L'art de croire             竹下節子ブログ

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ラモーのコメディ・リリック『プラテーPlatée』を観る

オペラ・コミックにラモーのコメディ・リリック『プラテーPlatée』

を観に行った。

プラテーは前世紀の終わりにパリのオペラ座でミンコフスキーが指揮した時に観た、私にとってほぼ初めてに近い本格的なオペラ・ヴァージョンのラモー作品だった。その数年前に『Castor et Pollux』を観ていたが、ラモーを心から「おもしろい」と思ったのはプラテーが初めてだったと思う。

演出も気に入った。Folieがドレスに貼りつけられた楽譜をはがしていく様子は強烈だった。今はネットの動画でも見られる。ダンスの振付にはその時もがっかりした。

ラモーがイタリア音楽とフランス音楽についていかに自在に語って見せることができるかの証明みたいなシーンである。

思えばこのオペラは、1745年、当時まだ16歳だったルイ15世の皇太子とスペイン王家のマリア・テレサとの結婚の祝宴の最終日にヴェルサイユで発表されたものだ。

し前の記事で書いたように、この2年後に皇太子の再婚の祝宴のために『イーメンとアムールの宴』が上演されている。
皇太子の従姉妹に当たるスペイン王女が新婚の翌年に急逝したからだ。

しかもこのマリア・テレサは「醜さ」で評判が高かったから、ラモーのプラテー(男性によって演じられる。セクハラ、嘲笑される蛙の化身のような役どころだ)は、それを意識して創られたのだろうなどと言われている。

マリア・テレサの実際の肖像写真を見ると、どこが「醜い」のか分からない。やせぎすの感じなので、その後の皇太子妃らのようにぽっちゃり美人ではないので、中性的な雰囲気が当時の美人の基準に合わなかったのかもしれない。

マリア・テレサの醜さを揶揄した形になったラモーも多少は罪悪感を持ったかもしれない。で、2年後の再婚の祝宴ではエジプトを舞台の悲劇仕立てのオペラバレーにしたのかもしれない。

それにしても『プラテー』を聴くとラモーのエンターテイナ―としての腕にも感心する。

しかし今回は、クリスティが指揮するはずだったのが健康上の理由で前回プラテー役を歌ったPaul Agnewに変わった。演出はカナダのロバート・カーセンで、舞台をオート・クチュールの社交界に設定、ジュピターはカール・ラガフィールドがモデルということで、前回の動物だらけのラ・フォンテーヌ風「異界」の雰囲気とは正反対だ。

このカール・ラガーフェルドのコスプレで出てくるジュピターが、なんと本物の真っ白な大きな猫を抱えている。

彼の有名なシューペットである。この猫については前に記事を書いたことがある。

まさかシューペットちゃんではないだろうが、ぬいぐるみでない本物の猫なのだ。

ラガーフェルドにちなんでシャネルのロゴもたくさん出てくる。

演出のロバート・カーセンは、ジュピターやジュノンというギリシャ神話の世界と、バロック時代の音楽を素材にして、ポストモダンの脱構築で現代のセレブ消費社会の風刺を試みたと言っている。

でも、神話の世界でもなく、ラ・フォンテーヌ風の寓話世界でもなく、リアルすぎて、気分が悪くなった。

別に、「現代仕立てがよくない」と言っているのではない。

この設定のプラテーは、単に、まったく女性的魅力のないいかつい「イタイ醜女」であり、セレブの権力者デザイナーにいたぶられる設定だ。しかもこのデザイナー役の歌手がハンサムでスリムで、プラテーの「女として失格」(男の歌手が演じている)の姿といかにも「釣り合わない」。

それなのにプラテーはみなの策略にだまされて、衆人の前で恥をかかされ、最後は裸に近い恰好で放り出されて、命を絶つ。

これって壮大ないじめとその犠牲者の自殺というストーリーだ。

それを「風刺」とよぶのも、大人の間では別にいい。

ところが、この『プラテー』は、先週、『子供のためのプラテー』という50分の圧縮版も上演されている。それに参加した家族かもしれないが、最終日の日曜のマチネーには、7-10歳くらいの子供連れの客が目立っていた。

普通の「バロック・オペラ」上映ではまず見られない光景である。

もちろんコメディなので、舞台からも笑い声が聞こえたり、観客も笑ったりするシーンがあるにはある。

でも、バロックの歌は聞き取りにくいし字幕も子供は読みづらいだろうから完全には理解できないので退屈もしたようで、私のすぐ後ろの列にいた二人の子供たちも途中で小声でしゃべったりしていた。

