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L'art de croire             竹下節子ブログ

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我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか

 名古屋モノその2

 教科書に載ってるような有名美術作品で、本物を見ると以外に小さいので驚くという代表にダヴィンチのモナリザがあると言われるが、ゴーギャンの『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』もその一つだろう。

 私は昔はゴーギャンに何も感ずるところがなかった。なんか平板なタヒチの光景、という認識と、ゴッホから切った耳を贈られた男というスキャンダラスなイメージはあったが。

 ゴーギャンが好きになったのは、1891年の『IA ORANA MARIA』という聖母子の絵を見てからだ。
 マドンナは、緋い色のパレオを腰につけ、左手に天使がひざまずき、女たちが拝みにやってくる。

 ところが、その聖母の方に乗る幼子は、青黒く、首の据わらない重度障害児であるという解説を読んだ。
 首が真横に倒れ視線の定まらないそんな子供を抱えたマリアの表情は実に生き生きとして、自然だ。

 肩の上のイエスはかわいらしい子供ではなく、すでに30年後に十字架上で残酷な殺され方をしてがくっと頭を垂れる姿の先取りだとも言える。しかし、マリアは、そんな変わり果てた我が子の姿を見て嘆くピエタ像の嘆きのマリアではない。実に平然としている。

 悟りというのはいかなる場合でも平気で死ぬことなのではなくて、いかなる場合にも平気で生きていることであると、正岡子規が言っていたが、この聖母子像はまさにそういうことを気づかせてくれる。

 色も明るく暖かく、見ているだけで幸せだ。配色の天才、構図の天才である。

 で、それ以来、私はゴーギャンの畢生の大作と言われる『我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへいくのか』(1897-98)を見れば、何か大発見があるに違いないと期待していたのだ。

 この作品はボストン美術館にある。ところがちょうど、今回、名古屋ボストン美術館で公開されていた。

 意外と小さい。

 意外と暗い。

 『IA ORANA MARIA』で見られるマリアのパレオの赤は、この作品では中央右よりの赤い実や左下でそれを食べる子供の持つ実、左端下の鳥のくちばしなどに散見されるだけ。

 名古屋造形大の学生たちが黒白処理した記念作品では右下の赤ちゃんの腰布も赤かったが、その方がなんだか説得力がある。

 この展覧会にも一つ聖母子画があって、『IA ORANA MARIA』と同じモチーフだ。

 木彫レリーフ作品もあり、それを見ていると、ゴーギャンって、彩色の天才とはいえ、版画やレリーフや彫刻の方が合ってるんじゃないかと思えてくる。今でもインドネシアあたりで彫られるちょっと前衛的な仏像の顔などと明らかに親和性があるし。
 屏風絵などとも似ている。背景の処理、左右端上のメタリックな黄色の使い方、左の水面、時系列と空間が波のように干渉しあう画面。

 ゴーギャンってデンマーク女性と結婚していた。子供もいる。
 波乱にとんだ彼の人生を考えると、感慨深い。

 期待していたような衝撃の出会いはなかったが、なんだかしみじみとさせられてしまった。

 
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by mariastella | 2009-04-30 16:23 | アート

日泰寺に行ってきた。- 仏舎利シリーズ

 この記事は、以下の二つのブログの続きである。仏舎利シリーズだ。

 http://spinou.exblog.jp/10166766/

 http://spinou.exblog.jp/11195243/

 さて、1898年に英国人によって発掘された釈迦の真骨(釈迦族が保存していた分)、舎利容器はインドの博物館に納められたが、中身の「骨」の方は、インド政庁が仏教国であったタイ、ビルマ、セイロン(ここから阿含宗が真骨を持ち帰ったということなのだろう)の3カ国に分けることになった。それを聞いて羨ましがったのが日本のタイ公使稲垣満次郎、日本の仏教徒にも分与を懇願した。廃仏毀釈の後遺症はあったとはいえ、当時の仏教13宗56派は外相青木周蔵の音頭によって受け入れ決定、1900年6月15日に東本願寺法主らがタイにわたって御真骨を拝受、京都妙法院に仮安置し、超宗派の奉安寺院の場所を協議するも、難渋。 
 やがて、名古屋の官民一致の誘致運動が最終的に効を奏し、10万坪の覚王山敷地が用意された。

 この辺の事情もいろいろおもしろい。現在19宗派の官長が輪番で住職を勤める日本で唯一の単立寺院だ。

 ところが、今はガンダーラ様式の花崗岩の舎利塔の方は、道路に区切られ、拝観もできないし、観光客など集めているのは、本堂だけだ。

 しかも、ここが人気なのは、毎月21日の弘法大師の縁日である。弘法大師入定の3月21日はもちろん、毎月21日には参道が午後3時まで通行止めになり、屋台などが立ち並び、お年よりも多く、巣鴨みたいな賑わいになる。境内にはミニ八十八箇所巡礼用の建物もある。

 なんで弘法大師かというと、途中に「歳弘法」というお参りどころがあるからで、日本でも珍しいといわれる弘法大師1歳から62歳までの姿の像が並び、中央に本尊の身口意の三弘法があるからだ。その他にも千地蔵という拝所があり、そこは地元の地蔵講の人が管理していた。

 その二つのほうがひょっとして、舎利殿より古い巡礼地なのかと思って聞いても、どちらでも、「古いです、もう100年くらい前からあります。100年前は山の中だったんです」と答えられた。100年前というと、まさに大覚山が開かれたときだから、やはり連動しているのだろう。

