L'art de croire             竹下節子ブログ

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韓国のカトリックは不思議だ

フランシスコ教皇が8月中旬に韓国へ行ったことで、韓国のカトリック事情についての記事がたくさん出て、韓国の若いカトリック信徒や聖職者たちのインタビュー記事をいろいろ読んだ。

私のこれまでの韓国のカトリックについての知識は、長崎の修道会などと交流が深そうで、長崎への巡礼が多いこと、 
 
70年代から80年代にかけての秋田の涙の聖母への巡礼がたくさんあったこと、

それに付随して80年代にナジュの聖母像が血の涙を流して大騒ぎになったこと(これについてはかなりくわしく調べたし、今もyoutubeで動画が見られるはずだ)、

などの他は、中公新書の『韓国とキリスト教』(浅見雅一、安廷苑)によって得た知識が主体だった。

でも、フィリピンはまあわかるとして、どうして日本とすぐそばの韓国のような国でこのようにキリスト教が盛んになっていったのかは謎のままだった。

統一教会のようなキリスト教カルトの興隆の理由も不可解だった。

上記の本でも書かれているが、抗日インテリが日本から弾圧されていたキリスト教を取り入れたとか、朝鮮戦争におけるアメリカへの恩義と憧憬だとか、韓国人の選民思想だとか、「恨」の感情とかなどのいくつかの要因がありそうだ。
韓国のカトリックの特徴は1784年中国でフランス人イエズス会宣教師に洗礼を受けた最初のカトリック信者(儒教に不満を抱いていた若い知識人)が国に帰って自己流で布教、実践し始めたということだ。

で、韓国のカトリック教会は今が最高潮であるらしい。

ソウルには240の小教区があって、320人の神学生がいて、毎年30人の司祭が叙階されるという。

1960年代終わりには30万人だった信者が今は実に500万人以上で、カトリック教会は政治的にも軍事政権時代に民主主義の牙城としての実績があったらしい。

うーん。とにかく司祭が多く誕生するのであまってしまい、教区を担当させてもらえない。助祭として何年も過ごすか、宣教師になる。

1000人以上の宣教師が世界中に派遣されている。

どちらにしても、若い司祭が教区を受け持つとしても、自分より年上の信者に神「父」としてふるまうことは難しい。宣教師になった方が力を発揮できる。

他にも、インタビューを受けた宣教師や司祭たちがあげる問題点は少なくない。

儒教の長幼の序列が根強いので、ヒエラルキーが固定して神の前の「みな兄弟」という思想が根付かない。

天の父のイメージは厳父である。

平等主義的な聖書の翻訳はイエスに敬語を使う新訳に変えられる。

聖書の中のイエスは子供に話すように教えを説く。

祈りの中で信者はイエスに最大限の敬語を使う。

ユダヤ=ギリシャ=ラテン文化から来た概念にぴったりする韓国語はなく、神学生はテキストを丸暗記する。
信者は数とヴァイタリティはあるが質はなく、「自分たちの家族のためにだけ」祈っている。

等々…。

なかなか考えさせられる状況だ。

ある神父は韓国人のカトリック熱は4つの理由があるという。

1.韓国社会が急激に変化したので人々は内的な平和を求めている。

2.南北の分離は大きな苦しみであり、人々は救世主に解決を祈っている。

3.韓国人はもともととても宗教的だ。

4.韓国人は殉教者の勇気に感動している。(1846年に26歳で殉教した最初の韓国人司祭アンドレ・キムは国民的ヒーローらしい。教皇も今回124人の殉教者の列福を司式した。)

日本でも長崎の殉教者の列聖があったけれど、韓国のカトリック殉教者にかける思いは確かに半端ではないようだ。何しろ、殉教の巡礼地の記念館では殉教者の苦しみを追体験するために首枷をはめてもらったり、十字架に縛られて棒でたたかれたり膝を砕かれる真似をしたりすることができる。

