L'art de croire             竹下節子ブログ

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奇跡の広場と貧困の意味

フランス語の単語の中で私にとって意味も音も嫌いなもののひとつに「gueux」がある。

うまく訳せないが、「物乞い」の中でもより汚らしい感じのニュアンスだ。

17世紀のパリにはこのgueuxたちが集まるゲットーと化した区域がいくつかあり、今の2区あたりにあったそれは「奇跡の広場」cour des miraclesとして有名だった。

46メートルの長さの一帯に500家族、5000人もが折り重なって住んでいたといわれる。

なぜ「奇跡」と呼ばれたかというと、昼間はさまざまな障害者をよそおって物乞いの稼ぎに言っている人たちが、そこに帰って来て日没になると、みんなしゃんとして障害が消え病気も治るからだという。

目の見えないふりや松葉杖を使うのはもちろん、石鹸の泡をつけて癲癇のふりをしたり、牛の血と小麦粉をこねて潰瘍をつくったり、蛙の皮で皮膚病に見せたり、赤い木の実をつぶして吐血してみせたり、処刑者の手足を調達したり、不幸の演出もなかなか手が込んでいたようだ。

当時は、ブルジョワや貴族の子弟のために、社会勉強かただの見世物かは分からないが、ガイドがついてそのようなゲットーをめぐるというツアーみたいなものまで存在していたらしい。

17世紀というと都市化が始まり、地方で食べていけなくなった人々が大挙して大都市にやってきたのだが、結局仕事もなくてゲットー化した時代だ。

今のアフリカなどからの移民がヨーロッパに活路を求めてやってくるのに大都市の片隅で難民化するのと構造的には似ている。

それでも17世紀より少し前の時代までは、物乞いは物乞いとして充分に生活が成り立っていた。

なぜなら、ルネサンスの頃までは、人々は天国に行くために積極的に施しをしたからだ。

病気や障害によるハンディや貧困に苦しむ人は、「前世の因果」などのせいではなく、この世での罪でもなくて、イエス・キリストが苦しんだように「犠牲者」であるのだから、貧者に施すことはイエス・キリストに仕えることに通じるからである。

物乞いたちも、障害や病気の症状の他に、巡礼の途中という旅装(サンチアゴに行くために貝殻を付けるなど)をしたり聖人の遺物を身につけたりという小道具にも工夫していた。

けれども社会構造的に貧困が拡大してからは、それと共に犯罪も増え、都市の安全が脅かされるようになった。社会に寄生する「貧者」のイメージは著しく傷ついた。

そこで「善き貧者」と「悪しき貧者」という区別が生まれるようになった。

16世紀にすでに、偽の障害者や病者の摘発と追放がしばしば行われるようになっている。
偽者は、市内から退去しない時は鞭うたれたり、精神病者や犯罪人や娼婦たちと同じ場所に収監されたりした。その場所がパリの「公立病院」の祖型ともなったのだ。

軍隊に押し込まれたり、カナダ開拓に強制移民させられるケースもあった。

「奇跡の広場」のゲットーには、元締めのような存在がいて、毎日の稼ぎの割り前を受けとっていたという記録もある。こういう仕組みも、今でもいろいろな形でまだ残っている。教会やチャペルの出入り口や巡礼地に物乞いがいるのも現在もよく見られる光景だ。

そして今のカトリックの神父の中にも、そういう輩のハンディのほとんどは演技なのだから、安易に施しをしてはならないと言う人がいる。

「貧しい人に寄り添う」というのは現在のローマ教皇の掲げるキリスト者の道であるのだが、彼の模範とするアッシジの聖フランシスコの志を受け継ぐフランシスコ会の中でさえ、「本当の貧困」と「偽の貧困」や「よい貧困」と「悪い貧困」の区別はいつも思索のテーマにあがってきた。

選択した貧困、受容された貧困は徳の一つだが、選択しない貧困の苦しみは人々を押しつぶす。
真の貧者、つまり(社会や病気などの)犠牲者としての貧者には寄り添わなくてはいけない。

そしてキリスト者が貧しく暮らすことが「徳」になるのは、真の貧者とパンを分け合うところにある。

単に清貧のための清貧へとエスカレートするのは悪い貧しさである。

13世紀の聖ボナヴェントゥーラがすでにそういってフランシスコ会士たちを戒めているのだから、「清貧原理主義」への誘惑もまた昔からあったということだろう。

宗教者の目指す物質的な貧しさは、犠牲者としての貧者を救済するという目的のための手段しかない。信仰における「真の貧しさ」の追求とは神からの賜物に対する心の中にあるという。

