L'art de croire             竹下節子ブログ

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異種共存と異世代共存の効用

子猫がうちへきてからひと月半になる。

「I」の年なので「Izou」(イズー)と名付ける。「いじゅちゃん」と呼んでいる。

母親はシャルトルーなのでグレーの猫。

歩いているのを見たことがない。

寝ている、食べている、隠れている、いたずらしている、狙っている、甘えている、などで静止状態になることはあるが、動いている時はいつも走っているか跳んでいる。

あるいはスピノザに飛びかかっている。組み倒されて咬まれたりするのだが、実は全然痛くされていないことは、起き上がってすぐにまたかかっていくことからもわかる。

真正面からでない限りスピノザは取り合わないので、オンブ状態になってずり落ちてしまうこともある。

スピノザは12年近く、一度も一匹だけで過ごしたことがなかった。最初は兄弟たちがいたし、うちに来た時にはマヤがいて、その後サリーと9年もいっしょにしっぽり過ごしていた。

3年前にサリーが死に、今年のはじめにマヤが17歳で亡くなった。

それから体をよく掻くようになって、かさぶたがあちこちにできた。毛艶も今ひとつ悪い。

ノミよけの薬はもう12年半も毎月飲ませているのだからノミではない。ブラシをかけてももちろんその兆候はない。獣医はアレルギーかもしれないと言った。

直感的に、子猫を連れてきたらことは解決すると思った。

正解だった。

全ては変わった。

人と猫という異種との共存も貴重だが、世代が多様化するのも大切だと思った。

今のスピヌーとイズーでは、いっしょに育ってきたサリーとのような「しっぽり感」はもちろんないが、スピヌーは明らかに若返って、自信を取り戻して(何の自信だ?)、毛並みも艶々、イズーに対しては、長老風味、なかよし親父、こわもての体育教師(体罰付き)、ワル兄貴、の役割を全部果たしている。

スピヌーがイズーを組み伏せると一応こちらはスピヌーの方を叱るが、その中にも、「ほら、あんたはお兄ちゃんでしょ、この子がどうしようもないのは分かるけどさ、そこはまあまだ子供なんだから、私たちも我慢してるんだから、協力してよ、」というニュアンスがあってスピヌーもそれをキャッチしている。

今さら子猫を飼って、この子がマヤのように17年も生きたら、面倒みられるのかとか、掃除が大変、片付けが大変とか、マイナス面も考えたが、「猪突猛進のおバカな子供」と共存する楽しさは想像を絶するものだった。

子猫を飼うのは12年半ぶりなので忘れてたよ。

みんながなごむので、こういうのを見てたら、人間同士で、血のつながりのない養子縁組だとか、白人が黒人の子を養子にするとか、文化の違いとか、についていろいろ悩むのはほんとうに馬鹿げているなあとつくづく思う。

私とは異種で、スピヌーとの血のつながりもなくて、この先自立する可能性もなく一生食べさせてやらなくてはならないことも分かっていて、それでいて、イズーといっしょに暮らすのを決めたことには「幸せ」しかないのだから。
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by mariastella | 2013-11-30 23:55 |

『少女は自転車にのって』Wadjda

近所の映画館に珍しいサウジアラビア映画『Wadjdaワジダ』を観に行く。2012年にドバイの後でベニス映画祭などに出品されて高い評価を得ていた。ドイツの映画会社も関わっている。

Waad Mohammed, Reem Abdullah らが出演。

監督がハイファ・アル・マンスールHaifaa Al Mansour という女性というのも新鮮だ。フランスではかなり前に一般公開されていたのだけれど、今回は上映後のディスカッション付きだったので行ってみることにした。

リヤドの郊外に住む少女ワジダは、ジーンズにスニーカーでロックを聴く女の子だが、女性は車を運転することも禁じられているし、基本的には自転車に乗ることもできない国で、となりの少年と競争するために自転車に乗りたくなる。

もちろんみんなに反対されるが、必要な金を自分で調達しようとコーラン学校のコーラン暗唱大会一位になって賞金を得ようとする。サウジの二面性を逆手に取った愉快なストーリー。
少女の父は第二夫人を求めてほとんど家を出ているので、この映画は母と娘の映画でもある。

母は少女を生んだ時の難産でもう子供を産めなくなっていたのだ。こういう場合、男の子を求めて第二夫人との結婚を要求するのは「伝統」でもあるが、自分は系図にも載せてもらえない「男の子の母親」である女性でもある。

「男の子の母親」たちが、孫を産めないとか女の子しかできないなどの「嫁」たちの立場を守る方に意識が変わってきたら、伝統や宗教よりも強い変革のファクターになるかもしれない。