まあ、アメリカにもキリストの受難のテーマパークがあったりフィリピンでも復活祭に十字架につけてもらう人がいたり、世界各地で十字架を背負って歩く人がいたりするのだから、そのヴァリエーションかもしれないが、少なくとも日本的な感覚ではない。

日本だとキリスト教が「欧米の宗教だ」というイメージもあり、十六世紀以来の「帝国主義」の侵略と結びつけられた歴史があるし、今でもそういう偏見はある。一方、戦後の非宗教的な日本社会で韓国の統一教会が広がった歴史もある。

イエズス会のフランスシスコ教皇は日本に宣教師として行くことが夢だったそうだ。

隠れキリシタンの歴史に感動したからだと言う。

来年はその隠れキリシタンが長崎でパリ外国宣教師のプチジャン神父のところに現われた「信徒発見」150年記念のセレモニーがある。

フランシスコ教皇は、ひょっとして本当は来年日本に行きたかったのかもしれないなと、ちらっと思う。
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by mariastella | 2014-08-31 02:37 | 宗教

フランシスコ教皇と「正義の戦争」?

中東でISISあらためイスラム国が、キリスト教徒(ここらは初期キリスト教の発祥地エリアのひとつでイスラム教が生まれる前からのキリスト教共同体がある)や他のマイノリティ宗教(イェジディ)の共同体の人々を激しく攻撃している。

「イスラム国」は人々に、イスラムに改宗するか、税金を納めるか、さもなくば死、あるいは消えるかという選択肢を与えると言っている。実際は多くの人が殺されているし、逃げるしかないので、フランスをはじめヨーロッパの国がビザを発行して亡命を受け入れはじめている。

これが、例えば日本の江戸時代だとかで、マイノリティの新しい宗教であるキリスト教が取り締まられて、「踏絵を踏まないと殺す」と言われたのなら、踏絵を踏んでしまう人は多いだろう。

まあ日本の場合個人の信仰というより「家の信仰」が重要だったから、主君や父親がキリスト教徒になっていてそれを放棄しない時に家族や臣下が棄教するのは難しいと思うが。

そういう仲間内の縛りがなければ、踏絵を踏むくらい痛いわけではないし、「踏絵踏むべからず」という戒律があるわけでもなし、形だけ従っておこうという人もいたと思う。実際それで何百年も隠れキリシタンであり続けた人々もいたわけだ。

しかし中東のキリスト教共同体の人々は、突然攻め込んできた重装備のジハディストという名の過激派多国籍軍(イギリスやフランスの二重国籍の人も多い)から、改宗して戒律に従えと脅迫されるのだから、これは事実上、「改宗します」とか金を払います、などというレベルでやり過ごせるものではない。ただひたすら、殺されないために家も土地も捨てて逃げるしかないわけである。そのような逃避行の途上で多くの犠牲者も出る。

こういうまるで「歴史上の数々の蛮行」で過去のもののような気がしていたことが、リアルタイムですぐ近くで起こっていて、ジハディストのプロパガンダまでもウェブで一斉に流されている状況は衝撃的だ。

で、これまで、パウロ六世からベネディクト一六世まで「二度と戦争してならない」と一貫して、中東などへの「武力介入」もきっぱり批判していたカトリック教会なのに、8/13に、フランシスコ教皇が国連に「イスラム国」が非武装弱者に一方的に襲い掛かる蛮行を終わらせるようにと頼んだという声明を出した。

それで、ついにヴァティカンが武力行使にゴーサインを出した、正当防衛の「正義の戦い」権を発動した、などと話題になっている。その時点では、どうやって「終わらせる」かについては言及されていなかったからだ。

これについて、韓国からローマにもどる飛行機の中でインタビューを受けた教皇は、自分は「止めるべきだ」と言っているので、報復しろとか相手を攻撃しろと言っているわけではないこと、そしてこれは個別の国家が判断すべきことではなくて、国連による合議のもとに「止める」手だてを求めるべきだ、と言っているのだと答えた。

しかし、結果的には、これは教皇がたとえば今のアメリカによる「空爆」を支持しているのだと解釈する人もカトリック内部にいる。「教皇はルビコン川を渡った」というのだ。(むしろ支持されている。)

