L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:宗教( 303 )

キリスト教ルーツの温度差

日曜の投票結果は一勝一敗という感じだった。

オーストリアで緑の党が極右を退けたことで、難民問題が切迫していても世界は必ず利己的なポピュリズムに流れるわけではない、とほっとさせられた。
一方、イタリアの国民投票の結果レンツィ首相の退陣が決まり、ローマ市長の選挙のような極右の流れが見えてきた。EUはまた危機に面する。ギリシャ危機を乗り越えたからノウハウはあるというのだけれど…。

さて、パリのセーヌ河畔で、12/4、新築の巨大なロシア正教のカテドラルの記念行事が行われ、キリル総主教と共に政府を代表して出席したのがウラジーミル・ヤクーニン(元外交官でプーチンの側近、元KGBことも言われ、2005-2015までロシア鉄道総裁だった)という人だった。

10月にプーチンの訪問がキャンセルされたことは前に書いた

ヤクーニンは、ロシアの「文明間対話研究機関」の代表で、フランス共和党のティエリー・マリアーニと共に「仏露対話」を主宰する。

今回、カテドラルを前に彼が強調したのは、

「ロシアとヨーロッパの国々は互いのキリスト教ルーツによって結ばれている」

ということだ。

つっこみどころがたくさんある。

ヨーロッパ連合が必死になって強調するのを避けてきたのがこの「キリスト教ルーツ」という言葉なのに。

それにロシアのキリスト教ルーツとなった東方正教と、西ヨーロッパのルーツとなったローマ・カトリックとは、伝わり方も違うし、確執が長かったしまだ解消されていない。

それに、こんな風に表現すると、

例えばトルコがセーヌ河畔に巨大なモスクを建設するのならまずいが、

「同じキリスト教の教会ならいいもんね、問題なし」

とでも言いたいのか、含意があるようなないような・・・。

そういえば、今話題の日露関係にも「キリスト教ルーツ」という言葉は使えないしね。

ヤクーニンの言葉、空気が読めないのか確信犯なのかよく分からない。

でも10月以来、多少状況が変わったと思っているのかもしれない。

あの後、プーチンはフランス共和党予備選の決選投票前にフィヨンにエールを送ったからだ。

フィヨンはそのことでジュッペに皮肉られていた。

フィヨンとプーチンは仲がいいと言われている。

誰か別のものを排除する形でなければ、ぜひみんな仲良くしてほしいものだけど。
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by mariastella | 2016-12-06 00:55 | 宗教

ある新任司祭に聞いてみたこと その1

Bくんは6月末にノートルダム大聖堂で司祭叙階され、パリのある教区に9月1日付で赴任した31歳になったばかりの青年だ。
チャンスがあったので、近頃の政治状況も含めて好奇心全開でいろいろなことを聞き倒すことにした。

--フィヨンのことどう思う? 投票した? みんなで政治のこと話し合う?

ぼくらは共和党の主催の選挙には参加できないんです。大統領選は行きます。
政治のことはほとんど話しません。政治は教会に関与してはいけないけれど教会が政治に対して意見をいうのは大切です。

--でもフランシスコ教皇の難民とか移民支援などに批判的なカトリックもいるよね。どう思う?

教皇のことや司教会議の決定についてはよく話し合います。
でも、反対だとか賛同できないという言葉は使いません。
そういう時は「理解できない」って保留するんです。

--7月にノルマンディでアメル神父が殺されたよね、怖くなかった?

アメル師が殺された時はWYDに参加していたんです。驚きました。何しろミサを挙げてた時の犯行ですから。

--あなたの教会は荷物検査とかするの? 怖くない?

検査はありません。時々兵士が付近を見回ってます。
それに…あのテロがあったのは地方の村で、しかも平日のミサで出席者4人、パリとは全然状況が違います。
あり得ません。

--でも、襲われたらどうする? 護身術って必要だと思わない?

教区の建物の下で週2回クラヴマガ(イスラエル軍の護身術)の教室があります。でもぼくはやってません。
ぼくがやったスポーツはフェンシングくらい。

--ふーん、フェンシングじゃテロ対策は無理ね。まあ、あなたの教区ってムスリム自体が少ないかも。

そんなことないです。近くに大きな社会福祉住宅の建物があって、そこはほとんどムスリムです。
でもアメル師の事件の後、ムスリムの人がミサに参加する機会が何度かあり、むしろ結びつきができました。
ある日、子供をベビーカーに載せたムスリムの女性が訪ねてきて、「私たちを赦してください」と言ったので感動しました。
うちの教会ではは、毎月「野次馬参加OK」っていうミサもあります。信徒1人が5人まで見学の人を連れてきていいというものです。いいシステムです。子供の時以来教会を離れてしまった人も来ます。

--教会のそばに住んでるの? 自分のアパルトマンとかあるの?

