L'art de croire             竹下節子ブログ

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フランス軍の志願兵増加

サイトの掲示板で、「(日本の)国全体が巨大な強制収容所もしくは刑務所になると思います。よくいっても奴隷制度。」などと今の情勢を嘆くコメントが寄せられた。

日本では「戦争法案」が通過して、戦争に行きたくない若者、子供を戦争にやりたくない母親、などの抗議は通じなかったわけだけれど、フランスでは別の意味で全く逆の気味の悪い現象が起きている。

フランスでは今世紀に入って徴兵制が廃止されて職業兵だけになった。

普通の町にも軍隊のリクルートの事務所が見られる。

で、今年初めのシャルリー・エブド襲撃ととユダヤ・スーパーの人質事件以来、この入隊志願者の数が40%も増えたというのだ。

どのポストもほとんどは年齢制限が29歳だというのに、40代、50代の志願者もいるそうで、そんなことは今まで例がなかったそうだ。

要するに、多くの人が「対テロ」の戦いに挑む気が満々なのだ。

これは具体的なある国家との戦争では見られないことで、テロリストとの戦争は、「悪を征伐する」という分かりやすい大義があるからみなが勇んでいくらしい。

そう言えば、シリアやイラクでイスラム国と戦う勢力に合流するボランティアの私兵というのもいて、時々メディアに出てくる。違法なので身元は明かされない。自費で行くのである程度経済力もある壮年が多いように見える。

よく日本では、「戦争ができる国」にすると言っても、実際に戦争に行って死ぬのは政治家や政治家の子供たちではなくて、貧しい若者が«使い捨て»にされるのだからよくない」ともいうけれど、「やる気満々」の兵士がどんどん出てくるフランスってなに? と思う。

少なくとも、その一部の人のメンタリティは、イスラム国の「聖戦」の大義に賛同してシリアに向かう人々のメンタリティと重なっているような気がする。

それにしても、若者が神のためだの民主主義のためだのに立ち上がるハードルが低い気がする。

これは、生き難い若者がうちに引きこもる日本と、外に出て暴動を起こすフランスとの違いにも通じるのかもしれない。

日本では「安保法案」以来、自衛隊からの脱退者が増えているという記事を目にした。
「災害救助隊」なら残ってくれるのだろうけれど。

フランスには大昔からIDカードや保険証の認証番号があるし今はデジタル管理されているわけだけれど、それ自体が議論の対象になることはほとんどない。

フランスと日本では怒るところとか不安になるところとか、煽る場所とか、情緒の琴線とかがかなり違うとは前から思っていたけれど…。

まあ、イスラム国に関しては、大量移民の現実も含めて、フランスと日本では危機感が違うのは当然だろうけれど。でも日本でも南シナ海とか近辺での危機を煽っている人たちもいるので他人事とは思えない。
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by mariastella | 2015-10-31 03:14 | フランス