しかしイスラエル軍のガザ攻撃にも、シリアの内戦状態にもこういう言い方をしなかった教皇が「一線を越えた」かに見えることで、カトリック界には、他のものは「ヴァイオレンス」ではあったが、「イスラム国」によるマイノリティの攻撃は「ヴァイオレンス」から「悪」に踏み込んだ、とその質の違いを語る言説が現れるようになった。

我々が前にしているのは、もはや「暴力」ではなく「悪」なのだ、という。

プーチンの詭計やロシアに「誇り」を取り戻そうという姿勢については、話し合うこともできる、イスラエル=パレスティナの蛮行については合法的に異論をとなえることができる、しかし「イスラム国」やナイジェリアのボコ・ハラムらの蛮行は、「悪」の問題を突きつけるというのだ。

いわゆる西洋諸国の論壇は、ナチスが解体して以来、もはやスピリチュアルな「悪」という言葉は宗教的でアルカイックな概念であるかのように、不問に付してきた。

実際9・11の後でブッシュが「悪の枢軸」などと口にした時は「十字軍」発言とともに、冷たく批判されている。世界との関わり方は環境にしろ地政学にしろ、科学主義や合理主義と共にアプローチすべきで、「善悪」などという物差しは公の言葉、思想の言葉として封印されていたのだ。

レバノン内戦やカンボジアやルワンダの虐殺を前にした時も、それはなかなか表に出なかった。けれども、今や、政治的、外交的な対立とは別の次元の「悪」が、思想信条のレベルではなく、「民主主義先進国」に切り込んできた。それらの国が「生命」とか「死」とか「他者」などと、どのような関係を結ぶのかという問いを突きつけてきたというのだ。

ある論者(Jean-Claude Guillebaud)は、しかしそれは、「悪」に対して「善」の側に立てという鼓舞ではない、という。「善」を勇ましく掲げる者もまた「異種絶滅者」になるかもしれないからだ。

彼はリタ・バセットの

「悪の反対は、善ではなく、le sensだ」

という言葉を引用して賛意を表する。

le sens とは何だろう。「意味」だろうか、「感覚」だろうか。

判断力、思慮、感得力だろうか。

周りに見えたり起こったりしていることを「感知」してそれがどういう意味かを考えることだろうか。

生きていないと「感知」はできない。生きて、感知して、生の意味を考えることだろうか。

抵抗する人を問答無用で処刑する人が、相手の生や死の意味など考えていないというのは確かだろう。

この含蓄のあるフレーズをすんなり翻訳できないのが残念だ。
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by mariastella | 2014-08-24 00:14 | 宗教

アンドレ・テシネ『愛され過ぎた男』L'Homme qu'on aimait trop  André Téchiné

アンドレ・テシネ『愛され過ぎた男』L'Homme qu'on aimait trop  André Téchiné

この映画は今年のカンヌで特別上映されたものだけれど、観るかどうか迷っていた。

ベースになっている30年来の事件が最近も話題になったところで、中心人物のアニュレは「冤罪が晴れる」というのとは別の意味で訴訟世界の「奇跡の男」と呼ばれている。
被害者の遺体が発見されないままで殺人犯として告発されたり、無罪放免になったり、再審されて20年の懲役になったり、息子や愛人に告発されなおしたり、ヨーロッパ法廷がフランスを断罪したり、今年になるとマルセイユの刑務所から出た男が、服役中知り合った囚人から「自分が真犯人だ」と明かされた、と証言したり…。

関係者は、ニースの豪華カジノの女性パトロンとその娘、弁護士、「賭け事のナポレオン」と呼ばれたマフィアのボスという派手な人物たちだ。

で、この手の話に興味をもって入り込めるかどうかよく分からなかったのだけれど、予告編でカトリーヌ・ドヌーヴの姿になんとなく驚いたので興味を持った。

結果は、「一見の価値あり」というところ。

ドヌーヴの演じるカジノの女主人は事件当時の1976-77年にかけては50代半ばであったはずなのだけれど、現在70歳のドヌーヴがむしろ老け役をしているのではないか、というような貫禄ぶりなのだ。

