L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:アート( 72 )

我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか

 名古屋モノその2

 教科書に載ってるような有名美術作品で、本物を見ると以外に小さいので驚くという代表にダヴィンチのモナリザがあると言われるが、ゴーギャンの『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』もその一つだろう。

 私は昔はゴーギャンに何も感ずるところがなかった。なんか平板なタヒチの光景、という認識と、ゴッホから切った耳を贈られた男というスキャンダラスなイメージはあったが。

 ゴーギャンが好きになったのは、1891年の『IA ORANA MARIA』という聖母子の絵を見てからだ。
 マドンナは、緋い色のパレオを腰につけ、左手に天使がひざまずき、女たちが拝みにやってくる。

 ところが、その聖母の方に乗る幼子は、青黒く、首の据わらない重度障害児であるという解説を読んだ。
 首が真横に倒れ視線の定まらないそんな子供を抱えたマリアの表情は実に生き生きとして、自然だ。

 肩の上のイエスはかわいらしい子供ではなく、すでに30年後に十字架上で残酷な殺され方をしてがくっと頭を垂れる姿の先取りだとも言える。しかし、マリアは、そんな変わり果てた我が子の姿を見て嘆くピエタ像の嘆きのマリアではない。実に平然としている。

 悟りというのはいかなる場合でも平気で死ぬことなのではなくて、いかなる場合にも平気で生きていることであると、正岡子規が言っていたが、この聖母子像はまさにそういうことを気づかせてくれる。

 色も明るく暖かく、見ているだけで幸せだ。配色の天才、構図の天才である。

 で、それ以来、私はゴーギャンの畢生の大作と言われる『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』(1897-98)を見れば、何か大発見があるに違いないと期待していたのだ。

 この作品はボストン美術館にある。ところがちょうど、今回、名古屋ボストン美術館で公開されていた。

 意外と小さい。

 意外と暗い。

 『IA ORANA MARIA』で見られるマリアのパレオの赤は、この作品では中央右よりの赤い実や左下でそれを食べる子供の持つ実、左端下の鳥のくちばしなどに散見されるだけ。

 名古屋造形大の学生たちが黒白処理した記念作品では右下の赤ちゃんの腰布も赤かったが、その方がなんだか説得力がある。

 この展覧会にも一つ聖母子画があって、『IA ORANA MARIA』と同じモチーフだ。

 木彫レリーフ作品もあり、それを見ていると、ゴーギャンって、彩色の天才とはいえ、版画やレリーフや彫刻の方が合ってるんじゃないかと思えてくる。今でもインドネシアあたりで彫られるちょっと前衛的な仏像の顔などと明らかに親和性があるし。
 屏風絵などとも似ている。背景の処理、左右端上のメタリックな黄色の使い方、左の水面、時系列と空間が波のように干渉しあう画面。

 ゴーギャンってデンマーク女性と結婚していた。子供もいる。
 波乱にとんだ彼の人生を考えると、感慨深い。

 期待していたような衝撃の出会いはなかったが、なんだかしみじみとさせられてしまった。

 
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by mariastella | 2009-04-30 16:23 | アート

ジム・ランビーのUnknown Pleasures

 原美術館にジム・ランビーのEXPOを見に行った。

 こういう元私邸の小ぶりの美術館を全部一人のアーチストに任せるという企画は、ランビーのように、床にテープを張っていくザ・ストロークスという作品にはうってつけだ、錯視効果の他に、廊下も階段も部屋の床もドアの向こうもみんな一続きになる。それが彼のねらっているところでもあって、そういうフローなイメージは、光や音や水のメタファーなのである。そこに、各種星座型に配したドアノブとか、鏡効果とかで、宇宙的テイストを入れて、レコードボックスにコンクリートを流した立方体をさまざまに切って床に配することで、枯山水の石のように、床のそこに沈んでいくような、あるいは浮かんでいるような効果を与えている。

 ジム・ランビーはミュージシャンでもあり、この作品では、各部屋を巡る人々にいかに音楽を喚起するかというのを目指したらしく、ポスターのコラージュ作品の中のミュージシャン、レコードジャケットの背などでリードし、ブルースの部屋にはブルーのペンキで塗ったドアを配するとか、要するに「共感覚」的工夫を凝らしている。
 
 それが成功しているかどうかは別で、私には音楽はキャッチできなかったが、全体の有機的な感じは好きだ。枯山水のような箱庭宇宙を俯瞰するというよりは、皮膚のような床を歩いて有機物の胎内にいる感じだ。

 おもしろいのは、元ダイニングルームだった部屋には長いテーブル画あるべきスペースに、ペイントした椅子の破片を連ねて列車のように重ねていたり、階上の寝室に向かう階段の壁にベッドのマットレスが掛けてあったり、みっつの寝室にはポスター作品があり、「家の記憶」みたいなものと呼応するようにつくっているところで、庭園の借景や邸内のカーブした空間にインスパイアされている。

 その意味で、直島の民家プロジェクトとすごくよく似ている。

 この展覧会でランビーの使った椅子などはグラスゴー周辺のジャンクショップで集めてきたらしい。
 彼に直島の民家を一軒まかせれば、直島の流木や民具をペイントして座敷ダイニング風にするだろうし、ザ・ストロークスもどのように変化するのか、ドアがふすまペイントになるのか、と、非常に興味がある。

 直島は空の色、海の匂い、湿気、空気も、独特だから、さぞや面白いハイブリッドなものができるだろう。
 ランビー自身も、自分の作品は鑑賞者のリアクションによって完成すると言っているが、インスタレーション・アートでありながら、その「場」を超えて、他の場への想像をどんどん広げていけるという意味では、成功している。
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by mariastella | 2009-04-20 12:02 | アート

キリコのバナナ

 私がセザンヌのリンゴをすごいなあ、と思ったのは、学生時代にメルロ=ポンティの文章を通してだった。セザンヌのリンゴの「本物」を見たのがメルロ=ポンティの文章よりも先だったか後だったかはもう覚えていない。しかし、セザンヌのリンゴの絵と言えば、小中学校の美術の教科書にも載っている。そのリンゴには、何の感動もしなかった。写真を見て別に感動も感心もできない、好き嫌いの感情も湧かないという点ではモンドリアンと双璧だった。

 その後では、セザンヌの「本物」を何度見ても、もはやメルロ=ポンティの視点抜きには見ることができない。

 しかし、キリコのバナナは、ひと目で気に入った。

 どのくらい気に入ったかと言うと、自分が死ぬ時に、『モンパルナスの駅-出発の憂鬱』のオリジナルが死の床にあればいいなあ、と思うくらいだ。

 眠る時に見るのはよくないかもしれない。起きる意欲をそがれるかもしれない。

 http://www.jacquesvlemaire.be/blog/tag/chirico

 今検索してみたら上記のブログにこの絵も載っていたので、見たい人はどうぞ。もっともNYのMoMaにある有名な作品なんで、知っている人も多いと思う。

 といっても、キリコの描く他の果物は今ひとつである。製図用具とか工場の魅力に負けている。

 上のブログ(画家)の書いたものを読んで、私は今回(パリの近代美術館での回顧展)、キリコの模写についてまったく別の解釈を得たことを確信した。

 天才画家が長生きして、多作してくれることは、本当に有難い。人間の思考の過程というものがよく分かる。キリコが1920年代に死んでいたら、それでも、形而上絵画とかシュールレアリズムの絵画の代表者として美術史に名を残した天才であったろうが、その「謎」は残ったと思う。

