L'art de croire             竹下節子ブログ

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レオス・カラックスの『ホリー・モーターズ』Holy Motors

今年のカンヌ映画祭でコンペに参加して話題になったのに何の賞ももらえなかったレオス・カラックスの『ホリー・モーターズ』を観た。

少なくとも、ドゥニ・ラヴァンは主演男優賞に値する演技だ。

カラックスは鬼才という言葉がぴったりで、彼の分身のようなドゥニ・ラヴァンがまた鬼才、異才というかあくが強いので、好き嫌いは大いに分かれるだろう。

大衆に対して映画を創るのではなくプライヴェートな映画を創るのだ、と本人が言っている通り、芸術性は高いがナルシシズムと過剰さとキッチュさで息苦しくなる。もう50歳になるドゥニ・ラヴァンの異形の肉体の生々しさにもひいてしまう。

動作の美しさを追求しているとか、マイムで鍛えたしなやかだが野性的な身体表現、などと言うが、ただ圧倒されるだけで、無意識にバリアをはっていたので楽しむところまでいかない。

音と映像が凝っていて工芸的と言えるぐらいだ。

カラックスの本名のアレックスとかオスカーとかが、主人公の名に使われていて、この映画が、カラックス自身の内的世界や想念、映画創りへの執念や期待や失望などをさまざまな形で表現しているのだということは分かる。

オムニバス映画のように次々とキャラクターやシチュエーションが変わり、ビジネスマンと物乞い、娘や姪や前妻との突然のヒューマンなやりとり、墓地、教会、廃墟のデパートを舞台にしたエステティックの過激さが次々と打ちこまれる。

一作でいろんな究極のシーンが見られるのを贅沢と見るか、全体の「意味」が分からないことにフラストレーションを感じるか難しいところだ。

映画創り、特に俳優の演技というもののメタファーだという一応の解釈はあって、今の映画の観客は、ストーリーを追う、起承転結のカタルシスを求めるようにフォーマットされているのでそれに挑戦する、という意味もあるらしい。

物語の整合性のある意味がなくても、それぞれの「瞬間」を驚き、味わうことを奨励しているとも言われる。逆に、人生や日常の「断片」はどれも偶然の集積にも見えるし不条理にも感じられるが、全体をみると、それは謎の絶え間ない脱構築と再構成の連続で、それこそが「生」と「美」の秘密なのだという解釈もある。

私がなんとなく連想してしまったのは、『ユダヤ人とバイブル』という本のことだ。

その中で、旧約聖書というのは、一読すると曖昧、矛盾、支離滅裂の連続だが、一見して欠陥のように見えるこれらの面こそが時代を継いで読まれてきた理由の一つだとある。各世代に、読み直しのための本質的自由が与えられるからだという。

ラビたちにとっては、バイブルとは『オデッセイ(オデュッセイア)』の対極にあるものだ。

バイブルの表面的な不完全さこそが、その真実性を担保している。

なぜなら、神は詩人ではないからだ。

詩人は嘘をつくが、神は真実を語る。

つまり、ホメロスなら完璧な叙事詩を創作できて、人々はそれを完成品として鑑賞できるが、神の言葉を人間がキャッチして書きとめたバイブルには文学作品のような整合性がないのは当たり前だというわけだ。

カラックスの映画は、ここにきて、作品というよりも、ご託宣、神的ビジョンのご開帳になったのかもしれない。
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by mariastella | 2012-07-29 21:02 | 映画

女たちだけの村

「女たちだけの村」というと、戦争ばかりしている男たちを改心させるために女たちがそろって出て行く、とか男たちを追い出すというようなコメディのストーリーが思い浮かぶが、そうではないもっと深刻なものがある。

ケニアのナイロビから300km北にあるTumai(スワヒリ語で希望を現すTumainiが語源)という名の女たちだけの村がそれだ。205人の住民は女たちと16歳未満の男の子を含めた152人の子どもたちからなり、ヤギを飼ったり、そのミルクを売ったり、狩をしたり、自給自足の生活が成り立っている。

月に一度は身を清めて山のふもとで精霊に歌って雨ごいや家畜の無事を乞う宗教儀式もある。男たちと一緒の共同体では続いていた女児の性器切除の習慣もきっぱりとやめ、村の運営のすべては合議制で決める。

2001年にここにやってきたのは、1970年から2003年の間にArcher's Post村の近くで演習しているイギリス軍にレイプされた女たちを中心に、離縁された女、夫から暴力を受けた女たちである。

この試みがうまくいっているので、最近は、やはり戦争中にレイプの犠牲になったコンゴの母親たちに招かれて体験談を語っている。

彼女らの表情も、身なりも、尊厳に満ちている。

レイプの結果の子どもを産まざるを得ない境遇にある女たちにとって、政治的倫理的ないろんな言説がとびかうけれど、このように具体的な方法を実現している例はめったにないだろう。

大人の男たちと未成年の子どもの集団と言うと、すぐに小児性愛のリスクの話になったりするが、女たちが子どもを育てている集団というのは、圧倒的な自然の強さと安定感が感じられる。

アルジェリア人の父とチェコ人の母を持つNadia Ferroukhiという女流写真家が彼女らに魅せられて写真を撮り、それをネットで公開、だれでも有料でA4でプリントアウトできて、その収入はTumaiに寄付されている。

http://www.nadia-ferroukhi.com/v2a/aiderlevillagetumai.html

アフリカには子どもの頃からレイプの犠牲になって子を育てる女たちが少なくないが、今まで、カトリック系の修道会が未成年の少女たちを保護して寄宿させて縫物などのスキルを獲得させるという活動は知っていたけれど、その他に、このような主体的で力強い対策が存在していたこと事実は知らなかった。

