランスキーの『反撥』などの狂気じみた役もなかなかうまかった。美女の代表でもあったけれど、私は友人の映画研究家のHさんに「ドヌーヴってロバみたい」と言われてから、彼女を見る度にロバを思い浮かべてしまう。

最近作ではジャージ姿でジョギングをする冒頭の姿がすっかりおばさんふうだとも言われたドヌーヴだが、この作品でのわずか25年ほどの回想シーンは、ドゥパルデューともども、別の若い俳優が演じていた。

ぼかせれば本人でもいけるんじゃないかと思ったが、やはり体型が無理だったかもしれない。ドゥパルデューはいわずもがなだ。

それに比べると、ナタリー・バイやファニー・アルダンは、若い頃からまったく体型が変わっていないので、30代くらいのシーンならまだまだ演れそうだ。

もう一人、ドヌーヴよりは一回り若い、これも大スターのイザベル・アジャーニは、ここ1、2年は驚くほど太った。

でも相変わらず名女優で相変わらずの激情型で、だれも外見のことを言わないので、フランス人は気にしないのかと思っていたら、最近、ラジオで「前の3倍になった」と揶揄する人がいたので、はじめて他の人も気づいているのだなあと思ったほどだ。

外見が資本の一つである女優だから、パーソナルのコーチなどついていてもおかしくないし、どうして不健康に見えるほどに太って、何事もなかったかのようにカメラの前に立つのかが不思議でもあったのだが、インタビューに答えて「私はカメラが回っていない時にはおばさん風になるタイプだから・・・」とも平気で言っているのだ。

ファニー・アルダンの方は逆に拒食症で、とにかく食べるのが大嫌い、と言っていたことがある。

アジャーニもファニー・アルダンも黒髪だが、この二人ほど対照的な女優も珍しい。

私はこの2人を舞台で見たことがある。

ストリンドベルイの『令嬢ジュリー』の芝居だ。

アジャーニが途中で倒れてファニー・アルダンが代役をしたのだったかもしれない。

この戯曲はインパクトがある。

アジャーニは、令嬢ジュリーの欲望や倒錯や秘められた狂気などにとり憑かれたように演じていた。演技というよりシャーマニズムの実演のようだった。

終った後のカーテンコールで汗びっしょりで、息も荒く、上気して、まだ、芝居の人格と現実のはざまにいるようだった。これでは途中で倒れても不思議ではない。

観客も、その興奮に巻き込まれて、教祖を前にした集団のようだった。

憑依型の女優なのだ。

そのアジャーニの令嬢ジュリーを見た後では、もう誰が演じても気の抜けたものになるだろうなと思っていた。

アジャーニ以外では想像もできなかった。

ところが、ずっと落ち着いて内面的で別の恐ろしさがあるファニー・アルダンが演じた令嬢ジュリーは、想像もできなかった別のものだった。

ファニー・アルダンは、シャーマンではなく、女神のようにふるまった。いや、魔女すれすれだったかもしれない。

アジャーニの熱狂を超えられないのではないかと思っていたのに、彼女は別の呪文を唱え、別の世界へと観客を導いたのだ。

同じ設定の同じ台詞なのに。

芝居とか役者について、再現芸術について、これほど強烈な印象を残した体験ははじめてだった。

ファニー・アルダンもナタリー・バイも、若い頃は何か「イタイ」感じの女だった。
今は、ファニー・アルダンは生まれついての大物という感じに熟成しているし、ナタリー・バイは肩の力の抜けた自由で自然体のいい感じの女優になっている。

アジャーニだけが、前よりも「イタイ」感じになっている。

ドヌーヴは自然体というより余裕と貫禄がにじみ出ている(この人はサン・シュルピスの警察署横に住んでいて、地下駐車場からすごい勢いで車を出してきた時に轢かれそうになったことがあった。一度だけ実物を見たのはその時だ)。

ドヌーヴとアジャーニは、10代から女優デビューしている。

しかしドヌーヴはもともとフランスの俳優の家系の娘だが、アジャーニは生まれた時にはまだ旧植民地であったアルジェリア人の父親とドイツ人の母親の娘だ。この辺の背景はフランスでは気にしないようでいて、幼少期には微妙である。