 夭逝したアーティストが残した作品を見たり聴いたりすると、この人は本当に、ちょうどこの作品を残すのに充分な時間だけを生きてくれたんだなあ、と感動することがあるし、「生き急いだ」という感じや「迫り来る死への予感」というものがますます天才に霊感を与えたんだろうか、などとロマンティックに考えたくなるが、モーツアルトやシューベルトやモディリアニがもっと長生きしていたら、私たちは絶対にもっと豊かな創造の秘密を探る鍵をもらうことができたはずだと思う。

 去年、ヴラマンクの回顧展にフランスと日本の両方で行った時にもすごく複雑な思いをした。フランスでの展示は、第一次大戦の時期どまりだった。
ヨーロッパにおける第一次大戦というものの傷は深くて、戦後の「復興」のための秩序回復のプレッシャーがあまりにも大きかったので、凡百のアーティストたちには打撃だった。
 ヴラマンクはけっこう長生きした。(1876-1958、82歳。キリコが1888-1978で90歳なのでけっこう重なる)

 キリコは、人間性が爆発しないとアートは生まれない、と言った。
 岡本太郎も芸術は爆発だと言った。

 爆発しない人は、どんなにテクニックがあっても芸術家ではない。
 
 たとえば美術学校に進もうかというような人は、たいてい、絵を描くのが好きで、「上手」である。学校でテクニックを身をつけて、ますます上手になる。しかし、99%の人は、多分、爆発しない。爆発できるかどうか、それはもう、体質みたいなものなのである。

 ところが、テクニックがないのに爆発する人というのも、少数ながらいる。

 ヴラマンクだ。

 爆発するから、彼の作品には彼の爆音やら噴出物が跡を残している。
 彼はゴッホを見るとゴッホ風の画風になり、セザンヌを見るとセザンヌ風になった。スタイルはどんどん変わって、節操がないようにも見えるが、何を描いてもヴラマンク火山の溶岩跡はある。

 日本の展示会では、晩年の絵まで揃えてあった。
 継続は力なり、と感心するくらい、だんだん「上手」になったのが分る。

 私はヴラマンクに興味があった。
 彼はヴァイオリニストでもあり、競輪選手でもあり、アフリカン・アートを発見したりして、非常に多才な時代の寵児であったのに、テクニックもなければ天才でもなかったからだ。
 日本の展示会のあった西新宿の美術館で、ヴラマンクの展示場を出ると、常設展示の絵があった。セザンヌとゴッホの「本物」があるのが皮肉である。
 「本家」を見ると、ヴラマンクの力の限界が分る。

 でも、ヴラマンクには、文才があった。彼の書いたものを読むのは非常におもしろい。
彼が西洋美術史に名を残したのは、フォーヴィズムというレッテルをもらったからである。彼はそれをよく知っていた。第一次大戦以降の彼は、2流のアーティストでしかない。しかし、フォーヴィズムの懐古展がある度に引っ張りだされた。その価値もわきまえていた。
 過去の遺産で食っているようなところがあり、しかし多才で自己演出能力もビジネス能力も長けていた。

 そこで、ちょっとパセティックな出会いがある。

 日本では有名な、佐伯祐三との出会いである。

 佐伯祐三は、東京美術学校を卒業した1923年、パリに渡って、当時の有名人であった「野獣派(フォーヴィズム)の巨匠」ヴラマンクのうちを訊ね、自分の絵を見せたところ、「このアカデミックめ!」と 一喝をされ大ショックを受けて、以後パリ郊外に激しい心情表現を求めて彷徨した。いったん帰国はしたが、結局5年後、パリ郊外で、僅か30歳で客死する。

 何で、わざわざヴラマンクを選んで会いに行ったのかなあ。

 佐伯祐三、1923年の時点で、明らかにヴラマンクよりうまい。 
 ヴラマンクがアカデミックでなかったのは事実だけど、下手で、下手なりに苦しんでいたと思う。といっても、何しろ「爆発」する人だから、あまり苦しむことはなかったのかもしれないが。後年、それでも、だんだんとテクニックを獲得したし、それを崩すということはしなかった。それが彼の初期の野性味を消したともいえる。
 アカデミックな優れたテクニックというのは、それを「すでに」持っている人が、それによって爆発を邪魔されないように、それをいかに回避するか、崩していくかというところに味があるものである。

 佐伯祐三が、1923年のパリに来て、ヴラマンクという、かなり異形の人と出会ったのは、皮肉だ。佐伯、25歳、5年後に結核で死ぬくらいの蒲柳の質、自画像を見てもひょろひょろである。フランス語も不自由だったろう。対して47歳の有名人のヴラマンクはその自画像そのままの、いかつい四角顔の威圧的な偉丈夫である。声も大きそうだ。ひょっとして、佐伯の絵の上手さに感心して「何たるアカデミズムだ」と感嘆の声を上げただけだったのかもしれない。

 しかし、佐伯はともかくも、そのショックを糧にして、自らのアカデミズムを矯めながら、優れた作品を残した。明らかにヴラマンクのよりも上等だ。しかし、30歳で死んだのだから、彼がもし長生きしていたら、その「噴火」歴はどのようになっていたんだろう。夭逝が残念だ。

 話をキリコに戻そう。

 キリコは、20世紀はじめのフランス画壇で、誰の系譜にも属さない完璧にオリジナルで個性的な存在として登場した。彼とアポリネールらとの出会いなくしてはシュールレアリズムは生まれなかった。それほどに、シュールレアリズムにはっきりとした形を与えた。同時期のイタリアの未来派などが、理念は威勢が良かった割りにこれと言った総合的な足跡を残さなかったのと比べてもよく分かる。

 キリコはそれくらいにシュールレアリズムの寵児だったのに、パリにそれほど長く留まらなかったし、その後、「クラシシズムへの回帰」という道を歩んだ。
 過去の巨匠の絵画を模写しまくり、自画像の連作でテクニックとスタイルを模索し、最後は、自分の初期作品まで模写したり、パロディやらヴァリエーションを多作した。アンドレ・ブルトンなどに「キリコは死んだ」と言われるくらい、シュールレアリストたちからはキリコの「転向」は裏切りに見えた。

 彼の作品は相変わらず美術史に孤高の座を占めているから、批評家たちもあせった。インスピレーションがなくなったのだ、とか、芸術家としての自殺とか、自滅とか言われたが、全体としては、キリコは初期の作品だけを語ればいいんだ、というような回避が行われた。初期の有名な自作の模写やヴァリエーションの濫作については、単に「金が必要だったから」と見る人もあるし、当時すでに彼の「贋作」が市場に出回っていたので、それに怒った彼が、自らコピーを大量に出すことで、美術市場のシステムそのものを揶揄し挑発したのだという人もいる。
 彼のやり方をただ一人賞賛したのはかのアンディ・ウォーホールだけだった。コピー・アート、ポップ・アートを切り開いた男には別のものが見えたのだろう。

 確かに、後の「転向」がどんなものであれ、1920年代頃までの彼の形而上絵画シリーズの孤高な強靭さというものの放つ力は圧倒的で、今も色褪せない。
 直視すると強烈に目を眩ますのに、決して暖めてはくれない、真冬の太陽のようである。

 このキリコの天才ぶりを見せつけられると、彼が、晩年にスランプに陥ったとか、過去の遺産で食いつないだなどとは到底思えない。

 そして、キリコの模写した大量の名作群(ミケランジェロ、ラファエロ、ルーベンス、ティティアン、ヴァン・ダイク・・・・)を見ると分るが、彼にはテクニックというものへの情熱があり、巨匠の絵画の秘密を探る必要があったようだ。