 歳弘法の方にはさすがに多分真言宗の僧侶が詰めていて、舎利のことも聞いてみたが、釈迦の生きていたころのインドは呪術があった世界だから・・・と言われてしまった。こっちがキリスト教の話などしてないのに、「キリスト教は神と人間の関係で救われるんですが、仏教は慈悲ですから」と何度も繰り返し、「自分が中心で、どう修行して苦しみを乗り越えるかということが重要なんです」と言う。それと「お大師さまにすがる」という関係は説明してくれなかったが、まあ、やはり聖人信仰と同じで仏の慈悲の仲介者なんだろう。

 しかし、真言宗は宇宙原理のような大日如来を中心にしたコスモロジーだから、釈迦如来は、まあそのヴァリエーションの一つで、人間だった釈迦の「真骨」なんて、真言宗的には「呪術」のカテゴリーなんだろうか。もっとも、弘法大師空海が唐より「仏舎利」を大量に持って帰り、それが室生寺あたりでまた増えたように、分魂、分身できるシンボルで、権威を保証するレガリアだと割り切っていたのかもしれない。

 千地蔵の横で、永平寺の旅僧と会ったので、その人の話も聞いてみた。その人によると、ここに仏舎利があることさえ知らない人は多いらしい。釈迦の「真骨」そのものが巡礼の対象になったことはないし、ご利益があるというような話も存在しないと言う。

 本堂の社務所には、各宗派から出向している若いお坊さんが詰めているわけだが、そこでも、舎利は舎利容器に封印してあり、それをまた舎利殿に封印してあるのだから、舎利容器すらもう誰も見たことがないと言われた。舎利に関する法要もすべてはこの本堂(舎利殿から何百メートルも離れていて見えない)で行われるので、基本的には、物質としての舎利は、本殿の本尊どころか、弘法大師ほどにも直接の崇拝の対象にはなっていないのである。

 「当時の写真とか閲覧できないんですか?」
 「見たくありませんか? 好奇心はないですか?」

 と私は聞いてみた。

 すると若い僧は笑って、

 「私らも見たことないです、日本人って、宗教心ないですからねー」

 と答えるのだった。

 まあ、宗教心と言うより、「三種の神器」と同様、分身(コピー)も可能で、中は絶対に開けず、確認もされないような、「聖なるものの封印文化」が日本にあるせいだろう。ヨーロッパにも神話レベルでは、見るなと言われたものを見たせいですべてを失うとか、キリスト教でも、旧約の神がモーセに姿を見せない、というようなものはあるわけだが、それだけに、物質的なよすがが残っている場合は、聖人の遺骨だとか遺品だの、執拗に真偽を問われたりして、いったん本物だとされると、人々は見たり触れたり接吻したりしたがるわけである。

 では、一般人は外からすら全容を見ることができないこの15メートルの舎利塔が、日本とタイ友好の他に何の役に立っているかというと、墓地である。舎利殿の拝殿の方に向かうと右の山すそに広大な墓地が広がり、左手に駐車場がある。
 事務所には、「新区画増設しました」などと書いてある。実際、セールスポイントは、「お釈迦様の隣で永遠の安らぎを」ということだ。浄土真宗の信徒が、京都の大谷廟で、「親鸞の墓の隣に」、ということで納骨(喉仏だけの分骨というのもある)したがるのと同じ心理だ。大谷廟でも、では親鸞の骨を拝みたい、と言う人はもちろんいない。

納骨料は一霊5万円、永代経料は50年間25万円、100年間で位牌付で50万円。墓地購入となったらもっと桁が違うのだろうが、2万5千坪の丘陵に、豊田一門、松坂屋伊藤家などの地元セレブの霊が眠っているそうだ。
 永代経は毎日12時半に本堂で永代経法要が行われる。すべての行事の中心は本堂なのだ。

 舎利殿前には、古い碑には「釈尊御遺形寶前」とあり、新しい方は、「釈尊御真骨奉安塔」と彫ってある。では、大正7年に完成した時は、御真骨と言うより、「御遺形」と呼ばれていたのだろうか。そのニュアンスの違いはまだ調べていないので分からない。

 ちなみに現在の大本堂は昭和59年落成のもので、当時の江崎真澄国務大臣がバンコク王宮に伺候したというから、日本の「政教分離」というのもなんだかユルイ感じだ。同じ頃の社会党政権のフランスで、ヴァチカンからもらったイエスの聖遺物に関して大臣が何かをするなんて考えられない。

 来る5月16日の釈迦真骨受け入れセレモニーでパリ市長(社会党)がどういうニュアンスで語るのか聞いてみたい。(私はパーティに同席するので運がよければ直接質問できるかも)

 兄に聞くと、イスラムでは遺骸の展示は禁じられているので、骨などは無理だが、ムハンマドの歯や髭や髪など、自然に抜け落ちたものは聖遺物として崇敬されるが、偶像崇拝は禁止だから、やはり、三種の神器のようにレガリアとして権威の継承に使われるのだそうだ。

 教えを説いた「人」亡き後、その人の体やモノが、どのように教えや信仰と関わって伝わっていくのか、それに関わるメンタリティや文化の差は興味のつきないテーマである。
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by mariastella | 2009-04-30 15:43 | 宗教

