L'art de croire             竹下節子ブログ

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オスロのテロ事件

 書きたいことが山のように溜まっているのだが、今、忙しいので、例のオスロの事件がらみで、忘れないうちに、ほんの少し、書く。

 私は5月のカンヌ映画祭で、ラース・フォン・トリアが、「ヒットラーにシンパシーを感じる」とかいったことで、カンヌから追放されてしまったことに対して、「これって過剰反応じゃないの?」と思っていた。

 ところが、今度のオスロ事件の銃乱射男が、facebookの中でお気に入り映画に挙げていたのがトリアーの『Dogville』だと聞いて、すごく複雑な気がした。

 本音だから正しいとは限らないし、正論だから建前だけとは言えないし、みんなの言わないことをあえて言うからといってそれが真実だともいえない。

 『ドッグヴィル』って、かなり危ない映画だと思う。

 どんな人の心にも、嫉妬や恐怖やその他もろもろで他者を虐待したいとか殲滅したいという類の気持ちが潜んでいるとしても、マイノリティの権利を守る、みたいな理由付けで、そういう感情に市民権を与えたり光を与えるのはよくないなあ。

 芽のうちに摘み取ってもまた生えてくるとしても、せめて大きく育たないように日陰に押し込めておかないとだめだ。

 偽悪の方が偽善よりましだと思うときもあったけれど、凡人は「偽善」でいいから悪を牽制したほうがいいかも。
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by mariastella | 2011-07-31 03:10 | 雑感

社民党や社会党のこと

フクシマという日本語は最近フランスでもっとも耳にする言葉になってしまった。フクシマさんという名の日本人がフランスに住んでたら困っているかもしれないなあ、と思う。
福島みずほさんは大丈夫かな、福島みずほさんの社民党は一貫して脱原発派でよかったなあ、とも。

そんなことを考えていたら、この語呂あわせで福島さんを揶揄している発言をネットで見つけた。女性差別発言でもある。日本で「社民党」と「女性」の組み合わせにはネガティヴな含意がいろいろありそうだ。

今のフランス社会党の大統領予備選にはセゴレーヌ・ロワイヤル女史とマルチーヌ・オーブリー女史という二人の女性が立候補している。

ロワイヤル女史は前回の自分自身のカリカチュアのような雰囲気だ。あれ以来離別したパートナーであったフランソワ・オランドが今回は最有力候補になっている。

私はオランドは生理的に嫌いなのだが、多分候補者たちの間で最も頭がいいと思う。
ジョスパンもシラクより頭のよさが際立っていたが敗れた。政治家は頭のよさで墓穴を掘ることもある。

今でもある意味不思議なのは、そもそも5年前になぜ、ロワイヤル女史が社会党予備選を勝ち抜いたのかということだ。

当時彼女に敗れたのは今ソフィテル事件で戦力外になってしまったたDSKとローラン・ファビウスの二人だった。

どう考えてもDSKとファビウスの方が本選ではサルコジを破る力があったような気がする。

誰も表立っては言わないが、

予備選でロワイヤルが勝ったのは、

彼女がフランス軍人の娘で、カトリックだったのに対して、

DSKとファビウスが共にユダヤ人だったからではないだろうか。

そして、本選でロワイヤルが敗れたのは、

彼女が女だったからかもしれない。

アメリカの民主党予備選で黒人の男オバマと白人の女ヒラリーとが争い、ヒラリーが優勢だったが、共和党との本選になると男には負けるだろうから、黒人でも男のオバマが戦略的には有利だという論評が存在した。

それを応用すると、5年前も、女よりは、「ユダヤ人でも男」の社会党候補なら勝っていたのだろうか。

「移民の二世でも男」のサルコジが勝ったのだから。

まあ、前回そのサルコジを選んでしまったのだから、今回の敷居はぐっと下がって、DSKのユダヤ性などもう誰も問題にしなくなった。来年の大統領選では最有力と言われていた。

しかしDSKはセックス・スキャンダルで自滅。

それにひきかえ、サルコジは「最低の大統領だが最強の大統領候補」だと言われている。

一番人気だったDSKが、ホテルのメイドから訴えられているこの時期に、妊娠中のおなかをあらわにした水着姿の奥さんと海辺のバカンスのツーショットを撮らせたりしている。

社会党候補たちがなりふり構わずテンションを上げている時に、ついこの前まで攻撃的で興奮していたサルコジは、口数が少なく、温和なそぶりを保持している。

サルコジが再選されたらフランスの崩壊は進むだろう。

社会党が17年ぶりに返り咲いたら、別の方向に破綻するだろう。

ヨーロッパ議会とのバランスやゴーリズムの求心力の有無によっても変わってくるだろうが。

ちなみにフランスでは与党はもちろん、社会党でも緑の党でも、脱原発は党是ではない。
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by mariastella | 2011-07-19 01:56 | 雑感

A.I.

