L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 400 )

Brown Babies

第二次大戦後のドイツで黒人のGIとの間に生まれた子供たちのドキュメンタリーをArteで見た。

私の親戚に、生後すぐにフランス人の養子になった「ボッシュの子」と結婚した人がいる。つまり、フランスがドイツに占領されていた時のドイツ兵とフランス人女性の子供だ。養子先は裕福な商家で、養子の彼が唯一の子供だったので、贅沢に育っていた。金髪碧眼でがっしりした感じは、何となく「ボッシュの子」とはこういうイメージなんだろうという気もしたが、フランス人としてまったく違和感はない。

それでも、部外者の私にまでその出自が伝わるのだから、占領軍と非占領国の女性との関係そのもののインパクトは残り続けるのだろう。

「brown babies」 とは、黒人とドイツ人女性とのハーフだ。

第二次大戦後の日本でも占領軍との間に生まれた「混血児」の話は少なくなく、沢田美喜のエリザベス・サンダースホームの名などは私にもなつかしい(私の父が沢田美喜さんと仕事上の関係を持っていたからでもある)。GIベビーともよばれたらしいが、やはり黒人とのハーフのイメージが強い。詳しく知ったのは、もう30年以上前に読んだ有吉佐和子さんの『非色』(1964)という小説によってだ。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%9E%E8%89%B2-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%89%E5%90%89-%E4%BD%90%E5%92%8C%E5%AD%90/dp/404126202X

ヒロインは勤め先の駐留軍キャバレーで知り合った黒人と結婚するが、夫は娘のメアリを白雪姫と呼んだ。やがてアメリカへ渡り、日本では占領軍で羽振りがよかった夫が本国では差別されていることを知り、黒人の下にプエルトリコ人がいることや、白人の大学教授と結婚している日本人の家庭で働いて、その白人がユダヤ人として差別されていることを知るなど、複雑な差別と偏見の構造や心理が書かれている。

日本人と黒人の間でさえそうだから、アーリア人優生思想を掲げていたナチスのドイツで、見た目は白人と変わらないのにホロコーストの対象となったユダヤ人どころか敵国の黒人の子供を産んだドイツ女性への風当たりはすごいものだったろう。

アメリカはヒトラーの人種差別を宣伝することで黒人の参戦モティヴェーションを高めたようだが、実際多くの黒人兵がドイツにいたらしい。アメリカのGIたちには、ドイツ人とつきあってはならない、友人関係をもってもいけないという禁令が1945年に出ていた。にもかかわらず、1946年には「混血児」の出生が相次ぎ、禁令も解除されざるを得なかった。子供の母親と結婚したGIもいたが、みな朝鮮戦争に送られることになった。アメリカの軍隊内での人種差別が撤廃されたのは1948年で、本国では、1964年まで公的な人種差別が続いていた。

つまり、アーリア人の純潔思想に染まり、「教会、キッチン、子供」のみっつのKを守っていたドイツ人女性が、アメリカでさえ「二等国民」と見なされていた黒人の子供を産んだわけなので、風当たりは当然厳しかった。

驚くのは、アメリカの黒人女性ジャーナリストが提唱して、ブラウン・ベビーズというプロジェクトを始動、新聞紙上で養親を募り、1951年から、7000人ものハーフの子供たちが、ドイツからアメリカの黒人家庭に送られたことである。

その女性は自分自身も12人もの子供を養子にした。

男の子などには、同じようなドイツのブラウン・ベビーばかり5人を養子にした家庭の農場で奴隷のように働かされたという例もある。彼らは「恥の子」として労働力を搾取されたわけだ。

母親の中にはもちろん子供と引き離されるのを拒んでいた者もいたが、生活苦から、子供を手離してドイツ人と結婚する人が多かった。
多くの子供たちは1946-7年に生まれ、1951-3年ごろにアメリカに渡っているので、すでに環境の変化を感じる歳だった。

なかには、「黒人」女性ではじめてのテレビ・キャスターになったドリス・マクミロンという有名な人が出て、この人はミュンヘンにまで母親を訪ねていった。28年ぶりの再会ということで新聞記事に取り上げられたことで、母親は人種差別者からの脅迫を受けるようになったという。

母親はもう亡くなっていたが白人の異父妹や姪と出会った女性もいる。彼女らは異父姉の存在を知っていたがそれはタブーの領域だった。父がプエルトリコ人だったらしいことも分かった。アメリカから調査してドイツまでやってくるような人は裕福な人が多いから、そんなハーフの異父姉に出会った白人の妹が「私もアメリカに行きたかった」などとしみじみ言うシーンもある。

