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L'art de croire             竹下節子ブログ

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天竺菩提樹

5月17 日、ヴァンセンヌのパゴダで開催されたフランス仏教連合の会に行ってきた。

2年前にタイからフランスに釈迦の「真骨」が贈られた時のお祭り騒ぎの追っかけをしたことは延々とブログに書いた。

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で、今回は、スリランカから、釈迦が悟りを開いた天竺菩提樹の苗木を分けてくれるということで、またお祭りになったのだ。

パゴダの奥に鎮座する金色の仏像は、なんだかこの前行ったエヴィアンのブッダ・スパの入り口を思い出させる。ブッダ・スパはもちろんブッダ・バーの系統で、「欧米」的にはクールだが日本人的には「?」というテイストのおしゃれな場所なのだ。

その金ぴか仏像の前に、2 年前に納められた仏舎利塔が恭しく置かれる。

外からスリランカ仏教徒の白い服の行列が経を唱えながら入ってくる。

女性が右、男性が左。

先のとがった葉がけっこう広がっている50センチくらいの菩提樹の苗木が鉢に入ったのが掲げられてくる。

それからそれを前にして、祈りが唱えられる。

こういうシーンでいつも思ってしまうのだが、ここで「ははーっ」という感じになるのは限りなく偶像崇拝っぽいんじゃないか。お釈迦さまが見ていたら、これをどう感じるんだろう、とか・・・

次に、スリランカからフランス仏教連合の会長の手に渡ったその菩提樹を先頭に、銅鑼みたいなのを叩きながら(これは韓国の禅宗僧であるフランス人が主導)、全員が外に出て、蝋燭を手にしてパゴダの周りを行列する。池の周りをジョギングしていた人たちが驚いてみている。

ルルドのマリア行列なら、唱和する文句が決まっていて、途中で言語は変わるのだが、アヴェ・マリアというリフレインだけはみんな確実に声を出せる。

この菩提樹行列は、みんなグループごとにいろんな祈りを唱えているのでまとまりがないが、私は声を張り上げるスリランカ女性2人のそばだったので、いっしょに声を出せた。サンスクリットぽいのだが、何度も同じフレーズを繰り返すので覚えることができた。

その後でまたパゴダに戻る。みな火のついた蝋燭を持ったまま床に座るので、火事にならないかと心配だ。

心配といえば、スリランカの菩提樹などが一体、パリで育つのだろうか、枯れたらどうするのかというのも心配になる。

仏舎利はその点、管理が楽だけれど。

聞いてみると、やはり、枯れたりすると「凶」徴になるので、スリランカ・コミュニティのお寺にあずけて世話してもらうのだそうだ。ヴァンセンヌの森に植えるわけではないらしい。

さて、この後でいよいよ諸宗教合同の平和の祈りシリーズが始まる。

まず、スリランカ、ラオス、タイ、カンボジア共同のTheravadaの僧によるパーリ語のお経。

次にベトナムの禅宗の尼僧によるベトナム語とフランス語の読経と祈りの歌。きれいな歌なのでいっしょに歌ったら、連れに「知ってるの ? 」と言われた。

行列のスリランカの歌と同じで、メロディは単純だから少し合わせるぐらいはどうってことはない。無理な姿勢で床に座っているので、声でも出さないと苦しいのだ。

次がユダヤ教の祈り。背広にネクタイの人(Gabriel Hagaï)が、 白い布を頭からかぶって上半身を覆って、朗々と祈り始めた。

次がチベット仏教によるマントラ。Dagpo Rinpocheなどもう30年以上のつき合いのなじみのメンバー。これはいかにもお経っぽい。

つぎに、Lydie Pravikoffというメゾ・ソプラノによる諸キリスト教代表の歌。

アヴェ・マリアなど3曲をアカペラで。すばらしかった。

他の宗教のは祈りや読経でこの人のは完全に声楽だから、やや違和感はあるが、ここはキリスト教の国だから、プロの歌手を調達することもできるわけだ。

次に韓国禅Kwan umの陀羅尼がかなり派手に繰り広げられる。みんなフランス人。

次がYassine Mahamad によるコーランの朗唱。けっこう長い。

次に曹洞宗による般若心経。仏教連合の会長さんも含めたフランス人の僧たち。

その後、フリーメイスンの女性代表や、普遍倫理を目指す諸宗教評議会の代表とか、フィンランドのシスターなどが平和をテーマにスピーチした。

それぞれもちろん「自分ちの宗教」の伝統にのっとって、さらに連帯を目指す趣旨だったのだが、仏教連合の会長が締めくくる前に話したドミニコ会のティエリー=マリー司祭だけが、平和についての考えを述べ、それが私の考えと同じだった。

