L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 78 )

C'est toujours les autres qui meurent... (Marcel Duchamp)

  冬休みで練習やレッスンがなかったので、久しぶりに美術展などに行った。
 
  アラブ世界研究所のハリリ・コレクション展、ロダン美術館のマチスとロダンの彫刻(特にダンサー像)の比較展、最後にマイヨール美術館で C'est la vie! Vanités --- de pompéi à Damien Hirst という企画展。

 最後のものは完全に私のツボにはまるテーマだ。

 近頃のネオゴシック・ブームというか、若い女の子なんかが髑髏のアクセサリーをつけてるのにはすごく抵抗があった。不健康、不吉、縁起が悪い、というネガティヴ・イメージがある。若い頃はそういうものを偽悪的、挑発的に身につけても、年取ると死の実感やいろいろな記憶が重なって無意識に忌避したくなるのかもしれない。
 実際、アートにおける髑髏のモチーフは、ナチスのホロコースト発見のショック以来、ヨーロッパでは、かなりわだかまりがあったらしい。現実の残酷さの前でのアートの無力感とか、生き残ったすべての者の罪悪感とかがまざっていたようだ。それをねじ伏せて「死」をテーマにするのはピカソのゲルニカのように、かなりの腕力の持ち主の作品か、ユダヤ系アーティストによる告発の意味とか、政治色も免れなかった。
 その髑髏のモチーフが、アーティストの中で親密で深刻になってきたのは1983年の不治の病エイズが同定されて以来だそうだ。アーティストには同性愛者が少なくなく、エイズの犠牲者も多かった。彼らが死の恐怖と共に髑髏をモチーフとしたいろいろな作品が生まれている。その前にも、アンディ・ウォーホールは、死ぬことでスターは、スターになると言っていた。スカルの作品があるし、有名なマリリン・モンローのポートレートも、不吉といえば不吉なベースがある。

 しかし、ゴスロリなんて悪趣味だなあと思うその私は、自分の内部に髑髏を持って生きている。表に出れば「死」の象徴である髑髏は、「生」が中に詰まっていて外を覆っている限り、生の一部なのだ。

 この展示会のタイトルが「セ・ラ・ヴィ(これが人生だ)」というのもまさにそうで、怖いもの見たさで髑髏を眺める人々の目は、それぞれ、あの、髑髏の眼窩の闇におさまっている。
 
 メメント・モーリというのは、中世からルネサンスのお気に入りのテーマで、この展覧会でも、カラヴァジョ(しかしこの聖フランチェスコはあまりにもそこいらのおじさんすぎるなあ)やド・ラ・トゥールを見てると、迫力がある。
 ダミアン・ハーストというのは切断した牛をホルマリン漬けにしたりして「本物の死?」をアートに持ち込んだ人だが、ここでは、ダイヤで作った髑髏と、ハエの死骸で作った髑髏が、両方展示されている。前にTraces du sacré のテーマ展でもハーストの真っ黒なハエを無数に貼り付けた巨大タブローがあって、ムシ嫌いの私には悪夢の世界だった。ダイヤの髑髏(「神への愛のために」)とハエの髑髏(「死の恐怖」)を見ると、ダイヤの方は歯と顎があって笑っているし、ダイヤは富と美と恒久性のシンボルで、ハエの方はまさに死を樹脂で固めた顎なし髑髏で、あるのは暗い眼窩だけ、という感じだ。しかし、どういうわけか、ダイヤのより、ハエの方が、微視的には気味悪いのに、ずっと美しく見える。なぜだろう。

 ここの売店で、カタログといっしょに、Jacques Chessex の 『Le dernier crâne de M.de Sade』を買ってしまった。1814年に死んでシャラントンの墓地に葬られたサドは、1818年に掘り出されて、頭蓋骨がラモン医師の手に渡り、聖遺物のように守られた。そのあたりの話をテーマにした小説だ。面白すぎ。

 ともあれ、こういう展覧会を見てると、「聖なるもの」とアートの関係が無神論からカオスに行くのと似て、両義的であるのがよく分かる。アーティストが時として冒涜的な作品を創るのは、倒錯や侵犯の歓びもあるだろうし、秩序破壊の衝動もあるだろうが、神にとって代わりたい、唯一のクリエーターとして君臨したいという、独我衝動である場合もある。だとしたら、それはキリスト教世界のヴァリエーションだ。人間中心主義の情熱が、神の全知全能を自分に付与することだったりするのと似ている。神という概念がすでに人間の理想を投影したものだったのなら、神を殺してしっかりとフィードバックしたものが無神論や近代だったのかもしれない。
 
 時はすぎる、死ぬことを忘れるな。というメメント・モーリのメッセージは、そのまま、

 fugit hora, memento vivere

 と背中合わせになっている。時は過ぎるから、生きることを忘れるな、というわけで、carpe diem とも即つながる。この記事のタイトルに載せた「死ぬのはいつも自分以外の人」というマルセル・デュシャンの言葉も、そのままエピクロスみたいなものだ。

 今、書いているのは陰謀論と終末論の仕分け方みたいな本なのだが、私の場合、書き始めるころには、脳内ではすでに仕上がっているので、興味の中心は次に移っている。それは音楽の受容における関係性の問題で、特に、日本でのいわゆる「西洋音楽」に対するアカデミズムの謎を解いて、フランス・バロックが実は「西洋アカデミズム」からの突破口だったことを書きたい。西洋クラシック音楽にまつわる言説は、過去には政治の支配、今は金の支配を担保するための権力構造を持っている。「音楽の無神論」では、「偶像崇拝」がいかに権力的であるかに注目して、フランス・バロックやある種の日本の芸能において創る人、聴く人、演奏する人、踊る人が、クロスオーバーしていたことの意味を考えたい。

 で、そのためのシェーマなのだが、これを、美術作品とその受容、鑑賞と批評の世界に置き換えたら、すごーく分りやすいことがわかった。この「セ・ラ・ヴィ」展のようなケースは非常にすっきり分析できる。
 とにかく「西洋アート」と名のつくものは、絵画にしろ音楽にしろ、クリエーターと作品と批評家と受容者の関係が、創造神であるキリスト教の神とその啓示と仲介者である教会と信者との関係の拮抗とセットになって発展、変容してきた。それを踏まえるといろんなことがクリアーになる。
 絵画は分りやすいので、ほんとはまず絵画論で分析してから音楽論に行くべきだが、音楽のエピステーメーについてはすばらしい論考が周りにたくさんあって刺激的なので一度きっちり書いておきたい。

 このシェーマ、すごく単純なのでここにすぐ書きたいくらいのだが、書いてしまうと後止まらないので、また後日。
[PR]
by mariastella | 2010-03-04 21:20 | アート

Kandinsky

 ポンピドーセンターにカンディンスキーの回顧展を観にいった。ミュンヘンの後がこのパリで、その次はNYに行くそうだ。カンディンスキーは革命後のソビエトを逃れてドイツに来て、ドイツ国籍をとったものの、今度はナチス政権のもとで剥奪されてフランス国籍をとってフランスで死んだ。ポンピドーセンターには豊富なコレクションがある。しかも、フランスでの最晩年の作品が、高齢と戦争に関わらず、活き活きと軽やかで明るいものが多いので、少し感動的である。

 私はクレーのバウハウスでの講義録は少し知っているのだが、カンディンスキーの理論派ぶりもなかなかのものである。いろいろな意味でラモーのことも連想して、ある意味、フランス・バロックの精神を持っているなあ、と思った。つまり、ある意味で近代以前であり、しかし、かなり科学的普遍的なものを志向していて、理論と芸術が一体化しているところだ。

