L'art de croire             竹下節子ブログ

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ヒーローという言葉(続き)

フランス語のヒーローhéroについて昨日の記事(日本時間では同日)書かなかったことがある。

フランス語に関係のない人には意味がないと思ったからだ。

すると今朝のラジオで、最近聞かれる「英雄」の言葉の使い方に私のように注目した言語学者がいろいろ解説していた。

フランス語のヒーローhéro(エロ)はシーザーがガリアを征服した時に持ってきた言葉でHを発音しなかった。
フランス語にはこの他にゲルマン語から来たHで始まる単語があって、これは発音された。

実際は今のフランス人はどちらも発音しないので、ちがいは定冠詞がついた時に単数ならダッシュがつくか、複数なら読むときにリエゾンするかしないかによって区別する。

héroはラテン系の言葉だから当然l’ héro (ㇾロ)とかles héros(レ・ゼロ)となるはずで、

実際ヒロインの方はl’héroïne(レロイヌ)とかles héroïnes(レ・エロイヌ)と読むのだけれど、男の英雄の場合はリエゾンさせるとles zéros(レ・ゼロ)と同じ音になるので混同を避けるためにゲルマン由来のHと同じ扱いでle héro(ル・エロ)とかles héros(レ・エロ)と読むことになった。

というのは私が何十年も前にソルボンヌのフランス語講座で習ったことだった。

今朝のラジオの解説も同じだったのだけれど、その理由が単に「混同するから」ではなくて、政治的な意味があるからだと言っていた。

なるほど単に混同なら同音異義語なんていろいろある。

けれども、ヒーローはもともとはギリシャ神話の半神半人のヘラクレスなど「英雄」が活躍する時代からくる言葉だ。

だから、歴史上の偉大な戦士つまり征服者を「半神半人」に例えて賛美する言葉になったので、

「oo王とxx王は英雄だった」という時に「oo王とxx王はゼロだった」となると英雄どころか普通以下、ゼロなのだから支配者にとって非常に都合が悪かったわけだ。で、無理やり文法を変えた。

これなら分かる。

では、テロを防いで先週から賛美されている「謙虚」との関係は ?

というと、これはフランス語特有の含意でコルネイユから始まったのだそうだ。

つまり「勇気」と「魂の高貴さ」がセットとなったものだ。

そういう含意のない単に「人間離れした強い勝利者」というのがギリシャ神話由来で、
「謙虚な勇者」というのがコルネイユ由来ということになる

日本語の「英雄」にはギリシャ神話由来の方の意味が圧倒的だと思う。

でも昨日書いたように今のカトリック教会が尊者の条件に「英雄的な徳の実践」という時には明らかに「謙虚」が入っているのだから、コルネイユ型の「英雄」の定義は、少なくともカトリック系文化圏では定着しているのだろう。

さらに調べてみたいところだ。

昨日Arteで「アートの王ルイ14世」という番組を見たが、ルイ14世がセルフ・プロデュースをするにあたって、最初は太陽王、アポロン、アレキサンダー大王などのイメージと同一視した画像を連発したけれど、ヴェルサイユの鏡の間を造る時に、今度は「ヘラクレスの偉業の画によって王の偉大さ暗示する」という案を拒否して、自分自身の業績をフランス語(それまではラテン語だった)のタイトル付きで描かせたとあった。

それが他の国にとってあまりにも屈辱的なので1871年の普仏戦争の後では勝ったプロシャが鏡の間の「ライン越え」の前でフランスに署名させた、1919年の第二次大戦後には同じ場所で今度はフランスがドイツに降伏の署名をさせた。
20世紀になってもオランダ女王が鏡の間に入ることを拒否した、などとても政治的な場所だと言っていた。

鏡の間の造成の時期、アポロンはもちろん、アレキサンダー大王とかヘラクレスとか、たんなる勇者の英雄という言葉から変わって、フランス語の「英雄」には「有徳」が含意になっていたので、ルイ14世も、ただ強いだけの半神半人に例えられるのは嫌で、「自分」こそ新しい真の英雄だとしたかったのかもしれない。つまり「徳」があると。

その「どこが謙虚だ」と思うかもしれないが、彼は年をとるにつれてカトリック教会に精神的にすり寄るようになっていたので、コルネイユを使って「英雄とは魂も高貴な人」という新しい定義を打ち出したのかもしれない。

そのあたりでフランス風の「英雄的徳」というのがカトリック教会でも「聖性」の含意になったのかもしれないと想像するが、どうなのだろう。

(今日の日本の国会前デモがどうなったのか気にしながら書いてます)
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by mariastella | 2015-08-30 17:23 | フランス語

「英雄(ヒーロー)」という言葉

アムステルダムからパリへ向かう国際列車に重武装のテロリストがベルギーから乗ってきて乗客らを襲おうとしたのを休暇中の米兵やイギリス人、フランス人の乗客が素手で取り押さえたというニュースがあった(中には傷を負ってまだ入院中の人もいる)。

お手柄の乗客らはアメリカでもフランスでもすっかり英雄扱いされている。

身の危険を感じなかったか、との質問に彼らは異口同音に何も考えず夢中だったと答えている。

身の危険と言えば、そこに居合わせた人たちは皆この世の終わりだと思ったというのだから、当然感じていただろう。

そこであきらめるか逃げようとするか、自分だけ助かろうとするか、結果的に自分も他の人も助けようとして反撃するか、それは人ぞれぞれの性格、力量、情況(赤ん坊連れだとか体が不自由だとか)などによってリアクションが変わってくる。