 キリコは早くから画の才能があり、少年時代にアテネで画学校に通い、青年時代にはミュンヘンで美術学校に通っている。
 つまり、もともと、古典的な画のテクニックも素養も身につけていた。
 「アカデミック」だった。

 真のアーティストであった。
 つまり、「爆発」もした。

 しかし、何が彼の起爆剤だったかと言えば、それは、ヴラマンクのような精力あふれるエネルギーのほとばしりに促される「体質」ではなかった、と思う。

 彼を爆発させたのは、哲学であった。

 しかも、ニーチェである。

 グレコ・ロマンの神話的環境にいたキリコは、ドイツにやってきて、アルノルド・ボックリンの絵画とニーチェの哲学に強い影響を受ける。

 その本質はなんだったかと言うと、

ひと言で言うと、Anthropocentrisme =人間中心主義の終焉である。

 Anthropocentrisme は、もともと非常にキリスト教的な考え方である。キリスト教がアリストテレス的に補強されてなお、それが確固としたものになった。

 キリスト教から離れた西洋近代は、Anthropocentrisme からは脱皮していない。というより、Anthropocentrismeにおいて、西洋近代は、キリスト教の進化形である。西洋近代というと、中世の蒙昧が啓かれて科学主義が生まれた、かのような対立を想像するするかもしれないが、西洋キリスト教の帰結が西洋近代なので、サルトルが「実存主義はユマニズムである」と断言するのも同じようなものである。西洋近代における「無神論」というのは、キリスト教の兄弟みたいなものなのだ。
 このへんをじっくり語ると、一冊の本になってしまう。(実際それを用意しているのだが)
 ところが、真の意味で、西洋キリスト教的世界をくつがえした人が出てきて、その一人がニーチェである。
 
 キリコの絵はいつも「夢」の世界に例えられるし、シュールレアリズムの関係から、詩の世界=ポエジーとも関連づけられる。
 リアリティやロジックがない。現実世界の約束事が消えて、意識化の世界、またはメタフィジカルな真実が見えてくる、と言った風に。

 確かに、たとえばキリコが1920年で夭逝してその後の作品を残さなかったとしたら、それはそれであたっていたかもしれない。

 でも、晩年までに至る彼の作品群を見ていると、私には別のことが見えてくる。

 彼の形而上絵画は、人間の喪失である。ニヒリズムの表現である。
 そして、ニヒリズムの極北(の一つ)は、実は、Solispisme なのである。

 キリコの晩年の、自作のコピーとヴァリエーションの中で、生きた人間の姿が少しずつ現れてきたり、繰り返して自画像が描かれるのは、Solipsisteとしての彼の表現である。

 彼は、有神論に戻ったわけでもなく、古典主義に回帰したのでもなく、ニヒリズムからSolispisme へと展開したのである。
 だから彼には怖いものはもうない。彼こそが、唯一の創造者なのだから。
 彼の絵画の中に戻ってきたのは、「人間一般」ではない。「彼」ただ一人なのである。
 彼が風景を描こうと、古代世界を描こうと、それは彼の創造物であり彼自身なのである。

 以上は私の仮説である。

 私は最近、Solipsisme  について考えていた。

 無神論とは別である。
 異才中の異才、チェコのソリプシスト哲学者がいる。(彼については稿を改めて書こう)

 その哲学者(文学者でもある)の世界と出会い、のめりこみ、一生を捧げている女性と、最近話した。

 ソリプシスムとは、無神論の一表現、無神論の鬼子ではないかと私が言ったら、彼女は、「いや、究極の有神論だ」と答えた。

 ソリプシストにとっては、存在するのは自分だけであり、自分=神であるのだから。
 「神=万物の創造者」という概念のない文化においては、彼女の意味するソリプシストは生まれないのではないだろうか。
 
 その女性、エリカと出会うまで、私はこのことを深く考えたことはなかった。

 いや、一度だけある。
 数年前にシュミットの小説『エゴイスト・サークル』を読んだ時だけだ。
 その時、私は次のような読後感を残している。

 「 シュミットは本当にユニークだ。発想がいろいろあって、スキルも幅広く、ちょっと嫉妬する。この本は、世界が自分の意識の中にだけ存在しているのではないか、夢から覚めると夢が霧消するように、自分が死ねば世界も消えるのではないか、という、誰でも一度は考えたことのある(?)世界観を哲学とした18世紀の奇妙な男を、ある歴史学者が調べていくというミステリー仕立ての話だ。

 私が最初にこの手の妄想にふけったのは、高1のときに兄にヘーゲルの解説をしてもらったときだ。世界が自分の脳内産物かもしれないって思うのは、まだ世界が未知でおとなしくて、世界から攻撃を受けていない若者にとっては魅力的なのだろう。

 私が死ねば全てがなくなる。私は何も失わない、と思えるのは、ちょっとした禁断の安心感を与えてくれた。何が禁断かというと、やはり、世界と他者を自分の道連れにすることの後ろめたさがあったのだと思う。
 
 今となっては、私がこの世の創造主だとしたら、あれもこれも失敗だらけ、創造の責任は誰かに押しつけたほうが楽だ。

 シュミット のこの本のユニークなところは、裏側から見た神学、裏側から見た無神論っていうか、神の視点がよくわかるところで、一神教の素養のない文化にいた私のような高校生には、理由のない全能感にくらくらしても、創造主の孤独というものについては思いが至らなかった。

 創造主である神と世界との関係は、不思議で悲痛だ。それは、全ての人の、自分と自分以外の世界との関係と似ている。
 近頃、自己愛が強すぎて、万能感があり、世間とうまく折り合えない人間の挫折や逃避による欝症状とか引きこもりなどが話題になっている。俺様キングダム、俺様教という言葉もある。

 全てを創造し、全てを超えている。ふと見たら、その全てが固有の「自由」を行使して好き勝手をやっている。造物主や俺様は、なすすべがない。修復するには、なぜだか、絶えず創造主である自分を犠牲に捧げなくてはならない。汚れ、醜くなり、痛み、叫びたくなる。

 結局、世界から疎外された俺様や神の居場所は、逆説的に「今ここ」にしかない。超越することは時空の関係性を失うことだから。そしてそのたった一つの実在である俺様や神の「今-ここ-自分」は、死によって断たれるのだ。

 この恐怖から逃れるためには、やはり、自分ではない他者としての造物主が必要なのかもしれない。自分自身が「超越」だと、絶対孤独だ。神が「だめもと」で世界を創造してしまうのも無理はない。人間の方も、たとえ自由を制限されても、いろんなコミュニティと自我を混同させて自己愛とか家族愛とか愛国とか言って、世界や死との対決をごまかしているんだろう。」


 以上のような感想だけが、私が過去にこのテーマについて考えたことのほとんどすべてだった。シュミットのこの本には、ソリプシストという言葉は使われておらず、エゴイスト、またはAutomonophileという味のある呼ばれ方だった。

 今の私がのめりこみそうになっているそのチェコの哲学者についても、Egosolisteと形容している批評があった。
 日本語で、独我論、唯我論、と言った時には、なんだか「梵我一如」の感じで、「我=創造主=神」とは必ずしも行き着かないので、やはりこの場合は「キリスト教無神論」と親和性があるのだ。