ジム・ランビーのUnknown Pleasures

 原美術館にジム・ランビーのEXPOを見に行った。

 こういう元私邸の小ぶりの美術館を全部一人のアーチストに任せるという企画は、ランビーのように、床にテープを張っていくザ・ストロークスという作品にはうってつけだ、錯視効果の他に、廊下も階段も部屋の床もドアの向こうもみんな一続きになる。それが彼のねらっているところでもあって、そういうフローなイメージは、光や音や水のメタファーなのである。そこに、各種星座型に配したドアノブとか、鏡効果とかで、宇宙的テイストを入れて、レコードボックスにコンクリートを流した立方体をさまざまに切って床に配することで、枯山水の石のように、床のそこに沈んでいくような、あるいは浮かんでいるような効果を与えている。

 ジム・ランビーはミュージシャンでもあり、この作品では、各部屋を巡る人々にいかに音楽を喚起するかというのを目指したらしく、ポスターのコラージュ作品の中のミュージシャン、レコードジャケットの背などでリードし、ブルースの部屋にはブルーのペンキで塗ったドアを配するとか、要するに「共感覚」的工夫を凝らしている。
 
 それが成功しているかどうかは別で、私には音楽はキャッチできなかったが、全体の有機的な感じは好きだ。枯山水のような箱庭宇宙を俯瞰するというよりは、皮膚のような床を歩いて有機物の胎内にいる感じだ。

 おもしろいのは、元ダイニングルームだった部屋には長いテーブル画あるべきスペースに、ペイントした椅子の破片を連ねて列車のように重ねていたり、階上の寝室に向かう階段の壁にベッドのマットレスが掛けてあったり、みっつの寝室にはポスター作品があり、「家の記憶」みたいなものと呼応するようにつくっているところで、庭園の借景や邸内のカーブした空間にインスパイアされている。

 その意味で、直島の民家プロジェクトとすごくよく似ている。

 この展覧会でランビーの使った椅子などはグラスゴー周辺のジャンクショップで集めてきたらしい。
 彼に直島の民家を一軒まかせれば、直島の流木や民具をペイントして座敷ダイニング風にするだろうし、ザ・ストロークスもどのように変化するのか、ドアがふすまペイントになるのか、と、非常に興味がある。

 直島は空の色、海の匂い、湿気、空気も、独特だから、さぞや面白いハイブリッドなものができるだろう。
 ランビー自身も、自分の作品は鑑賞者のリアクションによって完成すると言っているが、インスタレーション・アートでありながら、その「場」を超えて、他の場への想像をどんどん広げていけるという意味では、成功している。
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by mariastella | 2009-04-20 12:02 | アート

映画『セラフィーヌの庭』他数本

 今年度のセザール賞を総なめにした感のある映画『セラフィーヌの庭』(マーティン・プロボスト監督)を見た。

 実在のプリミティヴ派の画家セラフィーヌ・ド・サンリス(1864--1942)の伝記映画だ。。

 セラフィーヌが、悲しい時は森に行って木に話しかけるといい、とか、動物にも植物にも魂がある、などと語り、サンリスやシャンティの牧歌的な風景がたっぷり展開するので、最初はなんだかエコロジー・テイストの映画だなあと思った。今のブームに媚びてるんじゃないかとも。

 しかし、掃除婦をしながら幻視的な画を描きつづけたセラフィーヌも、彼女を発見し世に出したドイツ人の画商Wilhelm Uhdeも、この時期のフランスに生きた人たちの例にもれず、2度の戦争に遭遇するという運命に翻弄されたのだから、いつの世も自然の美しさよりも人間の愚かさの方が勝っているのを思い知らされて深刻だ。自然や人生を破壊するのはいつの世も、文明ではなく人間の暴力だ。

セラフィーヌという人は、17歳からの20年間を女子修道院の掃除婦として過ごしたようで、その鈍重な体つきに似合わぬ澄んだ声で祈ったり聖歌を歌ったりできるし、修道女たちとも生涯いい関係があったようだ。その絵も聖堂の薔薇窓などにインスピレーションを受けたのだろうと言われている。ビンゲンのヒルデガルトの幻視画と同じで、オリバー・サックスなどが見たらきっと偏頭痛による眼球内映像だと言いそうだ。

 この手の眼球内幻視を再現する画家にもう何年も前に会ったことがあるが、その人にとっての「啓示」への忠誠意識と、第三者への伝達性の配慮との兼ね合いはいつも微妙である。アーティストが自分を単なる仲介者として位置づけるか、啓示する創造者と自己を重ねるかによって、目つきまで変わるので、「鑑賞させていただいている」ほうからのアクションを拒むことにもなるからだ。

セラフィーヌの時代はこのような幻視画アートが認められていなかったから、セラフィーヌには傲慢な所はない。書いているときのシャーマン状態と、普段の自己卑下ぶりは乖離している。彼女にとっては、彼女の才能を始めて見出してくれたウィルヘルムとの関係だけが自己評価を劇的に変えるのだ。

そしてウィルヘルムは彼女を単に画家としてという以前に、初めて人間として、存在していることを認めて対等に扱ってくれた人でもある。


セラフィーヌとウィルヘルムが出あった時、彼女が50歳前、彼が40歳前という感じで、第一次大戦後に再会した時には彼女が63歳、彼が53歳である。

彼女が最初に彼に才能を認められたときに画面に音楽が流れるのがすごく印象的だ。
人は人に価値を認められたときに音楽を聴くのだ。

フランスを去るウィルヘルムからずっと描き続けるようにといわれた言葉を信じて、13年後の再会の頃には、セラフィーヌの絵は、「上達した」とウィルヘルムに言われるものになっている。

