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Le Métis de Dieu

『Le Métis de Dieu』はARTEのテレビ映画で、今はまだネットで全編を見られるようだが、はっとさせられるところが多い番組だった。

ユダヤ人の監督が撮ったパリの前大司教ジャン=マリー・リュスティジェの物語で、特に、後半は、アウシュヴィッツのカルメル会が出ていくにあたって彼がどのような役割を果たしたかということに焦点が当てられている。

タイトルにある「メティス」とは混血児のことで、リュスティジェがカトリックに改宗したユダヤ人だったことを指している。

彼は、ある日教会で十字架のイエスを見て回心し、カトリックになってからはじめて、自分がイエスのようにユダヤ人であることを実感したという。

私はもちろん、 リュスティジェが、第二次大戦中ユダヤ人狩りを逃れてカトリックの家庭にかくまわれていたことや14歳でカトリックに改宗したユダヤ人であることを知っていた。

他の個々の話、つまり、

エディット・シュタインというユダヤ女性がカトリックに改宗しカルメル会に入ってからナチスに捕らわれてアウシュヴィッツで殺されたこと、後にカトリック教会から「殉教者」として列聖されたこと、

ポーランド人教皇のヨハネ=パウロ二世が故国ポーランドを共産主義陣営から脱落させるためにあらゆる手を使ったこと、

アウシュヴィッツの中の劇場後に女子カルメル会が一時居を定め、そのことが物議をかもしたこと(つまりユダヤ人の墓としての聖地をカトリックが変容させてしまうという抗議)があったこと、それがついに撤去されたこと、

などなどについても、かなりよく知っていた。

それらのことについてコメントしたこともある。

けれども、この四つの事項が、抜きがたく有機的に絡まっていることについて、意識して考えたことはなかった。

エディット・シュタインの列福が1987年というタイミング(列聖は1998年でシエナのカタリナなどと並んでヨーロッパの守護聖女にされている)であったことの重要性も、『聖者の宇宙』(中公文庫版P168-9)でユダヤ人の抗議にも触れながら、JP2の戦略やカルメル会引っ越しの騒ぎとは直接結びつけて考えていなかった。

そして、アウシュヴッィツが冷戦時代の40年間に、どのように共産主義イデオロギーに利用されていたのか、「ポーランド人の犠牲」という言葉と「ユダヤ人の犠牲」ということがどのようなバランスで語られていたのか、それもホロコースト否定の歴史修正主義に至るまでがその中で生まれていたことも含めて、深く考えたことがなかった。

この映画の中でリュスティジェがJP2に「あなたは偽善と外交を混同している、教会の利益とポーランドの利益を混同している」、と詰め寄るシーンがあり、それをかわそうとする老獪な教皇の態度を見ていると、当時の彼らの葛藤や信念がストレートに伝わって来て、エディット・シュタインやカルメル会の立場などが、パズルのピースがカタカタ音をたててはまっていくような感じでつなぎ合わさっていく。

このことについてはまた別の機会に書くことになるかもしれない。

私は生のリュスティジェを2回しか見たことがない。2回とももちろんパリのノートルダムだった。

最近彼のことを思ったのは、やはりノートルダム大聖堂で、2月に新作の鐘の名として刻まれた「ジャン=マリー」の文字を見た時だ。

この鐘は復活祭の聖週間の始まりを告げる「枝の日曜日」の前に鳴らされた。

復活祭の日曜日にも、さぞや高らかに、鳴り響くことだろう。
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by mariastella | 2013-03-31 07:13 | 宗教

聖木曜日の洗足---ヘルプとアシスト

聖木曜日、予定通りフランシスコ教皇はCasal del Marmoの未成年刑務所を訪れて、小さなチャペルで12人の足を洗ってキスした

これまでに発表されていた大司教時代の写真と同じ光景だ。

最後の晩餐の前にイエスが12使徒の足を洗ったという福音書の記述では、盥に水を入れてそれで足を洗って腰にまとった手拭いで水を拭き取ったとあるので、別に足にキスしたとは書いていない。

実際、足にキスしないでただ洗うだけの方が多いし、これまで老齢のローマ法王などはかがんだりするのが大変だから、洗ってもらう聖職者たちが高い台座の上の椅子に並んで座って、教皇がひざまずかなくてもすむようにするのが普通だった。

B16の時も、お付きの人が金の盥を聖職者たちの足の下に差し込み、教皇が金の水差しで足に水を注ぎ、その後でお付きの人に渡された布で水をぬぐっていくという感じだった。

それでも、ローマ法王が聖ピエトロ大聖堂で中高年聖職者たちの差し出す裸足を洗うという図は、なかなか印象的なものだ。

フランシスコ教皇は、それをもっとラディカルに、本物の受刑者のところで、本当にひざまずいて足にキスしてまわったのだ。

「足にキス」で思い出すのは、「罪深い女」が食事中のイエスに近寄って足を涙で濡らし、髪でぬぐい、接吻してから香油を塗った(ルカ7-38)というシーンだ。

今回、教皇から足を洗われるために「選ばれた」12人の受刑者の罪は窃盗、殺人、レイプなどで、カトリック、ムスリム、正教などが混在し、そのうちの2人は女性(イタリア人とムスリムのセルビア人)だそうだ。

教皇がムスリムでもある犯罪者の少女の足に接吻するというのはシンボリックな含意が何層にも重なっている。

イエスはもともと、天国に行く人とは、「飢えている人に食べさせ、渇いた人に飲ませ、病人を見舞い、牢に訪ねた人」であり、その飢えている人、病気の人、牢にいる人などこそが他ならぬ自分なのだという意味のことを教えている。(マタイ25 : 35-40)

つまり、教皇が刑に服している少年たちの足を洗うばかりか接吻までしているのは、彼らの中にイエスを見て、罪の女がイエスにしたようにキスしているのだとも言える。

少年たちの足を洗う前に教皇はこう簡単に説明した。

「一番上にいる者は他の人に仕えなければなりません。それが司祭として司教としての私の義務です。私はあなたたちのためにいます。足を洗うのはイエスの愛撫です。イエスはそのために来たのです。仕えて、助けるために。」

「イエスは仕え、助けるために来ました。そのことをよく考えましょう。私たちはほんとうに他の人に仕える気があるんでしょうか」

洗足の儀式を終えた後で聖木曜日のミサを司式して、前に進んだ者には、はじめて手ずから聖体パン(ホスチア)を配った。

その後で体育館に集まった100人以上の若い受刑者(ムスリムや正教も含む)とイタリアの法務大臣の前で、こう言った。

「希望を奪われてはいけません。分かりますか。希望を持って前進するのです。私は心を尽くしてここに来ました。心のことはことばで説明できません。あなたたちは私に、司教としての義務である謙虚の心が深まるように助けてくれました。」

