L'art de croire             竹下節子ブログ

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B16の最後の一般謁見

B16の最後の一般謁見をTV中継で見た。

予定の10h30を過ぎても教皇用の車が姿を現さないので、ヴァティカンではすべてがきっちりと時刻通りなのに…と解説者が何度も言っていた。

結局8分ほど遅れて、前に防弾ガラスの覆いのあるオープンカーがゆっくりと広場の群衆の間を進んだ

前は防弾ガラスだが両脇には何もなく、これでは誰かに襲われたら危険ですね、と解説者が思わず言うほどにそれは頼りなく思われた。

けれどもB16は笑みを浮かべてリラックスしているように見えた。

時々両脇からの通路から赤ん坊が差し出されて、同乗しているゲンスヴァイン司教が抱き取ってはB16に祝福してもらっている。

この私的秘書は、ヴァティリークスで内部文書を漏洩させた側近らとは違って、B16が教皇になる前からずっと秘書をしていた同国人で、JP2の告解司祭も務めていた。

イタリア女性から「Padre Georg」とか「 Bel Giorgio 」とか呼ばれて大人気のハンサムな男性で、この人がそばにいることはB16にとっていいなあ、と思ったことを私は前に書いたことがある。
(リンクページの中の「B16について(その2)」に書いている。)

2007年にはデザイナーのヴェルサーチがこの人の「厳しさとセクシーさとが共存しているところ」「自然なエレガンス」にインスパイアされたスーツをデザインしたことでも話題になった。

ハンサムな男が女に仕えずに男に仕えていれば必ず同性愛を疑う輩もいるので貶める人もいるが、それくらいにすてきな組み合わせだと思う。司教はB16と共にカステル・ガンドルフォや修道院で暮らすことになっているらしい。心強い。

その二人が赤ん坊を抱き寄せていい笑顔になっている。


パリは冷え冷えとした曇り空だが、ヴァティカンは抜けるような青空。

JPの葬儀の時には、国家元首の死ということで前列にずらりと大統領だの王族などが並んでいたけれど、この日は、枢機卿たちは別としても、以前から毎水曜日の教皇によるカテキズムに登録していた人々が優先的に前の椅子席に座っている。

しずしずと進んでくるのが棺ではなくて、生きて微笑ほほえんでいる教皇というのは気持ちがいい。

これが他の政治リーダーの交替や国王の譲位なら、敗者と勝者があったり、すでに継承者が決まっていたりするわけだが、B16は「親政」をしていたままリタイアして空位にするのだから「次の権力者」みたいな人がでしゃばっていることもないのですがすがしい。

クリスマスには一人で歩けない雰囲気だった教皇は、車を降りてから、杖もつかずに歩いた。

在任中に数々の困難に出会ったことを認め、「神の前で私のことを覚えていてください」と訴えたのも好感が持てた。(背負っていた)十字架をおろすわけではない、すべての人と共に生き続ける、というコメントもあった。

信仰と理性が両立することを常に言っていた人の誠実さが伝わる。

信仰の次元では、教皇「職」の辞任など、絶縁でも終焉でもないということが分かる。

「わたしは弱いときにこそ強い」(第二コリント12:10)という聖パウロの有名な言葉が実感として伝わってくる。

次の教皇は、雰囲気的に私の好みはカナダ人のMarc Ouellet枢機卿だ。

ウィーンの大司教でラツィンガーの教え子だった68歳のChristoph Schönbornという人がB16のあげている新教皇の条件にぴったりだという声もあるが、二代続けてドイツ語圏、旧ハプスブルク王朝圏出身の教皇という確率は少ないかもしれない。

こう考えてくると、ヨーロッパの国を二度続けては開催地にしないで大陸を変える、と言われているオリンピック開催国の選考のような部分もある。

地政学的に言えばやはりアルゼンチンあたりで、アフリカはまだ時期尚早だとか。

まあ、聖霊がどのように働くのかは分からないが。

コンクラーベの日取りは来週月曜あたりに発表されるのではないかと言われている。

もう全枢機卿がローマに集まっているので、来月10日あたりには始まるとも予測されている。

教皇の死後15日から20日の間に開催という今の規定は、世界中の枢機卿が船に乗って集まらなくてはならなかったような時代に決められたものなので、早められるなら早める方がいいということだろう。

B16が最後の謁見をした日の前の夜、フランスではHenri CaillavetとStéphane Hessel
が、それぞれ、99歳と95歳で亡くなった。二人とも第二次大戦中にヴィシィ政権に敵対したりレジスタンス活動をしたりした人で、一つの時代の終わりを感じさせる。

ステファン・エッセルといえば、つい数年前『怒れ、憤れ』の小冊子が世界的ベストセラーになった。

その後も本を出したりメディアに出続けたりしていた。つい先週だかのLe Nouvel Observateur誌でもインタビューに答えていた。

「死ぬまで現役」の一例だ。

日本では90歳以上の人がベストセラーを出したりすると、すぐ「長生きの秘訣」とか「健康法」のマーケットの対象になってしまうが、「中高年の憧れ」になるのではなくて若者たちを鼓舞して社会に対する意識を変えてしまったのだから頼もしい。

こういう人たちも、年齢の物差しを超えて信念に生き続けるという意味で、ある種の信仰者と同じ普遍性を体現しているのだろう。
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by mariastella | 2013-02-28 07:47 | 宗教

Ora et labora

2月24日日曜日のツィッターでベネディクト16世(以下B16)は

「この特別な時に、いつものように神のみ旨を信頼して私と教会のために祈ってください」

と書いていた。

「この特別な時」というのはキリスト教で最も重要な復活祭の前の四旬節のことなのだろうが、どうしても、彼のリタイアを控えたこの数日、という感じがしてしまう。

カトリックの内部でもB16の勇気をたたえる人、失望の意を隠せない人などいろいろだが、彼が一番必要としているのはやはり祈ってもらうことなのだ。

2 月27日の水曜日はB16がヴァティカンで最後に人々に会う日で、28日の午後5時にはヘリコプターに乗り込んで夏の別荘であるカステル・ガンドルフォに赴き、午後8時の引退を前にまた挨拶するらしくて、TVで2日間の特別番組が組まれている。

そのあとは、ヴァティカン内の修道院の修復が済むまで戻ってこないと言われている。

28日にはそっと姿を消すような気がなんとなくしていたので、言葉が聞けるのは意外な気もした。

実際、周囲の要望がなければ自分からは何のセレモニーもしなかったような気がする。

先週の日曜日は最後のミサだったので、この日のために巡礼に来た人も多くサンピエトロ広場は10万人の信者が集まった。

自分は教会を見捨てるわけではなく、自分の力に見合った形で教会に奉仕続ける、と明確に意思を伝えていたし、こういう別れもいいなあと思った。

「病の床で朦朧とする教皇をよそにヴァティカンの権力争いが潜行している」というような図式よりはよほどすがすがしい。

退位するB16が存命だからと言って「院政」のようになるのではなく、次の教皇や枢機卿たちが襟を正し続ける契機になればいいのだけれど。

B16の名であるベネディクトといえば、ヨーロッパの守護聖人で、ベネディクト会の会則を作ってその後のカトリックの修道会の基礎とした聖人(480-550)だ。

このベネディクトはB16と同じく碩学の人だったが、隠遁する度にすぐに弟子が集まった。それなのに、510年ごろに最初に修道士たちのリーダーに選ばれた時に、その厳しさに耐えられなかった修道士たちから聖杯のワインに毒を盛られて殺されそうになったとか、その後も聖体パンに毒を盛られたという話がある(毒入りの聖杯は彼が十字を切った時に割れて中身がこぼれて助かった)。