つまり、神からもらえる時は謙虚に受け取り、取り去られる時も執着しない。

自分自身を見据えることなく、自分が他者に与えたものも見てはいけない。そういう貧しさによってのみ、人は神への完全な信頼の境地を得ることができるそうで、神を完全に信頼できた時には「真の喜び」が得られる仕組みになっている。

理屈としてはよく分かるし、そういう喜びを得られる人はうらやましい。

赤貧に対する好奇心、
自由意思による苦行に感嘆する心、
さまざまな運命の犠牲者の苦しみを見た時の罪悪感、
不公平に対する怒りや恐れ、
同時に生じる嫌悪感や使命感にいたるまで、

貧困にまつわる各パーツの感情には、それぞれ覚えがあったり理解できたりしてしまう。

それだけにかえってすなおな行動がとれないで、gueuxという字面に眉をしかめながら飼い猫を愛でているばかりな生活態度はいかがなものか、と自分でも思う。
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by mariastella | 2013-06-18 05:22 | 雑感

イランとチュニジアを見て人権とフェミニズムを思う

イランで2009年に改革派の抗議が沈静してしまった後、今回の大統領選にはずっと注目していた。

その後の4年間に「アラブの春」が起こり、どう展開してきたかをイラン人はずっと観察していたはずだ。

そこで学習した一つは「内戦を避ける」ということで、イラン人の「希望」は決して近視眼的ではない。

大統領選で最初に8人の候補がいた時、テレビで3度の政策表明があって、2度目に保守派が「国益よりもイスラムの光を世界にあまねくもたらすのが優先」と語ったのに対し、改革派は「経済の立て直し」を語った。

ここ2年来、25%の失業率、経済制裁による通貨の暴落、50%が貧困カテゴリーで生きるという社会では、イスラムがどうとかいうよりも生活水準の向上の方が緊急の課題であることはいうまでもない。

結局改革派が辞退して投票のボイコットを呼びかけていたのでどうなることかと思ったが、ぎりぎりになって穏健派のロハニ(日本人にとってようやく覚えやすい名前のリーダーが登場してくれた043.gif)への投票をよびかけた。

その結果、18時までの投票が23時まで続いたところもあったそうで、ロハニは第1回投票で過半数を得票して選出された。

まあ最終的にはイスラムの「最高指導者」というのが絶対権力を持っているのでまだまだどう転ぶが分からないが、内戦に向かわない改革は穏健の道しかない。

報道されたイラン投票所に女性の姿が多いのが目立ったので、期待できた。

トルコのデモ隊にも女性が多かったし、チュニジアのアラブの春のデモにも女性の姿が多かった。

そういう場所には希望がある。

人類の少なくとも半数を占めるのに構造的に搾取されている女性が解放されない限り真の人間解放はないからだ。そして女性たちが抗議行動に参加するというのはそれを支持する男性がいることでもあり、それまでの水面下の教育や思想の改革の努力が実ったということだからだ。

例をひとつ挙げよう。

ファウジア・レキクというチュニジアの女性物理学者がいる。

彼女は1960年代初めにパリで物理学を学んでいた。チュニジア人留学生の集まるル・ゲ・リュサックのカフェで、法学を学んでいたモハメッド・シャルフィと出会った。

シャルフィはイスラムの保守的な家庭で育ったのでイスラム神学にも通じ、その上でフランスの政教分離に強い共感を抱いた。

3年パリで学んだ後チュニジアで学生運動を率いたが、1968年に逮捕されて15ヵ月投獄された後、左翼運動から遠ざかった。
パリでもその他の地域でも同じなのだが、1970年前後というのは毛沢東思想や共産主義が台頭してきた頃で、左翼運動が過激化していったからだ。

