L'art de croire             竹下節子ブログ

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ルルドの奇跡の起こり方 その12

脚がすっかりよくなったセルジュは、その年から今までに、サンチアゴ・デ・コンポステラへの徒歩巡礼路1750キロを踏破した(バックパックを背負っている姿のスナップを見ると、もともとは丈夫な人だったんだなあ、と思う)。

ルルドでのボランティアももちろん続けている。
地域の私立病院に入院患者のもとを訪れるボランティア活動も夫婦2人ではじめた。

2011年からは、家族を失った人の心のケアをするセラピストになるための講習も受け始めた。

マリアに感謝するために自宅の庭にミニ洞窟を造り、聖母像を設置した。

自宅の向かいにあるチャペルの管理もボランティアで行い、毎夕そこで、祈りの取り次ぎを頼まれている他の病者にために祈っている。

最後のエピソードは興味深い。

セルジュの教区にも、治癒前の彼よりも重症な病気や障害を持っていて彼よりも苦しんでいる人はたくさんいるだろう。

多くの人がルルドにも行ったろうし、聖母にも祈っているだろう。しかし、「奇跡」はセルジュには起こったが、他の人には起こらなかった。

それを見て、不当だとか不公平だとか、あるいは、嫉妬や羨望の念が湧いてきても不思議ではないが、どうやら、人々は、「恩寵」に対して感度のいいセルジュに聖母への「取り次ぎ」の役割を託すことを選んだようだ。

これは聖人信仰の心理とまったく同じだ。

超越的でどこにいるか分からない神よりも人としてこの世で苦しんでくれたキリストに、

キリストよりもその母として苦しんだ聖母マリアに、

無原罪の畏れおおい聖母マリアよりも、

人間仲間である各種聖人に、

さらに「xx病の守護聖人」と特化された聖人に、

というように、

人は「自分の手の届きそうな」手近な聖なる者に自分の祈願を頼む傾向がある。地元出身の国会議員に陳情に行くようなものだ。

で、セルジュという、比較的最近「奇跡の治癒」を得た人を目にして、「何であの人が・・・」と不信感を得るよりは、「なんだかよく分からないがあの人の祈りは効くらしい」という心理が働いて、セルジュに祈ってもらおう、ということになるらしい。

セルジュもそれに応えて、そういう役どころを果たすことによって、自分の恵みを信仰の文脈に組み入れることができる。
愛と希望と信仰という三点セットが機能するわけだ。

「御出現」は、「御出現」というわりには、特定の「選ばれた者」にしか感知できないが、奇跡とは「徴し」であるから、基本的に誰の目にも見えるものでなければならない。

だから奇跡は「情報」の一種だ。けれども、目に見えてもその意味が読み取れるとは限らない。つまり、奇跡が「徴し」として認知されるにはいわゆる情報リテラシーが必要とされるということになる。

それは図式的な解析ではなく、それが動かし始めた歯車の運動全体で判断されるらしい。

セルジュは、自分が治癒を得たらその後は他の人のために祈りますという条件を指定して祈っていたわけではない。先に他の人のために祈ったし、「聖母がいるよ」と励ました。

「神のひと押し」というのは神に働きかけることで得られるというよりは、積極的に他の人を助けることで得られるのかもしれない。

それとも、人が、たまに、やむにやまれず「他の人に寄り添う」とか「他の人に手を差し伸べる」という心境になることそのものが「神のひと押し」によるものなのだろうか。
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by mariastella | 2011-04-27 20:15 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その11

「奇跡の治癒」から1年後、セルジュはルルドの医学局から呼び出されて、微に入り細に入る、山のような質問に答えなくてはならなかった。

それはまるで、セルジュの体験したことと違うことを言わされようとしているかのようだった。

セルジュは、聖母御出現を見たベルナデットに対して行われた執拗な尋問のことを思い出した。

嘘ではないか、幻覚ではないか、錯覚ではないか、などの疑いの前で、ベルナデットも、

「私の見たり聞いたりしたことと反対のことを言わそうとしても絶対に無理です」

と踏みこたえたのだ。

カトリック世界の奇跡や聖性の証明の手続きには、昔は「悪魔の弁護人」と言われる役があったように、まず、「それが嘘だと決めてかかる」ことでその真実性の強度を試す伝統がある。