大村英昭先生を悼む

大村英昭先生(大阪大名誉教授・宗教社会学者で浄土真宗本願寺派の僧侶)が9月21に亡くなられていたことを昨日知った。

転移性肺がんということだ。

抗がん剤治療もやめてそれでも普通の暮らしをして、この春に筑紫女学園大学長に就任されたというほどだから、まだまだお元気でいれたのにと残念だ。

先生が昨年11月10日のラジオ番組「こころの時代~「わたし流 理想の末期の迎え方」でお話ししているのをまとめたブログ記事を見つけた。

収録がいつかは知らないけれど、私はその少し前の11月1日に先生にお会いしている。

私たちのアンサンブルの築地本願寺での公演にわざわざ大阪からゲストでいらして講話をしてくださったのだ。

しかも、私の『キリスト教の真実』(ちくま新書)を手にされて、控室でもステージでも「この本ともっと早く出会いたかった」と何度も言われた。

もともと「真宗カトリシズム」説などを唱えるリベラルな方でフランスの社会学者デュルケムの研究でも有名なので、フランス風の考え方に親しまれていた。

こういう自由な立ち位置の方は、教条主義的な立場の人たちとは確執もあったと思うが、最後まで若々しく精神の自由と躍動をみなぎらせていたことはすばらしい。

こんな方に愛読者になっていただいたことには本当に力づけられる。先生の信頼を裏切られないような仕事を続けたい。

私が築地本願寺でコンサートをすることになったのもそもそも仏教系の雑誌での「死生観」のインタビューがきっかけだった。

大村先生は「諦観」を説くが、単に仏教者らしく執着を離れ去るというわけではない。

「諦めることに意義を素直に見つめて欲しい。諦めることは絶対に必要」なのは、

「色々なものを諦めて、2年間で出来ることを整理して、事業仕分けした。すると自分が歩んでいく道がストンと分かった。」ということで、

残された時間を延命やら治療やらのサバイバル戦場にするかわりに自分にとって大切なものを優先して生きる決意と関わっている。

その貴重な時間を私の本や私との出会いにあててくださったことにあらためて感謝の念がわく。

合掌。
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by mariastella | 2015-10-30 01:18 | 雑感

「朝、歌いながら目を覚ます、夜、踊りながら床に就く」(ギイ・ベア」

これを歌ったらだれもが絶対に機嫌がよくなるギイ・ベアのものすごく有名な歌。

意味を訳してみたが、実際は韻を踏んでいて軽やかだ。


朝、歌いながら目を覚ます、夜、踊りながら床に就く、
その合間には昼寝、それで全部。
自分をケアしすぎることはない。
Le matin, je m'éveille en chantant
Et le soir, je me couche en dansant {x2}
Entre temps, je fais la sieste
Voilà tout ce qui me reste
Ou je me fais du café
On ne se soigne jamais assez

朝、歌いながら顔を洗う、夜、踊りながら風呂に入る。
その合間には散歩する、中くらいの運動で休息が必要だ、
自分をケアしすぎることはない。
Le matin, je me lave en chantant
Et le soir, je me baigne en dansant {x2}
Entre temps, je me promène
Une activité moyenne
Me conduit à m' reposer
On ne se soigne jamais assez

朝、歌いながらキスしあう。夜、踊りながら抱き合う。
その合間には愛撫しあう。せきたてるものなど何もない。もう一度寝に行けるくらいだ。
自分をケアしすぎることはない。
Le matin, on s'embrasse en chantant
Et le soir, on s'enlace en dansant {x2}
Entre temps, on se caresse
Y'a vraiment rien qui nous presse
On va même se recoucher
On ne se soigne jamais assez

朝、歌いながら目を覚ます、夜、踊りながら床に就く、
ある日何もかも吹き飛ばすような復讐の爆弾には興味はないね、
自分をケアしすぎることはない。
Le matin, je m'éveille en chantant
Et le soir, je me couche en dansant {x2}
Jamais je ne m'intéresse
A la bombe vengeresse
Qui un jour f 'ra tout sauter
On ne nous soigne jamais assez
Le matin, je m'éveille en chantant

この人、働いてないの ? とつっこむことはない。

大切なのは、何かにせき立てられることがないこと、
そして人生や他人や出来事に対して「復讐の念」を抱かないことだ。

後は歌って踊って風呂に入って散歩して、愛し合う。

猫とまったりするのも、いいね。
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by mariastella | 2015-10-29 02:43 | 雑感

『ガープの世界』

先日、arteでロビン・ウィリアムスのドキュメンタリー番組があって、その前にジョージ・ロイ・ヒル監督の『ガープの世界』(1982)が放映された。この映画を観ていないことに気がついた。