 抽象絵画の祖だといわれているくらいだから、アヴァンギャルドで「近代的」だと思われるだろうが、なんだか本質的に貴族的で頭脳的で、それでいて、「宗教的」なのである。

 「西洋」の「近代」は宗教離れが旗印だったので、カンディンスキーの「宗教」色は、「東洋的」だと思われていた。たとえば20世紀初頭のパリなどは、アートの世界などかなり国際的だったわけだが、そして、日本人から見ると、ロシア人のカンディンスキーだろうがスペイン人のピカソだろうがスイス人のクレーだろうが、みんなヨーロッパ人、西洋人に見えてしまうが、一歩中に入ると、「ロシア人=オリエント」というレッテルがはりついていたらしい。それどころか、その頃流行ったアフリカのプリミティヴ・アートのマスクなんかさえ、「オリエント」と言われている。西欧以外はみなオリエントっぽいわけだ。

 カンディンスキーは、モスクワ生まれで、小さい頃から絵も上手かったが、経済学や法学の学位を持ち、ピアノやチェロを弾き、テニスや乗馬もよくした。30歳で、大学教授のポストがあったのを捨ててミュンヘンの画学校に入る。修道院に入るように、俗世間のキャリアを捨ててアートの世界に入ったと言われているのだが、貴族の出の修道者があまり下積みを経験せずに、自分で修道会を創立したり修道院の院長になったりしてしまうように、勉強した後でアカデミーに入れなかったら自分で美学校を創ってしまう。その後も、いろいろ挫折するたびに、親が金を送ってくれて旅行させてくれたり、落ち込むと、離婚していた父が菓子を、母がキャビアを送ってくれたと言うから、何だか基本的に幸せで恵まれた人だったのだ。女性にももてたみたいだし。アトリエでの写真もネクタイをしめてたりして、いつもなかなかダンディだ。金があったから、いつも美術協会やグループを作っては、展覧会も開けたし、理論書も世に出せた。
 24のアパルトマンのある建物を所有していたのを、第一次大戦と革命で48歳にして失い、はじめて金に困るのだが、まあ最後まで、それなりの生活ができた。彼がフェルナン・レジェを評して、「根が健全でそこからアートの力強さと構造とを引き出している」と言った言葉があるが、それはそのまま彼自身に当てはまる気がしないでもない。

 カンディンスキーの一連の作品には、

 Impressions というのと、Improvisations というのと、Compositions という三つのグループがあるのだが、 

 Impressions というのは、ある形、目に見えるものを見て、その直接の印象を描いたもの、
 Improvisations  は、無意識など、内面の事象が突然浮かんでくる印象を描いたもの、
 Compositions  は、外面や内面の事象の最初の印象を自分の中で熟成させ、合理的に、意識的に、意図的に再構成したものである。それは計算に基づいたものではあるが、感情は表出する。

 この再構成というところが、フランス・バロック的なのだが、20世紀のフランスはもうバロック時代ではない。
 19世紀末から問題になっていたのは、芸術のための芸術か、アール・デコのような実用性と関係あるアートかということであるが、カンディンスキー的に言うと、それらの「西洋的」なアートは基本的に無神論的アートであり、自分のオリエント的なものは、スピリチュアルであるという。つまり、魂の表現であり、神という言葉も平気で使う。そのへんも、フランス・バロックの科学主義における理神論などと通低している。

 「西洋」的なものは形と色重視の「メロディー」的なものであり、オリエントは内面重視の通奏低音とかポリフォニーの世界で内面重視だと言っている。

 音楽家は音楽で勝負とか、画家は絵がすべてだとか、クリエーターは作品でのみ自分を最もよく表現し、それについてあげつらうのは批評家や評論家だという場合もあるが、一流の画家や音楽家が膨大なと理論書を出したり、他の作品の批評や分析や、アートの歴史や、社会との関係などまでしっかり論じてくれるのは楽しい。文による表現力も大したもので、白いキャンパスを、生命の源の海のようなものと見なして、そこに色と形を描く時に、描かれて表出したものが自ら形を成そうとして内部から蠢くこととの緊張が生まれるというような言い方も非常におもしろい。これは、何もないのっぺりした空間に外からひとつの凝縮したエネルギーを投げ込むことによって、空間に緊張を生むという、それこそ東洋風の「余白の芸術」とは真逆の考え方である。

 このような理論家が、そのまま、色や形やアートの直感の天才でもあったことは喜ばしい。
 
 実際、具象時代の作品の色と形の美しさは息を呑むほどのものだし、スラブ風の作品もすばらしいものである。Improvisations なんかは、玉石混交だとも思うのだが、理論と経験と芯にある健全さと直感と天才が翼を得て自由の境地に飛んでいるような晩年の作品は、彼に影響を与えたと言われるワグナーだの、彼が抽象絵画を始めたのと同時期に無調性音楽を創始したことで彼と例えられるシェーンベルグだのの音楽よりも、ラモーの音楽をやはり連想させられる。

 個体発生は系統発生を繰り返すと言われるが、現代の「抽象画家」だの「前衛音楽家」だのも、そこに行き着くには、まずクラシカルな勉強や具象や調性の体験や試みを重ねてから「進化」していくのだろうか。鑑賞者はどうだろう。私には無調性音楽は身体性を裏切るように思えるので、抽象絵画とは同列にできない。いや、その性質上、もともと、絵画は、音楽が本来持っているような抽象性を希求して進化したので、メロディだとか、ポリフォニーとか通奏低音だとかいう言葉もよく使われる。クレーやカンディンスキーの絵画技法が極めて数学的や物理学的であることも、比率の学問である音楽に似ている。(彼らはそれに生物学的感性も加えているのだが。)クレーはヴァイオリニストでバッハやモーツアルトが好みだったし、特定の曲の動きを絵画に表現しようと積極的に試みたりしている。カンディンスキーにも楽器のモチーフや音楽モチーフは明らかにあるのだが、もう少し有機的な感じもする。クレーはバウハウスの学生に決して自分の作品の批評はさせなかったそうだが、カンディンスキーは、平気で自分の作品の分析をさせたそうだ。何となく、分る。近代美術の評論をやろうという人にとっては、カンディンスキーの一連の著作が必読書であるというのも、実によく分かる。
 
[PR]
by mariastella | 2009-07-06 07:53 | アート

William Blake

先の記事のアトス山のお宝展と同じPetit Palais でやっていたWilliam Blake展。

 陰影の多い刺繍作品と違って版画系は、立派な画集を手に入れてじっくり見ても、印象は対して変わらない気がする。これまでにさんざん見ているから既視感があるのも当然なのだが。ブレイクは、レリーフ的なテクニックをあみ出し、上からの色づけもしているから、なるほどと思うものもあったが。

 日本にいてはなかなか思いつかないことのひとつに、William Blakeのような人が、フランスではほとんど知られていないことだ。フランスの文化風景に入ってない。ジイドが詩の翻訳をしたし、熱心なファンももちろんいたわけだが、閉じられたサークルだった。日本ではなかなかメジャーでビッグ・ネームだと思うのだが。

 しかし、ブレイク自身は、フランス革命にとても影響を受けたりしている。いや、当時のヨーロッパは大々的に揺さぶられたのだから当然だが、特に彼は革命派だった。ヨーロッパの各国の歴史は共振し拮抗しあっているので、アートの発展や受容もそれとは切り離せない歴史的、心理的な出来事で、時には政治的な出来事であったりさえするのだが(現代では経済原理も大いに働いている)、それを目録的に広くキャッチしている日本の教養人などは、微妙なところが分らない。

 ブレイクは、小さい頃からの幻視者で、霊能者でもあったらしく、版画のテクニックも死んだ弟が夢で教えてくれたと言っている。ロマン派の嚆矢ともいえる表現だが、不安や恐怖を描くと迫力があり、詩作品と同様、精神構造の全体から眺めたくなる人だ。体質的とも言える幻視者や神秘家はいろいろあれど、その人たちのすべてに画や詩の表現能力があるとは限らない。
 ビンゲンのヒルデガルトとか、ウィリアム・ブレイクとか、はっきりと自分を幻視者と自覚し、カミングアウトして、しかも、それを表現する高度な能力がある人が作品を残してくれるというのは、非常に興味深いことである。

