L'art de croire             竹下節子ブログ

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ハイチとライシテ

 フランスでは相変わらずハイチ報道が衰えていない。カリブ海に海外県があるし、一応フランス語圏なので、メンタルな距離はかなり近い。アメリカに対するライバル意識というのもあるようで、ハイチに送られたアメリカの軍隊のことを、災害に紛れて占領しているかのように言って問題を起こした政治家もいる。

 私のところにはカトリック関係からも、ハイチ支援について複数のメールが来た。 
 カトリックはかなり活躍している。こういう時になるとドサクサに紛れて、布教に来るかなりあやしい団体もあるので、まあ、カトリックはその点安心だ。それなら、教会、カテドラル、学校など、もっと耐震構造にしておいて、避難所として機能するように造っとけばよかったのに、とも思うが・・
 
 カトリックは、理念的にはユニヴァーサルな組織だから国境はないし、移民や非定住民を支援する部署もあって、フランスの不法移民も教会に避難したりしている。ハイチに残る人口に匹敵すると言われるくらい世界中に広がるハイチ人コミュニティの多くは、カトリックの恩恵をどこかで受けながら亡命や移住を成功させてきた。軍事独裁が終わった時、荒廃した国で病院や学校を支えてきたのも、ハイチのカトリック教会だった。病院や学校というのは、もともとカトリック修道会の得意分野でもある。

 ハイチでは特にフランスのブルターニュの修道者が基礎を築いた。1804年の独立以来、1860年にローマ教会と和親条約が結ばれ、ローマは、ハイチの教会の現地人運営を望んでいたようだが、結局ブレストのカルム会司祭を大司教に任命した。1850年から1900年の半世紀に2500人のブルトン人がハイチに渡って現地の神学校で学んで聖職者となった。
 第二ヴァチカン公会議以降は、5人の司教をはじめとしてほとんどの聖職者がハイチ人である。

 統計をとると、ハイチのカトリック人口は80%で、プロテスタントが40%だそうだ。すでに数があわない。
プロテスタントは、1915年以来アメリカからどっと流入してきたもので、何百もの小教会が林立する。最近は中南米の他の国と同様、福音派の進出もめざましい。

 で、ここで書きたかったのは何かというと、ハイチには「ライシテ=政教分離」という概念はないことだ。
 
 政教分離が成り立つためには、国家が神の代わりに人々を守るシステムがなければならない。
 Etat Providenciel という言葉があるが、「神の手」を持つ強い国家が必要なのだ。入信を条件とせずに神の役割を果たせる国家が神と拮抗しないところでは政教の分離はできない。

 ハイチと言えば、貧困、独裁、ハリケーン、地震・・・ よくよく不幸にばかり見舞われる国だと思われがちだが、では、だから「神も仏もあるものか」(ハイチの人は仏とは言わないだろうが)と絶望したり神を呪ったり、あるいは不幸は神罰なのだと思って打ちのめされたり、ということは、なぜか、ない。
 不幸をもたらす負のエネルギーが彼らに作用しているので、それに対抗して正と生命のエネルギーを喚起しなくてはならない。彼らには、目に見える世界のほかに目に見えないパラレル・ワールドがあり、「不幸」が起こるたびに、「そっち」の方におうかがいをたてているのだ。

 それが何かというと、「ブードゥー教」である。

 つまりハイチには、80%のカトリックと40%のプロテスタントの他に、それと並行して、「夜の宗教」であるブードゥー教が確固として存在する。ブードゥ教は、アフリカの宗教とキリスト教、特にカトリックの聖人崇敬などが習合して形成されたもので、「見えない世界」に働きかけて、諸問題の解決を図るのである。

 現地のカトリック教会はもちろんそれを認めているわけではないが、実際問題としてそれはパラレルに機能している。

 ハイチを見ていると、ライシテとはそもそも何であったのかが分る。

 ライシテとは、誰かが「神」を信じなくても、ある特定の宗教や儀式を信じなくとも、国が貧困や病や災害援助の保障をしてくれるというシステムなのだ。

 そのような「国家」がないところには、ライシテは成立しない。

 もちろん、国家宗教を信じることや国家の首長に対する絶対服従も、保障を受ける条件にならない。王権神授や神権政治を敷くところではライシテはない。

 弱い人間の実存的危機や災害において、国や宗教とは別に唯一「保障」をしてくれるのは、家族や部族である。家族や部族の互助システムの基本には、ご先祖さまや部族の守り神のような「共同体の神」が祀られることが多い。ハイチはもともと奴隷貿易によって強制移住させられた人々の国である上、歴史的、構造的に、そのような強い共同体の守りが充分ではなかった。そこで社会的な救済活動をしてきたのがカトリックという中央集権的な「普遍宗教」だったというのは、彼らを国際社会のネットワークに繋ぐ意味でよかったと思う。

 「ある特定の神とか教祖とかを拝まなくても、困った時に最低限の保障を受けられる社会」というのは、私たちは慣れてしまっているが、非常に少ないし、新しいし、人工的でもあり、絶えず自覚して更新していかないとまたたくまに「あっちの世界」に足を救われたり、有名無実となったりしそうな脆弱なものなのだ。
 
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by mariastella | 2010-01-28 01:03 | 宗教

最大の敵は「不寛容の精神」

『La Vie』 のJean-Pierre Denis のEditorial を読んでびっくりした。

リビアのカダフィ大統領が公式訪問先のローマで、ホステス派遣のエージェントに頼んでイタリア人の美女を何百人も招いて、イスラム教に改宗するように勧めたのだそうだ。

今のヨーロッパでは、100年前と違って宗教的にも民族的にも多様性が定着してそれは動かない事実なのだから、ライシテの概念も信教の自由の概念も、それに応じてアレンジするべきなのは当然であるが、現状はまったく、悪い方に向って硬化しつつある。

『2012』の監督も、バチカンやリオの巨大キリスト像やチベットの僧房が崩壊するところは映像にできたが、メッカのカーバ神殿の崩壊の映像化ははばかられた、とはっきり言っている。
たとえば、ブッシュがいくら神懸りでも、リビアに出向いてイスラムの美女を集めてキリスト教に改宗しろと勧めるなんてあり得ない。

