L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 80 )

にゃんとも猫だらけ

 先日、秋のコンサートの会場の下見をするため京都に行った時、梅雨のさなかですごい雨だった。

 そのほかに、立体曼荼羅を見てどうしても確かめてみたいことがあって東寺に寄ったのだけれども、雨に濡れるとなんだか気が萎えて、立体曼荼羅を前にしてもじっくり観察する意欲が出てこなかった。

 だからその後もあまり動き回らなかったのだが、幸い、京都駅ビルのデパートに隣接した美術館「えき」というところで、私にぴったりの展覧会をやっていた。京都の駅ビルって、ここから一歩も出なくても、ミュージカルに行ったり各種ミュージアムに行ったり、買い物も飲食も宿泊もできるし、大好きだ。

 それは「にゃんとも猫だらけ」展と言って、歌川国芳を中心に浮世絵の猫を集めたものだ。

 すばらしい。

 猫好きには眼福の極みだ。

 国芳の猫は有名で知っていたけれど、こんなにあるとは。猫だけでなく猫をデザインした着物や扇子や小道具もいっぱい描かれている。すごくマニアックだ。

 他に、猫というと、藤田嗣治とか、コクトーとか、ピカソの猫の絵や、ジャコメッティの猫のブロンズも好きだけど、浮世絵の猫、いずれもすごい。

 美人画と組み合わされると、必ず、懐に入る、着物の裾にまつわりつく、裾の中にもぐりこむ、などの姿態が出てきて、なるほど、和服と猫は相性がいいと気づかされる。

 思えば、たとえば今から150年前を比べて、フランスと日本の美人画というか女性の肖像画には、表現に大きな差がある。様式の差もあるし、和服やドレスのような文化の差もあるし、髪型も、体型も、理想とされる美の基準も大いに違っただろう。

 しかし、猫は・・・

 今ジャパニーズ・ボブテールと呼ばれる尻尾の短い猫たちが浮世絵には確かにたくさんいるけれど、そして、ペルシャ猫やシャムネコ、シャルトルー、ノルヴェジアン風のはいないけれど、しかし、どの1匹をとっても、今のどの世界でも一発で理解してもらえる普遍的な「ねこ」がそこにいる。完全にインタナショナルだ。

 そのあまりにも優れたデッサンや表現力、ネコとヒトとの関係や愛情をとらえた様子、まったく古びていないどころか斬新そのもの。

 ネコを配してはじめて、その関係性の中で、逆に浮世絵の本質が見えてくる。浮世絵の「美人」たちが本当はどういう風に生きていてそれをどういう風に描かれたのかということが、普遍のネコを軸にして分ってくる。いやあ、おもしろい。猫たちのしなやかさ、柔軟さ、いたずら、ネコを前にした時の人間が「支配関係」「主従関係」の誘惑を逃れて、ひたすら、人間的にユーモラスになっていくところ。

 支配関係がないところでは人は真にユーモアを解する。

 私が行ったのは会期のほぼ終わり頃だった。 

 雨の日の、幸運。
[PR]
by mariastella | 2010-07-26 18:51 | アート

Wim Delvoye

 ベルギー人アーティストのWim Delvoye。

 この人の豚の刺青を見てると居心地が悪い。北京郊外の農場の三歳の豚を全身麻酔でレーザー刺青して、自然死を待って剥製にして展示するというのだから、化粧品の開発の実験に使われる豚や、生きたまま殺される食用豚よりも残酷な運命というのではないのだが。

 また、ダミアン・ハーストのように動物の遺体そのものをアートに構成するのと違って、生きながらアートの「場」に仕立て上げるのだから、抵抗は少なくてもいいのだが。

 このWim Delvoye(これで検索したらいろいろな作品が見れる)だが、日本語だとデルヴォワではなくてデルヴォイとなっていた。そして「笑いをとるのがねらいの折衷アート」という解説もあって驚いた。

 豚の刺青って笑えるのか?

 十字架をらせん状につないだDNAとか、ゴシック聖堂を模したトラクターとかは美しいと思う。

 デルヴォワに豚とおそろいの刺青を入れてもらったスイス人の背中の皮を「終身年金」払いで「購入」した若いドイツ人のコレクターがいるらしい。金を払い続け、スイス人が死んだ後で皮を遺贈される。まさか剥製にはしないだろうな。いやプラスティネーションの国だからあり得るかも。背中に傷つくような事故で死ぬとか年とって劣化したらどうするんだろう。写真を見ると、そのスイス人も若そうだ。

 この手のアートにはたいてい倒錯というより挑発という言葉が似合うのだが、デルヴォワの作品には、「聖なるもの」のアバターがあり、複雑な気分にさせられる。
[PR]
by mariastella | 2010-04-13 19:29 | アート

C'est toujours les autres qui meurent... (Marcel Duchamp)

  冬休みで練習やレッスンがなかったので、久しぶりに美術展などに行った。
 
  アラブ世界研究所のハリリ・コレクション展、ロダン美術館のマチスとロダンの彫刻(特にダンサー像)の比較展、最後にマイヨール美術館で C'est la vie! Vanités --- de pompéi à Damien Hirst という企画展。