この村で育てられて、外に出される男の子たちとの関係や、その後でその男の子たちがどういう人間になりどういう役割を担うのかに興味がわく。この村の子どもたち全員に高い教育を受けるチャンスを与えてやりたい。何かが変わるかもしれない。
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by mariastella | 2012-07-19 21:22 | フェミニズム

天使の取り分ANGEL'S SHARE

今年のカンヌで審査員賞を受賞したケン・ローチ『天使の取り分ANGEL'S SHARE』を観た。

ケン・ローチは私の好きな監督だ。

犯罪歴があって職のない若い男の恋人に赤ん坊が生まれる。ダルデンヌ兄弟の「L’Enfant」だったら、ここで若い父が赤ん坊を売りとばしたりするのだけれど、ケン・ローチでは父性に目覚めた主人公が、何とか自立しようとする。

そこにウィスキーのテイスティングの蘊蓄や、幻のウィスキーを盗み出す話や、教育指導員とのあたたかい交流などが組み合わさって、ユーモラスでありサスペンスフルでもあり、この監督ならではの人情味にあふれ、後味もいい。

スコットランドをうまく描いている。

社会から完全に落ちこぼれたような若者のグループが、妙な連帯の中で、イニシエーションの旅をする。おとぎ話でもあり、一種のビルドゥングス・ロマンでもある。

でも、去年のロンドンでの暴動騒ぎといい、フランスでも職のない若者は多いし、うちに引きこもるよりも路上に出て暴力沙汰を起こしたりする方が多いので、他人事とは思えない。

この映画を観た同じ日に夜のメトロのホーム(サン・ミシェル駅)で、3人のポリスが一人のアラブ系の若者を囲んで持ち物をすべて出すように命令して、皆が声を荒げていた。尊厳とか尊重というのはかけらもなく、まるでいじめのシーンのようだった。何があったのか分からないが、ああいう風に扱われる若者が前向きに生きていけるとは思えない。

こうしてあちこちでポリスから高圧的に尋問されている若者たちの中には、この映画の主人公のように隠れた才能のある者や知的能力の高い者も一定の割合でいるはずだ。

フランスではゲットー化している移民二世や三世の多い地域の優秀な生徒に奨学金を出してグラン・ゼコールの予備クラス(国立)に引き抜くという試みが広がっていて、そんなもの、きれいごとで、本当の解決にはならないだろうと思っていたが、やはり、手っとりばやいのは、教育によってチャンスを与えるという王道だなあと思う。よい指導者との出会いもそうだが、シンプルに「本を読むこと」が若者の可能性をいかに広げるかというのも痛感する。

ただし、優秀な者だけを一本釣りで引き抜いて援助して成功させたり更生させたりするというのは、政策の正当化にはなるだろうけれど、ケン・ローチの映画が本当に痛快なのは、底辺にいた主人公が責任感やら自分の才能に目覚めて悲惨な境遇から抜け出るというところではない。

主人公の周りにいる、本当にどうにもならない盗癖の女の子や頭の弱そうな男やら、主人公の足を引っ張っているように見える「クズ」のような若者たちも、「一緒に行動する」ことで、居場所があって、チャンスがあって、自分の立ち位置や能力などと、怒りや憎悪や侮蔑などを通してでなくはじめて向かいあえたということだ。

社会的な弱者にとって真のハンディは、能力のなさではなくて、暴力的な憎悪の環境にいることなのだ。暴力や憎悪や侮蔑の視線のある世界で「自助努力」など誰もできない。

もちろん、では彼らを安全なところに囲い込んで個別に隔離すればいいのではない。

みなが「より弱い者」を抱えていく、という環境に投げ込めばいいのだ。それは別にすごく強い人が弱者を守るというような家父長的「憐れみ」の環境ではない。家父長的憐れみの行使には「見下し」が伴いがちで、それは憐れみに感謝しない者を罰するという誘惑と紙一重だからだ。

この映画のように、たとえ全員が社会的弱者でも、みんな、「弱さの個性」は違うのだから、弱い者同士が助けあうという可能性は絶対に存在する。

この映画のくれる希望のメッセージの根本はそこにある。
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by mariastella | 2012-07-13 16:46 | 映画

Cima da Conegliano

行ってきた。

リュクサンブール美術館でやっている今週末で終わりのチーマ・ダ・コネリアーノ展だ。

その帰りにはRue Ferouを抜けてサン・シュルピス広場に出る。

この狭い通りの左側、昔は修道会で今は財務省の役所になっている建物の壁が延々と続くのだが、ここに6月14日から、のランボーの『酔いどれ船』の詩がぎっしりとペイントされている。

1871年、17歳のランボーはサン・シュルピス広場のカフェで初めてこの詩を読み上げたのだという。
その時には、この通りへと風が吹いていたに違いない、と、壁に書いてあった。
なかなかしゃれた試みだ。

私は5月の末にもこの広場にきて、1833年4月に若きフレデリック・オザナムが友人らとSociété de St Vincent de Paulを立ち上げた場所を訪れた。