ナタリー・バイはコンセルヴァトワールの演劇科を出た演技派で、ファニー・アルダンは、政治学を専攻したインテリだった。今のフランスではインテリとアーティストとの「職能(メチエ)」の溝は大きいから、彼女もけっこう屈折している。

私はかろうじて50代だが、この4人とほぼ同世代だ。つまり、彼女らの若かった頃を実物を含めてずっと見てきて、今、歳を重ねてそれぞれがどんな熟年になったかを見ている。

若くてきれいな女たちは、ある意味で似ている。

歳のとり方には個性が出てくる。

幸福の形は似ているけれど不幸の形は不幸の数だけ違う、

などというのと同じだなあ。

歳をとることが不幸といっているのではもちろんない。

容貌とか肉体の生理機能とかは必ず老化する。

崩壊したり凋落する。

その崩壊や凋落の形やリズムには個人差が大きい。

女優のように、その外見が資本の中核に置かれる職業の人、その変遷をずっと他人の目にさらしている人々には、それは重大なファクターとなる。

誰がどう生きてどう壊れていくのか、それを見たいという好奇心のせいで、長生きしたいなあ、と思ってしまう。

もちろん自分も肉体的にはしっかり壊れているのだけれど、観察する視線さえ健在なら、いつまでも楽しめそうだ。「一回性」はいつもスペクタクルだ。
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by mariastella | 2010-12-30 02:19 | 雑感

Brune Blonde

この前の記事で、オードレー・タトゥとナタリー・バイが母娘役を演じたラブコメディについて書いた。この映画で、娘のキャリアウーマンであるオードレーが黒髪で短髪であるのに対して、母のナタリー・バイが金髪を肩に垂らしていることの意味は象徴的だ。

映画にはこのコントラストがよくつかわれる。

『ロシュフールの恋人たち』なんていう双子の姉妹も髪の色は違った(ウィッグだったそうだが)。フランソワ・オゾンの『8人の女たち』での髪の色の使い方は服と同じくらい意味がある。金髪のドヌーヴと黒髪のファニー・アルダンが取っ組みあったシーンはこの髪の色の対比が最重要だったと言える。

ジャンヌ・ダルクの映画での髪形や髪の色の変遷も興味深い。

ジャンヌ・ダルクは黒髪で断髪だった。

それが男装の異端性ともからんでくる。

日本で刈り上げおかっぱ髪というと「わかめちゃん型」というようにフランスでは今も「ジャンヌ・ダルク型」という。

しかし、ジャンヌ・ダルクほどのイコンとなると、パレスティナ系の聖母マリアがヨーロッパでは長く金髪碧眼で描かれたように、史実よりも人々の脳内イメージで、少なくとも髪の色は変化した。

ジーン・セバーグやミラ・ジョヴォヴィッチなどは金髪の短髪がぴったりだった。北欧人であるバーグマンの黒髪はむしろ不自然だったと思う。

何よりもショックなのはカール・ドレイヤーの映画でジャンヌが火刑に処せられる前に頭を剃られるシーンだったかもしれない。

そんなことを考えていたので、先日、シネマティックでやっている「Brune Blondeブリュンヌ・ブロンド」という展覧会に行ってきた。

髪の色というよりも、もう、女の髪という極めてフェティッシュなものをめぐる怖さみたいなものを感じた。一見の価値がある。

ヨーロッパのイマジネールにおいては、もう一人の黒髪断髪の女性イコンがあって、それはクレオパトラだ。

白雪姫も黒髪だが、豊かな金髪のオーロラ姫と違って髪は短い。

肌の「白雪」具合を強調するための黒髪なのだろうが、白人でそれほど肌の白い人はメラニン色素が少ないから金髪になる確率が高いはずである。

髪の色と量や長さに託されるメッセージもおもしろい。

似たような骨格や目鼻立ちでも髪と目の色だけがラディカルに変わり得る西洋人において、その色の違いがもたらすインパクトというものはかなり大きい。

基本が黒髪黒目という日本人には想像がつかないくらいだ。

それは「選択」でもある。

カトリーヌ・ドヌーヴはドヌーヴ・ブロンドというカラーがあるくらい金髪がトレードマークだが、もともとは濃い色の髪の人だ。『トリスターナ』などでは黒髪で演じているのだが、みなに金髪だったと記憶されている、と言っていた。