フランスには、「島の人」という表現があって、カリブ海にある海外県のグアドループなどの黒人を指す。サッカーのナショナル・チームなどにいる黒人はたいていこれらの「島の人」だ。フランスでは養子縁組も多いが、たいていは白人のカップルで、ハイチやアフリカの黒人の子供を抵抗なく養子にする。

人種差別法があった1950年代のアメリカでは、黒人とのハーフの子供は「黒人」であるから、「黒人家庭」の養子になるしかなかった。

21世紀に黒人のハーフであるオバマ大統領が生まれるとは誰も想像できなかっただろうが、そのオバマですら「初の黒人大統領」という言い方ばかりされた。同じ人がもしケニアで大統領になったら決して「初の白人大統領」とは言われないのは明らかだ。

私の音楽の生徒にも「島の人」と白人フランス人女性とのハーフの子供がいる。子供たち自身はどちらかというと黒人のアイデンティティを持っている。女の子の似顔絵をマンガ風に描いてやった時、「これじゃ白人みたいだ」とコメントされてあわてたことがある。日本のマンガの世界では、少なくともモノトーンなら、白人と日本人の区別は必要がない。一つの画面に両方出てきて違いを強調する時は別だが。黒人をどう描くかという場面は想定したことがない。今や自粛の対象となる「ちびくろサンボ」だとか手塚治虫のマンガの黒人くらいしか思い浮かばないのだ。ましてやハーフとなると・・・。

最近日本に20日間ほどいたが、不況や大震災の影響か、いつもの行動範囲内に、白人の姿はかなり減って、黒人は一度も見かけなかった。一度も、である。これだけグローバル化した時代でも、「島国」感はぬぐえない。

しかし、肌の色の濃淡は、もちろん環境要因によるメラニン色素の多寡という適応変化でしかない。また、黒いよりも白い方がいいなどというのは文化や時代によって変わる。

ヨーロッパや日本でも「深窓の令嬢」のように、戸外で働く必要のないことを意味する白い肌の女性に美や純潔のイメージが付与された時代があるかと思えば、今はバカンスに出かけたりアウトドアの活動ができたりする余裕の象徴として日焼けした肌の女性が好まれて日焼けサロンが繁盛するほどである。

ブラック・アフリカも例外ではなく、今でもタンザニアやブルンジなどでアルビノスの子供が生まれてきたら殺されたり、白い手足を切断されてミイラ化したそれを呪術の道具にされたりすることがあるので、白いことが不吉や恐怖につながるのかもしれない。

犠牲者を守る国際人権団体もがんばっている。2008 年3月にはじめてタンザニアの大統領が禁止して173人の呪術師を捕らえたが、事態は改善しておらず、障碍者にされて亡命する人もいる。

一見平和な生活を営んでいるような部族でも、実は、さまざまな理由からマイナーな弱者になった存在を排斥したり殺したり 抑圧したりしてその平和を保っていることが少なくない。性器切除と縫合のように若い女性のほとんどが対象になる地域もある。そこにずっと暮らしていたら、祖母も母親もそれを継承するわけだ。アルビノスでも女の子が悲惨なようだ。

結局どこでも、「多数派と違うものを排除しよう」という圧力が働くわけで、それを思うと、個人的には、「白か有色か」がはっきりしない「混血」がどんどん進むといいと思う。遺伝子的にもサヴァイヴァル能力が増すし文化的にも豊かになる。

しかし、結局は、肌の「色」だけの問題ではない。

傷跡やあざ、ニキビやソバカスに至るまで、「見た目」は社会関係を左右するし、長生きすれば誰しも避けられないシミやシワなどの「経年劣化」も、人の心を深刻に蝕むことがある。

まあ「経年劣化」がとことん進めば、心身機能さえ維持していれば人は尊敬や憧れの対象になり得るし、「肌の色」だの「人種」だの「性別」だのの差すら限りなく小さくなる。

「外見」が本当に圧力となるのは、人がモノとしての価値を持つ場合なのだ。

一方、そういう「価値」の序列から逃れさえすれば、人はなんの偏見もなく異種を愛し、仕え、共存することができる。

混血など不可能で肌の色どころか形態もまったく違う犬や猫のペットを家族同様に愛する人は少なくない。

「そこにいてくれるだけでいとしい」

という存在は、外見の差など関係ないし、価値観の共有やコミュニケーションの有無ですら関係がない。

「命」が私たちを惹きつけ、結びつける。

優生主義の誘惑とはとことん戦わなくてはならない、と思う。

若い女性に一定の理想型の情報を流し続ける文化の罪は、重い。
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by mariastella | 2011-09-15 17:26 | 雑感