ヒロインの少女とその幼いボーイフレンドのやりとりを見ていると、きっと次の世代には変わってくるという希望がある。

サウジのような国で一体どうやってこんな映画が出きるのかと思うが、30代後半の女性監督は、子だくさんサウジの世代で12人きょうだいだったが、カイロのアメリカン・ユニヴァーシティで映画を学び、アメリカの外交官と結婚してシドニーへ行き、ワシントンにも住み、現在は2人の子供とバーレーンに住むなど、これもサウジにはありがちな、矛盾したアメリカンな経歴をもっている。
イランではあり得ない。
で、リヤド郊外での撮影はさすがに大変だったらしいが、実体験と共に彼女をインスパイアしたのは現地にいる姪でワジダと同じようにすっかりアメリカナイズされている娘だそうだ。口コミでキャスティングしたヒロイン役も、ジーンズにオールスターのスニーカー、耳にはヘッドホンをつけてカナダのポップ シンガー、ジャスティン・ビーバーを聴きながら撮影にやって来たそうで、本当に、若者はジャストタイムで国境のないインターネット文化に属していると監督も確信を持った。

また子供に焦点をあてて子供の視点でシナリオを作ったのは、イラン映画の監督たちが当局の干渉を避けるために使う手なのでそれを参考にしたからだという。

サウジの王族のひとり(アル・ワリード・ビン・タラール)も製作資金を出したそうだ。
はっきり言ってサウジは、上流であるほど「西洋化」しているから、人権意識も強く、宗教警察をごまかす方法や女性の自立の協力者も少なくない。

ただしサウジアラビアでは10人以上の人間が私的にも公的にも集まるのは(結婚式とサッカーのスタジウムをのぞいて)基本禁止だから、映画館や劇場そのものがない。この映画もDVDとか海賊版で試聴されたのだろう。金のあるサウジ人はドバイにでもヨーロッパにでもしょっちゅう出かけているから映画館で観ることもできる。

私がリヤドに少し滞在したのは2001年で、その頃は外に出ると外国人女性でも全身を黒のアバヤでおおわなくてはならなかったし、そもそも女性が夫や運転手なしで外を歩いているということ自体がほとんどなかった。今では外見が変わって必ずしも皆が全身をベールで覆っているわけではなく思考と外見の両面で多様性が顕在化していると監督は言うのだが、映画を見ると、個人の家の高い塀や分厚いドア、女性たちの様子などそんなに変化していない。

リヤド滞在中にサウジの家庭もいくつか訪問したが、どれもかなりアッパーな家で、息子がいて、夫が進歩的で、夫人付きのインド人運転手もプロフェッショナルだった。

この映画の家庭は、家の内装の派手な趣味などは私の見たサウジの家庭を思い出させるけれど、妻が働かなくてはやっていけない中流であり、本来は第二夫人(第一夫人と全く同じ暮らしを保証しなくてはならない)を持つような経済力はないようなので、「離婚」も選択肢だったと思うから、この夫はやはり妻や娘を愛しているのが分かる。

ディスカッションでは、ここ一年半くらいで、女性の服やアクセサリー売り場に女性の販売員が現れ始めたという報告があった(映画の中では女性服も男性が売っていて、試着室もないのだ)。私の直接見聞きした2001年の時点ではアッパー階級のサウジ女性はみなヨーロッパに出かけては服を買い占めていたから問題がなかったのだろう。

人口構成が変わり、若年の失業率が増え、それまで移民労働の上に楽々と暮らしていた平均的サウジ人の生活レベルが下がってきたことで、女性の進出や自由化が進みつつあるらしい。

金が潤沢にあるうちは、自由ですら金で買えるという幻想があるので、偽善的な生活(表向きは宗教的戒律を守り、内側や外国ではしたい放題など)でごまかしてきたが新しい世代にはもうそれが通らなくなっているのだろう。

2001年の同時多発テロ以前にリヤドの暮らしを見る機会があってそのことを『不思議の国サウジアラビア(文春新書)』に書いたことのある私としては、この映画も最初のうちは自分の知っているサウジを想起しては比べるという作業を自然にしてしまっていたのだが、終りの方はすっかり話そのものに引き込まれた。

少女が自転車を買うためにコンクールの一位を目指すというストーリーなんだから、ここで一位を逃させるのは可哀想だからきっと一位になるのだろうとは思いつつ、でもそれで賞金で自転車を買ってめでたしめでたしでは映画にならないので、自転車がもう売れてしまってがっかりするのか何かがあるのだとは思ったが、賞金の行方などに思いがけない展開があった。

最後は本気で嬉しい感涙もので、これが普通に子供をだしにした感動ストーリーなら安易だとしらけてしまう場合が多いのだが、これだけ異質な国の異質なカルチャーの中で若い力や自由への希望を見せるのはすばらしいとすなおに思った。

上映後のディスカッションでは最近のサウジの様子のレポートの他に、フェミニズム系の人が多くいたようだが、「フランスでもほんの100年ほど前までは女性に開かれていた職業は助産婦と小学校教師だけだった」という声があって、じゃあサウジでも今のフランス並みになるのは後100年かかるのかと嘆息する人もいた。

しかしフランスの女性の社会進出が劇的に進んだのは第一次大戦があったからで、今はネット環境があるし、社会意識の変革というのはただ月日の流れと比例しているのではない。

ネットで検索したら日本でも『少女は自転車にのって』というタイトルで12月に公開されるとあったので、ぜひお勧めです。
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by mariastella | 2013-11-24 03:00 | 映画

