L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 80 )

アニッシュ・カプーアの崩壊概論

前に『コンテンポラリー・アートのナルシシズム』という本について少し書いた。


この本についての掘り下げた論考をまだ書いていないのに(いや、少し書いたはずなのだけれど、今ブログに見当たらないので、アップしていなかったのだろうか。)

コンテンポラリー・アートが、普通だれにでも美しい、調和的だと思うものに背を向けて、グロテスク、廃棄物、臓器、排泄物、死体、などなどを素材にしていくことの意味についてだ。その展示に場所を提供するホワイト・キューブとは何か。

今回の日本で、いつもどおり、うちのすぐそばにあるMoMAストアに寄ってみた時、その隣で「アニッシュ・カプーアの崩壊概論 コンセプト・オブ・ハピネス」という展覧会をやっていたので入ってみた。解説にある、「文明と野蛮の対立を両義的に浮かび上がらせる」とか、その二つを対立構造としてとらえず多様なテクネー(技術)と知性を用いて作品化する英国アーティストの新境地を世界初展示、というキャッチ・コピーに惹かれたのだ。

で、入ってみたら、ショック。

こういうのとか、

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こういうの。

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素材は、ガーゼ、ファイバーグラス、シリコンなど。


うーん、MoMAと言えばホワイト・キューブの走りだから、そのストアのそばにこういう空間があってもなるほど、と思うべきなのか。

でも、「野蛮と文明」の対立だとか幸福の概念だとかを「技術と知性で作品化」してここに至るためには、別の大きな力が働いている。コンテンポラリー・アートのベースにある、環境汚染の深刻さや自滅、自壊に向かう文明の暴走などだ。

それを支える奇妙なナルシシズム。

このような現代アートは、「写真を撮られる」ために挑発的にそこにあるような気がする。

で、撮影フリーで、私も写真を撮ったわけだけれど、お食事中の方にはとても見せられない。

けれども、衝撃と、訴求力はまた別物だ。

衝撃が去ったところに残るのは「居心地の悪さ」と、それを否認する嘘っぽさだった。


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by mariastella | 2017-11-15 00:44 | アート

頭大仏と光の教会

国立新美術館に安藤忠雄展を見に行った。

直島ファンである私には直島のマケットや、風景を読むというコンセプト、構成力にあらためて感動した。

でも、偶然安藤忠雄さんがいらしてのトークイベントが始まる時だったので、直島用インスタレーションの部分がアクセス不可能になった。
彼の話は、放映されていたコメントとほぼ同じだった。

北海道の真駒内滝野霊園「頭大仏」という発想が斬新だった。
野外に大きな大仏坐像があまり人々の崇敬を得ていないのをなんとかならないかと安藤さんに依頼が来た。
彼は大仏像をいじる代わりに、 周りにラベンダーの丘を築き、外からは頭だけ見えるようにしたのだ。

中に入る人には、空を背景に、 全身があらわれる。
遠くから見えるのは、頭だけ。

「全部を見せない」ことからだけ生まれる力というのがよくわかる。季節の変化もよりラディカルになる。
雪をかぶった大仏というのも新鮮だ。

真駒内滝野霊園頭大仏 画像という言葉でリサーチして下さい。

下は、光の教会のインスタレーション。
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自然光を応用して十字架をこういう風に扱うのは、実は中世からある仕掛けで、現代のと教会にも斬新なものをたくさん見た。
それでも、ここに置かれると、「安藤忠雄」になってくるのが不思議でもある。


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by mariastella | 2017-11-04 00:05 | アート

ウィーンの話  その24 美術市美術館 2

美術史美術館で興味を掻き立てられたのは、天使たちの造形。
天使といっても、大天使ナントカではなくて、子供型のいわゆるキューピッドというやつだ。



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保育園でもめている子供たちですか。


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なんか凶器を作っている天使のそばで、もう一人が嫌がる子の手を無理やりにひっぱって、いじめの現場みたいな光景。実際はアトリエで作業している様子らしいが、絶対に何かの含意がありそうだ。こんな絵、誰が注文したのだろう。

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by mariastella | 2017-09-18 02:38 | アート