彼の著した会則は『Ora et labora』(祈り、働きなさい)というものだ。

聖ベネディクトは祭壇の前で祈りながら立ったまま絶命したと言われている。

ひたすら祈って神のために働くことを目指した人でも、身近な人間との関係に生まれる悪意の犠牲になったことが分かる。

腕力に頼らずに選ばれて人の上に立ってさえ、平穏に過ごすことがいつでもどんな時代でも容易なことではないのを見ると複雑な気持ちになる。

おりしも、イタリアは総選挙が終わり、政局はいよいよ不安定なものになっている。

ポピュリスト政党が躍進した。

ヴァティカンはいい意味でも悪い意味でも巷の政党政治とは真逆の論理で動いているように思える。

たとそのえ内部であれやこれやのロビーがひしめいているのだとしても、ヴァティカン銀行の改革がなかなかできなくても、「カエサルの論理」の向こうにはきっと聖霊が下ってくると信じたい。
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by mariastella | 2013-02-27 09:02 | 宗教

ノートルダムの鐘

小雪が一日中はらはら舞っている寒い日曜日だったが、ノートルダム大聖堂の内陣で公開されていた新作の鐘を近くで見られるのが月曜日までだと知って、急遽見に行くことにした。

愛徳姉妹会の96歳のシスター・クレールが、土曜日に一緒に食事をした時に、

「今年になってこの暗いことばかりの世の中で希望を感じさせてくれるすてきなことが二つあった、教皇がリタイアするという勇気ある決断と、ノートルダムの鐘を見たことだ」

と言ったからだ。

「絶対に今見ておかないとだめ、一度設置されたらもう二、三百年ははずされることがないはずだから、私たちの孫もひ孫もそのまた子供たちももう見ることはできないのだから」

と何度も強調された。

私も最近は、2020年のオリンピックとか言われただけで、はたしてその頃にまだ元気でいられるかなあ、と思ったり、地球の温暖化だとか日本の人口だとかの予測で2030年、2050年などの数字が出てくるとつい遠い目になってしまうので、少し長いスパンのことは、

「私の世代にはもう関係ないとしても次の世代の人のためだなあ」

と、次世代や次々世代のことを意識することが多い。 

これを逃したら次は何十年後にしか見られないという天文現象が語られる時や、有名アーティストの大規模回顧展が開かれる時も、「そうか、今行っとかないと少なくとも私にはもうチャンスがないだろうな」という気持ちで思い切って見に行くことはある。

ましてや元気とはいえ96歳のシスターなら、半年先1年先のことでも、確かだとは言えないけれど…と消極的になるかと思いきや、

「孫もひ孫も見られないものを私たちは見ておかなくては」

とえらく意気軒昂なので、こちらもつられてポジティヴな気分になった。

よく考えると、私たちが見たものやまだ見られるもので近い将来に姿を消すものは少なくないだろうから、「孫もひ孫も見ることができなくなるものを見る」ということ自体は別にすごいことではない。

でも、この鐘は消えていくものではない。

これからずっと長く使われていくものが伝統を踏襲しながら今新たに造られたばかりの状態であるところを、期間限定で間近で見られる、というケースだ。

それも、ただの鐘ではなく、築850周年を迎えたノートルダム大聖堂の鐘で、

「今見ておかないと」

と目を輝かせて勧めるのが96歳のシスターであるとなると、何かやはり、有限と無限が交わるところのようなシンボリックな意味があるのかという気がしないでもない。

日本でも有名寺院の大釣鐘の修復などがあるだろうが、はるかに高くそびえる大聖堂の鐘楼に収められるわけではないから、新装お披露目の期間だけが人々の目に入るチャンスというわけではない。

今回新調された鐘は北側の鐘楼用の8つと南側の大きいものがひとつの計9つで、それぞれに名前が浮き彫りで入っていて、周りに祈りの文句が刻んである。

日本のお寺の釣鐘に刻まれるお経なら全部漢語だろうし、修復したり新調したりするときも同じものを刻むだろうと思うのだけれど、21世紀のノートルダムの鐘にはラテン語ではなくて現代フランス語の筆記体で祈りが刻まれている。

すごく親しみやすい。

それぞれの名前も、日本でいうなら太郎、花子という感じの昔からあって今でもあるような名ばかりだ。実際は聖人の名もあるのだが、聖なんたらとは書いていなくて、さりげなく名前だけなので、この鐘を見に来て自分の名を見つける人も多いと思う。

なぜ名前がつけられるかというと、それぞれの鐘は、神の民を祈りやミサに呼ぶという仕事をする「神の奉仕者」であるからだそうだ。

聖人も天使も鐘もみんな神に仕える者として平等に「名前」だけに落とし込むところは何となく「民主的」ですらある。

入口に一番近いところにある鐘はジャン=マリーでこれはジャン=マリー・リュスティジエ前パリ大司教の名前だ。

他に、最初のパリ司教サン・ドニのドニだとか、最初の殉教者聖エティエンヌ(ステファン、ステファノとかステファヌスなどと同じだがそのフランス語名で、パリのこの場所に7世紀ごろに聖エティエンヌ教会が建てられていた)のエティエンヌ、ノートルダムそのものである聖母マリアはシンプルにマリー(1378年の最初の大釣鐘もこの名前だった)だし、今回リタイアを決意した教皇ベネディクト16世を記念するためにブノワ・ジョゼフ(ベネディクトのフランス語読みのブノワと教皇の本名のヨゼフ・ラツィンガーのフランス語読みでジョゼフを組み合わせた)もある。

他にイエスの受胎をマリアに告げた天使ガブリエルからガブリエル、マリアの母の聖アンナとパリの守護聖女ジュヌヴィエーヴを組み合わせたアンヌ=ジュヌヴィエーヴ、九代目パリ司教の聖マルセルからマルセル、12世紀に現在のノートルダム大聖堂の建設を決断した72代司教のモーリス・ド・シュリーからモーリスなどがある。

どの人も聖人や司教などの肩書抜きで「洗礼名」である名前だけであっさりと記念されているし、みなフランス語読みの普通の名の普通の綴りだ。昔のラテン語文書なら名前もラテン語表記をしていたのとは大分印象が違う。

これらの鐘は次の復活祭の聖週間が始まる時に初めて鳴らされる予定だ。

それまでに新教皇が決まった時に鳴らされるということはないのだろうか。

鐘の音はポリフォニーなので、音程が命である。

19世紀に造られた四つの調子が狂っていたことが今回の新調の理由の一つだった。

正確な音程の鐘づくりには高い技術を必要とするそうだ。

八つの鐘を受け持ったノルマンディの工場の匠たちが愛おしそうに鐘を撫でているドキュメンタリーもテレビで放映された。

名前がついていることで愛着も増しただろう。

ちなみに1905年の政教分離法以来、ノートルダム大聖堂は国有化されているので、今回の記念行事の予算にもいろいろの経緯があったのだが、鐘の製造によせる「モノ造り」のこだわりや誇りといい、日曜のミサの熱い視線といい、ここはまだまだ「古くて新しいところ」であり続けるのだなあと思った。

