L'art de croire             竹下節子ブログ

カテゴリ:踊り( 16 )

「90歳の娘さん」-- 年をとるということ

先日arteのドキュメンタリー映画『90歳の娘さん』でパリ近郊の病院の高齢者医療のアルツハイマー患者のセクションにおける「ダンス」のシーンを見た。

ティエリー・チィウ・ニアンというダンサーが一週間毎日通って患者の前で踊り、患者を誘っていっしょに踊る。車椅子の人とも触れ合う。

その中に92歳のブランシュという女性がいて、はじめは杖をついていたのに、彼と踊ると生き生きして、片足でバランスをとったり、彼のことばかり考えていると言ったり、完全に恋する乙女の目になっていた。

この女性はサンジェルマンでアーティスト的な生活をしてきた人だそうで、結婚歴はなく子供もいないという。自分のいる環境も気に入っておらず、自分が「劣化」したことにも絶望していた。他の患者たちのようにチィエリーのパートナーと共に「古い歌をみんなで歌う」という活動も馬鹿にしている。

けれどもティエリーとのスキンシップやダンスの中ではがらりと変貌する。

この番組を見たのは私がダンスによるセラピーに興味があるからだ

でも、さすがに、90代の人々というのは私も想定していない。
ティエリーの官能的なコレグラフィーや体の使い方はいいとして、体も認知能力も衰えているはずの超高齢女性が生き生きと反応して周りに嫉妬の感情まで引き起こすのは印象的だとはいえ、なんだかのぞき見をしているような気分になって居心地が悪かった。こういう感じ。(ビデオは多分広告の後で出てきます)

ティエリーというのダンサーは父親がベトナム人で母親がフランス人のハーフで、もう50代半ばだけれど、若い頃の坂本龍一みたいな感じで、しなやかな体つきは20代の若者のようだ。
白髪も混じる長髪なのだけれど、患者たちはみな彼に「若くて美しい」と賛美の言葉をかける。
彼は若い頃から国境なき医師団と共にアフリカやアジアでボランティア活動をしていて、高齢者のダンスセラピーも、ただ気まぐれにやっているのではなくて使命感に突き動かされているプロなのだ。
だから年齢のハンディを抱える女性たちに妙な思わせぶりをするわけではない。
けれど、ダンサーが本気になって他者と関わろうと思ったら、自然にホルモン全開でフェロモンをまき散らすのか、ブランシュたちも本気で何かを目覚めさせられ、枯れ木に樹液が満ちるようになるのが伝わる。

はじめは何か見世物みたいでいやだった。

ティエリーはプロ、ブランシュは慈悲の対象、一時の幻想を与えてどうなるのだ、と思ってしまう。彼女がどんどんと恋に落ちるのを見るのが苦しい。

実際、映画やドラマを別として、リアルな人間がまたたくまに恋に落ちていくのを実際に見る、ということは普通はあり得ない。ドキュメンタリーやお見合い系番組があったとしても、登場する人は当然だけれど世間を意識し、カメラを意識し、要するに「どう見られるか」を意識している。

でも、ブランシュは、認知症のおかげで、他のスタッフの目も患者たちの目もカメラも完全に無視しているし、後でこの番組を見る私たちの目も当然存在しないに等しい。

だからこそ「見世物」を覗いているような罪悪感があり、はじめは他のいろいろな患者の姿を見るだけでも落ち込んで、「こんな風に年とる前に死にたいものだ」などとしか思えなかった。
ティエリーの暖かさや誠実さやまごころやリスペクトも伝わり、おそらく彼自身もこの交流から多くのものを与えてもらっているのだということは伝わるのだけれど、番組の底には、どうしようもない「現実の残酷さ」をも切り捨てないという筋が一本通っている。
感嘆し感動もするけれど幻想は抱けない。

そのバランスがあまりにも絶妙なので、居心地が悪いと思いながらとうとう最後まで見てしまった。

最後に残った感想は、

人は何歳になってもどういう状態にあっても、愛と思いやり、スキンシップが必要だけれど、「その相手」は何でも誰でもいいわけではなく、

柔らかくてふわふわな子猫だとか
元気で忠実な犬だとか、
若くてしなやかな異性だとか、

「相手を選ぶ」のだなあということが一つだ。

自分と同じように杖をついてよれよれの高齢者を眺めたりしわだらけの乾いた手で触ってもらったりするのではなく、生命のほとばしりとか躍動とかを感じられる相手を必要とするのだ。

もう一つは、高齢認知症患者や、「死に行く人」らが必要としているのはスキンシップだけではなく、スキンシップやかかわりの「侵襲性」だということだ。
たんに世話してもらっているとか、そばにいてもらえるとか言うのではなく、ティエリーのように、まっすぐ、相手の中に飛び込み、引き出し、一体化することを積極的に、執拗に、忍耐強く示された時、すべての人は「よみがえる」のかもしれない。
変な言い方だけれど「無理やり」誘ってほしい。その中でこそ、彼らが長い間失っていた「必要とされている」感が再生するのだ。

「現役時代」の人は、あちらこちらから頼られ、必要とされ、仕事や役割を押し付けられて疲れはてうんざりすることの方が多いからなかなか気がつかない。若くてきれいな人やいろいろな意味で力のある人には、多くの人が寄ってきてそれこそ侵襲しようとしたり親しい関係を築こうとするだろう。

けれども、若さと力と認知機能を失った人は、そのような、「周りからいやおうなく働きかけられる」という関係をすべて失い、「お世話してくれる」人だけが残る。
そうなった時にはじめて人は「年をとる」のかもしれない。

