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L'art de croire             竹下節子ブログ

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マリー・アントワネット

 ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』をTVで見た。 
 
 ヴェルサイユはいつ見ても、郷愁をそそられる。私の両親を最初に案内した時は一般の休館日で、案内してくれたフランス人の友人は、その前に休館日に案内したのは日本の天皇夫妻だった、と言ったので、うちの両親が感激してたのを思い出す。その両親も友人も今は世にない。今、鏡の間でのバロック・ダンスの招待券をもらっているが多分行く暇はない。

 で、マリー・アントワネットだが、彼女の頃には、もう、宮廷のバロック・バレーが死滅していたのがすごくつらい。チェンバロやハープは出てくるんだけれど。

 マリー・アントワネットがやって来た頃、シャルル=ルイ・ミオンはすでに倒れて宮廷を去っていた。彼はほんとうに、時代とずれてしまった人だ。

 ヴェルサイユで、バロック・バレーがぴたりと踊られなくなったのは、17世紀末だと思われる。

なぜか?

リュリーの死、キノーの死という普通に考えられる理由もあるが、最大の単純な理由がほかにある。

 気候の寒冷化。

 1700年から1710年のヴェルサイユは異常に寒く、誰も踊らなくなった。その前は、その反対で、まさに、「寒さに対抗するために」こそ、かなりの運動量を男も女もこなしていたのだ。

 その寒さが限界を超え、飢饉にはなるし、その後でルイ14 世の子も孫もばたばた死んでいる。宮廷ダンスははっきり言って見向きもされなくなった。

 このヴェルサイユでの宮廷ダンスの死滅こそが、フゥイエらによるバロック・バレーの振り付け譜の全盛時代を招いたという人がいる。死滅しそうなのであわてて書き遺した?

あまりにも自明だったので記譜されないままに終わったものもある。メヌエットとガボットだ。パ・ド・ガボットなどは、今はコントルタンとアサンブレの組み合わせが基本となっているが、かなりのヴァリエーションがあったらしい。
しかも相当の技巧を要する複雑なものだ。

 もう一つの仮説は、ただ、金のため、というものだ。ヴェルサイユのバレーや劇場バレーはヨーロッパ中で名声を得ていたので、各地から、特に新興ブルジョワたちが振り付けを依頼してきたのだ。楽譜を送れば、振り付けを記譜して送り返す。これでかなり稼げたらしい。過去のオペラ・バレーの振り付け譜も書き改められたのか、どんどん出された。その出版の仕方にも、金儲けの計算がうかがわれる。

 ということは、今や非常に貴重な資料として解読され、踊られているバロック・バレー振り付け譜だが、記譜されたものがそのまま、最盛期に踊られたものとは限らないということである。

 私たちのトリオは、6月6日に湯浅宣子さんと共に、シャルル=ルイ・ミオンの舞踊曲をオペラ風に構成したものを上演した。その日本語版を秋に日本の3か所で公演する。

 18世紀も半ばに近いミオンの当時の劇場用振り付け譜はまったく残っていない。ラモーのオペラも同様だ。

 湯浅さんは8曲にオリジナルで振りつけてくれた。コメディデラルテ風、パストラル風、宮廷風、と変化がある上、非常に技巧的で繊細な振り付けだ。彼女の腕の動かし方や肘の使い方は、今のバロック・バレーの標準とは違う。でも、彼女の振り付けを見ていたら、そちらの方が、当時に、実際に劇場のダンサーに踊られていたものに近いんじゃないかと思った。つまり、記譜されて出版されたり売られたものは、基本的に商品であって、「見て踊りやすい」ものでなくてはならなかったはずだからだ。18世紀半ばの時点では、劇場バレーはパリの技術が傑出していて、他の国の宮廷だとか「ブルジョワ」だとか劇場に「輸出用」の商品は、「一般向き」だったのではないだろうか。つまり、簡易版。

 今ラモーのオペラなどのバレーの振り付けには、コンテンポラリー風とか、バロックテイストだがクラシック風とか、いろいろな演出があるのだが、正統なバロックがちがち「もどき」という場合も、それはそれで絶対違うなあということが多い。

 湯浅さんのミオンの振り付けを見て、「きっとこれだったんじゃないか」、と思わせられるのは、彼女がまさに「ミオン」の曲にインスパイアされているからだ。私たちはミオンにほれ込んでもう15年以上も彼の曲を発掘してきたわけだが、テンポにしろフレージングにしろ、何年もあれこれ解釈を変えた後で、「これだ、これしかない」という着地点に至る時がある。それが、湯浅さんの振り付けと表現によって、さらに確かなものになる感じだ。