リチャード・フライシャーの『バラバ』、コルベ神父、プッシー・ライオット

さきほど映画『バラバ』をArteで観た。

大スペクタクル映画をTV画面で観るのは残念なので躊躇していたのだが・・・

でも、それよりも、今までこの映画を観たことがないことに気づいて、どうしてだろうと好奇心が湧いたのだ。

監督がリチャード・フライシャー(Richard Fleischer)で、彼の作品は日本でも『ミクロの決死圏』『ドリトル先生不思議な旅』『ソイレント・グリーン』など人気だった。

『バラバ』は主演がアンソニー・クィンで、1961年の作品。
歴史ものの超大作映画が続いた頃で、56年の『十戒』とか59年の『ベン・ハ-』とか同じ62年の『アラビアのロレンス』とかすっかり古典であるし、私も当然すべて日本で観ている。

『バラバ』にはイエスと遭遇するところとか、途中で奴隷になって強制労働させられるところとか『ベン・ハ-』と共通点もある。

奴隷の境遇になった主人公は、ベン・ハ-ではガレー船を漕がされ、バラバではシチリア島の硫黄鉱山で働かされる。闘技場での迫力あるシーンも共通している。

ベン・ハ-の円形の競技場はエルサレムが舞台のはずだから考証的に無理な部分もあるが、すべてローマ風に造られている。第一、ベン・ハ-もローマのチネチッタ撮影所に古代ローマ時代の世界を再現して撮影されているし、バラバもシチリア・ロケ、ベニス、トスカーナなどでロケしているイタリアとの合作だ。 公開されたのもイタリアでの方がアメリカよりも1年近く早かったようだ。

特にトスカーナで、本物の皆既日食(1961/2/15)を背景にして撮られたキリスト磔刑シーンの神秘的な美しさは評判になったそうだ。

鞭打ちのシーンも出てくるが、メル・ギブソンの『パッション』ですか、と言いたいくらい目をそむけたくなる。

いや、バラバの妻が石打ちの刑で殺されるシーンや闘技場のシーン、焼かれたりライオンに喰われたり馬車に引きずられたりするグラディエーターたちの残酷な映像も私の一番避けたい種類のシーンの連続だ。これは画面が小さくて助かったけれど、群衆が血を見て興奮する系の闘技シーンなどは絶対に見ないようにしているので心外だった(なにしろ私の最近観た古代ローマが舞台の映画って日本映画の『テルマエ・ロマエ』だからね)。

なぜこの映画が、日本では上映されなかったのかと考えてしまった。

確かに「ベン・ハ-」や「アラビアのロレンス」などと比べると、ストーリー・テリングが弱い。バラバの人物像が、あまりにもキリスト教的であり、かつキリストの受難のエピソードとしては日本であまりにも知られていないからかもしれない。

過越祭の慣習として、死罪が決まっている囚人の一人を民衆が解放することができるので、ローマの総督ピラトに問われた時に、人々は預言者イエスでなくて盗賊バラバを解放した。

バラバがただの盗人だったのか、イエスと違って過激な政治活動をしていたバラバの方に民衆の期待がうつっていたのか、史実は分かっていない。

けれどもバラバは「イエスの代わりに死を免れた男」、のような位置づけになっている。

キリスト教的に言うとイエスはすべての人類の罪を背負って死を引き受けたのだから、別に「バラバの身代わり」になって死んだわけではない。それでも、バラバには「イエスに救われた男」のイメージがある。しかし、「イエスを売った男」のユダが悪を一身に引き受けることになったのでバラバは曖昧な存在になった。

この映画の原作はスウェーデンのノーベル賞作家ぺール・ラーゲルクヴィストの書いた『バラバ』(1950)で、信仰や自己犠牲の問題に踏み込んだ名作であるらしいのだが、正直言って、古い感じは否めないし、プロスタントのアメリカ的にはノープロブレムのテーマだろうけれど、「キリスト教文化圏」を超えての大スペクタクル娯楽映画になり得るかと言えば疑問である。

けれど、その日本で、バラバに関係する金沢泰裕の『親分はイエス様』という本が映画化されたことを私は知っていた。
ミッション・バラバというもとヤクザの更生を中心にした活動のエピソードが元になっているものだ。

映画はキリスト降誕2000年記念の日韓合同制作であったらしいが、日本での宣伝には更生するのに大切な「夫婦のきずな」が前面に出ていて、「イエス様」、というキリスト教臭は薄められているようだ。

金沢自身も在日三世で、バラバメンバーの8人の内3人の妻が韓国人である縁から、日韓共同製作となったということは知らなかった。韓国はキリスト教の割合が日本よりはるかに高いので、キリスト教的メッセージがすんなり伝わったのだろう。

考えると、チャールトン・ヘストンやピーター・オトゥールのような青い眼系のスターと違ってアンソニー・クィンはやや異色だ。(ヘストンがユダヤ人という地中海系の役をするのも今思うと不自然だが、昔は何とも思わなかった。)