 その逆に根っからの芸術家で、表現方法を希求しているうちに次第に幻視者みたいな方向に行ってしまう人のほうは少なくないのだが。

 というよりも、芸術家などというものは、表現できないものを表現するという情熱に焼かれるものだから、そういう「あっちの世界」を向いた人でないとやっていけないんだろうが。

 先の記事で書いたジャン=イーヴ・ルルーの臨死体験に、まず、鳥がカゴから出て飛翔し始めるのだが、やがて、飛翔が鳥から出て行く、という表現があった。実に清冽だ。

 カゴの内部にいる時も、外は見えているのであって、カゴの中にいながら飛翔だけ飛ばすことのできる鳥もいるのだろう。
[PR]
by mariastella | 2009-06-27 03:19 | アート

Le Mont Athos et l'Empire byzantin など

 コンサート類が終わってほっとしたら、Petit Palaisの2つの展覧会が終わりに近づいていたのであわてて出かけた。

 まずは、Le Mont Athos et l'Empire byzantin で、あのアトス山の修道院のお宝の数々を見ることができるというので見逃せない。

 世界中の、行きたい見たいと思うところの中で、行こうと思えば行くことができるのに、後回しにしたり機会を逃している場所は多々あれど、アトス山のように、頭から女人禁制(正確には、髭のない人間は入れないとあるので、要するに「女子供」ダメ、という場所である。で、無毛症の男性が修道士になろうとした時にいろいろ大変だったとギリシャで聞いたことがある)だと言われると、それだけで、ますます行きたくなる場所もある。2005年にエーゲ海クルーズをした時に正教の古い教会はけっこう見ることができたが、やはり、アトス山ほど魅力的なところはない。
 言ってみれば、中国侵入前のラサのポタラ宮殿というイメージかなあ。

 気のせいか会場には女性の姿の方が多い。

 しかし、期待が大きかったせいか、あまり感激しなかった。

 アトス山のようなところは、場のオーラ、伝統とその継承そのものが脈づいているのだから、そこから切り離されたモノが並べられても、そこに「ないもの」の不在ばかり目立つ。

 アトス山には今でも20の修道院があるが、隠者の小屋なども数えれば、400に上るそうで、その中には、「完全におかしい、奇人変人」もいると言われている。展示されている絵の中にも、その様子を描いたものがあり、柱の上で暮らし、吊るした篭に食物を入れてもらう修道士とか、膝で歩く修道士とかライオンに乗っている修道士とかがいる。初期キリスト教の「神の狂人」などと言われた隠者や苦行者のエピソードは数々あリ、何十年も柱の上で暮らしたシメオンなどの聖人も有名だ。でも、何となく、今は、そういう奇矯な苦行者はインドのヨギなんかを連想するのだが、アトス山に行けば本当に今もいるのだろうか。

 アトス山といえば私の好きな Jean-Yves Leloup が最初にアトス山に行った時、炎天下に山を登るのに疲れ果てて、倒れそうになった時のエピソードを思い出す。道半ばで、一人の修道士に出会った。救いを求めようとしたら、その人は、指を口にあてて自分がしゃべることができないことを示した。沈黙の行なのだろう。その修道士は、Jean-Yves Leloup を座らせて、どこかに姿を消した。疲れ果てた彼がぐったりすること1時間半、その修道士が息を切らして戻ってきた。その手には、水の入った錆びた椀があり、彼はそれをJean-Yves Leloupに黙って差し出した。修道士は、その水を調達するために1時間半も炎天下を駆けたのである。
 それを飲んだ時、Jean-Yves Leloupは、もう一生喉が渇くことはないんじゃないかと思ったそうだ。  
 この瞬間に彼は正教徒になったのだろう。

  Jean-Yves Leloup は、元無神論者で、若い時に臨死体験をした後で、神秘家になる。ドミニコ会士になり、神学者になった後で、ギリシャ正教に改宗するのだ。
 臨死体験の後で超能力を獲得したというケースはよく聞くが、臨死体験のあとで回心が起こるというのはありそうでない。

 彼が正教のヘシカズムの体験や、「神化」を語る時、私は、神秘体験についてこれ以上に明晰な説明を読んだことがない。いや、もちろん、ことの性質上、説明はできないのだが、よく分かるのだ。ネットで検索すると、 「ジャン・イヴ・ルルー 著 高橋正行 訳 『アトスからの言葉』 あかし書房 1982 」というのが出てくるのだが、絶版のようで、正教会文献目録みたいなところに入っている。実にもったいない。宗教神秘主義に関心がある人には必読だと思う。この「分りやすさ」は稀有なことだ。

 そのようなアトス山美術品展示の中で気に入ったのは、epitaphios という大きな四角い布で、イエスの磔刑図が刺繍してあるのだが、その精緻さに息を呑む。イエスの髪の毛一筋一筋やそこに流れ込む血や、顔の傷など、色や形やデザインとは別の細密さだけでも圧倒される。絹と金糸銀糸だ。

 このような、偏執狂的ともいうべき細かな作品というのは、いろんな文化に見られはするが、信仰というものはやはり関係するのだろうか。アトス山の修道士が刺繍しているというのは聞いたことがないから、専門のアトリエがあったのだろう。それとも修道女の修道院で作成されたものもあるのだろうか。刺繍作業と苦行と祈りと瞑想はどういう風に連動しているのだろう。

 しかし、epitaphios は正教の典礼に使うものだから、刺繍のアトリエは東西別だったと思われる。

 私は、アトス山の刺繍の布の美しさを忘れないうちに、次の日に、la Manufacture Prelleの展示会に行ってみることにした。ヨーロッパ中の聖母訪問会の刺繍作品を発掘してMoulinsの本部に美術館が作られているが、その一部が今パリで見られるのだ。その見事さを賛美していた記事をさんざん読んでいたので、アトス山の正教世界の刺繍と比べてみよう、と思い立ったのだ。

 すばらしかった。7月下旬ごろまでやっているので今パリにいる人は必見だ。
 しかも無料である。
 宣伝もまったくしていないので、行ってベルを押すと、「何を見てここに来たんですか?」と聞かれる始末だ。

 布で秀逸なのはビロードをGaufrageというテクニックで熱で型押しして、Moiré という効果を出したものである。Moiré というのは日本語で何というのか分らないが、サテンなどで、波型とか、木目の形が一面に入っていて反射する非常に美しいものだ、しかしそれは、遠目だと、光が飛んで、効果がはっきり見えない。それを、ビロードの型押しで表現すると、くっきりした波型になるのである。刺繍とブロシェの違いやいろいろなテクニックも、布の裏側とか見せて教えてくれた。この会場はリヨンの有名な絹織物工房のショールームなのである。

 私があまりにも熱心なので、織物の研究家ですか、と聞かれてしまった。
 いや、むしろ、聖母訪問会の創立者カップルの研究をしたことがあるんです、と答えた。

 余談だが、ここで、はじめて、Moulins の美術館のカタログを買って、フランソワ・ド・サル(サレジオ)の生前の肖像画などを見て、彼の目がおかしいのに気づいた。フランソワ・ド・サルは美丈夫で有名で、イエスに似ているとされ、女性にももてて、ジャンヌ・ド・シャンタルも夢中になったのだから、こんなに左右の目の大きさが違うのは意外だった。福者や聖人になってからの肖像画は普通に描いてあるので気がつかなかったが。その普通に出回っている肖像画を見て、どこが美丈夫なんだろうと思っていたが、アネシィでデスマスクを見たときになるほどハンサムで堂々としてしかもやさしそうだと納得したことがある。でもデスマスクだから目は閉じていた。生前の姿を元にしたと思われる画像には目の異常が認められるものがいくつかあり、銅版画などのせいか、左右が入れ替わっていることもある。それが生来のものだったのか、それとも、晩年のものか、なんだったのか、とても興味がある。彼が言われていたようにハンサムで女性に人気だったこと、その信仰書の書き方、しかしその外見の美のバランスを失ったことがあるのか、関係を知りたい。(知っている方は教えてください。)
 