その意味で、ボランティアに関わる全ての人が見る価値のあるドキュメンタリーだと思った。


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by mariastella | 2017-06-19 00:49 | 踊り

モリエールとリュリーの『町人貴族--アルルカンの入場』

バロック・バレーもフランスの学年末なので、リュリーの『町人貴族』の「アルルカンのアントレ」を準備している。キャラクターダンスならではの内股などが入っておもしろい。
最後の8小節がさらに興味深い。
c0175451_01305756.jpg
(楽譜と振付譜が読める方はどうぞ)

3拍子だけれど、初めの2小節は1拍目がない。
最初の小節は、
無音の1拍目でコントルタン・ジュテ、
次の2拍目でシャセを2つ。
最後の3拍目でジュテ、
と4ステップが入る。

次の小節は2ステップ。
全部で、8小節の間に

4-2-4-2-3-4-2-1

というステップが不規則に割り当てられる。

いかにもバロックバレー的な予測不可能というかロジックのなさが内臓をゆさぶる。

来週はコンサートもあるが、ブランデンブルグを全楽章弾くだけでもかなり消耗する。
秋に日本で弾くトリオの新曲は、20小節ばかり反復するようにと今日指示された。
体力と精神力と筋力が要る。大丈夫か、わたし…。

座業といつまで両立できるのかなあ。






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by mariastella | 2017-06-14 02:20 | 踊り

ふくらはぎと中足の関係。 戦争は愛で勝つ?

2017年、新年初のバロック・バレーのクラスに行ったら、20年も踊っているのに、突然新しい感覚が得られた。

クリスティーヌ(そういえば彼女の弟が去年の秋から日本のフランス大使館の文化担当官になっている)が、つま先で立った時に、ふくらはぎが緊張していてはいけない、という。

いわばふくらはぎが中足骨に落ちてしまった、という感覚でないとだめだと。

これのコツがなかなかつかめなかったのだが、1700年代半ばのバレエの本に、ひざを曲げる時は、ひざを曲げるのではなくて足首を曲げるのだと書いてあることを応用したら実感できた。

確かに、踊りでひざを曲げるいわゆる「プリエ」の動作は、もちろんひざが曲がるわけだけれど、実はそうすることで脚と足の角度が小さくなる。だから、ひざを曲げる代わりに足首を曲げるのだと意識すれば、当然ひざも曲がる。

この時、「ひざを曲げる」と意識するのと、「足首を曲げる」と意識するのとでは、ふくらはぎにかかる感覚が変わってくる。

その感覚を思い出しながら、つま先で立つときも、足指と中足骨(足の甲の前半分)の間を曲げるのだという意識で床を押すと、確かにふくらはぎに力が入らない。

バロック・バレーはクラシック・バレーと違って巧みに脱力する部分が多くて気持ちよくできているのだけれど、「筋力で解決」してはいけないことがたくさんある。その緩急、強弱が面白いのだけれど。

その後で、リュリーの「アムール(愛)の勝利」の話になった。

今から10年くらい前に見つかった銅版画で、1681年のこのオペラ・バレエにはバッカスの子供たちとしてルイ14世の子供たちが出演していたことが分かったという。
ルイ14世そのものは1669年以来踊らなかったけれど、このバレエの女性ダンサーはほとんど彼の愛人だったという。子供たちというのも愛人たちの子供が多い。王太子が多分バッカスだったようだ。
コーラスに振付があったこともほぼ分かっているし、歌手がダンサーの踊っている真ん中で歌うこともあって、音楽と歌とダンスが別々に配されていたわけではないことも分かっている。

少なくとも宮廷ヴァージョンでは。

1681年のルイ14世は、アルザスも占領して絶頂期だった。
インドにも手を出していた。
「愛の勝利」にはその舞台であるギリシャ世界に本物の「インド人」も出てきたという。

そして、「愛の勝利」というのは、実は自らの戦功を称えたものなのだけれど、自分の出陣する戦争は力や欲望の戦争ではなくて「愛の戦争」なのだという含意がある。

いつの時代も戦争の言い訳をするリーダー、戦争とは「命」を守るための愛の行為であると主張する支配者がでる。
太陽王を自称する絶対君主でも、あからさまな「力」よりも、太陽の光や熱を「愛や命」の源として「侵略も愛」と正当化したかったのは、やはりキリスト教文化に生きていたからなのだろうか。
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by mariastella | 2017-01-07 02:02 | 踊り

クライスト著「マリオネット劇場について」

この短編エッセイについては10年前の『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)でもバロック・バレーに欠かせない理論として紹介したが、最近行きつけの本屋で、これだけが小さな本になっているのを発見して嬉しくなって買った。

40ページ、80グラム、日本の文庫本くらいのサイズ。このシリーズにはいいものがたくさん出ている。この手の装丁は偉人の名句集とか聖典の言葉とかにはよく見かけるのだけれど、一続きの内容のつまっているものを何度も読むのに最適だ。

ウェブの世界でかなりの古典がダウンロードできてしまうことには利用する度に感動を覚えるが、好みの書店に入って紙の本がぎっしり並んでいたり積み上げらたりしているのを見ると「感動」でなく「歓喜」を覚えるのは私だけではないだろう。

