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« Une famille respectable »Massoud Bakhshi マスード・バクシの『立派な家族』

« Une famille respectable »Massoud Bakhshi

ドキュメンタリー映画作家だったマスード・バクシのフィクション映画第一作で2012年のカンヌで公開された映画『立派な(尊敬に値する)家族』。

イラン映画はどうしていつもこんなにレベルが高いのかと思っていたら、1972年生まれのバクシがおもしろいことを言っていた。

1979年のイスラム革命の後でアメリカ映画の公開がテレビを含めて全面的に禁止されたので、彼らは黒澤やタルコフスキーなどばかり観て育ったと言うのだ。

この映画について、フラッシュバックの手法などが複雑すぎてシナリオについていけないという観客の評価がちらほらとネットの映画評にあったので心配していたのだが、全然問題なかった。

ある意味で、アメリカ映画ばかり観て育った世代のフランス人にはこのようなひねりは難しいということなのだろうか。

話は、15歳でイランを出てヨーロッパで教育を受けて大学教授になったらしいアラシュという主人公が、故郷の大学の招聘を受けて22年ぶりに半年の予定で国に戻るが、兵役免除の書類がないことからパスポートを取り上げられたり、学生にイラン・イラク戦争の記録映画を見せたりして大学当局から警告を受けたり、汚職によって富を築いた父親の死や、異母兄やその妻や息子との関わりの中で陰謀に巻き込まれたりとさまざまな体験をするというものだ。

学生のデモもあり、若者の多い国での自由への渇望は脈打っている。

バクシ自身もイタリアやフランスで学んだ経験があって、その視線は鋭く妥協がない。

ただし、この映画がイランで公開されるかどうかは、当局の許可がいるので確かではない。

しかし、激しい検閲を受けたり20年間の映画制作禁止処置を受けたりする監督などもいる中で、バクシも非難されたが、2013年度のカンヌ映画祭にも出品が決まっているようなので、希望がある。

確かに、直接当局やらイスラム原理主義などを批判するようなシーンはない。ひたすら家族の軋轢や、拝金主義によるモラルの崩壊などが描かれているのだ。

バクシはこの映画をイランの女性たちに捧げると言っている。

実際この映画の中では、主人公の母のおば、母、初恋の相手で異母兄の妻になった義姉、その娘と、女たちは、体制がどう変わろうと、どんな脅迫を受けようと、命を守り常に全人的であろうとする。

それは監督の希望でもあるのだろうが、楽観的すぎる感もある。

監督自身の抱く、男たちへの不信の反動なのだろう。

「不浄」を毛嫌いして、家中を潔癖に掃除しまくる(キッチンの床が水を流せるタイルになっていて、床に直接水を流して丸洗いできるのには驚いた)主婦の姿は、汚職や陰謀など「悪」に対する嫌悪を象徴しているらしい。

でも私にはそれもストレスからくる強迫神経症の痛々しい姿にしか見えない。

ただ、ヨーロッパのキリスト教国でキリスト教は女子供の生活指針としてのツールとして温存しておくという男たちの目線が長いあいだあったのに対して、中東のイスラム教国では、女たちは教義などからずっと自由で強靱な生命力を発しているような気がする。

男たちの方が利権にとらわれて宗教と共依存の関係に陥っているようにも見える。

それにしても、バクシ自身が言っているように、この映画はフィクションとはいっても、ドキュメンタリーを別の手法で表現しただけで、細部はどれもリアルであるらしい。

挿入されるイラン・イラク戦争の報道映画も、町中の祈りの声も、横暴でヴァイオレントでマッチョな父親の家庭内暴力も、女たちの苦しみも、みな、リアルであっても、私の生活実感からあまりにもかけ離れている。

その事実に改めて愕然としながら、それでも彼らとの同時代性をどう共有して自分の生き方にどう反映していくべきかと考えさせられる。そんなふうに思わせてくれる映画は貴重だ。
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by mariastella | 2012-12-29 07:30 | 映画

サンタクロースの話

少し前にフランスのある幼稚園で、今年から恒例のサンタさんのクラス訪問を廃止するという通達が出されて話題になったことがあった。

その公立幼稚園にはムスリム家庭の子どもも多く、キリスト教の行事を子供に押しつけるなという親からのクレームがついたからだそうだ。

このニュースが取り上げられると、クリスマスやそれにまつわるいろいろな「子供向けの行事」はフランスでは日本の正月のような伝統行事なのだから、それに対して宗教の文脈であれこれ言うのはおかしい、それこそフランスをイスラム化しようとするイスラム原理主義による介入だ、などとという声があがった。

実は、毎年、これに似た事件はフランスのあちこちで起こっている。

この件は、教育委員会が「サンタクロースは宗教(キリスト教)ではなくて異教のキャラであるから関係ない」というこれも変な見解を出して、結局、サンタさんのクラス訪問は続けられることになったようだ。

では、普通のフランス人に「サンタクロースって何?」と聞くと、「子供のためにつくったお話のキャラ」などと言う人もいた。

フランスではサンタクロースはPère Noël とかPapa Noël とか呼ばれる。

サンタクロースの語源( ?)の聖ニコラウスはサン・ニコラと言って、確かに子供たちにプレゼントを配りに来る伝説の聖人であるが、その祝日は12月6日で、その日にプレゼントを配ったり、聖人型のブリオッシュが売られたりということは、地方によっては今でも根強くある。