 聖母訪問会の刺繍作品に戻ろう。時代的には、17世紀以降なので、正教のものより新しいものが多いが、このヴィクトワール広場での展示で光っているのは、それがフランスの文化の粋と連動しているからだろう。
 アトス山の作品が、1900年のネオクラシックなプチパレ美術館とちょっとずれているのに比べて、聖母訪問会の成り立ちから考えても貴族的な趣味と刺繍作品がプレルのショールームにぴったりだ。

 たとえば、1848年革命の時にチュイルリーに会った王家の衣装などが売りに出され、修道女がマリー=アントワネットのドレスを買った。未来のルイ16世が結納品としてオーストリアに送った花柄の布である。それに刺繍やレース編みをほどこして、司教の式服や聖杯カバーに作り変えたりするのだ。

 刺繍も、刺繍効果をねらったブロシェの織りも、みな、基本的にレリーフで奥行きがあるし質感が複雑で、光の反射具合も複雑なので、これらの作品は、実際に見るのと写真で見るのとではすごい差がある。超高級な工芸と言ってしまえばそうなのだが、聖母訪問会には、下図を描く修道女もいたらしく、依頼されたものを機械的に制作していたわけではない。芸術的才能や意匠の才能豊かな集団が思い切り贅沢に作品を仕上げたという感じだ。それを内側を毛羽立てた綿のカバーの中で大切に保存してきたそうで、実に眼福である。展示作品は触れないが、見本の布を触らせてくれる。これもなかなかサンシュエルである。五感で楽しみたい。思わず、

 ここでコンサートとかしないんですか?

 ときいてしまった。

 私はバロックのオペラ・バレーを演奏していて、ダンサーとコンサートしたいんですけど、ここはぴったりだと思って、と。
 
 そしたら、そこの責任者の女性とすっかり気があってしまった。何でも口に出してみるものだ。若い頃ならとてもできなかっただろう。

 ルイ15世時代のオペラだと言うと、ではその頃の布の展示会を同時にやって、それと一緒にというのはどうだと言ってくれた。

 来年の6月初めを考えているのだが、どうなるだろう。あまり広くない空間だが、もともと商売をしているわけではないのでオープニングの出し物として招待者だけ対象でもいいし。全然「民主的」でない手続きだが、「民主的」に何かやろうとすると今や、収支計算ばかりの世の中で、「この不況だからダメ」で終わってしまうのだ。

 せっかく久しぶりにヴィクトワール広場に行ったので、ノートルダム・ド・ヴィクトワールのバジリカに寄った。
 パリで「聖母御出現」のあった2箇所のうちのひとつである。だから、けっこう巡礼者が多く、門の前には物乞いも多い。聖母に願いをきいてもらおうとして(正確には神にとりついでもらおう)やってくる人々は、物乞いに何かやらないとまずい気になるのか、門の扉に、ここの物乞いは一人一日400ユーロ稼いでいて、元締めがいます。何もやらないことをお勧めしますという趣旨の張り紙がしてあった。でも、物乞いの目を避けてそんなものをゆっくり読んでる余裕はなかなかない。

 こういう「ご利益」のある巡礼地には、願いがかなった時に奉納する感謝の大理石の板がチャペルの壁を埋めているのだが、その中に、まだ新しい大き目のがあって2006年とあり、「L'étudiant eut recours à vous, le jeune docteur remercie」(学生がお願いしました。若い博士が感謝します。)と書いてあった。論文執筆中の学生が聖母に祈りに来て、無事博士号を得た後で感謝の Ex voto を奉納したんだろう。

 神学博士? ただの、困った時の神頼みか? なんとなく気持ちは分るので親近感は持つが、こうやって奉納板まで掲げるところを見ると、親がやったのかなあ、でも、博士号に来てまでそんなことするか?この人はバカロレアや修士号の時もこういうことしたんだろうか、と無駄に想像してしまった。



 
[PR]
by mariastella | 2009-06-27 02:43 | アート

酒を飲んで裸になる話

 その人は、泥酔して、全裸になった。

 そうっと服を着せてあげるだけでいいのに、裸を見ただけで、通報した男がいた。

 この男は、裸の男から、子々孫々まで呪われよ、と言われてしまった。

 
 「その人」とは大洪水の後の人類の父(?)ノアである。

 システィナ礼拝堂の天井画の「ノアの泥酔」の場面はいつも私にとって最高に気になるものだった。

 ノアだけでなく、通報者の息子も、服を持ってきた息子たちも、全員裸だからである。

 Michel Masson『La chapelle SIXTINE-La voie NUE』 Ed.Cerf

 http://arts-cultures.cef.fr/livr/livrart/lartx53.htm

 が、これでもかこれでもかと、秘密を解明してくれる。

 まず、聖書によるとノアは、公共の場所で裸になったのではなくて天幕に入って裸になったのに、ルネサンスの絵は場面を田園風景に映す伝統があった。

 しかし、ミケランジェロの絵でのノアの体のポジションから見て、解剖学に精通していたミケランジェロが表現したのは、ノアが実は寝込んでいなくて、意識を保っているということである。その証拠に、ワインの杯もデカンターもちゃんと邪魔にならないように考えて脇に置いてある。

 ここでは、くわしいことを書くつもりはない。

 ノアの泥酔シーンは創世記のエピソードをある意図を持って慎重にパロディ化した再構成なのである。
 そこにはインセストや同性愛の香りもたたえた性的怪物の姿も顕わになる。

 Daniel Arasseの「超解釈」主義を継承したMichel Massonの驚くべき荒業が、すばらしい整合性と説得力を持って展開していくさまは、圧巻である。

 しかも、これほどに、ユニークな解釈をしても、それがヨナを通じて神が伝えたいメッセージであるという啓示的宗教的ディメンションを全く失わないどころか、全体としてはちゃんと信仰告白になっているところも、ヨーロッパのキリスト教美術とその鑑賞の歴史の底力を見せつけられる感がある。

 どんな過激なことを言っても冒涜的にもならないし、美術批評としても成立しているというすごさだ。

 天地創造のシーンで、「白髭の年寄り」の姿の神はクリシェでありパロディであり、真の神の姿は、太陽や月を創造した後で植物創造に向う神の後姿からはみ出して存在を主張する「尻」なのである、なんていう解説も、驚きだが、ミケランジェロが何一つ、偶然や無意味なものを描いていないということは納得できる。

 しかし、システィナの天井画は、ダヴィンチの絵画全作品と比べても圧倒的に情報量が多いから、壮大なストーリーができそうだ。わくわくモノの『システィナ・コード』、書けると思う。
[PR]
by mariastella | 2009-05-13 00:42 | アート

聖なるものの痕跡

 さっきUPした記事の中で、去年のポンピドーセンターでの『Traces du sacré』展のことに触れたのだが、今チェックしたら、このブログの中では触れていなかった。

 人体展との関連もあるので、ここにコピーしておこう。

 

 >現代美術における「聖の痕跡」をたどったポンピドーのテーマ展は、あまりにもフランス的なコンセプトである。

 この21世紀でも、アメリカで、ポーランドで、ロシアで、イタリアで、オーストラリアで、イギリスで、キリスト教の冒涜的なアート作品が、展覧会場で破壊されたり、ギャラリー閉鎖に追い込まれたりしている。日本やフランスにいるとそんなことがぴんと来ない。
 そんなことは、イスラム原理主義の話だと思う。でも、それは、キリスト教原理主義の話でなく、ある種の「善良な人々」の感受性に拒否反応を引き起こすのである。
 
 挑発というのは、拒否反応があるから挑発になるので、フランスでは平和だ。しかも、この展覧会は、モダンとポストモダンの流れにおける無神論的表現とその展開がすごく系統的に紹介されていて、加えて、演出が優れている。

