L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 67 )

羊飼いの礼拝

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数年前、ドレスデンのクリスマスマーケットで買ったクリスマスの馬小屋。羊飼いたちが幼子イエスのもとに来ます。名もない庶民の代表です。
羊飼いの礼拝と言えばこの絵を思い出します。

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こんなふうに手を伸ばすのはどう見ても3ヵ月以降の赤ちゃんなので、生まれたてとは言えませんが、こんなに子羊との距離が近くて、後ろから羊飼いがリスクを回避するために羊を抑えている仕草が、赤ちゃんが触ろうとする猫を抑えるのと似ていて微笑ましいなぁといつも思ってしまいます。
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by mariastella | 2016-12-24 00:13 | アート

ルオーの画と能面

出光美術館に「大仙厓展」に行った時、久しぶりにルオーのイエス像などを見て、あらためて、彼の正面向きの人物像の表情は能面と同じだなあと思った。

日本で 金子賢之介神父の『風、いつも吹く日々』のカバー絵のイエスや私の訳書『自由人イエス』のカバー絵のイエスの顔が右半分と左半分では表情が違うというのが、直接能面からインスパイアされたものか、ルオーからインスパイアされたものか、あるいはルオーの発想がどこから来たのかなど私にはよくわからない。

能のシテは怒ったり迷ったり、絶望したり、成仏出来ていない状態で橋掛りを渡って舞台に出る時、顔の右半分の苦悩や煩悩を見せる。

でも旅の僧などによって慰霊してもらえると、最後は左半分の安らぎの顔を見せて退場する。
この世とあの世の境界領域はいつも両義的だ。

ルオーのこのピエロの顔なんて明らかで 、ピエロそのものの両義的な存在様式が分かる。

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受難のイエスとなると、さらに人間と神の狭間にいるわけだから、能面的な諦念が顔の右側にあって、左に永遠の命の安らぎがあってもいいのに、左はむしろ固い決意、覚悟、希望を思わせるものがある。

ただしルオーの宗教画には、その左右の描き方が逆になっているものもあるから、 能面と橋掛りの関係は把握していなかったのかなとも思う。

出光さんはルオーの画の太い黒い輪郭線が禅画の墨絵と似ているという 認識があったそうだが、そこに能面の影響関係はあるのだろうか。

仙厓の世界とは対極にあるように思える。
もっと調べてみよう。とりあえず覚書。
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by mariastella | 2016-10-25 00:41 | アート

黒田清輝展

国立博物館で開催中の黒田清輝展の鑑賞券をいただいたので先日ゴールデンウィークの上野公園に出かけた。

動物園を目指す親子連れがいっぱいで、そのいかにも行楽という賑わいは、やはり日本は、地震はともかくテロのリスクは低いし実感もされていない平和な国なんだなあと思う。

黒田清輝は日本の洋画の父という教科書的なイメージしかなかったけれど、今回いろいろな事情を知って、日本とフランスの関係について多くの示唆を得た。

私はもうずっと前に上田市に住む彫刻家の友人経由の依頼で、山本鼎のパリ時代について調べたことがある。版画職人から1901年に東京美術学校に入り、1912年から16年までパリに滞在した。リアリズムを経て、自由画運動を提唱、晩年になって「絵が下手」状態になっていく過程は興味深いものだった。

それとは別に、明治の挿絵画家(漱石の挿絵などでも有名)である岡本月村の子孫の方から、彼が南画の習得法である徹底的な形態模写によって驚異的な速さの正確なデッサン力を獲得していったのがわかる貴重な資料をいただいたことがある。
月村は、日本画の後、浅井忠に洋画を学び、新聞社で働き、日露戦争の従軍画家となった。パリ万博の詳細なデッサンもある。この人についても、上村松園の弟子であったその娘さんの証言も含めて調べたことがあり、デッサン力というものの日本画と洋画の違いを考えたことがある。

で、黒田清輝(1866生)は、この二人に先行する。月村は10年後の76年生まれ、山本鼎は82年生まれだ。また黒田は月村の前、フランスの新聞の特派員として日清戦争の従軍画家となっているのだ。この対比が非常におもしろい。

