L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:雑感( 358 )

上野教会のルルド、願わくば花の下にて…

先日、カトリック上野教会というところに行った。
祭壇に向かって左側にほぼ等身大の聖母の像があって向かい合って誰かが跪いている。なんだろうと思ったら、その横にとっても日本的な掛け軸がかけてあって、その文を見て、それがルルドの御出現だと分かった。こういうのが教会の内部にあるのって初めて見た。洞窟がなくて、聖母とベルナデッタが同じ面に位置している。

後から検索すると、この教会は聖ベルナデッタ教会なんだそうだ。パリ外国宣教会の神父たちが戦後に建てたそうで、東京にベルナデッタに捧げられた聖堂がまだなかったからだそうだ。

そういえば、あの掛け軸もいかにもパリ外国宣教会のテイストだなあと思った。

上野の方に歩く道の両側が桜並木になっていて、白っぽくてはかなげなソメイヨシノの花ってやっぱり独特な風情だと嬉しかった。

もう半世紀近く昔に祖父が亡くなった時、火葬場への山道を車で登った時に見た満開の桜のことを思い出す。
出席者のほぼ全員が西行の「願わくは花の下にて春死なむ……」の歌を口々に引用していた。

よかったね、って。

この和歌のおかげで、この季節に葬いをした人々はさぞや慰められてきたのだろうな、と感無量だ。
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by mariastella | 2017-04-05 00:16 | 雑感

決定実験

放送大学がどうしてこんなに面白いのかの理由が分かった。
私は滅多にこの時期に日本にいないから気づかなかったけれど、要するに今新学期ということで、どの講座も「つかみ」の概論をしてくれているからだ。
植物から見たヨーロッパ史というのも日本との関係も含めて興味深かったし、分子分光学というのも衝撃的におもしろかった。

それは「決定実験」の考え方だ。

私はこれまで、量子力学などでは不確定性理論などがあるし、「目には見えない世界」についてはいわゆる決定不全性があるのだと思っていた。

でも、光子が波動であると同時に粒子でもあることを示す実験と、粒子である電子が波動であることを示す実験を並べて これは「決定実験」なので、理解はできないけれども「無理やり納得」しなければならないという事態があるのだそうだ。

これって、神の存在証明のような不毛な話や、奇跡の治癒の証明のような怪しげな話のことを連想すると、なかなか感銘深い。

信じられないこと、目に見えないこと、「超越」というものを「無理やり納得」させられる「回心」とは一体なんだろう、などと思ってしまった。
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by mariastella | 2017-04-04 00:13 | 雑感

ビッグイシュー 日本版

東京のうちから5分くらい歩くと表参道と青山通りの交差点がある。そこでいつも「ビッグイシュー 日本版」を買う。普段いないからバックナンバーも買う。

今はネットで多くの雑誌のデジタル版が読めるので日本に来てももうほとんど雑誌を買わないし、大抵は広告ばかり多くてつまらない。
TVもニュース以外は、いつも同じような人たちが同じようなことを言っていて、それでも微妙に好奇心を引き出されて、見てしまうと後悔する。

で、雑誌はビッグイシュー、TVは放送大学がお気に入り。

3月のビッグイシューの「どこにもない食堂」特集はとても興味深かった。

神保町の「未来食堂」のコンセプトなど秀逸だ。誰でも賄いを手伝えて、50分手伝うと1食がタダになって、余分な権利はただめし券としてお店の入り口にメッセージ付きではって、ひつようなひよにつksってもらえる。とてもエレガントなやり方だ。

その他、毎日外国人シェフが変わる日替わりカフェ、
聾者が手話で働くスープカフェ、サイン・ウィズ・ミー。
LGBTのコミュニティベースのアジアンビストirodori。

その他いろんな記事があるがどれも個性的だ。
どの号も決して失望させない

ビッグイシューを買いましょう。
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by mariastella | 2017-04-02 01:15 | 雑感

