L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:宗教( 333 )

ウィーンの話 番外

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シュテファン大聖堂の聖母子像です。長い間、貧しい人々の崇敬を集めていました。
庶民には、金ピカに飾りたてられた聖遺物よりもこの聖母のまなざしが頼りになったのでしょう。幼子イエスは聖母の心臓を祝福しているとされます。名作です。
王侯貴族邸内の聖堂と違って大聖堂はすべての人々が集えるところだったことを教えてくれます。

今日は聖母被昇天祭。
被昇天のノートルダム教会に今から出かけます。

幼子を抱く母親が誰一人として戦争のある世界を望んでいないのは確かでしょう。

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by mariastella | 2017-08-15 15:26 | 宗教

ウィーンの話 その6


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これが、宝物庫の最終部分にある聖ステファノの聖遺物。(多分)
部屋の前にはそう書いてあるが、棺の前には説明書きが見当たらない。
宝物庫そのものは昔地下にあって、大戦の火災を免れて、戦後大聖堂を再建した際に大オルガンの上の部分にまとめられた部分なので、内陣のは墓所のように薄暗くも迫力ある趣があるわけではなく、歴史美術の博物館的な空気。




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棺の中には、着ぐるみのような体が安置してあるが、どう見ても、立派な衣装で包んだ人型だ。で、顔の部分だけが、薄い布で覆われた髑髏のような感じだ、殉教者を表すオリーブの枝の冠、ステファノの見た日の光にちなんだ日輪などから考えて、やはりこれがステファノだと思われる。

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普通は骨一本でも聖遺骨はこんな感じで立派な容器に入って布や宝石で飾り付けられて安置されている。

ということは、ウィーンには、「ただの骨」ではなくてありがたい頭蓋骨が聖遺骨としてもたらされたからこそシュテファン大聖堂の威光が増したのだろう。普通は頭蓋骨の聖遺骨でも、頭の部分だけ飾られて置かれているから、全身を再現したつくりはなかなか凝ったものだと思われる。

前にも書いたけれど、これが本当に、イエスの使徒のステファノの頭蓋骨なのか、十字軍が偽物をつかまされたのか、当時の人々が本気で信じたのか、いつから信じなくなったのか、それでもそのまま祀っていていいのか、などなどという疑問は私にとって重要ではない。

カルヴァンに批判されるまでもなくキリスト教のメインメッセージと関係ないと思われる類推魔術の心性がどういう形で表現されてきたのか、
人々がなぜこのようなよすがを必要としたのか、
それが何をもたらしたのか、
共同幻想のような力がどのように働くのか、
この聖遺物に託されてきた多くの人の濃密な思いの残滓はまだ残っているのだろうか、

などの問いが次から次からわきおこる。

その答えの一部は、言語的ではない形ですぐに与えられた。

同じシュテファン大聖堂の地下墳墓の中で。(続く)

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by mariastella | 2017-08-15 05:57 | 宗教

ウィーンの話 その5

キリスト教最初の殉教者ステファノの「聖遺物」に捧げられたウィーンのシュテファン大聖堂。

メインのステファノの聖遺物は内陣内にはない。


有料の宝物庫の一番上の部分にある。


そもそも、使徒のうち最初の殉教聖人ということでメ、ジャー中のメジャーの1人であるステファノの聖遺骨の信憑性はどの程度あるのだろう。


よく知られている「お話」の典型的なのは次のようなものだ。


イエス・キリストの受難と復活の数年後の1227日(オリエント教会での祝日)、まだ、キリスト教徒というアイデンティティのないステファノは、イエスの教えを受け継いで、エルサレムの律法学者たちの神殿偏重を大祭司の前で批判したので怒りをかい、石で打たれて殺されて、路傍に放置された。

その遺体をでエルサレムの北20マイルCaphargamalaにある自邸まで運んで、40日の喪の期間を経た後で墓所に埋葬したのがガマリエルという聖パウロの律法の教師と言われる人だった。

彼の甥はイエスにひそかに傾倒してイエスの埋葬の世話をしたニコデモとされる。

ガマリエルとその息子ハビブもイエスの死後に使徒から洗礼を受けている。

ニコデモも、石打ちにあって、傷を負い、ガマリエルの屋敷に逃れた後で死に、ステファノのそばに埋葬された。後に、ガマリエルと、20歳のハビブも死んで同じ場所に埋葬された。その後、ガマリエルの屋敷は崩落した。

で、キリスト教がめでたくローマ帝国の国教となった後の415年になってから、Caphargamalaの敬虔な司祭ルキウスが3度ステファノのお告げを聴いた。ステファノは、その名が赤と金で刺繍されている助祭の祭服を着ていた。