それも不愉快だったけれど、まあ、オペラ・コミックに子供連れでラモーのオペラを観に来るというのもパリ以外では考えられないだろうな、ラモーは意外にコメディ好きで、本当にオフェンバックの「美しきエレーヌ」とかを観ているような錯覚も起きるし、と寛容にもなっていた。

けれども、明らかに「子供もOK」というコンセプトにしては、生々しいステレオタイプのいじめの話になっているのはショッキングだ。

そして、ジュピターとプラテーがベッドインするまで、延々とエロティックで猥雑でアクロバティックで倒錯的なダンスが続く。男と女の絡み、男と男、女と女、女の下着をつけた男らが、性的なしぐさをする。

子どもに対してもどうかと思うが、それらのダンスというかパフォーマンスが、当然だが、シャコンヌやリゴドンと共に展開されるわけだ。

私が言いたいのは「そこでは本物のバロック・バレーを振付けるべきだ」というようなことではない。

あの挑発的でインパクトのある振付のせいで、音楽がビジュアルによって肉体性を奪われていたということだ。

ラモーのダンス曲は優れて身体的なので、あれをバックに踊っているダンサーたちはさぞやぞくぞくしただろう。しかし観ている方にはその身体的ぞくぞく感は伝わらない。ビジュアルな刺激ばかり突出するからだ。

これについて書くにはバロック音楽のダンス曲と身体性について最近考えたことを説明する必要がある。(実はもう以前にブログにアップしていたと思っていたのにまだワードに入っていたのであわててコピーする。長くなって失礼。しかも前半は今の話題と直接の関係がないので後半に注目)

それはルネサンスの詩と音楽の関係についてだ。

前半

これまで散々フランス史の音韻理論について読んだり聞いたりしてきたが、最近になって目からうろこが落ちたように把握できるようになった。
それまで、解説された時はなるほどだと思うのだが実感がなかった。心の底のどこかでは、私の周りにいるフランス人の理系の連中や音楽家やエコノミストたちも私とたいして変わらないに違いない、そういうのに敏感なのは16世紀や17世紀文学の専門家だけだろうと高をくくっていたかもしれない。ところが先日のルネサンスの詩と音楽の学会の発表ではじめてよくわかった。
しかも、これまで何となく、アレクサンドランなどのせいで、ギリシャ語の音韻の影響なのかなあと思っていたさまざまな「決まり」が、ほとんどロンサール一人がリュートをいちいち弾きながら詩作して創り上げたものだったとは…。
1650年以降の100年を視野に入れるフランス・バロック頭では、フランスのバロック・オペラとは、

ルイ14世にフランス・オペラを創れと命じられたリュリーがコメディ・フランセーズに通い詰めてその朗誦を研究し尽くしてそれに節をつけた、という「語り物」と、

騎士の鍛錬であった剣術馬術とダンスのうちのダンスの支えとなるリズム音楽との融合、

という構造が頭にあった。

ところが、ロンサールが最初から「歌う」ことを想定して詩作をしていて、フランス語というのはそもそもその中で完成したのだ。

特に音楽と「悲劇」は切っても切れなかった。

フランス語の詩と音楽が互いに独立したのは18世紀のことだという。

16世紀のPierre Gringore の作品の例では、退屈している若い娘のところに音楽を奏でるキュピドンが現れるのだが、そこでは愛は歌となる。

リフレインとクプレが交互に出てくるロンド形式が潤沢に使われる。

ロンドのリフレインとは、appât なんだそうだ。つまり、撒餌。キャッチ・コピー。ここで鳥を呼ぶ。しばしばコーラスで歌われて、愛の思い出を喚起する。
そして挿入されるクプレが、「語り」の部分なのだ。

バロックのダンス曲にもロンドがとても多い。そうか、リフレインが客寄せで、クプレが「語り」なんだ。歌のない純器楽曲でもその本質は変わっていない。

なるほどと思った。

で、若い娘の夢が覚めて現実に戻る部分ではメロディが消えて散文的で単調になる。

その単調さが現実の「秩序」を表現しているのだそうだ。愛は高まると自然と音楽になる。

思い出はシンフォニーとなり、絶望はカコフォニーになるなど、不協和も愛の音楽、愛の営みの表現となる。

後半

もう一つの発表はまた別の意味ではっとさせられた。

Olivier Halévyによる1520-1550年の歌の中に使われるTralalas と言われるオノマトペの要素を分析したものだった。それがリフレインに使われる場合もあるし、語りの部分につかわれる場合、その混合がある。
トラン、タン、テール(Tran tan tère ) のようなリズムの音、 ブドゥドゥ、ブドゥドゥ(bededou bededou)のような悪魔の太鼓の音、ミレラ、ミレラリドン(mirela,mirelaridon)のようなドレミの音名らしいもの、などがある。