これも、ここはフランスだから、カトリックの神学者らに頼むには選択肢が多いわけで、レベルが高いのも当然だ。

しかもこの人は精神性の高さとシンプルさと自然体が同居している人で、私はすっかりファンになってしまった。

それからメールをやり取りして、31日の海軍サロンでのコンサートに来てくれることになった。

私は2年前に訳して出した『自由人イエス』のテーマを聖書とかイエスとかキリスト教とかいう言葉をまったく使わないで非キリスト教文化圏の言葉で語りたいと思っている。

そのことについて2人で検討しようということになった。

これも聖なる菩提樹のご利益かなあ。emoticon-0100-smile.gif
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by mariastella | 2011-05-30 07:37 | 宗教

海軍サロンでのコンサート

この数週間、ブログを書く暇がなかった。

書きたいことはたまっているのでこれから少しずつ書いていこう。

5月31日にコンコルド広場の海軍参謀本部内のサロンで東日本大震災被災者支援のコンサートを開催することになった。

参謀総長である海軍大将が「日本」「震災」という二つの言葉だけで、すぐに場所を提供してくれた。

私たちアーティストの控室は、マリー=アントワネットの死刑執行令状が署名された場所だ。床も18世紀のまま。保存状態はヴェルサイユの比じゃないし、お天気が良ければコンコルド広場を見下ろすテラスでカクテル。

フランス・バロックをやってる者にとっては最高の場所だ。

舞台がないので、見る人は前列でないと非常に見にくいと思うが。

(120席なので全招待制ですが、まだ多少席があるので、このブログから来たという人先着2名は受け付けます。
その旨を書いてください。

Attention, l'inscription par e-mail est obligatoire.

http://web.me.com/mireillegerard/trionitetis/Actualit%C3%A9s_et_concerts.html

ou directement

japontsunami@gmail.com

氏名生年月日と出生地、パスポートナンバーの登録が必要で当然その日にそれを持ってこないと入れてもらえません。寄付はフランスの小切手のみ。その場で払ってもらいます。税金控除あり)

最初にカウンターテナーとドゥーランドをやって、2人のバロックダンサーにパヴァーヌを踊ってもらう。
その他に私たちプラス歌だけが3曲、踊りだけが5曲。

間に、ハーピスト、フルート、琴の演奏も入る。

カウンターテナーとダンサーとはもうだいぶ前からコラボを企画していたのに互いにスケジュールが合わず実現していなかった。今度のチャリティコンサートにすぐに応じてくれて、先週一度ずつ合わせたが、素晴らしかった。

カウンターテナーとはドゥーランドのCDを作ること、モントリオールと北京のコンサートをいっしょにやることなどを話し合っている。

これからのくわしいことはこのところ書いていなかったトリオ・ニテティスのブログに少しずつ記録していくつもりだ。

音楽をやっててよかった。emoticon-0159-music.gifemoticon-0159-music.gif
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by mariastella | 2011-05-23 07:03 | お知らせ

JP2、ロイヤル・ウェディング、ビン・ラディン

昨日の記事で、先週起こった事件に関して、前ローマ教皇JP2とビン・ラディンが対照的だと書いた。

実は、もう一つの出来事、英国のロイヤル・ウエディングとJP2の列福も対照的だった。

ロイヤル・ウェディングでのイギリス人の熱狂ぶりを見て、私の感じたのはソ連時代の「宗教はアヘン」という言葉だった。

「セレブはアヘン・・・」と、そう思ったのだ。

それで、その後の、アヘンの本家であるはずのヴァティカンの列福式での人々の熱狂(というよりは感激)ぶりを見て、こっちの方はアヘンではなくなったなあ、と思った。

30年前のチャールズ皇太子とダイアナ妃の頃と比べて、英国はすっかり変わったという事実がある。
リーマン・ショックまで、アメリカと共になりふり構わず市場経済至上の新自由主義を突っ走ってきた結果、イギリスでも、貧富の格差が大幅に広がった。

