L'art de croire             竹下節子ブログ

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復活祭レポートの続き(その4) イエスの聖上衣

さあ、お待ちかねの(?)アルジャントゥーユの聖遺物巡礼記です。

ここはポントワーズ司教区のカテドラルなので「いつくしみの聖年」の扉が開いています。

そこを通るともうほとんど「全免償」。あ、もちろん「悔い改める」気持ちとかが伴っていないとだめなんですよ。

でも、私は2日前のテレビの教皇のURBI ORBIを見ただけで、もう「全免償」済みだし、3週間有効とも言われる「ゆるしの秘跡」も5日前に受けてるし、楽勝。

というのは冗談なので、まじめな信者さんはスルーするように。

さすがに、先週この町で、ベルギー=フランスのテロリストのアジトが捜索されて大量の武器弾薬が押収されただけあって、巡礼団ぎっしりとはならず、普通の観光気分の人混みでした。復活祭の休日も、数万人程度だったようです。で、個人の巡礼は平日の朝がお勧めとあったので10時の開扉の15分位前にカテドラルに着くようにしました。

うちのドアからカテドラルの扉まで一度乗り換えで50分くらいで着けました。

キリスト教聖遺物の中でトリノの聖骸布、オビエドの聖顔布と並んで、シンボリックな意味、信憑性の高さと謎とが最重要な三点セット聖遺物のひとつです。

以下、レポート。

駅を降りると、おそろいの赤いパーカーを来てスニーカーをはいた巡礼スタイルの初老の夫婦が、駅員にカテドラルへの行き道を聞いていた。すごい速足で歩いていく。

パリのブルジョワ地区の小教区で毎日曜にミサに出ていて、子供たちはみなカトリック系の学校に入れ、リタイアした今はジョッギングとかウォーキングとかハイキングとか、健康的な活動を夫婦で定期的にしていて、ブラック・アフリカの貧しい子供たちを助けるためのチャリティ活動などには熱心だけど、自分ちの近くに政府が路上生活者救済の福祉住宅を建てるのには絶対反対、ムスリムの難民なんてもちろん受け入れない、というタイプの夫婦。

カテドラルまで一緒に歩いただけでよくこんなことを言えるなあと思うかもしれないが、いや、9割は当たっていると思う。こういう背景が服装から挙措にまで透けて見えるのがパリなのだ。

駅の前にはこのための仮の案内所ができているけれどボランティアの人はまだ来ていない。
でもあちこちにカテドラルの道順やポスターがはってある。

絶対にムスリム人口の方が多そうな(フランスは共和国の建前によりもう150年も公的には、絶対に人種別や宗教別の人口統計をしない国なので実態は分らない)町だけれど、カテドラルは1905年の政教分離法以前の建物なので市の持ち物であり、聖遺物公開は「市の観光事業」としてありがたいものだから、「カトリックの祭」を遠慮する雰囲気はない。

カテドラルも聖遺物も、文化遺産として、宗教のシンボルとして両面を持つ。

特に、復活祭の連休も終わったので、カテドラル内で派手な宗教行事があるわけではない。
夕方のミサと、巡礼団のミサがあるだけで、その間は聖遺物の前のスペースには近づけないことになっているので、聖遺物目当てに来る人はむしろミサの時間を避ける。

聖堂前の広場には10人ほどの警官がいて、扉の前で、男性はコートを開いて、女性はバッグの中を見せてください、と一応安全チェックがされるけれど、こんな風に「男女別」の点検のされ方を支持されたのは初めてだ。
広場では臨時ブースがあって、関連書籍、記念のバッジや布の袋やメダルの他にロザリオやロザリオブレスなどが販売されている。

聖遺物と関係のなさそうな蜂蜜や、市の他の観光ポイントの絵葉書も売られているので、これが町ぐるみのビジネスチャンスになっているのが分かる。

聖堂の中で売られているのは蝋燭だけだ。

入場はもちろん無料だし、身分証明書の提示もないし(大学関係の場所の検査では必要だった)、宗教の帰属も関係ない。出る時にはだれでも記念のカードをもらえる。

なんといっても、いつもながら、この「無償性」が気持ちいい。

で、まだ人が少ないのであまり並ばずに済んだし、聖遺物の前で佇んだり写真を撮ったりすることもできた。

でも1984年の時と違って、配置を復元された布片が直接見えるのではなくその上から茶色のヴェールみたいな上衣を被されているので、光線の具合で中の様子があまりよく見えない。

近くのスペースにはずっととどまっていられないので、後は会衆席に座って各自お祈りをどうぞということになる。

本当に真剣に祈っている人もいるし、体の不自由そうな人も少なくないので、この聖遺物が長い間、「奇跡の治癒」をもたらしてきた歴史のことを思いだす。

けれども、奇跡を期待する濃密な空気みたいなものは、ルルドの洞窟の中やパリの「不思議のメダイ(奇跡のメダル)のチャペル」の中ほどには充満していない。

ノートルダムでの「茨の冠」の公開ほどには信者と観光客との信仰密度のばらつきはないし、トリノの聖骸布公開のような規模も「集客力」の迫力もない。

フランスの代々の王家の墓を擁するフランス史で最重要の建物のひとつであるサンドニのカテドラルが今や昼間歩くだけでも治安の悪い町に取り残された形になっているのと似ている。
ジャンヌ・ダルクのオルレアンもムスリムの移民街が多い。

同じ移民街でもイタリア系移民の住み着いた町では、彼らの「マイ・聖女」である聖女リタのチャペルがすぐできるのだけれど。

祈りの対象が聖油だろうが聖像だろうが、聖遺物だろうが、一度「奇跡」の実績、あるいは「奇跡」の風評が確立すればそれは「聖地」となる。

イエスが鞭打たれた後で十字架の横木を担がされて歩く時に着せられた上衣という最高級の聖遺物がずっとこんな場所でこんな形で保管されているのはシュールでもある。

この服は、もともとばらばらになっていたので、布片や糸は何度か検査、分析の対象になった。

ラクダの毛織物だと伝えられていたのに、赤茶に染色された羊の毛で、一世紀のコプトの毛織物と同じ種類のものであると分かっていて、AB型の血痕も確認され、その位置もトリノの聖骸布と一致している。