そしてどうやらそれは、ダンスのステップを促したらしい。

意味のある言葉のテキストが中断されて、「音」の連なりだけになる時、「言語」というシンボリックな世界が消えて、音は「受肉」incarnerするという。「肉体」のない抽象的な言語世界から、体の占める空間や重力との拮抗が出現する。

その通過点、境界領域が、「意味のないことば」Tralalasであり、それはその直前の言葉から一部をもぎ取って意味を消して音を反響させたり増幅したりしたもので、官能的でドラマティックな機能を果たす。

パロルが消えると「体」が現れる。

そして踊りが現れるのだ。

体とは動き、踊る体である。

この感覚。

この感覚は実は、バロック・オペラやオペラ・バレエにおけるレシタティフとダンス曲の関係にそのまま受け継がれている。

現代のバロック・オペラの指揮者たちが、振付譜の残っていないバロック・オペラを演奏する時、歌のある部分は思い入れたっぷりに「濃く」構成するのに、「語り」が中断して「挿入」されるダンス曲の部分を、さっさとあっさりと、受肉どころか「語り」の部分よりもすかすかにとばしてしまうことがあるのは明らかに間違っているのがよく分かる。

まるで、「語り」の歌やコーラスで歌手の「肉体」が現前するのに、その歌手が声を出すのをやめたら、無機的で抽象的な音楽だけ残るかのように弾かれるのだ。

実は、その逆で、声のテキストが途絶えた瞬間、楽器たちがその「声」の意味を「無意味」に変換させて、楽器を受肉させ、ダンスを出現させるのである。

で、今回の『プラテー』に戻る。

ラモーの『プラテー』はまさに、オノマトペやTralalasが充満している。

そしてそれがダンス曲へと展開しているのだ。音楽が「受肉」する瞬間だ。

そこでダンサーの体が表現するのはまさにその音楽が喚起する身体性である。
ラモーのそれはフレージング、アーティキュレーション、装飾音と和声進行の複雑な構造によって、聞いているだけで関節や内臓を揺さぶるほどに身体的なのだ。

ところが、今回の『プラテー』のように、そのダンスの身体性というのが上述したようにひたすら「エロティックで猥雑でアクロバティックで倒錯的なダンス」というビジュアルを通してしまうので逆説的に「身体性」はなくなる。まさに「見世物」になるのだ。

ダンス曲を物語の「つなぎ」のようにあっさりととばしてしまうエルヴェ・ニッケについて先日書いた

バレエに入る時も、バレエが終わる時も、のっぺりとひとつながりで、踊り手の登場やステップをまったく感じさせないで「さっさとすませる」という感じの演奏で音色の工夫もなければ、長調と短調が交互に来るメヌエットやパスピエやコントルダンスやシャコンヌの内部の変化にまったく配慮がないと書いた。

クリスティのレ・ザール・フロリサン(Les arts Florissants)の演奏はさすがに筋が通っている。

充分濃く厚みがあって、身体性を楽しめるようになっているのに、ビジュアルが強烈過ぎて邪魔だ。

しかも、そのビジュアルがしつこく単調で、曲の陰影を消してしまう。ラモーのもつ複雑精妙なエレガンスとはまるで逆だ。

こんなことならコンサート・ヴァージョンの方がましだ。

今回のプログラムに1752年にルソーが書いたプラテーの音楽評が転載されていたのが改めて興味深く読めた。ルソーもラモーの技術の卓越は認めざるを得ないのだが、「天才」ではなく「名人」であり、やり過ぎだ、過剰だと言い立てている。

長くなったのでこの辺で。
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by mariastella | 2014-03-31 08:55 | 音楽

ウクライナと核の抑止力について

ウクライナ問題についてロシアが侵攻したはじめの頃にフランスの外相ファビウスがテレビのインタビューで口にしていたことのひとつがすごく印象に残ったのを忘れないうちに書いておく。

それは、ウクライナは冷戦終結時において世界で3番目に多く核兵器を保有していた地域だということだ。

で、冷戦後のソ連崩壊で「独立」するにあたって、「英米露」の3ヶ国がウクライナの国境を保障するという条件でウクライナは非核三原則を決議し、すべての核兵器を廃棄することになった。

調べてみると、1994年12月のブタペスト条約で、1996年に最後の核兵器が廃棄のためにロシアに送られたという。
2003年にハーヴァードのRobert Stephen Mathersという人が、ウクライナの核兵器廃棄について、アメリカにが獲得した平和的核兵器廃棄の模範となるサクセス・ストーリーだと書いた。冷戦時代ウクライナの核ミサイルはすべて西側世界に向けられていたからだ。