黒田清輝の特色は、

もともと法学を学ぶために留学した貴族の嗣子で、「お国のため」という意識と責任感はずっとあったこと(そのために、画家としてのキャリアを犠牲にしても日本の洋画教育の基礎を造った)、

だからいわゆる苦学生ではなかったが、自分の進路変更を含めて、実家の養父母に多くの手紙を残していること、だから公文書とともに私文書もたくさん残していること、

洋画を志した日本人がフランスに憧れたというのではなく、フランスで本当の意味で西洋画に出会い、日本人画家としてフランスでも名を成さなければ意味がないという意識があったこと、

法学の勉強が目的なのでフランス滞在最初の頃に徹底的にフランス語を学んだこと、

などいろいろある。

特に、最初にフランス語とラテン語を徹底的に学んだことの意味は大きい。
その後16区にある名門のリセにも行っている。

今も昔も、何年、何十年とフランスに滞在してもフランス語を使いこなせない「芸術家」は少なくない。

しかし、文化とは、特にフランス文化とは、フランス語を抜きにしては考えられない。18歳から27歳、9年余のフランス生活の中で、彼はフランス語を日常的に「読んだ」。
フランス文学も愛読した。フランスのエリートとしての教養があった。

彼の作品にはラテン語で年代表記したものがあり、自分の名もヘボン式ではなくフランス人にきっちり発音してもらえるように 「Seyki Kouroda」などと書いたりという工夫の跡がある。

彼の過ごしたパリやフォンテーヌブローの南の川やブルターニュが私のよく知っている場所だということも親近感を覚える。

フランスに滞在する時、「フランス語が自由に読める」ということの意味は本当に大きい。
いわゆる日常生活に不便がないとか、フランス人の友人と不便なくしゃべれるといったこととは別の次元の「文化」は、しかるべきものを「読む」(訳すのではない)ことによってのみ養われる。
それがある人とない人とには国籍を問わない断絶があるし、「読める」人には国籍どころか時代も超えて共有するものがある。

その意味で、黒田清輝は、他の「画学生」と一線を画しているし、フランスにおける芸術家としての「戦略」も全く違う。

しかし、同時に、彼が日本に伝えようとした「西洋画」のアカデミズムがなかなか理解してもらえなかったように、「言語」を介さない美術、絵画においてさえ東西の文化がこれほど隔絶しているという現実を見ると、言語を使う文学や哲学を翻訳という手続きを経て理解したり受容したりすることの難しさを考えずにはおられない。

黒田清輝の女性の好みもおもしろい。フランスでの恋人マリア・ビヨーのタイプは、のちの夫人の照子さんと似ている。
照子さんも、『智・感・情』のモデルになった女性も、雰囲気が似ていて、しかも、いわゆるハーフの女性にみられるタイプの一つだ。マリアは日本風で、照子夫人はハーフ風だ。

面白いのは展覧会の図録の解説の中で、日本人女性の理想のプロポーションを提示した『智・感・情』の絵について、宮沢りえさんの写真集『サンタフェ』を見てついに理想のプロポーションそのままの女性が日本で生まれた、とあったのだけれど、彼女もハーフであり、マリアや輝子さん型の雰囲気のハーフ女性だということだ。

『智・感・情』の感については、Impression、智がideal、情がrealだと黒田清輝は言っていたそうだけれど、多分フランス語で考えていたという気がするので、それならば、インプット、理想、そして現実、というイメージかもしれない。そう考えるとこの絵がなんとなくわかる気がする。

黒田は最初にフランスに渡ってから40年ほど後で亡くなっている。

異文化との出会いから40年、自国も異国も変化するという長いスパンを私自身も振り返ることで見えてくるものが多いのでいろいろなことを考えさせられた。

日本でバロック音楽を始めてからフランスに渡ったというのではなくフランスでフランス・バロックに出会って根を降ろしたという自分のたどった道が日本の音楽家と違うことでも、黒田の気持ちに共通するものがある。
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by mariastella | 2016-05-03 21:21 | アート