「聖十字架」の破片のたぐいのキリストの聖遺物は、全部合わせると森ができると言われているくらいだから、あやしいこと限りないし、「骨」さえあれば、聖人の名が後から適当に付け加えられることもあるような「聖遺物マーケット」の世界で、実は、この血の付いたぼろぼろの服(縫い目がなくて袖もそのままの形で織られたことは確実だそうだ。だからこそ兵士たちはそれを引きちぎって分けることができなかった)は、トリノの聖骸布と同じく最も信憑性の高いものだ。

しかし信仰の世界では、いわゆる鰯の頭でも「ありがたさ」は出現するし、「偽物」だって祈りのエネルギーが大きければ「依代」として機能するようだから、この服が本物であるかどうかは実は本質的な問題ではないのかもしれない。
カトリック教会もこれが本物だから崇敬せよ、と言っているわけではなく、長い歴史のある信仰の対象物として認めているわけだ。

ババリアの有名な霊媒タイプの聖女テレーズ・ニューマンは、この服の小片の入った封筒を中身を知らされずに持って来られた時に、がくがく震えだしたという(その証言は確かに残っている)。

いろいろな霊媒が今ここに巡礼に来てレポートを残してくれたら興味深いのだけれど、多分この聖遺物にはもう何世紀にもわたるすごい数の人々の思いやら生霊やら浮遊霊なんかがびっしりついていて、2000年前にこれを見に着けていた男についての情報なんかかき消されているか最古層に沈んでいるもしれない。

どんな聖遺物でもそれ自体は「物」でしかない。

そんなことを考えながら、劇的な回心体験もなく祈りに沈潜するような気分にもなれず、かといってせっかく来たのにすぐ帰るのもなんだし、と迷う私の目に入ったのは、公開期間中ずっとやっている「告解」のポスターだ。

「今日の言語」と書いてあって、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、スペインなどの国旗が描かれている。

数名の告解司祭が祭壇の裏側に待機しているようだ。

聖遺物スペースから出て聖上衣のチャペルの手前のスペースに司祭が一人座っていてその前の椅子に告解する人が座っている。これは普通のフランス人用だ。

少し離れて待合席が30ばかりあるが誰も座っていない。

チャンスだ。

聞きたいことがたくさんある。

(続く)
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by mariastella | 2016-03-31 07:31 | 宗教

復活祭レポートの続き(その3)

Arteでロシア正教の復活祭のドキュメント番組を見た。

北西のラドガ湖というところにあるValaam島にある修道院。

近くの町に行くには船で4時間かかる。ロシア革命時にはフィンランドに併合され、1940年にはソ連に併合されて軍事基地や施設ができる。

修道院は廃墟となり、1989年に6人の修道士が戻ってきた。

ビザンチン典礼にロシアのテイストが入った音楽は信仰生活の中心のひとつだ。

修道士たちの歌唱訓練をするためにマリンスキー劇場の女性オペラ歌手が来て指導する。

今ではロシアのアトス山と言われているそうだけれど、気候が違う。こっちの方が格段に厳しい。

音楽なしでは成り立たない生活。音楽のようにハーモニーと共鳴の中で生きる、と強調されていた。

ここはロシア正教だから十字を切るのは右手で横棒は右肩から左肩へと、カトリックと反対だが、左手を使う人は映っていない。

クリスマスより復活祭が大切。「犠牲はむだではない」ことの証しだから。

モスクワでプロのサッカー選手だった修道士はここにきて7年目。
修道院での生活はサッカーと似ている部分もある。自分たちは自然のゴールキーパーであり、アタッカーではない、と語る。

ペレストロイカ以降多くの教会や修道院が修復され豪華になったけれど、それによって魂が失われている、という警告も。

この修道院も2008年にプーチン大統領が修復感性のセレモニーに出席したそうだ。

一番驚いたのはここの霊的指導者で皆から尊敬されているセラフィム神父が、アルザス出身のフランス人だということだ。

1人で隠遁所に暮らし、フランス語でインタビューに答えていた。

それを見ると、ロシア正教で民族色があるといっても、やはりキリスト教は普遍宗教なのだなあと思う。

とはいえ、こういう風に外の世界から切り離されて祈りと労働(蝋燭製造などの他、薪割りや食事の支度だけでも大変だ)に徹する男たち。

図書係りの修道士は「以前結婚していたことがある、結婚とは何かを知ったから戻る気はない」とやけにリアルに行っていた。

彼らは基本子孫を残さないわけだけれど、こういう霊的で禁欲的な人たちの共同体が弾圧されることなくどこかで平和に存続していけるというのは世界の霊的健康にとって大切な何かを担っているのだろう。

(続く)
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by mariastella | 2016-03-30 00:13 | 宗教

復活祭レポートの続き(その2) 十字の切り方

復活祭の日曜日は、夏時間への移行で1時間睡眠時間が削られるので寝坊することに決めて、ミサはテレビで鑑賞。

これがなかなかおもしろかった。

アイルランド、ダブリンにあるフランシスコ会系の教会のミサで、司祭は3名の共同司式。

伴奏がオルガン奏者が指揮を兼ねるコーラスと、チェリストとヴァイオリニストで、彼らのしぐさも時々映って興味深い。私もこれまでになんどか結婚式などのミサの伴奏のギター演奏もしたし、洗礼式でソロのソプラノの伴奏をオルガンで弾いたこともあるからだ。

