L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:宗教( 326 )

主の祈りと「服従」

キリスト教で一番大切な祈りとされているものにイエス・キリストが伝えた「主の祈り」というものがある(マタイによる福音書6-13など)。

その、今の日本の共同訳聖書で


「わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。」


という部分は、2000年の、日本のカトリックと聖公会の共通口語訳による「主の祈り」では


「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。」


となっているようだ。


確かに「誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」と言うと、なんとなく「悪い友達」に引きこまれないように、サタンだとか蛇に出会いませんように」というイメージもあるが、「主の祈り」の「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。」ならもっと、自分の内面の誘惑や悪を連想するかもしれない。

毎日曜のミサで唱えるものだから、こっちの方がより効果があるのかも。

プロテスタントでは「我らをこころみにあわせず」だったり、正教会では「我等を誘いに導かず」というものなどと、ネットには出てきた。


参考に全文は

「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖〔せい〕とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。


で、非キリスト教者にも懐かしい文語訳では


「天にましますわれらの父よ、
願わくは御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨〔みむね〕の天に行わるる如く
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を
今日〔こんにち〕われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、
われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。」


ヘブライ語の修辞法では最も大事なものが中心にあって、前と後ろに挟まれることになっているという考え方からは、最初の「御名、御国、御旨」というのは「王としての属性」、最後の「罪、赦し、悪」というのが「神としての属性」、一番大切なのが真ん中の、「今日の糧をください」という「父と子の関係」だという説がある。父としての神が一番重要なのだ、という解釈になるほどと思ったことを覚えている。

で、その「神としての神」の部分に、「悪へのいざない」というか、「試み」が出てくるわけだ。


1988年版の英語訳では

Save us from the time of trial


らしくて、「遭わせないでください」というのは試み、誘惑そのものというよりそのtimeということで、よりタイミングのイメージがある。「遭う」という漢字がその意味なのか。

And lead us not into temptation, というのもあった。


そもそも誘惑があり得る環境に人を置いたのは神で、その誘惑に負ける自由意志を与えたのも神だし、いろいろな試練を与えて「試みる」のも神だ。神の子イエス・キリストですら様々な誘惑や試練を与えられた。

だから、「そんなことをしないで下さいよ、おとうさん」と、私たちが言いたくなるのも当然だ。

で、なぜこんなことを書いているかと言うと、123日、つまりクリスマス前の降誕節最初の日曜日のミサから、フランスのカトリック教会で、「主の祈り」のこの部分のフランス語だけがいっせいに変更されることになったからだ。

すでに21世紀の初めから、フランス語圏の司教会議で、典礼に使う聖書の訳の新訳について協議がなされていて、201311月にこの部分の変更が合意されていた。20173月に正式に承認された。

1966年以来これまで、ルター派の改革教会でも正教会でも使われていたフランス語訳は

« ne noussoumets pas à la tentation » だ。

このsoumettreは屈服させる、服従させる、ゆだねる、供するという意味で、いわば、「私たち」を「モノ」のように、有無を言わさず誘惑に遭わせるニュアンスがある。

「お父さん、そんなことしないで」と頼んでいる。

今回の変更(これも2016年にフランスのプロテスタント連盟でも推薦されている)は、

«ne nous laissepas entrer en tentation »


というものだ。

「私たちが誘惑の中へと引きずられていかないようにしてください」のようなニュアンスだといえるだろうか。


つまり、「私たちが誘惑に弱くそちらに惹かれていく存在であるのはしようがないけれど、何とかそれを引き留めてください」という感じもある。

これでは、まるで「誘惑とはアクシデント」みたいだけれど、実際は、どんな誘惑も試練も、創造の全責任者である神からくるのだから、アクシデントとは言えない。「新訳」の方が、「悪」が別にあるかのような二元論の印象を与えるのではないか。