昨日の記事で触れたように「時代が変わると家族の形も変わる」ということがこれを見ているとつくづくわかる。

ガープやジェーンがタイプライターで小説を書いているのを見るだけで、PCならいろんなことが変わっただろうなあと思うし、浮気にまつわるカタストロフィーも、携帯、SMSなどがあれば変わっていただろうなあと思う。
今はチャイルド・シートが義務だからこういう事故は防げただろうし。
ジェーンのウーマン・リブも、今となっては、シングルマザーもワーキングマザーも、ただ仕事に専念するシングルの女性もいくらでもいるから、隔世の感がある。

ノスタルジーをそそられるアメリカン・ストーリーで、アングロサクソ・アメリカの自由さとプロテスタントの罪悪感とのずれも面白い。

それでも、今もまったく変わっていない問題も実はたくさんある。

カップルを介さずに子供を産むかどうかの選択や、レイプの問題、群衆がいるところで銃に狙撃されるリスク、性同一性障害の生き難さなどがそうだ。

ジェニーが「欲望が男を卑しくする」と言っているのも基本的には変わらない。

しかしこの時31歳くらいだったロビン・ウィリアムスだが、あまりにもロビン・ウィリアムスであって、「ガープ」という登場人物には見えないので困った。

特に高校生の頃の役など、老けすぎていて現実感がなく、違和感を感じっぱなしだった。

最後も33歳という年齢のようだが、やはり老けている。

ロビン・ウィリアムスが老けているのかもしれないけれど、それとも今の私の周りの30代初めの男の子たちがずっと若いからだろうか。

これも時代のせいだろうか。

アーヴィングはこの原作を、33歳で2人の子の父親である時に書いたと言う。その後で年の離れた3番目の子が生まれているし、「子供を失う恐怖」がテーマの一つと自分で言っているのも、ふーん、この人ってガープのような感じの人なんだったんだろうなあ、と思う。

ガープの奥さんのヘレン役の女優メアリー・べス・ハートがすごく可愛い。

こんな人があっさり学生と浮気するのだから、「欲望に卑しい」のは女性でも同じなのかもしれない。

でも、浮気などが全部結果的に「罰せられる」感じになるのはやはり「罪と罰」的なプロテスタント文化の影響なのかなあと思う。

一貫して強いジェーンはグレン・クローズにぴったりの訳で、すてきだけれど、ジェーンの周りに集まるようないわゆる「フェミナチ」と呼ばれるような過激な女たちとちがって、こういう「ほんもの」のフェミニストはある種の男の怒りをかって結局殺されるのだからやりきれない。

映画の後のドキュメンタリーで見たロビン・ウィリアムスは私と同じ年の同じ月生まれで、去年自死したが、今世紀に入ってのアフガニスタンのアメリカ軍慰問の熱心さには驚いた。

それにしても、アルコールとドラッグと鬱のトライアングルって、一度はまると完全に逃れるのは至難の業のようだ。

欲望が卑しくする、どころではない、欲望に殺されてしまう。
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by mariastella | 2015-10-28 01:45 | 映画

離婚再婚者の聖体拝領(質問への答えです)

家族シノドスのレポートについて、10/26の新聞の報道には驚いた。

メディアによって、とらえられ方が全く違う。

実際、参加した司教たちの報告にしても、彼らのもともととっていたスタンスによって、だいぶ違う。

「これで再婚者の聖体拝領が可能になった」と満足する者も、「カテキズム(公教要理)を教えることも含めて教区の活動にはすべて元通り参加できるけれど、聖体拝領は不可能だ」と言い切る者も「何も決まったわけではない、今までと基本線は変わらない」と言う者もいる。

このテーマについて、メールで質問があったのでもう少し詳しく言うと、最終レポートの94項のうち、84、85、86の3つがこのテーマ(分別と統合)であり、いずれも必要である3分の2の賛成票を得たが、85番は一票の差だった。

84は、「離婚した後再婚した者で洗礼を受けている者は、今よりもキリスト教共同体に統合されなければならない」と、共同体からの排除を改めるもので、賛成187反対72。