宇治神社、宇治上神社、平等院、奏楽の菩薩たち

これは兎の通う道「兎路」に由来するという宇治神社の清めの水
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宇治にゆっくりするなんて何十年ぶり。
宇治上神社の方の、「桐原水」の方は、小洞窟といった趣きだった。

平等院が極楽浄土のテーマパークみたいな意味で造られたこと、本堂を囲む阿弥陀来迎図と、それを待つ臨終者の絵を見ていると、年のせいかはじめて、実感を伴って、古来、死にゆく人たちは本当に阿弥陀のご来迎だの、聖母マリアのお迎えを信じてそれで死の不安が和らいだのだろうかと想像してみる。

無神論者の方が、死ねばブラックアウトと覚悟を決めていたのだとすると、信仰を持っている人の方が希望も恐怖もセットにして持っていたのかもしれない。
西方浄土の渇望は、来世での転落への不安のリアクションなのか、死の苦しみや痛みから解放されることがメインなのかどちらだろう、自分はこのような演出で「救われる」タイプなのだろうか、いざとなるとパスカルの賭けのような方向に行くのだろうか、やはり想像が及ばない。

如来のまわりに配された踊ったり舞ったりの「雲中供養菩薩」たちは、聖母を囲む奏楽の天使たちと同じ役どころだけれど、素晴らしい造形だ。

それにしても、 浄土に迎えられるとしても、九品という等級があるのは世知辛い気もする。
キリスト教的には恩寵 、恵みは「無償」という含意があるから、もっと救われるかもしれない。浄土に行ってまで格差があるなんて。

先日、大相撲の千秋楽の後 、相撲評論家みたいな人が国技とは何かについてコメントして、アメリカの国技は野球でメンバーが9人、スリーアウト、三塁、9回までと、3の倍数なのは三位一体のキリスト教で、多く点を取ったら勝ちというのは資本主義、などと言っていた。

私はすぐに三品に上中下の生が分かれた九品の浄土のことに思いがいたって、一見気の利いたことを軽々しくいうものではないなあと、自戒。
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by mariastella | 2017-04-01 17:38 | 雑感

宝積寺の亀や菩薩や金剛力士

天王山の中腹、大山崎山荘のほぼ隣にある宝積寺の清めの水の亀。蛇口じゃなくて亀口だ。
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天下分け目の天王山。
宝積寺には秀吉の出世石とか、一夜で出来たとかいう「一夜の塔」(三重の塔)があったり、迫力満点の閻魔大王やと眷属の像がある。十一面観音もいい。

本堂の脇の廊下にはこんな菩薩(?)もいる。
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木造の金剛力士像の一人の腕が、手を逆に回して腕全体の筋肉の表現が解剖学的にリアルだ。
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個性的な真言宗のお寺だった。
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by mariastella | 2017-03-31 00:30 | 雑感

大山崎山荘と夏目漱石

京都盆地の西 桂川、宇治川 木津川が合流して淀川になるのが見える景勝地天王山の中腹にある大山崎山荘のテラスからの風景。桜はまだ蕾だった。
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庭園ははっとするほど個性的でとても大正時代のものとは思えない。邸宅も美術館も、昭和7年にできたモネの睡蓮などのある地下のギャラリー なんて、まるで直島の地中美術館みたいだ。
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でも、なにより驚いたのは、この山荘を造った加賀正太郎という証券業者と、明治の文豪 夏目漱石との関係だ。漱石は亡くなる1年前に京都に滞在した時、祇園の女将が連れてきた加賀と会う。

3/20 文芸芸妓として知られた女将と知り合い、その機知を気にいる。
3/22大山崎に別荘を建設中の加賀が、女将に頼んで、漱石にその別荘の命名を依頼に来る。
単に命名だけでなく実際にその地を見てほしいと執拗に頼む。
4/15 女将と共に大山崎へ。
4/17 東京に戻る。
4/18 手紙が溜まっていてその返信に追われ、加賀の依頼にまだとりかかれていないと書く。
4/29 山荘の命名案を14,5も送る。しかも弁解がましい。