オスロのテロ事件

 書きたいことが山のように溜まっているのだが、今、忙しいので、例のオスロの事件がらみで、忘れないうちに、ほんの少し、書く。

 私は5月のカンヌ映画祭で、ラース・フォン・トリアが、「ヒットラーにシンパシーを感じる」とかいったことで、カンヌから追放されてしまったことに対して、「これって過剰反応じゃないの?」と思っていた。

 ところが、今度のオスロ事件の銃乱射男が、facebookの中でお気に入り映画に挙げていたのがトリアーの『Dogville』だと聞いて、すごく複雑な気がした。

 本音だから正しいとは限らないし、正論だから建前だけとは言えないし、みんなの言わないことをあえて言うからといってそれが真実だともいえない。

 『ドッグヴィル』って、かなり危ない映画だと思う。

 どんな人の心にも、嫉妬や恐怖やその他もろもろで他者を虐待したいとか殲滅したいという類の気持ちが潜んでいるとしても、マイノリティの権利を守る、みたいな理由付けで、そういう感情に市民権を与えたり光を与えるのはよくないなあ。

 芽のうちに摘み取ってもまた生えてくるとしても、せめて大きく育たないように日陰に押し込めておかないとだめだ。

 偽悪の方が偽善よりましだと思うときもあったけれど、凡人は「偽善」でいいから悪を牽制したほうがいいかも。
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by mariastella | 2011-07-31 03:10 | 雑感

社民党や社会党のこと

フクシマという日本語は最近フランスでもっとも耳にする言葉になってしまった。フクシマさんという名の日本人がフランスに住んでたら困っているかもしれないなあ、と思う。
福島みずほさんは大丈夫かな、福島みずほさんの社民党は一貫して脱原発派でよかったなあ、とも。

そんなことを考えていたら、この語呂あわせで福島さんを揶揄している発言をネットで見つけた。女性差別発言でもある。日本で「社民党」と「女性」の組み合わせにはネガティヴな含意がいろいろありそうだ。

今のフランス社会党の大統領予備選にはセゴレーヌ・ロワイヤル女史とマルチーヌ・オーブリー女史という二人の女性が立候補している。

ロワイヤル女史は前回の自分自身のカリカチュアのような雰囲気だ。あれ以来離別したパートナーであったフランソワ・オランドが今回は最有力候補になっている。

私はオランドは生理的に嫌いなのだが、多分候補者たちの間で最も頭がいいと思う。
ジョスパンもシラクより頭のよさが際立っていたが敗れた。政治家は頭のよさで墓穴を掘ることもある。

今でもある意味不思議なのは、そもそも5年前になぜ、ロワイヤル女史が社会党予備選を勝ち抜いたのかということだ。

当時彼女に敗れたのは今ソフィテル事件で戦力外になってしまったたDSKとローラン・ファビウスの二人だった。

どう考えてもDSKとファビウスの方が本選ではサルコジを破る力があったような気がする。

誰も表立っては言わないが、

予備選でロワイヤルが勝ったのは、

彼女がフランス軍人の娘で、カトリックだったのに対して、

DSKとファビウスが共にユダヤ人だったからではないだろうか。

そして、本選でロワイヤルが敗れたのは、

彼女が女だったからかもしれない。

アメリカの民主党予備選で黒人の男オバマと白人の女ヒラリーとが争い、ヒラリーが優勢だったが、共和党との本選になると男には負けるだろうから、黒人でも男のオバマが戦略的には有利だという論評が存在した。

それを応用すると、5年前も、女よりは、「ユダヤ人でも男」の社会党候補なら勝っていたのだろうか。

「移民の二世でも男」のサルコジが勝ったのだから。

まあ、前回そのサルコジを選んでしまったのだから、今回の敷居はぐっと下がって、DSKのユダヤ性などもう誰も問題にしなくなった。来年の大統領選では最有力と言われていた。

しかしDSKはセックス・スキャンダルで自滅。

それにひきかえ、サルコジは「最低の大統領だが最強の大統領候補」だと言われている。

一番人気だったDSKが、ホテルのメイドから訴えられているこの時期に、妊娠中のおなかをあらわにした水着姿の奥さんと海辺のバカンスのツーショットを撮らせたりしている。

社会党候補たちがなりふり構わずテンションを上げている時に、ついこの前まで攻撃的で興奮していたサルコジは、口数が少なく、温和なそぶりを保持している。

サルコジが再選されたらフランスの崩壊は進むだろう。

社会党が17年ぶりに返り咲いたら、別の方向に破綻するだろう。

ヨーロッパ議会とのバランスやゴーリズムの求心力の有無によっても変わってくるだろうが。

ちなみにフランスでは与党はもちろん、社会党でも緑の党でも、脱原発は党是ではない。
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by mariastella | 2011-07-19 01:56 | 雑感