あります。教会のそばの赤煉瓦の建物。教区の事務所とかいろいろなものが入っていて、上に住む司祭は現在6人です。9月からの新顔はぼくと、神学研究に留学に来ているルワンダの神父の2人です。

主任司祭は50代で、助任司祭が37歳の神父と、僕の2人。あとはベルナルダンで神学講座を受け持つ教授、他の福祉活動をしている司祭が1人です。

******

ふむふむ。

給料は1000ユーロ前後。

続いて、ミサのこと、説教のこと、告解のこと、召命のこと、将来のこと、など遠慮なく聞いてしまった。
少しずつ紹介しよう。彼はフランスで私の知り合った最も若い神父だ。新しい世代だから興味津々でもある。

一応「神父さま」でローマンカラーをつけて現れたので、まず話し方を決めた。私は彼をファーストネームで読んで親称でOK、彼は私に敬称を使う。年齢的に違和感がないのでOK。

彼の召命については、パリ大司教区のネットニュースでインタビューに答えたのを見ていたので、それももう少しくわしく聞くことにした。

彼のプロフィールは、両親ともいわゆる貴族の名家の出。
父親は5人きょうだいの末っ子。母親も5人きょうだいだ。
で、彼のところも当然のように5人きょうだい。

両親は早くからの熱心なエマヌエル会のメンバー。
(このブログのパリの奇蹟の治癒シリーズにでてくるカリスマ刷新派)

6歳上の兄は別の修道会に属する司祭だけれど、やはりパリの小教区を担当している。
姉は、ベネディクト会修道女。すぐ上の兄と下の妹は結婚している。

兄さんはビジネススクールを出て会計監査の仕事もした。
Bくんもフランスで王道ともいえる理科系プレパからグランゼコールへ進学し卒業している。

背が高くハンサムで学歴もあってパリに住んで、何が悲しくて司祭になるのかなあ…
それともこういう人たちって生まれ育った時からそういう感性の方向性があるのかなあ。

移民の子弟として生まれたり、同じインテリ家庭でも68年の学生活動家あがりの無神論家庭に生まれたりする青年とは最初から見えている世界、見えていない世界が違うのかなあ。

Bくんは、早くからカトリック系のボーイスカウトに入り、今も世話している。路上生活者の支援などボランティア体験も数限りない。

世の中には「神の名」のもとに人の命を奪う若者もいれば、Bくんのように

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
(ヨハネ15-13。彼が引用するフランス語では「友」は「愛するもののために」となる)

を叙階の言葉に選ぶ若者もいる…。

外的な条件だけ比べると、カリカチュラルだ。

でも、人間性の深淵では、何の力が、どのように働いているのだろう。
本当は、若いジハディストにもいろいろ質問してみたい。

で、とりあえずはB君のことをもっと知ろうと質問続行。
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by mariastella | 2016-12-05 01:31 | 宗教

イエズス会のジョーク

イエズス会士とフランシスコ会士とドミニコ会士を比較するジョークは面白い。
いろいろ考えさせられる。

****

ある人がフランシスコ会士に、懸賞でレクサスが当たるようにノベナをお願いしたいと頼んだ。

(ノベナというのは、「9日間の祈り」という意味で、イエスが昇天してから弟子たちが9日間ひたすら祈り続けたら10日目に聖霊が降臨したという話に由来するとも言われる信心行で、聖母や聖人に神への執り成しを頼むものだ。個人でもできるけれど、修道会に頼んで祈ってもらうとより「効験」あらたかそうなのか、いろいろな折に修道会に寄進してノベナを頼む人がいた。それをふまえたジョークだ。)