それに対して今や「全国区」の「パパ・ノエル」の方はどうだろう。確かに「サンタ」という「聖人」のタイトルもついていないし、フランス語ではクリスマスを表す「ノエル」という言葉自体も、「誕生」という意味だから、「キリストのミサ」っぽい「Christmas=クリスマス」ほどにはキリスト教的ではない。

冬至の頃に大人にも子供にも鞭をふるう怖いおやじのようなゲルマンの「ナマハゲ」キャラもあるので、「サンタクロースは異教のキャラ」と言ってしまう人もいるわけである。コカコーラの宣伝が起源だとか、商業ベースのキャラであると言ってしまってはますます子供たちの夢をこわすからかもしれない。

今年は学期末が21日の金曜に当たったので、実際、あちこちの幼稚園でサンタクロースが現れた。

子供一人ひとりの名を呼んで、プレゼントを渡すが、すぐにクリスマスツリーの下に置いておき、クリスマスの朝になるまで開けないこと、という条件もあるらしい。
イヴの夜のサンタさんは別枠の戸別配達で忙しいから子供たちには会えない。
で、クラスにやってきた特別のその日には子どもたちはサンタさんに抱きしめてもらえる。

そのサンタさんがインタビューされているのを見たが、子供たちの感動を見たサンタさんの方が感動して胸を詰まらせていた。

何かを与えに行ったはずの人が、相手からもっと多くのものを与えられる、という典型的なシーンだ。

こうなると、サンタさんは子供たちのためというよりも、子供たちのすなおな喜びを分けてもらえる大人のための存在かもしれない。

ひとこま風刺マンガにこういうのがあった。

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イヴを過ごすためにやってきたらしいおばあちゃんらしき婦人に、その息子らしきパパが「子供たちももう大きくなったから、サンタクロースのことを説明することにしたんだよ」と言っている。

その横で2人の子供を急かして「用意できた ? みんないっしょに深夜ミサに行くのよ」と言っている母親。

ツリーの後ろでは、子供たちが言っている。

「えーと、ぼくらは…」「神は存在しないってことを大人たちにいつ話す ?」

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史実としてのイエスの誕生日が12月25日でないことは常識だし、ベツレヘムの馬小屋で生まれたということの信憑性も少ないし、誕生にまつわる他のあらゆる「神話」も、真偽の検証のしようがないことはみんな知っている。

それなのに、大人たちが子供たちを連れていく教会のクリスマス・ミサでは必ず「馬小屋」の飼い葉桶に赤ん坊のイエスが寝かされる。星が光り、天使が舞う光景が毎年想起されて、大真面目に讃美歌が歌われるのだ。

そんなことを続けるのなら、大人たちが子供たちに「サンタクロースは存在しない、サンタクロースとは実はパパとママなんだ」などとわざわざ「打ち明ける」必要なんてあるのだろうか。

子供たちのサンタクロースやクリスマスの喜びを生んでいるのはサンタの存在証明などではなくて、「期待」と「確信」なのだ。

考えてみると、起きている時には目に見えないけれど、信じて待っていれば眠っている間にプレゼントを置いていってくれて目覚めればそれを確認できる、などという仕組みは、この世では姿が見えないけれど、この世での生を終えて天国に目覚めればその姿を確認できるというキリスト教の神さま観と同じだ。

サンタクロースを通じて、子供たちは目に見えないものの存在を「信じて待つ」というキリスト教の基本を学ばされているのかもしれない。
幼稚園のクラスに限定的に現れて子供たちを抱きしめてくれるサンタさんの姿は、神が人となってこの世に限定的に現れてくれたイエスの生誕を祝う心と重なるのかもしれない。

だとしたら、起源がなんであろうと、クリスマスとサンタクロースとがセットになって現れるのはうまくできている。

「サンタクロースは実在しない」などと子供の夢や期待を打ち破っておいて、幼子イエスの誕生だけを祝えというのは難しい。

夢や期待は「実在性」に左右されるのではなく、「信じる」かどうかに左右されるのだから。

キリスト教の「人となった神」は、この世で権力をふるったわけではなく、「無償で人々を救いたい」というスタンスで生き、あげくに、そういう善意の人々がしばしばみまわれるような悪意の犠牲になってあえなく惨殺された。

だからキリスト教の「信じる」は、「無償で他者に与える」という「愛」に支えられていないと本物ではなくなる。

でもこの「無償で他者に与える」というのはなかなか難しい。

それが比較的簡単なのは、「小さな子供たち」を対象にする時である。

だからクリスマスには、親たちも「パパ、ママ、ありがとう」という言葉を必要とせずに「匿名」でプレゼントしようとするのだろう。

教会へ行けば、十字架上で苦しそうにしているキリストを見上げて「私たちの罪のために御苦労かけて申しわけございませんねえ」と恐縮する代わりに、寝かされている幼子イエスをやさしく見降ろして「お誕生日おめでとう」と笑いかけられる。