実際、そのせいで、ルルドで公式に認められた「奇跡の治癒」の数は非常に少ないのだ。

多くの治癒例がこの検証の試練に耐えられなかったというよりも、申告すること自体に心理的バリアができるからだ。

2009 年にルルドの医局に検証手続きに出頭(?)した人は38 人、2010 年は33人だ。

事実上、毎週教会に通って教区の活動に参加して、司祭といっしょにルルドへ来ている人に「それ」が起こらない限りは、奇跡的治癒の申告の敷居は限りなく高い。

奇跡が認定されるまでには少なくとも一度はルルドの医局に戻って審問を受けなくてはてはならないし、さまざまな書類を用意しなくてはならない。

これまでに認定された68人のうち55人がフランス人だったというのも、その手続きの複雑が大きな理由だろう。

一方、不治の病や難病でなくても、カトリック信者でなくても、個人の巡礼であっても、「それ」は、起こっている。

私は個人的に、2人の日本人の「奇跡の治癒」の例をご本人とその父親から聞いたことがある。

2人とも「教会」やカトリック信仰とほとんど縁のない人だった。

正直言って、このセルジュのケースよりも劇的な証言だった。

「だからルルドでは本物の奇跡が日常的に起こっているのだ、すごい、」とかいう話ではない。

私にとって奇跡だと思える治癒だとか、今の医学では説明できない治癒などのケースは、絶対数はごく少ないにしても、多分、いつでも、どこでも、起こってはいるのだろうという話である。

もちろん、ルルドだとか、各種のご利益のある巡礼地だとか、聖地だとかには、病気や障害で苦しんでいる人が集まる率が多いので、病院以外では、そういう例外のケースが比較的多く起こるという可能性はある。

あるいは、今の病院では、投薬や治療法が管理されているので、「不思議な自然治癒」に至るチャンスがむしろ制限されているかもしれない。

でも「不思議な自然治癒」を得る確率など、どちらにしてもすごく少ないのだから、たいていは病院での医薬による治癒を目指すことになる。

では、病院では「もうこれ以上のことはできません」と言われた時点で祈りや巡礼に頼るものか、病気の最初から心理的アプローチやイメージ療法を併行して行う方がいいのだろうか。

これは、いわゆる「代替療法」だの「サプリメント」だの各種「健康法」とのつきあい方とも似てくる。

では、普通の「不思議な自然治癒」や「奇跡の健康法」や「奇跡の薬」と、「ルルド」との決定的な違いはどこにあるのだろう。

治癒を得た人の両肩にかかる使命感とか責任感とかなのだろうか。

(続く)
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by mariastella | 2011-04-25 01:44 | 宗教

BHLとリビア

リビアからアメリカが手を引き始めたので、フランスとイギリスとイタリアが、軍事専門家を送って「自由リビア」陣営に武器の使い方を教えたり作戦の立て方を指導したりすると言っている。今のままではカダフィの軍隊と太刀打ちできないからだ。

NATOは陸軍を出さないことでは一致しているので、こういう変則的な形になっているわけだ。

なんだか泥沼化している。

3/16にはBHL(哲学者ベルナール・アンリ・レヴィ)の呼びかけに答えてリビアへの介入に賛成していた哲学者のクロード・ランズマンが、4/18のル・モンド紙でBHLを批判したので、BHLも激しく反論し返している。