アンソニー・クィンは父がアイルランド系メキシコ人で母がアステカのインディオ系メキシコ人でアメリカに移住してきたそうだ。メキシコはアングロサクソン系植民地と違って混血が多い。グアダルーペの聖母のおかげかもしれない。

で、実際、クィンも、インディアン役、ラテン系役(マフィアのドン)とか、ハワイの酋長、中国人ゲリラ、アラブ人、など、ギリシャのオナシス役など、白人のハーフなのに、絶対にWASPの役は回ってこなかったようだ。逆はありなのに。

まあ父がアイルランド系だから、カトリックだったのだろうし、最初の結婚相手もイタリア人だったことからカトリック同士だったと分かる。といってもその後は離婚を繰り返しているから、もう宗教なんかどうでもよくなったのかもしれないが。

それにしても、バラバの恩赦に際して、まるでイエスが自分の身代りに殺されたかのようにピラトがバラバに罪悪感を与えるのは気の毒な筋運びでもある。

バラバはその後再逮捕されて鉱山労働させられるのだが、20年生き延びて脱出するなど、なぜか命を長らえる。それが、「自分の命の続く意味は何なのか」という疑問につながっていくのだ。

「身代わりの死」で有名なのは、アウシュヴィッツで別の囚人の身代わりを申し出て餓死室に入り死んだコルベ神父だ。

囚人の一人が脱走したので見せしめのために10人が無作為に選ばれて殺されることになり、そこで選ばれた一人が妻や子のために嘆いたのを聞きつけたコルベ神父が「家庭のある人より神父の私が」と申し出たのだった。
コルベ神父も身代わりになってもらった囚人もユダヤ人ではない。
コルベ神父はナチスの思想に反対していたことで、身代りになってもらったポーランド軍軍曹のフランシスコ・ガヨヴィニチェクも、ユダヤ人のレジスタンス運動を助けた罪で収容所に入れられたのだ。

コルベ神父の「身代わりの愛」にはもちろんイエスの姿が投影されている。「友のために命をかけることは最も大きい愛である」ということの実践だったのだろう。このことでコルベ神父は、後にカトリック教会から列福され、さらに聖人の列に加えられた。

といっても、アウシュヴィッツにいたのだから、たとえその時に助かったとしてもガヨヴィニチェクが生きて収容所を出る確率は少なかっただろうし、もし結局彼が死んでいたら、コルベ神父の英雄的な善行も無為に帰したかもしれない。

しかし、ガヨヴィニチェクは5年5ヶ月の収容所生活を生き延びて生還した。生還しただけでなく、なんと95歳まで長寿を全うした。1982年10月10日、ヴァティカンで20万人の信者の前でコルベ神父が信仰の殉教者として列聖された時に、82歳のガヨヴィニチェクも出席している。

47歳で死んだコルベ神父の倍も生きたのだから、「身代わり」になってもらったかいがあったのだろうか。

「よかったよかった」と言いたいところだが、話はもっと微妙で、ガヨヴィニチェクの息子たちは、1945年にソ連軍の爆撃によって死んでしまい、生きた父に会えなかった。

妻はまだ生きていたものの、もう新たに子供を作れるような年ではない。
「家庭の父親」としてのガヨヴィニチェクを救おうとしたコルベ神父の思いはかなわなかったわけだ。

妻は1977年まで生きたが、その時77歳だったガヨヴィニチェクは、なんと再婚している(2度目の妻には先立たれなかった)。
もともと生命力も運も強い人だったのかもしれない。

彼の生き甲斐はコルベ神父の徳を伝える証言者となることであり、死の前年の1994年に94歳の高齢でテキサスのヒューストンにある聖マキシミリアン・コルベ教会を訪問して、

「私の肺に空気の残っている限り、コルベ神父のなされた英雄的な愛の行為を人に語っていくのが義務だと思っています」

と語ったそうだ。

もう少し言うと、1941年2月17日の朝にゲシュタポがコルベ神父を逮捕しに来た時、20人もの修道士が彼の身代わりになることを願い出た事実がある。その身代りは拒否されたわけだが、そして、もしコルベ神父以外の修道士が代わりに収容所に入れられていたら、ガヨヴィニチェクの身代わりを申し出たかどうかは分からないが、ともかく、「身代わり」という自己犠牲は当時の状況下におけるポーランドのフランシスコ会では驚くに足らない行為だったのかもしれない。

結果的に、コルベ神父がガヨヴィニチェクの身代わりとなり、そのガヨヴィニチェクが半世紀以上も人生の意味を生き証人となることに見出したのだから、「身代わりの愛」は無駄にならなかった。

さまざまな聖地で「奇跡の治癒」を得たような人たちも、健康を回復した後での感謝の気持ちがないとか生活態度が悪くなるとか、不健康な生活をして別の病気にかかって死ぬなどすれば、「奇跡」の認定がでない。