この話はそれだけでもなかなか感動的だと思うが、私はちょうどシスター・マルグリットのことを考えていたところだったので、「あっ」と思った。

シスター・マルグリットというのはフランスの愛徳姉妹会のシスターで、長い間コンゴで無償の初等教育の普及に尽くしてきた人だ。

コンゴが内戦でひどい状態になっていた時にも、周りの反対を押し切って踏みとどまって、弱者の未来は教育にしかないという信念を貫いた。

87歳の今もまたコンゴに戻ることしか考えていない。

とにかくすごい人なのだが、その彼女が、

「ヘルプ」と「アシスト」を混同してはいけないと力説している。

それを間違う人道団体が少なくない。貧困者や弱者が必要としているのはヘルプであり、しかもそのヘルプとはいつも相互的なものだというのだ。

その文脈では、アシストの方は、依存状態をつくるという。

私には、この「違い」が分かるようでわからなかった。

なぜなら、日本語で「ヘルプとアシスト」の違いというテーマでは必ず、サッカーでボールをパスしてアシストして次の人がシュートできるようにするという例などが出てくるからだ。

「ヘルプ」は助けることであり、「アシスト」は手伝うことなので、アシストを受けた人の方が達成感があるという。つまりアシストの方が教育的であるかのようだ。

ヘルプは何もできない赤ちゃんを親がすべての世話をするイメージだともいう。

子供の靴ひもを結んでやるのがヘルプで、結び方を教えてやるのがアシストなのだと。

つまり、なんでもヘルプばかりしては相手が進歩しない。

災害ボランティアや支援の場面でも、いつまでも「ヘルプ」を与えているのでは自立心を損なう、国や自治体の支援のような「ヘルプ」には限りがあるので時機を見て「アシスト」に移行しなくてはならない。

「ヘルプ」は相手を信じていない上から目線で、「ヘルプ」を与える人の自己満足や達成感につながり、
「アシスト」は相手を信じて能力を引き出す。

これは上司と部下の関係にも応用できる。助けを求める方にも罪悪感や劣等感が生まれる。

などなど・・・。

こういう解説を読んでいると、なるほどと思ってしまうのだが、それではどうも、シスター・マルグリットが

「ヘルプ」が相互的で「アシスト」は依存関係を定着させる

というのと、真逆じゃないかと考えていたのだ。

でも、シスター・マルグリットの言うことは、きっと、正しい。

彼女の生き方全部、その業績のすべてが彼女の解釈の正しさを示しているからだ。

「ヘルプは自立を損なうからアシストに移行せよ」などという考えの方は、生活保護費を減らせとか復興援助を減らせとかいう議論にとって便利そうなところもあやしい。

何か、おかしい。

私が最初に考えてみたのは、こういう時にいつも便利な、「猫との異種共存の日々」から類推することだった。

うちの猫はトイレの砂も変えられない、猫缶も開けられないし、猫缶を買ってくることも買う金を稼ぐこともできない。赤ん坊ならいつかは成長して自立する見込みもあるが、猫が絶対「できないこと」は分かっている。

猫にできないことをやっているのはアシストでなくヘルプだ。

でも猫はヘルプを求めることに劣等感を持たないし、こっちも上から目線もなく、達成感とかも問題にならない。

では、何が楽しくて猫様に「仕えている」のかというと、それはもう、確実に、多くのものをいただいているからだ。

私たちはアシストし合っているのではなく、ヘルプし合っている。

うーん、こう考えると、シスター・マルグリットの言うことが少し納得できる。

などと思っていた時に、

このフランシスコ法王の言葉に出会ったのだ。

彼は「仕え、助ける」のが自分の義務だと二度言い、最後に

「あなたたちは私に、司教としての義務である謙虚の心が深まるように助けてくれました。」

と少年受刑者たちに言った。

「ヘルプ」は相互的だったのだ。

シスター・マルグリットのいう「ヘルプ」とフランシスコ法王のいう「ヘルプ」は明らかに同じ言葉である。

彼らはブエノス・アイレスの貧民地区でもコンゴの貧困と絶望の中で、人々を「アシスト」したわけではない。
「ヘルプ」していたのだ。そして、助けられていたのだ。

キリスト教のこういう逆説は、サッカーや教育学の考え方とは全く違うものかもしれないけれど、ボランティアや災害支援などのシーンでは何か根本的に大切なものを語っているような気がしてきた。
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by mariastella | 2013-03-30 05:09 | 宗教

法悦は神の意志である(by日夏耿之介)

法悦(extase)とトランスは、民族学的にははっきり違いがある。

トランスは集団が音楽やリズムやダンスなどによる極度の興奮や疲労の末に入る変性意識状態で、法悦は基本的に一人で静寂の中で何か外のものと結びつく意識状態だ。

そういわれると、私のイメージでは、トランスの例ではバリ島の激しい舞踊だとか、ある種のカルトが新参者を強制的に囲い込んで疲労の極致まで大声で叫ばせるだとかの光景が浮かび上がる。

後者の法悦の方は、修道院でじっとキリスト磔刑像を見ながら祈っていたら突然雷に打たれたように忘我状態になる修道女などの姿を思い出す。

天使から矢を刺されようとしている「アヴィラの聖テレサの法悦」のベルニーニの彫刻などだ。

トランスはこうすれば変性意識状態をつくることができるというような方法論が意識的にしろ経験的にしろ基盤にあるようで、マインドコントロールにも使われそうだ。

法悦は、なんとなくアクシデント感がある。

普段から苦行している修道者の場合なら修行の末に「一人トランス」状態に入るのかもしれないが、

「そんなつもりはなかったのに突然回心の神秘体験をした」というようなケースもある。

両者とも、普段は生きていく上でのバリアがあってコンタクトできない「聖なるもの」と接触するような中間状態になっている、境界領域にあると見なされる。

法悦のうちはっきりと「アクシデント感」のあるものは、聖なる何かから「選ばれた」者が一方的に接触されるというニュアンスも出てくる。

日夏耿之介は『轉身の頌』の序文で、ペルシャのスーフィーの哲人が「たまたまの法悦」に陥って「我は神なり」と唱えて天界の秘密を弟子らに伝えたエピソードを紹介している。

恍惚から醒めた師は弟子にそのことを知らされて驚き、次にそのようなことがあったらこれで自分を刺してくれと短刀を渡した。

翌日、同じことが起こったので弟子は飛びかかって師の喉を刺した。
しかし、短刀は鉄板に当たったように跳ね返って弟子の喉に深く突き刺さったという。

これを受けて日夏は

「法悦は神の意志である」

と言ったのだ。

うーん、弟子も、なにも師の喉をねらわなくてもよかったのでは・・・

師の真意は「我は神なり」というのが冒聖であるから自分を罰してくれというのではなく、どこかを軽く突き刺して目を覚ませてくれということだったのかもしれない。

あるいは神明裁判のように、自分が本当に神なら殺すことはできないだろうからそれを確かめてほしかったのだろうか。

弟子は気の毒な気がするが、まあこういう「師」に仕えて聖なるものと火遊びをしていたのだからそれも覚悟の上だったのだろうか。

第一、法悦状態でいろいろな教えを語っていたスーフィーは、「我は神なり」と自分で言ったことを覚えていないのだから、それに立ち会っていた弟子たちは、そのことを決して「師」に言ってはならなかったのかもしれない。