ミッシェル・オンフレイなどもBHLを非難していて、サルトル以来アンガージュマンがお家芸のフランス哲学者たちはみなぴりぴりしているところだ。

BHLは、2003年のイラクへの介入にも、当時のフランスでは珍しく、アメリカを支持している。

「哲学とは戦争である」と言いきっている戦闘的な人なので、一貫していると言えば言える。

今や、「アラビアのロレンス」ならぬ「リビアのBHL」と言われるくらいで、本気で現地に行って反乱軍といっしょに戦略を練っているのだ。

彼の言い分は、ボスニアやルワンダの内戦で何年もぐずぐずしていて多くの死者を出してしまった過ちを繰り返してはならない、人権と人命が踏みにじられている場所にはどこであろうとすぐに駆けつけなくてはならない、と言うことに尽きる。(まあ、北朝鮮やチベットには駆けつけないが)

そのBHLの考えと、大統領選を来年に控えて支持率が大幅に下がっているサルコジが一気に「正義の味方」のヒーローを演じようとした先走りとが、ぴったり合ったということなのだが、最大の問題は別のところにある。

つまり、リビアの反政府勢力を正式に認めて軍事支援もするというような国家的決断を、一哲学者と大統領が2人だけでやってしまったことで、外務大臣も防衛大臣もましてや国会も、すべて無視したことだ。
フランスが苦労して確立した民主主義のシステムやプロセスがまったく動員されなかったということである。

そして、彼らがそれに踏み切ったのは、たとえそういう暴挙に出ても、「血に飢えたカダフィ」という「悪魔」を目にしているフランスの一般人から非難されはしないだろうという「読み」があったからで、実際、非難はされなかった。

言い換えると、民主主義の手続きをすべて無視しても、大衆の支持があれば何でもできてしまうというポピュリズム路線の強化につながるわけである。

そしてそれは、「緊急」だから、「非常時」だから、許されるということになる。

本当に、それで、いいのだろうか。カダフィ自身、同じようなレトリックを使って独裁を正当化してきたのではないのか。

武器に対していったん武器での交戦を始めると、もう水面下の交渉や外交戦や情報戦やネゴシエートの余地が限りなく少なくなる。

「緊急時」に国のトップやら、知識人やらがどのように考えてどのように行動するのが最適なのか、それはすべて「結果」を待たないと判断できないものだろうか、歴史には学べないものだろうか、問題は単純ではない。

今は、日本が原発事故で「緊急」事態にあり、どんな指導者がどのタイミングでどのような手続きをとるのが最適行動なのかということが焦眉の問題となっている時期だから、ますます考えさせられる。
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by mariastella | 2011-04-24 08:11 | 雑感

宗教建築の素材の話

Arteでフランスのゴシック・カテドラル建築についての番組を見ていたら、今まで考えたことがなかったことを言っていた。

教会建築においては本来、木材がもっとも高貴で霊的でシンボリックだと考えられていたというのだ。しかし中世のヨーロッパで木が不足したためにやむなくカテドラルには豊富に採掘できた石灰岩などを使うことにした。石は木よりも不透明で霊的にも劣る。それで、その欠陥を補足するために、建物の表面に各種聖人像などを刻んだというのだ。

カテドラルを修復しているうちに、隠れた部分を鉄材で補強していたことも分かった。

鉄材は素材として、石よりもさらに霊性が落ちて、火での錬成を必要とすることから地獄と結びつけられることさえあった。イエスを救いのシンボルである木の十字架に打ちつけた釘も鉄だし、イエスの右わき腹を刺した槍先も鉄である。

そんなわけで、鉄材は、できるだけ目立たないようにただ天井部分の補強にのみ使われたと言う。木材も少しだが使われた。

日本の寺社建築が木造ではかなく、ヨーロッパの教会は石造りで耐久性がある、という対比ばかりなんとなく刷り込まれていたが、そんなに単純ではないらしい。

ヨーロッパも木材がもっと豊富だったら巨大な木造カテドラルの建築を目指していたのだろうか。

そう言えばノアの巨大な箱舟ももちろん木製だ。

バベルの塔はレンガで、ソロモンの神殿はレバノン杉や糸杉の他に石も切り出された。内壁はすべてレバノン杉で覆われ、石はまったく見えなかった。やはり「聖なるもの」は木材と結びついているらしい。

