L'art de croire             竹下節子ブログ

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出雲の国の話

20日から松江に3 泊した。

前に山陰地方に行ったのはもう半世紀も前で、それでも宍道湖の雰囲気やハーン旧居のことは印象に残っている。今回は宍道湖の日没の写真も撮れた。すぐにメールで何人かの友人に送ったら、

「死者たちが、私の目を通して

湖の夕映えを眺めてゐる。

涙していゐる。

あの猿の尻のやうにまつ赤なまつ赤な雲を見て、

たまには笑へ、死者よ、死者よ。

(入澤康夫『死者たちの群がる風景』より)」

という詩の一節で返事を下さった方がいた。

出雲の国って冥界との境界領域なのかという印象がさらに深まる。

一畑電鉄の電車でゴトゴトと出雲大社に出かけ、古代出雲歴史博物館をたっぷり見学した。

ロビーに展示された宇豆柱は迫力があるし、遷宮の特別展があったので遷宮のことがよく分かったし、常設展の銅剣、銅鐸にも圧倒される。

銅が貴金属であるということにあらためて想いが至る。

寄り代としての剣の意味についてコミックの『八雲立つ』というのを読んだとき立てた仮説が実感をもって思い出される。

大社の本殿の天井に描かれた「八雲」が七つしかないことについて、八つ揃えばそこで終わりになるので「まだ終わりではない」というのをあらわしているのか、神魂(かもす)神社の天井には九つあるというのでそこに一つ飛んでいったのだとかいろいろ説があるそうだ。

次の日に神魂神社でたずねたら、そこでは八雲とは呼ばず「九重(ここのえ)の雲」と呼ぶのだそうだ。

揖屋(いや)神社でもたずねたら、確認されているのは五つだそうで、そうなると、「八雲」というより、みな奇数なので、二つに割り切れる数字を避けるという考えがベースにあったのかもしれないという気もする。

狛犬の姿勢や、黄泉の国の境界領域や、出雲の弁天信仰などについていろいろな論文を見つけて購入したのだけれど、雲の数についてはまだ見つけていない。

弁天信仰というのは、雨がやんだので稲佐の浜に出て、どうしてこの出雲の国の国譲り神話の重要な場所に神仏分離に反する弁天島があるのかが気になったので調べたものだ。
結局海や航路、船を守るというプラグマティズムが優先したということらしい。

天領となった出雲で出雲大社が江戸自体にすでに神仏分離を決行したこと、そこには天台宗鰐淵寺との権力争いがあったこと、その「分離」の仕方は後の明治維新の神仏分離法の試行錯誤と比べても興味深い。

稲佐の浜の次に手錢記念館に案内していただいた。

江戸時代に造り酒屋で財をなした手錢家による橙の茶道、華道などの美術工芸品のコレクションを一般公開しているところで、出雲という場所、蔵の空間、工芸品に注がれてきたこだわりの視線、顫動しながら工芸品に巻きまつわる「時」の濃密さと、解説してくださった学芸員の佐々木杏 里さんの記念館や展示品への愛にあふれる知的でさわやかなイメージの取り合わせが絶妙だった。

お庭もすてきで、大社、稲佐の浜へと訪れる人々にも絶好の立ち寄り先だ。

蔵のスペースと音響を利用したコンサートも行われるそうでピアノも置いてある。

ここで能管を演奏していただいたのだけれど、能管の音はヒュー、パシッと音を立てて時空を切り裂いてまさに境界領域を開いてくれるので、工芸品も、それを創ってきた人のこだわりも、集めてきた人の思い入れも、そこにあるモノたちのざわめきまでもはっきりと感じられるようになる。
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by mariastella | 2016-04-28 14:23 | 雑感

サイトのお知らせと27日のこと

私のサイトの自由なおしゃべりコーナーForum3に「愚者」さまからの呼びかけがありました。(4/19付け)

皆様に、ということですので、お読みください。

また、27日の講演についてお問い合わせがいくつかありましたので、こちらをご覧ください

何を話すかまだ考えていません。

何かご要望があればサイトにどうぞ、
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by mariastella | 2016-04-19 13:59 | お知らせ

調布と出雲と藤田嗣治

17日、調布美術研究所に赴いて、デジタル・バロック童話の打ち合わせをした。日本にいる間にもう一度行って確認するので、夏ごろには仕上がるかもしれない。

2014年にこのコンサートを最初にやった大阪の「聖家族の家」に秋に行く頃にはあの時の子供たちに聞いてもらえるといいのだけど。

帰りに新宿で紀伊國屋書店に寄り、来週の島根行きの電車の中で読むつもりの本を3冊買った。

石神さんを訪ねてーー出雲の巨石信仰  (山陰中央新報社)