 最後のものは完全に私のツボにはまるテーマだ。

 近頃のネオゴシック・ブームというか、若い女の子なんかが髑髏のアクセサリーをつけてるのにはすごく抵抗があった。不健康、不吉、縁起が悪い、というネガティヴ・イメージがある。若い頃はそういうものを偽悪的、挑発的に身につけても、年取ると死の実感やいろいろな記憶が重なって無意識に忌避したくなるのかもしれない。
 実際、アートにおける髑髏のモチーフは、ナチスのホロコースト発見のショック以来、ヨーロッパでは、かなりわだかまりがあったらしい。現実の残酷さの前でのアートの無力感とか、生き残ったすべての者の罪悪感とかがまざっていたようだ。それをねじ伏せて「死」をテーマにするのはピカソのゲルニカのように、かなりの腕力の持ち主の作品か、ユダヤ系アーティストによる告発の意味とか、政治色も免れなかった。
 その髑髏のモチーフが、アーティストの中で親密で深刻になってきたのは1983年の不治の病エイズが同定されて以来だそうだ。アーティストには同性愛者が少なくなく、エイズの犠牲者も多かった。彼らが死の恐怖と共に髑髏をモチーフとしたいろいろな作品が生まれている。その前にも、アンディ・ウォーホールは、死ぬことでスターは、スターになると言っていた。スカルの作品があるし、有名なマリリン・モンローのポートレートも、不吉といえば不吉なベースがある。

 しかし、ゴスロリなんて悪趣味だなあと思うその私は、自分の内部に髑髏を持って生きている。表に出れば「死」の象徴である髑髏は、「生」が中に詰まっていて外を覆っている限り、生の一部なのだ。

 この展示会のタイトルが「セ・ラ・ヴィ(これが人生だ)」というのもまさにそうで、怖いもの見たさで髑髏を眺める人々の目は、それぞれ、あの、髑髏の眼窩の闇におさまっている。
 
 メメント・モーリというのは、中世からルネサンスのお気に入りのテーマで、この展覧会でも、カラヴァジョ(しかしこの聖フランチェスコはあまりにもそこいらのおじさんすぎるなあ)やド・ラ・トゥールを見てると、迫力がある。
 ダミアン・ハーストというのは切断した牛をホルマリン漬けにしたりして「本物の死?」をアートに持ち込んだ人だが、ここでは、ダイヤで作った髑髏と、ハエの死骸で作った髑髏が、両方展示されている。前にTraces du sacré のテーマ展でもハーストの真っ黒なハエを無数に貼り付けた巨大タブローがあって、ムシ嫌いの私には悪夢の世界だった。ダイヤの髑髏(「神への愛のために」)とハエの髑髏(「死の恐怖」)を見ると、ダイヤの方は歯と顎があって笑っているし、ダイヤは富と美と恒久性のシンボルで、ハエの方はまさに死を樹脂で固めた顎なし髑髏で、あるのは暗い眼窩だけ、という感じだ。しかし、どういうわけか、ダイヤのより、ハエの方が、微視的には気味悪いのに、ずっと美しく見える。なぜだろう。

 ここの売店で、カタログといっしょに、Jacques Chessex の 『Le dernier crâne de M.de Sade』を買ってしまった。1814年に死んでシャラントンの墓地に葬られたサドは、1818年に掘り出されて、頭蓋骨がラモン医師の手に渡り、聖遺物のように守られた。そのあたりの話をテーマにした小説だ。面白すぎ。

 ともあれ、こういう展覧会を見てると、「聖なるもの」とアートの関係が無神論からカオスに行くのと似て、両義的であるのがよく分かる。アーティストが時として冒涜的な作品を創るのは、倒錯や侵犯の歓びもあるだろうし、秩序破壊の衝動もあるだろうが、神にとって代わりたい、唯一のクリエーターとして君臨したいという、独我衝動である場合もある。だとしたら、それはキリスト教世界のヴァリエーションだ。人間中心主義の情熱が、神の全知全能を自分に付与することだったりするのと似ている。神という概念がすでに人間の理想を投影したものだったのなら、神を殺してしっかりとフィードバックしたものが無神論や近代だったのかもしれない。
 
 時はすぎる、死ぬことを忘れるな。というメメント・モーリのメッセージは、そのまま、

 fugit hora, memento vivere

 と背中合わせになっている。時は過ぎるから、生きることを忘れるな、というわけで、carpe diem とも即つながる。この記事のタイトルに載せた「死ぬのはいつも自分以外の人」というマルセル・デュシャンの言葉も、そのままエピクロスみたいなものだ。

 今、書いているのは陰謀論と終末論の仕分け方みたいな本なのだが、私の場合、書き始めるころには、脳内ではすでに仕上がっているので、興味の中心は次に移っている。それは音楽の受容における関係性の問題で、特に、日本でのいわゆる「西洋音楽」に対するアカデミズムの謎を解いて、フランス・バロックが実は「西洋アカデミズム」からの突破口だったことを書きたい。西洋クラシック音楽にまつわる言説は、過去には政治の支配、今は金の支配を担保するための権力構造を持っている。「音楽の無神論」では、「偶像崇拝」がいかに権力的であるかに注目して、フランス・バロックやある種の日本の芸能において創る人、聴く人、演奏する人、踊る人が、クロスオーバーしていたことの意味を考えたい。

 で、そのためのシェーマなのだが、これを、美術作品とその受容、鑑賞と批評の世界に置き換えたら、すごーく分りやすいことがわかった。この「セ・ラ・ヴィ」展のようなケースは非常にすっきり分析できる。
 とにかく「西洋アート」と名のつくものは、絵画にしろ音楽にしろ、クリエーターと作品と批評家と受容者の関係が、創造神であるキリスト教の神とその啓示と仲介者である教会と信者との関係の拮抗とセットになって発展、変容してきた。それを踏まえるといろんなことがクリアーになる。
 絵画は分りやすいので、ほんとはまず絵画論で分析してから音楽論に行くべきだが、音楽のエピステーメーについてはすばらしい論考が周りにたくさんあって刺激的なので一度きっちり書いておきたい。