世に見神者と呼ばれる人は少なくないし、「聖母御出現」などに立ち会う人もいる。

「聖母を見ている」などの「忘我」「脱魂」状態にある人は、蝋燭の火を近づけられても熱さも感じないし火傷もしないなどという報告も珍しいものではない。

トランス状態で何らかのバリアがはられるとか、ヒステリー症状で硬直するとか、たまに聞く生理的変化が起こってスーフィーの喉が鉄板のように硬くなったのだろうか。

また、法悦やトランス状態で感知した事項について、覚醒した後も覚えている人と覚えていない人の両方が存在する。

それを決めるのも「神の意志」で、神がわざわざ記憶を消しているのに敢えてそれを告げ口してしまうというところが、神の意思に反して罰の対象になったのだろうか。

この世には、知ってはいけないことや知らされてはいけないことがいろいろあって、そのバランスを間違うと、身を滅ぼす、ということなのかもしれない。
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by mariastella | 2013-03-29 00:49 | 宗教

フランシスコ法王のプロフィール

3/27、新教皇は、ヴァティカン宮の教皇用住居には住まないことを発表した。

コンクラーベの時と同様に、枢機卿たちと共にサンタ・マルタの宿舎にとどまるそうだ。

ブエノス・アイレスでも豪華な大司教館には住まずに質素な暮らしをしていた。その延長だ。

ブエノスアイレスでは彼の徹底した謙虚さと清貧さはこれからも変わるはずはないと、新法王をよく知る人たちがみな言っていたので、今回の選択も意外ではないかもしれない。

ハバナの枢機卿が、コンクラーベ前の評議会でベルゴリオ(フランシスコ法王)が「福音書に帰れ」という趣旨で発表した内容を明らかにした。

会議の内容は門外不出なのだがこの発表に感動したハバナの枢機卿が新法王の許可を得て、手書き文書を公表したのだ。

ベルゴリオは教会が神学的ナルシシズムの中で自賛、自足で生きていることを批判した。

「教会は自分を中心に置くのをやめて、遠くにいる人々に福音を伝えるために出会いに行くことなしには真のキリスト教会ではない」

というベルゴリオの正論は、ヴァティカンの改革や教義の問題、世界情勢、国際政治などのテーマから隔絶していただけに、枢機卿たちの心を動かしたそうだ。

そんなフランシスコ法王のプロフィールは、

好きな本 : ヘルダーリンの詩、ドフトエフスキー

好きな映画 : バベットの晩餐会(厳格なピューリタンたちに自由と幸福がはじけていくところ)

好きな音楽 : タンゴ、特にミロンガ。イタリア人の両親からはベルカントのオペラ趣味も受け継いだ。

好きな絵 : シャガールの白い磔刑像(静謐で希望を感じさせるから)

好きなサッカーチーム : サン・ロレンツォのファンクラブのメンバー

好きな聖人 : 聖ヨセフ、聖フランチェスコ、リジューの聖女テレーズ(「悲しそうな聖人かわいそうな聖人世」というテレーズの言葉をしばしば引用)

ある日カテドラルで赤ん坊連れのカップルに話しかけ、そのカップルが子供にまだ洗礼を受けさせていないが受けさせるつもりだということを知った。「じゃあ、すぐに」と言って未来の教皇は子供に洗礼を授けた。もちろん普通はそれなりのいろいろな手続きが必要なのだが、このシンプルさが彼の持ち味らしい。

(以上Figaro magazine 22mars 2013より)

私は、フランシスコ法王がヴァティカン宮に住まないと聞いた時、ピウス七世のことを思い浮かべた。

ローマにいながらヴァティカン宮に住まない法王は、フランシスコの前はピウス七世にまでさかのぼるからだ。

ピウス七世はクイリナ―レ宮(丘の上にあるので夏の別荘としては使われていた。今はイタリアの大統領官邸)で暮らし、亡くなったのだ。

といっても、生前はナポレオンに妥協しなかったので捕えられ、数年間もフォンテーヌブローに幽閉されるなどの辛酸をなめた。

フランスに散々な目にあったピウス七世の次にフランスに足を踏み入れたローマ法王は、20世紀のヨハネ=パウロ2世までいなかったくらいだから、アヴィニヨン時代の確執を抜きにしても、現代にフランス人の教皇というものが考えられないと言われる理由も想像がつく。

ピウス七世は今列福調査の対象となっているのでその波乱に富んだ事績が次々と明らかになっている。

ナポレオンの台頭と征服、失脚とヨーロッパの再編成という激動の時代にあって絶対に自分の原則を曲げず、信念を貫いたピウス七世と、混迷の21世紀にあるフランシスコ法王は、どこか、重なるところがある。
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by mariastella | 2013-03-28 07:38 | 宗教

ノイズ・キャンセリング・ヘッドフォン

飛行機の中では音楽を聴いたりビデオを観たりしようとしても、かなりの音量でエンジン音がずっと響いている。そのうち慣れるものではあるが、それをカットする高性能のヘッドフォンがある。

これをつけると、他の音源とつながなくとも、人の声ははっきり聞こえるがモーター音などのノイズがぴたりと消えるのだ。

それをうちの中でつけてみると、急に真空の中で話しているような気がした。

もちろん、真空だと声は全く聞こえないのだが、まるで、真空の中で人の声だけがマンガの中の吹き出しに囲まれて運ばれてくるような感じだ。

なぜかと思うと、冷蔵庫のモーター音が消えていたからだった。その冷蔵庫の音はもともと小さくて、距離もあるし、普段は全く気にならないのだが、一度消えてみると、それがずっとなっていのだと分かる。

時計のチクタク音は消えない。

そこにネコが来たので、あることを試してみた。

まず撫でてやり、ゴロゴロとのどを鳴らし始めたのを確かめてから、ヘッドフォンをつけた。

ゴロゴロの音がピタッと、虚空に消えた。

ネコの喉を鳴らす音は、食べたり飲んだり舐めたりしながらでも続くもので、呼吸とも関係がない。一体どこでどのように鳴らしているのか分からない連続振動だ。

私は大人になってからはじめてネコを飼ったので、ゴロゴロとはどのようなものか知らなかった。最初のネコが最初に膝の上に乗ってかすかにゴロゴロ(フランス語ではronron)し始めた時にああ、これがネコが喉を鳴らすということなのかと感激した。

しかし、ヘッドフォンをしていても猫が「ニャー」と鳴けばちゃんと聞こえるのに、ゴロゴロだけがノイズ・キャンセリングにキャッチされて消えてしまうなんて、なんとなく意外だった。

キャンセルの対象となるノイズとはもっと機械的な音で、有機的なものはスルーされるのかと思っていたからだ。

確かに連続の振動音には違いないけれど、ロンロンテラピー(ゴロゴロ療法?)という名で録音したCD まで発売されるほど「癒し効果」のあるネコのゴロゴロを切って捨てるなんて、この手のデジタル機器はひょっとしてハイテクな「野暮」かもしれない。
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by mariastella | 2013-03-27 00:14 |

『フランスの不思議』(E. トッド)とレジス・ドゥブレの公開書簡

フランスの不思議は、エマニュエル・トッドとエルヴェ・ル・ブラのコンビが、フランスの今を分析した本だ。

日本にも「高度成長期」やバブル時代の後の「失われた20年」などという言葉があるが、フランスにも、「栄光の30年」という戦後30年ほどの成長期神話があって、その後の30年、特にミッテランの社会党政権ができて社会の潮目が変わってからの30年は「どんどん悪くなった」という通説がある。そこに例の「イスラムの台頭」がセットにされて語られるのも常だ。