もっとも、ソロモンの神殿の要所には金もはられているから、金は別格だったのだろう。

「永遠」ということを考えると、木材はかなりはかない素材だが、それだけに「生命」と直結しているとも考えられる。

カテドラルの中も外も、最初は色が塗られていた。それも、石という素材を隠すためだったらしい。色(couleur)という言葉の語源は塗って隠すということだそうだ。

日本人にとって、ヨーロッパの宗教建築というともう一つは、ギリシャのパルテノン神殿のようなものを連想するが、キリスト教の神と違うからシンボルや霊性が違うのだろうか。それとももともと木材が足りない場所だったのだろうか。

それにしても、日本は草食文化、農耕文化、木の文化、西洋は肉食、狩猟、石の文化というような安易な対比はできない、とあらためて思う。
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by mariastella | 2011-04-24 06:33 | 雑感

Piss Christ とクラナッハ

先週の日曜は復活祭前の「枝の主日」で、イエスがエルサレムに入城してから逮捕、処刑、埋葬、復活するまでをたどる聖週間が始まった。 

信者が小枝を持ち寄って聖水をかけてもらう特別なミサの後で、アヴィニヨンで展示されていたAndres Serrano の有名な『Piss Christ』が、カトリック教条主義者たちによって損壊された。

十字架のキリスト像の写真を尿の入ったケースに入れたというこの作品を私は2008 年のポンピドーセンターでの『Traces du sacré』展で実見したことがある。
「冒聖」のコーナーにあって、アメリカでも展示禁止になったことがあるというこの作品をこうやって普通に展示できるのはフランス的だなあ、と好感を持ったのだが、今回は、アヴィニヨンの司教が「クズ」だと言ったこともあって、実際に壊した人たちが出たことに驚いた。

作品としては確かに泡立つようなオレンジ色っぽいものの後ろにぼーっと磔刑図が浮かぶもので、タイトルが明言していなかったら、それが尿かどうかなんて分からない。実際はどういう仕組みになっているのかよく分からない。

ケースが壊された写真を見て、

http://www.lepoint.fr/debats/piss-christ-l-art-et-la-provoc-22-04-2011-1322530_34.php

それがもろにキリストの顔を傷つけているのも皮肉だし、「中身」が出なかったのかと気になったりした。

これに対してフランス司教会議はすぐに「行き過ぎ」の行為を批判した。

他の意見としては、イスラムにまつわる「冒瀆」には戦々恐々としている社会がカトリックにだけは何でもありでリスペクトを欠いているのは公平ではない、とか、現代アートだの「表現の自由」そのものを聖なるものに祀り上げて、それを少しでも傷つけるのはアートや表現の自由に対する冒瀆だとして騒ぐのは矛盾しているとかいうのもある。

十字架像に汚物を注ぐというテーマは現代の人間がキリストに対してしていることを象徴しているのだと言う人もいる。

作者であるSerrano自身は、自分はキリスト教アーティストだと言い、冒涜や挑発の意図は一切ないと言っている。修道女であり美術評論家である人もこの作品が冒聖だとは思わないと言っている。

私はどうかと言うと、アートであろうとなかろうと、個人的に、糞尿とか血とかを見せつけられるのが嫌いなので(そう言えば虫の死骸をびっしりべったり貼り付けた作品などもあったっけ)、この作品がこのタイトルとセットになっている時点で好きではない。

でも、テーマとしては、罪なき救世主がよってたかって傷めつけられて十字架に釘打たれるという残酷刑を受けている時点で、もう十分衝撃的だと思うので、そこに糞尿が加わろうが、大したことはないと思う。

