L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 370 )

ドイツの多文化主義

 演奏旅行からフランスに帰って、たまった雑誌類をまとめ読みしていたら、ドイツで「多文化主義が失敗した」と発表されたとあって、複雑な気分だった。

これは、一般化して言っているが明らかに「トルコ人が多すぎる」という意味なんだそうだ。

ドイツは公的場所でも宗教の自由が大きく、公立学校で女児の親がイスラム・スカーフの着用はもちろん、男女ミックスの体操や行事に参加させない、泊まりがけの旅行にも参加させない、などいろいろな問題があることは知っていた。

一応のライシテの建前のあるトルコ本国の方がスカーフ禁止などうるさいので、ドイツの方が住みやすいと言って移住する人もいるらしい。

フランスのように、公教育の場では宗教規定よりも共和国主義を優先するように義務づけている国では、それを全体主義的だとか、二世代後にはみんなフランス人になって元の文化が失われるとかいうような批判もされるのだが、ドイツはその逆だった。

まあ、ドイツはもとが領邦国家の集まりの連邦国で、宗教戦争の後は、各公国の首長の選んだ宗教(カトリックかプロテスタントか)によって住民全部が改宗を迫られるという時代もあった。

同じ頃のフランスでは、ナントの勅令以来の何世代かは、宗派の有無を問わず共通の「市民の義務」を果たすことで「市民の権利」が保障されるようになっていたから、ユニヴァーサリズムの模索の歴史はけっこうある。

ユニヴァーサリズムのもとでの多文化共生が最も難しいが最も理にかなっていると私は思う。

「文化」というものは、絶対不変の価値ではなく、時代と共に変わっていくものだし、人権意識のない時代の価値観を引きずっている部分もたくさんある。

「由緒正しい文化や伝統」などが、奴隷制だとか優生主義や人種差別や性差別の上に成り立っていることも多いし、弱者の犠牲を想定していることもある。

そういうものは、ユニヴァーサリズムとのすり合わせで、少しずつ、変化していった方がいいと思う。現に、今のような社会では、「他の文化」の情報が多すぎて、「昔ながら」を疑いなく受け入れる弱者はどんどん少なくなっているだろう。

そんな中で、女性司祭、ひいては女性司教の司教区に組み入れられることを断固拒否する英国国教会の一派が、最近、ローマ・カトリックへの改宗を明らかにした。彼らがローマに打診して、昨年の秋に教皇が改宗方法の条件を示したものに同意したのだ。

これを受けて、小教区ごと帰属を変えるところも出てきているらしい。

英国国教会ではすでに女性司祭は日常的な風景の一つになっているし、アメリカではもう20年来のことだ。

ローマ・カトリックにおける女性司祭や妻帯司祭の拒否というのは、これも「伝統墨守」の一種なのだろうか。

それとも、他宗派からの改宗を受け入れたり、一度切り離した改革拒否派を再び受け入れたりする動きも、彼らなりの「多文化主義」の一種なのだろうか。だとしたら、受け入れを決めた相手を、カトリックの本来の意味であるユニヴァーサリズムの光に照らして、共に「回心」を更新し続けていってほしいものだ。

コミュニティに他者を新たに受け入れることは、実はコミュニティ自体の回心であり刷新だというのを聞いたことがあるが、含蓄深い。

これは国家と移民の問題にも共通する問題だ。
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by mariastella | 2010-11-14 19:33 | 雑感

Ne jamais admirer la force

 フランスの空港で出発前に買って飛行機で読んだ本 、レジス・ドブレの『イスラエルの友へ』"A un ami israélien" Régis Debray( Flammarion)の中に、レジスタンス時代のフランスで若くして死んだ有名なシモーヌ・ヴェイユの言葉が引かれていた。

 平和な世界を実現するための最も大切な三つのこと。

 
 ne jamais admirer la force, (決して力を尊敬しないこと)

 ne pas haïr les ennemis  (敵を憎まないこと)

 et

 ne pas mépriser les malheureux. (不幸な人を軽視しないこと)

 正確に言えば、ヴェイユは、これを、ホメロスの『イーリアス』について書いている。、戦争や政治において「力」の効果は常に栄光に包まれていて悲惨さを隠すようになっていって、近代ヨーロッパでは悲劇はむしろ悲恋など「愛」の物語に応用されたことを書いている。