この広場は若者に聖霊が降るところなんだろうか。

そういえば、そのランボーの17歳の有名な写真の表情は、チーマ・ダ・コネリアーノの有名な聖セバスチャンの絵の表情と似ている。


実は、このセバスチャンの視線に代表されるチーマの描く聖なる人物たちの「目つき」は、私をずっと離
れないものだ。

もとはといえば、チーマより少し前のメロッツォ・ダ・フォルリの有名な奏楽の天使というフレスコ画の中でリュートを弾く一人の天使の目つきが、ながいこと私から離れなかった。



この天使のポスターを20年くらいうちの音楽室に貼ってあったのだが、猫に破られて捨ててしまった。それからボヘミアバロックの天使の像のポスター(これは額でプロテクトした)に替えてからもうずいぶんになるのだが、メロッツォの天使の目はずっと私を見ていた。

正確にいえば、メロッツォの天使もチーマのセバスチャンも、多分「あっちの世界」を見ているので、私と目が合うのではないのだけれど、私には彼らの視線の向こうのものが射るように突きささっててくるような感じがするのだ。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと目を合わせてもそんな感じはしない。

チーマの絵では、裸の赤ん坊のイエスの目つきですら私を共振させる。

とくにこれ

 
なんでだろう。

チーマの聖母子像はたくさんあって、中には薄青のシャツの上から腹巻をした幼子イエスもあってかわいい。マリアのヴェールの下、頭に直接触れている布は、刺繍のしてあるものとか透けているものなどいろいろなヴァリアントがあって、透けているものはイエスの聖骸布を暗示しているという説もある。

そんな母子を、成人した洗礼者ヨハネだの天使だの、使徒や殉教者や後の司教など、いろんな人が取り囲む構図の「聖なる会話」といわれるテーマは、キリスト教世界における聖人のコミュニオンというものがいかに時代も場所も時系列もみなシャッフルしていつも「そこに生きている」ものだったというのがよく分かる。

しかもその中心人物であるイエスが赤ちゃんの姿でもOKというのが楽しい。

近くで見ると、とにかく絵が上手な人だ。

でも、チーマの絵は、繰り返されるその視線のせいで、いつも窓の外を見せられている気になるから、オブジェとしての絵のディティールとはまったく別のものと出会える。音楽と似ているかもしれない。風通しがいい。

サン・シュルピス広場の角で久しぶりにProcure書店にいった。

ここは誘惑が多いのでずっと避けていて、近頃は読みたい本は近所の本屋に取り寄せてもらったり通販で買っていたのだが、ここのキリスト教関係のコーナーに行くと、あらためて幸せな気分になった。面白い本が多すぎて、どれだけ読めるだろうという気持ちと、どれだけ紹介できるだろうという気持ちがわく。

人ごみの中にいても、私はあまり他の人の情報をキャッチしない。無意識にバリアをはりめぐらせているからだろう。でも、墓地に行くと、生きて死んで埋葬されている人々の渦巻く思いみたいなのがぎっしりみっちり濃密に感じられる。Procureの宗教書のコーナーに行くと、それに似た感じがする。聖人や神秘家の著作も多いせいか、やはり並々ならぬ思い入れがびっしりと重なってはりついているのだ。

興味深い本を8冊ほど買った。一応夏休みなので心ゆくまで読める。

追記) リンク先が開かないという指摘をいただいたので、教えていただいたものに変えます。私は基本的にフランス語の検索サイトで画像としてピックアップするんですが、コピペするとうまくいかないようです。すみません。画像のはりつけもいつもうまくいかないので、みなさん適当に検索してください。

で、画像の「目つき」を見ても情感が伝わらない、分からん、というご意見もあったのですが、私は、これに関しては、別に美術批評を言ってるのではなくて、なんだか分からないけれど、この目つきが私に何かを見せるような気になる体質というか、前世の因縁(!)というか、があるようです。はっきりいって、私はチーマの絵がすごく好きだとか、お気に入りの画家だとかいうのですらないんです。ただ、彼らの見ている何かに吸い込まれそうになるのです。

この展覧会では茨の冠をかぶったイエスの顔もあり、そのイエスもすごい視線なんですが、そして目がストレスで充血して血の涙まで流している壮絶なものなのですけれど、その目つきの方には私は反応しないんです。絵としてはすごいなあと思うんですが。このイエスが見てるのは多分、人間なんでしょう。

ああ、この画像もリンクしておきたい。


どうでしょうか。
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by mariastella | 2012-07-10 01:53 | アート

Adieu Berthe ou l'enterrement de mémé


Bruno Podalydès の新作『さよならベルト、または、おばあちゃんの埋葬』というコメディを観た。といっても、結局火葬にして灰を池に撒いたのだから、厳密には埋葬とは言えない。

墓地に立ってギターの弾き語りで埋葬を演出していたある葬儀屋が、別の客に呼ばれて去る時に、「Bonne éternité ! (よい永遠を !)とあいさつするのがおかしかった。確かに、あの世での永遠の滞在が不具合だったら大変だ。

主演が、監督の弟である演技派Denis Podalydès(サルコジ役の秀逸さが印象的だったコメディ・フランセ―ズ系の俳優)と、これも演技派で絶対おもしろいValérie Lemercierで、認知症の父親に代わって突然祖母の葬儀を采配しなくてはならなくなった薬剤師の悲喜劇なのだから、大いに笑ってしんみりと人生について考えさせられもする良作…

