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L'art de croire             竹下節子ブログ

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エリック・サティの世界

青土社の『ユリイカ』臨時増刊号の『エリック・サティの世界』に、『エゾテリック・サティの時代』という記事を書いた。

ユリイカに書くのは亡くなった津田新吾さんに頼まれた「バッハ特集」以来で懐かしかった。

バッハから、サティへ。

私の中では古い教会の中で響くオルガンの音と教会旋法とによってつながっている。

2人の教養や嗜好には共通したものがあるのに、時代と国が違ったらこんなにも距離ができるのだなあと感慨を覚える。

私のはまっているフランス・バロック音楽についても、サティは関係がある。

ラモーにあってバッハにはないものは、「間」であると、最近つくづく思う。
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by mariastella | 2015-11-30 02:54 | 音楽

ベンゼマとバルブエナの話の続き

サッカーのスター選手カリム・ベンゼマがナショナル・チームでの仲間であるマチュー・バルブエナに対する「sextape」恐喝事件に関わっていたという事件についてバルブエナがはじめてコメントした(11/27のル・モンド紙)。この事件について前に少し書いた縁があるのでひとこと。

要するに、金を払わなければ動画をネットに流されるぞ、ということでベンゼマが恐喝犯とバルブエナとの間を仲介したらしく、バルブエナは警察に訴え、警察が盗聴をしたらベンゼマの名が何度も出てきたということでスキャンダルになった。

ベンゼマはその「昔からの友達」に絶対の信頼をおいている、といい、テープは一つしかないから、話がつけば間違いなく公開されることはない、と言った。攻撃的ではなかった。しかし、前にもシセとの間に同様の問題があったそうだ。シセは仲間の携帯を変更したりデータをPCに移したりというサービスをしていた。バルブエナの古い携帯がどういうわけか恐喝犯の手に渡ったということらしい。

この人たちは、あれほど有名で、莫大な金を稼いでいることも知られているのに、なんだかリスク管理が甘すぎる。自分たちの立場やイメージに対する自覚が少ないのかもしれない。

なんにしても、バルブエナはベンゼマがリスペクトを欠いたことで失望し、もうこの2人がそろってナショナルチームでプレイすることはなさそうだ。

マルセイユやリヨンの郊外のシテで育ち、多くが学校教育からドロップアウトしてドラッグ取引や恐喝で稼ぐという環境の中から、少数の天才が優秀なサッカー選手になるケースがあるわけだけれど、社会的な分別能力があるかないかは分からない。

変な連想だけれど、パリのオペラ座バレエ学校では、みんながプロのバレリーナになれるわけではないから普通教育のアシストに力を入れていることとか、日本で大相撲に入門した力士が相撲教習所で半年間、相撲の実技や歴史・一般常識・書道・相撲甚句などの教養を学ぶシステムなどを思い出してしまった。

サッカーのスター選手はバレリーナや力士よりもはるかに大きな収入を得るし、いわゆる知名度も桁外れだろう。サッカー協会など莫大な予算があるのだから、才能ある若い選手に社会的責任を自覚してもらうためのシステムを何か考案すればいいのに。
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by mariastella | 2015-11-29 00:22 | 雑感

テロと国境線 Walls

テロの後、不法移民だのそれに隠れてやってくるテロリストだのを防ぐために、ヨーロッパの国境線をもっと強化しろ、閉じろ、という声があちこちから上がっている。

もちろん、ヨーロッパの全国境線を完全防御することなど不可能だ。

その時に誰かがこんなことを言っていた。

「ヨーロッパでこれまでに最もよく機能していた国境線はベルリンの壁だけだ。
それは、壁が二重になっていて、その間に入ったものはすべて撃ち殺されたからだ。」

怖い。

満州のチャーズのことも頭に浮かんだ。

そういえば「バカの壁」とかいうのもあったなあ。

こういう時代だからこそ歌いたい。

オーストラリアのシンガーソングライターのトミー・エマニュエルの『Walls(壁)』です。

歌詞はこちら。
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by mariastella | 2015-11-28 00:11 | 雑感

テロリスト勧誘システム

以下は昨日の記事の補足です。

移民の子弟ではないいわゆる「普通のフランス人青年」がジハディストになる経緯について質問を受けたので書いておく。

これはたちの悪いカルト勧誘と全く同じだ。

まず、毎週教会に行くようなブルジョワ家庭の子弟。
親が子供の自由を尊重する場合はたいていの子供は堅信礼の後で教会に行かなくなる。中にはスカウト活動やボランティアなどを続ける子もいる。(このタイプはカルトにはまらない)