大聖堂を出て、シャルルマーニュの勇ましい騎馬像を見上げてから、サン・ルイ島にわたってBrasserie de l'isle Saint Louisで食事した。

暖かければテラス席でノートルダムの後ろ姿やセーヌを見ながら食べることができるのだけれど、昔ながらの店の中も落ち着いて、再び雪の中に出ていくまで、ゆっくりとあたたまることができた。

ノートルダムの鐘楼にのぼったのは37年前に一度だけで、それから何度となくこの大聖堂に訪れたけれど、鐘がずらりと並んでいる光景は確かに特別だった。

でも、夏至の日の光のスペクタクルを見るとか茨の冠の聖遺物に口づけするなどのインパクトの強い体験とは違って、マルセルさんやらモーリスさんやらブノワさんなど、若くて大きいけど素朴そうな鐘たちが「自分の持ち場ではない」ところでスタンバイしているのを見るのは、なんだかほほえましい気がした。

96年前にパリで生まれ、20世紀の終わりから20年間もノートルダムの案内をしてきたシスター・クレールの目には、もっとドラマティックな何かがきっと見えていたのだろう。
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by mariastella | 2013-02-25 08:38 | 雑感

ネコはオオカミが嫌い またはセザール賞授賞式の話

うちのネコ(今年12歳の年男のスピノザ君)は私の書斎にあるソファの上の羊の毛皮の上に座ってそれをざりざりなめていることが多い。

昨日、風呂に入ってからテレビでセザール賞授賞式の続きを見ようと思って、湯冷めすると困るからパジャマの上から毛皮のコートをはおった。

先日えらく寒かったので久しぶりに出して着ていたもので、もう30年以上前に買ったものだ。

お出かけ用のキツネと違って、ジーンズの上からはおるためのざっくりシンプルなオオカミの毛皮だ。

今はパッチワーク風の繊細なものが多いが昔のものだからある意味ワイルドである。

最近これを着て出かけたら、メトロの中でエコロジー原理主義者に襲われるんじゃないか、と若い連れに心配された。

でも、ちょっと見にはフェイクファーと区別がつかないじゃないかとも思ったので、あまり気にしなかった。。

で、毛皮にくるまって長椅子に座ってテレビを見ていたら、ネコがやってきた。

この態勢だといつもすぐに腹の上に乗ってくる。

ネコがオオカミを舐めたらおもしろいかもしれないと思って呼んでみたのだが、長椅子には上がってきたが、絶対に毛皮の上に乗ろうとはしない。

いつもは私の頭を差し出しても舌でせっせと「毛づくろい」してくれるネコなのに、触れようとはしない。

無理矢理に口のあたりに毛皮の袖を持っていくと、逃げられた。

その様子を見て、おお、これは本当にオオカミの毛皮なんだなあ、と思った。

ネコってオオカミが嫌いなんだなあ、ふわふわであたたかければなんでもいいわけじゃないんだ。

キツネとかミンクとかウサギならどうなるのだろう。

オポッサムの毛皮ならフクロネズミだから大喜びかな、いやあれはネズミじゃなくて有袋類で別物かもしれない。

そう思いながら見ていたセザール賞のセレモニーは、いつもながら政治的公正とは無縁のいかにもフランス的なエスプリに満ちていて、フランスじゃアーティストはみな自由人の位置づけなので、とんでもないフレーズが飛び出してくる。

放送禁止用語のリストを読み上げる者とか、ロシア風のラ・マルセイエーズのコーラス(税金逃れでフランスを離れようとしてプーチンからパスポートをもらったドゥパルデューを揶揄したもの)、名指しで業界人のモラルハラスメントを告発する者とか、司会者までが「僕のおじさんはいつも、俳優は皆ユダヤ人かフリーメイスンだと言っていたものだ」などというきわどいことを言っている。

カウボーイがcowなのに馬に乗っていると言ったら本物の馬が舞台に出てきて、ルーマニアから来たcowです、とかジョークをとばした。そういえば牛飼いのカウボーイだが、そのイメージには牛など出てこないで馬だよなあ。

一時はアカデミー賞を意識してショー的要素を増やした時期もあったセザール賞セレモニーだが今やすっかり開き直って、昔のように、エリート学生たちの内輪のお祭りみたいになっている。

でも、主演男優賞と女優賞が79歳と86歳の男女というのは、ある意味すごくフランス的だ。

アメリカとフランスのメンタリティの違いはショービジネスの世界で一番はっきりすると、あらためて思った。
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by mariastella | 2013-02-24 06:27 |

フランスのバロック・ダンスと音楽とのほんとうの関係

最近、フランスのバロック・ダンスと音楽とのほんとうの関係が分かった。

フランス・バロックのトリオで活動をはじめてから20年以上、バロック・バレーのクラスにはじめて参加してから約17年、ルネサンスのダンス、イタリアのバレー、スペインのバレーなどのさまざまな研修にも参加したし、人前で踊ったこともあるしささやかだが振付や演出のまねごとをしたこともあるし、講演会にも行った。

自分でもそれに関する本を書いたし、トーク・コンサートをしたこともある。2010年の秋には日本でバロック・ダンサーとコラボのコンサートもした。

それなのに、なんとなく分かっていなかったことがあったと、つい最近気づいた。

これまでの小さな違和感の多くが氷解した。

私が今、音楽学の博士課程かなんかにいたら、これをテーマに博士論文を書けるくらいだ。

あれは、3週間ほど前に、クリスティーヌのクラスでエマニュエルが代理で来た時だっただろうか。

最初に腕の回し方のエクササイズをする時に珍しくラモーの曲がかけられた。

すると、

「ラモーか」

「18世紀のはちょっとね」

などという不満そうな声が、数名から上がったのだ。

私にとっては驚倒すべきコメントだった。

その時、分かったのだ。

すごく単純に言って、バロック・ダンサーたちにとってはラモーの曲が音楽として完璧であるのは「邪魔」なのだということが。

思えば、20世紀の終り頃にパリのシテ・ド・ラ・ミュージックにバロック・バレーについてのシンポジウムを聴きに行った時、ベアトリス・マサンだったかが、バロック音楽について、こう語った。

「普通、踊りと音楽のどちらがエライかと言ったら、音楽ですよね。だって踊りがなくても音楽は成立するけど音楽がなければ踊れないですから」

「でも、ヨーロッパの音楽史の中で、1650年から1750年のこの100年間だけは、踊りの方がエラかった。音楽は踊りを成立させるためにだけ創られたんです」

私はこの話に感心して、なるほどそうかとずっと思っていた。

まあ、詳しく書くとそれこそ論文になるので簡単に言ってしまうと、

今のバロック・ダンサーのほとんどは、振付譜の残っている17世紀のダンス曲ばかりを守備範囲にしている。

なぜ18世紀の振付譜が残っていないかと言うと、多分18世紀にはバレーが完全にプロのダンサーによる舞台公演のものになって、その振付譜は一般の人の手に渡らなかった、また、テクニック的にも複雑で難しいものになったので振付譜の商品価値はなくなったなどの理由があるだろう。