であるはずなのだが、へんに日常的でリアルである分、かえって世代の微妙な差とかが邪魔をして、感情移入できなかった。

認知症の父親の方がむしろ私の世代に近くて、40代半ばの夫婦と夫の愛人が携帯メールでやり取りするシーンは、僅差で私たちの感覚とずれている。

その40代の男女が愛憎の危機を迎えていて、悶々としたり爆発したりする様子も、ゲームに夢中になって父親に返事もしない高校3年らしい息子との関係も、知り合いのあれこれを思い出させてリアルだが、自分とはかけ離れている。

ある映画に感情移入できるかどうかなどはもとより登場人物の設定とリアルの自分が似ているかどうかなどとは関係ない。
それなのに、この映画は明らかに、フランスの今時の家族の等身大の悩みを切り取ってみせているだけに、わずかのずれがむしろ違和感をもたらす方向に働いた。
すごくうまくできているのに。

登場人物たちの心理模様はおそらく多くの人が共通して経験していることで、自分でも直視しない部分を突きつけられて笑いとばされていることが、カタルシスにもなり深刻にもなり得るのだろうが、私は憐憫の気持しか湧かなかった。

昔、「しあわせな人間にはアートは分からない、というか分かる必要がない」と島田謹二さんが言っていたが、その時と同じような居心地の悪さがある。

たかが映画で居心地が悪くなるというのはそれはそれで影響絶大だとも言えるが…
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by mariastella | 2012-07-08 08:06 | 映画

プラハで考えたこと その3

プラハで実感できたのは、この国の人々やこの町の隅々にはりついて今も脈打っているような消し難いルサンチマン、白山の戦いのトラウマだ。

チェコ人はみな、ヤン・フスの孤児である。

ほとんどあらゆる教会の内部を炎の舌がゆらぎのぼるようなバロックの装飾で飾り立てた執念は、たんにハプスブルク家からやってきたカトリック候たちだけの趣味や教育的戦略ではない。生き延びるためにカトリック教会への忠誠を誓い、それを証明しようと決断したフスの孤児たちによるパフォーマンスだった。

でもフスの孤児たちの内なるウィクリフ主義は、ポーランドやハンガリーにもしっかり伝播していた。

これらの国における、フスゆずりの反抗精神と、カトリック世界のネットワークを利用できる可能性とのふたつは、社会主義政府に支配されてソビエト共産党の圧力をうけていた時代にも生き延びていた。

だからこそ、これらの国から共産圏は少しずつ崩壊していった。

1956年のハンガリー動乱、1968年のプラハの春、1980年のポーランドの連帯(ソリダノスク)組合の結成、などは、それを雄弁に物語っている。

考えてみたら、いわゆる宗教改革の百年も前にフスが火刑に処せられたのが1415年、白山の戦いでプロテスタントのチェコ貴族が全滅させられたのが1620年だ。

チェコ人は、表向きのウィクリフ主義を捨ててそれを内奥の埋め火としてとっておくことにするまでに、実に200年以上もかけたわけだ。
日本の長崎の一部の隠れキリシタンのような規模ではなく、それが民族アィデンティティになるほど広く強烈なものだった。

そしてその精神は、国中がカトリック化しようと、壮大なバロックの装飾が完成しようと、脈々とうけつがれて、埋め火は消えることがなかった。

市庁舎前の広場の石畳にはめこまれた27の白い十字架は、1621年に白山の戦いの指導者の生き残り27人が処刑されて首をおかれたところだと言われる。それを見守るように、巨大なフス像が建っている。

プラハ城では、反乱の鎮圧のきっかけとなった1618年の、神聖ローマ帝国から乗り込んでくる王を認めないボヘミア人が国王の役人のうち2人を窓から投げ落としたという事件が起こった場所も見学した。

私は、もちろん、ラディスラフ・クリマのことを考えた。

ドイツ人やユダヤ人と親しく交流して複数の言葉を自由に操った彼の到達した「神」の形に至る道を用意したのはやはりプラハのこの独特の空気だったと思う。

つまり、言葉は悪いがある種の偽善性、バロック芸術に執拗に投資することによってカトリックへの迎合をみせた過剰反応とその底に流れるアィデンティティの違和感である。

こういうものは、やはり、理屈だけではなく、町の中にいてはじめて腑に落ちる感じがするものだ。
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by mariastella | 2012-07-07 01:19 | 宗教

プロメテウス

リドリー・スコットのSF3D映画『プロメテウス』をつき合いで観に行った。

『エイリアン』が怖かった記憶があるので、もう残りの人生でホラーやヴァイオレンス映画をできるだけみないと決めた私は気がすすまなかったのだけれど、地球外で起こるホラーは今やあまり怖くないことが分かった。日常的な舞台で起こるホラーの方がトラウマになる。

で、印象に残ったのはふたつだけで、まず、人間が自らの創造者をさがすわけだが、人が「親を殺す欲望」なんていう言葉が出てくるところ。フロイトなんかの父殺しをイメージしているのだろうが、何かとてもリアルに響いてぎょっとした。

もう一つは、ヒロインが十字架のペンダントを首にかけていて、一度外すのだがまた首にかけて、アンドロイドから「こんな試練の後でもまだ信じているのか」みたいなことばをかけられるところ。

アメリカらしいというか、要するに、自分たちを創造した存在(ここではクリエーターという言葉を避けてエンジニアと通称されているのだが)を探す旅に出るということ自体が、創造神を頂く一神教文化圏の逆説的な希求になっている。