考えれば考えるほど、「みんながハッピー」の可能性を持った行事である。

キリスト教国でサンタクロースを信じている子供たちと近所の教会にクリスマスのミサに行ける家族って、うらやましいかも。

みなさん、メリー・クリスマスemoticon-0123-party.gif
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by mariastella | 2012-12-23 01:41 | 宗教

宗教と社会 その2

この前の記事の訂正と補足。

義妹と北駅近くのインドレストランで食事した。国民議会の公聴会に招かれたムスリム代表はイマムではなく信者代表だったそうだ。

招かれる基準は、フランス全国を代表するということで、フランスのイマムにはそれぞれの地域のイマムしかいなくて全体のトップという立場の人がいないので信者代表が選ばれたわけだが、彼の言うことはイスラムの宗教者の見解とは直接の関係がない、というのが宗教者側の見解だ。

ユダヤの方は、フランスの大ラビが出ていたのだが、この人はいわゆる信者組織の代表とは結構対立していて、ラビの数より信者の数の方が多いのに、信者代表が選ばれないのは納得がいかないという立場だそうだ。

当然だが、宗教界の代表たちと言ってもみな一枚岩などではない。

同性婚容認法案の後には、安楽死を合法化する法案が控えていて、これについても宗教者代表の公聴会があるはずだ。
こちらのテーマに対しては、他の一神教系(カトリック、プロテスタント、イスラム、正教、ユダヤ)は「条件付きで容認」に近いスタンスだそうだ。

義妹の方は、仏教者代表として「絶対反対」である。

同性婚の場合と同じく、一神教VS無神論的立場の差がくっきりと表れている。

安楽死=死の床で苦しむ人の自殺幇助とは「殺生」であるのだから仏教的には全く容認できない。

死ぬ前に苦しんだとしてもそれもカルマの結果であるから、そこに自殺を望むというような悪いカルマを付け加えたら来世はもっとひどいことになる、この世の生は死もふくめて最後まで受け入れなくてはならない。

そもそも死を恐れるのは死の後に何もないと思っているからだ、という。

私は、でも、たとえ死後の世界があると信じていても、いや、次があると思うならなおさら、事故や老いや病気などで痛んだりボロボロになったりした体から早く離れて自由になって次に進みたいと思うのでは、と質問した。

すると、今の痛みを苦しみと感じるようでは自由からは程遠いので、本当に覚醒すれば、痛みは痛みとして受け入れられるものだ、その時には肉体があろうとなかろうとどんな状態であろうとすでに自由なのだ、と言われた。

逆に今のカルマを受け入れられないなら、今よりもっと恐ろしい死後の世界が待っているかもしれない、と。

私は痛みに弱いから、痛みが去らないまま死ぬならその時間は短い方がいいと考えることに共感してしまうが、今は痛み止めの方法が進化しているから、「死にたい」と言っていた人も痛みがとれると「もっと生きたい」と思うものだそうだ。それは、安楽死以外の痛みの消失があるならその方がいい。

義妹のラマである高僧ゲンラ(本名は伏せる)は今スイスにいる。

教義を民主主義的多数決で整理していこうとするダライラマと彼が対立していることは前に書いた

彼はチベットが中国に侵略される前に最高の教育を修了した最後の世代である。

ラサの僧院は中国の政策によって深刻な打撃を受けたし、インドの亡命政府やインドにできたチベットの僧院でも、伝統を継承させ続けていくことは困難である。

けれども、もともと広大なチベットの東側で前から中国の「支配下」にある地方の僧院は、共産軍のラサへの侵攻やダライラマの亡命などの政治的事件の影響をあまり受けなかった。

だから、哲学としての仏教の真髄が、どこよりもしっかりと受け継がれているそうだ。

その地方のあるラマが、ゲンラが2年前から発信しまくっている呼びかけに呼応して、2人はスカイプで長々と話を交わす仲になった。

まだ50歳前後の若くて力のある世代のラマがが、しっかりとゲールク派の伝統を受け継いでいることを知ったゲンラ(ゲンラは86歳)は喜んだ。

そのラマが二週間のビザでスイスに講演に来たので、ゲンラが会いに行ったのだ。

確かに、ヨーロッパで千年も権力闘争に関わっていたキリスト教がいろいろな分派だの改革だの近代化だのを重ねていったことと、チベット仏教が侵襲されて、共産主義と民主主義の両方から「近代化」を押しつけられて変質するのとは文脈が全く違う。

その意味で、ゲンラやその弟子の義妹らが「伝統」を死守しようとしているのは、キリスト教なら「保守主義」とみなされるだろうが、むしろ革新的にさえ見える。

特に、フランスで、ぎとぎとの「一神教」的環境にもまれている「一神教」出身の義妹のような仏教者は、ほんとうに「無神論」的なスタンスを平気で表明するからだ。

私もフランスでは「仏教は宗教ではない、哲学だ、生き方のマニュアルだ」、とか言われているのを昔から嫌というほど聞かされてきた。

でも、どうみても、たとえば、冠婚葬祭、特に葬送儀礼において庶民の生活の中で仏教が日本において果たしている役割とカトリックがフランスで果たしている役割とは重なっている。