 このシェーマ、すごく単純なのでここにすぐ書きたいくらいのだが、書いてしまうと後止まらないので、また後日。
[PR]
by mariastella | 2010-03-04 21:20 | アート

Kandinsky

 ポンピドーセンターにカンディンスキーの回顧展を観にいった。ミュンヘンの後がこのパリで、その次はNYに行くそうだ。カンディンスキーは革命後のソビエトを逃れてドイツに来て、ドイツ国籍をとったものの、今度はナチス政権のもとで剥奪されてフランス国籍をとってフランスで死んだ。ポンピドーセンターには豊富なコレクションがある。しかも、フランスでの最晩年の作品が、高齢と戦争に関わらず、活き活きと軽やかで明るいものが多いので、少し感動的である。

 私はクレーのバウハウスでの講義録は少し知っているのだが、カンディンスキーの理論派ぶりもなかなかのものである。いろいろな意味でラモーのことも連想して、ある意味、フランス・バロックの精神を持っているなあ、と思った。つまり、ある意味で近代以前であり、しかし、かなり科学的普遍的なものを志向していて、理論と芸術が一体化しているところだ。

 抽象絵画の祖だといわれているくらいだから、アヴァンギャルドで「近代的」だと思われるだろうが、なんだか本質的に貴族的で頭脳的で、それでいて、「宗教的」なのである。

 「西洋」の「近代」は宗教離れが旗印だったので、カンディンスキーの「宗教」色は、「東洋的」だと思われていた。たとえば20世紀初頭のパリなどは、アートの世界などかなり国際的だったわけだが、そして、日本人から見ると、ロシア人のカンディンスキーだろうがスペイン人のピカソだろうがスイス人のクレーだろうが、みんなヨーロッパ人、西洋人に見えてしまうが、一歩中に入ると、「ロシア人=オリエント」というレッテルがはりついていたらしい。それどころか、その頃流行ったアフリカのプリミティヴ・アートのマスクなんかさえ、「オリエント」と言われている。西欧以外はみなオリエントっぽいわけだ。

 カンディンスキーは、モスクワ生まれで、小さい頃から絵も上手かったが、経済学や法学の学位を持ち、ピアノやチェロを弾き、テニスや乗馬もよくした。30歳で、大学教授のポストがあったのを捨ててミュンヘンの画学校に入る。修道院に入るように、俗世間のキャリアを捨ててアートの世界に入ったと言われているのだが、貴族の出の修道者があまり下積みを経験せずに、自分で修道会を創立したり修道院の院長になったりしてしまうように、勉強した後でアカデミーに入れなかったら自分で美学校を創ってしまう。その後も、いろいろ挫折するたびに、親が金を送ってくれて旅行させてくれたり、落ち込むと、離婚していた父が菓子を、母がキャビアを送ってくれたと言うから、何だか基本的に幸せで恵まれた人だったのだ。女性にももてたみたいだし。アトリエでの写真もネクタイをしめてたりして、いつもなかなかダンディだ。金があったから、いつも美術協会やグループを作っては、展覧会も開けたし、理論書も世に出せた。
 24のアパルトマンのある建物を所有していたのを、第一次大戦と革命で48歳にして失い、はじめて金に困るのだが、まあ最後まで、それなりの生活ができた。彼がフェルナン・レジェを評して、「根が健全でそこからアートの力強さと構造とを引き出している」と言った言葉があるが、それはそのまま彼自身に当てはまる気がしないでもない。

 カンディンスキーの一連の作品には、

 Impressions というのと、Improvisations というのと、Compositions という三つのグループがあるのだが、 

 Impressions というのは、ある形、目に見えるものを見て、その直接の印象を描いたもの、
 Improvisations  は、無意識など、内面の事象が突然浮かんでくる印象を描いたもの、
 Compositions  は、外面や内面の事象の最初の印象を自分の中で熟成させ、合理的に、意識的に、意図的に再構成したものである。それは計算に基づいたものではあるが、感情は表出する。

 この再構成というところが、フランス・バロック的なのだが、20世紀のフランスはもうバロック時代ではない。
 19世紀末から問題になっていたのは、芸術のための芸術か、アール・デコのような実用性と関係あるアートかということであるが、カンディンスキー的に言うと、それらの「西洋的」なアートは基本的に無神論的アートであり、自分のオリエント的なものは、スピリチュアルであるという。つまり、魂の表現であり、神という言葉も平気で使う。そのへんも、フランス・バロックの科学主義における理神論などと通低している。

 「西洋」的なものは形と色重視の「メロディー」的なものであり、オリエントは内面重視の通奏低音とかポリフォニーの世界で内面重視だと言っている。

 音楽家は音楽で勝負とか、画家は絵がすべてだとか、クリエーターは作品でのみ自分を最もよく表現し、それについてあげつらうのは批評家や評論家だという場合もあるが、一流の画家や音楽家が膨大なと理論書を出したり、他の作品の批評や分析や、アートの歴史や、社会との関係などまでしっかり論じてくれるのは楽しい。文による表現力も大したもので、白いキャンパスを、生命の源の海のようなものと見なして、そこに色と形を描く時に、描かれて表出したものが自ら形を成そうとして内部から蠢くこととの緊張が生まれるというような言い方も非常におもしろい。これは、何もないのっぺりした空間に外からひとつの凝縮したエネルギーを投げ込むことによって、空間に緊張を生むという、それこそ東洋風の「余白の芸術」とは真逆の考え方である。