1971年にパリで民法のアグレガシオンを取得してチュニスに戻った時は空港までからわざわざやってきた学生たちに歓呼の声で迎えられた。

彼は人権主義に基づいた政教分離の擁護者として1989年には教育大臣にまでなる(1994まで)。

一方、パリから戻ってチュニジア大学で物理学の教鞭をとるようになったファウジア・レキクは、そのシャルフィと結婚して3人の娘を生んだ。

単に人権主義とか思想の自由とか政教分離とかだけを標榜している男は実力行使をいとわないで過激化していくことがある。そのような道をとらずに穏健な方法でじっくりと社会を変えていくタイプの人は、娘を持つ家庭をなした人に多い。自分の娘の将来を考えてはじめて、女性の抑圧されているところには人間の解放がないと気づくからかもしれない。

シャルフィは3人の娘サミア、ファトマ、レイラが学校でアラビア語、歴史、宗教・哲学教育の中でどのようなことを教えられているかを観察して丹念に分析した。

その結果はひどいものだった。

子供たちは「共和国」に住んでいると教えられるのに同時に唯一の正しい体制はカリフによるものだと教えられる。一夫多妻が禁じられている国なのに宗教・哲学のクラスでは一夫多妻の利点を教えられている。

これでは子供たちに共和国理念など育つわけがない。

シャルフィはチュニジア人権同盟を率いた後で、1989年に教育大臣にまでなり、市民教育の強化と批判精神の養成などの教育の改革に尽くした。

彼の努力が、「アラブの春」で先頭に立った若い世代の男女を育てたといえるだろう。

彼は「アラブの春」を見ることなく2008年に死んだが、妻のファウジア・レキクは、ベン・アリが去った後の暫定新政権で教育国務大臣となり、女性の結婚年齢を17歳以上にすること、女性の合意なしに結婚できない法律の成立に関与した。

その後で政治からは去ったが、チュニス大学物理学教授であり続け、今年の春にフランスで『ヴェールをかぶった科学』という著書を発表している。

「科学」はフランス語で女性名詞であるので、女性と同じくイスラム・スカーフをかぶせられたという意味である。

この本によると、1970年代にすでに、チュニジアではイスラムによる科学の統制が始まった。

夫が逮捕されたのと同じく、世界的に過激な左翼が台頭した時期だったので、それを警戒するためにイスラム勢力が反応したのだ。

イスラムと言えば中世から何世紀もの間、科学や文明の最先端を担ってきた歴史がある。科学的蒙昧とは縁遠かったはずだ。

で、なんと、科学の統制政策のために、アメリカの原理主義者の創造論などを研究したらしい。

つまり、科学をコーランとの整合性に照らし合わせて規制するというやり方だ。

これは科学と信仰などという問題ではなく、教条主義と思想の自由の問題である。

つまり、信仰ではなく政治なのだ。

イスラム原理主義が、アメリカのキリスト教原理主義からヒントを得るのだから、権力者のイデオロギーとはやすやすと宗教や文化の壁を越えるということである。「一神教同士の対立」なんてない。

チュニス大学で物理学を教えていたファウジア・レキクは、「光の速度は有限である」と教えた時に、コーランと矛盾するという否定にぶつかった。アインシュタインは間違っているというわけだ。

ファウジア・レキクは、人権擁護と政教分離の専門家である法学者の夫とは別の立場から、科学の自律、思想の自律、信教の自律、「考えること」の自律、批判精神の大切さを唱えるのである。

この人が女性で3人の娘の母であるというところに、チュニジアの希望が感じられる。

若者たちが失望し、今やあちこちで暴力的な衝突が起こっているというチュニジアだが、こんな人たちがいる限りは「アラブの春」で芽吹いたものが花咲く前に枯れてしまうことはないと信じたい。
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by mariastella | 2013-06-17 00:17 | フェミニズム

「フランスの勝利」というタイトルの記事が出た 

アメリカとEUの間でも自由貿易(関税撤廃)の交渉が視野に入って来ている中、EUの中でフランスだけが、「文化に関しては絶対に交渉の対象としない」と他の26ヵ国に対して譲らなかったのが、ついに通った。

アメリカとの貿易では欧州でも、すでに遺伝子組み換え穀物(ヨーロッパでは禁止)が家畜の飼料として入って来ているなどさまざまな問題があがっているのだけれど、それでも自由貿易による「経済効果」を見込む勢力が優勢になっている。

日本のTPP交渉の問題では日本にとっての聖域はコメだから規制撤廃対象外して守るべきだなどという話も聞くが、それならフランスにとっても国民食であるパンの元となる小麦だとか乳製品を必死に守るのかと思っていたら、聖域は「文化の多様性」だった。

