L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 67 )

子供の貧困とル・ナン三兄弟

最近、子供の貧困について雑誌に記事を書いた。

「貧困」が話題になる時、目に浮かぶのはルーヴル美術館に飾られているル・ナン兄弟の『農民の食事』だ。

単に「農民の食事」といっても、この解説の絵を見ると分かると思うが  ここには三種類の階層が描き分けられている。

中央がおそらく農場主で、襟が開いていないのは「労働」をしない人だからだ。

ワインとパンはカトリックの聖餐を思わせる。

分厚いパンは皮が厚いことで中の柔らかさが保てるタイプのもので「金持ち用」と言える。

向かって左の家族は雇いの農業従事者とその妻子だろう。ズボンのひざは破れているがまあ状態のいい服を着て靴も履いている。

右には物乞いと思われる父子がいる。
二人とも裸足だ。

招かれて共に食卓に着いているのだろうが、三グループの社会的立場の差は歴然としている。

まず、左の男にグラスが渡されたらしくもう飲み始めている。

主人のグラスの持ち方から見ても、このグラスをこの後で右の物乞いに差し出そうとしているのが分かる。

左の男はひょっとして、物乞いと同じテーブルにつくのを快く思っていないのかもしれない。

他のグラスがない所を見ると、食事を共にするというより、農場主が一方的に施している「お恵み」のようにも思える。

それにしてはホスト役のまるで貧しさを恐れるようなおびえた目つきが気になる。

物乞いの父の方は、グラスに手を差し出そうともせず帽子を膝に、うつろな目をしている。

後ろに立つ息子の方は挑戦的な視線をこちらに向けている。

そして、後ろから眺める形の、左の家族の子供の目、大きく開いた彼の眼も、絵の前に立つ人々をじっと見ている。

農場主の後ろでヴァイオリンを手に父の指示を待っているかのような少年は彼の息子なのだろうか。この「招待客」の食事のバックで演奏するように言われて待機しているのだろうか。

各自の思惑がものすごくちぐはぐで、居心地が悪く、それでいて、強烈だ。

都市の貧困が目立つようになり多くの修道会が貧者や病者に施しをしてまわった17世紀半ばにパリの真ん中で暮らしてバロックの宗教画だけでなく社会的なテーマを扱ったル・ナン兄弟は、パリの通りであえぐ貧者を敢えて描かずに、「農民」の姿にそれを託したのだろうか。

明暗や小道具のディティール、表情や視線の描き分けが見事すぎて、「格差」を前にした時に人はどうふるまうべきなのかについていろいろと考えてしまう。
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by mariastella | 2015-04-30 01:52 | アート

ベルタイナの絵を嫌いだという人などいるのだろうか

アレックス・ベルタイナという画家がいる。

トリノの出身でヴェニスの絵などを描いている。なぜかカタカナで検索しても出てこなかったのだけれど、

Alex Bertaina と入れて画像検索すればたくさんの作品を見ることができる。

こういうのとかこういうのとか本当に美しい。

水彩画のような透明感があってまるで感性にまかせてさらさら書いているようだけれど実はばりばりの油絵で、計算尽くしていて、すごく工芸的で、どうやって仕上げていくのかを紹介した動画まである。

この人にまつわるエピソードや心地よい作品群を見ていると、実はなぜだかすごく複雑な気分になる。

ムード・ミュージックを好む人に、なぜフランス・バロック音楽の方がすばらしいのかと自分の考えを語ることはできるのだけれど、ベルタイナの絵を好きだという人には多分何も言えない。

実物を観たことがないので分からないのだけれど、写真だけを見ていても彼が多分「万人受け」することが容易に想像できる。今年は台北のアート展に招かれているそうだが、日本でも受けるような気がする。

インテリアとしてもぴったりの一枚だ。
私には言葉が見つからないのだけれど、大野左紀子さんあたりが言語化したものを読んでみたいなあと思う。

そういえば全然別の話だけれど、さっき知り合いがメールで9歳の天才少女歌手アミラちゃんの動画のリンクを送ってきた。

開いてみたのだけれど、会場を埋め尽くした大人たちが涙を流しているのがしつこく映されているのを見て強烈な違和感を感じた。
確かにあの子供の体、肺活量や声帯などであの声量はすごいし、表現力もあるのだけれど、なぜか感動できなかったのはどうしてだろう。