キューブリックが考えついてスピルバーグが演出したというこの「母親に愛されたいと望む」少年アンドロイドの映画「A.I.」は、封切当時これといって私の関心を惹かなかったのだが、最近DVDで見る機会があった。

「愛されたいと望む」プログラムなんて、最低だなあ、と思った。

せめて「愛する= 相手の幸福を望む」プログラムにすればいいのに。

「愛されたいと望む」なんて、プログラムのレベルでは、破壊を望むのと同じくらい暴力的だ。

そんな明らかに発想からして破綻しているアンドロイドを、息子を失いそうになって悲しみの淵にある母親の慰めのために与えようというのだ。

猫を飼え、猫を、

と思った。

猫型精神のプログラムでもいいけれど、それをアンドロイドにする必要はない。

外見が人間だったら、この映画にあるように、子供たちから嫉妬されたり、いじめられたりするからね。

この映画の少年アンドロイドはどちらかと言えば「犬」型だ。犬は主人に忠誠を誓い愛も求めるから、絶望した人間の支えになることもあるが、主人と特別な関係を勝手に組み立てて自分の世界のヒエラルキーに組み込むから、後で主人が結婚したとか子供が生まれたとか、状況が変わると、新参者に嫉妬することもある。

それをキャッチして新参者の方がその犬を厭うこともある。

この映画でも、少年アンドロイドと、奇跡の回復をなして母親のもとに戻った人間の少年の間でも、当然そういう緊張が生まれたわけだ。

しかも、犬より悪いのは、形が人間だということの他に、アンドロイドには食事も与えなくてもよく、世話がかからないというところだ。

物質的、生活的な依存関係がない。

ある程度の「共依存」がないと、生活の場での都合よい「愛」はなかなか成り立たない。

猫は、外見がまったく人間とは違っても、美しいし、柔らかく気持ちいいし、かわいいし、でも、食べ物やトイレの始末などの世話は遠慮せず要求するし、こちらに愛させてくれる(それも向こうの機嫌次第だけれど)。

まあ、猫には、お世話させてもらって、愛撫させていただこうと努力させてもらって、自然体で美しい姿を愛でさせていただいて、などと、こちらがそういう努力を強いられることによって、逆に生きる元気を与えてもらえるわけだ。

息子が意識不明で絶望している母親に、「愛されたいと望む」プログラムのロボットを与えるなんて、設定からして完全に「間違っている」と思うので、その後の展開がいかにシンボリックで寓話的でそれなりに興味をつないでも、出発点の違和感は乗り越えられない。

やっぱり猫ですよ、猫。
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by mariastella | 2011-07-18 02:09 |

エヴァ・ジョリの憂鬱(追記あり)

エヴァ・ジョリって、名前がどこかのセレブ風だし、見た目は金髪に真赤な鼻眼鏡の独特なキャラだし、緑の党の公認として「大統領選」出馬が決まったことにけっこう違和感があった。弁護士としては有名だ。

で、最近公認候補になった時に、はじめてフランスとノルウェイの2重国籍だということや過去にミス・ノルウェイの3位に選ばれたことがあるなどを知った。

2重国籍自体はフランスでは珍しくないので、注意をひかれなかったのだが、スピーチで、「私の(フランス語の)なまりは、私がフランスを選んだという証しで、フランスの栄誉の徴しだ」という趣旨のことを言っていたので、この人にとってフランス語が母国語でなかったこと、日本風にいうバイリンガルではなかったことを知った。

そう思ってあらためてスピーチを聞くと、Zの音がSと澄むことが分かった。日本人にはどうということのない発音だが、ノルウェー人にとっては何十年たっても「なまる」音なのだろうか。でも、言われなければ、その人の単なる癖か、方言のなまりかと思っただろう。

日本人の「バイリンガル」観から言えば、母国語でない言葉を駆使して大統領選に出馬ということ自体が驚きかもしれない。

そのジョリ女史が、革命記念日のシャンゼリゼの軍隊行進の後で、「あれはかなりのエネルギー消費でエコロジー的には問題だから自分が大統領になったなら別の形に見直すかも」、という趣旨(追記1:消した部分は私の解釈だったのだが、その後「私は自分で自分を寿ぐ」とまで言い切ったフィヨンによると女史が軍隊行進を北朝鮮になぞらえたことで頭にきたらしい)、の発言をした。それに対して、フィヨン首相が、「彼女は2重国籍でフランス人になった年月が浅くて、フランスの価値や歴史や伝統への理解が今一つではないか」というような発言をしたものだから、大騒ぎになっている。