 エリカは、彼のほとんど唯一の本格的研究者で発見者(この哲学者の本はチェコで禁止されていたので、冷戦後に彼女がチェコで全集を出版した)で翻訳者(フランス語で読める。エリカはアメリカ人だが、彼の本は絶対に英語のような雑な言葉には訳せないと言い切る)である。彼女にとっては、ソリプシストという言葉しかない。
 私ははじめて彼女の話を聞いたときに、シュミットとヘーゲルの話をしてしまった。今から思うと、せめてデカルトとかニーチェとかショーペンハウエルとかウィトゲンシュタインとかの名を出せばよかったのだが、上記のような感想文が頭の隅にあったからだ。彼女は、ヘーゲルは的が外れているので取り合わなかったが、シュミットはさすがに読んでいて、「いや、あの本はtragique(悲惨) だから」と言った。

 エリカにとって、もっとも大切なのは、「不条理の美しさ」である。

 彼女を通した彼との出会いは、私にとって、斎藤磯雄を通したリラダンとの出会いみたいなものだ。それぞれ両者の関係には、孤高と情熱が入り混じっている。
 私が斎藤磯雄さんと話したり多少の手紙をやり取りした時は、20歳そこそこの女子学生であり、今思うと、大人が全人生をかけて一人の作家に思い入れをすることの凄みというものが、分るようで分らなかった。
 その後、いろんな分野でいろんな出会いをしたけれど、触れれば切り裂かれるばかりの、エリカのような激越な魂を近くで見たのははじめてだ。

 しかも、情熱、と書いたが、エリカも、暖めることを拒否する真冬の太陽である。キリコの黒い太陽、とも通じる。
 私が、この先どの程度エリカの太陽に冷たく焼かれることになるのか、まだ見当がつかない。

 しかし、エリカと彼女のソリプシスムの美学の陶酔と出会っていなければ、キリコの「転向」の意味の仮説が生まれなかったのは確かだ。

 キリコの「転向」の謎は、実際、今でも謎なのであり、それを彼の形而上学の表現(ニヒリスムがソリプシスムに至る)だと読み解く人は誰もいない。

 逆に、今の段階でキリコの回顧展を見たからこそ、私は、ソリプシストを無神論の系譜にどう位置づけるのかについて、啓示を得たような気がする。

 後は、いわゆる「狂気」との関係がある。ニヒリズムの極北には狂気もあるし、ソリプシスムもあり、ソリプシスムの極北にも当然、狂気がある。

 ある種の宗教神秘体験なども、ほとんどニヒリズムやソリプシスムの鏡像と言ってもいい様子を呈することがある。

 無我、忘我、没我、なんていうのが、独我、唯我と非常に近いのはスリリングだ。

 ニヒリズムからソリプシスムに到達した後でも、狂気からも免れ、神秘家にもならずにすむ方法の一つ。

 絵を描くこと。アートで爆発してビッグバンの一押しのシミュレーションをすること。

 キリコのバナナを見て、そう思う。
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by mariastella | 2009-03-08 01:54 | アート

ふたたびアートと宗教

 アート批評と宗教、アート鑑賞と宗教の関係を引き続き考えている。

 もちろん、いわゆる宗教芸術の批評や鑑賞についてである。

 ジュリアン・バーンズの本に、クラシックのミサ曲のコンサートに一緒に行った友人から、「君はコンサートの間に何度、復活のイエスのことを考えたかね」と聞かれて驚いたというエピソードがある。バーンズは「一度も」と答えた。
 普通の日本人がバッハのマタイ受難曲を聞いて、どの部分でどの程度、救世主イエスのことを思い浮かべたかと聞かれるようなものだ。

 バーンズのこの友人は、牧師の息子だった。
 バーンズは、この友人に、同じ問いを返した。

 「君はコンサートの間に何度、復活のイエスのことを考えたかね」

 「たえまなく」

 と友人は答えた。

 バーンズは驚いて、それまでの長い付き合いで一度も考え付かなかったような質問を友人にする。
 
 「君は、いったい、どの程度、信者なんだね」 と。

 友人の答え。

 「信じてないよ、いや、全く、信じていない。」

  この後、バーンズは、キリスト教美術の鑑賞とキリスト教教義の関係についても考える。
 彼は教会美術が好きで教養も深い。しかし「信者」ではない。

  大聖堂で、すばらしい聖母子像や磔刑図や昇天図に心を奪われる時、では、実際に、この画が描かれた中世にこれを仰ぎ見た人々の心はどうだったんだろう。この画の世界が「真実」だと信じていた人々の心は?
 また、この先何世紀か経って、キリスト教がこの世から姿を消してしまって、画の意味を全く知らない人がこれらを見たときは?

 彼は、発掘された古代の神像を見たときの自分の感動を想起する。
 その宗教については、もう何も分かっていない。
 女神像が埋葬の副葬品で、人の目に触れさせるために作られたのでないことは分っている。

 博物館では垂直に立てられているが、発掘された時は横に並べられていた。
 その乳白色の色がフェルメールを思わせ、神秘的であるが、おそらく元は極彩色であったことも分っている。

 そういえば奈良の東大寺の大仏殿の建立当時の様子を、ヴァーチャルにデジタル復元した人の本を最近読んだ。大仏が全身金箔なのはもちろん、柱も天井も壁も、極彩色で装飾的である。

 フランスのカテドラルの外壁や彫像ももとは極彩色で、ステンドグラスによって推定されるので、近頃は、夜になるとカラーレーザー光線などでライティングをして元の姿を再現している場所もある。非常に美しい。

 しかしこうなると、「年代物だからありがたい感」とか、「わびさび感」とか、「金ぴかでないから上品で上等」とかいう感じが一掃される。

 しかし宗教アートが、全然その内容を知らずに見ても、神秘的だとか、超越的だとかいう感動を与えることもある。多くの宗教の根源にあるものが、死の恐怖だとか、超越的なものへの畏怖だとかいう普遍的なものだからだろうか。

 その宗教の文脈を知り、しかもその信仰を共有している者は、そうでない者よりも、よりよくそのアートを理解したり、感動したりするものなのだろうか?

 宗教アートがある時代におけるある宗教の中で生まれたとしても、それを鑑賞する者の時代と宗教との中で、新たに「価値」が生まれるものなのだろうか。

 これも、音楽と美術「品」とでは違う。

 美術品は、経年変化した物質としての「本物」を、その地理的文化的文脈から切り離して、博物館の中で眺めることもできるが、音楽は、鑑賞者の同時代人による「演奏」を通して「生(なま)」で鑑賞される。

 一度として、同じ演奏はない。

 優れたミサ曲に「復活のイエスが現れ続ける」のは、作曲者の信仰か、演奏家の信仰か、鑑賞者の信仰か、三者が出会ったところに錬金術のように現れた「信仰」とは別の何かなのか。

 また、その中で「複製」の持つ意味は? 美術作品の写真集や音楽演奏の録音再現は、「鑑賞」におけるどの部分に寄与しているんだろう。アートと個人との出会いにおいて、どのような機能を果たしているんだろう。
 
 宗教芸術が、常に、聖なるものの一種の「依り代」であるならば、「生(なま)」や「本物」ですら、常に偶像でしかないのだろうか。

 

 
 
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by mariastella | 2009-03-02 03:39 | アート

アートと宗教

 「アートと宗教」というタイトルをつけたが別に大論文ではなく、昨日の続きである。

 若山さんの力作において、そのいわゆる学問的考証の幅と深さは読んでいてわくわくする。でもそれをすごく無邪気に楽しめるのは、たとえば天井画における寓意肖像画の解釈などの場所であり、つまり、解釈の根拠が歴史的な背景のみで説明されているような部分である。