その指示にしたがってガマリエルの屋敷跡を掘るとまず石だけが出てきた。もっと北の方を掘れというお告げに従って修正すると、ステファノらの遺骨が発見され、地は振動し、芳香が立ち上った。

遺骨をエルサレムの聖シオン教会に移したのが415年の1226日で、大雨が降り、それまで続いていた深刻な旱魃が解消された。


ところが、聖シオン教会に納められていた棺をコンスタンティノープルに移そうとしたある未亡人が意匠の似たステファノの棺と夫の棺を取り違えた。棺が運ばれる途中で次々と「奇跡」が起こった。港について、ラバで運ぼうとしたらラバが動かなくなった。82日、その場所に最初の殉教者教会が献堂された。


ビザンティンの記録によるとまた別で、ルキウスの仲介でステファノの右手の骨がエルサレムの大司教に届けられ、その後、皇帝による寄進に感謝するために429年にコンスタンティノープルに移譲された。439年にはエルサレムに引退した皇妃が別の部分の骨をコンスタンティノープルに送った。6世紀に別の皇妃ユリア・アニキア?が残りをコンスタンティノープルに移した。

そういう経緯でステファノの聖骨全部がコンスタンティノープルにあったが、十字軍による1204年の侵略によって、ほとんどが西ヨーロッパの各地に持ち去られた。


フランスではブザンソンのカテドラル聖ジャン(ヨハネ)大聖堂にある「ステファノの腕」が長い間巡礼者の崇敬の対象になっていた。5世紀(445)にステファノの腕の骨大小2本がローマ皇帝ホノリウスに贈られた際に、途中で今のブザンソンに当たる古都Vesontiに留まった。小さい方の骨は手の形の容器に納められて巡礼者に祝福の按手をする見立てになっていた。

当時は聖エティエンヌ(ステファノ、シュテファン)カテドラルだった。崇敬物として一時代を画した後、16世紀には、5世紀にテオドシウス帝から大司教に贈られたという触れ込みのイエスの聖骸布が新たな崇敬の対象になった。

1523年に壁が崩れて「発見」されたというのだ。

プロテスタントの宗教改革の反動でカトリックの聖遺物崇敬が高まった時期だ。

今も有名なトリノの聖骸布がリレイからトリノに落ち着くまで1418-5234年間、この地方の神学校に保存されていた間に模写されたものだと言われているが、ともかく1523年以来復活祭と昇天祭に一般公開されて、多くの奇跡が起こり、聖骸布信心会が大きな勢力を持った

その後1669年にあらたな聖ヨハネ大聖堂に移された(ブルゴーニュ公国は正式にフランス王の支配下に入っていた)。フランス革命後の1794年にパリに持ってこられて吟味されて、偽物であるとされて破棄を申し渡されたはずだが、ナポレオンがカトリック教会と和解した後19世紀にはまたブザンソンに現れて崇められたという。この聖骸布をモティーフにした数々の絵も有名だ。

で、そのようないわば、宗教改革だの近代革命だののもたらす流行りすたり、の中で、ステファノの聖遺骨の方は信心の対象としてはすっかり忘れられた形になったらしい。「宝物」としては今も健在だ。

宗教改革でカルヴァンなどからあれほど馬鹿にされて弾劾されたのにしぶとく聖人崇敬を手放さなかったカトリックだから、「お話はお話として」、信心の本質的なシンボルとしての「聖遺物」はどんな形でも、ちゃんと残ったわけだ。


これらの事情を鑑みるに、宗教改革や近代革命による損害がなかったウィーンのシュテファン大聖堂にあるステファノの聖遺物というのは、同じように、13世紀初めにコンスタンティノープルからもたらされたステファノの骨の一部を看板の聖遺物として掲げたものの、後にその聖遺物そのものへの崇敬はすたれたので、「宝物」庫にひっそりと保管されているという感じなのかもしれない。

聖堂の内部では皇帝の棺の方がずっと立派に安置されている。

ゴシック時代のシュテファン大聖堂の前にあったローマン教会も、ステファノを守護聖人としていたらしい。12/26に朝日が主祭壇に射す方向に向けて建てられているという。それは人々に攻撃される前のステファノが空を見上げると神の光が射したことにちなんだものだ。(ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。)(使徒言行録7,55-56

だからどうしてもステファノの聖遺骨を必要としたのかもしれない。

前置きが長くなったので、ステファノの聖遺物との対面は次回に。

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by mariastella | 2017-08-14 06:15 | 宗教

ウィーンの話 その4

シュテファン大聖堂の「宝物館」には、工芸として立派な祭服だの聖体容器、聖杯、聖遺物入れなどの他にカトリックのフォークロリックな「聖遺物」がたくさんある。

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十字架を担いでゴルゴタへの道を行くイエスの顔を拭ったヴェロニックの布だとか、