まじめなタイプの子供で、親や教会活動の偽善を見抜いて憎むようになる子もいる。
日曜だけミサに行ってもそれは社交のためで、実際はみな弱者を踏みつけて勝ち組であることに満足しているではないか、という類だ。罪悪感もある。(リスクグループその1)

次に、、基本ブルジョワやインテリ家庭でキリスト教の教養もあるのに68年五月革命世代で宗教から離れ無神論を掲げ、子供に宗教教育を一切しない場合、子供たちはやはり親の享楽的な生活や自由な生活のエゴイズムに反発するケースがある。(リスクグループ2)

1の子供たちはカトリックには失望しているので仏教、他のマイナー宗教、各種カルト団体に向かう場合がある。2の場合はそれ以外にカトリック原理主義グループに接近することがある。

そういった「自分さがし」や「親への反発」「不公平で偽善的な社会への不満」などの過程にある青年たちに触手を伸ばすのがカルトの勧誘だ。

青年たちが何を求めているかについてカルトが有する「マーケティング」の力は半端なものではない。
カルト的でない宗教にはまった場合は実害はない。旧仏領インドシナの仏教徒コミュニティはフランスにたくさんあるが、別に彼らは帝国主義を責めることをアイデンティティにしていない。

他のカルトグループも、若者を洗脳して社会から分断したり奴隷化することがあるが、多くは一部の指導者の富の蓄積に寄与させるもので、基本的人権の侵害、財産権の侵害以外に他者への危害を推奨することはない(それはそれで十分問題だが)。もちろんオウム真理教のように教祖のキャラクターによってはテロに向かうグループもある。

さて、そういうベースがある「先進国」でISは勧誘を始める。

ひとりのフランス人をシリアに送ることに成功した勧誘者はその度に15000ユーロの報奨金を得る。

勧誘のプロによる勧誘の方法はひたすら「愛の宗教イスラム」である。

偽善的な親、弱者をくいものにするエゴイスティックな社会、堕落、などに失望している青年、自分の未来像を描けない青年はその愛の宗教に救われる。イスラム教徒になる。フランス国内ではそれ一筋だ。

その後で人々の命が危険にさらされているシリアに旅立つ。ここまでが勧誘者の仕事で報奨金を得る。

現地で戦火で廃墟となった町を見、学校にも行けず武器を取って戦わざるを得ない孤児を見、悪の権化である英米や悪魔に魅入られた祖国フランスによる空爆(テロだと言われる)を見る。

そこではじめて「狂信」の次のステージである「怒り」に導かれる。
「怒り」のステージから、戦い、報復、悪人の殲滅のジハードのステージに行く頃は洗脳が完成しきっている。

中には「こんなはずではなかった」とISから出ようとする者ももちろんいるけれど、あっさりと殺される。

これが、「普通のフランス人」をテロリストに仕立てるプロセスで、それ自体はよくできたカルトと変わらない。

違うのは彼らには武器や石油があり、石油資本の大国から提供される潤沢な資金があるということだ。

フランスにいる段階で洗脳を解いたり、カルトにねらわれやすい潜在的な層に対して、彼らが必要としているものを民主的、互助的な世界で提供したりしなくてはならない。空爆など続けていては洗脳の手伝いをしているようなものだ。

イラク侵攻やリビア侵攻の失敗から西側大国が何も学んでいないことは、驚くべきだと思っていたが、彼らには、1990年代からの中東政策の失敗体験よりも、いまだにナチス・ドイツに勝利した成功体験の方が大きいということが分かってきた。

悪魔であるヒトラーを倒すためにはスターリンとさえ手を組んだじゃないか、という成功体験が、シリア国軍と組んだりロシアやトルコやイランと組んでともかく戦力でまさることでヒトラーならぬISを壊滅させることができるという感覚がどこかにある。

戦争による成功体験の方が戦争による失敗体験よりも使い勝手がよく、それで莫大な利益を得る者がいるということなのだろう。

金曜はすべての家庭が三色旗を掲げて、などと言われているが、私の周囲はもちろんゼロだし、批判も多いことを付け加えておく。

また非常事態宣言による裁判所の条令なしの家宅捜索でレストランに突然捜索が入りドアを壊すなどした映像が防犯カメラに映ったのを一般TVも大きく扱った。その謝罪やそのような被害は完全に賠償すると政府は言っている。メディアの自由が残されているというのは本当に大切だ。
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by mariastella | 2015-11-27 00:08