86は、教会の愛と教えに照らしてそれに必要な条件が保証されねばならないということで賛成190反対64。

85は、オーストリアのSchönborn枢機卿のグループが提案したもので、離婚と再婚の状態について、良心に照らし、悔い改めが必要だという話で、離婚に際して子供たちに対してどうふるまったか、和解する努力はあったか、分かれた相手の情況はどうなのか、再婚の情況が他の家族にもたらす影響、信者たちに与える影響、これから結婚しようとする若者たちに与える影響を鑑みよ、と言うもので賛成票が178のぎりぎりだった。

それでもこれを通すためにあえて「聖体拝領」の言葉を入れなかったという。

もう少し分かりやすく言うと、これは、「ケース・バイ・ケースで判断しよう」という意味だ。

早い話が、連れ合いが死んでやもめとなった場合、これは不可抗力だから再婚しても問題ないように、「離婚」にも不可抗力があるということだ。

片方が一方的に連れ合いや子供を捨てていったとか、暴力や中毒や犯罪などのせいで、子供を守る正常な家族生活が不可能になっていわば正当防衛とか緊急避難の形で離婚を余儀なくされる場合がある。

そういうものを、単に「性格の不一致」で別れるケースなどと同列には語れない。

一方が浮気して出て行って、子供と残された方が新しいパートナーと出会って新生活ができた場合、浮気相手と結婚した方にも、犠牲者の方にも一律に「聖体拝領」禁止の破門扱いをするのは理不尽というものだ。

まあ、これがひどい場合は、今回簡略化された「結婚の無効」を申し立てることもできるわけだけれど。

でもどちらかが一方的な犠牲者でなくても、「燃え尽きて」しまって別れるケースもあるだろう。

その時に、親として子供を守ったか、その後の責任の取り方は、ということが問われる。

至極まっとうな考えであるように見えるけれど、そういうリアルポリティクスみたいなのは一切受け付けませんという保守派も当然いる。

それに、人が本当に燃え尽きたり鬱状態になったり絶望したりしたら、責任とか後悔とかもろもろのことなどケアできないケースだってあるだろう。

これは何も教会だけの話ではない。いろいろな意味で「落ちこぼれた」人を、弾劾したり叱責したりする閉鎖的なエスプリではだめで、「傷ついたメンバー(人間)をみんなでケアする」というメッセージが優先されなくてはならない。

10/23のミサで教皇は「時代は変わる、自分たちキリスト者も変わり続けなければならない」と言った。

これは時代に迎合するという意味ではなく、時代によって人の傷つき方が変わることに対応しなくてはならないということなのだろう。

シノドスの最後は、265人の司教と他の94人(識者、聴講者、司祭、修道女、一般信者)のスタンディング・オベーションで終わったと言う。

それぞれが何に拍手していたのかはこれから先を見てみないと分からない。
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by mariastella | 2015-10-27 02:56 | 宗教

家族シノドスの終わりと『神の将来』

10/24に家族シノドスのレポートが出て教皇の最終の言葉があったので、それについてのコメントが日曜にいっせいにフランス語ネットに拡がった。

熱心にSNSに投稿する司教もいるのでいろいろな立場が分かる。

今回のシノドスほど、メディアがいろいろ書き立てた例はないだろう。

メディアはまるで、どこかの国の議会が法律を書き換えたり憲法の拡大解釈をしたりというような結果をシノドスに期待していたかのような書き方だった。

けれどもシノドスは、議会ではなく、教義は憲法ではなく、「共通の考え方を構築する」というもので、これを受けて教皇が数ヶ月後に、何かを変えるなら変えるということになる。

メディアは同性愛者の結婚や離婚再婚者の聖体拝受ばかりに注目していたので、50ページにわたるレポートのうちで同性愛者に対して友好的に接するという一文しかなかったことだけを報道したものもあった。

