L'art de croire             竹下節子ブログ

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シャンゼリゼ劇場でシャルパンティエの『メデア』を観る

『Médée』:Opéra Tragédie lyrique en cinq actes et un prologue (1693), Livret de Thomas Corneille

を、Théâtre des Champs Elysées に観に行った。

演劇としてもバロック・オペラとしても、見応えがあった。

まあメデアがテーマだと、背筋が冷たくなるような緊迫感があるのは予想していたけれど。

メデアのオペラと言えば、私の若いころはケルビー二のオペラをマリア・カラスが熱唱というイメージだった。逆説的に、もう若くなかったカラスが、熱唱どころかパゾリーニの映画『王女メデア』で無言劇を演じていた印象も強烈だ。

いや、もっと幼い時に、うちにあった世界名画全集で一番トラウマになったのが、ルーヴルにあるドラクロワの絵で、胸をはだけ、裸の二人の子供をかかえて短剣を持っている復讐に燃えた母親の姿かもしれない。

金毛羊皮を獲得するのを助けた糟糠の妻であるメデアを捨てて王の娘と結婚しようとする夫イアソンに対するメデアのすさまじい復讐譚は、古来、何度も戯曲化された。エウリピデスやセネカでは、結婚の神のもたらす秩序を破壊する男への神罰のような意味も持たされているが、だんだんと、ただただ嫉妬に狂って夫を苦しめるためには子どもたちも殺してやる、という女の業とか執念の話になった。

オペラにも、ケルビーニよりずっと前にリュリーの『テゼ』(キノーが台本)をはじめとしていろいろ翻案されているし、最近までその流れは続いている。

このシャルパンティエのメデアの台本は有名なピエール・コルネイユの20歳年下の弟のトマによるもので、心象風景の描写がなかなか鋭い。

メデアの子殺しは、血を分けた子供にだけは愛情を抱いていた父親を苦しめるためのサディスティックなものか、または、自分の愛の証でもあり対象でもある子供を殺すことで無意識に自虐を突き詰めて、代替自殺をするためのマゾヒスティックなものかのどちらかで解釈されることが多い。

コルネイユは、メデアが子どもを殺したのは「不実な夫の子供の中に自分の子供を見ることができなくなった」からだという心理的な説明をしている。

レイプで妊娠した子供を中絶する心理にも通じる。

子供の父と憎みあって分かれた母親は、父親を消し去って子どもが自分の分身のようにフュージョンする場合もあれば、子供の中に父親のDNAばかり見つけて愛せなくなる場合もある。

メデアも単に怒り狂った魔女扱いではない。

戦争中のコリントの王だのその娘だの、援軍を頼まれて王女との結婚を条件にするアルゴス王だの、金毛羊皮の英雄ぶりで王や王女を惹きつけるメデアの夫ジャゾン(イアソン)だの、メデアの周りの人々の、政治と権力と色気を駆け引きをめぐる品性の下劣さや小人ぶりが露わにされている。

その彼ら自身が、自分たちの偽善性ゆえに、メデアが体現する愛と献身の無償性や自己犠牲の「純粋さ」や「まっとうさ」を「不都合」に感じている。だからこそ、みな、立場は違えど、メデアを遠ざけようという点では一致しているのだ。コリントの民衆たちもその衆愚ぶりは王たちと変わりがない。

まともなで誠実な人が政治の犠牲にされるのは今も昔もかわらない。

演出は、衣装が現代的なスーツ姿やレインコート姿だったり、子供たちが制服姿の小学生風だったりするし、小道具も抽象的で使いまわせる最小限のものだし、踊りの振り付けもまったくバロックバレーと関係がない。

私は普通はこういうのには違和感があるのだが、なぜか気にならなかった。

まず、シャルパンティエのダンス曲は、リュリーのオペラやロワイエの最初のオペラのような、バレーのために添えられたという風情の薄っぺらさがなくて、ラモ-やミオンのように音楽そのものにコクがあるので、バロックバレーがなくても独立して楽しめる。
サラバンドもシャコンヌもパサカリアもある。
指揮のエマニュエル・ハイムは私にとっては数年ぶりなのだが、近くで見ると、ジェスチュエルがバロック風で、表情も豊かで、ダンス曲のフレージングなんかもよくできている。全体にいかにも楽しそうで、舞台との距離感もちょうどいい。
彼女のダイナミズムと身体性が、ダンス曲を支えているので、ダンサーの体を見なくても堪能できる。

