L'art de croire             竹下節子ブログ

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フランス軍がトンブクトゥーを「解放」した

フランス軍が、マリの北部でジハディストに占拠されていた主要都市のトンブクトゥーを意外に早く「解放」したというニュースが流れた。

もちろん、フランスのメディアは、フランスに泣いて感謝する住民の様子、この10ヶ月の「悪夢」の様子を熱心に報道している。

戸外でタバコを吸っていただけで子供から引き離されてとらえられた母親とか、公開の場所で麻薬を投入された後で手や足を切断される処刑をされた人々のこととか、全身をヴェールで覆わずに外出して鞭うたれた女性の話などだ。

フランス軍が来て、それらすべてから解放されて恐怖が去り「自由」が戻ってきた、と人々が喜ぶのは多分本当だろうし、それを見て、フランス軍の兵士が介入した甲斐があった、とにこにこしているのも理解できる。

昔からの交易地であるからイスラム圏といってももともと自由な気風の都市だったろう(サウジアラビアでさえ、港町ジェッダなどでは今でもリヤドなどに比べるとずっと自由であるそうだ)。

ヨーロッパの他の国も、脆弱なマリ政府への軍事訓練や武器提供に向けて動き始めた。

ただし、この光景を見ていると、原理主義ワハビストの拠点であるサウジアラビアのリヤドのことを思わざるを得ない。

リヤドでこの30年間、宗教警察がやっていることは、トンブクトゥーでジハディストがやっていることとまったく同じだからだ。

手足や首を切断する公開処刑があること、女性が外で全身を黒のヴェールで隠さなければならないことも同じだし、飲酒の禁止などはたとえ個人の私宅でも宗教警察が踏み込んでアルコール類の保持をチェックすることができる。

もちろん信教の自由はない。

民主主義国ではなく国土は、宗教の庇護者でもある王家の「私有物」の扱いだ。

けれども、サウジアラビアには石油があり、金がある。

アメリカ軍やフランス軍が武器や技術を売っている。

移民労働者はともかく、都市のサウジアラビア人たちの生活水準は高い。

一夫多妻も認められているから、王族だけでも数万人に達する。

黒いヴェールで全身を覆う女性も、ヴェールの下はパリのオートクチュールの服を着て宝石で着飾っている。
移民のメイドや運転手もついている。ヨーロッパのあちこちに持っている豪華な別荘やアパルトマンに滞在する時は、ヴェールもかぶらないし、ブティックを借り切って買い占めた衣服や靴を何十というヴィトンのスーツケースに入れて移動する。高級ワインだって飲める。

石油と贅沢品と軍事産業のマーケットがちゃんと均衡点を見出している。

これはワハビストの偽善ではないか。

いや、サウジアラビアのワハビストの宗教警察は王家の偽善を苦々しく思っているだろうし、王家はイランのようなイスラム革命の勃発を避けるためにとにかく形だけは厳格な宗教原理主義を実践、擁護している。

金があって、外国や自宅でガス抜きできるなら、外面を整えて秩序を守ることは偽善でなくてとりあえずの「大人のサバイバル」といえるかのようだ。

公開処刑される者は圧倒的に移民労働者が多い。窃盗罪で片手首を切断される。

金持ちは盗まなくてすむ。

で、ワハビストの揺籃となり資金も提供していると言われるサウジアラビアに出向いて人々を「解放してやろう」などという「国際社会」は存在しない。

ワハビストに占拠されたトンブクトゥーの入り口には「これより先シャリア法適用」という看板が立っていた。

貧しい国におけるこのような突然の原理主義者による圧政は住民にとって悲惨なものであったことは想像がつく。

単に、市場原理のせいでサウジアラビアが「欧米」となかよくできているのではなく、金が潤沢にあれば、多くの人々自身が、原理主義ともそれなりに折り合いをつけていけるということなのだ。

平均的サウジアラビア人のリヤドでの生活は、若者たちの欲求不満があるとしても、決して「悲惨」ではない。

(その辺の矛盾を私は『不思議の国サウジアラビア―パラドクス・パラダイス(文春新書2001)』で書いた。9・11の直前で、ワハビズムと王家の直接の批判は検閲されるから絶対に書くなと現地で念をおされた)

金や偽善で妥協したり折り合いをつけたりできるなら、人はなるべくなら争いを避けてサバイバル戦略をとる。

「ユダヤ人はみな殺し」と言われれば、逃げるか抵抗するか殺されるしかない。

でも「踏み絵をふまなければ磔にする」と言われれば、踏み絵を踏んで助かることができる。

「女性は鞭打ち」と言われれば、逃げるか抵抗するか鞭打たれるしかない。

でも「ヴェールをかぶっておとなしくしていればOK」と言われれば、外でヴェールをかぶってうちの中や外国でストレス発散できる。

「人はみないつかは年とって死ぬ」と言われれば…?