2重国籍者への差別は、つい最近サッカー選手要請に絡んでスキャンダルになったばかりだ。
フランスにはいわゆるマグレブ系の移民の二世三世がたくさんいて、フランスで生まれているので2重国籍を有している。ジダンもそうだ。で、そのような選手たちがフランスで苦労して育てても、先祖の国のナショナルチームに入ってしまうことがあるのはいかがなものかという議論が出てきて、それが差別だと言って物議をかもしたのである。

でも、フランスで生まれ育った2重国籍者と、中等教育まですべて他国で終えてからフランスにやって来た後に国籍を取得した者とは、いろんな点で違う。また、いわゆるフランス人と外国人が結婚して生まれた2重国籍の子供たちも違うだろう。

今のようなグローバル化した時代と違って、ジョリ女史が生まれ育った1940年から60年代初めは、国境や文化の差が今より大きかっただろう。

ジョリ女史は、「私は50年もフランスに住んでいるんですよ」と反撃した。

確かに「2重国籍者はフランス人として日が浅い」というフィヨン発言は突っ込まれても不思議ではない。ジョリ女史にはフランスに生まれ育った25歳のフランス人の2倍の年月のキャリアがあるのだ。

そればかりか、生まれてからずっと先祖代々の国で暮らしている人は自国の文化や伝統や価値観について特に意識しないことが多い。青年期以降に外国で暮らしてはじめて、カルチャーショックを体験して、自分の国の文化や伝統の輪郭を確認し、またそれとすり合わせることで、ホスト国の文化や伝統をはっきり意識して、うまく適応した人はハイブリッドに、「器」を大きくしていくものだ。

ではフィヨン首相のほんとに言いたかったのは何かというと、多分、5歳から11 歳くらいの、柔軟な時期にフランスの価値を「叩き込まれる」教育を受けているかどうか、ということなのだろう。

言い換えると、子供時代に過ごした国から人は「洗脳」あるいは「マインドコントロール」され得るという考えが透けて見える。

フランスの言い分はどことなく分かる。

アメリカの小学校の国家掲揚や国歌斉唱でアジア系移民の子供も涙を流すほど感激したり、可塑性の大きい子供たちに「愛国心」をたたきこもう政策はどこにでもある。
ヴァーサリズムにあるから、小中学校には全部「自由、平等、友愛」の標語が掲げられているし、市民教育の時間があって「フランス革命の価値観」などを叩きこまれることになっている。一種の教育社会主義が浸透しているのだ。

これは「愛国心」よりも標榜するユニヴァーサルな理念への忠誠を叩きこもうとしているわけだ。
フランスでは共和国主義は、一種の宗教だから、その洗礼を受けているかどうかと言いたいわけである。

これが軍部に行けば、入口を入ったところに、

「名誉、規律、愛国心」という三つの標語が掲げられている。

まあ軍隊ならば「自由、平等、友愛」の普遍主義だけでは無理なので当然だ。

ともかく、フランスでは、建前としては、人生の入り口で、「自由、平等、友愛」が掲げられるわけであり、その表看板が、下部構造の軍隊やら教会やらの上にあるという認識があるのだ。

フィヨン首相はだから、「共和国主義」を子供の時に叩きこまれてきたか、あるいは国籍取得のために学ばされたか、という2重国籍者ではなくて、単にフランス人との結婚によってフランス国籍を得たジョリ女史を皮肉っていたのだろう。(彼女はオペールとして働いていたホストファミリーの長男である医学生と結婚したのだ。)

女性差別もないとは言えない。

これを受けて、革命記念日の軍隊パレードを肯定する政治家たちも一斉にフィヨンを批判した。「フランス人を出身によってカテゴリー分けすることはフランスの理念に反する」というわけだ。

これは本当で、オバマ大統領がつい最近まで、本当にアメリカで生まれたのかどうかなどとしつこく追及されたアメリカなどとは対照的だ。

社会党の大統領選予備選挙に出馬している人たちは、政策的にはけっこう仲間割れしているくせに、声をそろえてフィヨンを批判した。

その中でマニュエル・ヴァルスが、「自分はスペイン人でフランスの議員の中で唯一、中途国籍取得者だ」と言ったのにも、注意を引かれた。この人は、ロワイヤル女史と同様、少なくとも「口にする言葉」のレベルでは、共感できる政治家だ。