選曲やタイミングのことがとても興味深かった。

で、何といってもあの有名な、アッシジのフランチェスコの『Make me a channel of your peace』が美しいし、その後で男性ソロで歌われた『ブラザー・サン、シスター・ムーン』もすばらしかった。

前者はフランス語では『Seigneur, fais de moi un instrument de ta paix 』という歌だが英語で聞けるのが新鮮。
もう前世紀の終わりになるけれど、アメリカでの会議の出席を頼まれた時、あわててパリのアメリカン・チャーチに寄ったり、衛星放送の英語のキリスト教チャンネルを熱心に見たりしてヒアリングや語彙の勉強をしたのを思いだした。勧誘をする新興プロテスタントは別として、「大手のキリスト教」の教会って、ただで外国語を勉強するのに一番適した場所のような気がする。

で、どちらかというと「音楽鑑賞」だったアイルランドのミサだが、驚いたのは、三人の司祭のうち端の一人が左利きだったことだ。
いや、左利きの司祭は一定の割合でいるかもしれないが、聖体を授ける時に、右手で容器を持ち、左手で授けているのだ。それだけではない、胸の前で十字を切る時にまで左手で切っていた。

年配だし、一瞬、何かの後遺症で右手が不自由なのかと思って観察したが、右手も普通に動いているようだ。
単に、左利きという可能性が高い。

印欧語の「左右」では、「左」という言葉は不器用だとかネガティヴな含意があり、右はまっすぐや正しいという含意がある。
バリ島でヒンズー寺院に行ってうっかり不浄の左手でお賽銭を渡そうとして注意されたことも思い出す。

日本語も「左前」とか逆さ事というものがある。『左右の民俗学(歴史民存学資料叢書)』(批評社)は私の愛読書のひとつだ。

人間の体が左右対称でない以上、右と左に聖俗や浄穢の差別構造が生まれることは不思議ではない。

日本では左大臣の方が右大臣の方が偉かったけれど、明治以降の西欧風プロトコルの上下関係ではホストの右側の方が上位ということで、お雛様の配列までも変わったという話を聞いたことがある。

右が上位というのは、西洋というより、パレスティナ生まれのユダヤ=キリスト教文化の伝統で、神の右に上げられる、というのがあるからだろう。

右利きが統計的に圧倒的に多いということで。「誰それの右腕となる」という表現もある。

聖母マリアが神の母ということから父なる神の右に坐するというイメージも生まれ、福音書の記述にはないのに十字架の右に立ったと言われ、そのせいで磔刑像のイエスは右下をむいている。

天にいる父を見上げる時だけ左上を見るのは父の右に用意された場所を見ているからかもしれない。(これについては他にいろいろな説がありますが新書版キリスト教で紹介するつもりだ)

しかし、複雑なしぐさなら別だが十字を切るとか聖体を授けるくらい、左利きでも右手でできそうなのに、この司祭、神学生時代などに「おい、右手でやれよ」とか言われなかったのかなあ、と思ってしまう。

もっとも教会法的には左右の強制はないはずだ。
右手がない人や動かない人だっているのだから当然だろう。

それでもテレビに3人の司祭が並んで映って、同時に十字を切ってひとりだけ左手なんて、なんだかほほえましい。
こういう雰囲気の中では教条主義とか原理主義とかは育まれないだろうなあ、と安心する。

最後にこれも有名なアイリッシュ・ソングThe Coolinがヴァイオリンのソロで演奏された。

余韻たっぷりの雰囲気のところで、画面が突然変わって、アイリッシュ・ソングが一転、ヴァティカンのファンファーレが鳴り響いた。青空が広がっている。

フランシスコ教皇になってから各国語の復活祭おめでとうの挨拶がないので各国の巡礼団の規模も分かりにくい。オランダから贈られる白薔薇は変わらない。

「いつくしみの聖年」といっても、「思いやり」とか「いたわり」ではなく、世界をより公正に導くようないつくしみであること、自由と平和という約束の道に向かってみなが進んでいくのだということが印象に残った。
そして最後にいつも通り、私のために忘れずに祈ってください、みなさん、よい昼食を!というのも忘れない。

まあお元気そうなのでほっとする。

自分の宗教にかかわらずこの教皇に対する好感度調査をしたら、最高がポルトガルで94%、次がフィリピン93%、北アメリカ63%南アメリカ77%、など。
カトリックの85%が好感、 プロテスタントで53%、正教で49%が好感。

でも、反感を持っている人の率はプロテスタントで17%(無関心30%)、 正教で11%、(無関心40%)、無神論者と不可知論者は.51%が好感を持ち、仏教徒は33%(反感は11%)、イスラム教徒は28%(反感17%)だそうで、調査不可能はアフガニスタン、中国、イラク、イスラエル、サウジアラビアだったという。

教育程度や貧富でいくと、貧しくて教育程度の低い層ほど教皇への好感度が少ない。反感もない。

つまり、メディアによって伝えられる教皇の言葉などと接して把握する能力やチャンスがないから「どちらでもない」のだ。
貧しい人のために全霊を捧げる今の教皇にとっては皮肉だと言える。

ベネディクト16世は東日本大震災の後で「どうして自分たちがこんな目に合わなければならないのか」と質問した日本の8歳の少女に自分も分からないと答えた。
フランシスコ教皇は、フィリピンを訪問した時、やはり一人の少女に、自分たちは悪くないのにどうして麻薬などの悪が降りかかるのか公開で質問して泣いた。教皇は少女を抱きしめて、「泣くのを恐れてはだめだ」と言った。

教皇と言えば、テロリズムについて、2002年のアルゼンチン経済危機の時「金融テロ」という言葉を使っているし、2014年の教皇庁の病の話の中では9番目に「みなさん、うわさ話というテロに陥らないようにしましょう」と呼びかけた。