今でも、フランス人の3分の2は将来に対して悲観的だという統計が最近出ていた。

でも、この本は、公平に見れば最近30年の方がその前の30年よりもずっと良くなっていると言っている。そして、問題は、「イスラムの台頭」などより、地方のカトリック(がゾンビ状態になっている)社会と無宗教的大都市部との間の分断が深くなっていることと、フランスが実は今でもカトリックのゾンビに強い影響を受けていることを意識していないことだという。ここでカトリックのゾンビというのはもうすっかり死に絶えたはずだと思われているものが生きて動いているというくらいの意味らしい。

確かに、今でも農業国としての存在感を保つフランスの地方の農村部などでは、昔ながらのカトリック教会が「氏神様」のように残っていて、つまり、信心組合のような組織がちゃんとある。日本のような「町内会」はないし、他の宗教も入ってこないから、カトリックのままだし、地方には高齢者も多く葬儀の問題もあるので、葬式カトリックは間違いなく生きている。
そしてそのような目には見えない部分が実は今のフランスのエネルギー源になっている。その証拠にかつての保守は右傾化しているし、今の社会党は中道化している。

で、なぜ今のフランス人がペシミストなのかというと、それは今の方が昔よりずっと「よくなってきた」ことの裏返しだという。

栄光の30 年には経済成長があったが、女性の社会進出は阻まれていた。凶悪事件も実は昔の方が多かった。高等教育を受けるものも少なかった。みなが「不平等」を受け入れていた。

今はみなが高等教育を受けたのにそれに見合った職が得られないのでより不満が高まり閉塞感がある。20代前半の女性の83%が働いているのに望むような雇用の安定や賃金が得られない。日常的に自分の命の心配をしなくていい安全な社会にいるからメディアが伝える少数の「凶悪事件」に関心を持って恐れるようになる。そもそも医学が発達して平均寿命が延びたが「安全安心への強いこだわり」とは高齢者に特徴的なもので、長生きしているからこそ、不安が増すのである。

このような話がこの本の論点になっている。

日本の状況とも共通する部分がある。

でも、日本では、

明治の廃仏毀釈と欧化政策、

第二次大戦後の国家神道解体とアメリカ化

という2度のダメージで、地方共同体の宗教は本当に死んでしまったか形骸化してしまっていて、ゾンビとして影のエネルギーを提供しているとは思えない(いわゆる新興宗教の方が影のパワーになっているだろう)。

私はミッテラン時代の前からフランスにいて社会の変化も観察してきたが、最初から、そのカトリック・ゾンビ社会に多大な関心を寄せてきた。

確かに、パリを中心とした都会のインテリ層と地方の昔ながらの共同体との空気の差は大きい。
私は前者の中で暮らしてきたわけだが、彼らにとって、後者、特にカトリック・ゾンビ社会は、フランス革命以来行きつ戻りつしながらようやく殲滅してきた社会で、「ないことにしている」ふしがある。

68年五月革命以前の世代のインテリはそれでも自分たちの戦ってきた「敵」の正体をよく知っていることが多いが、それ以降の世代のインテリは「移民」や「イスラム過激派」や「テロリズム」以外の「敵」を知らない。

都会(あるいは都会に出てきた)のインテリ層は、無神論、無宗教をデフォルトとし、その中で霊的なものを必要とする人たちは仏教徒になる。

そんな中で「カトリック・ゾンビ社会」にコンプレックスなく興味を持ち分け入っていく私は、仲間の無神論者を困惑させたが、まあ「外国人」枠ということで、リスペクトしてもらえたし、仏教者からも「なんとなく仏教文化の教養がありそうだから一目置いておこう」とリスペクトしてもらえた。地方のカトリック・ゾンビ社会でもすなおに大事にしてもらえた。彼らには「共和国的平等」の概念はないので、外国人のインテリでカトリック好きの私にはちゃんと「特別枠」で接してくれるからだ。

『フランスの不思議』は、そうしたフランスの知識人にかかるバイアスを解きほぐす書物でもある。

ポール・ニザンがトッドので祖父で、レヴィ=ストロースが大おじだ。ルロワ=ラデュリーは家族の友人だったとある。ルロワ=ラデュリーは、実証的な歴史学の立場から「宗教」の世界に分け入った。

去年の大統領選ではルロワ=ラデュリーがサルコジを支持し、トッドはオランドを支持して「革命」を期待したのに、オランドが次々と「公約」を反故にしていることについてもなんとか「説明」したかったのかもしれない。

私はそもそも今の社会党政権に最初から不信を抱いている。

サルコジがいろんな意味で極端だったから、相対的にはかなりまともに見えるが、実はサルコジより老獪なアメリカ寄りの新自由主義的エリートのにおいもする。

たとえば次のような経緯を見てみよう(以下『Le Monde diplomatique mars 2013』より)。

この3月は英米軍らのイラク派兵10周年だったので、いろいろな記録が公になって来ているのだが、2003年の時点で、ヴィルパンが国連でイラク派兵に反対する演説をし、シラク大統領が拒否権の発動も辞さないと言った時に、極右から極左までフランスはいっせいにその「アメリカにNOという」立場を支持したかに見えた。

しかしウィキリークスによると、当時社会党の国際関係担当官であり、現在は経済財務大臣であるピエール・モスコヴィシは、イラク戦争後にNATOに挨拶に行き、社会党がアメリカに対して悪感情をいだいていないこと、政権をとっていたらシラクのような立場をとらなかったことなどを述べた。

同じく社会党のミシェル・ロカールも、パリのアメリカ大使に、2003年のヴィルパンの演説を遺憾に思うこと、自分なら沈黙を守っていたことなどを語った(2005/10/24)。

シラク元大統領も回想録vol.2の中で、国民の大勢の支持を得られたもののアメリカのロビーの力は強く、政治エリートは一枚岩でなかったと書いている。特に、Medef(経営者団体)やCAC40からは、アメリカに譲歩しないと重要なマーケットを失うことになると訴えられた。

アメリカに与しないだけで「アンチ・アメリカ」だとレッテルをはるグループがいる。

それは、アメリカが、

「我々(フランス)が彼ら(アメリカ)の衛星になることを受け入れないと言っただけで即、侮辱だと見なす」 (ド・ゴール)

ことと呼応している。

このあたりのことは、『Le Monde diplomatique mars 2013』のレジス・ドゥブレの記事に書いてあった。

レジス・ドゥブレはこの記事を、ユベール・ヴェドリーヌへの公開書簡として書いている。

その事情はと言うと:

2003年に独仏(当時のドイツで当時野党だった現首相メルケルはアメリカを支持していた)が英米のイラク派遣に反対した後、サルコジの時代になり、2009年にフランスはNATOに「復帰」(ド・ゴールが脱退していた)した。