難しい神学や教説や建前はどうあれ、普通の人は、苦しい時に神仏に祈ったり、すがったり、生と死の境界において自分の属する共同体がある程度共有しているシェーマを頼りにして慰め合ったりしているのだ。これが宗教的でなければなんだろう。

フランスでは政教分離法があってアルザスロレーヌ以外では政府が宗教に助成金を与えることはないけれど、ベルギーでは助成金がある。

ベルギー王室は伝統的にカトリックなので、カトリックに特権がないと言えばうそになるが、とにかくどんな宗教でも、一定の基準を満たしていて政府に宗教だと公認されれば決まった助成金が出て、プロの聖職者の生活はある程度楽になる。

もっともそのベルギーでもフランスにならってその制度をやめようという論議もあるのだが、その恩恵を受けている仏教者の間でも、我々は宗教ではない、哲学でありスピリチュアリティ(霊性)なのだから、助成を断ろうという動きもあるそうだ。言いかえれば、助成金を受けていたら宗教と見なされるわけでそれに違和感があるらしい。

フランスの仏教は、カトリック、イスラム、プロテスタントに次ぐ四番目の宗教だが、信者のほとんどは仏教国出身のアジア人だ。

義妹のように元カトリック(というか他に宗教の選択などない環境であり、小教区がいわば町内会という町の出身である)のインテリが仏教に帰依して学僧になったケースでは、当然、フランスにおける何世紀にもわたるカトリック教会と世俗との対立だとか妥協だとかの全歴史をかいくぐった無神論の洗礼を受けている。

彼女は異宗教間対話にもしょっちゅう駆り出されているので、彼女に対するカトリックの聖職者たちの対応も興味深い。宗教と社会の関係というのは、案外、そういう個々の人間の心理のすり合わせに露わになってくるものかもしれない。
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by mariastella | 2012-12-21 06:41 | 宗教

フランドル派の風景

リールの美術館でやっている二つの展覧会について。書くのが遅くなったが、1月14日までやっているので、観に行ける人はぜひどうぞ。

パリ北駅からTGVで一時間足らずだし駅からも徒歩で行けるので日帰りで十分見られる。

それにパリの美術館の特別展より安い。6ユーロ50で

Fables du paysage flamand /Bosch Bles Brueghel Bri
l(フランドル風景の寓話)

Babel (バベルの塔をメージした作品展)


の二つが見れて、聞き取りができない人のために文字のヴァージョンもある最新式のイヤホンガイドが1ユーロで借りられる。
市長のオーブリ―女史が社会党の大統領候補プレ選挙の時に大型文化予算をとると公約していたのもまんざら嘘じゃないんだなあ、と思う。

このくらい興味深い展覧会なら、日本的な感覚なら東京でもやるんじゃないかと思ってしまうが、これはリール独自の企画で、パリではやらないという話だった。

私が最も知りたかったのは、たとえばボッシュのあのシュールで幻想的な絵が、当時の人の目には一体どのように映っていたのだろうか、ということだった。

ボッシュの絵に出てくる不思議な動物やら不思議な植物やら、人や動物の顔を連想させるやたらオーガニックな風景などは私の子供の頃の日本でもすでによく知られていた。

悪魔的で倒錯的で怪物的なテイストはインパクトがあり独特な印象を残していたが、ボッシュがレオナルド・ダ・ヴィンチと生没が重なるルネサンスのほぼ同時代人だという意識はなかった。

ダ・ヴィンチの画はさらに有名だったが、いかにも西洋ルネサンスの典型的名作という感じで刷りこまれていたので、ボッシュの自由で怪しい造形が、まさかダヴィンチと同時代の同文化(キリスト教文化圏という意味)だということは実感したことがなかったのだ。

今思っても、ボッシュの絵に出てくるさまざまな造形は、昨今のゲームの世界のキャラと親和性があるくらいに現代性がある。

実際、リールの美術館ショップにも不思議な動物のフィギュアが販売されていたけれど、まったく古さを感じさせない。このセンスは一体ボッシュ独特のものなのか、そして、当時の人たちはこれをどのように見ていたのだろうか。

いろいろな答えがある。

まず、キリスト教世界ではカーニヴァルなどの特別なガス抜きの時期を除いて、天地創造をした神の秩序を乱すような表現はタブーだったことだ。半獣半人などという姿や、神の創ったさまざまな動物の部分を合体させたような動物を人間がかってに合成するのも冒涜だ。

また、人間は神の「似姿」として創られたのだから、美しい均斉が求められる。

もちろん「原罪」によって「似姿」状態から一度は失脚したのだから、不均衡はすべて罪や悪や誘惑を連想させる。

奇形の体(teratomorphe)というのも、だから、地獄の含意と共に表現されるのだ。

これは、たとえばインドの神々だとか、マヤの神殿などで、そもそも「超自然」でこの世で実際に目にしない形や組み合わせを畏怖の対象である神像として堂々と視覚化するのとはかなり違う。