その後の数年間は、彼の援助を受け、大作を次々とものにする。

 「人を愛したことはあるか」と聞かれて、好きな人がいたが失恋した、でも絵を描いていると、

「別な風に愛する」

ようになるんだ、とセラフィーヌは答える。
ウィルヘルムはホモであるが、むしろそれ故に彼はセラフィーヌの真の友になろうとしたし、セラフィーヌにとっても彼は神のような存在になった。

ウィルヘルム・ウーデはピカソやブラックを早く評価した人で、プリミティヴでは関税人ルソーも見出した。ドイツ人といっても、ユダヤ系のポーランド人で、パリに出てきた時は、クロソフスキーやバルチュスの父親である同世代のピエール・クロソフスキーを頼ったという。

アーティストの世界の国際的な連帯はこの頃も強く、ウィルヘルムも、第一次大戦の時は身一つでフランスを追われるように去ることを余儀なくされたが、第二次大戦の時は、ユダヤ系であるにもかかわらず仲間のアート評論家たちの庇護を受けてフランスに留まり、戦後の1947年にパリで死んだ。

 プリミティヴの画家の評価について、絵は魂で描くものか、知性で表現するものかなどと言う論議がいつもなされるわけだが、いわゆる「真・善・美」というくくりは、アートにはできない。その逆は「偽・悪・醜」であるが、善悪は美醜に関係ない。では「知」と「愚」はどうか、「無垢」と「穢れ」はどうか「秩序か無秩序か」というと、アートは力動の中に生まれて存在の根に触れる効果の一種なのだからこれも二元論的に分けられるものではない。

このウィルヘルムという人は、若い頃は、ギリシャ-ドイツのメランコリーがゴチック的縦方向のアートを生み、ローマ文化は満足感をベースにした水平方向のアートだと論じていたそうだ。晩年には、ゴチック・メンタリティというのはフランク族のゲルマン精神とガロ・ロマン精神の交錯から生まれたものだという見解になり、ピカソはゴチック、ブラックはロマンだと言っている。

ゲルマン民族のドイツと、ラテンのローマはもともとかなりメンタリティが違うのに、ドイツが「神聖ローマ帝国」を継承したという歴史のせいで、キリスト教文化から展開したさまざまなアートの分野では、一枚岩みたいな部分もある。たとえばイタリア・ドイツ系バロック音楽が同系なのにフランス・バロックが別物であるように、はやくからケルト・ゲルマン・ラテンの混ざったフランスとは一味違うことが多い。だから、ドイツ系の人の方がかえって、民族間メンタリティの違和感の洞察が深くなるのかもしれない。イギリス系のアングロサクソンの人は、「島国」メンタリティが別に醸成されるせいか、こういう悩み方はしないのかもしれないが、どうなんだろう。

セラフィーヌを演じるヨランド・モローはもともと芸達者で有名だが、たとえばセラフィーヌが教会の聖母マリアのチャペルで、供えてある蝋燭のロウを画材としてそっと拝借するシーンなどでは、一瞬の目の動きで、彼女の信仰と心やましさとが入り混じった心理を鮮やかに描き出したりして見事である。

セラフィーヌがウィルヘルムに「恋をしてる」と思わせるのは、彼にしきりに神様を信じるかとか聖母マリアはいくらなんでも信じるでしょう、とかしつこく知りたがるシーンでも分かる。修道院に長くいて、教会の絵も歌もみんな好きなセラフィーヌには、ユダヤ人無神論者(それは彼の同性愛とも関係しているはずだ)の存在など想像もつかないというところだ。

何かがアートとして成立するには創作者と鑑賞者の双方の意図と歩み寄りが必要だし、相手の世界に気楽に踏み込めるタイプ、自分の世界のドアを閉じるタイプ、招待はしたがるが決して相手のうちには行かない人、その逆の人、といろいろ考えられる。そのあたりの流れを引き出して調整する存在として画商だとか美術評論家だとの役割は大きい。

今日本に着いたところ。

到着便の中で『スラムドッグ$ミリオネア』『ベンジャミン・ バトン 数奇な人生』他数本の映画を見た。

後者は長くて敬遠してたので、飛行機向きだ。最後に赤ちゃんにまでかえるっていうのがなあ。最初のシーンと、図柄としては対照的だが論理的には非対称である。胎児までは戻らないみたいだし。体は大きいまま能力が赤ん坊にかえるのかと思った。おとぎ話なんだが、医者の説明とか、SF 的つじつまあわせもあると楽しいのに。フランスではこの映画をめぐって実在する「奇妙な病気」のいろいろっていう特集が結構あったので楽しめたが。それにしても老人顔の赤ちゃんが差別されずに老人ホームで生きていけるのは皮肉な話だ。
恋人のバレリーナ をやるケイト・ブランシェットは表情が時々カルラ・ブルーニに似てるなあと思う。

インドものは、インドもの特有のエネルギーとテンションの高さ、貧富の差の極端さ、構成のうまさ、非常にうまくできた映画だとは思うが、「絶対に私の人生を変えない映画」のカテゴリー入りである。

とりあえずこのへんで。
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by mariastella | 2009-04-15 18:10 | 映画

接吻の距離

 復活祭の聖金曜日のヴァチカンのミサをウェブTVで見た。はじめてだ。

 http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044173&vl=video_par_emission

