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L'art de croire             竹下節子ブログ

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ワールドカップとラマダン

ワールドカップの決勝トーナメントとイスラム教のラマダンが重なった。

フランスの公営放送で、ムスリムが5人いるというフランス・チームは、「旅行中のムスリムはラマダンの期間をずらしてもよいとコーランにあるのを適用するから問題がない」と言っていた。

そのフランスはナイジェリアと試合することになっていて、ナイジェリアの選手のうちムスリムはラマダンを実施するようだという。

ドイツと試合するアルジェリアに至っては全員がムスリムで、従軍司祭ならぬ従軍イマームが付き添っていてもちろんラマダン実施だと言っていた。

水も飲まないのでパフォーマンスに影響すると解説があった。

パフォーマンスもだけれど、危険ではないのだろうか。
そして、そういう極限状態にあるようなチーム、あるいはコンディションにハンディのあるようなチームと試合する側もいやな気分にならないかと思う。

決勝トーナメントに進出したアフリカのチームの中でガーナだけは貧しいけれど最も民主化が進んだ国と言われている。キリスト教がマジョリティだ。

ワールドカップのような舞台では、世界のG8とかG20とか先進国とか途上国とかのパワーバランスが全く狂ってくる。ある意味シュールだ。

サッカーはもともとヨーロッパ主導で、中南米が力をつけてきてからはヨーロッパの植民地宗主国メンタリティに対抗する意味もあって南米がFIFAから脱退しようとしたこともあったという。
1928年のオリンピックや1930年のワールドカップでウルグアイが優勝した後だ。

それでも、その後でアジアとアフリカという「第三世界」が参加するようになったので、ラテン・アメリカとヨーロッパは既得権益を持つグループとして結束するようになり、FIFAは存続した。

なんだか、移民の国アメリカで、先に移民した国のグループが後から移民してくるグループを排斥しようとしたり、自分たちの後で扉を閉めようとしたりしてきたという話を思い出す。人間の考えることはどこでもいつでも似たり寄ったりだ。

今でも、ヨーロッパと南米はFIFAの参加国の28%だが選抜国の59%を占めているという。

でも南米の名選手たちは、今ではかなり若いうちからヨーロッパのサッカーチームでプレイする。

経済力の格差で完全に選手が流出しているわけで「ラテン・アメリカは血管の切れた大陸だ」と評する人もいる。

主力選手が里帰りし、ナショナル・チームとしてワールドカップでヨーロッパのナショナル・チームを倒すのは、だからファンにとってはある種の復讐にも似た快感なのだそうだ。

そんな話を聞いていると、グローバリゼーションの世界と、経済格差のもたらすテンションやルサンチマンと、伝統や文化の差やこだわりの確執が見えてくるワールドカップの報道は興味深い。ヨーロッパとラテン・アメリカだけの時代ならラマダンの問題など出てこない。イランは一次リーグで敗退したが、もし決勝トーナメントに勝ち残っていたらどうなっただろう。

文化の差は、飲食だけではない。

ラジオで、フランスは、決勝トーナメントについていく選手の配偶者の旅費を支払うと言うのを聞いた。戦うための男性ホルモンを調整するにはセックスが必要だからだという。
週刊誌によると、デシャン監督は「いつどのように、何度かによる」と言うそうだし、「リラックスするためにはいい、ただし徹夜はダメ」、と医者がコメントとし、ブラジルの監督も「ノーマルなものならOK」と条件を付け、アメリカの監督は配偶者たちがホテルに来るのもOK、みんなでバーベキューもしている、と言うそうだ。ベルギーの監督は準決勝までは家族に会うのは禁止、メキシコの監督は、40日の禁欲ができないでどうする、と言い、イタリアの監督は「予選のうちは大目に見るがブラジルに来てからははダメ」、ボスニアの監督は「うちでは選手が自分で処理」と4月に言ったんだそうだ。