 このような理論家が、そのまま、色や形やアートの直感の天才でもあったことは喜ばしい。
 
 実際、具象時代の作品の色と形の美しさは息を呑むほどのものだし、スラブ風の作品もすばらしいものである。Improvisations なんかは、玉石混交だとも思うのだが、理論と経験と芯にある健全さと直感と天才が翼を得て自由の境地に飛んでいるような晩年の作品は、彼に影響を与えたと言われるワグナーだの、彼が抽象絵画を始めたのと同時期に無調性音楽を創始したことで彼と例えられるシェーンベルグだのの音楽よりも、ラモーの音楽をやはり連想させられる。

 個体発生は系統発生を繰り返すと言われるが、現代の「抽象画家」だの「前衛音楽家」だのも、そこに行き着くには、まずクラシカルな勉強や具象や調性の体験や試みを重ねてから「進化」していくのだろうか。鑑賞者はどうだろう。私には無調性音楽は身体性を裏切るように思えるので、抽象絵画とは同列にできない。いや、その性質上、もともと、絵画は、音楽が本来持っているような抽象性を希求して進化したので、メロディだとか、ポリフォニーとか通奏低音だとかいう言葉もよく使われる。クレーやカンディンスキーの絵画技法が極めて数学的や物理学的であることも、比率の学問である音楽に似ている。(彼らはそれに生物学的感性も加えているのだが。)クレーはヴァイオリニストでバッハやモーツアルトが好みだったし、特定の曲の動きを絵画に表現しようと積極的に試みたりしている。カンディンスキーにも楽器のモチーフや音楽モチーフは明らかにあるのだが、もう少し有機的な感じもする。クレーはバウハウスの学生に決して自分の作品の批評はさせなかったそうだが、カンディンスキーは、平気で自分の作品の分析をさせたそうだ。何となく、分る。近代美術の評論をやろうという人にとっては、カンディンスキーの一連の著作が必読書であるというのも、実によく分かる。
 
[PR]
by mariastella | 2009-07-06 07:53 | アート

William Blake

先の記事のアトス山のお宝展と同じPetit Palais でやっていたWilliam Blake展。

 陰影の多い刺繍作品と違って版画系は、立派な画集を手に入れてじっくり見ても、印象は対して変わらない気がする。これまでにさんざん見ているから既視感があるのも当然なのだが。ブレイクは、レリーフ的なテクニックをあみ出し、上からの色づけもしているから、なるほどと思うものもあったが。

 日本にいてはなかなか思いつかないことのひとつに、William Blakeのような人が、フランスではほとんど知られていないことだ。フランスの文化風景に入ってない。ジイドが詩の翻訳をしたし、熱心なファンももちろんいたわけだが、閉じられたサークルだった。日本ではなかなかメジャーでビッグ・ネームだと思うのだが。

 しかし、ブレイク自身は、フランス革命にとても影響を受けたりしている。いや、当時のヨーロッパは大々的に揺さぶられたのだから当然だが、特に彼は革命派だった。ヨーロッパの各国の歴史は共振し拮抗しあっているので、アートの発展や受容もそれとは切り離せない歴史的、心理的な出来事で、時には政治的な出来事であったりさえするのだが(現代では経済原理も大いに働いている)、それを目録的に広くキャッチしている日本の教養人などは、微妙なところが分らない。

 ブレイクは、小さい頃からの幻視者で、霊能者でもあったらしく、版画のテクニックも死んだ弟が夢で教えてくれたと言っている。ロマン派の嚆矢ともいえる表現だが、不安や恐怖を描くと迫力があり、詩作品と同様、精神構造の全体から眺めたくなる人だ。体質的とも言える幻視者や神秘家はいろいろあれど、その人たちのすべてに画や詩の表現能力があるとは限らない。
 ビンゲンのヒルデガルトとか、ウィリアム・ブレイクとか、はっきりと自分を幻視者と自覚し、カミングアウトして、しかも、それを表現する高度な能力がある人が作品を残してくれるというのは、非常に興味深いことである。

 その逆に根っからの芸術家で、表現方法を希求しているうちに次第に幻視者みたいな方向に行ってしまう人のほうは少なくないのだが。

 というよりも、芸術家などというものは、表現できないものを表現するという情熱に焼かれるものだから、そういう「あっちの世界」を向いた人でないとやっていけないんだろうが。

 先の記事で書いたジャン=イーヴ・ルルーの臨死体験に、まず、鳥がカゴから出て飛翔し始めるのだが、やがて、飛翔が鳥から出て行く、という表現があった。実に清冽だ。

 カゴの内部にいる時も、外は見えているのであって、カゴの中にいながら飛翔だけ飛ばすことのできる鳥もいるのだろう。
[PR]
by mariastella | 2009-06-27 03:19 | アート

Le Mont Athos et l'Empire byzantin など

 コンサート類が終わってほっとしたら、Petit Palaisの2つの展覧会が終わりに近づいていたのであわてて出かけた。

 まずは、Le Mont Athos et l'Empire byzantin で、あのアトス山の修道院のお宝の数々を見ることができるというので見逃せない。

 世界中の、行きたい見たいと思うところの中で、行こうと思えば行くことができるのに、後回しにしたり機会を逃している場所は多々あれど、アトス山のように、頭から女人禁制(正確には、髭のない人間は入れないとあるので、要するに「女子供」ダメ、という場所である。で、無毛症の男性が修道士になろうとした時にいろいろ大変だったとギリシャで聞いたことがある)だと言われると、それだけで、ますます行きたくなる場所もある。2005年にエーゲ海クルーズをした時に正教の古い教会はけっこう見ることができたが、やはり、アトス山ほど魅力的なところはない。
 言ってみれば、中国侵入前のラサのポタラ宮殿というイメージかなあ。