「わー、すごいね」という返信ができない。
「…」という感じ。

人々が見たい絵を描き、聴きたい歌を歌い、それに制作の秘密とか天才少女とかいう付加価値が加わって立派な商品が生まれるのだろうか。
アイドルを消費し続けるよりはましかもしれないけれど。
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by mariastella | 2015-03-14 03:08 | アート

バルチュス展

バルチュスの遺作『少女とマンドリン』を見ようとパリのギャラリーに行った。

世界一の規模のギャラリーと言われるGagosian Gallery(名前からしてアルメニア系?)のパリ支店というか、さすがに立派で、展示が充実していて解説も親切で、それでもギャラリーだから鑑賞は無料だし満足できるはずなのになんだか落ち着かない空間だった。

落ち着かないと言えばバルチュスの作品を前にしても、いつもながら居心地が悪い。


眠り込んだ少女のポラロイドカメラの連作
まである。

私は1994年のユリイカの「クロソスキーの世界」で「聖女幻想」という記事を書いたことがある。クロソフスキーはバルチュスの実兄だ。クロソフスキーの描く倒錯的な女性に聖女幻想を重ねることは自然だった。

それなのになぜバルチュスの少女像が居心地悪く感じるのだろうか。

今となっては、彼がユダヤ系であることを否認していたこと、バイロン卿と繋がりがあるとして貴族の称号を名につけてこだわっていたことという話などまで、なんだか気になる。
彼の母親がリルケの最後の愛人だったことは有名だが、バルチュスもリルケの友人になった。

母親の父はプロシャのシナゴーグでラビを助ける助祭をしていた。バルチュスはパリ生まれでカトリックの影響は受けているが、無神論者のグループにもいた。彼の子供時代の宗教帰属は何だったのだろう、とそんなことも今は気になる(少なくとも兄のクロソフスキーはカトリック神学を学んでいるし、ベネディクト会やドミニコ会の修道院でも過ごして修道士を目指したことさえある)。

バルチュスは30歳以上も若い日本女性と結婚していつも和服を着せていたという日常が何度もドキュメンタリーになっているので、そういうこともすっきりしない。

ただ、今回見たモンテカルヴェロの風景画の連作は気に入った。岩肌の重なりがまるで地下から押し出てきた骨ばった指のようだ。ウェブで画像が見つからないけれどその中で一点、画面自体が岩肌みたいになっているのがあって、ずっと見ていたいと思った。

おもえば、1994年にクロソフスキーについて書いた時は、クロソフスキーもバルチュスも存命だった。二人とも同じ年、2001年に亡くなっている。今は新しい資料も出ているのでいつかこの2人について「汎ヨーロッパ性と表現の自由」というテーマで書いてみる日がくるかもしれない。
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by mariastella | 2015-02-27 06:35 | アート

カルティエ財団で見るアルタヴァスト・ペレシャン

アルタヴァスト・ペレシャンの短編映画『住民(1970)』をカルティエ財団30年記念展で観た。

モノクロの本源的な力と強靭さと危うさをこれほど味わわせてくれる作品はない。

個体のアップと激しく動く群像が交互に畳みかけられ、光と闇や音と沈黙も含めたモンタージュの完璧な技巧が全面に出ているにも関わらず、情動を揺すぶられる。目に見えている世界の解体や脱構築がこれほど抒情的なのもめずらしい。

8分58秒で「生命」を何度もパターンにまで落とし込んでまた爆発させる手腕は化学実験みたいだ。音も一体となっていて、「プレローマ」の中に引き込まれる。寝椅子に座って鑑賞できるので、視座も変わるし体重の感じ方も変わる。

この映画のオマージュとして構成されたインスタレーションが周りにあり、フランシス・ベーコンなどいかにも、という作品も配されているが、なんといっても、デヴィット・リンチとパティ・スミスの存在感が濃い。

世の中にはこういう強烈な個性とエネルギーを持つ人たちがいて絵も映画も演劇も文学も音楽も何でもこなしてしまうんだなあと感心するが疲れもする。両者とももう60代終わりなのに、ずっと最前線でとんがった活躍をしているというのがすごい。

ペレシャンのオマージュが地下部分で、一階部分は建物全体を素材にした光のインスタレーションとなっていて時々落ちてくる水滴をセンサー付き移動バケツ・ロボットがまわって受けるなど遊びの要素が大きいし、鑑賞者が作品の内側に包まれる形で作品の一部をなしていることの規模が大きいので楽しい。