創業者の未亡人ルネが社長に納まって会社を取り仕切る設定はなんだか『Potiche(しあわせの雨傘)』の役どころを思わせて、カッコいい展開になるのかと思うほどだが、ここではすべて裏目に出る。
この時の彼女のファッションが完璧にセットされたプラチナ・ブランドの髪に暖色系のきらきら衣装なのだが、それがかえって体の重さを感じさせて老けて見える。

対して、20代終わり、5年の結婚生活が破綻してアフリカから母のところに出戻ってきた娘アニエスは、暗い色の長い髪を垂らしたままで化粧気がなくて顔色が悪い。服もいつも黒いカジュアルなもの。アデル・エネルが名演で、ドヌーヴとの対照がすごい。

ルネの顧問弁護士でルネの命令でいつも三つ揃いのスーツを着ているモーリス・アニュレ。

これがギョーム・カネで、この人がこんなに名優だとは知らなかった。
女たらしのこのアニュレとアウトドア派のアニエスははじめはまったく釣り合っていないのだけれど、アニュレは巧妙に10歳年下の娘の心をとらえてしまう。

まあいろいろあるのだけれど、このアニュレが、ルネに解雇されてからアニエスをそそのかしてカジノをフラトーニというマフィアのボスに売ってしまおうとする。
アニエスは父から受け継いだ株をもっているからだ。
その時フラトーニはフリーメイスンだというコメントが映画の中であった。
資料によるとアニュレもフリーメイスンだというから、彼らはロッジで知り合ったのだろうか。スイス、モナコ、イタリア、ニースあたりの銀行やカジノの流動性とフリーメイスンのロッジは関係があるのかもしれない。

アニュレに陥落されてからのアニエスは服の色が急に明るくなる。最後の重役会で母を裏切るときも明るい服で髪は後ろにまとめられていて、ルネの方が暗めの服になっている。

で、その後アニエスが行方不明(1977秋)になり、ルネはアニュレが娘を殺したと確信し、すべてを投げうって(映画ではスルーされているが実は息子もいてルネを支える)、警察の無能力を訴えたり、マフィアを告発したりしながら、20年後、30年後まで、執拗にアニュレを追い詰めるのだ。アニュレが「弁護士」で「フリーメイスン」で「人権擁護連盟のメンバー」であったことによって守られてきた事実は否めない。

フラトーニもこの事件以来告発されたがイタリアやスイスに逃げた後ですでに世を去っている。

ところがアニュレは、裁判所から出頭命令を受ける度に、外国からでも律儀に戻ってきて堂々と容疑を否定する。

ここで、設定として、70代半ばになったルネや80代半ばのルネが登場する。
アニュレの方も60代半ばや70代半ばだ。
アニュレは自然体で悪びれない。
ルネの方は、化粧気がなくなり、黒い服になり、髪は暗いネズミ色になっている。
このドヌーヴがすごい。

実際のルネはきっちりセットされた白髪がむしろ明るい。

これが2007年86歳のルネ


これがアニュレ。


これが2014年あらたな訴訟のアニュレ76歳。


若いころはこんな感じ


なんというか、この関係者たちのリアルの姿を見ていると、もうすごくキャラが立っているというか、特別な人たちだと思う。
アニュレが一種の「人たらし」として堂々としているのもすごいし、絶対にあきらめない執念のルネさんもすごい。

これらのリアルの人たちの濃さに負けずに命を吹き込んだ俳優たちの技量は大したものだし、アニエス役のアデル・エネルもすごい迫力だ。

それに加えて、1970年代のニースの風景やカジノや海岸も懐かしい。
私が最初にニースに行ったのは1977年春だったから、その時、この登場人物たちも皆いたわけだ。

それに今となっては、こういう少し昔のシーンを見るといつも思うのは、ああ、あのころは携帯がなかったんだなあ、ということだ。携帯や携帯メールがあればまったく違う展開になっていた事件はたくさんあるだろう。

