L'art de croire             竹下節子ブログ

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Suzanne Ramon を聴く

Suzanne RamonのチェロとEmmanuelle Swierczのピアノをジャクマール・アンドレ美術館の音楽サロンで聴く。

この美術館は私の好きな場所のひとつだし、シャンパーニュ付で、グラスを片手に常設展示をぶらぶら眺めた後でゆったりとコンサートを聴く気分は贅沢でほっとする感じだ。

19世紀ばりばりの環境と雰囲気とそれにぴったりのプログラムだったが、フランスらしい演奏でよかった。

チェロという楽器は、音域も低めだし、落ち着いた大人っぽいイメージがあるが、その楽器を使って感情だだもれの演奏されると、正直言って痛すぎて、バロック耳には逃げ出したくなる。

プログラムにあったドビッシーを聴きたかったのに、変更になって、結局、

ラフマニノフのVocalise

フランクのソナタ、

サンサーンスのソナタn.2

フォーレのエレジーという組み合わせだった。

ラフマニノフを別にしたら、時系的に並んでいる感じだ。

私がヴィオラで弾いたことのあるのはラフマニノフだけである。

サンサーンスは始めて聴いた。

どれもみな、抑制がきいていて知的で、繊細で、ピアノとチェロのバランスが絶妙だった。

こういう感じのピアノとチェロは、抑制がきいていればいるほど、芳醇な感じになる。

どこの音楽院の作曲科でも必ずチェロとピアノのデュオを書かせるくらいに、この二つの楽器のバランスは、楽譜のレベルですでに難しい。

チェロの音域がピアノの左手と重なる部分が多いので、メロディーをどこに位置づけるかというのがかなり微妙だからだ。

これがヴィオラだと一オクターヴ高いので、アルトの女声を歌わせているイメージなのだが、チェロは男声のようでありながら人格を変えることができる。
だからバッハの無伴奏のように多声部で出来ている曲だと威力を発するのだが、ロマン派の曲をチェロで人格統一しようと思ったら演奏者の「感情」を色濃く乗せてしまうはめになる。

チェロの名手が完璧なテクニックの上に立ってこの感情のたがを外してしまうと、センチメンタリズムに陥る。

どんなにテクニックがあっても、センチメンタリズムの持つポピュリズムの力には拮抗できない。

フォーレのエレジーなんてその種の誘惑に満ちている。

シュザンヌ・ラモンによる抑制のエレガンスは大したものだ。
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by mariastella | 2011-01-31 23:39 | 音楽

ユニヴァーサリスム

前に、世界人権宣言デーの記事で、Stéphane Hessel
のことを書いたこと
がある。


この人の書いた薄い小冊子で『Indignez-vous!(義憤の勧め)』というのがあって、百万部にも達して、去年のクリスマスシーズンに爆発的に売れたそうだ。

フランス人のクリスマス・プレゼントの定番は昔も今も本、香水、チョコレートであって、私もクリスマスごとに毎年いろんな人から本をプレゼントされているし、している。美術書やハードカバーのBD(コミック)というヴァリエーションもある。

この本についてや著者について、猫屋さんのブログ(2011/1/20の記事)でも少し読めるし肉声も聞ける。
 

この本がすごい売れゆきだったことは、本がクリスマス・プレゼントになるということも含めてすごくフランス的なのだが、そのせいで93歳のエッセルは突然時の人になった。

最近、サルコジ政権が改悪しようとしている年金システムや社会保障制度のすべては対独レジスタンスの中枢が編み出してきたものだということを、もはや数少ない当事者であるエッセルが強調するのは今や新鮮だ。

私の気にいったエピソードは、人権宣言にかぶせる形容詞について、

アングロ・サクソン国(英米だろう)は、internationaux を提案したのに、フランスのRené Cassin が 
universels に固執したというところである。

その形容詞は直接的には「宣言」にかかっているが、René Cassinがこだわったのは droits universels の意味である。

つまり「国際」法ではなくて「普遍」法という意味だ。この宣言での「droits」は権利であって法ではないし、宣言であって法的な拘束力もないのだが、国際間の関係に関する合意ではなくて国籍などを超えた普遍的なものを目指しているという方向性は、それによって明確になった。