さて、このクライストのテキスト、久しぶりに読み返してみても、本当に奥深いものだ。ダンスだけでなく、楽器の演奏にも応用できる。生き方そのものにも応用できる。

ネット上で読んだフランス人の読者の感想に、「ドイツでしか現れないような忌まわしいテキスト」とあったので驚いてなぜかと続きを読むと、人形遣いという言葉が「 Führer」とあるのだそうで、つまりヒトラーの呼称と同じだから、テキストの伝えたいのは「人は自分の意思を捨てて人形遣いの手に操られるのがいい」、ことだと解釈しているのだった。

これはいくらなんでも誤読だろう。

しかし、このような名テキストにこのような誤読が可能であるのだとしたら、読者の意識にかかっているバイアスとは恐ろしいものだ。

どんな名文もどんな名曲も、受け手にリテラシーがなければ、泡沫作品と変わらないのだ。

昨日のクリスティーヌのクラスで、シャコンヌは過去に一拍157くらいで踊られていた、という記事を紹介された。
以前セシリアのクラスでも120-157とあった。
でも16分音符が連続するようなデュフリィのシャコンヌ(これは踊るために作曲されたものではないが)はクラヴサンでも128がせいぜいだし、ギターだと115くらいが限界だ。

というより、これより速いと、ステップにヘミオラを駆使して間のびさせないと踊る方が疲れてしまう。

17世紀の後半にほんとうに157のテンポでで演奏され、踊られていたのだとしたら、それこそクライストの言うように、重力の作用と反作用の反復にだけ魂を乗せて聖霊にあやつられて弾いたり踊ったりしていたのかもしれない。
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by mariastella | 2013-06-25 22:47 | 踊り

Le Ballet de la Merlaison

メルレゾンのバレー

先日、オデオンでChristine Bayle のLe Ballet de la Merlaisonの記録ビデオの上映会に行ってきた。

コンビェーニュの帝国劇場で去年の5月に初演したものだ。

宮廷ダンスと言えばルイ14世が有名だが、実はルイ13世の時代にはもう宮廷バレーのテクニックは確立していた。ルイ13世の誕生の時からの主治医が幼い皇太子の暮らしぶりの日記を残していて、そこには彼がダンスや楽器の練習に熱心だったことが書かれている。

宮廷ダンスとしてのバロックバレーは技術的にはルイ13世の時にすでにピークに達していたらしい(デュマの『三銃士』にも言及がある)。

といってもまだ振付の記譜法は確立していないし、オペラ・バレーもできていないし、リュリーが工夫した抒情悲劇、つまり、ダンスと交互に役者に朗誦をレシタティフとして歌わせながら劇を展開させるいかにもフランス的なオペラもまだ生まれていない。

それらのすべてを熟成させて詰め込んで、音楽を「受肉」させたラモーの時代はさらにもっと先だ。

このメルレゾンのバレーは、残っている楽譜にパトリック・ブランが中声部を加えた曲に、クリスティーヌがふりつけたものだ。レシタティフの代わりにところどころ、台詞(詩)の朗誦が挿入される。

登場人物はルイ13世(彼が「冬」や「ツグミ」に仮装する設定)と王妃と、愛人のラファイエット嬢(有名なラファイエット夫人の大おばに当たる)とリシリューで、彼らの狩りの様子、楽隊や兵士や鳥たちによるマイムや踊りが繰り広げられる19景からなる本格的なものだ。

衣装は当時のタロットカードにインスパイアされて製作したそうで、カーニバル風でもあり、仮面や小道具もいろいろ工夫されていて楽しい。

儀式風、マイム風の部分は、なんだかバリ島の伝統舞踊だとか、能の舞だとかを連想させる。

ダンサーはクリスティーヌの他女性4人、男性4人だ。

女性のうち2人のイレーヌとエリーズはどちらも180 cm以上の長身なので、ユベールやエマニュエルら男性陣とほぼ変わらない。

それで、彼女ら(特にエリーズ)が、男装して何度も兵士や従者役などをこなしていた。

彼女らはクラシック出身だからジャンプ力もあるし、ダンサーたちの特性を知り尽くしているクリスティーヌならではの高度な動きのある振付で、舞台として迫力もあり贅沢で満足感がある。

クリスティーヌはこの作品や次の作品のスポンサーを見つけるために上映会をしているので、その意味では、説得力があると思う。

音楽も、ゆっくりした3小節の後に8 小節の速いテンポというように、いかにもこの時代らしい不規則で動きのある展開などがあって魅力的だ。

時代は1635年のスペインとの戦争前夜の「外交」期間であって、このバレーも一種の政治的メッセージを帯びているらしい。

王がラファイエット嬢を魅惑したいという意図もあって、目と耳とエスプリのすべてを満足させるという設定になっている。

最後は春の戦士が冬を追放する。

四季が冬から始まるというのは、冬至の後に太陽が再生していく過程でもあり、黒から白へ移る錬金術の過程でもある。

こういうスペクタクルのコンセプトはほんとうに、オペラ・バレーの揺籃だし、朗誦を朗唱に発展させさえすれば、フランス・バロック・オペラの誕生だ。

ルネサンスのダンスがどのようにして宮廷ダンスに変化を遂げたのかは今でも謎の部分が多い。

現在研究対象になっている最初の舞踊法の手稿(le manuscrit "Instruction pour dancer" )は、ルイ13世が即位した1610年頃のものだが、具体的な踊り方はわからない。

もう一つの手掛かりは、1620年代に英国で暮らしてダンス教師を生業にしていたフランソワ・ド・ローズ(François de Lauze、1570-1630)が、バッキンガム侯爵夫人のために書いた『舞踊弁論並びに男女共通の完全教授法』(Apologie de la danse et la parfaict methode de l’enseigner tant aux cavaliers qu’au dames 1623) (なぜ弁論なのかというと、舞踊が異教的なものではなくてキリスト教に適っていると説得するためだ。宗教改革を経てきた微妙な時代背景がよく分かる)というものだ。