この時はたまたま若くて戦闘訓練も受けている人たちもいたので良い結果になった。

で、この時に「英雄の条件」というのがあらためて問われて、それは「謙虚」だというのがあった。

彼らがみな「自分たちはその時できることをしただけだ」と言っている、その謙虚な姿勢が多くの人の共感を得たのだ。

「謙虚」というのは見返りを求めない、損得の計算をしない、ということでもあると。

なるほど。

日本語の英雄というと、「英」は秀でているという意味だから、人格的に優れた者が「雄々しい」行動をした、ということなら、ヒーローと重なるが、どうも「雄々しい」という印象が勝っている。

「華々しく雄々しい」方が英雄視されそうだ。

カトリックで聖人の称号を与えるための列聖調査というのがある。

候補となる人(亡くなって5年以上たっている必要がある)を実際に聖人の列に加えるまでに、福者というタイトルがあり、その前には「尊者」という段階がある。(尊者と福者の認定が同時に出ることもある)

日本人では「蟻の町のマリア」と呼ばれた北原怜子さんが今年初めにヴァティカンから尊者のタイトルを送られた。

その基準に、信仰、希望、愛、賢慮、正義、勇気、節制という7つの徳を「英雄的に」生きたかどうかというのがある。

私はいつもこの「英雄的」という言葉に違和感を抱いていた。

日本語の「英雄」に、なんだか戦場で手柄を立てた勇者や競技場での勝利者みたいな華々しいイメージ、そして「雄」の字のせいで雄々しいイメージを抱いていたからだ。

靖国神社にまつられる「英霊」などという言葉も命をかけて勇ましく戦ったという含意を感じてしまう。

で、北原怜子さんだの、若くして修道院で死んだリジューの聖女テレーズなどには似合わない言葉だと何となく思っていたのだ。

でも、キリスト教世界でのヒーローとかヒロイックとかいう言葉には「謙虚」という含意があったわけだ。

それならすんなり分かる。

今は、誰でも自分の手柄だの所有物だの幸運だのをウェブにアップして見せびらかせるような時代だ。

それどころか、犯罪者が犯罪を広く劇場型にする時代だ。

アメリカのテレビで生中継の間に2人を殺して、それを犯人が自分でも撮影してネットに投稿するという時代でもある。

テロリスト・グループさえ自分たちの蛮行をビデオに編集して「英雄」気取りで「聖戦」参加者を鼓舞してリクルートするような時代なのだ。

「謙虚」な人は無視されたり踏みつけられたりする。

でも、今もどこかで、世間に知られることなく希望と愛と勇気をもって「悪」と戦い弱者のためにひっそりと尽くしている「英雄」たちも、世界にはたくさんいるのだろう。

それは派手でもなく華々しくもなく、目につかないけれど、持続し、継承されれば少しずつ大きな力となっていくものなのかもしれない。

「群衆は鉛の海で、火には容易に融けるが、動かすには重すぎる」と言ったのはリストだけれど、「英雄的な徳」の連鎖なら、いつかそれを動かすことができるのだろうか。
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by mariastella | 2015-08-30 00:27 | 雑感

妹たち ―― BHLの妹とアンリ・ベルクソンの妹

BHLと言えば、1970年代のフランスに登場したメディアに強い若手nouveaux philosophes(新哲学者)たちの中でも、アンドレ・グリッュクスマンと共に21世紀の今も影響力の大きいベルナール=アンリ・レヴィのことだ。

BHLは富裕家庭出身のエリートで、奥さんがユニークな女優のアリエル・ドンバルで、政治的な言動も多い。
セゴレーヌ・ロワイヤルやDSKを応援したこともあるし、リビアのカダフィ掃討作戦などに率先して加わりサルコジを称賛した。
演劇、映画、アートの世界にも強く、全方位型の目立ちたがり屋でもある。

レヴィという名から分かるように、先祖がラビであるユダヤ人だ。

ところが、今年3月彼の妹ヴェロニックが本を出して話題になった。

彼女は団塊の世代の兄より20歳若い。華やかに活躍する兄BHLと、20歳で自動車事故に会い後遺症が残ったもう一人の兄の陰で成長したヴェロニックは、いわゆる「非行少女」になった。

酒、ドラッグ、男、夜の街。

ところがそんな生活を送っていた彼女がある時イエス・キリストに会うという「神秘体験」をして「回心」し、2012年にノートルダム大聖堂で洗礼を受けた。

由緒あるラビの家系のユダヤ人なのに。

その回心ぶりも激越で、「イエスさま、全部あなたのためにこうします」と言いながら大きなゴミ袋にハイヒールやガーターベルトや体にぴったりしたドレスなどを全部捨てたという。

派手な生活から一転して、イエスと結婚したと称し、祈り三昧の生活、ノーメークで金髪をお下げに編んだ姿はまるで少女のようだ。

その体験談を出版し、メディアにも出まくって、一躍時の人というか、それでもなんだかコスプレをしているかのように斜めに見られることもある。

 このようなヴィジョンを得て「イエスさま命」となった女性や修道女は昔からたくさんいるのだけれど、この時代に、あのBHLの妹が、何でまた ? と不思議で、家族の歴史をいろいろ調べてみてしまった。

で、その時に、どうしても思いが至るのが、哲学者アンリ・ベルクソンの妹モイナ・ベルクソンのことである。

ベルグソン兄妹もユダヤ人だった。

ポーランド系ユダヤ人の父とイギリス系ユダヤ人(アイルランド人という説もある)の母のもとに生まれた7人の子供のうち2番目と4番目でアンリ・ベルクソンは1859年パリで生まれたが、その後、作曲家でピアニストだった父が1863年にスイスのコンセルヴァトワールに職を得て移住したのでモイナ(結婚前はミナ。スコットランド人と結婚後にスコットランド風に変えた)は1865年にジュネーヴで生まれている。

まもなく1866年に再びパリに戻り、父はオペレッタを作曲して上演もされたが、結局一家はロンドンに引きあげる(フランス語の資料では1869年で英語では1873年とあった)。