具体的にはオーディオ・ビジュアルで、たとえば現在ヨーロッパのテレビは映画の放映に関し50%以上がヨーロッパ映画でなければならないという規制があるが、それが守られるということだ。

ここを聖域にしないとテレビはアメリカ映画に席巻されるかもしれない。

EUの議論の場にはハリウッドを舞台にしたフランス映画でアカデミー賞を受賞した『アーティスト』の主演女優であるベレニス・ベジョの姿も見えた。

文化を経済効果や市場原理で扱ってはならないということだ。

それは「人間」を市場原理で扱ってはならないということに通じる。

フランスの政策に関しては近頃特に???の部分もたくさんあるのだけれど、こういう場面でフランスらしさをごり押しして通してしまう信念には久しぶりに感心させられた。
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by mariastella | 2013-06-16 02:41 | フランス

サイト更新のお知らせ

おそくなりましたがサイトを更新してもらいました。

Sekkoの本のコーナーで、訳本(絵本)を一冊、書き下ろしの単行本を一冊、コメントと共に紹介しています。

リンクがうまくいっていなかった場所を2ヵ所修正してもらいerrataに2項目つけ加えました(まだまだいろいろあるのですが...)。

単行本はジャンヌ・ダルクテーマの第二弾です。


旧サイトを消すのはもうほぼあきらめましたので、これを機会に現サイトのアドレス登録をお願いします。

http://setukotakeshita.com/

よろしくお願いします。
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by mariastella | 2013-06-15 01:39 | お知らせ

日本人の「教会結婚」を語る記事に思う

前に青山の大聖堂型結婚式場を見て驚いたことを書いたことがある。

私の若い頃にでも、結婚式はウェディングドレスというか「洋式」でホテルのチャペル風のところで、というオプションはすでに定着していたから、それがバブルなどを経て進化しただけだろうと思っていたのだが、フランスのある記事を読んだらもっと特殊なことになっていたようだ。

新郎新婦のどちらも「信者」ではないのに、プロテスタントの牧師(時には英語学校の教師のコスプレ)が英語をまじえて聖書の一節を読んだりする結婚式があるほかに、カトリック教会でも「祝福」という形の結婚式(もちろん秘蹟ではない)をやっているらしい。

1975年にヴァティカンが、日本教区に関する特別許可を与えたそうだ。

聖フランチェスコの祈りを加えるなど日本人好みのそれなりの形があるという。

教会の使命は扉を叩く人を迎えることだから、と担当司祭は語る。「教会は教会の扉を叩いたカップルに結婚の深い意味を明らかにして彼らの結婚を祝福する」という日本司教会議のパンフレットがあるそうだ。

カトリックでは結婚は「秘跡」の一つだから、普通は敷居が高い。

日本でも、「秘跡」としての結婚式を挙げてもらおうと思ったら5ヶ月にわたって1回1h30の準備クラス(担当の司祭といっしょに人生や意味や愛や信仰の意味について考える)を20回こなさなくてはいけない(東京の聖イグナチオ教区)とあった。

フランスでもそういうのはあるが2、3回で終わりということも少なくない(特にカップルの両方が堅信などのステップを済ませている場合やすでに教区の教会に通っているような場合)。

ともかく、今や日本では16%が神道式結婚、24%が宗教的な式なしで、60%が教会でキリスト教風の結婚式を挙げるのだそうだ。

キリスト教人口が1%もあるかないかの国としては異常な事態だと言える。

メンデルスゾーンの結婚行進曲がオルガンで弾かれて、ステンドグラスの間のバージン・ロードをしずしずと進むとか、聖書が読まれたり、教会を出る時にはバラの花びらが撒かれるとか花束を投げるとか、フォークロリックなものもすべて込みだ、というか、その雰囲気こそが大切なのだろう。

1990年代からそういう完璧な教会結婚式の演出が定着したそうだ。

アジアの非キリスト教国でここまでキリスト教の結婚式が人気なのは日本だけで、外国人宣教師らはみんな驚いているそうだ。フランスの記事にあったのは千葉県のマリアチャペル マリベール柏 (旧柏玉姫殿)というところで、1994年に玉姫殿からチャペルに変身したらしい。