なぜこれをわざわざ取り上げたのかというと、日曜日に必ず唱えられる「主の祈り」のこの部分だけが変更されたのは実は「イスラム対策」なのだ、という人がいるからだ。


「イスラム」というのはその語源に、「服従」がある。

手っ取り早く日本語のwikipediaをコピーすると、


>>この語は、「自身の重要な所有物を他者の手に引き渡す」という意味を持つaslama(アスラマ)という動詞名詞形であり、神への絶対服従を表す。ムハンマド以前のジャーヒリーヤ時代には宗教的な意味合いのない人と人との取引関係を示す言葉として用いられていた。ムハンマドはこのイスラームという語を、唯一神であるアッラーフに対して己の全てを引き渡して絶対的に帰依し服従するという姿勢に当てはめて用い、そのように己の全てを神に委ねた状態にある人をムスリムと呼んだ。このような神とムスリムとの関係はしばしば主人と奴隷の関係として表現される。<<


別にイスラム教でなくとも、カトリックの中ですら、イエスどころか「マリアの奴隷」を自称するような一派もいたくらいだから、「自主的な服従」というのは人間の社会関係における「選択」のひとつではあるのだろう。

でも、現在、カトリックの力が弱まり、イスラム人口が増え、過激派の言葉が広く響き渡るようなフランスでは、宗教における「神の名のもとの全体主義」への警戒が高まっている。その中で、イスラムの語源として真っ先に「soumission」という訳が出てくるし、イスラム原理主義の中での「従属させられる女性 femme soumise」に対して異議が唱えられている。

そういう含意を持ってしまったsoumission とかsoumettreの動詞活用だから、神と「私たちの関係を表現するものとして「主の祈り」で毎回繰り返すのはよくない、という思惑から、表現が変更されたというのだ。


12/3はぜひルヴェリエール師のミサにでも出て彼がこの変化を何と説明するのか聞いてみたい。この前に彼に会った時の記事で、キリスト教における人と神との関係では絶対的服従でなく「合意した、決意した、引き受けた」と言うのが強調されていたことを書いたが、それもひょっとして今の情勢の中の流れなのだろうか、と今にして思った。


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by mariastella | 2017-11-22 00:05 | 宗教

ルターの反ユダヤ主義

今年はルターが1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に貼りだしてから500年という記念の年で、いろいろな催しや特集があった。他の国のことは詳しくわからないけれど、フランスのカトリックもルター派プロテスタント教会も、成熟した誠実な反応をしている。


まず、今のカトリックは、『95ヶ条の論題』にすべて賛同しているという。

第二ヴァティカン公会議から今に至るカトリックの自己改革の流れの源にはルターがいるというわけだ。


もう一つは、ルターの反ユダヤ主義のことだ。ルターは晩年にユダヤ教についてかなりひどく貶める文書を残した。死の3年前、1543年に出した『ユダヤ人と彼らの嘘』というものだ。

初期にはそんなことを言っていないでずっと公正だったので、ルターの晩年にどういう心境の変化があったのかはよく分からない。


ルターの反ユダヤ主義は、反ユダヤ人主義ではない。

ユダヤ人でなくユダヤ教を批判するものだ。しかも別にルターの独自のものではなく、なぜか中世以来の無知な反ユダヤ主義をなぞるものである。

問題は、1940年にナチスのゲッペルスが反ユダヤ主義の広報映画を製作した時に、シナリオの中に、このルターの著作からの引用がたくさん使われたことだ。

その前にドイツのプロテスタント牧師ヒルシュが1932年以来ナチスの国家社会主義に協力して、ルターの最悪の反ユダヤ主義を「活用」している。


カール・バルトやパウル・ティリッヒらの神学者はこれに対抗し、ディートリヒ・ボンヘッファーなどはヒトラー暗殺計画に加担までして強制収容所で殺された。


このようないわばルターにまつわる黒歴史の部分もこの500周年にあたってちゃんと取り上げられているところは誠実で好感がもてる。

それにしても、いくら500年前の人とはいえ、ルターほどの影響力のある人は、晩年の著作をファシズムに政治利用されることもあるのだ。

思想を発信する人の責任は重大だとあらためて思う。


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by mariastella | 2017-11-07 01:44 | 宗教

猿でもわかるパラダイス その4

4  救われるかどうかはあらかじめ定まっているという予定説はプロテスタントのものなの ?