フランシスコ会士は「レクサスって何ですか?」と答えた。

「高級車ですよ」

「おやおや、聖フランチェスコさまは、それは清貧の誓いに反するとおっしゃるでしょうよ。
残念ですが、私にはその種のことのために祈ることはできません」

その人は次にドミニコ会士を見つけた。

「レクサスが手に入るようにノベナをお願いしたいのですが…」

「レクサスって何ですか?」

「高級車です」

「おやおや、聖トマス・アクィナスさまはこの世の財への愛から身を守るようにおっしゃっています。
残念ですが、私にはその種のことのために祈ることはできません」

がっかりしたその人は、最後にイエズス会士に頼むことにした。

「神父さま、お願いです。レクサスが手に入るように私のためにノベナをお願いできるでしょうか…」

「ノベナって何ですか?」

*******

このジョークについてのイエズス会士の解説はこうだ。

イエズス会士の活動範囲は広くて、天文学者、数学者など科学者もいれば、エコロジーの専門家、経済倫理学、ロックミュージックから国際政治、インターネット、映画、ダンスなどいたるところで活動している。

いたるところで神の働きがあることを明らかにしたり問いかけたりすることが使命だからだ。
世間の垢にまみれることなく世間の中で活動する、という姿勢だという。

イエズス会出身の現教皇が聖フランチェスコを崇敬していて教皇として初めてフランチェスコ(フランシスコ)を名乗ったことなど考えると楽しい。

イエズス会を創始したイグナチオ・ロヨラには峻厳なイメージがあるけれど、
同時代人のLuis Gonçalvès da Câmaraの証言によると

「小柄で、少し足を引きずっていて、いつも楽しそうな眼をしていた」

そうだから、ジョークだってOKだったかもしれない。
それにしても、18世紀後半にローマ教会から一度禁止されてしまった修道会から250年後に教皇が出たというのも考えてみるとすごいことだ。

フランシスコ教皇も、いつも楽しそうな眼をしている。
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by mariastella | 2016-12-02 03:53 | 宗教

聖ウラジーミル・プーチン

共産主義体制が崩壊していく経過においてロシアがそれまで人民の阿片などと蔑んでいた宗教にすり寄ってロシア正教を利用したのは理解できる。

でも、今(11/4)になって、クレムリンの前に17メートルのウラジーミル一世が右手に十字架、左手に剣を持っている彫像をプーチンが建てるとはね。

ウラジーミル一世は10世紀にロシア、ウクライナ、ベルラーシの揺籃の地であるキエフをキリスト教(東方正教)に改宗させた人物だ。
この像の建立に反対する人は多く、当初予定されていたの30メートルの高さを17メートルに縮小させた。

それまで最大のウラジミール一像はキエフにあった。
モスクワ市民はこの像を歓迎しなかったようだ。

ウラジーミル一世は、ウラジーミル大王、赤い太陽、聖ウラジーミルとも呼ばれる。

ビザンティン皇帝の妹と結婚する条件(他にもクリミア半島の征服や、眼病治癒もあり)で988年に正教の洗礼を受けて、正教を国教に制定した。
実質的に人々に帰属を強制した。

イスラム教も、ローマ・カトリックも、ユダヤ教も当時のキエフに「勧誘」に来たという話が伝わる。

イスラムは天国であてがわれる70人の処女のことを聞いて心を動かされたけれど、酒が飲めないのは問題外なのでやめた。

カトリックの使節団は断食の典礼のせいで追い返された。

ユダヤ教は、ユダヤ人が神のみ旨によってエルサレムを捨てて世界中にばらまかれたのだから説得力がないと言った。

正教は典礼が華麗なところが気に入られた。

プーチン大統領の名はウラジーミルだ。ウラジーミル一世は彼の守護聖人のようなものだ。
剣と十字架を持つ聖ウラジーミルの像は、聖プーチンの自意識を反映しているのかもしれない。

先ごろ青土社から出した『ナポレオンと神』には、ナポレオンが自分の権威を聖なるものにまで高めるためにどのような彫像を創らせたかについても書いた。

フランスでは『ウラジーミル・ボナパルト・プーチン』などという本が出ているし、今のEU会議がプーチンを批判する様子を、2世紀前にウィーン会議がナポレオンを扱った様子に例える人もいる。

そういえば、プーチンは、昨年だったか、ナポレオン戦争でのロシアの勝利の記念式典を行った。

無神論的共産主義から一転して政治と宗教がずぶずぶになったロシアのシンボルとして、聖ウラジーミルの巨大像が、人々を威圧する。
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by mariastella | 2016-11-24 03:02 | 宗教

トランプとアメリカのカトリック (移民政策とプロ・ライフ)