 たとえば、遠近法の変遷のコーナー。
 西洋遠近法では消失点が画面の中にある。イコンの遠近法では、画面の向こうは神の世界で無限だから、消失点は、イコンを見ているこっち側に来る。その違いや、視線の向きによる、上昇遠近法の例を示しつつ、そのコーナーそのものが、遠近法の錯視を利用したつくりになっている。

 美術館の入口に、中国人アーチストの巨大な作品がある。チベットの祈りの法具(真言を書いてある筒をぐるぐる廻すやつだ)の巨大なのが突っ立っている。
 リアルで、サイズだけが巨大なんで、たとえばロン・ミュエックの新生児みたいに、そのサイズの錯誤そのもののインパクトをねらってるのかと思ったら、なんと、思想作品で、宗教が肥大化して権力的になる倒錯を告発したのだそうだ。ダライラマの政教一致の批判である。

 でも、一昔前までは、信教の自由も何も、チベットには他の宗教の情報がなかったんで、自由が迫害されてたわけではない。亡命後、外の世界を見たダライラマは率先して、民主主義体制を準備しようとしてるくらいだ。
 ま、このアーチストもその後、中国当局に追われる身だそうだけどね。こういうナンセンスも、まあ、チベットびいきのフランスだからこういうテーマ展でドンと出してもイデオロギー性が相対化されていいのかも。

 フランスに何十年もいるアングロサクソンの友人は、この展覧会は理解できないみたいで、忌避反応を示している。フランス的な感覚というのは、そう簡単にアシミレートできないのかもしれない。

 まあ、本当のテーマは、長いこと宗教組織が超越を管理してきて、それが否定された後に、では、芸術が超越を啓示できるのか、っていうことなのだが、アーティストっていうのは、別に教会やら司祭に代わって神降ろしをしようとしたのではなく、自分が神になろうとしているのである。クリエートということはそういうことで、そういう意味ではいつも冒涜の香りがする。 <

 以上である。

 本当に書きたいのは、アートの変遷と無神論と西洋近代がどう関わっているかということである。

 人やアーチストが自分で神や司祭に「なりたい」と思うのは、一種の「召命」である。
 よくないのは、自分に合わせて自分の都合で「偽の神」をでっちあげたり、「偽の神」の司祭を演じることなのだ。
[PR]
by mariastella | 2009-05-07 22:15 | アート

我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか

 名古屋モノその2

 教科書に載ってるような有名美術作品で、本物を見ると以外に小さいので驚くという代表にダヴィンチのモナリザがあると言われるが、ゴーギャンの『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』もその一つだろう。

 私は昔はゴーギャンに何も感ずるところがなかった。なんか平板なタヒチの光景、という認識と、ゴッホから切った耳を贈られた男というスキャンダラスなイメージはあったが。

 ゴーギャンが好きになったのは、1891年の『IA ORANA MARIA』という聖母子の絵を見てからだ。
 マドンナは、緋い色のパレオを腰につけ、左手に天使がひざまずき、女たちが拝みにやってくる。

 ところが、その聖母の方に乗る幼子は、青黒く、首の据わらない重度障害児であるという解説を読んだ。
 首が真横に倒れ視線の定まらないそんな子供を抱えたマリアの表情は実に生き生きとして、自然だ。

 肩の上のイエスはかわいらしい子供ではなく、すでに30年後に十字架上で残酷な殺され方をしてがくっと頭を垂れる姿の先取りだとも言える。しかし、マリアは、そんな変わり果てた我が子の姿を見て嘆くピエタ像の嘆きのマリアではない。実に平然としている。

 悟りというのはいかなる場合でも平気で死ぬことなのではなくて、いかなる場合にも平気で生きていることであると、正岡子規が言っていたが、この聖母子像はまさにそういうことを気づかせてくれる。

 色も明るく暖かく、見ているだけで幸せだ。配色の天才、構図の天才である。

 で、それ以来、私はゴーギャンの畢生の大作と言われる『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』(1897-98)を見れば、何か大発見があるに違いないと期待していたのだ。

 この作品はボストン美術館にある。ところがちょうど、今回、名古屋ボストン美術館で公開されていた。

 意外と小さい。

 意外と暗い。

 『IA ORANA MARIA』で見られるマリアのパレオの赤は、この作品では中央右よりの赤い実や左下でそれを食べる子供の持つ実、左端下の鳥のくちばしなどに散見されるだけ。

 名古屋造形大の学生たちが黒白処理した記念作品では右下の赤ちゃんの腰布も赤かったが、その方がなんだか説得力がある。

 この展覧会にも一つ聖母子画があって、『IA ORANA MARIA』と同じモチーフだ。

 木彫レリーフ作品もあり、それを見ていると、ゴーギャンって、彩色の天才とはいえ、版画やレリーフや彫刻の方が合ってるんじゃないかと思えてくる。今でもインドネシアあたりで彫られるちょっと前衛的な仏像の顔などと明らかに親和性があるし。
 屏風絵などとも似ている。背景の処理、左右端上のメタリックな黄色の使い方、左の水面、時系列と空間が波のように干渉しあう画面。

 ゴーギャンってデンマーク女性と結婚していた。子供もいる。
 波乱にとんだ彼の人生を考えると、感慨深い。

 期待していたような衝撃の出会いはなかったが、なんだかしみじみとさせられてしまった。

 
[PR]
by mariastella | 2009-04-30 16:23 | アート

ジム・ランビーのUnknown Pleasures

 原美術館にジム・ランビーのEXPOを見に行った。

 こういう元私邸の小ぶりの美術館を全部一人のアーチストに任せるという企画は、ランビーのように、床にテープを張っていくザ・ストロークスという作品にはうってつけだ、錯視効果の他に、廊下も階段も部屋の床もドアの向こうもみんな一続きになる。それが彼のねらっているところでもあって、そういうフローなイメージは、光や音や水のメタファーなのである。そこに、各種星座型に配したドアノブとか、鏡効果とかで、宇宙的テイストを入れて、レコードボックスにコンクリートを流した立方体をさまざまに切って床に配することで、枯山水の石のように、床のそこに沈んでいくような、あるいは浮かんでいるような効果を与えている。

 ジム・ランビーはミュージシャンでもあり、この作品では、各部屋を巡る人々にいかに音楽を喚起するかというのを目指したらしく、ポスターのコラージュ作品の中のミュージシャン、レコードジャケットの背などでリードし、ブルースの部屋にはブルーのペンキで塗ったドアを配するとか、要するに「共感覚」的工夫を凝らしている。
 
 それが成功しているかどうかは別で、私には音楽はキャッチできなかったが、全体の有機的な感じは好きだ。枯山水のような箱庭宇宙を俯瞰するというよりは、皮膚のような床を歩いて有機物の胎内にいる感じだ。

 おもしろいのは、元ダイニングルームだった部屋には長いテーブル画あるべきスペースに、ペイントした椅子の破片を連ねて列車のように重ねていたり、階上の寝室に向かう階段の壁にベッドのマットレスが掛けてあったり、みっつの寝室にはポスター作品があり、「家の記憶」みたいなものと呼応するようにつくっているところで、庭園の借景や邸内のカーブした空間にインスパイアされている。

 その意味で、直島の民家プロジェクトとすごくよく似ている。

 この展覧会でランビーの使った椅子などはグラスゴー周辺のジャンクショップで集めてきたらしい。
 彼に直島の民家を一軒まかせれば、直島の流木や民具をペイントして座敷ダイニング風にするだろうし、ザ・ストロークスもどのように変化するのか、ドアがふすまペイントになるのか、と、非常に興味がある。

 直島は空の色、海の匂い、湿気、空気も、独特だから、さぞや面白いハイブリッドなものができるだろう。
 ランビー自身も、自分の作品は鑑賞者のリアクションによって完成すると言っているが、インスタレーション・アートでありながら、その「場」を超えて、他の場への想像をどんどん広げていけるという意味では、成功している。
[PR]
by mariastella | 2009-04-20 12:02 | アート