有志連合の空爆はテロではない

対IS戦争はトルコによるロシア機の撃墜によってますます混迷を見せている。エルドガンのトルコがNATOに参加しているところからして「共闘」が困難なのは目に見えていた。

それは別として、ひとことだけ書いておきたいのだけれど、日本語ネットで、

中東専門家が、パリの惨劇は米仏などのIS空爆が原因と説明しているとか、TVの報道番組で

「一方で有志連合のアメリカのロシアの、あるいは、ヨーロッパの一部、フランスも含まれますが誤爆によって無辜の民が殺される。結婚式の車列にドローンによって無人機から爆弾が投下されて、皆殺しの目に遭う。これも、反対側から見ると、テロですよね」

と発言した人が批判されているというのを見て、これに関してはこういう言い方をすべきではない、と思った。

ちなみに私はエスカレートする空爆には反対だし、特にあちこちであっさり誤爆するアメリカのやり方とか強面のロシアには危惧する。フランスは言論統制が限りなく少ないのでこの2国よりはましだけれど、「戦争だ」と息巻く今の姿は見ていられないと思っている。ましてや日本がどさくさに紛れて、さあいつでも戦時体制に入れるようにあれこれ準備を、などというのは論外だと考える。

それでもなお、有志連合の空爆はテロではないと言いたい。

それは「暴力」ではあるがテロではない。

「パリの惨劇は米仏などのIS空爆が原因」

などという言い方は完全にISのふりまわす論理なので、そんなものに乗っかってはいけない。

「どっちもどっちですよね」という、例の「一神教同士の覇権争い」、「報復のエスカレート」のような高みの見物の立場をとってはいけない。

日本人の判官びいきというのがある。

第二次大戦で日本をも無差別爆撃した連合軍の暴力があったことの記憶がてつだうせいか、

「有志連合」の強力部隊が激しい空爆をしているのに対して「自爆」を覚悟で数名で大国の首都に乗り込む若いテロリスト、

という一見非対称な戦いに見えるのかもしれない。

また、「イスラエルの戦」車に対抗して「素手で投石するパレスティナの青年たちのインティファーダ」という非対称のイメージもあるだろう。

軍人が敵軍施設に突っ込んだ特攻隊の「カミカゼ」がこちらで自爆テロの代名詞になっているので「弱い者が自己を犠牲にして強い者に向かう」という英雄のイメージもどこかに刷り込まれているかもしれない。

けれども、一応戦争法内での軍事行動の特攻隊と、フランス国籍を持つテロリストによるパリでの無差別テロはもちろんなんの関係もない。

このテロについて、多くの社会学者や政治学者が侃々諤々とコメントするせいで問題が見えなくなっているけれど、フランス国内のテロの実行犯については、少なからぬ犯罪学者が発しているコメントの方が当たっている。

プロファイリングも進んでいる。

このような形の都市型テロは、必ず「狂信」、「怒り」、「殺人衝動」の三段階を経たものだという。

「狂信」は必ずしも宗教とは関係がない。
あるセオリーを、無批判に絶対的に排他的に過激に信じて、社会生活が円滑に送れないステージにいたることである。
しかし「狂信」者が即テロリストになるわけではない。

ある宗教や宗教指導者を盲信しても、全財産を寄付して出家するとか寝食を忘れて祈りだけで暮らすとかいうだけではテロリストにならない。

しかし「過激さ」があるレベルを超えたところで、それを他者や他宗教や他民族などに対する怒りに誘導され、その怒りのはけ口、また「解決法」として他の人間の命を奪うという決定に至った者がテロリストになる。

都市型の無差別殺人の多くはそういう経緯をたどっているので、それをどのレベルでどのようにチェックし食い止めるのかが防止法になる、と犯罪学者たちは言う。

もちろんフランスではこのプロセスがムスリム共同体の実態と深く結びついているのは事実だ。
といっても、2,400あるモスクの中で、共和国理念と両立しない宗教原理主義を説くイマムのいるところは100ヶ所くらいしかないそうだ。しかし3分の2のモスクは、軽犯罪やドラッグ売買や武器流通が横行する非行青年たちの共同体の隠れ蓑になっていて、ISがリクルートするのはそういう場所なのだ。