もともとこの建物は透明性、外と中の境界を取り外すみたいなコンセプトでできていて、通りから前庭を区切る巨大な透明の壁が、ゴシック大聖堂のように建物本体から伸びている梁で支えられているし、あちこちが「丸見え」状態なのだ。今回はその建物の一階の半分の透明の壁に特殊フィルムを貼り付けて「半透明性」の強度が少しずつ移り変わるようになっている。

カルティエ財団現代美術館は、パリの大通りに面したところにあるのに、「庭」を散策することができるので、規模も性格も趣向も文化も文脈も全く違うのだけれど私にとっては東京の根津美術館と同じ感じの、時々その「場所」に行きたい小美術館だ。
根津美術館の庭はよくできた日本庭園で、あちこちから集められた仏像や灯篭などが配されている。カルティエの庭は、建物の周りを囲んで20年前に設計された小さなものだけれど、いわゆる幾何学的なフランス庭園のコンセプトではなく、生物学的多様性を意識して造られているので、いろいろな珍しい鳥や虫も集まるようになったミクロコスモスになっている。

そこに、シャトーブリアンが1823年に自邸に植えた大きな杉が移植してあったり、言葉遊びの植樹(6本のイチイでdes six ifs= décisif「決定的」)や、現代彫刻がそこかしこにある。

私のお気に入りは、その6本のイチイのそばにあるブロンズ製の大きな倒木で、あまりにもリアルに溶け込んでいる。でもよく見ると、折れた部分に緑色の手の平が刻まれていてそこで雨水を受けて下に流すようになっている(建物に向かって右側。ここを訪れる時はだから日中で雨が降っていない時、でも雨が上って薄日が差してきた頃が一番いいかとも思う)。

ここでは日本のアーティストもよく登場してその中では北野武展に行ったことがあるが、建物自体のコンセプトを生かしたという点では今回のものが一番効果的だったと思う。

ショップには、これまでの展覧会のアーティストを記念する横尾忠則による肖像画作品とともに、『シャルリーエブド』テロで犠牲になったヴォランスキーのデッサン原画16点も展示されていた。アーティストがテロの標的となって殺されたことの意味をあらためて思う。
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by mariastella | 2015-02-25 05:55 | アート

国宝展とウフィツィ美術館展

今年は春に久しぶりに上野の国博に行ったので、秋にも行くことにした。

先の滞在のコンサートの合間には仲間を連れて山種美術館の「輝ける金と銀 ―琳派から加山又造まで―」の展示に行き、行く途中でパパスのダビデ像を見せて驚かせてやった。太田記念美術館で歌川国定展もいっしょに観た。

1人で日本に戻ってから、上野では、評判の高い「日本国宝展」と東京都美術館のウフィツィ美術館展の二つを続けて観た。
国宝展には「祈り、信じる力」という副題があるように、国宝に指定されるような伝統文化美術品は時代の深い所に流れる信仰心と分けては考えられないのだろう。
美術は信仰のひとつの形なのだ。
国宝展の多くのものはその「信仰」が仏教美術の形をとっている。

一方、フィレンツェのウフィツィ美術館の方はもちろんキリスト教、特にローマ・カトリック教会の宗教が色濃いので、両者の差は宗教文化の差としても分かりやすい。

でも、国宝展の方は、私にとって、ベースにある信仰心や文化よりも、モノとして、作品としてのインパクトの方が強かった。
もちろん教科書でしか見たことのない「玉虫厨子」のようなものを身近に見る好奇心の満足もある。
写真で見ても感動したことのない土偶なども、現存2万点のうち選りすぐられた5点が眼前で発するオーラは半端なものではない。それなのに、では記念に写真やグッズを…と思っても、そういう複製の姿になった土偶たちは、再びただの記号に戻ってしまっていて、本物との対面体験がよみがえってこない。写真を通した接触体験の過去の方が深く刻まれ過ぎているからかもしれない。教科書的記号を抜きにしてこれらの土偶の「本物」と今回はじめて出会った人なら、その後で複製を手にしても複製を「依代」にして本物体験を想起できるのかもしれない。

仏像類に関しては、教科書的知識もあるにしろ、もともと子供のころから京都や奈良の神社仏閣めぐりや仏教美術品鑑賞が好きであちこちで「本物」をその「環境」と共に見ることに慣れている。学校で習ったり本で読んだりしたものを訪ねてまわるというのも比較的簡単だった。だからその多くを私は「空気」と共に記憶している。