もちろん、そのクリエーターに会って老衰をストップしてもらいたいという人類普遍の「不老不死」の願いにとらわれている老人も出てくるのだけれど、それだって、ふつうなら「若返りの薬」とか「不老長寿の術」などを探求するパターンだろう。

人間を死すべき存在に創った「製造元」のクリエーターに出会ったからといって「死なないようにしてもらう」なんて、発想がやはり、DNAをばらまいて似姿を残してくれた異星人を「全能の神」の代替として想定しているようなものだ。

結局、生き残るのは、十字架をにぎりしめた考古学者だけで、その彼女も結局地球に戻るよりも、人間のルーツのクリエーターの住むところに行きたいというのだから、ほんとうに神と宇宙人って、紙一重だ。

宇宙人は無神論者の神さまで、宇宙開発は無神論を喰らって進んだのかもしれない。で、「親を殺す欲望」というのも、じつは「神を殺す欲望」と連動しているのかもしれない。

十字架でもにぎりしめないと、「宇宙にクリエーター」を探すのは神への冒涜感があって、そこで出会う困難には「神罰」感がともなうんだろう。

で、唯一のカタルシスは、地球人を全滅させようとしている(旧約聖書で大洪水を起こした神みたいな)人間の生みの親である宇宙人の飛行船に、カミカゼみたいに体当たりでぶつかって阻止したヒロイックな自己犠牲のクルーたちの話になる。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない(ヨハネ15-13)」

というイエスの教えにいきつくわけだ。

彼らはきっと天国へ行くだろう。一方で、彼らを見捨てたリーダーの方は墜落した飛行船の下敷きになってあえなく死ぬ、とちゃんと「天罰」がくだっている。

アメリカのモラル的に「公正」な話にできあがっているなあ。
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by mariastella | 2012-07-06 01:36 | 映画

ノストラダムスの大予言

プラハ・シリーズその3の前に忘れないうちに書いておく。

先日、TBSラジオの「爆笑問題の日曜サンデー」(このタイトルって、なんか同じことを二度言ってないか?)というのに、電話インタビューで、ノストラダムスのことについて聞かれて参加した。

ノストラダムスについて話すなんて久しぶりだ。

で、もちろん、いろいろ話したうちの一部のみ収録されたのだが、収録されなかった部分に、ひとつだけ、私が1999年の7の月の前にいろいろ書いたり喋ったりした時には言わなかったことがあるので、ここで書いておく。

私は『陰謀論にダマされるな』という新書で、現代社会にはびこっている形の終末論の起源はキリスト教文化で陰謀論の起源はフランス革命だ、と解説した。

同様に、ノストラダムスの『予言書』の解釈論争のルーツも、啓示宗教の啓示注解の歴史がルーツだという事情が存在する。

どんな文化でも、宗教の聖典や経典や文学古典や民俗伝承などを研究、分析、読解して時には再解釈、新解釈などが出てくるということがある。

特に、一定以上の長さのあるテキストなら、暗号のように裏の意味をさぐったり、単語の文字の数だとか、逆から読むとか、文字を並び替えたりとか、なるほどと膝を打ちたくなるものから、どう見ても恣意的なこじつけだと思われるものまで、ありとあらゆる珍解釈やトンでも解釈がゲームのように展開されることもある。

特に終末論系のテキストはその対象になりやすい。人々がネガティヴな情報の予測の方になぜか惹かれるので、あるいは脅した方が商売になるので、実際、20世紀末の日本では、新・新宗教の教祖たちはほとんどみな、ノストラダムスの予言書を掲げて終末論をぶち上げていた。

日本ではもちろん、ノストラダムスの予言書はそういう時に便利で使い勝手のいいテキストとして1973年から突然クローズアップされたわけだけれど、そもそも、16世紀の幻想文学テキストが、当時から続けてずっとあれこれいじくられてきたということ自体は、やはりそれが、「キリスト教文化圏」のテキストだったからだと思う。

実際、ノストラダムス自身も「聖霊からインスピレーション」を受けたと言っている。

旧約聖書には預言者はたくさんいるし、新約ではイエス・キリストという救い主を得て、一応「救い」の解決はついているはずだが、ヨハネの黙示録もそうだが、その後のキリスト教世界ではあらゆるところで聖人や天使や神のお告げを聞く人たちがあいかわらず絶えることがない。

そうやってお告げを聞いた人の中には、異端だとして処罰された人もいれば、正式に聖人の列に加えられた人もいる。その線引きのためにも、お告げの内容を審査するいろいろな方法が発展した。

また、「正典」である啓示の書もまた、それをどういう風に解釈するかは各時代の権力者や権威者が誘導してきたし、学者たちも生涯をかけてきた。

その解釈もまた、「聖霊」によるインスピレーションによってはじめて可能になるわけで、人間的な論理的証明などは落とし所にならない。
それでも、人間を超越する何かからの真実の啓示があって、それを受け取って読み解くということが人間の使命であるという基本線は変わらない。

そこのところは、たとえば四書五経の研究などとは本質的に違う。

もちろん日本でも、突然「神からのお告げを受けた」と称してそれを書きとめて新宗教の経典にする人はいるわけだが、その解釈は、そのテキストを真偽の対象ではなくて信仰の対象として読む人たちに範囲が限られる。

ノストラダムスのテキストは、それ自体はキリスト教世界のルネサンスや宗教改革などの時代を背景にしてキリスト教的テイストで書かれたものであるけれど特定信仰のテキストではない。