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最後の晩餐のテーブルクロスだとか、

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イエスの十字架の木の一部だとか、

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茨の冠の棘だとか、

こういうものって、例えばヨーロッパ中にある十字架の木の聖遺物を合わせると森ができると言われるほど、どこにでもあるといえばある。たいていは、4世紀のコンスタンティヌスのあたりから、エルサレムに行っての「聖遺物収集」が始まって、それがイタリアやコンスタンティノープルで崇敬されていたものが、十字軍の時代にコンスタンティノープルから収奪してきたということになっている。
また、神聖ローマ帝国の皇帝やヨーロッパの王とローマ教皇とが対立していた時に何度も侵略や戦争があったので、フランス王やらドイツやオーストリアの王、皇帝、選挙候などもイタリアの各地からメジャーな聖遺物を収奪したりしている。
ケルンの大聖堂などはミラノから略奪した東方の三博士の遺骨を納めるために建設されて、その威光でローマに肩を並べるほどの大巡礼地となった。つまり経済効果があったわけだ。
十字軍の騎士たちに「聖遺物」を売りつける商人たちも跋扈していた。
存在が確認さえされていない三博士はもちろん、あきらかにでっちあげやら真偽のあやしいものはたくさんある。
しかも、手に入れた経緯は略奪やら時には他の巡礼地から盗み出すなど、到底、立派な行いとは言えないものが多く、これらこれらの夥しいメジャーな聖遺物は、巡礼者に宣伝するのは別として、基本的にひっそりと、つまり、本物であることを「強調する」とか「証明する」というようなロジックと別のところで祀られている。

これらの聖遺物を「本物」にするのは、巡礼者、信仰者を集める「実績」であり「ご利益」や「奇蹟」の「実績」であるからだ。聖遺物は崇敬されることで「本物」になり、崇敬による一種の集団サイコエネルギーみたいなものが、「奇跡の治癒」を生み出していく。

中世の人間とはいえ、本気でこんなものをありがたがっていたものだろうか、とその本気度を疑いたくなるかもしれないが、当時の王侯貴族が「毒消し」のために食器や飲み物入れに異常な神経を使っていたことを見るとそれが別の角度から分かってくる。彼らは常に毒殺されるリスクを抱えていて警戒していた。だから食器やカップなどを毒消しの効果のある動物などで装飾したり、毒消しの効果のあるとされていたヤギの胃の石灰化したものをくりぬいて金細工してコップにしたりしている。

医学の発達していない時代に、病気や怪我や中毒などは神罰やら運命やらに一撃される不可抗力の恐れだった。
いいというものにはすべてすがってみる、というのは信仰や迷信というよりもっと実存的な欲求だったのだろう。

このような聖遺物崇敬の「迷信」はプロテスタントから一笑に付され、一掃されたわけだが、ましてや明らかに出自のはっきりしない聖遺物について、今のカトリック教会はもちろん大っぴらに宣伝するわけもないし、新しく公認された「聖人」の真正の「聖遺物」だって、「それがどうした?」と部外者に言われればそれまでなのだから、中世の王侯経由で聖堂や修道会に伝わるコレクションについては、崇敬されてきた歴史を尊重するだけで、「真偽」を問うようなことはしない。

で、この大聖堂が捧げられたイエスの使徒ステファノ、聖シュテファンの聖遺骨はどこに?どこに? (続く)

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by mariastella | 2017-08-12 07:10 | 宗教

モスルのノートルダム


イスラム国」のイラクにおける拠点だったモスルが「解放」されたというので世界中から多くのメディアが乗り込んでルポルタージュを発表している。

これまでも「オリエントのキリスト教徒」を積極的に支援してきたフランスのカトリック教会も725日にさっそく現地の5教会を訪問した。もともとイラクのカルデア教会はカトリックの仲間だ。

3年間の「イスラム国」による占領の前に3万人いたキリスト教徒のうち、「解放後」に戻ってきたのは今のところたった3家族だそうだ。トラウマが大きすぎるからだという。

フランス・カトリックのオリエント教会支援機構はルルドの洞窟で祝別したというたくさんの「ルルドのノートルダム」像をすぐにモスルの教会に贈呈した。

イラクのこの地域ではもともと病人や怪我人に寄りそう「聖母マリア」への崇敬がさかんだったが、「偶像崇拝禁止」のイスラム過激派がもちろん聖母像をすべて破壊してしまったからだ。


その後で、7/25にリヨンのバルバラン大司教の率いるフランスの司教団がモスルを訪れて、バルバラン師はリヨンの「フルヴィエールの聖母」の金色の像をカルデア・カトリックの「聖霊カテドラル」に寄贈した。