日本語では「人権に関する世界宣言」のような訳なので、なんだかワールドだとかグローバルとかを連想してしまい、アングロ・サクソンの世界観とフランスの普遍主義が拮抗する感じが伝わらない。

インタナショナルでは個々の国の存在が前提になる。

この人権宣言が出た時に「連合国」の念頭にあったのは、過去の主権国ドイツの首長であったヒトラーがホロコーストを国の政策として掲げたことに関して、「他国の主権を侵害する」とか「他国の内政に干渉する」ことの是非を超えて人類に対する罪をもっと早く弾劾すべきであったという反省だった。

これはフランスのような国では、国内の共同体に関して、それが家庭であれ、伝統的な共同体であれ、その中で基本的人権を侵されている人がいれば国家が直接干渉するという基本方針に反映している。

共同体の秩序だの伝統よりも、個人の人権の方が重い。

たいていの秩序だの伝統だのは構造的弱者の犠牲の上に成っていることが多いから、これは革命的だ。

この勇気ある理念の当然の帰結として、言い出しっぺのフランスの植民地が次々と独立したりなどということにもつながったわけである。

しかし、イラク戦争など、主権国内での独裁者による人権蹂躙に対して、どの国が、あるいは国連軍が、どの程度、どのタイミングで干渉するかという判断については、政治的、経済的な利害やそれこそインタナショナルな力関係がからんで複雑極まりないものになるのも事実だ。

それでも、ユニヴァーサルを常に視野に入れていないと、インタナショナルはエゴのぶつかり合いや競争原理にのみ傾いてしまう。

義憤という人間的な正論をクリスマス・プレゼントに乗せて広くばらまくフランスにはまだまだ希望がある、と思いたい。

(エッセルが93歳の今まで、戦中も戦後も実に精力的に素晴らしい活動をしてきたことには感嘆させられるが、実は、今回の人気で彼のプライバシーも目に入り、妻の死後に72歳で30年来の愛人と再婚したなどという経歴を知り、私の中での彼の「カッコよさ」は半減した。尊敬するバダンテール夫妻にもそういう理不尽な幻滅を感じたこともある。私のような人がいるから、天下国家について立派な理想や正論を吐く人たちは、私生活もある程度マネージメントする必要があるのではなかろうか。そういう意味では独身で使命を貫くタイプの聖職者にはやはり心理的に付加価値がつくかもしれない。)
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by mariastella | 2011-01-24 08:02 | フランス

ナポレオン、ジェンダー、チュニジア革命

今、こちらの一番の話題はチュニジア革命。

23年にわたる独裁者ベン・アリとその家族がついに逃亡した。甥たちが町中で襲われ始めていた。身の危険を感じたのだ。

いわゆる指導者がいなかったということで新しいタイプの革命だと言われているが、確かにウェブを通して情報が行きわたっている世界ならではの出来事かもしれない。

ベン・アリの逃亡先はサウジ・アラビア。

ご都合主義の民主主義の末路はサウジアラビアへの亡命で、サウジからはテロリストが世界へ散らばる。

去年はビルマといいコートジヴォワールといいウクライナといい、選挙って何なんだ、といいたくなるケースが相次いだ。

冷戦時代であっても、西側諸国が民主主義陣営であったわけではない。親米独裁政権はアメリカの仲間だった。

政治の理念やモラルなど、肥大する欲望の前には単なるお題目でしかない。

権力への欲望は本当に人を芯から腐敗させる。

近頃ナポレオンをジェンダーで読み解く作業をしているのだが、ナポレオンが権力を一家郎党や子孫に伝えたいとか姻戚関係によって安全を担保したいとかいう感情には、本当に脱力させられる。