神道式の結婚式もOKで年間300組の結婚式があるという。

式の場所や形さえ気に入れば宗教の中身なんてあまり気にせず、後は披露宴の豪華さがメインだと思う気持ちはなんとなく分かるけれど、形だけでもシンパシーを持ってもらえているなら、カップルには1年間はキリスト教系雑誌を定期購読してもらうとか、キリスト教側ももう少し積極的になればいいのに、と思ってしまう。

どちらにしても、「教会結婚」の魅力というのが日本ではキリスト教の中身とは関係がなくて、その「洋風」なところにあるのだとしたら、キリスト教がいつまでも「外来宗教」と思われていることになる。

せっかく、仏教と同じく「普遍宗教(救いの対象に地縁血縁を問わない)」だというのに、いつまでたっても

「毛唐の宗教」
「欧米植民地主義の宗教」

のようなレッテルが実はついて回っているのだなあというのがよく分かる。

キリスト教の「洋風」部分の商品化にはこれほど長けているのに、キリスト教のもっている「普遍宗教の文法」をうまく取り入れてキリスト教国との外交に生かしたりする方向はゼロなのは少し残念だ。
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by mariastella | 2013-06-14 00:36 | 雑感

シリアとトルコの今

6月10日、イギリスに拠点を置くシリア人権監視機構( 英国政府の支援を受け、シリアからの亡命者とも近い)が、石鹸で有名なアレッポで起きた事件を記事にした。

路上でコーヒーを打っていた15歳の少年が、「もしムハンマドが生き返ったとしても自分は…しない」と冒聖の言葉を使ったということで、シリアの反政府軍が背教者だと宣言して(シリア鉛でなくクラシックなアラビア語だったそうだ)と公衆の面前で処刑した。

処刑の前に暴力を振るわれた跡もあったという。

フランスとイギリスは、そんな反政府軍に武器を提供するかどうか迷っている段階なのだから、重大な所見ということになるだろう。。

そもそも今や完全に内戦状態のシリア情勢を「アラブの春」のカテゴリーで見ようとしてきたヨーロッパの方に問題がある。

「アラブの春」の名にふさわしかったのは2011年初頭のチュニジアとエジプトだけだった。

その春にも今や秋風が吹いている。

その後、フランスのリビアへの介入はカダフィが裁かれるような事態になれば自分の身が危ないと感じたサルコジの保身が後押しした気配が濃縮だった。それを正当化するために「アラブの春ドミノ倒し」理論をシリアに適用しようとしたのかもしれない。

アラブではないがイスラム国でこれまで政教分離路線をとっていたトルコのイスラム寄り政権に対する反政府デモも過激さを増してきた。

「アラブの春」にとって、トルコは、イスラムと政教分離、イスラムと民主主義が両立するというロール・モデルであったのに。

オスマン帝国を近代化するという共和国の父ムスタファ・ケマルの精神が根づいていたと思っていたが、10年前から政権についたAKPイスラム系政党は、少しずつイスラムの特権を強化していった。教科書的な「非宗教系ライシテ(公共の場に宗教を持ちこまない)」を崩しながら、イスラム以外の宗教にはこれまで通りの厳しさを維持したからだ。

民主主義とは多数決だけではなく少数派のリスペクトを含んでいるはずだ。

今の首相が強面の権威主義的人物であることも人々の不満に拍車をかけた。

人々は平和的なデモをしたのに、その弾圧は容赦ないもので、国際メディアはそれを伝え続けている。

NATOやOECDの加盟国でヨーロッパと近い位置にありライシテや民主主義の意識の高い人々は自分たちが国際社会から支持されていることを自覚している。

日本人の目から見ても、タクシム広場を埋めるトルコ人の抗議の様子は、アラブ人やイラン人の様子とは違ってヨーロッパと似たような雰囲気がある。
違うのはやはり弾圧する側の重装備だ。

EUはもちろん弾圧を非難し、トルコ移民の多いドイツのメルケル首相も若者たちと話し合うことの必要性を強調し、反政府デモ隊に対するいかなる暴力もあってはならないと言い渡した。

こんなことが続けばフランスでの反イスラム感情がまた煽られるかもしれない。

トルコの希望は経済成長が順調なところだ。その余裕のおかげで、政治問題が宗教問題にすり替えられるというパターンを回避できるといいのだが。
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by mariastella | 2013-06-13 07:39 | 雑感