 そして、力を尊敬すること、敵を憎むこと、不幸な人を軽んじることの三つは、人間にとって宿命的なほどに大きい誘惑だと書いているのだ。

 中でも、決して力を尊敬しないこと、は、最初にあげられていて、さらに、「決して」と強調されている。

 人間が「力」を誇示し、崇めるところでは魂はいつも、ひずみを受けるというのだ。

 私たちは、強いものや大きいものにあこがれる。

 動物行動学的に言うと当たり前、そうプログラムされていると言われるかもしれない。
 弱肉強食で、強いものが選択されて生き残ってきた。
 メスはサヴァイヴァルのチャンスの大きい強い遺伝子を持っていそうな大きくて強そうなオスを配偶者として選択する。
 縄張り争いで勝ったものが子孫を残す。

 力はいつも、数値化されて比較対照され、差別化に使われる。

 力の大小や多寡は、人の価値や優劣やましてや尊厳には何の関係もないのに。
 実際、異種間では、そういう比較には使われない。
 ゴリラがヒトより強くても、チータがヒトより速く走っても、別に尊敬はされない。

 人間同士で力を優劣や勝敗の基準にする世界では、必ず、強いものが弱いものを支配する形で利用されるのだ。

 それでも、力崇拝の遺伝子の誘惑は大きい。

 日本に帰ったとき、サッカーのワールドカップと大相撲などで、スポーツ番組がたくさんあった。

 強い、天才的、というプレーや、それを可能にする才能、すさまじい根性や気合や努力の物語があふれている。

 分りやすい。

 見てると、すごいなと思い、尊敬し、自分も少しは努力しなきゃと思う。

 私は今肩と腕を痛めているので、TV画面で大写しになる力士の裸の腕や肩の筋肉の見事さになおさら感嘆する。力と力がぶつかりあう。全力を尽くして、勝敗が決まる。

 「死闘」という言葉がある。

 ヴェイユは、人が人に力を行使すると究極的には相手を死に追いやりモノ化するという。あらゆる支配とはモノ化だ。

 死闘を見て高揚する私たち。

 ローマの闘技場では、ライオンと人との格闘に狂喜した人たちがいた。

 パレスチナでは、後に神の子と崇められる人が、辱められながら、期待された何の力も行使せずに、十字架上で、苦しみながら悶絶した。 
 
 ne jamais admirer la force(決して力を尊敬しないこと)

 というのは、「その人」が身をもって伝えたメッセージだった。

 力を崇め、求める限り、老いや病気や障害や体質その他いろいろな理由で不幸にも力を持たない弱者を軽視することとつながるかもしれない。ヴェイユの三つ目の戒めは、一つ目を自戒しなければ本当には実現できない。

 「力の発揮を前にして感動する」という分りやすい体験を、何か危険なものへの「誘惑だ」として一度も自問しない人は、十字架をシンボルにする宗教に、全然似合わないと思う。

 
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by mariastella | 2010-07-14 16:50 | 雑感

一年ぶりの仏舎利

 ヴァンセンヌの森のパゴダで恒例のフランス仏教連盟のお祭りがあった。去年大騒ぎして拝観した釈迦の「真骨」は今では祭壇後ろに納められている。去年のように至近距離ではもう見られないけれど、今年はいろいろ心配事があるのでご利益を期待してみた。

 この場所では初めてのクラシックのコンサートがあって、思いがけなく音響が優れていることが分かったので、来年は私のトリオがパゴダ改修資金集めのコンサートをやることになりそうだ。

 このパゴダの金色の仏像はいつ見てもいまひとつありがたい気がしない。なんだかパリの「ブッダ・バー」にいるような気がする。

 座禅の解説と実演があった。私はチベット・アートのスタンドで楽器を買って、豆腐とグルテンのチャーシューや偽魚などを買った。

 今年はチベット内部の対立に巻き込まれないように関係者との話に深入りしないことにした。観光客気分である。
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by mariastella | 2010-06-13 07:26 | 雑感

オンフレイがフロイトにかみついた

 Michel Onfray の宗教攻撃無神論本は、気持ちは分かるがブリミィティヴだなあと日ごろ思っていた。獲物を追う狩人みたいな人だが、狩りの季節も狩場も道具もかみあってないよ、という感じだった。