セリーヌと猫

小説家のセリーヌについて語ることは日本でよりもフランスでの方がずっと難しい。

20 世紀のフランスのインテリの歴史でタブー中のタブーである「反ユダヤ主義」を表明して、連合軍が迫ってきた時には逃亡して、死刑判決まで受けている。

だから、彼のたとえば、有名な処女作『夜の果てへの旅』などについてだけコメントする人でも、後の彼がとった政治的立場に対する旗色を明確にせずには語れない。

そして、「人種差別」は「悪」に決まっているのだから、セリーヌを語る人は、その毒からあらかじめ身を守る必要がある。「『著者』の人となりとその作品を別に論ずる」と前提しなくてはならないのだ。

私には、なぜだか、セリーヌがああいう風に理念的に自滅に向かった気持ちが理解できるような気がする。
彼自身の被差別への感性と関係があるように思えるのだ。
彼は貧しい生まれからの社会的上昇を目指して医学部に入ったが、医学部に親子代々のユダヤ人グループが根をはっているのはすぐ分かったはずだ。

それはいいとして、今年はそのセリーヌの死後50年なのだが、ムードンの彼の家には、何とまだ未亡人が100歳に手が届く歳で存命だ。

彼女はここで80歳を過ぎるまでクラシック・バレーとキャラクター・ダンスを教え、多くの教え子を送り出した。

セリーヌは若い頃にやはりアメリカ人バレリーナに夢中になって、女帝と呼び、パリにも連れてきたが、彼女は歳と共に美しさが失われるのを恐れてアメリカに戻った。セリーヌはカリフォルニアまで追いかけたが、彼女はユダヤ人と結婚した。

その10年ほど後で、18歳年下の30歳のバレリーナであるリュセットと結婚したのだ。この人が、逃亡時代も含めてセリーヌの晩年を支えてきたわけだ。

ムードンの家には、「ダンス教師」の看板と、「貧しい人のための医師」の看板とが二つ並べてかけられた。患者はほとんど来なかったらしい。セリーヌの本そのものにはまだ商品価値があり続けたので、ガリマール家の娘たちもリュセットのバレエの生徒になったなど、交流は続いた。

この家で、リュセットは夫と共に10 年暮らし、そのあとさらに30年以上バレーを教え、さらに20年近くたったわけである。

リビングにの壁はコルク材が張られていて、そこにセリーヌの写真と、彼の描いたネコのクロッキー画がたくさん飾られている。来客の足元に、外猫と冴えない犬が横切る。

セリーヌのデッサンのモデルは彼らと亡命生活を共にしたベベールBébertだろう。ドイツ占領地区のモンマルトルで俳優に捨てられたこの猫を夫妻は保護した。

Un chat c'est l'ensorcellement même, le tact en ondes ...'(猫は魔法そのものであり、波動の触覚だ・・・)

とセリーヌは書く。

ムードンには他の動物もたくさんいたらしいが、亡命生活を共にできたのはダンサーの妻と猫のベベールだけだったのだ。

医学、バレー、猫、そして文学と反ユダヤ主義。

いずれも毒でもあり、強烈な副作用を隠す薬でもあったにちがいない。
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by mariastella | 2011-07-15 02:00 | 雑感

中央公論と婦人公論

送っていただいた中央公論の7月号と、前に読んだ婦人公論(4/7号)の記事の差にショックを受けた。

まず、前者に翻訳掲載されていたのは、レスター・ブラウンの「世界を震撼させる真の『食糧危機』」というワシントン・ポストの記事だ。

ある意味ではよく耳にする話である。

世界の人口がどんどん増え、増えていく中産階級が卵、肉、ミルクなどの「より高級な食物」を消費したいと願い、それまで世界中を支えていた食料生産国アメリカもついに手に負えなくなった、灌漑によって20年以上食料自給を可能にしてきた乾燥したサウジアラビアも再生不可能な地下水層をほぼ枯渇させた、など。
危機感あおり型。

で、「婦人公論井戸端会議」での川島博之さんと浅川芳裕さんの説明を聞くと、全然違う風景が見えてくる。

川島さんは、世界の食料生産は順調、今の穀物相場高騰の原因は「投機資金が食糧市場に向かったため」でほぼ100%説明できるという。サブプライムローンなどの金融商品を扱っていた投資銀行などが資金を引き上げ、金、原油の後に穀物に振り向けたからだ。原資はオバマ政権の金融緩和政策によって放出され続けてきたドルである。

レスター・ブラウンはそのことについてまったく触れていない。調べると彼はオバマ支持者だ。

一方フランスでは、アメリカの後追いをするサルコジですら、ブラウンがちらと書いているように、商品市場での投機を抑制することで食糧価格の上昇に対抗しようとG20などで提案している。

