L'art de croire             竹下節子ブログ

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トリック・アート

 損保ジャパン東郷青児美術館の『トリック・アート』展。

 いつか本物を見たいと思っていた上田薫さんの食べ物シリーズを3作見た。
 写真をスライドにしてキャンヴァスに映して描いていくという手法の独特の触感は、それをまた写真で見ると、情念が失われる。実際に見てみると、その精緻さや触感より、寸法の大きさに驚く。実際の写真でこれほどの解像度を得られるということはないだろう。

 情念が失われる、と書いたが、この画家は感情的な要素や情念を排除して、いわばフェティッシュなものに徹底して不思議なパワーを狙っているのだろうが、画家が作品の上で排除したはずの情念は、作品の向こうにはっきり透けて見えるので、見ているものにその動きが伝わる仕組みになっている。複製だけではその「向こう側」は見えない。でも、一度本物を見た後で、その「向こう側」の印象を自分にインプットしておけば、複製を見ても表象記憶として湧き上がってくる。

 桑山タダスキーさんの「円」のように、これも、「純粋に機械的な絵画、完全に人間の情感を拭い去った画面を書きたい」という意図らしいが、やはり、逆説的に、そういう「意図」が拭い去ろうとした「情念」が、作品を前にすると、脈打って伝わってくる。

 最初に図版だけを見ると、意図は達成されている。

 制作は、ろくろに似た回転台の上でカンヴァスを回し、その上から絵筆を静止させ息を凝らすという機械的な方法で同心円の連なりを描いたということだが、作品という「境界面」を実際に前にすると、「息を凝らした」念が全部にじみ出てるのだ。こっちの「見る」視線によって顕在化してくるのかもしれない。

 「息を凝ら」さなくても描けるCGなんかでは、情感は多分、排除できるんだろう。少なくともランダム画像なら・・・

 同じ機械的な緻密な幾何学図形の連続技でも、桑原盛行さんの『群の光景』などでは、作者が自分でも驚いたというくらい有機的な感じがする。逆にこれは、複製写真でも有機的な感じがする。錯視画像と同じで、見ている側の有機性があらわに出て来るのかも知れない。

 しかし、これらの作家における、この「情感を排したい」という誘惑や志向はどこからくるのだろう。作品をニュートラルに、透明にしたい、それによって、作品のこちら側(制作)と向こう側(鑑賞)の間の垣根を取っ払って純粋な出会いだけを出現させたいのだろうか。

 福田美樹さんが、名画の中の一人物の視点から名画を描きなおすというシリーズもおもしろかった。単に二次元世界を三次元世界にしてその中に侵入するという楽しさだけではない。
 たとえば、ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』の聖アンナは、実は13頭身くらいでとてもデフォルメされているのだけれど、二次元ではバランスよく見えているというのだ。ミケランジェロの天井画なんかでも、上を見上げた角度とか天井の丸みによってデフォルメされる分を計算して、見た目にバランスよく描かれているが、実測すると非現実的だというのと同様だ。そういう、原画の二次元でのみ保たれているバランスを、三次元に入ることでどう処理するかというおもしろさがある。これをコンピュータが二次元画像をそれこそ機械的に取り込んで三次元に変換、処理して、幼児キリストからアンナを見上げさせるならば、かなり恐ろしいことになるのだろう。

 二次元の名画を三次元のオブジェ化して個人テイストで処理する森村康昌さんの世界はなじみだったが、やはり楽しかった。
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by mariastella | 2010-08-14 15:15 | アート

Comment vas tu?

 A.R.Damasio の本(日本語訳)を読んでいて、単純な「ご機嫌いかが?」の「How are you? 」と違って、「How do you feel?」という特殊な問いは、進行中の身体状態に対する感覚を問う「気分はどう?」を意味するものだという話が出て来た。
 人は継続的にモニタリングしている全身状況に基づいた基本感情(気分)があるという文脈の中だ。

 フランス語訳ではどうなっているのだろう。気になる。

 フランス語では、「How are you?」は 「Comment vas tu?」に当たる。

 「vas 」は「aller=行く」という動詞だ。
答えは「je vais bien.」となって、英語に直訳すると「I go well.」である。
 
 こうなると、あいさつにbe動詞を使う英語が瞬間に切り取られた静的な状態を問う感じなのに比べて、フランス語の方が「走行状態」というか、動的だ。

 「How are you?」の直訳は「Comment es tu?」で、かなり不自然だが、むしろ英語の「How do you feel?」のほうに近い。もちろんフランス語でも「Comment te sens tu?」の方が自然だが、再帰動詞だしもっと主観的な感じになるかもしれない(再帰動詞でない方のsentirなら、「Que sens tu?=何がにおう?」のようなイメージ)。

 「Comment es tu?」の方が身体的、即物的な感じだ。
 たとえば、新作マッサージチェアに座りながら試している人に向かって、「どんな感じ?」と聞いてるような場合で、「Je suis bien(=I'm well.)」と答えると、「あ、いい感じだよ」というニュアンスになる。