考えないわけではないが、何も頭に浮かばない、と言いつつ、竹とか三川という言葉を入れた一つ一つの案について、その言われ、長所短所のコメントも丁寧に付けている。(これらの書簡が表装されて展示されていた)
で、「気に入らなければ遠慮はいりませんから落第になさい」と書いた。

それを真に受けたのか、まだ20代の若き富豪の加賀は、文豪の漱石の命名案をボツにして、「大山崎山荘」とだけ名付けたのだ。

これを知った漱石は「悪ければ悪いで、あれでは気に入らないからもっと別なのを考えてくれと言えばいいのに」と語っていたそうだ。

おそらく事前に漱石に十分な謝礼でも 前払いしていたのだろうけれど…驚きだ。
加賀はイギリス帰りでキューガーデンに感銘を受けて山荘の造営を思い立ったというから、おそらく同じイギリス帰りの漱石に何かイギリス風の命名を期待していたのだろう。「文豪に命名してもらった」という成金の名誉欲はでなく、イギリス風が欲しかったのだ。
その後の加賀の活動や感性を見ていると、彼は本物の「国際人」だったようで、「イギリス帰り」と言っても中味は明治の文人だった漱石の命名センス(杜甫の詩句や荘子などが出典)には失望したのだろう。

それにしても、漱石の書簡や日記を見ていると、あまりにも自然体で、まるで今の若者がfacebookで日記を書いているようなノリで驚く。鬱っぽい気分も率直に書くし、親近感をおぼえるほどだ。
私は3月末の寒さにうんざりしていたのだが、ある冬、最初に京都に着いた時の漱石は、「日本にこんなに寒いところがあったとは……」みたいなことを書いていて、東京から持ってきた自分の熱がどうなることやらなどと言っているので笑えた。それら全てがしっかりした墨蹟であるのもミスマッチで楽しい。

「今、午後十時です。」とか「現に今書く手紙は」とか、臨場感というか同時性があるのもまるでメールのやりとりみたいだ

ともかく、加賀が、結局「山荘名撰主人意に満たず」としながらも、さすがに別の人にイギリス風の名をつけてもらうことはなく、ただ「大山崎山荘」としたのは漱石へのリスペクトだったのかもしれない。

漱石は大山崎を訪れた翌年に沒し、その翌年山荘が完成した。ちょうど百年前のことだ。
1932年に漱石書簡が表装されて1935年の漱石忌に橋本関雪邸で展示され、その次が2017年の今年(漱石生誕150周年)だそうだ。

いいところに巡り合わせた、と思う。
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by mariastella | 2017-03-30 00:19 | 雑感

南禅寺と白砂村荘

つい先日、東銀座の歌舞伎座で、南禅寺山門の上で藤十郎の女五右衛門が「絶景かな」という華麗壮大な舞台を観たところだ。舞台と違ってあいにく桜はまだ蕾だったけれど、私もその山門(三門)に上がって来た。その階段の段差が半端ではなく、女五右衛門のあの豪華な着物では絶対上がれないだろうな、と思ったり。
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白砂村荘の庭にある藪羅漢の表情は味がある。
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by mariastella | 2017-03-26 00:14 | 雑感

フランスとイスラム その14  不思議の国サウジアラビア

(これは前の記事に関しての補足です。)

2001年に『不思議の国サウジアラビア』という新書(文春新書)を出した私には、このことが実感を持って分かる。本を出した時点ではまだ9・11が起こっておらず、私がサウジで取材したことを書くにあたって王室と宗教の批判はしない、というのが条件だった。

私は女性だから、全身を隠すアバやの着用はもちろん、女性が運転もできず一人で外出もできないような実態も「体験」できたが、それでも、それがコスプレでテーマパークにいるような非現実感だった。

サウジの女性はフランスの底辺の女性に比べて「不幸」に見えなかった。

「貧乏」ではなかったからだ。

彼女らはすべてを手に入れられた。

メイドもシッターも運転手もいる。
「自由」がほしければパリやロンドンに行けばいい。
シャンゼリゼのブティックで好きなものを好きなだけ買い、シャンペンだって飲める。