「血も涙もなく他人を傷つける」という結果において、暴力のテロも金融テロも噂話も同じだというのはすごい洞察だと思う。誰でもテロリストになる危険があるのだ。

教皇は刑務所を訪れることが多いのはなぜかという問に答えて、それは刑務所にいる人たちを見ていつも「どうして、彼らが?  どうして私ではないのか?」という感慨を禁じ得ないからだ、とも言ったことがある。
教皇が司祭になろうと決心したのは、17歳の時に教区の教会で突然告解をする必要に駆られて告解室に入ったら、そこで「主が待っていた」という体験があったからだそうだ。

教皇になってから、告解ブースに入る前に、「あ、ちょっと」という感じで別の告解ブースにいた告解司祭の前に行き、ひざまずいてまず自分が告解し始めたという映像も残っている。

こういうことを堂々と言ったりしたりできるのは、もともとそういうタイプの人だったのか、そこに「聖霊の力」が働いたのかどうかは分からない。

すごい。

同じ日曜の夜はArteでロシア正教の復活祭のドキュメント番組があった。

それについては次回に。
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by mariastella | 2016-03-29 02:35 | 宗教

復活祭レポートの続き。

復活徹夜祭に行ってきた。日本語のこの言葉ってなんだかすごい。

フランス語だと「徹夜で仕事した」という時の「徹夜」とは違う言葉なので「イヴ」なんかと近い。

冬至に重なり日照時間が減るのが終わって太陽が「再生」するクリスマスも「光」と関係が深いけれど、復活祭の方は春分と連動してほんとうに春の訪れの「光」だ。

イエス・キリストが磔刑死して空が真っ暗になり、その後中一日、残された人々は悲しみや裏切りや罪悪感の闇に過ごし、その次の日の復活ということで、「消えていた火が戻って来る」という火祭りのヴァリエーションでもある。

だから、「夜」の演出が必要となる。

ベースは、教会の前で松明などの火が灯されて、そこから、大蝋燭に、そして信者の持つ蝋燭に次々と火がともされて並んで教会に入っていく、とか、信者は暗い教会に座って待っていて、灯りと共に入場する司祭団を迎えるとか、になる。

聖書の朗読や復活の歌などが歌われた後で手持ちの蝋燭の火を消し、聖堂の電気がつけられる。

日本の教会では消防法の関係などで蝋燭を捧げることができないというのを聞いたことがあるけれど今はどうなのだろう。フランスの教会での蝋燭の扱いは、日本のお寺でのお線香の扱いと同じくらい普通だ。

暗いところで揺らめく手元の炎を見ていると、プロメテウスの神話から、理科の実験、数々の比喩などいろいろなことが思い浮かんで飽きない。

今年の日本でのお正月に見た大晦日の夜の神社のかがり火も思い出す。

ろうそくを手にして行列というのは、2011年のパゴダで天竺菩提樹のセレモニーに出たとき以来かもしれない。

あの時も、中で火事にならないかと心配したっけ。

日本のR大学の学生さんたちに同行したルルドでの蝋燭行列はそれよりも前だ。

復活徹夜祭というのは「成人洗礼」を同時にやることが多い。

昨日参加したのはごく普通のパリ郊外の教会なのだけれど8人の成人洗礼があったので軽く驚いた。

昔うちのあったフランドルの村では幼児洗礼がデフォルトだったから、「成人洗礼」と復活祭がセットなどと知っている人もいなかったぐらいだ。

私は2度ゴッドマザーになったことがある。
パリのカトリック系私立学校の中学生の女の子の洗礼は、初聖体やらとセットになった学校行事だった。

もう一人の日本人女性の知り合いは、パリ外国宣教会の復活徹夜祭での受洗だった。
その時は聖餐でワインをいただいたのが印象的だったけれど、署名以外にこれといって何かをしなければならないということはなかった。

いわゆる幼児洗礼というものには数えきれないくらい出席したけれど復活祭とは関係がなく、基本昼間で、メインはその後のパーティだったりする。

で、これまで会ったこともない4人ずつの男女が受洗者だったが、ユニークなのは入り口から祭壇までの通路を挟んで会衆席が向かい合わせに並んでいることだ。

主の平和タイムで皆が握手しあう時にも移動しやすくて和気藹々という感じになっている。

この教会には何度もコンサートに来ているし演奏したこともあるけれどこういう椅子の配置を見るのは初めてだ。

その真ん中の通路に大蝋燭、花飾り、洗礼の水盤が並んでいる。だからどこからでもよく見える。ひとりひとり呼ばれたら紫の肩掛けを外して進む。

父と子と聖霊の名で水を三度かけてもらう間に脇から代父または代母、または両脇を代父代母に支えてもらっている。何か、受洗者が逃げないように押えているようにも見えなくもない。
ふーんという感じで見ていた。

最後の一人の青年は、黒いスーツに蝶ネクタイの正装で、見るからに緊張していて、代母にそれこそ支えてもらっている。で、水をかけてもらいアーメンといって顔をあげた時、青年と代母の顔がぱあーっと輝いて、二人は聖水盤の前で抱き合ってキスした。

これには正直、感動して幸せな気持ちになった。

また、別の受洗者でクリストフとエリーズという2人がいて、この2人はすでに夫婦であるらしく、洗礼式の後で並び、司祭から結婚の(秘跡ではないが)祝福を受けて、キスしあった。

40代くらいのカップルだ。

誰ももうめったに結婚しないし、結婚しても二組に一組が分かれるようなこの国で、カップルの結びつきを神に捧げようと決心して2人で歩いてきた(この受洗までに2年かかったという)ことを思うと、それも素晴らしいと思った。

復活祭の醍醐味ってこういうところなのかもしれない。

朝のラジオでポントワーズのラランヌ大司教が、復活祭に二人の受刑者が受洗することを告げ、その一人が、受洗のプロセスによってはじめて「信じることの自由」を知った、と言っていたと話していたのも思い出す。