調べてみると彼はバルセロナ生まれで、フランス育ち、カタルーニャ語、フランス語、スペイン語のトライリンガルだそうだ。17歳で社会党のミシェル・ロカールにいれあげた政治青年だったし、フランスの教育をずっと受けているので国籍取得も簡単だったろう。当然いわゆる「なまり」もないし、「カルチャーショック」もない。そういう意味ではサルコジだってハンガリーの移民二世だが「純フランス人」である。

いろんな意味で今回のフィヨンの発言は「舌禍」には違いないのだが、つい本音が出たと思われても仕方がない。

と言っても興味深いのは、彼がイギリス女性(ウェールズ人)と結婚していて、英仏2重国籍の子供を5 人もうけている事実だ。
 
イギリスとフランスでは政治哲学も歴史もかなり違う。でも距離的には近いから子供たちは昔から両国を行き来しているだろう。

そして、フィヨンは、フランスのリセで知り合ったウェールズ人の妻の「フランスの伝統や歴史や価値観」の理解度をどのように感じているのだう。

勘繰りたくなる。

ちなみに私は日本で小中高大学と国公立学校に通ったし、「君が代」だって習ったが、それで愛国心とかを特に感じたことはない。君が代は神楽歌が起源だとかいうが、日本の曲らしい「ファ」抜きのメロディラインなどになじんだことは、幼い頃からピアノやバレーなどで「西洋ロマン派風音楽」がデフォルトになっていた私には貴重だ。というか、音楽の教科書に出てきた「邦楽」や「民謡」系統の曲はすべて新鮮だったので、歌詞も含めてすべて今でも覚えている。

また日本での「西洋」理解はアングロサクソン系やアメリカ風が多かったので、フランスでの生活によっていろいろ修正したり、人種問題や人種感覚についても何度も振り子が左右に振れてきた。

まあ、自分の中の「非カテゴリー領域」をひたすら広く深く掘り下げておけば、後は、具体的な時と場所における特定の個人相手の関係性において、その時々の最善のアイデンティティが浮かび上がるようになる。

最善というのは、もっとも対等で友好的な関係が築けるとか、私よりも相対的に困難な状況にある人の力になれるとか、豊かな充実感が互いに得られて「次につながる」期待が生まれるとかいうことだ。

試行錯誤を経て大体そういう自在な感じになった。いや、他在というべきか。

文脈ぬきで「自分のアイデンティティ」はこれこれなどと言っている間はろくなことがない。ましてや国籍がどうのこうのというのは不毛だとつくづく思っている。

追記2: 18日の朝のラジオで、マグレブの両親を持つ移民2世でサルコジ政権の大臣にまでなったラシダ・ダチが感想を聞かれて、二重国籍云々の問題ではなくそれにはコメントしないと言い、革命記念日の軍隊の行進の重要性を説き、軍隊とは民主主義を守る構成要素だと強調していた。

パレードの前日にアフガニスタンの自爆テロでフランスの兵士の命が奪われていて、大統領もこのパレードは彼らに捧げる、などと言っていたデリケートな時期に、ジョリ女史が批判的なことを言ったわけで、こうなると「舌禍」はむしろ彼女の方なのかもしれない。

彼女の支持率からいって、実際に有力候補となる見込みはないから、ジョリは思っていることを言っただけなんだろうが、そしてフィヨンの反応が社会党候補らの格好の批判の的としてまた使われたことも事実だが、ラシダ・ダチが「軍隊は民主主義とセット」になっているとまで強調するのには激しく違和感がある。

何につけても「力の誇示」は、ある目的のために選択されるものだ。軍隊のパレードが、「民主主義」のシンボルというは、もちろん政治的言辞であって、「真実」ではない。

権力、軍事力、金力の誇示は、どこの国であろうと、個人的には好きではない。

しかし、アフガニスタンの犠牲とか、このタイミングでこのような比喩を出して、彼女の立場でこんな発言をしたのは、政治戦略として、賢明であったのかどうかは分からない。

でもそのおかげで図らずも「二重国籍」に対する差別が露呈したのは興味深いことだった。
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by mariastella | 2011-07-17 22:33 | フランス

Caligula d'Albert Camus

行きつけの小劇場Théâtre du Nord Ouestに、
パトロンであるJean-Luc Jeener演出の『カリギュラ』(カミュ)を観にいってきた。

地下に降りると、舞台(といっても段差はない)にもうカリギュラが座っていて、一幕の第三場から始まる。

エリコンがやってきて、2人の対話から、カリギュラが愛人の死後三日三晩失踪していたこと、絶望から「月(=不可能)を手に入れること」が唯一の希求となったことなどが分かる。