遠藤秀紀さんと進化論

婦人公論5/22号で、獣医学者で解剖学者の遠藤秀紀さんという方が、カトリック系の小学校にいた時、神父さんがダーウィンの進化論と聖書の天地創造について生徒を二派に分けて議論させたという体験を語っているのを読んだ。

ダーウィン派の遠藤氏は聖書派の同級生を泣かすまで論破した。

授業の最後に神父さんがこう言った。

「遠藤くんの言っていることは正しい。でも、地球上の何億人もの人が、こんな聖書にすがらないと生きていけないんだ。そのことを頭の片隅に置いて、科学者として何でも好きなことをやっていきなさい」

科学と人間はどう折り合うべきか、彼の考え方はその時に決まったそうだ。

彼は1965年生まれというから、この話は1970年代後半あたりのものだろう。

ネットで検索してみるとカトリック系の小中高を経て東大農学部とある。

そしてこの議論は小学校の「神学の授業」でのことだったと(朝日デジタル2012/7/7
など)。

小学校で「神学の授業」なんてあるのだろうか。

こういう討論式の授業は欧米では普通だが日本の普通の小学校では少ない気がする。

朝日の記事では「進化論と信仰の折り合いのつけ方として感動しました」とある。

婦人公論とニュアンスが違う。

1970年代後半というともう福音派の天地創造原理主義みたいなものが教育の場で問題になっていたのだろうか。

アメリカではアーカンソー州の公立学校での進化論の授業禁止が違憲だとされたのが1968年だがその後保守化し、1981年にはアーカンソーやルイジアナで進化論と天地創造説を均等に教える法律ができたりしているから、進化論を否定しないカトリック系の小学校でも当然いろいろな戦略がたてられていたのかもしれない。

遠藤さんとダン・ブラウン(1964年生)は、ほぼ同世代だ。でも、13歳の時に聖公会の牧師からこの問題への質問を封じられてから宗教を捨てて科学を選んだと言っているダン・ブラウンと遠藤さんの体験は対照的だ。

しかし、「進化論と信仰の折り合いのつけ方」というよりも、

「科学と人間はどう折り合うべきか」

と言っている今回の記事の表現の方が奥が深い。

日本のような国ではそもそも「進化論と信仰の折り合いのつけ方」などは誰も問題にしないが、「科学と人間の折り合いのつけ方」というテーマは普遍的だ。

日本の小中学校の理科の授業で生徒にそれを考えさせるような教育者が聖職者以外にもいればいいのだが…。
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by mariastella | 2013-06-12 06:23 | 雑感

再びデュフリィのシャコンヌ、そしてアナ・イエペス

(この記事はバロック音楽好きの人を対象にして書いています。そのうち音楽記事はすべてトリオのブログにコピーすることにします。音楽やダンスに興味ない人はスルーしてください)

つい最近デュフリィの「シャコンヌ」とヴァトーの「シテール島への巡礼」について書いた。

その時にyoutubeで楽譜付きで聴けるチェンバロ演奏をリンクしたが、そこでは、私たちのトリオが演奏する時と同じ魅力は感じられないと書いた。

それの多くは「音色」の違いと各パートのバランスにある。チェンバロでは一人が2つの手で弾いているのを私たちは三つのパートに分けていろいろな微調整をしているのだから当然といえば当然だ。これを弾く時にはピッチも415でなく440に上げている。

もう一つは、その「出だし」の部分である。

中間部の魅力に比べて出だしがあまり腑に落ちない。

実は、何度も弾くと分かってくるが、ミオンのサラバンドと同じように、この曲はシャコンヌの出だしがいきなりヘミオラになっているのである。それが最初の区切りまでずっと続く。

はじめは低音部だけがヘミオラになっているのかと思った。

高音と中音は補完的に展開する。

私たちは練習する時かならず2パートずつ弾いてみるのだが、

たとえば低音部と中音部が弾いている時、和声を確認するために高音が各小節の一拍目だけを弾くことがある。ところが、このシャコンンヌの出だしでは、それがほぼ不可能になる。つまり機械的に各小節の一拍目だけに注目すると何が何だか分からない。頭の中で全メロディを喚起しながら音を拾うしかない。