保守とリベラルの対立が陰謀論も含めて仰々しく書かれていたが、本当に対立していたのは一部のグループであって、全体としてはカトリック教会らしくゆっくり慎重に教皇の意に寄り添いつつ聖霊の導きを祈る、みたいなカトリック的公正というかカトリック的健全さは変わらなかったようだ。

カトリック教会がリベラルな変化をしても文句を言って離反する人はいるし、保守的な路線を固持しても文句を言って離反する人はいる。

もっといわゆる「地方分権」的にしろという動きはあるのだけれど、アフリカ、アジア、ヨーロッパでは家族の伝統的な形にしてもまったく違うことも多いので、あまり「地方の現実に即した」ルールを各地の司教たちが適用し始めたら、もう普遍主義が機能しなくなるのは事実だ。

個人的には、まあ、ヴァティカンで伝統的な正論を唱え続けているのが聞こえてくるのは悪くないと思っていたのだけれど、最近ジャン・ドリュモーが『神の将来』という本を出したのを読んでたまげた。

ジャン・ドリュモーと言えば、天国についてや西洋における「恐怖」の歴史などについて様々なベストセラーといえる歴史書を出してきた人で私も80年代から90年代かけて愛読してきた西洋宗教思想史の大御所だ。

その人が、今92歳で、なかなか過激なキリスト教革命(カトリック革命)を唱えている。

「キリスト教2.0」ともいえる大胆なもので、カトリック教会の分権はもちろん、司祭の独身制の見直しや女性司祭容認も含めて、すごく具体的に書いている。

これがこの人の口から言われるとかなりのインパクトがある。

至極当然に聞こえる。私が今のカトリックのシステムに特に異論を持たないのが不思議なくらいだ。

それはドリュモーにとっては、カトリックのシステムは彼がその中で生まれて育って、92歳の今でも積極的に関わっているものであり、私にとっては、所詮、旅行者の目で見るものでしかないという違いから来るのだろう。

私にとってのキリスト教は、まず、ヨーロッパのカトリックはこうですよ、プロテスタントはこうですよ、正教はこうですよ、という既存の「情報」としてあったもので、例えばそれが女性差別を残しているとしても、よそ者の自分が「是正」を求めるなどという視座など持ったことがない。

だから、ヴァティカンで、結婚をしたことのない中高年男性ばかりが集まって離婚がどうの再婚がどうのと議論しているのを見ても、特に違和感がなかった。

けれど、ジャン・ドリュモーにばさばさと切って捨てられると、なるほど、と思わされてしまう。

92歳の学者で信仰者である人が、宗教に求めるもの、宗教を次の世代にも残したい気持ち、何が本質で何が必要とされているのか、などへの考察を読むことは刺激的である。

心と精神に「聖霊」に吹かれる場所を常に残してそこの扉を開いておくことが大事なのだろう。

本当に「器の大きい人」の「器」の中には「神」が宿る場所もあるのだろうなあ、と思う。
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by mariastella | 2015-10-26 01:45 | 宗教

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』と『オデッセイ』

見逃していた『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』をブルー・レイで観る機会があった。

不思議な映画だ。

3Dの特殊撮影の美しさが売り物なのだけど、大きくもないTV画面で観たのでキッチユな感じが目立ってあまり感動的、幻想的という感じがなかった。

興味深いと思ったのは、フランス語版で観ていたので、フランスらしさがよく伝わってきたところだ。

ヒーローの少年が生まれて育ったのがポンディシェリというインドの旧フランス植民地で、町もフランス風、学校でもフランス語を習い、脱出しての移民先もフランス語圏があるカナダだ。

船の意地悪な給食係りがフランスの名優ドゥパルデューのちょい役と言うのも面白い。

主人公のおじが世界中のプールで一番素敵なのがパリのピシーヌ・モリトールだと言ったことで主人公の名がピシーヌ・モリトールになる。

で、ピシーヌ(プール)なのだけれど、それが「小便をする」を連想させて学校でからかいの種にされる。その単語もフランス語と共通している。

で、最初のピだけとって、ギリシャ語のπ(パイ)だと呼ばれるようにするのだけれど、フランス語では円周率も「ピ」と発音されるし、映画のタイトルも『ピのオデッセイ』となっている。