 彼女の振り付けは、記譜しても、おそらくかなり難しいものになるだろう。

 マリー・アントワネットがハープの代わりに本格的にバロック・バレーを習えていたなら、そしてルイ16世もいっしょに踊っていたなら、彼女のヴェルサイユ生活はもっと違ったものになっていたかもしれないし、フランス史も変わっていたかも、と想像してしまう。

 ミオンはルイ15世の子供たちに音楽を教えていたのだが、ミオンの教え子だった王太子は父より早く亡くなったので、孫であるルイ16世はミオンのエスプリを知らない。ルイ15世は、ラモーとルソーのQuerelle des Bouffons の時に、ラモー側についているんだけど・・・

 そんなことを、いろいろ、考える。

 
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by mariastella | 2010-06-23 00:17 | 踊り

キプロス島のベネディクト16世

 6月はじめにB16がキプロス島を訪れた時、ニコシアで、Nazim Haqqani 師 というスーフィーの神秘家と会った時の写真を見たのだが、周りの人々がすごく和やかにこやかで心温まった。キプロスだからトルコ系のスーフィーということだろうか。本物の神秘主義者というのは、何かみな故郷が同じという気がする。神秘主義者たちが宗教間対話の鍵になるんじゃないだろうか。  

 キプロスはもちろん東方教会がマジョリティだが、カトリックも少しいるし、フィリピン移民もいる。B16は彼らを招いてアラブ語、ギリシア語、ラテン語をミックスしたミサを挙げた。

 緊張の高まっている中近東などイスラム世界で生きるキリスト教徒たち、特に聖職者や修道者らのコミュニティが危険を回避して引き上げないで踏みとどまるようにと、教皇は呼びかけた。

 1996年にアルジェリアのトラピスト修道士たちが、イスラム過激派から強迫されていたのに踏みとどまって地域の奉仕を続けた末、全員拉致されて惨殺された事件を扱った映画が今年のカンヌ映画祭で話題になったが、そのことを思い出してしまった。その地に残ると命が危ないと分っているのに絶対残れというのは普通の国の外務相だとかが、危険地域の自国民に避難勧告を出して、勝手に残って誘拐されたら自己責任だからね、とかいって逃げたりするのと対照的だ。

 で、教皇の言うのは、キリスト教がマイノリティで試練に会っている場所にこそ残って、キリストの希望の証しを見せ続けなくてはいけない、と言う。それは、キリスト教徒のためだけでなく、その地域に住むすべての人々のためだそうだ。確かにそういう地帯では、ムスリムである地域住民であれば身が安全というわけではない。彼らはずっと命の危険にさらされている。そんなところに「福音」を伝えに来た宣教師なんかが、さっさと「安全地帯」に逃げ帰ったとしたら、「人は愛し合える」という証言の重みは消えうせるだろう。

 最近、南アのワールドカップがらみで、黒人地区に留まってアパルトヘイトと戦ってきた白人キリスト教司祭たちの話をいろいろ読む機会があって、感動していた。

 アパルトヘイトをキリスト教的に正当化していたのは、旧約聖書のノアの泥酔のエピソードで、父の裸を見た息子ハムが黒人の先祖だと言われていて、「奴隷の奴隷となり兄たちに仕えよ」とノアから呪われた部分らしい。
 このテーマについてはシスティナ天井画の解釈をめぐってあれこれ考えてきたのだが、まあ、普通に考えて、泥酔して裸で寝たノアさんがそれを見つけた息子を一方的に呪うなんて・・・と、ひどい話だと思うんだけど、キリストの受肉によって旧約のいろんな律法とかの意味がラディカルに変わったはずのキリスト教で、アパルトヘイトの正当化にそんな口実が使われていたんだなあ。
 知らなかった。まあ、そういうふうに正当化する必要があったということは、キリスト教内部で、アパルトヘイトの人種差別はキリスト教に見て間違っているという異議申し立てがあったからこそなんだろう。実際、白人の司祭だの修道士だのの中に、当時もちろん違法であったのに勇敢に黒人地域に住み、彼らと共に人種差別撤廃のため、自由のために戦った人たちがいたわけだ。