ところがこの「国宝展」では、それらが本来の場所からもぎ離されて、白日の下に、いや、明るい照明のもとでディティールを間近で見ることができるのだから、「鑑賞」というより「観察」の目になってしまう。
宇治の平等院は何度か訪れていても、長押にかけられている菩薩などを自分の目線で観たことなどもちろんないし、唐招提寺も何度も行ったけれど、脇侍菩薩がこうやって間近に鎮座しているのを見ると、「空気」と隔絶されているせいで、工芸としての凄さに圧倒される。

いつもなら暗い所にいて埃をかぶっているイメージの四天王が一人だけ全身をさらしていることなども新鮮で、「無時制」的な力が生で伝わる。

祈りに置き換えても、「場」のかもしだす祈りではなく、仏像を彫った人々の祈りが伝わるという感じだ。

薬師寺の僧形八幡神座像のうちのひとつも「素晴らしい」の一語に尽きる。
阿弥陀仏来迎の絵の中をびっしりと埋める「奏楽の菩薩」たちにも感銘を受けた。聖母を囲む「奏楽の天使」たちの構図と何か間接的な影響関係があるのだろうか。

フランスのパリの博物館で「国宝展」開催などというものは考えられない。

フランスでは昔からパリが首都で宗教や文化の中心地だったからで、例えばノートルダム大聖堂の「宝物室」の中のものをパリの中でわざわざ外に出して見せる必要はない。もちろん聖堂建築物そのものが中世から続く信仰心やら祈りの波動を刻んでいる。一方、日本の場合は、そういう場所が昔の都である奈良や京都に集中しているわけで、伝統的に脈打つ祈りが美術品としてそのまま残った、とようなものは江戸や東京にはない。だから、祈りの形としての「国宝」は、古都から抽出、運び出して、建物や空気から切り離して展示するしかないのだ。
しかし、わざわざ朝に行ったのに「2時間待ち」には驚いた。パリでは時間枠指定のある前売り券をいつも買っているのでこんなに並ぶなんてはじめてかもしれない。でも子供たちもお年よりもみんな我慢強く並んでいる。
ウフィツィ美術館展でもこんなに並ぶのならあきらめようと思って行ったら、余裕で入れた。
フィレンツェにはなかなか行けないけれど京都や奈良には簡単に行けるのだからウフィツィの方が混んでいるのでは、という私の見立ては日本人的ではなかったらしい。

私にとってはフィレンツェの方がはるかに行きやすいのに、ここ2年ほど行こうと思って計画してはキャンセルしたのでフラストレーションがたまっていた。
で、東京でこの展覧会を見たら少しはガス抜きができるかなあと思ったのだ。

結果は…余計にフィレンツェに行きたくなった。

ここの展示物は完全にフィレンツェという町やルネサンスの空気やメディチ家のエネルギーやキリスト教信仰などと結びついているので、こんな風に切り離されて飾られているのを見ると、もとの「空気」に触れたくてうずうずしてくる。

で、国宝展で格調高い仏像の姿をたっぷり拝観した後で、ここのキリスト教絵画、とくに「聖母子像」の羅列を見ると、厭離穢土で成仏を目指す宗教と、神が人間の女の体を通して受肉したという人間臭い宗教の表現の差にあらためて驚く。

しかも、聖母マリアは14歳で受胎告知されたのだから、聖母子像と言っても、母親であるマリアは10代半ばの少女である。赤ん坊も、普通の赤ん坊の姿だ。ルネサンスのイタリアの女性はやはり若くしてとついで母になるケースが多かっただろうから、モデルもたくさんいたに違いない。「祈り」とか「信仰」とか言っても、目に映るのは少女のような幼い母と赤ん坊の姿だ。

16世紀の日本で最初に宣教師が大名に聖母子像を見せた時に皆がおおいに感動したという意味が何となく分かる。
もともと日本は今に至るまで子供のような少女アイドルが成立するのを見てもそうだが、「幼型成熟」というか「女子供文化」の系譜も根強いので、その視線で見ると、力強い四天王や高貴だが中世的な仏像ではなくて、突然、かわいらしい聖母子像が現れるとそちらの方に夢中になることは十分想像できる。

しかも15世紀の聖母子像はいい保存状態で、明るく、かわいらしく、ほんとは仏像よりこっちの方が日本人の好みのツボにはまるのではないかと思ってしまった。もっとも展示された絵だけではなくそれこそ「フィレンツェ」という付加価値を強調しながら紹介されている上に、神話のテーマの絵もあるからエキゾティシズムがバイアスをかけるかもしれないけれど。