この映画をうちの猫のスピノザ(スピヌー、スピンボーイ、スピなどの他にピーと言うだけでも反応する)を膝にのせて観ていた。

猫がピーで、主人公もピーで、映画の中のベンガル虎は狂暴だけれどうちの猫は喉を鳴らしている。

ユゴーが「猫を飼う喜びは猛獣を愛撫する歓び」と言ったように、画面の虎リチャード・パーカー(実在の漂流船の犠牲者の名)が歯をむき出して咆哮しているのを見ながらうちの猫を撫ぜまくっていると理由のない優越感を感じてしまう。

ピー少年が途中で寄った架空の島はセント・ヘレナ島に似たシルエットだ。

原作小説が『パイの物語』で、英語のタイトルが『ライフ・オブ・パイ』なのにフランス語でオデッセイという言葉が使われているのが、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』を連想させる。

どちらもたった一人で過酷な自然の中に置き去りにされた主人公のサヴァイヴァル・ストーリーだ。

こういうサヴァイヴァル能力が極端に低い私にとっては想像するだけで悪夢の世界だけれど、火星で一人きりのマット・デイモンの環境は硬質で、パイ少年の環境は、虎、太平洋、人食い島、クジラ、無数のトビウオやミアキャットなど、極端に有機的なものだ。

しかも、パイ少年の話は、実は漂流のトラウマを抑圧するためのアレゴリーだったらしいと最後に分かって、なんだかおどろおどろしい話になっている。

パイ少年が「神さま」に運命を託すタイプの宗教的感受性の強い少年であるのとは対照的に、火星に置き去りにされた宇宙飛行士は、木の十字架を削って燃料にするなど(このシーンを冒涜的だとか、いやキリストが彼の命を救ったのだとかいう議論が戦わされたそうだ。スコット監督は、自分は不可知論者だと言っている)、冷静で実務的だ。

火星のシーンや宇宙船がすべて特殊撮影や造りものであることは当然で驚かないのに、『ライフ・オブ・パイ』に出てくる太平洋の大自然だとか嵐、実在の動物や魚がCG合成だと言って感心するのも面白い心理だ。

『オデッセイ』は大スクリーンで観たからそれなりに迫力があったし、先端科学的なディティールも興味深い。

『ライフ・オブ・パイ』は漂流するということ自体は現実的な話なのに何から何まで幻覚的で濃い。

『オデッセイ』にはヴァイオレンスがない。

『ライフ・オブ・パイ』には牙をむく虎のような分かりやすいヴァイオレンスと、少年の心の葛藤の凄まじさという隠れたヴァイオレンスがある。

同じ時期に違う形で観た対照的な映画だった。
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by mariastella | 2015-10-25 07:20 | 映画

カトリック教会によるキリスト教社会主義

前の記事ではJP2も新自由主義経済を弾劾していたことを書いたが、もともとカトリック教会は、第一次産業革命によって都市型の貧困が生まれた時代にも警告を発している。

都市におけるキリスト教社会主義には大きな四つの柱がある。

個人の尊厳、共通善、援助、連帯、の四つだ。

それは変わっていない。

昔は機械化製造業における工場労働者の搾取というのが問題だったけれど、今の産業革命はデジタル化と金融資本主義だ。

資本家が労働者を搾取するという構造ではない。
「人間」が見えない。

フランシスコ教皇が弾劾するのは環境や消費行動も含めた「廃棄文化」だ。

物だけではなく、競争に負けた人、競争に加われない人が排除されたり廃棄されたりする。

今やどんな大国も金融経済の指針に従って政治プログラムを作っている。

そこにユニヴァーサルなメッセージなど盛り込めるわけがない。

アメリカはいわゆる「価値観外交」をしているが、彼らのおしつける「民主主義」は偶像でしかない。

「民主主義の勝利のために戦争をする」というのは「神の名において戦争する」聖戦と変わりはない。

「神」や「宗教」や「民主主義」や「普遍主義(人を生まれ育ちや人種、性別、宗教信条で差別しない)」そのものが機能しなくなったのではなく、それらを都合のよい大義にすりかえている人間の欲望が本来の理念を捻じ曲げているのだ。