ガヨヴィニチェクの例を考えると、「身代わりの愛」の意味も、奇跡の享受の意味も、感謝の念を持ち続けるかどうかが本質的なところであるらしい。

映画の『バラバ』のメッセージは、初期のキリスト教徒の自己犠牲とは、

「権力による信仰の強制に従わず無抵抗で死を受け入れる選択をすることで、この世の生を超えた永遠の命の方に存在をシフトするという非暴力の方法があり得ること」

の証だったことである。

プラトンだって抵抗せずに死を受け入れたが、キリスト教徒たちはそれをキリストによって生きる共同体として受け入れたとこが画期的だった。
結局そんなキリスト教がその後の西洋世界を席巻したのだから驚きだが、「権力」側の公的宗教となればまた支配の道具となっていくのは避けられなかった。

最近、ロシアのカテドラルでパンクのパフォーマンスをやって収容所に送られたプッシー・ライオットの女性とスラヴォイ・ジジェクの往復書簡を読んだのだが、プッシー・ライオットの方がなんとキリスト教よりでジジェクの無神論ぶりと対照をなしていることに驚いた。プッシー・ライオットが挑発しているのは体制宗教であって、彼女の非暴力的抵抗を支える力は彼女が信じる真にキリスト教的なものであるらしい。

そういうところまで考えると、『バラバ』のテーマは、キリスト教による反体制メッセージの良質の部分と、生き続けることの意味という実存的な問いを通して、充分今日的だとも言える。しかしそれはすでに半世紀前から日本のような非キリスト教文化圏では伝わりにくく商業的デメリットだから公開されなかったのかもしれない。

「私の肺に空気の残っている限り、コルベ神父のなされた英雄的な愛の行為を人に語っていくのが義務だ」

と語った94歳のガヨヴィニチェクや、

「キリスト教は世界とその法律への反抗だ」というベルディアエフの言葉を引いて「自由の中でのみ真実の霊的追究があり、真実が嘘に勝つこと、与えることと助け合うことの徳を信じる時に奇跡は起こる」

と訴える獄中の24歳のナジェージダ・トロコンニコワ(プッシー・ライオット)の前では、アンソニー・クィンのバラバに漲る生命力も、なぜか、色あせて見える。
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by mariastella | 2013-11-18 21:18 | 雑感

volupté という言葉、ヴィクトリア朝絵画、ボードレールなど

Jacquemart-André美術館にヴィクトリア時代のイギリス絵画展L'exposition "Désirs & volupté à l'époque victorienne"というのに行ってきた。

このサイトに出てくる8/10 番目の女性の顔は私の好みのツボにはまっているのでどきどきしてしまう。

4/10の男たちの弦楽四重奏を聴いているか見ているかしている女たちの絵は最もミステリアスだ。浮世絵の影響を受けているというのだが、枝や楽器や弓や組まれた脚の斜めの線、横に並んだ男たち、立っている女たちの後姿、アポロン型髭なし男とポセイドン型髭男の配置、裸体の見せ方など、誰でも何か解釈のコメントをしたくなる要素がいっぱいある。

この手のヴィクトリアンの絵というのは、アートというよりイラストに近く、そしてアートになりきれないイラストだけが持つB級の魅力をたたえている。

ラファエル前派やその周辺の画家たちで、一時はすごい人気だったが、その後評価が落ちて、近頃また再評価され始めた。

でもここで書きたかったのは、展覧会のタイトルになっている「volupté 」という言葉についてだ。

Désirs & voluptéという言葉は欲望と快楽だ。

豊満でもあり誘うような体に端正な少女のような顔つきをした若い女たちの内部にたたえられた欲望と快楽やそれを外から眺める視線の欲望と快楽が重なっているのだけれど、それがアートになりきれないのはいったいなぜなのだろうか。

そこでvolupté という言葉だ。

それは、五感の快楽、欲望充足の喜び、のような意味なのだけれど、私にとってこの言葉の語感がはじめて意味をもったのは、多分フランス語を学生時代に習った日本人の多くと同じように、ボードレールの「悪の華」の中のあの有名な「旅への誘い」に何度も繰り返されるリフレインの最後の言葉によってだと思う。

Là, tout n'est qu'ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.

この「volupté」の語感を決定づけたのは齊藤磯雄訳だ。

彼の使う漢字表記をすべて変換できないので常用漢字で音写すると、

彼処(かしこ)、悉皆(ものみな)は秩序と美、
奢侈(おごり)、静寂(しづけさ)、はた快楽(けらく)。


となる。

このリズムは抜群だ。私は大学生の頃、齊藤磯雄さんと文通していたことがあってその時はがんばって旧漢字、旧仮名を使って書いていた。この訳でも漢字の字面と読み仮名の組み合わせがまた絶妙だったと思う。

その「奢侈(おごり)、静寂(しづけさ)、はた快楽(けらく)」は、沈む陽が全てを覆う金と紫の熱い光の中に浮かび上がるのだ。「秩序と美」と言うわりには、爛熟と死の香りもする。

しかし、désirs と voluptéがセットになっている時には、欲望とその充足としての快楽であって、そこで一応完結していることになる。

ところが、充足するような欲望、完結する欲望などは、アートにはなりきれないのだ。

最近、アルチュール・ルスタローという人の『La Ruche』という小説の書評(Philippe-Jean Catinchi - Le Monde du 12 septembre 2013)を読んで感心したことがある。