その時にアンリだけがパリのリセ(中高一貫)の寄宿舎に残ったというから、彼の上は姉で、アンリが長男だったのだろうか。毎夏はロンドンで過ごし、母が亡くなるまでは毎週手紙を書いていたという。

モイナの方は両親とロンドンに戻った後、オカルト教団の「黄金の曙」団の創立メンバーである男と出会い結婚する。(黄金の曙団はカバラ、錬金術、神託などを実践する19世紀末からのオカルトブームの代表のひとつでアレイスター・クロウリーなどが有名だ)

その結婚は性的関係を放棄したスピリチュアルなもので、モイナも教団の中心人物としてシビルの巫女、アイルランド女司祭の生まれ変わりなどのいろいろな役割を果たして予言などをした。

絵の勉強をした画家でもあり多くの作品を教団のために残したが、最後はすべてを破棄し、断食行に入って1928年に死んだ。

兄のアンリがノーベル文学賞を受賞した次の年のことだった。

BHLと修道女風の妹ヴェロニック、アンリ・ベルクソンと古代の巫女風の妹モイナ。

形は違うけれど、何かねじれた因縁めいたものを感じないでもない。
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by mariastella | 2015-08-29 07:45 | 雑感

石黒耀『死都日本』、ベルトラン・ピカールの「グリーンからクリーンへ」、

石黒耀『死都日本』(講談社文庫)を読んだ。まだ東日本大震災やフクシマ事故も起こっていなかった2002年に最初に出た本だそうだが、今、いかにもタイムリーだ。

最近箱根の噴火の兆候とか桜島の噴火だとか、私にとってなじみ深い火山の不穏な動きのニュースを聞いて気になっていた。

特に桜島は川内原発の再稼働のニュースを聞いていったいどうするつもりだろうと思っていた。


この小説でも霧島火山の破局的噴火の兆候が出た時点で政府が川内原発を廃炉にしていて使用済み核燃料をそばにおいていなかったからよかったけれどそうでなければ天災よりも取り返しのつかない放射能災害になっていたはずだとあった。


でも、逆に、廃炉にさえしていれば、その他の核廃棄物などはコンクリートより細かい火山灰によって埋め尽くされるのだから、ある意味では最強の「処理」になるのかもしれない。その意味では、「人災」の一部は運よく免れたことになる。


全編に神話や旧約聖書や黙示録がちりばめられていて人間と文化を創造したのは火山活動だったのだという話になる。ローラシア神話が火山活動の記憶を伝えているということだろうか。興味深い。


ここに出てくる「共和党」の首相「菅原」は、民主党の菅と前原の合成だとかいうのを目にしたことがあるけれど、絶対に今の日本で想像もできないほどなかなかすばらしい政治家だ。


難民対策のことは驚いた。劣化ウラン製の徹甲弾をいざという時はイギリスの原子炉に打ち込んで大量の難民を発生させることで日本難民を相対化させてアメリカに受け入れさせるというひどい戦略だが、「やろうと思えばやれますよ」という抑止力の一種を準備しているらしく、それくらいの発想があるから「神の手」作戦も可能だったのかもしれない。


古来、自分たちの土地で食べられなくなれば人は土地を捨てて移動してきた。


それは動物の集団移動と同じ当然のサヴァイヴァル活動で、資源や嗜好品を求めて異郷を侵略するのとは別物だ。それを思うと、シリアやイラクから毎日何千人とヨーロッパへ命がけで逃げてくる難民を受け入れるとか入れないとか言っているのはいかにも狭量な国家主義だと今のヨーロッパのことを考える。


いや、日本など、何代も日本に住んでいる同じアジア人でさえ日本人ではないからといって差別している人もいるのだから、その昔はアフリカから大陸移動して来たりオセアニアから流れてきた人々が各地で「ここは代々僕んちだから」などと優越性を信じたり、移民国家のアメリカなどが、新たな移民を制限したりするのは、「食べて行ける見込みがあるうちだけのはかない縄張り意識」に過ぎないのだなあ、と思う。


今大きい顔をしている北ヨーロッパだって、他民族に追われたり気候変動で暖を求めたりで南下したゲルマン民族達が陣取ってできたのだし。


帝国主義的侵略を弾劾する今時の歴史観とごっちゃになって、「侵入者よりも先住民族の生存権が優先」みたいに考えられがちだけれど、イラクやシリア、アフリカからのような「戦時遊民」「経済難民」などは地球史レベルで考えたら「国境」で食い止めるなどと言える問題ではないと痛感させられる。

小説では、結局、よその国の原子炉攻撃などという物騒な手を使わずに、菅原首相は世界の経済とテクノジーの発想を変える「神の手」作戦を発表する。これが本当にこんなにうまくいくのかはさすがに疑問ではあるが、このような「大国の崩壊」でもなければ人間による地球破壊の推進を食い止めることはできないのかもしれない。

思えば第二次大戦での二度にわたる日本の原爆被害はヨーロッパの指導層にとってすごいインパクトで、トラウマになった出来事だったから、それに続く憲法の軍隊の放棄は、たとえその目的が最初はアメリカによる日本の戦力解体なのだったとしても、うまくやれば「死都日本」のように災厄に居直って世界で日本を特殊化してしまうツールになっていたかもしれない。

残念ながら思考停止のまま朝鮮戦争や冷戦であっという間になし崩しになって、今や日本を「戦争のできる普通の国にする」というのが政策らしいが、この小説を読むと、火山の脅威だけを考えても日本は全然普通の国ではない。いくら軍備しても自然災害にはまったく抵抗できないと分かっているのだから、原発などのリスクを減らして、世界の「成長神話」や「力による覇権主義」の逆を行くテクノロジーを開発した方がいいのではないか。エコロジーへの関心の高まる今ならまだ遅くないかもしれない。

 