ナポレオンとジェンダーなんて、どう結びつくのかとフランス人からも驚かれるのだが、支配欲と戦争=暴力、権力を保証する権威と聖なるもの、をめぐる欺瞞の歴史は、もうすぐ連載が終わるジャンヌ・ダルクからも一直線につながっている。フランス人が「闘う処女マリア」を経て、処女戦士であるジャンヌ・ダルクを半俗半聖の戦うヒロインとする過程で、ナポレオンは男である「軍神」の地位に上りたかった。

いつも弱い者の側に立って、殺されても抵抗せずに男の弟子たちを失望させたナザレのイエスは、ジェンダー的には女性の立場に近い。そんなキリスト教が軍神マルスを否定してから、キリスト教はなかなか権力者たちが必要とする「軍神」的なキャラを持てなかった。

最も戦闘的なのはジャンヌ・ダルクにもお告げをもたらした大天使ミカエルだが、翼が生えていて中性的だ。勇ましく悪魔に立ち向かって罪人の魂を取り返してやるのも、もっぱら聖母マリアの役どころである。

ナポレオンは本気で男たちの軍神になりたかったのだ。

そのために彼の考えた装置や演出は非常に興味深いものである。(これについては別の機会に書く)

それもこれも、結局は、自分の権力を子々孫々に継承させることが可能な権威につなげたかったからだ。

やはり、不死ならぬ人間にとっては、「自分の子供を持つ」というのが、すべての煩悩の根源になりそうだ。

そういう意味では、カトリック教会がいまだに聖職者の独身にこだわるのは、危機管理の智恵の一つでもある。

だからこそ、啓蒙思想の影響を受けて共和主義を称揚したピウス七世は、ナポレオンの恫喝に屈しなかった。

一代限りの独身の権威の強みでもある。

5世紀頃まで聖職者の独身制はなかった。6世紀の西方教会で独身制が導入され、妻帯者を叙階することもあったが、叙階された後に子供をつくった者は罰せられた。

ところが、ヨーロッパがすっかりキリスト教化した中世においては聖職者に庶子がいるのは珍しいことではなくなってしまった。1022年のパヴィアの公会議では、この状況が洗い出されている。

その時カトリック教会が決めたのは、聖職者の子供は、教会の隷属者であるというスタンスである。

聖職者というのは生涯を教会に捧げた身分であるから自由人ではない「隷属者=奉仕者」だ。

普通は、自由人の女と奴隷の男の間に生まれた子供は自由人の身分を得ていたが、ローマのユスティニアウス皇帝は、6世紀に、国家の奴隷と自由人の間に生まれた子供は自由人になれないとする条例を出した。

その例に倣って、カトリック教会は、教会の奴隷である聖職者の子供もまた教会の奴隷であること、すなわち私有財産を持てないこと、教会の奴隷は自由人の名で財産を獲得してはならないことを確認した。

聖職者やその庶子の領地や財産は没収された。

つまり、これは、早い話が教会の財産が四散することを防ぐための決まりだったわけだ。しかしそのおかげで、封建領主としてのローマ教会や各種修道会などが、その財産を権力者の子孫に継承させてしまうという欲望の連鎖は断ち切りやすくなった。

とはいえ、それ以降も、ルネサンス時代に顕著なように教会のモラルは内部では十分に腐敗していったわけだが、宗教改革やカトリック改革を経て、啓蒙の世紀を生きたピウス七世などは、ナポレオンなどよりもよほどまともなフランス革命の理念の継承者で、民主主義者となっている。

ナポレオンはエジプトではイスラムに改宗した、という形になっているし、ユダヤ人を軍に召集できるならソロモンの神殿だって再建する、と言っている。

権力者と宗教の関係を考える時に非常に興味ある事例でもある。

ナポレオンは織田信長にはなれなかった。

神聖ローマ帝国とも戦わねばならなかったし、姻戚を結ぼうともした。

彼の母親やその兄弟はローマ教会の側に立った。

彼が最後の日記でイスラムを称揚しているのを引いて、本当にイスラムに改宗していたのだと言いたがる人もいるのだが、啓蒙思想における「反教権主義=無神論」の文脈で読み返してみると、ナポレオンの語る「一神教比較」は別に新しいものでもない。