 気のせいか会場には女性の姿の方が多い。

 しかし、期待が大きかったせいか、あまり感激しなかった。

 アトス山のようなところは、場のオーラ、伝統とその継承そのものが脈づいているのだから、そこから切り離されたモノが並べられても、そこに「ないもの」の不在ばかり目立つ。

 アトス山には今でも20の修道院があるが、隠者の小屋なども数えれば、400に上るそうで、その中には、「完全におかしい、奇人変人」もいると言われている。展示されている絵の中にも、その様子を描いたものがあり、柱の上で暮らし、吊るした篭に食物を入れてもらう修道士とか、膝で歩く修道士とかライオンに乗っている修道士とかがいる。初期キリスト教の「神の狂人」などと言われた隠者や苦行者のエピソードは数々あリ、何十年も柱の上で暮らしたシメオンなどの聖人も有名だ。でも、何となく、今は、そういう奇矯な苦行者はインドのヨギなんかを連想するのだが、アトス山に行けば本当に今もいるのだろうか。

 アトス山といえば私の好きな Jean-Yves Leloup が最初にアトス山に行った時、炎天下に山を登るのに疲れ果てて、倒れそうになった時のエピソードを思い出す。道半ばで、一人の修道士に出会った。救いを求めようとしたら、その人は、指を口にあてて自分がしゃべることができないことを示した。沈黙の行なのだろう。その修道士は、Jean-Yves Leloup を座らせて、どこかに姿を消した。疲れ果てた彼がぐったりすること1時間半、その修道士が息を切らして戻ってきた。その手には、水の入った錆びた椀があり、彼はそれをJean-Yves Leloupに黙って差し出した。修道士は、その水を調達するために1時間半も炎天下を駆けたのである。
 それを飲んだ時、Jean-Yves Leloupは、もう一生喉が渇くことはないんじゃないかと思ったそうだ。  
 この瞬間に彼は正教徒になったのだろう。

  Jean-Yves Leloup は、元無神論者で、若い時に臨死体験をした後で、神秘家になる。ドミニコ会士になり、神学者になった後で、ギリシャ正教に改宗するのだ。
 臨死体験の後で超能力を獲得したというケースはよく聞くが、臨死体験のあとで回心が起こるというのはありそうでない。

 彼が正教のヘシカズムの体験や、「神化」を語る時、私は、神秘体験についてこれ以上に明晰な説明を読んだことがない。いや、もちろん、ことの性質上、説明はできないのだが、よく分かるのだ。ネットで検索すると、 「ジャン・イヴ・ルルー 著 高橋正行 訳 『アトスからの言葉』 あかし書房 1982 」というのが出てくるのだが、絶版のようで、正教会文献目録みたいなところに入っている。実にもったいない。宗教神秘主義に関心がある人には必読だと思う。この「分りやすさ」は稀有なことだ。

 そのようなアトス山美術品展示の中で気に入ったのは、epitaphios という大きな四角い布で、イエスの磔刑図が刺繍してあるのだが、その精緻さに息を呑む。イエスの髪の毛一筋一筋やそこに流れ込む血や、顔の傷など、色や形やデザインとは別の細密さだけでも圧倒される。絹と金糸銀糸だ。

 このような、偏執狂的ともいうべき細かな作品というのは、いろんな文化に見られはするが、信仰というものはやはり関係するのだろうか。アトス山の修道士が刺繍しているというのは聞いたことがないから、専門のアトリエがあったのだろう。それとも修道女の修道院で作成されたものもあるのだろうか。刺繍作業と苦行と祈りと瞑想はどういう風に連動しているのだろう。

 しかし、epitaphios は正教の典礼に使うものだから、刺繍のアトリエは東西別だったと思われる。

 私は、アトス山の刺繍の布の美しさを忘れないうちに、次の日に、la Manufacture Prelleの展示会に行ってみることにした。ヨーロッパ中の聖母訪問会の刺繍作品を発掘してMoulinsの本部に美術館が作られているが、その一部が今パリで見られるのだ。その見事さを賛美していた記事をさんざん読んでいたので、アトス山の正教世界の刺繍と比べてみよう、と思い立ったのだ。

 すばらしかった。7月下旬ごろまでやっているので今パリにいる人は必見だ。
 しかも無料である。
 宣伝もまったくしていないので、行ってベルを押すと、「何を見てここに来たんですか?」と聞かれる始末だ。

 布で秀逸なのはビロードをGaufrageというテクニックで熱で型押しして、Moiré という効果を出したものである。Moiré というのは日本語で何というのか分らないが、サテンなどで、波型とか、木目の形が一面に入っていて反射する非常に美しいものだ、しかしそれは、遠目だと、光が飛んで、効果がはっきり見えない。それを、ビロードの型押しで表現すると、くっきりした波型になるのである。刺繍とブロシェの違いやいろいろなテクニックも、布の裏側とか見せて教えてくれた。この会場はリヨンの有名な絹織物工房のショールームなのである。