史実によると、カリギュラの治世は24 歳から28歳くらいで非常に若い。その後半から残酷な暴君になったらしいが、理由は実際のところ、よく分からない。

カミュがこの作品を書き始めたのも同じような年代だった。

芝居の中で、「暴君」だと言われたカリギュラは、「暴君とは自分の理念のために人民を犠牲にする者だが、自分には理念がないから暴君ではない、」という趣旨の理屈で反論する。

カリギュラは人生の不条理(予測不可能な運命だとか、死だとか)に抵抗しようとして、あるいはそこから解放されようとして、「自由」のために暴虐の限りを尽くすことになっている。

神々に嫉妬する、などとも言っている。

しかし、結局は、不条理と戦うために他者を殺すことは、自殺の一形態でしかない。「人間」を害することによっては人は自由になれないのだ。

殺される前にカリギュラは

Ma liberte n’est pas la bonne.(私の自由は間違いだ)

と、失敗を認める。

カミュ自身も、カリギュラは、絶対を希求しながら他者への侮蔑に拠って立ち、殺戮とすべての既成価値の転覆とを図り、愛や友情や連帯を拒絶して道を誤ったと解説する。他者を破壊することは自分を破壊することなのだ。

カリギュラは人々を殺戮することで、人々も彼のように人生の不条理に気づいて反抗してほしいと願った。運命には逆らえないが、暴君は暗殺することができる。言い換えると、カリギュラは自分を犠牲にして人々に「不条理への反抗」への道を開いたともいえる。

まあ、この芝居を見ていると、今シリアで起こっていることやら、ひと頃のカダフィの言動やら、「独裁者」問題は現在進行形の問題だと今さらながら思われて、暗くなる。

また、東日本大震災の後で日本の少女が、ローマ教皇に、なぜ多くの人が犠牲になったのか、神さまは助けてくれないのか、というような質問をして、教皇が、それは自分たちには今ここで理解できる問題ではない、というように答えたエピソードも思い出す。

「罪のない者の死」の不条理の前で人はそれを不当だと思い、しかし「神」はそれに答えてはくれない、というのはカミュの感じたことでもある。

彼は、宗教はその答えを一応提供するが、人がそれを受け入れるかどうかはまた別のことだと言う。かといって宗教を否定して自分で人生の自己実現をしようとしても、それは死で終わるから意味がない、人は結局、不条理に反抗することで生きるエネルギーを得るのだ。

信仰とは、生きる意味や死ぬ意味の「説明」を受容することではなくて、意味を「期待」することだと思うのだが、カミュはあくまでも「解決」を望まずにはいられなかった。

もっともカミュはカリギュラのような他者を破壊する「自由」の間違いを指摘して、他者と連帯し、弱者の側に立つユマニズムに信頼をおいていて、あらゆるイデオロギーの持つ欺瞞性を退けた。すごく誠実な人だったと思う。

カリギュラの方は、残っている彫刻とかを見ても、はじめは皆に愛されていたことから見ても、ハンサムで魅力的な人だったのだと思うが、若いうちからいろいろなトラウマを受けるうちに、統合失調などを発症したという感じだ。

過剰な悪、殺戮には、精神の病の闇があり、しかし、殺すことは、ある種、普遍的な生き難さの倒錯的な表明でもあるから、すべての人の心の奥にはその芽が埋まっている。

ジル・ド・レの戯曲でそれを解明しようとしたJean-Luc Jeenerがカリギュラに取り組む気持ちはよく分かる。

登場人物は6人なのだが、すべてがジャスト・キャスティングで(Olivier Bruaux, Benoît Dugas, Cédric Grimoin, Laurence Hétier, Boris Ibanez, Jean-Dominique Peltier)、神経が極度に張りつめた、絶体絶命、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの緊張の中に愛や友情への期待が時々火花のように現れては消えるのが鮮烈で、完成度が高い。

言葉が受肉するというのはこういうことかと実感した。
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by mariastella | 2011-07-17 07:52 | 演劇

セリーヌと猫

小説家のセリーヌについて語ることは日本でよりもフランスでの方がずっと難しい。

20 世紀のフランスのインテリの歴史でタブー中のタブーである「反ユダヤ主義」を表明して、連合軍が迫ってきた時には逃亡して、死刑判決まで受けている。

だから、彼のたとえば、有名な処女作『夜の果てへの旅』などについてだけコメントする人でも、後の彼がとった政治的立場に対する旗色を明確にせずには語れない。

そして、「人種差別」は「悪」に決まっているのだから、セリーヌを語る人は、その毒からあらかじめ身を守る必要がある。「『著者』の人となりとその作品を別に論ずる」と前提しなくてはならないのだ。