シネマティックだから映像資料が多く、忠臣蔵の主君の奥方が切腹の日に髪を切るシーンもあった。

インドの聖地で、巡礼に来る人たちが全員髪を剃って供物にする場所の映像もあった。女性も丸坊主になる。

一日一万人が髪を剃って残していくそうで、その厖大な髪がウィッグ製作などに供給されるらしい。アミノ酸サプリにするという話もどこかにあった記憶がある。

それも怖い。

髪をめぐるオムニバス映画も上演されていて、日本のものは、若い女性が長い黒髪を梳くと、どんどん抜けて洗面器にいっぱいになるというものだった。四谷怪談のDNAを感じた。

スペインのものは、4歳の女の子に、映画のために、寝ている間に髪を切られちゃう役をしてもらいたいんだけどそれでもいいか、と執拗に聞いて執拗にnoと言わせる映像だった。

髪についての映像言説というのは、悪趣味と紙一重であることが分かる。
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by mariastella | 2010-12-29 06:54 | 雑感

Potiche、Vincent Peillon、湯浅誠さん

Potiche、Vincent Peillon、湯浅誠さん。

三題噺みたいだが、昨夜から今に賭けて、見たり聞いたり読んだりしたことが、連なって、頭から離れないので覚書。

Poticheは、François Ozon の新作コメディで、1970年代後半を舞台に、ブルジョワの女性が労働問題や政治に目覚める戯曲をもとにしている。

Catherine Deneuve, Gérard Depardieu, Fabrice Luchini という芸達者ぞろいで、ドヌーヴの代表作の一つになるだろうとも言われている。主人公はセゴレーヌ・ロワイヤルにインスパイアされているとも言う。

 このドヌーヴ演ずるシュザンヌは、ドヌーヴ自身と同じく、私とそう変らない同世代。映画の舞台は1977年なので、私がフランスで暮らし始めた頃に近いから、その意味では、映画の中のシュザンヌの娘の歳や状況とも二重写しになる。だからこそ、この30年あまりのフランスの変化や、変わらないもの、そして、若者が30年経って新しい若者世代とどのように連帯できるのか、経験値は力に転換できるのか、などといろいろなことを考えてしまった。、そのせいで、映画の中にちりばめられているサルコジへの揶揄とか、いろいろなカリカチュアの誘う笑いに今ひとつのれなかった。

 フランスのフェミニズムの特異性はやはりその社会政策の歴史と構造にあると思う。
 これについてはまたゆっくり書こう。


 さて、サルコジが週初めにTVで長々とインタビューに答えて、サルコジスムのトーンを捨ててシラク路線になってしまったという印象を一部に与えているのだが、それについて、各派からコメントがいろいろ出ている。

 その一環で、今朝のラジオで社会党の欧州議員であるVincent Peillonがインタビューに答えていた。

 その時、彼の言ったフレーズが、なぜか、頭に残る。

 「フランスの伝統は、政治とソシアル(社会福祉)の分離ですから。」

 つまり、ソシアル路線は、政権交代とは別に継承されていかねばならないものだと認識されているのだ。

 これが、どういうことか分るだろうか。

 それは、「政治とソシアルの分離」 が、
 実は、「政教分離」 とセットになっているということである。

 なぜかというと、フランス革命の直前の100年ほどは、

 都市化が進み、都市労働者や貧困の問題が深刻になっていた。工場労働者というものが生まれ、女性や子供など弱者の搾取が進んだ。
 
 で、この時代に、都市における社会福祉型の修道会というものがすごい勢いで発展した。

 貧困者や病者や独居者を上からと下から両方向で支援するのは、彼らの始めたことだ。

 上からというのは、予算を出してプロジェクトを組んで、教会や修道会がいろいろなものを支給することである。炊き出しから、孤児院、学校、施薬所、施療所、ホスピス、などだ。
 下からというのは、修道院から街に出て、徹底的に、独居家庭やら、ホームレスやらを、個別に、各状況に応じて継続的にパーソナルにサポートすることである。