 私があまりにも熱心なので、織物の研究家ですか、と聞かれてしまった。
 いや、むしろ、聖母訪問会の創立者カップルの研究をしたことがあるんです、と答えた。

 余談だが、ここで、はじめて、Moulins の美術館のカタログを買って、フランソワ・ド・サル(サレジオ)の生前の肖像画などを見て、彼の目がおかしいのに気づいた。フランソワ・ド・サルは美丈夫で有名で、イエスに似ているとされ、女性にももてて、ジャンヌ・ド・シャンタルも夢中になったのだから、こんなに左右の目の大きさが違うのは意外だった。福者や聖人になってからの肖像画は普通に描いてあるので気がつかなかったが。その普通に出回っている肖像画を見て、どこが美丈夫なんだろうと思っていたが、アネシィでデスマスクを見たときになるほどハンサムで堂々としてしかもやさしそうだと納得したことがある。でもデスマスクだから目は閉じていた。生前の姿を元にしたと思われる画像には目の異常が認められるものがいくつかあり、銅版画などのせいか、左右が入れ替わっていることもある。それが生来のものだったのか、それとも、晩年のものか、なんだったのか、とても興味がある。彼が言われていたようにハンサムで女性に人気だったこと、その信仰書の書き方、しかしその外見の美のバランスを失ったことがあるのか、関係を知りたい。(知っている方は教えてください。)
 
 聖母訪問会の刺繍作品に戻ろう。時代的には、17世紀以降なので、正教のものより新しいものが多いが、このヴィクトワール広場での展示で光っているのは、それがフランスの文化の粋と連動しているからだろう。
 アトス山の作品が、1900年のネオクラシックなプチパレ美術館とちょっとずれているのに比べて、聖母訪問会の成り立ちから考えても貴族的な趣味と刺繍作品がプレルのショールームにぴったりだ。

 たとえば、1848年革命の時にチュイルリーに会った王家の衣装などが売りに出され、修道女がマリー=アントワネットのドレスを買った。未来のルイ16世が結納品としてオーストリアに送った花柄の布である。それに刺繍やレース編みをほどこして、司教の式服や聖杯カバーに作り変えたりするのだ。

 刺繍も、刺繍効果をねらったブロシェの織りも、みな、基本的にレリーフで奥行きがあるし質感が複雑で、光の反射具合も複雑なので、これらの作品は、実際に見るのと写真で見るのとではすごい差がある。超高級な工芸と言ってしまえばそうなのだが、聖母訪問会には、下図を描く修道女もいたらしく、依頼されたものを機械的に制作していたわけではない。芸術的才能や意匠の才能豊かな集団が思い切り贅沢に作品を仕上げたという感じだ。それを内側を毛羽立てた綿のカバーの中で大切に保存してきたそうで、実に眼福である。展示作品は触れないが、見本の布を触らせてくれる。これもなかなかサンシュエルである。五感で楽しみたい。思わず、

 ここでコンサートとかしないんですか?

 ときいてしまった。

 私はバロックのオペラ・バレーを演奏していて、ダンサーとコンサートしたいんですけど、ここはぴったりだと思って、と。
 
 そしたら、そこの責任者の女性とすっかり気があってしまった。何でも口に出してみるものだ。若い頃ならとてもできなかっただろう。

 ルイ15世時代のオペラだと言うと、ではその頃の布の展示会を同時にやって、それと一緒にというのはどうだと言ってくれた。

 来年の6月初めを考えているのだが、どうなるだろう。あまり広くない空間だが、もともと商売をしているわけではないのでオープニングの出し物として招待者だけ対象でもいいし。全然「民主的」でない手続きだが、「民主的」に何かやろうとすると今や、収支計算ばかりの世の中で、「この不況だからダメ」で終わってしまうのだ。

 せっかく久しぶりにヴィクトワール広場に行ったので、ノートルダム・ド・ヴィクトワールのバジリカに寄った。
 パリで「聖母御出現」のあった2箇所のうちのひとつである。だから、けっこう巡礼者が多く、門の前には物乞いも多い。聖母に願いをきいてもらおうとして(正確には神にとりついでもらおう)やってくる人々は、物乞いに何かやらないとまずい気になるのか、門の扉に、ここの物乞いは一人一日400ユーロ稼いでいて、元締めがいます。何もやらないことをお勧めしますという趣旨の張り紙がしてあった。でも、物乞いの目を避けてそんなものをゆっくり読んでる余裕はなかなかない。

 こういう「ご利益」のある巡礼地には、願いがかなった時に奉納する感謝の大理石の板がチャペルの壁を埋めているのだが、その中に、まだ新しい大き目のがあって2006年とあり、「L'étudiant eut recours à vous, le jeune docteur remercie」(学生がお願いしました。若い博士が感謝します。)と書いてあった。論文執筆中の学生が聖母に祈りに来て、無事博士号を得た後で感謝の Ex voto を奉納したんだろう。

 神学博士? ただの、困った時の神頼みか? なんとなく気持ちは分るので親近感は持つが、こうやって奉納板まで掲げるところを見ると、親がやったのかなあ、でも、博士号に来てまでそんなことするか?この人はバカロレアや修士号の時もこういうことしたんだろうか、と無駄に想像してしまった。



 
[PR]
by mariastella | 2009-06-27 02:43 | アート

酒を飲んで裸になる話

 その人は、泥酔して、全裸になった。

 そうっと服を着せてあげるだけでいいのに、裸を見ただけで、通報した男がいた。

 この男は、裸の男から、子々孫々まで呪われよ、と言われてしまった。

 
 「その人」とは大洪水の後の人類の父(?)ノアである。

 システィナ礼拝堂の天井画の「ノアの泥酔」の場面はいつも私にとって最高に気になるものだった。

 ノアだけでなく、通報者の息子も、服を持ってきた息子たちも、全員裸だからである。

 Michel Masson『La chapelle SIXTINE-La voie NUE』 Ed.Cerf

 http://arts-cultures.cef.fr/livr/livrart/lartx53.htm

 が、これでもかこれでもかと、秘密を解明してくれる。

 まず、聖書によるとノアは、公共の場所で裸になったのではなくて天幕に入って裸になったのに、ルネサンスの絵は場面を田園風景に映す伝統があった。

 しかし、ミケランジェロの絵でのノアの体のポジションから見て、解剖学に精通していたミケランジェロが表現したのは、ノアが実は寝込んでいなくて、意識を保っているということである。その証拠に、ワインの杯もデカンターもちゃんと邪魔にならないように考えて脇に置いてある。