テシネには他にも実際の事件をモデルにした作品があるがなんだかそれも見たくなった。
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by mariastella | 2014-08-18 00:23 | 映画

第二次世界大戦

毎年8/15が日本の「終戦記念日」ってことは刷り込まれているけれど、今年はフランスでも、プロヴァンスに連合軍が上陸した70周年で、ノルマンディ上陸作戦に続いてセレモニーがまたメディアに大きく取り上げられた。オランド大統領は、第一次大戦開始100周年と、第二次大戦の終結70周年(正確には来年だけれど、フランスにとっては連合軍によってドイツ軍を追い出してド・ゴールがパリを取り戻した1944年の夏の意味が大きい)を目いっぱい利用している感じだ。

第一次大戦はさすがに「生き残りの兵士」というのはいなくなったので、今は90代に突入して次の節目80周年にはさすがにもう証言を聞けないだろうという第二次大戦のベテランたちがクローズアップされている。

で、前にも健康ブログの方に書いたのだけれど、映像番組などでそういう旧軍人の方々が出てくるたびに生命力に圧倒される。

そんな時、NHKの番組のペリリュー島の戦いについてのドキュメンタリーをyoutubeで見た(5パートに分けられている)。

出口なしの島で、日米の「精鋭部隊」が最後はもう何の意味もないほどの死闘を繰り広げて、日本軍1万人のうち生存者は34人とかいうのだから悲惨だ。このドキュメンタリーでは、日米とも数名ずつがインタビューに答えている。

どちらの側も、ある意味で似ている。

心身ともの強者、運も強い人たち。PTSDなどのコンセプトもケアもなかった頃に、深いトラウマを受けて「人生はそこで止まった」とまで言う人もいるのだけれど、ここでインタビューされている人たちのサヴァイヴァル能力に感嘆する。

もちろん「その後の人生」で病気や事故でダウンした人もいるだろうし、今の生存者でも、老衰、心身の衰弱のせいでインタビューを受けられる状態にない人もいるだろうから、この番組に出てくる人は「強者中の強者」である。

そうなると、皆、似てくるのだ。

ひどい体験も憎しみも恐怖も狂気も、時に濾過され、生存戦略によってアレンジされる。

第一次大戦のベテランたちは、そのまま第二次大戦も体験してしまったので、証言が聞けた時代の語りのニュアンスや印象はまた別だった。でも第二次大戦のベテランで今生きている人たちは皆第一次大戦後に生まれた人たちだ。記録に残るペリリュー島に派遣されたアメリカ海軍精鋭部隊の若者たちは、最初は若さの持つ楽観と自信、意欲に満ちているように見える。

その後に来る不条理な、悪夢のような展開は予測していなかっただろう。

日本軍の兵士はアメリカ人よりはもっと「玉砕」の覚悟などを刷り込まれていただろうけれど、仲間に処刑された人がいるのを見ると、投降や逃亡など不服従に走った人もいたのだ。

そういうものをすべてすり抜けて、生き延びて、その後もさらに70年も生きてきた人たち。

その姿に一番考えさせられた。彼らが「死」とどうやって付き合ってきたのか、「殺した者」や「殺された者」たちとどうやって折り合いをつけてきたのか、つけてきていないのか、それが「生き方」や「生き延び方」にどう関わっているのか、もっと知りたい。でも、もう時間はあまりない。
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by mariastella | 2014-08-17 21:03 | 雑感

リュック・ベッソンの『ルーシー』

観た映画がたまっているけれど記録を残している暇がない。

前に観たのはだんだん記憶が薄れてきた。

最近行ったのはリュック・ベッソンの『ルーシー』。
ひとこと書いとこう。

一応フランス映画だけれど、ベッソンだからアメリカ映画風になっている。それでも舞台が、パリはもちろん台北も行ったことがあるから見ていて何となくリアリティがある。

特殊撮影の技術が進んだもんだなあ、という感慨はあるが、アトラクション・パークの中でやっている映画みたいだ。

時間と空間のスケールは特撮で大きく見せてくれるけれど、実際のストーリーの展開は台北とパリだけでこじんまりしていて、言っていることが大げさなわりにはシナリオは伏線もなくて単純だ。

