L'art de croire             竹下節子ブログ

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前の記事が混入していたのを戻した

PCの調子が悪くてずっとこのブログを開いていなかったので久しぶりに開いたら、去年の2月ごろの記事がトップに出て来たので驚いて戻しておいた。

でも結局、PCの調子は戻らなくて、再セットアップしたのだが、C:のデータのバックアップがどうしてもとれなくて、ワードに入れていたものを失ってしまった。

昨年の末も調子がおかしかったので、一度別のPCにデータを写しておいたのですべて消えたわけではないけれど、このブログの下書きや覚書を失い、『ふらんす』に新連載する『ナポレオンと神』の第一話も失った。後、春の講演のためのメモとか、貴重なブックマークも。

なんでC:以外にもコピーしておかなかったのかとか、こまめにUSBにコピーしなかったのかとか、いろいろ言われるのだけれど、「まだ、大丈夫、まだ、だいじょうぶ」と思ってひたすらワードに書きついでいた。危機管理のスキルがなくて、それを学ぶ暇もなくて、ワープロのころのように、少し書くたびにCDに上書き保存できるならいいのだけれど、いちいち別の文書になってしまうようなのでやめたし、仕上がったものはグーグル文書に保存したりもするのだけれど。外付けのハードディスクにしろとも言われている。

日本語仕様のワードがほしいし、執筆には日本のマシンを使っているので、具合が悪くなっても、フランスではなかなか対応してもらえない。はじめはタン電池が切れたのかと思って解体しようとしたが、機種が違ったら、他のPCでネット上を検索しても買いたいの仕方がよく分からなかった。

まあ、いろいろ言ってもしかたがないし、ワードをインストールするCDが見つからないので、予備のパソコンで仕事を再開することにする。フリーメイスンはなんとか無事だったし、ナポレオンは資料そのものはコピーしてあるので、もう一度書き直しだ。来週末は発表会兼コンサートなのでプログラムの準備とかパーティの準備とか練習に時間がとられる。

2月にパリ日本文化会館でフランスのバロック・オペラと能のコラボレーションがあるのでトリオのみんなや秋にコラボする師井公二さんらと一緒に観にいくことになった。能管の槻宅さんに、私たちともぜひ、と話したら、彼は日本でモンテヴェルディの『オルフェオ』を安田登さんと上演したそうで、4月におふたりと相談することになった。わくわくしている。ラモーのオペラやニテティスと仕舞の組み合わせは悪くないと思う。10年前に能舞台で私たちのアンサンブルに合わせてヨネヤマママコさんがマイムをつけてくださった不思議なひとときを思い出す。

というわけで、もう少し落ち着いてから第一次大戦の話とかの続きを書くつもりだ。

(それにしても、安部総理が第一次大戦前の独仏の状況を今の日中の状況に例えたとか例えないとかという話をネットで知って驚倒した。)
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by mariastella | 2014-01-27 09:20 | お知らせ

セイの法則

14日にオランド大統領が半年に一回の所信表明演説をしたのだが、その中で「他の大国はみな成長している、アメリカも、イギリスも、ドイツも」、と挙げて、大企業の負担を軽くする方針を明確にした。 

そこで引用されたのがなんとジャン=バティスト・セイだった。

まあ、フランス人経済学者ということでふさわしいと思ったのかもしれないが、こりゃ、ウルトラ・リベラルの確信犯だというしかない。

ジャン=バティスト・セイといえば「供給はそれ自身の需要を創造する」というセイの法則だが、通貨切り下げで生産を増強させようとしているアベノミクスも同類だろう。

しかしオランドは再成長に向かう「大国」に日本は挙げていない。貿易赤字がなんだかすごいことになっている死衣がそのせいかもしれない。

政治学院の統計によれば、

フランス人の2人に1人がカトリック教会は信頼できると答えたそうだ。

フランシスコ教皇効果かもしれない。

それに対して、

メディアを信頼するのは4人に1人、

政治家を信頼するのは10人に1人。

なかなか考えさせられる数字だ。

日本人の2人に1人が信頼しているものなんてあるのだろうか。

家族とか会社とか共同体などが思い浮かぶが、それはマイ会社、マイ家族、マイ共同体であって人それぞれに違うからあまり比較にならない。

宗教権威関係も思い浮かばない。

ある意味で深刻な状況なのかもしれない。
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by mariastella | 2014-01-17 00:37 | フランス