フランスなどでイスラム原理主義を批判する時に、

「自分たちは蒙昧な宗教の段階を卒業して大人になったのに、イスラム世界はまだ蒙昧の域にとどまっている」

という言い方がされることがある。

そのような誤った進歩史観はキリスト教から来たのではなく、キリスト教を否定するところから来たのだ。

「宗教を卒業」しても新たに「民主主義」を絶対教義に偶像化して恣意的に使ったり、マネーの神に仕え崇拝したりしているようでは、何のために「宗教を卒業」したのか分からない。

これに対して、JP2がちゃんとカトリック教会の過去を反省し謝罪したように、「宗教を卒業」するのでなく「宗教の蒙昧を卒業」する努力が必要なのだ。

人間にとって聖なるものは「自分たちの弱さと限界を知る」ことにあると彼らは言う。

「相対的強者は相対的弱者に仕えよ」というキリスト教のルーツにあるメッセージを生きようとたえず意識化しない限り、人はたやすく偶像崇拝やエゴイズムの罠に陥ってしまう。

科学技術の進歩はあっても、誘惑を前にした人間の進歩はない。

それでもフランシスコ教皇の米議会演説があれほどに歓迎されたのは、彼らのキリスト教ルーツにまだ残っている琴線に触れたからなのだろう。
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by mariastella | 2015-10-24 03:07 | 宗教

1990/1/1のJP 2の警告、不都合なフランシスコ教皇

1990/1/1のJP 2の警告

これは昨日の続きです。

イエズス会のマルティニと反対のポジションだったと言われるJP 2(ヨハネ=パウロ二世)だが、1990/1/1
に、今回のフランシスコ教皇のLaudato Siの回勅と同じ趣旨、同じトーンの環境破壊警告を発している。

すなわち、新自由主義の経済モデルが環境破壊をもたらしているということだ。

JP 2は、故国ポーランドを含めたソ連と東欧の共産主義陣営を崩すことを優先して英米に協力したけれど、それは別に英米の経済モデルが共産主義モデルよりも優れているとしたからではない。

JP 2が戦ったのは「共産主義」そのものではなくそこから派生した「全体主義」だった。

ラテン・アメリカのイエズス会士の一部が「解放の神学」で共産主義者と共闘したように、原始キリスト教社会のモデルはもともと共産主義と親和性がある。

(階級闘争や「革命」とは親和性がないけれど。だからこそ、ローマの支配に対して蜂起するリーダーとなってくれなかったイエスにイスラエルの民は失望したわけだ)

一方、富が富を生み集中していく弱肉強食の自由競争とか金権主義、マネーの支配などは本来キリスト教と両立しない。

それなのに、新自由主義経済の社会では、キリスト教は

家庭のモラルなどだけ唱えていればいい(どうせ誰も聞いてないから)、

金のことは口を出すな(けれどもメガ・チャーチなどがマーケティング・スキルを駆使して巨大産業になるのはOK)、

というスタンスが定着しつつあった。

共産国の全体主義を倒した後、JP2は間髪を入れずに次の敵に向かったというわけである。

それから25年経ったが、貧富の格差は先進国内でも地球上でも広がるばかりだから、今の経済システムから最大の利権を得ている政界財界の一部の人がフランシスコ教皇の教勅を蒙昧だ、陰謀だと言いたてるのは当然だ。