で、17世紀後半に人気で18世紀にも国境を越えて伝播し続けた振付譜に記載されているダンス曲は、確かに、踊りのためにだけ作られたものだった。

リズムやフレージングだ。

その骨子さえあれば、楽器構成をかなり単純化してアレンジしても問題なかった。

宮廷のバロック・ダンスが馬や剣術と並ぶ身体技能であったこともそれを物語る。

リズムやフレージングさえ、ブ―レだったりサラバンドだったりガボットだったりメヌエットであったりすれば、ハーモニーとかメロディは重要でなく、誰のどの曲でも互換性があったのだ。

ベアトリス・マサンが言うように、ダンスの方が曲よりもエラい、というヒエラルキーがあったわけだ。

ところがラモー以降、それが逆転した。

バロック・ダンスのリズムやフレージングや身体性はその時代の標準教養であったから、作曲家たちは以前としてダンスの組曲を作り続けたし、オペラの幕間にも相変わらずダンスを組み込んだ。

しかし、それは、ハーモニー論を駆使した知的で色彩豊かでかつ神秘的な音楽に、ダンスのリズムやフレージングを巧妙に織り込んだパラレルで複雑なものになった。

ラモー以前は、すばらしい豊饒な音楽性を持つ作曲家でも、オペラに挿入されるダンス曲はまるで「別くち」のように、昔ながらの平坦なものを差し出す傾向があった。

それが、ラモーのオペラ以降には、ダンス曲はもはや「ダンスの下に位置する」ことをやめてしまったのだ。

ロワイエのオペラにおけるラモー以前とラモー以降でのダンス曲の変化
にはそれが明らかである。

けれども、17世紀の作曲家によるダンス曲のすべてが「ラモー以前」の「ダンスの下位にある音楽」であったわけではない。

この前聴いたシャルパンティエの『ダヴィッドとジョナタス』のシャコンヌなどはなかなか豊かなものだ。

ダンスの下位にあるわけではないのでダンスなしでそのままで音楽とダンスを複合させながら成立する。

しかし、すると、ウィリアム・クリスティはどうしたか。

振付譜の失われたこれらのダンス曲をどう扱っていいか分からずに、「話の腰を折らないための無言劇」を挿入したのである。

音楽とダンスを同時に絢爛に表現してしまうタイプのバロック・ダンス曲は、それほどまでに、ダンサーとの折り合いはよくないわけだ。

昔、バッハのダンス組曲を弾くたびに、それはダンスという名を借りてはいるが芸術的(つまりピュアに独立したアートという意味)なので、実際には踊るものではない、といつも言われていた。

そんなものかと思っていたが、それ自体がダンスのロジックを完全に織り込んでいる総合芸術になっている音楽の前では、普通のダンサーはたじろぐということなのだ。

「踊るものではない」のではなく、「もはや踊りを必要としない」ことと、普通のダンサーはそれをダンス曲として組み伏せられないので敬遠してしまうということなのだ。

今でも、ワルツだとか、タンゴだとか、サンバだとか一定のリズムの形さえあればどんな曲でも同じ形で踊られるタイプのダンス曲はどこにでもある。

人々が「いっしょに踊る」ことに意味のあるようなタイプの踊りには、「従属音楽」でも充分なのだ。

いやその方がダンサーにとって都合がいい。

ラモーやミオンらのダンス曲には振付譜が残っていないのももちろんだが、今や、その曲を前にしたダンサーが適当な既存の振付譜を応用するだけでは、音楽を従わせることはもちろん、曲と対等に踊ることも難しい。

ラモーのダンス曲とバロック・ダンスが競合するためには、ダンサーの方も、単なる身体技法以上のオーラをまとったり、曲に流れるハーモニー進行をキャッチしたりする必要がある。

ラモーの曲をダンスのフレージングが隠されていることを意識せずに演奏すると決定的な欠落ができるのと同じように、ラモーの曲を、和声進行のロジックを意識せずに踊ると何かが足らなくなるのである。

その、自分たちの側の理解の欠落を感じる代わりに、多くのバロック・ダンサーは「ラモーは踊りにくい」、「何かが邪魔だ」と感じてしまうのだ。

その点で、2010年にフランスと日本で私たちのミオンのダンス曲に振りつけて踊ってくれた湯浅宣子さん
は大したものだった。

ラモーやミオンの曲に彼女ほどの強靱さを持って向かい合えるダンサーは見たことがない。

多くのプロのバロック・ダンサーはコンテンポラリーやクラシックの出身で、バロック音楽理論に疎い。

それを理論からではなく、避けて通ることもなく、肌で吸収してねじふせることができるだけの過剰なほどのエネルギーを湯浅さんは持っているのだ。

私たちトリオは感受性が過剰でエネルギー値は低いのだが、BuryのシャコンヌでもDuphlyのシャコンヌでもミオンのパサカリアでも、湯浅さんならさぞや祝祭のクライマックスで舞いだす巫女のように踊ってくれるだろうなと思う。
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by mariastella | 2013-02-23 04:57 | 音楽

癌研(Institut de cancérologie Gustave-Roussy)でのコンサート

パリの南の郊外Villejuifにヨーロッパ最大規模で国際的に有名な癌研ギュスターヴ・ルシィ研究所というところがある。

一つの町のように巨大な総合病院であり研究施設なのだが、そこの各科の外来診察の待合室を周りにずらりと配した広い廊下に囲まれた下が吹き抜けの中になっているplateau de consultationというユニークな場所がある。


ここで、先日、こういうプログラムのコンサートをした。

Programme Lundi 18 février 2013

--Ritournelle « Nitetis » (1741) de Charles-Louis Mion
--Mouvement de passacaille « Le pouvoir de l'Amour » (1743)
de Joseph Nicolas Pancrace Royer
--Chaconne : pièce pour clavecin (1737) de Bernard de Bury
--Air pour les genies« Nitetis » (1741) de Charles-Louis Mion
--Chaconne : pièce pour clavecin (1756) de Jacques Duphly
-- la flatteuse : pièce pour clavecin (1747) de Luc Marchand
--Passacaille « Nitetis » (1741) de Charles-Louis Mion
--Air pour les suivantes de Bacchus et Pomone « L’Année galante »(1747)
de Charles-Louis Mion
Trio Nitetis (guitares)
Mireille GERARD/Setsuko TAKESHITA/ Hakim MIOUDI
Constitué de 3 guitaristes, le Trio Nitetis a choisi la musique instrumentale française du XVIlI siècle. Il se consacre à la musique de danse de cette époque qui cherchait les sensations du corps dansant dans le rythme, le phrasé et l'expression musicale.
Depuis 1994, ses recherches l'ont amené à la Bibliothèque de l'Opera de Paris, à la recherche de la gestuelle, la danse ainsi qu'à la pratique d'instruments baroques. le Trio Nitetis à collaboré avec des danseurs au cours de concert-conférences en France et au Japon. 
                  http://www.trionitetis.com 
                  trionitetis@gmail.com
l'installation conçu par Koji Moroï
http://www.kojimoroi.com