本当は、バレーのランガージュと音楽のランガージュが干渉しあい、増幅しあって、別の次元につきぬけるような舞台ができたら最高なのだけれど。

ともかく、台本が緻密でよくできているので、メデアの夫とコリントの王女の恋の駆け引きのシーンだとか、ほぼベッドシーンみたいなリアルな演出ですら、違和感があるどころかなかなかの迫力だ。

シンプルで現代的なデザインの舞台なのに、機械仕掛けだの大道具の動かし方などは妙にアルカイックなので、バロック・オペラの「からくり」のイメージが喚起できているのもおもしろい。

歌手たちの演技がまた細かいところまで指導されていてよくできている。

本格的な悲恋ドラマの緊張感もあるし、まるで隣の部屋にいる男女のかけひきをのぞき見しているような臨場感すらあった。

ギリシャ神話の世界でもなければ17世紀末のヴェルサイユ宮殿の世界でもない。

その「現場感」が、場面を矮小化するのではなくて、心理模様や運命の予感の強度を増している。

リュリーの独裁のせいで、ある意味凍結してしまっていた17世紀のバロック・オペラの世界で、このような自由の拡張を展開したシャルパンティエのこのオペラは、1693年の初演でて厳しく批判されて、シャルパンティエ最後のオペラになってしまった。

来年1月にはオペラ・コミック座に同じシャルパンティエの『David et Jonathas』を観に行く予定だ。

楽しみ。
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by mariastella | 2012-10-22 22:25 | 音楽

マリアご出現とロザリオ

この春に猫好きつながりで訪ねて行った谷中の猫町カフェ29のブログに、11月3日のトークのご案内が出ています(トークの場所は別のところです。でもここの猫町カフェ29の猫ちゃん、聖母マリアのメダルをつけた首輪をつけてるんです)。


先日のコプト教会での「聖母ご出現」にも多大な影響を与えた19世紀型聖母ブームの始まりはなんといっても、1830年、パリのど真ん中のバック通りで起こったご出現です。

1830年のメンタリティが古いのか新しいのか、このご出現話がキッチュなのか迷信がかっているのか、時代が要請したのか文化が醸成したのか、時々分からなくなるのですが、すごいのは、21世紀になってもしっかりと、分かりやすいメッセージを掲げて、「この聖堂に来る人には特別のお恵みが・・・」ということになっていることです。

奇跡のメダル(不思議のメダイ)自体も、もう携帯可能のパワースポットみたいになって世界中に行きとどいているし。

このご出現と切っても切れないのが「ロザリオ」の祈りで、キリスト教世界で最も愛されている祈りです。日本の隠れキリシタンもそうでしたが、迫害されて地下に潜ったキリスト教徒たちが発見された時に最後に残っているのはこの祈りの継承ということが少なくありません。よく見ると、その中には、定住と旅、自分と他者、現世と死と来世をつなぐキイワードがちりばめられています。

こういう連祷の連鎖というのは侮れないエネルギーを持っているような気がします。

そういうご縁に触れてみたいという好奇心のある方はどうぞ。
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by mariastella | 2012-10-19 01:12 | お知らせ

『La Vierge, les coptes et moi(聖母とコプトと僕)』

Namir Abdel Messeehの『La Vierge, les coptes et moi(聖母とコプトと僕)』

をうちの近所のレトロ映画館に観に行った。監督との質疑応答があって、その後で館内レストランでも話し合えた。

最高におもしろかったけれど、あらゆる意味で私の関心事とかぶさるテーマだったからだろうか。

私は1968年のカイロでの聖母のご出現や、2000年のAssioutでのご出現のことをくわしくウォッチングしてきたし、去年のエジプトの「革命」の前と後を観察したり、コプトが迫害されている状況をいろんな観点からチェックしていたり、監督で主人公であるメセ-の育ったフランスの状況を同時代的に知っていたりする。