 ここでは、くわしいことを書くつもりはない。

 ノアの泥酔シーンは創世記のエピソードをある意図を持って慎重にパロディ化した再構成なのである。
 そこにはインセストや同性愛の香りもたたえた性的怪物の姿も顕わになる。

 Daniel Arasseの「超解釈」主義を継承したMichel Massonの驚くべき荒業が、すばらしい整合性と説得力を持って展開していくさまは、圧巻である。

 しかも、これほどに、ユニークな解釈をしても、それがヨナを通じて神が伝えたいメッセージであるという啓示的宗教的ディメンションを全く失わないどころか、全体としてはちゃんと信仰告白になっているところも、ヨーロッパのキリスト教美術とその鑑賞の歴史の底力を見せつけられる感がある。

 どんな過激なことを言っても冒涜的にもならないし、美術批評としても成立しているというすごさだ。

 天地創造のシーンで、「白髭の年寄り」の姿の神はクリシェでありパロディであり、真の神の姿は、太陽や月を創造した後で植物創造に向う神の後姿からはみ出して存在を主張する「尻」なのである、なんていう解説も、驚きだが、ミケランジェロが何一つ、偶然や無意味なものを描いていないということは納得できる。

 しかし、システィナの天井画は、ダヴィンチの絵画全作品と比べても圧倒的に情報量が多いから、壮大なストーリーができそうだ。わくわくモノの『システィナ・コード』、書けると思う。
[PR]
by mariastella | 2009-05-13 00:42 | アート

聖なるものの痕跡

 さっきUPした記事の中で、去年のポンピドーセンターでの『Traces du sacré』展のことに触れたのだが、今チェックしたら、このブログの中では触れていなかった。

 人体展との関連もあるので、ここにコピーしておこう。

 

 >現代美術における「聖の痕跡」をたどったポンピドーのテーマ展は、あまりにもフランス的なコンセプトである。

 この21世紀でも、アメリカで、ポーランドで、ロシアで、イタリアで、オーストラリアで、イギリスで、キリスト教の冒涜的なアート作品が、展覧会場で破壊されたり、ギャラリー閉鎖に追い込まれたりしている。日本やフランスにいるとそんなことがぴんと来ない。
 そんなことは、イスラム原理主義の話だと思う。でも、それは、キリスト教原理主義の話でなく、ある種の「善良な人々」の感受性に拒否反応を引き起こすのである。
 
 挑発というのは、拒否反応があるから挑発になるので、フランスでは平和だ。しかも、この展覧会は、モダンとポストモダンの流れにおける無神論的表現とその展開がすごく系統的に紹介されていて、加えて、演出が優れている。

 たとえば、遠近法の変遷のコーナー。
 西洋遠近法では消失点が画面の中にある。イコンの遠近法では、画面の向こうは神の世界で無限だから、消失点は、イコンを見ているこっち側に来る。その違いや、視線の向きによる、上昇遠近法の例を示しつつ、そのコーナーそのものが、遠近法の錯視を利用したつくりになっている。

 美術館の入口に、中国人アーチストの巨大な作品がある。チベットの祈りの法具(真言を書いてある筒をぐるぐる廻すやつだ)の巨大なのが突っ立っている。
 リアルで、サイズだけが巨大なんで、たとえばロン・ミュエックの新生児みたいに、そのサイズの錯誤そのもののインパクトをねらってるのかと思ったら、なんと、思想作品で、宗教が肥大化して権力的になる倒錯を告発したのだそうだ。ダライラマの政教一致の批判である。

 でも、一昔前までは、信教の自由も何も、チベットには他の宗教の情報がなかったんで、自由が迫害されてたわけではない。亡命後、外の世界を見たダライラマは率先して、民主主義体制を準備しようとしてるくらいだ。
 ま、このアーチストもその後、中国当局に追われる身だそうだけどね。こういうナンセンスも、まあ、チベットびいきのフランスだからこういうテーマ展でドンと出してもイデオロギー性が相対化されていいのかも。

 フランスに何十年もいるアングロサクソンの友人は、この展覧会は理解できないみたいで、忌避反応を示している。フランス的な感覚というのは、そう簡単にアシミレートできないのかもしれない。

 まあ、本当のテーマは、長いこと宗教組織が超越を管理してきて、それが否定された後に、では、芸術が超越を啓示できるのか、っていうことなのだが、アーティストっていうのは、別に教会やら司祭に代わって神降ろしをしようとしたのではなく、自分が神になろうとしているのである。クリエートということはそういうことで、そういう意味ではいつも冒涜の香りがする。 <

 以上である。

 本当に書きたいのは、アートの変遷と無神論と西洋近代がどう関わっているかということである。

 人やアーチストが自分で神や司祭に「なりたい」と思うのは、一種の「召命」である。
 よくないのは、自分に合わせて自分の都合で「偽の神」をでっちあげたり、「偽の神」の司祭を演じることなのだ。
[PR]
by mariastella | 2009-05-07 22:15 | アート

我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか

 名古屋モノその2

 教科書に載ってるような有名美術作品で、本物を見ると以外に小さいので驚くという代表にダヴィンチのモナリザがあると言われるが、ゴーギャンの『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』もその一つだろう。