島根の逆襲ー古代と未来をむすぶ「隠れ未来里」構想(言視舎)出川卓+出川通

あたらしい出雲旅行 (WAVE出版)広沢真貴子

何しろ最近出雲について読んだのは『水木しげるの古代出雲』だけで、せっかく何十年ぶりで島根に行くのだから予習予習。

ついでに伊勢丹によって生誕130年記念『藤田嗣治と猫』展を観る。

「猫と自画像」は有名だけれど、「猫の本」シリーズははじめて見た。

猫のどんな姿でも自在に描けたというから観察力と愛情は半端ではない。
今のように簡単に写真に撮れてすぐ眺めることのできない時代だから。

いや、簡単に写真に撮れない時代だからこそ、「目に焼き付けた」のかもしれない。

少女たちと猫の画は、全員そっくりだ。

少女たちは猫そっくりだけれど陶器のようで、猫の方が人間味があるけれど。
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by mariastella | 2016-04-18 00:11 | 雑感

地震のニュースを見ながら

TVのニュースは熊本を中心にした大地震関連のものばかりだ。

来週の島根行を心配してくださる方もいる。

テロの厳戒態勢でストレスフルなパリを離れて、劇場でも美術館でも手荷物検査のない日本でのんびりした気分だったのに、自分のうちから出なくてもいつ襲ってくるかもしれない地震のある国にいるのだとあらためて思う。

秋にはフランス人のカップルふた組といっしょに阿蘇、長崎、別府などを回ろうと言っていたのが、なんだか自信がなくなった。

3・11の時は日本にいなかったから分からなかったけれど、今回TVで、避難している方々に向けて「周囲の方と励ましあってください」などというメッセージが発信されているのを見て感心した。

パリの連続テロの報道などで、やはり多くの人が帰宅困難になったり負傷したりしたがこういう形のメッセージは考えられない。

とても日本らしい。

かと思うと、混乱に便乗したヘイトスピーチもtwitterで飛び交ったそうで、共同体の絆と匿名のヴァーチャル世界の悪意のコントラストもまた日本的という気がする。

今のところ津波による大量の犠牲者などが出たわけではないので、少しずつ発表される犠牲者のお名前や身元を見るとリアルに悲しく身につまされる。

ジハディストらによるテロの報道では、恐ろしくても、その恐怖に負けてはならない、普通に堂々と自由に人生を楽しもう、ということをみなが決意するシーンがあるけれど、自然の脅威を前にしたときの恐怖や運命論とどう戦うかというのには別の知恵が必要だ、とつくづく思う。
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by mariastella | 2016-04-17 00:32 | 雑感

宮川香山展

「日本陶器王」と呼ばれた「宮川香山」展をサントリー美術館に観に行った。

横浜の外国人居留地に住んで外国人の嗜好を探るなど輸出のために戦略的であったわりに強烈な個性で、独創的な高浮彫作品を残した。

外国人は金を多量に使う薩摩焼を好んだが、それでは高額になり、金が国外に流出するので、立体的な造形で造形の妙を極めたというのだ。

しかも、確かに、金箔、象嵌、螺鈿など光物が少ないかないせいか、キッチュすれすれなのに品がある。

枯れ葉や枯れ木、朽ち花も好んで取り上げるので倒錯した侘び寂びの味わいさえもあるのだ。

絵柄には季節ばかりでなくストーリーもある。

西洋風の神話や宗教モチーフを使わない代わりに、「あの世」が百鬼夜行の姿で現れるのも興味深い。日本の「神々」をテーマにしないのも、キリスト教国での受容を考慮したかららしい。

動植物の生態までリアルにかつ過剰なまでに埋め込んだ作品の展示を見ているとまさに、Cabinet de curiosités (キャビネ・ ド・キュリオジテ)に迷い込んだような印象だ。

キャビネ・ ド・キュリオジテは、ヨーロッパの貴族や学者、文人が15世紀以来の大航海で「異国」で収集したものを集めた博物趣味の珍品陳列室で玉石混交の宝箱だった。動植物の標本や剥製も中心にある。