ルター、特にカルヴァンにとって、そしてアウグスチィヌスのような教父にとっては、人間はあまりにも堕落しているので、救われるのはただただ、信仰による恵みによってだけだと考えられました。けれども、神はこの恵みをすべての人に与えるわけではありません。救いを予定されている人とされていない人に分かれていて、人間にはどうすることもできません。

カトリックは、17世紀のジャンセニズムを除いて、私たちは神のうちに生きることになっていますが、あらかじめ決まっているわけではありません。恵みを受け入れるか受け入れないかは自由意志に任されています。

Sekkoのコメント

 これも、煉獄の導入の否定と共にプロテスタントとの大きな争点となった。

これについて、雑誌に「煉獄について」という記事を書いたのでその一部をここに掲載。

>>>一五一七年にルターがマインツ大司教に突き付けた九五箇条の論題のベースは、贖宥状の売買で煉獄の魂の罪を償うという乱用の批判だった。聖書のみに真実があり、教会はそれを補完するものであってはならない、という主張は、その二年後のライプニッツでの論戦の対立の中で発せられたものだ。その結果、贖宥状はもちろん、カトリック教会の「伝統」であった煉獄の概念自体がプロテスタントから消えてしまうことになった。

煉獄を経る必要のない「救い」は、教会の様々な教えの遵守や贖宥状を買うような善行によって得られるのか、ただ信仰によってのみ得られるのか、という問題は、協働論と決定論としてカトリックとプロテスタントの分裂の中心を占めることになった。人間が努力する自由意志によって救いが得られるなら、神の恩寵は必要ないことになる。実際、人間の自由意志とは罪を犯させるだけのものだとルターは主張した。これに対してルターの尊敬していたエラスムスでさえ、救済が恵みにだけよるものならば人間の「自由」は失われる、と『自由意志論』(1524)で異を唱えた。

生きているうちに自由意志で犯した罪を、死後に天国にいく前に煉獄で浄めるチャンスがあるとするのは、煉獄での苦しみを減らすために生前から「善行」を積んでおくという「教育的」意味も果たしてきた。その「善行」が金で買える贖宥状になったところに堕落と倒錯があったが、「人間が自分の救いのために努力する」という指針は残すべきではないか、とカトリック教会は考えた。放縦や頽廃も招いたにせよ、「自由」とはルネサンスが獲得した貴重な価値だったからだ。(…)

人は生きている限り絶対に罪から逃れられないという「弱さ」の自覚が、煉獄という最後のチャンスを求めさせた。火に焼かれて浄化されるだけでなく生き残った人から捧げてもらう祈りも救いのために働いてくれる。もちろん諸聖人も動員される。神と人だけではなく生者と死者も「協働」するのだ。これは日本の祖先信仰に近い感覚だ。仏教では本来、悟りを開いた人間でないと死んで仏に成れず、畜生道や餓鬼道に堕ちて輪廻を繰り返すはずだが、日本仏教では残された人たちが「供養」することで死者は必ず「成仏」できることになった。すぐに仏に成れなくても、南無阿弥陀仏と唱えるだけでとりあえず煉獄ならぬ極楽に行けるという宗派もある。そのベースには、先祖が子孫を守護してくれるという伝統的な死生観があるのだ。

キリスト教が生まれた地中海世界では死後に生前の行いの善悪を測られて「仕分け」されるという死生観が主流だったけれど、カトリックが広まったヨーロッパでは死者の魂が毎年戻ってくるという日本のお盆のような死生観があった。聖母マリアに祈っただけで聖母が魂を救ってくれるとか、死者が聖者となって時空を超えて人々を守ってくれるという「交わり」を信じることはそれだけで多くの人々を救ったことだろう。

残念ながらそのような信心が利用されたり本来の意味を失ったりして堕落に向かうことも稀ではない。プロテスタントが異議を唱えたのは故のないことではなかった。それでも、救いに向かう自助努力や、信仰心の篤い人や諸聖人のとりなしの祈りに頼む心を完全に封印するのは難しい。

(…) 

人が自分で悲惨や暴力や恐怖の連鎖を打ち破る決意をすることで創造主の意図に参画できるという希望がなければ、神のみ旨は「偶然」や「運命」に似てくる。ルターが正論を唱えたおかげで、カトリック教会も刷新を図った。(…)<<<