フルヴィエールのノートルダム大聖堂はフルヴィエールの丘の頂上にそびえるバジリカ教会で、司教聖座のカテドラルは旧市街にある天文時計で有名な聖ジャン(ヨハネ)大聖堂なのだけれど, それとは別に 普仏戦争でプロシャ軍の侵攻から守ってくれたノートルダムに捧げられた大人気のバジリカ聖堂だ。ちょうど、パリのカテドラルはノートルダムだが、普仏戦争後の宗教熱でサクレクール大聖堂が造られたのと同じような関係にある。

「聖母マリア」というのは、「ルルドのノートルダム」だとか「フルヴィエールのノートルダム」だとか、「ファティマの聖母」だとか、行く先々で、「うちのマリアさま」のヴァリエーションがある。

まあ、フルヴィエールのノートルダムは、普仏戦争後の「平和」を象徴しているのだからモスルにぴったりだと思ったのかもしれない。(もっともフランスはその後二度も大戦の舞台になっているけれど。)

モスルのシリア正教カテドラル聖エフェレム大聖堂も、モスクに改造されていたが、戦闘のダメージで吹き曝し状態になっているけれど、青い銀河を背景にしたキリストのモザイク天井画だけは奇蹟的に残っているという。アッシリア殉教者教会も鉄骨と二面の壁しか残っていない。

モスルはキリスト教の揺籃の地でもあり、サダム・フセインの頃にイスラム教と平和共存していたのがもう遠い昔のようだ。


バルバラン大司教が金色の聖母像を置くのを、カテドラルに避難しているムスリムの家族たちがじっと見ていたという。


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by mariastella | 2017-08-09 07:11 | 宗教

ウィーンの話 その3  シュテファン大聖堂の南の 塔に昇る


ウィーンでは一日に18000歩も歩いた。

シュテファン大聖堂も、南の塔の上まで昇った。

ずっと低い北の塔の展望の良いところまではエレベーターがある。

そちらももちろん昇ったが、南の塔は300段以上の螺旋階段を延々と昇らなくてはならない。

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写真の右端のところどころに開いているのが見える長方形の穴から吹き込む風でなんとかしのげるが、おりからの猛暑で大汗をかく。

なんでこんな高いところに昇るのかなあ、と自分でも思う。

降りるのはもちろんずっと楽だ。

天国に上がるのは難しい、

地獄に堕ちるのは簡単、

ってことかなあ。

大聖堂内の説教壇も、階段を昇ってかなり上の方にある。

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下の方には動物やら怪物やらの彫刻が施されている。

これは別に、司祭が会衆を見下していわゆる「上から目線」で説教を垂れるためではない。王侯貴族の宮殿に付属する聖堂では、王たちが聖堂に入らずに居住室から直接、説教壇より高い位置にあるテラスの席について、見下ろす形になっているところなどいくらでもある。

説教壇が高いところにあるのは、そこに上ることで煩悩やら邪心やら「悪」を「下界」に置いてくるという決意の意味があったそうだ。自分の卑しい部分を下に残して、霊的な部分を聖霊にインスパイアしてもらって説教の言葉が出てくるようにするためだという。


そうなると、苦労して塔の上に昇るのも、登山と同じでちょっとストイックな「浄め」の気分なのかなあ、とも思ったが、「馬鹿と煙は高いところに上がるのが好き」という言葉も頭に浮かんだ。

シュテファンというのは十二使徒の中で最初に石打ち刑で殉教者になったステファノだ。

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祭壇の絵ももちろん殉教図になっている。


フランス語ではエティエンヌという。ステファヌという名前もある。カトリックのことを知らない人には、エティエンヌとステファンが同じ使徒由来の名だとは気づかないくらいに違う。

ピーターやペーターがピエールやペドロ、ピエトロ、ピョートルなどとヴァリエーションがあるのはまあ見当がつく。

ステファンがスティーヴンやエステバン(スペイン語)になるのもやや分かりにくいが、Sが完全に抜けたフランス語のエティエンヌって、慣れれば普通なのだけれど、フランス語のミシュランのガイドブックの地図にSt Etienne と堂々と表記してあるのを見ると違和感があり過ぎだとあらためて思った。

ハプスブルク家のウィーン最大のゴシック・カテドラル、地下にはカタコンブもあれば歴代の皇帝、王族の内臓を収めた壺も並ぶ。見どころは満載だ。


「ハプスブルク家はみな敬虔なカトリックだった」と解説にある。


「敬虔なカトリック」ってなんだろう。


権威付けや人脈や政治や外交のツールの他に、迷信、あらゆる種類の「神頼み」をほんとうに必要としていたということか、それとも本気で「教義」を信じていたのだろうか。確かに、信心グッズのコレクションの壮大さにはただの見せかけではない強迫観念が垣間見える。

ともかく、最大の野次馬的興味は、この大聖堂が捧げられている殉教使徒シュテファンの聖遺物である。それはどこにある?