いわゆる「近代」にそれはすたれたが、宮川香山が提供した壺や花瓶は、彼らの博物展示趣味をどこか刺激した面もあるのではないだろうか。

欧米で人気を博していた中国陶磁器に対抗して出発したとはいえ高浮彫作品は、もう「陶磁器」という範疇を超えている。

巨大な作品が精緻なモチーフで埋め尽くされているのは圧巻で、香山は天才というより巨人のようだ。

有名な「猫」は耳の中の血管まで浮き出ているし、ハチの巣の中でうごめく幼虫なんていうものまである。単眼鏡を持参して見つめる人もいた。

香山の最大のコレクターで研究者という田邉哲人という人も驚きの人物だ。国際警備会社を経営し、スポーツチャンバラの創始者だそうだ。

絵や書や陶芸作家でもあるようで、こんな桁外れの人がやはり桁外れの香山と出会ったことに感謝したい。
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by mariastella | 2016-04-16 01:36 | アート

彦山権現誓助剱 と 幻想神空海

14日、歌舞伎座公演の夜の部に行った。

彦山権現誓助剱(ちかいのすけだち)の杉坂墓所と毛谷村

そして幕間なし2時間の幻想神空海。これは新作歌舞伎。

前日のお能ベースのシュメール神話に続いて、この新作歌舞伎では唐が舞台で、楊貴妃伝説、冥界との関係、よみがえり、不老など、共通するテーマがあったので非常に興味深かった。

過去の物語を突然和服の竹本義太夫が劇中劇として語りだすなど、人やモノ、時代、時間、空間すべての区別が曖昧であり、音楽を生かした斬新な演出でそれを操る手際も共通している。

空席がけっこうあったのには驚いた。今回が初演の新作歌舞伎を敬遠した常連がいるのかもしれない。

彦山では、ヒーローの六助役の仁左衛門の表情の豊かさが抜群だった。
眉を下げて温厚そうな顔をするのが誰かに似てると思ったら『マイ・インターン』のロバート・デ・ニーロにものすごく似ている。

彼の表情の豊かさを見ているだけで楽しい。子役が大活躍だが、仁左衛門の温かさ、頼もしさが安心感、信頼感を与えているのだろう。

次の空海ものは歌舞伎という枠を超えている。

最初に若き空海役の染五郎が登場したときは、あまりにも、宝塚の男役を思わせてびっくりした。

その後も最後まで、染五郎はたたずまいも、声もセリフ回しも宝塚そのものだった。これが伝統歌舞伎の台詞だったら気がつかなかっただろうけれど。
もちろんこれはケチをつけているのでなく、今回宝塚に行けなかったので得をした気分だということだ。

実は空海が唐から戻ってきて神護寺に来た1200年記念の時に、最初京劇を上演するという企画があって、唐での空海を主人公にしたシナリオを書かないかという提案をされたことがある。橘逸勢との冒険を考えていたのだけれど、そのころすでにこの夢枕獏さんの作品があったことを知らなかった。

白楽天や楊貴妃まで動員するなんてすごい想像力だ。結局その企画は実現しなかったのだけれど、いろいろ考えたことがあるので感慨深い。

今回の演出は「武具馬具が揃ったところで、巨大な玩具箱をひっくり返す」と演出家が書いている言葉がぴったりだ。回り舞台も駆使し、仕掛けもたくさんあって、「見世物」の楽しさがある。

それに比べると、確かに昨日の安田さんの舞台は「神事」に近かった。
歌舞伎のひと月近い公演と違って1回性の能舞台とのメンタリティの違いがそこで顕著になる。

(といっても、安田さんなら、予算と手段があればよろこんで「巨大な玩具箱をひっくり返」しそうな気もするけれど…)
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by mariastella | 2016-04-15 20:04 | 演劇

ヘンリー・オサワ・タナーのイエスとニコデーモス

この前の続きだが、ある「効果」を実現するために工芸的で抽象的な構成をしていくタイプの画家と正反対に、写実的な絵が、単純化していって、その上で、別の世界に突き抜けるというようなタイプのものがある。

絵が信仰告白だと明言していたヘンリー・オサワ・タナー(はじめて有名になったアフロ・アメリカンの画家で、20世紀になってから人種差別を嫌ってフランスに住み、フランスで埋葬されている)の『イエスに会いに来たニコデーモス(ニコデモ、ヨハネ3章)』のいくつかの絵(同じ年に描かれた)を見ていてそう思う。

これが写実的なやつ。


 これが抽象化する過程

これが宗教画に昇華したもの


疑いも持っていたニコデーモスがイエスにあって何を体験したかがよく分かる。

この人の写実的な画で、イエスに読み方を教えるマリアというのがある。

大工仕事を教える父ヨセフを補完するように「読み書き」を教えるのは母マリア(マリアも母のアンナから読み書きを習った)担当だったのだけれど、これは写実的でディティールがすごくいい。