タブーであるからこその、あやしいが生き生きした感じがあるのだ。

次に、これらの絵が、広く民衆の教化のために描かれた聖像ではなくて、ブルジョワや貴族たちの個人の注文によって描かれたもので、基本的に個人の所蔵だったことだ。

つまり、これらのタブーの絵柄や怪物の姿に魅惑されたマニアがいて、気に入ったモチーフを何度も執拗に描かせたらしい状況がある。

模写もたくさんあり、さまざまなヴァージョンがあるのだ。

強迫的になほど細部の書き込みがあるが、みな「個人が時間をかけて何度もじっくり眺める楽しみ」を想定しているのだとしたら納得がいく。

実際、この展覧会のポスターにもなっているボッシュ(の作品を摸したものらしい)の『楽園』という作品などは、3メートルくらいにまで拡大されているものもあるのだが、実際のものはたった24.5x19.5という小ささだ。

小さいと言えばブリューゲルの作品もたいていは小さく、日本の学校の教科書にもよく載っている冬の風景(息子)など、すごく情景が細かいのに33x57センチくらいしかない。

ブリューゲル(父)は、実際、細密画の名人として知られていたので、有名な四代元素の絵の『火』
の左端にある装飾品の描き方などはまさに職人技だ。

こういうのを見ていると、日本ならサイズ的にも「絵巻物」のイメージなのだが、板の上の油彩だというのに驚く。

風景の独特さや描き込み方の異常な緻密さと豊饒さのもう一つの理由は、この時代が大航海によって「新世界」のさまざまな新しい動植物を発見した時期で、いわば博物誌、百科事典のようなものを一つの画面に網羅することが求められたことだ。

そしてそれらの動植物が満載されている風景も、いわゆるWeltlandschaft(世界風景)というやつで、空あり山あり岩あり海(川、湖)あり、森あり村あり畑あり、建築なら世俗のシンボルの城もあれば聖なる教会もあるといった具合に「万物」が所狭しと描きこまれる。

点在する人間の活動も狩りやら農耕やらいろいろだ。

その風景の中にもまた人間の顔の形が隠れているなど、ルネサンスのミクロコスモスとマクロコスモスの対応の思想がよく現れている。

古典的なイコノグラフィのコードに従うのではなく、いろんなところにいろんな仕掛けがしてあって、まるで複雑なほどいい、という饒舌ぶりで、「絵解き」の趣向がはっきり見て取れる。

もちろん表向きは、被造物である自然という、「神によって書かれた書物」の解読が目的である。

だから、画のテーマが何であろうと、舞台装置はすべて「宇宙」なのだ。

実際は、そのような細密な名人芸によってびっしりぎっしり描き込まれた情報を「所有」することが有産階級によって欲望され、発注され、彼らの期待にこたえたからこそ作品群が生まれたのだろうが。

19世紀以降には、それらの風景があまりにも意味ありげなので、絵のテーマや人物像は単に風景を担保するだけのものなのではないかと解釈されてきた時代もあった。

しかし、神話や聖書や聖人伝のシーンは、作品の口実などではなくて、風景と共に、すべてを包含する有機的な全体を構成している。

エラスムスの影響が大きいHenri Bles(ヘッリ・メット・デ・ブレス)の Montée au Calvaireは十字架を背負ったイエス・キリストのゴルゴダへの道行だが、やはり小さい画面に驚異的な密度で風景や情景が描かれているのだが、中心人物であるはずの、十字架の重さに膝をついて倒れたイエスの姿は、とても小さく、しかも後ろ向きでお尻を向けている。

市に買い出しに行く風情のフランドルの人々はその様子を遠くから画面の前景でながめているだけで、画面の主役は、エラスムスも言及する海の怪物セイレーンを思わせるカルバリオ山の岩の形だ。

ともあれ、見渡す限り平野の広がるフランドルの風景を見慣れている人々にとっては、山、海、森、村、畑が隣接するこのような風景は、さぞや強烈な、非現実的なインパクトがあったに違いない。

この点については、日本人が見ると、海岸に山が迫っていたり村や畑もすぐそばにあるというような風景はむしろ見慣れたものだから、普通にリアルに見えてしまうのがおもしろい。

だからそこで起こっている出来事のディティールによけいに目が行ってしまう。

すべてが演劇的である。

個人的に好きなのはSimom de Meyleの『アララト山のノアの方舟』で描かれる方舟から出てきた動物たちの様子だ。

40日ぶりに陸に上がった動物たちはそれぞれの生態を繰り広げている。どの動物も種族保存のためにつがいで方舟に乗ったはずだが、ライオンなんて上陸するとさっそく馬を襲っている。

それでは馬が繁殖できなくなるかと心配だが、方舟からまだひとつがいの馬が下りてきているから、ライオンに襲われたやつはもともと食料要員だったのかもしれない。

そんな中で右下のネコだけがちゃっかりと魚をくわえているのも楽しい。

なるほど大洪水で陸の獣は絶滅の危機にあったが、魚たちは別に困らなかったので、水が引いた後にたくさん打ち上げられていてネコちゃんも満足なのだろう。

エキゾチックな動物たちも、多分想像で描いているだけなのに、えらくリアルなタッチでたくさん登場している。

このような風景の描き方を説明するもう一つのヒントは、フランドル派の画家たちもイタリアで修行してきたので、イタリア演劇の芝居の舞台背景の影響を受けているということだろう。