今の時代には「信じない自由」よりも「信じる自由」の行使の方が決意を必要とする。

それから、彼らはそれぞれ白い肩掛けをもらった。チベットの「カタ」みたいだ。

それから蝋燭に火をともし、先ほど火を消した蝋燭を手に持っている会衆を回ってまた火を次々とつけていく。「火」って、こうやって分かち合えるのが目に見えて効果的だ。

ここで歌われる洗礼の歌は陽気で、時々パパパンパンと手拍子も入る。

すでに洗礼を受けた人も、もう一度洗礼の恵みを新たにするというか、信仰をあらたにするようにということで、柘植の洗礼の水盤に残った聖水に、司祭が柘植の枝を浸して、それを振り回して会衆席の人の間を回り、しずくを振りかけていく。
(一瞬、メガネを外そうかと思ったが、枝の主日のように水が目に入ることもあるからメガネをかけたままにした。目をつぶるという選択肢は思い浮かばなかった。ともかく最近作ったこのメガネのおかげで隅々までくっきり見える復活祭ウォッチングとなった。)

「説教」の内容は神のfidélitéについてだった。

普通フランス語のフィデリテというと忠実という意味で、「オリジナルを忠実に再現する」のように使われる。
でも神のフィデリテはその反対で、神は同じものを二度と作らない、常にクリエートする、という。

つまり一度作ったものはどんなものでも「完成形」であり、それを裁いたり反省したり打ち捨てたりもしなければ、よかったからといってコピーをつくることもない。

被造物の一回性、十全性ということについて考えさせられる言葉だった。

(続く)
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by mariastella | 2016-03-28 02:17 | 宗教

イエスの聖上衣の公開と復活祭

日本のカトリック教会ではもう復活徹夜祭が終わっています。

フランスは今年、めずらしく、この復活祭の夜が、夏時間への移行と一致していて、パリは曇り空ですがこれでぐんと昼の時間が長くなります。

今年の復活祭は、聖遺物フリークの私には特別です。

サンラザールから10分少しで行けるArgenteuilのバジリカで、イエスの上衣の聖遺物が2週間だけ公開されるからです。本来なら次の公開は2034年だったのですが。

宗教に関係なく個人でも無料で見学できます。でも、他の有名な聖堂と違って、いわゆる観光ルートに入っていないばかりか、あたりはいわゆる「アラブ街」になっていて、今回のテロの後も、いろいろ捜索が入っている町なので、セキュリティ強化はされているようですが、「普通の人」には敷居が高いかも。

西暦800年にシャルルマーニュがコンスタンティノープルから持ってきてこの町に渡されてからずっと動いていないという点で、宗教戦争やフランス革命を生き延びただけでも、「奇跡」の聖遺物です。

この前の公開の時(1984, 2000)もいろいろな資料を漁りましたが、トリノの聖骸布との血痕の場所の一致も含め、中世の聖遺物の中では「偽物性」が確定していないというだけでも独特の位置を占めています。

聖母マリアが作ったもので、縫い目がないとか一枚布というのは確認されているそうですが、イエスの成長につれて大きくなったとかいう伝説の方はどう考えてもあやしいと思います(小さな声)が、刑死した当時すでに一部の支持者からはメシア扱いされていたイエスですから、記念になる服などをとっておこうとした人がいるのは不思議ではありません。

私が聖遺物(釈迦の真骨なども含めて)好きなのは、フェティシズムのせいではなくて、フェティシズムが信仰の中で占める場所、機能、人々と聖なるものとの関係性、などにすごく興味があるからです。

今年は「慈しみの特別聖年」で、アルジャントゥーユのバジリカももちろん全免償の対象になる巡礼指定で「聖年の扉」があるので行ってきます。

全免償といっても、「免」と「償」は厳密にいうと別で、先(後でもOK。3週間有効? と言われることもある)に「免」にあたる「ゆるし」の秘跡が必要で、それから「償い」としての巡礼とか祈りとかがセットになっているわけです。

私は、まるで人生のスパイスであるかのようにつまらないことにはいじいじと罪悪感が多いくせに、では、「ゆるし」がないと苦しいとか、「ゆるし」を受けたら楽になるというタイプの罪悪感が希薄なのですが、「ゆるす」のも「ゆるされる」のも大好きです。

「ゆるされる」方が好きかな。
「ゆるされる」と「ゆるす」喜びも分かります。

いわゆる「願」をかけたり、神仏の加護を真剣に祈ったりするには、私より真剣な人が明らかに多いので、信仰の場所で自分や自分に近い人のことのために祈ることは形式以上にはしません。
個人的なそういう「お願い」みたいなのは亡くなった両親などに頼ってしまうタイプです

で、せっかく「いつくしみの聖年」、キリスト教世界で最もメジャーな聖遺物のひとつであるイエスの聖上衣の巡礼と復活祭とを最大限に楽しむために、ちゃんと「告解」にも行きました。

告解司祭さんとの間でついお話がはずんでしまいましたが「すべての罪をゆるします」って言われるのは気持ちいいです。
欝々としている人や葛藤のある人で心理療法や精神分析に頼れない時代の人が、「近所の教会」で何でも話して「ゆるされる」というのはなかなかすばらしい場合もあったと思います。
無料だし、他の人の悪口や愚痴や恨みからでなく、そういう自分の思いへの罪悪感からアプローチした上で「ゆるされる」というのは悪くないかも。

まあ、罪悪感の薄い人から無理やり「懺悔」を誘導する司祭もいたでしょうし、また、フランス国王たちのように、年がら年中「不倫」とかしていても、復活祭の前に一度だけ告解してリセットしてしまうことで罪悪感ゼロの人も多かったので「偽善」の温床になるなど、いろいろなケースがあったのはもちろんです。