残りの人生、ヴァイオレントな映像のあるフィクションはできるだけ見るのをやめようと決めていたのに、殺人はもちろん、手術シーンが多かったり、手をぐさりと突き刺したり、血しぶきは飛びまくるし、かなり後悔。

じゃあなんで見に行ったかというと、テレビでベッソンが、モーガン・フリーマンとスカーレット・ヨハンセンがシナリオにほれ込んださまを話していたからだ。特にスカーレット・ヨハンセンの取り組み方はすごかった、と。

で、ヨハンセンは確かにかわいかったけれど、それより印象に残ったのは、なんだか人種のステレオタイプが総花式に出ていることだった。

知性と良心とシンボルみたいな役どころが黒人の老人フリーマン。

超能力を得るヒロインが金髪の若い女ヨハンセン(名前から分かるがデンマーク系。母はポーランド系ユダヤ家庭出身らしい)。

そしてパリで彼女と行動を共にするのがなんだかパリの警察にもいかにもいそうなアラブ系風で、エジプト人のアムール・ワケド。

彼女を最初から最後まで追い回すのが中国マフィアかなんかの集団で、この親分が韓国俳優。

この暴力集団がアジア系というのは本当にこわい。

フン族が攻めてきたときに、ヨーロッパ人はその外観に恐れたという話がある。アジア人の体毛やひげが薄いのは、幼い時に火で焼くからだという流言がとびかったというのだ。

日本で金髪碧眼の西洋人が「鬼」に見えたというのも分かるが、西洋でのっぺりして表情の動きの分からないアジア人が薄気味悪い、こわいというのも分かってきた。

実際、ヨーロッパに住んでいると、例えばガードマンなんかはたいてい大柄な黒人が雇われるのだけれど、そして彼らに比べてアジア人はおとなしそうに見えるのにかかわらず、グループになっていると、なにか別の得体のしれない怖さがあるのが今は分かる。

観光客ではなくて中華街などでの話だ。

もちろんそれはただの偏見なのだけれど、自分がアジア人の私ですら、「ヨーロッパの街の中でつるむアジア人」というステレオタイプの「効果」をキャッチするのだから、こんな映画で、アジア人ギャングみたいなのが一斉に病院だの大学だのに押し寄せてくると、狙いが当たり過ぎて怖い。

アメリカ映画でアメリカ人監督が人種の多様性を出した大作を作れば何となく例の「政治的公正」さに配慮した感じがするのに、ベッソンの配分って、政治的じゃなく商業的でアニメのキャラみたいだ。

ともかくそういう人種の商業的配分が一番印象的だった。

テーマについては「科学的」なそれも「哲学的」なそれもあまり琴線に触れない。

ただ、近頃量子意識学や量子力学における電子の意志論(by 山田廣成さん)にはまっているせいか、エントロピーのたがが外れ気味でいろんなものを見たり感じたりするようになったので(しかし明確ではないのでほぼ何の役にも立たない)、ヒロインが最初の方で体験するような部分は実感として分かる。

人間が脳の10%しか使っていないという神話はMRIなどの画像や、使わないニューロンを自己破壊するシステムが2012年に発見された(つまり90%も使っていなければ脳は委縮することになる)によってとっくに滅びたと思っていたが、映画にはたびたび登場する。CPH4という分子はこの映画のためにつけた名前だ、専門家に聞いて科学的真実と嘘とをうまく配合していろいろ本当らしく見せたとベッソンは言っている。

それよりも、映画の終わりで、フリーマンが人間はルーシーが残してくれた情報を使う準備がまだできていないのでは、と懸念すると、「カオスを作るのは無知であって知識ではないわ」と彼女に答えさせているのが彼の信条らしい。