前にも書いたが、構造主義人類学が利用されて、一種の欧米自虐観が定着し、そこに南北の経済格差と宗教地図が重ねられたりといういろいろな操作があり、罪悪感と拝金主義がないまぜになってしまった今のヨーロッパに、信教の自由に関する「非シンメトリー」が生まれた。過去の怪物であったローマ教皇だのキリストだのを思い出したように叩いて見ても、見かけの批判精神の底には、この非シンメトリーに対する怖れや不全感があり、だからこそ、それが突然、スイスの「直接民主主義」によるイスラムの自由への介入(ミナレ建設の禁止)などという現象に噴き出したりする。

他のヨーロッパ諸国がいっせいにこれを批判して、基本的人権としての信教の自由を掲げるのは当然だし、まあいい。

しかし、彼らは、カダフィーの行動はもちろん、たとえばサウジアラビアでキリスト教が教会の建設はもちろん、いっさい宗教行為を禁止されていることについては決して異を唱えない。私はサウジ人の大学教授で無神論者を知っているが、彼はそれを決して書いたり口にしたりできない。イスラムであることとサウジ人であることは同義だから、イスラムを公に捨てるには、国籍も捨てて亡命する他に道はないのである。

ライシテや政教分離、信教の自由の元にある精神に忠実であれば、信教の自由や表現の自由はメッカでもスイスでも擁護されるべきなのだ。それはほとんど口にされない。

本当の敵は、イスラムではもちろんない。

最大の敵は、「不寛容の精神」なのだ。スイスの民主主義は「不寛容」というウィルスに感染した。宗教原理主義、カルト、独裁政治、全体主義はもちろんこのウィルスの巣窟だし、ナショナリズムやエコロジーから嫌煙運動まで、このウィルスに感染すると、人間性を損なわれていく。人間に固有な「自由」という輝きは失われる。

私はヨーロッパのライシテは、キリスト教については100年かけていい温度になったと思う。

行き過ぎて、宗教についての立ち居地を失った感じでもある。

過去の無神論者や反教権主義者は、守るべき場所を持っていた。

今は、それがない。

スイスのプロテスタントのうち、日曜に教会に通う人の率は何と5%ほどだそうだ。彼らには、自国のイスラム人口の宗教行為の必要性など分からなくなっているのだろう。

不寛容の精神、繰り返すが、これは宗教だけではなく、すべての人を蝕む。
ヨーロッパの歴史的文化的構築物としてのキリスト教もまた、不寛容の精神に何度も襲われた。
民主主義でさえ、自由主義でさえ、この精神に襲われるのである。
本来ならば、真の宗教者は常にこのウィルスと戦わなくてはならない。
民主主義や平和な世界を望む、すべての人が。

このウィルスが自由を奪い、人間性を奪う

自由も人間性も、他者と連動してこそ意味を持つのだ。

不寛容はそれだけで、緩慢な自殺である。
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by mariastella | 2009-12-04 21:52 | 宗教

洗礼、砂漠、その他

 知人の話では、ベルギーでは続けて7番目に生まれた男の子の洗礼に国王が代父となり、続けて7番目にうまれた女の子には女王が代母になるそうだ。7番目まで続く男子や女子は珍しいので、少ないそうだが、実際にいるとのこと。
 ベルギーでは国王夫妻は必ずカトリックだ。先代のボードワン国王は、1990年中絶容認の法律を通さざるを得ない時に一時的に廃位したくらいだ。でも、同性の7人の子持ちの親がカトリックでなかったり洗礼を望んでいない場合はどうなるのかなあ。
 フランスでは、大統領が男女に関わらず12番目の子供の代父になる。
ただしフランスはライシテの国だから、カトリックの洗礼とは限らないのだろう。洗礼による代父代母の設定は孤児率の多い時代の互助保険みたいなものだった。フランス革命の時に共和国洗礼というのを市庁舎でできるようにして、代父代母制度も温存していて、今もあるはずだから、12番目の子は「共和国洗礼」が前提なのかなあ。もしカトリックの親がカトリックの洗礼で大統領に代父を頼んだらどうなるのだろう。代父母のどちらかがカトリックならばもう一人はカトリックでなくてもいいことになっているから。小説では知っているが、実際のケースは聞いたことがない。
 
 砂漠の神秘家としてシャルル・ド・フーコーは超有名なのだが、大きな声では言えないが、私はこの人の聖性の裏には、ヨーロッパ人にたまに見られる異常なまでの「砂漠好み」が関係していると感じていた。
 今でも、ニューエイジ風スピリチュアル・グループが主催する砂漠での瞑想ツアーみたいなのが盛んだが、私はサヴァイヴァル系が苦手なので敬遠している。 砂漠は大海にも似ていて、魅せられると共に、警戒心の方が勝つ。最近、そのシャルル・ド・フーコーと、アラビアのロレンスを並べた評伝 『L'Aventure du désert 』(Christine Jordis 、 Gallimard ) が出て、なるほどと思った。聖人対冒険家なのだが、二人ともその「過剰さ」が共通している。ロレンスがマゾヒストだったということも何となく納得した。ヨーロッパ人の孤独な砂漠のロマンチシズムにはどこか倒錯の香りがすると思っていたからだ。
 シャルル・ド・フーコーをテーマにした歴史小説 『Les amants du silence 』(Alain Durel、 Ed. L'Oeuvre )の方は、彼が従妹への恋を契機に砂漠と神に向ったとある。
 シャルル・ド・フーコーとその従妹とアラビアのロレンス。三人並べると聖なる殉教者が人間くさく見えてきて、その信仰が何かでびっしりと満たされているのが予感されるようだ。
 
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by mariastella | 2009-11-16 00:56 | 宗教

キリスト教の話

 キリスト教関係の本を三冊買った。

 Didier Decoin の "Dictionnaire amoureux de la Bible"
 
 これは、お約束の作家の楽しい本。飽きない。

 Dietrich Bonhoeffer "Resistance et soumission"

 これはナチスの収容所で殺されたルター派の牧師で神学者の手紙。

Patrick Kéchichian "petit éloge du catholicisme"

 この人はル・モンド紙で長く文芸評論を担当していた。小さく単純だが個性的な本だ。

 BD(フランスのコミック本)も1冊。

 Marc-Antoine Mathieu "DIEU en personne"

 これ、なかなかおもしろい。SF の一種で、近未来のフランスに突如受肉して現れた「神」をめぐる話。
 現代に神が現れるという話では、たいてい、貧乏したり無視されたり精神病者あつかいされるのだが、ここでは彼は「神」と認められて、神の業に不服な人間たちから莫大な損害賠償の訴訟を起こされる。神が肉体として存在するなら責任も生じるというわけだ。

 最初の8ページがここで見られる。

 http://www.bdgest.com/preview-572-BD-dieu-en-personne-recit-complet.html.