これも、金さえあれば、アンチエイジング、高額先進医療、衣食住の贅沢三昧などで、ある程度は延命や生活の質の改善を「買う」ことができるのだろう。

どんな時代にどんな国にどんな共同体に属して生まれるかを人は選ぶことができない。

遺伝子も選ぶことができない。

めくるめくような不平等だ。

いいかえると、時代的に、地政学的に、運が良くて、しかも遺伝子強者に生まれてきたような人には、それは自助努力と関係なく「与えられたもの」なのだから、「自分より運が悪い人たち」対する義務も同時に与えられているとも考えることができる。

しかし、そういう「信念」に基づく利他的な行動さえも、自分の思い込みによっては他者の生活への一方的介入や価値観の押しつけになってしまう。

やはり、歴史に学びながら、自分の生活圏や文化圏を超えた普遍的な人間の尊厳の意味を常に視野に入れることが必要とされるだろう。

それが、少なくとも、軍事力強化や資金や武器の提供の道とは違ったところに向かうと願わざるを得ない。
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by mariastella | 2013-01-29 19:10 | 雑感

2013年初頭のアフリカ情勢で思うこと

新年早々フランスはアフリカのマリで、国の北部を占領しているジハード軍の南下を食い止めるために軍隊を送っり始めた。極右や、野党である保守派、中道派もその決定に合意、ヨーロッパや国連も積極的に動きはしないが合意している。(極左メランションは批判。)

マリ政府による要請があったのも事実だ。

マリと国境を接し、マリと同じくフランスの旧植民地時代を経験したアルジェリアは、はじめは軍事介入絶対反対の立場だったが、1月半ばからは、領空をフランス軍が通過することを容認していて、自分たちの国境の警備も強化している。

2003年の米英軍のイラク侵攻の時に、国連で反対弁論を繰り広げた時の外相ドミニク・ドヴィルパンは、今回は、孤立無援だが、やはり、政治的に解決すべきだ、これまでの軍事介入がすべて何の解決にもならなかったことを忘れたのか、という口調だった。また、ジスカール=デスタンも「帝国主義的」という言葉を敢えて使って批判していた。

シリアやリビアでははやばやと反政府軍を正規暫定政府と認める「欧米諸国」にとっての「基準」が、自分たちの地政学的あるいは経済的な利害関係以外のどこにあるのかという疑問は当然出てくる。

フランスは盛んに、自分たちは友好国であるマリを助けたいのであって経済的などの思惑はまったくないことを強調していた。

大義名分としては、フランスの戦う正式の敵は「武装イスラミスト」ではない。

「Les terroristes criminels」(犯罪的テロリスト)だ。

この辺は9・11後のアメリカの勇ましい「テロリストへの宣戦布告」を思い出させる。

このネーミングについてフランス国内のイスラム評議会は満足の意を表明した。

実際は、マリ北部を制圧したのは三つのイスラミストの運動だ。

AQMI(イスラムマグレブ・アルカイダ)(マグレブはアルジェリア、チュニジア、モロッコ)

MUJAO(西アフリカジハード統一運動)

Ansar Dine(トゥアレグ族のイスラミスト。アルジェリアはこのグループを他と切り離す画策に失敗したので軍事介入を容認したらしい)

 マリの首都バマコには6000人のフランス人が住んでいて、昨年春からの内戦で、フランス人は全体としていつでも人質にされる状態にあること、実際、フランスはイスラミストから名指しで敵と見なされ攻撃目標とされていること、という事情はある。

そのリスクがどんどん大きくなってきて、イスラミストの軍隊がマリの政府軍の力を上まわっている、という状況もある。こういう事態で、近代的な軍隊を持っている「旧宗主国」が軍事力で阻止しないという選択が政治的にかなり難しいのは理解できる。