今回のロシアの行動は、このブタペスト条約に明らかに反しているわけだ。

当時もウクライナで核兵器の廃棄に反対していた人たちがいた。ロシアとの過去の確執を鑑みても、核兵器を保持することがロシアに対するこれからの抑止力になるとしたのだ。

だから英米が今回のロシアの行動を看過するとしたら、「抑止力」としての核という冷戦時代の考えを再び正当化することになる。中国や北朝鮮の威嚇に対して核武装を唱える日本のタカ派にもけっこうな口実を与えることになる。英米は必死でブタペスト条約の有効性を証明しなくてはならない。

それにしても、1994年の時点で、ウクライナの「国境」の保全を約束したのが英米露の3ヶ国だったんだなあというのは感慨深い。
抑止力の観点からフランスもド・ゴール時代に核兵器を開発したのだが、アメリカがもちろん一番早く、、ソ連が1949年でイギリスが1952年で、フランスは少し遅れて1960年だった。

つまり、ブタペストの合意の時点でウクライナはイギリスよりも多くの核兵器を保有していたが、国境の保全を約束したのが英米露の3ヶ国でフランスは入っていないということは、「核兵器保有の早い者」順が「権威」を持っていたということだ。

もう一つ考えざるを得ないのは1986年のチェルノブイリの原発事故だ。やはりこの事故のトラウマと罪悪感があったから、結局核兵器も廃棄するという方針が採用されたのではないだろうか。少なくとも無関係だとは思えない。

まあ「フクシマ」の事故が収束していなくても核武装を唱える日本人がいるのだから、「核兵器と原発は別」という確信を持っている人がいるということだろうけれど。

フランスは大型の戦艦2隻をロシアから受注していて、情勢によってはその取引が中止されることになって経済的打撃も大きいのだが、それでも、いざとなると実力ででもウクライナのロシア軍と対峙するような強硬姿勢を見せている。

まあ、核兵器はともかく原発の数ではロシアやイギリスや日本も抜いてアメリカに次ぐ世界2位の「原発大国」のフランスだから、今回は、ブタペスト合意で「核大国」のグループに入れてもらえなかったひそかな悔しさを解消するチャンスだと思っているのかもしれない。
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by mariastella | 2014-03-22 08:20 | 雑感

人間、サル、ネコ

大航海時代にヨーロッパ人が新大陸を「発見」したり、アフリカでのフィールドワークを始めたりした時に、サルとの出会いがあった。オランウータンのように、その時の彼らから見ても高度な知性を持っている類人猿との出会いもあった。

同時に、インディオ、アメリインディアンとの出会いもあり、彼らが「働かない」ので、西アフリカから黒人奴隷を労働力として調達し始めた。ヨーロッパで調達できる白人労働力の農奴はマラリアその他への抵抗力が弱かったからということもある。

アジアで白人が「労働力となる家畜」として感激したのは「象」との出会いだった。

サルとの出会いは別の意味で衝撃的だった。サルが解剖学的にあまりにも人間と似ていたからだ。メス猿に欲情を感じる者もいた。

ここが日本と違うところだ。

日本はいわゆる西洋風の「文明国」の中で、唯一「野生の猿」が生息する国で、今でも霊長類の研究のレベルが高いことで知られている。
サルと人間の違いや共通点も昔から観察されていたし、猿回しのような一定の「使い道」も知られていた。
それはもともとインドや中国経由だったのだろうが、サルを「研究対象」として観察するという「西洋的発想」が起きた時に、すでに日本ではサルは身近な存在だったという事実があるわけだ。

で、ともかく、ヨーロッパ人の植民地において、サルは人間に従わず、人間の役に立たなかった。

白人が「非白人」の社会を侵略していく過程での「差別」の形成とサルとの出会いとは微妙に相関している。

せっかく金を出して買って連れてきた黒人奴隷が労働を拒否して集団で逃亡して山の中で「獣のように暮らした」というカリブの記録がある。

(わざわざスペインから連れていた犬や猫の家畜まで植民地で野生化したという記録もある。)