で、2012年に社会党政権になってから、サルコジ時代のその決定をどうしたものかと大統領の諮問を受けたヴェドリーヌが「このままでOK」と答申した。それ

を受けて、ドゥブレがフランスは「NATOから脱退すべきだ」と論陣を張っているのである。

理由は、北大西洋条約機構などと言っても実態はパートナーシップではなく、アメリカというハイパー軍事国によるヨーロッパの道具化であり、保護国化であり、アメリカの軍備を売るためのマーケット確保にすぎないからである。

ヨーロッパにおけるNATOの最高司令官はアメリカ人だ。

ポンピドーやジスカールデスタンの顧問であり、1987-93年の間NATOのオブザーヴァーでもあった大使ガブリエル・ロバンは、

「NATOは国際世界をあらゆる次元で汚染する。ヨーロッパの構築や安全保障を困難にするばかりか、特に問題なのはロシアとの関係を悪くする。国際軍事協定にも調印していないし、戦争以外の外交は想定していないし、国連の安保理事会の意見も聞かない。フランスのような国は、NATOのような無益で有害な組織に何も期待できない」

と切って捨てていたのだ。

サルコジは大統領になる前からブッシュを表敬訪問して2003年のフランスの「無礼」を詫びたことでも知られている。

で、NATOにも復帰した。

そして、次の社会党政権も、「NATOから脱退するなど現実的ではない、フランスはNATOとヨーロッパ連合の防衛の両立ができるはずだ」というようなアドヴァイスを受けているわけである。

こういう議論を読んでいると、なんだか昨今の、日本のPTT交渉参加に関する議論を思い出してしまう。

2003年のイラク派兵支持にしても、今年の3月20日の朝日新聞によると、当時の官房長官福田康夫元首相が、

英国外交筋から、ブレア首相がこの問題で議会演説をする前に英米への支持を表明してほしいと要請してきたので大量破壊兵器の有無などの情報のないままに支持表明したのだ

と言ったらしい。

当時、アメリカに盲従する日本は情けないと思ったが、あの時に敢然とアメリカに抵抗していたフランスでさえ、その裏で、あるいはその後NATOへの復帰を含めていろいろあったのだから、日本にはどうにもできないことだったのだろう。

もっとも、フランスがアメリカに抵抗して自主性を発揮するやり方は、平和主義などではない。


アメリカに負けずに武器や戦闘機をあちこちに売りまくることだったりする。

ド・ゴールだって、核兵器を所有したからNATOを脱退することができたのだ。

最近でも、リビアのアンチ独裁政権を支持すると称して武器を北アフリカにばらまいたし、今度はシリアの抵抗勢力に武器を渡そうなどと言っている。

「テロリストと戦う」という名目でマリではワハビストを追い出し、

サウジアラビアではワハビストと商売をして

シリアでは独裁政権の抵抗勢力の中にいるワハビストを無視できると思っている。

エリートたちのご都合主義は信用できない。

こうなると、イラク以来今のところ平和路線ではぶれていない「カトリック・ゾンビの感受性」に期待したいところだ。

「解放の神学」の先駆者となったブラジルのレシフェのカマラ大司教は

「私が貧しい者に食物を与えると、私は聖人だと言われる。
私がなぜ彼らは貧しいのかと問うと、共産主義者あつかいにされる。」

と言った。

「カエサルのものはカエサルに」という政教分離は、

教会が貧しい者に食物を与えることを受け持ち、

政治家が貧困をつくる社会の構造を改革する

という「分業」が成り立つ時には有効だが、政治が貧困を創り、維持し、強化しているような社会では、聖職者も積極的に政治参加せずにはいられない。

「神の前の罪」とは個人の罪だけではなく集合的社会的な罪もある。第二ヴァティカン公会議はそういう読みとり方を促した。

独居老人や病人、貧困家庭などの援助を使命とする社会活動型修道会の多くは今もその精神を維持している。

けれども、どこの国でも「ブルジョワ」教区ではそのような言説は嫌われ、「教会に政治を持ちこむな」と批判される。

富める国と貧しい国、富める人と貧困から抜け出せない人、遠慮なく弱者を恫喝したり搾取したりする強者、

今の世界の問題は普遍教会の問題でもあり、すべての国の問題でもあり、すべての人間の問題でもある。

怒りや絶望でなく連帯とオプティミズムによって、宗教やイデオロギーの差を超えたより平和な世界をつくる力になるのなら、不思議でも、ゾンビでも、ローマ法王でも、使えるものは何でも使いたいものだ。
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by mariastella | 2013-03-26 01:25 | フランス

2人の教皇

3月23日の昼、カステル・ガンドルフに新教皇フランシスコのヘリコプターが着陸し、降りてきたフランシスコの方にベネディクト16世が歩み寄って抱き合った。

2人の教皇が出会うなどとは先例がないので、どういう手順にしたらいいのか関係者は悩んだらしいが、この二人はなんだかすごくシンプルないい感じで自然に抱き合った

フランシスコはコンクラーベの直後にB16に電話した。そして3月19日の就任ミサの時にも電話で挨拶した。聖ヨセフの祝日はヨセフ・ラツィンガーの洗礼名の祝日でもあるからだ。

フランシスコは相変わらず黒い靴で、B16の方ももう紅いモカシンではなく茶色い革のサンダルのようなものをはいていた。2人とも白い教皇服(イエスの受難の年と同じ33個ののボタンがある)を着ているが、B16はケープ状の上衣もなく帯も閉めていない。でも胸の十字架はB16の方が金色で豪華そうで、新しいものを辞退したフランシスコの十字架は地味だ。

こうして2人並ぶと、B16はなんだか急に老いた感じで、確かにもう体力の限界だったのだなあと納得できるし、相対的にフランソワが元気そうに見えて安心する。

2人で祈るためにチャペルに入った時、先に入ったフランソワは自然に教皇用の席に向かったのだけれど、杖をついて後から続いたB16が後ろの席に着こうとするのに気づいて、自分も下がろうとした。そこをB16が「いやいやあなたがどうぞそこに」という感じで遠慮するしぐさをして、結局2人とも、教皇用の祈祷台ではなくて会衆の席に並んで祈った。

ちょっといい光景だ。

図書室での会見の前に、フランソワがB16に「謙遜の聖母」のイコンをプレゼントして「謙遜というとあなたのことを思い出すんですよ」と言っている。

「謙遜の聖母」の図柄とは、普通は神の母や天の女王という絢爛な姿ではなく、外の土の上や布一枚の上に直接ひざまずいているような聖母子像である。あるいは頭上の輪に「謙虚」と書いてある。

B16が知らないはずはないのに、えらく感激したように、「聖母の召命には謙遜もあるんですね。聖母を忘れないようにしましょう」と言ってフランシスコの手を強く握った。なんだか、この二人って、とてもかわいい。

それから45分間、二人だけで話し合ったそうだ。

ヴァティリークスについて三人の枢機卿(選挙卿ではない)に調査を命じた報告書は一部だけヴァティカンの教皇執務室に保管されていて、フランソワはもうそれに目を通しているはずだが、それについてB16がさらなるコメントをしたのだろうと言われる。