以上。

時代と場所の社会的文脈の中で生きる人間が打ち立てたり議論したり壊したりする神学理論やら教義やらは、やはり文脈の中で読み取るべきだ。

今の時代、あるいは、すごく限定的なところで「今の自分」にとって、良心にかなう有効なものとなるかどうかという関係性にだけ注目して選択したり指針にしたりするのが無理のないところかなあと思う。


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by mariastella | 2017-10-09 01:07 | 宗教

ローマ法王の異端糾弾

ローマ法王の異端糾弾、と言っても、ローマ法王が誰かを異端だと言って糾弾しているのではない。

糾弾されているのはローマ法王その人なのだ。

家族に関する司教会議の後でフランシスコ教皇が出した教勅「Amoris loetitia」(2016/3/19付け、公開は4/8)について、すでに、同年6月に、枢機卿会筆頭のアンジェロ・ソダノ枢機卿に対して、45人の神学者が連名で、教勅の中の19の提案について批判の手紙を出した。それらの提案は、異端を暗示し助長するものだという。

さらに、2017/8/11、ついに、62人の連名で、今度は教皇に直接長い手紙が送られた。

その「異端の伝播に関する副次補正」が9/24に公開された。

最初の部分は、このように教皇を批判することが自然法においても、キリストの法においても教会の法においても正当であることを説明するものだ。「歴代教皇たちの教義における不可謬性」と両立しないことを教皇が言った時に信徒はそれを批判する権利がある、ということだ。

この教勅とそれに関する教皇のコメントは教会内に信仰とモラルに関するスキャンダルを引き起こした、モラルや、結婚や、聖体拝領の秘跡について司教たちが神の啓示による真実を護ろうとしている時に、異端の言説がまかりとおり、教皇から叱責されないで黙認されている。

逆に教皇に疑問を呈した者には沈黙によって無視している、と言う。

疑問というのは教皇からの返事がないというので201611月に公開された4人の枢機卿による質問状のことだそうだ。

今回の「補正」が「異端」とするのは、再婚者が聖体拝領を受けて「救い」至ることができる可能性についての提案(2)などを含む七つである。

そして今カトリック教会がこのような状態に至った理由はふたつある、という。

1. 神は教会に最終的な真実を与えてはいないという近代主義解釈

2. マルティン・ルターが教皇に及ぼす影響

だそうだ。

もともと第二ヴァティカン公会議以来、カトリック教会がプロテスタント化したという批判は常に内部で存在した。

今回の62人は国籍も多様でそのほとんどが神学者か大学教授、聖職者も信徒もいる。

フランシスコ教皇が全面改革を目指すヴァティカン銀行の前責任者のエットーレ・ゴッティ・テデスキ(2009年に解雇された)や最近ルーヴァンのカトリック大学から追われた哲学者ステファン・メルシエ、アンチ・イスラムのビデオ発信で知られるパリの司祭ギイ・パジェスも名を連ねているから、政治的な匂いもする。

聖ピオ10世会の総長ベルナール・フェレーの名もある。

聖ピオ10世会は2009年に破門を解かれ、フランシスコ教皇からは赦しの秘跡の有効性を認められた。

そのことを、ヴァティカンとの妥協だと見なして不満な会員に向けててのスタンドプレーかもしれない。

フランシスコ教皇が、

バリバリの伝統主義者に手を差し伸べることと、

排除されていた再婚者に手を差し伸べることは

どう考えても同じ「寛容」の裏表だと思うのだが。

政党でもそうだけれど、なんでもかんでも踏み絵を踏ませて党首の色一色で全体主義に道をつけるよりも、多様性を共存させる幅や懐の広さや深さというのは大切だと思う。


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by mariastella | 2017-10-02 03:49 | 宗教

猿でもわかるパラダイス その2

問2  あの世とはコミュニケーションがとれるの ?