宮川香山展

「日本陶器王」と呼ばれた「宮川香山」展をサントリー美術館に観に行った。

横浜の外国人居留地に住んで外国人の嗜好を探るなど輸出のために戦略的であったわりに強烈な個性で、独創的な高浮彫作品を残した。

外国人は金を多量に使う薩摩焼を好んだが、それでは高額になり、金が国外に流出するので、立体的な造形で造形の妙を極めたというのだ。

しかも、確かに、金箔、象嵌、螺鈿など光物が少ないかないせいか、キッチュすれすれなのに品がある。

枯れ葉や枯れ木、朽ち花も好んで取り上げるので倒錯した侘び寂びの味わいさえもあるのだ。

絵柄には季節ばかりでなくストーリーもある。

西洋風の神話や宗教モチーフを使わない代わりに、「あの世」が百鬼夜行の姿で現れるのも興味深い。日本の「神々」をテーマにしないのも、キリスト教国での受容を考慮したかららしい。

動植物の生態までリアルにかつ過剰なまでに埋め込んだ作品の展示を見ているとまさに、Cabinet de curiosités (キャビネ・ ド・キュリオジテ)に迷い込んだような印象だ。

キャビネ・ ド・キュリオジテは、ヨーロッパの貴族や学者、文人が15世紀以来の大航海で「異国」で収集したものを集めた博物趣味の珍品陳列室で玉石混交の宝箱だった。動植物の標本や剥製も中心にある。

いわゆる「近代」にそれはすたれたが、宮川香山が提供した壺や花瓶は、彼らの博物展示趣味をどこか刺激した面もあるのではないだろうか。

欧米で人気を博していた中国陶磁器に対抗して出発したとはいえ高浮彫作品は、もう「陶磁器」という範疇を超えている。

巨大な作品が精緻なモチーフで埋め尽くされているのは圧巻で、香山は天才というより巨人のようだ。

有名な「猫」は耳の中の血管まで浮き出ているし、ハチの巣の中でうごめく幼虫なんていうものまである。単眼鏡を持参して見つめる人もいた。

香山の最大のコレクターで研究者という田邉哲人という人も驚きの人物だ。国際警備会社を経営し、スポーツチャンバラの創始者だそうだ。

絵や書や陶芸作家でもあるようで、こんな桁外れの人がやはり桁外れの香山と出会ったことに感謝したい。
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by mariastella | 2016-04-16 01:36 | アート

彫空の本

1月始めに大阪で吉井秀文さんにお会いした。

「彫空の本」をいただいた。

透明ケースに洗剤と水が入っていて振ると泡でいっぱいになる。

吉井さんはその中から面白いかたちを取り出してデッサンしたり立体にしたりしている。

その意外さを去年パリで見せていただいた。

どうしてこのような特別のご厚意にあずかれるのかと不思議に思っていたのだけれど、彼がパリ滞在中の作品について過去に私が書いたコメントを気に入ってくれて、何度も読み返してはこれでパリに行った意味があった、と思ってくれたそうなのだ。

ものを書く人間として、アーティストにそのように喜んでもらえたのは光栄で嬉しい。

書斎の本棚において、取り出してケースから出して振って泡を眺めるとおもしろい。

一つの泡が他の泡たちと多くの接触面を持っているのだけれど、それぞれ凸面であったり凹面であったり平らであったりする。
ある人が生きている時の対人関係もこういうものだろうなと思う。
ありとあらゆる方向から「境界」を押し付けられてアィデンティティが形作られ、しかも平等な関係なんて一つもなく、相手に侵入され気味だったりこちらが相手を侵食していたり、ぎりぎりのバランスを保っていたりする。
しかもそのすべての「面」が絶えず微妙に動き、その相手が別の面でつながっている他の無数の泡たちの形や圧力や弾力と連鎖、連動している。
吉井さんがその中の一つに注目して「個」を抽出しても、その形にはその「個」を形成している世界のすべてがひしめきあっているのだ。
そして、その「個」の中身は「空」なのであり、「個」は「境界」とのせめぎ合い、拮抗の力関係が作る緊張の内側にしかない。

そのような、他者とのあり方だけで特別な形になった一つの泡を吉井さんが取り出して境界をなぞるとき、中の空とそれを規定していた外が反転する。

それが彫空。

透明の本をゆっくりふっていると宇宙を手にした気分と、泡に埋没する気分の両方が同時にわき起こる。

創造した後、その「跡」を作品として提示するのではなくて、いつも創造の躍動そのものを提示しようとする吉井さんの冒険は続いている。
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by mariastella | 2016-01-28 08:04 | アート