第一、イスラミストの軍隊の駆使する兵器はリビアから流れてきたフランス製だというのが皮肉だ。

フランスには10万人のマリ人コミュニティがあって、彼らは軍事介入を望んでいると報道されている。

私が昨年の11月11日に羽田からパリ国際空港に戻ってきた時、同じターミナルに三機のアフリカからの到着便があった。通関などは、背の高い黒人でぎっしりで、同じ飛行機でついたはずの日本人の姿を探すのが難しいほどだった。

ここはいったいどこの国なんだろう、と思った。

人々が持っていたのはマリのパスポートだった。

異様に長い検問の後でスーツケースをとる場所に行くと、そこも背の高いマリ人(ほとんどが成人男性だったのだ)がぎっしりとり囲んでいたので、一瞬場所を間違えたのかと思った。ようやく出口を出ると、出口のフロアはまた黒人であふれていた。迎えの人々らしい。大げさではなく、私が出た時には、黒人以外には日本人も白人もアラブ人も全く目に入らなかった。

内戦を逃れてフランスに逃げてきているのだということはよく分かった。

私はヴィルパンと同じく政治力で何とかするべきだと思うハト派だし、「欧米」勢力が恣意的に犯罪とかテロリストとかいう言葉で、一方の暴力だけを非難してもう一方を正当化することにも大いに疑問がある。でも、現実に、少なからず自国民がいてリセ・フランセもある国で、フランスに宣戦布告している非政府勢力が軍を進めてくるとしたら、フランス大統領の軍事介入の決断を批判することもできない。

ただし、軍事介入の目的が、マリの北部を回復することなのか、マリの現政府も含めて「民主化」したいのか、単に、イスラミストの勢力拡大を看過するとフランスにも飛び火することを食い止めたいのか分からない。

最後の名目が一番フランス国民の合意の基本にあるわけだが、軍事介入によってますますフランス国内へのテロのリスクが高まるなら藪蛇となるわけで、この戦争が長引くと世論がどう転ぶかは分からない。

アメリカはNATOを介入させないと決め、非軍事での協力はするけれど、バマコの政府が不安定な状態なままでは深入りしたくないと言っていた。

不安定とはどういうことか。

アフリカの政権は独裁政権にしろ軍事政権にしろどこもみな政情不安定であり、いつ、クーデターが起こるか予想がつかず、その結果イスラミストが政権を奪取することももちろんあるわけだ。

そして、その反動で、イスラム法に基づいた社会への揺り戻しが考えられる。

エジプトもチュニジアも、「独裁者」が追われた後で、「民主的」選挙によって、それまで独裁者によって抑えられてきたイスラム系グループが政権の場についている。

欧米戦力が強引に「民主化」しようとしたイラクだのアフガニスタンだのは汚職や部族対立が顕在化して政情の安定は見られなかった。

リビアで起こったことやシリアで起こっていることを見ても、欧米「民主主義国」の判断の基準は複雑だし各論による試行錯誤にも出口が見えない。

そうこうしているうちに、同じイスラミストがアルジェリアのガスプラントでアルジェリア人はもちろん日本人やアメリカ人なども含む人質をとった。人質解放の条件の一つにフランスのマリ軍事介入の停止も挙げられているが、このテロリストの襲撃は十分に事前の準備があったと考えられるので、タイミングを決める契機になったとしても、フランスによるマリ戦争が直接の原因で起こったわけではない。

このテロの首謀者はアルジェリア国籍のジハディストであり、ガスプラント内で国籍など関係なく無作為に人質をとっているのだから、明らかに「犯罪的テロリスト」集団である(この集団の方も、アルジェリア人だけではなくモロッコ、マリ、スーダンやフランス、カナダなどの多国籍集団だ)。

だから、その彼らが「フランス軍のマリ撤退」を人質解放条件の一つに加えてくれたおかげで、フランスが国際社会を攻撃する「犯罪的テロリスト」と戦っているのだという「大義名分」が裏付けされた格好になった。たった一国で独断でマリに繰り出して行ったフランスは内心ほっとしたに違いない。

その後アルジェリア政府が、人質の出身国である欧米型先進国政府に事前の通告なしに一方的にテロリストを攻撃して多くの犠牲者を出すえらく血なまぐさい結果になった。

英米や日本はそういうアルジェリア政府の独断を非難したが、フランスだけは、慎重に言を濁した。アルジェリアがテロリストとの長い戦いを生き抜いてきた経緯を考えるとそのやり方について判断を下すことはできない、と言う。