この5-7章にはロンドやクーラントなどかなり詳しい解説があって、この二つの資料を突き合わせながらルネサンスからバロック・バレー(ベル・ダンス)がどのように形成されたのかをクリスティーヌは探っているわけである。

で、このメルレゾンのバレーの再クリエーションを見た感想だが、スペクタクルとしては見応えがあるし、クリスティーヌの個性も発揮されていて楽しいが、ルイ13世のバレーの本格的な再現を期待している人には違和感があるかもしれない。

私は彼ら9人のうち7人と実際に踊ったことがあるし、あまりにも近い位置にいるので、どの程度客観的に見ることができるのかも疑問だ。

しかし、この上映会の後しばらくして、シャルパンティエの『ダヴィッドとジョナタス』をオペラ・コミックに観に行った時、メルレゾンのバレーとシャルパンティエを隔てる半世紀を俯瞰した気分になって、さらに半世紀後に現れるラモーやミオンのオペラがより立体的により必然的に見えてきた。

その意味では貴重なミッシングリンクの発見かもしれない。

『ダヴィッドとジョナタス』については次回に。
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by mariastella | 2013-02-01 03:10 | 踊り

クラシック・バレーにおける足の外旋について。

先日の夜、マレ地区のダンスセンター(CENTRE DE DANSE DU MARAIS)で、外に開く足のポジションについての実演付きの講演会があった。

http://www.paristango.com/l-en-dehors,-des-indes-a-l-occident-samedi-4-fevrier-20h-n214.html。

クラシック・バレーの五つのポジションに見られる、左右の足先をそれぞれ外側の真横に180度開くやり方の起源と意味を探るというものだ。

インド舞踊の Sharmila Sharma をゲストに、紀元前1800年のプロト・シヴァ神のその浮き彫りなどを手がかりに、外向き足(日本語ではむしろ「外また」に近いが」のルーツを探る。

その後で、ポーランドのバレリーナDaria Dadun-Gordonが男女7人の生徒のレッスンを、バーなしでセンターで実演した。

ものすごく興味があった。

けれども、ここまで面白いテーマをここまで面白いアイディアで掘り下げながら、ここまで、視点がずれているのは驚きでもある。

何しろ、クラシック・バレーの直接の祖先であるバロック・バレーについての文献を誰も読んでいないのだ。ピエール・ラモーが外向きの足についてバランスとの関係で書き残したこともスルーされているし、クラシック・バレー以前は「娯楽の宮廷バレー」と切り捨てられているのだ。

Katharina Kanterの仮説は次のようなものだ。

外向き足は、人類が車輪を発見したのと同じような革命的な発見だ。輪を転がすことで移動を獲得したように、外向きの足によって、人間は体の自由を獲得した。
インドではダンスはスピリチュアルな分野であり、インドの舞踊の型はそのままヴェーダの象徴である。外向き足こそが人を他者に向かわせ、超越者に向かわせる。

ヨーロッパで始めてダンサーの外向き足が彫刻によって現れたのは1480年で、Erasmus Grasser の婚宴で踊る男と、 Veito Stossの踊るダビデ王で、両者とも、不自然なくらい強調して交差させた足と脚を見せるために服の裾をわざわざからげている。インドからシルク・ロードを渡ってイベリア半島まで来ていたモール人のダンサーたちが東欧に移動したからだ。

その外向き足をますます発展させ、表現の限界を追及したのがクラシック・バレーだと言う。

ただし、最近のクラシック・バレーはそのスピリチュアルな意味を忘れてただの静的なポジションとして強制するので、職業病のように体の故障が出てくるようになった。バーにつかまって片足ずつ鍛えるのは、本来の動きから見て不自然だ。最初からセンターで体重を両足に感じながら腰や足や脚を開き、外旋する訓練をしなくてはならない。

とまあ、こういう概要だ。

別の人が、人体の骨格模型を持ってきて、骨盤と脚の付き方を説明し、人間が快適な四足から後足だけで立ち上がった時からすこし外向きのほうが安定がよくなった、と言った。

インド舞踊のダンサーは、インド舞踊では両足先の角度は90度にしかならないし、動きの受容の時にそうなるのであって、準備のためではない、と言ったのだが・・・。

インド由来という仮説の方は、パワーポイントも駆使して詳しく説明されて、論文掲載した小冊子も配られた。

なんというか・・・

インドから、何ですぐに1480年に飛ぶんだろう。

バロック時代に流行したサラバンドでさえメキシコ経由のスペイン由来だという説がある

(http://setukotakeshita.com/page7.html#c)

のに、シルク・ロードまで持ち出してインド起源とは。

それに、霊長類は四足歩行というより、四本の腕、四つの手で枝をつかんで木の上を移動して生活していたものが主だから、むしろ、後ろの腕と手で直立するようになったと言えるはずだ。

四肢で枝をつかんで体を支えるとすると、股は外向きでひざから先は内向きという姿勢だって考えられる。
日本舞踊の女舞の足運びが内股なのは日本人なら知っている。
体の安定はひたすら腰にある。

外向きの足が人間を解放してスピリチュアルに向かうだとか表現がどうとかいうのも大いに疑問だ。
披露されたインド舞踊でも、視線や腕や手指や上半身の動きが十分に表現力を発揮している。脚や足を見せない日本舞踊だって表現の強度というのは変わらない。