シャガールの『ノアの箱舟』

ニースの美術館にあるシャガールの『ノアの箱舟』はほんとうに幻視者の描いたものという気がする。

その上、見ている者がそのまま、いつのまにか画面の世界の一部になっている。

私たちはシャガールの幻視の世界の住人なのだ。

それはここでは、ノアの箱舟に乗っているという意味である。

創世記によると、動物たちは全種類がつがいで乗せられたけれど、人間はノアの家族だけだった。

「ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った(創世記7-7)」とある通りだ。

ノアには三人の息子がいたから全部で四組のカップルということだ。

でもシャガールの幻視の世界では、人が大勢いる。

ノアの箱舟を描いた多くの絵の中で唯一、船や水が描かれておらず、船の内側の光景だ。

だから絵を見るものとノアたちの間に境界がない。

動物たちも整然とブースに区分けされていず、人と同居している。

人の多くは裸体のようでもあり、人間と動物が同じ地平にいるようだ。

窓から白鳩をとばそうとしているノアはもう一方の手で動物の頭を撫でている。

その動物はノアと目を合わせている唯一の乗員である。母と子の組み合わせが多い。右下の母は必至で子供を守っているように見える。

右上の「マドンナ」は十字架のイエスを思わせる子供を抱いている。

同じシャガールの「人間の創造」の絵で、天使に抱かれたアダムの他に、上方に十字架のキリストが見えるのと呼応しているかのようだ。

シャガールはユダヤ人だが、キリストを最初のユダヤ人殉教者だと感じていたという。

私はシャガールの天を舞うような明るい色の絵よりも、この「箱舟」の中に潜り込む視点が好きだ。

あの窓の向こうにどんな世界が待っているのか知りたいし、左上に見えるヤコブの梯子の先にも心がとんでいく。
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by mariastella | 2015-11-24 22:05 | アート

吉井秀文さんの個展

パリのギャラリーで久しぶりに吉井秀文さんの個展をやっている

Galerie Arichi
26 rue Keller 75011 Paris
tél: 09-5146-5114

吉井さんの作品については以前パリにお住まいだった時に書いたことがある。


今回案内をいただいた後に、写真で、黒光りする彫刻作品とドローイングを見て驚いた。

10年以上前のあのカンバスから抜け出た「筆勢」だけでできた透明感や自由な感じとは対極の鉱物的な重いものに見えたからだ。タイトルは「彫空」というのだけれど、無機質で地から発生する結晶みたいに見える。

でも、彼の作品は生身の「出会い」を必要とするものだと分かっていたので、楽しみにして出かけた。

鉛筆の光沢による無機質さの奥に有機的な生成の力が閉じ込められている。

この形はいったい何かというと、鉱物どころか、「泡」なのだ。

シャボン玉は一つだと丸い。

自由で、舞い上がり、でもはかなくはじけて消える。

空気を閉じ込めきれない。

シャボン玉の自由は空気の自由に負ける。

そのシャボン玉が2つくっつくと、くっついた部分はもう丸くはない「面」になる。
「角」が発生する。

吉井さんはアクリルのケースの中の水に洗剤を入れて空気を吹き込み無数の泡を発生させ互いにくっつかせる。

それらにはもう「丸」や「球」の面影はなく、さまざまな「角」を持った不思議な形になる。

それは空気と水のせめぎあいであり、絶えず居場所を確保しようとする張力同士の「共存」の形態だ。

吉井さんはそれを観察し、その中から一つの形、あるいはくっついたいくつかを選んでデッサンし、その角に折り目をつけて浮き立たせ、光と影の立体感をつける。

やがてその向こう側も表現したくなって、ウレタンを材料にして三次元に取り出してプラスティックで表面加工し、ドローイングと同じように鉛筆で塗り上げるのだ。

それが「たった一つ」の場合でも、地から生成した結晶とは正反対で、その形は、それぞれの面を形成する「外からの力」とのバランス関係によっており合った地点の集合体なのである。