 その神が消えた後の回想ドキュメンタリーの撮影シーンだ。

 かなりの不条理ストーリーなんだが、この手の話は、キリスト教の文化と無神論文化(そう、無神論は文化である)との、両者の教養の拮抗具合がちょうどいいバランスにあるフランスだから生まれるユニークなものだと思う。

 訴訟では、弁護団は、神の責任を軽減するために神の重要性を軽減しなければならないというジレンマがある。当然、被告である神の同定、あるいは、神の存在証明が問題とされる。
 「存在が証明され得るような神は存在しない神、または偽の神、偶像である。私を証明してみたまえ、私は存在しなくなるだろう」(パスカル)とか「神とは人間たちの孤独である」(サルトル)とか、「よくできたメディアのキャンペーンがあれば2ヵ月後には、誰でも神の存在を信じるだろう」(Maurice Donnay)、アインシュタインやルナールやユングの言葉もちりばめられている。ハイパーコンピューターがこれまでの人間と神の関係を全部インプットして総合した究極の質問が、被告への「神さま、あなたって誰なの?」という子供のような問いだったりもする。
 神をめぐる肖像権とかロゴとかコーチングとか、商魂のエピソードもおもしろい。

 まあ、神とはふるさとみたいに、「遠くにありて思うもの」であって、触れられるところに「降りてこられる」といろいろ不都合が生じてくるということらしい。
 よくできた話がすべてそうであるように、この話は決して神の話ではなくて人間の話であり、同時に、自己を無限に肥大化、神化させていく人間よりは、神の方がずっと「人間的」だったりする。
 
 笑え、考えさせられ、「真実」が説明され、それでいてオチは、なかなか怖い。このテーマを扱って、読むに耐えるということは、それだけですごいことだ。

 もう一つ、最近話題になったアングリカンの話を少しだけ。
 
 イギリスの国教会というのは日本でも有名な話だけれど、もともと、ローマ・カトリックの堕落を批判して分れたわけでなく、ヘンリー八世が離婚を認めてもらえないという個人的な理由でローマから離れて教会をいわば私物化したことに端を発する。

これが1534年、次に1547年にエドワード6世がカルヴィニズムを採用。これはカトリックをまともに批判した由緒ある(?)プロテスタンティズムである。
しかし彼の死後、メアリがバリバリのカトリシズムに復帰。
1558年から1603年、エリザベス1世が、プロテスタントとカトリックの統合というかハイブリッドなものを決めて設定した。政治的公正、という感じである。

 1833年に、アングカニリズムをもう一度カトリック化しようというオックスフォード運動が起こり、1930年代を頂点にかなりの成功を博した。イギリスの親カトと親プロテスタントの二極化の歴史はけっこう古いわけである。カト派の論客 John Henry Newman(1801-1890)は、しかし、結局、カトリックに改宗してしまい、あまつさえ、2010年にはカトリックの福者として列福が決まっている。

 アングリカンのカトリック流れがはじまったのは1971年の香港、1975年アメリカの女性司祭任命で、これを不服とする司祭や信者がローマに鞍替えした。8千万人のアングリカンには、38の自治管区があって、現在そのうち28が女性司祭を認めている。認めていないのは、中央アフリカ、エルサレムと中東、メラネシア、ビルマ、ナイジェリア、パプア・ニューギニア、タンザニア、東南アジアの8つで、南アメリカの一部とコンゴでは女性助祭のみが存在する。
1988年にはアメリカでついに最初の女性司教が誕生した。
しかし、本家のイギリスで最初の女性司祭が生まれたのは1994年だ。この時、95年から97年にかけて、アングリカンの約450人の司祭がカトリックに合流した。この時、ローマは、すぐに司祭職継承を認めたわけでなく、一定期間、一般信者と同じ身分に据え置かれた。しかし、その後、司祭職に叙階され直して、妻帯司祭も250人ほどいるが、もともと、教義的にも典礼的にも限りなくローマ・カトリック寄りの長い伝統を持つ人たちなので、10数年後の今も何の問題もない。

今回問題になったのは、10月20日にヴァチカンが、アングリカンの司祭が次には一般信者となる期間を経ずに、そのままカトリックの司祭として認められる(司教になるには独身誓願をしなければならないなどいくつかの条件がつくが)という発表をしたからで、これで千人以上の司祭がローマに合流すると言われている。

 これは、2003年にアメリカで、同性愛者のジーン・ロビンソンが司教に叙階されたのをきっかけに、保守的福音派アングリカンとアングロ・カトリックが共に、リベラル派から深刻に分裂し始めたことが背景にある。この人は、ゲイのカップルとして同棲していたので、単に性的傾向が同性愛というわけではなかったのだ。
 アングリカンは何とか教会を統一しようとして、2008年にLambeth会議を開いたが、福音派の270人の司教(リベラル派は670人)はこれをボイコット、ついに教会の中の教会として、事実上分離してしまった。

 このために、アングロ・カトリックはますますマイノリティとして孤立してしまったわけで、そこにヴァチカンが、ではどうぞ、と今回手を差し伸べたわけである。(正確には、2009年2月に、Geoffrey Kirkなどが、ウィーンの枢機卿Christoph Schönborn を訊ねて「カトリックの司教から独立したままでカトリックに全面的に受け入れられたい」希望を述べ、それが9ヵ月後に受け入れられたという)

これらの司祭たちは、移動する従軍司祭と同じで地理的な司教区には属さない。つまり、今いる場所のカトリック司教に従属する必要がなくて、アングロ・カトリックとしての別の司教に属することになるのである。神学生も同様の扱いで、事実上全く変わりなくそのままカトリック・ファミリーに入るわけだ。
しかしヴァチカンはこの決定をたった2週間前にしかカンタベリー司教に通知しなかった。

リベラル派の前カンタベリー大司教George Carey などは激怒して、これでは、40年にわたるエキュメニズムの努力が無に帰する、と言っている。現大司教のRowan Williamsは、前から予定していた11月21日のヴァチカン訪問でどういう風に語るかはまだ分らない。