もう一つ面白かったのは、聖母子にプラスしてイエスのはとこに当たる洗礼者ヨハネ(の幼年の姿。彼はイエスより半年ほど年上)がともにいる「マリアと幼児2人」の画像がかなりあったことだ。
今までこういう構図は、ただ、ヨハネが幼いイエスの神性をすでにキャッチして拝んでいるという感じで見ていた。でも、この展覧会で見た彼らの姿があまり人間くさかったので、ついヨハネの母であるエリザベトはどうしたのだろう、と気になった。マリアとは逆でエリザベトは老女とされていて、子供は産めないはずなのに神の恩寵で子供を授かったことになっている。
マリアの夫でイエスの養父のヨセフも年寄りだったということにされているからイエスは若くして父を亡くしたと思われる。ヨハネの老母であるエリザベトも早く亡くなったのかもしれない。

そのせいか、あるいはたんにマリアの方が若くて元気だからヨハネは年の近い再々従弟(はとこ)イエスとよく過ごすことになったのだろうか。どちらの場合でも、イエスはマリアの子供だけれど、ヨハネは年老いた自分の母親よりもずっと若いマリアがまぶしくて、こんなお母さんに守られるイエスを羨ましく思ったかもしれないなあ、ヨハネが聖母子の近くにいるのはイエスを拝むためではなくてマリアに憧れなついたからかもしれないなと、そう思わせるような聖母子とヨハネのスリーショットなのだ。

この子供たち二人共が、後に荒野に出て説教者になったり、30代前半で首を切られたり十字架に釘打たれて殺されたりするとは考えるだけでおそろしいけれど、聖母子プラス幼いヨハネくんの穏やかな姿からはそれを予感させるものがない。

もうすぐクリスマスがやってくる。ひとまずは、子供が無事に生まれてほっとしただろう若い母親の歓びに心を寄せることにしよう。
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by mariastella | 2014-12-08 06:22 | アート

パオロ・ウッチェロの描くドラゴンとプリンセスの不思議な関係

15世紀フィレンツェ生まれの画家で、遠近法で有名なパオロ・ウッチェロに『聖ゲオルギウスの竜退治』(ロンドン/ナショナル・ギャラリー所蔵)というのがある。

これが妙と言えば妙な絵で、ドラゴンに捕らわれているはずのプリンセスがまるでドラゴンをペットみたいにつないでいるように見える。

「ドラゴンに繋がれている」という解説もあるのだけれど、ともかくヒーローが自分を助けに来てくれた感動的シーンで激しい攻撃がなされている最中なのにプリンセスには全く動じた気配がない。

せいぜい「あらあら」という感じだ。

ドラゴンはなかなかの迫力で描かれている。

ウッチェロの画力からしてもどんなにスリリングな光景でも描こうとしたら描けたはずだ。

実際、「聖ジョージとドラゴン」あたりで画像検索したらたくさんの絵が出てくると思うがどれもなかなかドラマティックだ。(一番の変わり種はこれだと思う。)

ともかく、ウッチェロの絵は、構図も色の配分もすごくよくできているのだが、背景の洞窟はからっぽのようだし、地面も不思議な草の生え方だし、ゲオルギウスの頭上の渦巻く雲と言い、ドラゴンの翼の三つの丸い模様があることと言い、すべてが暗号めいている。

ドラゴンが死んだのにプリンセスは鎖を離さないので、ゲルギウスがドラゴンの代わりになって、次に自分を殺して鎖に繋がれる勇士を待つのだと解説する人もいる(Eric Dayre)。

 というか、もし、この人がこう断言していなかったら、実作を見たことがない上に目の悪い私にはとても「プリンセスがドラゴンをつないでいる」、なんてことは言う勇気がない。この人はこの聖ゲルギウスがキリスト教の歴史に対する一つの冒涜とまで言っているユニークな人なのだ。

彼の説には私には腑に落ちない部分もあるのだけれど、まるで「貴婦人と一角獣」みたいなこのプリンセスとドラゴンの不思議な関係の謎が解けない限り、どう対応していいか分からない。
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by mariastella | 2013-10-14 06:17 | アート