それがいつのまにか「普遍的啓示」のような自由なポジションを獲得して、サブカルチャーの神学、一億総神学者まがいのコメントが書き継がれてきたわけである。

もっともらしく予言書を読み解く、という伝統が、やはり啓示宗教の一神教世界、とくにキリスト教世界に根差すものだということが、よく分かる。

全くキリスト教的なベースのない世界観の文化からは、末生思想だとか世直し思想がでてきても、ノストラダムス現象みたいなのは、やはり生まれなかっただろう。
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by mariastella | 2012-07-05 00:19 | 雑感

プラハで考えたこと その2

プラハの建築物の多様さと美しさについてはある程度想像していたので、驚きはなかった。

モーツアルトがそこで作曲して弾いたというオルガンのコンサートを聖フランチェスコ教会で聴いたのはそれなりの感慨があったが、お約束通り有名なマリオネットのショー(ドン・ジョバンニはやめておけとエリカに言われていたのでファウストにした)を観に行ったのも、ボヘミアングラスや木のおもちゃのショッピングも、楽しかったが驚きはなかった。

驚いた、というより、知ってはいたのだが、すごく強烈でインパクトがあったのは、ロレッタ教会の聖女スタロスタの磔刑像だ。

一瞬、何とも言えない倒錯感にくらくらした。
今まで私の知っていたのはフランスのものでこういうの

とか、こういうの

と、まあ、知らない人が見たらどれもびっくりするかもしれないが、これまでに見たのは彩色像だったのが、ロレッタ教会のは美しい服をまとっていたからだ。

聖母像に毎年、金糸銀糸の刺繍付きの豪華な服を着せかえるという教会は少なくない。特にアンダルシアなどはそうだ。イエス像は、聖母子像の子どもの姿なら服を着せられるものもあるが、成人したイエスで豪華な服というケースは見たことがない。

特に西方教会では栄光の復活のキリスト像よりも磔刑像がメインになってきたので、裸か腰布を巻いているかという具合だから、「立派な服」とは縁がない。

だから、立派な服を着た磔刑像、というのにそもそも愕然とするのだ。

しかも、女性の服。

というか、聖女スタロスタ。

しかも、ひげ面。

ほぼ、際物である。

この聖女の伝説は、あまりにも信憑性がなくて、そのルーツもわからず、今は殉教者リストからはずされているほどだ。民間伝承もいいとこである。

名前も、このスタロスタの他に「強い乙女」(virgo fortis)に由来するWilgeforte とか Livrade とかLiberate とかAcombe とかばらつきがある。

伝説は14世紀頃にできたのが16世紀の殉教者伝によって広まった。オランダが発生地だという説もある。

11世紀のシチリアのプリンセスが、処女の誓いをたてていたのにポルトガル王と結婚させられそうになった、ポルトガル王(あるいはスペイン王)の娘が異教徒と結婚させられそうになった、ある娘が兵士たちに襲われそうになった、など色々なバージョンがあるのだが、共通点は、そこで娘が、自分を醜くしてください、と神に祈り、それがかなえられて髭が生えたので、ぎょっとした男が逃げて行ったという話だ。さらに、怒った父親の手で十字架にかけられた、魔女とされて十字架にかけられた、などという結末がある。

殉教者には十字架につけられた者もいるが、処女殉教者ではこの人がただ一人だという説もある。十字架に縛られたのでなく釘打たれたのが一人だけなのだろうか。まあ、もっと倒錯的で嗜虐的な殺され方をした殉教者もたくさんいるが。

また、この伝説のルーツについては、裸の磔刑像しか見たことのないローマ・カトリックの人間が、立派な服を着せられている東方教会の髭のキリスト像を見て、理解できずに、ひげの聖女物語を創作したのだという説まで存在する。

基本線は、男に性の対象と見られるのを拒否するために髭を生やしたというところで、聖女スタロスタは「不幸な妻の守護聖女」にもなっている。

「のぞまない結婚をおしつけられた妻」ということなら、「髭を生やして離縁される」のが解決というのもなんだかなあ、などと思うが、ともかく、この髭の聖女のエピソードは、どんな宗教にもよくある奇想天外な不思議譚のひとつであるとはいえ独特のインパクトがある。

冠、リボン、三つ編み、ほお髭、あごひげ、レース、刺繍、フリルの服、磔、釘打たれて流れる血、
などの小道具に違和感があり過ぎることと、何よりも、やはり、キリストの磔刑像に似すぎていて、

「女性殉教者に髭が生えた」

というより

「キリスト磔刑像に女の服を着せた」

と見えてしまうためである。

ネットを検索すると、ひげ女のサイトがあって、この聖女もしっかり出ていたし、この伝説をもとにした、裸で髭面の磔刑像というエロテッィクな絵も紹介されていて、こうなるとアンドロギュノスとか両性具有の妄想である。

ここにいろいろな画像

で、この中のひげ女サイト


というわけで、プラハの濃いボヘミアン・バロックを堪能しながらも、変なところで衝撃を受けたロレッタ教会だった。

あ、この聖地はすばらしくて、いくらでも書くことがあるのだが(私はパリのノートルダム・ド・ロレット教会も大好きだ)、それこそいろいろな案内書があると思うのでここでは、不思議な聖女の話だけ取り上げてみた。

まあ、こんな奇抜なものを祀っていたりしたら、プロテスタントから偶像崇拝だの迷信だの言われたのも分かるし、ユダヤやイスラムなど他の一神教のすっきり感を尊敬したくなる。