ナポレオンを無神論の文脈で語り直し、ジェンダーの問題と絡めて、「軍神の文化史」を書いてみたい。

ジャンヌ・ダルクがフランスのナショナリズムのシンボルとして使われるようになるのは、ナポレオンの失脚と、プロシャ戦争の敗退によるナポレオン三世の失脚があったからである。

ここに軍神とジェンダーの微妙な関係が見える。

ジャンヌ・ダルクの単行本をまとめる時にこの辺を掘り下げることになるかもしれない。
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by mariastella | 2011-01-16 03:34 | 雑感

ヨハネ=パウロ二世の列福

前ローマ教皇JP2の列福が5月1日に決まったらしい。

奇跡の治癒例が認められたそうだ。

B16は自分が在任中にJP2を正式に聖人の列に加えたいのだと思う。

彼のバランス感覚や知的なイメージの裏にポーランド人教皇へのけっこうエモーショナルな愛情を感じてしまうのは錯覚だろうか。

カトリック教会がいい形で脱ヨーロッパ化するには、ナチスの時代を生きてきたポーランド人とドイツ人という2人の教皇の時代を経なければならないのかもしれない。
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by mariastella | 2011-01-14 20:54 | 宗教

コプトのキリスト教など

イラクのキリスト教徒たちは、国外に逃げられる人たちはもはやほとんど逃げて、残った人たちは教会にも行けないほどの脅迫を受けている。

エジプトのコプト教会でも自爆テロまであって大変だったのは記憶に新しい。

コプト教会にはカトリック(22万5千人)もいるせいか、フランスではかなりの大騒ぎになった(フランスには4万人のコプト・コミュニティがある)。

エジプトは言わずと知れた初期キリスト教の揺籃の地の一つで、アレキサンドリアはローマと並ぶ国際都市で、あり、神学においても中心地だった。

「コプト」というのはエジプト人を指すギリシア語のaiguptiosを、642年にイスラム教と共にやってきたアラビア人がアラビア風に読んでキリスト教共同体を指すようになった言葉だ。

コプト教会というのはなかなか辛酸をなめてきたグループである。

ヘロデ王による嬰児虐殺を逃れるために生まれたばかりのイエスを連れて聖家族が亡命してきた由緒ある場所であり、使徒マルコが最初の教会を組織したと言われているし、旧約聖書を最初にギリシャ語訳したのもこの場所なのに、ディオクレティニアヌス帝時代の大迫害の時代には厖大な数の殉教者を出した。

それでもキリスト教が壊滅しなかったこと自体(コプト元年は284年)が奇跡だと言われているくらいだし、その上、グノーシスだのマニ教などの二元論の洪水の前にも踏みとどまって、後の隠遁修道会の基礎も作ったし、ニカイアの公会議、エフェソスの公会議と、キリスト教の基礎を築くのに貢献した。

ところが451年のカルケドニア公会議でローマと袂を分かち、東方正教会の一部となり、その後で7世紀のイスラム侵入によって、迫害されたり条件付きで共存を許されたりを繰り返しながら、14世紀にはついにマイノリティになった。エチオピアに移住した者もいる。

その頃からにわかにコプト教会のためにがんばりだしたのがフランシスコ会で、1895年にカトリックのアレキサンドリア主教区ができる頃にはコプト教会のうち10 %がローマの傘下に入った。

しかし90%イスラム化したエジプトの中で、昔ながらのコプトのコミュニティが持ちこたえてくれたからこそ、キリスト教と共に古代エジプト語が継承されたわけで、コプト経由のエジプト語の知識がなければフランスのシャンポリオンが象形文字を解読することもできなかった。

1973年にはカトリック(パウロ6世)とコプト教会による共同信仰宣言も出て、正教会のいうキリストの神性のうちには「受肉した神性」も含まれる(「monophysisme 単性論」で誤解されがちなキリストの人間性の否定でなく「miaphysisme」であること)のだというところがあらためて確認されたこともあった。