 私は昔はゴーギャンに何も感ずるところがなかった。なんか平板なタヒチの光景、という認識と、ゴッホから切った耳を贈られた男というスキャンダラスなイメージはあったが。

 ゴーギャンが好きになったのは、1891年の『IA ORANA MARIA』という聖母子の絵を見てからだ。
 マドンナは、緋い色のパレオを腰につけ、左手に天使がひざまずき、女たちが拝みにやってくる。

 ところが、その聖母の方に乗る幼子は、青黒く、首の据わらない重度障害児であるという解説を読んだ。
 首が真横に倒れ視線の定まらないそんな子供を抱えたマリアの表情は実に生き生きとして、自然だ。

 肩の上のイエスはかわいらしい子供ではなく、すでに30年後に十字架上で残酷な殺され方をしてがくっと頭を垂れる姿の先取りだとも言える。しかし、マリアは、そんな変わり果てた我が子の姿を見て嘆くピエタ像の嘆きのマリアではない。実に平然としている。

 悟りというのはいかなる場合でも平気で死ぬことなのではなくて、いかなる場合にも平気で生きていることであると、正岡子規が言っていたが、この聖母子像はまさにそういうことを気づかせてくれる。

 色も明るく暖かく、見ているだけで幸せだ。配色の天才、構図の天才である。

 で、それ以来、私はゴーギャンの畢生の大作と言われる『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』(1897-98)を見れば、何か大発見があるに違いないと期待していたのだ。

 この作品はボストン美術館にある。ところがちょうど、今回、名古屋ボストン美術館で公開されていた。

 意外と小さい。

 意外と暗い。

 『IA ORANA MARIA』で見られるマリアのパレオの赤は、この作品では中央右よりの赤い実や左下でそれを食べる子供の持つ実、左端下の鳥のくちばしなどに散見されるだけ。

 名古屋造形大の学生たちが黒白処理した記念作品では右下の赤ちゃんの腰布も赤かったが、その方がなんだか説得力がある。

 この展覧会にも一つ聖母子画があって、『IA ORANA MARIA』と同じモチーフだ。

 木彫レリーフ作品もあり、それを見ていると、ゴーギャンって、彩色の天才とはいえ、版画やレリーフや彫刻の方が合ってるんじゃないかと思えてくる。今でもインドネシアあたりで彫られるちょっと前衛的な仏像の顔などと明らかに親和性があるし。
 屏風絵などとも似ている。背景の処理、左右端上のメタリックな黄色の使い方、左の水面、時系列と空間が波のように干渉しあう画面。

 ゴーギャンってデンマーク女性と結婚していた。子供もいる。
 波乱にとんだ彼の人生を考えると、感慨深い。

 期待していたような衝撃の出会いはなかったが、なんだかしみじみとさせられてしまった。

 
[PR]
by mariastella | 2009-04-30 16:23 | アート

ジム・ランビーのUnknown Pleasures

 原美術館にジム・ランビーのEXPOを見に行った。

 こういう元私邸の小ぶりの美術館を全部一人のアーチストに任せるという企画は、ランビーのように、床にテープを張っていくザ・ストロークスという作品にはうってつけだ、錯視効果の他に、廊下も階段も部屋の床もドアの向こうもみんな一続きになる。それが彼のねらっているところでもあって、そういうフローなイメージは、光や音や水のメタファーなのである。そこに、各種星座型に配したドアノブとか、鏡効果とかで、宇宙的テイストを入れて、レコードボックスにコンクリートを流した立方体をさまざまに切って床に配することで、枯山水の石のように、床のそこに沈んでいくような、あるいは浮かんでいるような効果を与えている。

 ジム・ランビーはミュージシャンでもあり、この作品では、各部屋を巡る人々にいかに音楽を喚起するかというのを目指したらしく、ポスターのコラージュ作品の中のミュージシャン、レコードジャケットの背などでリードし、ブルースの部屋にはブルーのペンキで塗ったドアを配するとか、要するに「共感覚」的工夫を凝らしている。
 
 それが成功しているかどうかは別で、私には音楽はキャッチできなかったが、全体の有機的な感じは好きだ。枯山水のような箱庭宇宙を俯瞰するというよりは、皮膚のような床を歩いて有機物の胎内にいる感じだ。

 おもしろいのは、元ダイニングルームだった部屋には長いテーブル画あるべきスペースに、ペイントした椅子の破片を連ねて列車のように重ねていたり、階上の寝室に向かう階段の壁にベッドのマットレスが掛けてあったり、みっつの寝室にはポスター作品があり、「家の記憶」みたいなものと呼応するようにつくっているところで、庭園の借景や邸内のカーブした空間にインスパイアされている。

 その意味で、直島の民家プロジェクトとすごくよく似ている。

 この展覧会でランビーの使った椅子などはグラスゴー周辺のジャンクショップで集めてきたらしい。
 彼に直島の民家を一軒まかせれば、直島の流木や民具をペイントして座敷ダイニング風にするだろうし、ザ・ストロークスもどのように変化するのか、ドアがふすまペイントになるのか、と、非常に興味がある。

 直島は空の色、海の匂い、湿気、空気も、独特だから、さぞや面白いハイブリッドなものができるだろう。
 ランビー自身も、自分の作品は鑑賞者のリアクションによって完成すると言っているが、インスタレーション・アートでありながら、その「場」を超えて、他の場への想像をどんどん広げていけるという意味では、成功している。
[PR]
by mariastella | 2009-04-20 12:02 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