ヨーロッパの20世紀は75年しかなかった  その6

第一次大戦で繰り広げられたナショナリズムの狂騒と敵への憎悪は、英米に支えられたフランスの一応の「勝利」によって簡単に消えるものではなかった。

停戦条約がヴェルサイユ宮で調印されたことには大きな意味があった。

普仏戦争の敗北の後で1871年1月18日、フランスに大勝利したプロイセン王がドイツ帝国を宣言したのがこの鏡の間であったからだ。

1918年の11月に大戦がフランスの勝利に終わったと言っても、フランスはドイツと同じようにぼろぼろになっていた。実際の戦場になっていないアメリカは無傷だ。

最も大きな被害をこうむったのはフランスの北と東、北イタリア、ポーランド、バルカン諸国である。橋や鉄道や道路などのインフラも破壊された。経済は底をつき、債権者となったアメリカの繁栄の時代がやってきた。

戦争未亡人はフランスで60万人、イギリスで20万人にのぼった。

18-27歳のフランス人の4人に一人が死んだ。

4つの大帝国が滅亡した。

ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン・トルコ帝国である。

ドイツは88000k㎡に住む800万人を失い、そこからフィンランド、エストニア、リトアニア、ラトビア、ポーランド、チェコスロバキア、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラヴィアが生まれた。

第一次大戦によって、「ヨーロッパ中心史観」の「ヨーロッパ」は「終わった」といっていいだろう。

そしてその「終わったヨーロッパ」への喪の服し方は、誰も知らなかった。

実際、それまで「正義」だの「神」だのを掲げていたはずの戦争が単なる野蛮な相互大量虐殺に終わったことを見て、「戦争の不条理」に向き合うことから逃げた人々もいた。いや、それまで権力争いや理念の擁護やナショナリズムなどの説明があった戦争をはじめて「不条理」と見る人々が現れ、その人たちの一部が、はじめて、不条理からの逃避を昇華する方向に向かったと言えるかもしれない。

戦争の不条理のリアクションとしてダダイズムやシュールリアリズムが生まれた。

第一次大戦がなければ、既成秩序、合理主義などを否定するこれらの運動は生まれていなかっただろう。

アンドレ・ブルトンは18歳で血と泥にまみれ、ナショナリズムを嫌悪した。

「俺様ヨーロッパ」は彼ら自身の標榜していた理念についていけない自分たちの現実に失望したのだ。

しかし逃げるだけではことはすまない。

なんといっても実際に大量に出た死者をどう扱うかという問題が残った。

「ヨーロッパの喪」どころか、身元も確認されずに戦死した大量の死者の「喪」をなんとかしなくてはならなかった。(続く)
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by mariastella | 2014-01-16 00:35 | 歴史

共産主義国家の言い分とネオリベの言い分

冷戦終結の前にソ連の指導層たちが言っていたことと、冷戦終結後のなりふりかまわぬネオリベの資本主義者の指導者が言っていることは、方向は違うものの驚くほど似ている。

そのことについてジャーナリストのJean-Claude Guillebaudが書いていること(La Vie 3567)がおもしろかったので、忘れぬうちにまとめておく。

今の新教皇フランシスコは、カトリックであってもなくても、キリスト教圏の人々からは大そう人気を博しているのだが、そのことを、英国のロイター通信が「教皇はエッフェル塔と同じくらいの訪問客を集めている」と評した。つまり、ローマに来る観光客を含めて教皇の元へとやってくるアメリカ大陸からの人々などによる経済効果を語っているわけだ。

一方、スターリンは、「ローマ法王だって? 何個師団を持っているのかね?」という言葉を残した。

つまり、どちらも、数字でしかものを評価しようとしない、いや、霊的な視線で見る可能性など知ろうともしないわけである。

共産主義者とネオリベ経済人はイデオロギー上のライバルであったが、宗教や霊性に関しての盲目ぶりはそっくりだということだ。

むしろ、ベルリンの壁崩壊後、ネオリベ経済人はマルクス主義者の教義へのおかしなこだわり方ばかり借用するようになった。

政治経済現象を数学で検証すればいわゆるEMH効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis)が合理的であり批判の余地がないと断言したのは旧ソ連の「科学社会主義」理論の再現のようなものだ。