啓蒙主義的オプティミズムの人だなあ。

すでに人間はカオスを避けるために、手持ちの知識をその都度組織しているのだから、フリーマンがおそれるのは、また別の意味だと思うのだけれど・・・
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by mariastella | 2014-08-16 07:48 | 映画

韓国訪問のローマ法王

今フランシスコ教皇が韓国を訪問中だ。

彼のスケジュールで一国に5日間というのは例外的に長い。

韓国はパーセンテージにしたらキリスト教が30%で最大宗教なんだそうだ。

カトリックは12%だが、同一首長を仰ぐ宗派としてはこれも最大級だろう。

で、このところフランスのカトリック関係の雑誌にも韓国特集があって、教皇がヴァティカンで元従軍慰安婦を謁見して慰めている写真などが載っていて、日本人としてはなんだか複雑な気がしていた。

8/14の到着時も、韓国の朴大統領が満面の笑みで迎えたのが報道されている。

まあ、教皇が「元従軍慰安婦」をいたわるのはある意味当然だろう。

なぜなら、彼女らは教皇よりもかなり年配の老婦人ばかりで、「従軍慰安婦」だったのかどうかは別にしても、その世代の女性が第二次大戦や朝鮮戦争で十分苦しんできたことは事実だから、「弱者に仕える」のは教皇としてまっとうなことだからだ。

韓国には過去に反日イデオロギーむき出しの枢機卿もいたようだけれど、日本のカトリック教会と親しくつき合う高位聖職者も少なくないし、「秋田の聖母」への巡礼熱もすごかったし、長崎のコルベ神父記念館にも訪れる。日本のカトリック信者は0,4% というマイノリティだけれど、少なくともその部分とは十分連帯が感じられる。同系の修道会同士のつながりはもちろん強い。

教皇は今回、特に若い世代の信者に対して平和を訴えようとしている。

少なくとも、フランスのメディアのインタビューを受けた若いキリスト者や神学生たちはイデオロギー的でないし、平和や友好や赦しや連帯についてとても頼もしい健全な考えを披露している。

そういう若者たちが中心になって東アジアの真の平和に貢献してほしい。

フランシスコ教皇になってから中国の天主教愛国会とも歩み寄りが進み、地下に潜っているカトリック信者もフランスでひそかに神学生になるなど、国際的に活躍している(私はもうかなり前にフランスのカトリック雑誌のためにそういう中国の青年の一人と対談のようなものをしたことがある)。

北朝鮮にも表向きには、ともかくカトリック教会がちゃんと存在している。

これらの国の若いカトリック信者たちが、普遍主義、平和主義で連帯できるとすれば、共産圏の中のカトリック国だったポーランドやハンガリーから鉄のカーテンがほころびだしたように、将来に希望をつなげるかもしれない。

カトリックのネットワークというのは表に出ない部分も濃密で末端までつながっているから、これまでにもいろいろな役割を果たしてきたはずだ。

今回の訪問で教皇は南北朝鮮の統一と平和について強調するようだが、セウォル号の沈没事故の時も厳しい言葉を発したように、「迎合する」というようなタイプでは全くない。

ヴァティカン市国としての地政学的に特殊な立ち位置からしても、政権の死守とか選挙対策とか他国とのパワーポリティクスの駆け引きとかとも全く関係がないので、政治生命やら他国からの経済制裁などを心配せずに平和や弱者救済のための不都合な「正論」でも堂々と口にできる世界でただ一人の国家元首だ。

韓国の国会議員の20%がカトリックで、朴大統領自身も洗礼を受けていて、中高と聖心ミッションスクールで、大学もソウルのイエズス会系ソガン大学で学んでいる。

教皇のインパクトは大きい。

キリスト教やカトリックを無視できない韓国のような国でこそ、教皇の正論の力が発揮されることを願うばかりだ。
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by mariastella | 2014-08-15 07:24 | 宗教

ゴッドファーザーがおおあわて?