もちろんいろんな異形の神々やらで満艦飾のヒンズー寺院なんかを思い浮かべて比較すればロレッタ教会もひげの聖女もどうってことはないのだから、宗教におけるファンタジーのさじ加減というのは微妙だなあとつくづく思う。
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by mariastella | 2012-07-04 02:07 | 宗教

プラハで考えたこと その1

今の時代、どこかに行こうと思ってインタネットを検索したら、写真満載の個人のブログがたくさん出てくる。中にはその地で暮らしている日本人やフランス人による詳細な情報もあって、もう、わざわざ旅行しなくても行った気分になってモチヴェーションが下がるほどだ。ユイスマンスの『さかしま』のデゼッサント状態である。ヴァーチャルでおなかいっぱい。

私が最初にヨーロッパに来てよく旅していた頃が、デジタルカメラだのブログだのの時代でなくてよかった。

ひょっとして今の若い人のように詳細な旅行記や写真をせっせとアップして情報を垂れ流して、他の人の役には立っても自分で深めるチャンスを失っていたかもしれない。

で、一応行ってきたプラハ。

公立中学の音楽教師をしている親友が、生徒を連れて音楽旅行を企画しているそうで、下見をしてくれと言った。いたるところでコンサートがあるし、モルダウ河岸のスメタナ博物館、ドヴルザーク博物館、モーツァルト博物館、楽器博物館と豊富だ。ほとんど全部歩いて行ける。日本からは直行便がないがパリからは手軽で人気の場所なので、ガイドブックも豊富だ。

で、情報の追認になるのかなあ、と漠然と思っていたら、

「現場に行って初めて腑に落ちた」

というようなことがいくつかあった。

これまで漠然と思っていたことが実感できたり、新鮮な発見があったりした。

その一部を紹介していこう。

まず、エリカお勧めの旧ユダヤ人墓地に行った時のこと。

ユダヤ人街にある、ヨーロッパ最古と言われるシナゴーグを訪問した。

その入り口で、連れの2人の男は、使い捨てのキッパ―を渡されてその着用をうながされた。

「それって義務ですか ?」と私が思わず質問すると、

「いやいや、男だけね、あなたはOK」と、勘違いされた答えが返ってきた。

パリでユダヤ博物館には行ったことがあるし、身近な仲間にも、ユダヤ人はたくさんいる。
プラハに行った前日にうちでやったパーティでは、毎週シナゴーグに通っている熱心な小学校教師も来ていた。私は彼女が高校生のころから知っていていっしょに旅行したこともある。彼女はイスラエルでも数年教師をしていた。今はやはりユダヤ人と結婚して一児の母でもある。
私のピアノの生徒にも熱心なユダヤ教家庭の子供がいた。

けれどもフランスではユダヤ人とムスリムが緊張関係にあるから、一目見て外人である私はフランスのシナゴーグやモスクには入ったことがない。

モスクの方は、三度ばかりも中に入ったのは、井の頭通りにある東京ジャーミーだけだ。

で、あそこでは、入る時に、女性はスカーフを渡されて頭をおおうことになっている。

私はサウジアラビアでも外出時に規定の黒いヴェールをつけていたから、東京ジャーミーのカラフルなスカーフ(自分で柄を選べる)に抵抗はなかった。
パリの南郊外のチベット仏教センターでフランス人もみな靴を脱がされることと同列に感じていた。

モスクでスカーフやら、サウジアラビアで総黒服やらというのは、エキゾテッィクだし、ほとんどコスプレのイメージだった。

もちろん、フランスでの公共の場におけるイスラム・スカーフと政教分離の問題や女性差別のテーマにはずっと関心があったのだが、特定のグループの人にとっての「聖域」にこちらから望んで入って行く場合に、そこの規定をリスペクトするのは当然だと思っていたのだ。

ところが …

このプラハのシナゴーグの入り口で、ユダヤ人ではない普通の「観光客」である私の連れの2人の男がキッパ―の着用を命じられて、頭にのせたのを見たとき…

私は、それが男だけに課せられているのを見て、痛快だと思ったのだ。

私は自由、私は私のまま。

男たちは、自分たちの習慣だの宗教などと関係なくドレスコードを課せられている。

ちょっと、いい気味。

この時、私は、モスクだのサウジアラビアだので、女性だけがコスプレさせられているのを当然のように見続けている男たちの心象風景が「実感」できたのだ。

イスラムのドレスコードの男女差別について異議を唱える男性の人権活動家は少なくないし、真摯だとも思う。
だけど、実際に、それに従わねばならないようなシーンに出会ったか出会わないかでは、心の奥にあるアンテナの感受性が変わってくる。

また、私のように、それが逆転した時の「痛快さ」を感じて、はじめて、それが女性だけに課せられている時の不自然さを実感する場合もあるのだ。

ちなみに、東京ジャーミーに入るのは無料だが、プラハのヨーロッパ最古のシナゴーグに入るのは有料である。有料なら、チケットを買う前にドレスコードに合意するかどうかを確認してもいいはずだ。

もっとも、女性のみに課せられるドレスコードは「差別」の含意があるから拒否されたり批判されたりする可能性があるが、男性のみに課せられるドレスコードは「特権」だくらいの合意が社会にあってスルーされるのかもしれない。そこのところは微妙だ。