実際の経済は主観的で倫理的でもある選択されたひとつのプロジェクトに適合する手段を使い尽くして行くことで成り立っている。科学合理主義とは相いれない。

そういえば、グローバリゼーションが歴史の進行方向だと強調するのも、マルクス主義者が信じさせようとした歴史の必然に似ている。

どちらも、やがて世界中が繁栄するかのように約束しているのだ。

もちろんその「輝かしい未来」のためには思い切った革命だの改革だのが必要で、「痛みのある犠牲を払わなくてはならない」とするのも同じだ。

そして、共産主義が約束する理想の未来のためにつらい現在を耐えなくてはいけないのは「一般大衆」だった。しかしその未来はどんどん遠のいていく。

現在のネオリベ社会でも、一般大衆の生き難さは、公庫が赤字から回復するという名の「幸福」を買うために払われる必然の犠牲だ

共産圏諸国での中央集権経済がうまくいっていないことに対する言い訳は、経済がまだ充分に「共産」化していないからだということだった。

同じように、今のリベラル経済が破綻したり不公平を生んだりしていることに対する言いわけも、「民営化」だの「規制緩和」が充分に進んでいないからだということになる。

そして、多くの人々の可処分所得が減っていく時に、少数の大金持ちが富を独占するという構図も同じである。

うーん。

今の中国なんかはどうなんだろう。なんだかもう「言いわけ」してつじつまを合わせたり「歴史の方向」などという言葉を弄したりする努力も必要とされていないような気さえする。

たとえばどこかに自給自足している小さな村があるとしたら、そこの「経済成長」はゼロだ。将来の繁栄という言葉もないだろう。でも人々の幸福のビジョンは全然別のところにあるかもしれない。

ひょっとして「いつかは万人が繁栄」、などという幻想を掲げる必要はどこにもないのかもしれない。
とりあえず、今ある不公平を平和的手段によってきっちり批判してその解消の方法を探るという地道なやり方を手離さないというのが大切なのだろう。

で、今のロシアというと、2013年のロシアは外交的にうまく立ち回った。シリア介入のアメリカにストップをかけ、化学兵器の撤廃にすり替え、スノードンはかくまう、ウクライナには気前良くしてヨーロッパから遠ざける、ソチ・オリンピックに向けて厳戒態勢を敷く一方でプッシー・ライオットだの目立つ政治犯を釈放、そのプーチンのキャンペーンは、「恋人」というキャラを打ち出したことで他のどんな独裁者とも違う。

キャンペーン・ビデオの中で、精神科医の長椅子の上で「初めての投票は処女を捧げるようなもの」という若い美女に医者が、「そう、大切なのは、選択を間違えないことです。それは…ウラジミール・プーチン」などと言うのが出てくる。男の多くがウォッカをがぶ飲みして早死にするような国で、一滴のアルコールも口にしない、鍛え抜かれた肉体をあちこちに見せつける。酒を飲まないことはサルコジにも通じる。

今フランスではオランド大統領が女優のアパルトマンにスクーターで乗り付けて一夜を過ごしたことをすっぱ抜かれて、同棲中のヴァレリーさんがショックで入院するなどというフランスならあり得るスキャンダルの真っ最中だが、オランドにセックス・アピールがあると思う人はめったにいないだろう。

プーチンは実際にロシア女性に人気があるのだそうだ。

リンク先の三つめのビデオではふたりの美女が「私はプーチンみたいな男がいいわ、強くて、酒を飲まなくて、私にどならず、逃げない男」などと歌っている。

社会主義国家の政策がどうやって破綻したのかを学んだ今のロシアはネオリベよりもうまく立ち回っているのかもしれない。なんだか恐ろしい。
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by mariastella | 2014-01-15 00:03 | 雑感