 私はこの話であらためて、uniatisme とoecumétisme  の違いを認識した。

 カトリック教会は、東方正教会系に関しては、オリエントの典礼を残したままでカトリック・ファミリーに合流できるようにというuniatisme 方式を採用してきた。今回のアングリカンの合流は、1833年以来続いているアングリカン内部のカトリック化(違いは独身制がないことくらいだ)の結末ということでニュアンスが違う。教皇B16 は最近も、第二ヴァチカン公会議を認めずに分裂したカトリック内保守派の受け入れで物議をかもしたのだが、何事につけ、意見の一致を待っていては本来のキリスト教的連帯とかコミュニオンというものはできない、という気持ちは分るので気の毒でもある。

みながばらばらに、自己責任で自由に競合または共存すればいいという今時の傾向の中で、「人類は皆兄弟」、式の普遍理念を死守するのは、容易なことではない。まあ、宗教者ならこそ、がんばってほしいと思うのだけど。
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by mariastella | 2009-11-09 03:16 | 宗教

イタリアの無神論

 アメリカの無神論のことを書いたが、逆説的だが、欧米キリスト教の原発地点であるローマ教会のあるイタリアでも、時折、フランス的にはもう一世紀前?というような感じの無神論運動が展開される。

 火曜日にEUの人権法廷が、イタリアの公立学校から十字架を外せ、と判決を出した。自分たちの信念に添って子供を教育する親の権利を侵害するというのである。

 フランスの公立学校から十字架がなくなってから、一世紀以上経ち、アメリカでは1960年代前半に取り払われた。イタリアにはまだあったのか・・・

 ことの起こりは、1990年代の終わり、Massimo Albertin という医者と、その妻でフィンランド出身のSoile Lautsi が、二人の子供の学校から十字架を外してくれと頼んだら断られ、政教分離に反するとして訴訟を起こしたことだ。このカップルは、合理主義無神論不可知論者連合のメンバーである。活動家なのだ。
 2006年に、「キリスト教の表象の高度に教育的なシンボリックな機能」を認めた参事院判決が学校に味方した。カップルは、これを不服としてEU 人権法廷に提訴、3年後の今、イタリアは敗訴、カップルに5000ユーロの慰謝料の支払いを命じた。政教分離から70年、イタリアは十字架を政治やスポーツの影で温存して他の宗教や無神論者を傷つけてきたというのだ。

 まあ、これには当然、賛否両論があり、ただ十字架がカルチャーの名残としてそこにあったのか、生徒が十字を切ることを強制されていたのか、にもよると思う。アメリカでは確か公立校でも1960年代初めまでは祈りが強制されていた。

 こういう議論になると何でも形ばかりが問題にされるのは残念なことだ。

 これを突き詰めると、マジョリティであろうとマイノリティであろうと、誰かが自分の宗教を表に出すだけで、即、別の宗教の信者や無神論者を傷つけるという論理になり、宗教的シンボルは一切禁止という、フランスの公立学校のようなことになる。

 両親が自分たちの信念を子供に押し付ける、というのも、ドグマ的なレベルなら、それも、問題ありだと私は思う。
 
 私の母は、「家内安全」とかを祈り願う対象がはっきり必要だった人で、うちには神棚みたいなのがあり、母が祈ってたのは見てきた。でも祈るように強制されたこともないし、「罰があたる」的な脅しをかけられたこともない。では、そんな母を迷信的だとか思ったかというとそうでもない。感謝していた。

 なぜなら、母が祈っているのは家族や子供たちの安全や幸福だと知っていたからだ。

 どんな親でも、もちろん子供の幸福を祈るだろうが、もし、母が、心の中でだけ祈っていたとしたら、私にはその心が見えなかったろうし、もし「私はいつもあなたのために祈っている」と口に出していわれれば、「頼んでるわけじゃないのに」とうっとおしかったと思う。

 でも、誰かが、誰に頼まれたわけでもないのに、自分のために祈ってくれているのを日常的に見ているのは、子供の精神の安定にポジティヴで、信頼感を育てたと思う。

 母は、もし子供が襲われれば、相手が武器を持つ強盗であろうが狂犬であろうが手負いの虎であろうが、決してひるまずに戦う気満々の人だった。実際は、幸い戦争もなく天災にもあわず、そういうシーンはなかったが、私は、それを「知っていた」。母が祈る姿は、家族に向ける母の愛の形で、それが、母の命よりも大切なものだと私は「知っていた」。そのような母を知っていたから、私は、彼女を決して裏切ることはしない、と思っていた。彼女の祈っていた「神さま」が何であるのかとか、その「神さま」に私も帰依するとかいう次元では、ない。

 小学校の教室に、何か宗教シンボルがあったとして、毎朝、先生が、授業を始める前に、神の栄光とか国の栄光とかではなく、生徒たち一人一人の進歩、成長、幸福のためにひっそり、やむにやまれず一人で祈るとしよう。その姿を子供たちが見て、「何、あれ? 変なの」と思ったとしても、そこに「心」が感じられれば、生徒たちは、誰かが頼まれもしないのに自分たちのことを、その人が頼みとしている「神」に祈ってくれている、ということを、嫌だとは思わないかもしれない。

 十字架の上の「キリスト教の神さま」が、頼みもしないのに「自分のために命を捧げてくれた」のだとしたら、その神さまを裏切りたくない、と思う人もいるだろう。

 特定の祈りや讃歌を子供に「強制」するのは論外だし、宗教における(それが無神論という名の宗教でも)独善主義や排他主義も、絶対によくない。しかし、子供にとってもっと重大なのは、「無関心」かもしれない。

 神棚に向っていようが十字架を見上げようが、ある人が、「その子のために祈ってくれている」ことをその子が知ることは、心をもらっていることであり、それが子供に信頼感を与えて、生かしてくれるのだ。

 ちなみに私は自分の周りに宗教シンボルを置くのは嫌いじゃないが、ある「霊能者」が、種類の違うお札や御護り類を向かい合わせにおくとパワーが衝突してよろしくない、と言うので、「もしものこと」を考えて、棲み分けられるように「飾って」ある。
もちろん、ここはフランスなのでたまに、家族代々の筋金入りの「無神論者」が来て聖遺物や十字架を見てアレルギー反応というかヴァイオレントな反応をされたこともあるので、家の中で、不特定の他人を招くレセプション部分にはキリスト教っぽいものは置かないように一応配慮している。母の形見の西国33ヶ所巡礼の掛け軸だけが観音菩薩を中心に目立っているのだが、それは誰も気にしない。