脚を180度開脚して振り上げたり跳んだりするのは、普通の人にはできない「名人芸」に近いが、それがエスカレートしてきたのは、踊りが産業として発展してきたからで、観客から対価を得るためには、「普通」の人には不可能な技を披露する必要があった。そのために、有名なバレエ学校では、解剖学的に、もともと極端な開脚が可能な骨格や筋肉の付き方の子供だけを受け入れるようになったほどだ。

インド舞踊のダンサーは、インド舞踊の学校で毎日朝6時半から夕方6時半まで練習したが、最初の2時間はヨガで、午後は音楽や歌もやる総合的なものだった、自分の先生は74歳でまだ現役だ、体に無理をかけないからだ、と言っていた。この考え方もバロック・バレーに近い。

残念なのは、インド舞踊のデモンストレーションについてきた生徒(若いフランス人女性)が、体もどてっとして動きも切れが悪かったことだ。生徒の絶対数が少ないだろうから無理はない。

それに比べれば、クラシック・バレーの実演をした7人の生徒は、いずれも、ほれぼれするようなきれいな体で、もちろん脚も足も180度らくらく開いて、全身しなやかな若者ばかりだった。

それだけ見ていたら、エキゾチシズムは別として、なんとなくクラシックバレーのほうがインド舞踊よりプロフェッショナルで難易度が高く上等な気がしてくる。

クラシック・バレー界の人たちばかりのバイアスがかかりすぎだ。

ただ、クラシック・バレーを子供の時に8年間やって、バロック・バレーをこの15年ほどやっていて、最近またクラシックをやり直し始めた自分(体は昔から硬いほうで、今はなおさら動きが悪い)の実感がひとつある。

あの、延々と繰り返されるバーでの基礎訓練や、姿勢の細部をああしろこうしろと矯正されることを子供時代に何年もやっていたら、一種のアディクションに陥るということだ。

その証拠に、バロックバレーに夢中で、その良さや、エスプリに共感しまくっているこの私が、何十年ぶりかでクラシックバレーのバーでのレッスンに復帰したら、とたんに、脳から明らかに快感物質が放出されるのを感じた。ぎりぎりの限界まで足を曲げたり伸ばしたりすることで快感スイッチが入るのだ。
だから、寒い日も暑い日も風邪ひいて咳き込む日も必ず踊りに行く。

身体の良好感を追求するバロックとは真逆なことを平気でやっているわけだ。

ある意味で恐ろしいが、今は別に体を痛めるほどの完璧志向はないから、ちょっと変わった健康法程度でちょうどいい落しどころになっているのだろう。

最近、私のピアノの生徒でバレーを熱心にやっている少女が両足首腱鞘炎の診断を下されて泣いていた。痛くてもレッスンをやめたくないのは、すでにアディクションになっているからだ。そうなると「自衛本能」などは狂う。親がその辺を理解していないと、扱いは難しい。
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by mariastella | 2012-02-10 07:38 | 踊り

カサノヴァ、または、18世紀の踊りの体と触覚について

パリの国立図書館BnFでカサノヴァの展示会をやっている。『自由の情熱』というタイトルだ。

カサノヴァは五感を解放し、研ぎ澄ますことに情熱を傾けた。
というわけで、18世紀における五感の文化について、それぞれ、歴史学者とアーティスト(調香師、パティシエ、音楽家、デザイナーなど)が討論するという企画が進行している。

先週土曜がその3回目で、「触覚-踊られる体」というテーマで、歴史家で作家のNoëlle Chateletと、バロック・ダンサーのChristine Bayleが出席した。

http://www.bnf.fr/fr/evenements_et_culture/auditoriums/f.samedi_savoirs_5sens.html?seance=1223906810322

ノエル・シャトレーは予備知識を得るためにクリスティーヌのバロック・バレーの上級クラスを一度だけ見学に来た。私も踊っていたのだが、その時には、彼女が誰で何のためにいるのか知らなかった。

その後で、クリスティーヌが、ノエル・シャトレーが、バロック・バレーをまったく誤解している、どこまで論破できるか分からない、と言っていたので、応援もかねて出席することにした。バレーの仲間の理論家も精神科医も来ていた。

まず、何でそもそも「カサノヴァ」かというと、彼が踊りが大好きで、特にスペインで民衆の踊るファンダンゴを見てからその挑発的なことや官能的なことに夢中になったというからだ。

カサノヴァというとドン・ファンの代名詞の「ヴェネツィアの遊び人」だと思われているが、その有名な『回想記』はフランス語で書かれたもので、立派な「啓蒙の世紀のフランス文学者」のステイタスも持っている人なのだ。

で、18世紀のフランスに生きていたような自由思想家がダンスもたしなんでいたということは、まったく普通なので、脚に静脈瘤がない限りどんな男も踊っていた、といわれるくらい、基本的カルチャーだったのである。

宮廷舞踊は廃れていたが、劇場用のL'Aimable Vainqueurのダンスなどは非常に人気があって、多くの男が踊っていた。

カサノヴァが特に、民衆的で官能的な踊りによって、革命以降の肉体の解放を先取りしていた、などというわけではない。

踊りは常に肉体を意識化する舞台であり、騎士という「戦士」階級にとっては乗馬や剣術と同じ訓練でもあった。

民衆だけではなく、貴族階級にとっても、18世紀はサヴァイヴァルが容易でない厳しい時代だった。宮殿といえどもたいした暖房がなく、太陽王ルイ14世ですら多くの病気に苦しみ、数ある息子も孫もみな失って、やっと曾孫を跡継ぎにできたほどだった。そんな時代に、痛みや苦しみを表に出さずに、優雅に体を使って見せることは、命がけの官能の追求でもあったのだ。