ヨーロッパの20世紀は75年しかなかった  その5

ベネディクト15世はドイツ軍の蛮行を黙って見ていたわけではなかった。

ドイツとは公式の外交関係を残していたので、それを通じて直接に何度も非難していた。

しかし公の場でフランス軍に味方するとかドイツを敵だとか言ったわけではない。

フランスの『ル・タン』紙は、

「教皇の中立はカトリック教会の敗北だ」

と言い切った。

1915年6月に教皇がインタビューに答えてドイツ軍の戦争犯罪を軽く見たということで怒りはさらに膨れ上がった。教皇庁はその記事を否定した。

フランスのメディアは教皇を「Pape Boche」(ドイツ野郎の教皇)と呼び、ドイツ軍による殺戮を笑って指揮しているかのようなカリカチュアが誌面を飾った。

カトリックの論客であるレオン・ブロワも教皇を「確実に間違う」(教皇の「無謬性」にかけている)「ピラト15世」(ピラトはイエスの処刑を決めたローマ総督)と呼んだ。

教皇を弁護する少数の者の言い分は、「教皇は判事の立場から弁護士の立場に降りてくることはできない」という程度のものだった。

教皇は何度も停戦を呼びかけたがドイツもフランスも停戦など考えてもいなかった。

1917年8月、教皇による停戦の呼び掛けは、フランスの聖職者たちから正式に拒絶された。

12月、ドミニコ会の有名な説教師セルティランジュは公の席で平和への呼びかけを受け入れられないことを教皇に宣言した。

霊的なことでは教皇の命に従うが、世俗のことは聞けない、不正と野蛮を前にした戦いの中でフランスに利をもたらすように一人一人が自由に解釈すべきだ、と述べる司教もいた。

実際のところは、ベネディクト15世は、ドイツびいきではなくむしろフランスびいきだったという。

教皇の判断の誤りは、この戦争でフランスに勝ち目はないとみたことだ。

彼はフランスが踏みにじられるのを見ていられなかった。早いうちに停戦に持ち込むことでフランスの被害を少しでも軽くしようと考えていたのである。

このような状況からはっきり見えてきたのは、

近代「戦争」においても人は「神が味方につく」のを求めること、

そしてそれがかなえられなければ宗派の長を平気で裏切り者呼ばわりもするし、命令には従わないこと、

世俗の問題は霊的な問題に優先すること、

国境のない普遍宗教のお題目よりも「自分の国」が第一になること、などだった。

それはそのまま、その前に国内にあった「カトリック対教権主義」だの「ライシテ」というイデオロギーだのの緊張や反目や議論をすべて無化するほどの狂騒であった。

彼らは「フランスの正義」のために身を犠牲にして戦っていると思っていたが、同時に、正義や理念のバランスがいかにはかないもので普遍主義の理想がいかに簡単に投げ捨てられるかを身をもって知らざるを得なかったのである。(続く)
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by mariastella | 2014-01-14 00:26 | 宗教

エリック・ロメールからクルスカールまで

エリック・ロメールの評伝が近く出版されるということで、今まで知らなかったロメールのいろいろな話題が耳に入るようになってきた。

彼はもと作家志望のリセの古典文学の教師で、カトリックで保守的な母親には彼女が死ぬまで、彼がずっと高校教師をしていると信じさせていたという。

有名な連作「六つの教訓話」も、もともと小説原稿をガリマールに持って行っても没になったので、映画にしたという。

カイエ・ド・シネマの映画評論でも有名になった人だが、他のヌーヴェルヴァーグの映画人たちとは一味変わっていたわけだ。

こういう話を聞くと彼のシナリオの独特さの秘密があらためてよく分かる。字幕の制約のある翻訳ではとてもニュアンスが分かるようなセリフではないといつも思っていた。

しかし、どちらかと言えば左翼系の知識人と交流していた映画監督というポジションですら、母親に隠していたということは、弟で哲学者のルネ・シェレールがホモセクシュアルの解放の最前線にいたことやリセの16歳の生徒と関係を持ったスキャンダルなど、家族はいったいどう処理していたんだろう。

その生徒は40代でエイズで死んだギイ・オッカンガムで、シェレールはその他にも子供のエロティシズムについて書いたりしているから、ロメールなどよりずっと「問題児」だ。

オッカンガムはヴェルレーヌの次に同性愛を世間にカムアウトした文芸人で、後にミシェル・クルスカール(Michel Clouscard)などがしっかり受け継いでいた68年世代知識人転向を批判した人だ。ネオ・リベラリズムに流されないこの種の人々は貴重だと尊敬の念を禁じ得ない。