ブラウンはそれは対症療法でしかない、あくまでもエネルギーと水利と人口の問題、と言うのだが、いろいろ腑に落ちない所もある。

また、サウジアラビアの感慨は、海水を淡水化する技術開発による灌漑がメインだとサウジアラビアで聞いたことがあるし、川島さんや浅川さんも、技術の進歩で生産性は飛躍的にアップしたので世界の食糧生産は人口増加のペースを上まっているという。作り過ぎないような生産調整の方が大変だともいうのだ。

浅川さんによると、生産額を基にした食料自給率では日本はアメリカ、フランスに継ぐ世界3位だそうだ。世界最大の食糧輸入国もアメリカで、国民一人当たりで見ると、輸入額も輸入量も日本はフランスより少ないそうだ。

一方ブラウンは、裕福になりつつある中国の14億人の消費者がアメリカの消費者を相手に、アメリカの収穫穀物を争奪し始めるとすれば、アメリカの安価な食べ物の時代はもうすぐ終わるかもしれない、とか脅す。

うーん、どちらも、それなりのバイアスがかかっている気がする。

日本の食料生産量を価格ベースで比較するのも疑問だし、ビジネス視点と政治視点の差もある。

問題なのはやはり、世界規模での食糧分配の不公平が、弱者の生存権を侵しているという点ではないだろうか。

私は以前、フランスの農業政策について新潮45に記事を書いたことがあるので、考えさせられた。
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by mariastella | 2011-07-14 00:15 | 雑感

ギリシャ財政危機について覚書

以前に14世紀のフランス王によるテンプル会の弾圧(というより財産没収)について書いたことがある。

http://spinou.exblog.jp/16137602/

今朝ラジオでEUのギリシャ人閣僚(Maria Damanaki ?)
の女性がギリシャの経済危機についてインタビューを受けて、現在の公的製作である大量の公共財民営化を批判する意見を述べていた。

ギリシャの経済危機というのは、まあ今は多くの国が抱えているのと似た問題で、国家財政の赤字で国庫が破たんした状態である。こうなると普通は、債権国が債権の一部を放棄する、通過を切り下げて対外競争力を高める、などという対策に向かうのだが、ギリシャの場合、主要債権者であるEUは借金棒引きを認めず、通過もユーロ圏なので切り下げられないので、国内の年金やら賃金カット、公共財の民間売却に向かっていて、当然ながら国民は大反対しているわけだ。

で、フランス人のインタビュアーが、突然、こういうニュアンスで質問をはさんだ。

「ところで、ほれ、あの、ギリシャ正教会ですがね、7千億ユーロも財産を持っているっていうじゃないですか、これって今の国家赤字の何倍ですかね」

これに対してギリシャ人女性政治家(野党)は、答えをはぐらかした。

その中で「カトリックと違って正教は営利事業もたくさんしているからそれには税金をかけているんです」と言っていた。

ギリシャにおいて正教が深く人々の生活に根差しているのは言うまでもない。

それにしても、このやり取りは興味深い。

フランスでは、カタリ派十字軍もしかり、テンプル会もしかり、フランス革命もしかり、政教分離法もしかり、財政に逼迫すると、「ほら、あそこ、あそこに財産が眠ってるぞ」という感じで、世俗の権力が宗教権力の財を没収してきた前例が豊富にある。

一方で、中世以来の各種信心会という互助組織の伝統はもちろん、17世紀の都市圏を中心に、カトリックによる社会救済活動が今日のさまざまな社会福祉の基礎を作ってきた経緯がある。

それを引き継いだ世俗政府の社会政策が赤字を招くという構造にもなっているわけだ。

ギリシァの方は、長い間のトルコによる支配の歴史もあるし、突然西ヨーロッパベースのEUに加盟しても、社会民主主義の基礎が実は曖昧だ。

だとしても、今のギリシアの財政危機という文脈で、「ギリシャ正教の財産」について思いをはせて口にするというのはすごくフランス的な気がした。

日本でも織田信長の比叡山焼き討ちなんかが有名だが、財政赤字の解消に関して伝統宗教の財産のことを想起する人なんかあり得ないと思う。

伝統宗教が実生活であまり意味を持っていないことについては、今の日本とフランスは結構似ているのだけれど。

そんなわけで、覚書。
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by mariastella | 2011-06-16 18:10 | 雑感