キリコのバナナ

 私がセザンヌのリンゴをすごいなあ、と思ったのは、学生時代にメルロ=ポンティの文章を通してだった。セザンヌのリンゴの「本物」を見たのがメルロ=ポンティの文章よりも先だったか後だったかはもう覚えていない。しかし、セザンヌのリンゴの絵と言えば、小中学校の美術の教科書にも載っている。そのリンゴには、何の感動もしなかった。写真を見て別に感動も感心もできない、好き嫌いの感情も湧かないという点ではモンドリアンと双璧だった。

 その後では、セザンヌの「本物」を何度見ても、もはやメルロ=ポンティの視点抜きには見ることができない。

 しかし、キリコのバナナは、ひと目で気に入った。

 どのくらい気に入ったかと言うと、自分が死ぬ時に、『モンパルナスの駅-出発の憂鬱』のオリジナルが死の床にあればいいなあ、と思うくらいだ。

 眠る時に見るのはよくないかもしれない。起きる意欲をそがれるかもしれない。

 http://www.jacquesvlemaire.be/blog/tag/chirico

 今検索してみたら上記のブログにこの絵も載っていたので、見たい人はどうぞ。もっともNYのMoMaにある有名な作品なんで、知っている人も多いと思う。

 といっても、キリコの描く他の果物は今ひとつである。製図用具とか工場の魅力に負けている。

 上のブログ(画家)の書いたものを読んで、私は今回(パリの近代美術館での回顧展)、キリコの模写についてまったく別の解釈を得たことを確信した。

 天才画家が長生きして、多作してくれることは、本当に有難い。人間の思考の過程というものがよく分かる。キリコが1920年代に死んでいたら、それでも、形而上絵画とかシュールレアリズムの絵画の代表者として美術史に名を残した天才であったろうが、その「謎」は残ったと思う。

 夭逝したアーティストが残した作品を見たり聴いたりすると、この人は本当に、ちょうどこの作品を残すのに充分な時間だけを生きてくれたんだなあ、と感動することがあるし、「生き急いだ」という感じや「迫り来る死への予感」というものがますます天才に霊感を与えたんだろうか、などとロマンティックに考えたくなるが、モーツアルトやシューベルトやモディリアニがもっと長生きしていたら、私たちは絶対にもっと豊かな創造の秘密を探る鍵をもらうことができたはずだと思う。

 去年、ヴラマンクの回顧展にフランスと日本の両方で行った時にもすごく複雑な思いをした。フランスでの展示は、第一次大戦の時期どまりだった。
ヨーロッパにおける第一次大戦というものの傷は深くて、戦後の「復興」のための秩序回復のプレッシャーがあまりにも大きかったので、凡百のアーティストたちには打撃だった。
 ヴラマンクはけっこう長生きした。(1876-1958、82歳。キリコが1888-1978で90歳なのでけっこう重なる)

 キリコは、人間性が爆発しないとアートは生まれない、と言った。
 岡本太郎も芸術は爆発だと言った。

 爆発しない人は、どんなにテクニックがあっても芸術家ではない。
 
 たとえば美術学校に進もうかというような人は、たいてい、絵を描くのが好きで、「上手」である。学校でテクニックを身をつけて、ますます上手になる。しかし、99%の人は、多分、爆発しない。爆発できるかどうか、それはもう、体質みたいなものなのである。

 ところが、テクニックがないのに爆発する人というのも、少数ながらいる。

 ヴラマンクだ。

 爆発するから、彼の作品には彼の爆音やら噴出物が跡を残している。
 彼はゴッホを見るとゴッホ風の画風になり、セザンヌを見るとセザンヌ風になった。スタイルはどんどん変わって、節操がないようにも見えるが、何を描いてもヴラマンク火山の溶岩跡はある。

 日本の展示会では、晩年の絵まで揃えてあった。
 継続は力なり、と感心するくらい、だんだん「上手」になったのが分る。

 私はヴラマンクに興味があった。
 彼はヴァイオリニストでもあり、競輪選手でもあり、アフリカン・アートを発見したりして、非常に多才な時代の寵児であったのに、テクニックもなければ天才でもなかったからだ。
 日本の展示会のあった西新宿の美術館で、ヴラマンクの展示場を出ると、常設展示の絵があった。セザンヌとゴッホの「本物」があるのが皮肉である。
 「本家」を見ると、ヴラマンクの力の限界が分る。

 でも、ヴラマンクには、文才があった。彼の書いたものを読むのは非常におもしろい。
彼が西洋美術史に名を残したのは、フォーヴィズムというレッテルをもらったからである。彼はそれをよく知っていた。第一次大戦以降の彼は、2流のアーティストでしかない。しかし、フォーヴィズムの懐古展がある度に引っ張りだされた。その価値もわきまえていた。
 過去の遺産で食っているようなところがあり、しかし多才で自己演出能力もビジネス能力も長けていた。

 そこで、ちょっとパセティックな出会いがある。

 日本では有名な、佐伯祐三との出会いである。

 佐伯祐三は、東京美術学校を卒業した1923年、パリに渡って、当時の有名人であった「野獣派(フォーヴィズム)の巨匠」ヴラマンクのうちを訊ね、自分の絵を見せたところ、「このアカデミックめ!」と 一喝をされ大ショックを受けて、以後パリ郊外に激しい心情表現を求めて彷徨した。いったん帰国はしたが、結局5年後、パリ郊外で、僅か30歳で客死する。

 何で、わざわざヴラマンクを選んで会いに行ったのかなあ。

 佐伯祐三、1923年の時点で、明らかにヴラマンクよりうまい。 
 ヴラマンクがアカデミックでなかったのは事実だけど、下手で、下手なりに苦しんでいたと思う。といっても、何しろ「爆発」する人だから、あまり苦しむことはなかったのかもしれないが。後年、それでも、だんだんとテクニックを獲得したし、それを崩すということはしなかった。それが彼の初期の野性味を消したともいえる。
 アカデミックな優れたテクニックというのは、それを「すでに」持っている人が、それによって爆発を邪魔されないように、それをいかに回避するか、崩していくかというところに味があるものである。

 佐伯祐三が、1923年のパリに来て、ヴラマンクという、かなり異形の人と出会ったのは、皮肉だ。佐伯、25歳、5年後に結核で死ぬくらいの蒲柳の質、自画像を見てもひょろひょろである。フランス語も不自由だったろう。対して47歳の有名人のヴラマンクはその自画像そのままの、いかつい四角顔の威圧的な偉丈夫である。声も大きそうだ。ひょっとして、佐伯の絵の上手さに感心して「何たるアカデミズムだ」と感嘆の声を上げただけだったのかもしれない。

 しかし、佐伯はともかくも、そのショックを糧にして、自らのアカデミズムを矯めながら、優れた作品を残した。明らかにヴラマンクのよりも上等だ。しかし、30歳で死んだのだから、彼がもし長生きしていたら、その「噴火」歴はどのようになっていたんだろう。夭逝が残念だ。

 話をキリコに戻そう。

 キリコは、20世紀はじめのフランス画壇で、誰の系譜にも属さない完璧にオリジナルで個性的な存在として登場した。彼とアポリネールらとの出会いなくしてはシュールレアリズムは生まれなかった。それほどに、シュールレアリズムにはっきりとした形を与えた。同時期のイタリアの未来派などが、理念は威勢が良かった割りにこれと言った総合的な足跡を残さなかったのと比べてもよく分かる。

 キリコはそれくらいにシュールレアリズムの寵児だったのに、パリにそれほど長く留まらなかったし、その後、「クラシシズムへの回帰」という道を歩んだ。
 過去の巨匠の絵画を模写しまくり、自画像の連作でテクニックとスタイルを模索し、最後は、自分の初期作品まで模写したり、パロディやらヴァリエーションを多作した。アンドレ・ブルトンなどに「キリコは死んだ」と言われるくらい、シュールレアリストたちからはキリコの「転向」は裏切りに見えた。