自国でも、たとえ何があっても、子供と同じく「責任能力」がない存在なのだから、ある種の自由がある。
「監督責任」は父親や兄や夫にあるのだから。

この自由が倒錯的なもので突っ込みどころがいくらでもあることは当然だ。

けれども、彼女らの暮らしぶりの「豪華さ」「優雅さ」と、男の目を気にしないで済む、ある意味「女子会」のような生活の楽しさなどを見ていて、原則としての怒りとかイデオロギーとしてのフェミニズムとか、自由とは何なのか、分からなくなってきたのも事実だ。

その後、私が新書の中で書いたように、若者が増えすぎて失業の問題も起こり、生活水準が維持できなくなったり、アメリカでのテロが起こったり、中東情勢が険悪になり、インターネットによるグローバル化はさらに進化し、サウジアラビアの状況は変わった。

けれども、「女性の自由と満足度と金」の関係は、今も答えのない自問として私の中に残っている。

ちょうど、サウジアラビアの王様が46年ぶりに日本に来たとかで、その桁外れの贅沢さや経済効果がネットに上がっている。
宗教とか、政治とか、テロとか何の関係もない「マネー」だけがクローズアップされる。
「マネー」しかもう見えない。

日本企業をサウジに進出させて石油依存からの脱却を援助するとか言っているけれど、そのうち日本はイスラエルにだけではなく、サウジにも武器を買ってもらおうとするのではないか。軍事産業はいつも一番おいしい。

ああ、武器とは言わないで今じゃ「防衛装備」って言うんだっけ。「戦乱」だって、「防衛装備同士がちょっと衝突した」だけだったりするみたいだし。
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by mariastella | 2017-03-14 02:33 | 雑感

カナダとアメリカの国境、オランダ極右のウィルダースの出自など

ウンベルト・エーコが余命が限られていることを知らされた時に真っ先にしたのがテレビのニュースを見るのをやめることだったとどこかで読んだことがある。

とても納得できた。公営放送の毎夕のニュースと別の報道チャンネルをザッピングしながら、なんだかんだと一時間近く貴重な時間を使ってしまう。次の日の朝の目覚ましラジオやネットの報道サイトで少しチェックすれば十分なものばかりなのに。

それも、昨日書いたように、忙しい時期はとりあえず日本とフランスの情報に絞ろうと思っているのに、ついまたニュース映像を見てしまった。

ひとつはアメリカにいる難民が、身の危険を感じて、カナダの国境に向かっているというもの。去年の初めにパキスタンから来た親子は難民申請をしていたが、トランプ政権下ではパキスタンに送り返されてしまうかもしれない、それでは命が危ない、と思って、酷寒の氷と雪と風の中をカナダにやってきた。そこで低体温や疲労で倒れれば、地中海で難民船が難破して救助してもらえるように、晴れて「救助」の対象になるという。

アメリカとカナダ間の国境は世界一長い国境だそうだ。さもありなん。

だから、壁はもちろん、いわゆる国境検問所もほとんどなく、国境警察がいても、彼らには入ってくる人をとめる機能はない。

酷寒の冬でも500人が国境を越えたそうで、春や夏になればどうなるのかと、国境に近い町の人はさすがに心配しているとかいないとか…

もう一つ、気にはしていたが、あまり首を突っ込まないようにしていたオランダの選挙。極右の自由党リーダーのウィルダースだが、トランプを尊敬していると公言するポピュリストであり、見た目もかなり奇矯でマニアックな人で、うわぁ、すごいなあ、とは思っていたが、彼のイスラム全否定と人種差別に関して、ユーラジア(ヨーロッパとアジアの混血)であることを知って、いろいろ考えさせられた。

母親がインドネシア人なんだそうだ。

インドネシアはオランダの旧植民地で、今のオランダには80万人のインドネシア人が住んでいるという。インドネシアに「謝罪」を拒否したことでも有名だ。
インドネシアと言えば、二億のムスリムを抱える世界一イスラム教徒が多い国だ。それでも、イスラムと民主主義を統合するのに成功したと言われ、イスラム、キリスト教、仏教、ヒンズー教、マイナーでもなんでもそれらの宗教の祝日をみんな国家の祝日にしているそうだ。どの宗教に属していてもみなが熱心にそれぞれの宗教の実践をしているという。