そうではなくてまったくの部外者(たとえば日本に住んでいる平均的日本人)としてこの映画を観たのだとしたらどういう感想を持っただろうかは、想像しにくい。

エジプトのコプト(東方系キリスト教徒)の共同体の日常が文字通り内部から描かれているのを見るのは興味深いものだった。書物で知るのと人々の姿を見るのとでは全く印象が違う。

エジプト人のコプトはムスリムを嫌い、ムスリムはコプトを嫌い、そのどちらもユダヤを憎んでいる、なんていうことがさらりと口にされる。

「でもマリアはユダヤ人では ?」

「いや、ユダヤ人がマリアを聖母と認めないからマリアは我々の母なんだ」

1967年の中東戦争でイスラエルに負けた後で国の連帯を強くするためにナセルがカイロでの「聖母出現」を演出した、または利用したと口にする人もいる。

エジプトはイシス女神の子、エジプトは人類の母、ナイルは血。イスラムには「母神」キャラがないのでイエスの母マリア(ミリアム)をムスリムも愛した。しかし、コプトたちはアラブ人の侵略された時にイスラムに改宗しなかったコプトこそ真のエジプト人であると自負している。

コプトたちの担ぐ聖母子像の「みこし」がやけにカトリックぽいデザインだし、そこかしこにどう見てもルルドの聖母風の聖母像が掲げられているのはなぜかと思ったが、コプトの伝統というより、19世紀にやってきたカトリック系ミッションスクールが流布させた画像らしい。やはり1830年のパリ、1858年のルルドのご出現がなければ、聖家族の亡命先になったエジプトといえども突然イエス抜きの聖母が出現することはなかったのかもしれない。

それに「聖母」というより「聖処女」と呼ばれているので「穢れなき処女神」のイメージがまずある。

で、我らのマリアは最強だ、不可能なことなし、という感じの掛け声というかお囃子のようなものがマリア行列で叫ばれる。

エジプト人でムスリムかコプトかを見分けるのは簡単。コプトは腕に十字架を刺青している。マリアの名や図像を刺青しているものも多い。そこにはあきらかにグアダルーペの聖母の図案もある。

腕にするコプト十字の入れ墨は子供の時に入れるので、泣き叫ぶ子供をおさえて十字架を入れているシーンにはぞっとした。(このシーンについて映画の後で監督とも話し合った。彼にはフランス生まれの妹が一人いてエジプトにも全く足を踏み入れたことがなく、宗教も含めてすべてを嫌悪しているそうだ)

一方のムスリムは、日に五回這いつくばって祈るので、額にこぶというかあざができているので一目で分かるという。

でも、まあ、こうやって「村の生活」の実態を眺めると、はっきりいって、隣り合う村同士のムスリムとコプトの違いよりも、都会と田舎の違いだの、国や世代の違いだのの方が大きいのではと感じた。宗教的熱狂やら祭の様子も、キリスト教がどうとかいうより、民衆信仰のスタンダードな形である気がする。聖母の出現もその文脈にあるわけで、教会の丸屋根に光が現れたら、人々はエクスタシーに陥ってさまざまな病気に「奇跡の治癒」が起こるのだ。

この映画を撮るきっかけになったのは、ナミールが母のうちでクリスマスに、2000年のご出現ビデオ(Assioutで何日間も続き、何十万人もの目撃者がいて撮影もされたものだ)をみんなで観ていて、自分には何も見えなかったのに、普段は教会へも行かない母親が突然自分には見えた、と言ったのに驚いたからだ。

(このご出現のビデオはネット上でもいくらでもあります
またapparition vierge marie assiout egypte でyoutube 検索するとたくさん出てくるし、1968年版の写真も出てきます。私が最初に聖母ご出現について本を書いた時はまだそういう時代ではなかったのでもっと好奇心をそそられました。今ならウェブ上でいろいろな好奇心をそれなりに満たされるのでアウトプットしていなかったかもしれません)