幽霊屋敷と悪魔祓い

2010年、64歳の作曲家ジャン=マルク・マリオルと53歳の妻シャルロットは、フランスを離れて憧れのイギリス地方都市に居を構えることにした。

家賃の高いイギリスで、75000円ほどで、建物の2階、3階と屋根裏が続いたアパルトマンが見つかった。

マンチェスターの近くのFrodshamの 26 Church Streetである。

録音スタジオにする部屋に高価な機器を設置したので防犯カメラもとりつけた。

それなのに、平安な生活は、たったひと月しか続かなかった。

ある夜、寝室のドアをノックする音に起こされた。外には誰もいない。

次にシーツが浮き上がった。

肝をつぶした夫婦は近くのホテルに避難した。

その後も、階段に口笛の音、屋根裏から赤ん坊の泣き声、浴室にまで充満するパイプ煙草の匂い、と、典型的なポルターガイスト現象が続いた。

その建物は1869年にパイプ・スモーカーのアイルランド人が建てたもので、妻はその家で産褥死して、生きのびた子供も数年後に階段から転落死したらしい。

20世紀初めに地元の肉屋が買い取り、一階を店にしたが、1970年代に子孫が分割して、2階から上が貸されることになった。それ以来、歴代の店子はポルターガイスト現象を体験してきたそうだ。

しかしイギリスという国は「幽霊屋敷」と親和性があるのか、それほど話題にならなかった。

ところが、デカルトの国フランスからやってきた夫婦が騒いだことで、タブロイド新聞やテレビ局もやって来て大変なことになった。

ピアノを弾くと10個ほどの光る円盤が現れてくるくる回る様子が防犯カメラに映っている画像も報道された。

フランスはカトリックの国でもあるから、夫婦は地元のカトリック教会の司祭に相談し、緊急の悪魔払いのセレモニーもしてもらった。

その結果、司祭は、自分には何もできないこと、その家から去る方がいいことを宣告した。

時々安眠を確保するために1年で60万円以上のホテル代を費やした後で、夫妻は今年の4月末にとうとうイギリスから引き上げることになった。

この話が「本当」かどうかは別として、このような現象に悩まされたと信ずる人々の語る「現象」が驚くほど似ていることは確かだ。

カトリックの聖人たちにもこういうポルターガイスト現象に悩まされた人は少なくなく、みなそれを悪魔による試練だと捉えている。そういう人たちは「悪魔」に持ち上げられて床にたたきつけられたりさえする。煙草の匂いなどではなく腐臭悪臭がたちこめる。

しかし聖人ではない「普通の人」の身に起こる「幽霊屋敷」でのポルターガイスト現象は、迷惑であっても、気味悪くても、直接の害は与えない。「悪魔」とは別種のものであるらしい。

いわゆる幽霊なのか、トリックスターなのか、というところだ。

だから、悪魔祓いのセレモニーで駆使される聖水だとか聖霊や神の言葉にもあまり反応しない。

「逃げるが勝ち」という結果になる。

聖人を試そうとか誘惑しようという挑戦や、悪意のもの、禍々しいものには悪魔祓いが効を奏する余地があっても、場に憑いている地縛霊だの怨念や悪戯のようなものは、神に敵対するタイプの悪魔とは別のロジックで生きているらしい。

それでも、戦国時代に漂着したポルトガル人に日本人が仮の宿として空家の幽霊屋敷を提供したら十字架で結界を作って追い払ったとかいう話もあるし、場に憑く霊だの化け物だのトリックスターだのをシャットアウトする智恵は古今東西の言い伝えに出てくる。

ヨーロッパには都会にも古い建物がたくさんある。

私も築130年の建物に住んでいる。うちには何も起こらないが、ポルターガイスト現象や幽霊の姿を見た人の体験談というのは身近に聞いたことがある。

真相はどうあれ結果として悲劇につながった例もあるのだが、悪魔祓いにも引っかからないような軽めのユーモラスな霊の話は、いつの世も人々を惹きつける。
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by mariastella | 2011-06-03 23:53 | 雑感

JP2、ロイヤル・ウェディング、ビン・ラディン

昨日の記事で、先週起こった事件に関して、前ローマ教皇JP2とビン・ラディンが対照的だと書いた。

実は、もう一つの出来事、英国のロイヤル・ウエディングとJP2の列福も対照的だった。

ロイヤル・ウェディングでのイギリス人の熱狂ぶりを見て、私の感じたのはソ連時代の「宗教はアヘン」という言葉だった。

「セレブはアヘン・・・」と、そう思ったのだ。

それで、その後の、アヘンの本家であるはずのヴァティカンの列福式での人々の熱狂(というよりは感激)ぶりを見て、こっちの方はアヘンではなくなったなあ、と思った。

30年前のチャールズ皇太子とダイアナ妃の頃と比べて、英国はすっかり変わったという事実がある。
リーマン・ショックまで、アメリカと共になりふり構わず市場経済至上の新自由主義を突っ走ってきた結果、イギリスでも、貧富の格差が大幅に広がった。