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by mariastella | 2017-08-08 05:44 | 宗教

スウェーデンのカトリック その2


スウェーデンでカトリックが今だに政治レベルで過小評価されているのは、アンダース大司教が枢機卿となったニュースに国王も首相も祝いのメッセージを送らなかったということに現れている、と枢機卿は言う。

議員で唯一祝いを述べたのは福音派の保守党女性議員だけだったそうだ。

(と言われても、日本人にはピンとこない。フランスでもピンとこない気がする。政教分離が進んだ世俗国という点では日本とフランスは似ているから。スウェーデンと似たケースでは国教会のあるイギリスだろうが、イギリス人が枢機卿に任命されたらはたして女王や首相が礼儀上祝辞を述べるのだろうか。検索してみたが分からなかった)

ともあれ、アンダース師の枢機卿任命は、スウェーデンのプロテスタント諸派からは祝辞を受け、何よりも、マスコミ、メディアが大きく取り上げたのだそうだ。

そのせいで街を歩いていても、人々から声をかけられたし、最も人気のある夏のラジオ番組にもゲストとして呼ばれた。ルターの改革500年記念というのに、すっかり「宗教離れ」しているスウェーデンでは大した話題ではなく、ルーテル教会の牧師らは誰もメディアから呼ばれていない。

同じ首長を頂く一宗派として世界最大の普遍宗教であるカトリック教会にスウェーデン人の枢機卿誕生が生まれたことは、「アイス・ホッケーの世界大会でスウェーデンが優勝するようなもの」なんだそうだ。

普遍性が担保するナショナリズムなのだろうか。

 

各国に難民の受け入れを呼びかけるフランシスコ教皇は、スウェーデンの移民受け入れと統合を模範的なものだとしばしば口にしている。それは本当か?

と問われたアンダース師は、「一昔前まで、スウェーデンはバチカンの妊娠中絶反対の立場などに異を唱えていたが、今はバチカンがスタンスを変えることはないと理解した。今も、良心に従って中絶を拒否した二人の助産婦をめぐって議論があるがスウェーデンの立場も変わらない。」と言う。

確かに、平和主義、武器廃棄、難民受け入れ、貧困との戦いについてはスウェーデンとバチカンのポジションは同じだ。

と言っても、スウェーデンでも移民・難民地区での銃撃や麻薬の問題があり、ストックホルムは実はヨーロッパで最大の、社会地位による棲み分けが進んだ首都だ。一見寛容だと言われるが、スウェーデン人と移民との間の緊張は高まっている。教皇は理想化したイメージを持っているのかもしれない。

なるほど。

スウェーデンでも、フランスと同様、民族や出生地別の統計は禁じられているという。

でも、移民統合政策で教育社会主義が徹底しているはずのフランスでも事実上、移民ばかりが暮らす地区というのがあってゲットー化するのは事実で、「統計」に基づいた「逆差別」政策などがない分、偽善的だともいえる。

プロテスタントとカトリックの宗教間対話については、

以前は「解決困難な問題点」に集中して話し合われていたけれど、今は、「共にできること」について話し合うという。カトリック教会と世界ルーテル派連合は「確執から交わり(コミュニオン)へ」という共同声明にサインした。救いにおける教会の役割や秘跡についての話し合いでは先に進めないが、洗礼の意味や、人間観や福祉を出発点について話し合うことはできる。月曜には共同の祈りをするし、共同の黙想会もやっている。福祉活動でも我々は大切な役割を果たしている。

だそうだ。

枢機卿は続ける。

スウェーデンのルーテル教会はプラグマティックで、信者に社会活動を呼びかけるが、霊的な感性に向かうというイメージがない。今は、もし神の恩寵についての説教を聞きたいなら、プロテスタント教会よりもカトリック教会に行け、と言われているほどだ。

ラテン・アメリカやアフリカからの移民にはルーテル教会やカトリック教会でなく福音派教会に惹かれる人が増えている。

カトリック教会にはヴァイタリティが欠けているという人がいる。カリスマティックな運動には好き嫌いがあるが、私もこの夏にブラジルのシャロム運動のコミュニティに行き、ハレルヤ・フェスティヴァルにも参加する。彼らはスウェーデンに支部を置きたいと言っているが私は歓迎する。

だそうだ。

何だか、ラテンなカリスマティックはスウェーデンのイメージに合わない気もするが。

福音派というのはメガチャーチや、派手な演出、マーケティング、奇跡や異言がバンバン起こりそうな熱狂的な感じがして、アメリカでもすごい勢いで広がっている。カトリックのカリスマ派というのは、もっと閉鎖的で原始教会にインスパイアされた感じの共同体という感じだったが、カトリックから正式に認知されているので、福音派に惹かれるタイプの信者を吸収できている面もある。