こんな話を聞いていると、橋下知事の従軍慰安婦の話などを思い出してしまう。

私の身近なブラジル人というと、ピアノの生徒で母親がフランス人で父親がブラジルの映画監督である15歳の少年が一人いるだけなので、彼の家はワールドカップで盛り上がっているかと聞いてみたら、

「うちは誰もテレビも見ない」

と言われた。父親は全く関心がないし、自分もスマートフォンでゲームをしているだけだ、と。
別の音楽家に聞いたら、サッカーは格闘技で野蛮だと嫌悪していた。
ブラジルとチリの試合がPK戦になった時、TV画面の前に聖母マリア像を置いて祈っていた女性のサポーターがいたと報道されたのが印象的だ。

いろんな人が、同じ時間を、さまざまに、生きている。
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by mariastella | 2014-06-29 08:52 | 雑感

お金にまつわる二つの映画を観て、トマ・ピケティを思う

最近観た2本のフランス語の映画には考えさせられた。

一つはベルギーのダルデンヌ兄弟の『二日と一夜』(邦題 サンドラの週末)。

鬱病で休んだ後工場の仕事に復帰しようとした女性(2児の母、夫は料理人)サンドラが、工場で、彼女の復帰を認めずに現行体制でやっていくなら全員に1000ユーロ(14万円弱?)のボーナスが支給されるとして投票した結果、失業しそうになる。

何とかパトロンに再投票を約束させたサンドラは、週末の2日間をかけて、投票権のある16人の同僚にボーナスを捨てて自分を救ってくれと頼みに回る。

その屈辱感や、頼まれる方の同情心だの義侠心だの罪悪感だの、家族や友人の支えだのが、丁寧に、密度高く、しかもサスペンスフルに描かれていて、フランス女優のマリオン・コティヤールも名演で、完璧な映画だ。

完璧すぎて、映画やストーリーがどうとかというより、自分や自分の生きている社会について深く考えさせられてしまう。

もちろん、内乱の国、テロリストに侵攻される国、一党独裁の国などもっと深刻な場所は世界にたくさんあるけれど、フランスとかベルギーとか日本も含めて、こういう映画を観に行く人たちがまあまあの消費活動を普通にしている国に存在するこの「不平等感」の切実さに、くらくらとしてしまう。

次の映画は、ディディエ・ル・ペシャールの『私のほしいものリスト』だ。

こちらは、たかが1000ユーロではなく、なんと1800万ユーロ(20数億円)という巨額がテーマになる。

10万円の臨時収入があるかないか、それを諦められるかどうかというのは、自分に当てはめて想像もできるが、20数億円というと見当がつかない。

こちらも2児(と言ってもほぼ成人している学生)の母がヒロインで、フランスの地方都市に住み、夫はブルーカラーだけれど彼女は洋裁道具の店を経営していて、ブロガーとしても人気で友人もいてまあ幸せに暮らしている。
夫がアルコール依存だった時期に3番目の子を死産して夫婦の危機があったけれど、その後ふたりとも努力して一戸建ての家も持っている。

ヒロイン役のマティルド・セニエはポランスキーの伴侶であるエマニュエル・セニエの妹で役者一家の名女優だが、この映画でもすばらしい。

ロトで大金を手にしてしまったが生活を変えることが怖くて黙っていたら、それを自分に対する不信なのだと絶望した夫によって小切手を奪われる。
夫にとってその額はまず、自分の給料の650年分だという数字だったのだが、彼女にとっては人生の意味を考えさせられる「できごと」だったのだ。

自分と周りの他者のいい関係を築けている人でそれを維持できるだけの収入がある人には、それ以上の大金の使い道はすぐには思い浮かばない。けれども、今の拝金主義の消費社会では、広告やら「セレブ」の生活の情報があふれているので、多くの人は、大金の数字を見ると、身の丈をはるかに超えた別世界をたやすく思い描いてしまうのだ。