森美術館のLOVE展

8月末に日本に着いた当日の夜にわざわざ足を運んだのが、六本木ヒルズの森美術館10周年記念のLOVE展だった。

ポンピドゥー・センターで見逃した草間彌生のインスタレーションを見たかったからだ。
それには満足した。想像していたトリップ感を確認した気分。

ダリの聖母像もいいし、初音ミクをPC画面以外ではじめて体験した。

でも全体として、このような刺激的なテーマでこれほどのアーティストや作品を集めながら、これほど無意味で陳腐で印象の薄い展覧会になっているのは不思議だった。

こちらの時差ボケのせいかもしれないと思ってカタログを買ってじっくり眺め返し、読み返してみたが、そこにある論考からも陳腐さの理由が伝わってくる。

館長の巻頭論文の大切な部分であるらしいシモーヌ・ヴェイユの「人生とは愛と革命」という出典自体があやしいし、「世界に蔓延する脅威と不幸」の前で、

「いま一度、美を通して『愛』の重要性を問いかける」

という展覧会の趣旨があまりにも紋切り型でつまらない。

センシブルなはずの作家の角田光代さんも、日本で「はじめてキリスト教に触れた人々が」「神の愛という、自分たちの概念にはない言葉の真意を理解した」くらいに愛が普遍的だというのにもひいてしまう。はじめてキリスト教に触れた日本人の多くはその「ご利益」の新鮮さに惹かれたような気がするからだ。

そうかと思うと「愛には悲しみがついてまわる」と言って、そこのところでは仏教的に煩悩として斥けられる妄執としての「愛着」にシフトしているらしい。

それに比べるとカタログの後ろに掲載されている各論の方は整理されていておもしろかった。

愛と美を結びつけるのがそもそも嘘っぽいのかもしれない。

愛と美の共通点は、「有限なもの」を「無限」につなげようとする意思がある時にだけ生まれるような気がする。

そして「有限性」が人間の実存的な不安なら、「愛」とか「美」の追求がなくなることは、ないのだろう。
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by mariastella | 2013-10-03 23:33 | アート

Splendeurs du maniérisme en Flandre フランドル絵画のマニエリスム

フランスのフランドル地方Casselにある県立のLe musée départemental de Flandreで、フランドル派絵画マニエリスムの特別展を見てきた。

平野の続くフランドル地方では小高い丘風のカッセルもMont Cassel と呼ばれて、狭い敷石道をくねくね登っていかなければならない。

フランドルの田舎のうちを売って以来もうずっときていないし、新装なったこの美術館に来るのはもちろん初めてだ。

昨年のリールの「フランドル風景の寓話」展を観た延長だと言える。

シニア料金たった3ユーロと安いが、カタログも音声ガイドも充実、90点以上の作品がテーマごとにうまく配されている。外から見ると小ぶりの美術館なのに中はかなり広い。

内容も期待通りだった。

最近別のところで一五世紀フランドルのロベール・カンパンの『受胎告知』図について書いた。

天使ガブリエルがせっかく「受胎告知」に来ているのに、マリアは謙虚に手を合わせるどころか分厚い本を読むのに集中していて天使の登場をほとんど無視しているように見える図だ。

同じカンパンの『聖母の授乳図』にも、授乳をはじめる聖母の脇に読みかけの本が広げられているのが見える。

聖母の脇の「書物」というのはもちろん聖書、福音書、すなわち幼子イエスのその後の運命を示すアイテムの一つであるのだが、神殿に仕えて書物の研究をしていたというマリアと本が切っても切れない関係にあったというイメージが流布していた時代もあった。

この特別展のPieter Coecke d’Alost(1502-1550)の作品に、『大天使ガブリエルと聖母子』というのがあって、そこではガブリエルが百合の花を赤ん坊イエスに捧げているのだけれど、イエスを膝にのせたマリアは天使のことなど気づいていないかのように足元に広げた本を読んでいる。

本の脇には受難の血を現すサクランボや、イエスが償うことになるアダムの原罪を象徴するリンゴなどが置かれているから、本もお決まりのアイテムとしてそこにあるれていることには違いないのだが、10代で母となったこの早熟な少女が、受胎告知の時からずっと一貫して、本を読むことに熱中していたのだと思うと何かおかしい。

大天使ガブリエルもそんなぶれないマリアにことさら驚くこともなく赤ん坊を見守っている感じである。

この特別展については書いていると長くなるのでまたの機会にするが、もう一つ印象的だったのはMichel Sittow(1469-1525)の最後の審判図である。

この中央の復活のキリストの感じが、私には、なんとなく、アルビのサント・セシルバジリカ聖堂の最後の審判図の失われた中央部を連想させる。

アルビの方は1480年頃の製作とされているから少し古い。

フランドルのものは、地獄で苦しむ人の描き方がアルビのそれよりもずっとユニークだ。

口を開けて恐怖や苦しみに叫んでいる下の人々に混じって、しかめ面で腕を組んで「これは、すなわち、あれかね…」と自問しているような男が一人いるし、よく見れば血の池地獄みたいなところで救いを求めて騒いでいる人たちの中にも、一人温泉にでも使っているようなのんびりした表情の男がいるのだ。

