L'art de croire             竹下節子ブログ

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マルキ・ド・サドとイタリア・オペラ

 先日、「Sade と Michel Onfray」 の記事で、サドが権力者の確信犯で、一種、貴族的特権のもとに、過大な文学的評価を受けていることを私も変だと思っていることについて書いた。

 その時もジル・ド・レのことを引き合いに出したが、少なくとも19世紀までは、どこでも、権力者たちにとって、庶民には人権などなく、子供が昆虫を引き裂くように、易々と、心身を踏みにじっていた。こういうと、西洋は狩猟社会で肉食だから云々と、また的外れなことを思う人もいるかもしれないが、残念ながら古今東西、同じであるというしかない。

 奴隷売買のように、労働力として家畜代わりに使われるのはまだいい方で、女子供となると、あらゆる性的倒錯の対象になる。私のようなものから見ると信じられないエネルギーで、ジル・ド・レだとかサド(この人は夫人や家族からの願いで投獄されて自由を奪われていた時期が長かったから創作の世界に行ったが、もし野放しにされていたら同じだったろう)などは、決して「例外」ではない。

 そのサドが若い頃にイタリアに行った時、フィレンツェ貴族の性的逸脱ぶりというか今なら立派な性犯罪ぶりを手紙で報告しているのも興味深い。ただ、この手紙 (Voyage d'Italie, Oeuvres complètes, tome VII, Paris, Jean-Jacques Pauvert, 1965)には、私にとって見過ごせない部分がある。

 18世紀のフランス人がイタリアに行ってオペラを観て驚くのは、カストラートの存在と人々の熱狂ぶりである。
 カストラートは、女性禁止の聖歌隊で高音を維持するために去勢された男性歌手に起源を持つのだが、なぜだか、フランスでは嫌われた。フランスで公演したカストラートもいたのだが、今ひとつ聴衆の熱狂がなく、当時あれほどイタリアと張り合っていたフランス音楽界はこの方法を無視している。

 フランス・バロックとイタリア・バロックの本質的な違いの何かが、このカストラートに反映していると私は思う。
 で、サドの反応だが、これが、この人はルソーと違ってしっかりフランス・バロックのエスプリを真ん中でつかんでいたのだなあと思う。ここだけ読んでると、サドはすごく健全なのだ。

 カストラートと呼ばれる人たちが、ホルモンの失調で、しばしば巨体になったことは知られている。映画で見るような美形とはかなり違う、異様な感じだったようだ。少なくともオペラ座に行ったサドは、彼らを怪物と形容しているし、彼らを愛好することはとても理解できないし、反発をおぼえると書いている。

 巨体から絞り出される極端に高い声、その驚きに一瞬、喜びを感じるものの、醜い不器用なしぐさ、胃を膨らませる時のひどいしかめ面、声と一緒に出る嘔吐のような音や不愉快な摩擦音に台無しにされ、いい加減耳がおかしくなったところに、聴衆がBravo, bravissimoと声を揃えて張り上げデリケートさのかけらもなく叫ぶので、耳が裂けてしまう、とコメントしている。

そして、一般にイタリアでは男女の倒錯がさかんで、それは多分ローマ・ギリシア時代からの名残で、ローマ教皇もこの罪に免罪符を与えていたという噂もあるくらいだ、と書いている。

 サドは別に清廉ぶってこう言っているわけではない。その後で、貴族の性犯罪(若い娘を拉致監禁するなど)について書くときには別に嫌悪感を見せていない。本当にカストラートと聴衆の反応に嫌悪を抱いたようだ。

 サドの快楽は、「美徳」とか「悪徳」とかがタイトルに出てくるように、何か健全な「聖なるもの」の価値観を必要として、それを侵犯するところにあるので、「人工的な異様さ」にはないのかもしれない。

 そういえば、サド・マゾと対にされるマゾッホも、ラテン系ではない。「倒錯がリアルで伝統的な世界」では脳内逸脱が花開きにくいのかもしれないな。

 
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by mariastella | 2009-08-31 02:47 | 音楽

Demain dès l'aube...

Demain dès l'aube...