私には、なぜだか、セリーヌがああいう風に理念的に自滅に向かった気持ちが理解できるような気がする。
彼自身の被差別への感性と関係があるように思えるのだ。
彼は貧しい生まれからの社会的上昇を目指して医学部に入ったが、医学部に親子代々のユダヤ人グループが根をはっているのはすぐ分かったはずだ。

それはいいとして、今年はそのセリーヌの死後50年なのだが、ムードンの彼の家には、何とまだ未亡人が100歳に手が届く歳で存命だ。

彼女はここで80歳を過ぎるまでクラシック・バレーとキャラクター・ダンスを教え、多くの教え子を送り出した。

セリーヌは若い頃にやはりアメリカ人バレリーナに夢中になって、女帝と呼び、パリにも連れてきたが、彼女は歳と共に美しさが失われるのを恐れてアメリカに戻った。セリーヌはカリフォルニアまで追いかけたが、彼女はユダヤ人と結婚した。

その10年ほど後で、18歳年下の30歳のバレリーナであるリュセットと結婚したのだ。この人が、逃亡時代も含めてセリーヌの晩年を支えてきたわけだ。

ムードンの家には、「ダンス教師」の看板と、「貧しい人のための医師」の看板とが二つ並べてかけられた。患者はほとんど来なかったらしい。セリーヌの本そのものにはまだ商品価値があり続けたので、ガリマール家の娘たちもリュセットのバレエの生徒になったなど、交流は続いた。

この家で、リュセットは夫と共に10 年暮らし、そのあとさらに30年以上バレーを教え、さらに20年近くたったわけである。

リビングにの壁はコルク材が張られていて、そこにセリーヌの写真と、彼の描いたネコのクロッキー画がたくさん飾られている。来客の足元に、外猫と冴えない犬が横切る。

セリーヌのデッサンのモデルは彼らと亡命生活を共にしたベベールBébertだろう。ドイツ占領地区のモンマルトルで俳優に捨てられたこの猫を夫妻は保護した。

Un chat c'est l'ensorcellement même, le tact en ondes ...'(猫は魔法そのものであり、波動の触覚だ・・・)

とセリーヌは書く。

ムードンには他の動物もたくさんいたらしいが、亡命生活を共にできたのはダンサーの妻と猫のベベールだけだったのだ。

医学、バレー、猫、そして文学と反ユダヤ主義。

いずれも毒でもあり、強烈な副作用を隠す薬でもあったにちがいない。
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by mariastella | 2011-07-15 02:00 | 雑感

Gérard Longuet

12日の国会でリビアへの空撃の続行が可決された。社会党も合意した。2008年の憲法改正によって、軍事行動が4ヶ月を超えたら続行は国会の承認を必要とするからだ。

実に4ヶ月も、当初の「ベンガジの市民を守る」などという目的から「カダフィを失脚させる」に変化させて、アラブ連合の離反を経て、フランスの主導が続いているわけである。ヘリコプターで反乱軍に武器をばらまいたり、民事施設を誤爆したり、どんどん悪い方向に行っている。

同じ日にサルコジがアフガニスタンのフランス軍を電撃慰問してフランス軍の暫時撤退を発表したかと思うと、次の日にはそのフランス軍がタリバンの自爆テロの犠牲になった。シリアでもフランス大使館が暴徒に襲われている。その次の日が革命記念日でシャンゼリゼを戦車や軍隊が行進する。

そういう「力」づくの空気の中で、13日の夕方のテレビ・ニュースに国防大臣のジェラール・ロンゲが出演して、アフガニスタンからの撤退の前に、NATO軍が敗退したという印象を与えるためにテロ行為が仕掛けられているのだ、と語っていた。

その時、「では、この戦争は成功したんですか、失敗」だったんですか? 」と問われて、ロンゲはきっぱりと

 「失敗(échec)です」

と答えた。

それで意外だと思ったら、

「すべての戦争は、失敗です」

「殺すこと、それは失敗です」

と重ねて言った。

勝利か敗退かと問われたのではなく、ましてや侵略か正義の戦争かと問われたのでもなく、成功か失敗かと問われたわけだが、「すべての戦争は失敗」、なぜなら戦争とは殺すことで、「殺すことは失敗である」、と続けたことには、ある種の潔さを感じた。