 「拝金」に対して卑しさや下品さという含意があった時代はそう遠くないし、「拝金」や「浪費」の否定を徳としたりエレガンスとしたりしている人もまだたくさんいるとは思うのだけれど、グローバリゼーションと新自由主義の一方的な躍進がそのような徳やエレガンスを人々の建前から吹き飛ばしてしまった。

なんだか、トマ・ピケティの『21世紀の資本論』に思いをはせてしまった。

昨年出版されたこの本は3月に英訳が出てからすでに50万部のベストセラーになり、5月には『ザ・エコノミスト』誌で、赤警報、現代のマルクス現われる、のようなセンセーショナルな取り上げられ方をされている。

でも要するに、冷戦終焉以来、身もふたもなくグローバル化した今の新自由主義経済下では利益の再分配が起こらず、投資のリターンが資本家ばかりを一方的に富ませる構造になっていることを15年も研究してまとめたという本だから、当然、新自由主義陣営からの批判は少なくない。

フランスにおいてもグザヴィエ・タンボーらから資本への課税が不平等の解消にはつながらないと言われている(いろいろな提言があるのだけれど、とても具体性を感じたのは、だれでも、自宅の「賃貸価値」に応じて課税されるというような部分だ。単に今のような固定資産税ではない)。

ファイナンシャル・タイムス紙などからは散々叩かれていて、イギリスに対する統計の解釈が誤っていると断罪され、ピケッティは反証を求めたがまだ答えを得られていないそうだ。

ピケティが、いわゆる「共産主義」への回帰を唱えているのでないことはもちろんで、冷戦時代のように共産主義計画経済と市場原理主義経済を比較対立させようというのではない。

資本主義と共産主義の対立は、不平等の問題への洞察をむしろ不毛にしてきた、経済学は精密科学ではない、イデオロギーにとらわれないところでプラグマティックに対応させなければならない、とピケティは述べる。確かに、この43歳とまだ若い経済学者の政治的立場は、いわゆる「左翼」とかフランスの社会民主主義の旗手のようには見えない。

けれども、社会党のシンパであることは間違いがなく、2007年に社会党の大統領候補のセゴレーヌ・ロワイヤルの参謀になっていた。それなのに、その前年には当時の首相だった保守政権のドミニク・ド・ヴィルパンの要請で大学系のパリ経済スクール(国立大学が主のフランスではそれまでビジネススクールはすべて私立であった)を設立してディレクターになっている。

当時は、オーレリー・フィリペティと事実婚をしていたのだが、そのフィリペティは現在、社会党政権での文化通信大臣である。

でもこの2人はもう別れていて、フィリペティの方は今、貴族でありド・ヴィルパンの従弟でもあるフレデリック・ド・サン・セルナン(元保守政権の国務長官だった)と暮らしている。

彼らの共通点はみなフランスの最高峰のグランゼコールを出ているということだ。

こういうのを見ていると、保守とか革新とかいう以上に、エリートの集団ということが分かる。

フィリペティはその名が示すようにイタリア移民の子孫だし、ピケッティの両親も労働運動をしていた。
そういう階級の子弟でも無償の公教育オンリーでエリートになれるフランスの教育社会主義が機能していた証拠かもしれない。

けれども、今の市場原理主義経済の格差社会では、低収入家庭の子弟ほど高学歴に至らないばかりか敗残者にさえなるという現実がある。

一方で、社会党政権であけ何であれ、結局、権力は同窓のエリートたちが掌握しているという現実があるのだ。

1800万ユーロの不労所得は株の配当であれロトの当選であれ、人が真に「人間的」にふるまえる額ではなく、1000ユーロで失業かどうかが決まるような社会環境もまた人間的に生きることができないということだろう。

実際、2つの映画のヒロインはどちらも、ストレスが頂点に達したところで自殺を図るのだ。

人が生きて、他の人と人間的に関わるのには、「適正」な額の金というものが必要なのだろう。

「公正」と「適正」のバランスをいつも考えなくてはならない。
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by mariastella | 2014-06-21 03:03 | 映画

Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu? (フィリップ・ド・シャヴロン)

フィリップ・ド・シャヴロン(Philippe de Chauveron)のコメディ『神さまに何したっていうんだ?』が、観客動員記録を更新し続けている。

近年のフランス・コメディの大ヒット作『最強の二人』だとかダニー・ブーンの『シチィにようこそ』と同様に、もうリメイクの話が持ち上がっているらしい。

前者は金持ち貴族の障碍者と黒人の介護人の友情、後者は南フランスの男が最果ての北に飛ばされて偏見に満ちたカルチャーショックの中での友情、とどれも微妙に、フランス内の偏見やら差別などを自虐的に笑いながら、でも、結局ぼくたちって分かり合える人間同士、ヒューマニズムだよね、という自己満足のハッピー・エンドになっている。

今度の映画はそれをさらに突き進めたものと言える。

1965年生まれの監督自身が貴族の家系で「古き良きフランス」を知り尽くしていると思うのだが、物語は、シノンの郊外の館に住むブルジョワの夫妻の娘たちがユダヤ人、アラブ人(といってもアルジェリアのベルベル人だが)、中国人と結婚して、カトリック教会で結婚式も上げなかったのを両親が悲観していたところ、ついに末娘がカトリック信者と結婚すると聞いて喜んだら、コート・ジボワールの黒人だったという話だ。

先の3人は移民の子孫にしてもフランス生まれのフランス人なのだが、宗教が違うところが決定的に問題だ。

しかし、4人目の婿は「外国人」でアフリカ人なのだ。

これだけカリカチュアルな設定なのに、「誰でもみんな少し人種差別者だ」ということを平等に笑い飛ばすので、罪悪感がどこかに行ってしまってみんな仲良く機嫌よくなれる展開になっている。

3人の婿たちにとっても、4人目が黒人というのはショックだが、たとえばムスリムの婿にとっては4人目がモロッコ人ならもっと許せないとか、ユダヤ人の婿はアシュケナージのユダヤ人は絶対に嫌だとか、中国人の婿は二人目の中国人はごめんだとか、それぞれ、「同類」は嫌がる。

教会の司祭はいかにも偏狂そうな若造で、「自分の司教はなんとマダガスカル人だから、グローバリゼーションですよ」と言いながら、黒人の花婿候補を紹介されて言葉を失うバカっぷりだ。

黒人のシャルルは舞台俳優であり、彼の両親にとっても、過去に植民支配をしていた宗主国フランスの白人の娘と結婚するなどとても許せない。

それでも、父親たちの敵意の反動のように、まず2人の母親同士が打ち解けて理解を示していくところなど、基本的には『招かれざる客』(スタンリー・クレイマー、1967)と人間ドラマの落としどころの本質は変わっていない。

フランスはヨーロッパでもっともミックス婚が多いと言われている。実際、3代以上続けてフランスで生まれ育ったフランス人同士が結婚するなど少数派だと思えるくらいだ。

イタリア、ポルトガル、ポーランドから大量の移民が来てフランス化しているので、その場合はカトリック文化圏だし見た目も対して変わらない。

前大統領のサルコジがハンガリー系の二世で、今の首相のヴァルスもスペイン系でフランスに帰化した人だ。

ハンガリーもスペインもカトリック文化圏だから差別の対象にならないですんなり来たのかもしれない。

それに対して、旧植民地国からの移民の子孫の立場は、ずっと微妙だ。

イスラム文化圏の人々はもちろんだし、カトリックの被宣教地だったブラック・アフリカの人々は肌の色の問題がある。
それをいうなら、今も昔もフランスの海外領や海外県として残るカリブ海のグアダルーペやマルチニーク出身の黒人は、もっとさかのぼるといわゆる「奴隷の子孫」であるけれど、何世紀もれっきとした「フランス人」だ。いや、身体能力が高ければさらに一級フランス人としてサッカーのナショナル・チームで国の誇りとなって活躍することは、ベルベル系のジダンやベンゼマと変わらない。