 他所の国の宗教は文化・教養であり、自分の国の伝統宗教は固陋・反動に見えるということはどこでもよくあることだ。

 政教分離や無神論やそれにまつわる反応も、歴史や文化や社会やその人の個人史と切り離しては考えられない。どんな神(または主義)の名でもいいから、神の名において他者に心を寄せ、他者の幸福を祈るのは歓迎だが、どんな神(または主義)の名にしろ、神の名において他者を弾劾したり排除したり差別したりするのは絶対に避けたいものである。 (これがなかなか、難しいのだけれど・・。)

 フランスでも、今、公立学校で年に一回は国歌を生徒に歌わせろとかいう議論が生まれつつある。
 これは、「共和国教」の一種だ。

 フランスでも『ラ・マルセイエーズ』がサッカーの国際試合の歌だと思っている子供がいるのは、日本で『君が代』が相撲の千秋楽の歌だと思っている子供がいるのと同じだ。

 私は、いわゆる儀式的な場での「斉唱」がむしろ好きだった。

 儀式的な場というのは少数の「偉い人」がしゃべるのを身動きしないで傾聴しなくてはならないという状況が多いから、それが苦痛で、そういう時に突如、堂々と大声を張り上げることができるのは、ストレス解消でもあるし、何だか厳粛なものを侵犯するような爽快感があるからだ。斉唱だから、大声で歌っても目立たないし。

 だから、私にとっては、子供の頃の「無理やり斉唱」というのは、国歌(のおかげで日本音階のテトラコルドを体感できたが)だろうが蛍の光だろうが、嫌な思い出はない。

 でも、歌いたくない人にとっては、儀式の間じっと黙ってる苦痛の上に、しかるべき時に無理やり声を出さねばならない苦痛の二重苦だから気の毒である。

 結局、何でも、「心」に自信が持てないから形にこだわるようになるのかなあ。

 サウジアラビアで出会った隠れ「無神論者」は、自分の子供のために自分も祈りに参加してイマムの説教を聴くようになった、と言う。子供たちと話し合って、原理主義に洗脳されないように注意するのは親の義務だからだと言っていた。

世界には、無神論者が国相手に訴訟でごり押しして勝てるヨーロッパのような国だけがあるわけではないし、またヨーロッパの「人権原理主義」が最善であるとも、いったい誰が断言できるだろう。


 
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by mariastella | 2009-11-05 23:41 | 宗教

無神論原理主義

 今の世の中、無神論原理主義が元気なのはアメリカだろうな。

 キリスト教的信仰と無神論が光と影のようにセットになっていることを今書いているわけだけど、その先鋭的な場所では、切り立った稜線の片側に一神教原理主義と偶像崇拝がびっしり並び、もう片側に戦闘的無神論が負けじと支えている。どっちかに崖崩れがおきそうだ。

 ネット資料をカバーしていたらきりがないのでできるだけ見ないようにしているのだが、デリダのインタビューのYoutubeを見ていたら、つい、彼の無神論に行き当たり、続いて、無神論プロパガンダの森に迷い込んだ。

 なんだか、気の毒だ。

 たとえば、無神論は悪くない、っていう主張がある。
 
 アメリカのキリスト教徒は75%で、刑務所に入っている人の75%もキリスト教徒。
 無神論者は10%で、しかし、刑務所には0.2%しかいない、とか、
 離婚率も無神論者の方が有意に少ない、とか。

 こだわりの元は、『詩編』14-1で、

 「神などない」と言う人は、

 「腐敗している。忌むべき行いをする。善を行うものはいない」

 というところで、これに反論してるのだ。

 そして、エディソンとか、スピルバーグとか、マリー・キュリーとか、ジャック・ニコルソンとかブルース・リーとか、いろんな人を、その反証となる無神論者として挙げている。

 かなり普通の日本人で、普通のフランス人の感覚でもある私から見たら、こういう発想そのものが、強迫的としか思えない。挙げられている人の中には、いわゆる不可知論者も入っていて、もっというと、定期的に教会だの宗教施設に通ってない、というだけの感じの人もいる。

 こういう「運動」が成り立つのは、「無神論者=信用できないやつ」という偏見があるからなんだろう。
 古代のギリシャ・ローマと変わらない。初期のキリスト教徒もそんな世界で無神論者として迫害されてきたのだ。

 フランスなんかは、こういう原理主義的無神論のフルコースを経て、かなりヌルイ社会になっているわけだが、こういうのをただ黙って見ているわけにはいかない。原理主義との戦い方そのものを忘れている。キリスト教原理主義とキリスト教無神論の戦いに疲れて、そこで得た智恵というものを風化させて、別の形の原理主義や不寛容や偶像崇拝とどう向き合うかを真剣に考えなくなった。

 Youtubeのデリダだが、愛について訊ねられて、「え?愛?それとも死?」なんて聞き返すところとか、この人って、なんかコンプレックスがあるのかなあと思った。隣にフーコーのインタビューがあって、こっちはとても分りやすい。こういうのは著作だけでは分らないおもしろさである。

 
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by mariastella | 2009-10-31 03:40 | 宗教

floccinaucinihilipilification

 無神論的言辞に注目して「西洋思想史」を見ていくと、結局すべてを見ることになる。
 無神論のにおいのしない思想も哲学も宗教もないと言っていいくらいだ。

 それは、無神論を考えることは神について考えることだからだ。
 普通に、伝統や習慣通りに宗教っぽい儀礼をこなして、忙しくサヴァイヴァルしている人たちは神のことなんかあまり考えない。考えるとしたら、「神さま、どうぞ何々してください」という、取引の対象だか殿様としてくらいである。
 神がいるかどうかなどと考え始める人たちは、不可知について考えているのである。

 「死」について考えていると言ってもいい。

 無神論のにおいというのは死のにおいなのである。
 
 人間が多少なりとも実存的な問いを抱き始めたら、「死」が出てくる。

 神を考えるのと死を考えるのは、同根なのだ。

 死だけが、人間が想像できる「永遠」だからだ。他の人間の死を見て、少なくとも自分の生きているうちにはその人と会えないことを認め、「死=人間の永遠の消滅」という認識が生まれる。