実際は、プロデューサーを見つけたナミールが現場に行ってもこれという証言は得られず、映画製作の資金提供を打ち切られてしまう。ナミールの窮地を知った母がフランスからやってきて金策を担当してくれることになった。(母は、フランスのカタール大使館の会計を担当していて、その関係を使えたのか、この映画はフランス・エジプト・カタール合作ということになっている)

結局、母の出身地のコプトの村でご出現シーンを映画に撮ろうということになり、村人たちに「出演」してもらう。文化祭のようなそのさまはコミックで、みなが非日常を楽しんでいるような、ただ金を欲しがっているような、一種の祭のような独特な高揚感がある。

で、かなりチープな、その「ご出現」とそれを見て叫んだり歓びの声を上げたりする群衆の姿、という「短編映画」が完成して、みんなに見てもらうことになった。

人々はスクリーンの上の自分の姿に笑い、知り合いの姿に笑い、ドタバタの思い出にも笑う。

ところが、教会の屋根に光が輝いて、聖処女役の少女がふわりと降り立ったように見えるシーンになると・・・

笑いがやんで、会場がシーンとなる。

外の犬の鳴き声が聞こえてくる。

子供たちの目も大きく開かれる。

監督のナミ―ル・メセ-は、エジプトとフランスの二重国籍だが、エジプトの身分証明書には宗教を入れる必要があり、20代の頃、自分は信じていないからと言ってキリスト教であるというのを削除したことで故郷から非難されて、この映画のロケまで15年も帰っていなかったのだ。

政治犯だった父と母は、おさないナミールをおいて1973年にフランスに亡命して、ナミールは叔母に育てられていたが、やがてフランスに渡って教育を受け、映画学校を卒業した。

この映画はベルリン映画祭では観客賞ドキュメンタリー部門の第3位になった。同じ頃カイロでも上映されて賞をとり、エジプトの映画評論家が絶賛したので父ははじめて息子の仕事を認めて、その評論に「あなたは分かっている」という賞賛の手紙を出したそうだ。

エジプトでは実は、コプトやムスリムという以上に、社会的な階層の差別意識が強くて、ナミールが故郷で貧しく蒙昧な人をだまして撮影した、という批判がすぐに起きたが、試写会に出ていた彼のいとこ(村の男で映画の中にももちろん登場する)が立って、「そんなことは一切ない、みんな合意で楽しんだ」と反論してくれたのが嬉しかったとナミールは言っていた。

実際のところ、完成作では、まるで突然エジプトに行ったナミールが限られた時間で速攻ででっち上げたドキュメンタリーかのように構成されているが、ほんとうは、試行錯誤を重ねて3年かけて撮影したものだそうだ。

だから現地の人々も、ナミールの意図を理解し作品を共に創り上げていく時間があった。

上映の後で、おさない子供2人を連れて家族でやってきたナミール・メセ―と話すことができて楽しかった。

私の質問したのは両親の反応と、モンタージュ中に起こったムバラク政権の倒壊とそれに続くイスラム過激派によるコプトの迫害やテロについてどう思うか、それはこの映画の仕上げにどういう影響を与えたかということだった。

結局、故郷の村自体では、革命後も、貧しさも変わらないものの、これという「迫害」もない。

迫害だのテロなどは、それなりのメディア効果のある場所で起こるのだ。

宗教の問題ではなくて権力や政治の問題なのだろう。

それでも、その犠牲になって死んだ人や亡命した人は膨大な数に上る。

でも、それは権力や政治の問題、経済的、地政学的な問題から来ているのだから、宗教的な地平で解決できるものではない。

こういうところで宗教的な語彙を繰り出してことをおさめようとすると、ますます対立に拍車がかかることになりかねない。

だから、やはり、ヒューマニズムや自由、平等の普遍主義を盾にして、暴力の衝突なしにさまざまな人が共存するする道を辛抱強く切り開いていくしかないと思う。

「本物」ではないとみなが分かっている「聖母ご出現」のシーンを見ただけで、村人たちは、現実のいろいろなことを一瞬忘れて、「聖なる」次元で結びつく体験をした。

それが意味するのは、、「どっちが正しい」とか「真実はどちらにある」とかの問題ではなく、それを超越して人々が一体化し得る地平が確かに存在し得るということなのだろう。