などと思っていたら、今朝のラジオで、スイスの精神科医で太陽エネルギー飛行機で有名なベルトラン・ピカールが同じようなことを言っていた。熱気球でノンストップの20日間世界一周をした人でもあり、先祖代々の冒険家でもある。この人が、今や、世界の気候予測が不可能になっている、気候変化というより大不順なので、今や問題の指摘やガス排出規制の目標の設定などを悠長に言っている場合ではない。環境破壊について罪悪感を助長するのではなくもっと積極的にテクノロジーの方向を変えていけばそれは十分地球規模のビジネスにもなるのだ、と力説していた。


菅原首相の「神の手」演説と通じる。


緑の党はイデオロギー化してしまって何も望めない。


今必要なのは「グリーン」ではなくて「クリーン」なのだ、とも。


「死都日本」を読んだ後だけに共感できた。


周りのフランス人にもこの本のことを話した。

訳されて広く読まれればいいのに。


私は臆病なのでカタストロフィものは小説でも映画でも原則として避けることにしているのでこの著者の別の本を読むかどうかは迷っているところだけれど。
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by mariastella | 2015-08-28 06:59 |

ドン・ロベールのタペストリー

まずはGoogleのDom Robert画像検索で出てくるものを見てほしい。

神を信じる者にとっては、祈りであり、信じない者にとっては幸福と生命への讃歌であると言われているタペストリーの画像だ。1907年生まれで90歳で亡くなったドン・ロベールはトゥールーズの近くのベネディクト会修道院で60年を過ごした修道僧で神父だ。

この人はもともと絵が好きで、パリの装飾美術学院で学んでいたが、召命を得て修道院に入り、水彩で聖典の装飾細密画などを描いていた。1941年にタペストリー製作者に見込まれてタペストリーの下絵を描くように依頼される。もとになるデッサンを下絵に拡大したのもドン・ロベール自身だ。動植物のデッサンはすべてまず精密な観察に基づいて描かれたものだという。

自然を目にして描くことはすべて神の創造を追いかけることだと意識していたそうだ。

もしも自分が修道僧でなかったらアーティストでもなかった、と言っていたように彼のアートと信仰は切っても切り離せないがそれはライフ・スタイルの話でもあった。修道院での規則的な暮らしが精神を自由に解きはなってくれるのだそうだ。

クリュニー美術館の「一角獣と貴婦人」のタペストリーにちりばめられた動植物も有名だけれど、ドン・のそれは、シンプルで喜びに満ちていて、ある意味とてもバロックだ。直線や左右対称や安定がなくて曲線的で常に動いている。けれども強迫的なところもないし内向的なところもなく、自意識もなければもちろん商業的な思惑もない。あらゆる種類の美術批評の射程外にあった。

最晩年の写真を見ても戸外で楽しそうだ。

今年から、ドン・ロベールの作品の美術館が由緒あるソレーズの修道院(学問教育センターにもなっている)で公開されている。

アート作品を見て「癒される」という言葉を使うのはあまり好きではないのだけれど、ドン・ロベールのタペストリーを見ていると、とりあえずありがとうと言いたくなる。
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by mariastella | 2015-08-26 01:09 | アート

藤原真理さんのバッハ無伴奏チェロ組曲

藤原真理さんにバッハ無伴奏チェロ組曲の新録音CDをいただいた。

CDジャケットの写真がすごくいい。
彼女の飾らない人柄がそのまま現れている。

2013年の夏、藤原さんがパリのアパルトマンで、私のリクエストに応えていともシンプルにグァルネリウスを取り出してプレリュードを弾いてくれた時のことを思い出す。
私はすぐに彼女のファンになった。

その日は帰ってすぐにヴィオラで同じものを弾いてみた。

ヴィオラ弾きにはバッハの無伴奏は最大の宝物だ。

ヴィオラはチェロより1オクターヴ高いが調弦が同じなので、ヴァイオリン(低三弦が共通しているが五度高い弦が加わるので運指は変わる)曲と違ってチェロ曲はすべてレパートリーに入れられる。

バッハの無伴奏などはちゃんとヴィオラ用のハ音記号で譜面が出回っている(チェロはヘ音記号。もともと私が擦音楽器でヴィオラを選択したのはハ音記号だったからだ。ヴァイオリンはト音記号なので反射的にギターと運指が混乱する恐れがあるからだ)。

で、バッハの組曲は六番をのぞいてどれも一応私の弾けるものになっている。

真理さんとは、楽器も違えば楽器の質も違うし、演奏者の腕にいたっては、天と地の差があるのだけれど、バッハには、名演を聞くのとは別口の独特の「演奏する歓び」があるのだ。

私にとってはシューマンやラモーにも似ている。

今回のCDで私が最初に聴いたのは第五組曲だ。
私が一番定期的に弾き返しているのが第五組曲だからだ。

プレリュードを除く舞踊曲を弾く時は当然バロック・バレーのステップとフレージング、体重のかけ方などをイメージして弾く。

バッハの曲は舞踊曲といっても形式を借りているだけで実際の踊りを想定していない純粋に音楽的なものだと言われることがあるが、実際は、バッハはフランス風の舞踊曲を熟知していた。
舞踊の理解なしに弾かれる組曲は元のものとは別物だ。

けれどもこの第五組曲のサラバンドだけは、とても不思議で、どんなタイプのサラバンドにも分類できない。
確かに「純粋」な器楽曲で、踊るはずの生身の体がブラックホールに吸い込まれたような感じになっている。

チェロの低音だとますます恐ろしいがヴィオラで弾いてもはらわたにずしんとくる重々しさだ。

そのすぐ後に来るガボット、特に二曲目のガボットがあまりにもガボットらしく軽やかなだけにどう解釈していいか分からない。

私はいつもこの二つを続けて弾いては「不思議だ、不思議だ」と、いつかバッハの意図が分かる日が来るのを待っているのだ。

でも、大方のチェリストの演奏は、そんな悩みを感じさせない。

サラバンドは不吉な感じ、絶望的、ドラマティックなどいろいろな個性が出るのに、ガボット2はたいてい、えらく速くて、くるくるまわる「タランテラ」ですか、という感じで疾走する。