逆に、それなら、人間の奴隷の代わりに働くサルはいないかと本気で検討されたこともある。サルは、働くロボット、2級人間として使えるのではないかという発想だ。

しかし働くサルを見つけることはできなかった。

サルは怠け者だが、「遊ぶ」ことはできた。

遊ぶが生産はしない、というのは「子供」である。

サルが擬人化されるのと働かない非白人の擬「猿」化はパラレルに起こった。

気候の問題もある。

必死で農耕しなくては生き延びられない寒冷地の人間と、バナナが木から落ちてくる熱帯の人間では暮らし方が違う。

しかも、熱帯や亜熱帯では、裸に近い恰好で暮らせる。

これも寒冷地から来る者にとっては「だらしない」とか「動物に近い」という印象を与える。さらに熱帯や亜熱帯の人間は肌の色が濃い。

ヨーロッパ人の中にはこれらの観察から、エチオピア人の祖先はサルだと考えた者もいた(Vanini 1616など)。

ある意味でダーウィニズムに200年も先行していたわけだ。

当時の年代記作者も(Oviedo1535)、インディオたちは働かず、怠け者で、うそつきで、偶像崇拝をしていると書いている。そして、死亡率が高い。働かないので生きるモティヴェーションがなく、自殺もあり、中毒死も多い。

このことを彼らは、「怠惰」はキリスト教の7つの大罪の一つだから、彼らが自滅するのは当然の報いだと考えたのである。

これはすごい発想だ。

ヨーロッパから来た侵略者たちは、

「アメリインディアンやインディオが見た目が白人じゃなくて文化も違って偶像崇拝の未開人だから人間じゃなくて、魂がなくて、だからキリスト教の救いに値しなくて、いくらでも虐殺していい」、

と思ったんだろう、野蛮なやつらめ、と私たちは単純に考えがちだが、実は、「怠け者」認定が大きなウェイトを占めていたらしい。

そういえば、フランシスコ・ザビエルもルイス・フロイスら、同時期に日本に来たイエズス会宣教師らは、日本人を勤勉で向上心に富むと報告している。識字率も高かった。

「怠け者」認定されなかったわけだ。

7つの大罪は「怠惰」の他に、傲慢、貪欲、嫉妬、憤怒、暴飲暴食、好色がある。
(ちなみにサルは、怠惰だが生殖行動にはやけに熱心であることが観察されていた。奴隷として到底不適格である)

日本人は、キリスト教じゃないから即「偶像崇拝」認定を受けてしまってはいたが、支配層は儒教的モラルに縛られていたこともあるし、怠惰も含めて個人の勝手を許さない統制のとれた社会だから、「死に至る罪」の状態にはなかったわけだ。

後はキリスト教に改宗しさえすればOK。

進取の気風もあって実際少なからぬ有力者たちが当時は「改宗」したし、日本は植民地化もされなかったし、大量虐殺もされなかった。

よかったね。

サルと共生していたが、サル認定もされなかったわけだし。

かくいう私はかなりの怠け者で、それでも自滅せずに、というか怠け者であることでかろうじてサバイバルしているような人間だ。「サル認定」されると怖いが、「怠惰」のウェイトが大きいと他の6つの罪に至るエネルギーも実はあまり残っていない。

と、植民地や人種差別のことを書いてきた。

今でもサッカーの試合で黒人選手をサルの鳴き声でやじる敵のサポーターが弾劾されたり、現フランス政権の黒人女性法務大臣の顔をサルの写真と並べた極右メディアが弾劾されたりしている。

人種差別の底に潜在的に流れる「サル=2級人間」のイメージは健在ということだろう。

でもすぐに弾劾されひっこめることで、そのルーツにもともとあった歪みが正せていないような気もする。

と、これを書いているそばで、ネコたちが遊んで物をおとしまくった。

騒いでいない時はひたすら寝ている。

もちろんネズミなんてとらない。

服は着ていないし、人間とは思えない「異形」の姿だ。

で、超かわいい。

ネコをかわいいと思えることで、心の中に他者の「怠惰」を許容する場所ができる。

許容や共存がそのまま「愛」に支えられている関係(しかも見返りは求めない)を実感できるのは、精神衛生にいい。

参考文献
怠惰の権利? – ルネサンスにおける人類の単一性、働く動物と怠惰な民族
Grégoire Holtz / Cahiers Saulnier 31 PUPS 2014
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by mariastella | 2014-03-16 03:15 | 雑感

Roland C30

私がエピネットを手放してから、デジタル・チェンバロのローランドC30に切り替えると言った時、仲間たちは私がデジタルの手触りに満足するはずがない、とまるで裏切られたような顔をしていたものだ。

私は前にパリの音楽見本市でC30ではないがデジタルのエピネットを試奏したことがあるので、羽をはじく抵抗を感じるあの指の感触は心配していなかったけれど、確かにC30には「木」の手触りはない。でも今は、ピアノでもそうだが、長い目で見ると象牙の鍵盤もすかすかになるし、自然素材はなんでもそれなりに劣化するので、指の湿気などを受けつけない樹脂などの素材でも、慣れればあまり気にならない。