で、完全にヘミオラの強拍を拾うとすんなりいくのだ。

このシャコンンヌは振付を想定していないわけだが、そこに注目して振りつければ魅力的なものになると思う。

(このブログを読んでいるプロのチェンバロ奏者の方はぜひご意見を聞かせてください。)

先週末にパリでアナ・イスぺスのバロックダンスの研修があった。私の友人では精神科医のエヴリーヌ(私が17年前にセシリアのところでバロックダンスをはじめた時にすでに上級クラスにいた人だ)とダニー(この人は踊りのプロ)が出席して、11時間も踊ってふらふらになったといっていた。

「高い位置で踊る」のが特徴だという。

アナ・イエペスはギタリストのナルシソ・イエペスの娘で楽器もかなり弾いた人だから、楽器から出発してプロのダンサーになった貴重な人だ。彼女ならこのデュフリィにどんな振付をするだろう。

日本人では樋口裕子さんが参加されていてメルアドの交換もしたとダニーが言っていた。

今エリカがアメリカに行っているので私はダニーと組んで踊っている。

パートナーによって踊り方(視線や間の取り方やアクセントの置き方)を完全に変えることができるのもこの種のダンスの楽しいところだ。
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by mariastella | 2013-06-11 16:42 | 音楽

カール・ラガーフェルドと猫

デザイナーのカール・ラガーフェルドが、「まだ人間と動物の結婚はない。でも自分が猫に恋するなんて思いもしなかった」、と語ったことがあちこちで記事になっている

フランスの「同性婚」成立にまつわる騒ぎにかけたユーモラスなエピソードとして受け入れられているのだが…

「カイザー(帝王)」とも呼ばれるファッション界の重鎮のラガーフェルドは友人からあずかった白毛長毛碧眼のバーマンの雌に恋して、返さずにそのまま飼うことにした。

そのシューペットちゃんには今や2人の専属のアシスタントがついていて、ラガーフェルドが旅行で留守にする時は一時間に一枚の現状報告写真を送ってもらっているそうだ。

シューペットTwitterちゃんの名でfacebookやtwitter (27200人がフォロー) もある。まだ2歳くらいだ。

写真を見ると確かにすごくかわいいし、猫好きとして自分の猫に耽溺する気持ちもある程度分かるのだけれど、この人の場合はなんとなく、自分のエゴやナルシシズムの中にシューペットちゃんも「モノ」化して「所有」している気がする。

ピカソの孫娘Marina Picassoが「ピカソは女たちや子供たちを自分の天才で押しつぶした、彼の周りではすべてがモノ化するのだ」と言っていたのを思い出した。それはピカソ症候群というのだそうだ。

猫と「結婚したい」とか「恋している」とかいうと人間同士のように対等に見ているかの印象を受けるかもしれないが、本物の人間に恋してもモノとして所有して道具にしたり放置したり捨てたりするエゴの怪物も存在するのだから、ラガフェルドの「愛情告白」にもなんとなく違和感を感じる。

「猫好き」って、どんなにボロボロの猫にでも情緒をかきたてられるものだ。

そして、猫という動物の、人間に「モノ化」されることを拒否するというその特性そのものを、称賛せざるをえないものである。
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by mariastella | 2013-06-09 19:51 |

フリーメイスンとカトリックについて補足

これは前に書いた記事の補足です。

前の記事にも修正と補足をしたので確認してください。

さて、前の記事では違いがはっきり分からなかったのだが、

今回の事件でアネシィのヴザン神父の属しているのはグラン・トリアンGODFで、

司教の許可を得ていたというオ―タンのデブロス神父が属していたのはグランド・ロージュ・ナショナル・フランセーズGLNFだった。

この違いは大きい。

私が内部の人と接触したり本部を訪れたりした限りではGODFもまだ十分「宇宙の設計者」を掲げている雰囲気なのだが、そしてカトリックを容認しているのも事実だが、今は、「宇宙の設計者」に対する崇敬をメンバーの条件にしていない。いわば政教分離の「世俗」グループである。

だからこそ、逆に、ヴザン神父は、神父としてカトリックの神の信仰と、メイスンとしての活動が補完的で両立できると思っていた。

実は、その前に今も理神論で「宇宙の設計者」への礼拝を含むGLNFからも「勧誘」されたそうだ。
GLNFでは聖書を大切にするという触れ込みだった。でもその勧誘自体がカルト的で抵抗があった、スピリチュアルな団体では自分の信仰とバッティングするかもしれない、それに比べてGODF の自由な雰囲気に惹かれたという。