で、スウェーデンに進出するというシャロム共同体、日本語で検索してみたらこういうのがあった。

マニフェストみたいなのを見つけた。

http://www.ultraman.gr.jp/shalom/shalomkyoudoutai.htm

安曇野で、自然と共生して持続可能な幸せな暮らし、ヒュッテ、オーガニックレストランやカフェ、ショップなどもある。経済は友愛であるという共生システムで21 世紀の生き方を考える、ともある。

どちらかと言うとディープ・エコロジーでキリスト教っぽくはない

ブラジルのシャロム共同体というのは、1982年にできたもので、2007年に世俗の共同体としてバチカンから認可されている。

ネットによると、パレスティナでユダヤ人とアラブ人の平和のための運動が呼称のルーツともあるし、日本のシャロム共同体というのは単に同名だけなのかもしれない。

『ラ・デクロワッサンス』なんかとも相性がよさそうだ。

マニフェストには

「分離の時代は終わりました。これからは一つに溶け合う時代です。あなたと私。宇宙もすべてが一つなのです。ジョンレノンは歌います。国がないということを想像してごらんと。今流れは分離対立から融合調和へと向かいひとつになろうとしています。人間も自然も木も草も虫も月も星もみんながつながっています。

それは、階級と競争による対立の時代、物質文明の時代から、自立した者同士による智恵の時代、精神文明の時代へと変化を促す、宇宙の意志の現れかも知れません。」

とある。

うーん。

「宇宙の意志の現れ」を「神のみ旨」と言い換えたら、カリスマティックや福音派にもつながるのかも。

しかしこういう流れは私のすごく苦手なものだ。「一つに溶け合う」のも嫌いだけれど、今世界が「精神文明の時代」へと変化するという言説は、カルト宗教にあってもおかしくない。

私は何にでもそうだが、「正論」に対しては「総論賛成」なんだけれど、具体的な共同体や指導者の顔が見える「各論」になるととたんに警戒するタイプだ。

もし本当に、カリスマティック共同体や福音派のメッセージが伝わっているなら、この世はもう少しましになっていてもいいと思うけれど。

スウェーデンのカトリックに関して書いているうちに話がそれてしまった。


北欧諸国というと、生活の質が高くて福祉と経済成長が融和している「成功例」みたいなイメージがあり、いろいろな意味でそれを可能にする程度の規模の国々なのだと思っていた。でもどこの国でも「世俗化」と、理念、理想の追求とが両立するためにはいろいろな工夫や努力が必要なのだなあとあらためて考えさせられる。

「総論」が実現するのは「神の国」だけで、「各論」はいつも誘惑と落とし穴だらけだ。でも、この総論と各論の間をどうやって行き来して「神の国」の方向にかろうじて顔を向け続けていられるかが大切な課題なのかもしれない。

日本国憲法の前文と中身もそんな関係だったりして。


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by mariastella | 2017-08-01 05:01 | 宗教

スウェーデンのカトリックと移民、難民  その1

スウェーデンのストックホルムのカトリック大司教が6月末にローマ教皇から「枢機卿」に任命された。次の教皇を選ぶ選挙権もある枢機卿はカトリック行政の上では教皇の下の最高位だ。(霊的にはすべての司祭の上に上下関係はない)

ヨーロッパの国の首都の大司教なら枢機卿になるのも順当に思えるかもしれないが、実は、スウェーデンでは初めてのことだ。

なぜなら、スウェーデンはいわゆるプロテスタント国で、カトリックは人口の2%というマイナーな国だからである。

スウェーデンの宗教などについてはここで書いている

しかも、67歳のアンダース大司教、

カトリックには20歳で改宗した人で、


元カルメル会の修道士で、


プロテスタント改革以来、はじめてのスウェーデン人司教(それまではドイツ人やポーランド人が任命されていた)だという。

なるほど。


日本のカトリックもスウェーデンよりさらにマイノリティで、昔は外国人司教ばかりだったけれど、戦中の国策ですべての外国籍司教が辞任して日本人司教に代わっていった経緯がある。20世紀の世界大戦で中立国だったスウェーデンではそういうナショナリズムはなかったのだろう。


アンダース大司教と共に枢機卿に任命された他の4人のうちの2 人もマリとラオスという「非カトリック国」の人であることも、カトリックは「カトリック教会」にとっての辺境や周辺地域でこそ仕えなくてはならないという今の教皇の方針を反映しているのだろう。