 死者は語らないし、目にも見えない。死は永遠とか無限に属するらしい。
 誰でも死ぬのは確実らしい。しかし、生きている時(有限の世界にいる時)はそれを体験できない。

 神の姿も見えない。神も永遠や無限に属するらしい。
 死ねば神の姿が見えるらしい。生きている間は、神を体験できない。

 こういうパラレルな状況がキリスト教的死生観にあって、「この世の死=神の国での永遠の命」というところに落ち着いた。

 ところが、近代の合理主義とか、科学主義は、アレゴリーを認めない。
 この世の生は、意味が無く、単なる偶然の積み重なりである。
 永遠とまで欲張らなくとも、生物の種も惑星にも太陽系にも宇宙にも寿命があって、そのスパンの中で考えるだけでも、個人の生などは、絶対の無意味でしかない。floccinaucinihilipilification。
 
 これがポストモダンのニヒリズムであり、「神の死」である。
 
 問題は、

 「神」が死んでも、「死」は死なないことだ。

 神の存在証明や非存在証明に、神学者や哲学者や数学者まで躍起になったことがあるが、それも下火になった。「死」の存在証明とか非存在証明はなされなく、いまや永遠の命だとか神とセットにできなくなった分、タブー化したり、余計に不気味な物となっている。「死」が解決できないのだから、「神」にあっさり退場してもらっても困る。まあ、昔ながらに、宇宙とか自然とか、代替物も遠慮がちに復活しているのだけれど。

 自己正当化や他者を裁くための口実として持ち出される「神」たちはまた別物である。
 しかし、無神論者たちは、こういう「神=偶像」を暴くうちに、「死」を孤児にしてしまったのだ。
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by mariastella | 2009-08-07 07:41 | 宗教

聖遺物追っかけ、今度は仏舎利じゃない。

 今日は Notre Dame des Victoires で、リジューの聖女テレーズの両親の列福(昨年10月)以後初の公式典礼と聖遺物公開+崇敬というのに行ってきた。

 『ふらんす』(白水社)7月号に、知られざるフランスの自然文化遺産という連載で、リモージュの七年に一度という珍しい聖骨披露の記事が載っていた。頭蓋骨に直接接吻できるというのはなるほど珍しいと思ったが、聖遺骨そのものは、どこの教会にでもよくあるし、見えるものもあるし、半世紀前までは、どこの家庭にでもちょっとした聖遺骨が額なんかに入っていたものだ。

 「聖とグロテスクが一体になった、類まれなる儀式だった」と、ジャーナリストの羽生さんという方がコメントなさっているのだが、聖遺物好きで何十年も追っかけをやっていて、最近はネット動画でのなまなましさにかえって毒気を抜かれてしまった私には、このように「類まれなる」と形容されること自体が、何か新鮮だった。

 で、ここら辺で、どこの馬の骨?だか分らない「中世」の聖骨ではなくて、新しいだけに由緒正しい聖骨披露に行ってみよう、と思い立つ。今回の列福を可能にした奇跡の認定は、2002年に重篤の呼吸障害で生まれた新生児の奇跡の治癒に関するものだった。これからは列聖に向けて、次の奇跡が待たれているから、効験とかご利益の点では一番勢いのある(気がする)時期の旬の聖遺物なのである。

 透明ケースの中で、厨子みたいなのが開かれていて、そこに、娘である聖女テレーズのデザインによる聖遺物入れ。といっても、聖女が自分より百年遅れて両親の骨が崇敬されるなどと思ったわけではなくて、彼女の残した刺繍などからモチーフをとったもので、白百合、白薔薇、などが連なった、テレーズ好みの少女趣味である。
 その上の透明の部分にまた、二つの小さなガラスケースみたいなのが並んで、二人の骨のかけらが収まっているが、茶色っぽくて、あまり新鮮な感じではないが、全国で見られるテレーズの遺骨もこんな感じである。

 だから、聖骨に直接接吻というのは不可能で、ケースの上からでも私の見る限りさすがに誰もしていず、ケースに指をじっと当てて黙祷しているというのが基本形のようだった。

 パリの副司教によるミサは、オルガンとトランペットのソロとで、なかなか感動的なものだった。Vitryの仏教センターでの木魚と銅鑼もそれなりによかったが、幼いテレーズの信仰心の対象となり、ローマに巡礼に行く前に訪れて祈ったというこのパリのバジリカ聖堂の持つ「地」のオーラと呼応して、ユイスマンスの気分が分るくらいに審美的な満足を得た。

 驚いたのは私のすぐ前に、ベトナム人らしい母親と7,8歳の男女の子供がいたのだが、その眼鏡の男の子が、Nintendo DS を手にしていて、最初から最後まで、ずっと、画面に見入ったまま、それこそ渾身の、といった感じでゲームに熱中していたことだ。ミサでは、式次第によって、着席したり立ったり(跪く人もいるが)という姿勢の変化があるのだが、この男の子は終始、座りっぱなしである。

 これを見て、

 「なに、このおかあさん、あまりにもリスペクトというものを教えなさ過ぎじゃないか」
 「それとも、ゲームしてていいからという条件で無理に連れて来たのか」

 とか思って驚いたわけではない。(多少は思ったが)

 この子が、あまりにも、自分の世界に入っていたことに驚いたのである。

 周りには、荘重なオルガンの音、トランペットの音、香の匂い、ぎっしりと埋まった人々、なぜか分らないが泣き崩れている人までいる。ゼリー・マルタンは乳ガンで亡くなったので、ガンの人にも特別の祈りがある。それでなくともここは「不思議のメダイ」のチャペルと並んだパリの聖母御出現の巡礼スポットだから、普段から、濃密な敬虔さが垂れ込めている場所だ。特別の場所での特別の典礼で、特別な思い入れをしている人もたくさんいるだろう。

 もし、サイコ・エネルギーをキャッチする霊能者なんかがいたら、「おお」っと金縛りにあいそうな何かが漲っている。

 子供なんて特に、感受性が強そうだしな・・・・

 それが、この子は、微動だにしないで(いや、時々、ゲームの進行が上手くいったらしい時は「やったー!」みたいなガッツポーズが出ている)、ヴァーチャル世界に没入だ。
 それとも、いつもこういう場所にばかり連れられてきてもう好奇心なんか使い果たしたのか?