それを見ていると、地獄の苦しみとは「恐怖」の中にだけあるのだなあ、と理解できてしまう。

第一、天国にいる人たちも別に嬉しそうでも幸せそうでもなく、取り澄ましているか陰気な顔をしているかなので、そう羨ましくもない。

さすがにキリストや大天使はのっぺりとした余裕のリラックス顔だけれど。

ほんとうは、キリストの聖母との別れの図などにおけるバロック・ジェスチュエルとマニエリスムの関係について書きたいのだけれど、リンクできる図像がネット上では見つからないので別の機会を待つことにする。
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by mariastella | 2013-08-03 08:42 | アート

ファン・エイクとファビエンヌ・ヴェルディエ

先日の仏教フェスティヴァルの記事でも書いたが、フランス人がフランスで禅僧の格好をしていたりするとなんとなく「どや顔」に見えてしまう。

実際、ジャポニスムの頃からそうだが、日本通とか中国通とかのフランス人は結構尊敬されたりするのだ。

フランス人のスノビズムのツボにはまるらしい。

でも、日本人の目から見ると、つい「どうせ外国人には日本文化の真髄なんて分かるまい」と思いがちだ。自分がどれだけ日本文化の真髄を分かっているかは問わない。(フランス人はその点鷹揚で、日本人がフランスの文化に心酔してフランスでその分野に進出しても喜ぶし本気で尊敬もする。)

そういう偏見のせいか、私には、Fabienne Verdierという画家(書家でもある)のよさが全く理解できない。

彼女は中国で書の名人のところに6ヵ月毎日通って書を届け、ついに弟子入りを許可され、「その代わり10年はかかるぞ」と言われたエピソードを必ず語る。

その10年で老子の精神だとかを体得して禅画風の水墨画や書の名人になったそうだ。

その後でヨーロッパに戻り、今度はヨーロッパ文化のルーツに迫り、水墨の黒白の世界に色彩を取り入れて、西洋画の名作にインスピレーションを受けて東洋の境地に昇華するのを得意としている。

その手続きについて、複雑な分析やら再構成やらのステップを紹介する本も出していて、そこではモデルにする作品の緻密でアカデミックな研究を通してその本質を抽出するテクニックが「どや」とばかりに紹介されているのだ。

その一見知的なアプローチも、フランス人から見ると「ははーっ」と感心される点だ。

けれども、私にはどうしてもその「どや」の部分が分からない。

たとえば、彼女はヤン・ファン・エイクの有名な『ファン・デル・パーレの聖母子』を精密に解析して、そのダイナミックを抽出したとしてこういうものを描いている。

原画(122x157)に劣らぬ大作(180x120)である。

私にとってはこの聖母子像は、ディティールの書き込みのすごさに神が宿っているような感じがするし、登場人物の視線もおもしろい。

この絵の注文主であるファン・デル・パーレという神父が祈りの途中でふと目を上げたら、聖母子と、ファン・デル・パーレの守護聖人である聖戦士ゲオルギウス(聖ジョルジュ)や、所属するブルッヘ聖堂参事会の守護聖人である聖ドナトゥスなどが姿を現すというのがその構成だ。

聖母子の姿が映っている兜をちょいと持ち上げたゲオルギスは、聖母子にファン・デル・パーレを紹介するという格好だが、視線は幼子イエスの方を向いているようないないような曖昧なものだ。

ファン・デル・パーレはまだ全然聖母子の出現を感知していないで、どこを見ているのやら分からない。

ところが、聖母子とドナトゥスはそろってファン・デル・パーレを見ているのだけれど、それが

「何、この人」

という感じのわりとドライな視線なのだ。

極め付けは、幼子イエスの抱いている鳥(聖霊の鳩かと思ったが、嘴が曲がっているので別の鳥なのかもしれない)までが、やはり、

「なんだ、こいつ」

という感じで丸い目を向けていることだ

ファビエンヌ・ヴェルディエはインタビューに答えて、

この聖母は命の息吹でアニマであり智恵の源である、私はファン・エイクの他の聖母子像もすべて詳細に研究した上で、クレーが「描線に夢をみせろ」と言ったように天と地を結ぶ三角形を描いた、これは老子の世界でもある、