落ちこぼれた人が生きのびるためにあがいている一方で、勝利者は、罪悪感なしに莫大な浪費生活を平気で誇示するようになった。

そして、ついには、そのようなリッチな人々の「浪費ぶり=セレブな生活」情報自体が、庶民の「消費」に提供されるようになったのだ。

高度資本主義社会では、宗教はすでにアヘンではなく、まさに、「セレブ」がアヘンになったわけである。

トニー・ジャットの『荒廃する世界の中で』(みすず書房)を贈っていただいて読んでいたら、なんと、18世紀のアダム・スミスがすでに

「人間の大多数を占める大衆は、富や名声の礼賛者、崇拝者であり、しかもはなはだ驚くべきことに、彼らの大部分はしばしば欲得ぬきで、礼賛し、崇敬しているのだ」(『道徳感情論』)。

と言っていたらしい。

イギリス人大衆が、素直に無邪気にロイヤル・ウェディングに熱狂しているのは、まさに「欲得ぬき」の自然な崇敬の発露に見えた。

それに比べると、カトリック世界でのさまざまな聖人「崇敬」などは、たいていは、人々の祈願や悲願とセットになっているのだから、「欲得抜き」どころではない。

では、「欲得ぬき」のセレブ崇敬のどこが悪いのかというと、これもアダム・スミスがすでに言っているように、ずばり、

それが、セレブの反対の「貧しい卑しい境遇にある人々」を大衆がこれも「自然に」、無視したり蔑んだりする傾向と表裏一体になっている

からである。

それに比べると、JP2の列福で感動した人々は、「セレブ」を崇敬したわけではない。

「ローマ教皇」という地位は巨大宗教のトップとしてのシンボリックなオーラを伴っているとしても、あるいはヴァティカンが莫大な財産を持っているとしても、そのトップたちは一代限りで子孫も残さない。

JP2も、「華やかさ」どころか、誰が見ても気のどくだと思えるほどに弱って痛々しい姿で最後まで働いていた。

列福式のヴァティカンで感激していた人々は、この教皇が「ローマ教皇」というセレブだったから礼賛したのではなく、明らかに、JP2となった一人の人間を、人格として、その生き方を通じて崇敬していた。

JP2には、レーガンやサッチャーなど、新自由主義路線を発車させた英米の首脳と力を合わせて「共産主義陣営」を倒した、というイメージがあるが、その方向性は真逆だった。

旧共産国陣営でイデオロギー支配によって個人が押しつぶされていたことに対して戦ったJP2は、「自由主義陣営」で少数の勝ち組が富を独占して貧しい多数を押しつぶすことにも、同じように戦ってきたのだ。

若くて美しくて富と名声の頂点にある英国王室の新カップルを、人々は「幸せ」の象徴として祝福した。

一方で、病を抱え、年老いて、話すことも立っていることも苦しくなった姿をさらして死んだJP2を、カトリック教会はやはり、「幸せ」な人、つまり、神に祝福された「福」者だと宣言した。

人々もそれを祝福した。

こうして見ると、後者は前者の解毒剤のようでもあり、絶妙なタイミングで発信された出来事だったという気もする。

イスラム過激派のテロリストはどうだろう。

英米が原動力となった自由競争至上主義の弱肉強食の世界で、「先進国」の勝ち組たちが「弱い立場の人々」の人格、尊厳を無視してきたことが、イスラム過激派やテロリストたちによる「反欧米」ドグマを確立する一原因となってきたことは疑いない。

「テロとの戦い」との勝利は、軍事力によってではなく、弱者の人格権への感受性を取り戻すことによってでしか、本当には、得られない。
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by mariastella | 2011-05-09 02:06 | 雑感



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