 そのオンフレイが今度は同じく無神論仲間のフロイト大先生を「裸の王様」だと噛みついた。フロイトは自分でも精神分析学は科学でなくて冒険家だと言っていたそうだ。

 フロイトの生い立ちがまたすさまじく、その自分の生い立ちを基に世界観を築いたので、最初に理論ありき、後は、こじつけに継ぐこじつけで、まるで、陰謀論世界観構築の構造と似ている。

 これほど「あやしい」のはかなり分かっているのに、ツールとして使いまわしができるせいか、何よりも、高価な「治療」が産業として成り立っているからか、ユングなど別の方向に流れたりして境界が曖昧になって、周辺部では水増し正常化とプラグマティックな方法論とニューエイジ系オカルトに吸収された部分とが混在してるからか、いまさら、「教祖」フロイトをわざわざあげつらって嘲う人はいない。オンフレイくらいだろうな。読めば楽しめるかもしれない。後はカントの性生活のJean-Baptiste Botul くらいかも。
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by mariastella | 2010-04-18 20:01 | 雑感

IRIS 会議

 今年のIRIS(institut de relations internationales et stratégiques )の定例会議(Conférences stratégiques annuelles)の案内を受け取った。

 「持続可能な成長は地政学の新しい策となるか」というのがテーマで、政府関係者、国連関係者、政治学院やビジネススクールやEU関係者、各種の研究所代表とかが公開でディスカッションするのだが、「気候変動は国際関係の新しいパラディグムか?」というグループのところに、
Le Roy Ladurie の名が入っていたので驚いた。

 モンタイユーの研究などで有名な精神史家で、この人の本はずいぶん読んだ。

 彼がこの文脈で何を話すのか非常に興味をそそられる。行ってみようかな。
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by mariastella | 2010-04-18 19:38 | 雑感

月を盗んだ子供たち

 前に「信じられない」「あり得ない」とあきれまくった記事をどこかに書いたが、ポーランドの一卵性双子政権が、これまた驚くべき形で終焉した。弟、これから、大統領になるのか?

 今度の事故で初めて知ったが、この2人は13歳の時に『月を盗んだ子供たち』というドラマ(映画?)で共演して、国民的人気を得ていたそうだ。

 そうか、同じ姿のおじさんがふたり突然、権力の座についたわけではなかったのか。「二人でひと組」というのが少年時代から認知されていたんだなあ。そういえば童顔だから、面影もあったんだろう。合掌。

 世の中には、権力者の政敵に事故で死んでほしいと望んでいる輩もいるだろう。めったにそんなことは起こらないが、今回起ったのは、政敵にチャンスが転がり込んでくるようなシチュエーションじゃなくて、姿かたちまで同じのスペアがあるという特殊なケースだ。運命とは皮肉だ。亡くなったのもロシア領内だし。

 カチンスキーのお兄さん、今頃、ほんとに月を奪っているかも。
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by mariastella | 2010-04-13 17:59 | 雑感

ロシアの天然ガスとユダヤ女性のカツラ

 今日、プライヴェートのパーティで、トルコ人の生化学者と話しこんだ。副業(?)に地政学のジャーナリストもしているということで面白い話が聞けた。うちで検索したら、軍事コンサルタントという肩書もある人だった。

 ロシアって、中央アジアから安い天然ガスを輸入して使い、自分のところで生産する天然ガスをその五倍の値でヨーロッパに売りつけてそれが国の総生産高の四分の一を占めているそうだ。

 私がトルコのライシテと女子学生のヘアウィッグ(髪は見せてはいけないが、イスラムスカーフも禁止なのでカツラをかぶる)の話をふると、それは一部のユダヤ人女性の間でもよく知られた現象なのだそうだ。自毛を見せてはいけないがカツラOKって完全にどこかおかしいのに、内部にいたらそれが分かんないというのは、他人事とは思えない。

 女性の髪について、隠さなければいけないようなものを神が創るはずがない、と彼は言った。

 私は無神論の話をして、陰謀論は無神論の一形態という説を披露した。

 ユニヴァーサリズム擁護のために共闘しようというところで話が一致した。

 EUとトルコとの関係についていろいろ偏見を抱いていたが、少し見方が変わった。生身の人間の力って大きい。
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by mariastella | 2010-04-05 07:48 | 雑感

サイトの管理人さんのこと

 先日亡くなった私のサイトの管理人さんについて、彼女と知り合うきっかけになった共通のお友達が掲示板にコメントを入れてくれました。

http://8925.teacup.com/babarder/bbs?