しかし、ノエル・シャトレー女史などに見られるバロック・バレーへの根強い先入観は紋切り型だ。それはざっと次のようなものである。

フランス革命によって、苦しんでいた民衆はようやく解放された。

そのさきがけとなったのはカサノヴァのような規格外の自由思想家だ。

貴族階級は表面的な上品な体裁と華美ばかり競って、肉体の自由を追求したり、触覚を使うという「他者への侵入」をしなかった。バロック・バレーで、カップルがごくたまに手先を触れ合うほかには互いが接触しないことが、その象徴である。

ダンスはコンテンポラリーになればなるほど、肉体をありのままに強調し、男女は触れ合い、エロティシズムも喚起される。華美な衣装は肉体が語るのを妨げる牢獄だ。ディドロも触覚がもっとも深い感覚だといっている。触覚は情念を喚起する。触覚は禁忌や衝動と結びついている。

それに対して、バロック・バレーなどは、衣装の制約もあるし、自然性や官能性を封印して、人工的で不自然な規則でがんじがらめにして、知的な優越感に浸っているだけだ。

とまあ、正確にはそこまでは言わなかったが、ノエル・シャトレーの主張は、貴族階級へのイデオロギー・バイアスのかかったものである。

ついでに彼女は、アンシャン・レジームの男は脚にぴったりしたキュロットで動きが制限されていたのが革命後にパンタロンになって緩やかになった、と言った。

これは、薮蛇だった。ぴったりしたキュロットは乗馬用に特化したもので、18世紀の踊りの衣装も、基本的には狩や戦いの動きをベースにした機能的なものだったからだ。

すべてのアートが何らかの規則を基にして繰りひろげられるのは当然なのに、踊りに関してだけ、肉体性とか動物としての生命力とかを強調することがひたすら禁忌を解いて近代に向かう自由と進歩かのように言われるのは不思議だ。

肉体性の回復とは、むしろ、近代以降において、人工的な快適な環境で暮らす都市住民が肉体性を喪失してしまったことに対する反動だ。

18世紀の暮らしはあらゆる点で重かった。人は肉体性を忘れることなどできなかった。だからこそ、それを昇華して「軽さ」を再構成するのがフランス文化の特徴となったのだ。

そして、その洗練され再構成された軽さが、国境を越えてヨーロッパ中に広まったのは、そこに、その時代における普遍性があったからに他ならない。

今いい訳語が思い浮かばないが、「danse d’excution」と「 danse d’action」は違うのである。

このことは、日本舞踊や仕舞などを伝承してきた日本人の方がむしろよく分かるかもしれない。

和服や帯で動きが制限されているからこそ、どこがどう自由になるのか、動ける部分、動かせる範囲でいかにして官能を演出し、伝えることができるかというのが掘り下げられるからだ。

そういうプロセスにおける「触覚」とは、踊りの相方を手で触れるとか抱くとかの問題ではない。

自分の体のすべての部分がどのように締めつけられたり、限界があったり、重力を受けているか、などの身体感覚であり、塊としての体が空間を切り、床から常に抵抗を受けている「接触」をいかにして全身でキャッチするかということでもある。

バレーの「ステップ」とか「パ」とかは、「歩み」の足の運び方、体重のかけ方、であり、動くのだから、体重を移動していく途中の「過程」のことである。

だから一つ一つの踊りの型ではなく、型と型との間の移動の部分に、すべてがあるのだ。

ダンスとは、体重移動の部分にあるので、それが終わった部分にはない。

それは、ピアノのキイをたたく指の「音楽」がすべて、キイに触れるまでの手指の動きの流れにあるのと同じことだ。たたいた後に出た音の連なりが音楽だと思っているうちは、ピアニストではない。

もちろん、ある指がキイに触れたときの感覚を次の指の動きへとつなげていくわけで、バレーも同じだ。

ある動きに内包されている次の動きを次々と先取りして展開していく一瞬の感覚にすべてがかかっているのである。

それを絶えず確認しながら踊って、相方のその動きをキャッチしながら空間を切り取っていく絵をいっしょに描いていくのは、十分官能的であり、相手の体を触るとか触らないとかいう次元ではまったくないのだ。

私が、今、18世紀のフランスの軽さの文化、すなわちフレンチ・エレガンスの美学を擁護するのは、近代以降の「より強ければ(より速ければ、より高ければ・・・)勝つ」とか「見かけがすべて」のような競争原理や、「名人芸」をマネジメントして売るというアートのシステムに異を唱えたいからである。

フレンチ・エレガンスというのは、日本でいえば「粋」などにも通じるので、なんにしても、動物性だとか生の感情だとか、天才だとか、逆に努力の限りを尽くしているのを見せるとかいうのは、上品ではない、という感覚がある。だからといって中途半端に何かをするのではなくて、実は計算しつくして、最小の動きで最大の効果をあげるように密度を高めるわけである。

それなのに、実際に今見かけるバロック・バレーの再現には、単なるコスプレ的なものや、中途半端なテクニックなどが多いので、誤解を招く。バロック音楽自体も復活した後で、長い間そういう「生ぬるい時代」を経てきた。

事実は、革命前のフランス・バロックの黄金期にこそ、音楽やバレーや詩のそれぞれの「語り」の技術が最高潮に達して競演していたのだ。
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by mariastella | 2012-01-31 07:32 | 踊り