カトリックの信徒は、神、聖母、聖人たちだけでなく死者にも、神のとりなしを祈って語りかけます。それは仲介者なしに神との直接の関係をとらえるプロテスタントの信徒から見ると奇妙なことです。一方、カトリック教会は、死者の霊(エスプリ)が生者にコンタクトするという考え(スピリティズム)の類は一切認めていません。


Sekkoのコメント :


聖人崇敬というのはとってもカトリック的で、プロテスタントから大いに批判された部分だが、聖者の連祷というので聖人の名がぞろぞろと唱えられて、その度に「われらのために祈りたまえ」と唱和するシーンというのは、ロザリオと同じく、連帯感が生まれたり、まあ数の力で、こんだけ呼び出せば何とかなるかも、という楽観も生まれたりと好む人が多いせいか、今もしっかり続いている。

元は、ヨブ記にあるという説もある。ヨブ記では、ヨブに苦しみばかり与える神を信じなかったヨブの友人たちに対して最終的に神は妥協する。

(主は)テマン人エリファズに仰せになった。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」 (ヨブ記42,7-8

つまり、不信心者も、聖人にしかるべき例を尽くして神に祈ってくれるようお願いすれば、聖人に免じて神が願いをかなえてくれる、

というイメージだ。

聖人ならぬ普通の死者に呼びかけてお願いしても果たして神の心に届くのか、と当然考えてしまうが、いったんこの世の存在形態からシフトした世界では、こちら側で判断してしまう善悪だとか聖性だとかの物差しは多分意味をなさないのだろう。


どちらにしても、ふたつの世界は「神」を通して神の中でこそつながっているわけで、「死者の魂」が直接生者にコンタクトをとるなどというシステム?を放置すると、あやしい霊媒やら超能力者やらが跋扈することにもなるので、カトリック教会は禁止しているわけだ。


でも各種の聖人伝やら、熱心なカトリックの「霊能者」の手記などを読むと、どんな「霊とのコミュニケーション」でも、それがもたらす「結果」さえOKなら、神のみ旨にかなっているということでお目こぼしされたり、それとなく宣伝道具にされたりする現実もある。


次の質問と答えが楽しみ。


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by mariastella | 2017-09-28 02:29 | 宗教

猿でもわかるパラダイス その1

問1 なぜパラダイスは上にあるの ?

多くの文化で「善」に向かっての進歩していくことと「天に上る」ことはセットになっています。そのせいで、パラダイスは天にあることになりました。縦方向のシンボル性がとても強いです。神が十戒を記した板を渡したりイエスが訓示を垂れたりしたのも「山の上」ですね。と言っても、「彼岸」「あちらの世界」が地獄だの天国だのという空間で表現されたとしても、それは物理的な場所ではありません。

Sekkoのコメント

うんうん、やはり人間が空を見上げた時の広大無辺な感じが「あちらの世界」をイメージさせるのかも。阿弥陀来迎図も雲に乗ってやってくるシーンだし。


でも、死者の国が「水平線の彼方」にあるという信仰もあり、それもナチュラルな感じはする。今村昌平の「神々の深き欲望」で難解の孤島から沖に流される小舟のシーンは強烈で「海の向こう」の死者の国というイメージが焼きつけられた。


死者の国は地下にあるという道教的イメージを教えてくれたのは私の『ヨーロッパの死者の書』(デジタル版で読めます)を訳してくれた台湾の潘さんだった。そこは別に地獄でなくて死者が生前と同じように暮らしているのだとか。日本留学中に故郷のお父様を亡くして、そういうパラレルワールドでは「喪」が完成しないで悩んでいた時に私の本と出合って翻訳を決意したという話だった。


亡くなった親しい人が「お星さまになって見ているからね」、と言ってくれるイメージは一番心やさしい気もする。(「完成に向かって上昇していく」なんていうイメージは少なくとも私にはない。)


注: カトリック雑誌(La Vie 2008/10/30)を訳出したものですが、読むと同時に訳しているのでそのまま先に書いているあることは分からないままのコメントです。


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by mariastella | 2017-09-27 02:34 | 宗教

ウィーンの話 番外 バロック教会

妖しさをあまり感じさせないウィーンのバロック教会。

しいて言えば、パリのバロック教会と似ている。


カールス教会と同時代なら一区のサン・ロック教会あたりだし、四区のサン・ポール・サン・ルイ教会とか、六区のサン・シュルピスあたりもバロックっぽい。

ただ、教会はたとえ宗教戦争がおさまった17世紀前半のバロック期に建設が始まったものでも、完成には時間がかかるし、その上、フランス革命によっていったんカトリック教会が閉鎖されたり略奪されたり、壊されたり、転用されたりした後で、再建されたり改築されたり増築されたりと19世紀末までの複合的なスタイルになったりしている。