明るく広々として、中庭だけを見ているとリゾートホテルにいるような気分になりかねない場所だが、当然、無言のストレスが充満している。

患者も患者の家族も職員も、みながストレスを抱えているだろう。

ここにはグランドピアノがあって、水曜日の午後に短いコンサートがあり、チェロやヴァイオリンとのデュオもある。

今回の私たちのコンサートについても、絶対に40分を超えないでくれと言われていた。

ところが、終わった後、もっと弾いてくれと言われた。

実は、「病院にピアノ」をという画期的な試みは、その度にいろいろな批判にさらさられていたらしい。

コンサート中に何度も各部署からのクレームがつくこともあったそうだ。

なんとなく分かる。

ピアノのコンサートというのは、その気になって聴きに行った人でないと、結構アグレッシヴなものなのだ。特に心身の弱っている人には、その音を受け止めることができない。

隣人のピアノの音が原因で時には殺人にまで至るほどにさまざまな問題が生ずることがあることは知られている。

ピアノの音は、その技術と関係なく、受けとめる方に一定の耐性を要求するのだ。

もちろん、医師や職員や入院患者のうちには、毎水曜日にわざわざこの場所に移動して、たとえ十分でも音楽を聴くことで癒されるという人がいる。

その意義は小さくない。

けれども、診察室で自分の番を待つ多くの患者の心は、時として何も受けつけない。

ピアノが奏でる音楽の自己充足性、確かさ、十全さ、幸福感そのものを全否定したくなる人もいるのだ。

で、ギター22弦にアレンジしたルイ15世時代のダンス曲。

特に長調から短調に移ってまた長調に戻る長い旅のようなシャコンヌ。

私たちの楽器のカスタマイズの仕方や構成の仕方で音の濁りが少なくなっている。

待合室から出てくる人は少なかった。

みな、外に出ている間に自分の名を呼ばれるのが心配だったからだ。

でも、待合室の中で、自然に手でリズムをとっていた人がいた。診察の順番が来たら呼びに行くからと言って奥さんを聴きに行かせた夫もいた。ソフォロジーや痛みの緩和ケアに使ってほしいという人もいた。

ダンサーの体の動きを誘導するロジックを組み入れたフランスのバロック音楽が心身音楽であって、音楽療法に有効だというのは前から気づいていたし、自分自身も癒されていたけれど、ギターの音色そのものに癒し効果があるというのに、今回改めて気づかされた。

トリオのメンバーの一人は親しい友人を癌で失くした時に末期の苦しみを見た経験があって、この癌研で弾くこと自体にトラウマが刺激されるのではないかと恐れていた。

けれども、その場に確かにあったはずのストレスは、私たちにこの音楽でみんなが楽になりますように、という気持ちを自然に抱かせた。

私自身、いつのまにか、「みんなが治りますように」と唱えながら弾いていた。

企画した時は、そんなに情緒的であったわけではない。興味深い体験になるだろうと思っただけだった。

考えてみるとどんなコンサートでも、客席側にいる人よりもステージで弾く側の方が圧倒的にストレスもあるしプレッシャーもある。コンサートに来ようか、と足を運ぶような人々は、その時の心理状態がすでにポジティヴである。
私たちはそれに応え、拮抗しなくてはならない。

けれど午後の癌研のこの場所を通過する人たちの心理状態はほとんどネガティヴなものだ。

そのネガティヴさがむしろ私たちのエネルギーを引き出した。

プレッシャーの反対だ。

ネガティヴさはアグレッシヴではなく、ぽっかり空いた穴のように音楽を待っていた。

ピアノの音には自らその穴をふさいで侵入をはばんだ心が、ギターの音がいつの間にか浸みいるのは受け入れてくれた。

誰からもクレームがなかった。

私たちはピアノのステージには椅子をのせるスペースがなかったので、ピアノのステージの上には、去年から私たちの音楽とのコラボレーションに取り組んでくれている師井公二さんのインスタレーションを配した。

その繊細でキラキラしたイメージにはやはり挑発的なものはない。

インスタレーションとのコラボの話を最初に聞いた担当者は、はじめは懸念していた。現代アートのインスタレーションといえばインパクトのありすぎるものを想像したらしい。

今の世の中、家族、親戚、友人、知人で癌で亡くなった方や闘病された方がいない人などだれもいない。

大規模な癌研に来ると誰でもいろいろな思いが交錯する。

しかし、すべての思いは音楽によって「美に変えることが可能だ」と私たちは信じているし、フランス・バロック音楽の心身科学的普遍性に感謝する。

BURYのチェンバロ曲のシャコンヌは華やかで、当時17歳だった天才の若さに満ち溢れている。

そのBURYがたったひとつ残したらしいオペラにもシャコンヌがある。壮年となった彼の成熟が加わって深みが加わった。これはオーケストラ曲なのでチェンバロ曲とは雰囲気も違う。録音などはもちろんないが、オリジナル楽譜を検索できる。


次はこのシャコンヌと、BoismortierのDaphnisのシャコンヌとをプログラムに入れたい。

シャコンヌは切れ目なく風景が変化するので弾いている方はかなり消耗して、次に小曲を入れて自分たち自身を癒しているのだが、本当に疲れている人や傷ついている人が癒されるには、少しずつ浸み渡りながらじわじわ広がっていつの間にか別世界に連れて行ってくれる「長さ」が必要だということが実感として分かった。

体力作りに励むしかない。
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by mariastella | 2013-02-22 00:23 | 音楽

またまた黒人の話

またまた黒人の話です。

マリ内戦の影響もあって、パリ郊外にはアフリカからの移民や亡命者が増えている。

フランスはアメリカと違って、「解放奴隷の子孫」としての黒人コミュニティはないのだが、アフリカが近く旧植民地も多いので、いろいろなところに黒人コミュニティがある。もちろん、カリブ海のグアダルーペのようにそのままフランスの海外県として残った旧開拓地からやってくるフランス人である黒人も少なくない。

共和国主義は共同体主義を否定するので、表向きには人種別の統計など存在しないし、「…系フランス人」という表現も使えない。しかも外国人であろうと、医療などではたとえ不法滞在者であろうと福祉政策の対象になっているので、「差別」は一見見えにくいのだが、その「建前」と、実際の生活感覚にはかなりのずれがある。

白人の多い地域のバスがどんなに混んでいても、黒人の隣の席には誰も座らないなどの証言を集めたノンフィクションもある。

パリ市は一昔前に、黒人を周辺の郊外へと締め出そうとして、黒人に公共住宅を提供する町に金を支給したと言われる。もちろん表向きではないが、関係者に聞いたことがある。その「政策」で、あっという間に黒人コミュニティが出現した町は少なくない。それまでも、マグレブ三国の「アラブ人」移民のゲットー化は問題になっていたのだが、やはり外見の「色」のインパクトは黒人の方が大きい。アジア人やアラブ人のコミュニティとは微妙に違うのだ。

その辺に妙にタブー感があって、それが私にはすごく気になるのだ。

世界史に出てくるお決まりの欧米人の「罪」のリストには必ず「西アフリカからの奴隷売買」が出てくる。

実際はアラブ商人もユダヤ人も、黒人の王さまも、奴隷貿易で利を得ていた人は多いので、「黒人を人間と見なさない白人による人身売買」というステレオタイプな見方は正確ではない。

「利益最優先の文脈では、金や権力を持っている人々にとっては、無産者は人間ではない」

というのが多分正確だろう。

残念だけれど。

で、それでも、どうして「新大陸」のプランテーションの労働力としてあのように黒人ばかりが「調達された」のか、なぜそれが南部で優勢だったのか、カナダなどではなぜそんな話があまりないのか、などについて、私はこれまであまり考えたことがなかった。