陰惨な磔刑図が普通に聖なるものとして受容されていること自体が驚きだ。

私がフランスに来て一番にみたいと思った絵の一つは、アルザスのクラマールにあるイーゼンハイムの祭壇画の磔刑図だった。ユイスマンスの影響もあるが、当時のペストの流行と言う背景を考えても、一体どうしたら、こんなにおどろおどろしい磔刑図が描けるのか、実際に見て考えたかったのだ。

その後、もっと古い中世のいろいろな磔刑図も見てきて、その素朴とも言えるあからさまな残酷さに驚かされ続けた。

復活のキリスト、栄光のキリストを図像に掲げる宗派の方が理解できるし、彼らから見たら、磔刑像そのものが冒聖ではなかろうかと思うほどだ。まあ、だからこそほとんどの使徒が、その場から逃げだしたわけで、「なかったこと」にしたかったのである。

そんなことを考えながらリュクサンブール宮にクラナッハ展を見に行って、また衝撃を受けた。彼は16世紀だが、その頃も、血まみれのイエス像への信心が盛んで、とにかく顔も体も血だらけのものが多い。

クラナッハと言えば、これも、グリューネヴァルトと同じコルマールでかなり見たわけだが、イメージとしては、真っ白で胸が小さく猫背で下腹が出ているような小児体型でどこか倒錯的で不健康そうな裸婦像が印象に残っていた。藤田嗣治の裸婦像と重なる部分もある。
クラナッハについては表現主義的な印象を持っていなかったので、女性像のプロポーションの悪さは何となく、古い人だからデッサンが「下手」なのかと思っていた。

実際は、すでに解剖学や遠近法などが浸透したルネサンスの人なのだから、「下手」は選択の結果だった。

今回のクラナッハ展を見ると、彼が肖像画の天才だったことが分かるし、「下手」なんてものではなく、相当な技術を持っていたのに、そもそもプロポーションやら写実を目標としていなかったということが、よく分かる。現代のコミック作家が自由なプロポーションでキャラを創るようなものである。

ルターと組んでプロテスタントのブロパガンダとしての宗教画シリーズもどんどん描いたし、同じテーマをカトリック相手には聖母と天使を付け加えて描いたりもしている。工房でのチーム製作とは言え、はっきりと個性のある作品の残存がなんと1000 点以上あるそうで、70点しかないデューラーなどとは異質のものだと言ってもいい。

彼はよく言われているようにデューラーのようになりたくてなれなかったというよりは、まったく違うロジックで製作していたのだろう。

独特の裸婦だって、当時の宮廷やブルジョワにはそれがエレガントだとして気にいられていたから量産したわけで、彼のデフォルメは、彼のスタイルとして認知されていたのだ。

その証拠に、極写実的なプロポーションの画もあるし、ゴルゴダの丘の三つの十字架につけられた三人の描き分けもはっきりしている。

イエスを罵った犯罪人が小太りで醜く、イエスに天国へ行くだろうと言われた犯罪人の方は痩せている。こういう風に描き分ける約束があったのだ。イエスはもちろん一番痩せている。

昔、「痩せたソクラテスになりなさい」と言った東大総長がいたことになっていた(実際は原稿段階のことで訓示からは削除されていたらしい)が、ソクラテスは痩せていたというよりがっちりしていたイメージだ(だからあわてて削除したのかもしれない)。

しかし、精神性と「痩せ」をセットにする傾向は古今東西あったのだろう。苦行としての断食が意志の強さや自己犠牲を連想させるからだろうし、浄化というイメージがあるのかもしれない(クラナッハの描くルターの肖像はソクラテス型のがっちり小太りの感じだが)。