よく考えるとポーランドやハンガリーなどのユダヤ地区の観光でも同じことが起こるし、無神論者を自負するフランス人などがキッパー着用を拒否して入場をやめてしまうという話もあるのだが、実際に体験すると、感慨を覚える。
教会や寺院で、男でも女でも、短パンやノースリーブ、タンクトップはダメ、腕や足を見せるなという場所はそれなりに納得できるが、性別によって変わるというところに、より深い考察をうながされる。

そこから遠くないところにスペイン・シナゴーグというのがあって、そこは、完全に博物館化しているせいか、オルガン・コンサートなどが日常的にあるせいか、キッパ―は渡されなかった。もちろんユダヤ人旅行者や団体も多く、被っている人もたくさんいた。そのシナゴーグの絢爛さは、なんか、もう、どの宗教も、天国的な演出をするのは同じだなあ、と思わせる。ユダヤ人迫害の資料もたっぷり見せられて、それは墓地でも同じだったが、非ユダヤ人はすべて罪悪感に囚われる。

今「ユダ論」にかかっているのだが、ユダ、ユダヤ人、裏切り者などというこじつけのロジックで、一民族をまるごとスケープゴートにしようという壮大ないじめの構造がヨーロッパのキリスト教社会を長い間ささえていた事実にはあらためて震撼させられる。近親憎悪のようなものが働いているというより、もっとプリミティヴな「都合のいい弱い者いじめ」に「普通の人」がどんどん巻き込まれていくのである。

墓石が朽ちて倒れかかって重なっている旧ユダヤ人墓地も、独特の迫力を持っている。

ユダヤ教は火葬でない土葬なのに、一体どうやってこんなに狭い場所に15 世紀から18 世紀にかけての12000基の石板が折り重なって立てられ8万人が埋められたのだろう。明らかにバロック様式の墓碑もある。ゴーレム伝説も違和感がない。

墓地に降りるまでに通るシナゴーグの壁には、第二次大戦中にナチスの犠牲になったボヘミアとモラヴィアのやはり約8万人(77297人)のユダヤ人の名と死亡場所と年月日がびっしりと書き込まれている。共産党政権の時代はやはり反ユダヤ主義があったので、1968年のプラハの春以来閉鎖されて名前が消えたのを、89 年にまた書きなおしたということで、新しく明るいのだが、その執念が感じられてたじたじとなる。

で、ユダヤ人墓地を出たら、典型的な東ヨーロッパのアシュケナージというかイディッシュ風の黒服、黒帽子に白い髭のラビが笑みをたたえて私たちに英語で話しかけてきた。

「Have a good day」というのはフランス語でなんというのかと質問するのだ。

広報担当なので、フランス人にも話すので、別れ際にフランス語でそう言いたいらしい。

「Bonne journée」だと教えてから、いろいろ話をした。

あの墓地のあんなせまいところにどうやって埋葬したのかと聞くと、

「私たちはここ以外の場所に埋葬する権利がなかったので、死者が出る度に前の場所を掘り返して、一段深くしていったんです。そうやって12層にまでしたけれど、いちいち掘り返しては前の遺体を移動させたんです。」

と、すごく悲しそうな顔をした。

私は、英語が思いつかなかったので、この場所はとにかく「impressionnant(圧倒する)」だとフランス語で言った。

彼は「まったくだ、too strong, too strong」だと暗い顔で繰り返した。

で、再びにこやかに、覚えたばかりの「Bonne journée」という挨拶と共にラビが私の連れの2人の男に握手したので、私も手を出すと…

「私は女性の手に触れられないんです。ごめんなさい」

と言われた。

これにも、一瞬動揺した。

ユダヤのラビは原則妻帯者のみだ。

独身が課せられるカトリックの神父やチベット仏教の僧侶なんかよりもリベラルなイメージだし、私は親しいカトリックの神父とも家族同様のチベットのラマとも普通にハグしている。

そうか、ラビって女性と握手できなかったんだっけ ?

ハリイ・ケメルマンの『土曜日ラビは空腹だった』などのシーンを思い浮かべてみる。
ギターつながりのあるJoann Sfarが描いているマンガ『ラビの猫』(映画化もされた)のシーンも。

いや、インタネットにあるイスラエルのラビへの質疑応答コーナーをのぞけばいい。

すると、年齢に関わらずすべての女性(妻や肉親以外)と握手してはダメとあった。

Ovadia Yossefがイスラエル賞を受賞した時、当時の首相ゴルダ・メイア女史が握手のため手を差し伸べたのを握らなかったので失礼だと言う人がいて、彼は「礼儀や名誉よりもトーラ―の方が重要だ」と答えたそうだ。

同様にGaon Harav Mordehaï Eliyahou が英国女王に謁見した時、女王が手を差し伸べたのに彼は、イギリスの兵士のように「気をつけ」の姿勢をとっただけで握手はしなかった。世界中のジャーナリストたちがそれを見ていた。
その夜、彼は王宮の儀礼責任者からの謝罪の手紙を受け取った。英国女王の外交儀礼のマニュアル書を確認したところ、「英国女王はラビに握手をしてはならない」との一項があったというのだ。

で、

「Ovadia師、Mordehaï Eliyahou師、英国女王の先例を踏襲して、女性との握手をしないように。自分の手は妻だけにとっておく、と言ってもいいし、自分のラビから禁じられたと言ってもいい」というのが、アドヴァイスの結論だった。

ふむふむ…

一度プラハのユダヤ人地区を観光しただけで、二度も、性別による扱いの差を経験した、という話である。
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by mariastella | 2012-07-03 00:58 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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