インディアンが白人の持ち込んだ(ペスト菌をつけた毛布をわざと置いていった、などの細菌兵器並みの話も聞いたことがある)疫病でばたばたと倒れて絶滅寸前になり、中南米のインディオたちは奴隷にしてもあまり働かないので役に立たない、で、わざわざアフリカから黒人を連れてきた、という説を聞いたことはあるが、黒人がそんなに「従順で働き者」というのもおかしい。

強制労働の文脈に民族性など関係ないだろう、と思う。

そこに、最近藤永茂さんのカナダのインディアンの過酷な状況に関する記事を読んだのでなんだか、これまでカナダに抱いていた好感がしぼんだ。


しかし別の本をよんで、あ、そういうことかと気づかされたことがある。

アメリカ大陸ではユーラシア大陸と切り離されて以来、生物学的に別の進化が続いていたので、ペストなどの伝染病は存在しなかった。

というのは、ヨーロッパで流行して大量の犠牲者を出した多くの伝染病は、天然痘(馬やラクダで増幅したと言われる)、麻疹、インフルエンザなど、家畜の病気が変異して人間に感染するようになったもので、要するに「家畜文化」が盛んな場所で生まれたのだが、アメリカには家畜文化が少なかった。

馬も羊も山羊も鶏もいなかった(エルナン・コルテスが持ち込んだ馬の利便性を理解したインディアンたちは馬の略奪に励んだ)。

ところがヨーロッパの植民者たちは家畜を持ち込んだから、そのせいで免疫のない先住民はばたばたと罹患して人口の90%が犠牲になったと言われる。

ヨーロッパやアフリカの千年分の死者が新大陸では150年で出たわけだ。

それに比べると。ヨーロッパの植民者は免疫ができていた。この伝染病による先住民の人口激減がなければ、数少ない植民者が短い間に「支配者」としてふるまうようになることなど不可能だった。

で、広大な土地を利用したプランテーションであるが、中南米ではコロンブス以来もたらされたマラリアが猛威をふるった。

天然痘の犠牲者は主としてアメリカの先住民だったが、マラリアの犠牲者はヨーロッパ人だった。

マラリアの病原菌はもともと熱帯のものだから、ヨーロッパでは死滅するので、ヨーロッパ人にはマラリアの免疫がなかったのだ。

ニューヨークなど北アメリカの一定以上の緯度の場所でも同様だ。

こうして、ワシントン以南、リオ・デ・ジャネイロまでの白人植民者の40%がマラリアとその変種である黄熱病で死んだ。

残りも何カ月も床に就くことになった。

で、労働力が足らない。

ここで真っ先に考えたのは、祖国から貧しい労働者を移民させることだったのだが、同じ白人では、高い金を払って連れてきても、これらの病気で死んだり寝込んだりする確率は非常に高かった。

ところが、これらの病気の存在するアフリカからの労働力なら、罹患と死の確率は白人の三分の一だったそうだ。

つまり、白人プランテーション主が貧しい同胞でなくて黒人を買ったのは、

黒人であれば家畜のように働かせることができるからではなく、

黒人の方がコストパフォーマンスがよかったからなのだ。

貧しい同胞は同胞ではなくて、家畜と変わらない。

ただ、より「丈夫な家畜」が欲しかっただけだ。

確かに過酷な条件で働かされる農奴をはじめとして同人種内の強制労働などは古今東西どこにでもある。

人間社会の支配構造は、人種がどうのこうのと言うよりとにかく「安い労働力ほどいい」という経済原理に支配されているのだ。

まあ、その結果、病への抵抗力もあって強靱な「奴隷」が生き残って、そういう遺伝子強者たちが差別されて被支配されているという不自然な状況が生まれた。

それを正当化して維持するためにいろいろな理屈や対策が立てられてきたのだろう。

黒人奴隷は新大陸ご用達で、ヨーロッパ本土にはほとんど黒人奴隷労働の歴史がないのは、自分たちだけで間に合っていたからである。

安上がりの地産地消の貧民が充分にいたからなのだ。

黒人やアメリカ・インディアンは、「珍しい生きもの」でしかなかったわけである。

別に本土のヨーロッパ人が立派だったからではない。

まあ、分かりきったことではあるけれど。

差別意識に関することは、考えようとするといつもどこかに罪悪感があったり歴史的偏見や刷りこみによる妙な思い込みがあるので、分かりきったことでも常に確認しながら思考しなければいけない。
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by mariastella | 2013-02-21 00:47 | 雑感

「黒人法王」という言葉からの連想でまた考えたこと

その後、次のローマ教皇選出のコンクラーベ開催が早まるという見通しになった。

空位になってから15日-20日以内というのは逝去の場合なので、基本的には空位の期間が短い方が行政的にも不都合が少ないし、3月末の復活祭に向けて新教皇がリードしていける期間をつくれるのは望ましいからだろう。ローマにはもう続々と枢機卿が集まっているそうだ。

こちらのメディアでは、今でも、保守的なカトリック界を揶揄する調子で「じゃあ、次は黒人法王で」などという論調がまだ残っている。

この言葉を聞くと私はcygne noir、つまりブラック・スワンのことを思い出す。

日本語では「白鳥」に対する「黒鳥」だ。

たとえば「馬」なら、色と関係ない「種」の一般概念で、白馬とか黒馬とか言ってはじめて色が分かる。

でも白鳥や黒鳥は「白い鳥」や「黒い鳥」のことではなく、特定の鳥の種類だ。

ヨーロッパ語のスワンだとかシーニュだとかいう単語には最初から白くて首の長い渡り鳥である鳥の種類を指している。

色のある動物でも、突然変異で色素がないアルビノスという白い個体が一定数で生まれることは誰でも知っているから、「白い・・」というのはどんな種の場合でも、例外としてのイメージができている。

でも白い集団に突然黒い個体が生まれるというのは多分あり得ない。

で、「ブラック・スワン」は仮定としても考えられなかった。

だから、オーストラリアでスワンと全く外見が同じで色だけが黒い鳥の集団を実際に「発見」したヨーロッパ人にとっては、「ブラック・スワン」は、「非現実なことが有無をいわさぬ現実になった」ことの代名詞になるほどの衝撃だったのだ。

同じように、「ローマ教皇」という言葉のイメージに中にはもう「白人」というのが属性のように刷り込まれているということで、「黒人法王」という言葉が発せられる度にヨーロッパ白人は信者も非信者にも戦慄が走っているような気がするらしい。

白鳥に白いという形容詞がつかないように、これまでの白人教皇は「白人法王」とは言われない。

近代以降の法王は「白い服」を着用するのが習慣になっているので、赤や黒が基調の枢機卿たちの間で一人「白服に赤い靴」の教皇の「白い」インパクトは大きいが、肌の色とは関係がない。

「人」という言葉にも色がなく、その下位概念に「白人」とか「黒人」とかいう言葉があるわけだけれど、この分け方だって、分類学を始めたヨーロッパ人たちにとっては、自分たちこそが色の形容を必要としない「人間」であって、他の大陸で「発見」した人種を勝手に「黒」とか「黄色」とか呼んで、いちばん色素の薄い自分たちを「白」としただけで、本来ならスワンはスワンのままに残しておきたかったのかもしれない、と勘ぐってしまう。