 聖金曜日のミサがローマで始まったのは7世紀頃で、夜のミサになったのは1955年の改革からだそうだ。

 台座付でメートルくらいの十字架に真っ白で割合リアルなイエスが釘付けられている。イエスは70cmくらいか。最初はそれに赤い布がかぶさっていて、祈りながらそれを少しずつ教皇がはずしていく。

 こういう風にPCの画面で見てるととてもフォークロリックで、おいおいなんだ、この裸で釘付けにされている男は・・・やせこけているし30代前半にしてはほんとうに悲惨だ。

 数日前にTV でアメリカにあるキリスト教のテーマパークの様子を見た。みんな、ミッキーマウスでなくイエスのそっくりさんと記念写真をとっている。毎日、受難劇の野外ショーがあって、イエス役の男は鞭打たれて、十字架に付けられる。観客はみんな真剣に見ている。

 「今まで映画では何度も見たけど、本物を見たのははじめてよ、感動したわ」

 と客が涙をためて言っている。ほんもの、って・・・・

 フィリピンの某所では今年も、今頃有志が実際に釘で十字架に付けられたのだろうか。
 『聖骸布の仔』のクライマックスシーンを思い出す。

 ヴァチカンの十字架は「ほんもの」じゃないし、実物大でもないからずっとましだけど、苦しそうに口を開けたこの小さな白い裸の男の前に、荘重に並ぶ人々を見てると、異様な気もする。

 2千年前に辺境の地でこのユダヤ人を処刑したローマ兵たちが、2千年後のローマでこういうすごい再現儀礼が繰り返されているのを知ったらさぞ驚くだろう。

 それから、装飾品を外し靴まで脱いだ教皇がこの十字架像の前に跪き、脚の辺りに接吻する。その後で、司教から一般人まで、ぞろぞろと並んで順番にキリストの体に接吻するのだ。

 足を重ねて釘打たれたところに接吻する人、胸に接吻する人、そのあたりは「聖痕』の場所だから何となく分る。脚をかき抱いて痩せた股に接吻する人、脛やふくらはぎに接吻する人もいる。普通に立てば顔が腰布の辺りにくるのでそこに顔を埋めてる人もいる。

 TVでは、一人一人の接吻の仕方がすごくよく分かるので興味深い。

 フランスの教会で「聖遺物」ケースに接吻するのは普通だ。ギリシャの教会でも皆接吻していた。
 「触る」というのももちろんあって、ヴァチカンの聖ペトロの足などは巡礼者にさわりまくられてぴかぴかになっている。

 私は聖遺物ケースにしっかり口をつけるというのは抵抗がある。
 昔ノートルダムで、茨の冠をおさめたクリスタルのケースを近くで見たくて並んで接吻したが、一人が接吻するたびに、係りの人がさっと布で拭いていた。まあ、同じ布をずっと使っているのだからそう清潔ではない。それもなんだか興醒めだ。

 日本では、自分の体の痛いところと同じ場所を、お地蔵様の体に触って治してもらう、などというシーンがよくある。あれは手で触るのであって、接吻してる人はないと思う。後は、線香の煙を悪いところにあてるとか、接触は淡白である。

 ヴァチカンの十字架のイエスは誰も拭いたりしないので、みんなが接吻するままである。
 唇を突き出す人もいれば、口をしっかり閉じて粘膜の接触を避けている風な人もいる。本格的に思いを入れてキスしてる感じの人もいる。イエスの体に額をぴたりと押し当てて、キスはしても唇は触れない、という人もいた。この人はキスしないだろう、という感じの人がいたが、案の定、5センチくらい離れて接吻の形だけしていた。TVに映った分では、明らかに接触を避けた聖職者はこの他にもう一人いて、後、黒のヴェールを被った年配の女性は、情熱的にキスするかと思ったら、安全距離をおいていた。
 後になるほど非衛生な感じは否めないし。

 それになんと言っても、この磔刑像はただの彫刻であって、「聖遺物」ではないから、呪術的効果も期待できない。接吻して他人の菌に感染するのはつまらない。

 口をつけて挨拶する、とかコミュニケーションをとるというのは、もとはどこら辺の文化なんだろう。

 イエスが逮捕された時の目印の「ユダの接吻」という有名なものがあって、各種の絵を見る限りはかなり濃縮だったり、ほとんど口に接吻してたりする。その時だけ突然接吻したわけではないだろうから、イエスは弟子たちと日常的に接吻していたわけだ。

 ミサの葡萄酒の杯は回し飲みをする時にきゅっきゅっと拭かれる。これが切支丹大名に伝わって、茶道で懐紙で椀を拭く形に残ったなどとも言われている。

 まあルルドの浴槽でもそうだが、衛生状態がどうあれ、こういう「聖なる場所」とか「聖なる時」においては、みんな興奮して免疫機構とかも特殊な状態になっているせいか、あまり伝染病が蔓延したなどという話は聞かない。そんな場合もいまいち醒めた感じで、あの人とあの人の後ではとても同じところに口をつけたくないなあ、などと思うような人は、5cmの距離をおくわけだ。

 シエナの聖女カタリナとか、アヴィラの聖テレサとか、フランスのパレイ・ル・モニアルの聖女マルグリット=マリー・アラコックとかなどは、いかにもエクスタシー状態でイエス像の脇腹に濃縮に接吻しそうである。
 