 私はこのブログには詳しいことを書くのは控えたのですが、そのような事情でした。
 「闘病」と「生活の質」との兼ね合い、折り合いは難しいものがあります。

 それは生と死との折り合いかもしれません。

 健康意識が強迫的になりがちな今、「一病息災」教のように各種の数値管理をしている人たちもいます。
 もっと具体的な「闘病」の毎日を送っている人もいます。
 ジョギングしたりスポーツジムで筋トレに励む人はそれなりの充実感があっていいですが、各種の療法や服薬の副作用で苦しむ人もたくさんいます。合併症などの恐怖も判断力を狂わせますが、薬品による治療の副作用としての倦怠感も確実に生活の質を蝕みます。

 生と死の折り合いって、ひょっとして、体と心の折り合いなのでしょうか・・・・
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by mariastella | 2010-02-25 18:37 | 雑感

近況(続き)

 さっき、近況とした記事をUPしたが、何だか、近況を伝えてない陰謀論の話になっていたので、もう一度。

 ようやく無神論が終わったので、仕事と関係ない本を1冊読み始めた。
  Maya Angelouの 『 I know why the caged birds sing 』の仏訳本だ。
 あのジェームス・ボールドウィンが最高に感動したと言うので、どきどき。
 最初から、胸が詰まる。
 アメリカで黒人であることとか、教会との関係とか。
 本って、いろんなことを教えてくれるなあ。

 こんなすばらしい古典だが、マヤ・アンジェロで検索したら、日本語訳が出てこない。何だか、児童虐待のサヴァイヴァーの例として挙げられてるのだけが見つかった。ほんとに訳がないのだろうか。

 年末年始は忙しかったので、娯楽は、映画は『Le concert』(Radu MIHAILEANU)を、後、フランスでは始めての上演になるミュージカル『 The sound of music 』 を観ただけ。前者の映画の舞台がモスクワのボリショイ劇場とパリのシャトレー劇場で、後者のミュージカルはそのシャトレー劇場での上演なのでおもしろかった。

 前者は、まあ話は安易な感動ものなんだが、細かいところがいろいろ笑える。
 チャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトを延々と聴かせるラストは確かに感動させられるが、こういうのに感動したとうっかりトリオの仲間に言ったら嫌がられそうだ。

 前に、『De battre mon cœur s'est arrêté 』 ( Jacques Audiard)に感動したとトリオの仲間に言ったら、ああいう安易な映画は(音楽)教育によくないと言われた。18歳の時以来、10年もピアノを触っていない青年が、必死に練習すれば2週間でバッハのフーガを仕上げられるというストーリーが、幻想を与えるというのだ。
 それを言うなら、ブレジネフ時代から30年も弾いてないオーケストラ員たちが、新しい楽器とか急に渡されたりして、30年弾いてないチャイコフスキーをリハーサル抜きで弾けてしまうというこの映画は、まさに荒唐無稽でしかない。ソロのヴァイオリンに触発されてインスパイアされ、昔の感覚がよみがえるというのは分るけど、感覚とテクニックは別だしなあ。
 いや、あり得ない、ほんとに。指揮者は分る。30年間頭の中で指揮し続けてたんだから。ヴァイオリニスト一人とチェリストが引き続けてたので何とかいけるというのも分るが・・・

 私と室内楽トリオをやっているヴァイオリニストのジャンは、感動した、と言っていた。でもジャンは、音楽教師ではない。結局、現役の楽器教師で、若い子たちと向き合っているうちのトリオのメンバーには迷惑な映画だと言うことなんだろう。
 同じような外国で公演する音楽家グループにまつわるどたばた劇でも、フランス・イスラエル合作の『迷子の警察音楽隊 La Visite de la fanfare』(Eran Kolirin)の方が、確かに感動が深かった。