一番気になるのはむしろ三角形のフォルムが後ろに広がっていなくて、壁に対面する形で弾く空間の感じかもしれない。

いちいちふたを開けて調律したりばねの調節をしたりするという職人的な自己満足感もなくなったけれど、これに関しては、今まで、私の「時間がない」、「微妙な音律調整に必要なスキルがない」という2点でのハンディの方が実は大きかったので、それから解放されたメリットの方が大きい。

デフォルトがフレンチ・タイプの音色になっているのは便利。

古典調律は、私は基本的にVallotti を使う。

Meantone というのに切り替えたら、ルネサンス風というのか、私のフランス・バロック耳ではかなり苦しい。三度音程がきれいなのはちょっと感動するけれど、五度をきれいに聴くことに慣れているからかもしれない。

WerkmeisterとかKirnbergerを試すと、シャープ系の調性(Dメジャーとか)はきれいに響くけれどフラット系(E♭メジャーとか)は私の耳には美しく聴こえない。

残響をカットしてリュートでバッハの平均律を弾くとかピアノフォルテでモーツアルトのソナタを弾くとか試して楽しんでいたのだけれど、オルガンは試していなかった。
するとトリオのHが来てオルガンを弾いてみて、その性能に感動した。

以来、ヘンデルのパサカリアのヴァリエーションを何度弾いても飽きない。
音量を上げ、残響をマキシマムにしてバッハのトッカータだとかを弾いて最後の和音を思い切り長く押してから指を上げると、本当に石造りの教会の天井に音が吸い寄せられるようにして消えていくのとそっくりな消え方をする。あまり気持ちがよくて、何度もやってしまうのだがほとんど悪趣味のカタルシスかもしれない。

公証人事務所と接している壁のところにおいているから、大きな音をたてても迷惑がかからない。

こうなると、奥行きのない楽器で弾いているなどという感覚は吹っ飛んで、スイッチを入れると即大聖堂にワープというわけで、ぜいたくも極め付けだ。

うちにはもう四半世紀近く前の、当時はなかなかすぐれものだったヤマハのシンセサイザーも健在なのだけれど、いやあデジタルの世界の進歩にはあらためて驚かされる。こういう時、やはり日本製品のすばらしさに感謝できるのも嬉しい。
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by mariastella | 2014-03-11 00:12 | 音楽

フォルカー・シュレンドルフの新作『パリよ、永遠に Diplomatie(外交)』について

これは前の記事の続きだ。

ウクライナ情勢にも絶望してはいけないと思わせてくれるのがフォルカー・シュレンドルフ久々の新作『Diplomatie(外交)』(邦題 『パリよ、永遠に』)という話だ。

フォルカー・シュレンドルフといえば、最初に観た『ブリキの太鼓』が強烈で、いやそれ以上にギュンター・グラスの原作を翻訳で日本で読んでいたので、私にとって、原作も映画もばりばりの「ドイツ」というイメージだった。

ところが最近この映画に関して彼がインタビューに答えているのをラジオで聞いて、あまりにもフランス語が流暢なので驚いた。完全にフランス人のフランス語だ。

ネットで調べてみると、それもそのはず、10代で家族と共にフランスに移住し、フランス語で哲学の試験も受け、フランスの映画学校で学び、フランス人監督と共に映画人としてデビューした。ほぼ「フランス人」のキャリアだ。

その後でドイツ映画を撮るようになってドイツのニューシネマの旗手となったわけだ。

こういうキャリアはヨーロッパでは珍しくもなんともないものだけれど、極東の島国育ちの私にはいまだに、「ドイツ人監督とはドイツ語で考えてドイツ映画を撮る人」みたいなイメージがデフォルトであることに改めて気づく。

この『ディプロマシー』という映画は2011年に評判になったフランスの演劇作品の映画化で、パリを占領していてヒトラーからパリ破壊の命令を受けているドイツ人将軍も、彼を説得に来る中立国スウェーデン公使も、フランス人役者がフランス語で演じる。

スウェーデン公使はフランス生まれのフランス育ちだということでこれも完全なバイリンガルという設定だ。この役をアンドレ・デュソリエというエレガンスに満ちた俳優がやる。

同じテーマの映画では、ルネ・クレマンの『パリは燃えているか?』が超有名で、その時はその役をオーソン・ウェルズが演じた。

歴史資料を見ると、実際の公使はむしろオーソン・ウェルズに似たアクの強い外見だ。今思うとあれは米仏合作の超大作で、何語で話されていたか覚えていないが、少なくとも私は日本で観て字幕を読んでいたのだと思う。