 磔刑像への思い入れというのはある時期以降のローマ・カトリックの特徴でもあるのだが、まあ、イエスがこの様子を見ていたら、軽く驚くかもしれない。

 しかしTVでは、真剣な人の敬虔な思い入れも伝わってくるので、それはそれで感動もさせられる。
 接吻の距離や形はどうあれ、こういう儀礼の後で、信仰がどうチャージされて、どのようないい形で外に還元されるのかが重要なことなのだろう。
 
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by mariastella | 2009-04-11 07:47 | 宗教

ジャンヌ・ダルク本の構想

 一応バロック・ロマンの作家ということになっている Pierre Combescot の新作『Pour mon plaisir et ma déléctation charnelle』(Grasset)を読みかけている。

 この題名の『私の快楽と肉の歓びのために』というのは、小児性愛殺人を繰り返した青髭の原型ジル・ド・レが、1440年の裁判で、なぜそのようなおぞましい行為に及んだのかと聞かれたときの答えだ。

 この小説でのジルは、美と陰惨さに引き裂かれる一種の犠牲者として描かれている。
 しかし、ジルが憧れ続けたジャンヌ・ダルクという聖女(比喩でなくカトリック教会の正式呼称である)が、悪魔のように罵られて火刑にされたのに、悪魔のような所業をしたジルの方は、まるで聖人のように惜しまれて処刑されたということは、ほんとうに謎である。二人の裁判の記録を読み比べるのは実におもしろい。

 コンベスコの先輩のゴンクール作家である Michel Tournier の小説『Gilles et Jeanne』の方は、ジルの所業の哲学的解明を試みたものだった。彼の錬金術の実験が禁じられなければ、彼は別の解決を見つけていたのかもしれない。

 Jeernerの解釈のように、ジルがもともと残虐な人格障害であったという考え方もある。
 100年戦争での残虐な殺し合いそのものがジルの性格を引き出したという考え方もある。
 これは逆に言えば、戦場では当たり前の倒錯が、領主が城でやると犯罪になるという状況の変化だ。
 また、彼の愛したジャンヌが、悪魔として火刑になったのを見たことで、ジルはジャンヌに殉じようとして、自らも悪魔となって焼かれたかったという解釈もある。
 小柄な男装の少女だったジャンヌへの愛が忘れられなくて、ジャンヌを思わせる少年たちに欲望し、ジャンヌが焼かれたように少年たちを竈で焼きたかった、という考え方もある。


 美女と野獣ならぬ聖女と悪魔、しかしどちらも倒錯の美男美女、というわけで、ジャンヌとジルのテーマは多くの作家を魅了してきた。ユイスマンスは『彼方』のデュルタルに託してジルへのこだわりを明らかにしたし、バタイユもジルの裁きにこだわって作品を残した。フーコーは『狂気の歴史』(Ch5)の中で、狂気が公開のパフォーマンスによって新しい意味を獲得できたルネサンスの例としてジルの例を挙げている。

 私は『ジャンヌ・ダルク-超異端の聖女』(現代新書)の中でジルの最後について少し触れたことがある。しかし、善と悪、美と秩序、創造と破壊、聖性と魔性、生と死のバランスがどこでどう変わって、審美的なカテゴリーに取り込まれていくのかについて、今度はジル・ド・レと彼をめぐる作家や歴史家や哲学者の言説を分析することから、新しいジャンヌ・ダルク本を書いてみたい。

 
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by mariastella | 2009-04-09 22:50 |

ソリプシストKのための覚書その6

 Kとの付き合いの方向性がだんだん固まってきた。

 オペラや建築についてのKの論考を読んでいるうちに、Kの限界も分ってきたのだ。

 今、K を論じる人はほぼ皆無といっていい。

 私が大学教師ならゼミで取り上げ、院生に研究させるのもいいんだけど、などと思っていた。
 Kの残したcorpusは膨大で、これまで誰も、彼を思想史や哲学史に位置づけることがなかったので、紹介書や研究書というものもない。しかし、Kは一種の怪物であるから、思想的に強靭さのない若い学生などがはまり込んだら、はじき飛ばされるか、変に共振しておかしくなるかという確率は高い。

 私の見たところ、そしてエリカとも話し合ったところ、

 K には神学的教養はあった。
 精神分析や無意識については、伝聞知識しかなかった。
 仏教については、ショーペンハウエルのバイアスのかかった理解しかなかった。
 言語を介するコミュニケーション型アートに対して不信感があった。

 と言えそうだ。
 
 Kの醍醐味は、やはり、ソリプシスム自体についての分析と論考である。
 私は、ソリプシスムというのは、はじめは無神論かニヒリズムのヴァリエーションだと思っていたが、次にユニヴァーサリスムの一つの形だと理解し、さらにミスティシズムのヴァリエーションだと理解するようになった。

 古今の神秘家と呼ばれる人は、神秘体験は言語化できないものだと言い、「神秘体験」後の教えや行動は残すが、神秘体験そのものは文字通りミステリーの領域である。
 そういう意味では、Kは、それを論理化する稀有の人である。
 
 はじめは、K が、ある「神秘体験」=啓示体験によって、自分が神であると認識した人であり、そういう視点に立つ哲学というものを覗きたいという好奇心に私はかられていた。しかしK にとっての「自分=神=他者」という体験は、ロジカルな帰結であり、それを基に哲学していくのだが、絶え間ないフィードバックがあって、その理性主義そのものが一番「狂っている」といえば言える。