11/15、バルティモアで秋のアメリカ司教会議の総会が開かれて、新会長に67歳のダニエル・ディナルド枢機卿、副会長に65歳のロスアンゼルス大司教のホセ・ホラシオ・ゴメスが選ばれた。

会長は慣習的人選ですんなり決まったけれど、10人の候補者から、三度目の投票でゴメス大司教が副会長に選ばれた意味は大きい。

彼は熱心なアメリカの移民支援者であり、この人選が、2, 3百万人の不法移民を追放すると言っているトランプ新大統領への牽制を示しているのは確かだろう。

ゴメス大司教は副会長に選出された最初のヒスパニック聖職者だ。
メキシコ生まれで今も姉妹がメキシコに住む。アメリカ国籍を取得したのは1995年。
彼がトップに立つロスアンゼルスは70%がヒスパニックであるアメリカ最大の司教区である。

トランプ選出の2日後にロスの市長と共に移民とその家族を擁護するコメントを発した。

トランプが「壁を造る」といった場所に橋を渡さなければいけない、
移民が恐れて逃げたり隠れたりするようなことがアメリカに起こってはならない。

これを受けて、11/14に「人間的な政治を推進し移民の尊厳を守る」と確認した 270人のアメリカ司教団は、翌日ゴメス大司教を選出したわけだ。

もっとも、移民難民に対するバティカンの路線を継承するアメリカ司教団も、フランシスコ教皇のすべての方針に満足しているわけではない。

向こう3年のアメリカのカトリック教会の優先事項は「福音宣教、結婚と家族、人間の命と尊厳、召命と宗教の自由」とされた。
19日に教皇から枢機卿に任命されるインディアナポリス大司教は教皇の推進する「環境保全」がそこに含まれなかったことを悔やんでいる。

司教会議に属する「正義と平和協議会」の会長にも、教皇に近い立場のサンディエゴ司教に対して、軍隊担当の司教であるティモシー・ブログリオが127対88で選出された。

移民の支援は本来国境のないカトリックとしては当然だとしても、実は今回選出されたゴメス副会長も、トランプに投票したカトリック信者に支持されるプロ・ライフの保守派で、オプス・デイのメンバーだ。

民主党政権によって同性婚や中絶合法化が広がったことに対する不満が、今回の選挙でのアメリカのキリスト教徒のリアクションの一つだった。
ディナルド枢機卿は2015年10月に「家族シノドス」の結果を憂える手紙を教皇に出した13人の司教の一人だった。

司教総会で強調されたもう一つのテーマはルイジアナ、ミネアポリス、ダラスなどで起こった人種差別に関する抗議行動で、トランプの当選によってレイシズムが高まってはいけないことに警報を発している。これは妥当だろう。

しかし、プロ・ライフなどの事情をフランスから見ると、アメリカのメンタリティの中で政教分離は根づいていないなあ、と思わざるを得ない。
革命を生き延び、政教分離や共和国主義を自分のものにしたフランスの司教会議では絶対出てこないようなことが出てくる。

例えば、前にも書いたが、中絶の合法化は政治の問題で宗教の問題ではない。
中絶を自由に選択した女性やそれを助ける医療機関を「非合法」として闇に追いやることは間違っている。

「中絶を非合法にしない」ことと、生命の尊厳としてのプロ・ライフは本来別の問題であるはずだ。

これも前に書いたことがあるが、法律上の合法化が必要であることとは別に、カトリック教会が中絶をしない選択をした女性、中絶ができなかった女性と、生まれた子供を全面的に支援し、励まし、祝福するのは大いに意味がある。

一方、レイプされたり胎児の障碍が見つかったりなどの理由、あるいは経済的、社会的な理由であるにせよ、女性が中絶を決意するのはそれだけで大変なことだからこそ、そこに違法性などを加えてさらに苦しめるのは神の無限の「いつくしみ」に反する。
それでなくとも中絶は「試練」であるが、それでも、それを克服する方法はいろいろある。
すでにいる他の子供を愛することに集中する、次に子供をつくる、養子をとる、ペットを飼う、趣味や仕事や他のクリエイティヴなことや利他の行為にエネルギーを振り向ける、いろいろな方法で、「喪に服」したり、「忘却」したり、「ポジティヴなものに変換し」たりすることは不可能ではない。