ウィーンの話 その23  美術史美術館

日本人にとって、美術の教科書に載っている有名な絵の実物がたくさんある、という不思議な気持ちを抱かされるヨーロッパの美術館のひとつがウィーンの美術史美術館だ。

しかも、例えばイタリアだからイタリアの、フランスだからフランスの、スペインだからスペインの、イギリスだからイギリスの、ウィーンだからオーストリアのアート作品の収集というのではなく、ヨーロッパの中で、王侯貴族やカトリック教会の姻戚関係やネットワークが国際的で錯綜していて、コレクターもボーダーレスなので、どこでも「美術の教科書」っていう感じになる。

美術史博物館の目玉展示物もラファエロやフェルメールやブリューゲルだったりするのだ。
でも、いわゆる有名作品に惹きつけられるよりも、

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カラヴァッジョの大作の貧しい人々の足の裏の汚れのリアルさになぜか感動したり、


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こんな聖母子像の異様な愛らしさに驚いたり、

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このような象牙細工(下はヨーゼフ一世。70cmくらいの作品)の職人技の造形に圧倒されたりした。

これは、パリのブランリー美術館でアフリカの装飾品を見てもそう思うのだけれど、日本にいればとても繊細な職人技はなにか日本人独特のものかと思うのに、実際は、「細部への偏愛」というか偏執みたいなものは、古今東西、人類共通なんだなあとあらためて感心する。

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こういう不思議な小物もあった。

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by mariastella | 2017-09-17 07:51 | アート

ウィーンの話 その22  ベルヴェデーレ宮美術館 4


(これは前の記事の続きです。)

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メッサーシュミットは若くして王立アカデミーの助教授ともなり、ウィーンの貴族や知識人らの肖像の注文を受けた。その腕は高い評価を得ていたのに、やがて人間関係が破綻して解雇され、ウィーンから去らざるを得なかった。

彼の病が何であったのかについては、言行録があまり残っていないので確定はできないが、1932年に美術史博物館長で精神分析家でもあったエルンスト・クリスが統合失調症だと診断した。頭像における様々な感情の表現は、無意識の自己治療なのだという。

さらに、1981年に、オットー・グランディエンが、メッサーシュミットが47歳で肺炎で死ぬまで最後まで制作に破綻がなかったことから妄想性精神障害という診断を下した。


死亡記事には彼が超常現象に興味を持っていたと記録されている。

注目すべきは、メッサーシュミットが、ほぼ同世代のフランツ・アントン・メスメールと1766-70年にウィーンで同居していたことだ。メスメールからの注文で噴水用の彫刻も制作している。


メスメールといえば、「動物磁気」による治療でパリで一世を風靡した人で、催眠術や精神分析の先駆者ともなった。ウィーンで怪しまれたメスメールは1779年にパリに行き、宇宙の波動による治療で大儲けをした。1780年代に8000人の患者がメスメールのエネルギー治療を受けた。メスメールは450人の磁気治療師を養成し、フリーメイスン・ロッジのモデルを使ってヨーロッパ中や海外にまで支部を作ったという。


ウィーン時代にはもちろんモーツアルトとも交流があり、治療の時のバックミュージックをモーツアルトに依頼している。モーツアルトのオペラ・ブッファ『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)の中にも「磁気療法」が出てくる。


すなわち、メッサーシュミット、モーツアルト、メスメールはフリーメイスンを通して交流していたというわけだ。

メッサーシュミットのような天才が、これほどの途方もない作品、当時としては商品価値を持ち得ようのない強迫的な作品群(70点以上)を残せたことの背景には、啓蒙の世紀の末期、革命前夜のフリーメイスン的デカダンスと韜晦があるのかもしれない。


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by mariastella | 2017-09-16 06:37 | アート

ウィーンの話 その21 ベルヴェデーレ宮美術館 3

ベルヴェデーレでクリムトやエゴン・シーレにあえて触れないとしても、やはりここでしか見られない目玉展示品は、フランツ=クサヴァー・メッサー シュミット (1736-1783) の『個性の顔』と呼ばれる不思議な頭像の表情シリーズが一堂に集められているものだろう。

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彼の作品の表情の誇張は、それが肖像として注文されたものではなくて、ただただ、人の表情の観察のために作られているということだ。

後世に残すための「よそ行きの顔」ではなくて人間の内面を表す様々な表情を研究したアーティストは別にメッサーシュミットだけではない。ダ・ヴィンチだって多くのデッサンを残している。

メッサーシュミットの残した頭像がすごいのはそのほとんどがブロンズ像だということだ。こんなものは、普通は、しかるべき権力者の注文によって作られる。

メッサーシュミットにそれを作らせたのは、「精神の病」だった。(続く)