この小説は、夫に去られた妻が絶望や自己憐憫を憎悪に変えて、三人の娘たちを巻き込んで、地獄のようなねちねちとした負のスパイラルに陥るという話らしい。

女が不実な男を延々と責めて責めて責めまくって、その自分に興奮して、相手も自分も崩壊させていくようなシーンというのは現実世界にも時々ある。相手への憎悪の歯止めが効かないのでいつの間にか自虐的になって自己の破滅に至るのだ。

その相手の男が前にいないと、子供にそれを振り向けることがあるわけだが、子供たちに男の姿や男との愛の歴史などを重ねてしまうので嘆きはより執拗に倒錯的になる。そこに「子供大切」の記憶もあるから子どもを巻き込むことへの罪悪感も重なって、ますます自虐へと転落していく。夫への復讐のために子供たちを殺した王女メデアなどがその典型だ。

小説の書評には

「神が愛を発明し、悪魔が結婚を発明した」

とある。さらに次のような言葉が続く。

「夫に去られた女の中ですべての堤防が決壊する。

彼女は愛を犠牲に供し、自己愛を破壊する。

すべての思い出が傷跡へと変貌する。

憎悪が生きがいになる。

彼女は沈む船に身をまかせ、沈み、ほとんど快楽と共に溺れていく。」

この最後の部分、

Elle s’abandonne à son naufrage, s’y laisse couler, s’y noie presque avec volupté.

とあり、そこに「volupté」 という言葉が使われているのだ。

エロスの対極にタナトスというのがあるけれど、すべての自虐や自滅にはどんなに倒錯しているにせよ、いや倒錯しているからこそのある種の快楽があるのかもしれない。

だとすれば、この場合のvoluptéという言葉は「陶酔」と言った方が近いかもしれない。

私は昔、夫との関係が破綻した女友達が復讐の自死の一歩手前まで追い込まれた時に、すさまじい恨みや憎悪や絶望の繰り言を聞かされ続けたことがある。

そこには確かに自己陶酔の熱狂と迫力があった。

誤解を恐れず言ってしまえば、今思うと、嫉妬を通り越して自己愛の堤防をも決壊させた時の彼女は、不思議な官能的な魅力を発していた。

彼女の転落のvoluptéが私に伝染したのだろうか。

《芸術は爆発だ》と言ったのは岡本太郎だが、すべての堤防を決壊させないようなvoluptéはアートにはなりきれないのかもしれない。

健全な欲望の充足の枠におさまる快楽は、画集の中だけでも充分楽しめる絵画に結晶してしまえるようだ。

このヴィクトリア時代絵画展にも「メデア」を描いたものがあったのだが、

堤防が全然決壊しない、ヴィクトリア朝上流社会のメンタリティの限界におさまっている。

齊藤磯雄はplaisirを「逸楽」と訳す。

たとえば、ボードレールが猫のしなやかな体をもてあそぶのは「逸楽」なのだ。

Et que ma main s'enivre du plaisir
De palper ton corps électrique,

直訳すると、「私の手がお前の電気の体を触る歓びに酔いしれる・・」で、齊藤訳は


「稲妻を孕める肉軆(からだ)もてあそぶ、その逸楽に、
掌(てのひら)も酔(ゑ)ひ癡るる時、」

となる。

猫を愛撫する時の感覚は、私にとってはそれこそ欲望充足の五感の快楽って感じでvoluptéに近いんだけれど…

齊藤さんに聞いてみたかった。

こう考えてくると、「volupté」をアートにするのには、絵画よりも言葉の方が向いているのかもしれない。
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by mariastella | 2013-11-12 02:41 | フランス語

シリアの巨大キリスト像

シリア情勢はずっと気になっていることのひとつだ。

シリアへの欧米軍事介入に対して一貫して反対して、化学兵器の査察のような方向に舵をとったロシアの思惑について、今ひとつ分からないところもあったのだけれど、近頃、なんだか腑に落ちたことがあった。

それは、10/14に、ダマスカスから20キロほど離れたセイドナヤのケルビム山頂に巨大なキリスト像が設置されたことだ。

セイドナヤやその先のマアルーラといえば聖ルカが布教した場所で、イエスが話していたと思われるアラム語が今でも話されているという由緒あるところ、エルサレムに次いで人々を集める東方教会の巡礼地だと言われる。

巨大なイエス・キリスト像
は32メートルでリオの30メートルのキリスト像を超える。

レバノンからもヨルダンからもイスラエルからもパレスティナからも見えるという触れ込みだ。

そこには

「私は世界を救うためにやってきた」

とアラム語で書いてある。

つまり、再臨のキリスト像なのだ。

このブロンズ像を設置するために、ロシア正教とアンチオキア主教らの調停により、政府軍と反政府軍との間に、3日間の停戦が実現したという。

アルメニアの彫刻家が制作し、ロシアの聖パウロ・聖ペトロ財団が中心になって資金を集めたそうだ。

発案されたのは、シリア内戦の起こる前の2005年で、最初から、東方正教同士ということで中東との連帯を強固にしようとするロシアの主導だった。

ロシアは今何かと言うと、反ヨーロッパ的政策を進めているから、西方教会にルーツを持ちながら分裂して世俗化した西欧が中心のEUと自らを差別化するには、ロシア正教を通して中東の由緒あるキリスト教社会に足場を置こうとしたわけだろう。