日本語では黒人とか白人とかいうけれどヨーロッパ語では「黒」とか「白」など色の名そのものだ。

では日本語の方が肌の色の多様性にリスペクトがあるのかと思うが、黒人、白人という言葉は普通に使われても、「黄人」とは言わない。

アジア人とか黄色人種とかになる。

これってやはり、黒人や白人は色だけで形容してもOKだが自分たちは別という意識(または無意識?)かもしれない。

そもそも、日本人にとって、白人は別に白くなかった。

キリシタンなどが西洋からやってきても、白人は「紅毛碧眼」などと髪や目の色で形容され、肌の色で形容する時は「赤鬼」だったりした。

日本では昔も今も、「白塗り」の化粧というのはあるし、高貴な女性は深窓で過ごし日焼けしないで白い肌、というようなイメージがあるし、歌舞伎などでも二枚目や殿さまは白塗りだ。

だから、いわゆる白人を見ても、「赤ら顔」の印象があっても、「白い」ことは彼らの属性ではなかった。金髪碧眼のような違いの方がさぞや珍しかっただろう。

そして白人の深窓の女性などは大航海をして日本に渡ってこないだろうから、白人女性独特の白さなどはあまり目にする機会もない。

それにしても、肌の色の違う人のことを「白」とか「黒」とか呼び捨てにする国にいるといろいろ抵抗のあることも起こってくる。

以前にも書いたのだが、こちらでは音楽学校に至るまで、四分音符のことを黒と呼び、二分音符のことを白と呼ぶ(全音符は「丸」、八分音符は鉤)。

で、黒人の子供がいるクラスなどで、

「ひとつの白は二つの黒に相当する」

という説明をする時に、その言葉は

「一人の白人は黒人ふたりの価値がある」

というのと同じ言いまわしになってしまうのだ。

私は個人授業で黒人の子供を教えていた時に焦ったが、中学の音楽教師をしている友人などもみな居心地が悪くて表現に気を使う、と言っている。

ちなみに、初期のキリスト教やオリエントのキリスト教ではもちろん、教父は中近東系の人物である。初代ローマ司教とされる聖ペトロもパレスチナにいたユダヤ人なのだからいわゆる「白人」ではない。

アラブ人を含めて、彼らの顔の造作は日本人にとっては「白人」に近いのだが、「白人」にとってはやはり「白」ではなく、「マットな肌」と呼ばれる。

マットとは光沢のない、艶消しの、という意味で、布やペンキなどでは「サテン」の反対概念だが、肌の場合、確かに色素の多寡で透明感が変わってくる。

「白人」たちはブラック・スワンの登場で仕方なく自分たちを「白」と形容しているが、本当は、色素が薄いからすぐ欠陥が透けて見えて赤ら顔になったりすることをよく心得ていて、本当は「透明」と「不透明」とに二分しているような気もする。

「肌のくすみをとり透明感のある肌を」というのは日本の化粧品の売り言葉でもあるが、「透明」の価値の含意ってなんだろう、と何十年も「マット肌」の持ち主としてフランスで暮らしながら時折考えてしまう。
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by mariastella | 2013-02-19 23:55 | 雑感

B16のリタイアとヴァティカンのスキャンダル

このテーマについては書くのもばかばかしいのでスルーしようと思っていた。

私のサイトの掲示板に、B16のリタイアがヴァティカンの秘密隠しの一環だというような陰謀論系のコメントをしていた人がいたのだが、こういうものにも、対応のしようもないので放置しておいた。

ところが、日本の老舗の新聞

バチカン、醜聞噴出 法王退位きっかけ 「同性愛で結ばれている」・権力闘争・汚職

などというタイトルで何か書いているらしいのをネットで目にして、あまりのことに、少し書く気になった。

2月21日 にイタリアの左派系新聞La Repubblicaで、共産党日刊紙の元編集長が、B16が、三人の枢機卿の出したレポートでゲイのロビーの存在を知って衝撃を受けてリタイアを決意した、という趣旨の記事を掲載し、それがまたたくまに世界中に流れたからだろう。

まともな新聞はそれをすぐにちゃんと検証して否定した記事を出していたが、充分納得のいくものいくものだった。
たとえばこれ

三人の枢機卿のレポートの実態が何かということもよく分かった。このブログ記事はスキャンダルの否定自体が目的ではないので詳しいことは書かない。

今はヴァティカンもそれに対して声明を出している。

ともかく、枢機卿の間での「ゲイのロビー」という言葉は、ヨーロッパのキリスト教国のメディアにとってはかっこうのキャッチコピーになるものなので、すぐに多くのカリカチュアや揶揄する記事が出た。

とても下品なものが多いのだが、もともと、イスラムについては神経質なヨーロッパのメディアはその代わりと言っては何だがヴァティカンとかローマ法王については目いっぱい下品だったり、リスペクトのかけらもないような記事や画像を普段から流しているのだから、それ自体は驚くほどのことではない。

フランスでも反教権主義、反カトリックは共和国アイデンティティの一つだから、こういうことには「過剰反応が普通」なのである。

特に去年五月以来社会党政権になってからは、フリーメイスンでさえ、デイスト系GLNF(キリスト教とかカトリックという組織や教義は否定するが宇宙を司る神の存在は認める)は勢力を落とし、現職の大臣を相当数抱える無神論系GODFが突出してきている。

私は、「宗教者は原則的にリスペクトする」、「年配者はリスペクトする」という文化の中で育ったので、ローマ法王であろうとムハンマドであろうと釈迦であろうとキリストであろうと、宗教者や、信者の崇敬や崇拝の対象になっている人物が揶揄されるのを見るのが好きではない。

それどころか、たとえ極悪人のように評されている人でも、たとえばエジプトのムバラクとかフランスでナチスに協力したパポンとかでも、80歳や90歳を過ぎてから逮捕されたりさらしものにされたりするのを見るのはすごく嫌だ。

ナチスの残党を執拗に探しまわって90歳にもなっている人を弾劾するようなものも、見るに堪えない。

そういう人たちはもう何十年もびくびくと隠れて逃げてきたのだから充分苦しんだはずだというような理屈ではなく、ただ、生理的に嫌なのだ。

表現の自由の名のもとに特定のキャラを攻撃したり貶めたりしていいのは、マイナーがメジャーを、弱者が強者に対抗する場合だ。

今のヨーロッパのようにカトリックやキリスト教がむしろマイナーになっているような世界で、中世から18世紀や19世紀までの時代とあいも変わらず、条件反射のようにヴァティカンやローマ法王を揶揄したり攻撃したりするなんてどうかと思う。

神が全知全能だと思っている人がいまだにせっせと「神」を攻撃し続けるのなら分からないでもないけれど。

大体において、「ゲイのロビー」云々というのも下品だ。

同性愛者のロビーがあるなら異性愛者のロビーもあるだろうし、カトリックは司祭の独身や貞潔を求めていても、もって生まれた性的傾向までを審査することはない。(アメリカの軍隊の方が最近まで同性愛者を排除していたのを思い出してしまう。

B16は教理省長官として25年もヴァティカンに勤務していたのだから、ヴァティカン内のスキャンダルや噂には精通していたはずで、今さら、

「えっ、ゲイのロビーが暗躍していたのか、それはショッキングだ」

なんていってリタイアするわけがないのは少し考えても分かる。

B16はヴァティカン銀行の改革も阻まれたし、側近には内部文書をリークされるし、迎え入れようと手を差しのべた教条主義者が「ユダヤ人の収容所にはガス室はない」という発言をしていたことも知らされていなかったし、ヴァティカンの不透明性や裏切りやロビーの分断という状況の前で打ちのめされて疲弊していたのは事実だろう。