そう、サッカーと言えば、今年はブラジルの黒人選手にバナナが投げ込まれた事件などから、日本国内の試合ですら人種差別的事件があって問題になった。けれども、サッカー(や近代の多くのスポーツ)がもともと、イギリスのパブリック・スクールや大学という環境でルールが定まって発展してきたことを思うと、こんな風に中南米を含めて世界中が熱狂するスポーツになったこと自体が不思議と言えば不思議だ。

ブラジルはサッカー王国と言われるけれど、サッカーがもたらされたのは19世紀末のイギリス人チャールズ・ミラーによってだった。ポルトガルの植民地でカトリック、ラテンの文化圏だったから、アングロサクソン主導のスポーツは敷居が高くても不思議ではなかったはずだ。

実際、1921年に当時の大統領が、「色の濃すぎる」選手がブラジルのナショナル・チームでプレイするのを禁ずる通達を出した。

歴代の監督たちはそれを無視したのだが、1950年のワールドカップで隠れた人種差別が噴き上がった。
開催国だったブラジルが、圧倒的な強さで進撃して初優勝を期待されていたのに、決勝でウルグアイに負けたのだ。
スタジアムで自殺者が出るほどの騒ぎになり、新聞にはインディオや黒人たちは怠惰であり、戦略をリスペクトすることが遺伝的にできない、などとのコメントが出た。その時に9歳だった肌の黒い少年ペレが、8年後にブラジルの初優勝をけん引する。

それにしても「白人のスポーツ」だったサッカーがわずか数十年で国民的スポーツになるとは、サッカーが野球などと違ってボールだけで路上で訓練できるという事情があるにしても、驚くべきことだ。

まあ、実力さえあればスラム街に生まれてもセレブの頂点に上り詰められるというある意味で「民主的」なサッカー世界だったわけだが、今やすっかり産業化して、今回のワールドカップの新スタジアム建設で25万人の庶民が退去させられたという事実もあるから、もはや自由と可能性のシンボルというものではない。

アルジェ大学のサッカーチームでゴールキーパーをしていたカミュが、「ボールは来ると信じた方向からは絶対にやってこない」ことを学んで人生に役立てた(byジャン=クロード・ミケア)などという時代も過去のものだ。
哲学者のミケアは1998年、フランスが優勝した年に、『知識人、民衆、そしてボール』という本を書いた。この三者の関係においてサッカーは神に似ている、とも言われる。
「多くの信者の熱狂的な信仰とそれに対する知識人の不信」故だという。

「神」自身がどんなものかは知らないが、神の名において指導者が信者の熱狂を煽るタイプの演出がなされる宗教儀式などは莫大な金が動くところも含めてスポーツ観戦産業に似ていなくもない。

そして今や何につけても「大衆」とか「民衆」の熱狂は、警戒されたりさげすまされたりするどころか経済至上主義の社会での「徳」にすらなっているから、「知識人」が民衆のお祭りに冷ややかな態度をとるなどとてもできない時代だ。

無神論を唱えることはできても、「拝金」の教義を擁する産業に疑義を呈することは難しい。

同じ意味で、見かけの人種差別や偏見を越えればみんな同じ人間で仲良しになれて共にお祭りを楽しめるのだという「正しいメッセージ」入りの感動ドラマの前では肯定する以外の選択肢はない。

こういう「分かりやすい正しさ」の前に何か大切なものがごまかされているような違和感を突き詰めるのは、本当に難しい時代になったと思う。
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by mariastella | 2014-06-18 00:15 | 映画

ヴェルレーヌの『落葉』 Chanson d'automne

(この記事は前回の記事とあわせてどうぞ。)