これではガボットは全然踊れないし、半小節に相当する長い弱起というガボットの特徴もほとんど無視されている。
しかも、速いテンポだけにバッハのロマン派的演奏で一番気になる長音の引き伸ばしがかえって目立つ。弱起の後で踊りが始まる最初の長音ですでにビブラートがかけられていたりするのだ。

そして後はジェットコースター。

途中の弱起と次のステップの始まりなどどこにもない。

ところが藤原真理さんのガボットは、ガボットのガボットらしさに忠実で、変なビブラートや練りこみがないし、しかもスピード感にかかわらずステップの始めのわずかな「溜め」もテンポを崩すことなくダンサーの気配のように汲み取られているのだ。

このガボットなら振り付けがすぐ浮かんでくるし、「ガボットのステップ」というのにも合う。

サラバンドも抑制がきいていて、必要かつ十分な思い入れで、エレガンスがある。

実は無伴奏チェロ組曲はよくギターソロにもアレンジされている。私もパリの音楽師範学校の試験課題としてプレリュードを練習したことがあるし、五番のサラバンドもガボットも、重音がない分、そして音程を考える必要がない分、ギター曲としてはテクニック的に難しくはないので、中級曲集に取り入れられている。

でも私はとても生徒に弾かせる気になれない。

これらの曲はみな、弦をあやつって擦るという感触と切って切り離せないからだ。

バッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜とヴィオラがあれば無人島に行っても退屈しないという私の日頃の夢想は続く。
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by mariastella | 2015-08-23 23:23 | 音楽

子孫に継承させる罪悪感とは

Arteでドイツ映画『生者たち』(監督Barbara Albert 2012)を観た。

ベルリンに住む若い女性がウィーンにいる95歳の祖父の誕生日パーティに出席して父の家でSSの制服姿の祖父の古い写真を見てショックを受けて過去を調べ始める。

祖父はアウシュビッツで士官の子供たちに音楽などを教えていたというのだが…。

ヒロインはユダヤ人の写真家と知り合って意気投合したばかりなのでなおさら悩む。

祖父は亡くなるが、甥(父のいとこ)が生前に祖父にインタビューしていて本にまとめていたのを知る。ヒロインは、祖父が自分は何の良心の呵責も感じていない、今となってはすべて非現実的な出来事だった、とビデオで語るのを聞いた‥云々というストーリーなのだけれど、そして評判も良かったのだけれど、どうしてか私は全く感情移入できなかった。

同じようなテーマのコスタ・ガブラス監督の『ミュージックボックス』(1989)は感動したのにどうしてだろう。

映画としての出来なのか、とも思ったが、やはり、二作の間に四半世紀の隔たりがあり、つまり「事件」がそれだけ古くなっていて、家族関係がもはや父と娘ではなく祖父と孫娘になっていることが一番大きいのではないだろうか。

戦争を知らない世代にいつまでも謝罪の義務を背負わすな、というのはつい最近もどこかで耳にした主張だけれど、ドイツではナチスに全責任を負わせる形でホロコーストを処理したせいか、「ナチスの末裔」のトラウマは今も残るというのは私も見聞きした。

日本人はもともとそこまで罪悪感を引きずっていないのではないだろうか。
皇室が温存されたせいで「天皇陛下のために」戦うと思っていた人たちがそのまま戦後も天皇と同時代を生きて国を復興させたからだろうか。
私の父は戦争で中国にいたことがあるが前線には出ていない。でも、例えば、父が「侵略に加担した」とか考えたことはないし、もし前線で戦っていて殺傷行為をしていたと知ったとしてもそのことで私が罪悪感に苛まれたとは思えない。

いわゆるA級戦犯などならまた別かもしれないけれど、「普通の人々」はやはり犠牲者でもあり気の毒にと思う。

で、私がこの映画のヒロインの立場だったらそんなに悩まない気がするのだ。

思うに、本当にトラウマを深くして世代を超えてまで罪悪感を醸成するのは、

たとえひどいことでも「非常時」におけるピンポイントの蛮行や悪行ではなくて、

「平時」における嘘、隠蔽、偽善の継続ではないだろうか。

ユダヤ人なら戦後みな「犠牲者」に分類されたがドイツ人は「加害者SS」と「普通の人」に分けられて一方が粛清されなければならなかった。
でもみんなドイツ人(後の区分ではハンガリー人やオーストリア人、ポーランド人でもあり得る)だから、見た目だけでは区別できない。だから、過去を偽り隠蔽してサヴァイヴァルした人たちがいる。

父親や祖父がSSだったことよりも、彼らがそれを隠し通してきた嘘の重さ、日常の恐怖、それこそ、謝罪したり赦しを請うたりして区切りをつけることのできないフラストレーションの積み重ね、それらが、次の世代も苛むのだ。

それを思うと、やはり南アのスティーヴ・ビコやマンデラは偉かった。

彼らがもし白人をその責任に応じて粛清しようとしていたら、同じことが起こっただろう。ユダヤ人と同じように黒人はひとまず、みんな「犠牲者」でOKだ。

でも白人は見た目だけでは人道に対する罪を犯したひどい差別主義者だったか黒人解放運動を共に戦った人か「普通の人」なのか区別がつかない。

だから誰がいつどこでどんな「悪いことをした」かの告発合戦が始まる。

ドイツ占領から解放されたフランスでナチスのコラボ狩りがあったのも同じで、同じ仲間同士で自分の身に危険が及ばないよう他を攻めたててスケープゴートにすることもある。

「後ろ暗いところのある人」がそれを隠してこそこそ生きていくことがあるのも理解できる。

「ひどいことをした」ことより「それを自覚的に否認してなかったことにして善人面する」ことの方が重大な結果を生みかねない。「贖罪」ができな。過去を遺棄しては喪にも服せないからだ。