落ちこぼれた人が生きのびるためにあがいている一方で、勝利者は、罪悪感なしに莫大な浪費生活を平気で誇示するようになった。

そして、ついには、そのようなリッチな人々の「浪費ぶり=セレブな生活」情報自体が、庶民の「消費」に提供されるようになったのだ。

高度資本主義社会では、宗教はすでにアヘンではなく、まさに、「セレブ」がアヘンになったわけである。

トニー・ジャットの『荒廃する世界の中で』(みすず書房)を贈っていただいて読んでいたら、なんと、18世紀のアダム・スミスがすでに

「人間の大多数を占める大衆は、富や名声の礼賛者、崇拝者であり、しかもはなはだ驚くべきことに、彼らの大部分はしばしば欲得ぬきで、礼賛し、崇敬しているのだ」(『道徳感情論』)。

と言っていたらしい。

イギリス人大衆が、素直に無邪気にロイヤル・ウェディングに熱狂しているのは、まさに「欲得ぬき」の自然な崇敬の発露に見えた。

それに比べると、カトリック世界でのさまざまな聖人「崇敬」などは、たいていは、人々の祈願や悲願とセットになっているのだから、「欲得抜き」どころではない。

では、「欲得ぬき」のセレブ崇敬のどこが悪いのかというと、これもアダム・スミスがすでに言っているように、ずばり、

それが、セレブの反対の「貧しい卑しい境遇にある人々」を大衆がこれも「自然に」、無視したり蔑んだりする傾向と表裏一体になっている

からである。

それに比べると、JP2の列福で感動した人々は、「セレブ」を崇敬したわけではない。

「ローマ教皇」という地位は巨大宗教のトップとしてのシンボリックなオーラを伴っているとしても、あるいはヴァティカンが莫大な財産を持っているとしても、そのトップたちは一代限りで子孫も残さない。

JP2も、「華やかさ」どころか、誰が見ても気のどくだと思えるほどに弱って痛々しい姿で最後まで働いていた。

列福式のヴァティカンで感激していた人々は、この教皇が「ローマ教皇」というセレブだったから礼賛したのではなく、明らかに、JP2となった一人の人間を、人格として、その生き方を通じて崇敬していた。

JP2には、レーガンやサッチャーなど、新自由主義路線を発車させた英米の首脳と力を合わせて「共産主義陣営」を倒した、というイメージがあるが、その方向性は真逆だった。

旧共産国陣営でイデオロギー支配によって個人が押しつぶされていたことに対して戦ったJP2は、「自由主義陣営」で少数の勝ち組が富を独占して貧しい多数を押しつぶすことにも、同じように戦ってきたのだ。

若くて美しくて富と名声の頂点にある英国王室の新カップルを、人々は「幸せ」の象徴として祝福した。

一方で、病を抱え、年老いて、話すことも立っていることも苦しくなった姿をさらして死んだJP2を、カトリック教会はやはり、「幸せ」な人、つまり、神に祝福された「福」者だと宣言した。

人々もそれを祝福した。

こうして見ると、後者は前者の解毒剤のようでもあり、絶妙なタイミングで発信された出来事だったという気もする。

イスラム過激派のテロリストはどうだろう。

英米が原動力となった自由競争至上主義の弱肉強食の世界で、「先進国」の勝ち組たちが「弱い立場の人々」の人格、尊厳を無視してきたことが、イスラム過激派やテロリストたちによる「反欧米」ドグマを確立する一原因となってきたことは疑いない。

「テロとの戦い」との勝利は、軍事力によってではなく、弱者の人格権への感受性を取り戻すことによってでしか、本当には、得られない。
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by mariastella | 2011-05-09 02:06 | 雑感

BHLとリビア

リビアからアメリカが手を引き始めたので、フランスとイギリスとイタリアが、軍事専門家を送って「自由リビア」陣営に武器の使い方を教えたり作戦の立て方を指導したりすると言っている。今のままではカダフィの軍隊と太刀打ちできないからだ。

NATOは陸軍を出さないことでは一致しているので、こういう変則的な形になっているわけだ。

なんだか泥沼化している。

3/16にはBHL(哲学者ベルナール・アンリ・レヴィ)の呼びかけに答えてリビアへの介入に賛成していた哲学者のクロード・ランズマンが、4/18のル・モンド紙でBHLを批判したので、BHLも激しく反論し返している。

ミッシェル・オンフレイなどもBHLを非難していて、サルトル以来アンガージュマンがお家芸のフランス哲学者たちはみなぴりぴりしているところだ。

BHLは、2003年のイラクへの介入にも、当時のフランスでは珍しく、アメリカを支持している。

「哲学とは戦争である」と言いきっている戦闘的な人なので、一貫していると言えば言える。

今や、「アラビアのロレンス」ならぬ「リビアのBHL」と言われるくらいで、本気で現地に行って反乱軍といっしょに戦略を練っているのだ。

彼の言い分は、ボスニアやルワンダの内戦で何年もぐずぐずしていて多くの死者を出してしまった過ちを繰り返してはならない、人権と人命が踏みにじられている場所にはどこであろうとすぐに駆けつけなくてはならない、と言うことに尽きる。(まあ、北朝鮮やチベットには駆けつけないが)