ユゴーの詩の話ではなく、今年のカンヌの出品作だった Denis Dercourt 監督作品のタイトルだ。
 『譜めくりの女』は女性二人の心理スリラーだったが、今度は男性二人、兄弟が主役だ。
 Vincent PerezとJérémie Renier。ヴァンサン・ペレスがこんなに名優だったとは今まで気づかなかった。

 二人ともはまり役だ。

 いろんな意味で私のツボにはまる映画である。

 ドゥ二・デルクールは私と同じヴィオラ奏者で、音楽院教授でもある。だから、音楽の現場が必ず、かなりのリアリティで描かれる。
 ヴェルサイユあたりで自分のエージェントも兼ねている妻と息子とブルジョワ風に暮らす国際的ピアニストがヴァンサン・ペレス。個人教授もしている。
 もう少し遠くの郊外の一軒家で暮らす母と弟。弟は工場に勤めている。この弟が、ナポレオンの軍隊のローリング・プレイのグループにはまっているのである。母は、癌の再発で入院、次男のことが心配で、長男に自分が入院している間、弟と一緒に住んでくれと頼む。弟の方は、兄が妻と別居したのだと勘違いしている。
 で、この弟が、勤めが終わると、森で、ナポレオン軍の野営や訓練のコスプレをしているのである。そこに集まる人は皆、昼間の顔とは別の、こちらの世界の顔、役割、ヒエラルキーがある。

 その辺が怖い。
 
 私はリアルにこういう人たちを多少知っているからである。

 フランスには中世愛好家のコスプレグループ、第一次大戦愛好家、第二次大戦愛好家がいて、雑誌も出ている。かなりマニアックなグループだとは分る。秘密結社みたいだ。

 中世はまだしも、こういう「戦争愛好家」のプレイが私は苦手だ。
 ノルマンディ上陸作戦の記念日にも必ず、アメリカ人の愛好家たちが当時の軍服を着て毎年模擬上陸をやっている。一見観光のパフォーマンスのようだが、かなり本気である。

 日本でも模擬戦争とか、模擬サヴァイヴァル体験というのも時々聞く。
 でも、関が原の戦いとか、戦国時代とか、そういう「時代物」の戦争や日清日露戦争の愛好家のグループのかなり危険なコスプレとかあるんだろうか。時代物映画がTVの撮影か、テーマパークしか思いつかないのだが、日本でも、やってる人いるんだろうか。それともヴァーチャルにとどまっているだけなのだろうか。

 私の知り合いは過去のピアノの生徒の親で、同じ通りに住んでいる。ナポレオン画家で、当時の服や小物も全部手作りしている。地下室にアトリエがある。

 小柄で華奢で、戦争マニアのイメージとはギャップがある。

 くらくらする。

 彼の実兄は、等身大自動人形オートマタの製作者である。

 これも怖い。

 変な話だがヒトラーにかぶれてナチスのコスプレなんかしているとドイツなどでは刑法に触れる。
 
 ナポレオンには歯止めがない。

 けっこう怖い。

 ナポレオンは、聖母被昇天祭の8月15日生まれである。
 だから、聖母被昇天祭を聖ナポレオンの祝日にした。
 聖ナポレオンをでっち上げたのだ。

 映画では、弟を止めようとする兄がだんだんと異様な世界に引き込まれていく。

 その世界で、命をかけた決闘が組織される。
 死者がでれば、古式の狩をしているうちの事故であると皆が口裏を合わせることになっている。

 私はいつかナポレオンについて書こうと思っている。
 ナポレオンはジャンヌ・ダルクとルイ14世に並んで、最も多くの本が書かれたフランス人である。

 でも最も多くの人を今でもパラレルワールドに引き込んでいるのは、ナポレオンだけではないだろうか。

 
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by mariastella | 2009-08-21 06:30 | 映画