彼らに対して、よく考え抜かれた「狂信」「怒り」「殺人の正当化」のメソードが適用されて、「選ばれた者」がISで「訓練」されてから国に戻って任務を遂行する。

移民の子孫でないいわゆる「普通のフランス人」も「狂信者」とのコンタクトによってテロリスト側の世界に踏み込んでしまう。

「西洋諸国の独善によるIS空爆というテロに対抗するジハード」という正当化はその時にまず与えられるお題目だ。

しかしイラクやシリアのIS占拠地区で住民に対して暴虐の限りを尽くしているのはISであって、英米ではない。

無数のキリスト教徒や他のマイノリティが殺され、奴隷化され、追われている。ISはそれを公開して誇り、恐怖と共に一部の人間に倒錯的な求心力を及ぼしてさえいる。

「普通のムスリム」たちも、音楽やスポーツまで奪われ、処刑され、恐怖政治のもとにある。だからこそ何十万人もの難民がヨーロッパに逃げてきているのだ。

私は英米が2003年にイラクに軍事介入したことをはじめとしてフランスのアフリカへの軍事介入の仕方にも異を唱えてきた。

解決策は別にあるはずだと実際に模索もしている。

それでもなお、「空爆もテロだからどっちもどっちだよね」的な「ISの思うつぼ」的な言辞をメディアなどが軽々しく口にすることは戒めるべきだと考える。

弱者の正当防衛による必死の抵抗と、ISテロリストの占拠地でのテロや国外での無差別テロを混同してはいけない。

ISの占拠地では弱者やISに従わないものは毎日のように問答無用に殺されているのだ。

幸い直接の身の危険を感じずに済む安全地帯にいる人は、考えて、考えて、考え抜かなくてはいけない。
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by mariastella | 2015-11-26 00:10 | フランス

ポンシャトーのカルヴェリオに行ってきた

以前、ルイ=マリー・グリニョン・ド・モンフォールの聖遺骨について書いた記事で触れた「ポンシャトーのカルヴェリオ」を見たいという好奇心にかられて出かけた。快晴に恵まれた14ヘクタールの「巡礼地」はほとんどすべてが野外で季節外れの今、他の巡礼者がいないので独り占め状態だった。

エルサレムに行く代わりに聖地を再現しようという思いつきで、カリフォルニアかどこかのキリスト教テーマパークですか、という感じなのに、さすがルイ=マリー・グリニョン・ド・モンフォールという近代の大人気聖人のひとりが発案したものだけあって、記念の聖堂にも、ここを訪れる人には罪の完全免償が与えられるというピウス9世の銘板があった。

向かいのホテルのレストランにも他の客がいず、2010年の300年記念だった聖母被昇天祭の写真アルバムや記事をパトロンが見せてくれた。それこそディズニーランドの人気アトラクションを待つ列のように巡礼者がぎっしりゴルゴダの丘へとのぼっている。

現在見られる実物大の十字架の道の14景の像を造ったのはルルドの十字架の道と同じ人だそうだ。真っ白なので石膏みたいに見えるけれど鋳物を白く塗ったものだ。

ルルドは実際の山の中なので1景ずつしか見えてこないけれど、ここは見晴らしがよすぎて、しかもリアルな描写は要するに残酷シーンの連続だから、もし、キリスト教とは何かを知らない人が迷い込んだら(フリーパスで誰でも入れる)さぞやぎょっとするだろう。フランスがISに占拠されたらすぐに壊されそうだから今のうちに見とかなくては、などとジョークをとばしたくなる。

ブルターニュに行くためにモンパルナスから特急に乗ったのだが、日本の新幹線とは違って、何のゲートもなく外から来た人がそのまま乗り込めてしまう。テロの後だから少しは検問があると思っていたがゼロだった。極端に言えば、切符も持たず、武器や爆発物を持った人が乗り込んでも全く分からない。
ネットで買ってプリントアウトした切符には姓名が書いてあるけれど、車内コントロールさえなかった。
帰りも同じだ。いいのか、これで。

レンヌに滞在していたのだけれどパリと全く空気が違う。ブルターニュの人は、外に出ていきたがらないので、結構な学位を持っていてもみな慎ましい職についているし、パリなら外国人がマジョリティである家政婦、管理人、各種の単純労働者など、ほとんど「地元の人」であることにも驚かされる。