中は空気に過ぎない。

それ自体空気を閉じ込めたひとつの気泡が、球になる自由を拒否されて他の気泡との併存を強いられ、それが形になったもの、が取り出されたのだ。

彫空というのは、彫刻における「マスを刻む」ということがなくて、この作品が泡同士の内なる空間の力が、外からのあらゆる方向からの「同類の力」を受けて形作られた姿を写し取ったからなのだ。

ひしめく泡たちが周りの力によって一つとして同じ形のない独特の形に造られて、それらすべてが連動していて、ナンバーワンもなければオンリーワンでもない世界。

何かを表現したいというのではなく、何かが「ある」ということを切り取ってそこに置かれた不思議な作品だ。

ギャラリーにいたある年配のフランス人は、その形が大小二つ、三つと組み合わさったものに、より生成の秘密を感じると言っていた。

それは大きいものから小さいものが生まれるというのではない。

実は大小の互いが互いを成り立たせていること、
そしてその周りには、描かれていないけれどその大小の形をそうあらしめている無数の「力」があり、
見ている私たちも含めて「ある」ということは常にそういう「あり方」なのだという秘密なのだ。
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by mariastella | 2015-09-30 20:09 | アート

ヴィジェ・ル・ブランの回顧展と回想

若桑みどりさんが生きていたら絶対喜ぶだろうな、と思うヴィジェ・ル・ブランの初の大回顧展が来年1/11までグラン・パレで始まった。その後はNYとオタワに行くらしい。

私がこの人のことを「女性画家」として意識したのは若桑みどりさんの『女性画家列伝』(岩波新書)を読んでからだ。

懐かしくてもう一度読んでみた。

相変わらず面白いが、彼女の肖像画のことを、自画像をのぞいて皆モデルがこう見られたいという欲求にそって、感じよく、観る者にアピールするようにまとめている、というのは必ずしもそうじゃないと思う。

マリー・アントワネットの肖像画をその御用画家ぶりの代表みたいに挙げているのだけれど、ヴィジェ・ル・ブランは、後の回想でマリー・アントワネットのことを

「背が高く、感嘆するほど良い体格で、ちょうどいい具合の肉付き。腕はすばらしく、手は小さくて完璧な形。足は魅力的」

などと「画家の眼」できっちり描写している。

若い時と母になった時の自画像、自分の娘の描き方を見ていると、他の肖像画もかなりリアルだったのだと想像できる。

まあ注文主のために多少の修正は施したろうけれど、素材を生かしたまま魅力的に仕上げるすべがあった。

3人の子に囲まれた母親としてのマリー・アントワネット像の構成など、死産した最後の子供が寝かされるはずだったベビーベッドを持ち上げる息子、その暗闇の配し方などなかなかぞっとする。

回想と言えば、彼女はフランス革命から逃れて一時イタリアに亡命したのだがその時のことをこう書いてい
る。

(トリノで)見たのは、神さま、なんという光景でしょう。街路も広場もフランスの町々から逃げて避難場所を求めてやってきたあらゆる世代の男や女たちでいっぱいでした。
何千人という単位でやってきて繰り広げるその様子を見ると胸が張り裂けそうでした。
彼らのほとんどは荷物も金も、パン一つも持ってきていませんでした。
命以外のものを助け出す時間がなかったからです。(…)
子供たちはおなかをすかせて哀れに泣き叫び、それまで荷馬車に乗ったことなどなかった妊婦たちはでこぼこ道の振動に耐え切れず多くが流産しました。
これ以上ひどいものは見たことがありません。
サルデーニャの王がこれらの不幸な人々を泊めて食べ物を与えるようにという命令を出しましたが、とてもすべての人に行きわたるものではありませんでした。

中東の難民ではない。
うーん、これを今のEUの難民対策委員たちが読めばなんと思うだろう。
わずか2世紀ほど前のことだ。

ヴィジェ・ル・ブランは亡命先のローマで1791年に、知り合いの歌手の妻マダム・カイヨーからの手紙を受け取った。

「私たちはみなが平等になるのです、黄金時代が到来するのです」と言って彼女にも帰国を促したものだ。

ヴィジェ・ル・ブランは信じなかった。

その少しあとにマダム・カイヨーは絶望の果てに窓から身投げして死んだという。

黄金時代の代わりに恐怖時代がやってきたのだ。

政治家がどんなプロパガンダを広めようと、苦しむのはいつも女子供などを含めた多数の弱者であり、憐れみを求めて別の場所に逃れようとするのは変わらない。

歴史を見ること、視点を変えることの必要性がよく分かる。
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by mariastella | 2015-09-27 00:20 | アート