就任以来、八面六臂の活躍のフランシスコ教皇(近頃は体調不良で病院慰問のキャンセルなどが重なり心配だけれど)は、貧困との戦いや環境問題や平和への呼びかけばかりでなくヴァティカン銀行をはじめとするヴァティカン内部の改革(財政監査のイタリア人4人から1人にしてスイス人、アメリカ人、シンガポール人を入れるなどイタリア離れも推進)にも本格的に手をつけ、まさに「聖域なき改革」という勢いだ。

いや、ヴァティカンは文字通り全部聖域って感じなのでしゃれにもならないが、そういうところこそ腐敗していくのが世の常かもしれない。

で、その改革にはマフィアとの癒着の粛清や戦いもある。これまでの教皇もたとえばファルコーネ判事を殺害したシチリア・マフィアをヨハネ=パウロ二世が非難してラテラノ教会を含むテロを仕掛けられたし、ベネディクト16世も殺害されたパレルモの司祭を列福しているし、非イタリア人教皇になってからは特にマフィアとの関係は緊迫していた。

で、あの「聖域なき」フランシスコ教皇なので、6/21に、カラブリアでマフィアの犠牲者を追悼し、

「ンドランゲッタ(カラブリア州のマフィア)は悪を崇拝し共通善を侮っている。マフィアは神との交わりの状態にない、だから聖体を拝領させない」とあっさり破門してしまった。

それを受けて7/6の日曜に、ラリーノ刑務所では200人の服役者が「聖体を拝受できないのなら意味がない」と司教の司式したミサの出席を拒否した。

7/2にカラブリアで聖母子像の行列があったとき、輿を担いでいたマフィアたちはわざわざ遠回りをしてマフィアのドンの家の前を通ってマドンナ像を傾けて礼をさせてみせたそうだ。82歳のドンは終身刑の確定犯だが健康上の理由で自宅監禁になっているのだ。

で、ついに、今回は、マフィアのゴッドファーザーたちに10年間、洗礼や堅信礼の儀式に出席禁止という処置を決める話が出ているらしい。

私はここのところに反応した。

キリスト教と縁の薄い平均的日本人にとっては、いわゆる洗礼親、代父、代母などという言葉は映画『ゴッドファーザー』を通して知るものかもしれない。確かに、マフィアの親分が、子分たちの子供が生まれたら名付け親になり親代わりになるというシーンは映画を通してなじみがある。

しかし、それは、当然だけれど、カトリック教会の秘跡のひとつだ。つまり神によって祝福されたというか、聖霊によって結ばれた関係だという側面は実感していなかった。

日本のやくざなら、これも東映のやくざ映画でしか知らないけれど、親分子分や兄弟分になる儀式は、せいぜい互いの血を少したらした酒の盃を腕を交差させて飲む、というシーンしか思い浮かばない。仏教とか神道とか既成の宗教のプロや典礼を利用しているという感じではない。

それが、マフィアの擬制家族関係は、ある意味で血よりも濃い洗礼の聖水や堅信礼の聖油によって、担保されているのだった。そのシンボリックな意味が彼らにとって大切だからこそ、カトリック教会が10年間の出入り禁止で対抗することに意味があると考えているわけだ。

マフィアはカトリック教会と、いったいどのくらい長い間癒着してきたのか、あるいは利用してきたのか、あるいはすっかり「マイ神様」「マイ教会」「マイ・マドンナ」化してきたのか、まさか、教会から出入り禁止などとは露ほども思っていなかっただろう。

やくざとかマフィアとかの暴力組織は、義理や忠誠はもちろんだが迷信深いというか験を担ぐというか、「聖域」っぽいところやものと親和性がある。キリスト教のメッセージなどとは関係なく、別の意味で、つまり、神やマドンナの加護を願うという意味で、彼らは本気で「信心深い」のかもしれない。

20世紀にマフィアをイタリア本土からシチリアに追いやって制圧したムッソリーニが当時のローマ教皇をヴァティカンに閉じ込めた独裁者でもあったことなどもつい思い出してしまった。

フランシスコ教皇は人々と気軽に交流するせいで警護しにくい人物として知られている。

大丈夫かなあ。
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by mariastella | 2014-08-02 02:19 | 宗教



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