秋の日の / ヰ゛オロンの

ためいきの / ひたぶるに

身にしみて / うら悲し。

上田敏『海潮音』の『落葉』ヴェルレーヌの出だしのこの日本語は私の「日本語原風景」の一角をずっと占め続けている。

6/6ノルマンディ上陸作戦の70周年記念日の昨日はテレビで何度かこの一節がとつとつと(もちろんフランス語でだけれど)流れた。

1944/6/5の午後9時25分、ラジオ・ロンドンからフランスのレジスタンス運動の人たちに、上陸が近いことを知らせる暗号文だった(ナチスにも解読されてそれが激戦の一因とも言われる)。

自由フランスのド・ゴールはチャーチルやルーズベルトから仲間に入れてもらえなかったけれど、全軍の0.1%程、200人にも満たないフランス兵がイギリス部隊と一緒に上陸作戦に加わっている。

第二次大戦の奇襲作戦の暗号電文というとつい勇ましい「ニイタカヤマノボレ」とか「トラトラトラ」を連想してしまうので、このヴェルレーヌの暗号文のもの悲しさを前にすると、この上陸作戦によって多くの非武装同胞市民を失うことになる諦念のようなものすら感じてしまう。

70年目の昨日、ようやく、彼ら非武装市民の犠牲者の追悼も公式に行われた。

人気のないオランド大統領だが、この行事を国家行事にして、プーチンやオバマやウクライナ新大統領までそろえて見せたのだから、フランスにとっては、外交の腕の見せ所になって大成果だった。

それでも、たとえば一万人を超すGIが眠るアメリカ兵の墓地は「アメリカ領」であるので、そこでのセレモニーではオバマ大統領がオランド大統領を「招く」という形がとられるなど、プロトコルは複雑でちょっとした外交ショーである。

オランドを中心にエリザベス女王とデンマーク女王を配して、そのわきにオバマとプーチンを並べ、でも前方巨大スクリーンにオバマとプーチンを横並びにアップして2人が思わず互いの方に視線をやるシーンもあった。

エリザベス女王の服の色合いがフランスのトリコロール(フランス空軍が赤白青の航跡を空に描いて見せた)に取り込まれないように明るい緑色だったのも目立った。

それでもとにかく、ちょうどウクライナ危機の今、このメンバーをそろえたことの意義は大きい。

アメリカにとってロシアとの貿易は1%(2012)に過ぎないが、EUにとってロシアは3番目の貿易相手国だし、プーチンも「リスボンからウラジオストックまでがヨーロッパ」と考えれば自立してアメリカや中国に対抗できる、と一時は言っていたくらいだから、ウクライナをEUと取り合うよりは「架け橋」にした方が世界平和のために絶対にいい。

15年前にアメリカがポーランド、ハンガリー、チェコをさっさとNATOに組み入れて、その 5年後にはさらに7ヶ国など、東ヨーロッパをロシアの仮想敵のように編成したのがそもそも挑発的だったと思う。

オバマはノルマンディに行く前にしっかりとポーランドに立ち寄って、米軍はもう駐留する予算はないから撤退することになるけれど、ポーランド軍への軍事資金援助は続ける、と安心(?)させていた。(これが日本の場合なら、米軍基地の費用も日本もちで、撤退して日本が自衛軍備をしても資金援助どころではなく持ち出させるのだろうなあ、とか考えてしまう。)

そして2日おいた6/8は「聖霊降臨祭」なのだが、この日に、5月末にはじめてパレスティナ、イスラエルを公式訪問した際にローマ教皇フランシスコがアレンジした招待を受けて、ヴァティカンにイスラエルのシモン・ペレス大統領とパレスティナのアッバス議長がやってきて三者共に平和のセレモニーに出席する。(追加:ギリシャ正教の主教もやってきて、カトリック教会は全世界のカトリック教会に同時に祈ることを依頼した)