フランス・バロックの頂点の時代は絶対王権の頂点でもあった。王たちが一応自分たち一族の繁栄や自分の死後の救いなどは考えて立派な聖遺物容れを作らせたり、立派な聖堂を造ったり、自分たちの冠婚葬祭を立派にするために宗教の演出に予算を惜しまなかったりしたのも、本音でもあり、事実だろう。


ただ、彼らの求めたバロックの過剰さには、意外とシンプルなものがある。金ぴかで精巧で贅を尽くしているというのは確かだけれど、どこかに余裕があって、「切羽詰まったもの」がない。バロック時代、ルイ王朝の敵は周りを囲むハプスブルク家だけだった。ハプスブルクもカトリックだ。

だから、「カトリックかどうか」で張り合う必要はない。

ハプスブルクも神聖ローマ帝国の皇帝を兼ねていたし(他の選挙候もいるが)、ルイ王朝も王権神授で歴代の王は聖油を注がれ奇跡の治癒までやっていたから、どちらも、ローマ教皇に対して張り合うというよりただ「自分と自分の子孫の救いファースト」で神さまに金をつぎ込んでいた。


つまり、プロテスタントに対抗してのバロックという戦略も虚勢はない。

それに対して、例えばプラハのバロック教会は、プロテスタントのメンタリティが根付いた地域が、無理やりハプスブルク家に組み伏せられたものだから、ハプスブルク家ににらまれないためのアリバイとしてしっかりカトリックの信仰を強調しなければならなかった。


だから、見せバロック。

とにかく豪華絢爛のバロック。


そこに欺瞞とルサンチマンをいっしょくたにしたような、開き直ったような、ただただ微に入り細に入りアートを追求したような、いろいろな職人の意地を塗りこめたような、バロック。

それだけではない。


ウィーンやパリではフリーメイスンやバラ十字団が吸収していたような「秘教趣味」を、サロンや宮廷で堂々と展開できるのか、教会の中に潜めるのかという複雑なニュアンスもある。

モーツアルトはもちろんプラハのフリーメイスンロッジにも出入りしていたけれど、パリやウィーンとは、カトリック教会との関係が微妙に違う。

ババリアのイルミナティとカトリックとの関係もまた違う。


パリやウィーンのバロック教会と、プラハやババリアのバロック教会の空気の違いにはそれが関係しているというのが私の仮説だが、これからいろいろ検証していくつもり。


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by mariastella | 2017-09-01 03:12 | 宗教

フランシスコ教皇と精神分析

ローマ教皇フランシスコが、フランスの社会学者でコミュニケーションやメディア学が専門のドミニク・ヴォルトンに10回以上のインタビューに答えた『政治と社会』という本が出版された。

カトリックのヒエラルキーの頂点にいる人たちのインタビューというのはなぜかいつも無防備で誠実だ。彼らには、地上で失うものはもう何もないのかもしれない。

で、カトリックはじめてのヨーロッパ大陸以外からの出身のこの教皇、普段から率直でユーモアもあるのは知っていたが、意外なことがいくつかあった。

まず、教皇が外国訪問から帰る時の機内の記者会見について。

このブログでも、
こことか
こことか
ここ
などで書いているように、むしろ、機内では自由な本音が聞けるのかという印象を持ってていたが、実際は、機内でジャーナリストに囲まれるときはライオンの檻に投げ込まれたような気がする、のだそうだ。映像を見るといつも通り自然体でリラックスしているように見えるのに。