 そうではなくて、解釈が神学的であったり、しかも、「当時の神学のトレンド」というものではなく、無時間的、非時間的な恩寵とか神の摂理とか信仰とかに裏付けられている部分は、つい、完結した「信仰告白」として読めてしまうので、その後で口を挟める雰囲気を拒む。

 私はこのシスティナの天井画の『ノアの泥酔』のエピソードについて、その選択も、構図も、年とった父親と3人の息子の裸とその美醜と禁忌の扱いも、前からすごく気になって仕方がなかった。
 若山さんに貴重な御著書をいただく前にすでに、メールで質問をした。
 
 私の関心の持ち方が浅薄であることは指摘されても仕方がない(そうはっきり言われたわけではないが)。

 天井画全体の構成とバランスとの中でしか論じられないものであり、その場面だけとってマニアックなディディールに卑しい想像をめぐらせるのは、美術鑑賞としても、学術的姿勢としても、もちろん宗教的アプローチとしても間違っているので、ただの野次馬的好奇心であるのは自覚している。

 で、ミケランジェロにおける、人間の、もっと言うと男の肉体へのフェティッシュな感じというのは、もちろんルネサンスという時代と切り離せないわけだが、この天井画はやはりその表現の場だったという気がする。

 もちろん当時のイタリアには、宗教としては、ほぼローマン・カトリックしかなかったのだから、そして、アーティストに作品を注文してくれるパトロンというのもほぼ、宗教的文脈と切り離せないのだから、聖書だの神の摂理だのが無関係だということはあり得ない。でも、彼らには、宗教的宇宙観について「選択の余地」はほとんどなかった。そして、「選択の余地のないフィールド」とは、、アーティストの枠組みであり場であり、規制ではあっても、彼らにそれを「成就」するというような意識は生まれるのであろうか? 

 ミケランジェロの話の後で、自分の卑小な体験談を持ってくるのは気が引けるが、私のトリオは2003年に、日本でコンサートをした。大学や施設やサロン・コンサートもしたが、4箇所のカトリックの聖堂でも弾いた。そのうち3つはチャリティーコンサートで、2つは、神戸と東京の教区の教会である。

 その東京のコンサートが終わった後で、主催してくれた方から、「教会で異教の音楽のコンサートをするのはどうかという声が最初はあったので心配した」といわれたのには非常に驚いた。

 「異教の音楽」?

 確かに、17-18世紀のフランスのバロック・オペラは、まさに、当時の権力や宗教から口を挟まれないようにということもあって、舞台を神話世界や異国に設定するものが多かった。

 私たちの演奏するオペラ組曲も、歴史の実話に題材をとったエジプトの悲劇の女王を巡る話である。だから、精霊を召喚する場面だとか、ナイルの神殿に奉納する祭りのシーンとかが出てくる。だからエキゾチックな部分もあるが、そういうのはルネサンスを経て、すでに当時のヨーロッパのハイブリッド文化の常識の部分であり、ピューリタンの世界ででもない限り、特に異教的とかいうものではない。ファンタスティックな娯楽というだけである。
 それでも当時は確かに、復活祭前の四旬節とかのいわば「忌み」の期間には、世俗の娯楽の上演が禁止されていたんで、サロンや劇場ではもっぱらモテットやミサ曲などの宗教音楽が上演された。。
 でも、その時のそういうモテットやミサ曲や聖歌などきくと、オペラ曲と同じ構造を持っているのが分かる。
 聖書を題材にしてとてもドラマティックなバロック音楽になっていたり、オルガン曲がまるで舞踊組曲のような構成やフレージングを持っていたりする。
 作曲者も、演奏者も、聴衆も、たとえば四旬節の間だけ「敬虔な宗教音楽」を聴いて、それがあけたら「世俗の音楽」が解禁になってそっちに行った、という感じではない。
 シーズンによって、タイトルが違うだけで感性や実態は同じなのだ。
 
 当時からそんなものだったし、もちろん、私たちは今も、フランスの各種教会でコンサートをすることが少なくない。

 音響が悪くない場所が多い。
 場所と常連がすでに「ある」のだから、オーガナイズしやすい。
 安い。メンテナンスや集客の問題も少ない。向こうに負担がかからない。
 チャリティーコンサートにしたり、寄付を申し出たりすると無償で借りられることも多い。
 数が多い。
 そこの司祭さんか市長さん(教会の建物自体はたいてい市町村の所有物)と個人的な知り合いであれば(あるいは単に自分の住んでいる地区の文化担当や、教会に連絡すれば)、簡単に便宜を図ってもらえる。

 ま、フランスの教会は、演奏場所を探している室内楽系のミュージシャンにとっては、建物がしっかりした昔からある公民館みたいな感じである。

 まあ、よほど、過激で挑発的なコンサートとかなら、ひょっとして断られることもあるのかもしれないが、外国の民俗音楽であろうと、現代の映画音楽であろうと、チェックされない。
 特に私たちのように、基本的には18世紀の音楽、なんて、もうそれだけで、アンシャンレジーム下の音楽なんだから、無害であることは自明だ。

 そして、私たちは、音楽の中にある、スピリチュアルなメッセージというものには非常にひきつけられるのだが、たとえば、「神学的公正」みたいなことは、頭をちらりとよぎりもしない。メンバーの一人は無神論者だし。それも、家庭的に無神論文化で育っただけで、闘争的無神論者ではない。私たちは、日本で、関西での1週間ほどを修道院でお世話になったのだが、宗教がどうの、信仰がどうのなどということは全く問題にされなかった。

 だから、東京の教会で、「異教の音楽はいかがなものか」みたいなことを耳にして驚きでぶっとんだわけである。彼らには、「(本家の)フランスでもしょっちゅう教会で弾いてます」ということで安心してもらったわけだが、実際、私たちは、どこで弾くかということに対して、「信仰の問題」とかましてや「教義の問題」などを絡めて考えることはない。
 もちろん、グレゴリオ聖歌の本場の修道院で聖歌を聴くとか、レクイエムを聴くのはやっぱり教会だよね、とか、パイプオルガン曲はあの聖堂で、とか、歴史と伝統と音響効果とアートと精神性がぴったり一致して感動させられるシーンというものはある。比叡山の声明は国立劇場より比叡山で聴きたい。ギリシャ悲劇は野外の円形劇場で観たい。でも、それは、鑑賞者にとって別に信仰を共有してるとかの問題ではない。
 もちろん信仰によって、鑑賞のディメンションが変わってくるということはあるだろうが、それは、アート批評の言葉にはならないだろう。

 そして、演奏者の端くれとしていうならば、自分のレパートリーを弾く時に、音響効果とか、演出とか、客層(子供もいるとか、プロがきてるとか・・・)には気を使っても、教会(=神の家)で弾くから、神の声に呼応しようとか、そこの教義やら、神の恩寵やらとかを考えることなんかは、あり得ない。

 まあ、教会に頼まれて、天井画を描いたり、壁画を描いたり、彫刻を創ったりする人には、今でももちろんいろいろな神学上の制約もあるだろうし、自分の信仰との折り合いというのもあるんだろうが。

 それでも、アーティストというのは、ありとあらゆる制約をいかにしてかいくぐって、自分のクリエーションを自由に表現するか、ということに常に挑戦する者で、それが、壮大な神の摂理に一致するかとかなど、たとえルネサンスの時代でも、考えていたとは思えないのだ。
 ミケランジェロはあの広大な場所に、裸の肉体をあれこれとりまぜて心ゆくまで描くことがすごく嬉しかったと思う。たとえ、作業がどんなに苦しく、重圧があり、ストレスが大きくても。