それらのすべてに対応する心身の限界が来たので後は適任者に任せたい、というのも事実だろうし、それを疑ったり、実は院政なのだとか、突然ゲイのロビーがどうだとか言いたてたりする理由は全く見当たらないのである。

しかも、この教皇には、いわゆる教書とよばれる公式の文書だけではなく、多くの著作がある。その信仰と理性の両輪をペアとする態度は常に一貫している。作家としてのスタイルも確立しているし、信仰に基づく内的体験も表現している。インタビューにもじっくり答えてきている。

ローマ法王がめったに言及しないダンテの『天国篇』を引用し、ヘルマン・ヘッセを愛した。

それらを読むと、B16の人柄はわかる。

これだけの情報があるのに、また、イタリアを含むヨーロッパ諸国のヴァティカンとの長く微妙な確執の歴史ゆえに、ヴァティカンに関するヨーロッパのメディアにはさまざまなバイアスがかかっている事実を無視して、

バチカン、醜聞噴出 法王退位きっかけ 「同性愛で結ばれている」・権力闘争・汚職

などと安易な見出しをつけてしまうのが日本のメディアなのだ。

日本のメディアの宗教リテラシーって一体どうなっているんだろう。

ヨーロッパのメディアにだってもちろん煽情的な見出しは多々ある。

だからこそ日本のメディアも安心してコピーするのだろう。

けれどもまともな記事やリスペクトする記事、信頼のおける情報もまた、たくさんあるのだ。

日本ではもともとカトリックに対する関心が低いし、キリスト教人口も少ないし、教皇辞任関連の記事が少ないこと自体は不思議でもなんでもないが、その少ない記事にわざわざ低レベルで無意味なものが紹介されることがいかにも情けなく思った。

ネット世界で展開され増幅される数々の陰謀論は尽きることがないしどんなに突拍子のないものでもそんなものだと思ってスルーできるが、「大新聞」くらいは、少しは見出しに気をつけてほしい。
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by mariastella | 2013-02-19 07:30 | 宗教

食肉偽装事件

フランスでは食肉偽装事件で大騒ぎになっている。

一昔前に、フランスでもう何年もBSE(狂牛病)のリスクのある牛肉が出回っていたと知った時は大ショックだったけれど、馬肉を牛肉と偽装した冷凍ラザニアがヨーロッパ中に出回っていたという今回のスキャンダルには、今のところは衛生上の問題がないと明言されているからか、あまりショックを受けない。むしろどこか間抜けでほほえましい感じがする。

ひとコマ漫画やジョークが多発して、その多くは、「モー」と鳴く馬の横で「うちの馬は牛肉100%です」と業者が言っている、というタイプのものだからだ。

馬には罪はない。

ヒンズー教徒に牛を食べさせていたとかイスラム教徒に豚を食べさせていたとかいうならもっと深刻な問題になっていただろうが、少なくとも、馬肉屋さんもあって、タルタルステーキなら馬の方が衛生的だという人も多いフランス人にはあまりショックではない。

馬刺しのある日本でもショックは少ないだろう。馬はペット扱いというイギリスで大スキャンダルになったのは分かる。私だって、牛肉だと思って食べていたのが猫の肉だったと聞いたらショックだろう。

いや、なぜだかもう問題にされないが、当初は、アイルランドの食品衛生局が100%ビーフの27種のハンバーガーを検査して、27のうちの10個に馬肉のDNAが見つかって23個に豚肉のDNAが見つかったと一月半ばに発表した。豚肉のことをもう誰も言わないのはやはりイスラム教徒に対する政治的判断なのだろうか。

で、問題はひたすら、牛が馬だった、ということに集約された。

大手冷凍食品のFindusが自主的に検査したらラザニアが100%馬肉だったというので火がついた。

もちろん商品の成分表示を偽ること自体がスキャンダルであるということは理解できる。

このことで意外なことが次々と分かってきた。

冷凍食品の製造会社に至るまでにヨーロッパの数カ国に渡るいくつもの下請け会社が介在していて、これならどこかで伝言ゲームみたいにもとの情報が改変されることもあり得るだろうな、と思わせる。

最初の輸出元がルーマニアの屠殺場であり、ルーマニアといえばジプシーなどの社会問題や犯罪に悩まされている西ヨーロッパの諸国から見ると、すぐに、彼らがあやしい、という雰囲気が生まれたことも日頃の偏見を明らかにした。

実際は、ルーマニアでは最近馬車の通行が禁止されたので馬車用の馬が大量に廃棄=食肉化されたので安価な馬肉が出回り、それはちゃんと「馬肉」として処理されて通関しているので、フランス内でそれを牛肉として処理して冷凍食品会社に下ろしていた会社が偽装していた可能性が大きいらしい。

しかし、なぜ、製品を食べただけでは誰も見抜けなかった肉の種類を特定するために突然冷凍食品会社がDNA検査をしてその結果を発表したのだろうか。

先行するハンバーガーの豚肉問題がイスラム教ロビーで問題になることを避けるために、「豚」より「馬」にスポットを当てたいという政治的判断がFindusの決定に影響したのだろうか。

ともかく、そのせいで、今後は、加工食品会社は肉のDNA検査を、加工前にシステマティックに行うことになるらしい。

DNA検査などできなかった時代や、今でもその技術を備えていない地域ではなんでもありかもしれないということもあらためて思う。

衛生上の問題のないそれらの製品が廃棄されることのないよう、困窮している人々に食品を提供するNPOが喜んで引き取ると言っていることももっともだ。

フランスのような国でも今や食が二極化している。

今や地産地消やバイオ食品は富める人の特権であって、余裕のない人はどこの国からどのように来たか分からないなにかの加工食品を日々消費しているのが現実だ。

実際、大手のマーケット・ブランドの食品でも、ディスカウントと銘打った加工商品がいろいろあって、肉に炭水化物を加えていたりするのは成分表示で分かるのだが、トレーサビリティは今一つ曖昧だ。

EUがあるから、ルーマニアでもどこでも、フランスとかなり状況の違う国のものでも「ヨーロッパ」で片付けられていることもある。

ただ、食品を買うというシーンでは、今でも、普通の人が選ぼうとしたら、ある程度は、見た目で鮮度を確めて買うことも日常的にできる。たまに加工食品を食べたとしても、同じブランドの同じものを食べずにいろいろ試す幅もあるし自由もある。

それに比べると、これもいろいろとスキャンダルが続いて市場から姿を消してゆく「薬品」の薬害の方は、もっと深刻だ。

薬品に頼ろうとする人は何らかの健康上の問題をすでに抱えているわけだし、巨大な医薬産業のメカニズムの影に隠れているものを分析したり、薬の量や質の是非を判断したりする力はない。

多くの検査とそれに続く投薬が続々と展開されるマーケットの中で、そもそもある薬がある人にとってほんとうに必要なのかどうかも、誰にも分からない。

薬害問題の方が、自衛がずっと困難だと思うので、馬が「モー」と鳴いているような話が相対的に牧歌的に見えてくるのは、そのせいだろうか。
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by mariastella | 2013-02-17 21:25 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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