薬や治療や健康法と同じで体質や出会いやメンタルによって意味も効果も違ってくるのでしょうが。

ただ、神の愛は無限だから「ゆるされない罪は存在しない」はずなのですが、昨今の司祭による子供への性的虐待スキャンダルについては教皇は「ゆるされない」と断定しています。

「償えない」って意味でしょうか。

小児虐待をした親や司祭から告解を受けたら告解司祭は「ゆるさない」とは言えないのではないか、とも思いますが、フランスでも、1992年から、15歳未満の子供への性的ハラスメントなどについては「告解の秘密」が適用されない、となったそうですから、そしたら、罪悪感を持っていてもそんなことを告白する人もいなくなったかもしれないなあ、などと考え中です。

前教皇のベネディクト16世が蝋燭が消えるように亡くなりつつある、と昨日からずっとニュースが流れています。

聖金曜日に亡くなりたいというか、聖金曜日までは持ち堪える、というのではないか、と新たなニュースを見るのが心配なままこれを書いています。私は彼のファンでした。
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by mariastella | 2016-03-26 23:45 | 宗教

4月のお知らせ

4月10日に中央公論新社から『キリスト教の謎』が出る予定です。

サイトにまたコメントを出します。

この本のおかげでまたいろいろなことを考えるようになりました。

4月27日(水)に

四ツ谷のニコラ・バレ1階105でトーク・イベントをする予定です。
4年前は同じ四谷のイグナチオのヨセフホールでやりましたが、今度はニコラバレです。四谷駅麹町出口徒歩1分です。

午後6時30分開場 午後7時開演 8時半終了です。

何を話すかまだ決めてません。でも楽しみです。

四ツ谷には最近サン・パウロ会の近くに修道院のお菓子などが買えるサンパオリーノというお店が開いたそうです。パリでも修道院製品を売っているお店は私のよく行く所です。通販も利用しています。ステビア甘味のココアとかいつも飲んでます。今は復活祭のチョコレートがいっぱいです。
日本の修道院のものはさすがにありませんから、どんなものがあるのか4月に見てみたいですね。

(って、なんのお知らせをしてるんだか…)
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by mariastella | 2016-03-24 23:36 | お知らせ

ブリュッセルのテロの話

せっかく春になって天気もいいのに、朝からブリュッセルのテロのニュースで気が重くなった。

夜のパリ10区のカフェテラスやバタクラン・ホールは、自分が普段行かないところなので実感がなかったけれど、ブリュッセルは空港の出発ロビーや都心のメトロということで、こちらの方が身近に感じられて怖い。

テレビで「なぜブリッセルなのか」という質問に対して解説があったもののうちいくつかが興味深かった。

1/ 四日前にパリのテロの実行犯がブリュッセルのモレンベークでようやく逮捕されたのでその報復か、という質問と、

2/ フランスの方が空爆しているし、政教分離でイスラム・スカーフを学校で禁じたり公共の場所で顔を隠すベールを禁じたりする法律を作っているし、狙われるのは分かるが、なぜそうではないベルギーなのか、という質問。

私は、ブリュッセルにはEUの本部があるからヨーロッパ全体に対するシンボリックな攻撃なのだろうなと思ったが、次のように説明する人がいた。

今回のテロも実はフランス用に用意されていたものだ。自分たちの「地元」を狙うより、パリに遠出をした方が効果的だ。

しかし先週、モレンベークのアジトが発見されて2人が死に1人逮捕、1人逃亡という事態になったので、パリにまで出かける人員やロジスティックが足りなくなった。
態勢立て直しをする時間がないし、逮捕された1人から他の者も割り出されるかもしれない、それなら、手近なブリュッセル、しかも手荷物検査されない空港ホールやメトロが簡単だ、と作戦変更した。

もう一つの質問について、フランスは政教分離の国で、現実はともかく表向きは一貫して移民の統合政策をとっているから、民族や宗教別の共同体が形成されにくい。現実にゲットー化している地域というのは、民族や宗教別というより、経済格差の方が問題だ。

ところがイギリスやベルギーは王家の宗教が決まっているという点で政教分離の国ではないし、その分、他の宗教が共同体を作って棲み分けることにも寛大で、実際多くの共同体がある。ベルギーなど国自体がフラマン語派とフランス語のワロン派が反目していて、棲み分けていたりする。

で、共同体の結束の強いところでは反社会的行為があってもその共同体の「仲間や家族を守る」という結束や暗黙のルールがある。その意味ではギャングやカルトに近いものもある。

そこにイスラム原理主義がつけ込んで根を張った。

テロリストをかくまうのも、主義に賛同しているというより「地域共同体の仲間」だからだ。

テロの温床にもなる。

しかし、イギリスは監視カメラの数、諜報機関の発達、島国の条件などで、テロの実行は簡単ではない。
それに比べて、ベルギーはものすごく狙いやすいというのだ。

ふーん、そう言われればそんな気もする。

ヨーロッパからシリアに行って軍事訓練を受ける若者で一番多いのがマグレブ系を中心としたフランス人で、人口の比率でいうと一番多いのがベルギー人(特にモロッコ系)だ。その彼らは、シリアで出会い、同じフランス語を話すのでなかよくなる。

それぞれの国ではマイナーな共同体にとじこめられていたのに、外国に行き、他の国の同じような立場の仲間ができ、しかも国を超えた「神」という聖なる「普遍」も手に入れることができた。