ロメールの評伝のことからクルスカールをあらためて考えるとは思いがけなかった。
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by mariastella | 2014-01-13 02:03 | 雑感

人名の読み方

ネットで読める1/8付けの『天声人語』に梅と月を結びつけた文の例が引かれていた。

そこに

「日本にも藤原定家(ふじわらのさだいえ)がいる。〈梅の花にほひを移す袖のうへに軒漏る月の影ぞあらそふ〉。歌人塚本邦雄の『定家百首(ていかひゃくしゅ)』…」

とあった。

藤原定家(ふじわらのさだいえ)とわざわざルビがあるのに驚いた。
しかもはじめて耳にする読み方だ。今まで「ていか」というインプットしかない。

そのすぐあとに『定家百首(ていかひゃくしゅ)』という読みがあるので少しほっとしたが、違和感が残った。

すると、講談社の広報誌『本』の2013/11号の高島俊男さんの連載の中に穂積陳重の著書が引かれていて、そこに、

「なおこの陳重という名、今の人名辞典には「のぶしげ」とあるが、当時世間では「ホヅミチンジュウ」と言っていた。原敬をハラケイと言うように、著名人は音(おん)で言うのがならわしでもあり、それが敬称でもあった。」

とあった。

そうだったのか。

「今の人名辞典」からはそのような「ならわし」が消えて訓読みになっているので、今や作文のお手本のように言われている朝日新聞のコラムはそちらにご丁寧に合わせたのだろう。

でも本当に今の子供たちは藤原定家(ふじわらのさだいえ)と学校で習うのだろうか。教科書にはなんと載っているのだろう。

もう亡くなられたけれど、同時代人でも吉本隆明(よしもと たかあき)も「りゅうめい」と普通に言っていたし、高橋康也(たかはし やすなり)も「こうや」と言う人は多かったと思う。それでも、それが「著名人は音(おん)で言うのがならわしでもあり、それが敬称でもあった」ことの踏襲だったとは気づかなかった。しかし、音読みするのが「敬称」というのは、やはり中国風の方が高級とか偉そうだとかいう感覚だったのだろうか。雅号っぽいからだろうか。

私は単にシラブルが減って読みやすいからだとなんとなく思っていた。

そうなると、著名人でも音読みしにくい名前を持つ人は気の毒だ。

けれども音読みできるのに西郷隆盛を「りゅうせい」と言うのを耳にしたことはないし、坂本龍馬のように音読みの通称がそのまま人名辞典に載ってしまう人もいる。

そういえば木戸孝允も「きど たかよし』でも「こういん」でもよかったよなあと思ってwikipediaを検索すると、

「名の孝允は「こういん」と有職読み」

とあったので、その「有職読み」のリンクを開くと「故実読み」や芸名、ペンネームを含めていろいろ出てきたのでおもしろかった。

姓も名も有職読みされている人には、そういえばいつも名を出す時に悩んでしまう柳宗悦(リュウソウエツでもヤナギムネヨシでもOK)の名が挙がっていたので、安心した。

大佛次郞(おさらぎ じろう)のように、鎌倉が好きで長谷の大仏の裏手に住んでいたから「大仏」をペンネームにしたのにそれがまためずらしい読みの名の人もいる。

これもネットで検索したら、

「オホ(大)ソレ(焼畑)キ(場所)」の変化で、山地の焼畑のあった所。「オサラギ」に大仏を当てたのは、「大仏」が「オホ(大)サラギ(新参者)」であったことによる。以上「日本地名辞典 吉田茂樹著」

などという解説があった。

大仏次郎がいなかったら、「大仏」をおさらぎと読める人はまずいないだろう。

私は日本のテレビなどを見ないから、ニュース類はほぼネットの文字情報なので、大阪市長の橋下さんなど知識として「はしもと」さんと読むのは知っていても、普段字面しか目に入らないから、この人の話題が出ると「はしした」さんと言わないように気をつけなければいけない。

フランス語名でも特に外国語由来のものはどう読んでいいかわからない。同世代の著名人ならば、この頃はネットでインタビューその他を聞けるので実際に本人を前にしてどう呼んでいるかを確認することができて助かる。それをさらにカタカナ表記するとなるとますますややこしく、悩むことになる。