25年前のJP2はテロの後遺症も含めてすでに健康上の問題をかかえていた。

古いヨーロッパの旧社会主義国出身のJP2がどんなに警告を発しても、グローバリズムの「勝ち組」の耳には痛いものではない。

その後も、多くの人の目にJP2路線を継承し復古的だと映ったB16(ベネディクト16世)の時代になったので、何の歯止めにもならなかったけれど、突然、B16が退位して、新大陸からイエズス会のフランシスコ教皇が誕生して、その歯に衣着せぬ正論はカトリック世界を超えて大人気を獲得した。

Laudato Si も、カトリック世界を超えて世界中に呼びかけている。

「(我々が)誰であろうと、我々は共通の家が(まっすぐ)立ち続けられるようにしなくてはならない」と、地球全体についてすべての人間に語っているのだ。

この教皇の存在を煙たく思っている人は少なくないはずである。

今回の「健康」の風説被害の試みもその一つかもしれない。

教皇庁は「脳腫瘍説」をただちに否定して無責任報道に不快を示した。

何しろ、アメリカの大学教授である脳神経外科のタカノリ・フクシマという日本人医師がイタリアにやってきて診断したとか教皇がヘリコプターで検査を受けに行ったとかやけに詳しい報道だったのだ。

この12月にさらに詳しい健康診断があるというが、それは本当で、79歳の現役の国家首長としては当然だろう。

キューバやアメリカでの強行スケジュールを精力的にこなした姿を見ると、もっともっと頑張ってほしいと思う。
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by mariastella | 2015-10-23 00:49 | 宗教

「黒い法王」陰謀説

「黒い法王」陰謀説を説く人が主張するのはイエズス会陰謀説である。

そもそも中南米がカトリック国となったのはイエズス会の活躍の結果だ。

アルゼンティン出身のフランシスコ教皇が公式に訪れたボリビア、パラグァイ、キューバなど、すべての教会はイエズス会士の手によって建てられた。

ミッションスクールの教育を通してエリートとパイプをつくるのも宣教に効果的な戦略だった。

けれども、1970年代になって、マルキシズムの「階級闘争」にインスパイアされた「解放の神学」の枠の中で多くのイエズス会士がブルジョワのサークルから飛び出して貧しい人々と共闘するようになった。

その過激さが警戒されたこともあって、イエズス会からは一度も教皇が出ていなかったのだ。

長い間教皇候補と言われていたミラノ大司教カルロ・マリア・マルティニは教皇にならないままで2012年に85歳で亡くなったが、ヨハネ=パウロ2世やベネディクト16世の最大の論敵だった(2002年にパーキンソン病を公表するまではJP2の次の教皇だと噂されていた)。

彼は司祭の結婚、再婚者の聖体拝領、限定的避妊の容認、教会の地方分権、女性の助祭などをテーマにした第三ヴァティカン公会議の開催を望んでいて、カトリック教会は200年遅れている、何を恐れているのだ、と最後のインタビューでも言っていた。

家族シノドスの最終の週の初め、イタリア最大の新聞Corriere della Seraに、そのマルティニ大司教の全集に寄せたフランシスコ教皇の長い序文が掲載されたという。

陰謀論者にとっては、それが、現教皇の施策がマルティニ大司教の方針、イエズス会のパースペクティヴを継承したものだという明白な証拠だというわけである。

もっとも、第三ヴァティカン公会議どころか第二ヴァティカン公会議でさえ受け入れられないというカトリック保守派もまだいて、彼らは第二ヴァティカン公会議以降の教皇をすべて認めないという教皇不在説を掲げている。

sede vacante(教皇座が空位である状態。コンクラーベの間など)というラテン語から来るセデヴァカンティズムやその一派セデヴァカンティストという言葉があるくらいだ。

でも、本当にフランシスコ教皇は前教皇たちと反対の路線を行っていると言えるのだろうか ?(続く)
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by mariastella | 2015-10-22 03:23 | 宗教



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