日本にいたらテロのことなどあまり話題にならないから平和でいいなあ、日本に行くのは精神衛生にいいなあ、と考えたことがあるけれど、ブルターニュでも十分別世界だなあと思った。

カルヴェリオでは各種の「洞窟」はもちろん、エルサレム神殿のファサードを再現した舞台や、城門スペースや、キッチュなのか本気なのかよく分からないいろいろなところに寄った後で、ミュージアムに行く。でも少し広い売店という雰囲気だ。前歯が1本しかないモンフォリアンの修道士でマラウイに36年過ごしたという年配の神父が一つ一つ解説してくれる。

ワニやヒョウのはく製、象の歯や足、蝶々や毒グモの標本、アフリカの民芸品から日本のコケシまで、要するに宣教師が世界各国で集めてきた記念品の展示ということだ。

でも陽気で明るい人で、「象には歯が4本しかなくてね、それが全部抜けると食べられなくなるので象の墓場に行って餓死するんだよ」などと得意そうに1本しかない歯で話してくれるので妙な気がする。

せっかくだからここの記念の小物やグリニョン・ド・モンフォールのメダルを購入したら、満面の笑みで、大きなよくとおる声でしっかりと「祝福」してくれた。

元気で長生きしてくださいね、とすなおに思えた。残った歯をお大事に。
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by mariastella | 2015-11-25 03:56 | 宗教

シャガールの『ノアの箱舟』

ニースの美術館にあるシャガールの『ノアの箱舟』はほんとうに幻視者の描いたものという気がする。

その上、見ている者がそのまま、いつのまにか画面の世界の一部になっている。

私たちはシャガールの幻視の世界の住人なのだ。

それはここでは、ノアの箱舟に乗っているという意味である。

創世記によると、動物たちは全種類がつがいで乗せられたけれど、人間はノアの家族だけだった。

「ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った(創世記7-7)」とある通りだ。

ノアには三人の息子がいたから全部で四組のカップルということだ。

でもシャガールの幻視の世界では、人が大勢いる。

ノアの箱舟を描いた多くの絵の中で唯一、船や水が描かれておらず、船の内側の光景だ。

だから絵を見るものとノアたちの間に境界がない。

動物たちも整然とブースに区分けされていず、人と同居している。

人の多くは裸体のようでもあり、人間と動物が同じ地平にいるようだ。

窓から白鳩をとばそうとしているノアはもう一方の手で動物の頭を撫でている。

その動物はノアと目を合わせている唯一の乗員である。母と子の組み合わせが多い。右下の母は必至で子供を守っているように見える。

右上の「マドンナ」は十字架のイエスを思わせる子供を抱いている。

同じシャガールの「人間の創造」の絵で、天使に抱かれたアダムの他に、上方に十字架のキリストが見えるのと呼応しているかのようだ。

シャガールはユダヤ人だが、キリストを最初のユダヤ人殉教者だと感じていたという。

私はシャガールの天を舞うような明るい色の絵よりも、この「箱舟」の中に潜り込む視点が好きだ。

あの窓の向こうにどんな世界が待っているのか知りたいし、左上に見えるヤコブの梯子の先にも心がとんでいく。
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by mariastella | 2015-11-24 22:05 | アート

フランス・テロについての日本語の記事に驚いたこととシャルリー・エブド

フランス・テロについての日本語の記事に驚いた。

その1 : あるブログに引かれていたこういう文。

>>日本はキリスト教国でもイスラム教国でもないのに、積極的にコミットしてキリスト教十字軍の一員とみなされれば、日本人の犠牲者を出すという代償を払うことになります。実際、それで日本人の人質が殺されたじゃないですか」(元外務省国際情報局長の孫崎享氏)

こ、これはひどい言い方だ。例の単純な「一神教同士の戦いに巻き込まれたくない」というタイプの言説。

フランスが正義の味方ぶってアフリカや中東に介入したり空爆したりしているのは事実だけど、政教分離共和国の意地にかけても絶対に「神のご加護を」なんて言わない「罰当たりな」国だから、アングロサクソン国と混同されたくない。

それにイスラム教国とキリスト教国が戦争しているわけではないし、イスラム教とキリスト教が戦争しているわけでもない。

経済格差や資源搾取や大国や石油王国やマルチナショナル企業のエゴや覇権主義や偽善も含めて背景は複雑で簡単には言えないけれど、少なくともあまり変なことを「偉い人」に行ってもらいたくないなあ。