キエフ・バレー

 先日、キエフ・バレエのソリストを中心にして、ファルフ・ルジマトフと吉田都を呼びものに掲げた『バレエの真髄』というのを新宿で観た。

 日本でクラシック・バレエを観るのは久しぶりかもしれない。

 軽いカルチャー・ショックを感じた。

 ひとつには、今アートの無神論について考えていて、踊りの特殊性を考えているからだ。
 つまり、アーティストとアート作品との間にあるアートというものについての論考なのだが、いろいろなアートの中で、踊り(演劇を含む)だけは、アーティストの肉体とアート作品を切り離すことができない。

 絵画だって造形だって、音楽でさえ、アーティストの顔や形と独立して鑑賞しうる。

 しかし、踊りだけは・・・

 肉体の外的条件と切り離せない。

 実際、老舗バレエ学校は子供の入学に、家族の体型まで確認するのが普通だ。
 群舞においては、身長はもちろん、首の長さ、つき方、腰の位置、頭の大きさ、すべての相似が考慮される。

 だからよく言われることだが、肉体的条件の違う日本人ダンサーなどは、ソリストとしてしか存在できない。
 このグローバル化の時代に、身体能力も高いはずの黒人の姿は、クラシックのレパートリーにまずほとんどない。

 それを差別と呼ぶ人はない。

 で、この日のファルフ・ルジマトフは、日本で非常に人気で毎年来日し、追っかけもいることが分った。実際、彼が何をしても熱狂し、終わりのステージに花束を持って駆け寄る女性たちがたくさんいた。
 私の若い頃にはあり得なかった光景だ。フランスにもない。

 最初のバレエ名場面集にも違和感があった。どのヴァリエーションも、女性ならフュッテ・アントゥルナンとか連続回転をいかにぶれずに回れるか、男性ならグランジュテの回転をいかに高く跳ぶかというようなものばかりで、まるでサーカスを見てるようだった。フィギュアスケートの解説で、

「あ、これは高いですねえ、着地もぶれてませんね」とか、

「あ、回転が少し足りませんでしたね」

とかの声が聞こえてきそうな雰囲気で、TVの前の人が一億総評論家になってるような感じというか、微妙な上から目線。

ローザンヌ・バレーコンクールのTV解説の声も聞こえてきそうだ。

『ああ、いいですよ、表現力はありますね。やわらかいです」とか。

 多くの女性のお目当てのルジマトフはこの第一部では「阿修羅」という興福寺の阿修羅像を模した新作をやるのだが、これはロシアでは受けるかもしれないけれど、アクロバティックな刺激はないなと思っていたら、この人に関しては、何をやっても、顔と姿を見られるだけで、観客は夢中なのだ。この踊りは謡曲のような掛け声が入っていて私にはおもしろかった。

 もうひとつ、日本人ダンサーがいて「侍」というのをやり、これも、日本では今ひとつという題材だ。まあ私はこの岩田守弘さんは、すごくうまいと感心した。逆に、この人が、ロシア人ダンサーと古典のパ・ド・ドゥなどを王子様服でやると、すごくうまいのに、人種の差による微妙な体型の差みたいなのがなんだか国際結婚を見てるみたいで、体の情報とアートが切り離せないという問題にぶつかる。

 その点、女性の方が東洋人であると、もともと女性の方が小柄というバレーの普遍的バランスがあるので、違和感が少ない。
 
 しかし、吉田都さんは、他のソリストのように、名人芸を見せない。
 オーラはあるんだけど。
 しかも、多くのカップルが同時にリフトをやる時に、彼女の腿にだけ、ダンサーの手が添えられた。

 あれは、もう、彼女が故障していたとしか思えない。
 その日が公演の最終日でよかった。
 他人事ながら、ほっとする。

 ちなみに、ルジマトフは白系ロシア人ではなく、中央アジアのタジキスタン出身であり、かなりあくが強くエキゾティックだ。
 イギリス人のロバート・チューズリーなんかのほうが、やはり、クラシック・バレーの雰囲気には合っている。

 そんなエキゾティックなルジマトフの肉体条件が本領を発揮するのは後半の「シェヘラザード」で、アラビアの宮殿の奴隷役というのが、ぴったりで、エレーナ・フィリピエワとの絡みはすばらしい。色彩も美しく、群舞も美しく、ドラマティックで、ルジマトフの個性と、円熟しながらも初々しい感じのフィリピエワの組み合わせが抜群の効果をあげている。これは踊りよりも演技力の卓抜さともいえるかもしれない。ここではもう、フィギュアスケートの解説やコメントは脳裏をかすめす、豊かで贅沢な時を過ごせた。
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by mariastella | 2010-07-26 21:23 | 踊り

マリー・アントワネット

 ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』をTVで見た。 
 
 ヴェルサイユはいつ見ても、郷愁をそそられる。私の両親を最初に案内した時は一般の休館日で、案内してくれたフランス人の友人は、その前に休館日に案内したのは日本の天皇夫妻だった、と言ったので、うちの両親が感激してたのを思い出す。その両親も友人も今は世にない。今、鏡の間でのバロック・ダンスの招待券をもらっているが多分行く暇はない。

 で、マリー・アントワネットだが、彼女の頃には、もう、宮廷のバロック・バレーが死滅していたのがすごくつらい。チェンバロやハープは出てくるんだけれど。

 マリー・アントワネットがやって来た頃、シャルル=ルイ・ミオンはすでに倒れて宮廷を去っていた。彼はほんとうに、時代とずれてしまった人だ。

 ヴェルサイユで、バロック・バレーがぴたりと踊られなくなったのは、17世紀末だと思われる。

なぜか?