Jean-Jacques Rousseau

 Jean-Jacques Rousseau についてはどういうわけか情緒的でアンビヴァレントな反応をしてしまう。

 無神論について読み返すために『エミール』の田舎司祭のとこだけでやめておけばよかったのに、なぜか『告白』を読んでしまった。

 彼が一生ジュネーヴ人として、パリの文化人の弱点をカテゴリー外の目線で捉えていたことなど、30年以上フランスに住む私が共感を持ってもいいはずなのに。

 音楽家としての凡庸さ、勘違いぶりは憐れをそそるが、これも凡庸な音楽家である私(勘違いはしていないが)が親近感を覚えてもよさそうなのだが。

 私が大のラモー好き、ヴォルテール好きだから仕方がないとしても、彼らの目から見てルソーが「いじめられキャラ」だったことがすごくよく分かる。

 『告白』の赤裸々な正直ぶりにも嫌悪感がある。

 教育に自信がないといって5人の赤ん坊を次々と「赤ちゃんポスト」に投げ込んだのも嫌。
 排尿障害を苦にして王の謁見を辞退したのも実感がこもりすぎていて嫌。
 生まれつきの尿管閉塞かなんか(『ルソーの病気』という本も出てるし、最近の医学雑誌で診断もされている)で、生活の質がすごく下がるハンディキャップなのも分るし、同情をそそられるのだがそれ自体も嫌。
 ヴァランス夫人を「ママン」と呼ぶ度、気持ち悪い。
 闘病生活や晩年の鬱病や被害妄想もみんな嫌。

 そういうのを嫌う自分にも自己嫌悪。

 私が大学の卒論をフランス語で書く前に、どなたか失念したが、フランス語の先生が、アナトール・フランスの短編をひとつとルソーの『孤独なる散歩者の夢想』のどこか1章を丸暗記しなさい、と勧められた。ドイツ語からの転向でフランス語が下手だった私は、おお、なるほど、と思って、アナトール・フランスの短編とルソーの1章をタイピングして暗誦した。フランスのものは明快で分りやすく、ルソーのものはセンテンスも長く、でも何だかロマンチックで詩的でかっこよく感じた。今にして思うと、あの二人の組み合わせって・・・・・

 「自然状態」を秩序ある「理想」と見なすこと自体もそもそも「文化」的解釈に過ぎないのに、しかもストア派回帰の一種なのに、自分ではコペルニクス的転回みたいな熱に浮かされていることも、田舎っぽい自然神信仰も、『新エロイーズ』のお粗末さも、みな、軽侮したくなる。

 なぜだろう。

 日本で、バロックオペラの研究者が、一度私に電話を下さったことがあった。喜んで出たら、もともとルソーがご専門だったということで、なぜか、私の脳裏には「むすんでひらいて」のメロディが流れ、がっかりしてしまったことがある。

 まあ、日本の「近代化」にまで大きな影響を与えたルソーのようなビッグネーム、私がこんな失礼なことを言っても、まともに怒る人もないと思うから書いてしまったのですっきりしたが。

 ルソーはラモーやヴォルテールの攻撃を嫉妬だと言ってる。嫉妬なのか?
 ラモーにもヴォルテールにもルソーを嫉妬する理由はなかったと思う。ただ、仲間外れにしたい、切って捨てたいという感じは見える。ルソーは独学でラモーのハーモニー論を勉強したが、本当は最後まで理解できなかったので、通俗的な旋律作曲家になったのだと思う。ラモーはそれを当然理解していただろう。

 まあ、世の「天才」たちが皆『告白』を書き始めたら、凡庸な人間が業績を評価しようとしたら目がルサンチマンに曇らされて、「好き嫌い」の鏡に自分自身を映し出してしまうんだろう。だとしたら、ルソーが自分で言っている『告白』の目的は達せられたわけだ。ルソー、恐るべし。

 
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by mariastella | 2009-08-14 20:55 | 雑感

floccinaucinihilipilification

 無神論的言辞に注目して「西洋思想史」を見ていくと、結局すべてを見ることになる。
 無神論のにおいのしない思想も哲学も宗教もないと言っていいくらいだ。

 それは、無神論を考えることは神について考えることだからだ。
 普通に、伝統や習慣通りに宗教っぽい儀礼をこなして、忙しくサヴァイヴァルしている人たちは神のことなんかあまり考えない。考えるとしたら、「神さま、どうぞ何々してください」という、取引の対象だか殿様としてくらいである。
 神がいるかどうかなどと考え始める人たちは、不可知について考えているのである。

 「死」について考えていると言ってもいい。

 無神論のにおいというのは死のにおいなのである。
 
 人間が多少なりとも実存的な問いを抱き始めたら、「死」が出てくる。

 神を考えるのと死を考えるのは、同根なのだ。

 死だけが、人間が想像できる「永遠」だからだ。他の人間の死を見て、少なくとも自分の生きているうちにはその人と会えないことを認め、「死=人間の永遠の消滅」という認識が生まれる。