この辺のさじ加減は考え抜いてのことなのだろう。

実際のところ、このジハディストらによるテロは、人質を逮捕されているテロリストと交換する、などという単純な交渉ではなくて、そもそも、このガスプラントの爆破自体が目的だった。それ自体には交渉も何もない大型テロ計画だ。

15年も対テロ戦で鍛えられたアルジェリア当局の判断を簡単に弾劾することはできない。

しかし、西洋風「民主主義」の国が口先でどんなに普遍的な善を唱えても、実際は利権争いやパワーゲームでことが進んでいるわけで、権力の根は腐敗してくるし、弱者の抑圧や排除も進む。

2011年の「アラブの春」では、若い世代が自由や平等や人権などの普遍主義を唱えて立ち上がったものの、いったん独裁者が去ると、新しい秩序を打ち立てるのに十分な組織力を持っているのはそれまで抑圧されていたイスラミストのグループしかいなかった。

彼らは、新しい「法」にイスラム法を反映、強化させようとする。

実際、イスラム法のような「伝統的」規律はある種の秩序の回復には有効だ。

もともと、「近代西洋」が普遍的だとして掲げて万国共通に認めさせようとしているのは、地縁血縁や伝統や共同体に関係なくすべての「個人」に等しく基本的人権があるということである。

それに対して「伝統社会」の秩序や調和というのは、しばしば、個人に共同体の中での役割を強制し、弱者の犠牲の上に成り立っている。

「西洋近代」の元をつくったキリスト教というのは、本来、そのような社会的弱者の尊重を唱えたものであるから、既成秩序にとってはラディカルに不都合なものだった。

社会的弱者の救済を前提とした個人の尊重に基づく社会づくりなどは、少数のユートピア的集団ならいざ知らず、それを一国の基礎にするのは至難の業である(実際初期キリスト教信者たちは原始共産制と似た少数のユートピア的集団だった)。


ヨーロッパのキリスト教が封建領主としてのカトリック教会との葛藤の末に「脱皮」したのが近代普遍主義の理念だが、それも、理想主義的なラディカルさには変わりがない。それをもとに社会を再構築するのは簡単ではない。

マリで「普遍価値を守ろう」と言っているフランスの近代革命後の展開がいい例だ。

高らかに普遍的人権宣言を掲げたその後100 年の間に恐怖政治からナポレオンの帝政、王政復古とくるくると変わり、特に1848 年の2月革命の後に起こったことは、まるで昨今のチュニジアやエジプトそっくりだ。

反政府市民が王を退位に追い込み、王はイギリスに亡命した。それでもオルレアン公妃が摂政になることが議員に承認されたのに、武装市民が乱入して、強引に臨時政府を樹立した。

共和主義者と社会主義者が「自由、平等、友愛」の原理のもとに新政治を再開しようとしたのだ。

しかし、その二つのグループの仲は険悪で、せっかく行った「普通選挙」で共和派が大勝利すると社会主義者たちがバスティーユ広場に集まった。

政府軍が数千人の労働者を殺し、生き残った者も裁判なしで流刑、社会党もその機関誌も廃絶された。ムバラクやカダフィやバッシャール・アル=アサド顔負けだ。

この時の政府軍のリーダーが中心になって大統領制を導入して国民投票が施行された。

ところが、その結果、戦いに疲弊した国民が選んだのは、ナポレオンの甥というネーム・ヴァリューだけがあったルイ・ナポレオンだったのだ。

その結果、共和派も退陣し、守旧派、王党派が優勢になった。

守旧派は集会と出版の自由を奪って、労働者たちの選挙権も剥奪した。さらに、ルイ・ナポレオンが軍隊を使って議会を占領し、皇帝になってナポレオン三世と名乗ったのだ。

1852年のことである。

それによってフランスには秩序と平和が戻り近代化の繁栄の時代がやってきたのは皮肉と言えば皮肉だ。

そのナポレオン三世は、普仏戦争で捕虜になり、解放されてからイギリスに亡命して死んだ。

戦争や外圧によってフランスは帝政からまた(第三)共和国に立ち戻ったので、この第三共和制の時代にはじめて、フランス革命の普遍主義がフランスの理念なのだという合意(あるいは神話)の形成ができた。