国によるもう一つの「殺すこと」である死刑を廃止した国のことばとして最低限のモラルを示していると思うからだ。

そもそも戦争とは「外交の失敗」の結果だということでもある。

リビアについても、カダフィの息子との水面下での交渉があり得るらしいし、何とか「殺す」以外の方法によって、これ以上「失敗」を拡大しないようにしてほしい。

アメリカの猿真似をするフランスの好戦ぶりに嫌気がさしていたが、こういう立場の人がこういうフレーズをきっぱり口にするのは印象的だった。

日本では復興大臣の失言による失脚だの、政治家の言葉の「格のなさ」のニュースが目立つことが多いので対照的だと思った。
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by mariastella | 2011-07-14 08:33 | フランス

中央公論と婦人公論

送っていただいた中央公論の7月号と、前に読んだ婦人公論(4/7号)の記事の差にショックを受けた。

まず、前者に翻訳掲載されていたのは、レスター・ブラウンの「世界を震撼させる真の『食糧危機』」というワシントン・ポストの記事だ。

ある意味ではよく耳にする話である。

世界の人口がどんどん増え、増えていく中産階級が卵、肉、ミルクなどの「より高級な食物」を消費したいと願い、それまで世界中を支えていた食料生産国アメリカもついに手に負えなくなった、灌漑によって20年以上食料自給を可能にしてきた乾燥したサウジアラビアも再生不可能な地下水層をほぼ枯渇させた、など。
危機感あおり型。

で、「婦人公論井戸端会議」での川島博之さんと浅川芳裕さんの説明を聞くと、全然違う風景が見えてくる。

川島さんは、世界の食料生産は順調、今の穀物相場高騰の原因は「投機資金が食糧市場に向かったため」でほぼ100%説明できるという。サブプライムローンなどの金融商品を扱っていた投資銀行などが資金を引き上げ、金、原油の後に穀物に振り向けたからだ。原資はオバマ政権の金融緩和政策によって放出され続けてきたドルである。

レスター・ブラウンはそのことについてまったく触れていない。調べると彼はオバマ支持者だ。

一方フランスでは、アメリカの後追いをするサルコジですら、ブラウンがちらと書いているように、商品市場での投機を抑制することで食糧価格の上昇に対抗しようとG20などで提案している。

ブラウンはそれは対症療法でしかない、あくまでもエネルギーと水利と人口の問題、と言うのだが、いろいろ腑に落ちない所もある。

また、サウジアラビアの感慨は、海水を淡水化する技術開発による灌漑がメインだとサウジアラビアで聞いたことがあるし、川島さんや浅川さんも、技術の進歩で生産性は飛躍的にアップしたので世界の食糧生産は人口増加のペースを上まっているという。作り過ぎないような生産調整の方が大変だともいうのだ。

浅川さんによると、生産額を基にした食料自給率では日本はアメリカ、フランスに継ぐ世界3位だそうだ。世界最大の食糧輸入国もアメリカで、国民一人当たりで見ると、輸入額も輸入量も日本はフランスより少ないそうだ。

一方ブラウンは、裕福になりつつある中国の14億人の消費者がアメリカの消費者を相手に、アメリカの収穫穀物を争奪し始めるとすれば、アメリカの安価な食べ物の時代はもうすぐ終わるかもしれない、とか脅す。

うーん、どちらも、それなりのバイアスがかかっている気がする。

日本の食料生産量を価格ベースで比較するのも疑問だし、ビジネス視点と政治視点の差もある。

問題なのはやはり、世界規模での食糧分配の不公平が、弱者の生存権を侵しているという点ではないだろうか。

私は以前、フランスの農業政策について新潮45に記事を書いたことがあるので、考えさせられた。
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by mariastella | 2011-07-14 00:15 | 雑感

エリック・ベッソンの話

今朝のラジオ(Europe1)で、エネルギー担当大臣のエリック・ベッソンが昨日のル・モンド紙のアンヌ・ロヴェルジョンのインタビュー記事(そこでアレヴァの株主としての政府の定見のなさが批判されていた)に当然弁明するようなコメントをしていた。