などと言っている。

極東の思想とエックハルトやマルグリット・ポレートなどのライン神秘主義者の思想の間で普遍を見出したのだ、とも言う。

その成果がこの三角なのか。

これが、まだ50になったばかりのフランス人の美人画家でなくて、白いひげをたくわえた亡命中国人僧かなんかがフランドル絵画にインスピレーションを得たものがこういう三角に結晶した言っているのなら、はたして私の見方は変わったのだろうか。

正直、よく分からない。
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by mariastella | 2013-05-31 07:32 | アート

黒いロマン派

オルセー美術館でやっている「黒いロマン派――ゴヤからマックス・エルンストまで」という展覧会がもうすぐ終わるのでついに行ってみることにした。

予想を裏切らない、というか予想そのまんまの内容だったので、カタログを買っただけでOKだったような気がしている。

フランクフルトでやった展覧会がパリに来たもので、ドイツ側の集めたものも充実しているし、ビクトリア朝のイギリス的なもの、ドイツの小ロマン派的なもの、フランスのエゾテリックなものやシンボリズムなど、いろいろな流れがたっぷり見られる。

個々の作品はすでにあちこちで見たことのあるものが少なくなかったし、構成・演出としてもあまりインパクトがなかった。

黒いロマン派というのは要するに、蝶よ花よのロマンティックなロマン派でなく、幻想的でも悪魔や背徳や頽廃や倒錯や異教趣味に傾いたものだ。

でも、今の時代に「暗いロマン派」にぞくぞくする人なんているのだろうか。

シンクレティックでオカルティックな流れと19世紀末の文明技術革命への抵抗とペシミズムと貴族趣味が絡み合っているところも、今となっては、ゲームの世界みたいだ。

ゲームがなかった時代には、若者はゴシック・ロマンにも夢幻的な小説も神秘主義にも高踏派にも審美主義にもわくわくさせられてきた。

そんな若者だった過去を持つ自分も、今は、この手の表象を前にして末梢神経的な意味では何も感じない。

18世紀末のサド侯爵の世界からボードレールなどを経て19世紀末のユイスマンスやらリラダンやらバルベイ・ドールヴィリまでの100年間、その間にヨーロッパと植民地に起こったことを20世紀に位置づけて、さらにそれからまた次の100年が経った20世紀の世紀末を自分で体験したことではじめて見えてきた流れというものがある。

カタログの中にあったCôme Fabroという人の「 Le romantsme noir à l’heure symboliste 」という論文に1841年のハイネの『Atta Troll』という詩が引用されていて、そこに、「ピレネー山脈を越えたら1000年遅れている蛮人の世界だ」という意味のことばある。ゴヤのスペインって、そのように見られていたのだ。ナポレオンがイタリアに配慮し、エジプトにも配慮したのにスペインには配慮しなかったのはそういうペースがあったからなのだろうか。

西洋ロマン派というとオリエント趣味などを連想するが、ヨーロッパの内部でも充分にカルチャーショックがあったわけだ。

当時の芸術家にとってはギリシャ神話の女神と、北欧神話の女神と、旧約聖書のヘロデ王の妻と、三人並べればもう、くらくらするようなシンクレティスムである。

ゲーム世界を渉猟してきた今の若者たちの異文化受容キャパシティには及びもつかない。

でもまあ、情報が少なくてタブーの多いほど密度や思い入れは濃くなるものだ。

特にルネサンス以来はアートのテーマというと愛とか美とか徳が追求されていたのに19世紀にはそれががらりと変わった。

愛や美は理性と計算によって生み出す付加価値で、手を加えない自然(や生の人間性)とは残酷なものである。

で、たとえばサディズムも男が女を痛めつけるものから、100年経てば、ゴルゴーン(メドゥーサ)、スフィンクス、エヴァ(アダムとイヴのイヴである)などの「自然=女」が蛇を従えながら男たちの生き血をすすりはじめるものへと変わっていった。

今や、どちらの形も、やれやれ、ミソジニーの両面だなあと思う。

わずかな情報を脳内錬金術ですごいものに変換していた時代と、エゾテリックなものもダークなものもオカルトなものもすべてウェブでテイクアウトできてしまう時代では脳の報酬系の反応が全然違ってくるのも不思議ではない。昔ロマン派が夜の闇の中だけで夢みたものは、今はPCのモニターの中でサーフできるので、むしろ昼間の道端で見かける猫の姿だとか、聞こえてくる鳥の声などの方に新鮮な驚きを誘われる。
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by mariastella | 2013-05-27 01:35 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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