そのBHLの考えと、大統領選を来年に控えて支持率が大幅に下がっているサルコジが一気に「正義の味方」のヒーローを演じようとした先走りとが、ぴったり合ったということなのだが、最大の問題は別のところにある。

つまり、リビアの反政府勢力を正式に認めて軍事支援もするというような国家的決断を、一哲学者と大統領が2人だけでやってしまったことで、外務大臣も防衛大臣もましてや国会も、すべて無視したことだ。
フランスが苦労して確立した民主主義のシステムやプロセスがまったく動員されなかったということである。

そして、彼らがそれに踏み切ったのは、たとえそういう暴挙に出ても、「血に飢えたカダフィ」という「悪魔」を目にしているフランスの一般人から非難されはしないだろうという「読み」があったからで、実際、非難はされなかった。

言い換えると、民主主義の手続きをすべて無視しても、大衆の支持があれば何でもできてしまうというポピュリズム路線の強化につながるわけである。

そしてそれは、「緊急」だから、「非常時」だから、許されるということになる。

本当に、それで、いいのだろうか。カダフィ自身、同じようなレトリックを使って独裁を正当化してきたのではないのか。

武器に対していったん武器での交戦を始めると、もう水面下の交渉や外交戦や情報戦やネゴシエートの余地が限りなく少なくなる。

「緊急時」に国のトップやら、知識人やらがどのように考えてどのように行動するのが最適なのか、それはすべて「結果」を待たないと判断できないものだろうか、歴史には学べないものだろうか、問題は単純ではない。

今は、日本が原発事故で「緊急」事態にあり、どんな指導者がどのタイミングでどのような手続きをとるのが最適行動なのかということが焦眉の問題となっている時期だから、ますます考えさせられる。
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by mariastella | 2011-04-24 08:11 | 雑感

宗教建築の素材の話

Arteでフランスのゴシック・カテドラル建築についての番組を見ていたら、今まで考えたことがなかったことを言っていた。

教会建築においては本来、木材がもっとも高貴で霊的でシンボリックだと考えられていたというのだ。しかし中世のヨーロッパで木が不足したためにやむなくカテドラルには豊富に採掘できた石灰岩などを使うことにした。石は木よりも不透明で霊的にも劣る。それで、その欠陥を補足するために、建物の表面に各種聖人像などを刻んだというのだ。

カテドラルを修復しているうちに、隠れた部分を鉄材で補強していたことも分かった。

鉄材は素材として、石よりもさらに霊性が落ちて、火での錬成を必要とすることから地獄と結びつけられることさえあった。イエスを救いのシンボルである木の十字架に打ちつけた釘も鉄だし、イエスの右わき腹を刺した槍先も鉄である。

そんなわけで、鉄材は、できるだけ目立たないようにただ天井部分の補強にのみ使われたと言う。木材も少しだが使われた。

日本の寺社建築が木造ではかなく、ヨーロッパの教会は石造りで耐久性がある、という対比ばかりなんとなく刷り込まれていたが、そんなに単純ではないらしい。

ヨーロッパも木材がもっと豊富だったら巨大な木造カテドラルの建築を目指していたのだろうか。

そう言えばノアの巨大な箱舟ももちろん木製だ。

バベルの塔はレンガで、ソロモンの神殿はレバノン杉や糸杉の他に石も切り出された。内壁はすべてレバノン杉で覆われ、石はまったく見えなかった。やはり「聖なるもの」は木材と結びついているらしい。

もっとも、ソロモンの神殿の要所には金もはられているから、金は別格だったのだろう。

「永遠」ということを考えると、木材はかなりはかない素材だが、それだけに「生命」と直結しているとも考えられる。

カテドラルの中も外も、最初は色が塗られていた。それも、石という素材を隠すためだったらしい。色(couleur)という言葉の語源は塗って隠すということだそうだ。

日本人にとって、ヨーロッパの宗教建築というともう一つは、ギリシャのパルテノン神殿のようなものを連想するが、キリスト教の神と違うからシンボルや霊性が違うのだろうか。それとももともと木材が足りない場所だったのだろうか。

それにしても、日本は草食文化、農耕文化、木の文化、西洋は肉食、狩猟、石の文化というような安易な対比はできない、とあらためて思う。
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by mariastella | 2011-04-24 06:33 | 雑感



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