 ミュージカルの方は私のヴィオラの先生コリンヌがオーケストラで弾いていた。
 私の世代の日本人にとって、サウンド・オブ・ミュージックと言えばミュージカル映画の古典で、今回始めて舞台で見て、懐かしさに泣けてきたが、そういう歴史のないコリンヌは、5つくらいのメロディーしかなくてそれを繰り返し弾くのは飽きて疲れた、長すぎると言っていた。プログラムで、実在のマリアがどう生きてきて、ミュージカルにどう関わったかなどのエピソードが書かれていて、そんなことはすっかり忘れていたし、1960年代以降の後日談は知らなかった私には興味深かった。

 いくつかのナンバーをネットで検索すると楽譜、歌詞、コードが出てきて簡単にプリントアウトできた。ほんとに便利な時代だ。

 1月は、24日にプライヴェートのサロン・コンサート、ここではじめて私たちの非平均律ギターを披露することになる。12月半ばの生徒の発表会の前に少し弾いたのだが、今回が本格的なもの。
 30日には10区でレクチャー付コンサート。ここで、ロンドンからバロック・ダンサーの湯浅宣子さんが合流してくれるので、31日にはダンスつきで練習する。6月にダンス付き公演。基本的に同じものを10月末から11月はじめに日本で公演する。いろいろ考えたが正律ギターと言うのをやめて、非平均律、又は正五度と呼ぶことにしよう。正律は不可能だし、五度がぴたりと来るのを目的としているから。
 「西洋近代音楽」は平均律とともに成立したようなもので、「非平均律」はそれだけで、もう古典邦楽に近いものがある。音楽の受容についての本を書き上げたい。

 後は、ジャンヌ・ダルクの連載分を今月から書きはじめなくてはならない。新しい資料もたくさんあるので、何から書いていいか迷うが、これも、いわば、「無神論」と、無神論フランスの宗教となったライシテと、ローマ教会と、陰謀論とがミックスした近現代フランスの心理ドラマである。19世紀末から20世紀初頭(つまり反教権主義的ライシテとカトリックとナショナリズムとが混然となって葛藤していた時期)に復活したジャンヌダルクに関する言説の資料がほとんどすべてネット上で読めるのもすごいことだ。
 ユニヴァーサルなことと超越との関係、それとナショナリズムやアイデンティティの問題、ポスト・ポストモダンとの関係という、極めて「現在」的なさまざまなテーマを、ジャンヌ・ダルクを通して見ていくのは興味深いことである。

 バロック・バレーではムニュエにおけるエミオルの演奏とずれをやっている。
 Menuet では、123456、と2小節ずつの展開だが、急に、1 3 5 というアクセントになり、それをキャッチした後でダンサーがエミオルを始めるので、4、6、にアクセントがずれる。これがきれいに入ると非常におもしろいのだが、なかなか難しい。
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by mariastella | 2010-01-14 03:17 | 雑感

近況

 このブログにご無沙汰してたので近況を少し。

 たった今、サイトの掲示板

 http://6318.teacup.com/philosophie/bbs?

 で、認識論と存在論の違いについてお返事したところ。

 このところ、ようやく終わった(というか、一旦おわらせた)『無神論の系譜』(4月出版予定、仮題)の中で、君たち、どうしてそんなにそれにこだわるんだい、と言いたくなるくらいに強迫的な、キリスト教世界(特にヨーロッパ)の「神は存在するのか?」という問いに付き合ってきたので、それと分けて考えることができなくなっている。

 (その掲示板で触れたウィルスの論文というのはとても面白かったので、でも日本語に訳する元気がないので、もし読みたい人はお分けします。)

 でも、こういう斬新な論文を読んでると、陰謀論とかトンでも説もちょっと頭をよぎる。

 陰謀説とか世界の終わり説について、1999年のノストラダムスに続いて、2012年に向けて何か言わないかという誘いを受けたので少し読んでみたら、科学トンでも説とSFが双子のように同時に生まれたこととか、「闇の権力の陰謀」というのは、1830年ごろにアメリカで生まれたメンタリティ(その理由は連邦政府と州政府の権力関係の逆転に関係する。フランスみたいにもともと中央集権の国ではなるほど生まれないわけだ)だとか、面白いことがいろいろ分ってきた。ま、結論からいうと、2012年に、世界は今とそう変わってないと思う。私個人が死んでる確率は、歳相応に大いにあるわけだけど。