リュリーの死、キノーの死という普通に考えられる理由もあるが、最大の単純な理由がほかにある。

 気候の寒冷化。

 1700年から1710年のヴェルサイユは異常に寒く、誰も踊らなくなった。その前は、その反対で、まさに、「寒さに対抗するために」こそ、かなりの運動量を男も女もこなしていたのだ。

 その寒さが限界を超え、飢饉にはなるし、その後でルイ14 世の子も孫もばたばた死んでいる。宮廷ダンスははっきり言って見向きもされなくなった。

 このヴェルサイユでの宮廷ダンスの死滅こそが、フゥイエらによるバロック・バレーの振り付け譜の全盛時代を招いたという人がいる。死滅しそうなのであわてて書き遺した?

あまりにも自明だったので記譜されないままに終わったものもある。メヌエットとガボットだ。パ・ド・ガボットなどは、今はコントルタンとアサンブレの組み合わせが基本となっているが、かなりのヴァリエーションがあったらしい。
しかも相当の技巧を要する複雑なものだ。

 もう一つの仮説は、ただ、金のため、というものだ。ヴェルサイユのバレーや劇場バレーはヨーロッパ中で名声を得ていたので、各地から、特に新興ブルジョワたちが振り付けを依頼してきたのだ。楽譜を送れば、振り付けを記譜して送り返す。これでかなり稼げたらしい。過去のオペラ・バレーの振り付け譜も書き改められたのか、どんどん出された。その出版の仕方にも、金儲けの計算がうかがわれる。

 ということは、今や非常に貴重な資料として解読され、踊られているバロック・バレー振り付け譜だが、記譜されたものがそのまま、最盛期に踊られたものとは限らないということである。

 私たちのトリオは、6月6日に湯浅宣子さんと共に、シャルル=ルイ・ミオンの舞踊曲をオペラ風に構成したものを上演した。その日本語版を秋に日本の3か所で公演する。

 18世紀も半ばに近いミオンの当時の劇場用振り付け譜はまったく残っていない。ラモーのオペラも同様だ。

 湯浅さんは8曲にオリジナルで振りつけてくれた。コメディデラルテ風、パストラル風、宮廷風、と変化がある上、非常に技巧的で繊細な振り付けだ。彼女の腕の動かし方や肘の使い方は、今のバロック・バレーの標準とは違う。でも、彼女の振り付けを見ていたら、そちらの方が、当時に、実際に劇場のダンサーに踊られていたものに近いんじゃないかと思った。つまり、記譜されて出版されたり売られたものは、基本的に商品であって、「見て踊りやすい」ものでなくてはならなかったはずだからだ。18世紀半ばの時点では、劇場バレーはパリの技術が傑出していて、他の国の宮廷だとか「ブルジョワ」だとか劇場に「輸出用」の商品は、「一般向き」だったのではないだろうか。つまり、簡易版。

 今ラモーのオペラなどのバレーの振り付けには、コンテンポラリー風とか、バロックテイストだがクラシック風とか、いろいろな演出があるのだが、正統なバロックがちがち「もどき」という場合も、それはそれで絶対違うなあということが多い。

 湯浅さんのミオンの振り付けを見て、「きっとこれだったんじゃないか」、と思わせられるのは、彼女がまさに「ミオン」の曲にインスパイアされているからだ。私たちはミオンにほれ込んでもう15年以上も彼の曲を発掘してきたわけだが、テンポにしろフレージングにしろ、何年もあれこれ解釈を変えた後で、「これだ、これしかない」という着地点に至る時がある。それが、湯浅さんの振り付けと表現によって、さらに確かなものになる感じだ。

 彼女の振り付けは、記譜しても、おそらくかなり難しいものになるだろう。

 マリー・アントワネットがハープの代わりに本格的にバロック・バレーを習えていたなら、そしてルイ16世もいっしょに踊っていたなら、彼女のヴェルサイユ生活はもっと違ったものになっていたかもしれないし、フランス史も変わっていたかも、と想像してしまう。

 ミオンはルイ15世の子供たちに音楽を教えていたのだが、ミオンの教え子だった王太子は父より早く亡くなったので、孫であるルイ16世はミオンのエスプリを知らない。ルイ15世は、ラモーとルソーのQuerelle des Bouffons の時に、ラモー側についているんだけど・・・

 そんなことを、いろいろ、考える。

 
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by mariastella | 2010-06-23 00:17 | 踊り

『眠れる森の美女』

 エマニュエルが私たちの音楽(途中から入る)をバックに、眠れる森の美女(http://spinou.exblog.jp/13916455/)の最初の紹介ビデオをウェブで流しているので紹介しておこう。

http://www.youtube.com/watch?v=bLkrcsxzlz8


 エマニュエルは、しゃべりながら踊ってる。すごい。終りの方に入っている私たちのトリオの演奏写真は、なんと、2003年に大阪の養護施設で弾いた時のものだ。子供たちが座って聴いている。この小さなバロックミュージカルも、ファミリー向けなので、こういう雰囲気がぴったりだと思ったらしい。

 6月6日のコンサートが終わったら、エマニュエルたちと本格的に練習に入る。言葉の壁がなければ日本でも絶対に楽しんでもらえそうなレパートリーなんだけれど。
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by mariastella | 2010-05-12 05:29 | 踊り



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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