 彼の作品は相変わらず美術史に孤高の座を占めているから、批評家たちもあせった。インスピレーションがなくなったのだ、とか、芸術家としての自殺とか、自滅とか言われたが、全体としては、キリコは初期の作品だけを語ればいいんだ、というような回避が行われた。初期の有名な自作の模写やヴァリエーションの濫作については、単に「金が必要だったから」と見る人もあるし、当時すでに彼の「贋作」が市場に出回っていたので、それに怒った彼が、自らコピーを大量に出すことで、美術市場のシステムそのものを揶揄し挑発したのだという人もいる。
 彼のやり方をただ一人賞賛したのはかのアンディ・ウォーホールだけだった。コピー・アート、ポップ・アートを切り開いた男には別のものが見えたのだろう。

 確かに、後の「転向」がどんなものであれ、1920年代頃までの彼の形而上絵画シリーズの孤高な強靭さというものの放つ力は圧倒的で、今も色褪せない。
 直視すると強烈に目を眩ますのに、決して暖めてはくれない、真冬の太陽のようである。

 このキリコの天才ぶりを見せつけられると、彼が、晩年にスランプに陥ったとか、過去の遺産で食いつないだなどとは到底思えない。

 そして、キリコの模写した大量の名作群(ミケランジェロ、ラファエロ、ルーベンス、ティティアン、ヴァン・ダイク・・・・)を見ると分るが、彼にはテクニックというものへの情熱があり、巨匠の絵画の秘密を探る必要があったようだ。

 キリコは早くから画の才能があり、少年時代にアテネで画学校に通い、青年時代にはミュンヘンで美術学校に通っている。
 つまり、もともと、古典的な画のテクニックも素養も身につけていた。
 「アカデミック」だった。

 真のアーティストであった。
 つまり、「爆発」もした。

 しかし、何が彼の起爆剤だったかと言えば、それは、ヴラマンクのような精力あふれるエネルギーのほとばしりに促される「体質」ではなかった、と思う。

 彼を爆発させたのは、哲学であった。

 しかも、ニーチェである。

 グレコ・ロマンの神話的環境にいたキリコは、ドイツにやってきて、アルノルド・ボックリンの絵画とニーチェの哲学に強い影響を受ける。

 その本質はなんだったかと言うと、

ひと言で言うと、Anthropocentrisme =人間中心主義の終焉である。

 Anthropocentrisme は、もともと非常にキリスト教的な考え方である。キリスト教がアリストテレス的に補強されてなお、それが確固としたものになった。

 キリスト教から離れた西洋近代は、Anthropocentrisme からは脱皮していない。というより、Anthropocentrismeにおいて、西洋近代は、キリスト教の進化形である。西洋近代というと、中世の蒙昧が啓かれて科学主義が生まれた、かのような対立を想像するするかもしれないが、西洋キリスト教の帰結が西洋近代なので、サルトルが「実存主義はユマニズムである」と断言するのも同じようなものである。西洋近代における「無神論」というのは、キリスト教の兄弟みたいなものなのだ。
 このへんをじっくり語ると、一冊の本になってしまう。(実際それを用意しているのだが)
 ところが、真の意味で、西洋キリスト教的世界をくつがえした人が出てきて、その一人がニーチェである。
 
 キリコの絵はいつも「夢」の世界に例えられるし、シュールレアリズムの関係から、詩の世界=ポエジーとも関連づけられる。
 リアリティやロジックがない。現実世界の約束事が消えて、意識化の世界、またはメタフィジカルな真実が見えてくる、と言った風に。

 確かに、たとえばキリコが1920年で夭逝してその後の作品を残さなかったとしたら、それはそれであたっていたかもしれない。

 でも、晩年までに至る彼の作品群を見ていると、私には別のことが見えてくる。

 彼の形而上絵画は、人間の喪失である。ニヒリズムの表現である。
 そして、ニヒリズムの極北(の一つ)は、実は、Solispisme なのである。

 キリコの晩年の、自作のコピーとヴァリエーションの中で、生きた人間の姿が少しずつ現れてきたり、繰り返して自画像が描かれるのは、Solipsisteとしての彼の表現である。

 彼は、有神論に戻ったわけでもなく、古典主義に回帰したのでもなく、ニヒリズムからSolispisme へと展開したのである。
 だから彼には怖いものはもうない。彼こそが、唯一の創造者なのだから。
 彼の絵画の中に戻ってきたのは、「人間一般」ではない。「彼」ただ一人なのである。
 彼が風景を描こうと、古代世界を描こうと、それは彼の創造物であり彼自身なのである。

 以上は私の仮説である。

 私は最近、Solipsisme  について考えていた。

 無神論とは別である。
 異才中の異才、チェコのソリプシスト哲学者がいる。(彼については稿を改めて書こう)

 その哲学者(文学者でもある)の世界と出会い、のめりこみ、一生を捧げている女性と、最近話した。

 ソリプシスムとは、無神論の一表現、無神論の鬼子ではないかと私が言ったら、彼女は、「いや、究極の有神論だ」と答えた。

 ソリプシストにとっては、存在するのは自分だけであり、自分=神であるのだから。
 「神=万物の創造者」という概念のない文化においては、彼女の意味するソリプシストは生まれないのではないだろうか。
 
 その女性、エリカと出会うまで、私はこのことを深く考えたことはなかった。

 いや、一度だけある。
 数年前にシュミットの小説『エゴイスト・サークル』を読んだ時だけだ。
 その時、私は次のような読後感を残している。

 「 シュミットは本当にユニークだ。発想がいろいろあって、スキルも幅広く、ちょっと嫉妬する。この本は、世界が自分の意識の中にだけ存在しているのではないか、夢から覚めると夢が霧消するように、自分が死ねば世界も消えるのではないか、という、誰でも一度は考えたことのある(?)世界観を哲学とした18世紀の奇妙な男を、ある歴史学者が調べていくというミステリー仕立ての話だ。

 私が最初にこの手の妄想にふけったのは、高1のときに兄にヘーゲルの解説をしてもらったときだ。世界が自分の脳内産物かもしれないって思うのは、まだ世界が未知でおとなしくて、世界から攻撃を受けていない若者にとっては魅力的なのだろう。

 私が死ねば全てがなくなる。私は何も失わない、と思えるのは、ちょっとした禁断の安心感を与えてくれた。何が禁断かというと、やはり、世界と他者を自分の道連れにすることの後ろめたさがあったのだと思う。
 
 今となっては、私がこの世の創造主だとしたら、あれもこれも失敗だらけ、創造の責任は誰かに押しつけたほうが楽だ。

 シュミット のこの本のユニークなところは、裏側から見た神学、裏側から見た無神論っていうか、神の視点がよくわかるところで、一神教の素養のない文化にいた私のような高校生には、理由のない全能感にくらくらしても、創造主の孤独というものについては思いが至らなかった。

 創造主である神と世界との関係は、不思議で悲痛だ。それは、全ての人の、自分と自分以外の世界との関係と似ている。
 近頃、自己愛が強すぎて、万能感があり、世間とうまく折り合えない人間の挫折や逃避による欝症状とか引きこもりなどが話題になっている。俺様キングダム、俺様教という言葉もある。

 全てを創造し、全てを超えている。ふと見たら、その全てが固有の「自由」を行使して好き勝手をやっている。造物主や俺様は、なすすべがない。修復するには、なぜだか、絶えず創造主である自分を犠牲に捧げなくてはならない。汚れ、醜くなり、痛み、叫びたくなる。

 結局、世界から疎外された俺様や神の居場所は、逆説的に「今ここ」にしかない。超越することは時空の関係性を失うことだから。そしてそのたった一つの実在である俺様や神の「今-ここ-自分」は、死によって断たれるのだ。

 この恐怖から逃れるためには、やはり、自分ではない他者としての造物主が必要なのかもしれない。自分自身が「超越」だと、絶対孤独だ。神が「だめもと」で世界を創造してしまうのも無理はない。人間の方も、たとえ自由を制限されても、いろんなコミュニティと自我を混同させて自己愛とか家族愛とか愛国とか言って、世界や死との対決をごまかしているんだろう。」