 無神論の系譜の紹介の仕事が終わった後で、ソリプシスムの系譜を調べてみたい。いろいろな宗教の教祖や「聖人」や神学におけるソリプシスムを調べるのは新しい観点になる。
 ソリプシスムは「思い込み」からくる出発点ではなく、宗教的洞察による到達点の一つであるからだ。

 Kは、膨大な未踏ゾーンにかかわらず、対話可能な存在となりつつある。
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by mariastella | 2009-04-07 21:30 | 哲学

体への視線

 私が大学生の頃、木村尚三郎さんが、「西洋人の握手」について、「皆さん、知ってますか? 私たちは、西洋人は簡単に手を握り合ったりして、体に触れ合うのが習慣だと思っていますが、彼らは本当は、体に触られるのが日本人よりもずーっと、嫌いなんですよ。不信の固まりで、武器を持っていないことを示すために手を差し出し合うわけですが、本当はすごくそれを嫌悪していて、必死に耐えながらやっているんです」と学生に話した。
 
 その頃はなんだか、すごい裏話を教えてもらったような気がしたものだが、自分がフランスに住むようになってから、彼はお話は面白いが、思いこみは激しいなあ、と思ったのも覚えている。

 「黒人、白人、黄色人種という呼称も、黒と白は本当の色の区別ですが、黄色と言うのは心理的な色なんですよ。白人による警戒を意味しているんです。その証拠に、日本人の肌は白人と同じ色ですよ、(自分の腕を見せながら) ほら、黄色くなくて白いでしょ」

 というようなことも話された。同様のことを後年、総合雑誌のエッセイに書いておられるのを読んだこともある。

 これについては、その話を聞いたその瞬間から、ちょっと違うなあ、と思った。確かなのは、木村さんの肌が確かに非常に白くてきれいで、いわゆる色白の人だったということだ。

 確かにいわゆる「黄疸」などの症状では、どの国でも「黄色」という言葉を使うし、実際、肌が黄色くなる。(黒人が黄疸になったらどのように見えるのだろう?)

 白人でも色素の薄い人は、透けるような肌、というわけで、血の色でピンク色に見えるし、いわゆる赤ら顔の人もいる。アジア人の中には、やはりどうみても黄色っぽい肌の人もいる。実際に遺伝的にメラニン色素の量が違うのだろうからヴァリエーションがあるのは当然だ。

 フランスでは、アラブ人などは有色人種とか肌の色がmat(=艶がない)などと言われるが、日本人にとっての西洋人は、肌の色だけではなく、立体的な顔立ちもセットになっているので、彫りの深いアラブ人などはラテン系西洋人と変わらないと感じる人も多い。特に男性では、「白人」も、肌は白いより日焼けしている方が価値があると思われるから、外見「だけ」では区別がつきにくい。

 入場券を買うために列を作るというような状況の時に、人と人の距離が、「西洋」の方が「日本」のそれよりも広い、ということも日本ではよく聞いた。では「彼ら」は、やはり本質的に体の接触を嫌うのだろうか?

 これも、「西洋人」にもいろいろあって、フランス人は一般に列における他人との距離が狭く、アングロサクソンでは広い、ということはフランスでも言われることがある。

 握手にしても、アングロサクソンの 「Shake hands」 とフランス人の「 serrer la main」は本来全く違う。

 フランス人は毎朝ボンジュールといいながら同僚と機械的に握手するが、短く、早く、握力が強目が基本で、体には触れない。挨拶とセットになっているので別れる時にもする。イギリス人は初対面の時などは握手するが、毎日会う同僚などとは省略される。シェイクハンズは、接触時間が長く、文字通り振ったりする。もう一方の手で肩をたたきあうということもある。

 フランス人がこういうことをする時は、「いやー、おめでとう」のように祝福したりするシーンで、エモーショナルだ。フランス人のただのビジネスの相手に紹介された日本人がアメリカ風の握手をしようとすると、すばやく手を離そうとするフランス人が、手をつかまれて離してもらえないので非常に焦るということもある。

 イギリス人でフランスでビジネスをする人たちは「フランス風」がどんなものか知っている。

 アメリカ人はもともと動作が大仰だと思われている。しかし日本人は、慎み深くて、体を触らず「お辞儀する」という先入観があるくらいだから、アメリカ風に手を握ってくる日本人との出会いはフランス人にとってトラウマになることが一昔前まではあった。

 まあ、今はグローバリゼーションの世代でアメリカ化しているので、ショックも減ったようだが。

 それでも、先日のロンドンでのG 20 における各国首脳の体の「触り方」は、いろいろ興味深かった。

 メルケルは変貌したと言われた。
 
 過去に、シラク大統領に手に接吻された時のメルケル女史は硬ばっていた。
 はじめてサルコジがメルケルを抱くようにして両頬にキスした時もショックを隠せなかった。
 後から外交筋を通じて、適正距離をとれとクレームがついたそうだ。

 そのメルケルは、いまや、自分から手を広げてキスにまわっている。
 サルコジの馴れ馴れしさは伝染するとも言われるゆえんだ。

 今回のG20 では、首脳たちの体のふれあいが多かった。
  
 解説者によると、「肩に手を回す」のは、保護のシンボルだそうで、それはそのまま、支配のシンボルになる。強者が弱者を保護するからだ。

 私の見た写真ではベルルスコーニが両腕をオバマとメドヴェージェフの肩にまわして撮影というのもあったし、麻生さんがブラジルのルーラの両肩に触れているのもあった。
 アメリカとヨーロッパの主導権の争い合いという面もあるから、就任したばかりの若いオバマに、「プロテクト」風のジェスチャーをしようとする人が多かったようだ。
 また、伝統的には、男同士は家族以外は頬にキスしあわないのだが、抱擁しキスしあう首脳同士も多く、これも「兄弟」という親しさのパフォーマンスだった。