で、ヨーロッパに戻ってからは、ベルギーとフランスを行ったり来たり、共通の「聖戦」のために気分も昂揚する。
ベルギーでつるんでフランスでテロという形も整った。

なるほど。

もちろんそれだけではない。

パリのテロの実行犯にはイラク人もシリア人もいた。

去年だけでも100万人を超えるヨーロッパへの難民のうち、英米仏露の空爆に追われてきた人たちもいるし、2千人か3千人くらいは、ISのシンパであると思われるという。

現在イラク、シリアでの支配地域を減らしつつあるISは、いろいろな形でテロを展開できる。

アルカイダによる過去のアメリカでの同時多発テロのような派手なものは目指していない。

遠いし。

手ごろなヨーロッパがそばにあるし、洗脳できる若者もたくさんいるから。

と、こういう分析を聞いていると、やりきれない。

でも、70年代には極左のテロがあり、その後はアルジェリア系のテロがあり、その後は・・・・と、厳密にいえばテロのリスクが消えた時代などフランスにはなかった、という解説もあって、そういえばそうかもしれない、とも思う。

これらのことを吟味していると、最近考えている自分の新説がますます当たっているような気がしてきた。
今何をしたらいいのかについてもだんだんと見えてきた。

テロにも天災にも遭わないで生き延びることができれば、やることがたくさんある。
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by mariastella | 2016-03-23 08:07 | 雑感

枝の主日とアレッポの教会

今週は、復活祭前の「聖週間」。パリの各地で各種の「受難曲」のコンサートがある。

今年の春分の日曜は、イエスが過越し祭のためにエルサレムに入城して、人々がナツメヤシの枝を手にして歓迎したという「枝の主日」だった。

聖週間にはその他に、「最後の晩餐」の聖木曜日、十字架刑で息絶えて埋葬された聖金曜日、墓が空になって復活した復活の日曜日とそれに先立つ土曜夜の典礼など、いろいろなものがある。

ヨーロッパのカトリックでは中世以来、この「ご受難」の追体験が盛んだし、「枝の主日」もすでに受難がテーマで、最後の晩餐から死の様子までの福音書の記述が読まれるから、なんだか早々と喪に服するような感じもする。

去年の聖母被昇天祭にネットで調べて行ってからお気に入りの19区の聖母被昇天教会の枝の主日に参加してきた。

ここはあの元気満々のルヴェリエール司祭だから、さぞや喜びに満ちたものかと思っていた。

しかしイエスに先導されるという演出に凝っていて、なかなか教会の中に入れてもらえない。
イエスのエルサレム入城に付き従ってみんながわいわいと行進するという形だ…(実際はラテン語の歌と共に)。

空は曇っていて寒い。
これだけ外で待たされたら、ようやく教会の中に入れる時は暖を求める心が踊る。
うまくできてる。

でも、エルサレムって絶対こんな気候じゃないから、これってひどいよなあ、と思う。

教会前の広場をいっぱいにしてるのを見ても、金曜日にパリの通りでイスラム教徒が座り込んで祈りを捧げることを批判している人たちのことを思い出してしまう。

まあ、枝の主日は年1回で、ムスリムの祈りは週1回、厳密には日に5回だしなあ、伝統行事としてのキャリアも違うし、あ、でも、フランス革命の時代は全部禁止されたっけ…などといろんなことが頭をよぎって、全然「敬虔なきもち」になれない。

それでもこの日が楽しいのは、各自が手にした小枝に聖水を振りかけてもらうイベントがあるからだ。

フランスでは基本が柘植の小枝である。

この時期に簡単に手に入る常緑樹だからだろう。
一昔前は柘植以外見たことがない。

でも、今はエキゾティックな観葉植物も簡単に手に入るから、そして、フランス以外から来る信者も少なくないから棕櫚の葉を持ってくる人もたまにある。

で、私はうちにあるヤシ科のフェニックス・ロベリニーの小ぶりの葉と、柘植の小枝わりに朝鮮人参イチジク盆栽の小枝を切って行った。

教会前の広場では柘植の小枝がテーブルの上に山と積まれて販売されていた。近頃はどこでもこんな感じのようだ。

昔は自分で持ってきたものなのに。

で、後で家族に分けるためか、枝をいくつも束ねて持っている人は多いのだが、私のようなフェニックス・ロベリニーを持っている人はいなくて、なんだか恥ずかしいのでコートの下に隠していた。

でも、教会側は、ちゃんと二つの大きな鉢植えのフェニックス・ロベリニーをこの日のために(?)常備していて、特大の葉が10本用意されている。
イエスが死者の世界を訪れた土曜日ではないのに行列の十字架も紫の布で覆われている。(教会の中も、十字架、聖母子像などすべて覆われて、その代わりにヤシの葉が十字に組み合わせて配されていた。)

「はーい、お持ちの枝を掲げてください」

ということで、聖水をかけたヤシの葉を司祭がぶんぶん振り回してみんなの枝を「浄めて」いく。

柘植の枝の中で、私のフェニックス・ロベリニーは目立つかなあ、と思いながら掲げていると、聖水が一滴、右目の中に入った。

先月手術したばかりの目…。

まあ、聖水だからいいか。

これが手術前だったら、聖水が入ってたちどころに視界がくっきり、視力回復という奇跡が起こったかもしれないのに…。
いや、手術前はコンタクトレンズを入れていたのだから、聖水がレンズについたら非衛生だからあわててレンズを外す羽目になったかもしれない。

まあ、何も起こらず、帰宅してから一応洗眼しておいた。
祝別されたフェニックス・ロベリニーは、猫ズに猫じゃらしと間違われないように(実は前にこの葉であそんでやったことがあるので)、猫の来ないところに隔離する。

ルヴェリエール司祭はあいかわらず、演出力もあり、思い入れも強く、声もよく、すべてを謳いあげるのもいい。

よく、カリスマ司祭の説教だとか、あるいは福音派のミサの派手な演出とかについて見聞きするけれど、確かに、エネルギーにあふれた司祭が盛り上げる典礼は飽きなくていい。

でもこういうタイプの司祭にあまり「告解」とかしたくない人も少なくないだろう。
幸いこの教会にはサレジオ会の引退司祭ジャック神父がいて、落ち着いて温厚そうな感じがルヴェリエールさんと絶妙の対比をなしている。