イエス・キリストをとらえて辱めて殺した人々でさえ、イエスから

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。(ルカ23-34)」

と神に命乞いしてもらっている。

群集心理でイエスを糾弾したユダヤ人、命令だから刑を執行したローマ兵、自分の身の安全のために姿を消した弟子たち、みんな、一時の気の迷い、無知と弱さの犠牲者だったとも言える。

みんなまとめて赦してもらったからこそ、キリスト教が普遍宗教として出発できたので、キリスト教では、たとえ犯した行為が「大罪」であったとしても、重大な事柄であること、それをはっきり自覚していること、意図的に行ったことという三つの条件がそろわなければ実は大罪とは見なされない。

過去の誤りを自覚しながら意図的に隠蔽し嘘をつき偽善的に生きることを選択した人たちの「罪」こそが、子孫にまで深いトラウマを及ぼすのかもしれない。
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by mariastella | 2015-08-22 07:28 | 雑感

集英社イミダスの記事

集英社イミダスのサイトに2週間は無料で読める私の記事が14日に掲載されたそうです。

(https://www.facebook.com/shueisha.imidas)

陰謀論についてです。携帯・スマホ専用仕様なのだそうでpcしか見ていない私のような人には申し訳ありません。

興味のある方はどうぞご一読ください。
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by mariastella | 2015-08-19 23:13 | お知らせ

リチャード・アッテンボロー『遠い夜明け』Cry freedom

Arteでリチャード・アッテンボロー『遠い夜明け』Cry freedom を観た。

思えばこの映画をはじめて見たのは南アでアパルトヘイトが終焉する以前のことだった。

その後でネルソン・マンデラが大統領に就任し、今はそのマンデラも去った。

南アでのサッカーのワールドカップもあった。

この映画の中でスティーヴ・ビコが黒人専用のサッカースタジアムで演説しているシーンを見て、あらためてなるほどと思った。今でも10人以上が公共の場所で集まることを禁止しているサウジアラビアでもサッカースタジアムだけは別枠だからだ。

今回新たな視線でこの映画を見たので日本のネットで検索したら、邦題が『遠い夜明け』だということを知った。

邦題にはピンとこないものも多いが、このタイトルは今見ると胸がつまる。

なぜならこの映画にある暴力や人種差別やら思想統制などは、それから30年近く経った今でも、全然終わっていないからで、夜明けは相変わらず遠いからだ。南アですらアパルトヘイト以後に新たな問題が山積みしていている。(これに関する過去記事)

ラスト近くで再現されるソウェト蜂起で白人が素手の黒人の少年を狙い撃ちするシーンなどは、ついこの前もアメリカのニュースで大きく取り上げられていた白人のポリスによる黒人の若者殺害の場面などと重なる。

今朝はイスラム国がマイノリティ宗教の女性へのシステマティックなレイプを神学的に正当化している事実がニュースで伝えられていた。
パレスティナの赤ん坊をイスラエル人入植者テロリストが夜中に襲って殺したニュースも記憶に新しい。
暴力による人間蹂躙の闇には暁の光が射していない。

今回見て、身につまされたのは、五人の子供と犬と住み込みのばあやがいる家を捨てて亡命するのは大変だなあというリアルさだ。
もちろん金もあって人脈もあるのだから、不法移民の出国の大変さとは種類が違うけれど逆にそれが私にはリアルで印象に残った。

出版予定の原稿を手にしての脱出行は映画的サスペンスに満ちているけれど、新聞社のパトロンで白人だったのだから、1977年の時点でメールはなかったにしてもコピーは取れたはずだと思うし、他の人に託して国外に出すこともいくらでも可能だったのではないか、と思ってしまう。実際、ビコの遺体の証拠写真はもう配信していたのだから。

それでも、主人公がローマンカラーをつけて白人の神父に変装してヒッチハイクすることの効果は面白かった。

アメリカーナはオランダ系だからプロテスタントだったのか、イギリス系は聖公会やアングリカンだったのかなどよく分からないが、この映画でジャーナリストを助けた司祭はカトリックの人みたいだ。変装して出国するときのパスポートがアイルランド人のものとか言っていたし、女子修道会でミサを挙げるとか何とかいう口実が使われていたようだからカトリックっぽい。

2011年の統計では南アではプロテスタント41%カトリック11%アフリカ独立教会27%ということだが、1977年の時点では昔のアメリカのように黒人教会と白人教会が分離していたとはいえキリスト教が絶対的なマジョリティだったことは確かだし、ローマンカラーの司祭服で胸に十字架というのは政治や人種の壁を越えて誰からもリスペクトされるアイテムだったことが分かる。

どんなに捻じ曲げられていても、こういう「共通語」があったということは問題解決のひとつのツールになっただろう。

旧約聖書のハムのエピソードがアパルトヘイトの正当化に使われたこともあるが、コーランの章句による暴力の肯定と同じで、都合のいい「章句」を引用するだけだったら何でも正当化できる。

南アの基準では白人ですらないイエス・キリストの隣人愛を説くキリストの教えに従って黒人解放に力を尽くした白人司祭たちももちろん存在した。それでも、アメリカの例を見ても、宗教のメッセージよりも既得権益を守る人間の強者の論理の方がいつの時代もどんな場所でも優先されるらしいことは残念だ。