同じ日、午後のパリでは、ノートルダム大聖堂の鐘がなり渡った。

復活祭の聖週間が始まる。

フランシスコは、聖木曜日のミサはヴァティカンでなくローマ郊外Casal del Marmoの未成年刑務所で行い、恒例の洗足も枢機卿たちの足でなく少年たちの足を洗うことになりそうだ。

ブエノスアイレスでの毎年の習慣を変えないということらしい。

教皇は絶対権力者でもあるからそれまでの習慣を急に変えても誰も文句を言えないのだが、あまりにもシンプルにやり過ぎる新教皇に対して「清貧を守ることとシンボルを捨てることとは違う」と批判する声も出始めている。

最初の歓迎ブームが冷めた時、何が彼を待ち受けているのだろう。
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by mariastella | 2013-03-25 00:23 | 宗教

人類の起源-カトリック教会とインディオの魂

これは前回の記事の続きです。

インディオも黒人もアジア人もキリストにおいてはその違いがなくなり「みな同じ人間」であるという普遍主義の論議は、キリスト教においてはパウロのガラテヤの信徒への手紙の中の有名なフレーズ、

洗礼を受けてキリストに結ばれるなら「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」(3-28)

という部分を根拠にして、基本的にはすでに形作られていた。

それなのに、なぜ「インディオには魂がない」から虐殺し放題というような流れができたのだろう。

たとえば、キリスト教ヨーロッパとアフリカの「黒人」との遭遇はそれまであまり問題になっていない。

なぜなら、アフリカは中東と地続きであって、イエスも幼い時に父母と共にエジプトに亡命していたし、そもそも地上の諸民族はノアの三人の息子の子孫だと思われていたからだ。

ところが、旧約における「世界」では、当然アメリカ大陸は想定されていなかった。

だから、アメリカ大陸にも先住民がいて文化もあったということ自体が、ユダヤ=キリスト教の世界観にとっては不都合だったのだ。

その「不都合」の核心とは、なにもも、

アメリカの先住民の文化や宗教が異なっているとか技術文明において「劣っている」とかいう認識による差別があって、そのような劣等民族をも「神の前に平等だ」とするのに抵抗がある、

というようなことではない。

不都合とは、アメリカ先住民を人間だとすると、アダムとイヴから始まってノアやアブラハムやヤコブへと展開していった創世記物語の筋書きと時代(アダムが創造されてから約6000年)とに「合わなくなる」という神学的事情からきたものだった。

「新世界の人間」が神によって別口に創造されていたならば、神の天地創造は単一のもの(monogénisme)でなく複数(polygénisme)だったということになる。

現代なら逆に、すべての人類の先祖はアフリカ大陸に生まれた後で全世界に広がっていき、大陸が切り離されたのはその後のことだったということになっているから、人類のルーツが同じだということが矛盾ではない。

けれども、当時のヨーロッパ人にとっては、「新世界」は文字通りの「新世界」であって、「彼らの神の創った世界」と共通のルーツがあるなどとはとても考えられなかった。

そうなのだ。

西洋キリスト教が「新世界」の先住民を最初は人間だとは見なさなかったのは、いわゆる「人種差別」などではなく、神学的整合性を必要としたからだったのだ。

他に、地球の成り立ちの時期にも、齟齬が出始めた。

ルネサンスの神学者たちは、「聖書の年代記」と「プラトン的時間」をなんとか両立させようとした。

ノアの系譜と、デウカリオンの系譜のどちらも正しいとしたら、どちらが先なのか、などと大真面目に議論した。(旧約のノアは大洪水でリセットされた人類の生き残りで再スタートさせた。デウカリオンはギリシャ神話のプロメテウスの息子で、やはり大洪水の後で石を背後に投げて新しい人間を創った。)

新大陸の先住民を「人間ではない」と切って捨てることも、解決法の一つだったのだ。

といっても、さすがに、現地の宣教者らはすぐに、先住民も彼らの宗教を持っていて神々を信じていることに気がついている。

「相対化」が始まった。

すでにヨーロッパでは宗教改革が始まりつつあった時代だ。カトリック陣営とプロテスタント陣営は互いに互いを「無神論者」だと攻撃し合っている。

そういう時代だからこそ、、偶像を崇拝している先住民たちを「人間」だと認めた上でカトリックに改宗させることの方が、神学的整合性などよりも有効な戦略で、現実的な選択ではないだろうか。

16世紀の半ばに生まれたジョルダーノ・ブルーノは、先住民を「人間ではない」などと言っている神学者たちをからかって、「そう、人間以上だ」と言い、新旧の勢力が殺し合っているヨーロッパ人よりも彼らの方が、宗教に対してずっと敬虔であると言った。

ブルーノは、コペルニクスの地動説も支持していたから、地球が中心でないということは、もうどこにも中心はなく、言いかえればあらゆるところが中心だ、とも言った。

一匹のアリが宇宙の中心かもしれない。

無限の世界の中では地球上のあらゆるところがヨーロッパでもある。

馬にとっての美醜、豚にとっての美醜が違うように、「普遍的美」というのはない。すべては相対的であると同時に動的でもある。

神の似姿である人間の尊厳というのも、所与のもの、存在論的なものではない。

獣のような忌むべき人間もいる。

逆に、獣も人間も、同じ物質が同じ生命の力によって生かされているのであり、無限の生命の中では同等である。

人間が「ひとつである」ことは、純血や固定した概念ではなく、多様で動的な概念である。

それを認めるには、「西洋のキリスト教の形=普遍」という考えを捨てなくてはならない。

この地球に大洋に隔てられた新大陸があり異なった文化や肌の色を持つ人々がいるのは「多様性の調和」である。

多様性の背後に唯一性を見、唯一性の背後に多様性を見ることこそが洞察なのである。

また、宇宙は「無限」ではあるがその中の多様な個々の存在を相互に動的に結びあわせる手のようなものがあって、それは中心を持たないネットワークである。

多様性や差異性は未来への障害ではない。

宗教は殺戮をもたらす道具と化してはならない。

人間の尊厳はよりよい社会を築くための努力にあるのだ。

たとえ「野蛮人の魂の救済のために布教する」という「意図」が肯定できるとしても、伝染病を持ちこんだり戦争をしかけたりして先住民の伝統や文化や自然環境を破壊したという「結果」は弾劾すべきである。

ジョルダーノ・ブルーノのこのような考察は、21世紀の今も全く色あせていない。

それにしても、このブルーノが異端として火刑されたり、一見ばかげた帳尻の合わせ方ばかりしている一神教神学者が多かったりしたとはいえ、全体として、「普遍宗教が真の普遍主義の構築に果たした役割」は、やはり看過できない。

「万物の創造主たる父の前ではみな兄弟だ」

という単純で画一的な普遍主義を掲げて拡散していった普遍宗教が、彼らにとっての「新世界」で多様性に出会った時に、その葛藤からダイナミズムが生じる。

「画一性」と「唯一性」とは違うのだと知って成熟していったのだ。

それとは反対に、もともと画一的全体主義的志向のない共同体的宗教、つまり、利害を共有する限定的な共同体内の「マイ宗教」というのは、他者や他文化と出会ってもショックの種類が違う。