 以上のような感想だけが、私が過去にこのテーマについて考えたことのほとんどすべてだった。シュミットのこの本には、ソリプシストという言葉は使われておらず、エゴイスト、またはAutomonophileという味のある呼ばれ方だった。

 今の私がのめりこみそうになっているそのチェコの哲学者についても、Egosolisteと形容している批評があった。
 日本語で、独我論、唯我論、と言った時には、なんだか「梵我一如」の感じで、「我=創造主=神」とは必ずしも行き着かないので、やはりこの場合は「キリスト教無神論」と親和性があるのだ。

 エリカは、彼のほとんど唯一の本格的研究者で発見者(この哲学者の本はチェコで禁止されていたので、冷戦後に彼女がチェコで全集を出版した)で翻訳者(フランス語で読める。エリカはアメリカ人だが、彼の本は絶対に英語のような雑な言葉には訳せないと言い切る)である。彼女にとっては、ソリプシストという言葉しかない。
 私ははじめて彼女の話を聞いたときに、シュミットとヘーゲルの話をしてしまった。今から思うと、せめてデカルトとかニーチェとかショーペンハウエルとかウィトゲンシュタインとかの名を出せばよかったのだが、上記のような感想文が頭の隅にあったからだ。彼女は、ヘーゲルは的が外れているので取り合わなかったが、シュミットはさすがに読んでいて、「いや、あの本はtragique(悲惨) だから」と言った。

 エリカにとって、もっとも大切なのは、「不条理の美しさ」である。

 彼女を通した彼との出会いは、私にとって、斎藤磯雄を通したリラダンとの出会いみたいなものだ。それぞれ両者の関係には、孤高と情熱が入り混じっている。
 私が斎藤磯雄さんと話したり多少の手紙をやり取りした時は、20歳そこそこの女子学生であり、今思うと、大人が全人生をかけて一人の作家に思い入れをすることの凄みというものが、分るようで分らなかった。
 その後、いろんな分野でいろんな出会いをしたけれど、触れれば切り裂かれるばかりの、エリカのような激越な魂を近くで見たのははじめてだ。

 しかも、情熱、と書いたが、エリカも、暖めることを拒否する真冬の太陽である。キリコの黒い太陽、とも通じる。
 私が、この先どの程度エリカの太陽に冷たく焼かれることになるのか、まだ見当がつかない。

 しかし、エリカと彼女のソリプシスムの美学の陶酔と出会っていなければ、キリコの「転向」の意味の仮説が生まれなかったのは確かだ。

 キリコの「転向」の謎は、実際、今でも謎なのであり、それを彼の形而上学の表現(ニヒリスムがソリプシスムに至る)だと読み解く人は誰もいない。

 逆に、今の段階でキリコの回顧展を見たからこそ、私は、ソリプシストを無神論の系譜にどう位置づけるのかについて、啓示を得たような気がする。

 後は、いわゆる「狂気」との関係がある。ニヒリズムの極北には狂気もあるし、ソリプシスムもあり、ソリプシスムの極北にも当然、狂気がある。

 ある種の宗教神秘体験なども、ほとんどニヒリズムやソリプシスムの鏡像と言ってもいい様子を呈することがある。

 無我、忘我、没我、なんていうのが、独我、唯我と非常に近いのはスリリングだ。

 ニヒリズムからソリプシスムに到達した後でも、狂気からも免れ、神秘家にもならずにすむ方法の一つ。

 絵を描くこと。アートで爆発してビッグバンの一押しのシミュレーションをすること。

 キリコのバナナを見て、そう思う。
[PR]
by mariastella | 2009-03-08 01:54 | アート

ふたたびアートと宗教

 アート批評と宗教、アート鑑賞と宗教の関係を引き続き考えている。

 もちろん、いわゆる宗教芸術の批評や鑑賞についてである。

 ジュリアン・バーンズの本に、クラシックのミサ曲のコンサートに一緒に行った友人から、「君はコンサートの間に何度、復活のイエスのことを考えたかね」と聞かれて驚いたというエピソードがある。バーンズは「一度も」と答えた。
 普通の日本人がバッハのマタイ受難曲を聞いて、どの部分でどの程度、救世主イエスのことを思い浮かべたかと聞かれるようなものだ。

 バーンズのこの友人は、牧師の息子だった。
 バーンズは、この友人に、同じ問いを返した。

 「君はコンサートの間に何度、復活のイエスのことを考えたかね」

 「たえまなく」

 と友人は答えた。

 バーンズは驚いて、それまでの長い付き合いで一度も考え付かなかったような質問を友人にする。
 
 「君は、いったい、どの程度、信者なんだね」 と。

 友人の答え。

 「信じてないよ、いや、全く、信じていない。」

  この後、バーンズは、キリスト教美術の鑑賞とキリスト教教義の関係についても考える。
 彼は教会美術が好きで教養も深い。しかし「信者」ではない。

  大聖堂で、すばらしい聖母子像や磔刑図や昇天図に心を奪われる時、では、実際に、この画が描かれた中世にこれを仰ぎ見た人々の心はどうだったんだろう。この画の世界が「真実」だと信じていた人々の心は?
 また、この先何世紀か経って、キリスト教がこの世から姿を消してしまって、画の意味を全く知らない人がこれらを見たときは?

 彼は、発掘された古代の神像を見たときの自分の感動を想起する。
 その宗教については、もう何も分かっていない。
 女神像が埋葬の副葬品で、人の目に触れさせるために作られたのでないことは分っている。

 博物館では垂直に立てられているが、発掘された時は横に並べられていた。
 その乳白色の色がフェルメールを思わせ、神秘的であるが、おそらく元は極彩色であったことも分っている。

 そういえば奈良の東大寺の大仏殿の建立当時の様子を、ヴァーチャルにデジタル復元した人の本を最近読んだ。大仏が全身金箔なのはもちろん、柱も天井も壁も、極彩色で装飾的である。

 フランスのカテドラルの外壁や彫像ももとは極彩色で、ステンドグラスによって推定されるので、近頃は、夜になるとカラーレーザー光線などでライティングをして元の姿を再現している場所もある。非常に美しい。

 しかしこうなると、「年代物だからありがたい感」とか、「わびさび感」とか、「金ぴかでないから上品で上等」とかいう感じが一掃される。

 しかし宗教アートが、全然その内容を知らずに見ても、神秘的だとか、超越的だとかいう感動を与えることもある。多くの宗教の根源にあるものが、死の恐怖だとか、超越的なものへの畏怖だとかいう普遍的なものだからだろうか。

 その宗教の文脈を知り、しかもその信仰を共有している者は、そうでない者よりも、よりよくそのアートを理解したり、感動したりするものなのだろうか?

 宗教アートがある時代におけるある宗教の中で生まれたとしても、それを鑑賞する者の時代と宗教との中で、新たに「価値」が生まれるものなのだろうか。

 これも、音楽と美術「品」とでは違う。

 美術品は、経年変化した物質としての「本物」を、その地理的文化的文脈から切り離して、博物館の中で眺めることもできるが、音楽は、鑑賞者の同時代人による「演奏」を通して「生(なま)」で鑑賞される。

 一度として、同じ演奏はない。

 優れたミサ曲に「復活のイエスが現れ続ける」のは、作曲者の信仰か、演奏家の信仰か、鑑賞者の信仰か、三者が出会ったところに錬金術のように現れた「信仰」とは別の何かなのか。

 また、その中で「複製」の持つ意味は? 美術作品の写真集や音楽演奏の録音再現は、「鑑賞」におけるどの部分に寄与しているんだろう。アートと個人との出会いにおいて、どのような機能を果たしているんだろう。
 
 宗教芸術が、常に、聖なるものの一種の「依り代」であるならば、「生(なま)」や「本物」ですら、常に偶像でしかないのだろうか。

 

 
 
[PR]
by mariastella | 2009-03-02 03:39 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