 当時は、カトリック教会の影響力の大きさを嫌って徹底的な反教権主義に向う中間層が多かった。
 
 私が『無神論』で触れたように、そもそも、カトリック教会の教義やらキリスト教の教義そのものをもう信じなくなっていた人が多い。キリスト教は冠婚葬祭用と女子供の教育用ツールとして残していた人が少なくない。

 そんな中で、社会活動型の修道会は、説教やら宣教やらとは別に、純粋に、社会のセーフティネットとして機能していた。

 ところが、フランス革命が、キリスト教をいったん潰した。

 しかし、活動修道会だの信心会などが張り巡らせていたセーフティネットを無効にするわけにはいかない。

 だから共和国国家は「福祉=ソシアル」をまるごと受け継いだのだ。
 非宗教化して。

 それは徹底していた。教会の結婚式のようにセレモニーができる市民婚のホールだの、子供の洗礼と洗礼親の設定を受け継ぐために市役所での「洗礼」まで作った。司祭は市長に置き換えられた。

 だからこそ、「国家による福祉」は、反教権主義、非宗教主義、政教分離にとって、絶対に手放せない要なのである。

 で、三題目。

 さっき、福島みずほと市民の政治スクールでの、湯浅 誠さんの講演(11月15日)を読んだところだ。


 湯浅さんは、反貧困ネットワーク事務局長で内閣府参与の方だ。

 日本のここ2世代ほどに渡るめまぐるしい変化の分析は、鮮やかだが、かなりつらい。

 こういう部分がある。

 「自己責任論というのは、人々の余裕のなさを糧に大きくなるものです。皆が余裕なくなればなくなるほど、安直な答に食いつきます。考えなくてすみますから。そういう中では、傘の外のすべり台というのは感覚的に「わからない」で終わってしまうということですね。「他に方法があったはずだ」とよく言われるわけです。「家族に頼れたはずだ」「探せば仕事があったはずだ」「ナニナニしたはずだ」というわけです。傘の中にいる人はわからないからですね。あったはずなのにそうならなかったのは、何か本人に問題があったからなんでしょ、という結論の落とし方が一番簡単なんですね。 」

 自己責任論はそもそもWASP的ソシアル(福祉とは、自助努力で成功した者が自分の徳を高めるために慈善するのが基本)に根を持つと私は思っている。

 湯浅さんは、日本の過去にあった国や企業や家庭の傘が次々と閉じられて、社会の闇に落ちていく人は、

「企業福祉にも家族福祉にも支えられない中で、基本的に選択肢はあとは四つしかない」

と言う。

 一つはホームレス状態になってしまうこと、

 二つめは自殺、

 三つめは犯罪、

 四つめは、どんな条件でも働くという労働者になること。

 ショックだ。

 で、解決法についてはこう語る。、

 「解決法は基本的に二つだということになります。一つは制度の光を太く、厚くしてゆくことだと、これがいわゆる、福祉国家的な方向に向かうということになると、例えば、雇用保険の支給期間をもっと厚くするとか、障害の範囲を広くするとか、制度の光を強めたり、広げたりする、というこれが福祉国家に向かうときに諸国が直面する課題です。もう一つはそれだけでは闇の部分が完全にはなくならないので、やはり家族とか友人に代わる、その人に光を、スポットライトを当て続けるような人が必要だということになります、これが寄り添い型伴走型支援と言っているもので、これがパーソナル・サポート・サービスという話で言っているものです。」

 前者は、福祉国家以前的な問題で、これをプレ福祉国家的な課題で、
 後者はポスト福祉国家の課題といえる、
 
 そうだ。

 日本では、高齢化や少子化などの問題が急激に来たので、ヨーロッパなどに比べて対応が遅れていると。

 フランスのことを考えると、前者のプレも、後者のポストも、17,18世紀に都市型の活動型修道会がすでに始めていたことで、「国家による福祉」は、その宗教色を廃止したい一心で「近代国家」の創立理念に組み込んでいかざるを得なかったものだと分る。