来春出版予定のユダ論に引用したそれなりに有名な司祭の名のカタカナ表記に迷って、編集者からアナトール・フランスの訳本まで送ってもらったのだけれど、結局納得できなかった。かなりいいかげんな表記が通用している。

系図学をやっていると、役所や教会に届けた表記ミスで同じ姓からどんどん枝分かれしていく様子も見える。もちろん時代によって綴りも変わっていく。

今の日本など姓はともかく名の方はDQNネームとかキラキラネームとかが流行っているそうで、「天響(てぃな) 緑輝(さふぁいあ) 火星(まあず) 葵絆(きずな) 姫星( きてぃ)」などと見ると、日夏耿之介も真っ蒼、って感じである。
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by mariastella | 2014-01-12 06:21 | 雑感

ヨーロッパの20世紀は75年しかなかった  その4

フランスのカトリックが聖母や聖女の加護で士気を高揚している時、カトリックの大元のローマ法王はなんと言っていただろう。

ベネディクト15世はすごくまともだった。

ローマ・カトリックは教皇領を寄進されて以来封建領主国であったし、十字軍やら宗教改革やらを経て、啓蒙の世紀にはすっかり「近代的」な考え方をする教皇が現れた。
どこの国でもそうだが官僚組織は重く、イタリアの各都市国家や領邦国家との間の利権も複雑だったけれど、18世紀末以降は、カトリックの本来持つ普遍主義を本気で近代の人権主義に敷衍しようと思った教皇も出ていた。

けれども実際は、カトリック教会は「市民革命」国家からは倒すべき敵だと見なされたり、権威づけに利用できる駒だと見なされたり、歴史に翻弄され続けていた。19世紀末には「近代」を批判する教勅を出したことで、「近代」の敵である旧弊保守頑迷の牙城だと見なされてもいた。

1914年の秋以来、教皇となったベネディクト15世は、ヨーロッパ諸国民が殺し合う戦争を見て嘆いた。

「キリスト教徒の血が流れるこの戦争の恐ろしい光景を前に言葉にできぬほどの恐怖と不安に打ちのめされ」た教皇は、どちらの側かに肩入れする立場をとることはきっぱり拒否した。

教皇は中立的でなくてはならなかった。

どちらの陣営にもカトリック信者がいるからではなく、人類という家族の統一の方が、ナショナリズムが掲げるあらゆる言説よりも大切だと信じていたからだ。

教皇は勝者が敗者を完全に打ちのめす「全体戦争」という考えを斥けた。そのような状態の上には持続する平和は決して打ちたてられないことを知っていたからである。

第一次大戦は、

「ヨーロッパの名誉を汚す大殺戮」(1915/7)であり、

「文明化されたヨーロッパの自殺」(1916/3)であり、

「人類の精神錯乱の最も暗い悲劇」(1916/7)であると教皇は訴えた。

教皇がドイツ軍の蛮行を弾劾することを期待していたフランス人は怒った。(続く)
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by mariastella | 2014-01-08 08:05 | 宗教

ヨーロッパの20世紀は75年しかなかった  その3

第三共和政は1880年代以来カトリック教会に対して徹底的な反教権主義を貫いてきた。

フランスは無神論イデオロギーと伝統的なカトリック・メンタリティの二つに分断されていた。

第一次大戦の勃発はこの二つの陣営を結びつける必要があった。

レイモン・ポワンカレは「聖なる統一」が必要だと語った。

「和解しなくてはならない」。

カトリック修道会を弾圧していたすべての法律がまたたくまに停止された。

カトリック側の人々も、この呼びかけに模範的な態度で応えた。

共和国の危機の前で敵だと見られたくはなかった。

12年前に追放されていた修道会の男たちは駆け戻って次々と入隊した。

1914年8月、ドイツ軍はパリから25kmに迫っていた。

「正義の戦い」を掲げた神秘家シャルル・ペギーは9月5日、マルヌの戦いで斃れた。軍はカトリックの行列を許可した。

戦局が有利に傾いたのは9月8日の戦いだった。
聖母マリア誕生の祝日だ。

それは聖母の加護による奇蹟だと人々は信じた。

ポール・クローデルは

「この戦いは、左に(聖女)ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)が、右にジャンヌ(・ダルク)が我らと共に戦った」