文化や伝統としての宗教画(教会や修道院や貴族から注文された)もあればそれに自分の美意識を託した画家もいる。
近代以降には、本気で信仰を画で表現した人たちがいて、それがアフロ・アメリカンでもあり得たということは不思議ではないのに、何となくアメリカの黒人の信仰表現というと黒人霊歌のイメージがあるので、オサワ・タナーの絵を見ているとあらためてアートの普遍性を感じさせられる。
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by mariastella | 2016-04-15 18:37 | アート

『イナンナの冥界下り』

13日、台東区にある真宗の西徳寺で安田登さんの率いる「てんらい」によるシュメール神話『イナンナの冥界下り』の公演を拝見した。

女性浪曲師の巧みなイントロや、人形、ダンサー、子役、コーラス、能管だけでなくいろいろな楽器、プロのオペラ歌手など、これだけ多彩なハイブリッド作品をまとめる創造性と手腕はすばらしいし、演じている人がみな楽しんでいる様子も伝わる。

お寺の本堂という背景も神話の神事、祭事という異世界にぴったりだ。

エンターテインメントというより神事のつもりで演じますということだったが、サービス精神も豊かで飽きさせない。

女神イナンナが女優さんで冥界の女神が人形なのだけれど、女優さんが小柄で無機質な感じも人形とバランスが取れている。

セリフの半分がシュメール語という触れ込みだけれど、日本語の部分は能と違って聞き取りやすいし、シュメール語の部分も、外国語というより呪文のように語られ歌われ聞こえるので違和感がない。

繰り返しが多いのはバロックオペラみたいで、つい唱和したくなる。

最後にイナンナが「わたしは唯一の神」と自賛する。

安田さんによる解説本では祖父なる神が彼女を甘やかして多くの力を与えすぎてしまったのでわがままになったとある。 

「唯一の神、我に比すべき神はいない」

という賛歌が引かれている。

これは旧約の神の登場の仕方とそっくりだ。

旧約の神はモノテイズムのモノ(単一)ではなくソロ(唯一)として登場した。

言ってみれば、恋する女が

「あなたは私の立った一人の男、あなた以外に男はいない」

と男に言うとき、それは別に他の男が地球上に存在しないという意味ではないのと同じだ。

旧約の神と神に選ばれたユダヤ民族の関係はそういうものとして出発した。

後の、いわゆる一神教の方は、単一という意味の唯一神なのだから、嫉妬や離反や裏切りは基本的にあり得ない。
一神教同士が「ぼくたちの神が正しい唯一の神だ」と言って排斥しあうというのはロジックではない。

イナンナがいったん死んで復活した後でパワーアップするという話はキリスト教復活テーマと似ている。

創造をどう見るかということだけでなく、冥界をどう見るかということからローラシア神話を眺めるのが安田さんのテーマであるようだ。
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by mariastella | 2016-04-14 13:39 | 演劇

『母と暮らせば』

日本に向かう機内で山田洋次監督の『母と暮らせば』を観た。

去年が隠れキリシタンの信徒発見150周年だったし、毎年暮れの「ゆく年くる年」のミサの様子などで長崎というとカトリックという刷り込みが日本人のマジョリティにあるのかなあと思わされる作りだったのに驚いた。

フランスのドキュメント番組で、長崎の大司教が長崎のカトリックにはずっと邪宗門として迫害されたトラウマがあって云々と答えていたのを聞いて、そんなことないよな、長崎の人ってほんとにそんなこと考えているのかなあと思ったことを思い出した。

映画では、亡くなった家族にいわゆる陰膳を供えるような普通の日本人家庭の仏壇の代わりにキリスト教の祭壇があるという感じだった。

祭壇の前でイエズス・マリア・ヨゼフと唱えるとか必ず「アーメン」で終わるとかいうことの他に、キリスト教っぽいのはヒロインが「父よ、私の魂を御手に委ねます」という部分で、信徒の苦しみは十字架の上で死んだイエスの苦しみに重ねられて、「父」のみ旨に従うというところだ。

それでも息子の幽霊が「運命だ、諦める」と言うと、母は「運命じゃない、地震や津波は運命だけど戦争は人間が始めたんだから」と抗議する。反戦映画になっている。

3・11の震災の後で日本の少女がローマ法王に、神様がいるならどうして自分たちはこういう目に会わなければならないかと手紙を書いたことは有名だ。

ある意味で、分かりやすい個人的な因果応報の「罪の報い」とはならない災厄を前にした時に人は運命論で諦めようとすることがある。
それに対抗するためにキリスト教の神は独り子を捧げたわけだ。