でも、特に「黒人差別」をテーマの映画を見ると、やはり「色」のインパクトが大きい。

実際に黒とか白とかいうわけではなくシンボリックなものだとしても、たとえばフランスのような国に日本人がいて、多様な民族を見る時、ゲルマン系でもラテン系でも、アラブ系でもアジア系でも、マスとしてはそんなに違和感がないのだけれど黒人のグループがいるとやはり色のインパクトのせいで「違い」を感じる。

その意味ではこの映画を見ると、現在、ギリシャやイタリアやスペインの島に毎日何千人とやってくるアフリカからの「不法移民」のことに思いをはせずにはおられない。

彼らもまた「暴力(それが経済システムによる暴力である場合も)の犠牲者」だからだ。

モノが自由に行き来できるヨーロッパで人間が自由に移動できないのはおかしい、自由な移動は基本的人権の一部であるというのは事実で、教会はもちろん彼らを支援する民間団体も少なくない。

けれども実際は国境を取り払ったはずのヨーロッパの国の間で、「移民」の受け入れを拒否しあっている。

そしてこれがまだ子供連れの「中東のキリスト教徒」とか、シリアの戦火を逃げてきた家族とかならテレビを見ていても同情しやすいのだけれど、集団でユーロトンネルを強行に進んだり、国境の柵を乗り越えたりする「黒人の男たち」を見ていると、正直言ってなんだか怖い。

そんな怖さに罪悪感を抱いている時に、ダニエル・バレンボイムのインタビューを聞いた。

彼はイスラエルやパレスティナ、レバノンなどの若い音楽家とオーケストラを作っている。

参加する若者たちははじめは互いの偏見もあって不自然だけれど、生活を共にするうちにすぐにシンパシーを抱き合う。そうしたら問題はない。

けれどもどうしてもシンパシーを抱けない者たちもいる。

その時にバレンボイムはこういう。

「シンパシーは感情のカテゴリーだから、抱けなくてもいい、ただしcompassionを持たなければならない。それが無理なら出て行ってくれ」

compassionは慈悲とか憐れみとか訳されるが、文字通り「苦しみを共にすること」、苦しむ人のそばにいること、寄り添うことだ。

それで、compassionは感情のカテゴリーではなく道徳のカテゴリーだから、仲間に入る時の絶対の要請だというのだ。

これを聞いて、パリのカトリック中学校の入学式で子供たちに

「君たちに全員を愛せよとは言わないが、全員をリスペクトすることは絶対命令だ」

と言った校長先生のことばを思い出した。

それを適用するとなんだかほっとする。

幼子を抱いた疲れ切った母親の移民を見ると心から同情するのに、若い黒人男性のグループが我先にと柵をよじ登って国境突破するのを見ると同じ気持ちにはなれなかったのだけれど、情緒とは別に、「彼らの権利を守る人を支援する」のは道徳的要請だと思えばいいのだ。

感情とは別のところで寄り添うことは十分に可能なのだ。
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by mariastella | 2015-08-17 22:38 | 映画

聖母被昇天祭だった

8/15はプライヴェートなことで「記念日」に当たる。

フランスではいつも聖母被昇天祭の休日なので、聖母像行列だとか聖母関係のフォークロリックな行事のウォッチングは楽しみのひとつなのだけれど、今年は土曜日でバカンスに出る人と戻る人の車で道路は大渋滞しているからどこにも行かなかった。

パリではもちろんノートルダム大聖堂が毎年特別の典礼をしているけれど、前夜祭の行列などはあいにくの雨なので出かけなかった。

で、「被昇天のノートルダム」の名を冠したパリの教会のうちで行ったことのない19区のビュットショーモン公園近くの教会のミサに行ってみた。

このあたりの地区に新しい集合住宅が立った1960年代初めにできて1964年に3人の司祭と共に小教区になった。会衆席が後ろに行くほど高くなる劇場構造で、「うーん、コンサートにもよさそう」と思ってしまう。
けれども、「被昇天のノートルダム」という名の割には特別なものは何もなく、被昇天の絵や像もない。バカンス時期なので席も半数ぐらいしか埋まっていない。

でもここのルヴェリエール司祭の司式が好感度大だった。

何しろ声がよくて、ほとんどすべてに節がついて、心地よいフランス語になっている。

終始ニコニコして会衆のことを「mes amis !!(わが友よ)」とよびかける。

説教の始めの「つかみ」が「マーフィの法則ってご存知ですか ?」であり、晴佐久神父ですか、というノリだったのにも驚いた。

内容は、普通は悪いことは連続して起こる、一つ悪ければ連鎖してどんどん悪くなる、あれ、右の膝が痛いなあと思ってかばって左足に力を入れて歩いていたら左足が過労で壊れて整体やらマッサージやらに通うことになり、整体師とかが高級車なんかを乗り回すようになるんですよ、みたいな感じで始まる。

その後は、でもね、実はその反対の法則もその前に働いていて、いいことがいいことを生むんです、と福音の話につながっていくのだけれど、被昇天の話ではなくてイエスをみごもった聖母が高齢にかかわらず臨月に近い従姉のエリザベツを訪ねる「聖母訪問」の話になった。

洗礼を受けなくたって神への信頼と賛美を聞いただけで喜びが伝染する、祝福された者になる、という展開で、このミサではディエゴ君という赤ちゃんの洗礼も同時にあったのだけれど、ディエゴ君はそんなよいことの連鎖の神の共同体の一員になったのだからもう成功は約束された、と満面の笑顔で言うのだ。

「成功」という言葉を何度も使うので、なんだかポジティヴ・シンキングによるサクセス・メソードみたいだったけれど、そういうオプティミズムは伝染するもので、その場にいる時は楽しくなった。
でも子供に障害があったら「成功」という言葉を親はどう受け止めるのだろう、などの考えも頭をよぎる。