 実際、オバマ夫妻も相手によく「触る」。

 長身のミシェル夫人が、小柄なエリザベス女王の肩に手を回した写真は、結果的に好意的に受け取られたものの、微妙なところだった。

 オバマの最初のフランス入りということでも注目されたストラスブールのNATO会議では、レポーター(カトリーヌ・ネ)によると、

 オバマがサルコジにキスし、
 サルコジはミシェルにキスし、
 ミシェルはカルラ(サルコジ夫人)にキスしたが、
 オバマはカルラにキスしなかったそうだ。

 これをどう読み解くか、難しいところだ。

 とにかくこういう場での親しさの表現は、もちろん非常に政治的なものであるから、単なるそのときの気分などではない。

 体ではないが、ファーストレディのファッション比べなどという言説も相変わらず繰り広げられる。
 ブラウン首相のサラ夫人は古臭い、カルラは洗練されていてミシェルは個性的というように。
 メルケル首相は同列には比べられない。

 こういうコメントを通して、メディアが言いたくても言えないこととか、本音が透けて見える場面もあって、複雑である。

 同じ「体」つながりで、しつこいようだが、パリでやっている例の「人体の不思議」展は3月20日に、 「人間の遺体は尊重と尊厳と礼儀を持って扱われなければならない」というフランスの法律に違反するということで、死刑反対のNPOなどが中止を申し立てた。
 インタネットの宣伝サイトでは「アーティスティックで教育的なもの」とあり、反対派は、「センセーショナルであり、科学的ではない」と攻撃している。このへんも微妙に歯に衣着せた論点のずれがある。

 主催者側の弁護士は、展示は科学的側面が重要で、目的は人体を désacraliser (=非神聖化)することである、これによって、フランスにおける臓器ドナーが増えるのに寄与できるかもしれない、などと言っている。

 こういう風に言ってしまえるのは、フランス社会が長い間、カトリック教会の影響によって体を管理されてきたことから「解放」されたという「ポジティヴな戦い」についてのコンセンサスがあるからだろう。

 表現の自由は守られなくてはならないし、冒涜罪、冒聖罪は、あってはならない。ということで、「人体」をめぐる「モノ化」への抵抗を、人体の「神聖」化=過去の遺産という図式を使って排除しようという論理だろう。

 判決は4月9日に出るそうだ。

 この展示は、15ユーロとフランスにしては高く、結構人を集めてビジネス的には上手くいってるようだ。

 人体が開かれたり切り刻まれたり、処理されているのを見てみたいとか際物を見てみたいという気持ちは、普通の人の普通の死が家庭などから消えてしまって、若さと健康至上主義である今の世の中においては、ちょっと不思議な衝動でもある。

 他者の「遺体」を「眺める」という行為には、それなりの意味づけが必要だ。
 その意味付けのないところで、ただ、金を払えば好奇心を満たせるというだけでは、居心地の悪さが残るかもしれない。

 カトリックなどでの聖人の遺体信仰では、「神聖化」が隠す方へ向わずに、「神聖化=神聖なモノ化」になっている。それは類推呪術から受け継がれてきた「病の治癒」などという「意味」の流れの中で呈示されている。

 死を生に統合するやり方や、遺体をどう処理するかは、あまりにも人間的で、同時に文化的な指標なので、観察の興味は尽きない。
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by mariastella | 2009-04-05 00:23 | 雑感

ソリプシストKのための覚書その5

 エリカが1300ページにわたるかなり大部の翻訳と註を送信してくれた。

 こういう時、コンピューターの有難さが身にしみる。

 Kは、「すべて」であるもののほかに、「すべてのもの」について考察してくれているので、キーワードを打ち込めば、必要なところを簡単に探せる。

 エリカに勧められたKの手紙212番を呼んだら、まるでパウロの神学と重なる部分があるので驚いた。

 パウロが「キリストの中で、キリストにおいて」、と言うところを、Kは、" en Proto-Vouloir"=「元-意志」において、と言い、パウロにおける「希望=期待」は、K の言う"processus de Panréalisation"=汎成就へのプロセスに他ならない。

  l'humilité de la petite volonté face au Vouloir primordial 「元-意志」を前にした小さな意志(個人の意識をベースにした意志)のへりくだり、という表現などは、「人間の自由意志と神のみ旨との関係」にも通ずる。

 女性性と男性性に関する超越志向の力動については、まるで16世紀のGuillaume Postelギヨーム・ポステルの神学のヴァリエーションみたいだ。ポステルは、キリスト教カバリストでユニヴァーサリストである。

 ソリプシストとは、自由が成就した状態であり、そこでは2元論はもうない。
 「状態」と言っても、静的なものでなく、「元-意思」を常に意識に反映させたアクティヴな状態である。

 Kの言っていることはすべて非常にオリジナリティがあるのだが、そのオリジナリティは、ユニヴァーサリスムをソリプシスムでとらえたところから来ている。

 考えれば、神の受肉と人の体の復活を中心に据えたキリスト教は、それによって人間の神化を内包しているのだから、ソリプシスムの母胎となってもおかしくない。
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by mariastella | 2009-04-03 00:00 | 哲学



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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