けれども、災厄の後で発せられる「なぜ私が」、とか「なぜ私じゃなくあの人が」という問いは永遠に残る。

興味深いと思ったのは、幽霊がなぜ3年も出てこれなかったのかという説明に、突然の死を実感できなかったからといことの他に、母親が息子の死を信じていなかったからだという部分だ。

生者と死者の双方がアンテナを立てないと彼岸とのコネクションが成立しないという説と合致している。

幽霊が泣いたりして動揺すると消えてしまうというのも、相手に向けてのアンテナがなくなるからだ。

他に気になることもある。

70年前のカトリック世界で、「終油の秘跡」を受けずに多くの信者が死んだことは、「それでは天国に行けない」というトラウマにならなかったのだろうか。長崎のカトリック教会はどういうケアをしたのだろうか。

フランスでは、第一次世界大戦の時に行方不明を含む大量の戦死者が出た時に、従軍司祭の役割も含めていろいろなことが変わった。政教分離法成立の後だったが、戦死者はそのまま「聖人」扱いされて、教会のステンドグラスも飾った。

こういうのとかこういうの

イエスと子供たちの画像のステンドグラスを戦死した息子の顔とともに教会に寄付した父親もいた。

こういう風に共同体ぐるみで喪と癒しのプロセスを実現するには、やはり「宗教的な場所」が必要だったのだろう。

その意味で、『母と暮らせば』の映画で、関係者の多くが「信者」だったり、最後の教会での葬儀に皆が集まって母子が天に帰っていくのが結末だったりするのはなるほどと思うけれど、広島は? 

広島でも、原爆で焼失したカテドラルが、戦後、世界平和記念聖堂として再建されている。被爆したドイツ人司祭は日本に帰化したそうだ。

平和を希求する精神から逸脱しない限り、ユニヴァーサル系宗教施設の果たせる役割は小さくない。
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by mariastella | 2016-04-13 15:55 | 映画

エマニュエル・マクロンの顔

どうでもいい話をひとつ。

フランスでは4/5からTV放送がすべてハイ・ビジョンに切り代わった。

4/10の公営放送のニュースで経済・産業大臣のエマニュエル・マクロンが出ていて、ハイ・ビジョンで大写しになっているのを見て軽く衝撃を受けた。

マクロンは風刺ギャグの人形劇ギニョールで大統領と首相にあやされる背広をきた「あかんぼう」の姿で登場したように、36歳で抜擢されて政界入りした若いエリートでまだ38歳。

見た目は神経質そうな感じだとは思っていたが、ハイ・ビジョン大写しの画像の肌の美しさには驚いた。
あかんぼうとはいかないが、小学生くらいに見える。

(画像を検索するとそれなりにシワが見えるものもあるからハイ・ビジョン用にメイクしているのかもしれないが、それにしてもつるんときれいだった。

マクロンと言えば、高校生の時のフランス語教師と恋に落ちたことでも有名だ。

相手は当時3人の子持ちの既婚女性で、20歳年上とも24歳上という説もある。

地方都市でスキャンダルになり、離婚して、マクロンの高校卒業と共にパリに出て、 2007年に結婚した。前夫との子供には孫もいる。


うーん、それでなくとも親子ほど年の違う女性と結婚して、落ちついた感じなら分かるけれど同年輩の男性よりずっと若い外見とは・・・。

しぶいわけでも甘いわけでもなく、どちらかというと冷たい感じの優等生的な綺麗な顔で、香水のモデルみたいな個性のないきれいな顔。

例えば俳優だとしてもアクがなさすぎて役をもらえないという感じだ。

「政治家の外見」としてマイナスになってもプラスではない。

女性でなくてよかったと思うくらいだ。
これが同じ年の女性でこれほどの「きれいな顔」だったら、別の形で揶揄されそうだ。

信頼感をそそるとか自信に満ちているとか成熟しているとか行動力がありそうとかという感じには見えない。

でもやっていることはアグレッシヴで常に話題の中心にいて、大統領や首相よりも目立つことさえある。

インタビューでもいつかは大統領になりますか、と問われていたが、そして今はそんなことを考える時期ではないと答えていたが、こんな顔の大統領ってなんだかイメージがわかない。

不思議なキャラだ。

今までユニークな政治家という目では見ていたけれど、今はほんとうに、ギニョールで揶揄された外見とのギャップに感心する。
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by mariastella | 2016-04-12 21:23 | フランス



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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