フランス革命と同時代に独立戦争を果たして近代理念を盛り込んだ独立宣言を出したアメリカでは19世紀後半まで奴隷制が続きそれからさらに100年も公然と人種差別が続いていた。

地縁、血縁、宗教などの共同体、年齢、性別などに関係のない、人類の一員としての「個人単位」の固有の尊厳と権利を保証するという近代普遍主義の理念が実際に適用されてそれが根付くことがいかに時間がかかり、多くの犠牲が出るかというのがよく分かる。

だから、「アラブの春」で独裁者が後にイスラム共同体の秩序回復の動きが支配するなどということは決して不思議なことではない。

でも、どんなに、特定の階層による特権維持や権力志向による揺り戻しが来ても、普遍理念が一度でも掲げられた「革命」の体験は、その社会をいつか変えていく根本的な何かをもたらすものだ。

「揺り戻し」は単なるリセットではない。「個人単位」に立脚する普遍理念は、「伝統」や「宗教」や「文化」や利益共同体を超えて波及し得うるし、大きな連帯もあり得るから、いつかは弱者の尊厳も守られる世界が築き上げられると信ずる人がたくさんいる。

と言っても、たとえば日本のような国で、明治時代に「自由民権思想」が掲げられたり、5カ条の御誓文でいきなり「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。」と言いきったりしているのに、実は全然社会的な通念は変わっていないという国もある。

「旧来の陋習」はそれまでの鎖国攘夷で「天地の公道」は国際法だという解釈もあるが、ともかく、「うちの伝統」でなくて「普遍主義」を目指そう、という建前はあったのが分かる。

それなのに、何度も戦争を繰り返し、「滅私奉公」が公然と求めらた。

あげくは戦後にアメリカ的民主主義の優等生になって経済復興を遂げたものの足もとがあやしくなってきたら、今は戦後「民主主義」のシンボルであった憲法改正案が出ていて、その改憲草案の前文はいきなり「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」であるという文だそうだ。

「長い歴史」って、いつからのことで、「 固有の文化」とは何を指しているのだろう。どの文化も他文化からの影響を受けて長い間に有機的に形成されてきたものであるはずだが。

エジプトなどでイスラム法を再び基礎に置く新憲法をつくるという現状と似ている。

イスラム成立から始まった「長い歴史と固有の文化」の尊重といっても、その前にも文化はあったはずなのに、特定の宗教をアイデンティティとして押しつけようとしている感はいなめない。。

そして日本の改憲草案でもあっさりと、現憲法10章97条の

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

というのがあっさりと削除されている。

「過去幾多の試錬に堪えた人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」などという普遍的視野は消えた。

「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」はなおさら、もともと空疎な言葉だけだったのだろうか。

社会がそうだから、家庭や会社でもほんとは一度も人単位の普遍的人権なんて意識化されたことなどなかったのかもしれない。

この憲法草案起草委員の一人が、12月にツイッターで

「国民が権利は天から賦与される、義務は果たさなくいいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」

とケネディの就任演説みたいなことを言っているそうだ。

「侵すことのできない永遠の権利」の次元はまったく無視して、一国の利害関係だけを問題にしている。

会社のために、家族のために、という共同体優先の論理はずっと続いているのだ。

きっと、「戦後民主憲法」によって日本人は個としての尊厳に目覚めたのではなくて、「共同体を無視して自己中心に生きる」という楽なスタイルだけ採用してしまったので、それをあらためて昔の共同体主義に戻そうというだけなのだろう。

いや、それでも、西洋近代革命で掲げられた「普遍主義」理念は、100年も200年もかけて欧米帝国主義や白人至上主義の国家のエゴイズムを少しずつでも矯めてきた。

だから、その理念が、伝統の異なるアラブ諸国でも日本でも、長いスパンで考えれば、共同体主義の中では犠牲に供されてきた社会的弱者を、尊厳を保証された自由な個人である主体として解放してくれる日がくるかもしれない。

国際社会において「非キリスト教国」だとか「非白人国」だとか「敗戦国」だとか、「旧帝国主義国」だとかいう微妙な立ち位置にある国で、長い間、共同体内のアイデンティティを強制されてきた女性というカテゴリーに属して生まれた自分であるからこそ、これからも普遍主義にこだわっていきたい。
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by mariastella | 2013-01-23 02:38 | 雑感



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