で、もっと驚いたのは、ルター派の福音ルーテル教会をスウェーデン国教会としているバリバリのプロテスタント国だと思っていたスウェーデンが、実は、今は世界でも有数の非宗教、非信心国であるという話だ。多くの国民は「キリスト教」が何であるかも漠然としか分かっていない完全な「ポスト・キリスト教」社会なのだそうだ。(宗教帰属意識が低いと言われる日本人にとって冠婚葬祭から初詣や各種の祭りなどけっこう「信心」行為のハードルが低いのと比べ物にならないようだ)

で、もっと驚いたのはそんなスウェーデンで、カトリックが今人気になりつつあるという話だ。プロテスタント離れしてしまったので、過去にあったアンチ・カトリックの偏見はほぼ消えてしまった。それどころか、今は注目されている。

それは「スウェーデン国教会」に対してカトリックが超国家的でユニヴァーサルだということで、スウェーデン内のいかなる共同体よりも、カトリック共同体は文化的にも民族的にも多様性があるからだという。

国教会に集まる「信者」は、人種的にも世代的にも社会的にも似たような人たちだが、カトリック教会に集まる「信者」は100以上の国籍が共存していて、多くの移民がいる。

そういえば、スウェーデンと言えば、2013年にシリアからの難民を制限なくすべて受け入れると宣言していた。今や国民の5人の1人は外国生まれだともいう。

ラテン系や旧植民地国も多く人種の混ざり具合が大きいフランスなどと違って、金髪碧眼率の高い北欧諸国では中東やアフリカの難民、移民は目立ちすぎて同化できないんじゃないかとか、カトリック教会が勢力拡大に移民を利用しているんじゃないか(ベルリンの例など)などというこれまでにも書いてきた私のゲスの勘繰りは、ほんとうに、ただゲスなだけなんだろうか…(続く)


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by mariastella | 2017-07-30 01:10 | 宗教

聖遺物泥棒

今の時代に不思議だけれど、イタリアではここのところ聖遺物盗難が続けて発生しているそうだ。
ヨハネ=パウロ二世の血の入ったガラス容器が盗まれた後、ドン・ボスコの脳のかけらが入った聖遺物入れが盗まれたという。

日本のサレジオ会のドンボスコ社から本をだしていただいているご縁があるので、ニュースを聞いてドン・ボスコの名に反応してしまった。
彼の詳細な伝記も読んだことがあるし、青少年の教育者としてのドンボスコのいろいろなエピソードも読んだ。
けれども聖人である彼の聖遺物の種類などは調べたことがない。

今世紀に入ってから亡くなったヨハネ=パウロ二世くらいに新しい人は、「血」の聖遺物がたくさんある(東京カテドラルでも見た)のはなぜだろう。もちろんナポリで毎年液状化するという奇跡の聖ヤヌアリウス(ジェナーロ)の血のように有名なものもあるけれど、一番多いのはやはり聖遺骨であり、中世の聖人はもとよりリジューの聖テレーズのように比較的新しい聖人も、骨が仏舎利のように細分された。

ヨハネ=パウロ二世の遺体はバチカンに安置されているから、聖遺骨は分けられていないけれど、これも伝統的に聖遺物となる心臓はどこかに安置されているのだろうか。

私の見たり聞いたりした彼の体の聖遺物には、1981年に銃撃されて暗殺未遂となった時の血の付いた髪の毛というのがある。その時は、彼が亡くなるかもしれない、そうすれば現役教皇の殉教、即、列福列聖という連想が働いてその髪を切り取って保存した人がいたのだろうなあなどと想像してしまう。

で、21世紀の今、数年前に亡くなった人の骨だの内臓などを世界中にばらまくのは時代錯誤だということで、体の一部だけれど外部を損なわないで採取できる「血」なのだろうと思うが、亡くなった後に取ったのか、生前の血液検査での血を保存していたのか、などといろいろな想像をしてしまう。

どちらにしても、すべての聖遺物崇敬って、類推呪術にルーツがあると思うが、プラセーボ効果というのもあるから、「信ずるものは救われる」というのは納得がいく。
中世に聖遺物取引が一大マーケットになったのは、しかるべき効験あらたかな聖遺物を抱えた教会や修道院が巡礼地となって莫大な利益を生んだからでもある。

今は聖遺物の売買はカトリック教会からは禁止されているから、たまにオークションで出たりするとスキャンダルになる。

拝観に供する「聖遺物入れ」は古来金銀細工や宝石など立派なものが多いので、当然、その容器を目当ての窃盗はあったのかもしれない。

しかし今の時代に聖遺物だけを目当てに盗むとは思えない。

教会には「金属泥棒」がよく出没するので、今は監視されたり鍵をかけられたりするところが多い。銅などは高く売れるようだ。つまり、有機的な聖遺物が入っている容器(しかもガラスがあるから壊れやすくて持ち去るのにも不便?)でなくとも、泥棒にとってコストパフォーマンスのすぐれたものは他にいくらでもあるというわけだ。