「ああ、おたくはそうなんですか、でもうちではこうなんですよ」

で衝突を回避することもあるし、思考停止に陥ったり、よそ者を排斥したりすることもある。

特に、共同体主義の社会がよそから来た普遍主義に出会った時は、普遍主義が「普遍」の名のもとに押しつけてくる「普遍」の侵襲から当然身を守ろうとする。

その押しつけさえなければ、メジャー「マイ宗教」の秩序で成り立っている共同体は、よその宗教に対して抵抗しないで好奇心を示す余裕がある。

よその神さまたちが「マイ宗教」にどんどん習合していくこともある。

けれども、「普遍宗教」が「一神教」で、

「自分たちの神による救いを受け入れなければ地獄堕ち」だとか、

「ユア宗教を捨てなさーい」

とか言い出すと、共同体主義の社会がそれを跳ね返そうとするのは当然だ。

「新世界」でも同じようなことが起こった。

カナダのオンタリオ地方に最初のフランス人コロニーができた頃、イエズス会士Jean de Brébeufが1635年に残した記録によると、

イエズス会士から唯一神の信仰を天国と地獄の概念と共に説教された時、アメリカ・インディアンは

「それはあなたたちの国ではもっともなんだろうが私たちの国では違う、どの国もそれぞれのやり方があるのだ」

と抵抗した。

そこでイエズス会士は持参した地球儀を見せて

「世界はひとつなのだ」

と示したら、彼らはもう、反論できなかったというのだ。

あらゆる共同体を抱合するただひとつの普遍世界の大きさを小さな地球儀で証明してみせるというのも逆説的でおもしろい。

もうその頃にはキリスト教西洋は「大航海」によって地球の形と大陸の分布をかなりの精度で把握していたし、カトリックは「人類すべて兄弟」の改宗を目指していたから、地球儀という小道具を駆使して「共同体主義を超える普遍主義」を説いてみせたわけである。

もっともそれはまだ「汎ヨーロッパ主義」の域にとどまる「上から目線」のものであったけれど、初期に「インディアンには魂がない=人間ではない」かのように虐殺していった頃とは雲泥の差がある。

ルネサンスの頃のカトリック(普遍)教会が、普遍主義と共同体主義、多様と統一のはざまで哲学的な意味での「グローバリゼーション」の可能性を探ってきたこのような道程は、今も続いている。

ルネサンスの「人間中心主義」から「神の似姿」の根拠を消して「神なきユマニスム」に向かったもの(モダニズム)と、その人間中心主義そのものを解体して、相対化を推し進めていったもの(ポスト・モダニズム)という二つの大きな流れが生まれた。

「相対化」にも民俗学的、構造主義的な人間観の構築を目指したものと、脱構築のための脱構築があった。

相対化されてのっぺりとした世界には拝金主義などあらゆる種類の偶像崇拝が跋扈することになった。

「神なきユマニスム」の方は、普遍主義や普遍理念を「超越」から解放しようとしながらも、実は福音書から受け継いだ理念を守って「弱者救済のために社会問題に参入する」などの姿勢を固持していたのだが、それはたやすく政治イデオロギーという名の偶像崇拝にとりこまれていくことになった。

レミ・ブラグ(Rémi Brague)は、「神なきユマニスム」の限界について考察した好著を上梓したばかりだ。

ブラグは、神なきユマニスムの行き詰まりは、神を否定した時に人は人の尊厳も失ってしまうことに由来するのではないか、人の尊厳と神とはセットになっているのではないか、超越を視野に入れない人間中心主義は傲慢な独善主義となり結局は人間の中にもヒエラルキーを作って疎外してしまうのではないか、と問う。

また、レヴィ・ストロースやミシェル・フーコーによる相対化にも言及して、一神教の神による「十戒」のような上からの倫理規定なしに基本的人権の概念に到達するような「人類に普遍的なモラル」が遍在し得るのかとも問いかけている。

この人や、ジャン=フランソワ・マテイ(Jean-François Mattéi)のようにキリスト教的ルーツをポジティヴに語る人は、実は今のフランスの知識人の中では肩身が狭い。

「カトリックだ」という解説が必ずついてまわる。

「人間の使命は自然と宗教の支配からの解放だ」という考え方からは、「超越的なもの」の必要性を説く者は反動的だと見なされかねない。

ポスト・モダニズムの陣営からは、「未だにヨーロッパ思想の優越性を信じてい」と批判される。

しかし、たとえ自然と宗教から解放されたつもりでも、実際は、人はまたたくまに欲望やイデオロギーに支配された。

自然や神からは自由になったつもりでも、金の奴隷になり労働を搾取され、国家に統制される。

もう一度、自然や宗教との関係性を考えなおしてみるのは大切なことかもしれない。

そう考えていくと、「新世界」を発見し、多様性に直面し、アリストテレスやプラトンに耽溺し、キリスト教普遍主義からユマニスムの普遍主義へと試行錯誤を重ねていた16世紀という時代の研究者たちの集まりが、なんだか、前衛的で熱いものに思えてきた。
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by mariastella | 2013-03-24 07:51 | 歴史

大グレゴリウス法王のミサと羽のモザイク

例年通り16世紀の学会に顔を出してきた。

今年は特別興味がそそられるテーマだったので楽しみだったが、予想を裏切られないおもしろさだった。
テーマがいま一つの時は、16世紀の専門家ばかりいる場所の空気がアナクロニックで世間離れしていて不思議だと思ってしまう。特に、ここ30年ほどのフランスのエリート製造の教育システムを見てきて、成績のいい学生がENS以外の文科系に行くことがどんどん稀になっている今、今の若手研究者で16世紀を選ぶ人っていったいどういう動機だったのか知りたいくらいだ。

ところが今日はルネサンスやユマニスムの基本概念に関わる「人類」というコンセプトの誕生を新大陸の先住民の「発見」とキリスト教宣教と帝国主義的植民政策とに絡めて、「普遍性」と「多様性」をどう一致させるかという話だったので、とても時局にかなっている。

実際発表者も熱弁をふるって、各人の世界観が透けてみえそうな話しぶりだった。

(ソリプシストK(ラディスラフ・クリマ)のソリプシズムは、ジョルダーノ・ブルーノの影響をどのくらい受けているんだろうか、とも考えさせられた。これについてはそのうちエリカとも話してまたいつか書くことにする。)

まず最初に、1539年メキシコ製の「羽モザイク」について少し。


これは、アズテカの伝統的技法を使ったもので、フランシスコ会士の指導によってインディオの人形師が製作したものだが、どういうわけか歴史から姿を消していた。

いや姿を消したのはそれが「不都合」だったからだ。

テーマはその頃人気だった「聖グレゴリウスのミサ」である。

今もグレゴリオ聖歌に名を残す6世紀のローマ法王聖グレゴリウスがローマのエルサレム聖十字架教会でミサを上げていた時に、聖体パンがキリストの体に「化体」するという場面で、それを信じられないと笑う女性(疑いを抱いた助祭だというヴァージョンもある)がいた。

グレゴリウスが祈るとそこに血まみれのイエスの姿が現れた(聖体パンが血まみれの親指になったというヴァージョンもあるし、イエスのわき腹から血が聖杯に滴り落ちたというヴァージョンもある)。