今回コルティッツ将軍役は今最高の個性派の名優Niels Arestrupニルス・アレストリュプで、舞台と同じ配役だ。この二人が主演というだけで、質の高さは確実である。

さて、パリの戦略的な部分に爆薬が配されて、爆破命令を待っていたこと、フランス軍を破ってから真っ先にパリにやってきてその美しさに感動してベルリンをパリのようにしたかったのに爆撃されてしまったヒトラーは、負け戦と分かっていてもパリを破壊しておきたかった。セーヌの橋もルーブルもエッフェル塔も、ノートルダムも、アンヴァリッドも、みな吹っ飛ぶはずだった。

その意図が明らかになったのは戦後ドイツの記録が発掘されてからだ。

スウェーデン公使のノールディングの説得というのは実際は2週間に渡ったものだそうだが、この『ディプロマシー』では連合軍がやってくる前夜の数時間に凝縮される。

コルティッツ将軍の回想録ももとにしているそうだからまったくの空想ではない。

パリが破壊されなかったことはみんな知っているのに、サスペンスフルだ。

「命令遂行」が絶対の将軍、しかも、妻子の運命をヒトラーに握られている将軍に、「命令無視の降伏」を決意させたものは何か。

説得力がある。

ものすごく大切な映画だ。

それは、フォルカー・シュレンドルフが、自分が第二次大戦の映画を撮り続ける理由として挙げていることでもあるが、

「人は和解することができる」

という希望だ。

この映画の冒頭に、廃墟と化したワルシャワの映像が流れる。

そこにかぶるのは、フルトベングラー指揮のベートーベン第七の二楽章だ。

フォルカー・シュレンドルフは、もしパリが最後の瞬間にあのような廃墟、焼け跡になっていたとしたら、そのパリの廃墟の中では戦後の独仏の和解はなかっただろう、仏独主導の「ヨーロッパ」もあり得なかっただろう、と言い切る。

和解と再建を可能にしたのは、無傷のまま残ったパリの光景だった。

ノールディングも、敵を追い詰めてはいけない、最終的に逃げ道を残さなくてはならない、と将軍に言う。その「逃げ道」こそが「無傷のパリを残す」ことなのだと。

爆撃されたワルシャワやブタペストでは真の「和解」が成立しなかった。その後数十年にわたる冷戦構造が根付いただけだ。

フォルカー・シュレンドルフが

「パリが燃えていたら独仏は和解できずヨーロッパもなかった」

と言う時、それはパリが燃えていたら、シュレンドルフ一家がフランスにやってきて彼がフランス語を話すフランス人としてフランス映画を学びキャリアを築き、それをドイツに還元するようなことも不可能だった、と言っているのに等しい。

冒頭のワルシャワの映像にはベートーヴェン、そして最後は美しいパリの風景、セーヌ、エッフェル塔にジョセフィン・ベーカーの『J'ai deux amours』のリフレインの部分がかぶる。

「私には愛するものが二つあるのよ、私の国と、パリ」

というこのリフレインって、パリに住む外国人をみな万感の思いにさせてくれるものだ。

「私の国とフランス」ではなく、「パリ」である。

女声で歌われると、「私の国」も「パリ」も男性名詞なので味わいがある。

女性名詞の「フランス」では成り立たない。

「パリってすてき」というのはあまりにも月並みなので意識できないが、この映画の最後のパリはフォトジェニックで、やはりこの最初と最後の映像と音楽のおかげで、舞台作品である原作を超える広がりが生まれたと思う。

それにしても…

確か69年前、アメリカ軍は東京を焼きつくしたよね。

広島、長崎が後に続くことを別としても。

あの焼け野原の東京で、日本はよくアメリカと和解できたよなあ。

まあ当時すでに4年もドイツに占領されていたパリと、しかし「戦勝国」の仲間入りできたフランスと、日米関係を単純に比べるのは無理だとしても、そしてそのどちらの「戦後」にも大きな影響を与えた「冷戦」構造があるにしても。

戦後の日米の「同盟関係」、「核の傘」の選択は分かるにしてもあの「お友達関係」樹立風なのは、シュレンドルフの言っている意味での「和解」とは、きっと、全然別のところにあるんだろう。

まあ加害者であるアメリカの「天然」ぶりが果たした役どころも大きかったのかもしれない。

どちらにしても、今、シリア情勢、アフリカ、そしてクリミア半島などを見る時、この映画の発する、

「外交の力」、「言葉の力」、「抜け道、逃げ道を作っておくことの大切さ」、「力による破壊の後に真の和解は生まれない」

というメッセージは貴重だ。

そして私たちは破壊のすさまじさばかりに衝撃を受けて絶望するけれど、その陰には、たとえばたった一晩で人の心を動かし、破壊や殺戮を回避し、歴史の流れを変えるような有名無名の賢者たちがいたり、外交術が展開されていたりしたのだろうことにも思いをはせることができる。