福音書を読む時も、ルヴェリエール司祭がイエスの台詞をうけもち、その他にピラト役、、ペテロ訳、地の文など、4人でちよっとした受難劇風に仕立てたところもおもしろかった。

それでも、聖母被昇天の日や献堂式などに比べてやや疲れている感じがしたのは、四旬節の間に断食とかして犠牲を捧げたからかもしれない。彼ならたっぷりやりそうだ。

でも今年の枝の主日で一番印象的だったのは、twitter(tweet de Bahar Kimyongur)から拡散された、シリアのアレッポのカテドラル(?)に集まった人々の写真だった。ISの支配下で荒廃した都市にもまだ教会もあり、典礼もあるのだ。

ヨーロッパよりも古い初期のキリスト教宣教地であるシリアにはいろいろなキリスト教の宗派がある。

でも2012年のアレップに20万人いたキリスト教徒は内戦によって2016年には3万人に減ったそうだ。

多くの人が難民となって国を捨てたが、例えば、1995年にヨハネ=パウロ2世からメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のアレッポ大司教に任命されたジャン=クレマン・ジャンバールという1943年生まれの人は、踏みこたえろと信者に呼びかけている。
18世紀にフランスから移住してきた家系でマリストやペール・ブランなどフランス系修道会で学んだ。
アサド政権下では少なくとも学校や病院が無料でモスクにも教会にも課税がなく、キリスト教徒を否定するスンニー派の神権政治を恐れてアサドを支持していた。

どんな状況になっても、アレッポを捨てずに時代、歴史、信仰の証人となることが自分たちの使命だと言っているようだ。

キリスト教の多くの殉教者もそうだが、宗教の権威や政治権力から迫害され、逃げもせず抵抗もせずに処刑されたイエス・キリスト(の復活)を出発点に持っているキリスト教徒たちだからこそ逆境で強さを発揮できるのかもしれない。

そのためにこそ、毎年毎年、受難と復活の再現という典礼を続けてきたのだろうか。

5年になろうとする彼らの受難の終わりは来るのだろうか。
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by mariastella | 2016-03-22 17:16 | 宗教

フェザン島に思う

「島」の学会発表ではじめて知った印象的なもう一つの「島」の話がある。

フランスとスペインの国境にある河の中州であるフェザン島(なぜか日本語のwikipediaではフェザント島となっている)だ。

いろいろな歴史的経緯があるのだけれど、この島は、ともかく17世紀以来、半年ごとに国籍が変わるという状態が安定的に続いている。

もっとも、今のEUの定義では、ヨーロッパにおける「島」とは1平方キロメートル以上の広さで、50人以上が定住していて、ヨーロッパ大陸と1平方キロメートル以上の水面で隔てられていて、なおかつヨーロッパの国の首都を含んでいない場所、だそうだ。つまり、例えば、マルタ共和国の首都があるマルタ島は「島」ではない。

おもしろいのは、このフェザン島は基本的に無人島なのに、スペインとフランスの間で何かお祭りごとがあるごとに、人口の浮き橋や仮劇場が作られてきたことだ。

イベントスペースはフランスとスペインに区分けされていたが、行き来は可能で、たいていはスペインの兵士らがフランス側、特に食堂にやってきたという。

フランス側の対岸バイヨンヌはハムで有名だし、ワインやチーズもフランスのテーブルの方が魅力的だったのだろう。

いろいろな条約はもちろん、王女の交換(それぞれの王の妹ガ相手方の王妃として嫁ぐなど)やルイ14世とスペイン王女の見合いなど、この島で行われた。

両岸から船が同時に出発して同時に着くように演出され、祭りには、遊覧船のようなものが繰り出され、海の怪物やクジラの造りものが河面をにぎわせて、クジラは潮の代わりにワインを噴き上げた。

ルイ14世はベルサイユ宮殿でも人工島の祭典を企画したように、「島」は手ごろなユートピアの表現だった。

で、ともかく、17世紀以来この「半年」ごとの所有権の交代というのが、今も、続いている。

小さな「島」だ。

でも、戦争を繰り返したフランスとスペインの和解の象徴としてこの島が、選ばれた。

分割するのでもなく、奪ったり支配したり譲渡したりするのでもない、祝祭の場所として。

尖閣諸島だとか竹島問題だとか北方領土だとか、島国日本と隣国の間にも、もとは無人島であったにもかかわらず、紛争の種となっている島がいろいろあり、威嚇や憎悪や緊張の対象になっている。

フェザン島の歴史を知ると、当事者同士が望みさえすればユートピアだって実現できるのだ、と思わずにはいられない。
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by mariastella | 2016-03-21 23:55 | 雑感

16世紀のイエズス会士たちにとって日本は島国だったかどうかの話

恒例のルネサンス学会に出席したら今年はテーマが「島」だった。

「島国」日本の出身の私には興味深いものだった。

でも大陸に住んでいる人にとって島が異界であるように、島国に住んでいる日本人にとっても島は「鬼ヶ島」みたいな異界である。
要するに、自分の住んでいる所は「島」ではなく「大地」であり、島とはいつも「異界」でフラクタル構造をなしているのだ。

「島」としての日本についてイエズス会士たちがどう考えていたのかはおもしろい。

宣教というのは、「地の果て」まで踏破するのが英雄的行為であって、「航海」自体は宣教の共同幻想に入っていないのだ。

で、日本でも、海岸線には興味がなく、支配者のいる場所、知識人のいる場所に向かって「邁進」した。

ただし、宣教地をまわる時に、キリスト教化したふたつの藩の間に反キリスト教の藩がある場合は、陸路を通らずに海路を迂回した。

海路は手段に過ぎなかったわけだ。

いったん日本に入った後のイエズス会士たちの日本のイメージは、日本人と同じように「大地」だったというところがおもしろい。
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by mariastella | 2016-03-20 23:51 | 雑感



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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