売れもしない「聖遺物」を狙ってどうする。

そして、盗まれたドン・ボスコの聖遺物は「脳」の一部。

心臓を別に埋葬するのは聖人でなくてもヨーロッパでは普通に行われていた。
ハプスブルク家の遺体とと心臓は別々のところにあるし、ショパンも遺体はパリに、心臓はポーランドにある、など有名だ
一つの心臓をばらばらに切り刻んだ聖遺物は私は見たことがない。

骨というのはまあ、もともとひと続きではないから、ばらばらにしたりかけらにするのは抵抗が少ないのかもしれない。

でも、脳って。

脳のかけらって。

それを聖遺物として崇敬するって。

それが盗まれるって…

なんだか不思議だ。

個人的には自分が死んだら絶対に高温火葬の完全灰でどこかに撒かれるか、聖母のように体ごと「被昇天」で消え去るかがやっぱり理想だなあ、と思うけれど。
母が2008年に亡くなった後、「思い出の品」はたくさんもらったのだけれど、最初はそういうものに「よすが」を求めていたのかもしれないけれど、今となってはもう「思い出の品」に託す感傷も自分の中で消化し昇華してしまった感じがする。
誰にとっても、先に亡くなった「大切な人」の思い出の品は「聖遺物」となるけれど、「遺物」から卒業した時にようやく「聖なるもの」の灯がともるのかもしれない。

(追記 : その後、 ドンボスコ の脳の聖遺物は盗人の自宅のキッチンのティーポットに隠されていたのが発見されたというニュースがあった。これって、もちろんいろんな意味で「普通でない」にしても、やっぱり「イタリア」的なのだろうか、だとしたら、なぜ…?)


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by mariastella | 2017-07-12 01:26 | 宗教

ローマ法王とフランス大統領 その2

(これは昨日の続きです。)

ローマ法王フランシスコとフランス大統領マクロンの五つの共通点(By 《La Vie 3744 》

その2です。

2番目の共通点とは去年の春、まだ社会党内閣の経済大臣だったマクロンが独自に立ち上げた運動 En Marcheだ。

En Marche は日本語では「前進」と訳されているようだが、単に歩くという意味だけではなく、動いている、うまくいっている、目的に向かう途上にある、などのいろいろなニュアンスがある。

まず法王。

ヴァティカンのように何世紀もイタリア領邦国家の利権とずぶずぶだった巨大組織は、前進どころか慣性で一歩も前に進めないというイメージだけれど、この教皇は、どこかの国の「岩盤規制の一点突破」みたいなやり方ではなく、広く全方向的に窓を開いていくような動き方をしている。

離婚して再婚したカップルを再び共同体に迎え入れること、
多宗派とのエキュメニカルな理解と前進、
ヨハネ=パウロ二世時代にいったん破門された聖ピオ10世会との歩み寄り

など、いろいろな分野で、たとえ歩幅は小さくても少しずつ動き進むことを好む。問題の解決とは人々が並んで歩くことによる出会いの中で見い出されるものだろう。
目は天を仰ぎ、足は地に着けて「歩いていく」ことがフランシスコ教皇のやり方だ。

マクロン大統領は、その「前進」という運動名はイデオロギーではなく現実との接点を表現する。彼の政策のいくつかは、その運動の内部から自発的に生まれた。また、頭の中だけではなく実際に体を動かせるという「可動性」の徳も強調する。物理的なアクセス可能は、社会的公正を目指す政治の一部だ。彼が大臣時代にそれまで公共機関の独占だったバス路線を「自由化」したことで、フランス中を長距離バスで移動する人が大幅に増えたことがその典型だ。<<


これはやはりプラグマティズムに基づいているのだけれど、
巨大な権威を持つ教皇が広く浅く少しずつ「伝統」を揺さぶろうとしているのに、民主主義と議会制度に縛られるマクロンの方が、強硬に自由化の法を整備して目に見える結果を出すのが対照的だ。

政治家には「次の選挙」というハードルがあるし、常に「政敵」からの攻撃を受ける対策も必要だ。「今ここで」自分の実力を見せつけることが必要とされる。
教皇の方は時として挑発的なコメントを小出しにしながら、様子を見て、パン種が発酵するのを待っている。政治生命のスパンが全く違う。
次の選挙や選挙の地盤を後継者に譲るなどの憂いもない。
配偶者も子供もいないし、時空を超えた神や聖人たちとの交わりの中で足を地につけている。

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by mariastella | 2017-06-05 17:12 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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