それに対して、望んだ子供を産む人はもちろん問題ないにしても、宗教的な理由、身体的な理由(中絶不可能な時期になった)、社会的な理由(戦争、中絶可能なシステムや支援者がいないなど)などによって中絶できなかったりしないことを選択したりした女性がその後の試練を克服するハードルは高い。
自分だけでなく子供の命を守り、子供を愛し、責任を全うしなくてはならないからだ。

いや、望んで産んだ子供だって、親や子の障碍、事故、病気、貧困、両親の不和などによって母子の関係が難しいものになることなどいくらでもある。
全ての子供、すべての人は「中絶をしなかった母親」から生まれたわけだが、生まれてからその母親との関係性に苦しむ例は少なくない。

その上に、レイプだの不倫だの障碍などというスタート時点のハンディがあるとしたらもっと大変だろう。

そんなケースを助ける社会政策ももちろん必要だが、そんな時こそ、「霊的な権威」が、「母子を無条件で祝福する」ことの意味は大きい。

中絶を選択した人、あるいは子供のいない人、子供をもたない選択をした人たちが人生における試練の克服のために「霊的権威」による祝福を必要とする度合に比べて、子供との関係において悩み続ける人たちと、それを支援する人たちが、無条件でプロライフを肯定され、励まされ、祝福される必要は無視できない。
だから、宗教者が家庭や母子関係を祝福するのは当然であり必要だ。

しかし彼らが、家庭や母子関係を選ばなかったり選べなかったりする人に石を投げるのは言語道断であり、そのような法律に加担するのも間違っている。

でも本当に深刻な問題は、子供がほしいのに、社会的、経済的、伝統的なさまざまな基準や圧力やそれらの結果としてのそ育児の困難さ故に、中絶をせざるを得ないというケースかもしれない。

「自由な選択」というのは簡単だけれど、「自由」にも霊的な根拠が必要だと、つくづく思う。
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by mariastella | 2016-11-18 03:45 | 宗教

トランプ その4  Habemus Trumpum キリスト教からみた大統領

今回の大統領選におけるキリスト教徒の投票。

アメリカ有権者の25%を占め、共和党支持者の3分の1を占める福音派は、81%がトランプに投票した。

カトリックは、51%がトランプに、45%がヒラリー・クリントンに投票した。

カトリックの支持は、フロリダ、オハイオ、ペンシルヴァニアなど、住民の20%以上がカトリックである地域においては大きな意味を持ったという。

フランシスコ教皇は冷静で丁寧な祝辞をすぐに送っている。

就任後のトランプの動向を見てから反応するという大人な対応だ。

移民排斥や環境問題への反発発言は、教皇庁と真っ向から対立するものだが、中絶や同性婚に対する保守的発言は教皇庁と波長が合う。

副大統領のマイク・ペンスは弁護士で、インディアナ州知事として妊娠中絶のハードルを上げたせいで「超保守キリスト教徒」と称されることもあるが実は共和党として平均的な保守キリスト教徒というところであるらしい。
ヒラリー・クリントン陣営はもちろんこの人を激しく糾弾していたが、トランプの暴言をフォローしてきたコミュニケーション能力は評価されている。

彼の両親は民主党支持のアイルランド系カトリックで、57歳の彼はアメリカ初のカトリック大統領ケネディを幼いころから尊敬していたという。

学生時代にブッシュ・ジュニアと同じ「ボーン・アゲイン」の福音派に共感して、家族の中で立った一人カトリック教会から離れたという。
しかしカトリック離れを公言したことはなく「カトリック福音派」と称して、幼少期のカトリックと福音派プロテスタントの理想をミックスしたような立場にいるらしい。

トランプの方は、父方がドイツ系、母方がスコットランド系でアングロサクソンのエスタブリッシュメントにはルサンチマンがあるのかもしれないが無難な長老派プロテスタントで、移民に橋を渡すのでなく壁を造るような者はキリスト者ではない、とローマ教皇に言われているけれど、すぐに謝罪して見せた。

そういえば無神論者を自称するバーニー・サンダースは4月に教皇と会見している。

レッテルなんて関係なく、実際にどう行動するかが「キリスト者」かどうかの決め手らしい。
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by mariastella | 2016-11-11 05:13 | 宗教

東京カテドラル

東京カテドラルのラテン語ミサに出ている人ってどんな人たちなんだろう、と思ったけれど、秋晴れの空の下、「ラテン語って難しいわねえ」などと語り合いながら、西日の差すカテドラルの写真をパチパチと撮っている人の姿が目立った。