その2 : 小田嶋隆さんのエッセイ

これを読んで驚倒した。日本で日本人がネット上で「対話路線」とか言うだけで批判されるとか、メディアや世論のあり方が変わるとか異様な空気が支配するとか、本当なのだろうか。

きっとアメリカが9・11のトラウマのせいで盛り上がっていて、そのアメリカ・テイストの情報が日本で流れているからそうなるんだろうか。

そういえば10年ほど前の「移民の子弟の暴動」騒ぎの時もアメリカのFOXニュースとかが大騒ぎしていたのを思い出す。

19日、3ヵ月の非常事態宣言が可決されたけれど、与党の中ですら反対票を投じる議員がいたし、「プレスの制限、統制」は否決された。

こんな時に「表現の自由」を制限したりしたら、1月のシャルリー・エブドの時の鼻息はどうなったの、ということになるからまあ当然だろう。

空港などのチェックについて厳しくなったり家宅捜査や尋問がしやすくなったりするというのは分かるが、「過去のテロ事件で刑務所にいて刑期を追えて釈放されている人に居場所確認のためのチップ付きの足環をとりつけることができる、ただし本人の合意がある場合に限る」などという項目にはほとんど笑える。

戦争モードで息巻いている人ももちろんいるし、それを利用する人もいるけれど、批判的な人も普通にいるし、別の呼びかけをしているムスリム系哲学者もいるし、一応マジョリティ宗教であるカトリック教会も「平和解決」が公式見解だから、全員が深刻な顔をして「十字軍」って言わなきゃ非国民扱いみたいな空気など逆立ちしてもあり得ない。

フランス人ってシニカルで天邪鬼で、他の人と違う意見を言うのを遠慮するということもない。
警官が非番でも拳銃を持てるようになりそうなことを批判する人もたくさんいる。

イマジンだって演奏されるし、お笑い番組やステージやジョークも再開されている。
19日にはしっかりとボジョレー・ヌーヴォーの解禁を楽しんでいる人たちがパリのバーやレストランにいた。
20日の夜はレストランに食べに行こう、と元文化相のジャック・ラングや歌手のシャルル・アズナブールらが呼びかけている。

火曜ぐらいまで閉めていた音楽院だとか映画フェスティヴァルを中止した場所は確かにある。

私のアンサンブルも練習場所を私の家に変更したけれどその後でいつも通りみんなでレストランに行って議論した。
その夜、中止がサイトに告知されていなかったので、近くの映画舘に楽しみにしていたイラン映画を観に出かけた私は無駄足を踏んだけれど、映画に行くのを自粛しようなどとはちらりとも考えなかった。
そういう意味では「若者の暴動」みたいな方が怖い。

政府主導の犠牲者追悼セレモニーは来週金曜にアンヴゥリッドで行われるそうだ。
廃兵院で軍事博物館でナポレオンの墓があるところだから「戦争」モードの政府の選択としてはぴったりだ。上下両院を集めての大統領演説はヴェルサイユ宮殿だったし、王でも皇帝でも栄光と「戦勝」記憶のあるものは何でも使おう、というところだ。

非常事態で過激派モスクやイマムが捜索されたり逮捕されたりするのは納得がいく。
それは見込み捜査などではなく、彼らの多くは過激な教えを堂々とネット映像で流しているからだ。
10歳くらいの子供たちを集めて、楽器は悪魔、音楽を聴くと猿か豚になる、豚肉を食べると豚になる、と教えている動画もある。猿や豚に失礼だ。
(今日の午後は弦楽カルテットの練習に行った。「モーツアルトはやっぱ癒してくれるよね」「モーツアルトって豚だよね」とかジョークを言いながら、そういえばヴァイオリンが教会の中で禁じられていた時代があったよなあと思い出す)

こういうイマムをフランスでも放置していたのは大問題だと思う。
空港の職員のロッカーが捜索されたというのは何となく嫌だ。コーランや祈り用の絨毯は発見されたというのだが、そして今回のテロリストがバスの運転手をしていたという事実もあるのだけれど、ムスリムだというだけでチェックされるようになるのは困る。