オランダ人のプロテスタント牧師が、インドネシアの信徒の熱心さを見て羨むとか。

オランダにいるムスリムはそのリベラルさに驚いて、「同性愛者が道でキスしている、麻薬が合法的に売られている」と故国の同胞に発信している。

私の知っているインドネシアはバリ島だけで、暮らしぶりはヒンズー教の人のものしか目撃していないが、確かに、毎日の供え物とか複雑だった。
オランダの方はもっと縁がある。

でも、この両者のことを、極右政党の台頭とつなげて考えたことはなかった。
モロッコ人を追放しろ、みたいなことばかり耳にしていたので。

驚いて、ウィルダースを画像もふくめていろいろ検索してしまった。

ウィルダースの家系はユダヤにもつながるらしい。
それにしても、キャラがたちすぎて、怖いというかなんというか...

オランダの総選挙は3/15。

オランダって信頼できる国だと思っていたのに、ほんとにこの人が首相になるのなら、フランスでもなんでも起こるかもしれないとおそろしい。
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by mariastella | 2017-03-13 01:24 | 雑感

韓国大統領の罷免のことで…

フランスの大統領選、日本のいろいろな疑獄やスーダンからの自衛隊撤退や、中東、ヨーロッパの状況、アメリカのこと、なんだか毎日耳に入る情報が騒然として、今一番忙しい時期なので日仏情報を除いてできるだけ考えないようにしている。

一週間後のコンサートで弾くラモーの7曲(うち3曲は今回がはじめて)、ヴィオラでバッハ2曲とベートーヴェン1曲、ピアノとギターで伴奏、など、いくら私でも毎日さらわないと責任問題なので時間を取られるうえに、ようやく脱稿した新作を添削、推敲しなくてはならない。コンサートの翌日には日本に出発だからだ。

それなのに、韓国大統領の罷免のニュースには驚かされた。
私が継続して読んでいる日本のサイトやブログのライターさんの視線に影響された目で見ると、第一印象は、「わあ、韓国(の民衆や憲法裁判所)ってかっこいい」と思っていた。政治家の権益をめぐっては司法との癒着もふくめて、あれこれあやしいことがあるのは日本でもフランスでもどこでも同じだろうけれど、韓国の憲法裁判所が、

「国民から直接民主的正当性を与えられた被請求人を罷免することにより得られる憲法守護の利益の方が、大統領罷免に従う国家的損失を圧倒するほど大きいと認められる。」

というなんて、なかなか潔いというか、覚悟のほどがうかがえるなあ、と思ったのだ。

でも、この罷免運動の後ろから糸を引いている勢力の噂のことも前から耳にしていたし、なんとなくもう少し別の視点から読んでみたくなって、ネットに淫しないように気をつけているのに、つい、ずいぶん久しぶりにシンシアリーさんのブログを除いてみたら、弾劾についての個人的見解というのがあって考えさせられた。

見ると、韓国の歯科医であるシンシアリーさんは、『韓国人による北韓論』という新刊を出したところだそうで、そこで金正男さんの暗殺事件についても書いているようだし、なんと、日本に移住することを決めたということだ。

この人が何歳くらいの人かも知らないけれど、日本のカルチャーファンで、日本でこれから第二の人生を、と言っているのを見ると、もし私が彼の母親だったらどう思うだろう、などと考えてしまった。
この人が韓国を「見限る(?)」のだとしたら、なんだかそれはこれから「朝鮮半島」に起こる大激震の前触れのような気もしてくる。どのみち、このままの状態がずっと続くとは思えない。

中国、北朝鮮、韓国、地続きなのは確かに脅威があり、ミサイルの届く圏内でも、海があるだけで日本での危機意識は全く変わるのだろうか。ユーラシア大陸で韓国の全く反対側にいる自分自身の「体感」についてもあらためて考えさせられた。
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by mariastella | 2017-03-12 01:28 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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