ルルドのレプリカの前でロザリオをずっと唱えている人たちもいたし、そのそばのヨゼフの像の前にひざまずいた男女が、連祷をしながら「私たちと世界中のすべての人のために」と繰り返しているのを聞いて、いいなあと思った。
ヨゼフは最近人気があるそうだ。
今時、自分や家族や地域や国のためでなく、「世界の人のため」に真剣に祈りを捧げてくれているところって、宗教施設か宗教の文脈でしかないのかもしれない。なんだかほっとする。

日本のキリスト教施設って、絶対にテロの標的になっていないだろうという安心感がある。

正直言って、やはり今のフランスでは、私のような怖がりにはカトリック教会に近づくのにある種の覚悟がいる。

ポルトガルのファティマではテロの危険性がないということでリラックスできた。

今のルルドは先日の夏の大祭で、10ヶ所以上ある入口の大半を閉ざして厳戒態勢がとられたように、不安はぬぐえない。

先日訪れた鞍馬や貴船の寺社は平和だった。

宗教施設で信徒が思う存分祈ることができるのは、それ自体すばらしい恵みであり幸運なのだ。

中東で教会が次々と破壊されたことの恐ろしさを、今更さらながら痛感する。
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by mariastella | 2016-11-08 02:45 | 宗教

インドネシアの暴動と宗教について覚書

インドネシアでイスラム過激派がスターバックスなどを攻撃して死者を出すテロがあった。

ジャカルタの知事バスキ・プルナマ(選挙でなく政府の任命による職)が、ムスリムが、イマムを選ぶことに関してコーランの解釈を誤っているという発言を9月末にした。

すぐに謝罪に追い込まれたが10/14に一万人のデモが起こり、FPI(イスラム守備戦線)という過激派が暴走し、今や無差別テロ化している。

世界一のムスリム人口を擁するインドネシアの首都のトップがプロテスタントのキリスト教徒でしかも、マイノリティの中国系で、人気歌手だったというのも驚きだ。

(スカルノ時代の1964-5年にはジャカルタで画家の Henk Ngantungaという中国系の人がこのポストにあったらしい)

バスキは、ジャカルタにある1700の学校長に女生徒のイスラム・スカーフ着用は義務ではないのだと通達しているし、学校以外でもイスラム・スカーフはつけたくない人に強制してはいけないと繰り返している。
すでにイスラム過激派にとっては「不都合」な人物であったわけだ。

人口の95%がムスリムのセネガルでは、独立後最初の大統領はキリスト教徒で、その後も一定の数の大臣や議員がいる。これを植民地の名残とみるかどうかは別として、ジャカルタにこういうトップがいること自体が日本人の感覚には驚きだ。

バスキは汚職を一掃するなど、一般市民からの支持率は高いという。

2014年にジャカルタ知事に任命された時すぐに、Semarang大司教でインドネシア司教会議議長のJohannes Pujasumarta という人が、行政と宗教は関係がないというような声明を出している。

インドネシアにカトリックの大司教なんていたことさえも知らなかったけれど、バスキはプロテスタントだというし、では、そのプロテスタント教会は何もコメントしていないのだろうか。
検索してみたけれど今のところよく分からない。忘れないうちにこに書いておく。
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by mariastella | 2016-11-05 21:56 | 宗教

「禅」ー心をかたちにー展

先日、上野の国博に「禅」ー心をかたちにー展を観に行った。

禅が人間を

「その存在性においてではなく可能性において見る」

というのはキリスト教的だなあとあらためて思う。

人間だけではなく草木にまで仏性を見る、というのが人間優位のキリスト教と違うという言い方をされることがあるけれど、一神教の創造神は宇宙、森羅万象を造ったのだから、聖霊はすべてに宿ると言えて、実は大きな差はない戸と見ることもできる。

歌舞伎と同様、禅や禅語録も、中学高校の時代から親しんできた世界だから古巣に帰ったような気がする。
いや、私は生まれる前から禅僧と縁があり、名前も老師からつけてもらったもので、その老師の揮毫した「養神」の掛け軸は今も私のフランスのうちにかかっている。
父がよく参禅していたのでうちは禅宗なのだと思っていたくらいだ。
父は『塗毒鼓』を白文で暗唱していた。
私も碧巌録や臨済録、その講話を借りてよく読んでいた。