確かに、機内では、絶対に逃げられない、これで終わりにします、といって奥に下がることもできない。

ローマ教皇になったことについても、まさか自分がバチカンという檻の中で一生を終えることになるなどと思ってもいなかった。でも、内的には自由のままでいる、と言う。

飛行機も檻、バチカンも檻。

気の毒だ。

気の毒と言えば、42歳で精神分析にかかったことがあるという話も出てきた。
自分の中ではっきりさせたいことがあったからだと。

教皇が42歳と言えば、1979年あたり。

1973年に36歳の若さでイエズス会のアルゼンチン管区長に任命されたことの重圧の他に、1976年から1983年の軍事独裁政権があった。イエズス会士にもコミュニストとと共闘する者が現れ、「解放の神学」がローマから批判された時代だ。
この時代の中南米におけるカトリック教会と解放の神学とコミュニズムの関係の変遷については、今執筆中の「神、金、革命」(仮題)にくわしく書いた。

この時代に、後にブエノスアイレスの大司教となり教皇にまでなるベルゴリオ神父は、独裁政権に迎合したと言われたり、いや、レジスタンスの立場にいたと言われたり、解放の神学に対しての姿勢の曖昧さを問われたりと、なかなか微妙なスタンスにいた。時の教皇に絶対服従のイエズス会士の立場を貫くのか、軍事独裁政権によって抑圧されている弱者の側につくべきなのか、さぞや迷いがあっただろうと思われる。

ちょうどその時期に、精神分析を受けたというのだ。

自分の中ではっきりさせたいことがあった、からだと。


神は答えをくれなかったのだろうか。


いや、神がどのように何を通して答えをくれるのかなんて、人間の想像力を超えているのだろう。


現役のローマ教皇が、宗教や救いというテーマでなく、ずばり政治と社会をテーマに語る。

全部読んでからまたコメントすることになるだろう。




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by mariastella | 2017-08-31 05:44 | 宗教

ウィーンの話 その11 聖アンナ教会

ウィーンのバロック教会、次は聖アンナ教会。

そのすぐ近くにマルタ騎士団教会もある。
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こういうの。マルタ十字架が印象的だ。19世紀初頭のもの。私の滞在したホテル(アンバサダー)の向かいにある。

で、そのすぐ先に聖アンナ(聖母マリアのおかあさん。教育熱心でマリアに読み書きを教えたのでマリアは本好きの女の子になり、天使に受胎告知された時も本を読んでいて、幼子イエスを寝かしつけている時も本を読んでいて、抱っこしている時も本を読んでいる、という図柄がたくさんある)教会。

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バロック時代(1629-1634)に後期ゴシックから改装したというから、確かにバロックの意匠なのだけれど、カールス教会と同じように、形はあるけど濃密さが今一つ伝わらない。
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聖アンナ教会だから、聖アンナが聖母マリアと幼子イエスの両方を抱いている像もある。

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これはイコン風。聖アンナが幼いマリアを抱いている。マリアはちゃんと本(祈祷書?)を持っている。のちに被昇天して「戴冠」したのでもう冠を被っている。

クラリス会、イエズス会、聖アンナ信心会、芸術アカデミーと転々として、今はある修道会が運営してちゃんと毎日ミサがあるそうだ。
何度も修復されている。

なんというか、濃い巡礼地の聖堂などと違って、訪れる人のサイコエネルギーがたまる暇がないのか、「妖気」っぽいものが感じられない。コンサートはいろいろある。(続く)



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by mariastella | 2017-08-27 02:03 | 宗教

ウィーンの話 その10 カールス教会

楽友協会から丸屋根が見えていたカールス教会はバロック時代の教会だ。
ドームに見事なフレスコ画があって、エレベーターでかなり上まで昇り、さらに階段で天井のすぐ近くまで行ける。外の塔に上るというのはよくあるけれど教会の真ん中の空間を上っていくのは…天にも昇る気持ち?

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この鉄骨の骨組みがエレベーター。フレスコ画修復のための足場をそのまま残しているのだろうか。

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こんな迫力で見えてくる。

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おお、ついに天国に到着。

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バロック教会独特の演劇的祭壇。


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一番上には聖霊の白鳩が舞う。

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この聖母子像はなかなかいい。

うーん、でも、ウィーンのバロック教会って、なんだか、違う。

ラテンアメリカのバロック教会はもちろん、地理的に近いババリアのバロックやプラハのバロックとも雰囲気が違う。

さらに別のところへ行ってみよう。(続く)






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by mariastella | 2017-08-26 02:20 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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