聖体を授ける時も、満面の笑みで「キリストの体」と言いながら、聖体を見つめ、信者と目を合わせて最初から最後まで実に幸せそうなので、すごいなあ、と感心した。

ミサの後、道路につながる出口は閉ざされていて、外に出るには皆、アペリティフ(シードル、コーラ、ジュースなど)とおつまみの提供される部屋を通らなくてはならないシステムになっていて、希望者はその後食事もできるようになっている。

明らかに病とフラストレーションを抱えている男性が司祭に近づいて「身の上相談」を仕掛けてきたけれど、「それは食事の時にゆっくり聞きますから」とその場では斥けていた。

こういうタイプの司祭さんは大変だなあ、とも思う。巷の自己啓発講座と違ってポジティヴ志向の人だけが来るわけではない。

私もいろいろ話して、9/12と13日のセレモニーの招待状をもらった。

なんとリジューのテレーズの両親(福者)と聖ルイ=マリー・グリニョン・ド・モンフォールの聖遺物の拝観とそれを祭壇に入れて教会を聖別(これはパリ大司教が来てやる)するセレモニーなのだ。

「ええっ、教会の祭壇ってみんなすでに聖遺物が入ってるんじゃないんですか ?」と私が言うと、それは第二ヴァティカン公会議の前の話で、それ以降は聖別なしでも教会として機能できたのだそうだ。

「だから、今日の祭壇って、ただのテーブルでしょ」と言われる。

なるほど。

司祭のパフォーマンスに気をとられて祭壇なんか見ていなかった。

で、9月13日には内陣の周りの壁に12の十字架を張り巡らせて祝別してもらうのだそうだ。

ええっ、それも、普通は14の「十字架の道」(イエスの受難を追体験して祈る)で14じゃないんですか。

いや、それは12使徒のシンボルなんだそうだ。

受難に焦点をおかずに復活から始まった「いいことがいいことを生み続ける」ために出発した12使徒ということで、徹底している。

帰ってからネットで検索すると、ルヴェリエール司祭は今年50歳で、「アイン・カレム(AÏN KAREM)という信心会のメンバーだった。

ヘブライ語で「ブドウ樹の泉」というこの言葉はマリアがユダの町に訪ねて行ったエリザベツの住む小さな村の名前なんだそうだ。道理で「聖母訪問」のエピソードを強調していたわけだ。

この会はパリ生まれのルヴェリエール司祭が数学専攻の学生だったころにパリの若者を中心に結成されたというから、司祭もいわゆる「ヨハネ=パウロ二世世代」の若者だったのだろう。24歳で神学校に入り、30歳で司祭になり、「聖母被昇天」教会の主任司祭になったのは去年からだ。
会は6人の司祭、一人の助祭を含む20-76歳の60人くらいのメンバーからなっていて既婚者も多い。

ミサの後のパーティでにこにこ笑顔をふりまいていた2人の夫人もメンバーなんだろうなと思った。

この聖母被昇天祭は特に中東のキリスト教徒のために祈るということで、正午にはフランスの主要教会で鐘がならされたが、この教会では鳴らされなかった。

パリ郊外のカテドラルでイスラム国に追われたイラクのキリスト教徒難民を受け入れて世話しているところもあって、そういうところのミサは(テレビのニュースで見たが)なかなか感動的だった。カトリックの司祭が、イラクのマスールから追われたキリスト教徒には死者が出ず、彼らをイスラム国から守ろうとしたムスリムが一人殺されたこと、またムスリム内の宗派争いやマイノリティ粛清の方がキリスト教徒弾圧よりもひどいのだと強調していた。
いずれはキリスト教徒が戻って共に平和を築かないとシーア派とスンニー派だけの平和協定は難しいとも。

サダム・フセインの時は少なくともその点ではバランスが取れていたなあと思う。

教会を出た後近くのビュット・ショーモン公園を散策していたら、マメ科の枝垂れエンジュの大木があった。

1873年に北中国からもたらされて植えられたとあるが、つけられている学名が「Styphnologium Japonicum」と日本という言葉が入っているのに反応してしまった。なんというか繊細とは程遠い猛烈な感じの伸び方垂れ方で水面を這っている。

日本と言えば、8/15日は日本では終戦記念日で、前日に発表された「阿部談話」の全文をネットでさっそく読んでみた。

第一印象は「あるのはレトリックばかりで誠実さはひとかけらもないなあ」というものだ。

政治の世界では「誠実さ」はリスキーで政治の言葉にはならないのかもしれないけれど。

「もう謝罪はこれでやめにしたい」という意図だけはちゃんと伝わるようになっている。

でももっと気になったのは談話の後に語ったという

「同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。」

という部分だ。

阿部首相の口からこれを聞くと、なんだか「歴史はいつでも修正のチャンスがありますよ」と言っているかのように聞こえた。

今一応継承しておく「お詫び」だって確かなものとは限らない。

人間だもの。

そういえばおじいさんの岸首相も安保闘争の時に「声なき声を聞く」って「謙虚」な人だったよなー(棒読み)。

( 「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」というやつで私も子供心に刻まれた。フランスの1月のシャルリー・エブド事件の後の「表現の自由」400万人デモの後ても、「デモに行かない残りの6600万人の声なき声を聞け」、っていう感じの人はもちろんいた。トッドさん、とかね。 )

「聞き漏らし」ていた「証言」がある日突如出てきて既成史観を覆すということは、可能性としてはあるけれど、その新「証言」を検証するすべがあるかないかも問題だ。

原則としては犠牲者や弱者の声の方に耳を傾けたいところだけれど、それが創作であったり特定のイデオロギーのツールにされていたりという可能性もある。

セクハラの告発やいじめの告発にまで必ずついて回る問題だ。

「数」が「力」に変換できる場合とそうでない場合は、状況によって変わる。

どちらにしても「愛」や「誠実」を「数字」には変換できないのは確かだと思うけれど。
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by mariastella | 2015-08-16 21:35 | 宗教



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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