でも今回はシャルリー・エブドの時とちがってムハンマドのカリカチュアがどうだとかいう話がないから、フランスの一般ムスリムがどんどん声を上げ始めている。いい傾向だ。

難民の意見も大新聞に載っている。

つまり、フランス中が恐怖や自粛や疑心暗鬼に陥っているということはない。
ものまねユモリストは内務大臣の発表などをジョークにしている。
テンションをガス抜きできる場所はたくさんある。カリカチュアも全開だ。

今回のテロについてのシャルリー・エブドの表紙はこれ

「やつらには武器がある、それがどうした(糞くらえ)、僕らにはシャンパーニュがある」

という若者がシャンパーニュを飲みそれが体中にあいた穴から噴き出している。

うーん、ブラック・ジョークというか、シャルリーエブドが描くと強烈だ。「そろって片足の膝から先を失った女たちがフレンチ・カンカンを踊り続ける」という絵もあった。
テロの標的は民衆全体の「脳」だ、脊髄反射で憎悪や恐怖や報復に向かわず頭を使おう。考えることがすぐに解決に結びつくわけではないが、「考えること」がレジスタンスの最初のアクションなのだ、という記事もあった。

そう思うと、フランスのテロについてさえ「公式の正義」と違うことをなかなか言えないという日本のような国でテロだの暴動だのが起きたりするのは本当に怖い。

天災だと「悪者」を見つけるのが難しいからまだましだけれど、戦争、戦時体制ということになればさぞ悪夢が始まるだろう。それこそ亡命したくなる。

(あ、あすから数日、旅行に出かけるので久しぶりにブログ更新をストップしますが、テロに巻き込まれたのかもなどとまさかの心配をしないでくださいね。駅の検問とか特急の検問とか面倒そうだけど…。前からのプランなのでキャンセルなどという考えはありません。私が切符を持っていた旅行をキャンセルしたのは3・11の後の日本行きだけです。余震だの放射能だのは検問できないし、交通機関が途中でストップするのが不安でした。あの頃はほんとうに一月くらいネットにはりついてました。もし日本に大規模テロが起きたとしたらフランスにいても同調パニックを起こすかもしれないなあとも思います。では。) 
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by mariastella | 2015-11-21 01:08 | 雑感

パリのテロと十字軍、パリ支援のロゴのことなど。

(これは昨日の記事の続きです。)

1096年、フランス人教皇のウルバヌス二世が「神がそれを望む!」と煽って、何千人もの庶民巡礼者が638年以来イスラム教徒の支配下にあった「聖地」に向かい、「十字軍の騎士」がそれに続いたのは史実だ。

イスラム教が登場するまでの「中近東」地帯はキリスト教徒がマジョリティだった。

十字軍は「聖地奪還」してエルサレム国などのキリスト教国を打ち立てた。

しかし、1187年にイスラムの英雄サラディンがジハードを宣言してエルサレムを再び奪還した。

この前後の経緯については政治や宗教以上に、社会的にも経済的にも複雑な背景があるのだけれど、その後、数世紀経っても、キリスト教側もイスラム側も、単純な「戦争頭」は、この十字軍やらジハードの「聖戦」とか「正義の戦争」を都合のいいように刷り込んできた。

1990年にクウェートを救うと言ってイラクに侵攻したブッシュ(父)も「正義の戦争」と言ったし、ブッシュ(息子)の十字軍失言も有名だが、イスラム側もナセルからカダフィー、サダム・フセインまで、人気とりを意識して自らとサラディンを重ね合わせてきた。

最悪なのは、この、

「自分たちのテリトリーである中東に勝手に«エルサレム王国»をたてられたけれど、絶対に認めない、いつかは奪還して見せる」

というサラディンの成功体験のレトリックが現在進行形でイスラエルに向けられていることだ。

つまりもうキリスト教もユダヤ教も関係がない。

宗教が「他者への憎悪」「他者の排除」の口実に使われ、単純化された「十字軍」のような分かりやすいシンボルが横行するだけだ。

それを効果的にするためにイスラム過激派は「自由主義諸国=キリスト教国」とレッテル貼りをしているけれど、フランスはキリスト教文化圏の国でも群を抜いて政教分離で無神論、反教権主義がイデオロギーになったり知的担保になっている国なのだから皮肉だ。

シャルリー・エブド襲撃テロの後に有名になった『JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)』というロゴはフランス人の作ったものだけれど、今回出回ったのは同じ黒地の配色の『PRAY FOR PARIS(パリのために祈って)』というものは、アメリカ発だそうだ。