子供のころ関西にいたから、奈良や京都のお寺はかなりよくまわった。中学の時に、高校生の兄がいわゆる受験勉強の時期で、私とあまり出歩いてくれなくなった母が、奈良女子大の学生を「家庭教師」として見つけてくれて、私はお稽古事ばかり熱心で家で勉強するということがなかったから、休日に彼女が私と一緒にお寺巡りをしてくれるように頼んでくれた。
当時、日本の寺社の写真解説の全集みたいなのを毎月配本してもらっていたので、それを見ながら彼女と二人でいろんなところを回ったのだ。
今から思うと、贅沢なことだった。

高校に入ってからは、ひとりでめぐるようになった。
よく学校をさぼったり早引けしたりして人混みのない時に出かけた。
母が私の体調が悪いと電話してくれたり、友人たちが私が具合が悪くなったと先生に証言してくれたりした。
これも今から思うと贅沢なことだ。

そんな懐かしい禅や禅寺だが、この展覧会で、始祖、開祖、高僧の彫像を画からおこして三次元にしていたやり方などをはじめて知って興味深かった。禅と茶道の関係には眠気覚ましの意味があったのだというのも、今まで考えたこともないことだった。

発見はたくさんあるが、いつものように、

中国や日本のように毛筆=軟筆で字も画もかく文化と、
ヨーロッパのように字は硬筆で、知識人の世界、画は軟筆で職人=芸術家の世界と分離している文化

との違いが二次元の芸術にもたらした差異に驚く。

そのことについては、出光美術館の仙厓展でも感慨深く思った。

同じ毛筆という道具で同じ人が同じ画面に書と画を配する世界と、
文を書く階級が、画を描く階級に絵を注文する世界の差は大きい。

それでも、今回、池大雅の五百羅漢図が指頭画と言って指先や爪、手の腹などでほとんどが描かれていることを知って驚いた。
一種の「硬筆」の趣があるからだ。

また、今回展示された、萬福寺のユニークで迫力ある「羅怙羅尊者」像の作者の范道生が1663年の時点で中国から来日していたというのもはじめて知った。

翌年父の古希を祝うために一時帰国したがその後再び日本に来ようとして再入国を許可されず、船の中で病死したという。

鎖国政策との関係からも興味深い話だ。調べてみたい。
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by mariastella | 2016-11-04 18:56 | 宗教

スウェーデンのローマ教皇

フランシスコ教皇が10/31と11/1にスウェーデンを訪問し、ルターの95ヶ条の論題提起からの500年記念をはじめてルター派の教会と共に祝う。

宗教改革時代以来、教皇がスウェーデンを訪れたのは1989年のヨハネ=パウロ二世に次いで二度目でもある。

スウェーデンは早くからのプロテスタント国で、政教分離してルター派がいわゆる「国教」でなくなったのは2000年になってからだ。

1873年までは、国内のルター派教会の信徒がカトリックに改宗することも法律で禁じられていた。

今サウジアラビアなどのイスラム国で、改宗が禁じられていて信教の自由がない国を見るといかにも「前近代的」な気がするけれど、「信教の自由」というのは多くの血も流された長い道のりを経てたどりついた人間社会の驚くような成熟の一形態なのだと思う。

スウェーデンのカトリックは一千万人弱の人口のうち12万人ほどで、ルター派がどんどん教会離れしていく中で、中東やポーランド系の難民や移民の影響で増加しているのだそうだ。

聖職者のストラクチャーをなくして万人司祭を唱えたルター教会は逆説的に、国家の庇護を必要とすることになって国教化した。イギリスの場合もローマ教会を離れたとたんに国教化した。

ポーランドはもともとカトリックだけれど、たとえば中東からの移民が「改宗」するにあたって、移民先の国の国家主義と重なりやすい「国教」や準「国教」に改宗する方が同化しやすいのか、カトリックのようにもっとインターナショナルでヴァティカンというほとんどヴァーチャルな国家の一人の首長を持つ宗派に改宗する方が生きやすいのかわからない。

けれどもスカンジナビアのように金髪碧眼系の白人がマジョリティの国で、宗教によってどこまで「同化」できるのか、難しいところだ。

同化だけが確実なサバイバルにつながるような地域も時代もある。

その前にまずカトリックとプロテスタントの接近の努力があるわけだから、道は、まだ遠い。
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by mariastella | 2016-11-01 01:24 | 宗教



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