風景のパースペクティブの色使いや、切り取り方が、芝居的なのはそのせいだ。

これは即、その後の時代にフランスのバロック・オペラで花開いたからくり仕掛けやら大道具らを思い出させる。

私は『バロック音楽はなぜ癒すのか』でパリ郊外にあるコンデ城のことをレポートしたことがあるが、まさにあの世界でもある。

だまし絵の伝統も欠かせない。

最近、バロックつながりで知り合いのセシル・クータンが早稲田大学の演劇博物館でカムフラージュと舞台美術についての講演をするために日本に行った。彼女は、フランスが第一次大戦の時に、軍隊の迷彩服や、兵や大砲を隠すためのさまざまなカムフラージュのために当時のアーティストを徴用したことについての興味深い本を出したところだ。

ある効果を狙って人工的に精緻に自然を再構成するというフランス・バロックのお家芸が「だまし絵」の伝統と結びついた例である。

フランドル風景画における内的ビジョンとリアルとの葛藤、ミクロコスモスとマクロコスモスの並列、現実と非現実の融合、ポエジーとアレゴリーの共存、ディティールと全体の拮抗などは、まさに、フランス・バロック・オペラにおける演劇的世界観と共通しているのだ。

しかし、いくら背景が宇宙的であり、ディティールが練り込まれているといっても、そこで展開されている活動が総花式ではなく一つのテーマに絞られていながら、細部の量だけで迫ってくる場合には、演劇的というより、細部に宿る執念の発する臭気のようなものにあてられてくらくらする。

たとえばブリューゲルの『イッソスの戦い』のような作品は「群像」などというレベルを超えている。

これを見てるとなんとなく会田誠さんの『灰色の山』を思い出した。

こっちは細密画どころか3mx7mの大作だそうで、実物を見たことがないので、積み重なってボタ山のように山の稜線をなす背広姿のサラリーマンの死体のサイズはわからないけれど、量と質の転換点とか、ディティールと全体の拮抗という意味でつい連想してしまった。

この会田さんは毎日細かい絵を描いているとストレスがたまると言っているのだが、こういう精密作業を楽々、延々と続けることができる人だっているのだろう。

リール美術館のもう一つの展示「バベル」でも、そういう偏執的な細かいこだわりがあふれる作品がたくさんある。

バベルの塔は天まで届くようにと建設が続けられたのだから、壮大で、そこに働く人間の姿は相対的に微小だ。

しかも、神罰とか崩壊とかいう終末論的ビジョンが当然ともなう。

そのような飽くなき欲望と挫折やカタストロフィにこだわるイメージは、デジタル写真やCGアートでは自在に合成したりリピートしたりして展開可能だから、野心的な作品がたくさんある。

しかし、そんな中に、ぎょっとするほど生の「ディティールだけ」という作品があった。

ミニチュア・フィギュアの兵士や骸骨やらがグロテスクに折り重なってぎっしり詰まっている。全体はかなり大きい。(215x127.5x127.5)

(次のようなブログをスクロールしていくと出てきます。)
http://www.les-lectures-de-cachou.com/categorie/les-expos-et-visites/
http://www.artabsolument.com/fr/default/exhibition/detail/1447//Babel.html
http://dandylan.canalblog.com/tag/Lille (7/17のところ)

部分の情景はあまりにも細かいので近くに寄らないと何があるのか分からない。

そしてディティールのそれぞれに繰り返しがなく、すべてに丹念な「演出」と「構成」があるのに驚き、それでいて、不思議と、有機的な「全体」のイメージは生まれない。

背景がないわけではないし、個々の部分を支える大道具も小道具もそえられているのだが、「全体」はなぜか、常に部分のおぞましさへと還元される。

リアルな細部で起こっていることがいつか全体のイマジネールに結晶していくという感覚は持てない。

ナチスのホロコーストをイメージしたというが、人間の悪意とか、残酷さとか、サディックな倒錯ぶりをこれでもかこれでもかという感じであれこれ工夫しながらグロテスクな光景を繰り広げては並べ、積み重ねる。

あまり驚かされるので、じっくり眺めてしまうことへの罪悪感とか怖いもの見たさへのうしろめたさなどすら感じる余裕がない。

こんな気持ちの悪いものを見たのははじめてだ。

こんなものを制作する人の正体を知りたい。

Jake & Dinos Chapman というイギリス人の兄弟だった。

作品タイトルはNo Woman No Cry という。

もともとエログロで挑発的な作品を出している人たちのようだが、ここまで細かくて数が多いと、アイデアやコンセプトとは別の何かが彼らを突き動かしているのではないかと思ってしまう。

同じことをデジタル処理画像などでやるのならどうということはないが、一体一体のグロテスクなミニチュアを情熱をこめて制作していくというのは、ほんとうに「全体」への志向に支えられてできることなのだろうか。

実は、この作者が誰だろうと考えた時に、なんとなくイギリス人かなあと思った。

なぜだかダミアン・ハーストのホルマリン漬けアートのことを連想したからかもしれない。

調べると、チャップマン兄弟もハーストと同世代だ。

人間がバベルの塔を建てようとしては壊したり壊されたりしてきた歴史の中で、ルネサンスから21世紀までのアーティストの心の風景がどのように変容してきたのかに想いを馳せるのはとても興味深いことだ。