と感激の言葉を口にした。

反教権主義者たちからそれまで社会の寄生虫の如く罵倒されていた司祭たちは塹壕の守護天使に変身した。

1889年には「リュックを背負った司祭」の徴兵が法律化された。

大戦の間3万人の司祭が敵の血を流さないために衛生班として塹壕に入り、泥と砲火の中で命をかけて傷病兵を救い、世話し、励まし、慰めた。

いわゆる従軍司祭たちは出撃前の兵士を祝福し、弾のとびかう中で聖体を授けた。従軍司祭の10人に1人は自らも砲火の犠牲になった。

カトリックがこのように共和国主義者側と一体化したのは、ひとつには、「聖なる統一」の言葉が示すように、祖国を聖なるものとするイデオロギーが共有されたからである。

「汎ゲルマン主義と戦うことはキリスト教の自由と秩序という霊的な価値のために戦うことと同義である」と彼ら自身が考えた。

獰猛な獣のようなドイツ人はもはや人間ではない、と彼らは言い、ヴェルダンの司教は「愛国主義が他のすべての感情に優先すべきである」と語った。(続く)
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by mariastella | 2014-01-07 07:57 | 宗教

アセディア、脱宗教社会の宗教史、従軍司祭・・・

1/4、今年初めて書店に行ってきた。

何冊か買ったのだけれど、絶対におもしろそうなのは次の3冊。特にこれ。

Jean-Charles Nault《Le démon de midi 》L’Echelle de Jacob

人生における「中年の危機」を示す『デモン・ド・ミィディ(南の悪魔)』というタイトルの本は、精神分析からの考察とかニーチェに絡めてとか、たくさん出ているのだけれど、これは、修道生活におけるacédie (acedia )についての研究をもとに考察を巡らせるユニークなものだ。

アセディアは単に怠惰の罪というようなものではなく、祈りも贖罪の行も何もかもいやになってしまう典型的なうつ症状だ。退屈、憂鬱、無気力、無関心など、悲しみの罪とも言われる。

この「症状」は、キリスト教初期の荒野の隠遁修道士などが体験して書き残しているし、神学上の議論から、その解決法まで、いろいろな歴史がある。

十字架のヨハネからマザー・テレサまで、聖人たちが人生の中途で神を見失う「信仰の夜」という信仰の危機もよく知られているけれど、アセディアという霊的鬱は、それと戦う気力も、神に救いを求める気力もすべてなくなる本格的なうつ症状なのだ。

しかしそういう鬱は人間性に深く根を下ろしたどこかから来ているので、古来の修行者たちは隠すことができず正面からその対策を練ってきた。またその意味を探ろうとしてきた。

第一、隠せるくらいなら鬱とは言わない。「信仰の闇」や懐疑や孤独は、それを抱えていて内面で苦しんでいても表向きは普通の活動を続けることができる。自分に対しても他人に対しても、どうとりつくろうこともできないような完全なブラックアウトがアセディアなのだ。

次の本。
Faire de l'histoire religieuse dans une société sortie de la religion(脱宗教社会における宗教史)》Guillaume Cuchet/Publication de la Sorbonne

これも非常に興味深い。宗教色というものが極端に薄まっていく社会で、それでも「霊的なもの」がどのように市場を形成するのかとか、それが政治や社会に及ぼす影響など、フランスと似た状況にある日本を考える時にも役に立つ。私が1980年代に読みあさったJean Delumeauについての考察は特に興味を引かれる。

次に、ジャーナリストが従軍司祭と共に書いた『戦場の一司祭』は、ノンフィクションとしてもおもしろさ抜群だし、アフガニスタンで戦死した兵士への追悼説教なども収録されているので、第一次大戦以来の戦争と従軍司祭の関係についていろいろ考えさせられる。

Un prêtre à la guerre : Le témoignage d'un aumônier parachutiste
Christian Venard, Guillaume Zeller/ Tallandier

この他に買ってその日に読んでしまったTahar Ben Jellounの小説もあるのだけれど、私の頭の中にしっくりくるおさめどころがまだ見つからないので、また別のところでコメントすることになるだろう。
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by mariastella | 2014-01-06 20:31 |



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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