映画による表現はそれを実現するマジックの一つであり、この映画はその手ごたえを確かに感じさせてくれる。
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by mariastella | 2012-10-15 04:25 | 映画

アルベール・カミュの『哲学者たちの即興曲』

カミュの『L’impromptu des philosophes』という芝居を観に行った。

監督はMonique Beaufrère 、出演はFrançois Nervioz 、Yves Alain など。

読んだことのない戯曲だ。1947年頃にAntoine Baillyという偽名で書かれたが発表されていなかったらしい(いまはプレイアドの全集で読める)。

小さな町の薬剤師で市長を兼任しているムッシュー・ヴィーニュのところにムッシュー・ネアン(虚無)という奇妙な男が訪ねてきて『新福音書』という大きな本を持って「新思想」を開陳する。

まず二つの質問がされる。

「宗教は?」

「親にはカトリックで育てられたからイメージは持っている(が今は何も信じていない)。」

この答えに対して、虚無氏は、真実というものは存在しないのだとせせら笑う。

「すべてのことには原因があると思うか」

「ウィ」

これにも、虚無氏は、物事には原因などない、すべては偶然ですべては不条理なのだ、と一喝。

政治的には何かと問われて「共和国主義者だ」と答えると、

共和国主義など幻想だ、共和国主義を支えているのは自由の幻想であり、人は死ぬ時にしか自由になれない、と言う。

つまり、宗教など蒙昧な迷信だが、宗教に取って代わった理性とか人権とか共和国主義などもまた幻想にすぎないというわけだ。

言いかえれば、宗教も科学も普遍主義イデオロギーも、いったん人間がそれを管理して利用すれば、単なる方便や道具になるだけで「真実」とは関係なくなる。

ヴィーニュ氏は共和国の市長だから、自分は理性で合理的な近代意識を体現していると思っていた。

で、理性や合理性は、因果関係を求める。

現象の因果関係が分かれば世界をいろいろと操作しやすいので、人間はいつも因果関係を探ってきた。

それが科学や技術の発展にもつながったのだが、所詮それも限定的で小賢しい智恵に過ぎない。

そうやって「発展」したつもりで環境を壊していたりするし、条件を少し変えると因果関係だの科学の法則などが通用しなくなったりする。

虚無氏はそれを喝破しているのだ。

一方、因果関係がなくても「意味」の関係を求めるのが宗教だった。

しかし大概の宗教は、これも人間が社会をいろいろ操作するのに都合のよいお題目と課している。

で、残るのは、不条理?

この作品は、フランスがカトリック的なベースから神や教会を苦労して廃して「共和国主義」をまさに新しい宗教のように打ち立てた歴史と、科学や技術の進歩思想への過信などに対するカミュの時代の哲学者のスタンスをよく表現している。

「不条理」はもっとも説得力があるように見えてしまうのだが、そこへ行くと出口がなく、「反抗」の姿勢が残るだけだ。

だからそういうのは不毛な危険思想のひとつであり、哲学者などは伝染する皮膚病患者のように隔離しておけ、とか、子供は絶対に哲学者にしないように、などというセリフが結論部に出てくる。

これが書かれてから半世紀以上経過した現在はどうなっているだろう。

「因果関係」の信仰は、前より単純ではなくなった。

海の向こうで蝶が羽ばたけば反対側で嵐が起きるバタフライ効果のように、無数の小さい要素が大きい現象に結実することもある「複雑系」の科学が登場した。確実な未来予測などは不可能だという意味では虚無氏の言う通り「すべては偶然」だということにもなる。

けれども、人間が、宗教の提示する生や死の意味であろうが政治的理念であろうが科学的信念であろうが、その時々にある種の人々にとって都合のいいものを偶像化して「絶対化」し、他者にもそれを押しつけようとする傾向は変わらない。

だから、たまには虚無氏の訪問を受けて「不条理」によって柔軟性を取り戻す療法は古くなっていないかもしれない。
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by mariastella | 2012-10-14 06:24 | 演劇

ビンゲンのヒルデガルト

ここのところ取り込み中で記事をアップする暇がなかったのだけれど、とにかく、記念すべき10月7日に間に合うように少しでも書く。

何を記念するかというと、2012年10月7日、私のお気に入りのビンゲンのヒルデガルト(多少はサイトにも関連記事あり)が、晴れて、教会博士の称号を授与されることである。