まあ、彼らは「同じ穴のむじな」でもあるのだが、はっきりした共通点がある。

例の

「フランスにとって核エネルギーは理性の選択」

という見解だ。

この理性によって、情緒を克服しようという話である。

で、ベッソンが言うには、フランスにとって、核エネルギーの選択は、

ni par passion, ni par amour

つまり、情熱からでもなく、愛からでもない、

という。

あくまでも、エネルギー自立を目指す国益のためという理屈に拠る選択である。

これがロヴェルジョン女史の言う

「悲劇への感性がある者だけが原発をもてる」

という考えと通底しているらしい。

要するに、

「原発の前提には一つ間違うと人類絶滅にさえ至るほどのとてつもないリスクが横たわっている」

ことを踏まえた上で、敢えてメリットを優先する、

という見解なのだ。

ある意味でこれが、核兵器保有国の原発に対するスタンスとしてノーマルなのだろう。

核兵器が一つ間違えば人類を破滅させる力を持っていて、それでも、だからこそ「抑止力」として有効だ、というスタンスを貫いていたのだから、同じことが原発にも適用されるのは当然といえば当然だ。

「必要悪」を理性で制御する、という苦渋と誇りが建前となっている。

そこが日本とは決定的に違うところかもしれない。

日本は、被爆国としてこの「悲劇への感性」が突出していてもいいのに、「核兵器持たない」と言うことで、核兵器は悪=戦争、核エネルギーは善=平和、という二元論に持ち込んだ。

結果、核エネルギー推進政策のトーンは、「エネルギー輸入に頼らずに、過疎地に雇用や金をもたらし、都会では電力を好きなだけ使えて、誰もが恩恵を受けられる夢のエネルギー」、ということになった。

今、過去のプロパガンダを見ると、それこそ情緒的に、クリーンさだの、科学技術の発展だのへの情熱や愛を刺激するようなメッセージがある。

本来なら、やはり核兵器と核エネルギーはセットになって論議されるべきだ。

「核兵器が必要悪である」ような世界を変えていくのはすべての国に課せられた義務であるし、核エネルギーは、「核兵器による抑止力という倒錯状況」の産み落とした鬼子のようなものだということを了解しなくてはならない。

「放射線治療の恩恵もあるから核の平和利用にノーとは言えない」と比べられるレベルではまったくない。

日本と同様、核兵器保有クラブから締めだされているドイツやイタリアにおける核エネルギー廃絶決定を支える「理屈」と「情緒」の兼ね合いも、もっと知りたいものだ。
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by mariastella | 2011-07-08 19:37 | フランス

Corinne Lepage の 『La vérité sur le nucléaire』

フランスの原子力発電について、フクシマ効果のせいか、ようやくまともな批判本『核の真実』が話題になっている。

フランス語が分かる人は以下の著者インタビューでまとめられているのでどうぞ。

http://www.agoravox.tv/actualites/societe/article/corinne-lepage-la-verite-sur-le-30481

コリーヌ・ラパージュは弁護士で欧州議会の議員でアラン・ジュペ内閣の時のエコロジー相だった。もう20年もエネルギー問題をやっている。

(私は実は彼女の弁護士事務所と少し関わったことがあったせいで、誠実さを疑っているのだけれど)

自然エネルギーの割合がフランスではこの15年にほとんど増えていないこと。

人口に対してフランスはドイツより電力消費が多く、消費のピーク時にはドイツから電気を輸入している。

フランスの原発で働くのは12万人だが、ドイツはエネルギー政策の転換によって新たな雇用を35万人創出する。

GEやシーメンスはもう原発を作らない。

アレヴァで儲かっているのはアフリカのウラン鉱山の利権だけ、それもテロの標的になっている。

EPR(第3世代原発)やMOX燃料が売れなくなったらアレヴァは破産する。

ドイツは個人の電気代がフランスより90%高い。

しかしフランスは原発の廃炉費用や廃棄物処理の費用を先送りしているからであり、しかも廃炉の見積もりは実際の10分の1(150億ユーロと見積もっているが実際は2千億ユーロかかる)であり、将来に巨大な負債を残すことになる。

などなど。

EPRはフランスでもまだできていなくて、有望な発注は中国だけだ。安全性重視で高額だから、新興国には安全性よりコストの安いヴァージョンを売れという圧力がアレヴァにあったらしい。

フランスの原発推進も、不透明で議論の対象にならないシステムがつくられていた。

チェルノブイリの時も嘘で固めたフランスだが、時代が変わってフクシマのインパクトの前には、ようやく議論のテーマになりそうだ。

いったん事故があれば、観光立国、農業国のフランスはつぶれる。

大都市リヨンは原発の30キロ圏内にある。

まあ事故は「絶対あり得ない」で強引に通せても、収支計算だけでもフランスのとっている道は異常としかいいようがない。

日本の首相がサルコジと握手して、東電がアレヴァに汚染水処理を発注したりMOX燃料使ったりするのを見てると、日本とフランスは最悪のフィールドで手を組んでいるんじゃないかと恐ろしくなる。
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by mariastella | 2011-07-08 06:40 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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