 あ、もちろん、「神の方からアーティストに働きかけた」というのは別だ。アーティストが自分でもそれとは知らずに神の道具としてクリエーション(=啓示)に参加するという見方は、それもすでに「信仰の言葉」であるから、これは確かめようがない。

 ルネサンス後期のイタリア、ましてや18世のフランスなどは、すでに、支配体制としてのカトリック教会のあり方について、大いなる疑問が突きつけられていた時代であるから、聖職者も含めてインテリの間では、「神の摂理」というのも、教義の壁をするりと抜けて、有神論だとか理神論に近い、シンボリックな霊性に向かっていた節もある。
 まあ、人生には誰でも霊性についての感受性の波があるものだから、本気で「信心深く」なったり回心に向かう時期もあるとは思うが。

 一般的に、なんだかアーティストというのは、本質的に悪魔、といっては悪いなら、堕天使みたいな部分があるのではないだろうか。

 いや、だからこそ、信仰の枠を確かめて境界領域でせめぎあう人も出てくるのかもしれない。

 どちらにしても、システィナ礼拝堂を見ると、それを我われに残してくれた、ミケランジェロや、ユリウス2世や、ローマ教会や、神に感謝、というしかないけれど。
 やはり、普通の人の想像を超えたアート作品こそが神の恩寵の証明、存在証明、かもしれない。すぐれたアートを残してくれない神なんて、いてもいないのと同じだよ、と思わず言いたくなる。

 
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by mariastella | 2009-02-22 21:12 | アート

では、アート批評はどうなるのか

 この前の記事のNicolas Berdiaev は、キリスト教の啓示はすでに聖書にすべてを含んでいるのか、それとも新しい啓示はあり得るのか、ということについて、こう答える。

 聖書の中の啓示は、はっきりと顕れたものと、いまだ包まれたものとがあり、それをあらわにしていくのは人間の創造的精神による自由の行使に他ならない。

 これには終わりというものはないし、人の数だけ表現の多様性もある。
 この辺はいいのだが、いいのだが、しかし、Berdiaev は、その後で、次のように言ってしまう。

 真の宗教的クリエーションとは、キリストによりキリストのうちに精神を強くされる、法(戒律)の真実と贖罪の真実を成就する人間にとってのみ可能なのである。

 このBerdiaev このは、キーエフの貴族で、革命派だったのだが、最初はその社会民主主義的意見ゆえに北に追いやられ、ロシア革命後はパリに亡命した。
 
 いわゆる宗教芸術において、アーティストの信仰が大いに関係するのは分かるし、そのクリエーションを、神の啓示の継続と見るのも、まあ、納得がいく。
 それを「鑑賞する側」も、自分の人生における、あるいは自分の生きる世界における神の業を読み解くために、「鑑賞」によって、啓示に参加するというのも分かるのだが・・・

 宗教芸術においては、王道かもしれないのだが。

 でも、その「宗教」を共有しない異文化圏、異宗教、または無宗教の人による鑑賞はどうなるんだろう。

 私は昔『ユリイカ』(1996年1月号)で、バッハの音楽について、ミスティックな感性の持つシンボリックな力というものは、宗派のコンテキストを超えて普遍的であるというようなことを書いたことがある。
 
 それは、「こっち側」からの視点であった。
 どんな人間でも、生病老死の実存的条件を背負い、超越(=あっちの世界)を思いやる潜在的な動きがあるものだから、それが、育った文化や時代によっていろいろな形をとるとはいえ、共通する聖なるものへの表現になり得るという話だ。

 でも、出発点が、「あっちの世界」であれば?
 超越によるこっちの世界への絶え間ない自己表現と、それを受けたこっちの世界のアーティストがそれを「成就」させようとしているのであれば?

 ルネサンス美術の研究家である若山映子さんの

 『システィーナ礼拝堂天井画―イメージとなった神の慈悲』(東北大学出版会)

 については、また別のところで書かせていただこうと思っているが、この大力作を読み始めて、驚いた。

 普通、芸術批評、特にアカデミックな研究書というものでは、それがいかに「宗教芸術」であろうとも、批評家の信仰告白はまずなされない。もちろん、アーチストがどのような社会的時代的環境にいたかということは研究分析の対象になるし、たとえば図像学な考証というものは、不可欠でもある。

 日本のような国で、ヨーロッパのアートを云々する時は、これが結構盲点にもなっていて、たとえば、ある作家がどの国のどの時代のどういう宗教環境で育ったかということは無視されることが多い。確かに、作家の個人史を抜きにして、顕れている作品の部分だけを観察するというやり方もあるが、それは、背景となる文化や感性がある程度自明だとかいう場合が多く、意図して語らないのと、無知や無視とは別である。思想家や哲学者や、無神論者と自称する作家においてさえ、いや、無神論者であればなおさら、どの時代の宗教観とに摩擦があったはずで、その機微を理解しなければ、すっぽり抜ける部分がある。

 で、ミケランジェロの作品などは、当時のローマ教皇の依頼で書かれたものであるから、完璧な宗教芸術であるわけで、その批評的鑑賞というのには、本来ものすごい宗教的教養を必要とするのは言うまでもない。

 といっても、それを看過するのはまあ問題外としても、普通は、研究者が研究書を出す時は、少なくとも、そこに、その宗教に対する「自分の信仰」とかスタンスを前面に出さないというのが通例ではないだろうか。

 ところが若山さんのこの本は、まさに、Berdiaev のいうような意味での、「啓示の読み解き」なのである。

 システィーナ礼拝堂天井画のような作品を鑑賞するにはそれ以外のやり方はない、と Berdiaev には言われそうだ。しかも、それが、21世紀に生きる日本人女性による信仰告白なのだから、まさに、啓示の多様性と普遍性を象徴している。

 しかし、この膨大で緻密でそれでいて、信仰のたえまないフィードバッグにはっきりと裏打ちされている研究書について、宗教者の側からの感嘆の声も、研究者の側から反響も、少なかったらしい事実は、何を示しているのだろう。

 宗教者の側では、著者の信仰の密度に圧倒されてそれを受け止められなかったのか、あるいは、単に、美術鑑賞の基本スキルの差が大きすぎたのか。
 研究者の側では、「学問的」な「研究」に、個人の信仰告白をこれほどまじえた批評を前に声を失ったのか。それは「正論」の前での畏れでもあり、焦りもあったのだろうか。

 しかもこの本における、いろいろな解釈は、非常に歴史的、実証的、美術史学的、宗教解釈的な根拠に基づいているのではあるが、底に流れるのは、神の摂理に関する著者の信仰であり、確信である。

 それは、学問的な部分と、信仰の部分というのにとても分けることはできない不可分のものである。

 それを思うと、少なくとも著者やミケランジェロと信仰を共有しない人から見ると、「対等な批評の場が開かれていない」という気持ちを起こさせるものかもしれないし、共有するものにとっても、向かい合うには重すぎるものとなるかもしれない。

 ミケランジェロの時代の宗教と文化の空気の一部が今でもそのまま社会の空気の一部となって共有されているようなローマのような町でなら、この本の登場には違和感がなく、気負いも、警戒心も引き起こさないだろう。

 でも日本のように、私が『レオナルド・ダ・ヴィンチ-伝説の虚実』(中央公論新社)で書いたように、ダヴィンチもダン・ブラウンも各種陰謀説もニューエイジもノストラダムスも宗教ものや終末論もののアニメもゲームもマンガもみんな同じのっぺりとしたヴァーチャルな場所でひとからげに語られたり消費されたりされる場所では、この本は、多分、存在感が、ありすぎる。
 