それでも、クラナッハの時代に、女性像が豊満よりも貧弱な感じがエレガンスと見られたことはマニエリズム的でもある。

グリューネヴァルトとデューラーとクラナッハはよく並べられるが、表現者としてまったく違う意識を持っていたのだとあらためて知らされる。

それにしても、磔刑図や殉教図などの血まみれの宗教画を見た後では、Serranoの「冒聖」など、タイトル以外にはインパクトのない上品きわまるものに見えてくる。

なお、このPiss Christは破壊されたままの形で展示を再開されているそうだ。

破壊によってキリストの受難はますます真に迫ってきたのかもしれない。
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by mariastella | 2011-04-24 03:30 | アート

ルルドの奇跡の起こり方 その10

ルルドから帰ってから10日後、完全に痛みから解放されて歩行の困難も消えたセルジュは、自宅の庭で芝を刈っていた。

すると突然、左足に猛烈な痒みを感じた。

その夜、左足を観察したセルジュは、それまで何年もずっと抱えてかちかちになっていた足の角質が、粉のように細かくぼろぼろになって剥がれているのを発見した。その下からは、赤ん坊のような真新しいやわらかな肌がのぞいていた。

それを見た時、セルジュはマリアがルルドで彼のもとにやってきたことを確信したのだ。

このエピソードは興味深い。

私にはサラゴサの聖母の奇跡を思い出させる。

1640年に、スペインの農夫におこった奇跡だ。

それは、奇跡の治癒なんてものではなく、「奇跡の治癒」ギョーカイですら誰も語らないタブーになっている切断された四肢の回復というやつである。

事故によって片脚を切断された男に、2年後に、脚がついていた。

犬に咬まれた跡も残るかつての自分の脚である。

両親がそれを見つけ、町中大騒ぎになった。中世の話ではない。

公証人も記録を残し、切断手術をした医師も証言した。

25人の証人を立てて司教が「奇跡」を認定したのはずっと後だ。

しかも、最初に「くっついた」時は、黒く干からびて退縮していた脚が、だんだんと生気を取り戻して、ついに普通の機能を取り戻したのだ。つまり、最初に人々が驚いたのは脚がくっついていたことで、その後、それが「生き返る」のを皆が目の当たりにしたという話である。

おとぎ話なら、ぴかぴかの脚が生えてきてもいいようなものなのに、「聖母」は、もとの脚をくっつけて、それに命を吹き込むことを選んだのだ。

この話はあまりにも奇妙なので、今もローカルの域を出ていない。

たとえて言えば二次元の世界に三次元が介入したようなもので、その仕組みについて説明もつかないし想像もつかない。

これについては

竹下節子『聖女の条件』(中央公論新社)p91-92

に書いている。

つまり、10年間も痛みと歪みであわれな状態にあったセルジュの左足は、単に痛みが取れた、とか、神経の歪みが治った、とかではなくて、全体が、内側から新しくされた、ということだ。新陳代謝のスイッチが入って、再生した、という感じだ。

それが皮膚の再生というところまで目に見えるようになったのが10日後ということである。

仕組みが解明されたらアンチ・エイジング産業が泣いて喜びそうな話だ。

しかし、1640年はもちろん、21世紀のルルドでも、「医学的に合理的な説明」はできなかった。

(続く)
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by mariastella | 2011-04-24 00:37 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その9

セルジュを叫ばせた激痛は、2分後に消滅した。

それと共に、全身が楽になった。

ずっと冷たかった左脚が温まってくるのを感じた。

ゆっくりとホテルに向かい、聖ヨセフ門への坂をのぼりながら、突然、マリアが彼を助けに来てくれたのだと理解した。

これはただの幻想なのだろうか。

セルジュは妻に電話して、何か分からないけれど何かが起こった、と報告した。

次の朝、セルジュの体調は完璧だった。

ではあれは夢ではなかったのだ。

セルジュはホテルにいる司祭に報告し、2人で医学センターにこの「治癒」を申告に行った。 (続く)
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by mariastella | 2011-04-23 07:11 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その8