危機に当たって宗教的コノテーションがあるフレーズが出てくるのはアメリカらしい。9・11の後のNYに「なぜ神はこのテロを許したのか?」というチラシがNYの街角で配られていたのを思い出す。

ロンドン在住のフランス人イラストレーターのジャン・ジュリアンのデザインしたロゴも出回った。

これは核廃絶のシンボルでヒッピー運動以来peace and loveとして使われてきたロゴ

にエッフェル塔を組み合わせたものだという。

これを見て、あら、不思議、下に十字架が現れた、と思う人がいるとかいないとか・・・

私のもう一つのブログにがんばれマークをつけてくださった方、ありがとうございます。なんだかすごく力づけられました。)
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by mariastella | 2015-11-20 02:08 | フランス

人間の兄弟、ジハードと十字軍

30年以上愛読しているカトリック週刊誌が普段より一日早く同時多発テロ特集で発売された。

聖職者とか修道会が作っているものではなくリベラル・カトリックのジャーナリストが出している伝統ある雑誌だ。

表紙がパリの町を闊歩する兵士たちの写真で大きく「La France en GUERRE(戦争)」と書いてある。

軽々しく戦争という言葉と画像を使うことに少し失望した。

どのメディアも同じ路線だが、少し変わった書き方をするかと思ったのだ。
巻頭の言葉にも気になるものがあった。

野蛮な無差別テロに悲憤を表明するのはいい。
イスラム過激派とムスリム、過激派と宗教、外国人とテロリスト、宗教と暴力を混同するなというのもいい。

でもその後に、

「イスラム過激派はイスラムにとって死に至る病で我々の時代の最大の禍だ、(といっても)それは我々同じ人間の兄弟であるムスリムを糾弾するものではない」

とあったのが気になった。

信教や文化の別にかかわらず人間はみな兄弟だというのは分かる。

でも言い換えると、無差別テロという非人間的な蛮行をするテロリストは我々と同じ人間ではなく、兄弟ではない、という風に聞こえる。

蛮行が非人間的だからと言ってそれをした人が「人間ではない」と思ってしまうのは危険な気がする。

もちろん正当防衛の本能というのは分かる。
だから、たとえ悪意のない人(例えば薬や精神の病で幻覚にとらわれて関係のない他者を攻撃するなど)に襲われた時に、自分や被害者の身を守るためにとっさに相手を倒してしまう、というようなことだってあるかもしれない。
ましてや悪意、害意を持ってテロを遂行する相手にその場で刃向かうというのは自然なリアクションだろう。

でもそれは、その行為に対して、攻撃に対しての抵抗であって、相手が「人間ではない」から殲滅してもいいという意識が少しでもあるとしたら怖い。

「新大陸」を発見したヨーロッパ人が、「野蛮なこと」をしている先住民を見て彼らは人間じゃないとか魂がないとか言って虐殺したのを思い出してしまう。

ポスト・ファシズムの今の時代、すでに2006年にフレデリック・グロという哲学者が21世紀の暴力状態にもう戦争という言葉を使うのをやめようと提案したことがあった

戦争という言葉は「西洋世界」が定義した

「名誉、勇気、犠牲などの倫理を前提に政治的な目的を持ち法的枠内で行使される公で正当な(!)武力闘争」

のことだったそうで、今はもうそれは通用しないというのだ。

テロリストの攻撃も、恐怖により疑心暗鬼を煽り内戦を誘導したりカオスを作り出すのが目的だ。

でも、攻撃された国が「すわ、戦争」という時は、昔の定義通り、「正当な戦争」と言いたいのだろう。

すべての「戦争」は「防衛戦争」だというのはこの定義に合っている。

そして、「征伐された側」は、正当でもなく、ひょっとして「人間の兄弟」としてさえ認めてもらっていないのかもしれない。

そういう違和感は別として、この特集には興味深い記事がいろいろあった。

ジハードと十字軍の関係もその一つだ。

11世紀に起こった十字軍などアナクロニックな話だが、9・11の後のブッシュ大統領も口にしたほど、「教養のない人」の頭に安易に浮かぶ言葉である。

今回のテロの犯行声明でISは三度も十字軍に言及した。

パリはヨーロッパで十字軍の旗を掲げる首都であり、犠牲者は十字軍兵士であり、ISは十字軍の先頭に立ったフランスを罰したのだ、というレトリックである。(続く)
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by mariastella | 2015-11-19 01:54 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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