 現在生きている一人の人間の人生の重みをかけて、宗教を通した現代社会への平和のメッセージもこめて、偉大な預言者としての芸術と芸術作品の読み解きによる「成就」を目指すという試みを、まともに受け取れる人がいるのだろうか。

 それは、日本語で何かを書くときの私自身のやり方とも全く反対方向である。
 つまり、あるアートがどんなに私個人の深いところに達して存在の根を揺さぶろうとも、それを批評の言葉にするためには、そこから、「個人」性やそれに基づく情動の部分をいかに削っていくかというのが、私が普段やろうとするやり方だ。
 それがうまく行けば、たとえ特定の「信仰の言葉」や「情動の言葉」を注意深く全部切り捨てても、なお、そこに残った「気配」が多様な他者の存在の根に触れるかもしれない。

 触れないかもしれない。

 それでも、触れない故に、ニュートラルなのっぺりした批評空間の片隅に無害な顔をよそおって残ることができるかもしれない。そしたら、そこで多様な他者と触れ合って、別のルートでやってきた別の啓示の「気配」を見つけることができるかもしれない。

 Souzenelle やBerdiaev の感性のことを考えると、若山さんが東方正教の諸美術をどう解読なさるのかに、とても興味がある。
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by mariastella | 2009-02-21 01:42 | アート

クリエーションと超越の関係

 アートとクリエーションとか、インスピレーションとか、超越や聖性との関係とかいうと、何か、見えないあっちの世界に天国的な何かがあって、こちらの世界でそれをキャッチできる霊能者的なアーチストがそれをこっちの世界で形にできるんだ、見たいな感じが伴いがちだ。

 実は、一神教におけるクリエーションとはその逆で、この世界のクリエーションという形でしか神は自分を表現できないというか、美とは完全にクリエートされた世界での現象である。

 ヴァレリーだったかが「もっとも美しいものとは永遠の中には姿を見せない」というのはそういうことだ。
 美しいものとは何一つ生命と切り離すことができないし、生命とは有限=死ぬもののことである。
 多くの人が美についてい抱く、何かある「不滅」の概念というのは、死との対称性によってのみ支えられる。

 Annick de Souzennelle が、Nicolas Berdinaev について書いてるのを読んで、啓示というのは、Extraordinaire(超常) に現れる出来事でなくて、 ordinaire(常) に現れるからこそ啓示なんだなあ、と思ったのとつながる。Berdinaev は、人間の創造的作品は、聖書によって啓示されるのではなく、人によって自由に顕されるのだ、と言う。

 偶像というと、人間の創ったものだからよくないよ、と一神教は思いがちだが、偶像を「神だ」と言い立てて、私利私欲に使う輩が出てくるからよくないので、偶像は、立派なクリエーションでもあり得るし、美でもあり得る。

 キリスト教は受肉だとか、三位一体とかで、この辺の一方通行をなくしたんで、Annick de Souzennelle なんかは、神が人になったのは、人が神的なものであるためだ、とすら言っている。

 神が天地創造しなければ、神は無限なので、自分の姿や自己というものがなく、自分を知りたい、見てみたい、という欲求に駆られてクリエーションしてしまったのだ、という言い方もある。

 こういう感じだと、地上のクリエーターは、別に、この有限の世界に捕らわれた囚人が永遠の世界に憧れて、そこからインスピレーションを受けて神的なものを創る、なんて思わなくても、ここにクリエートされた自分や世界そのものが、聖なるものの唯一の存在表現なんだなあ、と地に足をつけて、安心してクリエーションを続けていけばいいことになる。
 
 超越についてなんて、頭を悩まさなくてもいい。超常の地平に啓示を求めなくてもいい。

 こういう感性は結構、東方正教会的だなあ。

 昨日買ったPhillippe Sers の 『Verite en Art』 を読むのが楽しみ。

 
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by mariastella | 2009-02-20 23:54 | アート

Van Dyck の不思議

 最終日近く、ジャクマール=アンドレ美術館にようやくヴァン・ダイク展を見に行った。この美術館はニッシム・ド・カモンドと共に、なぜか、とっても落ちついて、前世で住んでたんじゃないかなあ、と思える場所なんだけれど、この寒いのにえらく込んでいて、道にまで列ができていたので驚いた。

 で、ヴァン・ダイクだが、今回は肖像画だけで、ドラマチックな宗教画はないのだが、かえってぞくぞくした。

 ヴァン・ダイクの描いたマグダラのマリアは、17世紀のバロック時代における一連のマグダラのマリアの絵画表現の出発となったものだと思う。
 彼なしには、たとえば、Nicolas Regnier や Claude Mellan の マグダラのマリアの表現は生まれなかった。マグダラのマリアのイメージといえば、それまでは、罪の女時代の肉感的なものと、苦行をした後の壮絶な姿に引き裂かれていたのが、Van Dyck は 一種 atemporel 非時間的なものを持ち込んだ。

 彼の描く貴族たちの肖像を見ていて、圧倒的な上手さにも感心するが、何にもっとも驚かされるかというと、elegance と arrogance の共存だ。
 
 エレガンスというのは、バロック時代のフレンチ・エレガンスの意味で、「もてるものを全部見せない、出さない、マキシマムを強要しない」という感じで、後のロマン派が垂れ流すような情熱や不安などは、抑制されて、人工的頭脳的に再構成されて提供される。

 アロガンスというのは、一種投げやりな横柄さ、尊大さ、傲慢さであり、一見すると、エレガンスと対極にあるんじゃないかと思うかもしれない。

 ところが、ヴァン・ダイクにおいては、この二つが自然にハーモニーをなしているから意外で味わい深いのだ。

 それが独特の elegance nonchalante を醸し出している。つまり、天然のゆったりした無頓着な感じを伴うエレガンスであり、末梢神経をくすぐるような緻密さは表に出てこない。

 このアロガンスがどこから来るのかといえば、画家にとってはその圧倒的な技量、技術、天才から来る。つまり、そのやすやすとした感じ、facilite から来る。
 そして彼のモデルとなる王侯貴族たちにおいても、その、貴族ゆえに浮世離れした生来のnonchalance が、自然な尊大さにつながるのである。

 チャールズ一世の表情にあふれるメランコリーはまるでこの人が清教徒革命でやがて処刑される運命を暗示しているかのように見えてしまう。しかし、その心もとない、胸を締めつけられるような哀しみの発露にかかわらず、王権神授を唱えた絶対君主の息子として生まれて専制を続けた「生まれながらの権力者」だけが持ち得るような、どこか投げやりで、人生を外側から見ているような冷たく尊大な非現実感がある。

 絵のスタイルのエレガンスと、画家の才能とその確信からくるアロガンス、そこに、モデルの王侯貴族の出自から来る独特の投げやりさをまとったアロガンスが加わって、ヴァン・ダイクの肖像画には、エレガンスとアロガンスが並び立つ。

 風味があって、冷たさまでが、いとおしい。
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by mariastella | 2009-01-25 04:00 | アート