このテーマそのものはそう珍しいわけではない。6世紀のローマでもすでに「信じられない」と思う人がいたのだから、近現代に至るまで多くの人が、同じ疑念に捕らわれた。

「単にシンボリックな意味だ」とわりきってしまう改革派のキリスト教も生まれたし、聖体パン(ホスチア)が典礼の言葉によってキリストの体になるという路線を守り続けたカトリックでも、不問に付してただ信受する人、懐疑に悩んだり冒涜的な行為に及んだりする人が当然いた。

で、時々、「奇跡」が起こって、小麦粉と水だけでできた無酵母パンから血がしたたったり、イエスの姿が現れたりして人々を回心に導くのである。

ところがこの図像では、法王と両脇の司祭の顔は、当時の表現法によると「インディオの顔」であり、イエスはスペイン系の顔であるのだが、イエスの上方に見えていてイエスを売った金貨の袋を持っているユダも、スペイン人の顔なのだそうだ。

裏切り者ユダがスペイン人で聖職者たちがインディオというのは政治的宗教的、イデオロギー的に正しくないし不都合だということで、この作品は隠匿されてしまったわけである。

この頃のメキシコでは小麦粉が手に入らないので聖体パンはトルティーヤで代用していた。
祭壇の向かって右に並ぶ三つの黄金のパイナップル(右の一つは削られているが金を使っているので途中で盗まれたものだと思われる)が三位一体を現していることなど、「新世界」の最初のキリスト教美術として価値あるものだ。

本来ならこの作品は、当時の教皇パウロ(パウルス)3世(在位:1534—49)に献上されるはずだった。

パウロ3世といえば、カトリックを刷新するためにトリエント公会議を召集した人で、イギリスのヘンリー8世を破門した人でもある。

それなのにどこかで、消えた。

再び姿を現したのは1985年のパリで、競売にかけられて今はGers 県Auchの美術館の所蔵となっている。

その450年間の間、メキシコの、いやラテンアメリカすべてのキリスト教のシンボルとなったのは、アズテカの女神の聖地に現れたインディオ風の聖母マリアの姿だった。

後にグアダルーペの聖母と呼ばれるようになったこの聖母は、インディオの最初の見神者となり最初の聖人(列聖は2002年)となったファン・ディエゴに、「あなたは私の子供、みんな私の子供」と言った。

パウロ3世はそれを追認する形で、インディオが理性と自由を備えた人間であると宣言した。羽のモザイクが製作された年のことだ。

新大陸での利権に夢中だったスペイン王で神聖ローマ帝国皇帝のカルル5世(スペイン王としてはカルロス一世)や、カルル5世の御用神学者だったサラマンカ大学の神学者たちは、パウロ3世の歴史的教勅を無視し、否定した。

イエズス会のヴィットリオは、教勅を完全に否定することはできなかったので

すべての人は平等であるが、インディオはまだ子供の段階なのでスペイン人の保護を必要とする、

と言ってのけた。(そういえば、マッカーサーが日本人が12歳の少年程度だと評したエピソードもあったなあ)

カルル五世は1539年に「新世界」についてのすべての文書の発刊を禁止してしまった。

羽のモザイクも、こうして、闇に葬られた。

(この項続く)
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by mariastella | 2013-03-22 23:54 | 宗教

聖フランシスコとジャンヌ・ダルク

聖フランシスコ(フランチェスコ)とジャンヌ・ダルクの共通点は ?

2人ともローマ・カトリック教会の聖人だが、前者は死後2年でスピード列聖。

後者は実に450年以上かかった。

2人ともベルクソンの『道徳と宗教の二つの源泉』の中で、漲る生の奔流にさらわれて偉業を成し遂げた神秘家の例として挙げられている。

聖パウロやアヴィラのテレサの名も挙がっているが、彼らのハイパー活動ぶりは、キリスト教の宣教に捧げられている。

ジャンヌ・ダルクの場合は、神秘主義が宗教から切り離された例だとしている。

新渡戸稲造のことを思い出した。

ベルクソンと新渡戸稲造は親交があった。2人とも国際連盟の知的協力国際委員会の議長と事務局長として深い付き合いをしていた。

16歳の頃からジャンヌ・ダルクに入れあげていたという新渡戸稲造は、当然ベルクソンと、ジャンヌ・ダルクについて論じた。

新渡戸の武士道のイメージはマッチョなものではなく、弱い者が神や主に忠誠を誓って猪突猛進するようなものがあったようだ。

新渡戸がジャンヌにあこがれたという札幌時代はまだジャンヌがカトリックの聖女ではなく、普仏戦争の敗戦後にナショナリズムの高まるフランスで「救国のおとめ」として大人気になりつつあった頃である。

教会の異端審問に裁かれて火刑になったのだから、ジャンヌは神の声を聞いてから、「宣教」活動をしたのではなく、まさに軍事活動をした突拍子もない少女だった。

十代の少女の「豹変」にはそれをひと押しする神秘体験があって、その内実は誰にもわからないが、それが彼女に、周囲の人が思いもよらない、前例のない行動を起こさせた。

新渡戸とベルクソンが親しくしていた1920年代前半は、ジャンヌが聖女として完全にカトリック教会に囲い込まれた時代である。

しかし、出発点における神秘体験が宗教的なものであれ、到達点がカトリック教会の聖人になることであれ、神秘体験に促されてからこの世の生を終えるまでのジャンヌの活動は、そのやり方も舞台も、まったく独自なものだった。

聖フランチェスコも同様で、神の声を聞き「裸のキリストに裸で従った」のであって、修道活動をローマ教皇に許可してもらうなどは後のことでしかない。

ジャンヌや聖フランチェスコは、知的に健康だったとベルクソンは言う。

彼らには、紛糾した状況をある種の「単純さ」によって迷いなく克服してしまう素朴な「良識」があった。

政治的な思惑や私利私欲にがんじがらめになり、煩雑なプロトコルを熟知しながら牽制しあい、それを回避する戦略を絶えず練っているような人々は、しばしば動きが取れないような事態や絶望状態に陥る。そんなときに、神秘体験に促された知的健康人は、情熱と忍耐をもって、まっすぐ、どんどん進んでいくのだ。

そんな神秘体験のキイワードは「愛」と「創造」と「アクション」だとベルクソンは言った。

本当に「知的に健康」な時は、人は「神秘」に促されながら創造的に活動するということらしい。

これは、その神秘体験の「原因」が、いわゆる「精神病理」的なものであろうとなかろうと関係がない。

心身の健康がたとえ損なわれていても、確固とした「知的な健全さ」さえあれば、躍動は生まれるのだ。

心身の健康の度合いを外から測るのは難しいが、フランチェスコやジャンヌ・ダルクのような人の「知的な健全さ」の方は、すべての人が見分けられるものだとベルクソンは言う。

「ジャンヌ・ダルク裁判記録」が世に出た時に、15世紀の無学な19歳の娘が発した言葉を初めて目にした人々が、みな、すぐに理解したのは、まさにそのことだったのだ。

フランチェスコやジャンヌ・ダルクが、宗教や文化の枠を超えて愛されるのは、きっとそのためにちがいない。
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by mariastella | 2013-03-21 08:13 | ジャンヌ・ダルク



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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