 死者は語らないし、目にも見えない。死は永遠とか無限に属するらしい。
 誰でも死ぬのは確実らしい。しかし、生きている時(有限の世界にいる時)はそれを体験できない。

 神の姿も見えない。神も永遠や無限に属するらしい。
 死ねば神の姿が見えるらしい。生きている間は、神を体験できない。

 こういうパラレルな状況がキリスト教的死生観にあって、「この世の死=神の国での永遠の命」というところに落ち着いた。

 ところが、近代の合理主義とか、科学主義は、アレゴリーを認めない。
 この世の生は、意味が無く、単なる偶然の積み重なりである。
 永遠とまで欲張らなくとも、生物の種も惑星にも太陽系にも宇宙にも寿命があって、そのスパンの中で考えるだけでも、個人の生などは、絶対の無意味でしかない。floccinaucinihilipilification。
 
 これがポストモダンのニヒリズムであり、「神の死」である。
 
 問題は、

 「神」が死んでも、「死」は死なないことだ。

 神の存在証明や非存在証明に、神学者や哲学者や数学者まで躍起になったことがあるが、それも下火になった。「死」の存在証明とか非存在証明はなされなく、いまや永遠の命だとか神とセットにできなくなった分、タブー化したり、余計に不気味な物となっている。「死」が解決できないのだから、「神」にあっさり退場してもらっても困る。まあ、昔ながらに、宇宙とか自然とか、代替物も遠慮がちに復活しているのだけれど。

 自己正当化や他者を裁くための口実として持ち出される「神」たちはまた別物である。
 しかし、無神論者たちは、こういう「神=偶像」を暴くうちに、「死」を孤児にしてしまったのだ。
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by mariastella | 2009-08-07 07:41 | 宗教

Sade と Michel Onfray

 私は Michel Onfray が無神論にかける情熱が理解できなかった。
 アメリカではあるまいし、今のフランスで、あれほど熱心に無神論を唱えたり、反キリスト教論を展開する理由が分からなかったのだ。しかも、議論の種が古い。1905年の政教分離法の前ですか、と言いたくなる。カトリック攻撃も、十字軍やガリレイ裁判や異端審問が悪いと責めんばかりで、何だかダン・ブラウンばりに無教養というか、第二ヴァチカン公会議も、現在のフランス司教会議の立場とかも知らないのか、と脱力する。

 ところが、先々週の『Le Point』誌のサド特集で、彼のコメントが載っているのを読んで、ああ、この人って、こんな人だったんだ、と思った。

 彼は、サドが無神論の嚆矢で近代哲学の始まりなどではなく、むしろ封建時代の最後の哲学者で、アポリネールやブルトンらに持ち上げられたせいで、安易に「古典」の地位を獲得したことをに批判的だ。カミュの『反抗的人間』などの方を評価している。Michel Onfray は、「表現の自由」の名のもとに人間の尊厳が傷つけられるのが間違いだと思っていて、物書きとは一定の義務を負う者だと信じている。

 好感度アップだ。口が悪いと思っていたが、ピュアな人なんだね。

 サドは有力貴族だったので、家族が願い出なければ、ほとんど罪が野放し状態だったというところはジル・ド・レも似たようなものだ。ただし、サドの時代の一部貴族の性的放縦というのは半端ではなかったし、彼は、ジル・ド・レと違って、実際に人を殺すことはしていない。閉じ込められて、しかし「表現の自由」を得て花開いたのだが、だからといって、何でもありというのは変だと思っていた。文豪の裏小説みたいなものならそれなりの含羞というか、罪悪感もあって別だが、権力者の確信犯っていうのは、全体主義の芽を秘めていると思う。
 ナポレオンはサドを口を極めて罵っているが、ほんとに真逆のタイプだ。
 
 サドは無神論を自称していたが、冒涜冒聖に快楽を見出していたので、聖なるものにはすごくこだわった。神を無視したのでなく、例えば十字架を穢すことに至上の歓びを感じていたのだ。聖なるシンボルはどれも大切な小道具だった。でも、汚辱や破壊やタナトスの魅力をことさら言い立てるのがそんなに上等なこととは私には到底思えない。サドは、今では、原文をすべてネット上で読めるし、古典文学にも入っている。それを近代がタブーや偽善から解放されていった進歩と見るのか、サドがその侵犯を快楽としていた「聖なるもの」そのものがなくなったことで失われたバランスの意味を考えるべきなのか、難しい。ヴァーチャルであればどんな犯罪のシミュレーションでもOKなのかという、今日のモラルの問題にも通じるだろう。
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by mariastella | 2009-08-03 06:23 | 哲学



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