 陰謀論で言うと、12月下旬に発表されたピウス12世の尊者(福者や聖人になるのは奇跡認定待ち)決定にまつわるニュースにも、すごく複雑な思いがした。
 過去に、ピウス12世「ヒトラーの猟犬」とかいう告発本を「カトリックの反省も込めて」訳してくれと持ちかけられたことがあるので、他人事とは思えない。

 まあ、列福とか列聖というのは、カトリック内部の基準であるので、ある人物の歴史的評価とかではない。
 しかも、今でこそ、ヨーロッパ中で、ユダヤ人問題とか過去のホロコーストとかは、手を触れれば火傷しそうなデリケートな政治的テーマであるが、1940年代の初めには、ヨーロッパにおいてそれほどの優先的な関心事ではなかったという現実がある。時代によって、事項のズームのされ方というのは変わってくるので、当時必死でユダヤ人を守る言説を繰り返さなかったからといって、今の見方で軽々しく断罪はできない。

 ピウス12世は、ナチスのホロコーストを見逃したとさんざん言われているのだが、彼が1958年に亡くなったときには、当時のイスラエルのゴルダ・メイヤーを含めてユダヤ世界はその徳を讃えている。ピウス12世の采配でカステル・ガンドルフォだけでも3000人のユダヤ人が命を救われているということで、彼は、ユダヤのPave the Way 財団によって、義人としてヒューマニズムと信仰と勇気の模範とかさえ言われているのだ。ローマの大ラビもイスラエルの大ラビも認めている。
 ただし、教皇という立場だから、「どこそこの夫婦が危険を冒してユダヤ人の家族を屋根裏にかくまった」というような分りやすい義人ぶりではなくて、間接的ではある。それでも、昨年の12月8日にNYのYeshiva UV でこのテーマの資料の展示会があって、ラビになる勉強をしている学生たちもピウス12世の「義人」ぶりを認めているそうだから、コンセンサスはあるようだ。
 しかも、今サイトが見つからなかったが、ユダヤ人で、これも異様な熱心さで、ピウス12世を弁護する本を何冊も出している人がいる。不自然なくらいだ。

 それでも、怖いと思うのは、それほど、どちらかといえばユダヤ人受けしていたピウス12世なのに、1963年に Rolf Hochhuthe の戯曲ひとつで、ころりと「ヒトラーの猟犬」側へと、評価の風向きが変化してしまったことである。
 時代が大物のスケープゴートを求めていたということもあるだろう。でも、それ以来の執拗なネガティヴな意見の嵐と、「ヴァチカンが秘密資料を隠匿している」式の陰謀説の根強さは一体なんだろう。
 アメリカの陰謀論体質とヨーロッパにある強固な反教権(つまり反教皇)主義と、当時の冷戦構造と、左翼運動の高まりが混ざって大きなうねりになった?

 確かに、無神論の歴史を調べていくと、「左翼=無神論=反教権主義」は、健気なくらい、セットになって、三位一体の宗教になっているのだ。

 お前ら、トラウマ、大きすぎ、といいたくなる過剰反応をする。

 もちろん、現教皇のB16 が 「空気読めな」さ過ぎて、何もがんばってピウス12世の徳をこの時期に讃えなくとも、という意見もあるが、彼は彼の立場でやることをやっているんであって、1月17日に始めてローマのシナゴグを訪問するチャンスをこんなことで潰してはいけないと、ラビも言ってる。すごく冷静に見ると、キリスト教の敵はユダヤでなくて、キリスト教圏の人間同士だなあと思う。

 まあ、逆に、彼ら同士でしかできないようなしっかりした研究もあるんで、Pierre Blet とか Philippe Chenaux なんかは、信頼できると私は思っている。

 後は、インタネットの存在と陰謀論の流布の仕方の関係だ。

 デマ、噂、流言、ジョーク。

 ネットがあると、想像のつかない広がり方をするし、信じられないような効果を与えることもある。

 適切なマーケティングをして情報戦略をたてれば、2ヶ月あれば、世界中の人に神の存在を信じさせてみせる、と言ったのは誰だっけ?

 悪魔の存在なら、2週間で、OKだろうなあ。

 
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by mariastella | 2010-01-14 01:03 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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