4月末、アッバスがハマスと共に署名したパレスティナの和平案をネタニヤフ首相は拒絶している。

ペレスがヴァティカンでアッバスと出会っても、状況が変わるわけではないけれど、シンボリックな意味は大きい。

キリスト教は、ユダヤ教から派生し、イスラムはその後でユダヤ人アブラハムの別の子孫の系統から生まれた。

真ん中に位置するキリスト教の最大宗派で、しかも、経済や軍事のテリトリーを有しないヴァティカンに拠点を持つフランシスコ教皇がキリスト教の揺籃の地であるパレスティナの平和のために「座を設ける」のは悪くない。

ノルマンディであれ、ヴァティカンであれ、歴史の波に洗われても、今ここでの対話と平和を促すシンボリックな場所にシンボリックな意味をもたせて「座を設ける」外交技術が展開されているのを見ると、少し希望が湧いてくる。

それにつけても、「一神教同士は不寛容で戦争ばかりしている」などといい加減な批判を口にする日本では、近隣諸国との対話や平和のために「座を設ける」努力よりも軍事路線強化ばかりが目立つのは何とかならないのだろうか。

キリスト教のイエス・キリストはローマ総督から死刑を宣告されて執行されたのに今はローマ・カトリックがアルゼンティン人の教皇の音頭で平和を唱えているのだし、英米カナダとドイツ軍が死闘を繰り広げて大勢のフランス人犠牲者も出したノルマンディでは欧米とロシアが集まって平和を唱えている。

対話と共生の意志さえあれば、東アジアの平和のためにも、軍事とは別のいろいろな試みが可能だと思いたい。

(追加あり)
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by mariastella | 2014-06-07 23:47 | 雑感

「ノルマンディ上陸作戦」70周年記念

6/6は「ノルマンディ上陸作戦」の70周年記念で22ヶ国の元首が集まる予定だ。

作戦に参加した軍人の生存者は1800人というが、当時王女だったエリザベス女王も軍で働いていたのだから、今回の女王の出席はさらにシンボリックな意味がある。

そして今ウクライナがらみでかなりの緊張関係にあるプーチン大統領とオバマ大統領も顔を合わせるし、当時のヒールで敗者でもあるドイツのメルケルは今やヨーロッパ経済を牽引する存在だし、70年も経つと、パワー・バランスはあらゆる面で変わっている。

でも、こういう「場」を共有するということは、たとえそれがどんなに政治的であろうとも、「平和の理念」の確認という名目を掲げること自体に潜在的な意味がある。

さまざまな歴史的葛藤を経てきた多くの国が「平和に集まる」ということはそこにコミュニケーションやインターアクションができることで、「共に生きる」チャンスを増大させるはずだ。

このことに関して、第一次大戦のヴェルサイユ条約を破綻させた連合軍の反省がある。

「平和」といっても、「悪を征伐する、排除する、屈辱を与える」などという形で勝者が一方的に押しつけるものは、本物ではなかった。ルサンチマンを生んで、結局20年も続かなかったことへの反省だ。

第二次大戦の後は、フランスは早々とドイツに手を差し伸べて今のEUの母体をつくった。
しかしそれは、何もただ優等生的に「敵を赦した」わけではない。

英米への牽制だった。

ノルマンディ上陸作戦は確かにとてつもない大規模な作戦だった。それが第二次大戦の終結を導いたのも疑いはない。

しかし、作戦は、基本的に英米のものだった。

フランスはまったく関係がない。

自由フランスのド・ゴールは蚊帳の外で数に入れてもらえなかった。

でも、戦場はフランスで、それまで比較的戦禍の及ばなかったノルマンディを火の海にした。英米軍の死者の墓はほぼ巡礼地になっている。
しかし犠牲者には、戦いの当事者である英米独の「軍人」以外に、連合軍の爆撃で死んだ多くの一般のフランス人がいる。彼らは「戦争の犠牲者」だが、その位置づけは曖昧だ。