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by mariastella | 2017-09-15 07:30 | アート

ウィーンの話  その20 ベルヴェデーレ宮美術館 2

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ちゃぶ台をひっくり返したサムソン。旧約聖書のサムソンとデリラで有名な話。

Johann Georg Platzer『サムソンの逆襲』1730-40頃 

怪力を取り戻してつながれていた柱を壊して建物を倒壊させたサムソン。
救いようのない話だけれど、構図がとてもバロックだ。

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こちらは怪力とは無縁の、苦悩するイエス。Paul Troger の『オリーヴ山』 1750年ごろ。後期バロック。

この両手の指の組み方がなぜか悲痛。イエスは、逆襲しなかった。

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by mariastella | 2017-09-14 05:49 | アート

ウィーンの話  その19 ベルヴェデーレ宮美術館

ベルヴェデーレ宮の美術館というと、世界最大のクリムトのコレクションとかエゴン・シーレの画を思い浮かべる。実際、この二人が出てきたのは、音楽に関して今回初めて意識したウィーン独特の退廃から抽出された毒を秘めた何かのせいだと思う。

学生の頃はドイツの小ロマン派などに傾倒していたから、クリムトやエゴン・シーレもかなり「好み」だったと思う。

でも今はすごく健全になったので実はこの2人にもう刺激を受けない。

もっと中世的なものの新しさの方に驚く。

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これはHans Klocker という人の1485-90年ころの作品で、イエスの誕生に集まった人々の群像の中から聖母マリアの夫ヨセフ。この人って、許嫁の10代の少女マリアが聖霊によって妊娠したって知って、悩み、それでも母子を守ることに決めた苦渋のお父さん。しかも、子供は、旅の途中の馬小屋で生まれちゃうし、こういう複雑な表情になるのもよく分かる。


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これは司教姿の聖人たち。1518年の木彫。Andreas Lacknerの作。
保存状態がいいのもすごいけど、この聖人たちの表情が、ちっとも聖人風でなくなんだかそこいらのおじさん連みたいなのがリアルだなあと驚く。しかるべき衣装や小道具をあしらえさえすれば、顔の部分はこんなに自由に表現してもOKなのだとは。









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by mariastella | 2017-09-13 06:20 | アート

ファム・ファタル

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プチパレの入り口ホールにある「猿をつれた婦人」という20世紀初頭のこの像、ブロンズやセラミック、エナメルなどを組み合わせた技巧的なものだが、ファム・ファタル(魔性の女、運命の女)をシンボライズしたものだとも言われる。

ネオ中世様式だという猿は、女に捕らわれ繋がれた男の姿だというのだが、なんだか、すごく身につまされるものがある。
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なにかにとらわれて、不本意ながら離れることもできない自己嫌悪みたいな恨み節が猿の視線にリアルにあらわれているからだ。

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by mariastella | 2017-07-06 05:40 | アート

啓蒙の世紀のバロック その3

(これは前回の続きです)
今回の展覧会は、教会ではたいてい暗くてはるか高いところにある数々の絵を身近でけれども雰囲気を壊さない環境展示風の工夫のある空間で観ることができたのはとても興味深かった。

けれども、特別展示会場を出て、常設展示を見て軽くショックを受けた。
常設展示は何度も見ているのだけれど、「啓蒙の世紀」からフランス革命とナポレオン時代を経た19世紀にはすべてが変わってしまったのだなあという衝撃だ。

社会派自然主義の数々の絵、クールベの絵を見るとテーマ自体の落差に驚くが、
宗教テーマの絵にしても、ギュスターヴ・ドレの大作が2点あって、『涙の谷』で十字架を背負って歩くキリストの遠景の光にはカルチャーショックすら覚える。
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さらにシスレーやドガやモネの印象派の展示に進んでいくと、いったい何が起こったのだろう、と思ってしまった。

最近、岡崎乾二郎さんの「抽象の力」という論文をネットで読んでいろいろ考えさせられたばかりだ。
啓蒙の世紀のバロック」の宗教画が人間性の深みに降りていこうとしているのに引きずられていた直後に印象派の作品を見ると、人は被造物の立場から「創造者の秘密」に迫るのを辞めて、「創造の秘密」に迫る試行錯誤を始めたんだなあ、と感慨を覚える。

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by mariastella | 2017-07-05 01:39 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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