 アメリカの建国理念が「自助努力のフロンティア精神」にあったのとはまったく違うのだ。

 で、今のフランスではどうなっているかというと、カトリック系修道会や在俗組織も相変わらず、「ソシアル」を続けている。「その道のプロ」として、国家福祉のプロジェクトに関わることも多いし、「ポスト」の部分であるパーソナルサポートを強化することも多い。

 だから、とにかく国家は「福祉」をやめられない。それが政教分離の基盤でもあるからだ。

 国家にとって、政治と福祉は別、ということはそういうことなのだ。

 特定宗教は否定しても、

 ソシアルが「聖域」

 であることからは、どの政党も逃れられないのである。
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by mariastella | 2010-11-18 22:28 | 雑感

ドイツの多文化主義

 演奏旅行からフランスに帰って、たまった雑誌類をまとめ読みしていたら、ドイツで「多文化主義が失敗した」と発表されたとあって、複雑な気分だった。

これは、一般化して言っているが明らかに「トルコ人が多すぎる」という意味なんだそうだ。

ドイツは公的場所でも宗教の自由が大きく、公立学校で女児の親がイスラム・スカーフの着用はもちろん、男女ミックスの体操や行事に参加させない、泊まりがけの旅行にも参加させない、などいろいろな問題があることは知っていた。

一応のライシテの建前のあるトルコ本国の方がスカーフ禁止などうるさいので、ドイツの方が住みやすいと言って移住する人もいるらしい。

フランスのように、公教育の場では宗教規定よりも共和国主義を優先するように義務づけている国では、それを全体主義的だとか、二世代後にはみんなフランス人になって元の文化が失われるとかいうような批判もされるのだが、ドイツはその逆だった。

まあ、ドイツはもとが領邦国家の集まりの連邦国で、宗教戦争の後は、各公国の首長の選んだ宗教(カトリックかプロテスタントか)によって住民全部が改宗を迫られるという時代もあった。

同じ頃のフランスでは、ナントの勅令以来の何世代かは、宗派の有無を問わず共通の「市民の義務」を果たすことで「市民の権利」が保障されるようになっていたから、ユニヴァーサリズムの模索の歴史はけっこうある。

ユニヴァーサリズムのもとでの多文化共生が最も難しいが最も理にかなっていると私は思う。

「文化」というものは、絶対不変の価値ではなく、時代と共に変わっていくものだし、人権意識のない時代の価値観を引きずっている部分もたくさんある。

「由緒正しい文化や伝統」などが、奴隷制だとか優生主義や人種差別や性差別の上に成り立っていることも多いし、弱者の犠牲を想定していることもある。

そういうものは、ユニヴァーサリズムとのすり合わせで、少しずつ、変化していった方がいいと思う。現に、今のような社会では、「他の文化」の情報が多すぎて、「昔ながら」を疑いなく受け入れる弱者はどんどん少なくなっているだろう。

そんな中で、女性司祭、ひいては女性司教の司教区に組み入れられることを断固拒否する英国国教会の一派が、最近、ローマ・カトリックへの改宗を明らかにした。彼らがローマに打診して、昨年の秋に教皇が改宗方法の条件を示したものに同意したのだ。

これを受けて、小教区ごと帰属を変えるところも出てきているらしい。

英国国教会ではすでに女性司祭は日常的な風景の一つになっているし、アメリカではもう20年来のことだ。

ローマ・カトリックにおける女性司祭や妻帯司祭の拒否というのは、これも「伝統墨守」の一種なのだろうか。

それとも、他宗派からの改宗を受け入れたり、一度切り離した改革拒否派を再び受け入れたりする動きも、彼らなりの「多文化主義」の一種なのだろうか。だとしたら、受け入れを決めた相手を、カトリックの本来の意味であるユニヴァーサリズムの光に照らして、共に「回心」を更新し続けていってほしいものだ。

コミュニティに他者を新たに受け入れることは、実はコミュニティ自体の回心であり刷新だというのを聞いたことがあるが、含蓄深い。

これは国家と移民の問題にも共通する問題だ。
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by mariastella | 2010-11-14 19:33 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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