洞窟の前で祈ったセルジュは、天に昇った心地になった。

思わず自分の額に指で十字を切った。

それまで一度もしたことのない仕草だった。

マリアがベルナデットに促したように、セルジュも水を汲み、飲み、顔を洗った。

その後で立ちあがって歩いた。

10メートルほど進むと、左足全体に強烈な痛みが走り、セルジュは倒れた。

人々が駆けつけた。気分が悪くなったのだと思われたのだ。

セルジュは木にもたれて落ち着こうとした。

けれども激しい痛みがまた襲ってきて、脚がもぎ取られるかと思った。

セルジュは叫んだ。

この時にセルジュの体に何が起こったのかは分からないが、ともかくそれは、強烈な痛みとして感じられるものだったのだ。

体の歪みを治すと称する施術の後でも、痛みが取れる前に、一時、施術前よりも痛みがひどくなる、というような症状はよく耳にする。

「治り方」が超自然でも、「感じ方」は普通の生理的神経的なものになるのだろうか。

直前にセルジュの得た多幸感と、その後の激痛は対照的だった。

(続く)
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by mariastella | 2011-04-22 07:52 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その7

ホテルの部屋の窓から蝋燭を灯した聖母行列がサン・ミッシェル門の方に向かっていくのが見えた。

行列が途絶えた頃、セルジュは突然、洞窟に行きたくなった。

急いで服を着た。

ホテルの廊下を歩いていると、誰かに後をつけられているような気配がした。

マリアがそばにいるような感じだった。

エレベーターの前に来ると、すべてのドアがひとりでに開いた。

(パリの不思議のメダイの聖堂での聖母御出現でも、天使に起こされた見習い修道女カトリーヌ・ラブレーが聖堂に向かうと、すべてのドアが次々とひとりでに開いた、といわれる。不思議話によくあるレトリックに過ぎないのか、御出現に立ちあうような異常な精神状態にある人自身が無意識に放射するサイキック・パワーなのか、第三者による隠れた演出なのか、あるいはそこいらにいた浮遊霊のような超常的なモノの仕業なのか、何かの偶然でセンサーが働いたのか、エレベーターなら、前の階で降りた人が間違ってボタンを押してしまっていたのか、まあいろいろな「説明」も可能だが、セルジュのこの話の中で、この状況でエレベーターのドアが開くシーンは、似合っている、と思う。)

不自由な脚でようやく洞窟にたどり着くと、巡礼団に加われなかった人たちから託されていたさまざまな願い事の祈りを繰り返した。

ベルナデットが最初に跪いた場所にセルジュも跪き、ロザリオの祈りを10度繰り返した。

ほとばしる泉の音が大きくなったような気がして、心が奪われた。

セルジュのような人は地元の教区の主催するルルド巡礼に来ている。だから、地元を動けない人々のための「代願」も託されているわけだ。

その人の快癒を祈って大蝋燭を供えたり、託された祈願の紙を洞窟の奥にあるボックスに納めたりする。そこで共同祈願に組み入れてもらうのだ。

みんなのためにルルドの水を持って帰るのも「お約束」である。

そんなことを毎年繰り返しているセルジュだから、この時も、ごく自然に、他のいろいろな人のことを思い浮かべて祈ったわけだ。

ルルドに来ると、自分のことが後まわしになってしまうことは、そんなに不思議なことではない。

本当に自分の病気を治したいと思う人はすでに病院に行っている。  (続く)
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by mariastella | 2011-04-20 23:57 | 宗教

ルルドの奇跡の起こり方 その6

セルジュ・フランソワが泣き出した女性を思わずだきしめて、

「マリアがここにいるよ、ぼくたちと一緒に。ぼくたちを見ている。しっかりして、大丈夫だよ」

と口にした、まさにその瞬間、

はげしい震えが彼を貫いた。

それは足元から頭を突き抜け、脳天が破裂するかと思った。

その週は毎日のように雨が降っていた。

風邪をひいたのかもしれない、

とセルジュは思い、ホテルの部屋に引き上げることにした。(続く)

  
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by mariastella | 2011-04-19 21:43 | 宗教



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