しかし中東は今やイスラムがマジョリティで、シリアでもキリスト教徒は一割ほど(内戦以降は亡命によって激減)なのに、よくキリスト像によるアプローチができたなあと思うし、現政府は一応世俗政権であるけれど反政府軍にはイスラム原理主義一派もいるのだから停戦までしてキリスト像を設置できたのは驚きだ。

しかし、設置場所として選ばれたのはケルビム山で、ケルビム(チェルビン)と言えば「智天使」、旧約聖書のシンボルの一つであり、キリスト教でも使われて、イスラム教徒からも「聖なるもの」として認められている。

イエスそのものもイスラム教でも預言者でありメシアであるとされている。

最後の審判の時にイエス・キリストが再臨するというイメージは継承されている。

それどころか、東方では、イエスが再臨するのはトルコ西部セルチュクのイーサベイ・モスクの白いミナレの上だと言われていたりするのだ。

14世紀後半、ダマスカス出身の建築家ディミシュリ=アリが設計したこのモスクの建造には近くの古代都市エフェソス(ここに聖母マリアの家の巡礼地もある)のアルテミス神殿の石材の一部が使われているというから、なかなか多宗教混在のイメージでもある。

他にも、ダマスカスのウマイヤド・モスクはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会を改造した世界最古のもので、アル・ワリード1世が11世紀に発見したというヨハネの首を安置する立派な墓所がモスク内部に造られている。(まあサロメの要望でヘロデ王に斬首された洗礼者ヨハネの首というか頭蓋骨を聖遺物として祀っている所は他にもある。フランスのアミアンの有名なこれとか)

こうして考えてみると、今の中近東では正教徒たちがひどく迫害されているのだけれど、ともかく人類の三人に一人は「アブラハムをルーツとする一神教」なのだから、「一神教同士が争って困る、早く世俗化すればいいのに」と言うよりも、根っこのところでなかよくなるファクターも持っているのだからそれをなんとか利用しろというのもひとつの手ではある。

そういえば、10/1に、EUが、ユダヤ人の習慣である男児の割礼(生後8日目)について、子供の人権に抵触する行為だとの判断を下した。

これを受けて、イスラム側からは、自分たちの割礼は8歳くらいなので、子供がすでに同意できる年齢だから抵触しないと見なす意見も出たが、もちろんユダヤ人たちは怒っている。

フランス大統領は22日にわざわざ、フランスではユダヤの割礼は法律に反しないものだと語った。

おもしろいのは、ユダヤ人が前ローマ法王ベネディクト16世に訴えて、イエス・キリストがユダヤ人で割礼を受けていることの意味を現教皇から改めて言ってもらおうと働きかけていることだ。

カトリックは第二ヴァティカン公会議の少し前に1月1日のイエスの割礼記念日(12/25のクリスマスが誕生日とすると8日目が割礼記念日となる)をやめてしまったのだが、イエスは割礼によってユダヤ民族の歴史に参画して神の意思が実現されたのだから再導入しろといっているのだ。

東方の正教会ではこの記念日はちゃんと残っていて、そういうところまで含めて考えると、シリアに対するロシアの態度のいろいろな面が見えてくる。

独裁政権を倒すと称して無人機を飛ばして空爆したりするよりも、巨大なキリスト再臨像を建てて「世界に平和を」と言わす方が、ひょっとして戦略としては優れているのかもしれない、などと思えてきた。
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by mariastella | 2013-11-10 08:11 | 宗教

ヨーロッパの20世紀は75年しかなかった  その1

ヨーロッパ中心史観に依拠すると、20世紀は75年しかなかった。

ここでいうヨーロッパ中心史観とは別に世界の中心がヨーロッパだという尊大な意味でなく、ヨーロッパからみた世界史という意味だ。それは決して看過できない。


その75年とは1914年から1989 年である。

つまり、第一次大戦がはじまってからベルリンの壁が崩壊するまで。

来年が第一次大戦の始まりの100周年なので、このところいろいろなメディアでさまざまな特集が出始めているし、関連書籍も出てきた。

それで始めて、私にも、第一次大戦の大きな意味が分かり始めた。

それまではなんとなく、第一次大戦は第二次大戦によって「上書き」されてしまったような印象があったのだ。

第一次大戦の終戦記念日が来る毎に、元軍人やその遺族の生存者が年々減っていき、ついにゼロになっていくのをぼーっと眺めていた。

しかし、第一次大戦は、第二次大戦よりも決定的な精神の変革をヨーロッパにもたらしていたのだ。

フランスに40年近く住んでいて、2014年を迎えようとする今、はじめてそれが分かった。

少しずつだがこれからそれについて書いていこうと思う。

この第一次大戦に始まってベルリンの壁崩壊で終わるヨーロッパの20世紀がヨーロッパにもたらしたものは、まさにそれまでのヨーロッパ的普遍主義の終焉の自覚だった。第一次大戦とそれが必然的に内包していて再び炸裂した第二次大戦のせいで、ヨーロッパは、自分たちの価値観について自問することを覚えた。