カトリック教会「お墨付き」の「教会博士」は、神学上重要な役割を果たした聖人に与えられる称号で、初期キリスト教の教義を確立した神学者をはじめ、聖アウグスティヌスだとかスコラ哲学を集大成した聖トマス・アクィナスだとか、十字架のヨハネのような神秘家など、錚々たるメンバーが名を連ねていて、現在33名いる。

うち3人は女性で、男たちの後に認定されている。

で、34人目で4人目の女性が、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン。

1人目は、16世紀のアヴィラのテレサ、カルメル会、スペイン。

2人目は、14世紀のシエナのカタリナ、ドミニコ会、イタリア。

3人目は、19世紀のリジューのテレーズ、カルメル会、フランス。

スペイン、イタリア、フランスと、カトリック国が並ぶのは不思議ではない。

最初のふたりは激烈な神秘家で精力的に活動した。

リジューのテレーズは短い生涯の3分の1を修道院の中で過ごしたが、反教権主義の渦巻く19世紀末から20世紀にかけての苦しい「近代化」の時代に新しい聖女のモデルを提供した。

で、今回は、13世紀のビンゲンのヒルデガルト、ベネディクト会、ドイツ。

ドイツのライン神秘主義の大御所をドイツ人の教皇が「教会博士」にする。

彼女は、あらゆる意味で大物だったのだけれど、当時のマインツの聖職者たちを批判したせいで、いわゆる正式の聖女の称号は得ていなかった。それどころか彼女は教皇も王侯貴族も歯に衣着せずにその腐敗を辛辣に批判した。男社会だったキリスト教界で、自由と独立の精神を持って屹立したのだ。

ラテン語で著書を残したこともあってすでに有名だったので長い間、準聖女と見なされていたのだけれど、2012年の5月10日、教皇ベネディクト16世が、ついに正式な聖女として普遍教会の典礼に組み込み、28日に、教会博士の称号を贈ることを予告したのだ。

彼女に今日的な意味でスポットライトがあたったのはほんの50年ほど前のことで、ドイツの代替療法である自然療法家による再発見がきっかけだった。今の教皇庁はエコロジーに力を入れているので、その意味でも、21世紀になって、彼女はますます重要な意味を持つことになった。

さまざまな幻視を描き、語り、博物学の重要な著書も残し、作曲家でもあった。

人間の心は体に宿り、魂は心に宿る。心身相関のホーリスティックな考えに、スピリチュアルなディメンションを加えて、健康と霊性を結びつけた。魂に宿るのは彼女が「緑気」と呼んだ生の力で、その考え方はバイオ・エネルギーとか、「気」の考え方に非常に近い。

単独の病というものは存在せず、「病んだ人間」を神との関係でとらえた。

それまで寄生虫駆除や胃痛に効くとだけされていたアブサントをオリーブ油に溶いてクリームにすると肺炎に効くマッサージに使えるなどという具体的な療法も、すべて神から告げられたものだと言っている。

私は、シエナのカタリナについては講談社現代新書の『ジャンヌ・ダルク』などで書いたことがある。

リジューのテレーズは時代が新しいしフランス語だし、ある意味ですごくよく分かる。彼女についても『聖女伝』(筑摩書房)などで書いた。

アヴィラの聖テレサについてもすごく書きたいことがあり、アヴィラにも取材に行ったが、同じ頃にジュリア・クリステーヴァが私の狙っていた切り口で彼女を扱った大部の聖女伝を出版したので、なんだか気をそがれた。

ヒルデガルトはずっと私のお気にいりで、ドイツ人だが著作はラテン語なので近づきやすいし、彼女の軌跡を見ていると、時代も国も人間のタイプも全然違うのに、なんだか、直観的によく分かる部分がある。

ついに公式の聖女となって教会博士になったヒルデガルトについていつかたっぷりと思い入れをこめて書いてみたい。

とりあえず、今日を、記念日にしておこう。
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by mariastella | 2012-10-07 06:26 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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