 感性とか感動の世界って、奥が深い。テレーズのような子供もいれば、完全に自分ワールドの子もいる。それとも、幼いテレーズがたえず対話していた聖母だの幼いイエスだのとの世界だって、ヴァーチャル世界に入り込んでで身じろぎもしない子供の世界と、通じるところがあるのだろうか。

 さて、話を戻すと、こういう普通の夫婦が「カップル」として、一組で聖化されるというのは、実は非常に珍しい。
 ルイとゼリー・マルタン夫妻の前には、2001年に列福されたイタリア人夫妻がいるだけで、その列福式には、4人の子供のうちの生存者(当時85、82、77歳)が出席したという異例のものだったが、4人とも、修道士とか司祭とか修道女とか在俗修道女とかである。だから当然孫はいない。

 マルタン夫妻はといえば、9人の子をなし、4人が早く亡くなり、残った5人の娘が全員修道女。特にカルメル会には4人がそろうなど、そこだけ見ていると、母親が早く亡くなった後で、なんだか正常な家族関係が築けないで、みんな思春期神秘熱に伝染したんじゃないかと思ってしまうが、まあ、実際はもう少し複雑である。
 そして、では、聖なるカップルというのは、「子供を神に捧げたカップル」ですか、それを模範にしていたら人類は滅びるのでは、とも考えたくなるが、この辺も、実は、いろいろおもしろい。

 ルルドのベルナデットもそうだが、若くして「聖母を見る」などという「恵み」を得た者を、聖女として認めるかどうかというのは、なかなか難しい政治的教育的判断を迫られるものである。これは「奇跡の治癒を得た者」も同様で、せっかく「神の恩寵」を得たのに、長生きして詐欺犯として捕まるとか、結婚離婚を繰り返すとか、あまりにもひどい展開があると、「恩寵」は希望でなく不条理のシンボルになりかねない。
 教育的でない、とか言う以上に、「意味の期待」としての信仰の根本を揺るがしかねないのである。

 それは子々孫々についても言えることで、せっかくの「大聖人」の五代後の子孫が大量無差別殺人犯になったというのではまずいだろう。まあ、たいていの場合は、法外な「恩寵」を得た人の多くは生涯を神に奉献する気持ちに駆られるようなので丸くおさまる。 長じて、「聖母を見たといったのは嘘でした」とカミングアウトするようなケースは非常に少ない。どんな奇跡や恩寵だって、個々の人生の文脈の中で進化していくものだから、無難におさまるところにおさまることがほとんどなのである。

 これに対して、孔子廟などでは、孔子の両親や先祖はちゃんと祀られている。さすがに親を敬う儒教の精神で、孔子を世に出したすべての祖先はそれだけで敬われるべき存在だ。だから儒教的な文脈では、聖人の「子孫」の方はどうなろうと原則的には聖人の聖性のハンディにはならない。

 キリスト教では、聖人の親といえども、別に聖性のDNAを子供に伝えたわけではなく、あらゆる命はすべて、「神からの賜物」なのである。だから、聖人の聖性を讃えるのは神を讃えることであり、特にその親に感謝して敬うということにはならない。

 そんなキリスト教が、はじめて、聖女の両親をまとめて聖人の列に加えようという試みとして、マルタン夫妻のケースはここ15年(つまり徳を認められた尊者となった後、福者となるために奇跡を待っていた間)非常に私の興味をひいていたのである。

 しかも、聖女テレーズと言えば、生前目立たずに夭折したのに関わらず、今や教会博士の称号さえ獲得した異様に評価の高いビッグ聖女で、近代カトリック界のアイドル的聖女だ。
 そしてその名は、ノルマンディはリジューのカルメル会と切っても切れず、リジューの聖テレーズと通称されるほどだ。リジューはもちろん大巡礼地として栄えている。
 父のルイ・マルタンはめでたくリジューで死んでいるので、リジューの司教区が列福手続きなどを扱ったが、問題は妻のゼリーである。彼女はアランソンで死んだし、フランシスコ会の第3会に属していて、アッシジの聖フランチェスコに特別の崇敬の念を寄せていた人だ。で、ゼリーがカルメル会の聖女に取り込まれるのはフランシスコ会が快く思わなかったとかいう噂も流れた。

 そういうカトリック教会内のいろいろな事情もあったのだが、とにかく、二人のカップルとしての(つまり、神の愛を結婚の秘蹟の愛のうちに証したものとして)列福はようやく実現した。

 二人の亡くなったのは、1877年と1894年だ。

 一方、一足先にカトリック教会初の「カップル」列福を果たしたイタリアのQuattrocchi 夫妻が亡くなったのは、1951年と1965年で、夫は社会派弁護士、妻もビジネススクールを出ながら赤十字活動をするなど、具体的ではっきりした活動記録がある。この二人が、子供たちが現役のうちに早々と列福されたことから考えても、マルタン夫妻の列福が必ずしも楽な道でなかったことは推測できる。

 まあ、子供が現役の教会関係者というのと、子供が聖人だというのは、いろいろな意味で違うが、それにしても、カップルをカップルとしてまとめて聖化しようという最近の動きは、一体、教会はそれに何を託そうとしているのか、人はそれに何を求めるのかという問いを引き出さざるを得ない。

 教会の言いたいことは比較的よく分る。

 結婚というのは、夫と妻という二人だけの愛したり愛されたりというだけの関係性だけではなくて、神の愛を地上で示すという使命を帯びたものであるべきだということだ。

 要するに、昔は、ほっておいても、結婚は「本人同士」だけのものでなく、社会的家族的経済的などのいろいろな縛りやしがらみがあったので簡単には解消できなかったが、今はそういう絆が弱くなったので、「本人同士」だけに任せておくと、あっという間に解体していく。人と人の「はれたほれた」などというものは所詮はかないものであり、簡単にエゴイズムのぶつかり合いになる。で、そこに、双方が絶対にリスペクトできる「神」のような超越価値を立てて、愛を常に更新しなくてはならない、という話である。
 
 この日の説教では、

 「我々の唯一の富というのは、地位でも金でも典礼でもありません。それは我々の生命です。そしてその生命というのは私たちに属するものではありません」

 と言う言葉があって、一見逆説的だがよくできているなあ、と思った。

 そして、

 こうしてめでたく福者の列に加えられた聖人候補たちは、

 聖遺骨ケースに並ぶのである。

 墓から掘り起こされ、

 骨を分けられ、

 茶色く、はかなく。
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by mariastella | 2009-07-13 02:43 | 宗教

シモーヌ・ヴェイユのトンでも説

 シモーヌ・ヴェイユは、キリスト教の初期に一種の陰謀仮説を立てていた。ギリシャやオリエントの宗教とのシンクレティックな混交の試みの痕跡を、ローマ教会がシステマティックに消し去ったというのである。