ドン・ロベールのタペストリー

まずはGoogleのDom Robert画像検索で出てくるものを見てほしい。

神を信じる者にとっては、祈りであり、信じない者にとっては幸福と生命への讃歌であると言われているタペストリーの画像だ。1907年生まれで90歳で亡くなったドン・ロベールはトゥールーズの近くのベネディクト会修道院で60年を過ごした修道僧で神父だ。

この人はもともと絵が好きで、パリの装飾美術学院で学んでいたが、召命を得て修道院に入り、水彩で聖典の装飾細密画などを描いていた。1941年にタペストリー製作者に見込まれてタペストリーの下絵を描くように依頼される。もとになるデッサンを下絵に拡大したのもドン・ロベール自身だ。動植物のデッサンはすべてまず精密な観察に基づいて描かれたものだという。

自然を目にして描くことはすべて神の創造を追いかけることだと意識していたそうだ。

もしも自分が修道僧でなかったらアーティストでもなかった、と言っていたように彼のアートと信仰は切っても切り離せないがそれはライフ・スタイルの話でもあった。修道院での規則的な暮らしが精神を自由に解きはなってくれるのだそうだ。

クリュニー美術館の「一角獣と貴婦人」のタペストリーにちりばめられた動植物も有名だけれど、ドン・のそれは、シンプルで喜びに満ちていて、ある意味とてもバロックだ。直線や左右対称や安定がなくて曲線的で常に動いている。けれども強迫的なところもないし内向的なところもなく、自意識もなければもちろん商業的な思惑もない。あらゆる種類の美術批評の射程外にあった。

最晩年の写真を見ても戸外で楽しそうだ。

今年から、ドン・ロベールの作品の美術館が由緒あるソレーズの修道院(学問教育センターにもなっている)で公開されている。

アート作品を見て「癒される」という言葉を使うのはあまり好きではないのだけれど、ドン・ロベールのタペストリーを見ていると、とりあえずありがとうと言いたくなる。
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by mariastella | 2015-08-26 01:09 | アート

ジャクマール・アンドレ美術館『ジオットからカラヴァッジョまで』

この展覧会で、カラヴァッジョのこの有名な絵のオリジナルを今回はじめて見たような気がするが、

それを、これも有名なクールベの絶望の自画像と同時に見ると、これまでその二つを結びつけて考えたことがなかったのに、記憶の同じ場所にしまわれていることに気がついて、なるほどそうだったのかと何かが腑に落ちた。

もう一つ新鮮だったのは『荊冠のキリスト』のテーマだ。

イエスの受難と言えば、鞭打ち、十字架の道、釘打ち、十字架上の苦しさと渇き、十字架からの降下からピエタや埋葬まであらゆるものが描かれてきたけれど、茨の冠を無理やりにかぶせられているシーンはあまり「残虐」という印象はなかった。

でも茨の冠はかなり刺々しいもので、かぶせる方も二人がかりで、手を痛めないように棒でねじ込んでいくのだから実は恐ろしい。それでもカラヴァッジョのこの絵などは刑吏が無表情で構図や明暗の見事さ以外には「痛み」は感じられない。

ところが今回カラヴァッジョ派のバルトロメオ・マンフレディのものが展示してあって、迫力に驚くとともに、そのもととなったカラヴァッジョの別の「茨冠のキリスト」との比較にはっとした。

カラヴァッジョの原画のキリストの「顔」にショックを受けたのだ。

マンフレディのものは諦念があり、イエスがある種の悟りの中でこれから十字架の上で息絶えるまで続く受難やその後の復活のことまで思いをはせているような気もするのだが、カラヴァッジョの方のイエスの顔はそのまま「神性」が顕現している、もう人としての彼はそこにはいないのでは、と思わせる何かがある。

首から肩、胸にかけての流れも陰影も美しく、同じ形を踏襲したマンフレディのそれとは格が違う。

カラヴァッジョはいったい何にインスパイアされたというのだろうか。
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by mariastella | 2015-06-12 06:18 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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