上陸後3カ月も続いた戦乱で、連合軍の死者3万7千人、ドイツ軍8万人、そして市民が1万3700人と言われる。

それでもフランスはもちろん文句を言わず、第二次大戦の終結においては、ド・ゴールはしっかりと自由フランスを連合軍の中に位置づけてフランスを「戦勝国」にしている。

それでもフランスは「悪夢」のノルマンディ上陸作戦を「記念日」にするつもりはなかった。
1945年5月の終戦後の後のDデイは、フランス主導で犠牲者追悼があった。

50年代は、Dデイ記念日の主役は主として当時のアメリカの将軍たちなどだった。

生々しい悪夢が記念日になるには20年かかった。

1964年のDデイ20周年に、はじめて外交的なセレモニーが行われたけれど、ド・ゴール大統領は参加を拒否した。
あれは英米の作戦であり、フランスのものではないといい

「フランスは外国の軍事作戦を祝わない」
La France ne célèbre pas une opération militaire étrangère

との言葉を残した。

チャーチルやルーズベルトに相談されなかったのを根に持っていたのだ。

ある意味すごい。

ここでただそっぽを向いているわけではなくて、ドイツと共に着々と英独抜きのヨーロッパを形成しようとしたのだから。

フランス国内のノルマンディで英米が主導で毎年お祭り騒ぎをすることを止めることはできない。

少しずつ、戦争の生々しい記憶や興奮が鎮まるのを待ち、EUの基盤が固まるのを待っていたのかもしれない。

1978年にはじめてジスカール・デスタン大統領がカーター大統領と共にオマハ・ビーチに立った。

1984年の40周年記念には7人の元首が出席した。社会党のミッテラン大統領はクリントンやエリザベス女王と共に出席した。

同じ年の9月、ミッテランは第一次大戦始まりの70周年に激戦地ヴェルダンで、西ドイツのコール首相と手をつなぐというパフォーマンスをした。

1994年の50周年には15ヶ国が参加した。

2004年の60周年は、冷戦の終わった21世紀の始まりとドイツの再統合の成功を象徴すかようにロシアのプーチン大統領が「連合国」側として出席し、シラク大統領とシュレーダー首相が派手に肩を抱き合って、ヨーロッパの結束を印象づけた。

新世紀に入るともう当時の作戦の主導者はいなくなっているから、政治や外交のショーとして再構成されたともいえる。
2001年のアメリカの同時多発テロを経た世界で「イスラム過激派」が「自由諸国」の共通の敵に据えられたこともある。欧米諸国間や今やロシア正教を復活させたロシアとの「和解」を印象づける必要もある。

そしてこの歴史の文脈の中では、いくら経済的躍進が華々しくても、イスラム諸国や新興諸国やアジア・アフリカ諸国は堂々とサークル外に遠ざけられる。敗戦国でヨーロッパの国でもないような日本などはもちろん関係ない。

なんだか巧みに洗練された、伝統的なキリスト教圏の社交クラブにも見えてくる。

まあだからこそ、ウクライナ危機のせいでたとえG8から排除されてもプーチンが社交クラブの席に着くわけだから、その意義は少なくないと期待したい。

(蛇足。私はプーチンの登場をずっとフランスで見たり聞いたりしてきたので、字面はPoutineだし発音も「プーチヌ」に近い感じでインプットされている。だからカタカナのプーチンの字面や音を見たり聞いたりするといつも、「どこのユルキャラですか」、という印象を受ける。それで「プーチンって名前はかわいいのにコワモテだねー、名前と全然合ってないねー」と日本人に言うとすごく面白がられるのだけれど、人間なんでも慣れてしまうと違和感がないのだろうな。日本の「アベ」だって、フランス語の語感からいうととっても高級(高位聖職者)なイメージだしね。)
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by mariastella | 2014-06-01 22:37 | フランス



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