 その一人のJacques Amyot d'Invilleの書いているものを読むと、ずいぶん危険な生き方をしてきたのに全然悲愴ではなく、「明るいのが一番」という感じなのだ。

 ユーモアの感覚を養い、積極的にオプティムズムを育てようと言う。

 そして、ニーチェがキリスト教徒について言ったことを常に考えなきゃいけないという。それは、

 「私が彼らの救い主を信じるようになるためには、救い主の弟子たち自身がもっと救われた様子をしていないとだめだ!」

 と言うものだ。

 愛を説いたり、救いや希望を説く者、「福音」を説く者が、深刻な顔をして、危機に際して真っ先に逃げ出したりしたら、確かに、救われてるようには見えないなあ。

 よく、拷問されて磔にされた殉教者なんかが、「パライゾ、パライゾ」とか叫んで恍惚として死んでいくイメージがあって、ああいうのは狂信で病的で不健康じゃないかと思っていたけど、一理あるかもしれない。

 そして、神秘家とか、悟った人とかって、確かにいつもニコニコしてたりする。

 私は何かと悲観的な人なのだが、よし、ちょっとは喜びに向うように生きてみよう。
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by mariastella | 2010-06-16 23:39 | 宗教

一年ぶりの仏舎利

 ヴァンセンヌの森のパゴダで恒例のフランス仏教連盟のお祭りがあった。去年大騒ぎして拝観した釈迦の「真骨」は今では祭壇後ろに納められている。去年のように至近距離ではもう見られないけれど、今年はいろいろ心配事があるのでご利益を期待してみた。

 この場所では初めてのクラシックのコンサートがあって、思いがけなく音響が優れていることが分かったので、来年は私のトリオがパゴダ改修資金集めのコンサートをやることになりそうだ。

 このパゴダの金色の仏像はいつ見てもいまひとつありがたい気がしない。なんだかパリの「ブッダ・バー」にいるような気がする。

 座禅の解説と実演があった。私はチベット・アートのスタンドで楽器を買って、豆腐とグルテンのチャーシューや偽魚などを買った。

 今年はチベット内部の対立に巻き込まれないように関係者との話に深入りしないことにした。観光客気分である。
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by mariastella | 2010-06-13 07:26 | 雑感

ソリプシストKのための覚書10

 エリカの新訳が出た。

http://www.decitre.fr/livres/Oeuvres-completes.aspx/9782729118785

 私はデータでも持っているからいいけれど、重くて字が細かいので、何かこれから先Kと付き合っていくのが難しい。

 エリカは7月から半年間ウィーンに招かれてパトチカの哲学書の翻訳のチェックにとりかかるそうだ。

 今、代替医療の陰謀論的構造について考えているので、エリカにその話をしたら、つまり、気功とmagnétiseurとが同じ原理ではないかという話をしたら、彼女は自分の体験を話してくれた。一度magnétiseurのところに行ったら、あなたは狂気の淵にいると言われて、治療されずに金も取られずに追い出されたそうなのだ。それって、ある意味怖い話じゃないか?

 で、お勧め代替医療として、有名なホメオパシーの医者を紹介してくれた。

 これがなんと、

 ユニシスト uniciste

なのだ。

 ソリプシストの次はユニシストかい。

 ホメオパシーは子供や動物にも効く。まあ、得意分野とそうでないのがあるのだけれど。

 フランスではどの薬局でも安く売っているので、うちにも常備薬としていろいろある。子供の蕁麻疹がすぐに消えて助けられたこともある。他の薬の副作用が消えたこともあった。

 そういう標準薬と違って、ユニシストはまったく違う処方をする。しかも予約に半年待たされたりして信頼のほどを試されるのだそうだ。基本は紹介制。フリーメイスンみたいだなあ。

 どんな宗教でも、中途入信の動機は「持病の治癒」が一番強力だ。障害や痛みが消えるということが人にもたらすインパクトは計り知れない。その前では障害や痛みを受け入れる意味付けなんてふっとんでしまう。

 自己治癒力やプラセーボ効果は今でもすべて謎の領域だ。

 私のような懐疑とネガティヴ・スパイラルの人が「奇跡」を体験したらほんとうに「回心」とかするんだろうか。多分そういう奇跡や回心がセットになっている地平とは別の地平で私は痛がったり思考したりしているような気がする。

 
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by mariastella | 2010-06-01 18:16 | 哲学



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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