では、オ―タンのデブロス神父がGLNFに加入するのを司教が容認したというのは、GLNFが少なくとも無神論ではなくて神を信じている団体だから寛大に扱えたのだろうか。

実際は、GODFは「無神論」ではなくて、「宗教の種類も有無も問わない」というだけである。
自分の私的な信仰は持ち続けることができる。

だからカトリックの中にも、むしろGLNFの方が神学的な問題が深刻だという人もいる。

つまり、GLNFではユダヤ=キリスト教のレトリックをちりばめた典礼で「宇宙の設計者」を礼拝させて、メンバーはそれぞれがそこにかってに自分たちの神を重ねればいいという安易なスタンスなので、神学的エラーに陥るというのだ。

また誰でも自分たちの神(仏でも何でもいいわけだ)を思いながら「宇宙の設計者」を拝するというシンクレティズム、相対主義こそが真のキリスト教の敵だという判断もある。

一方のGODFでは絶対者に帰依する必要がないので、自分の信仰を裏切らずにすむ、とヴザン神父は考えたわけだ。

もちろんヴザン神父が侵した「神父としての違反」は軽いものではない。

まず、1983年の新教会法自体からはフリーメイスンを名指しての禁止は消えたが、同年の11/26に当時の教理省長官だったラツィンガー(後のベネディクト16世)が、教会によるメイスンへの否定的判断は変わっていない、フリーメイスンに入ることは重い罪の状態に相当すると宣言しているので、ヴザン神父はそれに違反した。

次に、それに対して司教の判断をあおぎ許可を求めることをしなかった。

さらに、2010年の春に密告されて司教から真偽を問われた時に否認した。つまり嘘をついた。

2011 年の密告には、彼がメイスンとして講演するという内部報が同封されていた。司教はこの段階で、メイスンか教会かを選択するように申し渡した。

最後の違反は、3月7日の最後通牒に従わなかったこと、つまり、神父に叙階された時にした司教への従順の誓いを破ったことだ。

ヴザン神父は2012 年の1月に、ことの是非を分別するための黙想行に入り、その結果、自分が間違っていないという結論に達したのだそうだ。

メイスンの友人たちからは脱会した方がいいと勧められた。しかしそれは自分の絶対の自由に反すると思って留まったという。

とはいっても、もともと彼がカトリックの司祭となったのも、自由意思だった。自由意思によってある役割を引き受けたからにはそれに伴う義務や拘束も受け入れるということであるから、彼の「自由」原理主義には無理がある。

実際、そもそも現在のカトリックがメイスンを認めないと言っているのは、昔のような陰謀論のような話のせいではない。

キリスト教が「神の恩寵によるすべての人の救い」を掲げるのに対して、イニシエーションの儀式により選択的に自力でステップアップを目指すエリート的なメイスンのシステムが合致してないからである。

知識を獲得していくというグノーシス的なスタイルも、「愛」を優先する教会とは相容れないとする。

私が興味深いと思うのは、そもそも近代メイソナリ―ができた18世紀は啓蒙の世紀だったわけだが、その時にはじめてメイスンを公式に弾劾したクレメンス12世が、メイソナリ―がたとえ悪行を行わなくても、「秘密に活動する」ということそのものが啓蒙の「光」への憎悪であると言ったことだ。

秘密結社というのが光に対する闇に相当するので啓蒙の精神に反する、というのはなかなか明快な判断だったという気がする。18世紀の高位聖職者たちは啓蒙の世紀の申し子だったのだ。1738年のことである。

ヴザン神父は11 歳で司祭職を志したが影響を受けた司祭から「自由であれ」と言われた、叙階されてからルーマニアで正教に興味を持った。その後ではオプス・デイにも惹かれたという。 

もともと「自分探し」系のひとだったわけだ。

司祭としても、自分には、公教要理(カテキズム)を教えるより人々に生きる意味を教えることが重要だったと言っているから、スピリチュアル・カウンセラーなどの方に適性があったのかもしれない。

長い歴史の波に現れてチェック機能や自浄機能を数々備えているカトリックのような巨大機構の中に入ったことが間違いだったのだろう。
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by mariastella | 2013-06-08 09:05 | フリーメイスン



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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