こうして1500年以上もキリスト教の内輪でいろいろあったわけであるが、21世紀におけるコプト教会の新しい試練は、テロを辞さないイスラム教原理主義者からやってきた。

この責任はどこにあるかというと、イラクでもそうだが、やはり「欧米の介入」が、アラビア色でまとまっていたイラクや中近東の文化的なバランスをくずしてしまったことだと思う。

少し前まではイスラムがマジョリティであるという安定のもとに、中近東は「アラビア語文化圏」としてまとまっていたのだ。

たとえていえば、そのアラビア語文化圏の中に、サブ・カルチャーとしてエジプトのコプト教会があったりイラクのカルデア教会が共存していたりという形である。

ところが、アメリカなどが介入して民主主義という名のグローバリゼーションを押しつけたので、反動で、その地域にイデオロギーとしてのイスラム勢力がトルコやイランから流入してきた。

トルコ人もイラン人も、アラビア人ではない。コーランを戴くがアラビア語文化圏ではない。

そこで何が起こったかというと、イラクやエジプトにおいて、「アラビア」が「イスラム」に置き換わったのだ。

すると当然、イラクのキリスト教徒やエジプトのキリスト教徒は排除される。

アラビア「文化」からイスラムという「宗教」に合わないものが排除され始めたのだ。

いいかえると、それまで、イラクのムスリムにとってイラクのキリスト教徒は「文化」の違う人であって「宗教」の違う人ではなかった。マジョリティ文化とマイノリティ文化ほどの違いである。

日本人にとってはわりと分かりやすい。

日本では、日本人とか日本文化のくくりがアイデンティティになっているから、少なくとも老舗宗教に関しては、

実家が浄土真宗だとか、宮司の家系だとか、母親がキリスト教で幼児洗礼を受けただとかによって差異化されることはあまりない。

新宗教やあやしげなカルトですら、サブカルチャーの一つぐらいだと思われている。

それはそれで今の時代では危険なのだが、それはまた別の話だ。

とにかく中近東での現在のキリスト教徒大迫害の経緯を見ていると、

世界の平和の秘訣が何かが少し分かる。

人は互いに、

自分の宗教だけを宗教だと思っていればよく、

他の人の宗教は文化だと思っていればいいのである。

無宗教の人は、宗教全般を多様な文化だと思えばいいのだ。

フランスでは長い間のカトリック教会との戦いの歴史の中で、すっかり、政教分離のライシテが根付いているのだが、それは平たく言えば、「宗教は文化と見なして平等にあつかおう」という考え方だ。
宗教を「権力」と見なさずに共和国の「上から目線」で見ているわけである。

フランスのカトリックもその考え方に慣れて、「自分たちの宗教は宗教だが、他の宗教は宗教という名の文化である」という事実上のスタンスをとるのが今や標準である。

だから他の宗教とも国ともけんかにならない。

ところが、そこに宗教イデオロギーをふりかざすイスラムがやってきたから、フランスは少しあわてた。
イスラムから喧嘩を売られて、あらためて「そうか、イスラムは宗教なのか」、と気づくばかりか、「そうか、カトリックって宗教なのか」と気づく人さえ出てきた。

フランスのある町で、公共の広場にクリスマスシーズンにキリスト誕生の馬小屋セットを設置したら、政教分離団体やイスラムからクレームがついたのでひっこめてしまった。公共の場所での宗教シンボルはライシテに反するというのだ。
クリスマス・ソングからも慎重に「祈り」や「幼子イエス」の言葉がカットされたりする。

フランスの地方の町でクリスマスに馬小屋セットが出るのは、宗教じゃなくて文化というかフォークロアであるのに。

日本でクリスマスに町に馬小屋セットが飾られたり
讃美歌が流されたりしても、舶来文化の雰囲気作りの演出だとしか思われない。クリスマスが終わってあわてて正月飾りが置かれても、寺社に初詣に行ってさえ、特に宗教行為をしていると思う日本人は少ない。クリスマスも文化、初詣は伝統文化、くらいの感覚だ。