横浜トリエンナーレ

 先月下旬、終幕近くに横浜トリエンナーレに行った。

 『タイム・クレヴァス』というテーマが刺激的だったのでわくわくしてたのだが、大きな物語はなく、単に「非日常」みたいな意味だったらしい。

 日本では「国際展」は、世界の一流アーティストを一堂に見られる、みたいな、オリンピックのような感じで「成功」したと見なされるのかもしれない。

 キュレーターとはオーガナイザーなのか、メタ・アーティストなのかという議論もあるが、参加アーティストに、もっとつっこんでテーマ性を要求したらおもしろかったのに。

 60年代からのハプニングとかフルクサスとかの回顧みたいな部分が多く、これじゃタイム・トラベルだなあと思った。60年代の前衛シーンはよく覚えているので、懐古気分にはひたれたけど。

 趣向が凝っているのが多くあって、たとえば、ロドニー・グラハムの作品なんかは、2006年の作を1969年作に見立てている。ジャガイモを銅鑼に向かって投げるパフォーマンスの映像も、わざわざ1960年代の服装で黒白映像を撮り、まさにタイム・スリップなのだ。本気で、1960年代の作品だと思って見てる人もいた。

 クロード・ワンプラーの「彫刻」は、白い台だけで、壁にかすかにシルエットみたいなのが見えるのだが、しかも、「時の彫刻」とか「無題」とか、「自分を食らうヴァンパイア」とか、会期中にタイトル進化してるみたいで、素材も詳しく書いてあり、後から確かめたのだが、音声ガイドでももっともらしく「彫刻」が解説されている。

 そして、その傍では、見えない彫刻をスケッチしていたり、コメントしあっている人がいる。
 私もはじめは、ある角度でないと見えないレーザー光線とかホログラムの映像なのかと思って眺めたのだが見えないので、じっと見ている女性に

 「私、見えないんですけど、どこにあるんですか」

 と間抜けな質問をした。すると、

 「いや、ここにあります」

 と真面目に答えられた。

 で、さすがに、これはジョン・ケージ作品みたいなパフォーマンスで、客の反応が作品になっているんだと気づいて、

 「あ、そういう風に答えろって、言われているんですか」

 とまた馬鹿な質問をしたら

 「いいえ」

 と冷たく言われた。

 芸大生だかのバイトなんだろうと思って、その後で通りかかった時もちらちら見たが、時々メンバーが変わって、いろいろな人が、見えない彫刻に手を触れるふりとかしていた。若者グループにもっともらしく解説する大人までいて、ヴァリエーションがある。一般客は遠巻きにして不思議そうに眺めるのだが、私のように「見えないんですけど」なんていう野暮な人はいないようだった。

 その後、新港ピアの会場に行った後で、またこの日本郵船倉庫会場に戻ったので、今度は遊んでやろうと思った。

 ほんとうは、その「彫刻」の前に行って、

 「なんて、グロテスクなんでしょう、これも、ショッキング指定(いくつかの作品はスプラッターみたいな血みどろ映像のために、不快感を与えるかもしれませんと注意書きがあったのだ。こういう、前衛アートのスプラッターも私は全然好きじゃない)すべきじゃないですか」

 と、デッサンしてるふりをしてるパフォーマーというかサクラに声をかけようと思ったのだが、そこはそれ、日本の上品な鑑賞者たちの前では、さすがに勇気が出ない。

 で、

 「あなたはこの作品のどの部分が好きですか?」

 と声をかけた。

 「え・・・そう、私はやっぱり、この・・お尻の部分ですかね」

 と美大生らしい女性が何もない空間を指して答えた。

 「ふーん、そうですかあ」

 と私は言って、その「お尻」に触れて撫ぜるふりをした。

 そして、耳につけた音声ガイドを指して、

 「いやあ、このガイドって、すごくよくできてますよー、このおかげで、見所がすごくよくわかりますよ」

 と言いながら、「彫刻」の周りをふるっとまわって見せた。

 あの女の子、きっと後から、音声ガイドを確認したに違いない。
 ガイドも決してネタをばらしてないんだけどね。

 新港ピアには大掛かりなインスタレーションがいろいろあったが、その多くは初日のパフォーマンスの残骸であり、こういうパフォーマンスとナルシシズムとの境界線が引きにくいこともあって、アーティストたちのの自己愛で腹いっぱいという気にもなった。

 もちろん、感心させられた作品もあったんだけど。

  1965年のNYの『カット・ピース』と、2003年のパリの『カット・ピース』を並べたオノヨーコはすごい人だ。 彼女の年齢と、立場と、時代と、NYとパリという場の差が興味深い。あれを見てると、NYでなくてパリに住んでることが嬉しくなる。

 5月に直島に行った時、直島で成功している、と思ったもの、つまり、その場でインスピレーションを得て制作するというような試みが、横トリでは、全部、ちょっとずれていた。

 直島にあって、横トリにはなかったもの、それは、エレガンスである。
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by mariastella | 2008-12-05 01:50 | アート

ピカソの展覧会に行く前に

  今、グランパレなどで大々的なピカソ展をやりはじめたので、ラジオでいろんな話をしていた。ピカソの子孫もいる。

 芸術上の天才には生前不遇な人も多いのに、ピカソは「天才」だと認知されながら長生きした。

 天才だと自称あるいは自覚している人の99%は天才じゃない、しかし、すべての天才は自分の天才を自覚しているんだそうだ。天才の自覚は天才の必要条件(充分条件ではない)らしい。

 しかし、ピカソは、一生、失敗作を恐れていたそうだ。

 天才とは、「人と違う=オリジナリティ」を別に目指すわけではない。しかし、先行する天才の偉大さに追いつこうとする野心がある。

 コンセプチュアル・アートの人は同じコンセプトで連作する。
 「人と違う」コンセプトを発見したらせいぜい使いまわすとも言える。

 でもピカソは、失敗をたえず恐れていた。
 実際多作の中には凡作もある。
 それがまた次のチャレンジにつながった。天才とはそういう道のりらしい。

 「人と違う人」というのは天才でなくても存在するし、当然それを自覚している。その孤独は引き受けるしかないものである。

 キュービズムなんかは遠近法の革命で、コンセプトというよりパラダイムの変換だった。

 バルセロナのピカソ美術館にはベラスケスの模写連作の部屋があり、あれを見ていると、天才のクリエーションへの「迫り方」とは何かが見えてきて実に迫力があるのだが、今回の展覧会は、ゴヤやグレコやマネやアングルやセザンヌやらへの迫り方も系統的に見せているらしい。

 1947年にルーブルでピカソ自身が、ドラクロワの作品とそれをモチーフにした自分の絵を展示するという試みをした。その時、「ドラクロワがあなたの絵を見たらなんというと思いますか」、と聞かれたピカソは、「気に入ってくれると思う、ドラクロワだってルーベンスにインスパイアされたんだから」と答えたそうだ。

 彼が過去の大画家の作品をモチーフにヴァリエーションを連作するのは、たとえていえば、偉大な演奏家が過去の偉大な作曲家の作品を、楽器を変えたりテンポやニュアンスを変えたり、解釈を変えたりしながらいろいろな演奏を試みるのにも似ている。

 ヴラマンクによるゴッホやセザンヌの模倣は全然違った。
 彼は「演奏」していない。
 彼は、自分で「作曲」しようとしたのだ。
 彼は「他の人と違う」自分があり、それを自覚していたので、ゴッホやセザンヌをモデルにして、その「違い」を表現しようとして、ある程度は成功した。
 でも、ヴラマンクは天才じゃなかった。
 ゴッホやセザンヌと比べてしまうと、その格差に愕然とする。

 ピカソは天才だったので、「演奏家」としても優れていて、それを血肉にして自分の作品も創ったのだ。
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by mariastella | 2008-10-10 22:23 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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