それなしには、人間への信頼と未来に対する希望は、生まれない。
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by mariastella | 2014-03-10 02:09 | 映画

ウクライナ情勢を見て

ウクライナ情勢の移り変わりとロシアの軍事介入を日本からよりはずっと近い位置から見ていたら、はじめは絶望的になった。

デジャ・ヴュというか、独裁者が金と権力を私物化して弱者を踏み潰し、弱者がついに反抗して、臨時政府ができたと思ったらそこでは政治的に変更した勢力が突出して、そこにまたいろいろな思惑を持った外国が介入して、という構図はもう、リビアでもイラクでもシリアでも中央アフリカでも、みな同じ。

イスラム圏だから、とかアフリカだから、とかアラブだから、とか、まったく関係がない。「人間だから」欲望の歯止めが利かなくなる構図もみな同じ。

それを言うなら一党独裁や軍事独裁の歴史は東南アジアでも東アジアでも、近い過去にあったし今もある。

文化や宗教などとは関係なく、「人間の愚かさ」だけが普遍的で、しかも「歴史に学ぶ」ということをしないのか、お前らは、とちゃぶ台をひっくり返したくなる気分になる。

ウクライナの場合は、臨時政府は真っ先にロシア語を第二公用語から外し、いくらソビエト時代に強制移住させられたとはいえ1400万人もいるロシア語母国人にとって屈辱的な仕打ち。ロシアがクリミア半島にすでにある基地を守ろうと乗り出すと、臨時政府も武力衝突を辞さない強硬姿勢だ(アパルトヘイトの後で白人への報復政策をとらなかったマンデラはやはりそれだけで価値があったなあと改めて思う)。

しかしこれらの事態を招いている根源は、NATOが冷戦終結時に解消されなかったことだ。アメリカは今でもNATOを通じて、ウクライナあたりにロシアに向けたミサイル基地を打ち立てておきたい冷戦時代の夢を引きずっている。
地政学的にロシアが許せないのはウクライナが親ヨーロッパになることではなくて、NATOに取り込まれることなのだ。アメリカだってたとえばカナダやメキシコが中国と同盟することなど絶対に許せないわけで、別にプーチンだけが強面の悪の皇帝というわけではない。

ひどいのはフランスで、一時はNATOからも距離をおく気概があったのに、今回はアメリカの代理人のような行動をとって、ドイツからさえ批判されている。これならまだ、同じような状況の2008年のグルジアでの南オセチア戦争の時にEU の議長だったサルコジが停戦に持ち込んだ時の方がましだったかもしれない。

ともかく「冷戦終結」以後でさえ、旧ソ連圏をめぐって疑心暗鬼の仮想敵が対立する状態は、実は変わっていないわけだから、中東やアフリカのもっと複雑な紛争地域に「国際社会」が単発的に軍事介入して騒いだところで「民主化」は愚か「紛争の鎮静」すら難しいのは不思議ではない。

でもフランスから眺めていると、アフリカやイスラム圏のことは「異文化」だからなあ、という距離感があるのだけれど、ウクライナとなると、日本人の目から見ると「欧米」と同じ白人、正教と言えどもキリスト教文化圏だし、なんだなんだ、どこもかしこも文脈は違えこそすれ大量に血を流しまくって・・・といっそう悲観的になる。

しかし、人間、ごく私的な生活でも、悪い部分だけが記憶に残るメカニズムがあるので、たとえば、「先月は1週間寝込んだ、今月も風邪を引いた、ああ、もう抵抗力も免疫力も落ちるばかり」と嘆きがちでも、先月の残り3週間は元気だったことや、全体として健康上のアクシデントを黙々と克服する抵抗力や免疫力は働いていることは無視することになる。

そう考えると、やはり視野を広げると、昔に比べて、外交によって多くの危機を乗り越え、武力衝突を回避している地域や分野もたくさんあることを忘れてはならないと思う。

「人間の愚かさ」は普遍的かもしれないけれど、それを回避しようと働く「賢明さ」もまた普遍的に働いているのだ。

そして、独裁者の執行する「悪」が時として「個人」のキャラに左右されるように、「悪」を是正する力も時としてたった一人の賢人の言葉の力に左右されることもあるのだ。

そんなことを考えさせて希望の明かりを灯してくれるのがフォルカー・シュレンドルフ久々の新作

『Diplomatie(外交)』である。

長くなるのでこれについてはまた次の記事で。
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by mariastella | 2014-03-03 02:37 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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