バレンタインデーはサウジアラビアでは2001年に禁止され、イランでも今年から禁止されるそうだ。

自分ち宗教イデオロギーの強化のために、ただの輸入文化や商業祭が宗教に「昇格?」した例である。

フランスでは中国人コミュニティが陰暦の新年を派手に祝うが、それが年々お祭化している。シャンゼリゼを竜が練り歩こうと、道教の最高神「玉皇大帝」に菜食の供えを奉げて、線香を手に祈ろうと、誰からもクレームがつかない。

中国の宗教は文化でありフォークロアだと思っているからだ。

公立学校での宗教シンボルは禁止令が出ているが、もし日本人の生徒が日本の神社のお札や仏さまの掛け軸を持って行って見せたら「文化紹介」と見なされるだけだろう。

イデオロギー闘争や権力のツールにさえ使われなければ、実際、多宗教は平和に共存できるのである。

だから、平和の秘訣はやはり、

人は互いに、自分の宗教だけを宗教だと思っていればよく、他の人の宗教は文化だと思っていればいい

ということだなあ。

そして、文化とは、互いに影響し合ったり、栄えたり衰退したり変貌したりするものだということも忘れていけない。

外にむかって開かれていない閉じた系、エネルギー交換のない系は生き延びることができない。

まあ、世界中の宗教者が少しずつこういう風に考えをシフトしてくれれば平和が来る、と思いたいところだが、それはそれで別のイデオロギーや全体主義や独裁者がはびこるのを抑止することができなくなるかもしれない。

もちろん「文化」だってイデオロギーの道具になって他の文化を滅ぼすこともある。

だから単純化や一般化はできないのだが、それでも、現在のイラクやエジプトの悲劇を見ていると、イスラムとキリスト教がアラビア文化のサブ・カルチャーのように共存していた頃がむしょうになつかしく感じられる。
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by mariastella | 2011-01-10 04:46 | 宗教

新年のあいさつの話

私はサイトの掲示板http://6318.teacup.com/hiromin/bbsでフランス語やフランス文化に関する質問などに答えることがあるが、長いフランス生活の中で、当然ながら、フランス人から日本語や日本文化についての質問をされることも多い。

最近聞かれたことがある。

もう何十年も日本人と文書上のつき合いがあるフランス人が、

日本人に新年のあいさつを書く時期について、いつも理解できないままに迷って迷って何十年もすぎた、と言うのだ。

日本人たちからのカードは12月初めから届き始める。

それで、受け取った方は、すでに焦ってしまう。

日本人の私のところに来るカードもそうだ。

私は日本人だからなんとなく分かる。

私が日本にいた頃と今ともし基本情報が変わっていなければ、

欧米人にはメリー・クリスマスとハッピー・ニューイヤーを組み合わせたカードを送る。

それは絶対にクリスマスイヴ前に届かなくてはならない。

しかしこの時期はクリスマスカードが大量に動く時だから、航空便でも時間がかかる。

間に合わせるには12月初めには出さなくてはならない。

ところがたいていはそんなにかからずに数日で着いたりするので、はやばやとカードが届くわけである。

フランスでは新年のあいさつカードはクリスマス前後から1月いっぱいはOKなんだけれど、日本ではそれでは遅すぎるのか、とずっと悩んでいた、とその人は言った。

いやいや、日本人同士だったら、年賀状が12月に届くと大失敗で、「年賀」と書いておいてまとめて投函して、それが一月一日にわざわざ配達されるのだ、

と私は説明した。

フランスでメリー・クリスマスやハッピーニューイヤーにあたる言葉を言うのは、クリスマスおめでとう、新年おめでとう、というよりも、「楽しいクリスマスを」(あなたが過ごされるように願っています、とか「よいお年を」(あなたが迎えられることを願っています)というこちらの気持ちの表明だ。

フランスでは、朝誰かと出会えば「よい1日を」とあいさつするし、月曜か火曜日に会えば別れ際には「よい週を」とあいさつするし、木曜か金曜日なら「よい週末を」、お昼前なら「よい食欲を」と言ったり、昼過ぎなら「よい午後を」など、わりとこまめにヴァリエーションをつける。