でも、目をそむけたくなるような「普遍」も、確かに、ある。
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by mariastella | 2012-12-10 05:52 | アート

南蛮文化館 (続き)

毎年5月と11月だけ所蔵作品を展示する大阪の南蛮文化館では、安土桃山の南蛮文化時代の工芸品が日本の七宝螺鈿蒔絵細工の黄金期と重なっているのを見ることができる。

偶然この黄金期が南蛮文化到来の時代と重なったので、キリスト教用品や家具もどんどん発注されて輸出された。今はそれを逆輸入したものを見ることができるのだ。

しかし、螺鈿細工とキリシタン工芸があまりにもシンクロしたので、キリシタンが禁じられてからは、螺鈿はキリシタンを連想させて危険だということで、この華やかな装飾は急激に姿を消したのだそうだ(南蛮文化館の方が解説してくれた)。

その後で東京の根津美術館で柴田是真展を見て、是真が江戸末期から明治に西洋美術と接して新しいスタイルを確立していく過程をながめると、蒔絵細工が、キリシタン文化が廃絶された反動もあって、どのように侘び寂び系に変わっていったのか、それがまたどのように西洋化していくのかが分かっておもしろい。

しかし、ある意味で、十六世紀後半の日本の美術や工芸に南蛮文化が刻んだ影響は強烈だったので、政治的理由でその後、形は変わったとしても、日本文化はそれ以来、深いところで決定的に変容したと言ってもいい。

もちろん、シルクロード以来、西からやってくる文化が東の果ての島国に入って新しい文化を形作ってきた連鎖が「日本文化」なのだから、「純粋の大和文化がキリシタンによって汚染された」などという話ではまったくない。

ただ、日本は島国でその先が太平洋で行き止まりだったから、西から多様な文化が入ってくるとそれがじっくりと練り上げられて、それまであったものを応用、援用しながら錬金術が展開されていったのは事実だろう。

それは、南蛮から伝わった銃砲の技術がまたたくまに美的にも実用的にも洗練されていったことからも分かる。

螺鈿の技術にも、西洋家具やキリシタン用具による要請によって、新しい養分を補給されてわっと爛熟したような面がうかがえる。

南蛮文化との接触は、職人たちにとってさぞや刺激的なものだっただろう。

キリシタンはセミナリオにおいて西洋楽器や西洋絵画も学んだ。

日本人によるはじめての油絵が描かれたのもこの頃だ。

麻布油彩の聖ペテロ画像は、南米から伝わったと思われていたようだが、実は17世紀初頭に日本人によって描かれたものであるらしく、まるでルネサンス聖画のようだが、キリシタン禁制後はなんと「出山釈迦図」として伝わったことで保存されてきたらしい。

とはいっても、日本は中国と同様、文字も絵画も軟筆を使用する文化だから、知識階級と画師は重なることが多い。

つまり、西洋のように硬筆のペンで文字を書く階級が、軟筆で面を描く絵師に絵画を発注する、という形の分業が確立しない。

中国文化圏では一枚の紙に一人の人が書と画を組み合わせることが普通にあったからで、その代わり、画は必然的に描線中心になる。

もちろん襖絵や屏風絵のように広い面積の装飾画を制作する職人はいたけれど、書と同じ筆勢で描線や輪郭線が重視される伝統は、その後のコミック文化にまで連なっている。

おもしろいのは、宣教師たちが持ち込んだ聖画の数が限られていたので日本の信者たちがそれを模写して祭壇画にする場合に、木版油彩であっても単色の線描画になっていることだ。

南蛮文化館に行ったちょうど前の日に、奈良の大和文華館で「清雅なる仏画-白描図像が生みだす美の世界」という特別展を観た。

画も文字も毛筆で、時には同じ紙に神仏の姿と名や属性が描かれる。

宗教上の崇敬対象になるものについてこれほどまでに白描図像の伝統がある国なのだから、突然、面や陰影重視の西洋聖画が入って来ても、またその技法を教えられても、必要に迫られた聖画の模写が自然と線描になったのは不思議ではない。

それでも、南蛮美術の到来によって、日本の美術のDNAはどこかで確実に変異した。

その変異の流れは、表向き宗教と分離し、カトリックのように聖画が蔓延しないプロテスタントのオランダとの交易によって、ひそかに種火に空気を送られながら、幕末や明治になって息を吹き返して新しく進化したのだ。

その過渡期に生きた是真の作品をみるとその一つの流れが分かるし、今回原宿の太田記念美術館で前半展示と後半展示の両方を観ることができた月岡芳年の浮世絵の画風の変化を見ても別の流れが分かる。

逆に、19世紀の末、日本の浮世絵の線描のインパクトはヨーロッパ絵画に衝撃を与えた。

是真の作品はウィーンやフィラデルフィアやパリの万博で絶賛された。

欧米におけるジャポニズムの衝撃があれほど大きかったのは、それが実は、すでに16世紀後半に起こっていた白描図像と南蛮文化とのハイブリッドであったからなのかもしれない。
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by mariastella | 2012-12-09 04:41 | アート