アメリカは自問しないですんだ。

それが欧と米の一番の違いだ。

第二次大戦後の日本は「自問しないアメリカ」にぴったりくっつくことで「自問しない」復興を選んだ。

その思考停止の半世紀に私は生まれて育った。

「自問し続ける」ヨーロッパのカルチャーに出会って、冷戦以降のグローバルな世界に問いを投げかけ続けたが、今ようやくその問いのルーツであり、何も答えは出ていない「第一次大戦で起こったこと」に目を開かれようとしている。

いったい、何が起こったのだろう。(この項、不定期更新します)
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by mariastella | 2013-11-08 00:54 | 歴史

音楽とは動作の洗練の一つの形である

講談社の広報誌『本』の9月号にマーク・チャンギージーという脳科学者の「『ヒトの惑星』はなぜ生まれたか」という記事があってその中に、

人類はもともと持つ脳の力を転用して文字、話言葉、音楽を発達させてきたのではないか、とある。

音楽は、人間が歩いたり、感情的なしぐさを示したりする際に建てる音と特徴が酷似していて、音楽のリズム、音高、音量は、身の回りで誰かが歩く時の足音の間隔、ドップラーシフト、距離変化に近い性質を持つ。

チャンギージーさんは、歩行音の独特な規則性の一つ一つに注目して音楽に同じ傾向があることを確認したと言う。

結論として、音楽とは、

「見えない架空の人間が、聴き手のすぐ前で、感情をこめて動き回っている物語」

なんだそうだ。

ダンスとは要するに、架空の登場人物に合わせて体を動かす行為で、音楽は動作音、ダンス時に生じる音そのものだから音楽を聴くと自然と体を動かしたくなる。

すべての音楽は舞曲である。あるいは行進曲であり、剣術と同じ動作の洗練である、とも言えるかもしれない。バロック音楽、特に舞踊組曲はそれをさらに洗練したものだろう。

ただ、チャンギージーさん、では、ハーモニーはどうなるんですか。

和声進行がリズムとは別な動きを曲に加え、色彩さえも加えるような、精妙な後期バロック舞踊曲は、単なる舞曲をはるかに超えている。

音楽は数学と同じく比率の世界であり、建築にも似ているのだけれど、歩く、つまり「たえず重心を移動させる」という動きや方向性、すなわち「流れ」を先取りすることはやはり絶対に必要なのだ。

一歩ごとに重力の反発を味わいながら、やはり常に「次の一歩のために心が少し前のめりになっている」という状態を維持することが大切だ。
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by mariastella | 2013-11-07 01:15 | 音楽

『マラヴィータ』に失望

少し前にリュック・べッソンの『マラヴィータ』を観に行ったのだけれど、あまりにもつまらなかったのでコメントできなかった。

デ・ニーロやファイファーやトミー・リー・ジョーンズなどぜいたくな俳優を使っていて素材もおもしろく「ノルマンディのアメリカ人」(リュック・べッソンは舞台になった町の近くに別荘を持っている。この比較文的テーマがなかったら、暴力シーンがあると分かっている映画など最初から見に行っていない)のカルチャー・ショックを楽しめるかと思った。

しかしこれなら、南仏の人間がフランスの北の地方に行ったカルチャー・ショックのコメディ(「Bienvenue chez les Ch'tis」)の方が数倍おもしろかった。

この映画では、スーパーでピーナッツ・バターを探して「ない」と言われ、店員や他の客から「だからアメリカ人は肥満になるのだなど」と言われたヒロインが頭に来て店を爆破するとか、バーベキュー・パーティに集まってきた隣人たちに「ああ、そうそうフランスじゃこういう時は頬にキスするんだっけ」とデ・ニーロがつぶやくとか、水道の配管を見に来るはずの配管工がなかなか来ない上に修理費を吹っかけるなど確かにフランスではよくあるような話にデ・ニーロがキレて、配管工をバットでめった打ちにするとか、その程度のカルチャー・ショックしか描かれない。暴力もカタルシスにさえならない後味の悪いものだと思う。

最後に片田舎にマフィアが乗り込んでくるシーンはサスペンスフルではあるが、あの程度ならなんだか『ウルヴァリン SAMURAI』のラストを思わせるし、どうせなら荒唐無稽なウルヴァリンの方がまだおもしろかった。

フランス人監督が撮ったのがかえってまずかったんだろうか。

この顔触れで米仏比較文化の視点があって、ここまでつまらない映画になる原因をずっと考えていたのだけれど結論が出なかった。

べッソンって、実はひらめきのない監督なのかもしれない。
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by mariastella | 2013-11-06 06:40 | 映画



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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