 英語とフランス語のこの差は結構奥が深い。

 日本語では「お元気ですか?」「おかげさまで」みたいなのが挨拶の基本で、「御加減(ご気分)はいかがですか」「はい、なんとか」などは身体的だが、この「元気」というのも「文化」と切り離せない。
 「元気とは元(もと)の気で、もともとの気が少ない人もいる、と言った友人もいた。いや、気はそこいらに充満してるので、もともと「気のレセプター」が少ない人がいるのかもしれない。元気な人は、だから、「おかげさまで」と言ってしまうのかも。エネルギーがないタイプの私にはなかなか微妙な言葉だ。

 「いい走行状態だよ」という動的なフランス語表現のニュアンスは、「とりあえずやってます」という感じで、私にはぴったりかもしれない。英語圏に暮らしてたら fine でもないのに毎日「I'm fine.」って言わなきゃいけないんだなあ。長い間には性格や国民性に微妙に影響してくるかもしれない。


 
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by mariastella | 2010-08-14 12:36 | フランス語

美術展覚書

 明日帰仏するので、日本滞在中のことを忘れないように少しメモっておくことにする。

 うちから比較的アクセスのいい美術館ふたつ。

 根津美術館。

 新創されてからはじめて行く。暑さにかかわらず、庭園も散歩した。それまで街中ばかりにいたので気づかなかった蝉の声が耳を刺す。新しいNEZUCAFEやミュージアムショップも楽しみ。

 八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品『いのりのかたち』展。

 もっとも興味深かったのは、釈迦多宝ニ仏坐像。銅造鍍金。北魏時代、5世紀のものらしく、法華経見宝塔品にある釈迦と多宝という二つの如来が並んで座っている。

 如来像といえば両脇に脇侍菩薩を従えて中央に君臨しているというイメージだったので、膝を触れんばかりに仲良く座っているのが新鮮。

 多宝如来が、露出が少なくシンメトリックに下で手を組んでいるのに、、向かって右に座る釈迦の方は、左肩を衣で覆い、意味ありげに微笑みながら裸の右腕をⅤ字に曲げて、手のひらをこちらに向け、隣の如来の左肩に触っている。左手には何か持っている。そのしぐさは、「これが兄弟分の多宝如来です、よろしく」と紹介しているようでもあり、多宝如来も、「うんうん、そうなんですよね、よろしく」という表情で、意味ありげ。
 小さいのに物語が詰まっているようなレリーフで、とても気になった。

 山種美術館。

 こちらも最近広尾に引越しした贅沢空間で、オリジナルグッズも充実。

 『江戸絵画への視線』展。

 私は幕末から明治期に日本画が洋画化していく過程に10年以上前から興味を持ち続けてきた。
 パリ時代の山本鼎の調査を頼まれたり、京都円山派の流れの岡本月村の貴重な資料を、お孫さんからいただいたりしたご縁からだ。月村の娘さんは、上村松園の内弟子の岡本松香で、そのエピソードも非常におもしろかった。

 この『江戸絵画への視点』では、江戸時代からすでにさまざまなかたちで洋画の影響が見られていたことがよく分るのでおもしろい。

 展示の最後には、まさに、洋画の影響を受けて確立した明治以降の「日本画」コレクションの一部がある。私は個人的にも一時期日本画を習って、多少描いたこともあるので、好きな画家もたくさんいる。長生きしてくださったおかげで一応「同時代人」として新作に感動して来たヒーローは前田青邨さん安田靫彦さんだが、前田さんの86歳のときの小品『鶺鴒』があって、「たらしこみ」の手法の青い海を背景に一羽飛ぶ白い鶺鴒に見とれた。

 近頃、アート作品と接するとき、作品を通してアーチストの全歴史と環境、私自身の全歴史と環境(見ている瞬間の体性感覚を含む)をオンライン接続して鑑賞するというのを、意識してやっている。この方法は、複製では不可能だ。「生(なま)」だけが可能にしてくれる。その後は、その時にインプットされた印象を私の「全歴史」の部分に組み込んで、後で取り出せる表象記憶にしておくのだ。一度そうやれば、後は複製を前にしてもスイッチが入って、関係性を少しずつ変えることができる。

 今までは現物を見ることと、そのはかなさというか、それが結局「ただの記憶」になることとの落差をどう処理していいか意識しては分っていなかったのだが、この方法を訓練するとすごく楽しい。
 それには作品や作家についての情報が多いほど楽しくなる。その情報の眼鏡で見るのでもなく、自分の貧しい直感にたよって見るのでもなく。オンラインのダイナミックな地図を自分の中にだんだんと形成できるように見るのだ。音楽も同じで、「生(なま)」体験なしにはこの地図はできない。

 
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by mariastella | 2010-08-14 11:38 | アート



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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