日本の聖母子像 - 浴室の聖母と西王母

この秋に日本で二つの印象的な聖母子像を見た。

一つは橋本明治の『浴室』。

国立劇場の2階には日本画の大家の作品がずらりと並んでいて、至近距離でもじっくり見ることができる。

その中のひとつで昭和27年の作。どの作品にも作者のコメントが付いているのはとても興味深い。
で、この作品には

「 浴室の母子像はかねてから一度、聖母を何らかの形で描いてみたいと思っていたことで、この作品ができたわけであります。母親の子供への愛情をポーズの上で強調しながら情緒的にならないよう苦心したつもりです。」

とあるのだ。

だから、明らかに聖母子像と言える。

橋本明治さんがキリスト教徒、カトリック信者だったのかどうかは知らない。

浴室の母子はもちろん裸で、床には赤と白のひし形のタイルの模様が奥から前に並び、後ろの壁には四角の白いタイルに八角の模様が入っていて真ん中に緑のひし形が離れて並んでいるかのようなモチーフの繰り返し。母子の肌色には同じ緑の影があり、その緑の影は赤と白の床にもおちている。
とてもきれいな色だ。
母子は茶色の髪で西洋風。聖母は片膝を立てて、床に立つ幼子をいつくしむように支えている。

もう一つは、大阪の南蛮文化館にあった『西王母』という聖母子像。

この聖母は観音菩薩風の装飾をつけていて、両脚は半跏思惟像のポーズなのだが、「浴室の聖母」と同じ立て膝に見えなくもない。

右手は親指と中指で印契を結びながら右脚に添えられ、左手で子供を支えている。

キリスト教文化の伝統があろうとなかろうと、最初に宣教師たちと接した日本人たちが聖母像に惹かれたように、聖母子(幼子とセットになった時、すぐに「母」と分かる)の姿は、日本人の感性にすんなり受け入れられてきたようだ。

日本に最初に入ってきたのが聖母子像なしのプロテスタントだったら、日本のキリシタンの歴史も変わっただろう。

南蛮文化館ではいろいろ考えさせられたので続きは次回に。
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by mariastella | 2012-12-05 23:46 | アート

クリスマスの馬小屋

クリスマスの月に入った。

カトリックでは待降節、「馬小屋」に生まれてくる赤ちゃんイエスを待つわくわくする季節(といっても、典礼的には終末の時に想いを馳せる二重の時間が流れる)なのに、B16(現ローマ教皇ベネディクト16世)がつい最近出した新刊『ナザレのキリストの幼年時代』には、イエスの誕生のそばには動物はいなかった、とある。

じゃあ、世界中のキリスト教国にあるクリスマスの風物詩である「馬小屋」セットはどうなるんですか。

ヴァティカンにも巨大「馬小屋」舞台が設置されるし。

こんな時期にこんなことをあっさり書くなんて、空気を読めないというか、いかにもドイツ人教皇っぽい。

ベツレヘムでの誕生説の異論は新しいことではないし、馬小屋での誕生風景は神学とも関係がないから「民間信仰」ということで問題ないのだろうけれど。

その他にも、6世紀にキリスト教のカレンダーを計算したDionysius Exiguusが計算間違いをして、イエスの誕生年は、ドイツのケプラーの計算に基づくなら紀元元年より6、7年は早いはずだとも言っている。中国の暦で計算すると4年のずれであるらしい。まあこの「ずれ」については、すでに3、4年分はこれまでにも指摘されていたので、そんなに驚かない。

降誕祭の日付の12月25日に至っては、太陽神が再生する冬至の祭の時期にあとづけで設定されたというのもよく知られているし、まあ今さら、牛だの馬だのロバだのがいてもいなくても、伝統は伝統でいいのかもしれない。釈迦涅槃像にも釈迦を囲んで嘆く動物たちの姿が欠かせないように、動物たちの無垢な視線というのは救いを求める人の心をなごませる力があるのだろう。

86歳になるB16にとって今年はひどい年だった。

側近が非公開文書をジャーナリストの手に渡していたというスキャンダルが発覚して、まあ、内容的にはそうショッキングなものはないと私は思ったけれど、その「裏切り」が前代未聞だった。

その気になればどんな貴重な手書きの文書でも簡単にコピーされたりスキャンされたりして一瞬で世界中に配信されるような時代、情報が商品になる時代、というのと、B16の中で流れている時間はまったく異質だ。

2015 年のミラノ万博にヴァティカンが公式に出展して、106番目の参加国になる(単発ではこれまでもヨハネ23世がNYの博覧会にミケランジェロのピエタ像の貸し出しを許可するなどの例があった)という決定をB16ではなくて、ミラノ大司教が主導したという話から、次の教皇候補の噂もあれこれ出始めている。ハンガリーの枢機卿やカナダの枢機卿らの名も挙がっている。

そういえば、フランスのサルコジ時代に、ハンガリーの枢機卿がハンガリー亡命貴族の父を持つサルコジにすぐに会いに来ていた記憶がある。

そういう行動力やメディア力、政治力がある人が有力候補なんだろう。カナダの枢機卿はラテン・アメリカに強いということだ。

このぶんでは、ひと頃注目されていたブラック・アフリカの枢機卿たちの出番は、まだまだ先になるに違いない。
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by mariastella | 2012-12-03 05:40 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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