 一軍を率いる将のようなユダヤの民族神の征服欲は、ローマ帝国の征服欲に都合がよかった。
 
 エジプトやギリシャの神は、死の論理に加担しない「愛」の神の先駆で、キリスト教は、そういうオリエントの土壌で育まれた。しかし、その初期に、原罪とでも言える二つの汚染があった。

 一つは、ユダヤ人キリスト教徒によるユダヤ経典の聖書取り込みである。
 もう一つは、それ故に、ローマ帝国が、キリスト教のそういう「ユダヤ」の神の好戦的ナショナリズムを採用してキリスト教を国教としたことである。

 古代オリエント社会の中で、帝国主義的、民族主義的、選民思想があったのは、ユダヤとローマだけで、キリスト教の形成と採用でこの二つが結びつき、西洋の歴史を罪にまみれたものにした。それはイエス・キリストの目指した平和主義や愛の思想とは似ても似つかないものだ。

 とまあ、こんな感じだ。ネオプラトニズムやグノーシスムを引き合いに出して、またニコラウス・クザーヌスが異端でなかったことを引き合いに出し、よりギリシャ的な正統キリスト教があったはずだという仮説を立てる。

 普通は、イエスの頃のユダヤがローマの統治下にあったということで、支配者と被支配者の立場の差が考察の対象にされるのだが、ユダヤもローマもエゴイスティックなナショナリズムで、オリエント世界やケルトやゲルマンとも異質だと言ってのけるところがおもしろい。ユダヤ人の無信仰家庭出身の彼女ならではの着眼だ。

 実際は、キリスト教がローマ世界にどのように広がり定着したかについては、未だに謎の部分もあるし、当時の社会状況や思想状況についての新しい研究も今はいろいろ出ているので、このヴェイユの「陰謀説」は、彼女が該博な知識を駆使しているにも関わらず「トンでも説」に限りなく近い。

 いわゆる神学的にもつっこみどころはいろいろあるのだが、何というか、あのシモーヌ・ヴェイユがこんなこと考えていたんだなあと思うと、感慨深いものがある。思想には、色や香りがあるものだ。
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by mariastella | 2009-06-08 06:37 | 宗教

ヨブとシモーヌ・ヴェイユ

 旧約の『ヨブ記』というのは、旧約の神の全体的なイメージであり、人間が神に託す普遍的なイメージでもある、「報復による秩序維持」からずれている。普通は「勧善懲悪」とか「因果応報」というのが、人間の「公平感」に見合うのだが、現実には、ヨブのように完璧な「義人」が、なぜか、この世の不幸を一身に受けてしまうというような状況がたくさんある。『ヨブ記』はそういうこの世に「悪がはびこる」実情の説明としてよく引き合いに出される。

 正しい人、その正しさに見合った模範的な幸せな生活を送っていた人が、突然、これでもかこれでもかという不幸に襲われる。子供たちがみな死んだり、財産を失ったり、自分も病で最悪の状態になったり、「どうしてこの私が?」と神を呪いたくなったり、その理由を忖度したり、正義が信じられなくなったり、とっても人間的なテーマなので、宗教者や信仰者だけでなくいろいろな人をひきつけた。

 私が最初にヨブ記について考えたのは、高校生の頃に浅野純一さんの『ヨブ記の研究』(創文社)を読んだときである。
 私のような、平和な時代に生き実際の苦しみをかかえていない高校生が、「苦しみの中でも生きる希望を捨てるなというメッセージ」を切実に求めるわけはなかったので、ヨブ記をたどるのは、むしろ、怖いもの見たさというか、「正しい人がどんどん不幸になっていく」のを見ることのサディズムとマゾヒズムが混ざったような倒錯的な快楽があったのかもしれない。

 シモーヌ・ヴェイユのような立場の若い女性には、全く違ったものが見えてくる。

 シモーヌ・ヴェイユはユダヤ人なので、第二次大戦の文脈では理不尽に差別される側にいたが、家庭はユダヤ教を実践していなかったし、フランスに生まれて住むエリート女性としてむしろ、カトリック的な文化に親和性を持っていた。
 哲学者の中には、今の私から見ると若くして死んだという人もいるが、その哲学が完成しているというか、完結しているという感じの人も多い。でもシモーヌ・ヴェイユは、長く生きてたらどんな風に変わったろうと想像してしまう。彼女が第二ヴァチカン公会議を体験していたら・・・

 彼女はユダヤ人なのに、ユダヤ教にはひどく手厳しい。
 まあ、近代以降のキリスト教文化圏のインテリたちが、『旧約聖書』を前にして、あれやこれやと悩んだのはよく分かる。キリスト教神学が千年以上もかけて辻褄を合わせてきたいろいろなことが、裸の王様みたいに、批判されまくった時期があった。

 キリスト教文化圏生まれでもなく、ユダヤ人でもない私がこれまであまり考えなかったことで、シモーヌ・ヴェイユの 『Lettre à un religieux』 を読んでいて、軽く驚いたことが一つある。

 それは、彼女が、『ヨブ記』のヨブが「ユダヤ人ではない」ことに注意を向けているところだ。
 確かに、ヨブはウツ(死海の東南の地方)の生まれで、友人たちもユダヤ人ではなく、イスラエルがどうとか、選ばれた民がどうとか、神との契約がどうとかいう話はいっさい出てこない。

 ヨブはエゼキエル書(14、14-20)の中でノア、ダニエルと並んで、神の怒りに滅ぼされないですむ義人の代表として挙げられているが(それでも子供までは救われず、自分の命だけ救われる程度だが)、シモーヌ・ヴェイユに指摘されると、なんだか、「旧約の神って、ユダヤ=非ユダヤのダブル・スタンダード?」って言われてるみたいだ。
 ヨーロッパ人は平気でイエスを金髪碧眼の姿で描いてきたりしたし、日本人にとっては、ゲルマン人もラテン人もパレスチナ人もみんな「外国人」だからその辺の機微がぴんと来ないが、フランス文化に根を下ろすユダヤ人であるヴェイユにとっては少なからぬ意味があることなんだろう。

 ヴェイユはギリシア哲学に造詣が深かったから、比較文化的思考を駆使して、キリスト教の神を時間軸から超越した普遍的なものだと納得しようとした。その辺も、彼女が長生きして、ニューエイジだとか「文明の衝突」論を前にしていたら、どんなリアクションだったのか、知りたくなってくる。
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by mariastella | 2009-06-05 19:56 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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