だから「メリー・クリスマス」も、直前にしか言わない。まあ12月半ばで、その年はもう会わない人であれば、「よい年末のお祭りを」(これはクリスマスイヴから新年までまとめている)と言って別れることはある。

確かに「メリー・クリスマス」はイヴとクリスマス当日だけで「賞味期限が短い」ので、過ぎれば間が抜ける。だから「メリークリスマス」のカードはイヴ前に出すが、日本と違ってクリスマスと新年でデザインが変わるわけでないので(つまりクリスマスツリーは新年まで有効だ)、日本で言うとクリスマスカードのデザインのものに「Bonne Année(ハッピーニューイヤー)」と書いたものの方が今は多いし、それは1月中なら使えるわけだ。

そこで私はフランス人に説明した。

日本では、正月とは基本的に、年神さまをお迎えする行事。

昔は御先祖さまの霊は盆と正月(陰暦だが)に戻ってきた。

今の日本では、盆には個別の御先祖さまをお迎えし、正月はもっと集合的な年神さまをお迎えするイメージになっている。

で、門松などの依り代を立てる。家を掃除して体も清めて清浄な心身でお迎えしなくてはならない。前の年のものは不浄だから捨てる。正月飾りも燃やす。

そういう年神さまがいらっしゃって互いにめでたい、喜ばしい、と言うのが新年のあいさつのペースだから、前の年に口にすることはできない。

「よいお年を」と言うのは年末に言えるが、正月になってから「よいお年を」と未来形では言えない。クリスマスがピンポイントであるように年神さまの滞在期間もピンポイントだから、「この一年がハッピーでありますように」というフランス型の意味では「よいお年を」の有効期間は短いのである。

そう言えば私の子供の頃は、元旦に起きると、魔法のようにすべてが新しくなっていた。干支の飾りはもちろん、こたつぶとんや座布団や洗面所のタオルやバスタオルや浴室やトイレのアクセサリーが全部新品で、正月のおせちには普段の箸を使わずに、使い捨ての祝い箸を使う。

そんな思い出も、多少の罪悪感と共に語る。

何しろ今の私はそんな「まっさらな気分の新春の祝い」みたいな演出は全くしないし、クリスマス飾りの隣につけ足す正月飾りも前年の使いまわしであるからだ。

しかし・・・

では、今やエコロジーのお手本のように言われている日本人の

「もったいない」

と両立しないのではないか、

とやや疑問がわく。

クリスマスの方が毎年毎年同じ飾りを取り出している気がするが。

フランスではクリスマスには家族、新年のイヴには友人でわいわいというのが基本である。

クリスマスは商業化してはいるけれど、それでも家族の祝いというのを「馬小屋で生まれたイエス」というイメージと結びつけて、馬小屋セットを置く人や質素なイメージと結びつける人は少なくない。

後は食べたり飲んだりが一大事であり、そこのところはフランス文化の根強い部分である。

で、私の結論。

日本人に新年のあいさつのカードを送る時期についてそんなに悩まなくてもいいよ、どうせ外国から届くカードなんだから誰も日本的プロトコルを期待していない。
外人なんだから、ということで時期もデザインもあいさつの文句も不問に付されるよ。

まあ、私の方は日本人なので、日本の知り合いにカードが元日前に届くかどうかを見計らってあいさつ文を微調整しているのは当然である。

こんなことも、多分次の世代にはどうでもいいことになっていくかもしれない。

今週、今年の初レッスンにやってきた生徒たちには全員、会った時に

「 Bonne Année, Bonne musique!!」 と言ってやった。

よく練習してきた中学生に

「Bonne continuation」(この調子で今年もがんばって、という意味で)

と言って送りだしたら、

「Vous aussi」(先生も)

と答えられた。

何人でも何語でも、子供にとっては、あいさつの機微は難しいものだなあ。
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by mariastella | 2011-01-09 03:15 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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